slumgods

2019年07月18日

Real Gully Boys!! ムンバイ最大のスラム ダラヴィのヒップホップシーン その2

10月18日に公開予定のボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』の日本版予告編がついに解禁となった。 


前回の記事
で、『ガリーボーイ』の舞台になったダラヴィ出身の活躍めざましいヒップホップクルー、Slumgods, Dopeadelicz, 7BantaiZ, Enimiezらを紹介した。
彼ら以外にも、Dog'z, Bombay Mafia, Dharavi Rockerz, M Town Rockerzといったクルーが結成され、ダラヴィのヒップホップはまさに百花繚乱の時代を迎えた。
身体一つで喝采を浴びることができるブレイクダンス、そして高価な楽器や音楽知識がなくてもできるラップは、ダラヴィの住人にうってつけだった。
どんなにお金を持っていても、高い社会的地位にいても、ヒップホップカルチャーにおいては、スキルとセンスを自分で磨いて勝負するしかない。
「持たざるものの芸術」であるヒップホップは、ダラヴィの人々にプライドと自信を与えることができたのだ。
ヒップホップのもう一つの要素であるグラフィティも盛んになり、ダラヴィはまさにヒップホップタウンの様相を呈するようになった。

ヒップホップカルチャーの中で、唯一ダラヴィで発展しなかったのがDJingだろう。
DJという言葉の定義にもよるが、ターンテーブルにアナログレコードを乗せてプレイするクラシックなスタイルのDJ文化は、ついにインドには根付かなかった。
これは、高価な機材が必要だという経済的理由だけでなく、ヒップホップが流行した時代背景にもよるのだろう。
ダラヴィでヒップホップが人気を集め始めたのは2010年前後。
もはやレコードの時代でもCDの時代でもなく、インターネットで音楽を聴く時代になってからのことだった。

DJの代わりに発展したのが、ヒューマン・ビートボックスだ。
ダラヴィのヒップホップシーンを取り上げたこのドキュメンタリーでは、 1:38頃からビートボクサーたちが自慢のスキルを披露している。
(ダラヴィにはビートボクシングのレッスンまであるようだ)
 


やはりビートボックスから始まるVICE Asiaのこのドキュメンタリーでは、「ヒップホップは俺たちのためにあると感じる」と語るムンバイの若者たちのリアルな様子が見られる。
(出演しているラッパー達は、全員がダラヴィ出身ではない)

SlumgodsのPoetic Justiceや、Mumbai's FinestのAceら、初期から活動するムンバイのヒップホップアーティストたちが語るシーンの成り立ちは興味深い。
彼らの影響の源は、50CentやGameといったアメリカのアーティスト、そしてエミネム主演の映画"8Mile"であり、ダラヴィのラッパーたちがインド国内のバングラー系のラップとは全く異なるルーツを持っているということが分かる。
やがて、ラップバトルが行われるようになると、"8Mile"の世界に憧れていた若者たちが集まってくる。(このあたりは、映画『ガリーボーイ』のまんまだ)
だが、彼らはいつまでもアメリカの模倣のままではいなかった。
このドキュメンタリーによると、銃についてラップするようなアメリカのラッパーのワナビーは彼らの間では軽蔑され、リアルであることが評価される健全なシーンが、現在のダラヴィにはあるようだ。
やがて、Mumbai's Finestやその一員だったDivine、そしてNaezyらがムンバイのシーンをより大きなものにしてゆく。
ストリートのリアルを表現する「ガリーラップ」はますます人気になり、今ではコメディアンたちによるGari-Bというパロディまであるというのだから驚かされる。
そして、大きなレーベルや資本の後ろ盾なく、ただ「クールであること」「リアルであること」のみを目的としてヒップホップを続けていた彼らを、ついにボリウッドが発見する。
言うまでもなく、映画"Gully Boy"のことだ。
メインストリームの介入に懐疑的だったダラヴィのラッパーたちも、Zoya Akhtar監督や、主演のRanveer Singhの熱意に打たれ、心を開いてゆく。
この動画のなかでZoya Akhtarが語る「ヒップホップはインドの真実を語る最初の音楽ジャンル」という言葉が意味するところは大きい。
メジャーもインディーも関係なく、アーティストとして、よりリアルな表現を求める感覚が、ダラヴィと映画業界を結びつけたのだ。
同時に、このビデオでは、「ガリーラップ」の表面的なイメージが先行してしまうことへの危機感と、ラップだけでなくトラック(ビート)もさらに洗練され、さらなる優れた音楽が出てくるであろうことが語られている。


「ダラヴィはインドのゲットーさ」というセリフから始まるこの"Dharavi Hustle"は、ダラヴィのヒップホップシーンの多様性を伝える内容だ。
2016年に公開されたこの映像は、シーンが大きな注目を集め始めた時期の貴重な記録である。

「ダラヴィが特別なんじゃない。ここにいる人々が特別なんだ。ここにはたくさんの人種、宗教、文化がある」という言葉のとおり、多様なバックグラウンドの人々がヒップホップというカルチャーのもとに一つになっている様子がここでは見て取れる。
'Namaste, Namaskar, Vanakam, and Salaam Alaikum to all the people'という、いくぶん冗談じみたStony Psykoの挨拶が象徴的だ(NamasteとNamaskarはインドのさまざまな言語で、おもにヒンドゥーの人々が使う挨拶。Vanakamは南部のタミル語。Salaam Alaikumはムスリムの挨拶だ。ちなみにStony Psyko本人はクリスチャン)。
ここでも、アメリカのゲットーと同じような境遇に育ったダラヴィの人々が、ヒップホップのスタイルだけでなく、リアルであるべきという本質的な部分を自分たちのものにしていったことが語られている。


ダラヴィのヒップホップシーンを題材に撮影されたドキュメンタリーは本当にたくさんあって、この"Meet Some of the Rappers Who Inspired the Ranveer Singh's 'Gully Boy'"もまた興味深い内容。

「ヒップホップはヒンドゥーやイスラームやキリスト教のような、ひとつの文化なんだ」という言葉は、ヒップホップが宗教や文化の差異を超えたダラヴィの新しい価値観であり、また生きる指針でもあることを示している。
シーンの黎明期から、リリックに様々な言語が使われていることや、伝統的なリズム('taal')との融合にも触れられており、またダラヴィへの偏見や、口先ばかりで何もしない政治家の様子などもリアルに語られている。
ムスリムやクリスチャンの家庭でラッパーでいることについてのエピソードも興味深く、映画の舞台となったダラヴィがどんな場所か知るのにもぴったりの内容だ。

こちらは『ガリーボーイ』にも審査員役でカメオ出演していた、BBC Asian NetworkのBobby Frictionの番組で紹介されたダラヴィのラッパーたちによるサイファーの様子。

この動画に出演しているDharavi UnitedはDopeadelicz, 7 BantaiZ, Enimiezのメンバーたちによって結成されたユニットで、この名義での楽曲もリリースしている。

ここまで男性ラッパーばかりを紹介してきたが、女性ラッパーもちゃんといる。

このSumithra Shekarはタミル系のダリット(被差別民)のクリスチャンの家に生まれ、親族に反対されながらもラッパーとして活動している。
『ガリーボーイ』に描かれているような葛藤がここにもあるのだ。


いずれにしても、ダラヴィは、ニューヨークのブロンクスや、ロサンゼルスのコンプトンやワッツのように、リアルなヒップホップが息づく町となった。

今回はダラヴィについて特集したが、ムンバイの他のスラムでも、ヒップホップカルチャーは定着してきており、ムンバイのワダラ(Wadala)地区出身のラッパーWaseemも先日デビュー曲を発表したばかり。


彼は、以前このブログで紹介した、ムンバイのラッパーと共演した日本人ダンサー/シンガーのHirokoさんも協力している、この地域で子どもたちにダンスと音楽を教える活動を行っているNGO「光の教室」に通う生徒の一人。
父母が家を出ていってしまい、叔父のもとで育ったという彼は、ラップに出会ったことで人生でやるべきことが分かったという。
「みんなはラップを作るためにスタジオや機材が必要だというけど、僕に必要なのはこれだけさ」とスマートフォンを取り出す彼からは、iPadでレコーディングからミュージックビデオ撮影まで行ったNaezy同様、今ある環境で躊躇せずラップに取り組む心意気を感じる。

ダラヴィのヒップホップは、今ではバブルとも言えるほどの注目を集めているが、それでもなお尽きない魅力があり、かつ急速な拡大と発展を遂げている。
『ガリーボーイ』人気が一段落したあとに、どんな風景が広がっているのか。
今から非常に楽しみである。

「その1」「その2」を書くにあたって参考にしたサイト:


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2019年07月12日

Real Gully Boys!! ムンバイ最大のスラム ダラヴィのヒップホップシーン その1

10月に公開が決定した、ヒンディー語映画、『ガリーボーイ』。
このボリウッド初のヒップホップ映画の舞台は、ムンバイ最大のスラム、ダラヴィ(Dharavi)だ。
主人公ムラドのモデルとなった実在のラッパーNaezyの出身地は、じつはダラヴィではなくムンバイ東部のクルラ(Kurla)地区。(ここもかなりスラムっぽい土地のようだ)
映画化にあたってダラヴィが舞台に選ばれたのは、ここがあの『スラムドッグ・ミリオネア』で世界的に有名になったスラム地区で、「ガリーボーイ」(路地裏ボーイ)のイメージにぴったりだからという理由だけではない。

ダラヴィは、実際にムンバイの、いや、インドのヒップホップシーンを代表するアンダーグラウンドラッパーを数多く輩出している、ヒップホップが息づく街なのだ。
ここでいう「アンダーグラウンドラップ」とは、マニアックな音楽性のヒップホップという意味ではない。
映画音楽のような主流のエンターテインメントではなく、ストリートに生きる人々が自ら発信しているリアルなヒップホップという意味だ。
(インドのメインストリームヒップホップについてはここでは詳しく紹介しないが、興味があったらYo Yo Honey SinghやBadshahという名前を検索してみると雰囲気がわかるはずだ。)

ダラヴィのヒップホップは、'00年代後半、EminemやNas, 50Centなどのアメリカのラッパーに影響を受けた若者たちによって、いくつかのクルーが結成されたことで始まった。
'00年代後半のインドの音楽シーンは、在外インド人の音楽を逆輸入したバングラー風味のラップがようやく受け入れられてきた頃だ。
(インドのヒップホップの全般的な歴史については、こちらの記事にまとめてある。「Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史」
当時、インドの音楽シーンでは、ポピュラー音楽といえば国内の映画音楽のことで、ロックやヒップホップなどのジャンルは極めてマイナーだった(今でもあまり変わっていないが)。
そんな時期に、経済的に恵まれていないダラヴィで、インド国内で流行っていたバングラー系ラップを差し置いて、アメリカのヒップホップが注目されていたというのは驚きに値する。

理由のひとつは、インターネットが普及し、海外の音楽に直接触れることができるようになったこと。 
また、教育が普及し、英語のラップのリリックが多少なりとも理解できるようになったことも影響しているだろう。
ダラヴィのラップにバングラーの影響が見られないことに関しては、この地域にバングラーのルーツであるパンジャーブ系の住民が少ないということとも関係がありそうだ。
バングラー系のラップは、どちらかというとパーティーミュージック的な傾向が強く、ストリート志向、社会派志向のダラヴィのラッパーたちとは相容れないものでもあったのだろう。

だが、ダラヴィの若者が(バングラー系ラップでなく)米国のヒップホップに惹かれた最大の理由は、何よりも、ヒップホップの本質である「ゲットーに暮らす被差別的な立場の人々の、反骨精神とプライドが込められた音楽」という部分が、彼らにとって非常にリアルなものであったからに違いない。
ダラヴィに住んでいるというだけで、人々から見下され、警察には疑われる屈辱的な立場。
過密で衛生状態が悪い住環境でのチャンスの少ない過酷な生活。
遠く離れたアメリカで、同じような立場に置かれた人々が起こした「クールな反逆」であるヒップホップに、インド最大の都市ムンバイのスラムに暮らす人々が共感するのは必然だった。
いずれにしても、ダラヴィでは、ヒップホップは'00年代後半から、インドの他の地域に先駆けて、若者たちの間に定着してゆくことになったのだ。

初期から活動しているダラヴィのヒップホップクルーのひとつが、Slumgodsだ。
2008年に結成された彼らは、同年に発表された映画『スラムドッグ・ミリオネア』によって、ダラヴィ=スラムドッグというイメージがつくことに反発し、'dog'の綴りを逆にしてSlumgodsという名前をつけた。
『スラムドッグ・ミリオネア』は、外交官であるエリート作家によって書かれた小説を、イギリス人監督が映画化したものだ。
よそ者によってつけられた「スラム=貧困」のイメージに対する反発は、ダラヴィのヒップホップの根幹にあるものだ。
「俺たちは犬畜生じゃない、神々だ」という、プライドと反骨精神。
Slumgodsの中心人物B-Boy Akkuは、ラップよりもブレイクダンスに重きを置いた活動を展開しており、とくに、スラムの子供達に自信と誇りを持たせるために、無料のダンス教室を開き、ダラヴィでのヒップホップ普及に大きな役割を果たした。

Akkuの活動については、以前この記事に詳しく書いたので、興味のある人はぜひ読んでほしい(「本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編」)。
彼らのように、ギャングスタ的な表現に終始するではなく、ヒップホップというアートフォームを通して、どのように地域に貢献できるかを真剣に考えているアーティストが多いのも、ダラヴィのシーンの特徴と言えるだろう。

Slumgodsと同時期に、OuTLawZ, Sout Dandy Squad, Street Bloodzといったクルーも結成され、さらにはDivineやNaezy, Mumbai's Finestといったムンバイの他の地区のラッパーたちの影響もあって、ダラヴィのヒップホップ人気はさらに高まってゆく。

この頃のクルーは、音源を残さずに解散してしまったものも多かったようだが、ヒップホップは確実にダラヴィに根づいていった。
ムンバイのヒップホップ黎明期のアンセムをいくつか紹介する。

シーンの兄貴的存在、Divineによる地元賛歌"Yeh Mera Bombay". 2013年リリース。


楽曲もビデオも、Naezyが父から貰ったiPadのみを使って制作された"Aafat!". 2014年リリース。


ブレイクダンスにスケボーも入ったMumbai's Finestの"Beast Mode"は、ムンバイのヒップホップ系ストリートカルチャーの勢いを感じられる楽曲。2016年リリース。


こうしたアーティストたちの存在が、ダラヴィのラッパーたちを勇気づけ、後押ししてゆく。

2012年に、元OutLawZのStonyPsykoことTony Sebastianを中心に結成されたDopeadeliczは、マリファナ合法化や、ムンバイ警察の腐敗をテーマにした楽曲を発表している。
"D Rise"
 
ダラヴィのシーンでは、はじめはアメリカのアーティストを模倣して英語でラップするラッパーが多かったが、やがて、「自分たちの言葉でラップする」というヒップホップの本質に立ち返り、ヒンディー語やマラーティー語、タミル語などの言語のラップが増えていった。
本場アメリカっぽく見えることよりも、自分の言葉でラップすることを選んだのだ。

大麻合法化をテーマにした楽曲に、インドの古典音楽の要素を取り入れた"Stay Dope Stay High".
Dopeadeliczもまた、英語から母語でのラップに徐々に舵を切ってゆく。

60年代に欧米のロックバンドがサイケデリックなサウンドとして取り入れたシタールの音色を、同じ文脈でインド人がヒップホップに取り入れている!
1:42からのシタールソロのドープなこと!
3:00からのbol(タブラ奏者が口で刻むリズム)もかっこいい。
ビデオはもろ90年頃のアメリカのヒップホップ。
前作から一気に垢抜けたこのビデオは、ボリウッドの大御所映画監督Shekhar Kapurと、インド音楽シーンの超大物A.R.Rahmanらによって立ち上げられたメディア企業Qyukiのサポートによって制作されたもの。
このQyukiはダラヴィのシーンを手厚く支援しており、前述のSlumgodsの活動もサポートしているようだ。

新曲はMost Wanted Recordsなるレーベルからリリース。

まるで短編映画のようなクオリティだ。

実際、彼らはメインストリームの映画業界からも注目されており、あのタミル映画界のスーパースター、ラジニカーント主演作品"Kaala"のサウンドトラックにも参加している。
(Stony Psykoらは『ガリーボーイ』にもラップバトルのシーンにカメオ出演を果たした)
映画"Kaala"から、"Semma Weightu".

Santhosh Narayananによる派手な楽曲は90年代のプリンスみたいな賑やかさ!
映画はラジニカーント演じるダラヴィのタミル人社会のボスと、再開発のための住民立退きを企てる政治家の抗争の物語。
実際、ダラヴィは住民の半分がタミル系である。


ムンバイのラッパーのリリックには、彼らが普段使っているなまの言葉が使われており、例えば彼らがよく使う'bantai'という言葉は、「ブラザー(bro.)」(血縁上の兄弟ではなく、 友達への呼びかけとしての)のような意味のムンバイ独特のヒンディーのスラングだ。
その'bantai'をアーティスト名に冠した7Bantaizは、ダラヴィ出身のFTII(Film and television Institution Inda)の学生によって2014年に結成された(結成当時の平均年齢は17歳!)。
ヒンディー語、タミル語、マラヤーラム語、英語でラップするマルチリンガルな、非常に「ダラヴィらしい」グループだ。

2018年発表の"Yedechaari".


同年発表の"Achanak Bhayanak"

いずれも強烈にダラヴィのストリートのヴァイブが伝わってくる楽曲だ。
彼らもまた、『ガリーボーイ』にカメオ出演している。


ダラヴィの若手ラッパーで、今もっとも勢いがあるのが、2015年に結成されたクルー、EnimiezのMC Altafだろう。
Enimiezは、MC Altaf, MC R1, MC Standleyの3人組で、体制への不満を訴える'Rage Rap'を標榜している。
ラップの言語はヒンディー語とカンナダ語。
メンバーの本名を見ると、どうやらそれぞれがムスリム、ヒンドゥー、クリスチャンと異なる信仰を持っているようで、言語(ルーツとなる地域)だけでなく、宗教の垣根も超えたユニットのようだ。
様々なコミュニティーが音楽によって繋がり、ヒップホップという新しい価値観のもとにシーンが形成されているというのも、ダラヴィの特徴と言えるだろう。

MC Altafは若干18歳の若手ラッパー。
Nasに憧れ、DopeadeliczのStony Psykoのライブパフォーマンスに衝撃を受けてヒップホップの道を志したという、『ガリーボーイ』を地でゆくような経歴の持ち主だ。
『ガリーボーイ』のなかでもパフォーマンスシーンがフィーチャーされており、その縁でミュージックビデオには主演のランヴィール・シンがカメオ出演している。
ニューヨーク出身でムンバイを拠点に活躍しているJay Killa(J Dillaではない)と共演した"Wassup".
ランヴィールのほかにも、Dopeadeliczや7BantaiZのメンバーも登場している(彼らはリップシンクで、実際にラップしているのは全てAltafとJay Killa)。


"Mumbai 17"はダラヴィのピンコード。
ダラヴィの街の雰囲気を強く感じられるトラックだ。

どうでもいいことだが、「クリケットの国」であるインド人のベースボールシャツ姿は非常に珍しい。
この曲のマスタリングは、なんとロンドンのアビーロード・スタジオで行われている。

同じくムンバイのラッパーD'Evilと共演した"Wazan Hai"はヒップホップファッションとともに人気が高まっているスニーカーショップで撮影されたもの。


こうしたアーティストたちの活躍により、今では「ダラヴィといえば貧困」ではなく、「ダラヴィといえばヒップホップ」というように、インドの中でもイメージが変わって来ているという。
「ラップやダンスによる成功」は、ダラヴィの若者や子どもたちが夢見ることができる実現可能な夢であり、何人もの先駆者たちによって、ヒップホップはインドでも、ゲットー(スラム)の住人たちの希望となったのだ。

今回は個別のアーティストやクルーに焦点をあてて紹介してみましたが、次回はシーンの全体像を見てゆきます!
今回はここまで!



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2018年04月21日

本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編

これまで、Brodha VDIVINEBig DealJ19 Squadといったインドのヒップホップアーティストを紹介してきた。
インドのヒップホップシーンはここ数年爆発的に拡大・多様化していて、ストリート寄りのスタイルの彼らとは別に、Yo Yo Honey SinghやBadshahのように、ボリウッド的メインストリームで活躍するラッパーもいるし(Youtubeの再生回数は彼らの方がずっと多い)、BK(Borkung Hrangkhawl)UNBのようなインド北東部における差別問題を訴える社会派のラッパーもいる。
インドの古典のリズムとの融合も行われていて、各地に各言語のシーンがある

以前も書いたように、インドのヒップホップって、アメリカの黒人文化に憧れて寄せていくのではなく、自分たちの側にヒップホップをぐいっと引き寄せて、完全に自分たちのものしてしまっているような雰囲気がある。
いわゆる「ストリート」の描き方も、アメリカのゲットーを模したフィクショナルな場所としてではなく、オバチャンがローカルフードを売り、好奇心旺盛な子ども達が駆け回り、洗濯物が干してあるインドの「路地」。
インドのラッパーたちは、スタイルやファッションとしてのヒップホップではなく、自分たちが本当に語るべき言葉を自分たちのリズムに乗せて発信するという、ヒップホップカルチャーの本質を直感的に理解しているかのようだ。
なぜそれができているのかというと、ひとつには彼らが英語を解することが挙げられるだろう。
インドは、英語を公用語とする国では世界で最大の人口を誇る(実際に流暢に英語を話すのは1億〜3億人くらいと言われている)。
英語を解する彼らが米国のヒップホップに接したときに、ファッションやサウンドよりも、まずそこで語られている内容に耳が向けられたとしても不思議ではない。
そしてもうひとつ、インドには彼らが声を上げるべき社会的問題が山積しているということ。
貧富の差、差別、コミュニティーの対立、暴力、汚職。挙げていけばきりがない。
インドの若者たちがヒップホップに触れたとき、アメリカのゲットーの黒人たちのように、自分たちが語るべき言葉を自分たちのリズムに乗せて、ラップという形で表現しようと思うのは至極当然のことと言えるだろう。

でも、インドにヒップホップが急速に根付いた理由はきっとそれだけではない、というのが今回の内容。

さて、ここまで、「ヒップホップ」という言葉を、音楽ジャンルの「ラップ」とほぼ同義のものとしてこの文章を書いてきた。
でも「ヒップホップ」という言葉の本来の定義では、ヒップホップはMC(ラップ)、ブレイクダンス、DJ、グラフィティーの4つの要素を合わせた概念だという。
今回はその中のダンスのお話。
インドに行ったことがある人ならご存知の通り、インド人はみんなダンスが大好き。
各地方の古典舞踊をやっている人たちもたくさんいるけど、あのマイケル・ジャクソンのミュージックビデオにも影響を与えたと言われるインド映画のダンスのような、モダンなスタイルのダンスも大人気で、道ばたの子ども達がラジカセから流れる映画音楽に合わせて上手に踊っているのを見たことがある人も多いんじゃないだろうか。
(ちなみに、いやいや逆にインドの映画がマイケル・ジャクソンのミュージックビデオに影響を受けたんだよ、という説もある)

今回は、イギリスの大手メディア「ガーディアン」が、あの「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台にもなったムンバイ最大のスラム街、ダラヴィで撮影したヒップホップのドキュメンタリー映像を紹介します。
タイトルは、Slumdogならぬ"Slumgods of Mumbai".
これがもうホンモノで、実に見応えがある。
まるでヒップホップ黎明期のニューヨークのゲットーのようだ(よく知らないけど)。



スラム街の中で誰に見せるともなくダンスする少年達。
束の間の楽しみなのか、やるせない境遇を踊ることで忘れたいのか。
ダラヴィに暮らす少年ヴィクラムに、母親はしっかり勉強して立派な職に就くよう語りかける。
教育こそが立派な未来を切り拓くのだと。
自分たちはきちんとした教育を受けることができなかったから、両親は息子の教育に全てを捧げて暮らしている。

だがヴィクラムには母親に内緒で出かける場所があった。
B BOY AKKUことAKASHの教える無料のダンス教室だ。
彼はここで同世代の少年たちとブレイクダンスを習うことが喜びだった。
でもヴィクラムは教育熱心な母親にダンス教室に通っていることを伝えることができない。
両親が必死に働いたお金を自分の教育のためにつぎ込んでくれていることを知っているからだ。

で、このダンス教室の様子が素晴らしいんだよ。
子ども達が自分の内側から湧き上がってくる衝動が、そのままダンスという形で吹き出しているかのようだ。
人生/生活、即ダンス。
踊る子どもたちの顔は喜びにあふれている。
でも、ヴィクラムは親に怒られないように、レッスンの途中で家路につかなければならない。
それを残念そうに見つめるAKKU.

誰もが金のために必死で働くダラヴィで、AKKUは、ダンスを通して子ども達に、生きてゆくうえで何よりも大切な、人としての「誇り」を教えようとしていた。
大勢の人たちの前で踊り、喝采を浴びることで、スラムの子ども達が自分に誇りを持つことができる。

だが、周囲の大人たちは適齢期のAKKUに結婚することを勧めていた。
結婚して夫婦の分の稼ぎを得てこそ、責任感のある人間になれると。
しかし二人分の稼ぎを得るには、ダンス教室を続けることは難しい。
AKKUは自分のダンス教室を通して、子ども達に誇りを感じてもらうこと、ヒップホップカルチャーの一翼を担うことこそが自分の役割だと感じていた。
自分がダンス教室をやめてしまえば、誰が子どもたちに誇りを教えるのか。
ヒップホップは彼自身の誇りでもあり、彼もまた葛藤の中にいる…。

AKKUは、ヴィクラムの両親の理解を得るべく、彼が内緒でダンス教室に来ていることを伝えに行くのだった。
だが、両親の理解はなかなか得られない。
ダンスよりも勉強こそがヴィクラムをよりよい未来に導くはずだと。
自分のダンス教室は無料だ、金のためにやっているわけではないと反論するAKKU.
さまざまな葛藤をかかえたまま、AKKUのヴィクラムへのダンスレッスンが続いていく。

そして迎えたある夜、薄暗い照明のダンス教室の中、ヴィクラムの両親も招待されたスラムのB BOYたちのダンス大会が始まった。
次々にダンスを披露する少年たち。
家では見せたことがないほど活き活きと踊るヴィクラムの姿に、両親もやがて満面の笑顔を見せる。
そう、我が子が一生懸命に打ち込む姿を喜ばない親はいない。
そして、コンテストの結果は…。

この物語のラストで、AKKUはヴィクラムに、あるプレゼントを渡す…。
いつも両親に「ミルクを買いに行く」と嘘をついてダンス教室に来ていたヴィクラムに、勉強して成功を収めるということとはまた別の、希望と誇りが託される場面だ。

このドキュメンタリーを見れば、音楽やダンスが抑圧された人々にとってどんな意味を持つことができるかを改めて感じることができる。
世界中の多くの場所と同様に、ここダラヴィでも、音楽やダンスが、日々の辛さを忘れ、喜びを感じさせてくれるという以上のものになっていることが分かる。
そして音楽やダンスがもたらす希望は、言葉や文化を異にする我々にも、普遍的な魅力を持って迫ってくる。

人はパンのみにて生きるにあらず。
貧しくとも、人はお金のためだけに生きているわけではない。
これはダンスやスラムについてではなく、人間の尊厳についてのドキュメンタリーだ。
ヒップホップは、ただの音楽やダンスではなく、本来はそうした人間の尊厳を取り戻すための営為なのだということに改めて気付かされる。
もちろんヒップホップを発明したのはアメリカの黒人たちだけど、ヒップホップというフォーマットは国籍や文化に関係なく、あらゆる抑圧された人たちが(抑圧されていない人でさえも!)共有できる文化遺産であるということを改めて感じた。

ダラヴィの生活は夢が簡単に叶う環境ではないだろう。
AKKUが今もダンス教室に通っているのか、彼らのうち何人が今もダンスを続けているのか、煌びやかなムンバイのクラブシーンで活躍できるようになったB BOYはいるのか、それは分からない。
でもこのドキュメンタリーからは、きっと何か感じるものがあるはず。

たったの13分で英語字幕もあるので是非みんな見てみて! 


追記: Youtubeで確認したところ、AKKUは今でもダンスを、ダンス教室を続けているようだ。
昨年行われたTEDxでのAKKUのプレゼンテーションを見たら、最後にダンス教室の生徒たちも出ていたけど、ヴィクラムの姿は確認できなかった。
成長して見分けがつかなくなってしまっただけなのか、ダンスをやめてしまったのか、たまたまここにいなかっただけなのか… 


goshimasayama18 at 00:15|PermalinkComments(0)