UNB
2019年03月09日
"Gully Boy"と『あまねき旋律』をつなぐヒップホップ・アーティストたち
ムンバイのストリート・ヒップホップシーンを描いたRanveer Singh主演の"Gully Boy"がインドで大ヒットを続けている。
ここ日本での自主上映でもかなり評判が良いようで、今までになくインドのヒップホップが注目を集めている。
残念ながらSpace Boxさんによる英語字幕の自主上映は本日がラストとのことだが、これまでに日本でヒットしてきたインド映画とはまた違う毛色の本作、改めて正式な劇場公開が待たれる。
(Gully Boyについては不肖、軽刈田も大絶賛しております。「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」)
この映画はムンバイのラッパーNaezyとDivineをモデルにしているが、インドではここ数年、大都市ムンバイのみならず、様々な都市や地域でアンダーグラウンドなヒップホップシーンが形成されている。
それはインドのなかでも独自の文化を持つインド北東部も例外ではない。
インド北東部のナガランド州を舞台にしたドキュメンタリー映画『あまねき旋律』をご覧になった方は、ナガの地に駐留するインド軍が映し出された、重苦しい無音のシーンを覚えていることだろう。
かつて村が焼き払われ、この土地の独立運動が徹底的に弾圧された歴史が、字幕で伝えられる場面だ。
山あいの農村に暮らすチャケサン・ナガ族のみずみずしい歌声にあふれたこの映画の中で、そこだけ生気が失せたような沈黙がとても印象的なシーンだった。
(ナガランドについては何度も書いているが、『あまねき旋律』についてはこちらから:「特集ナガランドその1 辺境の山岳地帯に響く歌声 映画『あまねき旋律』」)
(地図出展:Wikipedia)
インド北東部は、ヒンドゥー/イスラームの二大宗教や、アーリア/ドラヴィダの二大民族に代表される典型的なインド文化とは全く異なるルーツを持つため、周縁的な存在であることを余儀なくされ、差別や偏見の対象となってきた。
そのため、北東部ではナガランド以外でも多くの州で、独立運動や権利を求める闘争が行われてきた。
そうした運動を牽制するため、インド北東部の多くの地域が、前回紹介したカシミール同様にAFSPA(Armed Force Special Power Act. 軍事特別法と訳されることがある)の対象地域とされ、軍や警察による令状なしの捜査・逮捕・資産の収奪が認められている。
そして残念なことにその特権は必ずしも正義のために行使されているわけではなく、これまでに多くの一般市民が権力を持つ側の犠牲になっており、それゆえに権利や自由を求める意識はさらに高まってきたという歴史がある。
このブログでも紹介してきたとおり、インド北東部は典型的なインド文化の影響が少なく、クリスチャンが多いこともあって相対的に欧米文化の影響が大きいため、インドのなかでもかなり洗練されたポピュラー音楽文化を持っている地域だ。
当然ながらアンダーグラウンドヒップホップシーンにも数多くの素晴らしいアーティストがいる。
インド北東部では多くのラッパーが差別や偏見に抵抗し、民族の誇りを掲げたラップをリリースしているが、その代表格がトリプラ州のBorkung Hrankhawl(BK)だ。
"Fighter ft. Meyi"
"Roots (Chini Haa)"
ヒップホップというよりはEDMに近いビートに乗せてポジティブなリリックを吐き出す姿勢がとても印象的なBorkung Hrankhawlについては、以前も詳しく紹介した。(「トリプラ州の“コンシャス”ラッパー Borkung Hrangkhawl」)
メガラヤ州からは、この地に暮らすカシ族の名を取ったKhasi Bloodzが、「インドのロックの首都」とも言われるほどインディーミュージックが盛んな州都シロン(Shillong)を拠点に活動している。
この曲はその名も"Hip Hop"
メンバーのBig-Riは同郷の女性R&BシンガーMeba Ofiliaとコラボレーションしたこの楽曲でMTV Europeの2018年Best India Actに選ばれた(こちらの記事でも特集)。
"Done Talking"
と、ここまではイントロダクション(いつも長くて申し訳ない)。
今回は奇しくも3人のラッパーが似たタイトルの楽曲を発表していることを紹介します。
まずは北東部でも最北の地、アルナーチャル・プラデーシュ州のラッパーK4 Kekhoが昨年リリースした"I am an Indian"から。
「北東部出身者が、インドの主要部で中国人やネパール人に間違えられて経験する真実に基づいている」というメッセージから始まるこのミュージックビデオは、インド国内でも十分に認識されず、高等教育を受けるために進んだ主要都市では外見や文化の違いから差別と偏見にさらされる過酷な現実を訴えている。
それでもなお「俺もまたインド人だ」と主張するラップは、ある意味独立を訴えるよりも悲しみを感じさせるものだ。
後半では主要都市の大学で差別や暴力によって北東部出身者が命を落とした事件に対する抗議の様子が出てくるが、これはBorkung Hrankhawlもフリースタイルのスポークンワードで訴えていた深刻な問題だ。
続いて紹介するのはインドに併合される1975年まで独立国だったシッキム州のラッパー、UNBが2014年に紹介した"Call Me Indian".
彼のことも以前ブログで取り上げたのを覚えている方もいるかもしれない(そのときの記事)。
ユーモラスなフロウでラップされているが、インド人としての誇りを持っていてもインド人して見られず、見た目を馬鹿にされ、声をあげれば暴力さえ振るわれるというリリックの中身は悲痛なものだ。
そして3曲めに取り上げるのは、オディシャ州出身のラッパー、Big Deal.
オディシャ州は地図を見ればわかる通りインド北東部ではないが、インド人の父と日本人の母のもとに生まれた彼は外見的に北東部出身者にうりふたつで、彼もまた幼少期に外見ゆえの差別を受けてきたという。
(地図出展:Wikipedia)
彼が昨年リリースした楽曲のタイトルは"Are You Indian".
"I Am Indian", "Call Me Indian", "Are You Indian"と、奇しくも3曲が3曲とも「外見からインド人みなされず差別にさらされる北東部出身者が、自分も同じインド人だと抗議する」というテーマを掲げているのがお分かりいただけるだろう。
これらの曲は、北東部出身者は、インドの主要地域出身者に比べて、同等の尊厳が認められていないという状況を表している。
Big Dealのこの"Are You Indian"はアメリカのラッパーJoyner Lucasの"I'm Not Racist"という曲にインスパイアされて書かれたものだという(この曲もアメリカの黒人の心情が非常に分かるものになっているので、興味があればぜひビデオを見てほしい)。
前半では、ヒンドゥー、ムスリム、南部出身者ら、多様ではあるがインド主要部を構成する人々からの北東部への偏見が吐き出される。
それに対して後半は北東部出身者からの返答という構成になっている。
これがかなり面白いので、相当長くなるがリリックの訳を載せてみます。
まずは前半、インドのメインランドからの偏見はこんな内容だ。
まずはここでも中国人に似ていることや外見に対する差別から歌詞が始まり、ヒンドゥーやイスラーム的な価値観とは異なる彼らへの偏見が続く。
今回紹介した3曲全てに北東部の食文化に対する差別が入っているのも興味深い。
インドのマジョリティーであるヒンドゥー文化は菜食を清浄なものとし、肉食を忌避する傾向があるが、北東部出身者は伝統的に肉をよく食べることから、差別の対象となりやすい。
「犬肉を食べているんだろう」というのは、典型的な北東部出身者への偏見の一例だ。
指定部族(Scheduled Tribe=STという。ちなみに不可触民などの指定カーストはScheduled Caste=STと略される)優遇制度の恩恵を受けていることや、テロリズム的独立運動というのも北東部のステレオタイプへの批判と言ってよいだろう。
最後の方に出てくるメアリー・コムというのは北東部のマニプル州出身の女子ボクシング世界チャンピオンのこと。
彼女はモンゴロイドだが、彼女の半生が映画化された際には、典型的なインド美人の女優、プリヤンカ・チョープラーが彼女の役を演じた。
さて、前半の偏見に対する北東部からの反論はこんなふうに続く。
女性たちへの差別的な感性
あんた達の服だって思ってるほど立派じゃない
正義のための道に毎日集まるんだ
ムスリムへの差別も止めろ
(※この4行のヒンディー語部分は機械翻訳なのであやしいです)
メアリーを讃えろ
男どもは毛深くてクソみたいな匂いがする
俺たちは俺たちのプライドの奴隷
無知や見た目による差別への反論がこれでもかと畳みかけられる。
逆差別との批判も受けがちな優遇制度も、独立運動にも、彼ら自身さえうんざりしているテロ行為にさえ、それに値するだけの理由があるのだという主張には、犠牲者でありつづけてきた悲痛が込もっている。
リリックはさらに激しさを増し、かつてインド人を差別したイギリス人と同じことをしている差別主義者や、差別することで自尊心を満たす彼らの生き方を糾弾する。
ここまで聞くと、やはり差別される側である北東部出身者の声に一部の理があるように思える。
Youtubeのコメント欄には、この曲に対して北東部出身者からの共感の声と、メインランドの理解者からの賞賛の声が並んでいるが、その中にいくつか気になるものがあった。
「こういう音楽を作ることで、かえって分断を強調してしまうのではないか」とか「北東部にもメインランドから移住した者に対する差別がある」といったものだ。
正直にいうと、私も北東部の人々のおかれた状況に同情しつつも、この曲の後半のかなり過激な糾弾に対しては、差別主義者の心に届くのなあ、と疑問に感じていた。
北東部出身者でないBig Dealのリリックが、実際の当事者であるK4 KekhoやUNBの表現よりも赤裸々で激しいことも気になる。
Big Dealは、当事者が反発を招かないために、あえて越えないようにしていたラインを越えてしまったのではないか。
こうした表現方法では、共感者の理解は得られても、そうでない人(例えばST制度反対論者)の気持ちを変えることはできないのではないか。
その点に対して、Big Dealは、この曲について解説した動画の中で非常に興味深い話を語っている。
オディシャ州の小さな街プリーで育った彼は、幼少期に東アジア的な見た目ゆえの差別を経験した。
プリーの街にはそんな顔の人間は誰もいなかったからだ。
インド北東部にほど近いウエストベンガル州ダージリンの寄宿舎学校進むと、そこには彼によく似た見た目の同級生たちがいた。
ところが、今度こそよく似た仲間たちに溶け込めたのかというと、そうではなかった。
そこで会った北東部出身者は、見た目は似ていてもよその地域から彼をやはり差別したのだという。
(そこからラップに出会ったことで自信を得てゆく過程は彼の"One Kid"という曲に詳しく表現されている)
こうした経験を通して、彼は偏見というものが決して一方向だけのものではないことを知る。
偏見とは双方向的なもので、それぞれが「正しい」と思っていることの中に含まれているのだ。
それがマジョリティーとマイノリティーに分断されたときに、差別という問題になって表出する。
これは「差別される側にも原因がある」というような意味ではなく、人間の本質についての話だ。
この曲は北東部への差別を扱った楽曲ではあるが、メインテーマは前半と後半、それぞれのヴァースの最後の部分なのだ。
Big Dealは、自分と異なる容姿の人々と、よく似た人々の双方からの差別を経験したからこそ、この曲を作ったと語っている。
「差別する側の言い分」である前半のラストにも理解を求める言葉があるのは、無知や偏見ゆえに差別する人々も、心の底では相互理解の必要性を分かっているということを表しているのだろう。
この曲が扱っているのはインドだけの問題ではなく、世界中の誰にとっても普遍的なテーマなのだ。
本日はこのへんまで!
今回はずいぶん長い記事を読んでいただいてありがとうございました!
Big Dealのことも以前書いていたので興味のある方はこちらからどうぞ。
「レペゼンオディシャ、レペゼン福井、日印ハーフのラッパー Big Deal」2018.2.28
「律儀なBig Deal」(インタビュー)2018.3.24
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凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
ここ日本での自主上映でもかなり評判が良いようで、今までになくインドのヒップホップが注目を集めている。
残念ながらSpace Boxさんによる英語字幕の自主上映は本日がラストとのことだが、これまでに日本でヒットしてきたインド映画とはまた違う毛色の本作、改めて正式な劇場公開が待たれる。
(Gully Boyについては不肖、軽刈田も大絶賛しております。「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」)
この映画はムンバイのラッパーNaezyとDivineをモデルにしているが、インドではここ数年、大都市ムンバイのみならず、様々な都市や地域でアンダーグラウンドなヒップホップシーンが形成されている。
それはインドのなかでも独自の文化を持つインド北東部も例外ではない。
インド北東部のナガランド州を舞台にしたドキュメンタリー映画『あまねき旋律』をご覧になった方は、ナガの地に駐留するインド軍が映し出された、重苦しい無音のシーンを覚えていることだろう。
かつて村が焼き払われ、この土地の独立運動が徹底的に弾圧された歴史が、字幕で伝えられる場面だ。
山あいの農村に暮らすチャケサン・ナガ族のみずみずしい歌声にあふれたこの映画の中で、そこだけ生気が失せたような沈黙がとても印象的なシーンだった。
(ナガランドについては何度も書いているが、『あまねき旋律』についてはこちらから:「特集ナガランドその1 辺境の山岳地帯に響く歌声 映画『あまねき旋律』」)
(地図出展:Wikipedia)
インド北東部は、ヒンドゥー/イスラームの二大宗教や、アーリア/ドラヴィダの二大民族に代表される典型的なインド文化とは全く異なるルーツを持つため、周縁的な存在であることを余儀なくされ、差別や偏見の対象となってきた。
そのため、北東部ではナガランド以外でも多くの州で、独立運動や権利を求める闘争が行われてきた。
そうした運動を牽制するため、インド北東部の多くの地域が、前回紹介したカシミール同様にAFSPA(Armed Force Special Power Act. 軍事特別法と訳されることがある)の対象地域とされ、軍や警察による令状なしの捜査・逮捕・資産の収奪が認められている。
そして残念なことにその特権は必ずしも正義のために行使されているわけではなく、これまでに多くの一般市民が権力を持つ側の犠牲になっており、それゆえに権利や自由を求める意識はさらに高まってきたという歴史がある。
このブログでも紹介してきたとおり、インド北東部は典型的なインド文化の影響が少なく、クリスチャンが多いこともあって相対的に欧米文化の影響が大きいため、インドのなかでもかなり洗練されたポピュラー音楽文化を持っている地域だ。
当然ながらアンダーグラウンドヒップホップシーンにも数多くの素晴らしいアーティストがいる。
インド北東部では多くのラッパーが差別や偏見に抵抗し、民族の誇りを掲げたラップをリリースしているが、その代表格がトリプラ州のBorkung Hrankhawl(BK)だ。
"Fighter ft. Meyi"
"Roots (Chini Haa)"
ヒップホップというよりはEDMに近いビートに乗せてポジティブなリリックを吐き出す姿勢がとても印象的なBorkung Hrankhawlについては、以前も詳しく紹介した。(「トリプラ州の“コンシャス”ラッパー Borkung Hrangkhawl」)
メガラヤ州からは、この地に暮らすカシ族の名を取ったKhasi Bloodzが、「インドのロックの首都」とも言われるほどインディーミュージックが盛んな州都シロン(Shillong)を拠点に活動している。
この曲はその名も"Hip Hop"
メンバーのBig-Riは同郷の女性R&BシンガーMeba Ofiliaとコラボレーションしたこの楽曲でMTV Europeの2018年Best India Actに選ばれた(こちらの記事でも特集)。
"Done Talking"
と、ここまではイントロダクション(いつも長くて申し訳ない)。
今回は奇しくも3人のラッパーが似たタイトルの楽曲を発表していることを紹介します。
まずは北東部でも最北の地、アルナーチャル・プラデーシュ州のラッパーK4 Kekhoが昨年リリースした"I am an Indian"から。
「北東部出身者が、インドの主要部で中国人やネパール人に間違えられて経験する真実に基づいている」というメッセージから始まるこのミュージックビデオは、インド国内でも十分に認識されず、高等教育を受けるために進んだ主要都市では外見や文化の違いから差別と偏見にさらされる過酷な現実を訴えている。
それでもなお「俺もまたインド人だ」と主張するラップは、ある意味独立を訴えるよりも悲しみを感じさせるものだ。
後半では主要都市の大学で差別や暴力によって北東部出身者が命を落とした事件に対する抗議の様子が出てくるが、これはBorkung Hrankhawlもフリースタイルのスポークンワードで訴えていた深刻な問題だ。
続いて紹介するのはインドに併合される1975年まで独立国だったシッキム州のラッパー、UNBが2014年に紹介した"Call Me Indian".
彼のことも以前ブログで取り上げたのを覚えている方もいるかもしれない(そのときの記事)。
ユーモラスなフロウでラップされているが、インド人としての誇りを持っていてもインド人して見られず、見た目を馬鹿にされ、声をあげれば暴力さえ振るわれるというリリックの中身は悲痛なものだ。
そして3曲めに取り上げるのは、オディシャ州出身のラッパー、Big Deal.
オディシャ州は地図を見ればわかる通りインド北東部ではないが、インド人の父と日本人の母のもとに生まれた彼は外見的に北東部出身者にうりふたつで、彼もまた幼少期に外見ゆえの差別を受けてきたという。
(地図出展:Wikipedia)
彼が昨年リリースした楽曲のタイトルは"Are You Indian".
"I Am Indian", "Call Me Indian", "Are You Indian"と、奇しくも3曲が3曲とも「外見からインド人みなされず差別にさらされる北東部出身者が、自分も同じインド人だと抗議する」というテーマを掲げているのがお分かりいただけるだろう。
これらの曲は、北東部出身者は、インドの主要地域出身者に比べて、同等の尊厳が認められていないという状況を表している。
Big Dealのこの"Are You Indian"はアメリカのラッパーJoyner Lucasの"I'm Not Racist"という曲にインスパイアされて書かれたものだという(この曲もアメリカの黒人の心情が非常に分かるものになっているので、興味があればぜひビデオを見てほしい)。
前半では、ヒンドゥー、ムスリム、南部出身者ら、多様ではあるがインド主要部を構成する人々からの北東部への偏見が吐き出される。
それに対して後半は北東部出身者からの返答という構成になっている。
これがかなり面白いので、相当長くなるがリリックの訳を載せてみます。
まずは前半、インドのメインランドからの偏見はこんな内容だ。
お前は誰だ?ここで何をしている?
よくは知らんが最近インドじゃ移民が多すぎる
中国人に見えるが国境をくぐり抜けて来たのか?
差別するわけじゃないが、お前のマヌケな顔を見て言ってるんだ
小さい目に無いような眉毛
お前がインド人だって?疑わしいね
お前がインド人だって?何言ってんだ
インド人を探してるってんなら、あいつを見てみな
お前たちの女どもは挑発的な格好をして一晩中パーティーするんだろ
そりゃレイプされるのも仕方が無いね
全然違うんだよ 俺たちは最高で、お前たちは病気だ
お前らの学生どもはアル中か大麻中毒だろ
自分には関係無いって言うのは勝手だが、俺はお前らが大嫌いだ
お前らの近所に住んでるが、お前らがでかい音でかける音楽が大嫌いだ
大学に行ってる奴らも多いみたいだが
さぼってばかりで金を無駄にしているんだろう
どうして仕事につかないんだ?自分の価値も見つけられないのか?
いつまでも親のスネかじりか?
ゲームばかりやって時間を無駄にしてるのか?
少数民族の優遇制度のおかげで仕事につくんだろ
政府のお情けにすがって生きてるのか?
お前らの女どもは早いって聞くが
処女を失ったみたいに尊厳も無くしちまったのか?ひどいもんだ
お前らの女どもは早いって聞くが
処女を失ったみたいに尊厳も無くしちまったのか?ひどいもんだ
お前らもお前らの臭い食べ物も地獄に堕ちろ
お前らが料理すると黄色いクソみたいな匂いがして吐きそうになる
肉が入ったものしか食べないんだろ
鶏肉じゃ満足できなくて犬も食べるんだろ
調子を合わせてみたり、自分たちは違うって言ってみたり
西洋人になりたがってみたり、インド人になりたがってみたり
お前らは矛盾ばっかりだ
どうしてどっちかに決められないんだ?
お前らが思ってるなりたい人間になれよ
その方が楽だからって誰かの真似をするな、被害者ぶるな
それがお前らの地域のテロの理由だろ
自分たちの権利のために戦ってるって言うんだろ
人殺しはやめろ
お前らの人種は何か変なんだ
男らしいって言うがヒゲもないじゃないか
法律なんかクソくらえだ 裁判所なんか信じないね
正義なんて盲目だし、盲目ってのがキーワードなんだ
だから犯罪者どもが好き勝手したり無罪の人間が聴取されたりするんだ
俺たちが汚い言葉を使ったって言って5年も刑務所に入れるんだ
メアリー・コムは好きだぜ
彼女は自分の地元だけじゃなくてインドを代表してるんだ
俺たちは絆を分かち合う必要がある
自分たち自身みたいにお互いを気遣う必要がある
お前らはインド人か?
インド人になりたいのか?
まずはここでも中国人に似ていることや外見に対する差別から歌詞が始まり、ヒンドゥーやイスラーム的な価値観とは異なる彼らへの偏見が続く。
今回紹介した3曲全てに北東部の食文化に対する差別が入っているのも興味深い。
インドのマジョリティーであるヒンドゥー文化は菜食を清浄なものとし、肉食を忌避する傾向があるが、北東部出身者は伝統的に肉をよく食べることから、差別の対象となりやすい。
「犬肉を食べているんだろう」というのは、典型的な北東部出身者への偏見の一例だ。
指定部族(Scheduled Tribe=STという。ちなみに不可触民などの指定カーストはScheduled Caste=STと略される)優遇制度の恩恵を受けていることや、テロリズム的独立運動というのも北東部のステレオタイプへの批判と言ってよいだろう。
最後の方に出てくるメアリー・コムというのは北東部のマニプル州出身の女子ボクシング世界チャンピオンのこと。
彼女はモンゴロイドだが、彼女の半生が映画化された際には、典型的なインド美人の女優、プリヤンカ・チョープラーが彼女の役を演じた。
さて、前半の偏見に対する北東部からの反論はこんなふうに続く。
俺は俺だ インド人としてうまくやろうとしてる
お前の無知には我慢できないな 俺を移民だと思っていやがる
国境のそばに住んでるんだ もちろんその左側さ
(※国境の右側は中国ということだろう)
(※国境の右側は中国ということだろう)
俺の顔で判断したってことはあんたはまぎれもない人種差別主義者だ
アルナーチャル、アッサム、マニプル、ミゾラム、
メガラヤ、トリプラ、シッキム、ナガランド
これが北東部、インドのセブン・シスターズだ
俺たちはまぎれもないインド人、中国でも日本でもない
俺たちがいい暮らしをしていて苦々しいんだろ
目は小さくても大きいビジョンで見渡せるんだ
いつの日かいっしょになれるかもな
調和のうちに共存できるかもな 俺たちもテロはこりごりだ
女性たちへの差別的な感性
あんた達の服だって思ってるほど立派じゃない
正義のための道に毎日集まるんだ
ムスリムへの差別も止めろ
(※この4行のヒンディー語部分は機械翻訳なのであやしいです)
俺たちは歴史的にひどく抑圧されてきた
不平等と混乱にさらされてきた
差別され、マイノリティーとして抑圧されてきた
だから俺たちには優遇制度が与えられているんだ
簡単に言おう 俺たちはあらゆる優遇制度に十分に価する
お情けにすがって生きているんじゃない お前がそう思わなかったとしてもだ
なんなら今すぐ役所に行って問題提起してみな
俺たちの中には同化しようとする奴も、違ったままでいたい奴もいる
俺たちの中には西洋人になりたがる奴もいるが、それはお前たちが俺たちもインド人だと感じさせないからだ
俺が言いたいのはお前らがこうさせたってことだ
どうして心を決めないんだ
俺たちに心の底から好きなようにさせてくれ
俺たちに好きなようにさせてくれ、俺たちは犠牲者だ
俺たちの地域のテロの理由は
政府がしてくれないから自分たちの権利のために戦っているんだ
体制なんてクソくらえだ
メアリーを讃えろ
男どもは毛深くてクソみたいな匂いがする
俺たちの女が怖がるのも無理はない
ガンディーは肌の色のせいで電車から降ろされた
イギリス人はそんなふうに俺たちを人種差別して、そして出て行った
今日まで俺たちは同じようなことをしている
俺たちは俺たちのプライドの奴隷
罪のないものが代償を払わされてる
暴力的に命が奪われ、また母親が泣く
また娘がレイプされ、息子が死んでゆく
すべての犠牲は、誰が正しいか証明するために起きているんだ
俺たちが戦い続けて、目をあわせようとしないなら
そんな人生なら、生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
そんな人生なら、生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
変化をもたらす時だ 俺たちから始めるんだ
無知や見た目による差別への反論がこれでもかと畳みかけられる。
逆差別との批判も受けがちな優遇制度も、独立運動にも、彼ら自身さえうんざりしているテロ行為にさえ、それに値するだけの理由があるのだという主張には、犠牲者でありつづけてきた悲痛が込もっている。
リリックはさらに激しさを増し、かつてインド人を差別したイギリス人と同じことをしている差別主義者や、差別することで自尊心を満たす彼らの生き方を糾弾する。
ここまで聞くと、やはり差別される側である北東部出身者の声に一部の理があるように思える。
Youtubeのコメント欄には、この曲に対して北東部出身者からの共感の声と、メインランドの理解者からの賞賛の声が並んでいるが、その中にいくつか気になるものがあった。
「こういう音楽を作ることで、かえって分断を強調してしまうのではないか」とか「北東部にもメインランドから移住した者に対する差別がある」といったものだ。
正直にいうと、私も北東部の人々のおかれた状況に同情しつつも、この曲の後半のかなり過激な糾弾に対しては、差別主義者の心に届くのなあ、と疑問に感じていた。
北東部出身者でないBig Dealのリリックが、実際の当事者であるK4 KekhoやUNBの表現よりも赤裸々で激しいことも気になる。
Big Dealは、当事者が反発を招かないために、あえて越えないようにしていたラインを越えてしまったのではないか。
こうした表現方法では、共感者の理解は得られても、そうでない人(例えばST制度反対論者)の気持ちを変えることはできないのではないか。
その点に対して、Big Dealは、この曲について解説した動画の中で非常に興味深い話を語っている。
オディシャ州の小さな街プリーで育った彼は、幼少期に東アジア的な見た目ゆえの差別を経験した。
プリーの街にはそんな顔の人間は誰もいなかったからだ。
インド北東部にほど近いウエストベンガル州ダージリンの寄宿舎学校進むと、そこには彼によく似た見た目の同級生たちがいた。
ところが、今度こそよく似た仲間たちに溶け込めたのかというと、そうではなかった。
そこで会った北東部出身者は、見た目は似ていてもよその地域から彼をやはり差別したのだという。
(そこからラップに出会ったことで自信を得てゆく過程は彼の"One Kid"という曲に詳しく表現されている)
こうした経験を通して、彼は偏見というものが決して一方向だけのものではないことを知る。
偏見とは双方向的なもので、それぞれが「正しい」と思っていることの中に含まれているのだ。
それがマジョリティーとマイノリティーに分断されたときに、差別という問題になって表出する。
これは「差別される側にも原因がある」というような意味ではなく、人間の本質についての話だ。
この曲は北東部への差別を扱った楽曲ではあるが、メインテーマは前半と後半、それぞれのヴァースの最後の部分なのだ。
俺たちは絆を分かち合う必要がある
自分たち自身みたいにお互いを気遣う必要がある
俺たちが戦い続けて、目をあわせようとしないなら
そんな人生なら、生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
そんな人生なら、生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
変化をもたらす時だ 俺たちから始めるんだ
「差別する側の言い分」である前半のラストにも理解を求める言葉があるのは、無知や偏見ゆえに差別する人々も、心の底では相互理解の必要性を分かっているということを表しているのだろう。
この曲が扱っているのはインドだけの問題ではなく、世界中の誰にとっても普遍的なテーマなのだ。
本日はこのへんまで!
今回はずいぶん長い記事を読んでいただいてありがとうございました!
Big Dealのことも以前書いていたので興味のある方はこちらからどうぞ。
「レペゼンオディシャ、レペゼン福井、日印ハーフのラッパー Big Deal」2018.2.28
「律儀なBig Deal」(インタビュー)2018.3.24
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goshimasayama18 at 20:11|Permalink│Comments(0)
2018年03月30日
ダージリン茶園問題とグルカランド シッキムのラッパーUNBの問題提起!
今年もダージリンの茶園でのストライキのニュースがヤフーのトップニュースにも掲載されていた。
昨年も同様の報道があったのを覚えている人もいるかもしれないが、どうもここ日本では「ストライキのせいでダージリンティーが飲めなくなるかもしれない」という視点で報道されることが多く(今回の記事は背景や原因までしっかり書かれていて好感!)、あまり深いところまではなかなか報じられていないのだけれども、この問題は単なる労働問題ではなく、言語、民族、差別、教育、自治権といった様々な課題が複雑に絡み合っている。
そしてこの問題について物申している地元のラッパーなんかもちゃんといたりする。
まずは、インドの地図でダージリンがあるウエストベンガル州の位置を見てもらいましょう。
ウエスト(西)ベンガルっていう名前なのに、なんでインドの東部にあるかっていうと、もともとのベンガル地方の東半分は、現在はバングラデシュとして別の国になってるから。
バングラデシュのさらに東は、このブログではデスメタルが盛んだったり、ラッパーのBK(Borkung Hrankhawl)がいたりすることで有名な「インド北東部七姉妹州」Seven Sisters Statesだ。
イギリスによる植民地時代から、ヒンドゥー教徒の多い西ベンガルとムスリムの多い東ベンガルの分割統治が行われるようになり、結局1947年のインド独立のときに東ベンガルはインドには帰属せず、イスラム国家であるパキスタンの一部の東パキスタンにとして独立することを選んだ。
ところが同じ宗教を持っているとはいえ、距離も離れているし、言語も違う(パキスタンはウルドゥー語、バングラデシュはベンガル語)、文化も違う、経済の格差もあるってんで、結局は上手くいかず、東ベンガルはバングラデシュとして1971年に再独立することになる。
バングラデシュ独立時に発生した大量の難民を救うために、ジョージ・ハリスンが呼びかけて、クラプトン、リンゴ・スター、ボブ・ディラン、レオン・ラッセルなんかが参加したコンサートのアルバムがまた名盤だったりするのだけど、それはまた別のお話。
それでは今度はウエストベンガル州の地図を見てみましょう。
難民問題は大変だったろうけどヒンドゥー教徒の多いウエストベンガルがインドに帰属できてよかったね、と単純にならないのがインドの難しいところ。
ご覧のようにこのウエストベンガル州、南北に長い形をしています。
ウエストベンガル州の州都はこの地図上の南のほうにある、17番のコルカタ。昔の名前で言うとアタクシの苗字とおんなじカルカッタですな。
で、ダージリンはこの地図の一番上、最北の1番の場所。
このウエストベンガル州の北部には、グルカ(Gorkha)人と呼ばれる、この州のマジョリティーであるベンガル人とはまったく異なる民族が多く暮らしている。
彼らは、彫りの深いアーリア系のベンガル人よりも東洋的な顔立ちをしていて、ベンガル語ではなくてネパール語を話す。
大まかに言うと、彼らは傭兵として有名なネパールの「グルカ族」と同じ民族で(グルカと呼ばれる人たちも実際は様々な民族に分かれている)、ククリというナイフが彼らのシンボルとされている。
昨年報じられた大規模な茶園のストライキは、ウエストベンガル州のすべての教育を全てベンガル語で行うことにするという政策に、ネパール語を母語とするグルカ人たちが反対したために行われたもの。
まだちゃんと調べられていないのだけど、この政策は、州内のマジョリティーであるベンガル人への人気取り的な側面や、州のなかの分断を極力なくそうという意図があって行われたものではないかと思う。
その昨年のストライキで十分な茶葉の収穫ができず、信用や各付けも低下した農園は、労働者への給与の支払いに苦慮するようになり、その待遇に対する抗議として、また収穫期を前にしたストライキが行われている、というのが今年のストの背景のようだ。
そもそも昨年のストライキは地元のグルカ人による政党Gorkha Janmukhti Morcha(GJM)によって呼びかけられたものだ。
GJMはウエストベンガル州からの「ゴルカランド州」の独立を目指している政党だ。
インドはご存知のように極めて多様な民族、言語、宗教、文化を抱えた国家で、州の線引きは(ウエストベンガルのような例外もあるけれども)基本的には言語の違いによってされてきた。
インドの「州」にはかなりの自治権が認められているので、いろんな州内で独立運動(国家としてじゃなくて、州としての独立を望む運動)が行われているのだけど、新しい州の独立は、21世紀に入ってからはずっと認められていなかった。
インドの政治がアイデンティ・ポリティクス(住民が自身の所属するカースト等のコミュニティーの利益を代表する政党を支持する)化した今日、それを認めてしまうと、あらゆる州の独立闘争を刺激して収拾がつかなくなってしまうからだ。
ところが、2013年に当時の中央政府がインド南部のアーンドラ・プラデーシュ州(バンガロールに並ぶIT産業の中心地ハイデラバードを州都とする)から、内陸部のテランガナ州の独立を認めてしまう。
どちらもテルグー語(映画「バーフバリ」の言語)が母語ではあるのだが、伝統的に異なる文化を持った地域で、旺盛な独立運動に応えてのことだった。
この独立は中央政権の人気取り的な側面があったとも言われている。
そして、予想通り、この独立以降、インド各地で州の独立運動が活性化する。
州の中のマジョリティーとは異なる文化、民族、カースト、言語を持つ人々にとって、現実はともかく、州としての独立を勝ち取るこそが、雇用やインフラ、教育等の問題をすべて解決する特効薬であるかのように捉えられるようになった。
今回のストライキやゴルカランド独立運動の背景には、このテランガナ州の独立が影響しているわけだ。
(テランガナ州独立についてはこのブログに詳しいです)
今日は前置きが長かったなあ。
で、このウエストベンガル州最北部のダージリンのさらに北に「シッキム州」という州がある。
シッキム州は、もともとは「シッキム王国」というインドとは別の国家だった地域。
チベット仏教の色合いの濃いまた独特の文化を持ち、やはりグルカ系の住民の多い地域だ。
シッキム州の州都、ガントク出身のラッパーのUNB(本名Ugen Namgyal Bhutia)は、このゴルカランド独立運動をラップにして発表している。
"Jai Jai Khukhuri(Gorkhaland Anthem)"聴いてみてください。
”Jai”は「勝利を!」という意味、「Khukhuri」はグルカのシンボルであるククリ刀のこと。
ネパリ語なので内容は分からないけど、独立闘争を映したビデオといい、ゴルカランド独立への強い思いが伝わって来る。
こうした社会運動と連動した政治色が強いラップも、数多くの問題を抱えつつも「世界最大の民主主義国」であるインドのシーンならでは。
各州の運動の背景はそれぞれ異なるが、以前BKを紹介した際にも触れた通り、ことインド北東部に関してはメインランド(インド中心部)からの差別的な扱いを長く受けている、というのことが根底にある。
そうした状況がよくわかる曲。UNBの"Call Me Indian".
同じインド人なのに、見た目がアーリア系やドラヴィダ系ではないというだけで、まるで外国人であるかのように扱われる。
BKと同様に、非常にストレートなメインランドへの感情を吐露した一曲だ。
またこうしたテーマは日印ハーフのラッパー、Big Dealのラップの内容とも重なるところがある。
インドの人気作家Chetan Bhagatは、times of India紙に寄稿したエッセイで、独立自体は良いことだとしても、州が独立しても実際に多くの問題が解決するわけではないし、独立に至るプロセスでの暴力行為や損失こそが憂慮すべき問題であると指摘している。
まあ、そんなこんなで結論があるわけではないけど、っていうか、アタクシごときに結論が出せるようだったらそもそもこんなに揉めてるわけないのだけど、今回はダージリンのストライキ、ゴルカランド独立問題と、その闘争を扱ったラッパーUNBを紹介してみました!
それでは!
昨年も同様の報道があったのを覚えている人もいるかもしれないが、どうもここ日本では「ストライキのせいでダージリンティーが飲めなくなるかもしれない」という視点で報道されることが多く(今回の記事は背景や原因までしっかり書かれていて好感!)、あまり深いところまではなかなか報じられていないのだけれども、この問題は単なる労働問題ではなく、言語、民族、差別、教育、自治権といった様々な課題が複雑に絡み合っている。
そしてこの問題について物申している地元のラッパーなんかもちゃんといたりする。
まずは、インドの地図でダージリンがあるウエストベンガル州の位置を見てもらいましょう。
ウエスト(西)ベンガルっていう名前なのに、なんでインドの東部にあるかっていうと、もともとのベンガル地方の東半分は、現在はバングラデシュとして別の国になってるから。
バングラデシュのさらに東は、このブログではデスメタルが盛んだったり、ラッパーのBK(Borkung Hrankhawl)がいたりすることで有名な「インド北東部七姉妹州」Seven Sisters Statesだ。
イギリスによる植民地時代から、ヒンドゥー教徒の多い西ベンガルとムスリムの多い東ベンガルの分割統治が行われるようになり、結局1947年のインド独立のときに東ベンガルはインドには帰属せず、イスラム国家であるパキスタンの一部の東パキスタンにとして独立することを選んだ。
ところが同じ宗教を持っているとはいえ、距離も離れているし、言語も違う(パキスタンはウルドゥー語、バングラデシュはベンガル語)、文化も違う、経済の格差もあるってんで、結局は上手くいかず、東ベンガルはバングラデシュとして1971年に再独立することになる。
バングラデシュ独立時に発生した大量の難民を救うために、ジョージ・ハリスンが呼びかけて、クラプトン、リンゴ・スター、ボブ・ディラン、レオン・ラッセルなんかが参加したコンサートのアルバムがまた名盤だったりするのだけど、それはまた別のお話。
それでは今度はウエストベンガル州の地図を見てみましょう。
難民問題は大変だったろうけどヒンドゥー教徒の多いウエストベンガルがインドに帰属できてよかったね、と単純にならないのがインドの難しいところ。
ご覧のようにこのウエストベンガル州、南北に長い形をしています。
ウエストベンガル州の州都はこの地図上の南のほうにある、17番のコルカタ。昔の名前で言うとアタクシの苗字とおんなじカルカッタですな。
で、ダージリンはこの地図の一番上、最北の1番の場所。
このウエストベンガル州の北部には、グルカ(Gorkha)人と呼ばれる、この州のマジョリティーであるベンガル人とはまったく異なる民族が多く暮らしている。
彼らは、彫りの深いアーリア系のベンガル人よりも東洋的な顔立ちをしていて、ベンガル語ではなくてネパール語を話す。
大まかに言うと、彼らは傭兵として有名なネパールの「グルカ族」と同じ民族で(グルカと呼ばれる人たちも実際は様々な民族に分かれている)、ククリというナイフが彼らのシンボルとされている。
昨年報じられた大規模な茶園のストライキは、ウエストベンガル州のすべての教育を全てベンガル語で行うことにするという政策に、ネパール語を母語とするグルカ人たちが反対したために行われたもの。
まだちゃんと調べられていないのだけど、この政策は、州内のマジョリティーであるベンガル人への人気取り的な側面や、州のなかの分断を極力なくそうという意図があって行われたものではないかと思う。
その昨年のストライキで十分な茶葉の収穫ができず、信用や各付けも低下した農園は、労働者への給与の支払いに苦慮するようになり、その待遇に対する抗議として、また収穫期を前にしたストライキが行われている、というのが今年のストの背景のようだ。
そもそも昨年のストライキは地元のグルカ人による政党Gorkha Janmukhti Morcha(GJM)によって呼びかけられたものだ。
GJMはウエストベンガル州からの「ゴルカランド州」の独立を目指している政党だ。
インドはご存知のように極めて多様な民族、言語、宗教、文化を抱えた国家で、州の線引きは(ウエストベンガルのような例外もあるけれども)基本的には言語の違いによってされてきた。
インドの「州」にはかなりの自治権が認められているので、いろんな州内で独立運動(国家としてじゃなくて、州としての独立を望む運動)が行われているのだけど、新しい州の独立は、21世紀に入ってからはずっと認められていなかった。
インドの政治がアイデンティ・ポリティクス(住民が自身の所属するカースト等のコミュニティーの利益を代表する政党を支持する)化した今日、それを認めてしまうと、あらゆる州の独立闘争を刺激して収拾がつかなくなってしまうからだ。
ところが、2013年に当時の中央政府がインド南部のアーンドラ・プラデーシュ州(バンガロールに並ぶIT産業の中心地ハイデラバードを州都とする)から、内陸部のテランガナ州の独立を認めてしまう。
どちらもテルグー語(映画「バーフバリ」の言語)が母語ではあるのだが、伝統的に異なる文化を持った地域で、旺盛な独立運動に応えてのことだった。
この独立は中央政権の人気取り的な側面があったとも言われている。
そして、予想通り、この独立以降、インド各地で州の独立運動が活性化する。
州の中のマジョリティーとは異なる文化、民族、カースト、言語を持つ人々にとって、現実はともかく、州としての独立を勝ち取るこそが、雇用やインフラ、教育等の問題をすべて解決する特効薬であるかのように捉えられるようになった。
今回のストライキやゴルカランド独立運動の背景には、このテランガナ州の独立が影響しているわけだ。
(テランガナ州独立についてはこのブログに詳しいです)
今日は前置きが長かったなあ。
で、このウエストベンガル州最北部のダージリンのさらに北に「シッキム州」という州がある。
シッキム州は、もともとは「シッキム王国」というインドとは別の国家だった地域。
チベット仏教の色合いの濃いまた独特の文化を持ち、やはりグルカ系の住民の多い地域だ。
シッキム州の州都、ガントク出身のラッパーのUNB(本名Ugen Namgyal Bhutia)は、このゴルカランド独立運動をラップにして発表している。
"Jai Jai Khukhuri(Gorkhaland Anthem)"聴いてみてください。
”Jai”は「勝利を!」という意味、「Khukhuri」はグルカのシンボルであるククリ刀のこと。
ネパリ語なので内容は分からないけど、独立闘争を映したビデオといい、ゴルカランド独立への強い思いが伝わって来る。
こうした社会運動と連動した政治色が強いラップも、数多くの問題を抱えつつも「世界最大の民主主義国」であるインドのシーンならでは。
各州の運動の背景はそれぞれ異なるが、以前BKを紹介した際にも触れた通り、ことインド北東部に関してはメインランド(インド中心部)からの差別的な扱いを長く受けている、というのことが根底にある。
そうした状況がよくわかる曲。UNBの"Call Me Indian".
同じインド人なのに、見た目がアーリア系やドラヴィダ系ではないというだけで、まるで外国人であるかのように扱われる。
BKと同様に、非常にストレートなメインランドへの感情を吐露した一曲だ。
またこうしたテーマは日印ハーフのラッパー、Big Dealのラップの内容とも重なるところがある。
インドの人気作家Chetan Bhagatは、times of India紙に寄稿したエッセイで、独立自体は良いことだとしても、州が独立しても実際に多くの問題が解決するわけではないし、独立に至るプロセスでの暴力行為や損失こそが憂慮すべき問題であると指摘している。
まあ、そんなこんなで結論があるわけではないけど、っていうか、アタクシごときに結論が出せるようだったらそもそもこんなに揉めてるわけないのだけど、今回はダージリンのストライキ、ゴルカランド独立問題と、その闘争を扱ったラッパーUNBを紹介してみました!
それでは!
goshimasayama18 at 23:58|Permalink│Comments(0)