R&B
2024年11月10日
ソウルフル&ファンキー! インドの新進R&B系シンガーソングライター特集
これまでにこのブログでは、Prateek Kuhad, Raghav Meattle, Sanjeeta Bhattacharya, Anoushka Maskey, Mali, Topshe,などのインディーズシーン出身のシンガーソングライターを紹介してきた。
いろんな人を紹介してはきたものの、アメリカのバークリー音楽大学出身のSanjeeta Bhattacharya以外は、どちらかというと抒情的な作風のシンガーが多かった。
これは自分の好みもあるだろうけど、インドで音楽を志す若者たちの傾向として、踊れる音楽を作りたい人はEDMを、ストリート的な表現をしたい人はヒップホップを、激しさを求める人はヘヴィメタルを、内省的な表現を好む人がSSWを選ぶという傾向があるからだろうと理解していた。(※ものすごく大雑把な括りです)
そんなインドでも、ここ数年の間に、R&Bっぽい、ポップかつ踊れる曲を作るシンガーソングライターが目につくようになってきた。
例えばこのRamanというシンガーが最近リリースした曲はこんな感じ。
Raman "Dekho Na"
歌良し、メロディー良し、声良しと、3拍子揃った才能を感じさせてくれるRamanはなんとまだ19歳!
ポップだがどこか影のある音楽性は、日本で言うと藤井風あたりに通じる印象だ。
調べてみたが出身地がどこかは分からなかったものの、ヒンディー語で歌っているのでおそらくは北インドのどこかのはず。
世界中どこの国に存在していてもおかしくないR&Bベースのポップだけど、たまに節回しがほんのちょっとだけインド風味になるところがたまらない。(言語の響きに引っ張られているのか?)
Raman "Jadui Pari"
この曲はちょっとボサノヴァっぽいコード進行で、インド人もこういうコード進行をオシャレだと感じるんだなあと思うとなかなか感慨深い。
ミュージックビデオを見る限り、Raman、見た目もなかなかのイケメンだ。
こういうタイプのシンガーが今後インドでどれくらいメジャーになるものか、気になるところではある。
カンナダ語(ベンガルールなどがある南インドのカルナータカ州の公用語)で歌うSanjith Hedgeもちょっと藤井風っぽい感じのあるR&Bスタイルのシンガー。
Sanjith Hegde "Gulaabo"
音楽のスタイルもそうだが、ミュージックビデオの無機質にも有機的にも見える複雑なコレオグラフィーや、現実とシュールが入り混じった世界観もすごく今っぽい。
インドの場合、ヒップホップではローカル色が強く出るけれど、R&Bになるとそうでもなく無国籍な感じ(ミドルクラス趣味というか)になるところも面白いと思う。
これは、楽曲が表現している内容だけでなく、作り手やリスナーの生きている世界、見ている世界の違いによるものと見ていいだろう。
あと関係ないけど、サビがちょっとゲラゲラポーみたいに聴こえる。
もうちょっとクラシックなタイプというか、ジャズっぽいアレンジの歌を歌うこんなシンガーもいる。
デリー出身のVasu Rainaのこの曲は、トランペットのイントロからしてシブい。
Vasu Raina "aag"
こうした生音っぽいグルーヴへの接近は以前特集したヒップホップのビートのディスコ化とも共鳴している感じがする。
ギターやピアノ(インドの場合、気候の影響や調律師の不足からエレピがほとんどらしい)の弾き語り的なスタイルが多かったSSWやDTMっぽいビートに飽きてきたラッパーたちが、反動としてこういうスタイルに寄せてきているのかもしれない。
同様にホーンが効いたレイドバックした曲では、ベンガルールのTushar MathurのEP "Snooze"もかなり良かった。
Tushar Mathur "Snooze"
ぶん殴られたヒゲ面のインド人男性(なぜか絆創膏に花)という、インパクトがありすぎるジャケからは想像もつかないシルキーな感触のR&Bポップスで、どことなく懐古趣味的な音像はデリーのPeter Cat Recording Co.にも通じるものがある。
(そういえば今年リリースされたPeter Cat Recording Co.の"Beta"も「上質な退屈さ」ともいえる独特の音楽性であいかわらずの良作でした)
こうした良質なインド産英語インディーズ音楽は、今のところインド国内ではそこまで市場が広がらなさそうなので、海外のリスナーにもっと見つけられてほしいな、と思うばかり。
以前紹介したSanjeeta Bhattacharyaの新曲もあいかわらずキャッチーな佳曲。
今回はJhalliという女性シンガーとのコラボになっている。
Sanjeeta Bhattacharya x Jhalli "Main Character Energy"
ミュージックビデオも凝っていて、インド女性のシスターフッド賛歌になっているところも素晴らしい。
彼女の音楽には、いつも「女性らしさを女性自身のものとして謳歌する」というテーマが通底している。
あまりインディーズ趣味に走りすぎても「インドのR&Bなんて一部の好事家がやってるだけでしょう」と思われてしまいそうなので(まあそうなんだけど)、ここでメジャーどころを。
さあざまな言語の映画のプレイバックシンガーとしても大活躍しているケーララ出身のBenny Dayalが今年リリースしたマラヤーラム語の曲はこんな感じ。
Benny Dayal & Hashbass Feat. Vivzy "Ith Athyamai"
この曲の言語はマラヤーラム語で、言語の響きに影響を受けた歌い回しが随所に散りばめられているところがまた良い。
共演のHashbassはデリーのベースギター奏者兼ビートメーカーで、VivzyはBennyと同郷のケーララのフィメール・ラッパー。
タミル系アメリカ人のSid Sriramをはじめ、プレイバックシンガーがソロでR&B系の曲をリリースするという例も増えてきたようだ。
南アジアのシンガーは、人種的な特徴からそうなるのか、男女ともにとても甘い声をしている人が多いので、ソウルやR&Bは彼らの良さがもっとも活かせるジャンルのひとつだろう。
今後、さらに魅力的なシンガーや楽曲が生まれてくることを期待したい。
さて、ここから先は記事の本題とは別の話。
最近ブログに「あなたの感覚は古すぎます」「あなたはこのアーティストに気づくのが遅すぎます」という趣旨のコメントをくれた人がいて、「こんなふうにディスられるなんて、まるでいっぱしの音楽評論家になったみたいだな」と笑ってしまったのだけど、「扱うアーティストが偏りすぎ」という指摘もあったので、誤解のないように書いておく。
多くの方はお気付きだと思いますが、このブログはインドの音楽シーン全体をくまなく紹介するものではなく、ヒップホップとかロックとか電子音楽といったジャンルを中心に、インディペンデントな形式で活動しているアーティストを中心に扱っています。
だから偏っていると言われれば、もちろん偏っている。
インドのポピュラー音楽のまだまだ本流である映画音楽もあんまり扱ってません。
理由は、映画についてはすでに優れた紹介者の方がたくさんいるし、個人的に「映画のために作られた音楽」よりも、もっと作家性の強い音楽に興味があるから。
世界最大の国のインディーズシーンが急速な勢いで発展しているということ自体わくわくするし、音楽的にかっこいいと思えるアーティストも、メジャーよりアンダーグラウンドにより多いと感じています。
インドで大衆的な人気がある音楽を知りたかったら、AIに聞くとか、サブスクの各種現地チャートをチェックするとか、インドの情報サイトをグーグル翻訳するとかでほぼ事足りてしまうので、改めて自分の言葉で文章化する必要性をあんまり感じていません。
世界最大の国のインディーズシーンが急速な勢いで発展しているということ自体わくわくするし、音楽的にかっこいいと思えるアーティストも、メジャーよりアンダーグラウンドにより多いと感じています。
インドで大衆的な人気がある音楽を知りたかったら、AIに聞くとか、サブスクの各種現地チャートをチェックするとか、インドの情報サイトをグーグル翻訳するとかでほぼ事足りてしまうので、改めて自分の言葉で文章化する必要性をあんまり感じていません。
というわけで、このブログでは、現地でそこまで「売れて」いなくても、面白いと感じたものを積極的に紹介しています。
今回紹介したアーティストも、Benny Dayal以外はインドでもほぼ無名と言っていい存在だと思います。
今回紹介したアーティストも、Benny Dayal以外はインドでもほぼ無名と言っていい存在だと思います。
紹介する基準は、まず何よりも音楽的に面白いこと。かっこいいこと。
ジャンルの解釈や表現が興味深かったり、個性が強かったり、面白いストーリーがあったり、強いメッセージが込められていたり、日本や海外の音楽シーンと共鳴していたり、といったアーティストや楽曲もすすんで取り上げています。
もちろんこの基準にあてはまる音楽は人によって違うし、そもそも音楽の価値を全然違うところに見出している人も多いでしょう。ジャンルの解釈や表現が興味深かったり、個性が強かったり、面白いストーリーがあったり、強いメッセージが込められていたり、日本や海外の音楽シーンと共鳴していたり、といったアーティストや楽曲もすすんで取り上げています。
なんか軽刈田の趣味が合わないな、と思う人がいたら、ぜひSNSなりブログなりで、自分の好きな音楽を発信してみてください。
インドの音楽に注目してくれる人が増えるのは、むしろうれしいことなので。
てなわけで、今後もこのスタンスでやっていくのでよろしくね。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 23:24|Permalink│Comments(2)
2021年07月07日
Karan Kanchanの活躍が止まらない!(ビートメーカーで聴くインドのヒップホップ その2)
うれしいことに、ここ最近、俺たちのKaran Kanchanの快進撃が止まらない。
Karan Kanchanはムンバイを拠点に活躍しているビートメーカー。
なぜ「俺たちの」なのかというと、彼はジャパニーズ・カルチャーに大きな影響を受け、その結果、日本にも存在していない'J-Trap'というジャンルを「発明」してしまったという、愛すべきアーティストなのである。
(彼について紹介した記事)
J-Trapはトラップのダークでヘヴィなビートに、三味線っぽい音色や和風の旋律をちりばめた、極めてオリジナルな音楽だ。
この"Tokyo Grime"のラッパーはXenon Phoenix.
外国人の目線から見た不穏なイメージの東京がめちゃくちゃクール!
こちらは"Daruma Dub"
インド人仏教僧Bodhidharma(サンスクリット語)を語源とするおなじみのダルマが、日本のポップカルチャーの影響を受けた最新のダンスミュージックとしてインドに帰還したと思うと、なんだか不思議な縁を感じる。
インドでは、K-Popがメインカルチャーとして受け入れられている一方で、アニメやマンガを中心とした日本文化は、コアなファンを持つサブカルチャーとして確固たる位置を占めている。
K-Popのグループがインドの雑誌の表紙を飾ったり、ボリウッドの人気歌手がK-Popシンガーと共演して多くの耳目を集めている一方で、インディーミュージックシーンでは、日本語名のアーティストや、日本語タイトルの楽曲が数多く存在しているのだ。
こうした日韓のカルチャーの受け入れられ方の違いは、東アジアの一員として非常に興味深い。
(関連記事をいくつか貼り付けます)
シーンを見渡せば、他にも、ジブリの映画や久石譲の音楽をフェイバリットに挙げ、ミュージックビデオにトトロの人形を登場させたドリームポップバンドのEasy Wanderlingsや、80年代の日本のアニメをモチーフにしたミュージックビデオ(楽曲のタイトルは"Samurai")をリリースしたSayantika Ghoshなど、日本文化の影響を受けたインディーミュージシャンは枚挙にいとまがない。
Karan Kanchanは、そのなかでも、非常に強く日本のカルチャーの影響を感じさせるアーティストの一人なのである。
この"Monogatari"のイントロの語りは、三味線奏者の寂空-JACK-によるもの。
じつは、この二人を引き合わせたのは私、軽刈田。
Kanchanの「コラボレーションしてくれる三味線奏者を探してほしい」というリクエストをSNSで拡散したところ、寂空が手をあげてくれたのだ。
この曲では、三味線とトラップのコラボレーションに先駆けて、語りでの共演となった。
寂空が所属するバンド'Shamisenist'は、今後アメリカのレーベルColor Redからのデビューが予定されており、ひとまわり大きくなった日印のアーティスト同士の新たなコラボレーションにも期待したい。
J-Trapという類まれなるスタイルを確立したKaran Kanchanは、前回の記事で紹介した「ムンバイのストリートラップシーンの帝王」DIVINEとの共演を皮切りに、瞬く間にインドのヒップホップ・シーンを代表するビートメーカーとなった。
Karan Kanchanは、ソロ名義でJ-Trapの作品を制作するかたわら、DIVINEを中心としたムンバイのストリートラップ集団Gully Gangのビートを数多く手掛け、次々に注目作をリリースしていった。
DIVINEのニューアルバムでは、ストリート路線から脱却し、内面的なテーマを扱うようになった彼に合わせてディープでメロウなビートを提供。
かと思えば、DIVINE同様にMass Appeal Indiaからのデビューを決めたGully GangのD'Evilには、初期ガリーラップを思わせるパーカッシブなビートを用意し、ムンバイの個性を巧みに表現した。
近年のKanchanの活躍の舞台はムンバイを飛び越え、デリーのラッパーと共演する機会も広がっている。
この"Dum Pistaach"ではデリーのラップデュオSeedhe Mautと共演し、ヘヴィ・ロックの要素を導入した新境地を開いた。
アメコミとインド神話とジャパニーズ・カルチャーが融合したようなビジュアルもクール!
デリーを拠点に活躍するメジャー寄りの人気ラッパーRaftaarの楽曲にも制作陣として名を連ねている。
2019年にリリースされたこの曲の再生回数は4,500万回を超えている。
彼の活躍は国境すら超えはじめており、最近では、Netflixで全世界に配信された『ザ・ホワイトタイガー』の主題歌の"Jungle Mantra"で、盟友のDIVINE、そしてアメリカの人気ラッパーVince Staples、Pusha Tとの共演を実現させている。
ここ最近の彼の活動で特筆すべきは、活躍の場を広げているだけではなく、ビートのスタイルも多様化させていることだろう。
以前はトラップ系のヘヴィなビートをシグネチャー・スタイルとしていたKanchanだが、最近ではよりコードやメロディーを重視したサウンドにも挑戦している。
Pothuriと共演した"Wonder"では、Daft Punkを思わせるようなポップでエレクトロニックなR&Bのビートを披露。
Gully Gang一味の出身で、やはりMass Appeal Indiaの所属となったShah Ruleの"Clap Clap"では、印象的なピアノのメロディーと、ドリル的に上下にうねるベースが印象的。
とにかく活躍が止まらないKaran Kanchan、売れてくるにつれて彼は日本のカルチャーを忘れてしまったのか?と少々寂しい気持ちにもなるが、最新曲の"Marzi"は、新境地のChill/Lo-Fi系のビートを大胆に導入した最高に心地よいサウンドを届けてくれた。
Lo-Fi/Chill Hop系のビートは、日本のビートメーカーNujabesやアニメ作品との関わりから、日本のカルチャーとの関わりが深い。
(この話題についてはこの記事に詳しい。beipana「Lo-fi Hip Hop〔ローファイ・ヒップホップ〕はどうやって拡大したか」)
言うまでもなくこのミュージックビデオはあの有名なLo-Fi Study Girlのオマージュ(正面から映しているのは珍しい!)で、机の上のチャイがインドらしさを感じさせるが、窓の外の景色や室内の様子は、日本のようにも、どこか他の国のようにも感じられるのが今っぽい。
ヘヴィはトラップ・サウンドから出発したKaran Kanchanが、メロウなLo-Fiビートでジャパニーズ・カルチャー的な世界に帰ってきてくれたと思うと、なんとも感慨深い。
(関連記事。インドのYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'が作ったインド風Lo-Fi Study Girlにも注目)
ここでこの記事を終わりにしてもよいのだけど、せっかくなのでKaran Kanchan本人に、ここ数年の大活躍とスタイルの深化、そしてパンデミック下での生活についてインタビューをしてみた。
その様子は次回!
お楽しみに!
(Karan Kanchanインタビュー)
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
軽刈田 凡平のプロフィールはこちらから
凡平自選の2018年のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
凡平自選の2019年のおすすめ記事はこちらから
ジャンル別記事一覧!
寂空が所属するバンド'Shamisenist'は、今後アメリカのレーベルColor Redからのデビューが予定されており、ひとまわり大きくなった日印のアーティスト同士の新たなコラボレーションにも期待したい。
J-Trapという類まれなるスタイルを確立したKaran Kanchanは、前回の記事で紹介した「ムンバイのストリートラップシーンの帝王」DIVINEとの共演を皮切りに、瞬く間にインドのヒップホップ・シーンを代表するビートメーカーとなった。
Karan Kanchanは、ソロ名義でJ-Trapの作品を制作するかたわら、DIVINEを中心としたムンバイのストリートラップ集団Gully Gangのビートを数多く手掛け、次々に注目作をリリースしていった。
DIVINEのニューアルバムでは、ストリート路線から脱却し、内面的なテーマを扱うようになった彼に合わせてディープでメロウなビートを提供。
かと思えば、DIVINE同様にMass Appeal Indiaからのデビューを決めたGully GangのD'Evilには、初期ガリーラップを思わせるパーカッシブなビートを用意し、ムンバイの個性を巧みに表現した。
近年のKanchanの活躍の舞台はムンバイを飛び越え、デリーのラッパーと共演する機会も広がっている。
この"Dum Pistaach"ではデリーのラップデュオSeedhe Mautと共演し、ヘヴィ・ロックの要素を導入した新境地を開いた。
アメコミとインド神話とジャパニーズ・カルチャーが融合したようなビジュアルもクール!
デリーを拠点に活躍するメジャー寄りの人気ラッパーRaftaarの楽曲にも制作陣として名を連ねている。
2019年にリリースされたこの曲の再生回数は4,500万回を超えている。
彼の活躍は国境すら超えはじめており、最近では、Netflixで全世界に配信された『ザ・ホワイトタイガー』の主題歌の"Jungle Mantra"で、盟友のDIVINE、そしてアメリカの人気ラッパーVince Staples、Pusha Tとの共演を実現させている。
ここ最近の彼の活動で特筆すべきは、活躍の場を広げているだけではなく、ビートのスタイルも多様化させていることだろう。
以前はトラップ系のヘヴィなビートをシグネチャー・スタイルとしていたKanchanだが、最近ではよりコードやメロディーを重視したサウンドにも挑戦している。
Pothuriと共演した"Wonder"では、Daft Punkを思わせるようなポップでエレクトロニックなR&Bのビートを披露。
Gully Gang一味の出身で、やはりMass Appeal Indiaの所属となったShah Ruleの"Clap Clap"では、印象的なピアノのメロディーと、ドリル的に上下にうねるベースが印象的。
とにかく活躍が止まらないKaran Kanchan、売れてくるにつれて彼は日本のカルチャーを忘れてしまったのか?と少々寂しい気持ちにもなるが、最新曲の"Marzi"は、新境地のChill/Lo-Fi系のビートを大胆に導入した最高に心地よいサウンドを届けてくれた。
Lo-Fi/Chill Hop系のビートは、日本のビートメーカーNujabesやアニメ作品との関わりから、日本のカルチャーとの関わりが深い。
(この話題についてはこの記事に詳しい。beipana「Lo-fi Hip Hop〔ローファイ・ヒップホップ〕はどうやって拡大したか」)
言うまでもなくこのミュージックビデオはあの有名なLo-Fi Study Girlのオマージュ(正面から映しているのは珍しい!)で、机の上のチャイがインドらしさを感じさせるが、窓の外の景色や室内の様子は、日本のようにも、どこか他の国のようにも感じられるのが今っぽい。
ヘヴィはトラップ・サウンドから出発したKaran Kanchanが、メロウなLo-Fiビートでジャパニーズ・カルチャー的な世界に帰ってきてくれたと思うと、なんとも感慨深い。
(関連記事。インドのYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'が作ったインド風Lo-Fi Study Girlにも注目)
ここでこの記事を終わりにしてもよいのだけど、せっかくなのでKaran Kanchan本人に、ここ数年の大活躍とスタイルの深化、そしてパンデミック下での生活についてインタビューをしてみた。
その様子は次回!
お楽しみに!
(Karan Kanchanインタビュー)
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
軽刈田 凡平のプロフィールはこちらから
凡平自選の2018年のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
凡平自選の2019年のおすすめ記事はこちらから
ジャンル別記事一覧!
goshimasayama18 at 21:16|Permalink│Comments(0)
2019年04月14日
日本と関わりのあるインドのアーティストの新曲情報と、インディーミュージシャンの懐事情
前々回に続いて、日本と関わりのあるアーティストの話題をもう少し。
宮崎駿などの日本のアニメに影響を受けている女性エレクトロニカ・アーティストのKomorebiことTarana Marwahは、2017年のアルバム"Soliloquy"から"Little Ones"のビデオを発表した。
コマ撮りが印象的なこのビデオは、インドのアーティスト向けクラウドファンディングプラットフォーム'Wishberry'を活用して製作されている。
彼女によるとこの曲は自身の弟に捧げられたパーソナルな内容のものとのこと。
叙情的な映像は、Parekh and Singhのミュージックビデオでウェス・アンダーソンへのオマージュ的な画を撮っていたことも記憶に新しいMisha Ghoseによるもの。
今作でもTaranahのノスタルジーと心象風景を美しく映像化することに成功している。
印象的なギターはムンバイのブルースバンドBlackstratbluesで活躍するWarren Mendosaで、ジャンルを超えた心地よい音の共演が実現した。
続いて紹介するのは、日本語の歌詞を持つ"Natsukashii"をリリースしたシンガー・ソングライターのSanjeeta Bhattachrya.
(「バークリー出身の才媛が日本語で歌うオーガニックソウル! Sanjeeta Bhattacharya」)
彼女もまたWishberryを通じたクラウドファンディングで製作した"You Shine"を発表した。
今までのオーガニックソウルやカルナーティック的なルーツを感じさせる楽曲ではなく、ジャジーでメランコリックなこの曲は、2017年に命を絶ったLinkin ParkのChester Benningtonと、やはり同じ年にムンバイで死去したバンガロール出身の若手キーボードプレイヤー、Karan Josephに捧げられたもの。
ミュージックビデオは華やかなショウビズの世界とその裏側の孤独、そこから立ち直るための親しい人々との絆がテーマになっている。
Karan Josephについては日本ではほとんど知られていないと思うが、Sanjeetaと同じくボストンのバークリー音楽院で学んだ若手有望キーボーディストだった。
この動画を見れば彼がいかに才能豊かなミュージシャンであったかが少しでも伝わると思う。
彼の死は自殺とされているが、その背景にはムンバイの有力プロモーターとの確執があるとされ、スキャンダル的な話題にもなったようだ。
いずれにしても、成長著しいインドのミュージックシーンで今後ますます活躍したであろう若い才能の死はあまりにも惜しい。
インドのインディーミュージックは、多くのアーティストの熱意と表現衝動に支えられて急成長をしている最中だが、SanjeetaやKaran Josephのように海外で一流の音楽を学んだミュージシャンがきちんと評価され、活躍できる環境が整備されているとはまだまだ言い難い。
SanjeetaがWishberryのサイトでクラウドファンディングを募るために語っていた内容が興味深いので、ここで少し紹介したい。
「私はインディーミュージックの世界ではやっと1歳になったばかり。毎日素晴らしいミュージシャンや人々に会っているわ。彼らはみんな音楽にハートとソウル、時間やお金やたくさんの努力をつぎ込んでいるの。インディーミュージックシーンは急成長しているけど、もっと大勢の人に注目される必要があるし、もっと多くのスポンサー、後援、リスナーやサポートも必要だわ。あまりにも長い間、インディーミュージックは隅に追いやられていて、ミュージシャンたちは(自分の表現したいものではなくて)大衆が喜ぶような、ラジオでかかるようなコマーシャルな音楽を演奏しなければならなかった。もし誰かアーティストの心の声を聴いてくれる感受性と勇気のある人がいたら、その声をみんなに広めて欲しいの。
私の音楽と同じくらい素晴らしいミュージックビデオを作るためには友達や家族やリスナーのみなさんの協力が必要で、だからクラウドファンディングを募ることを選んだの。今までにやったことはないけど、何だって初めてってことはあるし、これが将来より多くの人たちに音楽を聴いてもらう助けになることを願っているわ。私はインディーミュージシャンだからいつも資金不足に悩んでいるし、これがミュージックビデオを完成させるためにできる最良の方法だと思うの。」
映画音楽や古典音楽以外の音楽マーケットが十分に成長する前にインターネットの時代を迎えたインドでは、インディー・ミュージックを支える構造(レコード会社、プロモーター、演奏の場など)が十分に整備される前に、誰もが動画サイトや音楽ストリーミングサイトを通して自分の演奏したい音楽を発表できる環境が整ってしまった。
優れた楽曲を制作しても、それを収入に結びつけるシステムが圧倒的に不足しているのだ。
そのため、本来はカウンターカルチャーであるはずのロックやクラブミュージックのアーティストも、裕福な若者たちばかりという状況になってしまっている(これは富の不均衡の問題でもあるが)。
このブログで紹介しているように素晴らしいアーティストもたくさんいるのだが、彼らとていつまでも情熱だけで音楽を続けてゆけるわけではない。
作り手の才能をファンの良心が支えるクラウドファンディングは、こうしたインドのインディーミュージックシーンの現状が生み出した新しいサポートの方法だと言える。
(そういえば、昨年来日公演を含むアジアツアーを行ったムンバイのデスメタルバンドGutslitも、ツアーの資金集めにクラウドファンディングを活用していた)
音楽ストリーミングや動画サイトの普及によって、誰もが音楽を自由に発表できるかわりに、音楽はほぼ無料で楽しめるという傾向は、世界中でますます加速してゆくだろう。
インドのインディーミュージックシーンを取り巻く状況は、一週遅れのようでいて、実は世界でもっとも新しいものなのかもしれない。
最後に、Sanjeeta Bhattacharyaの"Natsukashii"をもう一度。
この日本語を大々的にフィーチャーしたポップチューンはもっと日本で聴かれるべきだと思う。
国境を超えてお気に入りのインディーアーティストをサポートしあう世界が、もうすぐそこまで来ている。
凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
宮崎駿などの日本のアニメに影響を受けている女性エレクトロニカ・アーティストのKomorebiことTarana Marwahは、2017年のアルバム"Soliloquy"から"Little Ones"のビデオを発表した。
コマ撮りが印象的なこのビデオは、インドのアーティスト向けクラウドファンディングプラットフォーム'Wishberry'を活用して製作されている。
彼女によるとこの曲は自身の弟に捧げられたパーソナルな内容のものとのこと。
叙情的な映像は、Parekh and Singhのミュージックビデオでウェス・アンダーソンへのオマージュ的な画を撮っていたことも記憶に新しいMisha Ghoseによるもの。
今作でもTaranahのノスタルジーと心象風景を美しく映像化することに成功している。
印象的なギターはムンバイのブルースバンドBlackstratbluesで活躍するWarren Mendosaで、ジャンルを超えた心地よい音の共演が実現した。
続いて紹介するのは、日本語の歌詞を持つ"Natsukashii"をリリースしたシンガー・ソングライターのSanjeeta Bhattachrya.
(「バークリー出身の才媛が日本語で歌うオーガニックソウル! Sanjeeta Bhattacharya」)
彼女もまたWishberryを通じたクラウドファンディングで製作した"You Shine"を発表した。
今までのオーガニックソウルやカルナーティック的なルーツを感じさせる楽曲ではなく、ジャジーでメランコリックなこの曲は、2017年に命を絶ったLinkin ParkのChester Benningtonと、やはり同じ年にムンバイで死去したバンガロール出身の若手キーボードプレイヤー、Karan Josephに捧げられたもの。
ミュージックビデオは華やかなショウビズの世界とその裏側の孤独、そこから立ち直るための親しい人々との絆がテーマになっている。
Karan Josephについては日本ではほとんど知られていないと思うが、Sanjeetaと同じくボストンのバークリー音楽院で学んだ若手有望キーボーディストだった。
この動画を見れば彼がいかに才能豊かなミュージシャンであったかが少しでも伝わると思う。
彼の死は自殺とされているが、その背景にはムンバイの有力プロモーターとの確執があるとされ、スキャンダル的な話題にもなったようだ。
いずれにしても、成長著しいインドのミュージックシーンで今後ますます活躍したであろう若い才能の死はあまりにも惜しい。
インドのインディーミュージックは、多くのアーティストの熱意と表現衝動に支えられて急成長をしている最中だが、SanjeetaやKaran Josephのように海外で一流の音楽を学んだミュージシャンがきちんと評価され、活躍できる環境が整備されているとはまだまだ言い難い。
SanjeetaがWishberryのサイトでクラウドファンディングを募るために語っていた内容が興味深いので、ここで少し紹介したい。
「私はインディーミュージックの世界ではやっと1歳になったばかり。毎日素晴らしいミュージシャンや人々に会っているわ。彼らはみんな音楽にハートとソウル、時間やお金やたくさんの努力をつぎ込んでいるの。インディーミュージックシーンは急成長しているけど、もっと大勢の人に注目される必要があるし、もっと多くのスポンサー、後援、リスナーやサポートも必要だわ。あまりにも長い間、インディーミュージックは隅に追いやられていて、ミュージシャンたちは(自分の表現したいものではなくて)大衆が喜ぶような、ラジオでかかるようなコマーシャルな音楽を演奏しなければならなかった。もし誰かアーティストの心の声を聴いてくれる感受性と勇気のある人がいたら、その声をみんなに広めて欲しいの。
私の音楽と同じくらい素晴らしいミュージックビデオを作るためには友達や家族やリスナーのみなさんの協力が必要で、だからクラウドファンディングを募ることを選んだの。今までにやったことはないけど、何だって初めてってことはあるし、これが将来より多くの人たちに音楽を聴いてもらう助けになることを願っているわ。私はインディーミュージシャンだからいつも資金不足に悩んでいるし、これがミュージックビデオを完成させるためにできる最良の方法だと思うの。」
映画音楽や古典音楽以外の音楽マーケットが十分に成長する前にインターネットの時代を迎えたインドでは、インディー・ミュージックを支える構造(レコード会社、プロモーター、演奏の場など)が十分に整備される前に、誰もが動画サイトや音楽ストリーミングサイトを通して自分の演奏したい音楽を発表できる環境が整ってしまった。
優れた楽曲を制作しても、それを収入に結びつけるシステムが圧倒的に不足しているのだ。
そのため、本来はカウンターカルチャーであるはずのロックやクラブミュージックのアーティストも、裕福な若者たちばかりという状況になってしまっている(これは富の不均衡の問題でもあるが)。
このブログで紹介しているように素晴らしいアーティストもたくさんいるのだが、彼らとていつまでも情熱だけで音楽を続けてゆけるわけではない。
作り手の才能をファンの良心が支えるクラウドファンディングは、こうしたインドのインディーミュージックシーンの現状が生み出した新しいサポートの方法だと言える。
(そういえば、昨年来日公演を含むアジアツアーを行ったムンバイのデスメタルバンドGutslitも、ツアーの資金集めにクラウドファンディングを活用していた)
音楽ストリーミングや動画サイトの普及によって、誰もが音楽を自由に発表できるかわりに、音楽はほぼ無料で楽しめるという傾向は、世界中でますます加速してゆくだろう。
インドのインディーミュージックシーンを取り巻く状況は、一週遅れのようでいて、実は世界でもっとも新しいものなのかもしれない。
最後に、Sanjeeta Bhattacharyaの"Natsukashii"をもう一度。
この日本語を大々的にフィーチャーしたポップチューンはもっと日本で聴かれるべきだと思う。
国境を超えてお気に入りのインディーアーティストをサポートしあう世界が、もうすぐそこまで来ている。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
goshimasayama18 at 17:48|Permalink│Comments(0)
2018年12月26日
新世代R&Bクイーン、Anushqa!
このブログを始めてちょうど1年が経ったのだけれども、少し困っていることがある。
紹介するアーティストに、インド古典音楽の要素と欧米のロックの要素が入り混じったバンドが増えてきたので、先日記事のカテゴリーに新しく「フュージョン・ロック」というのを増やしたのだけど、ここに来て、今度はR&Bの分野でも、インド古典の要素を取り入れたアーティストが結構いることに気がついてしまったのだ。
ここはひとつ、新たに「フュージョンR&B」というカテゴリーを作るべきだろうか。
でもそれをやり始めると、「フュージョン・ エレクトロニカ」も「フュージョン・レゲエ」も作らなきゃいけなくなって、きりが無くなってしまうんだよなあ。
どうしたものか。
今回紹介するAnushqaは、まさにフュージョンR&Bと言えるサウンドを作り上げているアーティストだ。
まずは彼女のデビューシングル"Ecstacy"を聴いてみてください。
彼女の場合、インド的な要素は主にトラックのみで、歌唱についてはほぼインドの要素ナシというタイプだけど、ラップの部分のフロウには若干のインドらしさが感じられる(ような気がする)。
このAnushqaは、2015年にヴォーカリスト発掘をテーマにしたテレビ番組'The Stage'のシーズン1のファイナリストに残ったことをきっかけに音楽の世界に入ったという経歴の持ち主。
本名のAnushka Shahaneyとしてボリウッド映画のプレイバックシンガー(つまり女優が口パクで演じるミュージカルシーン専用の歌手)としても活躍していて、インドのベストセラー小説家チェタン・バガット(Chetan Bhagat)原作の映画、'Half Girlfriend'の挿入歌でその名を上げた。
映画を離れてソロのシンガーソングライターとして活動するときには、名前のkをqに変えて、Anushqaという名義を使っているようだ。
このユニークな綴りは、インドではよくあるアヌーシュカという名前をより識別されやすくするためだろう(ネット検索のときも便利!)。
こうした経歴からもわかるとおり、彼女はこのブログでいつも紹介しているインディーズ系のミュージシャンとは一線を画す、インドのショービジネスのかなりメインストリームに近いところで活動をしているアーティストということになる。
彼女のデビューのきっかけとなったようなオーディション番組は、インドでもかなりの人気を集めているようで、Slumdog Millionaireの原作者でもあるヴィカス・スワループの小説'Accidental Apprentice'でも、主人公の美人の妹がテレビのオーディションに出演するエピソードが出てくる。
オーディション番組でスター歌手になるというサクセスストーリーは、ちょうど70年代日本の「スター誕生!」みたいに、インドの新しい世代の憧れとして認識されているのだろう。
先天的な美貌がないと務まらない役者の世界と違って、「歌さえ上手ければ…」という夢を見させてくれるところも人気の秘密なのではないかと思う。
(その小説では、オーディション番組の裏側はセクハラやパワハラが横行するずいぶんとダーティーな世界として描かれていたけれど、実際のところはどうなんだろう。秋元康プロデュースのムンバイのMUM48も、プロジェクトが発表されたのち全く音沙汰がないが、インド芸能界のこうした闇の部分によって頓挫してしまっているのだろうか)
話をAnushqaに戻そう。
彼女は幼少期からムンバイで(西洋の)クラシック音楽を学んで育った。
インドの先進的ミュージシャンの常で、彼女もまた海外への留学を経験している。
カナダの大学で心理学を学んでいたそうだが、音楽のキャリアを追求したいという気持ちが強くなり、'The Stage'へのエントリーへとつながったようだ。
彼女のインターナショナル・デビューとなったのはこの曲、'Something in Common'.
おそらくは海外のマーケットを意識してエキゾチックな雰囲気のビデオにしたのだろうが、ここで見られるエキゾチックさはインド独自のものではなく、イメージ優先のなんちゃってエキゾチック(だと思う。ちょっとどこかの部族の民族衣装っぽくも見えるけど、監督はイギリス人のようなのでそこまで意識していなさそう)。
結果的にMajor Lazer & DJ Snake feat. MØの'Lean On'にそっくりになっているんじゃないかっていう指摘もされているようだが、インドらしさでいえばむしろ'Lean On'のほうが上だ('Lean On'のほうはロケ地もインドのどっかのお城だし)。
とはいえエキゾチックなのはビデオだけで、彼女の歌唱については、今回もインドらしさよりも直球のR&Bテイストで勝負している。
このあたり、カルナーティック音楽をルーツにもつRaja KumariやAditi Rameshとの明確な違いと言ってよいだろう。
映画'Half Girlfriend'の挿入歌'Stay A Little Longer'.
この曲は作詞は彼女が手がけているけど作曲は別の人。
バラード調の曲調に、サーランギーっぽい擦弦楽器の音が絶妙なインド風味を醸し出している。
お聴きの通りインドの映画挿入歌、すなわちメインストリームポップスもここ数年で大きく変わってきていて、一昔前のYo Yo Honey SinghやBadshahみたいなクサイ(もっとストレートに言うとちょっとださい)曲調からだいぶ垢抜けてきた。
このAnushqa、これからもシンガーソングライターとプレイバックシンガーの二足のわらじを続けるのかどうかは不明だが、いずれにしても新しい時代のインドの歌姫として活躍していくことと思う。
日本での公開が増えてきているインド映画でもその歌声を聴く機会があるかもしれないので、要注目です。
今回はここまで。
それでは!
--------------------------------------
紹介するアーティストに、インド古典音楽の要素と欧米のロックの要素が入り混じったバンドが増えてきたので、先日記事のカテゴリーに新しく「フュージョン・ロック」というのを増やしたのだけど、ここに来て、今度はR&Bの分野でも、インド古典の要素を取り入れたアーティストが結構いることに気がついてしまったのだ。
ここはひとつ、新たに「フュージョンR&B」というカテゴリーを作るべきだろうか。
でもそれをやり始めると、「フュージョン・ エレクトロニカ」も「フュージョン・レゲエ」も作らなきゃいけなくなって、きりが無くなってしまうんだよなあ。
どうしたものか。
今回紹介するAnushqaは、まさにフュージョンR&Bと言えるサウンドを作り上げているアーティストだ。
まずは彼女のデビューシングル"Ecstacy"を聴いてみてください。
彼女の場合、インド的な要素は主にトラックのみで、歌唱についてはほぼインドの要素ナシというタイプだけど、ラップの部分のフロウには若干のインドらしさが感じられる(ような気がする)。
このAnushqaは、2015年にヴォーカリスト発掘をテーマにしたテレビ番組'The Stage'のシーズン1のファイナリストに残ったことをきっかけに音楽の世界に入ったという経歴の持ち主。
本名のAnushka Shahaneyとしてボリウッド映画のプレイバックシンガー(つまり女優が口パクで演じるミュージカルシーン専用の歌手)としても活躍していて、インドのベストセラー小説家チェタン・バガット(Chetan Bhagat)原作の映画、'Half Girlfriend'の挿入歌でその名を上げた。
映画を離れてソロのシンガーソングライターとして活動するときには、名前のkをqに変えて、Anushqaという名義を使っているようだ。
このユニークな綴りは、インドではよくあるアヌーシュカという名前をより識別されやすくするためだろう(ネット検索のときも便利!)。
こうした経歴からもわかるとおり、彼女はこのブログでいつも紹介しているインディーズ系のミュージシャンとは一線を画す、インドのショービジネスのかなりメインストリームに近いところで活動をしているアーティストということになる。
彼女のデビューのきっかけとなったようなオーディション番組は、インドでもかなりの人気を集めているようで、Slumdog Millionaireの原作者でもあるヴィカス・スワループの小説'Accidental Apprentice'でも、主人公の美人の妹がテレビのオーディションに出演するエピソードが出てくる。
オーディション番組でスター歌手になるというサクセスストーリーは、ちょうど70年代日本の「スター誕生!」みたいに、インドの新しい世代の憧れとして認識されているのだろう。
先天的な美貌がないと務まらない役者の世界と違って、「歌さえ上手ければ…」という夢を見させてくれるところも人気の秘密なのではないかと思う。
(その小説では、オーディション番組の裏側はセクハラやパワハラが横行するずいぶんとダーティーな世界として描かれていたけれど、実際のところはどうなんだろう。秋元康プロデュースのムンバイのMUM48も、プロジェクトが発表されたのち全く音沙汰がないが、インド芸能界のこうした闇の部分によって頓挫してしまっているのだろうか)
話をAnushqaに戻そう。
彼女は幼少期からムンバイで(西洋の)クラシック音楽を学んで育った。
インドの先進的ミュージシャンの常で、彼女もまた海外への留学を経験している。
カナダの大学で心理学を学んでいたそうだが、音楽のキャリアを追求したいという気持ちが強くなり、'The Stage'へのエントリーへとつながったようだ。
彼女のインターナショナル・デビューとなったのはこの曲、'Something in Common'.
おそらくは海外のマーケットを意識してエキゾチックな雰囲気のビデオにしたのだろうが、ここで見られるエキゾチックさはインド独自のものではなく、イメージ優先のなんちゃってエキゾチック(だと思う。ちょっとどこかの部族の民族衣装っぽくも見えるけど、監督はイギリス人のようなのでそこまで意識していなさそう)。
結果的にMajor Lazer & DJ Snake feat. MØの'Lean On'にそっくりになっているんじゃないかっていう指摘もされているようだが、インドらしさでいえばむしろ'Lean On'のほうが上だ('Lean On'のほうはロケ地もインドのどっかのお城だし)。
とはいえエキゾチックなのはビデオだけで、彼女の歌唱については、今回もインドらしさよりも直球のR&Bテイストで勝負している。
このあたり、カルナーティック音楽をルーツにもつRaja KumariやAditi Rameshとの明確な違いと言ってよいだろう。
映画'Half Girlfriend'の挿入歌'Stay A Little Longer'.
この曲は作詞は彼女が手がけているけど作曲は別の人。
バラード調の曲調に、サーランギーっぽい擦弦楽器の音が絶妙なインド風味を醸し出している。
お聴きの通りインドの映画挿入歌、すなわちメインストリームポップスもここ数年で大きく変わってきていて、一昔前のYo Yo Honey SinghやBadshahみたいなクサイ(もっとストレートに言うとちょっとださい)曲調からだいぶ垢抜けてきた。
このAnushqa、これからもシンガーソングライターとプレイバックシンガーの二足のわらじを続けるのかどうかは不明だが、いずれにしても新しい時代のインドの歌姫として活躍していくことと思う。
日本での公開が増えてきているインド映画でもその歌声を聴く機会があるかもしれないので、要注目です。
今回はここまで。
それでは!
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
goshimasayama18 at 23:30|Permalink│Comments(0)
2018年08月08日
インドのエリートR&Bシンガーが歌う結婚適齢期!Aditi Ramesh
「インドの女性に関する話題」と言えば、ここ日本で報道されるのは、首都デリーや地方でのレイプ被害だとか、結婚のときの持参金で揉めて花嫁が殺されたとか、顔に硫酸をかけられたとか、悲惨なものばかり。
あるいは、インディラ・ガンディー首相やタミルナードゥ州のジャヤラリタ州首相のような、いわゆる「男まさり」な女性政治家たちや、女性美をとことん強調したボリウッド女優など、いずれにしてもかなり極端なものが多いように思う。
もちろん、そのいずれもが注目すべきトピックではあるのだけれども、当然ながら、こうした注目を浴びる人たちとは関係なく暮らす女性たちだってインドにはたくさんいる。
というわけで、今回は、「女性R&Bシンガー、Aditi Rameshが歌う現代インドのキャリアウーマンの切実な悩み」というテーマでお届けします。
今回の記事の主役、Aditi Rameshはムンバイで活躍する実力派女性シンガーソングライターで、例えばこんな楽曲を歌っている 。
お聴きいただければ分かるとおり、この曲はインド要素ゼロ。
ちょっとフランスの女性シンガーZazを思わせる、ジャジーな楽曲だ。
もっとミニマルでエクスペリメンタルな曲もある。
Zap Mamaみたいなアフリカにルーツのあるアーティストに似た雰囲気のある楽曲で、中間部では南インド古典音楽のカルナーティック的な歌い回しも出てくる。
現在28歳のAditiは、少女時代をニューヨークで過ごした。
ニューヨークでも、やはり以前紹介したRaja Kumariのように、インド人コミュニティとの繋がりが強かったのだろう。
クラシックピアノだけでなく、カルナーティック音楽の古典声楽を習っていたという。
15歳のときに家族とともにインドのバンガロールに戻ってくると、その後大学で法律を修め、インドでもトップクラスの法律事務所で弁護士としてキャリアをスタートさせた。
この経歴を見てわかる通り、彼女はミュージシャンである以前に、裕福な家庭で育った極めて優秀なエリートでもあるわけだ。
そんな彼女が再び音楽と向き合うことになったのは2016年。
友人にキーボードをもらったことをきっかけに、彼女はまた音楽にのめり込んでゆく。
翌年に最初の音源をリリースすると、ジャズやブルース、ヒップホップ、それにほんの少しのカルナーティックの要素を融合した彼女の音楽は、若いリスナーたちの注目を集めることとなった。
今では弁護士の仕事を辞めて、音楽一本で生活しているとのこと。
何不自由なく育ったお嬢さんがブルースねえ、と皮肉りたくもなるが、15歳という多感な時期にインドに戻ってきた彼女は、母国であるはずのインドでの暮らしになかなかなじめず、両親ともうまくいかない時期を過ごしていたという。
彼女が法律の道に進んだのも、両親のように薬学や工学を学びたくないという理由からだそうだ。
音楽活動に真剣に取り組み始めた当初、彼女のいちばんのモチベーションは、人間性を無視してまで働かざるをえない環境への不満を表現することだった。
仕事に対する怒りをブルースの形でぶつけた"Working People's Blues"という曲でムンバイのシンガーソングライターのコンペティションで優勝したことが、デビューのきっかけになった。
これがその曲で、歌は30秒頃から。
お聴きいただいて分かる通り、かなり本格的なブルースソングだ。
はたから見れば裕福で悩みなんかなさそうに見える境遇でも、 当然ながら相応の苦労や憂鬱があるってわけだ。
さて、前置きが長くなったが、今回注目するのはこの曲。
"Marriageble Age"
現代的なR&Bを思わせるミニマルなトラックにフィーメイル・ラッパーDee MCのラップを大きくフィーチャーした楽曲で、ところどころにカルナーティック的な歌い回しが顔を出す。
ジャジーな部分やR&Bっぽい部分はインドらしさ皆無なのに、ラップになるとアメリカの黒人やジャマイカン的なリズムではなく、インドのリズム由来のフロウになっているところに、このリズムがDNAレベルでの浸透していることを感じる。
サウンド面でも非常に興味深い楽曲だが、今回注目する歌詞の内容はこんな感じだ。
(英語の歌詞全体はこちらからどうぞ。"show more"をクリック!)
あなたはいくつになったの?25?26?
家族はいつ身を固めるのかと聞いてくる
いつ赤ちゃんを産んでくれるの?
あなたの体内時計はどんどん時を刻んでゆくのに、どうして私を困らせるの?
いつ落ち着くつもりなの?
どうしていい人を探さないの?男の人はたくさんいるのに
分からないの?そんなことが私のしたいことの全てってわけじゃない
私には自分のしたいことがある、無関心だなんて言わないで
でもあなたはもう結婚適齢期、20代ももう下り坂
あなたは結婚適齢期、もう十分自由を満喫したでしょう?
どうして動き回っているの?あなたの人生で何をやっているの?
今すぐに誰かの奥さんにならないんだったら
誰にも見つけてもらえない落し物みたいになるわ
(ここからラップパート)
時は流れてゆくのに、どうして遊びまわっているの?
美貌は衰えてゆくのに、自分だけは別だと思ってる
あなたは正気を失ってるの 結婚する時期よ
気分を切り替えなさい 夢見る時は終わったの
私たちのおせっかいは終わらないわ
こういうものなの 逆らえないの
イヤって言えば言うほどしつこくするわよ
それだけが目的なの 理由は聞かないで
あなたはインドにいるの ここはアメリカじゃない
一度無くした若さは戻らないわ
また結婚の申し込み(rishtaa)があったわ、今度は文句ないでしょう
最高の巡り合わせなのに、どうしてまだ待つなんて言うの?
娘よ、手遅れになる前に決めなきゃ
これ以上自由でいるあなたを見たくはないわ
私の古い考えを変えることはできないわ
男とハグしたりキスしたりするのは結婚してからにしなさい
結婚証明こそが生きてゆくためのライセンスなのよ
どうして理解できないの?あなたには責任があるの
まだ子供時代が過ごしたいの?
あなたの叔母さんが送ってくれた写真を見てみなさい
目をそらさないで この人の奥さんになりなさい
仕事が終わったら彼のために料理を作って彼を幸せにするの
向こうのご両親も待っているわ 年相応になりなさい
インドの女性であることは呪わしくもありがたいこと
みんなは私を押さえつけようとするけど私は自由でいたいの
結婚適齢期なのよ 血を絶やそうとしているの?
30歳になるまで待っていられないわ もうすぐなのよ
ところどころ、とくにヒンディーのところはGoogle翻訳なので間違っているかもしれないがご勘弁を。
親族からのプレッシャーを表したすごく直接的な歌詞にとにかくびっくりした。
日本だとポップスの曲で、ここまで具体的かつ個人的な不満をぶちまけることって、なかなかない。
でもAditiがこういう曲を発表したのは、これが単なる個人的な不平ではなく、インド社会全体に共通して見られる現象だからだろう。
実際にAditiが親からこういうプレッシャーをかけられているということではなく(それも有りうることだが)、多くのリスナーが共感してくれる内容だからこそ歌にしたのではないだろうか。
Aditiに代表される英語での高等教育を受けた新しい世代は、インド社会でますます存在感を増してきている。
彼らの特徴は、英語を流暢に話すこと(海外在住経験者も多い)、その多くがエンジニアやMBA、法律家や医師などの専門職であること、カースト等の伝統的な価値観への帰属意識が希薄なことなどが挙げられ、インド社会の中で、カーストや地域をベースにした既存の集団とは違う、新しい「階層」を形成している。
しかしながら、今日でも家族をベースにしたコミュニティの団結がとても強いのもまたインド。
こうした新しい考え方と価値観を異にする彼らの両親らの古い世代とのギャップは埋めようがないレベルにまで達している。
その最たるものが結婚に対する意識だ。
彼らの母親たちの世代では、女性は20代前半には両親の決めた相手と結婚し、家庭に入り、子どもを生み育て家を守るのが当然であり、またそれこそが幸福とされていた。
もっとキャリアを追求したいとか、結婚相手を自分で探して選びたいとか、結婚のタイミングを自分で決めたい、という若い世代の考え方とはどうしたって相容れない。
これはもうどちらが正しいという問題ではなく、価値観や幸福感のベースをコミュニティーや伝統とするのか、それとも個人とするのかという根本的な考え方の違いなのだ。
世間体や家族の体面のためだけに結婚なんかしたくはないし、それが幸福とも思えない。
それなのに両親や親族からは会うたびに結婚はまだかと聞かれる。
めんどくさくってしょうがない。
と、まあ、この曲は都市部のインドの女性の極めて現実的な悩みを歌ったものなのだ。
そもそもブルースやR&Bは人々の憂鬱や苦労をストレートに歌い飛ばすもの。
特段に悲惨な境遇でなければ歌にしてはいけないなんて決まりはなく、例えば往年のR&Bシンガー、エタ・ ジェイムスの"My Mother in Law"という曲では、口うるさい姑への不満が歌われている。
そういう意味で、このAditi Rameshの"Mariageable Age" はまさしく現代のインド都市部の働く女性のためのリアルなブルースと呼ぶことができるだろう。
彼女はソロ名義とは別のプロジェクトや客演も積極的に行っている。
よりジャジーなアプローチを行っているカルテット、Jazztronaut.
音楽の世界における女性の地位向上をテーマにした女性だけのバンド、Ladies Compatment.
Mohit Rao, Adrian Joshua, The Accountantとのユニットではヒップホップ色の強いサウンド。
先日の映画音楽カバーの記事でも紹介したアカペラグループVoctronicaのメンバーの一人でもある。
彼女の音楽は、インドの要素を取り入れていても、どこか都会的でR&Bの空気感が支配的な印象を受ける。
こうした印象は、インド系アメリカ人であるRaja Kumariとも共通しているように感じるが、これはAditiも幼いころを米国で過ごし、アメリカの音楽に本場で親しんでいたことが理由なのだろうか。
(彼女はインタビューでも、両親はミュージシャンでこそなかったが、いろいろな音楽を聴かせてくれたと語っている)
R&Bやジャズをベースにしたサウンドに、ほんの少しのインド音楽の要素。
これは、欧米風の個人主義的な価値観に基づいて暮らしつつも、伝統やコミュニティーから完全には自由になれないインドの新しい世代そのものを表しているようにも感じられる。
というわけで、今回はAditi Rameshの音楽を通じてインドにおける世代間の価値観のギャップを紹介してみました。
彼女の音楽は、こんなふうに歌詞をほじくらなくても、サウンドだけでも十分に素晴らしいものなので、ぜひいろんな曲を聴いてみてください。
いよいよ次回は、読者の方からリクエストをいただいたバンド、Pineapple Expressを紹介してみたいと思います!
それでは。
あるいは、インディラ・ガンディー首相やタミルナードゥ州のジャヤラリタ州首相のような、いわゆる「男まさり」な女性政治家たちや、女性美をとことん強調したボリウッド女優など、いずれにしてもかなり極端なものが多いように思う。
もちろん、そのいずれもが注目すべきトピックではあるのだけれども、当然ながら、こうした注目を浴びる人たちとは関係なく暮らす女性たちだってインドにはたくさんいる。
というわけで、今回は、「女性R&Bシンガー、Aditi Rameshが歌う現代インドのキャリアウーマンの切実な悩み」というテーマでお届けします。
今回の記事の主役、Aditi Rameshはムンバイで活躍する実力派女性シンガーソングライターで、例えばこんな楽曲を歌っている 。
お聴きいただければ分かるとおり、この曲はインド要素ゼロ。
ちょっとフランスの女性シンガーZazを思わせる、ジャジーな楽曲だ。
もっとミニマルでエクスペリメンタルな曲もある。
Zap Mamaみたいなアフリカにルーツのあるアーティストに似た雰囲気のある楽曲で、中間部では南インド古典音楽のカルナーティック的な歌い回しも出てくる。
現在28歳のAditiは、少女時代をニューヨークで過ごした。
ニューヨークでも、やはり以前紹介したRaja Kumariのように、インド人コミュニティとの繋がりが強かったのだろう。
クラシックピアノだけでなく、カルナーティック音楽の古典声楽を習っていたという。
15歳のときに家族とともにインドのバンガロールに戻ってくると、その後大学で法律を修め、インドでもトップクラスの法律事務所で弁護士としてキャリアをスタートさせた。
この経歴を見てわかる通り、彼女はミュージシャンである以前に、裕福な家庭で育った極めて優秀なエリートでもあるわけだ。
そんな彼女が再び音楽と向き合うことになったのは2016年。
友人にキーボードをもらったことをきっかけに、彼女はまた音楽にのめり込んでゆく。
翌年に最初の音源をリリースすると、ジャズやブルース、ヒップホップ、それにほんの少しのカルナーティックの要素を融合した彼女の音楽は、若いリスナーたちの注目を集めることとなった。
今では弁護士の仕事を辞めて、音楽一本で生活しているとのこと。
何不自由なく育ったお嬢さんがブルースねえ、と皮肉りたくもなるが、15歳という多感な時期にインドに戻ってきた彼女は、母国であるはずのインドでの暮らしになかなかなじめず、両親ともうまくいかない時期を過ごしていたという。
彼女が法律の道に進んだのも、両親のように薬学や工学を学びたくないという理由からだそうだ。
音楽活動に真剣に取り組み始めた当初、彼女のいちばんのモチベーションは、人間性を無視してまで働かざるをえない環境への不満を表現することだった。
仕事に対する怒りをブルースの形でぶつけた"Working People's Blues"という曲でムンバイのシンガーソングライターのコンペティションで優勝したことが、デビューのきっかけになった。
これがその曲で、歌は30秒頃から。
お聴きいただいて分かる通り、かなり本格的なブルースソングだ。
はたから見れば裕福で悩みなんかなさそうに見える境遇でも、 当然ながら相応の苦労や憂鬱があるってわけだ。
さて、前置きが長くなったが、今回注目するのはこの曲。
"Marriageble Age"
現代的なR&Bを思わせるミニマルなトラックにフィーメイル・ラッパーDee MCのラップを大きくフィーチャーした楽曲で、ところどころにカルナーティック的な歌い回しが顔を出す。
ジャジーな部分やR&Bっぽい部分はインドらしさ皆無なのに、ラップになるとアメリカの黒人やジャマイカン的なリズムではなく、インドのリズム由来のフロウになっているところに、このリズムがDNAレベルでの浸透していることを感じる。
サウンド面でも非常に興味深い楽曲だが、今回注目する歌詞の内容はこんな感じだ。
(英語の歌詞全体はこちらからどうぞ。"show more"をクリック!)
あなたはいくつになったの?25?26?
家族はいつ身を固めるのかと聞いてくる
いつ赤ちゃんを産んでくれるの?
あなたの体内時計はどんどん時を刻んでゆくのに、どうして私を困らせるの?
いつ落ち着くつもりなの?
どうしていい人を探さないの?男の人はたくさんいるのに
分からないの?そんなことが私のしたいことの全てってわけじゃない
私には自分のしたいことがある、無関心だなんて言わないで
でもあなたはもう結婚適齢期、20代ももう下り坂
あなたは結婚適齢期、もう十分自由を満喫したでしょう?
どうして動き回っているの?あなたの人生で何をやっているの?
今すぐに誰かの奥さんにならないんだったら
誰にも見つけてもらえない落し物みたいになるわ
(ここからラップパート)
時は流れてゆくのに、どうして遊びまわっているの?
美貌は衰えてゆくのに、自分だけは別だと思ってる
あなたは正気を失ってるの 結婚する時期よ
気分を切り替えなさい 夢見る時は終わったの
私たちのおせっかいは終わらないわ
こういうものなの 逆らえないの
イヤって言えば言うほどしつこくするわよ
それだけが目的なの 理由は聞かないで
あなたはインドにいるの ここはアメリカじゃない
一度無くした若さは戻らないわ
また結婚の申し込み(rishtaa)があったわ、今度は文句ないでしょう
最高の巡り合わせなのに、どうしてまだ待つなんて言うの?
娘よ、手遅れになる前に決めなきゃ
これ以上自由でいるあなたを見たくはないわ
私の古い考えを変えることはできないわ
男とハグしたりキスしたりするのは結婚してからにしなさい
結婚証明こそが生きてゆくためのライセンスなのよ
どうして理解できないの?あなたには責任があるの
まだ子供時代が過ごしたいの?
あなたの叔母さんが送ってくれた写真を見てみなさい
目をそらさないで この人の奥さんになりなさい
仕事が終わったら彼のために料理を作って彼を幸せにするの
向こうのご両親も待っているわ 年相応になりなさい
インドの女性であることは呪わしくもありがたいこと
みんなは私を押さえつけようとするけど私は自由でいたいの
結婚適齢期なのよ 血を絶やそうとしているの?
30歳になるまで待っていられないわ もうすぐなのよ
ところどころ、とくにヒンディーのところはGoogle翻訳なので間違っているかもしれないがご勘弁を。
親族からのプレッシャーを表したすごく直接的な歌詞にとにかくびっくりした。
日本だとポップスの曲で、ここまで具体的かつ個人的な不満をぶちまけることって、なかなかない。
でもAditiがこういう曲を発表したのは、これが単なる個人的な不平ではなく、インド社会全体に共通して見られる現象だからだろう。
実際にAditiが親からこういうプレッシャーをかけられているということではなく(それも有りうることだが)、多くのリスナーが共感してくれる内容だからこそ歌にしたのではないだろうか。
Aditiに代表される英語での高等教育を受けた新しい世代は、インド社会でますます存在感を増してきている。
彼らの特徴は、英語を流暢に話すこと(海外在住経験者も多い)、その多くがエンジニアやMBA、法律家や医師などの専門職であること、カースト等の伝統的な価値観への帰属意識が希薄なことなどが挙げられ、インド社会の中で、カーストや地域をベースにした既存の集団とは違う、新しい「階層」を形成している。
しかしながら、今日でも家族をベースにしたコミュニティの団結がとても強いのもまたインド。
こうした新しい考え方と価値観を異にする彼らの両親らの古い世代とのギャップは埋めようがないレベルにまで達している。
その最たるものが結婚に対する意識だ。
彼らの母親たちの世代では、女性は20代前半には両親の決めた相手と結婚し、家庭に入り、子どもを生み育て家を守るのが当然であり、またそれこそが幸福とされていた。
もっとキャリアを追求したいとか、結婚相手を自分で探して選びたいとか、結婚のタイミングを自分で決めたい、という若い世代の考え方とはどうしたって相容れない。
これはもうどちらが正しいという問題ではなく、価値観や幸福感のベースをコミュニティーや伝統とするのか、それとも個人とするのかという根本的な考え方の違いなのだ。
世間体や家族の体面のためだけに結婚なんかしたくはないし、それが幸福とも思えない。
それなのに両親や親族からは会うたびに結婚はまだかと聞かれる。
めんどくさくってしょうがない。
と、まあ、この曲は都市部のインドの女性の極めて現実的な悩みを歌ったものなのだ。
そもそもブルースやR&Bは人々の憂鬱や苦労をストレートに歌い飛ばすもの。
特段に悲惨な境遇でなければ歌にしてはいけないなんて決まりはなく、例えば往年のR&Bシンガー、エタ・ ジェイムスの"My Mother in Law"という曲では、口うるさい姑への不満が歌われている。
そういう意味で、このAditi Rameshの"Mariageable Age" はまさしく現代のインド都市部の働く女性のためのリアルなブルースと呼ぶことができるだろう。
彼女はソロ名義とは別のプロジェクトや客演も積極的に行っている。
よりジャジーなアプローチを行っているカルテット、Jazztronaut.
音楽の世界における女性の地位向上をテーマにした女性だけのバンド、Ladies Compatment.
Mohit Rao, Adrian Joshua, The Accountantとのユニットではヒップホップ色の強いサウンド。
先日の映画音楽カバーの記事でも紹介したアカペラグループVoctronicaのメンバーの一人でもある。
彼女の音楽は、インドの要素を取り入れていても、どこか都会的でR&Bの空気感が支配的な印象を受ける。
こうした印象は、インド系アメリカ人であるRaja Kumariとも共通しているように感じるが、これはAditiも幼いころを米国で過ごし、アメリカの音楽に本場で親しんでいたことが理由なのだろうか。
(彼女はインタビューでも、両親はミュージシャンでこそなかったが、いろいろな音楽を聴かせてくれたと語っている)
R&Bやジャズをベースにしたサウンドに、ほんの少しのインド音楽の要素。
これは、欧米風の個人主義的な価値観に基づいて暮らしつつも、伝統やコミュニティーから完全には自由になれないインドの新しい世代そのものを表しているようにも感じられる。
というわけで、今回はAditi Rameshの音楽を通じてインドにおける世代間の価値観のギャップを紹介してみました。
彼女の音楽は、こんなふうに歌詞をほじくらなくても、サウンドだけでも十分に素晴らしいものなので、ぜひいろんな曲を聴いてみてください。
いよいよ次回は、読者の方からリクエストをいただいたバンド、Pineapple Expressを紹介してみたいと思います!
それでは。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
goshimasayama18 at 23:24|Permalink│Comments(0)