RajaKumari

2023年09月16日

在外インド系アーティストによるルーツへの愛があふれるミュージックビデオ (カリフォルニア編)



「インド人による音楽」について書くときに、ひとつ悩ましい問題があって、それは「在外インド人」をどう扱うかということである。
インド人は移民や仕事や留学や親の都合で海外に渡る人が多く、そのまま海外の国籍を取得したり、その2世、3世として生まれる人も多い。
インドでは、海外で暮らしているインド国籍の人のことをNRI(Non-Resident Indian)と呼び、インドにルーツを持つ外国籍の人をPIO(People of Indian Origin)と呼ぶ。
世界中には、じつに1300万人を超えるNRIと1900万人近いPIOがいる。
彼らからの母国への仕送り総額は、じつに1000億ドルを越えており(GDPの約3%)、NRI, PIOは国の経済にも大きな影響を与える存在なのだ。

これだけの数の在外インド人の中には、当然ながらミュージシャンとして活動している人もいる。
それで何が悩ましいのかというと、彼らのうち、いったいどこまでを「インドの音楽」として扱うべきか、という問題である。

インド国内の音楽シーンと在外インド人のミュージシャンはほぼシームレスに繋がっていて、たとえば前回の記事で書いたように、インドで生まれて国内で活動しているけど英語でポップスを歌っている人もいれば、海外生まれで外国籍でもインドの言語で伝統音楽の影響の強い歌を歌っている人もいる。
さらには、外国生まれだけど今はインドで活動しているとか、インドで生まれたけど今では海外を拠点にしているとか、海外生まれで海外在住だけどインドを主なマーケットにしているとか、インド系ミュージシャンの出身地、国籍、言語、マーケットの組み合わせは何通りもある。
音楽的にも、ルーツと欧米的ポピュラーミュージックのジャンルをどう融合するのか(あるいはしないのか)という多様性が無限に存在していて、「インドの音楽シーン」という言葉を明確に定義づけることは極めて困難だ。

結論から言うと、このブログでは、インドに活動の軸足を置いていたり、インド国内のシーンとの関わりの深いアーティストを中心に紹介することにしている。
在外シーンの面白さも分かってはいるのだが、ただでさえ広いインド、とてもそこまで手が回らないからだ。
そんなわけで、外国籍で英語で歌っているようなアーティストは、どうしても優先順位が低くなってしまう。

ところが、そんな在外インド系アーティストのなかには、インド本国のミュージシャン以上に自身のルーツへの愛にあふれた作品を作っている人たちもいる。
そして、それがインド人でも移民でもない日本のリスナーを、大いに感動させたりすることがある。
今回は、そんな作品をいくつか紹介する。



Sid Sriram "Do the Dance"


この曲は、先月リリースされたSid Sriramのアルバム"Sidharth"からの1曲。
Sid Sriramは南インドのタミルナードゥ州チェンナイ生まれのシンガーソングライターで、1歳のときに両親と共にカリフォルニアに移住。
今ではサンフランシスコを拠点に活動している。
ソウルフルさのなかに独特の切なさが内包された歌声にまず心を奪われるが、その歌声と同じくらい素晴らしいのがミュージックビデオだ。
このチルな感じのR&Bにインドの伝統舞踊を合わせるセンスは在外インド系シンガーならでは。
撮影地はL.A.郊外のビーチで名高いマリブのヒンドゥー寺院で、90万人を超えるインド系アメリカ人が暮らしているカリフォルニアには、こんな立派な寺院が建てられているのだ。
踊っているのはUCLAのRaas Batakaというインド舞踊チーム。
彼女たちはインド西部に位置するグジャラート州の「ラース」(Raas. または「ダンディヤ・ラース」Dandhiya Raas)や「ガルバ」(Garba)と呼ばれる伝統舞踊を踊るグループだ。
インドの伝統/古典舞踊の種類はいくつか知っていたが、このラースとガルバというのは聞いたことがなかった。
名門大学にインドのローカルな舞踊を踊るチームが存在しているとは、さすがカリフォルニア。
グジャラートにルーツを持つ学生たちが多く所属しているのだろう。

前述の通り、Sid Sriramは南インドのタミルナードゥ州出身だ。
タミルナードゥとグジャラートは1,400キロ離れていて、同じインド国内といっても、言語や文化の違いを考えると、ほぼ外国と言えるほどに遠い地域である。
まったく異なるルーツを持ったインド系の人々が、移住先のアメリカで、ホスト社会の文化の影響を受けたR&Bのミュージックビデオで共演しているというのがなんともぐっとくる。

Sid Sriramは基本的にはR&Bスタイルのシンガーだが、そのルーツには南インドの古典であるカルナーティック音楽がある。
先ほどの"Do the Dance"と同じく"Sidharth"に収録されている"Dear Sahana"は、そんな彼のカルナーティックのルーツが伺える曲だ。


Sid Sriram "Dear Sahana"


カルナーティック音楽とR&Bの融合は、まるでゴスペルのような聖性を湛えている。
"Sahana"は女性の名前だが、ミュージックビデオはすべての南アジア系女性に対する賛歌のように捉えることもできる美しい作品だ。
アルバムタイトルの"Sidarth"は彼の本名で、自らのルーツとアメリカ音楽を最高の形で融合した傑作である。


ちなみにSid Sriramはタミル語、テルグ語、カンナダ語などの南インドの言語の作品を中心とした映画のプレイバックシンガーとしても活動している。
というか、むしろプレイバックシンガーとして録音した楽曲のほうが圧倒的に多くて、10年ほどのキャリアの間に200本近い作品でその歌声を披露している。
映画音楽分野での評価も高く、さまざまな映画賞でベストプレイバックシンガー賞を8回も受賞(ノミネートを含めると20回以上)。
日本でも上映された作品では"Mersal"(日本公開時のタイトルは『マジック』)の"Maacho"という曲を歌っているので、読者の中には映画館で彼の歌声を聴いたことがある人もいることだろう。
フィルミ・ソングとR&Bスタイルのソロ作品、さらには古典音楽のカルナーティックを歌っている時のスタイルの違いを味わってみるのも面白い。




Sandhya Chari "My Roots"


Sandhya Chariが2021年の12月にリリースした"My Roots"も、とても美しいミュージックビデオが印象的な曲だ。
彼女もSid Sriramと同じサンフランシスコ在住のタミル系アメリカ人。
華麗な衣装を身にまとった女性たちは、インド、パキスタン、ネパールの14の異なる地域の出身で、彼女たちのさまざまなスタイルは、それぞれのルーツをレペゼンしているとのこと。
歌詞は英語とタミル語(南インドの一言語)とヒンディー語(北インドで広く話されている言語)で書かれており、この曲が多様なルーツを持った南アジア系の人々に向けて作られているということが分かる。
国境を越えなくても地域ごとに言語が違う南アジアの女性たちが、言語や出身地を超えて自らのルーツを誇るこの作品は、祖国を遠く離れたカリフォルニアだからこそ生まれたものだろう。



もう一人カリフォルニア出身の女性シンガー/ラッパーを紹介する。
L.A.郊外のクレアモント出身で、南インドのアーンドラ・プラデーシュにルーツを持つRaja Kumariは、幼い頃から習っていた古典舞踊で使われるリズムに言葉を乗せたところラップになることを発見した(!)というユニークすぎる音楽的ルーツを持つアーティストだ。




その詳細は過去の記事(とくに、ここに貼ったリンクの1つめの記事)を読んでもらうとして、彼女はラップだけでなくファッションの面でもインドの伝統とヒップホップの融合を試みていて、それがまた非常にかっこいい。

Raja Kumari "I Did It"


間奏部分で披露される古典音楽由来のリズムと、インドのアクセサリーをブリンブリン的に身につけるセンス、そして伝統舞踊とヒップホップがごく自然に繋がったダンスは、インド人が表現しうるヒップホップのひとつの理想形と言えるだろう。


Raja Kumari "N.R.I."


"N.R.I."という率直なタイトルのこの曲では、アメリカではインド人として偏見に晒され、インドではアメリカ人として扱われるフラストレーションを歌っている。
この曲は主に同様の境遇のNRI/PIOの人々に向けた曲だろうが、それでもこのミュージックビデオは500万再生を超えていて、在外インド人マーケットの大きさをあらためて感じさせられる。
彼らにとってこの曲のメッセージは大いに共感できるものなのだろう。
このミュージックビデオでも、ヘッドドレスやサリー風の衣装、鼻ピアスなどのインドモチーフの衣装があいかわらずキマっている。



Raja Kumari "I Believe In You"


彼女が2016年にリリースされた"Believe in You"のミュージックビデオを久しぶりにチェックしてみたら、なんと最初に紹介したSid Sriramの"Do the Dance"に登場したマリブのヒンドゥー寺院に対する感謝のメッセージが冒頭に出てくることに気がついた。
どうやら彼女がさまざまなスタイルの古典舞踊を習っていたのもこの同じ寺院だったようだ。
なんという偶然。
(この記事を書き始めたとき、じつはカリフォルニア限定にするつもりはなかったのだが、たまたまこのテーマで書きたかったアーティストが全員カリフォルニア在住だということに気がついたのだ)

この寺院がたくさんの才能あるインド系アメリカ人に影響を与えていると思うと、遠く離れたマリブの方角に手を合わせたくなった次第である。




さて、ここからは音楽の話を離れた余談だが、NRI(インド国籍の海外在住者)とPIO(外国籍のインド系住民)が多い国のランキングを調べてみたところ、以下のような統計を見つけた。

スクリーンショット 2023-09-06 1.19.38

インド国籍を保持したまま海外で暮らしているNRIには、おそらく出稼ぎ目的の人の割合が多いものと思うが、UAEやサウジアラビアといったペルシア湾岸諸国が上位を占めている。
UAEのドバイは人口の90%が外国人労働者で、その半数近くをインド系が占めているという。
インド映画でやっかみ混じりに描かれがちなアメリカやイギリスの在住者は、NRIには意外と少ないのだなという印象だ。


スクリーンショット 2023-09-06 1.20.04

いっぽう、「外国籍のインド系住民」であるPIOが多い国を見てみると、NRIとはまったく違う国名が並んでいる。
とくに、3位にランクインしたミャンマーに、こんなにも多くのインド系住民が暮らしているとは知らなかった。
調べてみると、どうやら200万人のインド系ミャンマー人のほとんどがタミルにルーツを持つようで、他には地理的に近いインド北東部マニプル州のメイテイ人、テルグ人、ベンガル人などが暮らしているという。

海外に暮らすインド系の人々は、国や地域によってそのルーツに特徴があり、UKやカナダにはパンジャーブ系が多く、マレーシアやスリランカはほとんどがタミル系だ。
マレーシアではインドでヒップホップが流行する前からタミル語ラップが作られていて、インド国内のタミル語映画でもマレーシアのタミル系ラッパーが起用されることがある。
PIOの9位にランクインしているカリブ海の島国トリニダード・トバゴと8位の太平洋の島国モーリシャスには、北インドのビハール州あたりにルーツを持つボージュプリー系の人々が数多く住んでいて、トリニダードには、ボージュプリーの人々がカリブの音楽に影響を受けて作ったチャトニーというジャンルも存在している(チャトニーとは、カレーに合わせて食べたりするあの「チャツネ」のこと)。
ちなみに湾岸諸国での出稼ぎ者にはケーララ人が多い。

彼らの文化を探ってゆけば、さらなる面白い音楽を見つけられるのかもしれないが、インド国内だけで手いっぱいで、とてもそこまで手が回らない!
いつかまた彼らの音楽についても書いてみたいのだけど。

(イギリスのインド系音楽については、栗田知宏著「ブリティッシュ・エイジアン音楽の社会学: 交渉するエスニシティと文化実践」という日本語で読める貴重な文献がある。このテーマに興味を持っている人であれば、絶対に面白い一冊だ)



参考サイト:
https://www.findeasy.in/population-of-overseas-indians/

https://mea.gov.in/images/attach/NRIs-and-PIOs_1.pdf



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2022年07月25日

辺境ヒップホップ研究会で吠える2(ヒップホップの諸要素のインド的解釈と実践)



前回に続いて「辺境ヒップホップ研究会」で話してきた内容をダイジェストで紹介する。


前回の記事では、パンジャーブ系移民によるバングラー・ラップがインドに逆輸入されて誕生したド派手なパーティー系ラップと、その少しあとの時代にインターネット経由でUSのヒップホップの影響を直接受けて発生したストリート・ラップのムーブメントを紹介した。
ご存知のように、ヒップホップという音楽は、パーティー音楽でもあるし、ストリート音楽でもあるし、他にも様々な要素を持ったジャンルだ。
というわけで、今回は「ヒップホップの諸要素のインド的解釈と実践」というアホな学生の卒論のようなタイトルのもと、インドのシーンのいろんな面を見てみましょう。



ギャングスタ音楽としてのヒップホップ

前回も書いた通り、インドのヒップホップシーンは、そこそこの経済力や英語力(≒高い教育レベルと言いかえてもいいだろう)がある層が中心となって形成されてきた。
もともとブロンクスやコンプトンの貧困や被差別のなかから生まれたヒップホップが「舶来の最新のパーティーミュージック」や「意識高いオシャレな音楽」として輸入されるというのは、アジアやアフリカや東欧では結構あることなんじゃないかと思う(日本でも最初の頃はそうだったし、これは今後も辺境ヒップホップ研究会で注目してみたいポイントだ)。

まあとにかく、インドのヒップホップシーンは、口汚いビーフやドラッグを扱った曲はあっても、銃犯罪やマジの暴力事件とは距離をおいた、なんつうか「コンシャス」なものだと思っていたので、大人気のバングラー・ラッパーのSidhu Moose Walaがギャングの抗争に巻き込まれて射殺された事件には大きな衝撃を受けた。
この件については、少し前に詳しく書いたばかりなので、ここではリンクを貼るにとどめておく。



彼について書いた他の記事はこちら。



スタイル的な部分でいえば、ストリート系のラッパーたちが「歌い方はラップだけど、ビートにはインドっぽい音をサンプリングしがち」なのに対して、Sidhuはビートに現代的なヒップホップを引用しても(例えばDIVINEと共演した"Moosedrilla")、あくまでもバングラーの伝統に忠実な歌い方を守っているのが面白い。
首から下はヒップホップ的なファッションでキメていても、いつもシク教徒の誇りであるターバンを巻いているのも、Yo Yo Honey SinghやBadshahといった現代的ヘアスタイルのパーティーラッパーたち(彼らもシク教徒だ)とは対象的だ。
このあたりのこだわりは、バングラー系ラップがもともとディアスポラで生まれた音楽であるがゆえに、より自身ののルーツを強調する必要性があったからこそ生まれたスタイルなんじゃないかとも思う。
カリスマ的な人気を誇ったSidhu亡き後、バングラー系ギャングスタ・ラップのシーンがどう変化してゆくのか、今後も注目してゆきたい。



プロテスト音楽としてのヒップホップ

言うまでもなく、ヒップホップというジャンルは、アメリカの黒人たちの差別や抑圧の歴史に大きな影響を受けている。
差別といえばインドにも悪名高いカースト制度というものがあるが、アメリカにおける黒人の割合が約13%なのに対して、インドで法的に「指定カースト」として位置付けられた下層カースト民は人口の16.6%にも及ぶ。
インドでヒップホップがカースト差別に苦しむ人々をエンパワーする音楽としての意味を持つのは必然と言えるだろう。

南インドのタミルナードゥ州チェンナイ出身のArivuは、ダリット(カーストの枠外として抑圧されてきた人々)出身であることを公言しているラッパーだ。
彼はローカルなストリートミュージックだった「ガーナ」のシンガーとして育ち、大学でカースト差別について学んだのち、ラッパーへと転身した。
ガーナは宗教的権威と結びついた古典音楽とは異なる、チェンナイの大衆的な音楽で、もともと下層の労働者たちが生み出したものだとも言われている。
おそらく彼の中では、タミルのストリートミュージックであるガーナとヒップホップが自然に繋がっているのだろう。


この曲では、カースト差別に対する怒りのみならず、北インドの人々や文化が幅を利かせている状況への反発もテーマとなっている(字幕ONで英語字幕が読める)。
タミル人として行動しているだけで「反インド的」と言われてしまうことに対するプロテストであるこの曲は、結局のところどんな差異があっても俺たちは同じ人間なんだ、という'unity'の呼びかけへと発展してゆく。
彼はCasteless Collectiveというガーナとファンクとヒップホップを融合したバンドの一員でもあり、バンドでもその名の通りカースト差別反対をテーマにした曲を発表しているので、チェックしてみたい方はこちらの記事からどうぞ。




インド東部オディシャ州のダリット・ラッパー、Dule Rockerは、小さな村で建設作業員をしながら独力で楽曲を発表している超インディペンデントかつアンダーグラウンドかつハードコアなラッパーだ。
研究会では彼がDalit Pantherという肩書き(?)を名乗って発表した"Dalit Lives Matter"という曲を紹介したのだが、今調べてみたら、どういうわけかYouTubeから削除されてしまっているようだ。
アメリカの黒人たちのムーブメントがそのままカースト差別反対のメッセージに転用されているのが興味深いという話をしたかったのだが、仕方ないので今回は代わりにBBCが制作した彼の活動を追った映像を貼り付けておく。





インドでは、こんなふうにヒップホップがダリットのエンパワーメントに使われている例だけではなく、ラップのリリックがカースト差別的だと批判されることもある。
DIVINEがカリフォルニア出身のインド系フィメールラッパーRaja Kumariと共演したこの曲では、彼女の'Untouchable with the Brahmin flow from the motherland'というリリックが、カースト差別を肯定的に扱っているのではないかとの非難を受けた。


「母なる大地から生まれたブラーミン(カースト最上位のバラモンのこと)のフロウには触れられない」というラインは、おそらく彼女が自身のルーツを誇ったものなのだろうが、この文脈では、カーストの最下層の人々が穢れた存在とみなされ、上位カーストから「不可触民(アンタッチャブル)」と呼ばれていたことを想起させる。
アメリカで生まれ育った彼女は自分のルーツをレペゼンする意味で使ったのかもしれないが、インド本国ではまた別の意味を持って響いてしまったのだ。

カーストに関する話題は、当然ながらインドでは気軽に楽しめるテーマではないので、カースト差別に対するエンパワーメントを扱ったラップは、決してシーンの主流ではない。
インドでも、'dalit lives matter'のフレーズがヒップホップシーンや社会の中で大きな意味を持つようになる日は来るのだろうか。


ところで、インドでは、カースト差別とは別に、少数民族に対する差別も深刻な社会問題である。
「指定カースト」と同じように「指定部族」として法的に位置づけられた人々は人口の8.6%にものぼる。
とくにインド北東部には、インドの大多数を占めるヒンドゥーやイスラームとは全く違う文化を持ち、東アジア・東南アジア的な顔立ちを持つ人々が多く暮らしている。
北東部の人々は、マジョリティが暮らす地域に進学などで移り住むと、激しい差別やいじめを受けることも多く、これまでに数多くの北東部出身の学生たちが命を落としている。

インド北東部の最北端、アルナーチャル・プラデーシュ州出身のK4 Kekhoは、そんな北東部の人々の主張をラップで訴えている。


「俺は中国人でも移民でもない。あんたたちと同じインド人なんだ」という主張は、インド北東部のヒップホップの頻出テーマだ。

次に紹介するBig Dealも同様のテーマを扱っているのだが、彼は北東部出身ではなく、インド人の父親と日本人の母親の間に生まれた日印ハーフのラッパーである。
おそらく顔立ちのせいで北東部出身者に間違えられることが多いからだと思うが、彼は北東部の人々を代弁する曲を何曲もリリースしている。


先ほど紹介したK4 Kekhoの曲が"I am an Indian"で、この曲は"Are You Indian".
北東部の人々がインド社会でどんな扱いを受けているかが分かろうというものだ。
"Are You Indian"は、前半でインドのマジョリティ(大局的に見ればマイノリティであるムスリムもいる)による「お前らを差別するつもりはないが…」という言葉で始まる偏見が語られ、後半がそれに対する北東部出身者からの反論(アンサー)という構成になっている。
ミュージックビデオではいろんな俳優が喋っているように見えるが、実際は全てBig Dealによるラップのリップシンクになっている。
Big Deal本人も語っているのだが、この曲のアイディアは、アメリカの黒人ラッパーJoyner Lucasの"I'm not Racist"という曲とミュージックビデオををそのままインド北東部に置き換えたものだ。
カースト差別へのプロテストと同様に、少数民族の主張を訴える際にも、アメリカの黒人たちが使った手法がそのまま使われているのだ。
ヒップホップというカルチャーが持つ普遍性が感じられるエピソードだと思うのだけど、どうだろう。





女性のエンパワーメント

インドというと、保守的な価値観が支配的で、女性の自由が少ないというイメージを持つ人もいるだろう。
結婚相手を親に決められ、結婚後は仕事を続けることよりも家庭に入ることが期待され、そもそも結婚するときに花嫁側が持参金を払うという風習から、女性が生まれること自体が歓迎されないという風潮が、すべてのコミュニティにではないにせよ、まだまだインドには存在している。

この曲は、カリフォルニア生まれのインド系(テルグ系)フィメール・ラッパーRaja Kumariのもと、南部のベンガルールのSIRI、北東部メガラヤ州のMeba Ofiria、西部のムンバイのDee MCというインド各地の女性ラッパーたちが共演したもの。


英語ラップが多い曲なので、字幕をONにすると大意がつかめる。
タイトルの"Rani"は「女王」という意味で、つまり女性たちに対して「あなたは決定権を持ち、リスペクトされるべき存在であることを忘れないで」ということを訴えているのだ。曲のテーマ自体は文句なしに素晴らしいのだが、日本人として聞き捨てならないのは、この曲の冒頭のSIRIのリリックにある'I Nagasaki on them haters'というフレーズだ。
あるラジオ番組に出演したときに、この曲をかけようと思っていたのだけど、このリリックに気づいて、紹介するのをやめたことがある。
そのことをTwitterでつぶやいたところ、SIRIと同郷のベンガルールのラッパーが、引用リツイートの形で「特定のカルチャーをエンパワーするために他のカルチャーを傷つけるのはよくない。俺たちはインクルーシブにならないといけない」というアンサーをしてくれた。
インドのヒップホップシーンのコンシャスさを強く感じた出来事として、印象に残っている。



インドのルーツとの融合

ヒップホップには、自分の暮らす街や所属するコミュニティを「レペゼンする」(represent)カルチャーあるが、インドのヒップホップでは、音楽的な方法で自らのルーツをレペゼンしようという試みも行われている。
どういうことかというと、インドの古典音楽のリズムとラップを融合した「フュージョン・ラップ」に取り組んでいるアーティストたちがいるのだ。
インドの古典音楽では、口で擬音語的にリズムを表す方法があり、北インドでは「ボール」(bol)、南インドでは「コナッコル」と呼ばれていたりする(他にも地域や流派によって別の呼び方があるかもしれない)。
文章で表すよりも、このRaja Kumariのインタビューを聴けば一目瞭然だろう(こちらも字幕ON推奨。ひとまず今回見てもらいたいのは、動画開始から70秒ほど、2:30頃までだ)。


慣れ親しんだ古典のリズムに言葉を乗せたらラップになった!という発見をした人はインド国内にもいて、南インドの古典音楽パーカッショニストViveick Rajagopalanもまた、ラッパーたちと共演して、古典のリズムとラップの融合に挑戦している。



他にも、イギリスではタブラ奏者でジャズドラマーのSarathy Korwarが「インド古典とラップとジャズの融合」というさらに高度なフュージョンに取り組んでいて、これまた素晴らしかったりする。
インド人たちの、新しいカルチャーと自らのルーツを融合することに対するためらいの無さには、いつも大きな刺激を受けている次第である。








地元のレペゼン

当日、インド各地のローカル文化がヒップホップにおいてどう表現されているか、みたいな話をしようと思っていたのだけど、時間がなくて割愛したんだった。
なので今回の記事では改めて書こうと思ったのだけど、この記事ももう十分に長くなったので、このテーマが気になる人はこのへんの記事を読んでみてください。面白いです。





ラップ以外の諸要素について

さて、ここまでインドのラップシーンについて書いてきたけれど、古くからヒップホップとは「ラップ、B-Boying(ブレイクダンス)、DJ、グラフィティ」の4要素を含むカルチャーの総称と言われている。
他の要素についてもちょっと触れておくと、B-Boyingについては、さすがダンス好きの国民性だけあって結構盛んなようで、ダラヴィには無料のダンススクールを運営している若者もいる。
ブレイクダンスの技術を通して、スラムの子供たちに誇りを持ってもらおう、という取り組みで、この記事で紹介しているドキュメンタリーがなかなか面白いので興味があったらぜひ見てもらいたい。


ターンテーブルを使うクラシックなスタイルのDJに関しては、インドではインターネットの普及以前は長らくカセットテープが音楽媒体の主流を占めており、レコード盤はほとんど流通していなかったためか、まったく普及していないようだ。
街中で行われるサイファーでは、インドでもビートボックスでリズムを取ることが普通に行われている。
ダラヴィにはビートボックスのフリースクールがあるという話も聞いたことがある。

ちなみにレコーディング時のビートメイキングに関していうと、市中のラッパーはもっぱらビートをオンラインでダウンロードして賄うという、これまた今日の世界共通の方法を取っていることが多いようである。

グラフィティについては、例えば「India hiphop graffiti」とかで画像検索すると、インドの言語の文字やインドっぽいモチーフ(例えばヒンドゥーの神様)がヒップホップ的スタイルで描かれている作品をたくさん見つけることができる。
インドにはもともと政治的スローガンなどを壁に書く習慣があったので、ヒップホップ的なグラフィティも違和感なく受け入れられているようだ。


ヒップホップ・インディア


長かったこの記事もようやくお終い。
「辺境ヒップホップ研究会」での発表は、研究会の発起人である島村一平さんの著書『ヒップホップ・モンゴリア』をパクって、いやサンプリングして「ヒップホップ・インディア」というタイトルさせてもらいました。
最後に紹介したのは、ベンガルールのラッパーSmokey the Ghostの"Hip Hop is Indian".
インドのヒップホップ界を代表するアーティストたちや名曲のタイトルが散りばめられた曲です。
(ちなみにSIRIのナガサキのリリックに対しての抗議に共感を表明してくれたのは彼です)

ヒップホップがインディアンってどういうこと?と思うかもしれないけど、インドのヒップホップを聴いていてつくづく思うのは、ヒップホップというのはもはやアメリカの文化ではなく、完全にグローバルな文化になったんだなあ、ということ。
インドの、いや世界中のヒップホップアーティストたちは、別にアメリカ人の真似がしたいわけじゃない(きっかけはそうだったとしても)。

差別や抑圧や格差はどんな社会にもあるし、世界中のあらゆる人たちがダンスしたりパーティーしたりもするのも当然のことだ。
韻律をともなう詩の文化も世界中にあるから、ライムすることだって別に珍しいことじゃない。
ヒップホップを生み出したブロンクスのオリジネイターたち、そしてそれを発展させてきたアメリカのアーティストたちに対するリスペクトを欠くつもりは全くないけど、1970年代にニューヨークのブロンクスで生まれたヒップホップという文化が、こうして世界中に根づき、そして発祥の地から遠く離れた土地でも誰かを楽しませ、エンパワーし続けているという事実は、純粋に素晴らしいことだなあと思う。
ヒップホップはローカルであると同時に普遍的で、インドを含めた世界中のどの国のヒップホップからも、我々はメッセージとパワーをもらうことができる。
ほとんどのリスナーは自国とアメリカのシーンしかチェックしていないと思うけど、宝物はあらゆるところに存在している。
そのことを改めて感じることができた「辺境ヒップホップ研究会」でした。

次回も楽しみだなあ。



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2021年11月30日

MTV EMA 2021を振り返る Best India ActはDIVINEが受賞!

少し前の話題になるが、今年もMTV Europe Music Award(以下、MTV EMA)が11月15日に開催された(今年の会場はハンガリーのブダペスト)。

主要部門では、最優秀ポップ賞・最優秀グループ賞をBTSが、最優秀アーティスト賞・最優秀楽曲賞をEd Sheeranが、最優秀ビデオ賞をLil Nas Xが受賞したのだが、そのあたりの話は私よりも詳しい人がいくらでもいるだろうからそちらにまかせる。

MTV EMAでは、こうした主要部門以外にも様々なローカルアクトが選出される。
ヨーロッパ各国のアーティストはもちろん、Best Japanese ActとかBest Australian Actみたいに国ごとに選ばれるものもあれば、Best African ActとかBest Caribbean Actみたいに地域単位で選出されるものもある。
このブログが注目するのはもちろんBest India Actということになる。
 (ところでBest Indian ActではなくIndia Actなのは何故だろう)

ちなみに南アジアに関しては、選出されるのはBest India Actのみで、パキスタンやバングラデシュやスリランカのアーティストは対象外のようだ。
イギリスあたりにはパキスタンやバングラデシュ系の人も多いし、国別に選ぶのが難しければ、せめてBest South Asian Actとしても良いのではないかと思うのだが、どうだろうね。

とにもかくにも、今年のMTV EMA Best India Actにノミネートされたのはこの5組だった。


DIVINE


ソロとしては昨年に続いて2度目、2018年にRaja Kumariとのデュエットで選出されたのを含めれば、3回目のノミネートとなる。
DIVINEはこのブログでも何度も紹介しているムンバイのストリートラッパーで、映画『ガリーボーイ』(作中のキャラクターMC Sherのモデルとなった)以降、一躍人気アーティストの座に躍り出た。
2021年の彼は、Netflix制作の映画"The White Tiger"の主題歌となった"Jungle Mantra"や、メタリカのトリビュートアルバム"Blacklist"に収録された"The Unforgiven"などのごく限られたリリースしかなかったので、おそらくこのノミネートは昨年12月に発表されたアルバム"Punya Paap"を評してのものだろう。
このアルバムで、DIVINEはこれまでのストリートラッパーから脱却し、この"3:59AM"や表題曲"Punya Paap"などの内面的なテーマの楽曲や、ボリウッド的パーティーラップの"Mirchi"などの新しい作風に挑戦した。

DIVINEのこれまでについては、こちらから。





Kaam Bhaari x Spitfire x Rākhis

同じくムンバイのラッパーのKaam Bhaariも昨年に続いて2度目のノミネート。
今回はインド中部マディヤ・プラデーシュ州の小都市チャタルプル出身のラッパーのSpitfireと、ビートメーカーRākhisとの共演での選出となった。
この曲は『ガリーボーイ』の主演俳優Ranveer Singhが設立したヒップホップレーベルIncInkからのリリース。
同作にはKaam Bhaariもラッパー役でカメオ出演しており、Spitfireもサウンドトラックに参加している。
Rākhisは先日紹介したビートルズのトリビュートアルバム"Songs Inspired by The Film the Beatles and India"にも参加していたKiss NukaことAnushka Manchandaの兄弟でもある。



Raja Kumari

Raja Kumariはインド系(テルグ系)アメリカ人で、アメリカの音楽シーンでソングライターとして活躍(関わった作品がグラミー賞にノミネートされたこともある)したのち、近年ではラッパー/ソングライターとして拠点をインドに移して活動している。
まだまだ保守的な気風が残るインド育ちの女性にはなかなか出せない、タフな雰囲気が印象的なフィメールラッパーである。
この曲では、彼女のシグネチャースタイルでもあるインド古典音楽のリズムにルーツを持つラップを披露している。
彼女も『ガリーボーイ』に審査員役でカメオ出演しており、偶然かもしれないが今年のヒップホップ系のノミニーは全員『ガリーボーイ』関係者ということになる。
公開後そろそろ3年が経とうとしているが、あの映画がインドの音楽シーンに与えたインパクトの大きさを、改めて感じさせられる。
ちなみにDIVINEとRaka Kumariは『ガリーボーイ』にエグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされていたNYのラッパーNasのレーベルのインド支部であるMass Appeal Indiaに所属している。



Zephyrtone

ZephyrtoneはSayanとZephyrの二人の幼なじみによって2015年に結成されたエレクトロニック音楽ユニット。
2017年には"Only You"がMTV Asiaでフィーチャーされるなど、これまでにも高い評価を得ている。
AviciiやZeddの影響を受けているとのことで、さもありなんというサウンドのEDMポップだ。
この曲では、コルカタのラッパーEPR Iyerとのコラボレーションを実現させている。



Ananya Birla

2016年にデビューしたムンバイ出身の女性シンガー。LAのマネジメント事務所と契約を結んでおり、Sean Kingston, Afrojackなどの欧米人アーティストとの共演を果たすなど、グローバルに活動している。
インドで初めて英語の曲でプラチナムヒットを獲得したシンガーであり、現在までの5曲のシングルでプラチナムを獲得している。
この曲はDaft Punkやシンセウェイヴ的な雰囲気を濃厚に感じさせる仕上がりだ。
彼女の活躍は音楽界に限らず、インドの地方でマイクロファイナンスを展開するなど、社会活動家としても積極的に活動しているようだ。
ところで、彼女の名字を見て、もしやと思って調べてみたら、やはりインドの大財閥であるAditya Birla Groupの社長の娘だそう。



…と、お聴きいただいて分かる通り、MTV EMAのBest India Actにノミネートされるのは、「グローバルな(つまり、欧米的な)ポップミュージックとして洗練されたアーティストで、かつ映画音楽以外のもの」という基準があるようだ。
ヒップホップ3組とEDMアーティストと洋楽的女性シンガーという組み合わせは、現在のインドのインディペンデント音楽シーンを表すという意味でも、的確であるように思う。

この中から、投票によってBest India Actに選ばれたのはDIVINE.
彼がこれまでインドの音楽シーンに及ぼしてきた影響や、アルバム"Punya Paap"の内容を考えれば、納得の結果と言えるだろう。

個人的な好みから言わせてもらうと、ZephyrtoneとAnanya Birlaは典型的な洋楽っぽいサウンドではあるものの、彼らならではの個性にちょっと欠けているように感じられる。
インドの人たちが「自分の国からもこんなに洗練されたアーティストが出てきた」と評価するのは分からなくもないが、同じような音楽をやっているアーティストは世界中にたくさんいるわけで、発展著しいインドの音楽シーンを象徴する「現象」としては面白くても、印象にはあまり残らないなあ、というのが正直なところ。
その点、ヒップホップ勢は、言語によるところも大きいが、いずれもインド的なオリジナルの要素を強く感じさせるサウンドだった。
(もっとも、投票したのはほとんどが海外在住者を含めたインド人だろうから、こうした外国人の視点からの「インドらしさ」は選考には影響していないだろう)


また、ストリート出身(っぽい)DIVINEとKaam Bhari, 海外出身のRaja Kumari, 都会の富裕層っぽいZephyrtone, ガチで大富豪のAnanya Birlaというノミニーのラインナップも、現在のインドの音楽シーンを象徴していると言える。


正直に言うと、インド国内でもどれくらい注目されているのか分からないMTV EMAだが、インドのインディペンデント音楽(ここでは、「非映画音楽」くらいの意味に受け取ってほしい)を対象としたアワードはあまりないので、今後も定点観測を続けてみたい。


2018年のMTV EMAの記事はこちらから!



2019年は書き忘れていたみたいですが、2020年のMTV EMAについてはこちらから!




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2021年06月14日

Always Listening by Audio-Technicaに記事を書きました!

Audio-Technicaさんが運営している音楽情報サイト"Always Listening"にSpotifyのインドのヒットチャートを分析した記事を書かせていただきました!

記事はコチラ↓


Always Listeningでインドの音楽シーンに興味をもってくださった方のために、紹介した音楽をさらに深掘りできるブログ記事のリンク一覧をご用意しました。

最新型パンジャービー・ラッパーのSidhu Moose Walaについてはこちらから!
じつはかなりハードコアな一面も持っている男です。




彼と共演しているRaja KumariやDIVINEについても深く紹介しています。


DIVINEについては記事では触れていませんでしたが、Sidhu Moose Walaの"Moosedrilla"の後半で熱いラップを披露しているラッパーで、映画『ガリーボーイ』の登場人物のモデルの一人でもあります。


Always-Listeningで紹介したRitvizのようなインド風エレクトロニック・ダンスミュージックは、勝手に印DMと呼んで親しんでいます。



バンド名も面白い南部ケーララ州出身の英国風フォークロックバンドWhen Chai Met Toastは、じつはチャイよりもコーヒー好き。
(インド南部はコーヒー文化圏なんです)
インドには、彼らのようにインドらしさ皆無なサウンドのアーティストもたくさんいるのです。




英語ヴォーカルのシンガーソングライターはとくに優れた才能が多く、注目しているシーンです。
記事で触れたDitty, Nida, Prateek Kuhadに加えて、Raghav Meattleもお気に入りの一人。




ブログ『アッチャー ・インディア 読んだり聴いたり考えたり』には、他にもいろんな記事を書いていますので(全部で300本以上!)、ぜひ他にも読んでみてください。


今回の'Always-Listening'みたいに、ヒットチャートをもとに記事を書くというのは、これまでありそうでなかったのだけど、とても良い経験でした!
Always Listeningには他にも世界中の音楽に関する興味深い記事がたくさん載っているので、ぜひいろいろとお楽しみください!





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2021年06月13日

バングラー・ギャングスタ・ヒップホップの現在形 Sidhu Moose Wala(その2)



(前回の記事はこちら)


ポピュラーミュージックとしてのバングラーは、ヒップホップの影響を受けながらも、音楽的にはヒップホップから離れ、独自性を強めていく一方だった。
その傾向は、「ガリー・ラップ」以降、インドにストリート系のラップ/ヒップホップが根付いたことで、より強調されてゆくものと思っていた。

ところが、である。
このSidhu Moose Walaというアーティストを知って、その先入観は完全に覆された。
例えば、彼が今年リリースした"Moosedrilla"という曲を聴いてみよう。
サウンドからもタイトルからも分かる通り、この曲では、近年世界中のヒップホップシーンを席巻しているドリル的なビート(ダークで重く、かつ不穏な雰囲気を持つ)を導入している。
この曲を収録したアルバムのタイトルは"Moosetape".
これもヒップホップ・カルチャーのミックステープ(定義は難しいが、「アルバム」よりはカジュアルな作品集と考えればそんなに間違いない)を意識したものだ。
共演はあのDIVINE.
これは、パンジャービー系ラッパーのリアル・ヒップホップ志向と、ガリーラッパーのスタイル多様化(それには多分にセールス狙いもあるだろうが)が生んだコラボレーションだ。

Sidhu Moose Walaは、他に"Old Skool"という曲も発表している。
つまり、彼は明らかにバングラーの歌い方をしながらも、かなり明確にヒップホップを匂わせているのだ。


バングラーとヒップホップの融合を明確に意識し、ドリルのような最新のサウンドも取り入れているSidhu Moose Wala.
彼は決してニッチでマイナーなアーティストではない。
動画の再生回数は軒並み数千万回から数億回、サブスクのヒットチャートでも常連の、現代インドを代表する人気アーティストの一人なのである。

2017年にリリースしたこの"So High"のYouTube再生回数はなんと4億回。


トラディショナルなバングラーの要素を大胆に取り入れた"Unfuckwithable"は、タイトルもローカル感満載のミュージックビデオも最高!

共演のAfsana Khanは、パンジャーブ映画のプレイバックシンガーとしても活躍している女性歌手で、往年のソウル・シンガーのような熱を帯びたヴォーカルが素晴らしい。

最近では、デリーのPrabh Deepのように、シク教徒の象徴であるターバンをドゥーラグ(よく黒人ラッパーがかぶっていた水泳帽みたいなアレ)的な雰囲気でかぶり、バングラーの影響がほとんどないフロウでラップするアーティストも存在している。
(他にも、Shikandar Kahlonなど、ターバン姿でヒップホップ的スタイルのフロウでラップするシク教徒のラッパーは増えてきている)
だが、Sidhu Moose Walaは最新のヒップホップの要素を取り入れながらも、バングラーの歌い方を決して変えず、ターバンもクラシックなスタイルを崩さない。

バングラーとヒップホップを新しい次元で結びつける、このSidhu Moose Walaとは、どんな男なのだろうか。

Sidhu Moose WalaことShubhdeep Singh Sidhuはパンジャーブ州マーンサー(Mansa)県、ムーサ(Moosa)村出身の28歳。
ステージネームの'Sidhu Moose Wala'は「ムーサ村の男、Sidhu」を意味する。
シク教徒には軍人が多いが、彼の父も軍隊に所属した後、戦場での負傷を理由に退役し、警察官となった人物である。
少年時代からラッパーの2パックの影響を受け、ヒップホップに傾倒するのと同時に、地元の音楽学校でパンジャービー音楽を学んでいたというから、彼の音楽性はごく自然に培われたものなのだろう。
2016年に同州の工学系の大学を卒業した後、彼はカナダに渡って本格的な音楽活動を始めている。
 
Ninjaというパンジャーブ系シンガーの楽曲"Lisence"で作詞家としてのデビューを果たした後、2017年に同郷パンジャーブ出身の女性シンガーGurlez Akhtarとのデュエット曲"G Wagon"でプロの歌手としてのキャリアをスタートさせた。
カナダは70万人近いパンジャーブ人が暮らしている、彼らの一大ディアスポラでもある(あのタイガー・ジェット・シンもその一人だ)。

デビュー曲から、まさに銃・クルマ・女の世界観を確立させている。

こうした要素だけ見ると、彼は伝統と欧米カルチャーへのあこがれが混在した、よくいるタイプのインドの若者のような印象を受けるが、ことはそんなに単純ではない。
彼は、銃器を愛好し(彼のミュージックビデオにもたびたび登場する)、思想的にはシク教徒の独立国家を目指すカリスタン運動の支持者であるという、かなり危ない一面も持ち合わせているのだ。
皮肉にも、カリスタン運動は、父が所属していた軍とは真っ向から対立する考え方だ。
他にも、警察官から無許可で銃のトレーニングを受けたことで逮捕されるなど(警察官は彼のファンだったのだろうか?)、そのヤバさは本場のギャングスター・ラッパーにも引けを取らない。
ちなみにその後、彼はそのスキャンダルを、幾多の犯罪に関与したとされる映画俳優Sanjay Duttに例えた楽曲としてリリースしている。
彼のアンチ・ヒーロー的なスタイルは、見せかけではなく筋金入りなのだ。

それでも、彼はデビュー後瞬く間にスターとなった。
2017年には上述の"So High"が大ヒットし、この曲は同年のBrit Asia Music TV Awardsの最優秀作詞賞を受賞。
2018年にはPTC Punjabi Music Awardsで"Issa Jatt"がBest New Age Sensation賞に選出されている。
 
さらに、同じ年にファーストアルバム"PBX1"を発表し、カナダのアルバムチャートのトップに上り詰めるとともに、2019年のBrit Asia Music TVのベストアルバム賞を受賞("Legend"で最優秀楽曲賞も同時受賞)。
2019年以降も"Mafia Style"とか"Homicide"といった物騒なタイトルの楽曲を次々と世に送り出し、2020年にはセカンドアルバムの"Snitches Get Stitches"をリリース。
今年5月には、全31曲入りというすさまじいボリューム(日本からサブスクで聴けるのは、6月12日現在で11曲のみ)のサードアルバム"Moosetape"をリリースするなど、精力的な活動を続けており、インド国内と在外インド人コミュニティの双方から支持を集めている。

こうした彼の人気ぶりも、その音楽スタイル同様に、国内外のインド系社会の変化を反映しているように思う。
これまでも、イギリスや北米出身のインド系アーティストが、現地のインド系コミュニティでのヒットを経て、インドに逆輸入を経て人気を博すというパターンは存在していた(例えば前回紹介したPanjabi MC)。
また、最近ではRaja Kumariのように、インドの音楽シーンの伸長にともなって、活動拠点をインドに移すアーティストもいる。
だが、インドの農村で生まれたシンガーが、現代的なヒップホップとバングラ―を融合した音楽性で、ディアスポラと母国の両方で同時に高い人気を誇るというのは、これまでほとんど無いことだったように思う。
(Raja Kumariはカリフォルニア出身の南インド系〔テルグー系〕女性で、R&B的なヴォーカリストとして、また幼少期から学んだ古典音楽のリズムを活かしたラップのフロウで人気。"Moosetapes"でSidhu Moose Walaとも共演している)


つい数年前まで、インドの音楽シーンでは「垢抜けた」音楽性で人気を集めるのは、海外出身、もしくは留学経験のあるアーティストばかりだった。
村落部出身の若者が、危険なギャングスタのイメージで世間を挑発し、洋楽的なサウンドを導入して世界中のインド系社会でスターになるという現象は、インターネットの普及とともに発展してきたインドの音楽シーンのひとつの到達点と言えるのかもしれない。


ここで話をバングラーとヒップホップに戻す。
正直に言うと、これまで、バングラ―系シンガー/ラッパーについては、彼らのファッションやミュージックビデオがどんなに洗練されてきても、その吉幾三っぽい謳いまわしや20年前とほとんど変わらないサウンドから、どこか垢抜けない、田舎っぽい印象を持っていた。
別に垢抜けなくて田舎っぽい音楽でも構わないのだが(バングラ―の歌の強烈な「アゲ感」には抗えない魅力があるし)、彼らには、ヒップホップ的な成り上がり&ひけらかしカルチャーやファッションには直感的にあこがれても、その音楽的な魅力については、十分に理解できていないのではないかと感じていた。。

ところが、このSidhu Moose Walaに関しては、ヒップホップ・カルチャーを十分に理解したうえで、あえてバングラ―の伝統的な歌い方を守っているように思える。
ジャマイカ人たちのトースティング(ラップ的なもの)やダンスホールのフロウがヒップホップのサウンドとは異なるように、パンジャーブ人にとっては、バングラ―的なフロウこそが魂であり、守るべきものであり、クールなものなのだ。

同様に、彼らが巻くターバンにしても、我々はついエキゾチックなものとして見てしまうが、これもラスタマンのドレッドロックスと同じように、信仰に根差した誇るべき文化なのである。

パンジャービー語を母語として話す人々の数は、世界中で1.5億人もいて、これはフランス語を母語とする人口の倍近い数字である。
さらに、海外で暮らすパンジャーブ系の人々の数は、カナダとイギリスに70万人ずつアメリカに25万人にものぼる。

バングラーをワールドミュージック的なものとしてではなく、ポピュラーミュージックの枠組みの中に位置づけて聴くべき時代が、もう来ているのかもしれない。





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goshimasayama18 at 23:39|PermalinkComments(0)

2019年10月01日

インドの英語ラップ/ヒップホップまとめ!

先日インドの新進英語ラッパーのSmokey The GhostTienasを紹介したときに、ここらで一度インドの英語ラッパーたちを総括してみたくなったので、今回は「インドの英語ラップ/ヒップホップまとめ」をお届けします。
アメリカのヒップホップを中心に聴いてきたリスナーにも、きっと馴染みやすいはずの英語ラップ。
様々なスタイルのアーティストがいるので、きっとお気に入りが見つかるはず。
それではさっそく始めます。

今回あらためていろいろ聴いてみて気づいたのは、インドの英語ラッパーたちは、どうやらいくつかのタイプに分類することができるということ。
まず最初に紹介するのは、アメリカのヒップホップにあまりに大きな影響を受けたがゆえに、地元言語ではなく英語でラップすることを選んだ第一世代のヒップホップ・アーティストたちから。

インドのラップミュージックは、90年代から00年代に、在英パンジャーブ系インド人から巻き起こったバングラー・ビートが逆輸入され、第一次のブームを迎えた。
(今回は便宜的に彼らはヒップホップではないものとして扱う)
バングラー・ビートとは、パンジャーブ地方の伝統音楽バングラーに現代的なダンスビートを取り入れたもの。
全盛期にはPanjabi MCがJay Zとコラボレーションした"Mundian Bach Ke"がパンジャービー語にもかかわらず全世界的なヒットとなるなど、バングラーはインドやインド系ディアスポラのみならず、一時期世界中で流行した。
バングラー・ビートにはインドっぽいフロウのラップが頻繁に取り入れられ、流行に目ざといインドの映画産業に導入されると、バングラー・ラップは一躍インドのメインストリームの一部となった。
その後、バングラーはEDMやレゲトンとも融合し、独特の発展を遂げる。
インドのエンターテイメント系ラッパーの曲が、アメリカのヒップホップとは全く異なるサウンドなのは、こうした背景によるものだ。

2010年前後になると、衛星放送やインターネットの普及によって、今度はアメリカのヒップホップに直接影響を受けたラッパーたちがインドに出現しはじめる。
彼らがまず始めたのは、アメリカのラッパーたちを真似て英語でラップすることだった。
映画『ガリーボーイ』以降、急速に注目を集めたガリー(路地裏)ラッパーの第一世代DivineNaezyも、キャリアの初期にはヒンディーやウルドゥーではなく、英語でラップしていたのだ。
2013年にリリースされたDivineの初期の代表曲"Yeh Mera Bombay"の2番のヴァース(1:15〜)は英語でラップされていることに注目。

インド伝統音楽の影響を感じさせるビートは典型的なガリーラップのもの。
英語ラッパーとしてキャリアをスタートさせた彼らは、自分自身のサウンドと、よりリアルなコトバを求めて、母語でラップする道を選んだのだ。


かつてDivineが在籍していたヒップホップクルー、Mumbai's Finestも、現在はヒンディーでラップすることが多いが、この楽曲では、オールドスクールなビートに合わせて英語ラップを披露している。

もろに80年代風のサウンドは、とても2016年にリリースされた楽曲とは思えないが、インドのラッパーたちは、不思議とリアルタイムのアメリカのヒップホップよりも、古い世代のサウンドに影響を受けることが多いようだ。
このサウンドにインドの言語が似合わないことは容易に想像でき、このオールドスクールなトラックが英語でラップすることを要求したとも考えられる。
ラップ、ダンス、スケートボードにBMXと、ムンバイのストリート系カルチャーの勢いが感じられる1曲だ。


こちらはムンバイのヒップホップ/レゲエシーンのベテラン、Bombay Bassmentが2012年にリリースした"Hip Hop Never Be The Same".
生のドラムとベースがいるグループは珍しい。

もっとも、彼らの場合は、フロントマンのBob Omulo a.k.a. Bobkatがケニア人であるということが英語でラップする最大の理由だとは思うが。


英語でラップしながらも、インド人としてのルーツを大事にしているアーティストもいる。
その代表格が、カリフォルニアで生まれ育った米国籍のラッパー、Raja Kumariだ。
彼女は歌詞や衣装にインドの要素を取り入れるだけでなく、英語でラップするときのフロウやリズムにも、幼い頃から習っていたというカルナーティック音楽を直接的に導入している。
ヒップホップの本場アメリカで育った彼女が、アフリカ系アメリカ人の模倣をするのではなく、自身のルーツを強く打ち出しているのは興味深い。
これはインド国内または海外のディアスポラ向けの演出という面もあるかもしれないが、自分のコミュニティをレペゼンするというヒップホップ的な意識の現れでもあるはずだ。
2:41頃からのラップに注目!


スワヒリ語のチャントをトラックに使ったこの楽曲でも、彼女のラップのフロウにはどこかインドのリズムが感じられる。

Gwen StefaniやFall Out Boyなど多くのアーティストに楽曲提供し、グラミー賞にもノミネートされるなど、アメリカでキャリアを築いてきた彼女も、最近はインドのヒップホップシーンの成長にともない、活動の拠点をインド(ムンバイ)に移しつつある。

バンガロールのラッパーBrodha Vは、かなりEminemっぽいフロウを聴かせるが、楽曲のテーマはなんとヒンドゥー教のラーマ神を讃えるというもの。
 
英語のこなれたラップから一転、サビでヒンドゥーの賛歌になだれ込む展開が聴きどころ。
「若い頃はお金もなく悪さに明け暮れていたが、ヒップホップに出会い希望を見出した俺は、目を閉じてラーマに祈るんだ」といったリリックは、クリスチャン・ラップならぬインドならではのヒンドゥー・ラップだ。


最近インドでも増えてきたJazzy Hip Hop/Lo-Fi Beats/Chill Hopも、英語ラッパーが多いジャンルだ。
Brodha Vと同じユニットM.W.A.で活動していたSmokey The Ghostは、アメリカ各地のラッパーたちがそれぞれの地方のアクセントでラップしているのと同じように、あえて南インド訛りの英語でラップするという面白いこだわりを見せている。
 

新世代ラッパーの代表格Tienasもまたインドのヒップホップシーンの最先端を行くアーティストの一人。
こうした音楽性のヒップホップは、急速に支持を得ている「ガリーラップ」(インドのストリート・ラップ)のさらなるカウンターとして位置付けられているようだ。


この音楽性でとくに実力を発揮するトラックメーカーが、デリーを拠点に活動するSez On The Beatだ。
Rolling Stone Indiaが選ぶ2018年のベストアルバムTop10にも選ばれたEnkoreのBombay Soulも彼のプロデュースによるものだ。
 
ところどころに顔を出すインド風味も良いアクセントになっている。

一般的には後進地域として位置付けられているジャールカンド州ラーンチーのラッパーTre Essも突然変異的に同様の音楽性で活動しており、地元の不穏な日常を英語でラップしている。

セカンド・ヴァースのヒンディー語はムンバイのラッパーGravity.
この手のアーティストが英語でラップするのは、彼らのリリカルなサウンドに、つい吉幾三っぽく聞こえてしまうヒンディー語のラップが合わないという理由もあるのではないかと思う。

こうした傾向のラッパーの極北に位置付けられるアーティストがHanumankindだ。
彼のリリックには日本のサブカルチャーをテーマにした言葉が多く、この曲のタイトルはなんと"Kamehameha"。
あのドラゴンボールの「かめはめ波」だ。

アニメやゲームといったテーマへの興味は、チルホップ系サウンドの伝説的アーティストであり、アニメ『サムライ・チャンプルー』のサウンドトラックも手がけた故Nujabesの影響かもしれない。


ラッパーたちが育ってきた環境や地域性が、英語という言語を選ばせているということもありそうだ。
ゴア出身のフィーメイル・ラッパーのManmeet Kaur(彼女自身はパンジャービー系のようだが)は、地元についてラップした楽曲で、じつに心地いい英語ラップを披露している。
ゴアはインドのなかでもとりわけ欧米の影響が強い土地だ。
彼女にとっては、話者数の少ないローカル言語(コンカニ語)ではなく、英語でラップすることがごく自然なことなのだろう。

のどかな田園風景をバックに小粋な英語ラップで地元をレペゼンするなんて、インド広しと言えどもゴア以外ではちょっとありえない光景。
欧米目線の「ヒッピーの聖地」ではない、ローカルの視点からのゴアがとても新鮮だ。
生演奏主体のセンスの良いトラックにもゴアの底力を感じる。

バンガロールもまた英語ラッパーが多い土地だ。
日印ハーフのBig Dealは、インド東部のオディシャ州の出身だが、バンガロールを拠点にラッパーとしてのキャリアを築いている。
彼自身はマルチリンガル・ラッパーで、故郷の言語オディア語(彼は世界初のオディア語ラッパー!)やヒンディー語でラップすることもあるが、基本的には英語でラップすることが多いアーティストだ。
彼の半生を綴った代表曲"One Kid"でも、インドらしさあふれるトラックに乗せて歯切れの良い英語ラップを披露している。

オディシャ州にはムンバイやバンガロールのような大都市がなく、彼が英語でラップする理由は、オディア語のマーケットが小さいという理由もあるのだろう。
それでも、彼はオディシャ人であることを誇る"Mu Heli Odia"や、母への感謝をテーマにした"Bou"のような、自身のルーツに関わるテーマの楽曲では、母語であるオディア語でラップすることを選んでいる。


モンゴロイド系の民族が多く暮らす北東部も、地域ごとに独自の言語を持っているが、それぞれの話者数が少なく、またクリスチャンが多く欧米文化の影響が強いこともあって、インドのなかでとくに英語話者が多い地域だ。
北東部メガラヤ州のシンガーMeba Ofiriaと、同郷のラップグループKhasi Bloodz(Khasiはメガラヤに暮らす民族の名称)のメンバーBig Riが共演したこのDone Talkingは、2018年のMTV Europe Music AwardのBest Indian Actにも選出された。

典型的なインドらしさもインド訛りも皆無のサウンドは、まさに北東部のスタイルだ。


同じくインド北東部トリプラ州のBorkung Hrankhawl(a.k.a. BK)は、ヒップホップではなくロック/EDM的なビートに合わせてラップする珍しいスタイルのアーティスト。

トリプラ人としての誇りをテーマにすることが多い彼の夢は大きく、グラミー賞を受賞することだという。
彼はが英語でラップする理由は、インドじゅう、そして世界中をターゲットにしているからでもあるのだろう。

北東部のラッパーたちは、マイノリティであるがゆえの差別に対する抗議をテーマにすることが多い。
アルナーチャル・プラデーシュ州のK4 Kekhoやシッキム州のUNBが、差別反対のメッセージを英語でラップしているが、そこには、より多くの人々に自分のメッセージを伝えたいという理由が感じられる。

インド独立以降、インド・パキスタン両国、そしてヒンドゥーとイスラームという二つの宗教のはざまでの受難が続くカシミールのMC Kashも、英語でラップすることを選んでいる。

この曲は同郷のスーフィー・ロックバンドAlifと共演したもの。
あまりにも過酷な環境下での団結を綴ったリリックは真摯かつヘヴィーだ。
彼もまた、世界中に自分の言葉を届けるためにあえて英語でラップしていると公言しているラッパーの一人だ。

政治的な主張を伝えるために英語を選んでいるラッパーといえば、デリーのSumeet BlueことSumeet Samosもその一人。

彼のリリックのテーマは、カースト差別への反対だ。
インドの被差別階級は、ヒンドゥーの清浄/不浄の概念のなかで、接触したり視界に入ることすら禁忌とされる「不可触民」として差別を受けてきた(今日では被差別民を表す「ダリット」と呼ばれることが多い)。
Sumeetのラップは、その差別撤廃のために尽力したインド憲法起草者のアンベードカル博士の思想に基づくもので、彼のステージネームの'Blue'は、アンベードカルの平等思想のシンボルカラーだ。


探せばもっといると思うが、さしあたって思いつく限りのインドの英語ラッパーを紹介してみた。
インドのヒップホップシーンはまだまだ発展途上だが、同じ南アジア系ラッパーでは、スリランカ系英国人のフィーメイルラッパーM.I.A.のようにすでに世界的な評価を確立しているアーティストもいる。
英語でラップすることで、彼らのメッセージはインド国内のみならず世界中で評価される可能性も秘めているのだ。
さしあたって彼らの目標は、インドじゅうの英語話者に自身の音楽を届けることかもしれないが、インド人は総じて言葉が達者(言語が得意という意味だけでなく、とにかく彼らは弁がたつ)でリズム感にも優れている。
いずれインドのヒップホップアーティストが、世界的に高い評価を受けたり、ビルボードのチャートにランクインする日が来るのかもしれない。


(今回紹介したラッパーたちのうち、これまでに特集した人たちについてはアーティスト名のところから記事へのリンクが貼ってあります。今回は原則各アーティスト1曲の紹介にしたのですが、それぞれもっと違うテイストの曲をやっていたりもするので、心に引っかかったアーティストがいたらぜひチェックしてみてください)


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2019年05月24日

混ぜたがるインド人、分けたがる日本人  古典音楽とポピュラーミュージックの話

『喪失の国、日本 インド・エリートビジネスマンの[日本体験記]』という本がある(文春文庫)。
M.K.シャルマなる人物が書いた本を、インドに関する著書で有名な山田和氏が翻訳したものだ。
山田氏は、デリーの小さな書店で「日本の思い出」と題されたヒンディー語の私家版と思しき本を見つけて購入し、その後、奇遇にもその本の著者のシャルマ氏と知り合うこととなった。(曰く「9億5000万分の1の偶然」)。
この奇縁から、山田氏がシャルマ氏にヒンディー語から英語への翻訳を依頼し、それを山田氏がさらに日本語に訳して出版されたのが、この本というわけだ。

日本人のインド体験記は数多く出版されているが、インド人による日本体験記は珍しい。
シャルマ氏は、90年代初期の日本に滞在した経験をもとに、持ち前の好奇心と分析力を活かして、日印の文化の相違や、虚飾に走りがちな日本人の姿を、ときにユーモラスに、ときに鋭く指摘している。
全体を通して面白いエピソードには事欠かない本書だが、とくに印象に残っているのは、シャルマ氏が日本人の同僚とインド料理店を訪れた時の顛末だ。

私は料理同士をミックスさせ、捏ねると美味しくなると、何度もアドヴァイスをしたのだが、誰も実行しようとしなかった。混ぜると何を食べているのかわからなくなる、美味そうでない、生理的に受けつけない、というのが彼らの返事だった。
その態度があまりにも頑ななので、私は彼らが「生(き)(本来のままで混じり気のないこと)」と呼んで重視する純粋性、単一性への信仰、つまり「混ぜることを良しとしない価値観」がそこに介在していることに気づいたのである。
インドでは、スパイスの使い方がそうであるように、混ぜることを愛する。

(同書「インド人は混ぜ、日本人は並べる」の章より)

その後、シャルマ氏は「日本食も混ぜた方が美味しくなると思うか」という質問に「そう思う」と本音で答えた結果、「それは犬猫の食べ物」と言われてしまったという。
インド人は様々な要素を混ぜ合わせることを豊穣の象徴として良しとし、日本人はそれぞれの要素の純粋性を尊重するという、食を通した比較文化論である。

なぜ唐突にこんな話をしたかというと、インドの音楽シーンにも、私はこれと全く同じような印象を受けているからだ。
彼ら(インド人)は、とにかくよく混ぜる。
何を混ぜるのか?
それは、彼らの豊かな文化的遺産である古典音楽と、欧米のポピュラーミュージックを混ぜるということである。
それも、奇を衒ったり、ウケを狙っているふうでもなく、まるで「俺たちにとっては普通のことだし、こうしたほうが俺たちらしくてかっこいいだろ」と言うがごとく、インドのミュージシャン達は、ごく自然に、時間も場所も超越して音楽を混ぜてしまうのだ。
日本では「フュージョン」と言うと、ジャズとロックとイージーリスニングの中間のような音楽を指すことが多いが、インドで「フュージョン」と言った場合、それはおもに伝統音楽と現代音楽の融合を意味する。

その一例が、前回紹介した「シタールメタル」だ。
古典音楽一家に生まれ育ったRishabh Seenは、シタールとプログレッシブ・メタルの融合に本気で取り組んでいる。

ヒップホップの世界でも、Bandish ProjektやRaja Kumariが古典音楽のリズムをラップに導入したり、Brodha Vがヒンドゥーの讃歌を取り入れたり、そして多くのラッパーがトラックに伝統音楽をサンプリングしたりと、様々なフュージョンが試みられている。


Bandish ProjektもRaja Kumariも、インド伝統の口で取るリズム(北インドではBol, 南インドではKonnakolという)からラップに展開してゆく楽曲の後半が聴きどころだ。

Eminemっぽいフロウを聴かせるBrodha Vの"Aatma Raama"はサビでラーマ神を讃える歌へとつながってゆく。

 Divineのトラックは、実際はテレビ番組のテーマ曲の一部だそうだが、伝統音楽っぽい笛の音色をBeastie Boysの"Sure Shot"みたいな雰囲気で使っている!
Divineはムンバイを、Big Dealはオディシャ州をそれぞれレペゼンするという内容の曲。トラックもテーマに合わせてルーツ色が強いものを選んでいるのだろうか。

伝統音楽との融合はヒップホップだけの話ではない。
Anand Bhaskar CollectiveやPaksheeといったロックバンドは、ヒンドゥスターニーやカルナーティックの古典声楽を、あたり前のようにロックの伴奏に乗せている。


タミルナードゥ州のプログレッシブメタルバンドAgamは、演奏もヴォーカルもカルナーティック音楽の影響を強く感じる音楽性だ。

例を挙げてゆくときりがないので、そろそろ終わりにするが、エレクトロニック・ミュージックの分野では、Nucleyaがひと昔前のボリウッド風の歌唱をトラップと融合させているし、古典音楽のミュージシャンたちも、ラテンポップスの大ヒット曲"Despacito"を伝統スタイルで見事にカバーしている。(しかも、彼らが使っている楽器のうちひとつはiPadだ!)



まったくなんという発想の自由さなんだろう。
異質なものを混ぜることに対する、驚くべき躊躇の無さだ。

翻って、我が国日本はどうかと考えると、我々日本人は、混ぜない。
最新の流行音楽に雅楽や純邦楽の要素を取り入れるなんてまずないし、ロックバンドが演歌や民謡の歌手をヴォーカリストに採用するなんてこともありそうにない(例外的なものを除いて)。
そう、日本は「分けたがる」のだ。
純邦楽は日本の伝統かもしれないけど、ロックやヒップホップとは絶対に相容れないもの。
民謡や演歌の歌い方は、今日の流行音楽に取り入れたら滑稽なもの。
素材の純粋さを活かす日本文化は、混ぜないで、分けることでそれぞれの良さを際立たせる。

いったいなぜ、日本人とインド人でこんなにも自国の伝統と西洋の流行音楽に対する接し方が違うのか。
なぜインド人は、何のためらいもなく古典音楽と最新の流行音楽を混ぜることができるのか。
その理由は、インドの地理的、歴史的な背景に求めることができるように思う。

よく言われるように、インドは非常に多くの文化や民族が混在している国で、公用語の数だけでも18言語とも22言語とも言われている(実際に話されている言語の数は、その何倍、何十倍になる)。
現在のインドは、もともとひとつの国や文化圏ではなく、異なる文化を持つたくさんの藩王国や民族、部族の集まりだった。
彼らは移動や貿易や侵略を通して、互いに影響を与えあってきた歴史を持つ。
11世紀以降本格的にインドに進入してきたイスラーム王朝もまた、インド文化に大きな影響を与えた。
かつての王侯たちは、異なる信仰の音楽家や芸術家たちをも庇護して文化の発展を支えていたし、イスラームのスーフィズムとヒンドゥーのバクティズムのように、異なる信仰のもとに共通点のある思想が生まれたこともあった。
インドの歴史は多様性のもとに育まれている。
こうした異文化どうしの交流と影響の上に成り立っているのが、インドの芸術であり、音楽なのだ。

また、スペインやポルトガルなどの貿易拠点となったり、イギリス支配下の時代を経験したことの影響も大きいだろう。
インド人は、かなり昔から南アジアの中だけでなく、東(インド)と西(ヨーロッパ) の文化もミックスしてきたのだ。
音楽においても東西文化の融合はかなり早い段階から行われていて、ヨーロッパ発祥のハルモニウム(手漕ぎオルガン)は今ではほとんど北インドやパキスタン音楽でしか使われていないし、南インドでは西洋のバイオリンがそっくりそのまま古典音楽を演奏する楽器として使われている。
 

彼らの音楽的フュージョンは、一朝一夕に成し遂げられたものではないのである。
彼らはスパイス同様、音楽的要素も混ぜることでもっと良くなるという思想を持っているに違いない。
そもそも例に上げているスパイスにしても、インド原産のものばかりではない。
例えば今ではインド料理の基本調味料のひとつとなっている唐辛子は、大航海時代にヨーロッパ人によってインドにもたらされたものだ。
古いものも、新しいものも、自国のものも、他所から来たものも、混ぜ合わせながら、より良いものを作ってきたという歴史。
その上に、今日の豊かで面白いフュージョン音楽文化が花開いている。
長く鎖国が続いた日本の歴史とは非常に対照的である。

日本の音楽シーンでは、ルーツであるはずの文化や伝統と、現代の流行との間に、深い断絶がある。
その断絶の起源が鎖国にあるのか、明治にあるのか、はたまた戦後にあるのかは分からないが、とにかく我々は長唄や民謡とヒップホップを混ぜようとしたりはしない。
というか、そもそも伝統音楽と流行音楽の両方を深く聴いているリスナー自体、ほとんどいないだろう。

日本人は、分ける。
インド人は、混ぜる。

と、ここまで書いて、ふと気がついたことがある。
スパイスや音楽については混ぜることが大好きなインド人も、なかなか混ぜたがらないものがある。
それは、彼らの「生活」そのものだ。
例えば、食。
スパイスについては混ぜることを良しとしている彼らも、食生活そのものに関しては、都市に住む一部の進歩的な人々以外、総じて保守的である。

牛を神聖視するヒンドゥーと、豚を穢れているとするムスリム、さらには人口の3割を占めるというベジタリアンなど、インドには多くの食に関するタブーがある。
それらは個人やコミュニティーのアイデンティティーと強く結びついており、気軽に変えられるものではない。
音楽に関する仕事をしていて、アメリカ留学経験も日本在住経験もあるとても都会的なインド人が、頑なにベジタリアンとしての食生活を守っている例を知っている。
その人は信仰心が強いタイプでは全くないが、生まれた頃からずっと食べていなかった肉を食べるということに、気持ち悪さのような感覚があるという。
(多様性の国インドにはいろんなタイプの人がいるので、あくまで一例。最近では逆にベジタリアン家庭に育っても、鶏肉くらいまでは好んで食べる若者もそれなりにいるようだ)
多くのインド人にとっては、小さな頃から食べ慣れた食生活を守ることが、何よりも安心できることなのだろう。

また、結婚についても同様に、インド人は混ぜたがらない。
ご存知のように、インドでは結婚相手を選ぶときに、自分と同等のコミュニティー(宗教、カースト、職業、経済や教育のレベルなど)から相手を選ぶことが多い。
保守的な地方では、カーストの低い相手との結婚を望む我が子を殺害する「名誉殺人」すら起こっている。(家族の血統が穢れることから名誉を守るという理屈だ)
 
一方、日本人は食のタブーのない人がほとんどだし、海外の珍しくて美味しい料理があると聞けば喜んで飛びつき、さらには日本風にアレンジしたりもする。
食に関して言えば、日本人は混ぜまくっている。
結婚に関しても、仮に「身分違いの恋」みたいなことになっても、せいぜい親や親族の強硬な反対に合うことがあるくらいで、殺されたりすることはまずない。
日々の暮らしに関わる部分では、日本人のほうが混ざることに対する躊躇が少なく、インド人のほうが分けたがっているというわけだ。
国や民族ごとに、人々が何を混ぜたがり、何を分けたがっているのかを考えると、いろいろなことが分かってくるような気もするが、話が大きくなり過ぎたのでこのへんでやめておく。


最後に、冒頭で紹介した山田和氏の「喪失の国、ニッポン〜」をもう一度紹介して終わりにする。
この本は、これまで読んだインド本の中で、確実にトップスリーには入る面白さで、唯一欠点があるとすれば、なんとも景気の悪いタイトルくらいだ。 
主人公のシャルマ氏は、花見の宴席を見て古代アラブの宴を思い起こし、「やっさん」というあだ名の同僚からペルシアの王ハッサンを想像してしまうぶっ飛びっぷりだし、後半では淡い恋のエピソードも楽しめる。 
実は、この本の内容は全て山田氏の創作なのではないかという疑惑もあるようなのだが(正直、私もちょっとそんな気がしている)、もしそうだとしても、それはそれで十分に面白い奇書なので、ご興味のある方はぜひご一読を!



インドのフュージョン音楽については、過去に何度か詳しく書いているので、興味がある方はこちらのリンクから!
混ぜるな危険!(ヘヴィーメタルとインド古典音楽を) インドで生まれた新ジャンル、シタール・メタルとは一体何なのか

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goshimasayama18 at 21:49|PermalinkComments(0)

2019年02月10日

Raja Kumariがレペゼンするインド人としてのルーツ、そしてインド人女性であるということ

以前も紹介したアメリカ国籍のインド系女性ラッパー、Raja Kumariが昨年11月にリリースした楽曲"Shook"がかっこいい。
この曲は、今年前半にリリースが予定されているニューアルバム、"Blood Line"(血統)からの先行リリース。

以前の曲と比べてよりドスのきいた声で、ミッシー・エリオットのような凄みが出てきた。
イントロからサンプリングされている伝統音楽っぽい歌がインドっぽくないなあと思っていたら、どうやらスワヒリ語のチャントだとのこと。
つまりこの曲はアフリカ系アメリカ人が発明したヒップホップとそのルーツであるアフリカの音楽、そしてインド系アメリカ人である彼女とそのルーツであるインドの音楽(この曲ではちょっとだけど)が融合した非常に野心的な楽曲なのだ。

この曲のサウンドがとても気に入ってよく聴いていたのだけど、彼女のインタビューに基づいて歌詞を読んでみると、歌詞もまた非常に興味深いものだということがわかる。

最初のヴァースは'Diamond bindi shining with bangles out' と始まる。
「ビンディー」はヒンドゥーの女性が額につける飾りで、もともとは悟りとともに開かれるとされる第3の目を模したもの。
「バングル」は今ではすっかり一般的な単語になっているが、もともとはインド人女性がつけるインドの腕輪を指す言葉だ。
インド人女性としての誇りや美的感覚を自信を持って見せつけよう、というところからリリックは始まる。

この曲の最も重要なテーマはその後のラインに出てくる'Hindu guap'.
'guap'は現金を意味するスラングだが、彼女曰く「ヒンドゥー文化の豊かさに誇りを持とう」という意味を表す言葉だという。

つまりこの曲は、インド系アメリカ人として米国で育った彼女が自らのルーツをレペゼンするとともに、グローバル社会で生きるインド系の人々(とくに女性)に誇りを持つことを促すメッセージソングでもあるというわけだ。

Raja Kumari自身が歌詞の意味を説明したビデオ。


ニューヨークのメディア'The Knockturnal'のインタビューで、彼女は自らの半生とアメリカでインド系女性として生きる現実を語っている。
The Knockturnal 'Exclusive: Raja Kumari Talks New Single "Shook" Upcoming Album "Bloodline" & Musical Beginnings'

彼女の両親は1970年代にアメリカン・ドリームを夢見て渡米したインド人移民だ。
インド系移民の常として、彼女の両親は子どもたちの教育に力を注いだ。
Raja Kumariいわく、彼女の兄弟は典型的なインド人。
勉強の成果を生かして脳神経外科医や法律家として活躍しているという。
兄弟のなかで彼女だけが音楽の道に進んだが、両親はそんな彼女を幼い頃から応援し、優れた師匠のもとで古典舞踊を習わせた。
それが今の彼女の音楽の基礎になっているのだ。
古典舞踊を踊る少女時代の彼女をフィーチャーしたミュージックビデオ、"Believe in You". 


やがて古典舞踊ではなく、R&Bやヒップホップの道に進んだ彼女は、Iggy Azaleaに提供した曲でグラミー賞候補になったのち、音楽活動の場をインドにまで広げた。

カリフォルニアで生まれ育った彼女だが、それでもインドは居心地の良い場所だったという。
南アジアやインド文化がなかなか理解されにくいアメリカと比べ、インドでは自分のしていることがより受け入れられていると感じることができたからだ。
南アジアの女性にステレオタイプな保守的なイメージを持っている人々に対しても、彼女は戦ってゆく必要があると語っている。
こうした状況の中で、彼女は自身のルーツを、音楽とリリックを通して表現しようとしているのだ。
映画Bohemian Rhapsodyのなかで、インド系であるFreddie Marcuryが名前を変え、南アジア的な要素を排除しようとしている姿で描かれていたのとは対照的である。
(これはヒンドゥーであるKumariに対して、Freddieがパールシーであることも多少関係しているのかもしれないが)

そういえば、彼女がミュージックビデオで着ている衣装も、インド的な美意識をいかにヒップホップ的ファッションに落とし込むかということに挑戦しているように見える。




こうした背景を踏まえてDivineと共演した楽曲"Roots"を改めて聞くと、これまた非常に趣深い。
Raja Kumariは、ヒップホップアーティストという、インド人女性のステレオタイプからはみ出した生き方をしながらも、インド古典音楽やインドの伝統的なファッションの要素を取り入れ、米国社会のなかでインドの文化や宗教を誇らしげに掲げている。
つまり、彼女なりのやり方で、アメリカ社会では周辺化されてしまっているインドのルーツをレペゼンしているというわけだ。

先日紹介したDivineは、対照的だ。
巨大産業である映画音楽系シンガーや帰国子女・留学経験者ばかりだったインドのヒップホップ界で、ムンバイの貧民街出身のラッパーとして、本物のストリート(Gully)のラップを届けることで頭角を現してきた。
彼はインドの都市の中で周辺化されてしまっているスラム出身というルーツをレペゼンしているのだ。

Raja KumariとDivine.
この曲、"Roots"では、インド系ではあるが、性別も宗教も(Divineはクリスチャン)生まれ育ちも、まったく異なるルーツを持った二人がヒップホップという一点でつながり、コラボレーションしているというわけだ。
もちろん、この2つは矛盾しているわけではなく、いずれも本物のヒップホップのアティテュードと言えるものだろう。


Raja Kumariのニューアルバム'Bloodline'はアメリカで製作され、マイアミのDanja(Timbaland, Mriah Carey, Missy Elliott, Madonnaらとの仕事で知られる)、アトランタのSean Garrett(Beyonce, Nicky Minaj, Usher, Britney Spearsらとの仕事で知られる)ら、そうそうたる顔ぶれが参加したものになるようだ。
彼女はこのアルバムを、インドやディアスポラ向けのものではなく、より普遍的なものとして製作しているという。
"Shook"を聞く限り、内容も素晴らしいものになりそうで、期待しながらリリースを待ちたい。
それでは今日はこのへんで。



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2018年11月06日

MTV EMA2018最優秀インド人アーティスト発表!Big-Ri & Meba Ofilia

MTV EMA (Europe Music Awards)2018がスペインのビルバオで開催され、各部門の受賞アーティストが発表された。
ヨーロッパといいながら、なぜかたくさんの国のベストミュージシャンが選ばれるこのイベント。
今年のBest India Music Actに選ばれたのは、R&B/ヒップホップアーティストのBig-Ri & Meba Ofiliaによる楽曲'Done Talking'だった。

Big-Riは2009年に結成されたメガラヤ州のヒップホップグループKhasi Bloodzのメンバーの一人。
メガラヤ州はこのブログでも何度も紹介してきた、独特の文化と高い音楽性を誇るインド北東部8州(セブン・シスターズ+シッキム)の1つだ。
Khasiとはメガラヤ州に住む先住民族の名称で、彼らもまた自分たちのルーツに誇りを持ったアーティストであることが分かる。
Khasi Bloodzはインドらしからぬこなれた英語のラップを聴かせる実力派ラッパー集団で、ここでもBig-Riは安定したラップを披露しているが、何しろ圧巻なのは同じくメガラヤ州出身の女性シンガー/ラッパーのMeba Ofiliaだ。
情感のこもった歌唱から小気味いいラップまで、独特のハスキーヴォイスで素晴らしい歌声を聴かせてくれている。
Mebaはまだメガラヤの州都Shillongで法律を学んでいる大学生。
オリジナル曲もほとんどなく、1年前にKhasi Bloodzと共演した楽曲ではまだまだ実力を発揮できていなかったが、この'Done Talking'で急速に成長した姿を見せつけることになった。
こう言っては大変失礼だが、インドの山奥から出てきたとはとても思えない堂々たるパフォーマンスで、この曲の素晴らしさの8割方が彼女によるものと言っても過言ではないと思う。
大都市や国際都市があるわけでもなく、人口も少ない北東部だが、ここの人々のロックやヒップホップ偏差値の高さにはいつもながら本当に驚かされる。

ちなみにこの賞を受賞した北東部のアーティストとしては、他には先日のナガランド特集で紹介したAlobo Nagaがいる。
北東部のミュージシャンはその音楽的才能の高さに比べて、民族的にマイノリティーであることもあって、なかなかインドの音楽シーンの主流には食い込めていないような印象を持っているのだけど、こうした海外の賞ではきちんと評価されているんだなあ、と思うと感慨深い。

今年ノミネートされていた他のアーティストはこちらのみなさんです。
Raja Kumari ft. Divine 'Roots'.
 
このブログでも取り上げたカリフォルニア出身の米国籍のテルグ系ラッパーRaja Kumariと、ムンバイのヒンディー語ラッパーDivineによる2度目のコラボレーション。
トラックもかっこいいし、ラップもさすがのテンションだけど、この二人はいつもこんな感じなので、ここに来てまたインド人としてのルーツを誇るみたいなテーマはちょっと新鮮味が無いような気もする。
ちなみに彼女は昨年に続いて2度目のノミネートだった。

Monica Dogra &Curtain Blue 'Spell'

Monica Dograはボルティモア出身のインド系(北西部ジャンムー系)シンガー兼女優で、MTV EMAでは2015年、2016年に続いて3度目のノミネート。
この曲ではデリーのバンドThe CircusのヴォーカリストAbhishek BhatiaのソロプロジェクトであるCurtain Blueとのコラボレーションとなっている。

Skyharbor 'Dim'

Skyharborはインド系のメンバーによるオルタナティブ/プログレッシブ・メタルバンドで、デリー、ムンバイ、アメリカのクリーブランドなど、さまざまな土地の出身者で構成されている。
2010年結成。
日本の音楽シーンとも縁があり、BabymetalのUSツアーのオープニングアクトを務めたり、マーティ・フリードマンのJ-Popカバーアルバムに参加したりもしている。


Nikhil 'Silver and Gold'
 
Nikhil D'souzaはムンバイ出身のシンガー・ソングライター。
'Silver and Gold'はジェフ・バックリィやスティングらの影響を受けて曲を作り始めた彼のソロデビュー曲。
アコースティックに始まって徐々に盛り上がるアレンジもよく出来ているし、力強くも繊細なヴォーカルも素晴らしい。
やけに貫禄がある歌いっぷりだと思ったら、どうやら彼は長らくボリウッド映画のプレイバック・シンガーとして活躍していたようで、いまでは拠点をイギリスに移して活動している様子。
古城で撮られたビデオも美しい。


どれも完成度の高い楽曲ではあるけれども、いったいどうやってこの5曲が選ばれたのか、謎だなあ。
そもそもRaja KumariやMonica Dograはアメリカ国籍だし、Nikhilは今ではイギリスを拠点に活動しているみたいだし。
共通項はメジャーレーベルからリリースされている作家性の強い英語の楽曲ということくらいか。
欧米の音楽シーンとの親和性も求められているセレクションのような気もする。
この賞は、2013年、2014年はYo Yo Honey Singh、2015年は女優でもあるPriyanka Chopraと、よりポップな(まあ、なんつうか下世話な)曲が選ばれたこともあり、インディー色の強いRolling Stone Indiaのベストアルバムなんかと比べるとこれはこれで個性があって面白い。

そのうちそれぞれのアーティストについても、深く紹介してみたいと思います!
ところで、インドにも増してさらに謎なのは、Best Japan Act.
今年のノミネートはLittle Glee Monster、Daoko、Glim Spanky、水曜日のカンパネラ(英語名称はWednesday Campanella)、Yahyelで、受賞はLittle Glee Monsterだって。
別に異存はないけど、インド系移民はヨーロッパにも多いのでBest India Actはまあ分かるとしても、Best Japan Actはいったいどういう基準で選んでいるんだろう。
Chaiとかは入らないのか。
うーん、謎。

まあいいや、それでは今回はここまで!



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goshimasayama18 at 23:28|PermalinkComments(0)

2018年08月08日

インドのエリートR&Bシンガーが歌う結婚適齢期!Aditi Ramesh

「インドの女性に関する話題」と言えば、ここ日本で報道されるのは、首都デリーや地方でのレイプ被害だとか、結婚のときの持参金で揉めて花嫁が殺されたとか、顔に硫酸をかけられたとか、悲惨なものばかり。
あるいは、インディラ・ガンディー首相やタミルナードゥ州のジャヤラリタ州首相のような、いわゆる「男まさり」な女性政治家たちや、女性美をとことん強調したボリウッド女優など、いずれにしてもかなり極端なものが多いように思う。
もちろん、そのいずれもが注目すべきトピックではあるのだけれども、当然ながら、こうした注目を浴びる人たちとは関係なく暮らす女性たちだってインドにはたくさんいる。

というわけで、今回は、「女性R&Bシンガー、Aditi Rameshが歌う現代インドのキャリアウーマンの切実な悩み」というテーマでお届けします。

今回の記事の主役、Aditi Rameshはムンバイで活躍する実力派女性シンガーソングライターで、例えばこんな楽曲を歌っている 。

お聴きいただければ分かるとおり、この曲はインド要素ゼロ。
ちょっとフランスの女性シンガーZazを思わせる、ジャジーな楽曲だ。


もっとミニマルでエクスペリメンタルな曲もある。
Zap Mamaみたいなアフリカにルーツのあるアーティストに似た雰囲気のある楽曲で、中間部では南インド古典音楽のカルナーティック的な歌い回しも出てくる。

現在28歳のAditiは、少女時代をニューヨークで過ごした。
ニューヨークでも、やはり以前紹介したRaja Kumariのように、インド人コミュニティとの繋がりが強かったのだろう。
クラシックピアノだけでなく、カルナーティック音楽の古典声楽を習っていたという。
15歳のときに家族とともにインドのバンガロールに戻ってくると、その後大学で法律を修め、インドでもトップクラスの法律事務所で弁護士としてキャリアをスタートさせた。
この経歴を見てわかる通り、彼女はミュージシャンである以前に、裕福な家庭で育った極めて優秀なエリートでもあるわけだ。

そんな彼女が再び音楽と向き合うことになったのは2016年。
友人にキーボードをもらったことをきっかけに、彼女はまた音楽にのめり込んでゆく。
翌年に最初の音源をリリースすると、ジャズやブルース、ヒップホップ、それにほんの少しのカルナーティックの要素を融合した彼女の音楽は、若いリスナーたちの注目を集めることとなった。
今では弁護士の仕事を辞めて、音楽一本で生活しているとのこと。

何不自由なく育ったお嬢さんがブルースねえ、と皮肉りたくもなるが、15歳という多感な時期にインドに戻ってきた彼女は、母国であるはずのインドでの暮らしになかなかなじめず、両親ともうまくいかない時期を過ごしていたという。
彼女が法律の道に進んだのも、両親のように薬学や工学を学びたくないという理由からだそうだ。 

音楽活動に真剣に取り組み始めた当初、彼女のいちばんのモチベーションは、人間性を無視してまで働かざるをえない環境への不満を表現することだった。
仕事に対する怒りをブルースの形でぶつけた"Working People's Blues"という曲でムンバイのシンガーソングライターのコンペティションで優勝したことが、デビューのきっかけになった。
これがその曲で、歌は30秒頃から。

お聴きいただいて分かる通り、かなり本格的なブルースソングだ。
はたから見れば裕福で悩みなんかなさそうに見える境遇でも、 当然ながら相応の苦労や憂鬱があるってわけだ。

さて、前置きが長くなったが、今回注目するのはこの曲。
"Marriageble Age"


現代的なR&Bを思わせるミニマルなトラックにフィーメイル・ラッパーDee MCのラップを大きくフィーチャーした楽曲で、ところどころにカルナーティック的な歌い回しが顔を出す。
ジャジーな部分やR&Bっぽい部分はインドらしさ皆無なのに、ラップになるとアメリカの黒人やジャマイカン的なリズムではなく、インドのリズム由来のフロウになっているところに、このリズムがDNAレベルでの浸透していることを感じる。

サウンド面でも非常に興味深い楽曲だが、今回注目する歌詞の内容はこんな感じだ。
(英語の歌詞全体はこちらからどうぞ。"show more"をクリック!)

あなたはいくつになったの?25?26?
家族はいつ身を固めるのかと聞いてくる
いつ赤ちゃんを産んでくれるの?
あなたの体内時計はどんどん時を刻んでゆくのに、どうして私を困らせるの?
いつ落ち着くつもりなの?
どうしていい人を探さないの?男の人はたくさんいるのに

分からないの?そんなことが私のしたいことの全てってわけじゃない
私には自分のしたいことがある、無関心だなんて言わないで

でもあなたはもう結婚適齢期、20代ももう下り坂
あなたは結婚適齢期、もう十分自由を満喫したでしょう?
どうして動き回っているの?あなたの人生で何をやっているの?
今すぐに誰かの奥さんにならないんだったら
誰にも見つけてもらえない落し物みたいになるわ

(ここからラップパート)
時は流れてゆくのに、どうして遊びまわっているの?
美貌は衰えてゆくのに、自分だけは別だと思ってる
あなたは正気を失ってるの 結婚する時期よ
気分を切り替えなさい 夢見る時は終わったの

私たちのおせっかいは終わらないわ
こういうものなの 逆らえないの
イヤって言えば言うほどしつこくするわよ
それだけが目的なの 理由は聞かないで

あなたはインドにいるの ここはアメリカじゃない
一度無くした若さは戻らないわ
また結婚の申し込み(rishtaa)があったわ、今度は文句ないでしょう
最高の巡り合わせなのに、どうしてまだ待つなんて言うの?
娘よ、手遅れになる前に決めなきゃ
これ以上自由でいるあなたを見たくはないわ

私の古い考えを変えることはできないわ
男とハグしたりキスしたりするのは結婚してからにしなさい
結婚証明こそが生きてゆくためのライセンスなのよ
どうして理解できないの?あなたには責任があるの
まだ子供時代が過ごしたいの?
あなたの叔母さんが送ってくれた写真を見てみなさい
目をそらさないで この人の奥さんになりなさい
仕事が終わったら彼のために料理を作って彼を幸せにするの
向こうのご両親も待っているわ 年相応になりなさい

インドの女性であることは呪わしくもありがたいこと
みんなは私を押さえつけようとするけど私は自由でいたいの
結婚適齢期なのよ 血を絶やそうとしているの?
30歳になるまで待っていられないわ もうすぐなのよ



ところどころ、とくにヒンディーのところはGoogle翻訳なので間違っているかもしれないがご勘弁を。
親族からのプレッシャーを表したすごく直接的な歌詞にとにかくびっくりした。
日本だとポップスの曲で、ここまで具体的かつ個人的な不満をぶちまけることって、なかなかない。
でもAditiがこういう曲を発表したのは、これが単なる個人的な不平ではなく、インド社会全体に共通して見られる現象だからだろう。
実際にAditiが親からこういうプレッシャーをかけられているということではなく(それも有りうることだが)、多くのリスナーが共感してくれる内容だからこそ歌にしたのではないだろうか。

Aditiに代表される英語での高等教育を受けた新しい世代は、インド社会でますます存在感を増してきている。
彼らの特徴は、英語を流暢に話すこと(海外在住経験者も多い)、その多くがエンジニアやMBA、法律家や医師などの専門職であること、カースト等の伝統的な価値観への帰属意識が希薄なことなどが挙げられ、インド社会の中で、カーストや地域をベースにした既存の集団とは違う、新しい「階層」を形成している。
しかしながら、今日でも家族をベースにしたコミュニティの団結がとても強いのもまたインド。
こうした新しい考え方と価値観を異にする彼らの両親らの古い世代とのギャップは埋めようがないレベルにまで達している。
その最たるものが結婚に対する意識だ。
彼らの母親たちの世代では、女性は20代前半には両親の決めた相手と結婚し、家庭に入り、子どもを生み育て家を守るのが当然であり、またそれこそが幸福とされていた。
もっとキャリアを追求したいとか、結婚相手を自分で探して選びたいとか、結婚のタイミングを自分で決めたい、という若い世代の考え方とはどうしたって相容れない。
これはもうどちらが正しいという問題ではなく、価値観や幸福感のベースをコミュニティーや伝統とするのか、それとも個人とするのかという根本的な考え方の違いなのだ。

世間体や家族の体面のためだけに結婚なんかしたくはないし、それが幸福とも思えない。
それなのに両親や親族からは会うたびに結婚はまだかと聞かれる。
めんどくさくってしょうがない。

と、まあ、この曲は都市部のインドの女性の極めて現実的な悩みを歌ったものなのだ。
そもそもブルースやR&Bは人々の憂鬱や苦労をストレートに歌い飛ばすもの。
特段に悲惨な境遇でなければ歌にしてはいけないなんて決まりはなく、例えば往年のR&Bシンガー、エタ・ ジェイムスの"My Mother in Law"という曲では、口うるさい姑への不満が歌われている。
そういう意味で、このAditi Rameshの"Mariageable Age" はまさしく現代のインド都市部の働く女性のためのリアルなブルースと呼ぶことができるだろう。

彼女はソロ名義とは別のプロジェクトや客演も積極的に行っている。

よりジャジーなアプローチを行っているカルテット、Jazztronaut.


音楽の世界における女性の地位向上をテーマにした女性だけのバンド、Ladies Compatment.


Mohit Rao, Adrian Joshua, The Accountantとのユニットではヒップホップ色の強いサウンド。


先日の映画音楽カバーの記事でも紹介したアカペラグループVoctronicaのメンバーの一人でもある。


彼女の音楽は、インドの要素を取り入れていても、どこか都会的でR&Bの空気感が支配的な印象を受ける。
こうした印象は、インド系アメリカ人であるRaja Kumariとも共通しているように感じるが、これはAditiも幼いころを米国で過ごし、アメリカの音楽に本場で親しんでいたことが理由なのだろうか。
(彼女はインタビューでも、両親はミュージシャンでこそなかったが、いろいろな音楽を聴かせてくれたと語っている)
R&Bやジャズをベースにしたサウンドに、ほんの少しのインド音楽の要素。
これは、欧米風の個人主義的な価値観に基づいて暮らしつつも、伝統やコミュニティーから完全には自由になれないインドの新しい世代そのものを表しているようにも感じられる。

というわけで、今回はAditi Rameshの音楽を通じてインドにおける世代間の価値観のギャップを紹介してみました。
彼女の音楽は、こんなふうに歌詞をほじくらなくても、サウンドだけでも十分に素晴らしいものなので、ぜひいろんな曲を聴いてみてください。

いよいよ次回は、読者の方からリクエストをいただいたバンド、Pineapple Expressを紹介してみたいと思います! 
それでは。 



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