Nucleya
2020年09月15日
これはもう新ジャンル 「インディアンEDM(もしくは印DM〈InDM〉)」を大紹介!
以前の記事で、無国籍なサウンドで活動していたインドのEDM系アーティストが、ここ最近かなりインドっぽい楽曲をリリースするしていることを紹介した。
これはもうEDMと従来のインディアン・ポップスを融合させた新しいジャンルが確立しているのではないか、というのが今回のテーマ。
その新しいジャンルをインディアンEDMと呼びたいのだけど、長いので印DM(InDM)と呼ばせてもらうことにする。
このジャンルの特徴を挙げると、ざっとこんな感じになる。
かつてはゴリゴリのEDMを作っていたLost Storiesの新曲"Heer Ranjha"は、この王道ボリウッドっぷり。
目を閉じると、主人公とヒロインが離れた場所から見つめ合いながら手を伸ばして、届きそうだけど届かない、みたいな場面から始まるミュージカルシーンが浮かんできそうな曲調だ。
ブレイク部分でのEDMっぽいアレンジのセンスの良さはさすが。
もうちょっとダンスミュージック寄りの曲調なのがこの"Noor".
なぜパンダなのか謎だが、たぶん理由は「かわいいから」だろう。
クレジットには同じくインドの人気EDMプロデューサーのZaedenの名前も入っている。
そのZaedenの最近の曲は、もはやエレクトロニック・ミュージックの要素すらほとんどない普通のヒンディーポップだ。
1年前の曲がコレ。
最新の曲は、デリーのシンガーソングライターPrateek Kuhadのカバー。
彼はエレクトロニック系のプロデューサーから、オーガニックな曲調のシンガーソングライターへの転身を図ろうとしている真っ最中のかもしれない。
原曲は今年の7月にリリースされたばかりで、ここまで新しい曲のカバーというのは異例だが、Zaedenがこの曲を大いに気に入ったために制作されたものらしい。
Prateek Kuhadによるオリジナル・バージョンのミュージックビデオも大変素晴らしいので、ぜひこちらから見てみてほしい。
2013年のデビュー当初から印DMっぽい音楽性の楽曲をリリースしているのが、プネー出身のシンガーソングライター/プロデューサーのRitvizだ。
彼は幼少期から古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)を学んで育ち、EDMやヒップホップに加えてインド映画音楽の大御所A.R.ラフマーンのファンでもあるようで、そうした多彩な音楽的背景が見事に結晶した音楽を作っている。
彼のミュージックビデオはインドの日常を美しい映像で描いたものが多く、それがまた素晴らしい。
ラム酒のバカルディのロゴが頻繁に出て来るのは、バカルディ・ブランドによるインディー音楽のサポートプログラムの一環としてミュージックビデオが制作されているからのようだ。
インドではヒンドゥーでもイスラームでも飲酒がタブー視される時代が長く続いていたが、新しい価値観の若者たちに売り込むべく、多くのアルコール飲料メーカーがインディーズ・シーンをサポートしている。
今年に入ってからは、デリーのラップデュオSeedhe Mautとのコラボレーションにも取り組むなど、ますますジャンルの垣根を越えた活動をしているRitviz.
これからも印DMを代表する存在として目が離せない。
ハードコア・ラッパーとしてのイメージの強かったSeedhe Mautにとっても新機軸となる楽曲だ。
タージ・マハールで有名なアーグラー出身のUdyan Sagarは、1998年にインド古典音楽のリズムとダンスミュージックを融合したユニットBandish Projektの一員としてデビューしたのち、Nucleyaの名義でベースミュージック的な印DMに取り組んでいる
彼が2015年にリリースした"Bass Rani"は、インドの伝統音楽とエレクトロニック・ミュージックの融合のひとつの方向性を示した歴史に残るアルバム。
この曲ではガリーラップ界の帝王DIVINEとコラボレーションしている。(この共演は『ガリーボーイ』のヒットのはるか以前の2015年のもの)
この2人の組み合わせは2017年のボリウッド映画"Mukkabaaz"(Anurag Kashyap監督、Vineet Kumar Singh主演)で早くも起用されており、インド映画界の新しい音楽への目配りの早さにはいつもながら驚かされる。
ポピュラー音楽のフィールドでの評価や知名度という点では、このNucleyaが印DM界の中でも随一と言って良いだろう。
ベースミュージック的な印DMに、レゲエやラテンの要素も加えた音楽性で異彩を放っているのが、このブログの第1回でも紹介したSu Realだ。
この"Soldiers"ではルーツ・レゲエとEDMの融合という意欲的すぎる音楽性でインド社会にはびこる保守性を糾弾している(興味深いリリックについては上記の第1回記事のリンクをどうぞ)。
この"EAST WEST BADMAN RUDEBOY MASH UP TING"では、映像でもインド的な要素をポップかつクールに編集していて最高の仕上がり。長年、欧米のポピュラー音楽から「エキゾチックやスピリチュアルを表す記号」として扱われてきたインドだが、ここ最近インド人アーティストたちは西洋と自分たちのカルチャーとのクールな融合方法を続々と編み出しており、印DMもまさにそうしたムーブメントのなかのひとつとして位置付けることができる。
新曲"Indian Wine"のミュージックビデオでは、レゲエを基調にしたビートに、レゲエダンサーとインド古典舞踊バラタナティヤムのダンサーが共演するという唯一無二の世界観。
こうした融合をさらっと行ってしまえるところが、インドの音楽シーンの素晴らしいところだ。
このように、ますます加熱している印DMシーンだが、今回紹介した人脈同士でのコラボレーションも盛んに行われている。
この曲はSu RealとRitvizの共作による楽曲。
これはNucleyaがRitvizの"Thandi Hawa"をリミックスしたもの。
世界的にEDMの人気は落ち着きを見せてきているようだが、それに合わせるかのように勢いづいてきている印DMは、「ダンスミュージックにインドの要素がほしいけど、既存のボリウッドの曲はちょっとダサいんだよな…」というような若者たちを中心に支持を広げているのだろう。
インドのメインストリームである映画音楽と、インディーミュージックシーンを繋ぐミッシングリンクと言えるのが、この印DMなのだ。
今後、EDMブームが過去のものになってしまうとしても、このブームが生み出した印DMという落とし子は、今後ますます成長してゆくはず。ヒップホップやラテン音楽への接近など、目が離せない要素が盛り沢山の印DM。
これからも取り上げてゆきたいと思います!
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その新しいジャンルをインディアンEDMと呼びたいのだけど、長いので印DM(InDM)と呼ばせてもらうことにする。
このジャンルの特徴を挙げると、ざっとこんな感じになる。
- EDM系のプロデューサーが手掛けており、ダンスミュージックの要素を残しつつも、インド的な要素(とくに歌やメロディーライン)を大幅に導入している。
- 歌詞は英語ではなく、ヒンディー語などの現地言語であることが多い。
- ミュージックビデオにも、インド的な要素が入っている。(いわゆる典型的なEDMの場合、インド人が手掛けた曲でも、ローカルな要素はミュージックビデオから排除されていることが多かった)
かつてはゴリゴリのEDMを作っていたLost Storiesの新曲"Heer Ranjha"は、この王道ボリウッドっぷり。
目を閉じると、主人公とヒロインが離れた場所から見つめ合いながら手を伸ばして、届きそうだけど届かない、みたいな場面から始まるミュージカルシーンが浮かんできそうな曲調だ。
ブレイク部分でのEDMっぽいアレンジのセンスの良さはさすが。
もうちょっとダンスミュージック寄りの曲調なのがこの"Noor".
なぜパンダなのか謎だが、たぶん理由は「かわいいから」だろう。
クレジットには同じくインドの人気EDMプロデューサーのZaedenの名前も入っている。
そのZaedenの最近の曲は、もはやエレクトロニック・ミュージックの要素すらほとんどない普通のヒンディーポップだ。
1年前の曲がコレ。
最新の曲は、デリーのシンガーソングライターPrateek Kuhadのカバー。
彼はエレクトロニック系のプロデューサーから、オーガニックな曲調のシンガーソングライターへの転身を図ろうとしている真っ最中のかもしれない。
原曲は今年の7月にリリースされたばかりで、ここまで新しい曲のカバーというのは異例だが、Zaedenがこの曲を大いに気に入ったために制作されたものらしい。
Prateek Kuhadによるオリジナル・バージョンのミュージックビデオも大変素晴らしいので、ぜひこちらから見てみてほしい。
2013年のデビュー当初から印DMっぽい音楽性の楽曲をリリースしているのが、プネー出身のシンガーソングライター/プロデューサーのRitvizだ。
彼は幼少期から古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)を学んで育ち、EDMやヒップホップに加えてインド映画音楽の大御所A.R.ラフマーンのファンでもあるようで、そうした多彩な音楽的背景が見事に結晶した音楽を作っている。
彼のミュージックビデオはインドの日常を美しい映像で描いたものが多く、それがまた素晴らしい。
ラム酒のバカルディのロゴが頻繁に出て来るのは、バカルディ・ブランドによるインディー音楽のサポートプログラムの一環としてミュージックビデオが制作されているからのようだ。
インドではヒンドゥーでもイスラームでも飲酒がタブー視される時代が長く続いていたが、新しい価値観の若者たちに売り込むべく、多くのアルコール飲料メーカーがインディーズ・シーンをサポートしている。
今年に入ってからは、デリーのラップデュオSeedhe Mautとのコラボレーションにも取り組むなど、ますますジャンルの垣根を越えた活動をしているRitviz.
これからも印DMを代表する存在として目が離せない。
ハードコア・ラッパーとしてのイメージの強かったSeedhe Mautにとっても新機軸となる楽曲だ。
タージ・マハールで有名なアーグラー出身のUdyan Sagarは、1998年にインド古典音楽のリズムとダンスミュージックを融合したユニットBandish Projektの一員としてデビューしたのち、Nucleyaの名義でベースミュージック的な印DMに取り組んでいる
彼が2015年にリリースした"Bass Rani"は、インドの伝統音楽とエレクトロニック・ミュージックの融合のひとつの方向性を示した歴史に残るアルバム。
この曲ではガリーラップ界の帝王DIVINEとコラボレーションしている。(この共演は『ガリーボーイ』のヒットのはるか以前の2015年のもの)
この2人の組み合わせは2017年のボリウッド映画"Mukkabaaz"(Anurag Kashyap監督、Vineet Kumar Singh主演)で早くも起用されており、インド映画界の新しい音楽への目配りの早さにはいつもながら驚かされる。
ポピュラー音楽のフィールドでの評価や知名度という点では、このNucleyaが印DM界の中でも随一と言って良いだろう。
ベースミュージック的な印DMに、レゲエやラテンの要素も加えた音楽性で異彩を放っているのが、このブログの第1回でも紹介したSu Realだ。
この"Soldiers"ではルーツ・レゲエとEDMの融合という意欲的すぎる音楽性でインド社会にはびこる保守性を糾弾している(興味深いリリックについては上記の第1回記事のリンクをどうぞ)。
この"EAST WEST BADMAN RUDEBOY MASH UP TING"では、映像でもインド的な要素をポップかつクールに編集していて最高の仕上がり。長年、欧米のポピュラー音楽から「エキゾチックやスピリチュアルを表す記号」として扱われてきたインドだが、ここ最近インド人アーティストたちは西洋と自分たちのカルチャーとのクールな融合方法を続々と編み出しており、印DMもまさにそうしたムーブメントのなかのひとつとして位置付けることができる。
新曲"Indian Wine"のミュージックビデオでは、レゲエを基調にしたビートに、レゲエダンサーとインド古典舞踊バラタナティヤムのダンサーが共演するという唯一無二の世界観。
こうした融合をさらっと行ってしまえるところが、インドの音楽シーンの素晴らしいところだ。
このように、ますます加熱している印DMシーンだが、今回紹介した人脈同士でのコラボレーションも盛んに行われている。
この曲はSu RealとRitvizの共作による楽曲。
これはNucleyaがRitvizの"Thandi Hawa"をリミックスしたもの。
世界的にEDMの人気は落ち着きを見せてきているようだが、それに合わせるかのように勢いづいてきている印DMは、「ダンスミュージックにインドの要素がほしいけど、既存のボリウッドの曲はちょっとダサいんだよな…」というような若者たちを中心に支持を広げているのだろう。
インドのメインストリームである映画音楽と、インディーミュージックシーンを繋ぐミッシングリンクと言えるのが、この印DMなのだ。
今後、EDMブームが過去のものになってしまうとしても、このブームが生み出した印DMという落とし子は、今後ますます成長してゆくはず。ヒップホップやラテン音楽への接近など、目が離せない要素が盛り沢山の印DM。
これからも取り上げてゆきたいと思います!
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goshimasayama18 at 18:07|Permalink│Comments(0)
2019年05月24日
混ぜたがるインド人、分けたがる日本人 古典音楽とポピュラーミュージックの話
『喪失の国、日本 インド・エリートビジネスマンの[日本体験記]』という本がある(文春文庫)。
M.K.シャルマなる人物が書いた本を、インドに関する著書で有名な山田和氏が翻訳したものだ。
山田氏は、デリーの小さな書店で「日本の思い出」と題されたヒンディー語の私家版と思しき本を見つけて購入し、その後、奇遇にもその本の著者のシャルマ氏と知り合うこととなった。(曰く「9億5000万分の1の偶然」)。
Bandish ProjektもRaja Kumariも、インド伝統の口で取るリズム(北インドではBol, 南インドではKonnakolという)からラップに展開してゆく楽曲の後半が聴きどころだ。
Eminemっぽいフロウを聴かせるBrodha Vの"Aatma Raama"はサビでラーマ神を讃える歌へとつながってゆく。
M.K.シャルマなる人物が書いた本を、インドに関する著書で有名な山田和氏が翻訳したものだ。
山田氏は、デリーの小さな書店で「日本の思い出」と題されたヒンディー語の私家版と思しき本を見つけて購入し、その後、奇遇にもその本の著者のシャルマ氏と知り合うこととなった。(曰く「9億5000万分の1の偶然」)。
この奇縁から、山田氏がシャルマ氏にヒンディー語から英語への翻訳を依頼し、それを山田氏がさらに日本語に訳して出版されたのが、この本というわけだ。
日本人のインド体験記は数多く出版されているが、インド人による日本体験記は珍しい。
シャルマ氏は、90年代初期の日本に滞在した経験をもとに、持ち前の好奇心と分析力を活かして、日印の文化の相違や、虚飾に走りがちな日本人の姿を、ときにユーモラスに、ときに鋭く指摘している。
全体を通して面白いエピソードには事欠かない本書だが、とくに印象に残っているのは、シャルマ氏が日本人の同僚とインド料理店を訪れた時の顛末だ。
私は料理同士をミックスさせ、捏ねると美味しくなると、何度もアドヴァイスをしたのだが、誰も実行しようとしなかった。混ぜると何を食べているのかわからなくなる、美味そうでない、生理的に受けつけない、というのが彼らの返事だった。
その態度があまりにも頑ななので、私は彼らが「生(き)(本来のままで混じり気のないこと)」と呼んで重視する純粋性、単一性への信仰、つまり「混ぜることを良しとしない価値観」がそこに介在していることに気づいたのである。
インドでは、スパイスの使い方がそうであるように、混ぜることを愛する。
(同書「インド人は混ぜ、日本人は並べる」の章より)
その後、シャルマ氏は「日本食も混ぜた方が美味しくなると思うか」という質問に「そう思う」と本音で答えた結果、「それは犬猫の食べ物」と言われてしまったという。
インド人は様々な要素を混ぜ合わせることを豊穣の象徴として良しとし、日本人はそれぞれの要素の純粋性を尊重するという、食を通した比較文化論である。
なぜ唐突にこんな話をしたかというと、インドの音楽シーンにも、私はこれと全く同じような印象を受けているからだ。
彼ら(インド人)は、とにかくよく混ぜる。
何を混ぜるのか?
それは、彼らの豊かな文化的遺産である古典音楽と、欧米のポピュラーミュージックを混ぜるということである。
それも、奇を衒ったり、ウケを狙っているふうでもなく、まるで「俺たちにとっては普通のことだし、こうしたほうが俺たちらしくてかっこいいだろ」と言うがごとく、インドのミュージシャン達は、ごく自然に、時間も場所も超越して音楽を混ぜてしまうのだ。
日本では「フュージョン」と言うと、ジャズとロックとイージーリスニングの中間のような音楽を指すことが多いが、インドで「フュージョン」と言った場合、それはおもに伝統音楽と現代音楽の融合を意味する。
その一例が、前回紹介した「シタールメタル」だ。
古典音楽一家に生まれ育ったRishabh Seenは、シタールとプログレッシブ・メタルの融合に本気で取り組んでいる。
ヒップホップの世界でも、Bandish ProjektやRaja Kumariが古典音楽のリズムをラップに導入したり、Brodha Vがヒンドゥーの讃歌を取り入れたり、そして多くのラッパーがトラックに伝統音楽をサンプリングしたりと、様々なフュージョンが試みられている。
日本人のインド体験記は数多く出版されているが、インド人による日本体験記は珍しい。
シャルマ氏は、90年代初期の日本に滞在した経験をもとに、持ち前の好奇心と分析力を活かして、日印の文化の相違や、虚飾に走りがちな日本人の姿を、ときにユーモラスに、ときに鋭く指摘している。
全体を通して面白いエピソードには事欠かない本書だが、とくに印象に残っているのは、シャルマ氏が日本人の同僚とインド料理店を訪れた時の顛末だ。
私は料理同士をミックスさせ、捏ねると美味しくなると、何度もアドヴァイスをしたのだが、誰も実行しようとしなかった。混ぜると何を食べているのかわからなくなる、美味そうでない、生理的に受けつけない、というのが彼らの返事だった。
その態度があまりにも頑ななので、私は彼らが「生(き)(本来のままで混じり気のないこと)」と呼んで重視する純粋性、単一性への信仰、つまり「混ぜることを良しとしない価値観」がそこに介在していることに気づいたのである。
インドでは、スパイスの使い方がそうであるように、混ぜることを愛する。
(同書「インド人は混ぜ、日本人は並べる」の章より)
その後、シャルマ氏は「日本食も混ぜた方が美味しくなると思うか」という質問に「そう思う」と本音で答えた結果、「それは犬猫の食べ物」と言われてしまったという。
インド人は様々な要素を混ぜ合わせることを豊穣の象徴として良しとし、日本人はそれぞれの要素の純粋性を尊重するという、食を通した比較文化論である。
なぜ唐突にこんな話をしたかというと、インドの音楽シーンにも、私はこれと全く同じような印象を受けているからだ。
彼ら(インド人)は、とにかくよく混ぜる。
何を混ぜるのか?
それは、彼らの豊かな文化的遺産である古典音楽と、欧米のポピュラーミュージックを混ぜるということである。
それも、奇を衒ったり、ウケを狙っているふうでもなく、まるで「俺たちにとっては普通のことだし、こうしたほうが俺たちらしくてかっこいいだろ」と言うがごとく、インドのミュージシャン達は、ごく自然に、時間も場所も超越して音楽を混ぜてしまうのだ。
日本では「フュージョン」と言うと、ジャズとロックとイージーリスニングの中間のような音楽を指すことが多いが、インドで「フュージョン」と言った場合、それはおもに伝統音楽と現代音楽の融合を意味する。
その一例が、前回紹介した「シタールメタル」だ。
古典音楽一家に生まれ育ったRishabh Seenは、シタールとプログレッシブ・メタルの融合に本気で取り組んでいる。
ヒップホップの世界でも、Bandish ProjektやRaja Kumariが古典音楽のリズムをラップに導入したり、Brodha Vがヒンドゥーの讃歌を取り入れたり、そして多くのラッパーがトラックに伝統音楽をサンプリングしたりと、様々なフュージョンが試みられている。
Bandish ProjektもRaja Kumariも、インド伝統の口で取るリズム(北インドではBol, 南インドではKonnakolという)からラップに展開してゆく楽曲の後半が聴きどころだ。
Eminemっぽいフロウを聴かせるBrodha Vの"Aatma Raama"はサビでラーマ神を讃える歌へとつながってゆく。
Divineのトラックは、実際はテレビ番組のテーマ曲の一部だそうだが、伝統音楽っぽい笛の音色をBeastie Boysの"Sure Shot"みたいな雰囲気で使っている!
Divineはムンバイを、Big Dealはオディシャ州をそれぞれレペゼンするという内容の曲。トラックもテーマに合わせてルーツ色が強いものを選んでいるのだろうか。
伝統音楽との融合はヒップホップだけの話ではない。
Anand Bhaskar CollectiveやPaksheeといったロックバンドは、ヒンドゥスターニーやカルナーティックの古典声楽を、あたり前のようにロックの伴奏に乗せている。
タミルナードゥ州のプログレッシブメタルバンドAgamは、演奏もヴォーカルもカルナーティック音楽の影響を強く感じる音楽性だ。
例を挙げてゆくときりがないので、そろそろ終わりにするが、エレクトロニック・ミュージックの分野では、Nucleyaがひと昔前のボリウッド風の歌唱をトラップと融合させているし、古典音楽のミュージシャンたちも、ラテンポップスの大ヒット曲"Despacito"を伝統スタイルで見事にカバーしている。(しかも、彼らが使っている楽器のうちひとつはiPadだ!)
まったくなんという発想の自由さなんだろう。
異質なものを混ぜることに対する、驚くべき躊躇の無さだ。
翻って、我が国日本はどうかと考えると、我々日本人は、混ぜない。
最新の流行音楽に雅楽や純邦楽の要素を取り入れるなんてまずないし、ロックバンドが演歌や民謡の歌手をヴォーカリストに採用するなんてこともありそうにない(例外的なものを除いて)。
そう、日本は「分けたがる」のだ。
純邦楽は日本の伝統かもしれないけど、ロックやヒップホップとは絶対に相容れないもの。
民謡や演歌の歌い方は、今日の流行音楽に取り入れたら滑稽なもの。
素材の純粋さを活かす日本文化は、混ぜないで、分けることでそれぞれの良さを際立たせる。
いったいなぜ、日本人とインド人でこんなにも自国の伝統と西洋の流行音楽に対する接し方が違うのか。
なぜインド人は、何のためらいもなく古典音楽と最新の流行音楽を混ぜることができるのか。
その理由は、インドの地理的、歴史的な背景に求めることができるように思う。
よく言われるように、インドは非常に多くの文化や民族が混在している国で、公用語の数だけでも18言語とも22言語とも言われている(実際に話されている言語の数は、その何倍、何十倍になる)。
現在のインドは、もともとひとつの国や文化圏ではなく、異なる文化を持つたくさんの藩王国や民族、部族の集まりだった。
彼らは移動や貿易や侵略を通して、互いに影響を与えあってきた歴史を持つ。
11世紀以降本格的にインドに進入してきたイスラーム王朝もまた、インド文化に大きな影響を与えた。
かつての王侯たちは、異なる信仰の音楽家や芸術家たちをも庇護して文化の発展を支えていたし、イスラームのスーフィズムとヒンドゥーのバクティズムのように、異なる信仰のもとに共通点のある思想が生まれたこともあった。
インドの歴史は多様性のもとに育まれている。
こうした異文化どうしの交流と影響の上に成り立っているのが、インドの芸術であり、音楽なのだ。
また、スペインやポルトガルなどの貿易拠点となったり、イギリス支配下の時代を経験したことの影響も大きいだろう。
インド人は、かなり昔から南アジアの中だけでなく、東(インド)と西(ヨーロッパ) の文化もミックスしてきたのだ。
音楽においても東西文化の融合はかなり早い段階から行われていて、ヨーロッパ発祥のハルモニウム(手漕ぎオルガン)は今ではほとんど北インドやパキスタン音楽でしか使われていないし、南インドでは西洋のバイオリンがそっくりそのまま古典音楽を演奏する楽器として使われている。
日本の音楽シーンでは、ルーツであるはずの文化や伝統と、現代の流行との間に、深い断絶がある。
その断絶の起源が鎖国にあるのか、明治にあるのか、はたまた戦後にあるのかは分からないが、とにかく我々は長唄や民謡とヒップホップを混ぜようとしたりはしない。
というか、そもそも伝統音楽と流行音楽の両方を深く聴いているリスナー自体、ほとんどいないだろう。
日本人は、分ける。
伝統音楽との融合はヒップホップだけの話ではない。
Anand Bhaskar CollectiveやPaksheeといったロックバンドは、ヒンドゥスターニーやカルナーティックの古典声楽を、あたり前のようにロックの伴奏に乗せている。
タミルナードゥ州のプログレッシブメタルバンドAgamは、演奏もヴォーカルもカルナーティック音楽の影響を強く感じる音楽性だ。
例を挙げてゆくときりがないので、そろそろ終わりにするが、エレクトロニック・ミュージックの分野では、Nucleyaがひと昔前のボリウッド風の歌唱をトラップと融合させているし、古典音楽のミュージシャンたちも、ラテンポップスの大ヒット曲"Despacito"を伝統スタイルで見事にカバーしている。(しかも、彼らが使っている楽器のうちひとつはiPadだ!)
まったくなんという発想の自由さなんだろう。
異質なものを混ぜることに対する、驚くべき躊躇の無さだ。
翻って、我が国日本はどうかと考えると、我々日本人は、混ぜない。
最新の流行音楽に雅楽や純邦楽の要素を取り入れるなんてまずないし、ロックバンドが演歌や民謡の歌手をヴォーカリストに採用するなんてこともありそうにない(例外的なものを除いて)。
そう、日本は「分けたがる」のだ。
純邦楽は日本の伝統かもしれないけど、ロックやヒップホップとは絶対に相容れないもの。
民謡や演歌の歌い方は、今日の流行音楽に取り入れたら滑稽なもの。
素材の純粋さを活かす日本文化は、混ぜないで、分けることでそれぞれの良さを際立たせる。
いったいなぜ、日本人とインド人でこんなにも自国の伝統と西洋の流行音楽に対する接し方が違うのか。
なぜインド人は、何のためらいもなく古典音楽と最新の流行音楽を混ぜることができるのか。
その理由は、インドの地理的、歴史的な背景に求めることができるように思う。
よく言われるように、インドは非常に多くの文化や民族が混在している国で、公用語の数だけでも18言語とも22言語とも言われている(実際に話されている言語の数は、その何倍、何十倍になる)。
現在のインドは、もともとひとつの国や文化圏ではなく、異なる文化を持つたくさんの藩王国や民族、部族の集まりだった。
彼らは移動や貿易や侵略を通して、互いに影響を与えあってきた歴史を持つ。
11世紀以降本格的にインドに進入してきたイスラーム王朝もまた、インド文化に大きな影響を与えた。
かつての王侯たちは、異なる信仰の音楽家や芸術家たちをも庇護して文化の発展を支えていたし、イスラームのスーフィズムとヒンドゥーのバクティズムのように、異なる信仰のもとに共通点のある思想が生まれたこともあった。
インドの歴史は多様性のもとに育まれている。
こうした異文化どうしの交流と影響の上に成り立っているのが、インドの芸術であり、音楽なのだ。
また、スペインやポルトガルなどの貿易拠点となったり、イギリス支配下の時代を経験したことの影響も大きいだろう。
インド人は、かなり昔から南アジアの中だけでなく、東(インド)と西(ヨーロッパ) の文化もミックスしてきたのだ。
音楽においても東西文化の融合はかなり早い段階から行われていて、ヨーロッパ発祥のハルモニウム(手漕ぎオルガン)は今ではほとんど北インドやパキスタン音楽でしか使われていないし、南インドでは西洋のバイオリンがそっくりそのまま古典音楽を演奏する楽器として使われている。
彼らの音楽的フュージョンは、一朝一夕に成し遂げられたものではないのである。
彼らはスパイス同様、音楽的要素も混ぜることでもっと良くなるという思想を持っているに違いない。
そもそも例に上げているスパイスにしても、インド原産のものばかりではない。
彼らはスパイス同様、音楽的要素も混ぜることでもっと良くなるという思想を持っているに違いない。
そもそも例に上げているスパイスにしても、インド原産のものばかりではない。
例えば今ではインド料理の基本調味料のひとつとなっている唐辛子は、大航海時代にヨーロッパ人によってインドにもたらされたものだ。
古いものも、新しいものも、自国のものも、他所から来たものも、混ぜ合わせながら、より良いものを作ってきたという歴史。
古いものも、新しいものも、自国のものも、他所から来たものも、混ぜ合わせながら、より良いものを作ってきたという歴史。
その上に、今日の豊かで面白いフュージョン音楽文化が花開いている。
長く鎖国が続いた日本の歴史とは非常に対照的である。
長く鎖国が続いた日本の歴史とは非常に対照的である。
日本の音楽シーンでは、ルーツであるはずの文化や伝統と、現代の流行との間に、深い断絶がある。
その断絶の起源が鎖国にあるのか、明治にあるのか、はたまた戦後にあるのかは分からないが、とにかく我々は長唄や民謡とヒップホップを混ぜようとしたりはしない。
というか、そもそも伝統音楽と流行音楽の両方を深く聴いているリスナー自体、ほとんどいないだろう。
日本人は、分ける。
インド人は、混ぜる。
と、ここまで書いて、ふと気がついたことがある。
スパイスや音楽については混ぜることが大好きなインド人も、なかなか混ぜたがらないものがある。
それは、彼らの「生活」そのものだ。
例えば、食。
と、ここまで書いて、ふと気がついたことがある。
スパイスや音楽については混ぜることが大好きなインド人も、なかなか混ぜたがらないものがある。
それは、彼らの「生活」そのものだ。
例えば、食。
スパイスについては混ぜることを良しとしている彼らも、食生活そのものに関しては、都市に住む一部の進歩的な人々以外、総じて保守的である。
牛を神聖視するヒンドゥーと、豚を穢れているとするムスリム、さらには人口の3割を占めるというベジタリアンなど、インドには多くの食に関するタブーがある。
それらは個人やコミュニティーのアイデンティティーと強く結びついており、気軽に変えられるものではない。
音楽に関する仕事をしていて、アメリカ留学経験も日本在住経験もあるとても都会的なインド人が、頑なにベジタリアンとしての食生活を守っている例を知っている。
その人は信仰心が強いタイプでは全くないが、生まれた頃からずっと食べていなかった肉を食べるということに、気持ち悪さのような感覚があるという。
(多様性の国インドにはいろんなタイプの人がいるので、あくまで一例。最近では逆にベジタリアン家庭に育っても、鶏肉くらいまでは好んで食べる若者もそれなりにいるようだ)
多くのインド人にとっては、小さな頃から食べ慣れた食生活を守ることが、何よりも安心できることなのだろう。また、結婚についても同様に、インド人は混ぜたがらない。
ご存知のように、インドでは結婚相手を選ぶときに、自分と同等のコミュニティー(宗教、カースト、職業、経済や教育のレベルなど)から相手を選ぶことが多い。
保守的な地方では、カーストの低い相手との結婚を望む我が子を殺害する「名誉殺人」すら起こっている。(家族の血統が穢れることから名誉を守るという理屈だ)
一方、日本人は食のタブーのない人がほとんどだし、海外の珍しくて美味しい料理があると聞けば喜んで飛びつき、さらには日本風にアレンジしたりもする。
食に関して言えば、日本人は混ぜまくっている。
結婚に関しても、仮に「身分違いの恋」みたいなことになっても、せいぜい親や親族の強硬な反対に合うことがあるくらいで、殺されたりすることはまずない。
日々の暮らしに関わる部分では、日本人のほうが混ざることに対する躊躇が少なく、インド人のほうが分けたがっているというわけだ。
国や民族ごとに、人々が何を混ぜたがり、何を分けたがっているのかを考えると、いろいろなことが分かってくるような気もするが、話が大きくなり過ぎたのでこのへんでやめておく。
最後に、冒頭で紹介した山田和氏の「喪失の国、ニッポン〜」をもう一度紹介して終わりにする。
この本は、これまで読んだインド本の中で、確実にトップスリーには入る面白さで、唯一欠点があるとすれば、なんとも景気の悪いタイトルくらいだ。
主人公のシャルマ氏は、花見の宴席を見て古代アラブの宴を思い起こし、「やっさん」というあだ名の同僚からペルシアの王ハッサンを想像してしまうぶっ飛びっぷりだし、後半では淡い恋のエピソードも楽しめる。
この本は、これまで読んだインド本の中で、確実にトップスリーには入る面白さで、唯一欠点があるとすれば、なんとも景気の悪いタイトルくらいだ。
主人公のシャルマ氏は、花見の宴席を見て古代アラブの宴を思い起こし、「やっさん」というあだ名の同僚からペルシアの王ハッサンを想像してしまうぶっ飛びっぷりだし、後半では淡い恋のエピソードも楽しめる。
実は、この本の内容は全て山田氏の創作なのではないかという疑惑もあるようなのだが(正直、私もちょっとそんな気がしている)、もしそうだとしても、それはそれで十分に面白い奇書なので、ご興味のある方はぜひご一読を!
・インド古典音楽とラップ!インドのラップのもうひとつのルーツ
・フュージョン音楽界の新星! Pakshee
・欧米の「インド風ロック」と「インドのロック」の違い
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凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
インドのフュージョン音楽については、過去に何度か詳しく書いているので、興味がある方はこちらのリンクから!
・混ぜるな危険!(ヘヴィーメタルとインド古典音楽を) インドで生まれた新ジャンル、シタール・メタルとは一体何なのか
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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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goshimasayama18 at 21:49|Permalink│Comments(0)
2018年08月01日
インド映画音楽 リミックス&カバーの世界!
改めまして、軽刈田凡平です。
このブログでは、インドの娯楽の一大産業である映画音楽とは関係なく、自分たちの表現したいことを自分たちのやり方で表現している、ロックやヒップホップなどのアーティストを紹介しています。
ご存知のようにインドの映画についてはかなり日本にも紹介されるようになったのだけど、コンテンポラリーな音楽シーンに関してはまだまだ情報が限られているので、広いインドの全てをカバーできるわけではないけれども、これぞと感じたものを書かせてもらっています。
(最近コアな内容が続いたので、改めての所信表明)
さて、今回は、そんなインドの音楽シーンのメインストリームである映画音楽に対してのインディーズのミュージシャンからのアプローチ!というテーマでお届けします。
(それなりに資本が入ってそうなものが多いので、ここで取り上げるミュージシャンたちが厳密な意味でインディーズと言えるかどうかは不明だけど、今回はひとまず非映画音楽=インディーズという乱暴なくくりで進めますのでよろしく)
このブログの記念すべき第1回目で紹介したデリーのトラップ/ダンスミュージックのアーティストSu Realは、その後Amazon Primeのインド版による懐かしのボリウッドソングのリミックス大会、その名も「The Remix」という番組に出演し、歌手のRashmeet Kaurとのコンビで見事優勝!
その番組内でのSu Realのパフォーマンスの様子はこちら。
リミックスっていうか、カバーだわな。
こっちが原曲。
どうやら1999年に公開されたボリウッド映画の挿入歌らしいが、なんでリミックスのほうはみんなコックさんみたいな格好をしていたのか、ちょっと謎。
こちらはまた別の出場者がリミックスした98年ごろのボリウッドのヒット曲、"O O Jaane Jaana".
原曲はこちら。
当時この曲をムンバイで聴いて、ギターのフレーズが入っててずいぶん洒落た曲だなあ、と思ったものだけど、いま聴くとやっぱり猛烈に垢抜けないね…。
この番組、他にもDivineらとの共演でも有名なトラックメーカーのNucleya等、大物が参加していたようで、現代的なダンスミュージックに生まれ変わった懐かしの映画音楽に審査員も観客も盛り上がっていた模様。
この優勝を受けてRolling Stone India誌がSu Realに行ったインタビューによると、映画音楽が支配的なインドの音楽シーンに批判的なインディーミュージシャンが多い中で(後述)、彼は「ボリウッドはいつだってトラップやダンスホールといった新しい音楽を取り入れてきた」と肯定的な意見を持っている模様。
まあ、受賞インタビュー的な状況で否定的なことも言えないとは思うんだけど(一応、最近のあまりにも形式化したボリウッドのヒットソングにはちょっと苦言を呈している)。
いずれにしても、映画こそが娯楽そして音楽のメインストリームであるインドでは、誰もが知ってる名曲や、懐メロ的なものは全て映画音楽。
ポピュラーな曲をカバーしようと思ったら、おのずと映画音楽の一択となるのは当然なのだ。
調べてみると、他にも現代的な方法で懐かしの映画音楽をカバーしている人たちというのはたくさんいるので、ちょっと紹介してみます。
アカペラグループのPenn Masalaも、40年代から最近のものまでのボリウッドの名曲をメドレー形式でカバーしているこんな動画を作っている。
時代ごとの特徴をつかんだ衣装の変化も楽しい!
元ネタはグループ名を含めてアメリカのアカペラグループPentatonixのEvolution of Musicだろうが、インドの(ヒンディー語の)ポップミュージックの進化を辿るとなると、すべてボリウッド映画で間に合ってしまう(っていうか、それ以外ではできない)っていうのがインドの音楽シーンの歴史。
また別のアカペラグループ、Voctronicaは、タミル映画の音楽からスタートして、今ではインド、いや世界を代表するミュージシャンの一人になったA.R.Rahmanの音楽を同様のメドレーでカバーしている。
もし何かお気に入りのインド映画があったら、Youtubeで「映画や曲のタイトル(スペース)cover」 で検索してみてみるといい。
人気のある映画の曲なら、セミプロ風からアマチュアまで、いろいろなバージョンが聞けるはず。
また洋楽のカバーもなかなか面白くて、数ある洋楽曲の中で、なぜかインド人がやたらとカバーしている曲というのがある。
私の知る限りだと、以前このブログでも取り上げた"Despacito"や、少し古いところではGuns and RosesのSweet Child of Mine.
これらの曲になにかインド人の琴線に触れるものがあるんだろうか。
確かにガンズのほうは、こうやって聴くとどれもインドっぽいアレンジがかなりはまっている。
話を映画音楽に戻します。
これまでインドのインディーズミュージシャンのことをいろいろ調べてきて感じたことだが、彼らの映画音楽に対する反応は、一様に無関心というか、映画産業と距離を取るようなものだった。
その背後には、映画音楽は、音楽そのものとして純粋な表現ではなく、あくまで映画のために作られた商業主義の音楽であって、ミュージシャンの独立性、自主性を損なうものである、という考え方があるように思う。
ラッパーのBrodha VがSNSで映画音楽中心のインドの音楽シーンに対する抗議を訴えていたことは記憶に新しい。
ちょうど、80年代頃までの日本のロックミュージシャンから見た「歌謡界」のような、戦い甲斐のある巨大な仮想敵のような存在として、映画産業がある。
もはや何が主流でカウンターか分からない日本の混沌としたミュージックシーンから見ると、こうしたシンプルな構図はなんかちょっとうらやましくも感じてしまう。
とはいえ、Su Realが言うように、インドの映画音楽もいろいろな音楽を取りいれてどんどん進化しているし、映画産業から声がかかるラッパーやインディーミュージシャンも増えていて、今後双方の垣根はますます低くなってゆくのではないだろうか。
5年度、10年後のインドの音楽シーンはどうなっているのだろう。
今後の映画音楽とインディーミュージックのパワーバランスにも要注目!
ではまた!
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ご存知のようにインドの映画についてはかなり日本にも紹介されるようになったのだけど、コンテンポラリーな音楽シーンに関してはまだまだ情報が限られているので、広いインドの全てをカバーできるわけではないけれども、これぞと感じたものを書かせてもらっています。
(最近コアな内容が続いたので、改めての所信表明)
さて、今回は、そんなインドの音楽シーンのメインストリームである映画音楽に対してのインディーズのミュージシャンからのアプローチ!というテーマでお届けします。
(それなりに資本が入ってそうなものが多いので、ここで取り上げるミュージシャンたちが厳密な意味でインディーズと言えるかどうかは不明だけど、今回はひとまず非映画音楽=インディーズという乱暴なくくりで進めますのでよろしく)
このブログの記念すべき第1回目で紹介したデリーのトラップ/ダンスミュージックのアーティストSu Realは、その後Amazon Primeのインド版による懐かしのボリウッドソングのリミックス大会、その名も「The Remix」という番組に出演し、歌手のRashmeet Kaurとのコンビで見事優勝!
その番組内でのSu Realのパフォーマンスの様子はこちら。
リミックスっていうか、カバーだわな。
こっちが原曲。
どうやら1999年に公開されたボリウッド映画の挿入歌らしいが、なんでリミックスのほうはみんなコックさんみたいな格好をしていたのか、ちょっと謎。
こちらはまた別の出場者がリミックスした98年ごろのボリウッドのヒット曲、"O O Jaane Jaana".
原曲はこちら。
当時この曲をムンバイで聴いて、ギターのフレーズが入っててずいぶん洒落た曲だなあ、と思ったものだけど、いま聴くとやっぱり猛烈に垢抜けないね…。
この番組、他にもDivineらとの共演でも有名なトラックメーカーのNucleya等、大物が参加していたようで、現代的なダンスミュージックに生まれ変わった懐かしの映画音楽に審査員も観客も盛り上がっていた模様。
この優勝を受けてRolling Stone India誌がSu Realに行ったインタビューによると、映画音楽が支配的なインドの音楽シーンに批判的なインディーミュージシャンが多い中で(後述)、彼は「ボリウッドはいつだってトラップやダンスホールといった新しい音楽を取り入れてきた」と肯定的な意見を持っている模様。
まあ、受賞インタビュー的な状況で否定的なことも言えないとは思うんだけど(一応、最近のあまりにも形式化したボリウッドのヒットソングにはちょっと苦言を呈している)。
いずれにしても、映画こそが娯楽そして音楽のメインストリームであるインドでは、誰もが知ってる名曲や、懐メロ的なものは全て映画音楽。
ポピュラーな曲をカバーしようと思ったら、おのずと映画音楽の一択となるのは当然なのだ。
調べてみると、他にも現代的な方法で懐かしの映画音楽をカバーしている人たちというのはたくさんいるので、ちょっと紹介してみます。
アカペラグループのPenn Masalaも、40年代から最近のものまでのボリウッドの名曲をメドレー形式でカバーしているこんな動画を作っている。
時代ごとの特徴をつかんだ衣装の変化も楽しい!
元ネタはグループ名を含めてアメリカのアカペラグループPentatonixのEvolution of Musicだろうが、インドの(ヒンディー語の)ポップミュージックの進化を辿るとなると、すべてボリウッド映画で間に合ってしまう(っていうか、それ以外ではできない)っていうのがインドの音楽シーンの歴史。
また別のアカペラグループ、Voctronicaは、タミル映画の音楽からスタートして、今ではインド、いや世界を代表するミュージシャンの一人になったA.R.Rahmanの音楽を同様のメドレーでカバーしている。
もし何かお気に入りのインド映画があったら、Youtubeで「映画や曲のタイトル(スペース)cover」 で検索してみてみるといい。
人気のある映画の曲なら、セミプロ風からアマチュアまで、いろいろなバージョンが聞けるはず。
また洋楽のカバーもなかなか面白くて、数ある洋楽曲の中で、なぜかインド人がやたらとカバーしている曲というのがある。
私の知る限りだと、以前このブログでも取り上げた"Despacito"や、少し古いところではGuns and RosesのSweet Child of Mine.
これらの曲になにかインド人の琴線に触れるものがあるんだろうか。
確かにガンズのほうは、こうやって聴くとどれもインドっぽいアレンジがかなりはまっている。
話を映画音楽に戻します。
これまでインドのインディーズミュージシャンのことをいろいろ調べてきて感じたことだが、彼らの映画音楽に対する反応は、一様に無関心というか、映画産業と距離を取るようなものだった。
その背後には、映画音楽は、音楽そのものとして純粋な表現ではなく、あくまで映画のために作られた商業主義の音楽であって、ミュージシャンの独立性、自主性を損なうものである、という考え方があるように思う。
ラッパーのBrodha VがSNSで映画音楽中心のインドの音楽シーンに対する抗議を訴えていたことは記憶に新しい。
ちょうど、80年代頃までの日本のロックミュージシャンから見た「歌謡界」のような、戦い甲斐のある巨大な仮想敵のような存在として、映画産業がある。
もはや何が主流でカウンターか分からない日本の混沌としたミュージックシーンから見ると、こうしたシンプルな構図はなんかちょっとうらやましくも感じてしまう。
とはいえ、Su Realが言うように、インドの映画音楽もいろいろな音楽を取りいれてどんどん進化しているし、映画産業から声がかかるラッパーやインディーミュージシャンも増えていて、今後双方の垣根はますます低くなってゆくのではないだろうか。
5年度、10年後のインドの音楽シーンはどうなっているのだろう。
今後の映画音楽とインディーミュージックのパワーバランスにも要注目!
ではまた!
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