KarshKale
2021年11月07日
インドからビートルズへの53年越しの回答! "Songs Inspired by The Film the Beatles and India"
ビートルズファンならご存知のとおり、インドは彼らに少なからぬ影響を与えた国でもある。
1960年代、若者たちの間では、ベトナム戦争への反対の機運が高まり、西洋の物質主義的な文化に疑問が持たれ始めていた。
インドの文化は、欧米の既存の価値観に変わるカウンターカルチャーとして注目され、ビートルズのメンバーたちも、1968年にヒンドゥー教の聖地リシケーシュにあるヨガ行者にして精神的指導者のマハリシ・マヘシュ・ヨギのアシュラム(修業場)に滞在して過ごした。
(その経緯と顛末は、このRolling Stone Japanの記事に詳しい)
インドに影響を受けたのはビートルズだけではなかった。
当時、The Rolling Stonesは"Paint It, Black"でシタールを導入しているし、インドの服をヒッピー・ファッションに取り入れるミュージシャンも多かった。
当時、ヨガや東洋的な神秘思想は、LSDなどのドラッグと並んで、新しい感覚を覚醒させ、悟りの境地に至るための手段として見られていたのだ。
その後も、90年代のKula Shakerのようなロックバンドや、ゴアトランスなどのダンスミュージックが、サイケデリックやエキゾチックやスピリチュアルを表現する手段として、インド音楽の要素を導入している。
ただ、その多くが、雰囲気づくりのための表面的な引用にとどまっているのもまた事実。
90年代、インドの旅から帰ってきた私は、彼らのサウンドに以前ほど夢中になれなくなってしまい、今でいうところの「文化の盗用」のようなもやもやした感覚を抱いていた。
時は流れて2021年。
いつもこのブログで紹介しているように、インドの音楽シーンもずいぶん進化・変貌した。
経済成長とインターネットの発展により、ヒップホップやEDMやロックといった欧米の音楽の受容が進み、今ではインド国内にもこうしたジャンルの優れたアーティストがたくさんいる。
そのなかには、きわめて優れたポピュラーミュージックを作っている人もいるし、西洋の音楽にインドの伝統的な要素を取り入れた独自の「フュージョン」を作り上げている人もいる。
つまり、20世紀にはインドから欧米への一方通行だった音楽的影響は、今では完全に双方向的なものとなっているのだ。
ビートルズのインド滞在に焦点をあてたドキュメンタリー映画"The Beatles and India"の公開にともなってリリースされた、インドのミュージシャンたちによるトリビュートアルバム"Songs Inspired by the Film the Beatles and India"は、いわばインドからビートルズへの、そして、インド音楽の要素をポピュラーミュージックのスパイスとして使ってきた西洋音楽リスナーへの、53年越しの回答なのである。
これが非常に面白く、そして素晴らしかった。
収録曲は以下の通り。
1. "Tomorrow Never Knows" Kiss Nuka
2. "Mother Nature's Son" Karsh Kale, Benny Dayal
3. "Gimme Some Truth" Soulmate
4. "Across the Universe" Tejas, Maalavika Manoj
5. "Everybody's Got Something to Hide (Except Me and My Monkey)" Rohan Rajadhyaksha, Warren Mendonsa
6. "I will" Shibani Dandekar, Neil Mukherjee
7. "Julia" Dhruv Ghanekar
8. "Child of Nature" Anupam Roy
9. "The Inner Light" Anoushka Shankar, Karsh Kale
10. "The Continuing Story of Bungalow Bill" Raaga Trippin
11. "Back in the USSR" Karsh Kale, Farhan Akhtar
12. "I'm so Tired" Lisa Mishra, Warren Mendonsa
13. "Sexy Sadie" Siddharth Basrur, Neil Mukherjee
14. "Martha My Dear" Nikhil D'Souza
15. "Norwegian Wood (This Bird Has Flown)" Parekh & Singh
16. "Revolution" Vishal Dadlani, Warren Mendonsa
17. "Love You To" Dhruv Ghanekar
18. "Dear Prudence" Karsh Kale, Monica Dogra
19. "India, India" Nikhil D'souza
ビートルズの曲(一部ジョンのソロ作品)としては、ややシブめの選曲で、なかにはよほどのファンでないと知られていないような曲も入っているが、これらはいずれもインドと何らかのつながりのある楽曲たちである。
そして、いつもクソ長いブログを書いている身としては申し訳ないのだけど、インドとロック好きにとっては、語らずにはいられない要素が満載だ。
というわけで、蛇足とは思いながらも、"Songs Inspired by the Beatles and India"から何曲かをピックアップしてレビューさせていただきます!
1. "Tomorrow Never Knows" Kiss Nuka
オリジナルは1966年発表の"Revolver"の最後に収録されている、ジョン・レノンによる曲。
ジョンの「数千人ものチベットの僧侶が経典と唱えているような感じにしたい」という意図のもと、ワンコードで同じメロディーを繰り返したこの曲は、結果的にサイケデリックなクラブ・ミュージック的なサウンドをあまりにも早く完成させた楽曲となった。
その"Tommorow Never Knows"を、インドのアーティストが、コード進行のあるエレクトロニック・ポップとしてカバーしているということに、何よりも面白さを感じる。
このような、インド人アーティストによるビートルズの楽曲の「脱インド化」はこのアルバムの聴きどころの一つだ。
この曲をカバーしているKiss Nukaはデリー出身のエレクトロニックポップアーティスト。
映画音楽のプレイバック・シンガーとしてデビューしたのち、アイドル的な雰囲気のヴォーカルヴループ'Viva!'の一員としての活動を経て、ソロの電子音楽ミュージシャンとなった彼女の経歴は、現代インドの音楽シーンの変遷を体現していると言ってもよいだろう。
ビートルズがこの曲を発表した30年後の90年代には、イギリスのテクノユニットのケミカル・ブラザーズが"Setting Sun"や"Let Forever Be"といった曲でオマージュを捧げたが、そのさらに30年後の2020年代にインドのアーティストがこういうカバーを発表したということがこのバージョンの肝であって、アレンジがあざといとかサウンドがちょっと古臭いとかいうことは重要ではない。
優れたポップミュージックは輪廻する。
2. "Mother Nature's Son" Karsh Kale, Benny Dayal
このアルバムの序盤最大の目玉といっても過言ではないのがこの曲。
原曲は"The Beatles"(ホワイトアルバム)に収録されたポール・マッカートニーによるマハリシ・マヘシュ・ヨギの影響を受けた曲。
カバーしているのはイギリス出身のインド系電子音楽アーティスト兼タブラ奏者で、クラブミュージックから映画音楽まで幅広く活躍しているKarsh Kaleと、インド古典音楽とR&Bという両方のルーツを持つBenny Dayal.
ビートルズのカバーをするならこれ以上ない組み合わせのこの二人は、これまでもKarshのソロアルバムなどで共演している。
インド的な要素とビートルズ的な要素が徐々に融合してゆく様が美しい。
このアルバムの聴きどころは、「脱インド化」だけではなく、こうした本場のアーティストならではの「インド化」でもあるということは言うまでもない。
4. "Across the Universe" Tejas, Maalavika Manoj
1969年に発売されたアルバム"Let It Be"に収録されている楽曲だが、はジョン・レノンによって67年には書かれていたという。
カバーしているのはムンバイを拠点に活動しているシンガーソングライターTejasとMali(この曲では本名のMaalavika Manoj名義でクレジット)。
インドの思想に傾倒していたジョンによる'Jai Guru Deve Om'という導師(または神)を讃えるサビのフレーズゆえに、このアルバムの収録曲に選ばれたのだろう。
ふだんは洋楽ポップス的な楽曲を発表しているTejasとMaliが、ここではニューエイジ的な音使いが目立つ、いかにもスピリチュアルなアレンジを披露している。
欧米や日本のアーティストがやったらこっぱずかしくなるようなアレンジだが、インド人である彼らがやるとなんだかありがたいような気もする。
これを、インド人が欧米目線のエキゾチシズムに取り込まれたと見るか、インド人である彼らがステレオタイプをしたたかに利用していると見るか。
6. "I will" Shibani Dandekar, Neil Mukherjee
ホワイトアルバム収録のポール・マッカートニーによる佳曲。
インドと関係なさそうなのになぜ選ばれたのかと思ったら、これもリシケーシュ滞在時に書かれた曲だそうだ。
プネー出身のシンガーShibani Dandekar(現在はオーストラリア国籍)とコルカタ出身のギタリストNeil Mukherjeeによるカバーで、バーンスリー(竹笛)とタブラが印象的。
これもいかにもインド的なアレンジだが、センス良く聴こえるのはアコースティックなサウンドと原曲の良さゆえか。
おいしいチャイを出す日あたりの良いカフェでかかっていたら素敵だと思う。
8. "Child of Nature" Anupam Roy
これは知らない曲だと思ったら、ジョン・レノンの名作"Imagine"(1971年)収録の名曲"Jelous Guy"の初期バージョンだそうで、これもやはりリシケーシュ滞在中に書かれた曲とのこと。
のちにオノ・ヨーコへの思いをつづった歌詞に改作されるが、当初の歌詞は、ポールの"Mother Nature's Son"と同様に、マハリシ・マヘシュ・ヨギの説法にインスパイアされて書かれたものだろう。
ビートルズのインド趣味は、ビートルズファンに必ずしも好意的に捉えられているわけではないが、こうした一見インドには無関係な楽曲の制作にも影響を与えていると考えると、やはりマハリシの存在は大きかったのだろうなと感じる。
カバーしているのは、映画音楽でも活躍しているコルカタ出身のシンガーソングライターAnupam Roy.
タブラとバーンスリーを使ったアレンジは、やや安易だが、原曲の良さが映えている。
9. "The Inner Light" Anoushka Shankar, Karsh Kale
原曲はビートルズのメンバーでもっともインドに傾倒していたジョージ・ハリスンによる曲で、インドの楽器のみで演奏されており、歌詞は老子の言葉からとられているという、東洋趣味丸出しの楽曲。
それでもジョンもポールもこの曲の美しさを絶賛しており、ビートルズによる「インド音楽」の最高峰と言っても良いだろう。
ジョージのシタールの師匠でもあるラヴィ・シャンカルの娘アヌーシュカとKarsh Kaleによるカバーは、「こういうことがやりたかったんだろ?まかしときな」という声が聴こえてきそうなアレンジだ。
11. "Back in the USSR" Karsh Kale, Farhan Akhtar
ホワイト・アルバム収録の原曲は、ポールによるビーチボーイズに対するオマージュというかパロディ。
どうしてこのアルバムに選曲されたのだろうと思ったら、どうやらこの曲もリシケーシュ滞在中に書かれたものだったからだそうだ。
当時のリシケーシュにはビートルズのメンバーのみならず、ビーチボーイズのマイク・ラヴも滞在しており、この曲の歌詞には彼の意見も取り入れられているという。
Karshによるドラムンベース的なアレンジは、'00年代のエイジアン・マッシヴ全盛期風で少々古臭くも感じるが、ここはイギリス人がインドでアメリカのバンドにオマージュを捧げて書いたソビエト連邦に関する曲を、タブラ奏者でエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーでもあるKarsh Kaleとボリウッド一家に生まれたFarhan Akhtar(『ガリーボーイ』の監督ゾーヤー・アクタルの弟)がクラブミュージック風にアレンジしているということの妙を味わうべきだろう。
90年代、インドの旅から帰ってきた私は、彼らのサウンドに以前ほど夢中になれなくなってしまい、今でいうところの「文化の盗用」のようなもやもやした感覚を抱いていた。
時は流れて2021年。
いつもこのブログで紹介しているように、インドの音楽シーンもずいぶん進化・変貌した。
経済成長とインターネットの発展により、ヒップホップやEDMやロックといった欧米の音楽の受容が進み、今ではインド国内にもこうしたジャンルの優れたアーティストがたくさんいる。
そのなかには、きわめて優れたポピュラーミュージックを作っている人もいるし、西洋の音楽にインドの伝統的な要素を取り入れた独自の「フュージョン」を作り上げている人もいる。
つまり、20世紀にはインドから欧米への一方通行だった音楽的影響は、今では完全に双方向的なものとなっているのだ。
ビートルズのインド滞在に焦点をあてたドキュメンタリー映画"The Beatles and India"の公開にともなってリリースされた、インドのミュージシャンたちによるトリビュートアルバム"Songs Inspired by the Film the Beatles and India"は、いわばインドからビートルズへの、そして、インド音楽の要素をポピュラーミュージックのスパイスとして使ってきた西洋音楽リスナーへの、53年越しの回答なのである。
これが非常に面白く、そして素晴らしかった。
収録曲は以下の通り。
1. "Tomorrow Never Knows" Kiss Nuka
2. "Mother Nature's Son" Karsh Kale, Benny Dayal
3. "Gimme Some Truth" Soulmate
4. "Across the Universe" Tejas, Maalavika Manoj
5. "Everybody's Got Something to Hide (Except Me and My Monkey)" Rohan Rajadhyaksha, Warren Mendonsa
6. "I will" Shibani Dandekar, Neil Mukherjee
7. "Julia" Dhruv Ghanekar
8. "Child of Nature" Anupam Roy
9. "The Inner Light" Anoushka Shankar, Karsh Kale
10. "The Continuing Story of Bungalow Bill" Raaga Trippin
11. "Back in the USSR" Karsh Kale, Farhan Akhtar
12. "I'm so Tired" Lisa Mishra, Warren Mendonsa
13. "Sexy Sadie" Siddharth Basrur, Neil Mukherjee
14. "Martha My Dear" Nikhil D'Souza
15. "Norwegian Wood (This Bird Has Flown)" Parekh & Singh
16. "Revolution" Vishal Dadlani, Warren Mendonsa
17. "Love You To" Dhruv Ghanekar
18. "Dear Prudence" Karsh Kale, Monica Dogra
19. "India, India" Nikhil D'souza
ビートルズの曲(一部ジョンのソロ作品)としては、ややシブめの選曲で、なかにはよほどのファンでないと知られていないような曲も入っているが、これらはいずれもインドと何らかのつながりのある楽曲たちである。
そして、いつもクソ長いブログを書いている身としては申し訳ないのだけど、インドとロック好きにとっては、語らずにはいられない要素が満載だ。
というわけで、蛇足とは思いながらも、"Songs Inspired by the Beatles and India"から何曲かをピックアップしてレビューさせていただきます!
1. "Tomorrow Never Knows" Kiss Nuka
オリジナルは1966年発表の"Revolver"の最後に収録されている、ジョン・レノンによる曲。
ジョンの「数千人ものチベットの僧侶が経典と唱えているような感じにしたい」という意図のもと、ワンコードで同じメロディーを繰り返したこの曲は、結果的にサイケデリックなクラブ・ミュージック的なサウンドをあまりにも早く完成させた楽曲となった。
その"Tommorow Never Knows"を、インドのアーティストが、コード進行のあるエレクトロニック・ポップとしてカバーしているということに、何よりも面白さを感じる。
このような、インド人アーティストによるビートルズの楽曲の「脱インド化」はこのアルバムの聴きどころの一つだ。
この曲をカバーしているKiss Nukaはデリー出身のエレクトロニックポップアーティスト。
映画音楽のプレイバック・シンガーとしてデビューしたのち、アイドル的な雰囲気のヴォーカルヴループ'Viva!'の一員としての活動を経て、ソロの電子音楽ミュージシャンとなった彼女の経歴は、現代インドの音楽シーンの変遷を体現していると言ってもよいだろう。
ビートルズがこの曲を発表した30年後の90年代には、イギリスのテクノユニットのケミカル・ブラザーズが"Setting Sun"や"Let Forever Be"といった曲でオマージュを捧げたが、そのさらに30年後の2020年代にインドのアーティストがこういうカバーを発表したということがこのバージョンの肝であって、アレンジがあざといとかサウンドがちょっと古臭いとかいうことは重要ではない。
優れたポップミュージックは輪廻する。
2. "Mother Nature's Son" Karsh Kale, Benny Dayal
このアルバムの序盤最大の目玉といっても過言ではないのがこの曲。
原曲は"The Beatles"(ホワイトアルバム)に収録されたポール・マッカートニーによるマハリシ・マヘシュ・ヨギの影響を受けた曲。
カバーしているのはイギリス出身のインド系電子音楽アーティスト兼タブラ奏者で、クラブミュージックから映画音楽まで幅広く活躍しているKarsh Kaleと、インド古典音楽とR&Bという両方のルーツを持つBenny Dayal.
ビートルズのカバーをするならこれ以上ない組み合わせのこの二人は、これまでもKarshのソロアルバムなどで共演している。
インド的な要素とビートルズ的な要素が徐々に融合してゆく様が美しい。
このアルバムの聴きどころは、「脱インド化」だけではなく、こうした本場のアーティストならではの「インド化」でもあるということは言うまでもない。
4. "Across the Universe" Tejas, Maalavika Manoj
1969年に発売されたアルバム"Let It Be"に収録されている楽曲だが、はジョン・レノンによって67年には書かれていたという。
カバーしているのはムンバイを拠点に活動しているシンガーソングライターTejasとMali(この曲では本名のMaalavika Manoj名義でクレジット)。
インドの思想に傾倒していたジョンによる'Jai Guru Deve Om'という導師(または神)を讃えるサビのフレーズゆえに、このアルバムの収録曲に選ばれたのだろう。
ふだんは洋楽ポップス的な楽曲を発表しているTejasとMaliが、ここではニューエイジ的な音使いが目立つ、いかにもスピリチュアルなアレンジを披露している。
欧米や日本のアーティストがやったらこっぱずかしくなるようなアレンジだが、インド人である彼らがやるとなんだかありがたいような気もする。
これを、インド人が欧米目線のエキゾチシズムに取り込まれたと見るか、インド人である彼らがステレオタイプをしたたかに利用していると見るか。
6. "I will" Shibani Dandekar, Neil Mukherjee
ホワイトアルバム収録のポール・マッカートニーによる佳曲。
インドと関係なさそうなのになぜ選ばれたのかと思ったら、これもリシケーシュ滞在時に書かれた曲だそうだ。
プネー出身のシンガーShibani Dandekar(現在はオーストラリア国籍)とコルカタ出身のギタリストNeil Mukherjeeによるカバーで、バーンスリー(竹笛)とタブラが印象的。
これもいかにもインド的なアレンジだが、センス良く聴こえるのはアコースティックなサウンドと原曲の良さゆえか。
おいしいチャイを出す日あたりの良いカフェでかかっていたら素敵だと思う。
8. "Child of Nature" Anupam Roy
これは知らない曲だと思ったら、ジョン・レノンの名作"Imagine"(1971年)収録の名曲"Jelous Guy"の初期バージョンだそうで、これもやはりリシケーシュ滞在中に書かれた曲とのこと。
のちにオノ・ヨーコへの思いをつづった歌詞に改作されるが、当初の歌詞は、ポールの"Mother Nature's Son"と同様に、マハリシ・マヘシュ・ヨギの説法にインスパイアされて書かれたものだろう。
ビートルズのインド趣味は、ビートルズファンに必ずしも好意的に捉えられているわけではないが、こうした一見インドには無関係な楽曲の制作にも影響を与えていると考えると、やはりマハリシの存在は大きかったのだろうなと感じる。
カバーしているのは、映画音楽でも活躍しているコルカタ出身のシンガーソングライターAnupam Roy.
タブラとバーンスリーを使ったアレンジは、やや安易だが、原曲の良さが映えている。
9. "The Inner Light" Anoushka Shankar, Karsh Kale
原曲はビートルズのメンバーでもっともインドに傾倒していたジョージ・ハリスンによる曲で、インドの楽器のみで演奏されており、歌詞は老子の言葉からとられているという、東洋趣味丸出しの楽曲。
それでもジョンもポールもこの曲の美しさを絶賛しており、ビートルズによる「インド音楽」の最高峰と言っても良いだろう。
ジョージのシタールの師匠でもあるラヴィ・シャンカルの娘アヌーシュカとKarsh Kaleによるカバーは、「こういうことがやりたかったんだろ?まかしときな」という声が聴こえてきそうなアレンジだ。
11. "Back in the USSR" Karsh Kale, Farhan Akhtar
ホワイト・アルバム収録の原曲は、ポールによるビーチボーイズに対するオマージュというかパロディ。
どうしてこのアルバムに選曲されたのだろうと思ったら、どうやらこの曲もリシケーシュ滞在中に書かれたものだったからだそうだ。
当時のリシケーシュにはビートルズのメンバーのみならず、ビーチボーイズのマイク・ラヴも滞在しており、この曲の歌詞には彼の意見も取り入れられているという。
Karshによるドラムンベース的なアレンジは、'00年代のエイジアン・マッシヴ全盛期風で少々古臭くも感じるが、ここはイギリス人がインドでアメリカのバンドにオマージュを捧げて書いたソビエト連邦に関する曲を、タブラ奏者でエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーでもあるKarsh Kaleとボリウッド一家に生まれたFarhan Akhtar(『ガリーボーイ』の監督ゾーヤー・アクタルの弟)がクラブミュージック風にアレンジしているということの妙を味わうべきだろう。
15. "Norwegian Wood (This Bird Has Flown)" Parekh & Singh
1965年のアルバム『ラバーソウル』収録のシタールの響きが印象的な曲(主にジョンが書いたとされている)を、コルカタ出身で世界的な評価の高いドリームポップデュオ、Parekh &Singhがカバー。
シタールが使われていてたメロディーをギターに置き換えて「脱インド化」し、いつもの彼ららしい上品なポップスに仕上げている。
前述の通り、このアルバムの面白いところは、典型的なビートルズ・ソングをインド的なアレンジでカバーするだけではなく、インドっぽい曲をあえて非インド的なアレンジにしている楽曲も収録されているところ。
都市部で現代的な暮らしをしているインド人ミュージシャンたちにとっては、むしろこうした欧米的なポップスやダンスミュージックのほうが親しみのある音像なのだろう。
17. "Love You To" Dhruv Ghanekar
ジョージ・ハリスンがビートルズにはじめてインド伝統音楽の全面的な影響を持ち込んだ曲で、原曲は1966年のアルバム『リボルバー』に収録されている。
オリジナルではシタールやタブラといった楽器のみで演奏されていたこの曲を、ムンバイのギタリストDhruv Ghanekarは、ある程度のインドの要素を残しつつ、ギターやベースやドラムが入ったアレンジで「脱インド化」。
結果的にちょっとツェッペリンっぽく聴こえるのも面白い。
19. "India, India" Nikhil D'souza
これも知らない曲だったが、どうやら晩年(1980年)にジョンが書いた未発表曲で、2010年になってデモ音源がようやくリリースされた曲らしい。
よく知られているように、ジョンはリシケーシュ滞在中にマハリシ・マヘシュ・ヨギの俗物的なふるまいに嫌気がさして訣別し、その後"Sexy Sadie"(このアルバムでもカバーされている)で痛烈に批判している。
ソロ転向後の"God"でも「マントラ(神への賛歌)もギーター(聖典)もヨガも信じない」と、インドの影響を明確に否定しており、私は70年代以降のジョンは、すっかりインド的なものには興味がなくなったものと思っていた。
だが、この曲を聴けば、ジョンが、その後もインドという国に、若干ナイーヴな愛情を持ち続けていたことが分かる。
ラフなデモ音源しか残されていなかったこの曲を、ムンバイのシンガーソングライターNikhil D'Souzaが完成品に仕上げた。
ジョンらしいメロディーが生きた、素敵なアレンジで、インド好きのビートルズファンとしてはうれしくなってしまう。
他にも聴きどころは満載だが、(例えば、ジョン・レノンのソロ作品をパーカッシブなマントラ風に解釈したSoulmateによる"Gimme Some Truth"も、「ジョンってこういうアレンジの曲も書くよね!」と膝を打ちたなる)いつまで経っても終わらなくなってしまうのでこのへんにしておく。
インドのミュージシャンによる欧米ロックのカバーは、70年代にもシタール奏者のAnanda Shankarによるものなどがあったが、いかにもキッチュなエキゾチシズムを売りにしたものだった。
ロックをきちんと理解したアーティストによるロックの名曲をインド的に解釈したカバー・バージョンは、実は私がずっと聴きたかったものでもあった。
(その話はこの記事に詳しく書いてあります)
ビートルズへの53年越しの回答であると同時に、私の23年越しの願望にも答えてくれたこのアルバムを愛聴する日々が、しばらく続きそうだ。
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goshimasayama18 at 22:55|Permalink│Comments(2)
2019年11月04日
帰ってきたガリーボーイ歌詞翻訳!"Train Song" by麻田豊、餡子、Natsume
『ガリーボーイ』リリック翻訳シリーズの番外編、いわばアンコールも(たぶん)今回でラスト!
麻田先生、餡子さん、Natsumeさん、本当にお疲れ様でした!
打ち上げどこかでやりましょう(業務連絡)。
最後に紹介するのは、"Train Song".
今回もラップではなく、『ガリーボーイ』のサウンドトラックのなかでは珍しい普通に歌われている曲なのだけど、この曲が素晴らしい名曲!
私も大いに気に入っています。
歌は英語とヒンディー語のパートに分かれていて、英語部分を歌っているのはタブラプレイヤー/エレクトロニカ・アーティストとしても知られるインド系イギリス人のKarsh Kale、ヒンディー語部分は南インド出身で、さまざまな言語の映画音楽の歌手としても知られるRaghu Dixit.
英語部分の作詞はKarsh Kaleを中心にしたメンバーで行われているようで、ヒンディー語部分の作詞は、前回紹介した"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)でも作詞を手がけたジャーヴェード・アフタル。
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凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
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麻田先生、餡子さん、Natsumeさん、本当にお疲れ様でした!
打ち上げどこかでやりましょう(業務連絡)。
最後に紹介するのは、"Train Song".
今回もラップではなく、『ガリーボーイ』のサウンドトラックのなかでは珍しい普通に歌われている曲なのだけど、この曲が素晴らしい名曲!
私も大いに気に入っています。
歌は英語とヒンディー語のパートに分かれていて、英語部分を歌っているのはタブラプレイヤー/エレクトロニカ・アーティストとしても知られるインド系イギリス人のKarsh Kale、ヒンディー語部分は南インド出身で、さまざまな言語の映画音楽の歌手としても知られるRaghu Dixit.
英語部分の作詞はKarsh Kaleを中心にしたメンバーで行われているようで、ヒンディー語部分の作詞は、前回紹介した"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)でも作詞を手がけたジャーヴェード・アフタル。
ゾーヤー・アフタル監督の父親であり、ボリウッドの脚本家/作詞家、ウルドゥー詩人として伝説的な人物である彼が、ここでも活躍している。
作曲はデリーを中心に活動を続けるエレクトロニカ・デュオのMidival PunditzとKarsh Kaleの共作。
Midival PunditzとKarshはいずれも2000年前後から活動するベテランで、いわばインド系クラブミュージックのパイオニアだ。
ヒップホップにこだわった映画のなかで、ここだけジャンルも国籍も超えた(そして、しっかりアフタル・ファミリーの大御所ジャーヴェードも入った)大物のコラボレーションを持って来るあたり、非常に面白いバランス感覚だと言える。
餡子さんのコメント:
格差社会への憤りや、自分自身を誇る血圧高めのラップが多い『ガリーボーイ』のサウンドトラックのなかで、この曲の開放感は独特の輝きを放っている。
この曲に絡めて『ガリーボーイ』のもう一つのテーマを紹介するとすれば、それは「調和と融合」ということになるかもしれない。
この「調和と融合」は、ヒップホップに代表される、実際のインドのインディーミュージックシーンを理解する上でも重要なキーワードだ。
スラム出身の青年のリリックと、富裕層出身でアメリカの名門大学で音楽を学んだビートメーカーのトラックの融合。
アメリカから来たラップと、インドの伝統的なリズムやポエトリーの融合。
Midival PunditzとKarshはいずれも2000年前後から活動するベテランで、いわばインド系クラブミュージックのパイオニアだ。
ヒップホップにこだわった映画のなかで、ここだけジャンルも国籍も超えた(そして、しっかりアフタル・ファミリーの大御所ジャーヴェードも入った)大物のコラボレーションを持って来るあたり、非常に面白いバランス感覚だと言える。
餡子さんのコメント:
ヒンディー語パートと英語パートに分かれている歌で、ヒンディー語パートはムラドのこれまでの話と、今回の成功を讃える内容になっています。
英語の部分は歌だけ聞くとハテナ?ですが、エンディングの場面で駅でサフィーナと会うときに流れるのでその情景を表してるのだと思います。Natsumeさんの考察で「心臓」は体の左側にあるから「左側の出口」というのは心臓とリンクしているのでは、という解釈をしました。今回の歌詞の翻訳のためカラーチー在住の麻田先生の知人の方にもご協力いただきました!
格差社会への憤りや、自分自身を誇る血圧高めのラップが多い『ガリーボーイ』のサウンドトラックのなかで、この曲の開放感は独特の輝きを放っている。
詩的なメタファーに満ちた歌詞も印象的で、ヒンディー語部分はじつにヒンディー語的な、英語部分は非常に英語的な歌い回しになっており、それがごく自然に融合しているのも面白い。
英語、ヒンディー語それぞれのフォークっぽいメロディーラインに続いて、スケールの大きいコーラスに続く展開は、何度聴いても心地よい爽快感がある。
この"Train Song"は、短い曲ながら、大御所ウルドゥー詩人、在外インド系ミュージシャン、国内クラブミュージックのパイオニア、映画音楽界の人気シンガーという様々な才能が有機的に絡み合いながらそれぞれの良さを活かしあっている、まさに現代のインドの音楽シーンを象徴する名曲と言ってよいだろう。
"Train Song"にはヒップホップ的な要素は皆無だが、この曲の背景には、ヒップホップに憧れるスラムの青年がラッパーになって留学帰りのプロデューサーと出会い、自分の言葉(ヒンディー/ウルドゥー語)でNasのオープニング・アクトを目指すというこの映画のストーリーと地続きの、グローバル化しながらも独自性を失わず、むしろその輝きを増してゆく現代インドの音楽シーンの面白さが詰まっているのだ。
この曲に絡めて『ガリーボーイ』のもう一つのテーマを紹介するとすれば、それは「調和と融合」ということになるかもしれない。
この「調和と融合」は、ヒップホップに代表される、実際のインドのインディーミュージックシーンを理解する上でも重要なキーワードだ。
スラム出身の青年のリリックと、富裕層出身でアメリカの名門大学で音楽を学んだビートメーカーのトラックの融合。
アメリカから来たラップと、インドの伝統的なリズムやポエトリーの融合。
ムスリムのラッパーとヒンドゥーのラッパー(MCシェールのモデルとなったDivineはクリスチャンだが)のコラボレーション。
映画のなかで起きるこういった出来事は、全て実際の音楽シーンでも実現していることだ。
そもそも、宗教の垣根を越えた詩人や音楽家の庇護や共演は、インドでは何百年も前の王朝時代からあたり前のように行われていた。
現実世界ではコミュニティの分断と対立のニュースばかりが報じられるなか、インドの音楽シーンのこうした美徳は、ますますその価値を増しているようにも思える。
『ガリーボーイ』で提示されたような、さまざまな魅力に満ちた実際のインドの音楽シーンについて、これからもこのブログで積極的に紹介してゆきたいと思います!
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goshimasayama18 at 12:13|Permalink│Comments(0)
2019年10月23日
『ガリーボーイ』ラップ翻訳"Kab Se Kab Tak"(いつからいつまで)by麻田豊、餡子、Natsume
大好評の『ガリーボーイ』ラップのリリック翻訳シリーズ、今回は主人公ムラードの不安な恋心を綴った曲、"Kab Se Kab Tak"を紹介。
厳しいスラムの環境や、社会の格差をラップした曲が多いこの映画の中では異色のラブソングだ。
この曲でラップを聴かせているのは(劇中でムラードがラップしているという設定なので)例によって主演のランヴィール。
女性ヴォーカルはカシミール出身のシンガーソングライター/プレイバックシンガーのVibha Saraf.
リリックは映画にカメオ出演もしているラッパーのKaam Bhari、楽曲はインド系イギリス人のタブラ奏者で、映画音楽も多数手がけているKarsh Kaleが担当した。
作詞と作曲の両方に、この映画の音楽スーパーバイザーを務めたシンガーソングライターのAnkur Tewariの名前がクレジットされている。
アコースティックでメロウな曲調だが、R&Bっぽく仕上げずに、最近のボリウッドでよくあるバラード風にまとめたのは、一般的なインド人の音楽の嗜好を考慮してのことだろう。
ヒップホップと大衆性を両立させた見事なバランス感覚だ。
(今回は、若干ネタバレ的なことを書くので、未見でネタバレが嫌な方は、リリックまで読んだらお引き返しを)
餡子さんからのコメント:
この歌は映画本編で最後まで流して欲しかったです。そうすればもっとムラードのサフィーナに対する想いがわかったのに。前半の彼女、君はスカイ、後半の君はサフィーナを指していると解釈しています。
kab seは彼女とか君とか俺とかたくさん代名詞が出てきて、誰を指しているのか?
サフィーナだけじゃないような、と考えてました。
劇中では途中までのレコーディングしか描かれませんでしたが、この曲を最後まで歌い切ったとき、スカイは「ムラドはサフィーナなしに生きられないんだな」と思ったでしょうね、その様子をちょっと見てみたかったです。
餡子さんの解釈になるほどと唸りました。
ムラードは、彼に想いを寄せるスカイの気持ちを、なかなかうまく受け止めることができない。
理由の一つは、長くつきあってきたサフィーナへの愛情。
もう一つの理由は、豪邸に暮らし、アメリカに音楽留学できるほどに裕福なスカイが、なぜ貧しい彼に愛情を示すのか、全く分からないからだ。
ムラードやシェールにとっては、お金にならない音楽を学ぶために留学することも、音楽だけを教える大学が存在するということも、想像もつかないことだった。
古い価値観に縛られないスカイは、生まれや階級に関係なく、ムラードの才能に魅力を感じて彼に惹かれた。
だが、ムラードは、自分のことを完全に使用人(運転手)としてしか見なさない勤務先の裕福な一家と同じ階層にいるはずのスカイが、彼に恋愛感情を持つということが理解できない。
高級ホテルのようなスカイの家(ムラードは高級ホテルがどんな場所かも知らないかもしれないが)の洗面所で、ムラードがきれいに畳まれた真っ白なタオルに戸惑うシーンが印象的だ。
乗り越えるべき壁は、世間だけではなく、自分の中にもあるのだ。
ムラードが手に入れる自由は、貧困や偏見や束縛からの自由だけではなく、これまでの自分自身からの自由でもある。
恋に揺れるムラードは、結局は「自分がいちばん自分自身でいられる」相手を選ぶ。
この選択は、「自分が自分自身であることを誇る」ヒップホップの思想と、どこかつながっているはずだ。
物語の後半に向けて、ストーリーは加速してゆく。
次のリリック紹介は"Azadi".
お楽しみに!
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凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
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恋に揺れるムラードは、結局は「自分がいちばん自分自身でいられる」相手を選ぶ。
この選択は、「自分が自分自身であることを誇る」ヒップホップの思想と、どこかつながっているはずだ。
物語の後半に向けて、ストーリーは加速してゆく。
次のリリック紹介は"Azadi".
お楽しみに!
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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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goshimasayama18 at 22:40|Permalink│Comments(0)
2019年08月13日
ここ最近の面白い新曲を紹介!Karsh Kale feat. Komorebi, Aswekeepsearching, Swarthy Korwar feat. MC Mawaliほか
ここ最近、以前紹介したアーティストを中心に面白いリリースが相次いでいるので、今回はまとめて紹介してみます。
以前「インドのインディーズシーンの歴史的名曲レビュー」でも取り上げたタブラプレイヤー兼フュージョン・エレクトロニックの大御所Karsh Kaleは、日本のカルチャーの影響を受けた女性エレクトロニカアーティストKomorebiをフィーチャーした新曲をリリース。
Karsh Kale feat. Komorebi "Disappear"
両方のアーティストの良さが活きた素晴らしい出来栄えの楽曲。
Komorebiはここ1〜2年でどんどん評価を上げており、ついにフュージョン音楽(ここで言うフュージョンはインド伝統音楽と現代音楽の融合のこと)のパイオニアの一人で、メインストリームの映画音楽でも活躍するKarsh Kaleに抜擢されるまでになった。
映像から音作りまで、非常にアーティスティックな彼女が今後どのような受け入れられ方をするのか、注目して見守りたい。
バンガロールを拠点に活躍するポストロックのAswekeepsearchingは、よりロック色の強い新曲"Rooh"(ウルドゥー語で「精神」という意味の単語か)をリリース。
今作では、ひとつ前のアルバム"Zia"で見られたエレクトロニックの要素は見られず、よりロック的な音作りの楽曲となっているが、演奏はともかくヴォーカルがLUNA SEAの河村隆一っぽく聴こえるところが好みが分かれそうだ。
彼らは新曲と同名のニューアルバムを準備中とのこと。
インドのポストロックシーンの代表格である彼らが、どんな新しいサウンドを届けてくれるのだろうか。
アメリカ出身のインド系女性シンガーMonica Dograは、フュージョンヒップホップ的な楽曲"Jungli Warrior"をリリース。
Divineらのガリー・ラップ以降、なんの変哲も無いインドの日常風景やそこらへんのオヤジをかっこよく撮るのが流行っているようだが、このビデオでもボート漕ぎのおっさんが非常にクールな質感で映されている。
オシャレで絵になるもののみを映すのではなく、日常を「リアルでかつクールなもの」として再定義するこの傾向は、かっこいいし面白いし個人的にも大好きだ。
タイトルはの"Jungli Warrior"は「ワイルドな戦士」といった意味。
余談だが英語でも日本語でも通じる"Jungle"はインド由来の言葉である。
在英インド系タブラ奏者/ジャズ・パーカッショニストのSarathy Korwarは、ムンバイのアンダーグラウンドヒップホップクルーSwadesiのMC Mawaliをフィーチャーした"Mumbay"をリリース。
ひたすらムンバイの街と人々を映した映像は、まさに日常をクール化する作風の具体例と言っていいだろう。
ムンバイの映像に合わせて、もろジャズなトラックに、ラップと呼ぶにはインド的過ぎるMawaliの語りが乗ると、まるでニューヨークあたりのように、不穏かつスタイリッシュに映るのが不思議だ。
冒頭に映画『ガリーボーイ』で有名になったフレーズ'Apna Time Aayega'がプリントされたTシャツや、ダラヴィのラッパーたちが少しだが映っている。
音楽的には変拍子が入ったノリにくいリズムが、不思議な緊張感を醸し出していて、大都会ムンバイの雰囲気が伝わってくるかのような楽曲に仕上がっている。
Sarathy Korwarは、2016年に名門Ninja Tuneから、デビュー・アルバム"Day to Day"をリリースしたアーティスト。
ジャズにインドに暮らすアフリカ系少数民族Siddi族の音楽を取り入れた音楽性がジャイルス・ピーターソンやフォー・テットにも高い評価を受け、その後はカマシ・ワシントンらのオープニング・アクトを務めるなどヨーロッパを中心に活躍している。
"Mumbay"は彼のセカンド・アルバム"More Arriving"からの楽曲。
Sarathyは「これまでにイギリスで考えられてきた典型的なインドのサウンドではなくて、本国とディアスポラ双方の2019年の新しい音楽のショーケースを見せたかったんだ」と述べている。
アルバムの他の楽曲にはデリーの大注目ラッパーPrabh Deepや闘争のレゲエ・アーティストDelhi Sultanateも参加している。
新しい世代の在外インド人系フュージョン・アーティストとして要注目だ。
この"Mumbay"という楽曲は、「ムンバイ(ボンベイ)という都市へのラブレターのようなもの」で、この街の二重性や相反する物語を表すもの」だそう。
(https://www.vice.com/en_in/article/xwndb7/stream-sarathy-korwars-new-single-mumbay-ft-mc-mawali-of-swadesi)
以前紹介したDIVINEの"Yeh Mera Bombay"とも似たテーマを扱っているようにも思える。
ちなみにムンバイの老舗ヒップホップクルー、Mumbai's Finestによると「ムンバイは名前で、ボンベイは感情だ。同じように聴こえるかもしれないけど、ボンベイには意味があるんだ(欠点もね)」(Mumbai is the name and Bombay is a feeling, It may sound the same, but Bombay is the meaning (demeaning)!)とのこと。
この街の文化的な豊かさやいびつさが、今後ますます素晴らしい作品を生むことになりそうだ。
今回紹介したアーティストを過去に取り上げた記事はこちらから。
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以前「インドのインディーズシーンの歴史的名曲レビュー」でも取り上げたタブラプレイヤー兼フュージョン・エレクトロニックの大御所Karsh Kaleは、日本のカルチャーの影響を受けた女性エレクトロニカアーティストKomorebiをフィーチャーした新曲をリリース。
Karsh Kale feat. Komorebi "Disappear"
両方のアーティストの良さが活きた素晴らしい出来栄えの楽曲。
Komorebiはここ1〜2年でどんどん評価を上げており、ついにフュージョン音楽(ここで言うフュージョンはインド伝統音楽と現代音楽の融合のこと)のパイオニアの一人で、メインストリームの映画音楽でも活躍するKarsh Kaleに抜擢されるまでになった。
映像から音作りまで、非常にアーティスティックな彼女が今後どのような受け入れられ方をするのか、注目して見守りたい。
バンガロールを拠点に活躍するポストロックのAswekeepsearchingは、よりロック色の強い新曲"Rooh"(ウルドゥー語で「精神」という意味の単語か)をリリース。
今作では、ひとつ前のアルバム"Zia"で見られたエレクトロニックの要素は見られず、よりロック的な音作りの楽曲となっているが、演奏はともかくヴォーカルがLUNA SEAの河村隆一っぽく聴こえるところが好みが分かれそうだ。
彼らは新曲と同名のニューアルバムを準備中とのこと。
インドのポストロックシーンの代表格である彼らが、どんな新しいサウンドを届けてくれるのだろうか。
アメリカ出身のインド系女性シンガーMonica Dograは、フュージョンヒップホップ的な楽曲"Jungli Warrior"をリリース。
Divineらのガリー・ラップ以降、なんの変哲も無いインドの日常風景やそこらへんのオヤジをかっこよく撮るのが流行っているようだが、このビデオでもボート漕ぎのおっさんが非常にクールな質感で映されている。
オシャレで絵になるもののみを映すのではなく、日常を「リアルでかつクールなもの」として再定義するこの傾向は、かっこいいし面白いし個人的にも大好きだ。
タイトルはの"Jungli Warrior"は「ワイルドな戦士」といった意味。
余談だが英語でも日本語でも通じる"Jungle"はインド由来の言葉である。
在英インド系タブラ奏者/ジャズ・パーカッショニストのSarathy Korwarは、ムンバイのアンダーグラウンドヒップホップクルーSwadesiのMC Mawaliをフィーチャーした"Mumbay"をリリース。
ひたすらムンバイの街と人々を映した映像は、まさに日常をクール化する作風の具体例と言っていいだろう。
ムンバイの映像に合わせて、もろジャズなトラックに、ラップと呼ぶにはインド的過ぎるMawaliの語りが乗ると、まるでニューヨークあたりのように、不穏かつスタイリッシュに映るのが不思議だ。
冒頭に映画『ガリーボーイ』で有名になったフレーズ'Apna Time Aayega'がプリントされたTシャツや、ダラヴィのラッパーたちが少しだが映っている。
音楽的には変拍子が入ったノリにくいリズムが、不思議な緊張感を醸し出していて、大都会ムンバイの雰囲気が伝わってくるかのような楽曲に仕上がっている。
Sarathy Korwarは、2016年に名門Ninja Tuneから、デビュー・アルバム"Day to Day"をリリースしたアーティスト。
ジャズにインドに暮らすアフリカ系少数民族Siddi族の音楽を取り入れた音楽性がジャイルス・ピーターソンやフォー・テットにも高い評価を受け、その後はカマシ・ワシントンらのオープニング・アクトを務めるなどヨーロッパを中心に活躍している。
"Mumbay"は彼のセカンド・アルバム"More Arriving"からの楽曲。
Sarathyは「これまでにイギリスで考えられてきた典型的なインドのサウンドではなくて、本国とディアスポラ双方の2019年の新しい音楽のショーケースを見せたかったんだ」と述べている。
アルバムの他の楽曲にはデリーの大注目ラッパーPrabh Deepや闘争のレゲエ・アーティストDelhi Sultanateも参加している。
新しい世代の在外インド人系フュージョン・アーティストとして要注目だ。
この"Mumbay"という楽曲は、「ムンバイ(ボンベイ)という都市へのラブレターのようなもの」で、この街の二重性や相反する物語を表すもの」だそう。
(https://www.vice.com/en_in/article/xwndb7/stream-sarathy-korwars-new-single-mumbay-ft-mc-mawali-of-swadesi)
以前紹介したDIVINEの"Yeh Mera Bombay"とも似たテーマを扱っているようにも思える。
ちなみにムンバイの老舗ヒップホップクルー、Mumbai's Finestによると「ムンバイは名前で、ボンベイは感情だ。同じように聴こえるかもしれないけど、ボンベイには意味があるんだ(欠点もね)」(Mumbai is the name and Bombay is a feeling, It may sound the same, but Bombay is the meaning (demeaning)!)とのこと。
この街の文化的な豊かさやいびつさが、今後ますます素晴らしい作品を生むことになりそうだ。
今回紹介したアーティストを過去に取り上げた記事はこちらから。
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goshimasayama18 at 23:28|Permalink│Comments(0)
2019年03月15日
インドのインディーズシーンの歴史その11 極上のフュージョン・アンビエント Karsh Kale
インドのインディーズシーンの歴史を彩った名曲をひたすら紹介するこの企画。
今回はとりあげるのはまた在外インド人アーティストによる作品で、Karsh Kaleが2001年に発表した'Anja'.
Karsh Kaleはイギリス出身のインド系タブラプレイヤー/エレクトロニカアーティストで、現在は米国籍を取得している。
彼自身はマラーティー系(ムンバイがあるマハーラーシュトラ州がルーツ)だが、この曲のヴォーカルはどうやらテルグ語(南部アーンドラ・プラデーシュ州の言語)らしく、テルグの民族音楽とのフュージョン(もしくはテルグ系シンガーのコラボレーション)ということのようだ。
Karsh Kaleは以前紹介したTalvin Singh同様、 90年代にイギリスを中心に勃興した「エイジアン・アンダーグラウンド」のシーンで頭角を現した。
このエイジアン・アンダーグラウンドはクラブミュージック(電子音楽)と南アジア(インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ)の伝統音楽を融合したもので、当時、伝統音楽のルーツを持つ多くの移民アーティストが活躍していた。
Talvin Singhがよりドラムンベース的なアプローチだったのに対して、Karsh Kaleはどちらかというとアンビエントっぽい音楽性が特徴。
タブラ奏者には他ジャンルとの共演で名を上げたプレイヤーがとても多くて、タブラ界の最高峰Zakir HussainはGrateful DeadのドラマーMicky HartらとのDiga Rhythm Bandやジャズ・ギタリストJohn MclaughlinとのShaktiをやっているし、Trilok Gurtuもジャズ系のミュージシャンと共演して多くの作品を残している。
Bill Laswellによるタブラと電子音楽の融合プロジェクトであるTabla Beat Scienceにはここに名前を挙げたタブラプレイヤー全員が参加している。
Karsh Kaleの他の曲も紹介する。'Milan'
アンビエントから始まってストリングスも入って盛り上がる構成は映画音楽的でもあるが、Karshは実際に映画音楽のプロデュースなども手がけている。
先日公開になったGully Boyのサウンドトラックから、"Train Song".
デリー出身の国産エレクトロニカ・アーティストの先駆けMidival Punditzとの共作で、ヴォーカルは人気シンガーのRaghu Dixit.
次回のこの企画で紹介するシタール奏者のAnoushka ShankarとあのStingが共演した楽曲もある。
結果的に非常にイギリス的というか、ロンドン的な空気感のサウンドとなったと感じるが、いかがだろうか。
Karsh Kaleのサウンドを聴いていると、まるくて抜けのよいタブラの音色の心地よさが、音の気持ちよさを追求するアンビエント/エレクトロニカ的な音像に見事にはまっていることが分かる。
00年代初期の時代性を感じるサウンドではあるが、音楽としての質の高さ、心地良さは今聞いてもまったく色褪せていない。
現代では、インド本国にもアンビエント/エレクトロニカ系の優れたアーティストが非常にたくさんいるが、インド音楽と電子音楽の「音の心地良さ」を追究する姿勢には本質的な共通点があるのかもしれない。
今回はとりあげるのはまた在外インド人アーティストによる作品で、Karsh Kaleが2001年に発表した'Anja'.
Karsh Kaleはイギリス出身のインド系タブラプレイヤー/エレクトロニカアーティストで、現在は米国籍を取得している。
彼自身はマラーティー系(ムンバイがあるマハーラーシュトラ州がルーツ)だが、この曲のヴォーカルはどうやらテルグ語(南部アーンドラ・プラデーシュ州の言語)らしく、テルグの民族音楽とのフュージョン(もしくはテルグ系シンガーのコラボレーション)ということのようだ。
Karsh Kaleは以前紹介したTalvin Singh同様、 90年代にイギリスを中心に勃興した「エイジアン・アンダーグラウンド」のシーンで頭角を現した。
このエイジアン・アンダーグラウンドはクラブミュージック(電子音楽)と南アジア(インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ)の伝統音楽を融合したもので、当時、伝統音楽のルーツを持つ多くの移民アーティストが活躍していた。
Talvin Singhがよりドラムンベース的なアプローチだったのに対して、Karsh Kaleはどちらかというとアンビエントっぽい音楽性が特徴。
当時、こういうインド音楽とアンビエントを融合したサウンドは、Buddha Barとかのチルアウト/エスニック系のコンピレーション盤で重宝されていた記憶がある。
タブラ奏者には他ジャンルとの共演で名を上げたプレイヤーがとても多くて、タブラ界の最高峰Zakir HussainはGrateful DeadのドラマーMicky HartらとのDiga Rhythm Bandやジャズ・ギタリストJohn MclaughlinとのShaktiをやっているし、Trilok Gurtuもジャズ系のミュージシャンと共演して多くの作品を残している。
Bill Laswellによるタブラと電子音楽の融合プロジェクトであるTabla Beat Scienceにはここに名前を挙げたタブラプレイヤー全員が参加している。
Karsh Kaleの他の曲も紹介する。'Milan'
アンビエントから始まってストリングスも入って盛り上がる構成は映画音楽的でもあるが、Karshは実際に映画音楽のプロデュースなども手がけている。
先日公開になったGully Boyのサウンドトラックから、"Train Song".
デリー出身の国産エレクトロニカ・アーティストの先駆けMidival Punditzとの共作で、ヴォーカルは人気シンガーのRaghu Dixit.
次回のこの企画で紹介するシタール奏者のAnoushka ShankarとあのStingが共演した楽曲もある。
結果的に非常にイギリス的というか、ロンドン的な空気感のサウンドとなったと感じるが、いかがだろうか。
Karsh Kaleのサウンドを聴いていると、まるくて抜けのよいタブラの音色の心地よさが、音の気持ちよさを追求するアンビエント/エレクトロニカ的な音像に見事にはまっていることが分かる。
00年代初期の時代性を感じるサウンドではあるが、音楽としての質の高さ、心地良さは今聞いてもまったく色褪せていない。
現代では、インド本国にもアンビエント/エレクトロニカ系の優れたアーティストが非常にたくさんいるが、インド音楽と電子音楽の「音の心地良さ」を追究する姿勢には本質的な共通点があるのかもしれない。
いずれにしても、今回紹介したKarsh Kaleは、インド系アンビエントミュージックのさきがけ的な存在と言うことができるのではないかな。
それでは、また!
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2019年02月17日
映画"Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア
映画"Gully Boy"のレビューを書いてみたのだけど(リンクはこちら)、あらすじについては映画を観るまで知りたくない、という人もいると思うので、レビューとは別にこちらの記事に書くことにします。
あらすじと言っても、全てを書いてしまっているわけではなく、ちょうど映画のパンフレットに書いてあるくらいの感じにしたつもりです。
見どころ、楽曲紹介とトリビアも書いてあるので、映画を観終わってから読んでも「あのシーンにはああいう背景があったのか」と楽しめるものと思います。
あらすじは読みたくないけど見どころとか楽曲紹介とかトリビアだけ読みたい、という人は、一度記事の一番下までスクロールしていただいて、そこから少しだけ上に戻ってみてください。
多めの改行がしてあるので、あらすじを読まずに済むようになっています。
'Gully Boy'の見どころ!
映画に使われた楽曲たちをいくつか紹介!
傷ついた心と母親への愛、そしてインドに本物のヒップホップを届けるぜ!という気持ちをラップする"Asli Hip Hop"はアンダーグラウンドシーンのラッパーSpitfireによるもので、ラップしているのは主演のRanveer自身。
映画の中ではラップバトルのシーンに使われていた。
インド人の母親への愛情表現はいつもストレートだが、ラップバトルでお母さんへの愛情をラップするというのはちょっと面白い。
アメリカだと相手の母親をけなすというのは聞いたことがあるけど。
「俺たちの時代が来る」とラップする"Apna Time Aayega".
この曲はボリウッドに取り上げられにわかに注目を集めたアンダーグラウンド・ラップの象徴的な扱いをされていて、多くのラッパーがこの曲のタイトルに関連した発信をソーシャルメディア上でしている。
DivineとDub Sharmaによる楽曲をこれもRanveer自身がラップ。
ちなみにDivineの"Jungli Sher"もiPhoneで撮影されたミュージックビデオという触れ込みだが、これはメジャーのソニーからリリースされた楽曲なので、貧しさゆえというよりは話題作りという意味合いの強いものだろう。
映画の中でも、彼らが地元ダラヴィでミュージックビデオを撮影するシーンが出てくるが、この"Mere Gully Mein"はDivineとNaezyによるオリジナルにRanveerのパートを追加したもの。
と、いろいろと語らせてもらいました。
個人的に好きなのは、Muradが家の中でiPadでラップの練習をしていて「独り言はやめなさい。縁起が悪いから」と母親に言われるシーンと、家でステージでのパフォーマンスの練習をしていたところに父親が帰ってきて、あわてて何もしていない振りをするシーン。
世界中のラッパー志望の若者たちが共感できて笑えるすごく素敵なシーンだと思った。
いずれにしても、この映画でインドのヒップホップシーンがますます注目され、活性化することは間違いない。
そんな中で、Divineは自らのレーベル'Gully Gang Entertainment'を発足することをアナウンスした。
そこからいったいどんなアーティストが出て来るのか、本当に楽しみで仕方がない。
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あらすじと言っても、全てを書いてしまっているわけではなく、ちょうど映画のパンフレットに書いてあるくらいの感じにしたつもりです。
見どころ、楽曲紹介とトリビアも書いてあるので、映画を観終わってから読んでも「あのシーンにはああいう背景があったのか」と楽しめるものと思います。
あらすじは読みたくないけど見どころとか楽曲紹介とかトリビアだけ読みたい、という人は、一度記事の一番下までスクロールしていただいて、そこから少しだけ上に戻ってみてください。
多めの改行がしてあるので、あらすじを読まずに済むようになっています。
前置きが長くなりましたが、あらすじはこの下から!
"Gully Boy"あらすじ
イスラム教徒の大学生Murad(Ranveer Singh)は、家族とともにインド最大のスラム、ダラヴィに暮らしている。
彼はときに悪友の起こす悪事に巻き込まれたりしながら、退屈で希望の持てない青春を過ごしていた。
"Gully Boy"あらすじ
イスラム教徒の大学生Murad(Ranveer Singh)は、家族とともにインド最大のスラム、ダラヴィに暮らしている。
彼はときに悪友の起こす悪事に巻き込まれたりしながら、退屈で希望の持てない青春を過ごしていた。
彼は一人になるとノートに自作のラップのリリックを書くほどのヒップホップファンだが、憧れのNas(アメリカのラッパー)はあまりにも遠い存在だ。
MuradにはSafeena(Alia Bhatt)という幼なじみの恋人がいるが、裕福で保守的な彼女の両親は、二人の交際を認めてくれるはずもなく、二人はお互いの家族に分からないように会わなければならなかった。
ある日、大学でのコンサートでMC Sher(ライオン)と名乗るラッパー(Siddhant Chaturvedi)のステージを見たMuradは大きな衝撃を受ける。
ムンバイにもアンダーグラウンドなヒップホップシーンがあることを知ったMuradは、ラップバトルの場を訪れ、Sherに「よかったら自分が書いたリリックをラップしてくれないか」と話しかけるが「ラップは自分自身の言葉で語るものだ」と返されてしまう。
自分がラッパーになる気は無かったMuradだったが、Sherにうながされ、彼は自作のリリックを初めて人前で披露することになるのだった。
MuradにはSafeena(Alia Bhatt)という幼なじみの恋人がいるが、裕福で保守的な彼女の両親は、二人の交際を認めてくれるはずもなく、二人はお互いの家族に分からないように会わなければならなかった。
ある日、大学でのコンサートでMC Sher(ライオン)と名乗るラッパー(Siddhant Chaturvedi)のステージを見たMuradは大きな衝撃を受ける。
ムンバイにもアンダーグラウンドなヒップホップシーンがあることを知ったMuradは、ラップバトルの場を訪れ、Sherに「よかったら自分が書いたリリックをラップしてくれないか」と話しかけるが「ラップは自分自身の言葉で語るものだ」と返されてしまう。
自分がラッパーになる気は無かったMuradだったが、Sherにうながされ、彼は自作のリリックを初めて人前で披露することになるのだった。
彼がYoutubeにアップした動画は、アメリカの名門音楽学校、バークリー出身の女性ビートメーカーSky(Kalki Koechlin)の目に留まり、Sherと彼女とMuradの3人での音楽活動が始まった。
本格的にラッパーとなったMuradは、スラムのストリート出身であることから、「ストリートの少年」を意味する'Gully Boy'と名乗ることになった。
ラッパーとしての活動を始めたMuradだが、そんな時に父が事故にあい、怪我のために働けなくなってしまう。
彼は父に代わって裕福な家族の運転手として働くことになるが、そこでスラムに暮らす自分との圧倒的な貧富の差を目の当たりにするのだった。
ラッパーとしての活動を始めたMuradだが、そんな時に父が事故にあい、怪我のために働けなくなってしまう。
彼は父に代わって裕福な家族の運転手として働くことになるが、そこでスラムに暮らす自分との圧倒的な貧富の差を目の当たりにするのだった。
Sherの励ましで、自分の見たこと、感じたことを率直にラップすることを決意したMuradは、格差やストリートでの生活をテーマにしたラップをレコーディングし、地元ダラヴィのストリートでミュージックビデオ撮影を決行。
その動画が高い評価を受け、Muradは人気ラッパーになってゆく。
しかし父は彼のラッパーとしての活動に大反対する。
「音楽などして何になるのか。お前にそんなことをさせるために教育に金を注ぎ込んできたわけではない」と父は激怒。
しかし父は彼のラッパーとしての活動に大反対する。
「音楽などして何になるのか。お前にそんなことをさせるために教育に金を注ぎ込んできたわけではない」と父は激怒。
ミュージックビデオの成功を祝うパーティーでは、嫉妬深いSafeenaがSkyとの関係を誤解してトラブルになり、そのことがきっかけでSafeenaとも別れてしまう。
家では父が母に暴力を振るい、Muradと母と弟は家を出て暮らすことになる。
途方にくれるMuradだったが、彼はアメリカの人気ラッパー、Nasのインド公演のオープニングアクトを決めるラップバトルが行われることを知り、この夢のような機会に応募することを決める。
なんとか大学を卒業したMuradは、叔父の会社で働くことになった。
貧しい生まれの彼にしては十分すぎるほどの境遇だ。
だがそこでは、ラップバトルに参加するための休みを取ることは許されず、「使用人の子はしょせん使用人」と屈辱的な言葉を浴びせられてしまう。
家では父が母に暴力を振るい、Muradと母と弟は家を出て暮らすことになる。
途方にくれるMuradだったが、彼はアメリカの人気ラッパー、Nasのインド公演のオープニングアクトを決めるラップバトルが行われることを知り、この夢のような機会に応募することを決める。
なんとか大学を卒業したMuradは、叔父の会社で働くことになった。
貧しい生まれの彼にしては十分すぎるほどの境遇だ。
だがそこでは、ラップバトルに参加するための休みを取ることは許されず、「使用人の子はしょせん使用人」と屈辱的な言葉を浴びせられてしまう。
Muradは夢を選ぶのか、安定した人生を選ぶのか…。
'Gully Boy'の見どころ!
- この映画の中で、ヒップホップは、序盤では退屈で希望が持てない日常を忘れさせてくれるものとして、中盤では自分自身の言葉を語り誇りと自由を取り戻すためのものとして、終盤ではストリート出身のMuradが夢を叶えるための手段として描かれている。また、終盤のあるシーンで、Muradのラップが、Muradのためだけのものではなく、彼が暮らすダラヴィ17のコミュニティーの声を代弁するものであることが示唆される。Zoya Akhtar監督は、本当にヒップホップに対する正しい理解のもとでこの映画を作成したと思う。
- 映画の序盤、Muradは、「ヒップホップファンではあるが、ラッパーになる気はない若者」として描かれる。この映画は、そんな彼がラッパーになろうとする過程で、Sherからヒップホップの表現者としての精神を教わってゆくという構成になっている。まだこの手のヒップホップがアンダーグラウンドな存在であるインドで、観客に分かりやすくヒップホップ文化を伝えることができるよう、うまくできた構成だ。
- 映画の冒頭、悪友Moeenが車両強盗をするシーンで、盗んだ車の中でかかる曲は、典型的なインドの売れ線ヒップホップ。Muradがこの手のヒップホップを拒否するシーンを見せることで、彼がコマーシャルなものではなく、よりリアルなヒップホップを志向していることを暗示している。(MC Sherのステージを見るまで、Muradが地元のシーンを知らなかったようにも見えるので、「彼はアメリカのヒップホップに憧れてヒンディーでリリックを書いているがムンバイにヒップホップを実践している人がいるとは知らなかった」ということだろう)
- この映画のラップバトルのシーンが独特で、DJやビートに合わせるのではなく、トラック無しで1ターンずつラップしあうというもの。インドではこれが一般的なのだろうか。
- Muradのラップを高く評価して、トラックメーカーとして名乗り出たSkyと名乗る人物を、彼とSherは男性だと思っていたが、会ってみると正体はボストンの名門バークリーで学んだ女性だった。貧しいMuradとSherは、大学で音楽を学ぶということが想像できない。二人にとって、教育とは現実的な収入の良い仕事につくためのものでしかなく、音楽がキャリアになるとは考えたこともないからだ。インドの富裕層/エリート層のミュージシャンが、ヒップホップというカルチャーを通して、ストリート出身の二人と出会う象徴的なシーンだ。実際にバークリー出身のインド人女性ミュージシャンに、シンガーソングライターのSanjeeta Bhattacharyaや日本で活躍するジャズ/ソウルシンガーのTea(Trupti Pandkar)らがいる。
- Muradに惹かれてゆくSkyに、生まれ育った境遇があまりに違う彼は戸惑って「どうして僕のことなんかが好きなんだい?貧しい階級の出身なのに」と尋ねる。それに対してSkyは「あなたはアーティスト。どこから来たかなんて気にしない」と答える。ヒップホップという自由を希求する音楽に惹かれながらも、Muradもまた階級意識から自由になれていないということが分かる。
- 若者が主人公のインド映画では、たいてい親子の価値観の違いによる断絶が描かれるが、この映画もまた然り。Muradの親もSafeenaの親も厳格で保守的だが、それは子どもたちに安定した幸福な暮らしができるようになってもらうための愛情でもある。だが、若い世代にとっては安定よりも自由こそが幸福なのだ。
- ラップコンテストのシーンで審査員を務めている垢抜けた感じの人たちは、アメリカやイギリス生まれのインド系移民のミュージシャンたち。このブログでも取り上げたRaja Kumariの姿も見える。このシーンは、これまで海外のインド系移民や、裕福な層(この映画の中ではSky)を中心に作られてきたインドのインディーミュージックシーンに、いよいよ本物のストリート出身のアーティストが加わることになる瞬間を描いたものとして見ることもできる。
- ラップコンテスト予選のシーンは、最初のラップバトルのシーンと対になっている。ヒップホップにおいて大事なのはファッションではなく言葉の中身であることが示されるシーンだ。「インドで最初のヒップホップ映画」がヒップホップをファッションではなくよりリアルなものとして描いていることはきちんと覚えておきたい。
- 負傷した父に代わり、裕福な家庭の運転手として働くことになるMurad. 運転手は、貧しい生まれの者が決して手が届くことがない富裕層の世界に触れることができる象徴的な職業だ。金持ちの運転手を務める使用人の境遇については、アラヴィンド・アディガ(Aravind Adiga)の小説「グローバリズム出づる国の殺人者より」(原題"The White Tiger")に詳しい。
- ラップコンテストのシーンでは、実際にインドのアンダーグラウンドシーンで活躍するラッパーが何人もカメオ出演している。名前が出てきただけでも、Shah Rule, Emiway Bantai, Kaam Bhari, MC Todfod, Malic Sahab, Checkmate, Stony Psyko, Shaikspeare… 他にもいたかな。
- ステージに向かうMuradが神に祈りを捧げるシーンがある。また、成功を納めた彼をスラムの住人が老若男女も宗教の区別もなく祝福する場面もある。ムンバイのスラムで、ヒップホップが信仰やローカル社会と矛盾するアメリカの文化ではなく、生活に根ざしコミュニティーを代弁するものになっていることが分かるシーンだ。
- Muradがダラヴィのストリートで撮影した映像は評判を呼び、多くの支持を集めるが、それでも彼は音楽で生きてゆくという決心がなかなかつかず、父親も彼がラッパーとして生きてゆくことを認めようとしない。インドではCDやカセットテープが音楽流通の主体だった時代にインディーミュージックが栄えることはついになかった。インドで音楽で生計を立てるには、映画音楽などの商業音楽の道に進むか、厳しい修行を経て古典音楽のミュージシャンになる以外の道は、ほぼなかったのだ。インターネットを介して誰もが様々な音楽を享受/発信できる時代になって、初めてインドのインディーミュージックシーンが発展しはじめた。つまり、音楽は無料で聴くものであって、いくらそこで評判を得ても、音楽を売ってプロになるという道はいまだに整備されていないのだ。そういう現状を踏まえると、ストリートから音楽で成功したNaezyとDivine、そして映画の中のMuradの見え方がまた変わってくるのではないだろうか。
映画に使われた楽曲たちをいくつか紹介!
傷ついた心と母親への愛、そしてインドに本物のヒップホップを届けるぜ!という気持ちをラップする"Asli Hip Hop"はアンダーグラウンドシーンのラッパーSpitfireによるもので、ラップしているのは主演のRanveer自身。
映画の中ではラップバトルのシーンに使われていた。
インド人の母親への愛情表現はいつもストレートだが、ラップバトルでお母さんへの愛情をラップするというのはちょっと面白い。
アメリカだと相手の母親をけなすというのは聞いたことがあるけど。
「俺たちの時代が来る」とラップする"Apna Time Aayega".
この曲はボリウッドに取り上げられにわかに注目を集めたアンダーグラウンド・ラップの象徴的な扱いをされていて、多くのラッパーがこの曲のタイトルに関連した発信をソーシャルメディア上でしている。
DivineとDub Sharmaによる楽曲をこれもRanveer自身がラップ。
映画のなかのこの曲のシーンでは、涙が止まらなくなった。
Zoya Akhtar監督の父、Javed Akhtarによる詩をDivineがリライトした"Doori".
Zoya Akhtar監督の父、Javed Akhtarによる詩をDivineがリライトした"Doori".
映画の中ではこの曲でMuradの詩的センスが高く評価されることになる。
なぜこうも上手くいかないのか、なぜ富めるものと貧しいものがいるのか、といった内容を詩的に表現した曲で、これもRanveer.
彼は本当にラップをがんばっている。
「飢え、差別、不正義、政治の腐敗、格差からの自由を!」というテーマの曲。"Azadi"
Azadiは自由という意味。デリーの人気ヒップホップレーベルの名前にもなっている単語だ。
なぜこうも上手くいかないのか、なぜ富めるものと貧しいものがいるのか、といった内容を詩的に表現した曲で、これもRanveer.
彼は本当にラップをがんばっている。
「飢え、差別、不正義、政治の腐敗、格差からの自由を!」というテーマの曲。"Azadi"
Azadiは自由という意味。デリーの人気ヒップホップレーベルの名前にもなっている単語だ。
この曲の"A-Za-di!"というコーラスはデモ行進のシュプレヒコールを思わせるもので、この映画がヒップホップを社会運動的な側面を持つものとして描いていることがよくわかる楽曲。
パフォーマンスはDivineとDub Sharma.
"Azadi"のコール&レスポンスはインドのデモの定番で、音楽の場で使われている例としては、以前紹介したデリーの社会派レゲエ・アーティストのTaru Dalmiaの活動を追ったドキュメンタリー(「Ska Vengersの中心人物 Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」)の最後にも出てくる。
"Train Song"はカルナータカ州出身の人気フォーク(伝統音楽)系ポップ歌手Raghu Dixitと90年代から活躍する在英エレクトロニカ系アーティスト/タブラプレイヤーKarsh Kaleの共演で、プロデュースにはMidival Punditzの名も。
"India 91"は古典音楽カルナーティックのパーカッション奏者Viveick Rajagopalanのリズムに合わせてMC Altaf, MC TodFod, 100 RBH, Maharya & Noxious Dがラップする楽曲。
伝統のリズムとラップの融合という、インド特有のヒップホップ文化にもきちんと目配りがされていることがうれしかった。
元ネタは以前このブログでも紹介したRajagopalanとSwadesiのコラボレーションによる楽曲"Ta Dhom".(「インド古典音楽とラップ!インドのラップのもうひとつのルーツ」)
トリビア
最後に、映画の設定と実際のDivineとNaezyとで違うところや、トリビア的なものを挙げる。
これ以外にもたくさんあると思うけど、やはり監督Zoya Akhtarの言う通り、これは伝記映画ではなく、DivineとNaezyをモデルにアンダーグラウンド・ヒップホップシーンを描いたフィクション映画として楽しむべきものなのだろう。
パフォーマンスはDivineとDub Sharma.
"Azadi"のコール&レスポンスはインドのデモの定番で、音楽の場で使われている例としては、以前紹介したデリーの社会派レゲエ・アーティストのTaru Dalmiaの活動を追ったドキュメンタリー(「Ska Vengersの中心人物 Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」)の最後にも出てくる。
"Train Song"はカルナータカ州出身の人気フォーク(伝統音楽)系ポップ歌手Raghu Dixitと90年代から活躍する在英エレクトロニカ系アーティスト/タブラプレイヤーKarsh Kaleの共演で、プロデュースにはMidival Punditzの名も。
"India 91"は古典音楽カルナーティックのパーカッション奏者Viveick Rajagopalanのリズムに合わせてMC Altaf, MC TodFod, 100 RBH, Maharya & Noxious Dがラップする楽曲。
伝統のリズムとラップの融合という、インド特有のヒップホップ文化にもきちんと目配りがされていることがうれしかった。
元ネタは以前このブログでも紹介したRajagopalanとSwadesiのコラボレーションによる楽曲"Ta Dhom".(「インド古典音楽とラップ!インドのラップのもうひとつのルーツ」)
トリビア
最後に、映画の設定と実際のDivineとNaezyとで違うところや、トリビア的なものを挙げる。
これ以外にもたくさんあると思うけど、やはり監督Zoya Akhtarの言う通り、これは伝記映画ではなく、DivineとNaezyをモデルにアンダーグラウンド・ヒップホップシーンを描いたフィクション映画として楽しむべきものなのだろう。
- 映画の舞台は、『スラムドッグ・ミリオネア』と同じ「インド最大のスラム」ダラヴィになっていたが、Naezyが生まれ育った街はBombay70ことクルラ地区の出身で、Divineは西アンデーリー出身。いずれもスラムと呼ばれる土地ではある。
- Divineをモデルにしたと思われるMC Sherは、映画ではどうやらヒンドゥーという設定のようだったが、実際のDivineはクリスチャンで、本名はVivian Fernandes. 不良少年だったが、教会では敬虔に祈りを捧げることから、Divineの名を名乗ることになった。
- 映画ではMC Sherは母親がいない設定だったが、実際のDivineが育った環境はシングルマザーの家庭だった。実際はその母親も海外に出稼ぎに出ていたため、祖母のもとで育てられた。
- Muradが暮らす家をスラム体験ツアーで欧米人ツーリストが訪れたときに、Muradがツーリストが着ているNasのTシャツに反応するシーンがあるが、実際のDivineがヒップホップに興味を持ったきっかけは、彼のクラスメートが50 CentのTシャツを着ていたことだった。
- 映画では、MC SherがMuradに自分の言葉で自分でラップするように諭す存在として描かれているが、現実の世界でも、活動初期に英語でラップしていたDivineに対して、ヒンディー語でのラップを勧めたラッパーがいる。Camoflaugeの名でトロントでラッパーとして活動しているGangis Khanだ。
- 最初のラップバトルで、Muradが着ていたニセモノのアディダスを馬鹿にされ、何も言い返せなくなってしまうシーンがあるが、実際にニセモノのアディダスをテーマにした曲をリリースしたムンバイのラッパーがいる。英語でラップするTienasが2017年に発表した"Fake Adiddas"がそれで「ニセモノのアディダスと安物の服にはもうウンザリ」という内容。
- 映画ではMuradはSafeenaにプレゼントされたiPadを使って本格的にラップを始めるが、実際のNaezyは、父親にプレゼントされたiPadを使ってレコーディングし、ミュージックビデオを撮影してYoutubeにアップロードしたことが注目されるきっかけとなった。
ちなみにDivineの"Jungli Sher"もiPhoneで撮影されたミュージックビデオという触れ込みだが、これはメジャーのソニーからリリースされた楽曲なので、貧しさゆえというよりは話題作りという意味合いの強いものだろう。
映画の中でも、彼らが地元ダラヴィでミュージックビデオを撮影するシーンが出てくるが、この"Mere Gully Mein"はDivineとNaezyによるオリジナルにRanveerのパートを追加したもの。
- 映画ではMuradが暮らすスラムの地区は「ダラヴィ17」と呼ばれ、Gully Boyはダラヴィ17をレペゼンするラッパーとしてラップコンテストに望むことになるが、Naezyが生まれ育ったクルラ地区のスラムのエリアコードは"Bombay 70"。彼をモチーフにした短編ドキュメンタリー映画のタイトルにもなった。
- この映画のエグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされている米ヒップホップ界の大スターNas(ナズ). パキスタンや北インドのムスリムの間で話されるウルドゥー語で'Naz'とは「あなたがどんなときも常に愛されていることを知ることで得られる安心感と自信」という意味の他の言語に訳せない言葉。単なる偶然だが、この映画のテーマを考えると暗示的ではある。この映画のためにNas, Divine, Naezy, Ranveer Singhがコラボした"NY Se Mumbai".
と、いろいろと語らせてもらいました。
個人的に好きなのは、Muradが家の中でiPadでラップの練習をしていて「独り言はやめなさい。縁起が悪いから」と母親に言われるシーンと、家でステージでのパフォーマンスの練習をしていたところに父親が帰ってきて、あわてて何もしていない振りをするシーン。
世界中のラッパー志望の若者たちが共感できて笑えるすごく素敵なシーンだと思った。
いずれにしても、この映画でインドのヒップホップシーンがますます注目され、活性化することは間違いない。
そんな中で、Divineは自らのレーベル'Gully Gang Entertainment'を発足することをアナウンスした。
そこからいったいどんなアーティストが出て来るのか、本当に楽しみで仕方がない。
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goshimasayama18 at 18:13|Permalink│Comments(0)