SkaVengers
2019年03月27日
ヒンドゥー・ナショナリズムとインドの音楽シーン
先日、映画「バジュランギおじさんと小さな迷子」の話題と絡めてヒンドゥー・ナショナリズムの話を書いた。(「バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(前編)」)
ヒンドゥー・ナショナリズムは、「インドはヒンドゥーの土地である」という思想で、この思想のもとに教育や貧困支援などの慈善活動が行われている反面、ヒンドゥーの伝統に反するもの(例えば外来の宗教であるイスラームやキリスト教)をときに暴力的に排除しようとする側面があるとして問題視されている。
こうした運動は現代インドで無視できないほどの力を持っており、よく言われる例では現在の政権与党であるモディ首相の所属するBJP(インド人民党)は、ヒンドゥー・ナショナリズム団体RSS(民族義勇団)を母体とする政党だったりもする。
このブログで紹介しているようなロックやヒップホップ、エレクトロニックなどの音楽シーンでは、これらのジャンルがもともと自由や反権威を志向するものだということもあって、一般的にこうしたヒンドゥー至上主義的な動きに反対する傾向が強い。
その最もラディカルな例が以前紹介したデリーのレゲエバンドSka VengersのDelhi SultanateことTaru DalmiaのユニットBFR Soundsystemだろう。
彼はジャマイカン・ミュージックを闘争のための音楽と位置づけ、レゲエ未開の地インドでサウンドシステムを通してヒンドゥー・ナショナリズムや抑圧的な体制からの自由を訴えるという、なかばドン・キホーテ的な活動を繰り広げている。
(詳細は「Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」参照)
Ska Vengersの痛烈なモディ批判ソング"Modi, A Message for you".
Taruはこの曲を発表したことで殺害予告を受けたこともあるそうだが、命の危険を冒してまで、彼らは音楽を通してメッセージを発信しているのだ。
ヒンドゥー・ナショナリズムについては、地域や所属するコミュニティーや個人の考え方によって、まったく捉えられ方が異なる。
たとえばムンバイのような先進的な大都市に暮らす人に話を聞くと、度を越したナショナリズム的な傾向があるのはごく一部であって、ほとんどの人は全くそんなこと考えずに生活しているよ、なんて言われたりもする。
(ムンバイはムンバイで、シヴ・セーナーという地域ナショナリズム政党が強い土地柄であるにもかかわらず、だ)
こんなふうに聞くと、なーんだ、ヒンドゥー・ナショナリズムなんて言っても、実際は一部の偏屈な連中が騒いでいるだけなんじゃないの?と言いたくなってしまうが、地方では、ナショナリズム的な傾向と伝統的な価値観が合わさって、なかなかに厳しい状況のようなのだ。
昨年8月に書かれたインドのカルチャー系ウェブサイトHomegrownの記事では、インド北部ウッタル・プラデーシュ州の街ジャーンシーの信じられない状況が報告されている。
(Homegrown "Communal ‘Hate Songs’ Top The Playlists Of DJs In Jhansi"
さらにそのもとになった記事は、ThePrint "The Hindu & Muslim DJs behind India’s hate soundtrack")
この街では、なんとDJたちがヒンドゥー至上主義や反ムスリム、反リベラル的なリリックの楽曲を作り、大勢の人々が繰り出すラーマ神やガネーシャ神の祭礼の際に大音量でプレイして、住民たちが大盛り上がりで踊っているという。
「シヴァ神がカイラーシュ山からメッセージを送り、サフラン色(ヒンドゥー至上主義を象徴する色)の旗がパキスタンにもはためく」とか「インドに暮らしたければ"Jai Sri Ram"を唱えろ」とか「アヨーディヤーのバブリー・マスジッドを破壊した跡地にラーマ寺院を建てよう」なんていう狂信的で偏見に満ちた曲が流されているというのだ。
"Jai Sri Ram"というヒンドゥーの祈りの言葉は、映画「バジュランギおじさん」では印パ/ヒンドゥーとムスリムの相互理解の象徴として使われていたことを覚えている人も多いだろう。
その言葉が、ここではムスリムに対する踏み絵のような使われ方をしている。
アヨーディヤーというのはイスラーム教の歴史あるモスク、バブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒が破壊するという事件が起きた街の名前だ。
この事件は現代インドの宗教対立の大きな火種となっており、このリリックはムスリムに対する明白な挑発だ。(Ska vengersを紹介した記事でも少し触れている)
なんだか悲しい話だが、この問題を扱ったこの短いドキュメンタリー映像(6分弱)を見る限り、こうしたヘイト的な曲に合わせてダンスする人々の様子は、憎しみに燃えているというよりもむしろ無邪気に楽しんでいるようで、それがまた余計にやりきれない気持ちにさせられる。
これらのヘイトソングを作成しているDJ達(記事やビデオではDJと呼ばれているが、いわゆるトラックメイカーのことようだ)は、インタビューで「個人的にはムスリムのことを憎んではいない。でも求められた曲を作ることが俺たちの仕事で、こういう曲のほうが金になるんだ」と語っている。
彼らにこういう楽曲を発注して、行き過ぎたナショナリズムを煽動している黒幕がいるのだ。
DJたちもさすがに「モスクの前なんかでこういう曲をプレイするのは問題だね」という意識はあるようだが、保守的な田舎町で音楽で生計を立ててゆくために、てっとり早く金になるヘイト的な楽曲を作ることへのためらいは見られない。
偏見に満ちた思想が音楽を愛するアーティスト自身の主張ではないということに少しだけ救われるが、宗教的な祭礼において、祝福や神への献身よりもヘイトのほうに需要があるというのは、部外者ながらどう考えてもおかしいと感じざるを得ない。
このジャーンシー、私も20年ほど前に、バスの乗り継ぎのために降り立ったことがあるが、そのときはのどかでごく普通の小さな地方都市という以上の印象は感じなかった。
ところが、記事によるとこの地域はリンチや暴動、カーストやコミュニティーの違いによる暴力沙汰などが頻発しているとのことで、インドの保守的なエリアの暗部がさまざまな形で噴出しているようなのである。
地域や貧富による多様性と格差がすさまじいインドでは、ムンバイのような大都市の常識が地方ではまったく通じない。
インドの田舎には古き良き暮らしや伝統が残っている反面、旧弊な偏見が残り、コミュニティー同士が時代の変化のなかで対立を激化させているという部分もあるのだ。
上記のThe Printの記事によると、実際にウエストベンガル州やビハール州では、こうしたヘイトソングがモスクの近くでプレイされたことをきっかけとする衝突が発生しているという。
ふだんこのブログで紹介している都市部の開かれた音楽カルチャーと比較すると、とても信じられない話だが、残念ながらこれもまたインドの音楽シーンの一側面ということになるのだろう。
こうした排他的ヒンドゥー・ナショナリズムの音楽シーンへの影響は、じつは地方都市だけに限ったことではない。
マハーラーシュトラ州のプネーは多くの大学が集まる学園都市で、多数の有名外国人アーティストがライブを行うなど文化的に開かれた印象の土地だが、2018年にはヒンドゥー・ナショナリストたちがここで行われたSunburn Festival(以前紹介したアジア最大のエレクトロニック系音楽フェスだ)をテロの標的としたという疑いで逮捕されている。
(The New Indian Express "Suspected right-wing activists wanted to target Sunburn Festival in Pune: ATS")
この件で逮捕されたヒンドゥー右翼団体'Sanatan Sanstha'のメンバー5人は、ヒンドゥー教の伝統に反するという理由で、EDM系のフェスティバルであるSunburn Festivalや、大ヒット映画"Padmaavat"の上映館に爆発物を仕掛けることを計画していたという。
2018年のSunburn Festivalの様子
"Padmaavat"予告編。主演は"Gully Boy"のRanveer Singhで、彼の奥さんDeepika Padukoneも出演し、大ヒットを記録した映画だ。
こうして並べてみると、もう何がヒンドゥー至上主義者の逆鱗に触れるのか、全くもって分からなくなってくる。
"Padmaavat"に関して言うと、歴史映画のなかでのキャラクターや宗教の描き方についてヒンドゥー、イスラームそれぞれの宗教団体から抗議を受け、撮影の妨害なども行われていたということのようだ。
こうしたタイプの映画への反対運動は頻繁に行われていて、州によっては特定の映画の上映が禁止されてしまうといったことも起きている。
Sunburn Festivalに関しては言わずもがなで、享楽的なEDMに合わせて踊る人々は伝統を重んじるヒンドゥー至上主義者たちにとっては堕落以外の何ものでもないと映るのだろう。
資本主義・物質主義的な価値観の急速な浸透(インドは90年代初めごろまで社会主義的な経済政策をとっていた)に対する反発は、ヒンドゥー・ナショナリズム隆盛の原因のひとつだが、その矛先はこうして新しいタイプの音楽の流行にも向けられるようになった。
今更こんなことを大上段に構えて言うのもなんだが、音楽や芸術は人間の精神の自由を象徴するものだ。
音楽に合わせて肉体と精神を解放して生を祝福するという行為は、有史以前から人類が行ってきたことのはずなのに、自らの価値観に合わないからという理由でそれを(ときに暴力的に)潰そうとする人々がいる。
音楽が好きな人なら、「特定の価値観を持つ人たちが、音楽表現の場を、音楽を楽しむ場を、奪うなんてことがあってはならない」ということに同意してくれるだろう。
だが、我々もインドの過激な伝統主義者たちのニュースを人ごとだとは言っていられない。
ここ日本でも、アーティストの表現をサポートすべきレコード会社が、特定のアーティストが「容疑者」となったことで、彼が関わった作品の配信を停止したり、CDを店頭から回収したりなんていう馬鹿馬鹿しいことがあったばかりだ。
脅迫に屈したわけでもないのに、事なかれ主義の自粛こそが正義だと考え、とても音楽文化を扱う企業とは思えないような判断をしているということに、大げさに言えば危機感を覚える。
坂本龍一も言っていたが、いったい誰のための、何のための自粛なんだろうか。
しかも、同じ会社がオーバードーズで死んだジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックス、明らかにドラッグの影響を受けている(コカイン所持で逮捕されたこともある)ジョージ・クリントンの作品は平気で扱っているというから開いた口がふさがらない。
自粛したければ、個々のリスナーが聴かないことを選べば良いだけだ。
話が大幅に逸れたけど、いろいろと考えせられるインドと、そして日本の状況について書かせてもらいました。
それぞれが、それぞれの好きな音楽を楽しむ。そんな当たり前のことができる世の中が日本に無いっていうのが情けないね。
インドじゃ命懸けで表現に向き合っているアーティストもいるというのに。
A-ZA-DI!! (Freedom)
ヒンドゥー・ナショナリズムは、「インドはヒンドゥーの土地である」という思想で、この思想のもとに教育や貧困支援などの慈善活動が行われている反面、ヒンドゥーの伝統に反するもの(例えば外来の宗教であるイスラームやキリスト教)をときに暴力的に排除しようとする側面があるとして問題視されている。
こうした運動は現代インドで無視できないほどの力を持っており、よく言われる例では現在の政権与党であるモディ首相の所属するBJP(インド人民党)は、ヒンドゥー・ナショナリズム団体RSS(民族義勇団)を母体とする政党だったりもする。
このブログで紹介しているようなロックやヒップホップ、エレクトロニックなどの音楽シーンでは、これらのジャンルがもともと自由や反権威を志向するものだということもあって、一般的にこうしたヒンドゥー至上主義的な動きに反対する傾向が強い。
その最もラディカルな例が以前紹介したデリーのレゲエバンドSka VengersのDelhi SultanateことTaru DalmiaのユニットBFR Soundsystemだろう。
彼はジャマイカン・ミュージックを闘争のための音楽と位置づけ、レゲエ未開の地インドでサウンドシステムを通してヒンドゥー・ナショナリズムや抑圧的な体制からの自由を訴えるという、なかばドン・キホーテ的な活動を繰り広げている。
(詳細は「Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」参照)
Ska Vengersの痛烈なモディ批判ソング"Modi, A Message for you".
Taruはこの曲を発表したことで殺害予告を受けたこともあるそうだが、命の危険を冒してまで、彼らは音楽を通してメッセージを発信しているのだ。
ヒンドゥー・ナショナリズムについては、地域や所属するコミュニティーや個人の考え方によって、まったく捉えられ方が異なる。
たとえばムンバイのような先進的な大都市に暮らす人に話を聞くと、度を越したナショナリズム的な傾向があるのはごく一部であって、ほとんどの人は全くそんなこと考えずに生活しているよ、なんて言われたりもする。
(ムンバイはムンバイで、シヴ・セーナーという地域ナショナリズム政党が強い土地柄であるにもかかわらず、だ)
こんなふうに聞くと、なーんだ、ヒンドゥー・ナショナリズムなんて言っても、実際は一部の偏屈な連中が騒いでいるだけなんじゃないの?と言いたくなってしまうが、地方では、ナショナリズム的な傾向と伝統的な価値観が合わさって、なかなかに厳しい状況のようなのだ。
昨年8月に書かれたインドのカルチャー系ウェブサイトHomegrownの記事では、インド北部ウッタル・プラデーシュ州の街ジャーンシーの信じられない状況が報告されている。
(Homegrown "Communal ‘Hate Songs’ Top The Playlists Of DJs In Jhansi"
さらにそのもとになった記事は、ThePrint "The Hindu & Muslim DJs behind India’s hate soundtrack")
この街では、なんとDJたちがヒンドゥー至上主義や反ムスリム、反リベラル的なリリックの楽曲を作り、大勢の人々が繰り出すラーマ神やガネーシャ神の祭礼の際に大音量でプレイして、住民たちが大盛り上がりで踊っているという。
「シヴァ神がカイラーシュ山からメッセージを送り、サフラン色(ヒンドゥー至上主義を象徴する色)の旗がパキスタンにもはためく」とか「インドに暮らしたければ"Jai Sri Ram"を唱えろ」とか「アヨーディヤーのバブリー・マスジッドを破壊した跡地にラーマ寺院を建てよう」なんていう狂信的で偏見に満ちた曲が流されているというのだ。
"Jai Sri Ram"というヒンドゥーの祈りの言葉は、映画「バジュランギおじさん」では印パ/ヒンドゥーとムスリムの相互理解の象徴として使われていたことを覚えている人も多いだろう。
その言葉が、ここではムスリムに対する踏み絵のような使われ方をしている。
アヨーディヤーというのはイスラーム教の歴史あるモスク、バブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒が破壊するという事件が起きた街の名前だ。
この事件は現代インドの宗教対立の大きな火種となっており、このリリックはムスリムに対する明白な挑発だ。(Ska vengersを紹介した記事でも少し触れている)
なんだか悲しい話だが、この問題を扱ったこの短いドキュメンタリー映像(6分弱)を見る限り、こうしたヘイト的な曲に合わせてダンスする人々の様子は、憎しみに燃えているというよりもむしろ無邪気に楽しんでいるようで、それがまた余計にやりきれない気持ちにさせられる。
これらのヘイトソングを作成しているDJ達(記事やビデオではDJと呼ばれているが、いわゆるトラックメイカーのことようだ)は、インタビューで「個人的にはムスリムのことを憎んではいない。でも求められた曲を作ることが俺たちの仕事で、こういう曲のほうが金になるんだ」と語っている。
彼らにこういう楽曲を発注して、行き過ぎたナショナリズムを煽動している黒幕がいるのだ。
DJたちもさすがに「モスクの前なんかでこういう曲をプレイするのは問題だね」という意識はあるようだが、保守的な田舎町で音楽で生計を立ててゆくために、てっとり早く金になるヘイト的な楽曲を作ることへのためらいは見られない。
偏見に満ちた思想が音楽を愛するアーティスト自身の主張ではないということに少しだけ救われるが、宗教的な祭礼において、祝福や神への献身よりもヘイトのほうに需要があるというのは、部外者ながらどう考えてもおかしいと感じざるを得ない。
このジャーンシー、私も20年ほど前に、バスの乗り継ぎのために降り立ったことがあるが、そのときはのどかでごく普通の小さな地方都市という以上の印象は感じなかった。
ところが、記事によるとこの地域はリンチや暴動、カーストやコミュニティーの違いによる暴力沙汰などが頻発しているとのことで、インドの保守的なエリアの暗部がさまざまな形で噴出しているようなのである。
地域や貧富による多様性と格差がすさまじいインドでは、ムンバイのような大都市の常識が地方ではまったく通じない。
インドの田舎には古き良き暮らしや伝統が残っている反面、旧弊な偏見が残り、コミュニティー同士が時代の変化のなかで対立を激化させているという部分もあるのだ。
上記のThe Printの記事によると、実際にウエストベンガル州やビハール州では、こうしたヘイトソングがモスクの近くでプレイされたことをきっかけとする衝突が発生しているという。
ふだんこのブログで紹介している都市部の開かれた音楽カルチャーと比較すると、とても信じられない話だが、残念ながらこれもまたインドの音楽シーンの一側面ということになるのだろう。
こうした排他的ヒンドゥー・ナショナリズムの音楽シーンへの影響は、じつは地方都市だけに限ったことではない。
マハーラーシュトラ州のプネーは多くの大学が集まる学園都市で、多数の有名外国人アーティストがライブを行うなど文化的に開かれた印象の土地だが、2018年にはヒンドゥー・ナショナリストたちがここで行われたSunburn Festival(以前紹介したアジア最大のエレクトロニック系音楽フェスだ)をテロの標的としたという疑いで逮捕されている。
(The New Indian Express "Suspected right-wing activists wanted to target Sunburn Festival in Pune: ATS")
この件で逮捕されたヒンドゥー右翼団体'Sanatan Sanstha'のメンバー5人は、ヒンドゥー教の伝統に反するという理由で、EDM系のフェスティバルであるSunburn Festivalや、大ヒット映画"Padmaavat"の上映館に爆発物を仕掛けることを計画していたという。
2018年のSunburn Festivalの様子
"Padmaavat"予告編。主演は"Gully Boy"のRanveer Singhで、彼の奥さんDeepika Padukoneも出演し、大ヒットを記録した映画だ。
こうして並べてみると、もう何がヒンドゥー至上主義者の逆鱗に触れるのか、全くもって分からなくなってくる。
"Padmaavat"に関して言うと、歴史映画のなかでのキャラクターや宗教の描き方についてヒンドゥー、イスラームそれぞれの宗教団体から抗議を受け、撮影の妨害なども行われていたということのようだ。
こうしたタイプの映画への反対運動は頻繁に行われていて、州によっては特定の映画の上映が禁止されてしまうといったことも起きている。
Sunburn Festivalに関しては言わずもがなで、享楽的なEDMに合わせて踊る人々は伝統を重んじるヒンドゥー至上主義者たちにとっては堕落以外の何ものでもないと映るのだろう。
資本主義・物質主義的な価値観の急速な浸透(インドは90年代初めごろまで社会主義的な経済政策をとっていた)に対する反発は、ヒンドゥー・ナショナリズム隆盛の原因のひとつだが、その矛先はこうして新しいタイプの音楽の流行にも向けられるようになった。
今更こんなことを大上段に構えて言うのもなんだが、音楽や芸術は人間の精神の自由を象徴するものだ。
音楽に合わせて肉体と精神を解放して生を祝福するという行為は、有史以前から人類が行ってきたことのはずなのに、自らの価値観に合わないからという理由でそれを(ときに暴力的に)潰そうとする人々がいる。
音楽が好きな人なら、「特定の価値観を持つ人たちが、音楽表現の場を、音楽を楽しむ場を、奪うなんてことがあってはならない」ということに同意してくれるだろう。
だが、我々もインドの過激な伝統主義者たちのニュースを人ごとだとは言っていられない。
ここ日本でも、アーティストの表現をサポートすべきレコード会社が、特定のアーティストが「容疑者」となったことで、彼が関わった作品の配信を停止したり、CDを店頭から回収したりなんていう馬鹿馬鹿しいことがあったばかりだ。
脅迫に屈したわけでもないのに、事なかれ主義の自粛こそが正義だと考え、とても音楽文化を扱う企業とは思えないような判断をしているということに、大げさに言えば危機感を覚える。
坂本龍一も言っていたが、いったい誰のための、何のための自粛なんだろうか。
しかも、同じ会社がオーバードーズで死んだジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックス、明らかにドラッグの影響を受けている(コカイン所持で逮捕されたこともある)ジョージ・クリントンの作品は平気で扱っているというから開いた口がふさがらない。
自粛したければ、個々のリスナーが聴かないことを選べば良いだけだ。
話が大幅に逸れたけど、いろいろと考えせられるインドと、そして日本の状況について書かせてもらいました。
それぞれが、それぞれの好きな音楽を楽しむ。そんな当たり前のことができる世の中が日本に無いっていうのが情けないね。
インドじゃ命懸けで表現に向き合っているアーティストもいるというのに。
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それではまた。
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goshimasayama18 at 21:52|Permalink│Comments(0)
2018年06月03日
Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス
前回の記事で、デリーのスカ・バンドSka Vengersを紹介した。
彼らがレゲエやスカを単なるゴキゲンな音楽としてではなく、抑圧や専制に対する闘争の手段として捉え、 ヒンドゥー・ナショナリズムやインド社会の不正義と戦う姿勢を示していることは記事の通りだ。
Ska Vnegersの中心人物、Delhi SultanateことTaru Dalmiaは、バンド以外でもBFR(Bass Foundation Roots) Sound Systemという名義でジャマイカン・ミュージックを通した自由への抑圧に対する抗議行動を行っている。
アル・ジャジーラが製作した"India's Reggae Resistance: Defending Dissent Under Modi" はそんな彼の活動を追いかけたドキュメンタリーだ。
モディ政権後、ヒンドゥー原理主義が力を持ち言論の自由が脅かされつつあるインドで、Taruは音楽を通した闘争を始めるべく、クラウドファンディングで集めた資金でサウンドシステムを作り上げることにした。抗議活動の場で自由を求めるレゲエ・サウンドを鳴らすために。
サウンドシステムとは、ジャマイカで生まれた移動式の巨大なスピーカーとDJブースのこと。
クラブのような音楽を楽しむための場所がなかった時代に、音楽にあわせてラップや語りや歌を乗せるスタイルで、人々を踊らせ、音楽によるひとときの自由を提供するための手段として生まれた(やがて海を渡ってヒップホップやレイヴ・カルチャー誕生の揺籃ともなったのは、また別のお話)。
Taruにとってジャマイカン・ミュージックは自由のための闘争の手段。
「レゲエの本質に戻ってみると、サウンドシステムに行き着く。サウンドシステムは単なる積み重ねたスピーカーじゃない。音楽や自由を自分たちの手に取り戻し、ストリートに届ける手段なんだ」
彼の広い庭に巨大なスピーカーが組み上がる。
まったく歴史的、文化的背景の違うインドで、ジャマイカと同じようにレゲエを闘争の手段にしようとしている彼こそ、ヒンドゥー原理主義者ならぬレゲエ原理主義者なんじゃないか、という気がしないでもないが、彼はいたって真剣だ。
最初の活動の場は、デリーの名門大学JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)。
言論の自由を求める活動の中心地であり、Taruの出身大学でもある。
「同志よ!ジャイ・ビーム!ラール・サラーム!ジャマイカの奴隷農園の革命の歌を演奏する!」
「ジャイ・ビーム」とはインド憲法の起草者で、最下層の被差別階級出身の活動家、ビームラーオ・アンベードカルを讃える言葉。
カーストに基づく差別からの脱却のため、被差別階級の人々と集団で仏教に改宗した彼を讃えるこのフレーズは、改宗仏教徒など、旧弊な社会秩序に異を唱える人々の合言葉だ。
「ラール・サラーム(赤色万歳)」は、共産主義のシンボルカラーを讃える反資本主義者たちの合言葉。
Taruの言葉に活動家たちから歓声が上がるが、音楽をかけても人々は踊らない。
彼の思想には共鳴しても、レゲエなんて聴いたことがない彼らは、初めて耳にするリズムにどうして良いか分からずじっと座っているばかりだ。
すっかり盛り上がりに欠けたまま、やがて大学当局者に音を止めるように言われ、しぶしぶDJを止めるTaru.
すると当局の介入によって演奏を止められたことに抗議して、学生たちから自由を求めるコール&レスポンスが始まる。
皮肉なことに、音楽が止められたことで、抗議運動は初めて盛り上がりを見せたのだった。
やはりインドでレゲエを使った社会運動は無理があるのか。
それでもTaruはあきらめない。
次なる活動の場は幾多の大学を抱える街、プネーのFTII (Film and Television Institute of India)。
抗議行動をオーガナイズする学生組織とのミーティングで、Taruはこんなことを言われる。
「初めてレゲエを聞いたけど、僕たちの文化の中では共感を得にくいんじゃないかな。なんというか、エリートの音楽っていう感じがする。英語だし、ラップだから」
「欧米から来た音楽だからって、みんなエリートの音楽ってわけじゃない。ブロークンな英語で歌われている音楽なんだ」
Taruは反論するが、こう言われてしまう。
「僕たち活動家が理解できないっていうのに、どうやって一般の人々がそれを理解できるんだい?」
Taruの理想と現実の乖離を率直に指摘する言葉だ。
地元の人々に受け入れられるために、彼らの言語であるヒンディーやマラーティーをレゲエのリズムに乗せることにした。
レゲエをインドでの社会運動において意味あるものとするために、彼らの工夫は続く。
地元の社会派ラッパー、Swadesiにも声をかけた。
ジャマイカの大衆のための音楽が、少しずつインドの大衆のためのものに変わってゆく…。
憲法記念日。プネーで行われる野外コンサートの当日。
主宰者側はカシミール問題(パキスタンとの間の、ヒンドゥーとイスラムの宗教問題を含んだ領土問題)のようなデリケートな話題を持ち出し、当局に集会を潰されることを心配していた。
言論の自由を求める集まりであるにもかかわらず、だ。
「世界最大の民主主義国」インドの自由は微妙なバランスの上に成り立っている。
集まった人々に、Taruはこう語りかける。
「独立したはずのインドでも、最近じゃこんな雰囲気だ。でも、いつの日か正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言えるようになろう。俺たちは団結している。もし体制側のスパイがいたとしたっていい。一緒に踊ろう」
Taruがプレイするジャマイカのリズムに、地元の活動家たちがスローガンの言葉を乗せて行く。
地元の言語を使ったラップや、苦労した選曲の甲斐あってか、デリーのときとは違って観客も大いに盛り上がっている。
最後の曲の前に、Taruは「俺たちが求めるものは?」と観客に問いかけた。
即座に「自由(Azadi)!」との答えが返ってくる。
RSS(ヒンドゥー至上主義組織)からの、モディ政権からの、ヒンドゥーナショナリズムからの、企業のルールからの自由。コール&レスポンスは熱気を帯びてくる。
最後の曲は60年代のジャマイカン・ナンバー、Toots & Maytalsの"54 46 Was My Number".
警察の横暴を批判するスカ・ソングだ。
彼の言葉に、サウンドに、集まった人々は心のままに踊り始める。
このシーンは圧巻だ。
インド人は総じて踊りが得意だが、スカのリズムに合わせて魂を解放して踊る彼らは、とても初めてジャマイカの音楽を聴いたようには見えない。
まるで生まれた時からスカやレゲエを聴いて育ったジャマイカンたちのように見える。
音楽が、レゲエミュージックが、束の間であっても変革を求めるインドの人々に精神の自由をもたらした瞬間だ。
この映像は、インドにおけるレベルミュージック(反抗の音楽)としてのレゲエのスタート地点であり、現時点での到達地点の記録でもある。
名門大学出身で大きな庭のある家に住んでいる彼が、ジャマイカのゲットーで生まれた音楽を、全く文化の異なるインドで大衆革命の手段としようとすることに、いささかのドン・キホーテ的な滑稽さを感じるのも事実だ。
今後、レゲエがインドでのこうした活動の中で大きな意味を持つかと考えると、正直に言うとかなり難しいんじゃないかと思う。(この映像を見る限りだと、もっとインドの大衆の理解を得やすい音楽や伝達方法があるように感じる)
でもレゲエやパンクやヒップホップに夢中になったことがある人だったら、音楽とは単なる心地よいサウンドではなく、人々の意識や社会構造に大きく働きかけるものであることを知っているはず。
そして、サウンドそのものよりも、そうしたスピリットの部分にこそ、音楽の本質があることを分かっているはずだ。
音楽好きとしては、音楽の力を信じて愚直に活動を続ける彼に、なんというかこう、ぐっとくるのを禁じ得ない。
ヒップホップに比べると、まだまだインドではマイナーな感があるレゲエミュージックシーンだが、今後こうした社会的な意味のあるジャンルとして根づいてゆくのかどうか、これからもTaruの活動に注目してゆきたい。
彼らがレゲエやスカを単なるゴキゲンな音楽としてではなく、抑圧や専制に対する闘争の手段として捉え、 ヒンドゥー・ナショナリズムやインド社会の不正義と戦う姿勢を示していることは記事の通りだ。
Ska Vnegersの中心人物、Delhi SultanateことTaru Dalmiaは、バンド以外でもBFR(Bass Foundation Roots) Sound Systemという名義でジャマイカン・ミュージックを通した自由への抑圧に対する抗議行動を行っている。
アル・ジャジーラが製作した"India's Reggae Resistance: Defending Dissent Under Modi" はそんな彼の活動を追いかけたドキュメンタリーだ。
モディ政権後、ヒンドゥー原理主義が力を持ち言論の自由が脅かされつつあるインドで、Taruは音楽を通した闘争を始めるべく、クラウドファンディングで集めた資金でサウンドシステムを作り上げることにした。抗議活動の場で自由を求めるレゲエ・サウンドを鳴らすために。
サウンドシステムとは、ジャマイカで生まれた移動式の巨大なスピーカーとDJブースのこと。
クラブのような音楽を楽しむための場所がなかった時代に、音楽にあわせてラップや語りや歌を乗せるスタイルで、人々を踊らせ、音楽によるひとときの自由を提供するための手段として生まれた(やがて海を渡ってヒップホップやレイヴ・カルチャー誕生の揺籃ともなったのは、また別のお話)。
Taruにとってジャマイカン・ミュージックは自由のための闘争の手段。
「レゲエの本質に戻ってみると、サウンドシステムに行き着く。サウンドシステムは単なる積み重ねたスピーカーじゃない。音楽や自由を自分たちの手に取り戻し、ストリートに届ける手段なんだ」
彼の広い庭に巨大なスピーカーが組み上がる。
まったく歴史的、文化的背景の違うインドで、ジャマイカと同じようにレゲエを闘争の手段にしようとしている彼こそ、ヒンドゥー原理主義者ならぬレゲエ原理主義者なんじゃないか、という気がしないでもないが、彼はいたって真剣だ。
最初の活動の場は、デリーの名門大学JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)。
言論の自由を求める活動の中心地であり、Taruの出身大学でもある。
「同志よ!ジャイ・ビーム!ラール・サラーム!ジャマイカの奴隷農園の革命の歌を演奏する!」
「ジャイ・ビーム」とはインド憲法の起草者で、最下層の被差別階級出身の活動家、ビームラーオ・アンベードカルを讃える言葉。
カーストに基づく差別からの脱却のため、被差別階級の人々と集団で仏教に改宗した彼を讃えるこのフレーズは、改宗仏教徒など、旧弊な社会秩序に異を唱える人々の合言葉だ。
「ラール・サラーム(赤色万歳)」は、共産主義のシンボルカラーを讃える反資本主義者たちの合言葉。
Taruの言葉に活動家たちから歓声が上がるが、音楽をかけても人々は踊らない。
彼の思想には共鳴しても、レゲエなんて聴いたことがない彼らは、初めて耳にするリズムにどうして良いか分からずじっと座っているばかりだ。
すっかり盛り上がりに欠けたまま、やがて大学当局者に音を止めるように言われ、しぶしぶDJを止めるTaru.
すると当局の介入によって演奏を止められたことに抗議して、学生たちから自由を求めるコール&レスポンスが始まる。
皮肉なことに、音楽が止められたことで、抗議運動は初めて盛り上がりを見せたのだった。
やはりインドでレゲエを使った社会運動は無理があるのか。
それでもTaruはあきらめない。
次なる活動の場は幾多の大学を抱える街、プネーのFTII (Film and Television Institute of India)。
抗議行動をオーガナイズする学生組織とのミーティングで、Taruはこんなことを言われる。
「初めてレゲエを聞いたけど、僕たちの文化の中では共感を得にくいんじゃないかな。なんというか、エリートの音楽っていう感じがする。英語だし、ラップだから」
「欧米から来た音楽だからって、みんなエリートの音楽ってわけじゃない。ブロークンな英語で歌われている音楽なんだ」
Taruは反論するが、こう言われてしまう。
「僕たち活動家が理解できないっていうのに、どうやって一般の人々がそれを理解できるんだい?」
Taruの理想と現実の乖離を率直に指摘する言葉だ。
地元の人々に受け入れられるために、彼らの言語であるヒンディーやマラーティーをレゲエのリズムに乗せることにした。
レゲエをインドでの社会運動において意味あるものとするために、彼らの工夫は続く。
地元の社会派ラッパー、Swadesiにも声をかけた。
ジャマイカの大衆のための音楽が、少しずつインドの大衆のためのものに変わってゆく…。
憲法記念日。プネーで行われる野外コンサートの当日。
主宰者側はカシミール問題(パキスタンとの間の、ヒンドゥーとイスラムの宗教問題を含んだ領土問題)のようなデリケートな話題を持ち出し、当局に集会を潰されることを心配していた。
言論の自由を求める集まりであるにもかかわらず、だ。
「世界最大の民主主義国」インドの自由は微妙なバランスの上に成り立っている。
集まった人々に、Taruはこう語りかける。
「独立したはずのインドでも、最近じゃこんな雰囲気だ。でも、いつの日か正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言えるようになろう。俺たちは団結している。もし体制側のスパイがいたとしたっていい。一緒に踊ろう」
Taruがプレイするジャマイカのリズムに、地元の活動家たちがスローガンの言葉を乗せて行く。
地元の言語を使ったラップや、苦労した選曲の甲斐あってか、デリーのときとは違って観客も大いに盛り上がっている。
最後の曲の前に、Taruは「俺たちが求めるものは?」と観客に問いかけた。
即座に「自由(Azadi)!」との答えが返ってくる。
RSS(ヒンドゥー至上主義組織)からの、モディ政権からの、ヒンドゥーナショナリズムからの、企業のルールからの自由。コール&レスポンスは熱気を帯びてくる。
最後の曲は60年代のジャマイカン・ナンバー、Toots & Maytalsの"54 46 Was My Number".
警察の横暴を批判するスカ・ソングだ。
彼の言葉に、サウンドに、集まった人々は心のままに踊り始める。
このシーンは圧巻だ。
インド人は総じて踊りが得意だが、スカのリズムに合わせて魂を解放して踊る彼らは、とても初めてジャマイカの音楽を聴いたようには見えない。
まるで生まれた時からスカやレゲエを聴いて育ったジャマイカンたちのように見える。
音楽が、レゲエミュージックが、束の間であっても変革を求めるインドの人々に精神の自由をもたらした瞬間だ。
この映像は、インドにおけるレベルミュージック(反抗の音楽)としてのレゲエのスタート地点であり、現時点での到達地点の記録でもある。
名門大学出身で大きな庭のある家に住んでいる彼が、ジャマイカのゲットーで生まれた音楽を、全く文化の異なるインドで大衆革命の手段としようとすることに、いささかのドン・キホーテ的な滑稽さを感じるのも事実だ。
今後、レゲエがインドでのこうした活動の中で大きな意味を持つかと考えると、正直に言うとかなり難しいんじゃないかと思う。(この映像を見る限りだと、もっとインドの大衆の理解を得やすい音楽や伝達方法があるように感じる)
でもレゲエやパンクやヒップホップに夢中になったことがある人だったら、音楽とは単なる心地よいサウンドではなく、人々の意識や社会構造に大きく働きかけるものであることを知っているはず。
そして、サウンドそのものよりも、そうしたスピリットの部分にこそ、音楽の本質があることを分かっているはずだ。
音楽好きとしては、音楽の力を信じて愚直に活動を続ける彼に、なんというかこう、ぐっとくるのを禁じ得ない。
ヒップホップに比べると、まだまだインドではマイナーな感があるレゲエミュージックシーンだが、今後こうした社会的な意味のあるジャンルとして根づいてゆくのかどうか、これからもTaruの活動に注目してゆきたい。
goshimasayama18 at 17:59|Permalink│Comments(2)
2018年05月30日
ただのお洒落野郎にあらず!Ska Vengers!
以前、デリーのレゲエバンド、Reggae Rajahsを紹介したことがあるが、今回は同じジャマイカの音楽でもスカ!
同じくデリーを拠点に活躍するSka Vengersを紹介したい。
彼らのことはいつか紹介しないと、とずっと思っていた。
まずは彼らがどんな人たちなのか、見てもらいたい。
ご覧の通り、今まで紹介してきたミュージシャンの中でも、抜群にオシャレで洗練された佇まいだ。
そしてSka Vengersというバンド名にもアタクシは少し衝撃を受けた。
もちろんこれは、音楽ジャンルのSkaとScavengerという単語を掛け合わせたものだけど、スカベンジャーと言えばごみをあさって生活している人たちのことを指す。
インドは富や教養や階級を、服装や態度や生活やあらゆる面でわかりやすく示す国。
そんなインドで、見るからに上流階級育ちっぽい彼らが、そんな下賤な名前を名乗るっていうのはかつてのインドでは考えられないこと。
あえて自分を低く見せるというロックな逆説的価値観がようやくインドにも根付いてきたのか、と思いつつも、裕福な連中がアウトロー気取りで何も考えずにスカベンジャーとか言ってるんじゃないの?とうがった見方をしていた。
正直、ナメててスマンカッタ。という話を2回くらいに分けて書かせてもらいます。
サウンドは例えばこんな感じに小粋で洗練されたスカ・サウンド。
あれ?古典じゃん、と思うかもしれないけど43秒あたりから曲が始まります。
これもまた前置きが長いビデオだが、1:40あたりから曲が始まる。
中心メンバーは男性ヴォーカルのDelhi SultanateことTaru Dalmiaと、女性ヴォーカルのBegum X。
イギリス人のキーボーディストを含む6人組で、かつてはReggae RajahsのDiggy Dangや、Yohei Sato、Rie Onaという日本人メンバー(!)も在籍していたようだ。
この世界水準なサウンドを武器にヨーロッパツアーなども行っており、あのイギリスのグラストンベリー・フェスティバルにも出演するなど、国際的な評価を得ている。
Ska Vengersはかつてドイツに住んでいたDelhi Sultanateが、現地で出会ったスカやレゲエといった音楽をインドでも演奏するために2009年に結成された。
同じくデリーを拠点に活躍するSka Vengersを紹介したい。
彼らのことはいつか紹介しないと、とずっと思っていた。
まずは彼らがどんな人たちなのか、見てもらいたい。
ご覧の通り、今まで紹介してきたミュージシャンの中でも、抜群にオシャレで洗練された佇まいだ。
そしてSka Vengersというバンド名にもアタクシは少し衝撃を受けた。
もちろんこれは、音楽ジャンルのSkaとScavengerという単語を掛け合わせたものだけど、スカベンジャーと言えばごみをあさって生活している人たちのことを指す。
インドは富や教養や階級を、服装や態度や生活やあらゆる面でわかりやすく示す国。
そんなインドで、見るからに上流階級育ちっぽい彼らが、そんな下賤な名前を名乗るっていうのはかつてのインドでは考えられないこと。
あえて自分を低く見せるというロックな逆説的価値観がようやくインドにも根付いてきたのか、と思いつつも、裕福な連中がアウトロー気取りで何も考えずにスカベンジャーとか言ってるんじゃないの?とうがった見方をしていた。
正直、ナメててスマンカッタ。という話を2回くらいに分けて書かせてもらいます。
サウンドは例えばこんな感じに小粋で洗練されたスカ・サウンド。
あれ?古典じゃん、と思うかもしれないけど43秒あたりから曲が始まります。
これもまた前置きが長いビデオだが、1:40あたりから曲が始まる。
中心メンバーは男性ヴォーカルのDelhi SultanateことTaru Dalmiaと、女性ヴォーカルのBegum X。
イギリス人のキーボーディストを含む6人組で、かつてはReggae RajahsのDiggy Dangや、Yohei Sato、Rie Onaという日本人メンバー(!)も在籍していたようだ。
この世界水準なサウンドを武器にヨーロッパツアーなども行っており、あのイギリスのグラストンベリー・フェスティバルにも出演するなど、国際的な評価を得ている。
Ska Vengersはかつてドイツに住んでいたDelhi Sultanateが、現地で出会ったスカやレゲエといった音楽をインドでも演奏するために2009年に結成された。
海外在住経験のあるメンバーがそのジャンルのパイオニアになるというのは、これまでも見てきたようにインドのミュージックシーンではよくある話だ。
ちょっと変わったところでは、昔のボリウッドの曲をジャイプルの伝統的なブラスバンドのKawa Brass Bandと一緒にやっていたりもする。
ここまで見ると、単なる外国帰りの金持ち連中がインドらしからぬオシャレサウンドを演奏しているだけなんじゃないの?とつい勘ぐりなってしまうところだけれども、さにあらず。
彼らは自分たちの演奏するジャマイカン・ミュージックの本質を、単なるゴキゲンなダンスミュージックとしてではなく、抑圧や植民地主義、不正義と戦う術として位置づけて取り組んでいる。
そうした彼らの本質がもっとも強くストレートに出ているのがこの曲だ。
"Modi, A Message to You"
この曲は70年代に活躍したイギリスのスカ・バンド、Specialsの"Message to You Rudy"という曲のカバーというか替え歌で、インドの現首相ナレンドラ・モディへの痛烈な批判になっている。
モディが所属する「インド人民党」(BJP)は、ヒンドゥー・ナショナリズムを掲げる組織、「民族奉仕団」(RSS)が母体となって結成された政党だ。
RSSはインドの国父ガンディーの暗殺に関わり、一時期活動が禁止されていた歴史を持つヒンドゥー至上主義団体だ。
モディがインド首相に就任以来、その経済政策などで一定の支持を集めている反面、所属政党であるBJPは地方議会でヒンドゥー教で神聖視される牛の屠殺を禁止する法案を可決させたり、同党支持者の反イスラム的な姿勢を黙認したりしていることを批判されてもいる。
インドは人口の8割がヒンドゥー教徒だが、独立以来、政教分離(セキュラリズム)国家としての原則を守ってきた。
だがBJPは「母なるインドはヒンドゥーの土地」というヒンドゥー・ナショナリズム的な傾向を政治に持ち込み、小政党が分立するなかでマジョリティーであるヒンドゥー教徒を中心に支持を拡大し、ついに中央政権を奪取するに至った。
こうした政党を批判することは、インドではとても勇気がいることで、実際バンドはこの曲を発表したことで、殺害予告を受けたという。
このビデオの中で、モディは現代的な女性に伝統的な格好をさせて牢屋に入れ、ムスリムと握手すると見せかけて無視し、炎に包まれる街を見捨てる悪者として描かれる。
さらには小さい家を潰して工場を建て、人々にテント暮らしを余儀なくさせ、故郷グジャラートの経済だけを発展させるが(日本では美談となっているインドへの新幹線の輸出は、じつは首都デリーとモディの地元グジャラート州アーメダバードを結ぶ路線だ)、真実を追求するジャーナリストから逃げ回り、最後には両目をハーケンクロイツにされるという散々な扱いを受けている。
Delhi Sultanateは語る。
「グジャラート州で2002年(モディが州首相を務めていた時代)に恐ろしい暴動が起きた。この暴動で2,000人を超えるムスリムが虐殺されたと主張する人たちもいる。多くの人がこの暴動でモディが中心的な役割を果たしたと確信しているんだ」と。
この曲の背景を少し詳しく見てみよう。
2002年2月27日、アヨーディヤーからグジャラート州のゴードラー駅に到着した列車に何者かが火を放ち、ヒンドゥー教の巡礼者58名が死亡する事件が起きた。
アヨーディヤーはヒンドゥー教の伝承ではラーマ・ヤーナの主人公ラーマ神の生誕地とされている土地だ。
ちょっと変わったところでは、昔のボリウッドの曲をジャイプルの伝統的なブラスバンドのKawa Brass Bandと一緒にやっていたりもする。
ここまで見ると、単なる外国帰りの金持ち連中がインドらしからぬオシャレサウンドを演奏しているだけなんじゃないの?とつい勘ぐりなってしまうところだけれども、さにあらず。
彼らは自分たちの演奏するジャマイカン・ミュージックの本質を、単なるゴキゲンなダンスミュージックとしてではなく、抑圧や植民地主義、不正義と戦う術として位置づけて取り組んでいる。
そうした彼らの本質がもっとも強くストレートに出ているのがこの曲だ。
"Modi, A Message to You"
この曲は70年代に活躍したイギリスのスカ・バンド、Specialsの"Message to You Rudy"という曲のカバーというか替え歌で、インドの現首相ナレンドラ・モディへの痛烈な批判になっている。
モディが所属する「インド人民党」(BJP)は、ヒンドゥー・ナショナリズムを掲げる組織、「民族奉仕団」(RSS)が母体となって結成された政党だ。
RSSはインドの国父ガンディーの暗殺に関わり、一時期活動が禁止されていた歴史を持つヒンドゥー至上主義団体だ。
モディがインド首相に就任以来、その経済政策などで一定の支持を集めている反面、所属政党であるBJPは地方議会でヒンドゥー教で神聖視される牛の屠殺を禁止する法案を可決させたり、同党支持者の反イスラム的な姿勢を黙認したりしていることを批判されてもいる。
インドは人口の8割がヒンドゥー教徒だが、独立以来、政教分離(セキュラリズム)国家としての原則を守ってきた。
だがBJPは「母なるインドはヒンドゥーの土地」というヒンドゥー・ナショナリズム的な傾向を政治に持ち込み、小政党が分立するなかでマジョリティーであるヒンドゥー教徒を中心に支持を拡大し、ついに中央政権を奪取するに至った。
こうした政党を批判することは、インドではとても勇気がいることで、実際バンドはこの曲を発表したことで、殺害予告を受けたという。
このビデオの中で、モディは現代的な女性に伝統的な格好をさせて牢屋に入れ、ムスリムと握手すると見せかけて無視し、炎に包まれる街を見捨てる悪者として描かれる。
さらには小さい家を潰して工場を建て、人々にテント暮らしを余儀なくさせ、故郷グジャラートの経済だけを発展させるが(日本では美談となっているインドへの新幹線の輸出は、じつは首都デリーとモディの地元グジャラート州アーメダバードを結ぶ路線だ)、真実を追求するジャーナリストから逃げ回り、最後には両目をハーケンクロイツにされるという散々な扱いを受けている。
Delhi Sultanateは語る。
「グジャラート州で2002年(モディが州首相を務めていた時代)に恐ろしい暴動が起きた。この暴動で2,000人を超えるムスリムが虐殺されたと主張する人たちもいる。多くの人がこの暴動でモディが中心的な役割を果たしたと確信しているんだ」と。
この曲の背景を少し詳しく見てみよう。
2002年2月27日、アヨーディヤーからグジャラート州のゴードラー駅に到着した列車に何者かが火を放ち、ヒンドゥー教の巡礼者58名が死亡する事件が起きた。
アヨーディヤーはヒンドゥー教の伝承ではラーマ・ヤーナの主人公ラーマ神の生誕地とされている土地だ。
この地域が16世紀にムガル帝国の支配下に入ると、アヨーディヤーにはバブリー・マスジッドというイスラム教のモスクが建設された。500年近く昔の話である。
BJPは、このアヨーディヤーの地をムスリムから取り戻すことを掲げて選挙を戦い、多数派であるヒンドゥー教徒の支持を広げてきた。
そしてついに1992年、この歴史あるバブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒たちが破壊するという事件が起きてしまう(ちなみにバブリー・マスジッド以前にヒンドゥーの寺院があったという主張に歴史的な根拠はない)。
この破壊事件を主導したのは、RSSやVHP(世界ヒンドゥー協会)のメンバーをを中心とするサング・パリワールというヒンドゥー至上主義組織で、この事件をきっかけに起きた宗教対立でインド全土で1,200人もの死者が出ることとなった。
これが現代インドの宗教間対立の大きな火種となった「アヨーディヤー事件」である。
一部のヒンドゥー教徒たちは、2002年のゴードラー駅での列車放火事件をイスラム教徒によるアヨーディヤー事件への報復であると判断して暴動を起こし、1,000名を超える死者が出る大惨事となった。
BJPは、このアヨーディヤーの地をムスリムから取り戻すことを掲げて選挙を戦い、多数派であるヒンドゥー教徒の支持を広げてきた。
そしてついに1992年、この歴史あるバブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒たちが破壊するという事件が起きてしまう(ちなみにバブリー・マスジッド以前にヒンドゥーの寺院があったという主張に歴史的な根拠はない)。
この破壊事件を主導したのは、RSSやVHP(世界ヒンドゥー協会)のメンバーをを中心とするサング・パリワールというヒンドゥー至上主義組織で、この事件をきっかけに起きた宗教対立でインド全土で1,200人もの死者が出ることとなった。
これが現代インドの宗教間対立の大きな火種となった「アヨーディヤー事件」である。
一部のヒンドゥー教徒たちは、2002年のゴードラー駅での列車放火事件をイスラム教徒によるアヨーディヤー事件への報復であると判断して暴動を起こし、1,000名を超える死者が出る大惨事となった。
犠牲者の多くはイスラム教徒だ。
この暴動の背後で、BJPの州政府関係者が、列車放火事件がイスラム教徒によるものだと断定した発言をしたり、イスラム教徒の住居や商店の場所を暴徒側に教えたりしていたという指摘がある。
彼らはその黒幕としてモディを批判しているというわけなのだ。
Ska VengersはBJPやモディのナショナリズム的傾向や、新自由主義的な政策に明確に反対を唱えている。
彼らにとって、スカやレゲエは単なる音楽では無い。植民地主義や新自由主義、あらゆる抑圧や専制から本当の自由を勝ち取るための闘争の手段なのだ。
バンドのもう一人のフロントマン、女性ヴォーカリストのBegum Xはこう語る。
「ジャマイカとインドは共通した歴史を持っているわ。どちらもいまだに植民地時代の影響に直面しているの」
TaruのステージネームであるDelhi Sultanateというのは13世紀から16世紀にかけてデリー地方を支配したイスラム教の「デリー諸王朝」のことだ。
彼はヒンドゥーとイスラムの習俗や伝統が融合し多様な文化が栄えたこの王朝を、多様性、寛容性の象徴として自らのステージネームにしている。
彼らの闘争は、バンドでの形態にとどまらない。
次回このDelhi SultanateことTaruのさらなる驚愕の活動を紹介する。
それJAHまた!
この暴動の背後で、BJPの州政府関係者が、列車放火事件がイスラム教徒によるものだと断定した発言をしたり、イスラム教徒の住居や商店の場所を暴徒側に教えたりしていたという指摘がある。
彼らはその黒幕としてモディを批判しているというわけなのだ。
Ska VengersはBJPやモディのナショナリズム的傾向や、新自由主義的な政策に明確に反対を唱えている。
彼らにとって、スカやレゲエは単なる音楽では無い。植民地主義や新自由主義、あらゆる抑圧や専制から本当の自由を勝ち取るための闘争の手段なのだ。
バンドのもう一人のフロントマン、女性ヴォーカリストのBegum Xはこう語る。
「ジャマイカとインドは共通した歴史を持っているわ。どちらもいまだに植民地時代の影響に直面しているの」
TaruのステージネームであるDelhi Sultanateというのは13世紀から16世紀にかけてデリー地方を支配したイスラム教の「デリー諸王朝」のことだ。
彼はヒンドゥーとイスラムの習俗や伝統が融合し多様な文化が栄えたこの王朝を、多様性、寛容性の象徴として自らのステージネームにしている。
彼らの闘争は、バンドでの形態にとどまらない。
次回このDelhi SultanateことTaruのさらなる驚愕の活動を紹介する。
それJAHまた!
goshimasayama18 at 23:23|Permalink│Comments(0)