Swadesi
2022年04月03日
インドで洋楽的音楽をどうやって表現するかという問題
あたりまえすぎる話だが、インドという国は、アメリカやイギリスとは全く異なる文化的背景を持っている。
そんな彼らが欧米で生まれたロックやヒップホップを演奏しようとするとき、「インド人であること」とどうやって向き合っているのだろうか、というのが今回のテーマ。
日本でも、欧米由来のポップミュージックを定着させるために、さまざまな手法が編み出されてきた。
例えば、日本語を英語っぽく発音して歌ったり(矢沢、桑田等)、逆に日本語らしい響きをあえてロックに乗せてみたり(はっぴいえんど等)、普通にロックっぽい服や髪型にしても似合わないので、とことん化粧を濃くして髪の毛を極限まで逆だてることで違和感を逆手に取ってみたり(初期ビジュアル系)といった方法論のことである。
日本と比べてインディペンデント音楽の歴史の浅いインドでは、今まさに、インド的な文化と欧米由来の表現をどう両立させるか、いろんなアーティストがいろんなスタイルを確立している真っ最中。
というわけで、今回は、完全な独断で、彼らの取り組み方を3つに分類して紹介してみます。
分類その1:「オシャレ洋楽追求型」
ひとつめのタイプは、インドらしさと欧米の音楽を無理に折衷しようとしないで、もうとことん洋楽的なセンスを追求してしまおう、というスタイル。
ふだんチャパティーにダール(食事として一般的な豆カレー)をつけて食べている現実をとりあえずなかったことにして、パンにジャムを塗って食べてる欧米とおんなじスタイルでやってみました、という方法論だ。
彼らはたいてい英語で歌っていて、音を聴いただけではインド人だとはまったく分からないようなサウンドを作っている。
インドは英語が準公用語のれっきとした英語圏。
英語で教育を受けている若者たちも多く、やろうと思えばこれができてしまうのがインドの底力でもある。
例えば、毎回超オシャレなミュージックビデオを作るコルカタのParekh & Singh.
Parekh & Singh "I Love You Baby, I Love You Doll"
彼らの顔立ちと最後の農村風景でインドのアーティストであることが分かるが、逆にいうとそれ以外はインドらしい要素はまったくないサウンドと世界観だ。
ムンバイの女性R&BシンガーKayanも、毎回オシャレ洋楽風のサウンドとミュージックビデオを作っている。
Kayan "Cool Kids"
あたり前といえばあたり前だが、この手のサウンドを志向するアーティストはほとんどが都会出身。
おそらくだが、彼らはべつに無理してオシャレぶっているわけではなくて(それもあるかもしれないが)、海外での生活経験があったり、ふだんから欧米的なライフスタイルで生活していたりするために、ごく自然とこうした世界観の作品を作っているのだろう。
クラブミュージック界隈にもこの傾向は強くて、例えば俳優のJim Sarbhを起用したこのApe Echoesあたりは音も映像もかなりセンスよく仕上がっている。
Ape Echoes "Hold Tight"
オシャレとは真逆になるが、ヘヴィメタルもこの傾向が強い。
要はそれだけ様式が確立しているからだと思うのだが、彼らがバイクを疾走させるハイウェイには、間違ってもオートリクシャーとか積荷満載の南アジア的デコトラは走っていない。
Against Evil "Mean Machine"
…と、インド人であることを「なかったこと」にして表現を追求するオシャレ洋楽型のアーティストだが、面白いのは、彼らのなかに、サウンドでは洋楽的な音を追求しながらも、ミュージックビデオではインド的な要素を強く打ち出しているアーティストがいるということだ。
例えば、インドのオシャレ洋楽型アーティストの最右翼に位置づけられるデリーのヴィンテージポップバンド、Peter Cat Recording Co.
Peter Cat Recording Co. "Floated By"
バカラック的なヴィンテージポップを退廃的な雰囲気で演奏する彼らのミュージックビデオは、なぜかインドの伝統的な結婚式だ。
ひょっとしたらインドの伝統とオールディーズ的なポップサウンドは、彼らの中で「ノスタルジー」というキーワードで繋がっているのかもしれない。
ケーララ州出身のフォークポップバンドWhen Chai Met Toastの"Yellow Pepar Daisy"は、「未来から現代を振り返る」という飛び道具的な手法で、懐かしさと現代を結びつけている。
When Chai Met Toast "Yellow Paper Daisy"
無国籍的なアニメを導入したEasy Wanderlingsの"Beneath the Fireworks"でも、サリー姿の女性などインド的な要素が見て取れる。
Easy Wanderlings "Beneath the Fireworks"
この、「音は洋楽、映像はインド」というスタイルは、洋楽的なサウンドとインド人としてのルーツが彼らの中に違和感なく共存しているからこそ実践されているのだろう。
分類その2:「フュージョン型」
次に紹介するスタイルは「フュージョン型」。
洋楽的なサウンドとインドの文化的アイデンティティの融合を図ろうとしているアーティストたちだ。
フュージョンという言葉は、インドの音楽シーンでは伝統音楽と西洋音楽を融合させたスタイルを表す言葉として古くから使われてきた。
現代インドでその代表格を挙げるとするならば、例えば、このブログで常々「印DM」として紹介しているRitvizだ。
Ritviz "Liggi"
EDMにインドっぽい旋律をごく自然に融合させ、ミュージックビデオでも伝統と欧米文化が共存しているインドの今をクールに描くRitvizは、まさに現代のフュージョン・アーティストだ。
ヒップホップでフュージョンスタイルを代表するアーティストといえば、ムンバイのSwadesiをおいて他にない。
彼らは政治的・社会的テーマを常に題材にしながらも、インドの大地に根ざした表現を常に意識しており、さまざまな古典音楽や伝統音楽のリズムとヒップホップの融合を試みてきた。
彼らのSwadesiというアーティスト名は、そもそもインド独立運動の一環として巻き起こった国産品愛用を呼びかける「スワデーシー運動」から取られており、その名前からもインドの社会に根ざしつつ、文化と伝統を大事にするというアティテュードが伝わってくる。
この曲では、古典音楽のパーカッショニストViveick Rajagopalanと共演している。
Viveick Rajagopalan feat. Swadesi "Ta Dhom"
彼らは他にも、イギリス在住のインド系ドラマーSarathy Korwarと共演したり、少数民族ワールリー族のリズムやアートを取り入れて彼らの権利を訴えたり("Warli Revolt")と、常に伝統とヒップホップとの接点でありつづけてきた。
大変悲しいことに、Swadesiのメンバーの一人、MC Tod Fodが24歳の若さで亡くなったというニュースが先日飛び込んできた。(この曲では2:44あたりからラップを披露しているのがTodFodだ)
この曲のリリースは2017年なので、当時、彼はまだ19歳だったということになる。
ヒップホップ黎明期のインドで、あまりにも明確にスタイルを確立していたため、彼はてっきりもっと年上のアーティストなのだと思っていた。
インドは今後のインディペンデント・ミュージック・シーンを担う大きな才能を失った。
改めて彼の冥福を祈りたい。
話を戻す。
エレクトロニカの分野でユニークなフュージョン・サウンドを作り出しているアーティストがLifafa.
彼は「オシャレ洋楽型アーティスト」として紹介したPeter Cat Recording Co.のヴォーカリストでもあり、ふたつのスタイルを股に掛ける非常に面白い存在である。
Lifafa "Wahin Ka Wahin"
イントロや間奏で使われているのは、パンジャーブ地方の民謡"Bhabo Kehndi Eh"のメロディー。
極めて現代的な空気感と伝統を巧みに融合させるセンスはインドならでは。
インドでも世界でも、もっと評価されてほしいアーティストの一人だ。
ロックとインド音楽のフュージョンは、ビートルズの時代から取り組まれてきた古くて新しいテーマだ。
インド人の手にかかると、インドの楽器を導入するだけでなく、ヴォーカル的あるいはリズム的なアプローチが取られることが多くなる。
Pakshee "Raah Piya"
Agam "Mist of Capricorn"
古典音楽への深い理解があって初めて再現できるこのサウンドは、単なるエキゾチシズムでインドの要素を取り入れている欧米のロックミュージシャンには絶対に出せない、本場ならではのスタイルだ。
そして第3の分類は、このフュージョン型の派生系とも言えるスタイル。
分類その3:「ステレオタイプ利用型」
他のあらゆる国でもそうであるように、インドでも、リアルなローカル文化と外国人が求める「インドらしさ」には若干の相違がある。
例えば、よく旅行者が土産物屋で買って着ているような、タイダイ染めにシヴァ神やガネーシャ神が描かれたTシャツを着ているインド人はまずいない。
漢字で「一番」と書かれたTシャツを着ている日本人がいないのと同じことだ。
ところが、タイダイに神様がプリントされたTシャツを作って売っているインド人がいるのと同じように、いかにもステレオタイプなイメージをうまく利用して、海外からの注目を集めているアーティストたちが、少ないながらも存在している。
この方法論に気がついたのは、前回紹介したBloodywoodのミュージックビデオを見ていたときだった。
Bloodywood "Dana Dan"
Bloodywood "Machi Bhasad"
サウンド的にはバングラー的なアゲまくるリズムを違和感なくメタルに融合している彼らだが、よく見るとミュージックビデオはなかなかあざとく作られている。
"Dana Dan"のいかにもナンチャッテインド風の格好をした女性ダンサーとか、"Machi Bhasad"のロケ地はラージャスターンなのに突然パンジャーブのバングラー・ダンサーが出現するところとか、「キャッチーなインドっぽさを出すためには多少の不自然は気にしない」というスタンスがあるように感じられるのだ。
念のため言っておくと、別に彼らのこのしたたかな方法論を批判するつもりはない。
YouTubeのコメント欄を見ると、Bloodywoodのミュージックビデオは外国人による賞賛がほとんど。
他のインドのアーティストのYouYubeのコメント欄が、どんなに洋楽的なスタイルで表現しても、インド人のコメントで溢れているのとは対照的だ。
ステレオタイプは偏見や差別の温床にもなりうるやっかいなものだが、ショービジネスにおいては、分かりやすく個性を打ち出し、注目を集めるための武器にもなり得る。
この方法論を非常に有効に使ったのが、フィメール・ラッパーSofia Ashrafだ。
Sofia Ashraf "Kodaikanal Won't"
彼女はグローバル企業の工場がタミルナードゥ州で引き起こした土壌汚染に対する抗議を世界に知らしめるために、サリー姿でNicki Minajのヒット曲"Anaconda"をカバーするという手法を選んだ(しかもラップとはいい意味でミスマッチな古典舞踊つき)。
ショートカットでタトゥーの入った見た目から判断すると、おそらくSofia Ashrafはサリーよりも洋装でいることが多い現代的(西洋的という意味で)な女性だと思うが、この判断は見事に的中し、このミュージックビデオはNicki Minaj本人がリツイートするなど、大きな注目を集め、抗議活動に大きく寄与した。
おそらく、洋楽っぽいオリジナル曲や、典型的なインド音楽で訴えても、南アジアのローカルな問題が世界の注目を集めることは難しかっただろう。
当時、彼女のラップのスキルはそこまで高くはなかったが、このステレオタイプの利用というアイデアが、成功をもたらしたのだ。
ダンスミュージックの分野では、欧米目線で形成されたインドのサイケデリックなイメージを自ら活用する例も見られる。
ムンバイの電子音楽家OAFFのこのミュージックビデオは、伝統的な絵画を使って全く新しい世界を再構築している。
OAFF x Landslands "Grip"
映像作家はフランス出身のThomas Rebour.
インド的な映像をあえて外国のアーティストに制作させて、新しい感覚を生み出しているのが面白い。
例を挙げればまだいくらでも紹介できそうなのだけど、きりがないので今回はこのくらいにしておく。
何が言いたいのかというと、グローバリゼーションが進んだ結果、世界が画一化してつまらなくなるのかというと、必ずしもそういうわけではなくて、結局やっぱりそれぞれの地域から、ユニークで面白いものが生まれてくるんだなあ、ということ。
いつも書いているようにインドの音楽シーンは爆発的な発展の真っ最中で、これからもますます面白い作品が期待できそうだ。
もちろん、どのスタイルのアーティストでも、積極的に紹介していくつもりです。
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goshimasayama18 at 23:06|Permalink│Comments(0)
2021年08月29日
あらためて、インドのヒップホップの話(その1 ムンバイ編 インド版ストリートラップ「ガリーラップ」と最大都市の多様なMCたち)
6月のTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(アトロク)に続いて、J-WAVE「ACROSS THE SKY」内のSKY-HIさんによるアジアのヒップホップ特集コーナー「IMASIA」にて、インドのヒップホップについて、2週にわたって語ってきました。
自分が好きな音楽をこうしてみなさんにお話する機会をいただけるというのは、まさに望外の喜びというやつでして、関係者の皆様ならびにいつも素晴らしい音楽を作ってくれているインドのアーティスト各位には、改めて感謝しています。
正直に言うと、自分はもともとロック寄りのリスナーなので、ヒップホップに関する知識は非常に限られているし、偏っている。
こんな私がしたり顔でヒップホップを語るというのは、すごくwackなことなのだけど、(wackは「ダサい、偽物」といった意味。ちなみに大してヒップホップ知らないのにこういうヒップホップ的なスラングを使いたがるのもwackなことだとは思う)、幸か不幸か、インドのヒップホップの面白さに気付いている人は日本にはほとんどいない。
だから、誰か他にインドのヒップホップシーンについて熱く語ってくれる人が出てくるまで、しばらくの間、このめちゃくちゃ面白い音楽シーンの魅力を、書いたり語ったりさせていただきたい所存なのである。
というわけで、今回は、改めて紹介するインドのヒップホップシーン概要。
インドはめちゃくちゃ広いので、まずはムンバイ編から。
番組でも話した通り、19歳のときに初めて訪れたインドで、下町の働くおじさんたちはまるでブルースマンのように見えた。
みんな口が達者で豪快なのだけど、彼らの顔に刻まれたシワや影を宿した瞳からは、どんなに努力しても這い上がることのできない格差社会への諦めのようなものが感じられた。
路地裏では、子どもたち音割れしているラジカセで音楽をガンガンに流して、笑顔を弾けさせながらキレキレのダンスを踊っていた。
90年代、インドの下町は1970年頃のアメリカの黒人街のようだった。
もし彼らが、歌や楽器を覚えて、ブルースやファンクやソウルみたいな音楽(レゲエでも良さそうだ)を演奏したら、きっと「本物」の音楽が生み出されるのになあ、なんて思ったものだった。
インドで流通している音楽が、安っぽくて甘ったるい映画の主題歌ばかりなのが、なんだかもったいないような気がしたのだ。
時は流れて2010年代。あのソウルフルな思い出から約20年が経過した。
今でも深刻な格差はまったく解消されていないが、それでもインドは国として、当時からは信じられないほどの発展を遂げた。
アメリカでも、ソウルやファンクの時代からだいたい20年後の90年代にヒップホップカルチャーが花開いたことを思えば、インドの若者たちの間で今ヒップホップが人気なのは、必然と言えるのかもしれない。
今日のインドのヒップホップブームの礎となった曲をひとつ挙げるとしたら、やはりこの曲ということになるだろう。
Naezy - "Aafat!"
ムンバイの下町、Kurla West地区に暮らしていたNavedは、USのラッパーに憧れる不良少年だった。
Sean Paulのコピーをして女の子の気を引こうとしていたというから、どこにでもいるヤンチャな少年だったのだろう。
ある日、警察の厄介になった彼は、悪事ばかりの生活に見切りをつけ、本名とcrazyを掛け合わせたNaezyという名前でラッパーとしての活動を始める。
彼は、何日も部屋にこもって書いた自作のリリックを、iPadでダウンロードしたビートに乗せ、iPadに繋いだマイクでコーディングし、iPadで撮影したミュージックビデオを、もちろんiPadからYouTubeにアップした。
iPadで全ての表現を完結してしまったNaezyの「あるもので工夫して間に合わせる」方法論は、インドでは「ジュガール」(Jugaad)と呼ばれている。
この自由な発想は、2台のレコードプレーヤーでビートを作ることを発明したブロンクスのヒップホップ・オリジネイターたちにも通底するものを感じる。
(ちなみにインターネット以前の主要な音楽の流通形態がカセットテープだったインドでは、今日までターンテーブルによる音楽カルチャーが生まれることはなく、代わりにヒューマンビートボックスが普及した)
そもそも、ポピュラー音楽といえば自国の映画音楽ばかりだったインドの若者がヒップホップに出会えたのは、経済成長とインターネットの普及があってこそのことだった。
インドのヒップホップブームは、国内や世界のグローバル化と無関係ではないのである。
"Aafat!"のミュージックビデオは「スラムみたいな地区にすごいラッパーがいる」と話題になり、映画監督ゾーヤー・アクタルの耳にも入ることになる。
興味を持ったアクタル監督は、Naezyをモデルにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』を撮影し、2019年に大ヒットを記録した。
この映画が、発展途上だったインドのヒップホップシーンの起爆剤となるのだが、それはもう少し後の話。
同時期のムンバイでは、別の下町地区Andheri Eastで育ったDIVINEが、下町の路地を意味するGullyというヒンディー語を、英語の「ストリート」と同じような、身近でクール言葉として使い始め、インドならではのストリートラップを開拓し始めていた。
DIVINE "Yeh Mera Bombay"
『ガリーボーイ』という映画のタイトルも、このDIVINEが提唱したGully=Streetという概念から取られたもので、彼は映画に登場するMCシェールというキャラクターのモデルでもある。
Naezyと共演した"Mere Gully Mein"は『ガリーボーイ』でも主人公たちがスラムでミュージックビデオを撮影する曲としてフィーチャーされている一曲。
DIVINEは日本で言うとZeebraとかOzrosaurusのMacchoみたいなアニキっぽい存在感(声質も似ている)のラッパーで、今日に至るまでインドのヒップホップシーンをリードし続けている。
DIVINE feat. Naezy "Mere Gully Mein"
『ガリーボーイ』の舞台は、NaezyやDIVINEのホームタウンではなく、ムンバイ最大のスラム「ダラヴィ」に置き換えられている。
映画の主人公のムラドはカレッジに通っているし、実際のNaezyもiPadを持っていたし、「インドのスラムの住人って、社会の最底辺なのに結構裕福なんだな」と思った人もいるかもしれないが、それは大きな誤解。
インドではスラム暮らしというのは最底辺ではないのである。
ダラヴィは、『スラムドッグ$ミリオネア』や『ガリーボーイ』など、数々の作品の舞台になった「有名」なスラムであるがゆえに、各所からの支援があり、他のムンバイのスラムと比べても、比較的「まし」な環境なのだ。
もちろん、それでも過密で不衛生な住環境であることに変わりはないのだが、インドの街には、住む家さえなく路上で暮らしている人たちもたくさんいるし、地方に行けば電気も水道もない環境で暮らしている人たちも何億人もいることを考えると、ダラヴィは決して最底辺の環境ではないのである。
とはいえ、ガリー出身のラッパーたちが、抑圧された環境の若者たちをレペゼンして、同じ境遇の少年あちの希望となっていることは紛れもない事実。
じっさい、映画同様にダラヴィ出身のラッパーたちも活躍している。
偏見にさらされ、抑圧された立場にあるスラム出身の若者たちがアメリカの黒人たちによって生み出されたヒップホップという表現形態を選ぶのは必然だった。
今回は、数多いダラヴィ出身のラッパーから、MC Altafを紹介したい。
MC Altaf "Code Mumbai 17"
MC Altafはダラヴィのヒップホップクルー'Enimiez'の出身。
同郷のクルー'7 bantaiz'のStony Psykoに影響を受けてラッパーの道を志したという。
タイトルの'Code Mumbai 17'(17はヒンディー語でsatrahと発音する)は、ダラヴィのピンコード(郵便番号)を意味している。
ヒップホップの「レペゼン意識」(地元やコミュニティを代表しようというアティテュード)というやつである。
彼はその後、DIVINEらとともにNasのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属となり、ダラヴィやムンバイだけでなく、インドを代表するラッパーになりつつある。
ダラヴィのヒップホップシーンについてはこちらの記事で詳述。
インド南部のタミル系の住民も多いこの地域では、タミル語でラップするラッパーもいて、多言語・他宗教が共生するという、貧しくとも'unity'なヒップホップ環境が存在している。
この街のヒップホップはガリーラップだけではない。
大都市なだけあって、ムンバイのヒップホップシーンは多様性に溢れている。
Tienas "Fake Adidas"
Tienas " A Song To Die"
Tienasは英語ラップを得意としているラッパーで、チル系からノイズ系まで、エクスペリメンタルなビートを使用することも多い。
6人組のクルーSwadesiもアンダーグラウンドな表現にこだわっているユニットのひとつだ。
彼らは伝統音楽とヒップホップを融合したビートに社会的なメッセージ色の強いラップを乗せるスタイルを貫いている。
この"Warli Revolt"では、独特の絵画様式を持つことで知られるワールリー族の伝統的なリズムに乗せて、少数民族が搾取され、抑圧される様子を伝えている。
Swadesi "Warli Revolt"
Sarathy Korwar "Mumbay(feat. MC Mawali)"
SwadesiのMC Mawaliがイギリス在住のパーカッション奏者Sarathy Korwarと共演したこの"Mumbay"では、ジャズと古典音楽を融合した7拍子のビートに合わせて、ムンバイの街の様子をクールに描き出している。
海外に多く暮らしているインド系移民は、経済だけではなくポップカルチャーの面でもインドを支えており、近年ではこのSarathy KorwarとMC Mawaliの例のように、海外在住のインド系アーティストと本国のアーティストの共演も増えてきている。
アメリカ在住のビートメーカーAAKASHはムンバイの地元ラッパーと共演したアルバムを発表。
トラップなどの新しいビートでシーンに新風を吹き込んだ。
MC Altaf, D'Evil "Wazan Hai"(Prod by AAKASH)
ヒップホップ人気の高まりとともに若者の憧れとなっているスニーカーショップで撮影されたミュージックビデオも印象的だ。
はじめはストリート発の社会的ムーブメントとして注目されてきたインドのヒップホップは、今ではファッションやポップカルチャーとしても存在感を高めている。
ポップ寄りのラッパーとして絶大な人気を誇っているのは、『ガリーボーイ』にもカメオ出演していたEmiway Bantaiだ。
彼は'Machayenge'と称するポップなシリーズで絶大な人気を誇っている。
'IMASIA'で紹介したのはシリーズ3作目の"Machayenge 3".
Emiway Bantai "Machayenge 3"
このミュージックビデオだけ見ると、ポップで軟派なラッパーのようにも見えるが、この曲でもその片鱗が窺える通り、彼はラップが相当に上手い。
彼はそのスキルとセンスを活かして、多くの人気ラッパーにビーフを挑み、その容赦ないスタイルで名を上げたところで、こうしたポップな曲をリリースして人気を確固たるものとした。
フィメール・ラッパーについても触れておこう。
ムンバイ在住のマラヤーリー系(南部ケーララ州系)フィメール・ラッパーDee MCは、今なお抑圧されがちな女性の立場を代弁するラッパーとして、シーンで活躍している。
インドのヒップホップも、一部のラッパーたちのリリックがミソジニー的であるとの批判を浴びることがあるが、彼女曰く、ムンバイのヒップホップシーンで女性であることを理由に困難を感じたことはないとのこと。
こうした健全さはムンバイのシーンの美しさと言えるだろう。
さて、ここで最初に紹介したNaezyとDIVINEに話を戻してみたい。
じつはNaezyは、『ガリーボーイ』公開前後のいちばんオイシイ時期、音楽活動を休止していた。
彼は敬虔なムスリムでもあるのだが、iPadをくれた父に、「ヒップホップはイスラーム的ではない」と止められていたからだ。
その後、晴れて「ラップもイスラームの伝統である詩と通じるもの」と父の理解が得られ、活動を再開したNaezyは、今でもムンバイのストリートラッパーとして活動を続けている。
Naezy, Rakhis "Kasa Kai"
一方のDIVINEは、映画『ガリーボーイ』 のヒットの勢いを借りて、精力的に活動を続けていた。
その結果、一躍人気者となった彼は、もはやインディペンデントなストリートラッパーで居続けることはできなくなってしまった。
皮肉にも、映画の成功によって、ガリーラッパーというアイデンティティを手放さざるを得なくなってしまったのだ。
その後のDIVINEの音楽的葛藤についてはこの記事に書いている。
今回は、ストリートの少年だった彼がヒップホップで成り上がったストーリーをミュージックビデオにしたこの曲を紹介したい。
DIVINE "RIDER Feat. Lisa Mishra"
インド最大の都市であり、エンターテインメントの中心地であるがゆえに、とにかく多様で層が厚いムンバイのヒップホップシーン。
ラッパーだけでなく、ビートメーカーに焦点を当てた記事も紹介しておきます。
まだまだ紹介しきれていないアーティストもいるのだけど、本日はここまで。
ムンバイ以外のシーンについては、日を改めて書かせてもらいます。
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"Aafat!"のミュージックビデオは「スラムみたいな地区にすごいラッパーがいる」と話題になり、映画監督ゾーヤー・アクタルの耳にも入ることになる。
興味を持ったアクタル監督は、Naezyをモデルにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』を撮影し、2019年に大ヒットを記録した。
この映画が、発展途上だったインドのヒップホップシーンの起爆剤となるのだが、それはもう少し後の話。
同時期のムンバイでは、別の下町地区Andheri Eastで育ったDIVINEが、下町の路地を意味するGullyというヒンディー語を、英語の「ストリート」と同じような、身近でクール言葉として使い始め、インドならではのストリートラップを開拓し始めていた。
DIVINE "Yeh Mera Bombay"
『ガリーボーイ』という映画のタイトルも、このDIVINEが提唱したGully=Streetという概念から取られたもので、彼は映画に登場するMCシェールというキャラクターのモデルでもある。
Naezyと共演した"Mere Gully Mein"は『ガリーボーイ』でも主人公たちがスラムでミュージックビデオを撮影する曲としてフィーチャーされている一曲。
DIVINEは日本で言うとZeebraとかOzrosaurusのMacchoみたいなアニキっぽい存在感(声質も似ている)のラッパーで、今日に至るまでインドのヒップホップシーンをリードし続けている。
DIVINE feat. Naezy "Mere Gully Mein"
『ガリーボーイ』の舞台は、NaezyやDIVINEのホームタウンではなく、ムンバイ最大のスラム「ダラヴィ」に置き換えられている。
映画の主人公のムラドはカレッジに通っているし、実際のNaezyもiPadを持っていたし、「インドのスラムの住人って、社会の最底辺なのに結構裕福なんだな」と思った人もいるかもしれないが、それは大きな誤解。
インドではスラム暮らしというのは最底辺ではないのである。
ダラヴィは、『スラムドッグ$ミリオネア』や『ガリーボーイ』など、数々の作品の舞台になった「有名」なスラムであるがゆえに、各所からの支援があり、他のムンバイのスラムと比べても、比較的「まし」な環境なのだ。
もちろん、それでも過密で不衛生な住環境であることに変わりはないのだが、インドの街には、住む家さえなく路上で暮らしている人たちもたくさんいるし、地方に行けば電気も水道もない環境で暮らしている人たちも何億人もいることを考えると、ダラヴィは決して最底辺の環境ではないのである。
とはいえ、ガリー出身のラッパーたちが、抑圧された環境の若者たちをレペゼンして、同じ境遇の少年あちの希望となっていることは紛れもない事実。
じっさい、映画同様にダラヴィ出身のラッパーたちも活躍している。
偏見にさらされ、抑圧された立場にあるスラム出身の若者たちがアメリカの黒人たちによって生み出されたヒップホップという表現形態を選ぶのは必然だった。
今回は、数多いダラヴィ出身のラッパーから、MC Altafを紹介したい。
MC Altaf "Code Mumbai 17"
MC Altafはダラヴィのヒップホップクルー'Enimiez'の出身。
同郷のクルー'7 bantaiz'のStony Psykoに影響を受けてラッパーの道を志したという。
タイトルの'Code Mumbai 17'(17はヒンディー語でsatrahと発音する)は、ダラヴィのピンコード(郵便番号)を意味している。
ヒップホップの「レペゼン意識」(地元やコミュニティを代表しようというアティテュード)というやつである。
彼はその後、DIVINEらとともにNasのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属となり、ダラヴィやムンバイだけでなく、インドを代表するラッパーになりつつある。
ダラヴィのヒップホップシーンについてはこちらの記事で詳述。
インド南部のタミル系の住民も多いこの地域では、タミル語でラップするラッパーもいて、多言語・他宗教が共生するという、貧しくとも'unity'なヒップホップ環境が存在している。
この街のヒップホップはガリーラップだけではない。
大都市なだけあって、ムンバイのヒップホップシーンは多様性に溢れている。
Tienas "Fake Adidas"
Tienas " A Song To Die"
Tienasは英語ラップを得意としているラッパーで、チル系からノイズ系まで、エクスペリメンタルなビートを使用することも多い。
6人組のクルーSwadesiもアンダーグラウンドな表現にこだわっているユニットのひとつだ。
彼らは伝統音楽とヒップホップを融合したビートに社会的なメッセージ色の強いラップを乗せるスタイルを貫いている。
この"Warli Revolt"では、独特の絵画様式を持つことで知られるワールリー族の伝統的なリズムに乗せて、少数民族が搾取され、抑圧される様子を伝えている。
Swadesi "Warli Revolt"
Sarathy Korwar "Mumbay(feat. MC Mawali)"
SwadesiのMC Mawaliがイギリス在住のパーカッション奏者Sarathy Korwarと共演したこの"Mumbay"では、ジャズと古典音楽を融合した7拍子のビートに合わせて、ムンバイの街の様子をクールに描き出している。
海外に多く暮らしているインド系移民は、経済だけではなくポップカルチャーの面でもインドを支えており、近年ではこのSarathy KorwarとMC Mawaliの例のように、海外在住のインド系アーティストと本国のアーティストの共演も増えてきている。
アメリカ在住のビートメーカーAAKASHはムンバイの地元ラッパーと共演したアルバムを発表。
トラップなどの新しいビートでシーンに新風を吹き込んだ。
MC Altaf, D'Evil "Wazan Hai"(Prod by AAKASH)
ヒップホップ人気の高まりとともに若者の憧れとなっているスニーカーショップで撮影されたミュージックビデオも印象的だ。
はじめはストリート発の社会的ムーブメントとして注目されてきたインドのヒップホップは、今ではファッションやポップカルチャーとしても存在感を高めている。
ポップ寄りのラッパーとして絶大な人気を誇っているのは、『ガリーボーイ』にもカメオ出演していたEmiway Bantaiだ。
彼は'Machayenge'と称するポップなシリーズで絶大な人気を誇っている。
'IMASIA'で紹介したのはシリーズ3作目の"Machayenge 3".
Emiway Bantai "Machayenge 3"
このミュージックビデオだけ見ると、ポップで軟派なラッパーのようにも見えるが、この曲でもその片鱗が窺える通り、彼はラップが相当に上手い。
彼はそのスキルとセンスを活かして、多くの人気ラッパーにビーフを挑み、その容赦ないスタイルで名を上げたところで、こうしたポップな曲をリリースして人気を確固たるものとした。
フィメール・ラッパーについても触れておこう。
ムンバイ在住のマラヤーリー系(南部ケーララ州系)フィメール・ラッパーDee MCは、今なお抑圧されがちな女性の立場を代弁するラッパーとして、シーンで活躍している。
インドのヒップホップも、一部のラッパーたちのリリックがミソジニー的であるとの批判を浴びることがあるが、彼女曰く、ムンバイのヒップホップシーンで女性であることを理由に困難を感じたことはないとのこと。
こうした健全さはムンバイのシーンの美しさと言えるだろう。
さて、ここで最初に紹介したNaezyとDIVINEに話を戻してみたい。
じつはNaezyは、『ガリーボーイ』公開前後のいちばんオイシイ時期、音楽活動を休止していた。
彼は敬虔なムスリムでもあるのだが、iPadをくれた父に、「ヒップホップはイスラーム的ではない」と止められていたからだ。
その後、晴れて「ラップもイスラームの伝統である詩と通じるもの」と父の理解が得られ、活動を再開したNaezyは、今でもムンバイのストリートラッパーとして活動を続けている。
Naezy, Rakhis "Kasa Kai"
一方のDIVINEは、映画『ガリーボーイ』 のヒットの勢いを借りて、精力的に活動を続けていた。
その結果、一躍人気者となった彼は、もはやインディペンデントなストリートラッパーで居続けることはできなくなってしまった。
皮肉にも、映画の成功によって、ガリーラッパーというアイデンティティを手放さざるを得なくなってしまったのだ。
その後のDIVINEの音楽的葛藤についてはこの記事に書いている。
今回は、ストリートの少年だった彼がヒップホップで成り上がったストーリーをミュージックビデオにしたこの曲を紹介したい。
DIVINE "RIDER Feat. Lisa Mishra"
インド最大の都市であり、エンターテインメントの中心地であるがゆえに、とにかく多様で層が厚いムンバイのヒップホップシーン。
ラッパーだけでなく、ビートメーカーに焦点を当てた記事も紹介しておきます。
まだまだ紹介しきれていないアーティストもいるのだけど、本日はここまで。
ムンバイ以外のシーンについては、日を改めて書かせてもらいます。
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goshimasayama18 at 15:49|Permalink│Comments(0)
2021年01月02日
Rolling Stone Indiaが選ぶ2020年ベストアルバム10選!
あけましておめでとうございます!
毎年新年に紹介しているRolling Stone Indiaが選ぶ年間ベスト紹介シリーズ、今回はベストアルバム部門の紹介!
(元の記事はこちら↓)
面白いもので、これが昨年末に紹介した軽刈田セレクトの年間ベストとは1作しか重なっていない!
それだけインドのインディーシーンの多様化が進んでいる証拠とも言えそうだけど、Rolling Stone Indiaの年間ベストも数人のジャーナリストだけで選出しているようなので、単に音楽の好みや注目するポイントの違いなのかもしれない。
(私の選んだ年間ベスト10はこちら↓。ただし、アルバムに限らず、楽曲やミュージックビデオも含めた10作品の選出)
私のTop10は「2020年にその音が鳴らされる必然性」を重視して選出したつもりだったけど、Rolling Stone Indiaは、毎年ながら同時代性を全く無視したセレクトになっていて、これはこれで面白いランキングになっている。
今年はいつになく前時代的なロックバンドが多い印象で、また違った「インド音楽」が楽しめると思います。
それではさっそく!
1. Thermal And A Quarter "A World Gone Mad"
Thermal and a Quarterは96年に結成されたベンガルールのベテランロックバンド。
このアルバムのサウンドを簡単に説明するなら、「ピンク・フロイド的な詩情と70年代ハードロック的なダイナミズムの融合」ということになる。
要はクラシックなプログレッシブ・ロックで、曲によっては90年代USのグランジっぽく聴こえることもある。
プログレといっても、個々のプレイヤーの技巧ではなく、ヴォーカルハーモニーを含めたバンドのアンサンブルで聴かせるタイプの作品なので、聴いていて疲れないのも◎。
とはいえ、この作品が2020年のインドのインディーミュージックの最高到達点を示すものかと言われると、個人的にはちょっと疑問符を付けたくなる。
インドのインディー音楽のリスナーは「インテリっぽいロック」を好む傾向があって、このランキングにもそうした好みが反映されている可能性がある。
以下、その点に留意して聴いてみてください。
2. Soulmate "Give Love"
Soulmateはインド北東部のメガラヤ州シロンを拠点に活動する2003年結成のベテランブルースロックバンド。
インド北東部はこのブログでも何度も紹介している通り、キリスト教信仰の影響もあって、かなり古い時代からロック等の欧米の音楽が受け入れられてきた。
このアルバムも彼ららしいハードなブルースが堪能できる作品で、とくに女性ヴォーカリストTipriti Kharbangarのソウルフルな歌い回しと、Rudy Wallangのツボを抑えたギタープレイ(チョーキングのトーンコントロールが素晴らしい)は絶品。
やはり2020年らしさは皆無なサウンドだが、この手の音楽の愛好家は世界中にいるはずなので、もっと多くの国で評価されてもいいはずだ。
3. Saby Singh "Yahaan"
これまで全くノーチェックだったカシミール出身のシク教徒のシンガー・ソングライター。
Rolling Stone Indiaの記事によると、前作の"Ouroboros"は実験的な電子音楽だったようだが(奇妙なことに、この作品は現在YouTubeでも音楽ストリーミングサービスでも聴くことができない)、今作はシンプルなギターの弾き語りとなっている。
こういう音楽は歌詞が分からないとしんどいが、深みと表現力のある歌声は聴きごたえがある。
ときに情感過多で演歌っぽい歌い回しになってしまうのは、シク/パンジャービーのルーツゆえか。
4. aswekeepsearching "sleep"
この作品が唯一、私が選んだ年間トップ10と重なっていた。
海外のレーベルからアルバムをリリースしたこともあるポストロックバンドによるアンビエント作品。
インド西部グジャラート州のアーメダーバード出身で、ベンガルールを拠点していると思っていたのだが、Rolling Stone Indiaによると、現在はムンバイで活動しているらしい。
Rolling Stone Indiaは、この作品の楽曲を「催眠術的(hypnotic)」("How I Suppose to Know")、「瞑想的(meditative)」("Let Us Try")、「平和的(peaceful)」("Sleep Again")、「未来的(futuristic)」("Glued")、「アコースティックギターが傑出(acoustic guitar prominence)」("Dreams are Real")、「憂鬱(melancholy)」("Sleep Now")と評している。
5. Lojal "Phase"
メガラヤ州シロンのMartin J. Haokipによるソロ・プロジェクト。
どこか近未来的なトラックにR&B的なコーラスやラップが乗る。
感情を抑えたヴォーカルは、雰囲気で聴かせるところもあるが、2020年のインドを感じさせるサウンドではある。
Frank Ocean, Bon Iver, Kanye Westの影響を受けているとのこと。
このランキングで「今っぽさ」を感じさせられるのは4位のaswekeepsearchingと、このLojalくらい。
6. The Earth Below "Nothing Works Vol. 2: Hymns for Useless Gods"
これまたノーチェックなアーティストだったが、ベンガルール出身で、ムンバイを拠点に活動しているドラマー兼ヴォーカリストのDeepak Raghuを中心としたバンドのようだ。
サウンドは90年代のグランジ/オルタナティブ・ヘヴィロックの影響を強く感じさせるもので、歪んだギターと憂鬱さを帯びたヴォーカルが虚無的な情熱とでも呼ぶべき感情を喚起する。
"Come to Me"のような曲のメロディーセンスもとても良い。
アルバムタイトルに"Vol.2"とあるが、"Vol.1"は検索してもどこにも見当たらないのが謎。
虚無感をテーマにした曲が多いようで、アルバムの副題からも、我々がよく知る信仰心に厚くバイタリティーあふれるインドとはかけ離れているが、これもまた現代のインドのリアル。
7. Serpents of Pakhangba "Serpents of Pakhangba"
おそらくこのランキング中最大の問題作がこのアルバムだろう。
ムンバイのマルチプレイヤーVishal J. Singh(プログレッシブ・メタルバンドAmogh Symphonyの中心人物としても有名)が率いるSerpents of Pakhangbaの音楽性は、単純に言えばやはりプログレということになるのだろうが、エキセントリックな女性ヴォーカル(伝統音楽に由来しているのか?)、メタル、ジャズ、アンビエント的なサウンドを内包した実験的なもので、なんとも形容し難い。
ものすごい作品のような気もするし、単にとっ散らかっているようにも聴こえるが、アルバム全体を通して異常な緊張感が張りつめており、演奏力も高くて飽きさせない。
バンド名はインドの蛇神ナーガの北東部マニプル州のメイテイ族に伝わる呼び名で、Vishal J. Singhのルーツにも関わっているようだ。
なんと彼らへのインタビューを日本語で紹介しているウェブサイトを見つけたので(さすが日本が誇るメタルマガジン'Burrn!')、詳しくはこちらを参照してほしい。
8. Swadesi "Chetavni"
Rolling Stone Indiaが2020年のヒップホップを代表する作品として選んだのがこの作品。
Swadesiはムンバイを拠点に活動する多言語ラッパー集団で、これまでも古典音楽/伝統音楽との融合などを試みつつ、さまざまな社会問題や政治問題を扱った作品をリリースしてきた。
今回は伝統音楽の要素はあまり入れずに、オールドスクールっぽいフロウのラップを聞かせてくれている。
サウンドや内面的な表現ではなく、社会的な要素を重視しての選出だったようで、そうなるとリリックが分からないのが非常にもどかしい。
意外なことにこの作品がデビューアルバム。
9. Girish And The Chronicles "Rock the Highway"
Girish And The Chroniclesは、インド北東部シッキム州出身のヘヴィーメタルバンド。
ヴォーカリストのGirish Pradhanは、Chris Adler (ex. Megadeth)らとのプロジェクトFirstBorurneでも知られている実力派。
これもまた2020年らしさの全くないヘヴィ・ロックンロールで、彼らが時代に関係なく、本当に好きな音楽を追求しているのだということが分かるサウンド。
13曲入りというのも聴きごたえがある。
アップテンポでもヘヴィなグルーヴを失わないリズムセクションと、確かな腕を持っているギタリストを擁していて、楽曲のクオリティーも高い(曲によっては、Sammy Hager在籍時のVan Halenを思わせる)。
35年前のアメリカでこの音を鳴らしていたら、世界的に評価されていたかもしれない。
10. Protocol "Friar’s Lantern"
ムンバイ出身のプログレッシブロックバンド。
これまた2020年らしからぬサウンドで、ヘヴィな要素もあるが、欧風のフォークミュージックっぽい雰囲気も濃厚。
女性ヴォーカリストの表現力がもう少しあると良いのだが…。
というわけで、全10枚を紹介してみました。
今年は例年になく70〜90年代風のヘヴィ・ロックが目立つ結果となった。
おそらくだが、インドのインディー・ミュージック界は、日本でいうとバンドブーム〜渋谷系の時代なのだろう。
何が言いたいのかというと、同時代的な表現や新しい音を追求することよりも、過去の音楽を咀嚼して、あるときはお手本に忠実に、またあるときはそれを自分なりのセンスで表現した音楽が好まれる傾向があるのではないか、ということだ。
もちろん彼らが単なるコピーだと言いたいわけではない。
Soulmateにしろ、Girish and the Chroniclesにしろ、Serpents of Pakhanbaにしろ、それぞれのジャンルの紛れもない「本物」だし、とくに英語詞での表現については、日本のアーティストよりもずっと「本場」に近いところにいる。
まあ、単に選者の好みなのかもしれないけれども。
いずれにしても、このサブスク全盛で、1曲が2分台の曲が多いこのご時世に、Thermal and a Quarter, Serpents of Pakhangba, Protocolのように1曲が6分以上あるようなアルバムを平気で選んでくるセンスは結構好きだ。
また、Soulmate, Lojal, Girish and the Chroniclesのような北東部のアーティストが目立っているのも印象的。
おそらくは評価基準の一つになっている「欧米的な音楽」をやらせたら、やはり一日の長がある地域なのだろう。
これまで知らなかった面白いアーティストも知れたし、なかなか興味深いランキングでした!
次回はRolling Stone Indiaが選ぶミュージックビデオTop10を紹介したいと思います。
あ、正月ということで、以前書いたガネーシャと正月をテーマにした落語も貼り付けておきます!
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面白いもので、これが昨年末に紹介した軽刈田セレクトの年間ベストとは1作しか重なっていない!
それだけインドのインディーシーンの多様化が進んでいる証拠とも言えそうだけど、Rolling Stone Indiaの年間ベストも数人のジャーナリストだけで選出しているようなので、単に音楽の好みや注目するポイントの違いなのかもしれない。
(私の選んだ年間ベスト10はこちら↓。ただし、アルバムに限らず、楽曲やミュージックビデオも含めた10作品の選出)
私のTop10は「2020年にその音が鳴らされる必然性」を重視して選出したつもりだったけど、Rolling Stone Indiaは、毎年ながら同時代性を全く無視したセレクトになっていて、これはこれで面白いランキングになっている。
今年はいつになく前時代的なロックバンドが多い印象で、また違った「インド音楽」が楽しめると思います。
それではさっそく!
1. Thermal And A Quarter "A World Gone Mad"
Thermal and a Quarterは96年に結成されたベンガルールのベテランロックバンド。
このアルバムのサウンドを簡単に説明するなら、「ピンク・フロイド的な詩情と70年代ハードロック的なダイナミズムの融合」ということになる。
要はクラシックなプログレッシブ・ロックで、曲によっては90年代USのグランジっぽく聴こえることもある。
プログレといっても、個々のプレイヤーの技巧ではなく、ヴォーカルハーモニーを含めたバンドのアンサンブルで聴かせるタイプの作品なので、聴いていて疲れないのも◎。
とはいえ、この作品が2020年のインドのインディーミュージックの最高到達点を示すものかと言われると、個人的にはちょっと疑問符を付けたくなる。
インドのインディー音楽のリスナーは「インテリっぽいロック」を好む傾向があって、このランキングにもそうした好みが反映されている可能性がある。
以下、その点に留意して聴いてみてください。
2. Soulmate "Give Love"
Soulmateはインド北東部のメガラヤ州シロンを拠点に活動する2003年結成のベテランブルースロックバンド。
インド北東部はこのブログでも何度も紹介している通り、キリスト教信仰の影響もあって、かなり古い時代からロック等の欧米の音楽が受け入れられてきた。
このアルバムも彼ららしいハードなブルースが堪能できる作品で、とくに女性ヴォーカリストTipriti Kharbangarのソウルフルな歌い回しと、Rudy Wallangのツボを抑えたギタープレイ(チョーキングのトーンコントロールが素晴らしい)は絶品。
やはり2020年らしさは皆無なサウンドだが、この手の音楽の愛好家は世界中にいるはずなので、もっと多くの国で評価されてもいいはずだ。
3. Saby Singh "Yahaan"
これまで全くノーチェックだったカシミール出身のシク教徒のシンガー・ソングライター。
Rolling Stone Indiaの記事によると、前作の"Ouroboros"は実験的な電子音楽だったようだが(奇妙なことに、この作品は現在YouTubeでも音楽ストリーミングサービスでも聴くことができない)、今作はシンプルなギターの弾き語りとなっている。
こういう音楽は歌詞が分からないとしんどいが、深みと表現力のある歌声は聴きごたえがある。
ときに情感過多で演歌っぽい歌い回しになってしまうのは、シク/パンジャービーのルーツゆえか。
4. aswekeepsearching "sleep"
この作品が唯一、私が選んだ年間トップ10と重なっていた。
海外のレーベルからアルバムをリリースしたこともあるポストロックバンドによるアンビエント作品。
インド西部グジャラート州のアーメダーバード出身で、ベンガルールを拠点していると思っていたのだが、Rolling Stone Indiaによると、現在はムンバイで活動しているらしい。
Rolling Stone Indiaは、この作品の楽曲を「催眠術的(hypnotic)」("How I Suppose to Know")、「瞑想的(meditative)」("Let Us Try")、「平和的(peaceful)」("Sleep Again")、「未来的(futuristic)」("Glued")、「アコースティックギターが傑出(acoustic guitar prominence)」("Dreams are Real")、「憂鬱(melancholy)」("Sleep Now")と評している。
5. Lojal "Phase"
メガラヤ州シロンのMartin J. Haokipによるソロ・プロジェクト。
どこか近未来的なトラックにR&B的なコーラスやラップが乗る。
感情を抑えたヴォーカルは、雰囲気で聴かせるところもあるが、2020年のインドを感じさせるサウンドではある。
Frank Ocean, Bon Iver, Kanye Westの影響を受けているとのこと。
このランキングで「今っぽさ」を感じさせられるのは4位のaswekeepsearchingと、このLojalくらい。
6. The Earth Below "Nothing Works Vol. 2: Hymns for Useless Gods"
これまたノーチェックなアーティストだったが、ベンガルール出身で、ムンバイを拠点に活動しているドラマー兼ヴォーカリストのDeepak Raghuを中心としたバンドのようだ。
サウンドは90年代のグランジ/オルタナティブ・ヘヴィロックの影響を強く感じさせるもので、歪んだギターと憂鬱さを帯びたヴォーカルが虚無的な情熱とでも呼ぶべき感情を喚起する。
"Come to Me"のような曲のメロディーセンスもとても良い。
アルバムタイトルに"Vol.2"とあるが、"Vol.1"は検索してもどこにも見当たらないのが謎。
虚無感をテーマにした曲が多いようで、アルバムの副題からも、我々がよく知る信仰心に厚くバイタリティーあふれるインドとはかけ離れているが、これもまた現代のインドのリアル。
7. Serpents of Pakhangba "Serpents of Pakhangba"
おそらくこのランキング中最大の問題作がこのアルバムだろう。
ムンバイのマルチプレイヤーVishal J. Singh(プログレッシブ・メタルバンドAmogh Symphonyの中心人物としても有名)が率いるSerpents of Pakhangbaの音楽性は、単純に言えばやはりプログレということになるのだろうが、エキセントリックな女性ヴォーカル(伝統音楽に由来しているのか?)、メタル、ジャズ、アンビエント的なサウンドを内包した実験的なもので、なんとも形容し難い。
ものすごい作品のような気もするし、単にとっ散らかっているようにも聴こえるが、アルバム全体を通して異常な緊張感が張りつめており、演奏力も高くて飽きさせない。
バンド名はインドの蛇神ナーガの北東部マニプル州のメイテイ族に伝わる呼び名で、Vishal J. Singhのルーツにも関わっているようだ。
なんと彼らへのインタビューを日本語で紹介しているウェブサイトを見つけたので(さすが日本が誇るメタルマガジン'Burrn!')、詳しくはこちらを参照してほしい。
8. Swadesi "Chetavni"
Rolling Stone Indiaが2020年のヒップホップを代表する作品として選んだのがこの作品。
Swadesiはムンバイを拠点に活動する多言語ラッパー集団で、これまでも古典音楽/伝統音楽との融合などを試みつつ、さまざまな社会問題や政治問題を扱った作品をリリースしてきた。
今回は伝統音楽の要素はあまり入れずに、オールドスクールっぽいフロウのラップを聞かせてくれている。
サウンドや内面的な表現ではなく、社会的な要素を重視しての選出だったようで、そうなるとリリックが分からないのが非常にもどかしい。
意外なことにこの作品がデビューアルバム。
9. Girish And The Chronicles "Rock the Highway"
Girish And The Chroniclesは、インド北東部シッキム州出身のヘヴィーメタルバンド。
ヴォーカリストのGirish Pradhanは、Chris Adler (ex. Megadeth)らとのプロジェクトFirstBorurneでも知られている実力派。
これもまた2020年らしさの全くないヘヴィ・ロックンロールで、彼らが時代に関係なく、本当に好きな音楽を追求しているのだということが分かるサウンド。
13曲入りというのも聴きごたえがある。
アップテンポでもヘヴィなグルーヴを失わないリズムセクションと、確かな腕を持っているギタリストを擁していて、楽曲のクオリティーも高い(曲によっては、Sammy Hager在籍時のVan Halenを思わせる)。
35年前のアメリカでこの音を鳴らしていたら、世界的に評価されていたかもしれない。
10. Protocol "Friar’s Lantern"
ムンバイ出身のプログレッシブロックバンド。
これまた2020年らしからぬサウンドで、ヘヴィな要素もあるが、欧風のフォークミュージックっぽい雰囲気も濃厚。
女性ヴォーカリストの表現力がもう少しあると良いのだが…。
というわけで、全10枚を紹介してみました。
今年は例年になく70〜90年代風のヘヴィ・ロックが目立つ結果となった。
おそらくだが、インドのインディー・ミュージック界は、日本でいうとバンドブーム〜渋谷系の時代なのだろう。
何が言いたいのかというと、同時代的な表現や新しい音を追求することよりも、過去の音楽を咀嚼して、あるときはお手本に忠実に、またあるときはそれを自分なりのセンスで表現した音楽が好まれる傾向があるのではないか、ということだ。
もちろん彼らが単なるコピーだと言いたいわけではない。
Soulmateにしろ、Girish and the Chroniclesにしろ、Serpents of Pakhanbaにしろ、それぞれのジャンルの紛れもない「本物」だし、とくに英語詞での表現については、日本のアーティストよりもずっと「本場」に近いところにいる。
まあ、単に選者の好みなのかもしれないけれども。
いずれにしても、このサブスク全盛で、1曲が2分台の曲が多いこのご時世に、Thermal and a Quarter, Serpents of Pakhangba, Protocolのように1曲が6分以上あるようなアルバムを平気で選んでくるセンスは結構好きだ。
また、Soulmate, Lojal, Girish and the Chroniclesのような北東部のアーティストが目立っているのも印象的。
おそらくは評価基準の一つになっている「欧米的な音楽」をやらせたら、やはり一日の長がある地域なのだろう。
これまで知らなかった面白いアーティストも知れたし、なかなか興味深いランキングでした!
次回はRolling Stone Indiaが選ぶミュージックビデオTop10を紹介したいと思います。
あ、正月ということで、以前書いたガネーシャと正月をテーマにした落語も貼り付けておきます!
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goshimasayama18 at 19:42|Permalink│Comments(0)
2020年06月06日
ロックダウン中に発表されたインドの楽曲(その3) 驚異の「オンライン会議ミュージカル」ほか
先日、「ロックダウン中に発表されたインドの楽曲(その1)」と「その2」という記事を書いたが、その後もいろんなミュージシャンが、この未曾有の状況に音楽を通してメッセージを発信したり、今だからこそできる表現に挑戦したりしている。
今回は、さらなるロックダウンソングス(そんな言葉はないけど)を紹介します!
(面白いものを見つけたら、今後も随時追加してゆくつもり)
まず紹介したいのは、政治的・社会的なトピックを取り上げてきたムンバイのラップグループSwadesiによる"Mahamaari".
パンデミックへの対応に失敗したモディ政権への批判と、それでも政権に従わざるを得ない一般大衆についてラップしたものだという。
MC Mawaliのヴァースには「資本主義こそ本当のパンデミック」というリリックが含まれているようだ。
これまでも積極的に伝統音楽の要素を導入してきた彼ららしく、このトラックでも非常にインド的なメロディーのサビが印象的。
ムンバイのシンガーソングライターTejas Menonは、仲間のミュージシャンたちとロックダウン中ならではのオンライン会議をテーマにした「ロック・オペラ」を発表した。
これはすごいアイデア!
オンライン会議アプリを利用したライブや演劇は聞いたことがあるが、ミュージカルというのは世界的に見ても極めて珍しいんじゃないだろうか。
アーティスト活動をしながら在宅でオフィスワークをしている登場人物たちが、会議中に突然心のうちを発散させるという内容は、定職につきながら音楽活動に励むミュージシャンが多いインドのインディーシーンならではのもの。
この状況ならではのトピックを、若干の批評性をともなうエンターテインメントに昇華させるセンスには唸らされる。
恋人役として出演している美しい女性シンガーは、「その1」でも紹介したMaliだ。
アメリカのペンシルバニア大学出身のインド系アカペラグループ、Penn MasalaはJohn Mayerの"Waiting on the World to Change"と映画『きっと、うまくいく』("3 Idiots")の挿入歌"Give Me Some Sunshine"のカバー曲をオンライン上のコラボレーションで披露。
しばらく見なかったうちになんかメンバーが増えているような気がする…。
(追記:詳しい方に伺ったところ、Penn Masalaはペンシルバニア大学に在籍している学生たちで結成されているため、卒業や入学にともなって、メンバーが脱退・加入する仕組みになっているとのこと。歌の上手い南アジア系の人って、たくさんいるんだなあ)
以前このブログでも取り上げたグジャラート州アーメダーバード出身のポストロックバンドAswekeepsearchingは、アンビエントアルバム"Sleep"を発表。
以前の記事で紹介したアルバム"Zia"に続く"Rooh"がロック色の強い作品だったが、今回はうって変わって静謐な音像の作品となっている。
制作自体はロックダウン以前に行われていたそうだが、家の中で穏やかに過ごすのにぴったりのアルバムとなっている。
音色ひとつひとつの美しさや存在感はあいかわらず素晴らしく、夜ランニングしながらイヤホンで聴いていたら、まったく激しさのない音楽にもかかわらず脳内麻薬が分泌されまくった。
ムンバイのヒップホップシーンの兄貴的存在であるDivineのレーベル'Gully Gang'からは、コロナウイルスの蔓延が報じられたインド最大のスラム、ダラヴィ出身のラッパーたち(MC Altaf, 7Bantaiz, Dopeadelicz)による"Stay Home Stay Safe"がリリースされた。
このタイトルは、奇しくも「その1」で紹介したやはりムンバイのベテランラッパーAceによる楽曲と同じものだが、いずれも同胞たちに向けて率直にメッセージを届けたいという気持ちがそのまま現れた結果なのだろう。
アクチュアルな社会問題に対して、即座に音楽を通したメッセージを発表するインドのラッパーたちの姿勢からは、学ぶべきところが多いように思う。
タミル系が多いダラヴィの住民に向けたメッセージだからか、最後のヴァースをラップするDopeadeliczのStony Psykoはタミル語でラップしており、ムンバイらしいマルチリンガル・ラップとなっている。
ムンバイのヒップホップシーンからもう1曲。
昨年リリースしたファーストアルバム"O"が高い評価を受けたムンバイのラッパーTienasは、早くもセカンドアルバムの"Season Pass"を発表。
彼が「ディストピア的悪夢」と呼ぶ社会的かつ内省的なリリックは、コロナウイルスによるロックダウン下の状況にふさわしい内容のものだ。
この"Fubu"は、歪んだトラックに、オールドスクールっぽいラップが乗るTienasの新しいスタイルを示したもの。
トラックはGhzi Purなる人物によるもので、リリックには、かつてAzadi Recordsに所属していた名トラックメーカーSez on the Beatへの訣別とも取れる'I made it without Sez Beat, Bitch'というラインも含まれている。
直後に'I don't do beef'(争うつもりはない)というリリックが来るが、その真意はいかに。
今作も非常に聞き応えがあり、インドの音楽情報サイトWild Cityでは「Kendrick LamarやVince Staples, Nujabesが好きなら、間違いなく気にいる作品」と評されている。
ムンバイのエレクトロニック系トラックメーカーMalfnktionは、地元民に捧げる曲として"Rani"を発表。
いかにもスマホで取り急ぎ撮影したような縦長画面の動画にDIY感覚を感じる。
世界的にも厳しい状況が続きそうですが、インドの音楽シーンからはまだまだこの時期ならではの面白い作品が出てきそうな予感。
引き続き、注目作を紹介してゆきたいと思います!
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2019年10月19日
Gully Boy -Indian HipHop Night- でこんな話をしてきました!
10月15日に、ディスクユニオン新宿のスペースduesにて、"Gully Boy -Indian HipHop Night"に出演してきました。
このイベントは、インド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』(18日から公開中!)の楽曲や、映画の舞台となったムンバイのヒップホップシーンを紹介するというもの。
不肖軽刈田、今回は日本におけるワールドミュージックの批評/紹介の第一人者で、クラブDJ、ラジオDJとしても活躍されているサラーム海上さん(昨今は中東料理研究もすごい!)、ムンバイで古典舞踊カタックのダンサーとしてする活動かたわらシンガーとして現地のラッパーと楽曲をリリースした経験を持つSarah Hirokoさんという超強力なお二人とともに、思う存分語らせてもらいました。
会場はなんと満員札止め!
ほとんどの方に立ち見でご覧いただき、なんだか申し訳なかったですが、大勢の方にお越しいただけて本当に感謝です。
今回は、お越しいただけなかった方のために、ここで改めて当日プレイした曲を紹介しつつ、お話しした内容や、準備していたけど時間の都合で話せなかった内容を紹介したいと思います!
いちばん初めに紹介したのは『ガリーボーイ』を象徴するこの曲、"Apna Time Aayega"
まずHirokoさんから、曲のタイトル"Apna Time Aayega"の意味「俺の時代が来る」について説明。
映画の舞台となったのはムンバイ最大のスラム、ダラヴィ。
このイベントは、インド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』(18日から公開中!)の楽曲や、映画の舞台となったムンバイのヒップホップシーンを紹介するというもの。
不肖軽刈田、今回は日本におけるワールドミュージックの批評/紹介の第一人者で、クラブDJ、ラジオDJとしても活躍されているサラーム海上さん(昨今は中東料理研究もすごい!)、ムンバイで古典舞踊カタックのダンサーとしてする活動かたわらシンガーとして現地のラッパーと楽曲をリリースした経験を持つSarah Hirokoさんという超強力なお二人とともに、思う存分語らせてもらいました。
会場はなんと満員札止め!
ほとんどの方に立ち見でご覧いただき、なんだか申し訳なかったですが、大勢の方にお越しいただけて本当に感謝です。
今回は、お越しいただけなかった方のために、ここで改めて当日プレイした曲を紹介しつつ、お話しした内容や、準備していたけど時間の都合で話せなかった内容を紹介したいと思います!
いちばん初めに紹介したのは『ガリーボーイ』を象徴するこの曲、"Apna Time Aayega"
まずHirokoさんから、曲のタイトル"Apna Time Aayega"の意味「俺の時代が来る」について説明。
映画の舞台となったのはムンバイ最大のスラム、ダラヴィ。
貧困や抑圧のなかで暮らしていた若者たちは、ヒップホップに出会ったことで、自分たちの気持ちをリリックに乗せて、音楽として発信できるようになった。
まだまだ音楽だけで生きてゆくのは難しい。
まだまだ音楽だけで生きてゆくのは難しい。
それでも、差別され、見下されてきた彼らが、ラップを通してリアルな感情を世の中に発表できるようになったことは大きな変化だ。
ラップのスキルとセンスさえあれば、賞賛され、憧れられることすらあるようになったこの現在こそ、彼らが「俺の時代が来ている!」と胸を張って言える状況なのだ。
ヒップホップは、スラムの若者たちにとってただの音楽以上の大きな意味を持っている。
ダラヴィでヒップホップの人気が高まってきたのは2010年頃から。
スマホの普及により、スラムの若者たちもインターネット経由で気軽に海外の音楽が聴けるようになった。
アメリカのヒップホップに出会った彼らは、自分たちと同じように差別や貧困のもとで生きるラッパーたちのクールな表現に憧れと親近感を感じ、そして自らもラップやブレイクダンスを始めた。
こうしたストリートから生まれた、インドではまだ新しいカルチャーを扱った映画が、この『ガリーボーイ』というわけだ。
『ガリーボーイ』が公開されると、それまでアンダーグラウンドな存在だったインドのストリートラッパーたちは、爆発的な注目を集めるようになった。
"Apna Time Aayega"「俺の時代が来ている」という言葉は、映画の主人公ムラドだけでなく、インドのストリートラッパー一人一人の言葉にもなったのだ。
続いて紹介したのは"Asli HipHop".
タイトルの意味は「リアルなヒップホップ」。
ラップにおいて重要なのは、スキル、言葉のセンス、そして自分自身に正直であること。
楽器もお金も必要のないヒップホップは、スラムの若者たちにぴったりの表現方法だった。
サビでは、「インドにリアルなヒップホップを届けるぜ」という言葉が繰り返される。
ここで、Hirokoさんにムンバイから持って来てもらったムンバイのラッパーたちの写真、そして、ラッパーやトラックメーカーたちからのビデオメッセージが披露された。
ラッパーたちの背後に、いかにもヒップホップらしいグラフィティも見ることができる。
ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJというヒップホップを構成する4つのアートフォームのうち、唯一インドのシーンで広く普及しなかったのがDJだ。
高価なターンテーブルや、インドでは一般的に普及していないレコード盤を必要とするDJの代わりに、インドのシーンで発展したのが、この"Asli Hip Hop"でも聴くことができるヒューマンビートボックスだ。
ダラヴィには、なんと放課後に無料でビートボクシングを教えるスクールもあるという。
現地のアーティストからのビデオメッセージでは、『ガリーボーイ』を通してインドのヒップホップが日本に広まることを喜ぶ声だけでなく、ヒンディー語のラップや、トラックメーカーのKaran Kanchanによる日本文化への愛などが披露された。(彼は吉田兄弟、和楽器バンド、Daoko、Babymetalらの日本のアーティストのファンだとのことで、彼は自身の名義ではJ-Trapなる日本風のトラップミュージックを作っている)
ところで、この"Asli Hip Hop"が「リアルな」ヒップホップであることを強調していることには理由がある。
ストリート発のヒップホップがインドに生まれる前から、流行に目ざとい映画音楽にはラップが導入されていた。
パンジャーブ州の伝統音楽「バングラー」に現代的なダンスビートを融合させた「バングラー・ビート」は、21世紀のインドの音楽シーンのメインストリームとなり、ラップ風ヴォーカルと融合して量産された。
というわけで、続いて紹介したのは、ストリートの「リアルなヒップホップ」ではないインドのエンターテインメント・ラップミュージック。
今回サラームさんに選曲していただいたのは、2016年に公開された映画"Baar Baar Dekho"から"Kala Chashma"
印象的な高音部のフレーズはバングラーで使われるトゥンビという伝統楽器によるもの。
歌っているのは、ボリウッド系パンジャービーラッパーの代表格のBadshahだ。
彼やYo Yo Honey Singhらのボリウッド・ラッパーたちは、ストリート系ラッパーたちから、無内容で享楽的な姿勢を批判されることも多く、最近は『ガリーボーイ』にも出演しているストリート・ラッパーEmiway BantaiとボリウッドラッパーRaftaarの間の「ビーフ」(ラップを通じてのお互いへの批判合戦)も話題となった。
ここでサラームさんから、「インドには様々なリズムがあるが、現代的なダンスミュージックの四つ打ちと合うのはバングラーだけ」というコメント。
DJでもあるサラームさんならではのこの指摘には大いに唸らされた。
とにかく、これがインドのストリートラップ誕生以前のラップミュージックというわけ。
続いて、典型的ボリウッドラップをもう1曲。
2005年の映画"Bluffmaster"から、"Right Here, Right Now".
サラームさんから、90年代のアメリカのヒップホップのビデオのインド風翻案であると紹介があったが、確かにそんな感じ!
ラップしているのはボリウッドの伝説的名優アミターブ・バッチャンの息子で同じく俳優のアビシェーク・バッチャン。
『ガリーボーイ』のランヴィール・シン同様に俳優自身がラップしている珍しいパターンで、ラップはヘタウマだがさすがに良い声をしている。
本来、こうしたヒップホップ特有の「金・女・パーティー!」といった世界観は、貧しい出自のラッパーたちが、音楽を通して成り上がったことを誇って始まったものだが、ラップしているアビシェークは二世俳優。
「お前は生まれた時から金持ちだろうが!」とつっこみたくなるが、 これも民衆の憧れとしてのボリウッド的な表現のひとつではある。
インドのストリート出身のラッパーたちは、リリックやビデオでもリアルさにこだわっており、こうした享楽的なボリウッドラップとは対照的な姿勢を見せている。
『ガリーボーイ』のなかにも、ムラドがボリウッド風の派手なラップはヒップホップではないと否定する場面が出てくるが、その背景にはこうした対照的な2つのラップシーンの存在があるのだ。
『ガリーボーイ』には、主人公たちのモデルとなったラッパーが存在する。
主人公ムラドのモデルとなったのはNaezy, ムラドの兄貴分MCシェールのモデルとなったのがDivineだ。
NaezyとDivineが共演した楽曲で、ガリーラップのクラシック"Mere Gully Mein"は、ガリーボーイでもリメイクされ大々的にフィーチャーされている。
ランヴィールはNaezyのパートをほぼ完コピ。
シッダーント・チャトゥルヴェーディ演じるMCシェールのラップはDivine本人が吹き替えている。
ここでHirokoさんから、ラップで使われるヒンディー語には、スラングやマラーティー語(ムンバイがあるマハーラーシュトラ州の言語)などの別の言語も使われており、さらにはフロウを心地よくするための文法破格も頻繁に行われているという説明。
シンプルなビートだが、言葉がわからなくても確かなスキルとフロウのセンスが感じられる一曲。
彼はこの曲を、家族からプレゼントされたiPadだけで作り上げた。
iPadでビートをダウンロードし、そこにラップを乗せ、さらには近所でこのミュージックビデオを撮影してYouTubeにアップすると、「凄いラッパーがいる」とたちまち話題になった。
(『ガリーボーイ』にもこのエピソードから着想を得たと思われるシーンがある)
ゾーヤー・アクタル監督は、このビデオで彼のことを知り、会いにいったところ、少し話を聞くだけの予定がすっかり話し込んでしまい、この映画を作るインスピレーションを受けたというから、この"Aafat!"がなければ、『ガリーボーイ』という映画もなかったかもしれない。
プロデュースは、ビデオメッセージも寄せてくれたKaran Kanchan.
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ヒップホップは、スラムの若者たちにとってただの音楽以上の大きな意味を持っている。
ダラヴィでヒップホップの人気が高まってきたのは2010年頃から。
スマホの普及により、スラムの若者たちもインターネット経由で気軽に海外の音楽が聴けるようになった。
アメリカのヒップホップに出会った彼らは、自分たちと同じように差別や貧困のもとで生きるラッパーたちのクールな表現に憧れと親近感を感じ、そして自らもラップやブレイクダンスを始めた。
こうしたストリートから生まれた、インドではまだ新しいカルチャーを扱った映画が、この『ガリーボーイ』というわけだ。
ヒップホップというと、アメリカの黒人文化(もしくは不良文化)という印象が強いかもしれないが、その本質は抑圧された若者たちが自分自身やコミュニティの誇りを取り戻し、自分のコトバを発信するという、とても普遍的なものだ。
『ガリーボーイ』が公開されると、それまでアンダーグラウンドな存在だったインドのストリートラッパーたちは、爆発的な注目を集めるようになった。
"Apna Time Aayega"「俺の時代が来ている」という言葉は、映画の主人公ムラドだけでなく、インドのストリートラッパー一人一人の言葉にもなったのだ。
続いて紹介したのは"Asli HipHop".
タイトルの意味は「リアルなヒップホップ」。
ラップにおいて重要なのは、スキル、言葉のセンス、そして自分自身に正直であること。
楽器もお金も必要のないヒップホップは、スラムの若者たちにぴったりの表現方法だった。
サビでは、「インドにリアルなヒップホップを届けるぜ」という言葉が繰り返される。
ここで、Hirokoさんにムンバイから持って来てもらったムンバイのラッパーたちの写真、そして、ラッパーやトラックメーカーたちからのビデオメッセージが披露された。
ラッパーたちの背後に、いかにもヒップホップらしいグラフィティも見ることができる。
ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJというヒップホップを構成する4つのアートフォームのうち、唯一インドのシーンで広く普及しなかったのがDJだ。
高価なターンテーブルや、インドでは一般的に普及していないレコード盤を必要とするDJの代わりに、インドのシーンで発展したのが、この"Asli Hip Hop"でも聴くことができるヒューマンビートボックスだ。
ダラヴィには、なんと放課後に無料でビートボクシングを教えるスクールもあるという。
現地のアーティストからのビデオメッセージでは、『ガリーボーイ』を通してインドのヒップホップが日本に広まることを喜ぶ声だけでなく、ヒンディー語のラップや、トラックメーカーのKaran Kanchanによる日本文化への愛などが披露された。(彼は吉田兄弟、和楽器バンド、Daoko、Babymetalらの日本のアーティストのファンだとのことで、彼は自身の名義ではJ-Trapなる日本風のトラップミュージックを作っている)
ところで、この"Asli Hip Hop"が「リアルな」ヒップホップであることを強調していることには理由がある。
ストリート発のヒップホップがインドに生まれる前から、流行に目ざとい映画音楽にはラップが導入されていた。
パンジャーブ州の伝統音楽「バングラー」に現代的なダンスビートを融合させた「バングラー・ビート」は、21世紀のインドの音楽シーンのメインストリームとなり、ラップ風ヴォーカルと融合して量産された。
というわけで、続いて紹介したのは、ストリートの「リアルなヒップホップ」ではないインドのエンターテインメント・ラップミュージック。
今回サラームさんに選曲していただいたのは、2016年に公開された映画"Baar Baar Dekho"から"Kala Chashma"
印象的な高音部のフレーズはバングラーで使われるトゥンビという伝統楽器によるもの。
歌っているのは、ボリウッド系パンジャービーラッパーの代表格のBadshahだ。
彼やYo Yo Honey Singhらのボリウッド・ラッパーたちは、ストリート系ラッパーたちから、無内容で享楽的な姿勢を批判されることも多く、最近は『ガリーボーイ』にも出演しているストリート・ラッパーEmiway BantaiとボリウッドラッパーRaftaarの間の「ビーフ」(ラップを通じてのお互いへの批判合戦)も話題となった。
ここでサラームさんから、「インドには様々なリズムがあるが、現代的なダンスミュージックの四つ打ちと合うのはバングラーだけ」というコメント。
DJでもあるサラームさんならではのこの指摘には大いに唸らされた。
とにかく、これがインドのストリートラップ誕生以前のラップミュージックというわけ。
続いて、典型的ボリウッドラップをもう1曲。
2005年の映画"Bluffmaster"から、"Right Here, Right Now".
サラームさんから、90年代のアメリカのヒップホップのビデオのインド風翻案であると紹介があったが、確かにそんな感じ!
ラップしているのはボリウッドの伝説的名優アミターブ・バッチャンの息子で同じく俳優のアビシェーク・バッチャン。
『ガリーボーイ』のランヴィール・シン同様に俳優自身がラップしている珍しいパターンで、ラップはヘタウマだがさすがに良い声をしている。
本来、こうしたヒップホップ特有の「金・女・パーティー!」といった世界観は、貧しい出自のラッパーたちが、音楽を通して成り上がったことを誇って始まったものだが、ラップしているアビシェークは二世俳優。
「お前は生まれた時から金持ちだろうが!」とつっこみたくなるが、 これも民衆の憧れとしてのボリウッド的な表現のひとつではある。
インドのストリート出身のラッパーたちは、リリックやビデオでもリアルさにこだわっており、こうした享楽的なボリウッドラップとは対照的な姿勢を見せている。
『ガリーボーイ』のなかにも、ムラドがボリウッド風の派手なラップはヒップホップではないと否定する場面が出てくるが、その背景にはこうした対照的な2つのラップシーンの存在があるのだ。
『ガリーボーイ』には、主人公たちのモデルとなったラッパーが存在する。
主人公ムラドのモデルとなったのはNaezy, ムラドの兄貴分MCシェールのモデルとなったのがDivineだ。
NaezyとDivineが共演した楽曲で、ガリーラップのクラシック"Mere Gully Mein"は、ガリーボーイでもリメイクされ大々的にフィーチャーされている。
ランヴィールはNaezyのパートをほぼ完コピ。
シッダーント・チャトゥルヴェーディ演じるMCシェールのラップはDivine本人が吹き替えている。
ここでHirokoさんから、ラップで使われるヒンディー語には、スラングやマラーティー語(ムンバイがあるマハーラーシュトラ州の言語)などの別の言語も使われており、さらにはフロウを心地よくするための文法破格も頻繁に行われているという説明。
映画に使われた楽曲のリリックについては、このブログで次号から麻田豊さん、餡子さん、ナツメさんの3人が手がけた邦訳を掲載する予定なのでお楽しみに!
映画のタイトルにも使われている"Gully"という単語は、スラムにあるような細い路地を表す言葉で、"Mere Gully Mein"は「俺の路地で」という意味だ。
この"Gully"は、Divineが英語の「ストリート」と同じような意味合いで多用したことで、インドのヒップホップシーンでよく使われるようになった。
ムラドのモデルとなったNaezyが注目を集めるきっかけとなった曲が、この2014年にリリースされた"Aafat!"だ。
映画のタイトルにも使われている"Gully"という単語は、スラムにあるような細い路地を表す言葉で、"Mere Gully Mein"は「俺の路地で」という意味だ。
この"Gully"は、Divineが英語の「ストリート」と同じような意味合いで多用したことで、インドのヒップホップシーンでよく使われるようになった。
ムラドのモデルとなったNaezyが注目を集めるきっかけとなった曲が、この2014年にリリースされた"Aafat!"だ。
シンプルなビートだが、言葉がわからなくても確かなスキルとフロウのセンスが感じられる一曲。
彼はこの曲を、家族からプレゼントされたiPadだけで作り上げた。
iPadでビートをダウンロードし、そこにラップを乗せ、さらには近所でこのミュージックビデオを撮影してYouTubeにアップすると、「凄いラッパーがいる」とたちまち話題になった。
(『ガリーボーイ』にもこのエピソードから着想を得たと思われるシーンがある)
ゾーヤー・アクタル監督は、このビデオで彼のことを知り、会いにいったところ、少し話を聞くだけの予定がすっかり話し込んでしまい、この映画を作るインスピレーションを受けたというから、この"Aafat!"がなければ、『ガリーボーイ』という映画もなかったかもしれない。
Naezyが初めてラップに出会ったのはSean Paulのダンスホールレゲエだったそうだ。
真似してラップをしてみたところ、思いのほか上手くでき、友達や女の子たちにも注目を浴びることができて、ラップに興味を持ったという。
出身は、実際はダラヴィではなくKurla Eastという地区の、やはりスラムのような一角だった。("Aafat!"のミュージックビデオを見れば雰囲気が分かるだろう)
10代のころの彼は、悪友たちと盗みや破壊行為を繰り返す不良少年で、あるときとうとう留置所に入れられることになってしまった。
父親は海外に出稼ぎ中。
取り乱した母親を見た彼は、こんな生活をしていてはいずれ取り返しのつかないことになってしまうと悟る。
取り乱した母親を見た彼は、こんな生活をしていてはいずれ取り返しのつかないことになってしまうと悟る。
それ以来、彼は部屋にこもって自分のリリックを書き始めるようになった。
ラッパーNaezyの誕生だ。
ミュージックビデオではいかにもラッパー然としたNaezyだが、サングラスをかけているのは目を見られるのが恥ずかしいからだそうで、素顔はシャイで内省的な青年なのだ。
『ガリーボーイ』でランヴィール・シンが演じたムラドは、ラッパーにしてはかなり内気なキャラクターだが、これはモデルとなったNaezyのこうした性格を反映したものと思われる。
(ヒップホップが一般的でないインドでギャングスタ的なラッパー像を演じても支持が得られないということもあると思うが)
続いて同じくNaezyか今年8月にリリースした"Rukta Nah".
プロデュースは、ビデオメッセージも寄せてくれたKaran Kanchan.
この曲では、世界的なトレンドを意識してトラップっぽいサウンドを聴かせてくれている。
じつはNaezyは、ちょうど『ガリーボーイ』製作中の2018年の一年間、音楽活動を休止していた。
彼はムスリムの家族のもとに生まれており、父親がラップは「非イスラーム的である」と判断したためだ。
映画のモデルになるほどの人気ラッパーでも、まだまだ家族や伝統やコミュニティの価値観との葛藤に悩む実態があるのだ。
今では、父親も「ラップはイスラームの伝統的な詩と通じるもの」という理解を示すようになり、無事音楽活動を続けることができるようになったという。
Naezy自身も、この曲ではサングラスを外した姿でラップを披露し、パフォーマーとしての成長を見せてくれている。
続いてはMCシェールのモデルになったインドのヒップホップ界の兄貴的存在、Divineを紹介!
続いてはMCシェールのモデルになったインドのヒップホップ界の兄貴的存在、Divineを紹介!
2013年にリリースされた楽曲"Yeh Mera Bombay".
初期ガリーラップのアンセムだ。
Divineも実際はダラヴィの出身ではないのだが、彼の地元Andheri East地区のJ.B. Nagarという地区も、スラムというかかなり下町っぽい場所のようだ。
「これが俺のボンベイ」という意味のこの曲のビデオに出てくるのは、高層ビルでも高級住宅街でもなく、リクシャーワーラー(三輪タクシーの運転手)や路上の床屋、荷車を引く労働者たちのようなガリーに生きる人々。
まさに、地元をレペゼンするヒップホップなのである。
Divineの本名はVivian Fernandes.
映画のMCシェール(本名Srikanth)は名前からするとヒンドゥーという設定のようだが、モデルとなったDivineはクリスチャンだ。
彼は母子家庭で育った不良少年だったが、教会では敬虔に祈ることからDivineというラッパーネームを名乗ることになった。
友人がニューヨーク出身のラッパー50CentのTシャツを着ていたことからヒップホップに興味を持った彼は、インターネットで調べて、アメリカのラッパーたちが自分と同じような環境に生まれ育ったことを知り、自身もラッパーを志す。
映画を見れば、Divineの持つ兄貴っぽい雰囲気を、シッダーント・チャトゥルヴェーディがかなりリアルに再現していることが分かるだろう。
映画でのムラド(ムスリム)とシェール(ヒンドゥー)のコラボレーションのように、インドのヒップホップシーンでは様々なバックグラウンドのアーティストによる共演がごくふつうに行われている。
Divine曰く「Gullyは特別な場所。ヒンドゥーもムスリムもクリスチャンもいるが、Gullyこそがみんなが信じている宗教だ。国は豊かになっても俺たちの生活は変わらない。だからこそ俺たちの声を聞いてほしい」
ヒップホップこそがその声となったのだ。
Divineの"Yeh Mera Bombay"でもインドっぽいトラックが使われていたが、インドのヒップホップでは、古典音楽や古典のリズムとの融合が頻繁に行われている。
『ガリーボーイ』のサウンドトラックでは、この"India 91"がまさにそうした楽曲にあたる。
"91"はインドを表す国番号だ。
この曲のもとになったのは、南インドの伝統音楽カルナーティックのパーカッショニストであるViveick RajagopalanとラップユニットのSwadesiが共演した"Ta Dhom"というプロジェクトだ。
サラームさんからの紹介によると、ViveickがSwadesiのラッパーたちに古典のリズムを教えたところ、彼らもこの古くて(ヒップホップにとっては)新しいリズムに非常に興味を持ち、このプロジェクトに発展したとのこと。
"India 91"のミュージックビデオにはムンバイを中心とする実際のラッパーたちがカメオ出演しているが、餡子さんが登場する全ラッパーを調べ上げて紹介したこの記事「India 91 ラッパーを探せ!」は圧巻!
ヒンディー、マラーティー、グジャラーティー、パンジャービーという4つの言語でラップされるこの曲は、古典から現代までという縦軸と、地域や言語という横軸の二つの意味でインドの多様性を象徴する一曲だ。
続いて古典のリズムとラップの融合をもう1曲。
プネー出身だが現在はイギリスで活躍するパーカッショニストSarathy Korwarの"Mumbay".
この曲にもSwadesiのMC Mawaliが参加している。
インドの古典音楽には5拍子などの奇数拍のものもあり、この楽曲は7拍子の古典のリズムにジャズとラップを融合したもの。
冒頭に"Apna Time Aayega"のTシャツも登場する。
彼のように海外に拠点を移して活躍するアーティストが、インドのシーンの発展に刺激を受けて母国のラッパーたちと共演する機会も増えてきている。
(Sarathy Korwarについてはこちらの記事で詳しく紹介している。「Sarathy Korwarの"More Arriving"はとんでもない傑作なのかもしれない」)
北インドの古典音楽には、Bolという口でリズムを取るラップのような伝統があり(南インドにもよく似たKonnakkolというものがある)、ここでカタックダンサーでもあるHirokoさんがカタックのBolの実演を披露。
インド伝統文化の詩やリズムへのこだわり、そしてダンス好きで口が達者な国民性を考えると、インドにヒップホップが根づくのは必然のような気すらしてくる。
インドの古典のリズムとヒップホップの融合は、他にはインド系アメリカ人ラッパーのRaja Kumariなども取り組んでおり、インドのヒップホップの特徴のひとつになっている。
"India 91"がサウンドトラックに取り入れられたのは、そうした潮流への目配りを表していると言えるだろう。
続いては、Hirokoさんが地元ムンバイのラッパーたちと共演した『ミスティック情熱』を紹介。
インドのヒップホップシーンではまだ珍しいChill Hop/Jazzy HipHop的なビートに、ムンバイのラッパーIbexの日本語ラップ(!)とHirokoさんの歌をフィーチャーした唯一無二の楽曲。
アニメ『サムライチャンプルー』の音楽を手がけた故Nujabesを通してChill Hopのサウンドは世界中に広まり、このジャンルはアニメなどの日本のカルチャーとの親和性の高いものとして受け入れられている。
この曲でHirokoさんがコラボレーションしたラッパーのIbexやビートメーカーのKushmirも日本のアニメに大きく影響を受けているという。
Hirokoさんからはミュージックビデオ制作の苦労話など、インドでの音楽活動の興味深いエピソードを聞かせてもらうことができた。
(このコラボレーションについては、この記事で詳しく紹介している。「日本とインドのアーティストによる驚愕のコラボレーション "Mystic Jounetsu"って何だ?」)
続いては、Hirokoさんがムンバイのスラムで子ども達への教育支援活動に協力しているという話題から、ダラヴィで無料のヒップホップダンス教室を開いているSlumgodsを紹介。
彼らはダラヴィが舞台となり世界的に大ヒットした映画"Slumdog Millionaire"のイメージに反発し、「俺たちは犬じゃない」とSlumgodsというクルーを結成、子ども達にダンスを通して自分たちへの誇りを持ってもらうための活動を続けている。
『ガリーボーイ』ではラップに焦点があてられているが、ダラヴィではヒップホップといえばダンスも広く受け入れられている。
ラップにしろダンスにしろ、体一つでクールな自己表現ができるヒップホップは、スラムで生きる人々にぴったりの表現手段なのだ。
続いてHirokoさんが支援活動を行うワダラ地区の子どもがラップするなんともかわいらしい映像が流された。
実際にこの街でHirokoさんたちが支援していた若者の一人は、つい先日ラップのミュージックビデオをリリース。この映像の1分20秒ぐらいからその楽曲が始まる。
Hirokoさんによると、ダラヴィはムンバイのスラムのなかでは、過酷な環境とはいえまだましなほうで(例えば識字率は7割ほどに達し、これはインドのスラムではもっとも高い)、他のスラムの人々はさらに厳しい生活を強いられている。
初期ガリーラップのアンセムだ。
Divineも実際はダラヴィの出身ではないのだが、彼の地元Andheri East地区のJ.B. Nagarという地区も、スラムというかかなり下町っぽい場所のようだ。
「これが俺のボンベイ」という意味のこの曲のビデオに出てくるのは、高層ビルでも高級住宅街でもなく、リクシャーワーラー(三輪タクシーの運転手)や路上の床屋、荷車を引く労働者たちのようなガリーに生きる人々。
まさに、地元をレペゼンするヒップホップなのである。
Divineの本名はVivian Fernandes.
映画のMCシェール(本名Srikanth)は名前からするとヒンドゥーという設定のようだが、モデルとなったDivineはクリスチャンだ。
彼は母子家庭で育った不良少年だったが、教会では敬虔に祈ることからDivineというラッパーネームを名乗ることになった。
友人がニューヨーク出身のラッパー50CentのTシャツを着ていたことからヒップホップに興味を持った彼は、インターネットで調べて、アメリカのラッパーたちが自分と同じような環境に生まれ育ったことを知り、自身もラッパーを志す。
映画を見れば、Divineの持つ兄貴っぽい雰囲気を、シッダーント・チャトゥルヴェーディがかなりリアルに再現していることが分かるだろう。
映画でのムラド(ムスリム)とシェール(ヒンドゥー)のコラボレーションのように、インドのヒップホップシーンでは様々なバックグラウンドのアーティストによる共演がごくふつうに行われている。
Divine曰く「Gullyは特別な場所。ヒンドゥーもムスリムもクリスチャンもいるが、Gullyこそがみんなが信じている宗教だ。国は豊かになっても俺たちの生活は変わらない。だからこそ俺たちの声を聞いてほしい」
ヒップホップこそがその声となったのだ。
Divineの"Yeh Mera Bombay"でもインドっぽいトラックが使われていたが、インドのヒップホップでは、古典音楽や古典のリズムとの融合が頻繁に行われている。
『ガリーボーイ』のサウンドトラックでは、この"India 91"がまさにそうした楽曲にあたる。
"91"はインドを表す国番号だ。
この曲のもとになったのは、南インドの伝統音楽カルナーティックのパーカッショニストであるViveick RajagopalanとラップユニットのSwadesiが共演した"Ta Dhom"というプロジェクトだ。
サラームさんからの紹介によると、ViveickがSwadesiのラッパーたちに古典のリズムを教えたところ、彼らもこの古くて(ヒップホップにとっては)新しいリズムに非常に興味を持ち、このプロジェクトに発展したとのこと。
"India 91"のミュージックビデオにはムンバイを中心とする実際のラッパーたちがカメオ出演しているが、餡子さんが登場する全ラッパーを調べ上げて紹介したこの記事「India 91 ラッパーを探せ!」は圧巻!
ヒンディー、マラーティー、グジャラーティー、パンジャービーという4つの言語でラップされるこの曲は、古典から現代までという縦軸と、地域や言語という横軸の二つの意味でインドの多様性を象徴する一曲だ。
続いて古典のリズムとラップの融合をもう1曲。
プネー出身だが現在はイギリスで活躍するパーカッショニストSarathy Korwarの"Mumbay".
この曲にもSwadesiのMC Mawaliが参加している。
インドの古典音楽には5拍子などの奇数拍のものもあり、この楽曲は7拍子の古典のリズムにジャズとラップを融合したもの。
冒頭に"Apna Time Aayega"のTシャツも登場する。
彼のように海外に拠点を移して活躍するアーティストが、インドのシーンの発展に刺激を受けて母国のラッパーたちと共演する機会も増えてきている。
(Sarathy Korwarについてはこちらの記事で詳しく紹介している。「Sarathy Korwarの"More Arriving"はとんでもない傑作なのかもしれない」)
北インドの古典音楽には、Bolという口でリズムを取るラップのような伝統があり(南インドにもよく似たKonnakkolというものがある)、ここでカタックダンサーでもあるHirokoさんがカタックのBolの実演を披露。
インド伝統文化の詩やリズムへのこだわり、そしてダンス好きで口が達者な国民性を考えると、インドにヒップホップが根づくのは必然のような気すらしてくる。
インドの古典のリズムとヒップホップの融合は、他にはインド系アメリカ人ラッパーのRaja Kumariなども取り組んでおり、インドのヒップホップの特徴のひとつになっている。
"India 91"がサウンドトラックに取り入れられたのは、そうした潮流への目配りを表していると言えるだろう。
続いては、Hirokoさんが地元ムンバイのラッパーたちと共演した『ミスティック情熱』を紹介。
インドのヒップホップシーンではまだ珍しいChill Hop/Jazzy HipHop的なビートに、ムンバイのラッパーIbexの日本語ラップ(!)とHirokoさんの歌をフィーチャーした唯一無二の楽曲。
アニメ『サムライチャンプルー』の音楽を手がけた故Nujabesを通してChill Hopのサウンドは世界中に広まり、このジャンルはアニメなどの日本のカルチャーとの親和性の高いものとして受け入れられている。
この曲でHirokoさんがコラボレーションしたラッパーのIbexやビートメーカーのKushmirも日本のアニメに大きく影響を受けているという。
Hirokoさんからはミュージックビデオ制作の苦労話など、インドでの音楽活動の興味深いエピソードを聞かせてもらうことができた。
(このコラボレーションについては、この記事で詳しく紹介している。「日本とインドのアーティストによる驚愕のコラボレーション "Mystic Jounetsu"って何だ?」)
続いては、Hirokoさんがムンバイのスラムで子ども達への教育支援活動に協力しているという話題から、ダラヴィで無料のヒップホップダンス教室を開いているSlumgodsを紹介。
彼らはダラヴィが舞台となり世界的に大ヒットした映画"Slumdog Millionaire"のイメージに反発し、「俺たちは犬じゃない」とSlumgodsというクルーを結成、子ども達にダンスを通して自分たちへの誇りを持ってもらうための活動を続けている。
『ガリーボーイ』ではラップに焦点があてられているが、ダラヴィではヒップホップといえばダンスも広く受け入れられている。
ラップにしろダンスにしろ、体一つでクールな自己表現ができるヒップホップは、スラムで生きる人々にぴったりの表現手段なのだ。
続いてHirokoさんが支援活動を行うワダラ地区の子どもがラップするなんともかわいらしい映像が流された。
実際にこの街でHirokoさんたちが支援していた若者の一人は、つい先日ラップのミュージックビデオをリリース。この映像の1分20秒ぐらいからその楽曲が始まる。
Hirokoさんによると、ダラヴィはムンバイのスラムのなかでは、過酷な環境とはいえまだましなほうで(例えば識字率は7割ほどに達し、これはインドのスラムではもっとも高い)、他のスラムの人々はさらに厳しい生活を強いられている。
また、スラムにすら暮らせない路上生活者たちもおり、そうした暮らしを強いられた人たちが、ダラヴィのラッパーたちのように自分たちの誇りを取り戻せる日がいつか来るのだろうかと考えると、気が遠くなってくる。
いずれにしても、ダラヴィ以外のスラムでも、ヒップホップは希望の光になりつつあるようだ。
ここまで話して、時間が少々余ったので、ムンバイ以外の地区のラッパーの紹介ということで、デリーのPrabh Deepのミュージックビデオを流した。
彼は今インドで最も勢いのあるアンダーグラウンド・ヒップホップレーベル、Azadi Recordsを代表するラッパーで、この曲のトラックをプロデュースしたのは、かつて"Mere Gully Mein"を手がけたSez on the Beat.
ご覧の通りPrabh Deepはパンジャービーのシク教徒なのだが、このビデオを見たサラームさんから、「他のラッパーとは違うパンジャービーの声の出し方」というコメントがあり、さすがの指摘に大いに感心した。
というわけで、90分に及んだトークイベント"Gully Boy -Indian HipHop Night"は、この"Train Song"で締めて終了。
南インド出身のシンガー、Raghu Dixitとイギリス在住のタブラプレイヤーKarsh Kaleのコラボレーションで、ヒンディー語ヴォーカルがDixit、英語がKaleだ。
今回のイベントの模様は、近々HirokoさんのYoutubeチャンネルでも公開する予定なので、ぜひそちらもご覧ください。
そして何よりも、『ガリーボーイ』を未見の方はぜひご覧いただきたい。
いとうせいこう氏監修による字幕もジャパンプレミア上映時から大幅にパワーアップしているという話。
すでにこのブログでも何度も書いてきたとおり、『ガリーボーイ』は普遍的な魅力を持つ音楽映画、青春映画であると同時に、格差や伝統的価値観のなかで、夢や自由を追い求める若者の苦闘と葛藤の物語でもある。
そしてインド社会の抑圧された人々に、ヒップホップという希望の灯がともされた瞬間の記録としても、まさに歴史に残る映画と言えるだろう。
『ガリーボーイ』の続編の構想を知らせる報道もあったが、この映画によって注目を集めるようになったインドじゅうのガリーラッパーたちの活躍や、彼らによってさらに若い世代がヒップホップに希望を見出してゆくインドのヒップホップシーンの現状そのものが、この映画の続編なのである。
90分のイベントで話した内容と、伝えきれなかった内容をお届けしたが、インドのヒップホップで紹介したい曲やエピソードはまだまだたくさんあり、映画がヒットしたらぜひ第2弾のイベントがやってみたい!
お越しいただいた方、YouTubeのストリーミングでご覧いただいた方、そしてこのブログを読んでいただいた方、ありがとうございました!
いずれにしても、ダラヴィ以外のスラムでも、ヒップホップは希望の光になりつつあるようだ。
ここまで話して、時間が少々余ったので、ムンバイ以外の地区のラッパーの紹介ということで、デリーのPrabh Deepのミュージックビデオを流した。
彼は今インドで最も勢いのあるアンダーグラウンド・ヒップホップレーベル、Azadi Recordsを代表するラッパーで、この曲のトラックをプロデュースしたのは、かつて"Mere Gully Mein"を手がけたSez on the Beat.
ご覧の通りPrabh Deepはパンジャービーのシク教徒なのだが、このビデオを見たサラームさんから、「他のラッパーとは違うパンジャービーの声の出し方」というコメントがあり、さすがの指摘に大いに感心した。
というわけで、90分に及んだトークイベント"Gully Boy -Indian HipHop Night"は、この"Train Song"で締めて終了。
南インド出身のシンガー、Raghu Dixitとイギリス在住のタブラプレイヤーKarsh Kaleのコラボレーションで、ヒンディー語ヴォーカルがDixit、英語がKaleだ。
今回のイベントの模様は、近々HirokoさんのYoutubeチャンネルでも公開する予定なので、ぜひそちらもご覧ください。
そして何よりも、『ガリーボーイ』を未見の方はぜひご覧いただきたい。
いとうせいこう氏監修による字幕もジャパンプレミア上映時から大幅にパワーアップしているという話。
すでにこのブログでも何度も書いてきたとおり、『ガリーボーイ』は普遍的な魅力を持つ音楽映画、青春映画であると同時に、格差や伝統的価値観のなかで、夢や自由を追い求める若者の苦闘と葛藤の物語でもある。
そしてインド社会の抑圧された人々に、ヒップホップという希望の灯がともされた瞬間の記録としても、まさに歴史に残る映画と言えるだろう。
『ガリーボーイ』の続編の構想を知らせる報道もあったが、この映画によって注目を集めるようになったインドじゅうのガリーラッパーたちの活躍や、彼らによってさらに若い世代がヒップホップに希望を見出してゆくインドのヒップホップシーンの現状そのものが、この映画の続編なのである。
90分のイベントで話した内容と、伝えきれなかった内容をお届けしたが、インドのヒップホップで紹介したい曲やエピソードはまだまだたくさんあり、映画がヒットしたらぜひ第2弾のイベントがやってみたい!
お越しいただいた方、YouTubeのストリーミングでご覧いただいた方、そしてこのブログを読んでいただいた方、ありがとうございました!
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goshimasayama18 at 19:44|Permalink│Comments(0)
2019年08月19日
Sarathy Korwarの"More Arriving"はとんでもない傑作なのかもしれない
イギリス在住のタブラプレイヤー/ジャズパーカッショニストのSarathy Korwarのセカンドアルバム"More Arriving"が素晴らしい。
すでに先日の記事でも、このアルバムからムンバイの先鋭的ヒップホップグループSwadesiが参加した楽曲"Mumbay"を紹介させてもらったが、改めてアルバム全体を聴いて、その強烈な内容に衝撃を受けた。
タイトルで、とんでもない作品「かもしれない」と書いたのは、内容に対する疑問ではない。
内容は文句なしに素晴らしいのだが、このジャンル不明の大傑作が、世界的にはニッチな存在となっている(世界中の南アジア系住民以外にはなかなか届かない)'Desi Music'の枠を超えた、現代ジャズの名盤として歴史に名を残す可能性があるのではないか、という気持ちを込めたものだ。
個人的には、この作品はKamasi Wahingtonあたりと同等の評価を受けるに値する内容のものだと考えている。
改めて、ここで"Mumbay"を紹介する。
アメリカで生まれ、インド(アーメダーバードとチェンナイ)で育ったSarathy Korwarは、10代からタブラの練習を始め、ほどなくコルトレーンらのスピリチュアル・ジャズにも興味を持つようになった。
ところが、The Leaf Label(これまでに、Four TetやAsa-Chang&巡礼の作品を取り扱っているヨークシャーのレーベル)からリリースされた彼のセカンドアルバム"More Arriving"は、こうした作品群とは全く違う次元のものだった。
このアルバムで、Sarathyは 2019年のセンスでジャズを解体再構築している。
「絶対的な瞬間。民族的アイデンティティーを扱った、サイケデリックで、強烈なジャズのオデッセイ。素晴らしい。★★★★」(Guardian)
「2019年を定義するアルバムのうちのひとつ。Sarathyのニューアルバムはここ1年でもっともエキサイティングなもの…カゥワーリーからモダンジャズ、ムンバイ・ヒップホップ、インド古典音楽にいたるまでのワイルドな相乗効果だ。だがこれは、まさに今イギリスで起こっていることに関するレコードでもある」(Pete Paphides, Needle Mythology podcast)
「素晴らしい… アドレナリンに溢れ、パーカッションに導かれた、意識(consciousness)を高めるスリリングな冒険」(Electronic Music)
「アジア系ラッパーや詩人をフィーチャーしたインド音楽とジャズのスリリングな融合であり、いいかげんなステレオタイプや、東西文化のナラティブを変える必要性などのテーマに取り組んでいる。これは分断の時代のタイムリーなサウンドトラックだ」(Songlines)
「Korwarは、公民権を剥奪された人々の声という、ジャズの政治的でラディカルな歴史を取り入れ、それを現代イギリスにおけるインド人ディアスポラの体験に応用している」(The Vinyl Factory)
(以上、各媒体からのコメントは、The Leaf Labelのウェブサイトhttp://www.theleaflabel.com/en/news/view/653/DMから引用)
近年、独自の発展を続けてきた在外インド系アーティストと、急速に進化しているインド国内のアーティストの共演が盛んに行われているが、またしても、国境も、ジャンルも超えた名盤が誕生した。
"Sarathy Korwar"の"More Arriving"は、インド系ディアスポラとインド本国から誕生した、極めて普遍的かつ現代的な、もっと聴かれるべき、もっと評価されるべき作品だ。
インドの作品にしては珍しく、フィジカルでのリリース(CD、レコード)もされるようなので、ぜひ実際に手に取って聴いてみたいアルバムである。
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すでに先日の記事でも、このアルバムからムンバイの先鋭的ヒップホップグループSwadesiが参加した楽曲"Mumbay"を紹介させてもらったが、改めてアルバム全体を聴いて、その強烈な内容に衝撃を受けた。
タイトルで、とんでもない作品「かもしれない」と書いたのは、内容に対する疑問ではない。
内容は文句なしに素晴らしいのだが、このジャンル不明の大傑作が、世界的にはニッチな存在となっている(世界中の南アジア系住民以外にはなかなか届かない)'Desi Music'の枠を超えた、現代ジャズの名盤として歴史に名を残す可能性があるのではないか、という気持ちを込めたものだ。
個人的には、この作品はKamasi Wahingtonあたりと同等の評価を受けるに値する内容のものだと考えている。
改めて、ここで"Mumbay"を紹介する。
アメリカで生まれ、インド(アーメダーバードとチェンナイ)で育ったSarathy Korwarは、10代からタブラの練習を始め、ほどなくコルトレーンらのスピリチュアル・ジャズにも興味を持つようになった。
その後もタブラの修行とジャズの追求を続け、進学のために移ったプネーでドラムを始めると、セッションミュージシャンとして音楽の道を目指すようになる。
その後、より本格的にタブラを追求するためにイギリスに渡り、SOAS(東洋アフリカ研究学院)のSanju Sahaiに師事。
ジャズミュージシャンとしてのキャリアも続け、2016年にクラブ・ミュージックの名門レーベルNinja Tuneからファーストアルバム"Day To Day"をリリースした。
彼の音楽性をごく簡単に説明すれば、「ジャズとインド古典音楽の融合」ということになるだろう。
これまでもジャズとインド音楽の融合は、東西のさまざまなアーティストが試みているが(例えばジョン・マクラフリンとザキール・フセインらによるプロジェクト'Shakti'や、ドキュメンタリー映画"Song of Lahore"にもなったパキスタンのSachal Jazz Ensembleなど)、いずれもが異なる音楽的要素を混合することによる、純粋な音響的な表現の追求にとどまるものだった。
その後、より本格的にタブラを追求するためにイギリスに渡り、SOAS(東洋アフリカ研究学院)のSanju Sahaiに師事。
ジャズミュージシャンとしてのキャリアも続け、2016年にクラブ・ミュージックの名門レーベルNinja Tuneからファーストアルバム"Day To Day"をリリースした。
彼の音楽性をごく簡単に説明すれば、「ジャズとインド古典音楽の融合」ということになるだろう。
これまでもジャズとインド音楽の融合は、東西のさまざまなアーティストが試みているが(例えばジョン・マクラフリンとザキール・フセインらによるプロジェクト'Shakti'や、ドキュメンタリー映画"Song of Lahore"にもなったパキスタンのSachal Jazz Ensembleなど)、いずれもが異なる音楽的要素を混合することによる、純粋な音響的な表現の追求にとどまるものだった。
つまり、実験的で純音楽的な試みではあっても、その時代の最先端のロックやヒップホップのような、同時代的なものではなかったということだ。
Sarathy Korwarのファースト・アルバムも、こうした枠のなかの作品のひとつとして捉えられるものだった。
Sarathy Korwarのファースト・アルバムも、こうした枠のなかの作品のひとつとして捉えられるものだった。
(もちろん、それでもここに挙げたアルバムが普遍的な音楽作品として十分に素晴らしいことは言うまでもない。また、それぞれのプロジェクトには社会的・時代的な必然性があったというのも事実だが、少なくとも同時代へのメッセージ性を強く持ったものではなかった)
ところが、The Leaf Label(これまでに、Four TetやAsa-Chang&巡礼の作品を取り扱っているヨークシャーのレーベル)からリリースされた彼のセカンドアルバム"More Arriving"は、こうした作品群とは全く違う次元のものだった。
Sarathyは、このアルバムに、SwadesiやPrabh Deepらの発展著しいインドのヒップホップ勢を参加させることで、インドの古典音楽とジャズという、「あまりにも様式として完成されてしまっているが故に、決して現代的にはなり得ない音楽ジャンル」に、極めて今日的な緊張感と魅力を付与することに成功した。
このアルバムで、Sarathyは 2019年のセンスでジャズを解体再構築している。
いや、というよりも、むしろ2019年のセンスでジャズ本来の精神を解放しているといったほうが良いかもしれない。
つまり、都会の不穏さと快楽を音楽に閉じ込めるとともに、音そのもので、抑圧的な社会からの魂の自由を表現しているのだ。
それも、タブラプレイヤーでもあるインド系ジャズパーカッショニストだけができるやり方で。
とくに、冒頭の"Mumbay"から"Coolie"(デリーのラッパーPrabh Deepとレゲエシンガー&DJのDelhi Sultanateが参加)、そして"Bol"(アメリカ在住のカルナーティック・フュージョンのシンガーAditya Prakashと、インド系イギリス人でポエトリー・スラムのアーティストZia Ahmedが参加)に繋がる流れは素晴らしい。
"Bol"では、インドの伝統音楽が、ほぼそのままの形を保ちながら、すべて生音であるにもかかわらず、恐ろしいほど現代的に表現されている。
しかも、ここまでヘヴィに、緊張感を保ったままでだ。
"Bol"というタイトルは「発言」や「会話」という意味。
歌詞にもビデオにも、今日の英国社会での南アジア系住民へのステレオタイプな偏見に対する皮肉を含んだメッセージが込められている。
この動画は4分程度のシングル・バージョンだが、9分以上あるアルバム・バージョンはさらに素晴らしい。
アルバム全体もYoutubeで公開されているので、紹介しておく。
コンセプトや構成がしっかりしたアルバムなので、ぜひ通しで聴いてもらいたい。
"More Arriving"には、他にもムンバイのラッパーのTRAP POJU(a.k.a. Poetik Justis)やカルカッタの女性古典(ヒンドゥスターニー)シンガーのMirande, さらには在外インド人作家のDeepak Unnikrishnanなど、多彩なメンバーが参加している。
最後に、このアルバムへのSarathyのコメントやレーベルからの紹介文と、各メディアによる評価を紹介したい。
「このアルバムには、たくさんのラッパーや詩人などが参加していて、南アジアの様々な声をフィーチャーすることを目指しているんだ。それは単一のものではなく、ブラウン(南アジア系の人々)の多様なストーリーやナラティブによって成り立っているっていうことを強調しておくよ。"More Arriving"というタイトルは、人々の移動(ムーブメント)を表している。この言い回しは、恐怖や、望まざる競争、歓迎せざる気持ちなどがより多くやってくるという今日の状況を取り巻くものなんだ。」
(Sarathy Korwarのウェブサイトhttp://www.sarathykorwar.comより)
「我々は分断の時代を生きている。多文化主義(multiculturalism)は人種間の緊張と密接な関係があり、政治家は人々の耳に複雑なメッセージを届けることすらできないほどに無力だ。別な視点を持つべき時がやってきた。
このアルバムで、Sarahty Korwarは彼自身の鮮やかで多元的な表現を、世界に向けて撃ち放った。これは必ずしも調和(unity)のレコードではない。分断したイギリス社会でインド人として生きるKorwarの経験を率直に反映したものだ。イギリスとインドで2年半にわたってレコーディングされ、ムンバイとニューデリーの新しいラップシーンと、彼自身のインド古典音楽とジャズの楽器が取り入れられている。これは、対立から生まれた、対立の時代のためのレコードだ。」
(The Leaf Labelのウェブサイトhttp://www.theleaflabel.com/en/news/view/653/DMより)
「稀有な才能… 彼のリズムの激しさ、魅惑的なビジョンは、インドとジャズの融合の歴史に新しいスピンを加えた。★★★★★」(MOJO)
つまり、都会の不穏さと快楽を音楽に閉じ込めるとともに、音そのもので、抑圧的な社会からの魂の自由を表現しているのだ。
それも、タブラプレイヤーでもあるインド系ジャズパーカッショニストだけができるやり方で。
とくに、冒頭の"Mumbay"から"Coolie"(デリーのラッパーPrabh Deepとレゲエシンガー&DJのDelhi Sultanateが参加)、そして"Bol"(アメリカ在住のカルナーティック・フュージョンのシンガーAditya Prakashと、インド系イギリス人でポエトリー・スラムのアーティストZia Ahmedが参加)に繋がる流れは素晴らしい。
"Bol"では、インドの伝統音楽が、ほぼそのままの形を保ちながら、すべて生音であるにもかかわらず、恐ろしいほど現代的に表現されている。
しかも、ここまでヘヴィに、緊張感を保ったままでだ。
"Bol"というタイトルは「発言」や「会話」という意味。
歌詞にもビデオにも、今日の英国社会での南アジア系住民へのステレオタイプな偏見に対する皮肉を含んだメッセージが込められている。
この動画は4分程度のシングル・バージョンだが、9分以上あるアルバム・バージョンはさらに素晴らしい。
アルバム全体もYoutubeで公開されているので、紹介しておく。
コンセプトや構成がしっかりしたアルバムなので、ぜひ通しで聴いてもらいたい。
"More Arriving"には、他にもムンバイのラッパーのTRAP POJU(a.k.a. Poetik Justis)やカルカッタの女性古典(ヒンドゥスターニー)シンガーのMirande, さらには在外インド人作家のDeepak Unnikrishnanなど、多彩なメンバーが参加している。
最後に、このアルバムへのSarathyのコメントやレーベルからの紹介文と、各メディアによる評価を紹介したい。
「このアルバムには、たくさんのラッパーや詩人などが参加していて、南アジアの様々な声をフィーチャーすることを目指しているんだ。それは単一のものではなく、ブラウン(南アジア系の人々)の多様なストーリーやナラティブによって成り立っているっていうことを強調しておくよ。"More Arriving"というタイトルは、人々の移動(ムーブメント)を表している。この言い回しは、恐怖や、望まざる競争、歓迎せざる気持ちなどがより多くやってくるという今日の状況を取り巻くものなんだ。」
(Sarathy Korwarのウェブサイトhttp://www.sarathykorwar.comより)
「我々は分断の時代を生きている。多文化主義(multiculturalism)は人種間の緊張と密接な関係があり、政治家は人々の耳に複雑なメッセージを届けることすらできないほどに無力だ。別な視点を持つべき時がやってきた。
このアルバムで、Sarahty Korwarは彼自身の鮮やかで多元的な表現を、世界に向けて撃ち放った。これは必ずしも調和(unity)のレコードではない。分断したイギリス社会でインド人として生きるKorwarの経験を率直に反映したものだ。イギリスとインドで2年半にわたってレコーディングされ、ムンバイとニューデリーの新しいラップシーンと、彼自身のインド古典音楽とジャズの楽器が取り入れられている。これは、対立から生まれた、対立の時代のためのレコードだ。」
(The Leaf Labelのウェブサイトhttp://www.theleaflabel.com/en/news/view/653/DMより)
「稀有な才能… 彼のリズムの激しさ、魅惑的なビジョンは、インドとジャズの融合の歴史に新しいスピンを加えた。★★★★★」(MOJO)
「絶対的な瞬間。民族的アイデンティティーを扱った、サイケデリックで、強烈なジャズのオデッセイ。素晴らしい。★★★★」(Guardian)
「2019年を定義するアルバムのうちのひとつ。Sarathyのニューアルバムはここ1年でもっともエキサイティングなもの…カゥワーリーからモダンジャズ、ムンバイ・ヒップホップ、インド古典音楽にいたるまでのワイルドな相乗効果だ。だがこれは、まさに今イギリスで起こっていることに関するレコードでもある」(Pete Paphides, Needle Mythology podcast)
「素晴らしい… アドレナリンに溢れ、パーカッションに導かれた、意識(consciousness)を高めるスリリングな冒険」(Electronic Music)
「アジア系ラッパーや詩人をフィーチャーしたインド音楽とジャズのスリリングな融合であり、いいかげんなステレオタイプや、東西文化のナラティブを変える必要性などのテーマに取り組んでいる。これは分断の時代のタイムリーなサウンドトラックだ」(Songlines)
「Korwarは、公民権を剥奪された人々の声という、ジャズの政治的でラディカルな歴史を取り入れ、それを現代イギリスにおけるインド人ディアスポラの体験に応用している」(The Vinyl Factory)
(以上、各媒体からのコメントは、The Leaf Labelのウェブサイトhttp://www.theleaflabel.com/en/news/view/653/DMから引用)
近年、独自の発展を続けてきた在外インド系アーティストと、急速に進化しているインド国内のアーティストの共演が盛んに行われているが、またしても、国境も、ジャンルも超えた名盤が誕生した。
"Sarathy Korwar"の"More Arriving"は、インド系ディアスポラとインド本国から誕生した、極めて普遍的かつ現代的な、もっと聴かれるべき、もっと評価されるべき作品だ。
インドの作品にしては珍しく、フィジカルでのリリース(CD、レコード)もされるようなので、ぜひ実際に手に取って聴いてみたいアルバムである。
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2019年08月16日
インドのヒップホップをネクストレベルに押し上げるデリーの新進レーベル、Azadi Records
これまで何度も紹介しているように、現在のインドのヒップホップの中心地は、間違いなくムンバイだ。
Prabh Deepに続いてAzadi Recordsがリリースしたのは、デリーのラッパーデュオSeedhe Maut.
トラックを手がけているのはやはりSez.
Seedhe Mautによる"Shaktimaan"というインドの特撮ヒーローをタイトルにした楽曲。
最近では、ジャンムー・カシミール州スリナガル出身のラッパーAhmerとSezによるアルバム"Little Kid, Big Dreams"をリリース。
Prabh Deepも参加したこの"Elaan"では、紛争の地カシミールに生まれたがために、自由や命の保証すらない現実と、それに対するフラストレーションがリアルにラップされている。
分離独立やパキスタンとの併合を求める運動が絶えないカシミールでは、先日のインド中央政府による強権的な自治権剥奪にともない、通信が遮断され、集会が制限されるなど、緊張状態が続いている。
この緊迫した状況下で故郷スリナガルに帰るAhmerのメッセージを、つい先日レーベルのアカウントがリツイートした。
「故郷に帰る。今日から封鎖の中に行くから、存在しなくなるのも同じさ。カシミールのみんなと同じように、包囲の中、暴力的な体制の中、専制の中、抑圧の中で過ごすんだ。自分の家族が無事でいるかどうか分からない。そうであってほしいけど。カシミールの外にいるみんな、無事でいてくれ。俺たちは奴らには負けない」
「明日から俺は存在しなくなる。生きているかどうか、誰にも分からないだろう」
無事を伝える通信手段すら確保できない故郷に、それでも帰る彼の気持ちはいかばかりだろうか。
Ahmerの無事を祈らずにはいられない。
(カシミールのリアルを伝えるラッパーには、他にMC Kashがいる。彼らについてはこちらの記事から「バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(後半)」)
こうしたアーティストの楽曲のリリースは、まさに「メインストリームによって無視されがちなストーリーに注目し」「現代の差し迫った問題に批判的に関与し、意見を述べる、先進的で政治的意識の高い(consciousな)音楽をリリースする」というこのレーベルの目的に合致したものと言えるだろう。
Azadi Recordsは、通常のインドのレーベルでは売り上げの4〜7%しかアーティストが得られない契約であることに対して、アーティストとレーベルとで50%ずつの取り分としており、また大手レーベルが最大で30年間保有する著作権を、5年間のみの保有とするなど、アーティストの権利を尊重した契約をすることにしているという。
インドのヒップホップにかなり早い時期から注目していた鈴木妄想さんをして「Prabh Deepの新曲が凄い。不穏な始まりからアブストラクトで浮遊感あるブリッジを経て、メロウな歌モノに展開。この人のトラックメイキングほんとに凄い。間違いなく俺の好きなヒップホップはこういう音だよ。」と言わしめた完成度(鈴木妄想さんのTwitterより。この楽曲を完璧に表現していて、もう何も付け加える言葉がない!)。
Azadi Recordsが取り上げるアーティストはデリーだけに止まらない。
ムンバイを拠点に政治的かつ社会的なラップを発表してきたユニットSwadesiも、Azadi Recordsと契約し、独特のアートで知られる先住民族ワールリーの立場を代弁する楽曲を発表している。
ムンバイで、ガリーラップとは一線を画すメランコリックなスタイルの楽曲を発表していたTienasも、Azadi Recordsから新曲"Juju"を発表したばかり。
他にも、Azadi Recordsはムンバイ在住のタミル語ラッパーRak, バンガロールを拠点に活動する英語とカンナダ語のバイリンガルのフィーメイル・ラッパーSiri, 北東部メガラヤ州のR&BユニットForeign Flowzらと契約を交わしており、首都デリーにとどまらず、インド全土の才能を世に出してゆくようだ。
(これらの楽曲は、以前のリリースであり、Azadi Recordsからのリリースではない。彼らはAzadiとの契約にサインしているが、楽曲のリリースはまだのようだ)
数々の楽曲のリリースのみならず、Mo Joshiは、DivineとRaja Kumariがコラボレーションした楽曲"Roots"のリリックに対して「カースト差別的である」との指摘をするなど、単に音楽業界のいちレーベルに止まらないご意見番としての役割を果たしているようだ。
おそらくは、この楽曲のなかの'Untouchable with brahmin flow from the mother land'(母なる大地から生まれたバラモンのフロウには触れることすらできない)というリリックを、バラモン(ブラーミン)を最も清浄な存在とし、最下層の人々を汚れた「不可触民」(Untouchable)としてきた歴史を肯定的に捉えたものと解釈して批判したものと思われる。
アメリカで生まれ育ったフィーメイル・ラッパーのRaja Kumariは、自身のルーツを示すものとしてヒンドゥー的な表現をよく使用しているが、この指摘は、インドにおける新しい価値観であるべきヒップホップが、旧弊な価値観を引き継いでいることに対する、目ざとい批判と言ってよいだろう。
インドのヒップホップシーンの成長と変化は驚くべきスピードで進んでいる。
しかし、インドのヒップホップ人気はムンバイだけでなくすでに全国に達しており、当然ながら首都デリーにも、ストリートのリアルを体現した独自のシーンがある。
今回は、インドのアンダーグラウンド・ヒップホップの最重要レーベルと言っても過言ではない、デリーのAzadi Recordsを紹介する。
Azadi Recordsは2017年に発足した新しいレーベルだ。
創設者はイギリスで長く音楽業界に関わっていたMo JoshiとジャーナリストのUday Kapur.
Joshiはイギリスで最初期のヒップホップグループの一員として音楽キャリアをスタートさせ(このグループについては詳細な情報は得られなかった)、その後音楽フェス関連の仕事や、Joss Stoneなどの有名ミュージシャンとの仕事をしたのち、2014年にインドに帰国。
国内外のインド系ヒップホップアーティストを扱うウェブサイト、DesiHipHop.comでの勤務を経て、2017年にKapurとAzadi Recordsを立ち上げた。
国内外のヒップホップを知り尽くした二人が、満を持して発足したレーベルが、このAzadi Recordsというわけだ。
Azadi Recordsの記念すべき最初のリリースは、デリーのシク教徒のラッパー、Prabh Deepの"Kal".
パンジャービー系ながら、バングラー的なパーティーラップではなく、抑制の効いたディープなトラックに乗せてリアルなストリートの生活をラップするPrabh Deepは、あっという間に注目を集める存在となった。
(これまで、シク教徒を中心とするパンジャーブ系のラッパーは、伝統音楽バングラーのリズムにヒップホップやEDMを融合した派手なパーティースタイルのラップをすることが多かった。詳しくはこの記事を参照してほしい「Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史」)
トラックを手がけているのは同じくデリー出身のSez on the Beat.
彼は、映画『ガリーボーイ』にもフィーチャーされたDIVINEとNaezyの"Mere Gully Mein"やDIVINEの"Jungli Sher"などにも携わっており、アグレッシブな典型的ガリーラップサウンドを作り上げた立役者でもある。
昨今ではより抑制的なビートとユニークな音響重視のトラックを作っており、インドのヒップホップの新しい局面を切り開いている。
Azadi Recordsがサウンド面でも高い評価を得ている理由は、このSezによるところも大きい。
"Kal"に続いてAzadi RecordsからリリースされたPrabh Deepのファースト・アルバム"Class-Sikh"は、Rolling Stone Indiaの2017年度最優秀アルバムに輝くなど、幾多の高評価を受け、文字通りインドのヒップホップのクラシックとなった。
同アルバムから"Suno"('Listen'という意味)
このアルバムの成功によって、Azadi Recordsは一躍インドのヒップホップシーンの台風の目となる。
レーベル名の'Azadi'は「自由」を意味するヒンディー語。
レーベルのFacebookページによると、彼らは「現代の差し迫った問題に批判的に関与し、意見を述べる、先進的で政治的意識の高い(consciousな)音楽をリリースするためのプラットフォームを南アジアのアーティストに提供する」ことを目的としており、「アンダーグラウンドであることを目指すのではなく、メインストリームによって無視されがちなストーリーに注目し」「世界中の多様なコミュニティ間の対話を始めるための新しいサウンドやビジュアルを探求する」という趣旨のもと活動しているという。
(https://www.facebook.com/pg/azadirecords/about/)
Azadi Recordsは2017年に発足した新しいレーベルだ。
創設者はイギリスで長く音楽業界に関わっていたMo JoshiとジャーナリストのUday Kapur.
Joshiはイギリスで最初期のヒップホップグループの一員として音楽キャリアをスタートさせ(このグループについては詳細な情報は得られなかった)、その後音楽フェス関連の仕事や、Joss Stoneなどの有名ミュージシャンとの仕事をしたのち、2014年にインドに帰国。
国内外のインド系ヒップホップアーティストを扱うウェブサイト、DesiHipHop.comでの勤務を経て、2017年にKapurとAzadi Recordsを立ち上げた。
国内外のヒップホップを知り尽くした二人が、満を持して発足したレーベルが、このAzadi Recordsというわけだ。
Azadi Recordsの記念すべき最初のリリースは、デリーのシク教徒のラッパー、Prabh Deepの"Kal".
パンジャービー系ながら、バングラー的なパーティーラップではなく、抑制の効いたディープなトラックに乗せてリアルなストリートの生活をラップするPrabh Deepは、あっという間に注目を集める存在となった。
(これまで、シク教徒を中心とするパンジャーブ系のラッパーは、伝統音楽バングラーのリズムにヒップホップやEDMを融合した派手なパーティースタイルのラップをすることが多かった。詳しくはこの記事を参照してほしい「Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史」)
トラックを手がけているのは同じくデリー出身のSez on the Beat.
彼は、映画『ガリーボーイ』にもフィーチャーされたDIVINEとNaezyの"Mere Gully Mein"やDIVINEの"Jungli Sher"などにも携わっており、アグレッシブな典型的ガリーラップサウンドを作り上げた立役者でもある。
昨今ではより抑制的なビートとユニークな音響重視のトラックを作っており、インドのヒップホップの新しい局面を切り開いている。
Azadi Recordsがサウンド面でも高い評価を得ている理由は、このSezによるところも大きい。
"Kal"に続いてAzadi RecordsからリリースされたPrabh Deepのファースト・アルバム"Class-Sikh"は、Rolling Stone Indiaの2017年度最優秀アルバムに輝くなど、幾多の高評価を受け、文字通りインドのヒップホップのクラシックとなった。
同アルバムから"Suno"('Listen'という意味)
このアルバムの成功によって、Azadi Recordsは一躍インドのヒップホップシーンの台風の目となる。
レーベル名の'Azadi'は「自由」を意味するヒンディー語。
レーベルのFacebookページによると、彼らは「現代の差し迫った問題に批判的に関与し、意見を述べる、先進的で政治的意識の高い(consciousな)音楽をリリースするためのプラットフォームを南アジアのアーティストに提供する」ことを目的としており、「アンダーグラウンドであることを目指すのではなく、メインストリームによって無視されがちなストーリーに注目し」「世界中の多様なコミュニティ間の対話を始めるための新しいサウンドやビジュアルを探求する」という趣旨のもと活動しているという。
(https://www.facebook.com/pg/azadirecords/about/)
Prabh Deepに続いてAzadi Recordsがリリースしたのは、デリーのラッパーデュオSeedhe Maut.
トラックを手がけているのはやはりSez.
Seedhe Mautによる"Shaktimaan"というインドの特撮ヒーローをタイトルにした楽曲。
最近では、ジャンムー・カシミール州スリナガル出身のラッパーAhmerとSezによるアルバム"Little Kid, Big Dreams"をリリース。
Prabh Deepも参加したこの"Elaan"では、紛争の地カシミールに生まれたがために、自由や命の保証すらない現実と、それに対するフラストレーションがリアルにラップされている。
分離独立やパキスタンとの併合を求める運動が絶えないカシミールでは、先日のインド中央政府による強権的な自治権剥奪にともない、通信が遮断され、集会が制限されるなど、緊張状態が続いている。
この緊迫した状況下で故郷スリナガルに帰るAhmerのメッセージを、つい先日レーベルのアカウントがリツイートした。
The Kashmiri rapper, Ahmer saves his "final verse" before he goes back home to Kashmir. His voice can't be shut down. @azadirecords #EndKashmirBlockade pic.twitter.com/BBg3wHgN26
— aishwarya (@aishyinabubble) August 8, 2019
「故郷に帰る。今日から封鎖の中に行くから、存在しなくなるのも同じさ。カシミールのみんなと同じように、包囲の中、暴力的な体制の中、専制の中、抑圧の中で過ごすんだ。自分の家族が無事でいるかどうか分からない。そうであってほしいけど。カシミールの外にいるみんな、無事でいてくれ。俺たちは奴らには負けない」
「明日から俺は存在しなくなる。生きているかどうか、誰にも分からないだろう」
無事を伝える通信手段すら確保できない故郷に、それでも帰る彼の気持ちはいかばかりだろうか。
Ahmerの無事を祈らずにはいられない。
(カシミールのリアルを伝えるラッパーには、他にMC Kashがいる。彼らについてはこちらの記事から「バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(後半)」)
こうしたアーティストの楽曲のリリースは、まさに「メインストリームによって無視されがちなストーリーに注目し」「現代の差し迫った問題に批判的に関与し、意見を述べる、先進的で政治的意識の高い(consciousな)音楽をリリースする」というこのレーベルの目的に合致したものと言えるだろう。
Azadi Recordsは、通常のインドのレーベルでは売り上げの4〜7%しかアーティストが得られない契約であることに対して、アーティストとレーベルとで50%ずつの取り分としており、また大手レーベルが最大で30年間保有する著作権を、5年間のみの保有とするなど、アーティストの権利を尊重した契約をすることにしているという。
Mo Joshiは、現在のインドのエンターテインメントシーンについてこう語っている。
「ヒップホップはカルチャーなんだ。単にラップをしているだけはヒップホップとは言えない。ボリウッドにはラップこそあるけど、ヒップホップは存在していないよ」。
「ヒップホップはカルチャーなんだ。単にラップをしているだけはヒップホップとは言えない。ボリウッドにはラップこそあるけど、ヒップホップは存在していないよ」。
(https://www.musicplus.in/all-things-hip-hop-with-mo-joshi-co-founder-azadi-records/)
これは今年2月にインドで『ガリーボーイ』が公開された以降のインタビューだから、当然この映画の成功を意識した上での発言だろう。
インドのヒップホップシーンが『ガリーボーイ』に概ね好意的な反応を示しているなかで、かなり手厳しい意見だが、それだけピュアなアティテュードを持ったレーベルということなのだ。
Azadi Recordsの最新のリリースは、Prabh Deep feat. Hashbass & Tansoloの"KING"という楽曲。これは今年2月にインドで『ガリーボーイ』が公開された以降のインタビューだから、当然この映画の成功を意識した上での発言だろう。
インドのヒップホップシーンが『ガリーボーイ』に概ね好意的な反応を示しているなかで、かなり手厳しい意見だが、それだけピュアなアティテュードを持ったレーベルということなのだ。
インドのヒップホップにかなり早い時期から注目していた鈴木妄想さんをして「Prabh Deepの新曲が凄い。不穏な始まりからアブストラクトで浮遊感あるブリッジを経て、メロウな歌モノに展開。この人のトラックメイキングほんとに凄い。間違いなく俺の好きなヒップホップはこういう音だよ。」と言わしめた完成度(鈴木妄想さんのTwitterより。この楽曲を完璧に表現していて、もう何も付け加える言葉がない!)。
Azadi Recordsが取り上げるアーティストはデリーだけに止まらない。
ムンバイを拠点に政治的かつ社会的なラップを発表してきたユニットSwadesiも、Azadi Recordsと契約し、独特のアートで知られる先住民族ワールリーの立場を代弁する楽曲を発表している。
ムンバイで、ガリーラップとは一線を画すメランコリックなスタイルの楽曲を発表していたTienasも、Azadi Recordsから新曲"Juju"を発表したばかり。
他にも、Azadi Recordsはムンバイ在住のタミル語ラッパーRak, バンガロールを拠点に活動する英語とカンナダ語のバイリンガルのフィーメイル・ラッパーSiri, 北東部メガラヤ州のR&BユニットForeign Flowzらと契約を交わしており、首都デリーにとどまらず、インド全土の才能を世に出してゆくようだ。
(これらの楽曲は、以前のリリースであり、Azadi Recordsからのリリースではない。彼らはAzadiとの契約にサインしているが、楽曲のリリースはまだのようだ)
数々の楽曲のリリースのみならず、Mo Joshiは、DivineとRaja Kumariがコラボレーションした楽曲"Roots"のリリックに対して「カースト差別的である」との指摘をするなど、単に音楽業界のいちレーベルに止まらないご意見番としての役割を果たしているようだ。
おそらくは、この楽曲のなかの'Untouchable with brahmin flow from the mother land'(母なる大地から生まれたバラモンのフロウには触れることすらできない)というリリックを、バラモン(ブラーミン)を最も清浄な存在とし、最下層の人々を汚れた「不可触民」(Untouchable)としてきた歴史を肯定的に捉えたものと解釈して批判したものと思われる。
アメリカで生まれ育ったフィーメイル・ラッパーのRaja Kumariは、自身のルーツを示すものとしてヒンドゥー的な表現をよく使用しているが、この指摘は、インドにおける新しい価値観であるべきヒップホップが、旧弊な価値観を引き継いでいることに対する、目ざとい批判と言ってよいだろう。
インドのヒップホップシーンの成長と変化は驚くべきスピードで進んでいる。
これまで、ソニーと契約しているDIVINEらの一部の有名ラッパーを除いて、ほとんどのラッパーが自主的に音源をリリースしていたが、『ガリーボーイ』の主演俳優ランヴィール・シンが'IncInk'レーベルの発足を発表したり、DIVINEもまた新レーベルGully Gang Entertainmentを設立するなど、才能あるアーティストのためのプラットフォームが急速に整いつつある。
そのなかでも、このAzadi Recordsはピュアなアティテュードと感性で、アンダーグラウンドのリアルなヒップホップを取り扱うことで、非常に大きな存在感を示している。
今後の活動がますます注目されるレーベルである。
その他参考とした記事:
https://allaboutmusic.in/mo-joshi/
http://www.thewildcity.com/features/6357-azadi-records-are-taking-no-prisoners
https://scroll.in/magazine/893004/indias-most-exciting-music-label-doesnt-want-to-produce-hits-and-thats-a-good-thing
凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
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続きを読むそのなかでも、このAzadi Recordsはピュアなアティテュードと感性で、アンダーグラウンドのリアルなヒップホップを取り扱うことで、非常に大きな存在感を示している。
今後の活動がますます注目されるレーベルである。
その他参考とした記事:
https://allaboutmusic.in/mo-joshi/
http://www.thewildcity.com/features/6357-azadi-records-are-taking-no-prisoners
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goshimasayama18 at 14:22|Permalink│Comments(0)
2019年08月13日
ここ最近の面白い新曲を紹介!Karsh Kale feat. Komorebi, Aswekeepsearching, Swarthy Korwar feat. MC Mawaliほか
ここ最近、以前紹介したアーティストを中心に面白いリリースが相次いでいるので、今回はまとめて紹介してみます。
以前「インドのインディーズシーンの歴史的名曲レビュー」でも取り上げたタブラプレイヤー兼フュージョン・エレクトロニックの大御所Karsh Kaleは、日本のカルチャーの影響を受けた女性エレクトロニカアーティストKomorebiをフィーチャーした新曲をリリース。
Karsh Kale feat. Komorebi "Disappear"
両方のアーティストの良さが活きた素晴らしい出来栄えの楽曲。
Komorebiはここ1〜2年でどんどん評価を上げており、ついにフュージョン音楽(ここで言うフュージョンはインド伝統音楽と現代音楽の融合のこと)のパイオニアの一人で、メインストリームの映画音楽でも活躍するKarsh Kaleに抜擢されるまでになった。
映像から音作りまで、非常にアーティスティックな彼女が今後どのような受け入れられ方をするのか、注目して見守りたい。
バンガロールを拠点に活躍するポストロックのAswekeepsearchingは、よりロック色の強い新曲"Rooh"(ウルドゥー語で「精神」という意味の単語か)をリリース。
今作では、ひとつ前のアルバム"Zia"で見られたエレクトロニックの要素は見られず、よりロック的な音作りの楽曲となっているが、演奏はともかくヴォーカルがLUNA SEAの河村隆一っぽく聴こえるところが好みが分かれそうだ。
彼らは新曲と同名のニューアルバムを準備中とのこと。
インドのポストロックシーンの代表格である彼らが、どんな新しいサウンドを届けてくれるのだろうか。
アメリカ出身のインド系女性シンガーMonica Dograは、フュージョンヒップホップ的な楽曲"Jungli Warrior"をリリース。
Divineらのガリー・ラップ以降、なんの変哲も無いインドの日常風景やそこらへんのオヤジをかっこよく撮るのが流行っているようだが、このビデオでもボート漕ぎのおっさんが非常にクールな質感で映されている。
オシャレで絵になるもののみを映すのではなく、日常を「リアルでかつクールなもの」として再定義するこの傾向は、かっこいいし面白いし個人的にも大好きだ。
タイトルはの"Jungli Warrior"は「ワイルドな戦士」といった意味。
余談だが英語でも日本語でも通じる"Jungle"はインド由来の言葉である。
在英インド系タブラ奏者/ジャズ・パーカッショニストのSarathy Korwarは、ムンバイのアンダーグラウンドヒップホップクルーSwadesiのMC Mawaliをフィーチャーした"Mumbay"をリリース。
ひたすらムンバイの街と人々を映した映像は、まさに日常をクール化する作風の具体例と言っていいだろう。
ムンバイの映像に合わせて、もろジャズなトラックに、ラップと呼ぶにはインド的過ぎるMawaliの語りが乗ると、まるでニューヨークあたりのように、不穏かつスタイリッシュに映るのが不思議だ。
冒頭に映画『ガリーボーイ』で有名になったフレーズ'Apna Time Aayega'がプリントされたTシャツや、ダラヴィのラッパーたちが少しだが映っている。
音楽的には変拍子が入ったノリにくいリズムが、不思議な緊張感を醸し出していて、大都会ムンバイの雰囲気が伝わってくるかのような楽曲に仕上がっている。
Sarathy Korwarは、2016年に名門Ninja Tuneから、デビュー・アルバム"Day to Day"をリリースしたアーティスト。
ジャズにインドに暮らすアフリカ系少数民族Siddi族の音楽を取り入れた音楽性がジャイルス・ピーターソンやフォー・テットにも高い評価を受け、その後はカマシ・ワシントンらのオープニング・アクトを務めるなどヨーロッパを中心に活躍している。
"Mumbay"は彼のセカンド・アルバム"More Arriving"からの楽曲。
Sarathyは「これまでにイギリスで考えられてきた典型的なインドのサウンドではなくて、本国とディアスポラ双方の2019年の新しい音楽のショーケースを見せたかったんだ」と述べている。
アルバムの他の楽曲にはデリーの大注目ラッパーPrabh Deepや闘争のレゲエ・アーティストDelhi Sultanateも参加している。
新しい世代の在外インド人系フュージョン・アーティストとして要注目だ。
この"Mumbay"という楽曲は、「ムンバイ(ボンベイ)という都市へのラブレターのようなもの」で、この街の二重性や相反する物語を表すもの」だそう。
(https://www.vice.com/en_in/article/xwndb7/stream-sarathy-korwars-new-single-mumbay-ft-mc-mawali-of-swadesi)
以前紹介したDIVINEの"Yeh Mera Bombay"とも似たテーマを扱っているようにも思える。
ちなみにムンバイの老舗ヒップホップクルー、Mumbai's Finestによると「ムンバイは名前で、ボンベイは感情だ。同じように聴こえるかもしれないけど、ボンベイには意味があるんだ(欠点もね)」(Mumbai is the name and Bombay is a feeling, It may sound the same, but Bombay is the meaning (demeaning)!)とのこと。
この街の文化的な豊かさやいびつさが、今後ますます素晴らしい作品を生むことになりそうだ。
今回紹介したアーティストを過去に取り上げた記事はこちらから。
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以前「インドのインディーズシーンの歴史的名曲レビュー」でも取り上げたタブラプレイヤー兼フュージョン・エレクトロニックの大御所Karsh Kaleは、日本のカルチャーの影響を受けた女性エレクトロニカアーティストKomorebiをフィーチャーした新曲をリリース。
Karsh Kale feat. Komorebi "Disappear"
両方のアーティストの良さが活きた素晴らしい出来栄えの楽曲。
Komorebiはここ1〜2年でどんどん評価を上げており、ついにフュージョン音楽(ここで言うフュージョンはインド伝統音楽と現代音楽の融合のこと)のパイオニアの一人で、メインストリームの映画音楽でも活躍するKarsh Kaleに抜擢されるまでになった。
映像から音作りまで、非常にアーティスティックな彼女が今後どのような受け入れられ方をするのか、注目して見守りたい。
バンガロールを拠点に活躍するポストロックのAswekeepsearchingは、よりロック色の強い新曲"Rooh"(ウルドゥー語で「精神」という意味の単語か)をリリース。
今作では、ひとつ前のアルバム"Zia"で見られたエレクトロニックの要素は見られず、よりロック的な音作りの楽曲となっているが、演奏はともかくヴォーカルがLUNA SEAの河村隆一っぽく聴こえるところが好みが分かれそうだ。
彼らは新曲と同名のニューアルバムを準備中とのこと。
インドのポストロックシーンの代表格である彼らが、どんな新しいサウンドを届けてくれるのだろうか。
アメリカ出身のインド系女性シンガーMonica Dograは、フュージョンヒップホップ的な楽曲"Jungli Warrior"をリリース。
Divineらのガリー・ラップ以降、なんの変哲も無いインドの日常風景やそこらへんのオヤジをかっこよく撮るのが流行っているようだが、このビデオでもボート漕ぎのおっさんが非常にクールな質感で映されている。
オシャレで絵になるもののみを映すのではなく、日常を「リアルでかつクールなもの」として再定義するこの傾向は、かっこいいし面白いし個人的にも大好きだ。
タイトルはの"Jungli Warrior"は「ワイルドな戦士」といった意味。
余談だが英語でも日本語でも通じる"Jungle"はインド由来の言葉である。
在英インド系タブラ奏者/ジャズ・パーカッショニストのSarathy Korwarは、ムンバイのアンダーグラウンドヒップホップクルーSwadesiのMC Mawaliをフィーチャーした"Mumbay"をリリース。
ひたすらムンバイの街と人々を映した映像は、まさに日常をクール化する作風の具体例と言っていいだろう。
ムンバイの映像に合わせて、もろジャズなトラックに、ラップと呼ぶにはインド的過ぎるMawaliの語りが乗ると、まるでニューヨークあたりのように、不穏かつスタイリッシュに映るのが不思議だ。
冒頭に映画『ガリーボーイ』で有名になったフレーズ'Apna Time Aayega'がプリントされたTシャツや、ダラヴィのラッパーたちが少しだが映っている。
音楽的には変拍子が入ったノリにくいリズムが、不思議な緊張感を醸し出していて、大都会ムンバイの雰囲気が伝わってくるかのような楽曲に仕上がっている。
Sarathy Korwarは、2016年に名門Ninja Tuneから、デビュー・アルバム"Day to Day"をリリースしたアーティスト。
ジャズにインドに暮らすアフリカ系少数民族Siddi族の音楽を取り入れた音楽性がジャイルス・ピーターソンやフォー・テットにも高い評価を受け、その後はカマシ・ワシントンらのオープニング・アクトを務めるなどヨーロッパを中心に活躍している。
"Mumbay"は彼のセカンド・アルバム"More Arriving"からの楽曲。
Sarathyは「これまでにイギリスで考えられてきた典型的なインドのサウンドではなくて、本国とディアスポラ双方の2019年の新しい音楽のショーケースを見せたかったんだ」と述べている。
アルバムの他の楽曲にはデリーの大注目ラッパーPrabh Deepや闘争のレゲエ・アーティストDelhi Sultanateも参加している。
新しい世代の在外インド人系フュージョン・アーティストとして要注目だ。
この"Mumbay"という楽曲は、「ムンバイ(ボンベイ)という都市へのラブレターのようなもの」で、この街の二重性や相反する物語を表すもの」だそう。
(https://www.vice.com/en_in/article/xwndb7/stream-sarathy-korwars-new-single-mumbay-ft-mc-mawali-of-swadesi)
以前紹介したDIVINEの"Yeh Mera Bombay"とも似たテーマを扱っているようにも思える。
ちなみにムンバイの老舗ヒップホップクルー、Mumbai's Finestによると「ムンバイは名前で、ボンベイは感情だ。同じように聴こえるかもしれないけど、ボンベイには意味があるんだ(欠点もね)」(Mumbai is the name and Bombay is a feeling, It may sound the same, but Bombay is the meaning (demeaning)!)とのこと。
この街の文化的な豊かさやいびつさが、今後ますます素晴らしい作品を生むことになりそうだ。
今回紹介したアーティストを過去に取り上げた記事はこちらから。
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goshimasayama18 at 23:28|Permalink│Comments(0)
2018年03月17日
インド古典音楽とラップ!インドのラップのもうひとつのルーツ
以前、Raja Kumariについて書いた記事の最後で、インドの伝統的なリズムに言葉を乗せることでラップになる!という彼女の大発見を紹介した。
ここ数年、ラップの人気が非常に高まってきているインドだが、インドとラップの関係というのは、米国由来のヒップホップ側からの一方的な影響だけではなく、彼女が発見したようにインドの伝統側からのアプローチというのもあって、そのぶつかったところで音楽的に面白いことになっている、というのが今日のお話でございます。
まずはそのRaja Kumariのインタビュー映像をもっかい見てみましょう。
注目は1:20頃から。
幼い頃から習ってきた伝統的なインドのリズムに英語を乗せることで、(他のどこにもない)ラップになる!というとてもエキサイティングな話。
インド系アメリカ人である彼女はカリフォルニアでインド古典のリズムとラップの共通性を発見したわけだけど、同じようなことをインド国内で発見した人たちもいる。
まずはパーカッショニストのViveick RajagopalanがヒップホップユニットのSwadesiと共演した"Ta Dhom"!
このViveik RajagopalanとSwadesiはインド伝統のリズムとラップを融合するプロジェクトをやっていて、この曲の、Viveickが口でリズムを刻むところにラッパーが言葉を重ねてくるというアプローチは、Raja Kumariと全く同じ。
期せずして同じ「発見」がインド国内でも起きていたということになる。
続いてお聴きいただくのは、古典パーカッショニストのMayur Narvekarと、Nucleya名義での活動で有名なトラックメイカーUdyan SagarによるユニットであるBandish Projektが、MC MawaliとMC Tod Fodという二人のラッパーをフィーチャーして発表したKar Natakという曲。
ビデオ自体はストリート&社会派色の強い非常にヒップホップ的なものだが、ラップのフロウそのものはヒップホップというよりも全体的にインドのリズムっぽくなっていて、2:40あたりから例の口リズムが始まる!
MC MawaliとMC Tod Fodはその前のビデオで紹介したSwadesiの一員。
Swadesiという名前は、かのマハートマー・ガーンディーが独立運動の中で提唱した「英国製のものではなく国産品を愛用しよう」っていうスワデシ運動(Swadeshi)と、インド系の移民等を表すときに使われる言葉"desi"をかけたネーミングで、"desi"という言葉はヒップホップの世界ではインド系ヒップホップを表す"Desi Hip hop"という用語でよく使われる。
"Desi Hip Hop"はかつては英国や米国在住のインド系アーティストによるヒップホップを指していたが、最近ではインド国内のラッパーもこの言葉の範疇に含めることが多いようだ。
彼らの"Swadesi"って、こういう音楽をやるにはこれ以上ないほどぴったりのネーミングじゃないかと思う。
続いて、これもViveick Rajagopalanが関わっているライブ。
ドラムスと打ち込みとインドのパーカッションのムリガンダムによるリズムに、古典声楽のヴォーカルとラップが乗っかっている。
3分過ぎからは例のスキャット的な口リズムが、テクノ系の音楽のヴォコーダーがかかったサウンドのようなニュアンスで入ってきて、ここまで来ると、もうどこまでがインド音楽で、どこからが西洋音楽なのかが完全に分からなくなってくる。
さて、それじゃあ、こんなふうにいろんなアプローチがされている「インド風ラップ」のもとになったインド音楽の伝統的な部分っていうのはどんなものなんだろうか。
古典音楽の知識は全然無いのだけど、知る限りでいくつか紹介してみたいと思います。
まずフィラデルフィアのインド系アメリカ人Jomy Georgeさんという人がやっていることに注目。
この、口でリズムを表現したあとにタブラで同じリズムを叩くという方法。これはじつは伝統的なタブラの教え方でもある。
タブラの音は「タ」とか「ダ」とか「ナ」とか、全て音で表されるようになっていて、口で表現したリズムをそのまま叩くというのは、まさに伝統的なタブラのレッスン方法。
インド古典音楽のコンサートでも、タブラ奏者のソロパートで「口でリズムを言って、その通り叩く」というパフォーマンスがよく行われる。
これはタブラ界の大御所中の大御所、Zakir Hussainが若い頃に父のAlla Rakhaと共演したライブ映像で、1:05くらいから始まるリズム対決に注目!
父が自分の叩くリズムを口で表現した後に、息子が同じく自分のリズムを口で表現、次に一緒に叩くリズムを一緒に口で表して、実際にその通りに叩くというセッションが続く。
これはまるで意味から解放されたリズムとフロウのみのフリースタイルバトルのよう!
これとは別に、南インドには伝統的なスキャットのような歌唱法、Konnakolというのもあって、これがまた凄い。
もうスキャットマン・ジョンも裸足で逃げ出す驚愕のスキャット!
凄いのは分かるけど、他の楽器でも一般的な歌い方でもなく、彼らはなぜこれをひたすら練習して極めようと思ったのか、もう何が何だか分からない。
何が言いたいかというと、インドでは昔からこんなふうに、ポリリズムが入ったような複雑なリズムを口で表すという伝統があったということで、これがこの時代になって、ラップと融合するのはもう当然というか必然なんじゃないでしょうか、っていうこと。
さらにはインドの伝統の中には韻文形式の詩や経文、それに音楽をつけた宗教歌もあるわけで、インドで短期間のうちにラップがこれだけ受け入れられるようになっている深層には、こうした伝統文化の影響というものも少なからずあるのではないかな、というのがなかば妄想を交えたアタクシの考えってわけです。
そういえば、以前紹介したBrodha Vの"Aigiri Nandini"もヒンドゥーの賛歌とラップの融合だった。
この曲のYoutubeの動画のトップのコメントにはこんなことが書かれている。
"you all gotta accept one thing, all the ancient Slokas were like rap music. So technically we bharatiyas invented rap music :)."
「みんなが受け入れなきゃいけないことが一つある。古いシュローカ(8音節×4行で表される韻文詩)ってみんなラップミュージックみたいだ。だから、技術的には俺たちインド人がラップを発明したってことになるのさ。」
ちなみにインドの楽器、タブラとラップの融合を試みている人たちは日本にもいて、例えばこんな楽曲がある。
U-ZhaanとKAKATO(環ROY & 鎮座DOPENESS)のTabla'n'Rapという曲。
これはこれで、タブラを使いながらもインド風味ではなく日本のセンスでかっこよく仕上がっているんじゃないでしょうか。
それでは今日はこのへんで!
ここ数年、ラップの人気が非常に高まってきているインドだが、インドとラップの関係というのは、米国由来のヒップホップ側からの一方的な影響だけではなく、彼女が発見したようにインドの伝統側からのアプローチというのもあって、そのぶつかったところで音楽的に面白いことになっている、というのが今日のお話でございます。
まずはそのRaja Kumariのインタビュー映像をもっかい見てみましょう。
注目は1:20頃から。
幼い頃から習ってきた伝統的なインドのリズムに英語を乗せることで、(他のどこにもない)ラップになる!というとてもエキサイティングな話。
インド系アメリカ人である彼女はカリフォルニアでインド古典のリズムとラップの共通性を発見したわけだけど、同じようなことをインド国内で発見した人たちもいる。
まずはパーカッショニストのViveick RajagopalanがヒップホップユニットのSwadesiと共演した"Ta Dhom"!
このViveik RajagopalanとSwadesiはインド伝統のリズムとラップを融合するプロジェクトをやっていて、この曲の、Viveickが口でリズムを刻むところにラッパーが言葉を重ねてくるというアプローチは、Raja Kumariと全く同じ。
期せずして同じ「発見」がインド国内でも起きていたということになる。
続いてお聴きいただくのは、古典パーカッショニストのMayur Narvekarと、Nucleya名義での活動で有名なトラックメイカーUdyan SagarによるユニットであるBandish Projektが、MC MawaliとMC Tod Fodという二人のラッパーをフィーチャーして発表したKar Natakという曲。
ビデオ自体はストリート&社会派色の強い非常にヒップホップ的なものだが、ラップのフロウそのものはヒップホップというよりも全体的にインドのリズムっぽくなっていて、2:40あたりから例の口リズムが始まる!
MC MawaliとMC Tod Fodはその前のビデオで紹介したSwadesiの一員。
Swadesiという名前は、かのマハートマー・ガーンディーが独立運動の中で提唱した「英国製のものではなく国産品を愛用しよう」っていうスワデシ運動(Swadeshi)と、インド系の移民等を表すときに使われる言葉"desi"をかけたネーミングで、"desi"という言葉はヒップホップの世界ではインド系ヒップホップを表す"Desi Hip hop"という用語でよく使われる。
"Desi Hip Hop"はかつては英国や米国在住のインド系アーティストによるヒップホップを指していたが、最近ではインド国内のラッパーもこの言葉の範疇に含めることが多いようだ。
彼らの"Swadesi"って、こういう音楽をやるにはこれ以上ないほどぴったりのネーミングじゃないかと思う。
続いて、これもViveick Rajagopalanが関わっているライブ。
ドラムスと打ち込みとインドのパーカッションのムリガンダムによるリズムに、古典声楽のヴォーカルとラップが乗っかっている。
3分過ぎからは例のスキャット的な口リズムが、テクノ系の音楽のヴォコーダーがかかったサウンドのようなニュアンスで入ってきて、ここまで来ると、もうどこまでがインド音楽で、どこからが西洋音楽なのかが完全に分からなくなってくる。
さて、それじゃあ、こんなふうにいろんなアプローチがされている「インド風ラップ」のもとになったインド音楽の伝統的な部分っていうのはどんなものなんだろうか。
古典音楽の知識は全然無いのだけど、知る限りでいくつか紹介してみたいと思います。
まずフィラデルフィアのインド系アメリカ人Jomy Georgeさんという人がやっていることに注目。
この、口でリズムを表現したあとにタブラで同じリズムを叩くという方法。これはじつは伝統的なタブラの教え方でもある。
タブラの音は「タ」とか「ダ」とか「ナ」とか、全て音で表されるようになっていて、口で表現したリズムをそのまま叩くというのは、まさに伝統的なタブラのレッスン方法。
インド古典音楽のコンサートでも、タブラ奏者のソロパートで「口でリズムを言って、その通り叩く」というパフォーマンスがよく行われる。
これはタブラ界の大御所中の大御所、Zakir Hussainが若い頃に父のAlla Rakhaと共演したライブ映像で、1:05くらいから始まるリズム対決に注目!
父が自分の叩くリズムを口で表現した後に、息子が同じく自分のリズムを口で表現、次に一緒に叩くリズムを一緒に口で表して、実際にその通りに叩くというセッションが続く。
これはまるで意味から解放されたリズムとフロウのみのフリースタイルバトルのよう!
これとは別に、南インドには伝統的なスキャットのような歌唱法、Konnakolというのもあって、これがまた凄い。
もうスキャットマン・ジョンも裸足で逃げ出す驚愕のスキャット!
凄いのは分かるけど、他の楽器でも一般的な歌い方でもなく、彼らはなぜこれをひたすら練習して極めようと思ったのか、もう何が何だか分からない。
何が言いたいかというと、インドでは昔からこんなふうに、ポリリズムが入ったような複雑なリズムを口で表すという伝統があったということで、これがこの時代になって、ラップと融合するのはもう当然というか必然なんじゃないでしょうか、っていうこと。
さらにはインドの伝統の中には韻文形式の詩や経文、それに音楽をつけた宗教歌もあるわけで、インドで短期間のうちにラップがこれだけ受け入れられるようになっている深層には、こうした伝統文化の影響というものも少なからずあるのではないかな、というのがなかば妄想を交えたアタクシの考えってわけです。
そういえば、以前紹介したBrodha Vの"Aigiri Nandini"もヒンドゥーの賛歌とラップの融合だった。
この曲のYoutubeの動画のトップのコメントにはこんなことが書かれている。
"you all gotta accept one thing, all the ancient Slokas were like rap music. So technically we bharatiyas invented rap music :)."
「みんなが受け入れなきゃいけないことが一つある。古いシュローカ(8音節×4行で表される韻文詩)ってみんなラップミュージックみたいだ。だから、技術的には俺たちインド人がラップを発明したってことになるのさ。」
ちなみにインドの楽器、タブラとラップの融合を試みている人たちは日本にもいて、例えばこんな楽曲がある。
U-ZhaanとKAKATO(環ROY & 鎮座DOPENESS)のTabla'n'Rapという曲。
これはこれで、タブラを使いながらもインド風味ではなく日本のセンスでかっこよく仕上がっているんじゃないでしょうか。
それでは今日はこのへんで!
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