J19Squad

2021年03月15日

ヒップホップで食べ歩くインドの旅

インドのヒップホップを聴いていて、気がついたことがある。
それは、「インドのラッパーは、やたらと地元の食べ物のことを扱う」ということだ。

ヒップホップにはレペゼンというカルチャーがあり、生まれ育った街やストリート、そして仲間たちを誇り、自慢するのが流儀とされているが、普通、食べ物はあんまり出てこない。
日本のヒップホップで例えるなら、愛知県出身のAK-69が味噌煮込みうどんやきしめんのことをラップしたり、横浜出身のMACCHO(OZROSAURUS)が崎陽軒のシウマイや家系ラーメンについてラップしたりするなんてことはまずないだろう。
本場アメリカでも、ニューヨークのJay-ZやNASとシカゴのカニエ・ウエストやコモンが「俺の街のピザのほうがうまい」とビーフを繰り広げるなんてことはありえないわけだが(当たり前だ)、インドのラッパーたちは、やたらと地元の食べ物のことをラップし、ミュージックビデオに登場させるのである。



まずは、私がこれまで見てきたなかでの「ベスト食べ歩きビデオ」に認定できる作品、ベンガルールのラッパーNEX(2021.12.15追記。このブログの記事を書いた時はNEXというアーティスト名だったのだが、のちにPasha Bhaiに改名したようだ)の"Kumbhakarna"のミュージックビデオを見てほしい。
ソフトウェア企業のビルが立ち並ぶ国際都市としてのベンガルールではなく、庶民が集う飲食街を活写した映像は、インドの下町の食レポとしても十分に楽しめる。

ケバブ系の焼き物や、よくわからない炒め物、揚げ物などの屋台から始まり、味のあるカフェでタバコを燻らせながらチャイを飲む。
撮影場所はストリートフードの店が軒を連ねるShivaj Nagarという場所。
Twitterでこの曲を紹介したところ、なんと近所に住んでいるという方からリアクションがあった。


「ゴキブリと猫とネズミだらけだけど旨い」
…なかなかに気合の入ったエリアだ。

牛肉料理をふんだんに提供しているということ、イスラームの装束に身を包んだ人の姿が多く見られることから、この地域自体もムスリムが多く暮らす場所のようである。
食べ物屋以外にも、雑貨屋や生地屋など、下町のリアルな空気感がびんびん伝わってくる。

このNEX、よほどストリートフードが好きなようで、この'Eid Ka Chaand'では、牛の足を調理しているシーンから始まる。


Shivaj Nagar情報を教えてくれたBari Bari Bari Kosambariさんに伺ったところ、牛の足の煮込み「ビーフ・パヤ」の仕込みではないかとのこと。
ビーフ・パヤは「まだ日の出ぬ内から仕込んで市場の人が朝に食べる定番というイメージ」だそうで、こちらもリアルな地元感がたまらない。
3:20頃からは、今度は鶏肉を調理している様子が映される。

2本とも南アジアのイスラーム庶民の肉食文化の豊かさが感じられ、つい食べ物にばかり目が行ってしまうが、どちらもビートもラップもかなりかっこいい。
NEX, 今後もミュージックビデオともども注目のラッパーだ。


次の食べ歩きの舞台はハイデラーバード。
映画『バーフバリ』で有名になったテルグー語圏の中心都市で、インド料理好きにはビリヤニ(ビリヤーニー)の街として知られている。
この街のラッパーのミュージックビデオに登場するのももちろんビリヤニだ。

まず紹介するのは、Nawab Gangという地元のクルーから、AsurA, Lil Gunda, P$Ychloneの3人による"Flirt With Hyd". 

いかにもハイデラーバードらしいイスラーム建築が目立つ街並みを練り歩き、リクシャーにハコ乗りしながらラップするビデオは地元感覚満載!
撮影場所にヒップホップっぽいアメリカ的な「ストリート」ではなく、本当の意味で地元をレペゼンする場所を選ぶインドのラッパーたちのセンスにはいつもながら敬服する。
2:00過ぎからはピザ・ドーサ、2:30過ぎからはニハーリー(肉の煮込み)といったストリートフードの屋台が映され、3:10には満を持してビリヤニが登場!
一瞬だが、リリックでも確かに「チキン・ビリヤーニー、マトン・ナハーリー(ニハーリー)」と言っている。
彼らのユニット名の'Nawab'はかつて南アジアを支配していたイスラーム王朝の「太守」を意味する言葉だ。
ムガール帝国、ニザーム王国といったイスラーム王朝の都市だったこの街にふさわしい名前で、ロゴマークはムンバイのDIVINEのGully Gangを意識しているようでもある。


ハイデラーバードからビリヤニ・ラップをもう1曲。
Ruhaan Arshadというラッパーの"Miya Bhai Hyderabad".

チャイから始まり、ニハーリー(0:45頃)、そしてビリヤニは1:58頃に登場。(そのすぐ後にはケバブも出てくる)
これまでのミュージックビデオとはうってかわって、陽気な地元の兄ちゃんたちが盛り上がってるって感じの垢抜けない映像がほほえましい。
タイトルの'miya bhai'は'my brother'という意味の仲間に呼びかけるスラングらしい。(ウルドゥー語。ここまで紹介したラッパーが使用している言語は、よく分からんけどおそらくデカン高原一帯のムスリムに話されているデカン・ウルドゥーと思われる)
「みーや、みーや、みーやばーい」というサビが印象に残るこの曲は、2018年にリリースされて以来、なんと4億4000回以上も再生されている。
ハイデラーバードの人口が700万人弱であることを考えると、異常なまでの愛されっぷりだ。
たしかに耳の残る曲ではあるが、インド人の心を掴む特別な何かが込められているのだろうか…。


続いては、インド東岸、オディシャ州の海辺の町プリー。
これまでもたびたび紹介している日印ハーフのラッパーBig Dealによる世界初のオディア語(オディシャ州の言語)ラップ"Mu Heli Odia".



内陸部のベンガルールやハイデラーバードとはぐっと異なる、ひなびた海辺の街ならではの風景が楽しめる。
また、近くにジャガンナート寺院という大きなヒンドゥー寺院があるからか、サドゥー(ヒンドゥーの世捨て人的な行者)の姿が目立つのも印象的だ。
注目してほしいのは、2:20過ぎからの'Let 'em know that Rosogolla is from Odisha'(Rosogollaはオディシャで生まれたものだとやつらに分らせてやれ)という英語字幕で表されているリリック。
ここでRosogolla(おそらくオディア語の表記)と呼ばれているのは、ヒンディー語ではラスグッラー(Rasgulla)として知られている牛乳と小麦粉と砂糖で作られた甘いお菓子のこと。
初めてこのミュージックビデオを見た時から「地元の菓子をラップで自慢するなんて、いかにもインドらしいなあ」と思っていたのだが、小林真樹さんの『食べ歩くインド 北・東編』を読んで、ここには単なる郷土自慢以上の意味が込められていることに気づいた。

このラスグッラーの発祥をめぐって、オディシャ州とウエストベンガル州との間で裁判になるほどの論争があったというのだ。
ラスグッラーは一般的にはウエストベンガル州コルカタのKC Dasという菓子店によって有名になったとされているが、オディシャ州側は、もともとはプリーのジャガンナート寺院の供物として作られていたものだと主張(古くは15世紀の文献にRasagolaという菓子の記述があるという)。
ウエストベンガル側も、今日のラスグッラーは19世紀にDasが改良して普及したものだと主張し、一歩も譲らなかった。
結果、2017年にラスグッラーはウエストベンガル州に帰属する(ただし、オディシャ州でも製造方法や独自の特徴を明記すればラスグッラーの名称を使用可能とする)という判決が下されたという。
この曲がリリースされたのはその判決が出る直前で、つまりBig Dealはこのリリックを通じてラスグッラーの正統なルーツを主張していたのだ。

これに対してコルカタのラッパーが「ラスグッラーは俺たちのものだ」とアンサーしたりするとなお面白かったのだが、今のところそうした動きはない模様。
コルカタ愛の強いCizzyあたりに、ぜひ仕掛けてもらいたいものである。



続いては、インド西部に足を延ばし、タール砂漠が広がるラージャスターン州を食べ歩こう。
こちらも以前紹介したことがある曲だが、青く塗られた石造りの家が立ち並ぶ「ブルーシティ」ことジョードプルのラップユニットJ19 Squadによる"Mharo Jodhpur".


1:00頃に出てくる料理に注目。
真ん中に置かれたボール状の食べ物が置かれたターリーは、ダール・バーティーと呼ばれるもので、チャパティと同じ生地を団子状にして加熱したバーティーと豆カレーのダールを合わせたもの(リリックでも確かに「ダール・バーティー」とラップしている)。
この地方を代表する料理で、「食べ歩くインド 北・東編」によると、大量の乾燥牛糞を燃やした中にバーティーの生地を投入してローストし、灰や土で蓋をして焼き上げ、最後にギー(精製した発酵バター)をくぐらせて作るこの地方独特の食べ物だという。
その後に出てくるのはミルチ・バダと呼ばれるジョードプル名物のストリートフードで、青唐辛子とジャガイモやカリフラワーをスパイスやバターを合わせた生地でくるんで揚げたものだ。
J19 Squadは他のミュージックビデオでは銃をぶっぱなしたりしているかなりコワモテな連中だが、やはり地元の食べ物には人一倍の誇りを持っているのだろう。

探せばまだまだありそうだが、今回の食べ歩きの旅はここまで。
地域や食文化はさまざまだが、いずれの楽曲からも、「これが俺たちの血や肉を作っているんだ」という誇りと自負が感じられるのがお分かりいただけただろう。

他にも、ヒップホップではないが、ケーララ州には地元の名物料理の名前を冠したAvialというバンドもいるし、とにかくインドのミュージシャンの地元料理愛には驚かされるばかり。
コロナ禍でなかなか旅に出られない状況が続くけれど、また面白い食べ歩きミュージックビデオがあったら紹介してみたい。


ところで、今回の記事を書くにあたって、どんなにタイトルを考えても、小林真樹さんの名著「食べ歩くインド」(旅行人)に似てしまって仕方なかったので、この際リスペクトを込めて、思いっきりパクらせていただきました。
南アジアの食文化を、ここまで広く、深く、そして面白く紹介した本は世界中を探しても他にないはず。
ジャンルは違えどインドのカルチャーを掘る者としても、大いに刺激をいただいた一冊です。
未読の方は、ぜひ。



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2020年08月08日

歴史的名著!『食べ歩くインド』by小林真樹

食べ歩くインド

アジアハンター代表、小林真樹さんの『食べ歩くインド』(旅行人)。
この本が間違いなく面白いだろうということは分かっていたのだが、インドの音楽シーンについて読むべき本が溜まっていたので、秋頃にいろいろ落ち着いてから買おうと思っていた。

ところが、書店でついうっかり実物を見つけてしまい、手にとって、ぱらぱらとページをめくってみたら、もう駄目だった。
自分はけっしてインドのスペシャリストではないけれど、インドに興味を持ってかれこれ20年。
いつしか、インドに関する本を読むとき、未知のことを知るというよりも、どこか「確認する」みたいになっている自分がいた。
ちょっと調子に乗っていたのかもしれない。
何なんだこの本は。
もう、全く知らないことしか書かれていない。
しかも、それがいちいち面白くて、興味(と食欲)をそそる…。

気がついたら、『北・東編』『南・西編』の二冊を持ってレジに並んでいた。
というわけで、今手元には、読み終わったばかりの2冊がある。

この2冊については、SNS上で、旅好き、南アジア好き、南アジア料理好きのみなさんが、的を射た言葉で絶賛しつつ紹介しているのをたくさん読んでいたので、料理についてはズブの素人の自分は、けっして評したりするまい、と固く心に決めていたのだが、あまりの面白さに、気がついたら、こうしてブログに書いてしまっている。
恐るべきは、私の忍耐力の無さではなく、この本の持つ魔力だ。


南インド料理をはじめとする南アジアの料理は、静かな、しかし熱狂的なブームになっていると言われて久しく、びっくりするほど詳しい人がたくさんいるが、この本ははっきりいって怪物だ。
『北』編の「ガルワール料理」「バスタル地方の部族食」、『南』編の「ラヤシラーマ料理」「オーナムのサッディヤ料理」「ウドゥピ料理」とか、まったく聞いたことのない料理が次から次へと出てくる。
パキスタン、バングラデシュ、ネパールといった周辺諸国の料理はもちろん、南アジアのなかでも独特の文化を持つ、インド北東部の「アッサム料理」「ナガ料理」「マニプリ料理」「カシ(メーガーラヤ)料理」までカバーしており、守備範囲の広さと深さでは全く類を見ない奇書だ。

内容は耳慣れない言葉の連続なのだが、はっきりいってそんなことはどうでもいいくらい、この本は面白い。
今まで誰も記していない、ローカルの文化のなかだけに生きている面白いものを追い求める小林さんの情熱がびんびん伝わってくるからだ。
「北インド/ガルワール料理」から一例を挙げると、例えばこんな文章だ。

他のインドの諸地域同様、ガルワールでも豆は最もポピュラーな食材の一つ。主な料理は、バット(黒豆)を使った汁物料理のバット・キ・カチュロニ、ローストしたウラッド豆の豆粥料理であるチェースー、ベスンのガッテー(団子)を具にしたガッテー・キ・サブジーなど。ガハットダール(ホースグラム)もガルワール全体で一般的で、特にこのガハットの豆粥ペーストと野菜を使ったファーヌー(スープ状の煮込み料理)、また冬の間に保存食料として、ペーストにしたウラッド豆を団子にして日干ししたバリーや、同様にムーング豆の乾燥団子マンゴーリーなどがある。バリーもマンゴーリーも野菜汁に入れて食べる。

(一応言っておくと、耳慣れない単語についてはきちんと説明がされているし、巻末には五十音順の用語説明も付いている)
インド料理についての知識があれば、もちろん一層楽しめるのだろうが、私みたいな素人が読んでも、この笑っちゃうくらいに知らない言葉が出てくる文章は楽しくってしょうがない。

小林さんが書く圧倒的な未知の情報のなかに、自分の持つ限られた知識や経験と重なる部分が見つかると、また格別の喜びがある。
個人的に言えば、「コルカタに中華料理が多い理由はこんなことだったのか」とか、「菓子ロシュ・ゴッラ(ラス・グッラー)の地理的帰属をめぐる西ベンガル州とオディシャ州の法廷闘争なんてものがあったのか。そういえばラッパーのBig Dealが『ラス・グッラーはオディシャ生まれだぜ』ってラップしてたな」とか、「パールシー(ゾロアスター教徒)が炭酸飲料の製造をしてた話って、ロヒントン・ミストリーの小説に出てきたな」なんていう発見に、脳内で予想外のシナプスが繋がる快感があった。

小林さんの興味の対象は、食材や調理方法にとどまらず、年月が生み出した店や客の雰囲気、その土地の歴史や文化、民族の伝統や信仰にも及ぶ。
料理の表層的な味だけではなく、その味を生み出した地層のような背景を紐解いてゆく過程は知的興奮に満ちている。
読んでいると、小林さんのなかで、狂気にも似た好奇心が、静かに、しかし激しく燃えていることが、がんがん伝わってくる。

『食べ歩くインド』を読んで、辻調理師学校を設立した辻静雄の著作を思い出した。
フランスの食と食にまつわる文化に魅せられ、その歴史から最先端までをわかりやすく、かつ詳細に書き記した彼の著書は、日本におけるフランス料理の普及に多大な役割を果たした。
自分は西洋の料理にも全く疎いが、一時期、読み物としての面白さにはまって、彼の本を夢中になって読んでいた。
『食べ歩くインド』も、数十年後には、同じように「古典」としての評価が確立しているはずだ。
今後、日本で、いや、もしかしたら世界で、インドの食や料理について書くとき、『食べ歩くインド』以前と以後に時代が明確に二分されるのではないか、という気すらしている。

なんか興奮して気持ち悪いくらいに絶賛してしまっているが、そういう本だ、これは。


最後にもうひとつだけ。
あとがきに書かれていた「誤解を恐れずにいえば、インド食べ歩きは美味しさの追求が最優先事項ではありません」という文章に、思いっきりシビれた。
(じゃあ何が最優先なのかは、ぜひご自身で読んでみてください)

私は「古典音楽でも映画音楽でもないインド音楽」という、極めてニッチなテーマでブログを書いているが、同様に誤解を恐れずに言えば、そこに音楽としての完成度の高さを追求しているわけではない(何を音楽の完成度とするかは置いておいて)。
ポピュラーミュージックとしての完成度や新しさ、社会へのインパクトを最優先事項とするならば、他に書くべき音楽はいくらでもあるだろう。
それでも、現代ポピュラー音楽の直接的ルーツである欧米から地理的・文化的な距離があるうえに、様々な民族、言語、宗教、伝統、歴史、価値観がときにモザイクのように、ときに坩堝のように合わさったインドという磁場で生み出される新しい音楽(とその背景)に、言いようのない面白さを感じているのだ。

インドという汲めども汲めども決して面白さの尽きない泉のような国で、小林さんが料理文化を追求しているように、自分も音楽カルチャーをこれからも追求していこう、という思いを新たにした次第です。


『食べ歩くインド』を読んでいて思い出したミュージックビデオを2つほど貼りつけておきます。

オディシャ(オリッサ)州プリー出身の日印ハーフのラッパーBig Dealによる、世界初のオディア語ラップ"Mu Heli Odia" .

2:20頃から「奴らにラスグッラーはオディシャのものだと教えてやれ」というリリックが。
西ベンガル州とのラスグッラー訴訟の話を読んだあとだと、この「奴ら」っていうのは、インド人全般って意味じゃなくてベンガル人のことなのかな、なんて思ったりもする。

ジョードプルのヒップホップグループJ19 Squadが同郷のラッパーJagindar RVとSumsa Supariと共演した地元讃歌"Mharo Jodhpur".

『食べ歩くインド』を読んで、この1:00から出てくる団子みたいなのが、全粒粉を丸めて火を通したラージャスターン名物ダール・バーティなるものだと分かったのはうれしかった。(その後に出てくるのは「カスタ・カチョーリー」か?)

インド人は基本的に地元愛が非常に強いので、他にもローカルな食べ物が出てくるミュージックビデオがあった気がするんだが…自分がいかに食文化を見過ごしちゃっているかを思い知らされた。

最後の最後に、『食べ歩くインド』を読んだ全員が必ず思う感想を、私にも言わせてください。
「コロナが落ち着いたら、インドに行ってこの本片手にいろんなものを食べまくりたい!」


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goshimasayama18 at 02:10|PermalinkComments(0)

2019年04月25日

史劇映画『パドマーワト 女神の誕生』はほぼ実写版『北斗の拳』だった!(絶賛です)

6月7日に待望の日本公開が決まったインド映画『パドマーワト 女神の誕生』(原題"Padmaavat"、ヒンディー語。配給Spacebox)の試写を、インド・イスラーム研究者の麻田豊先生と鑑賞するという素晴らしい機会をいただいた。
この作品はインド映画史上最高額の制作費をかけた超大作で、昨年インド国内で大ヒットを記録したもの。
これがまた最高だったので、今回は音楽を離れて、この映画の話題を書いてみたいと思います。

予告編はこちら

この『パドマーワト 女神の誕生』は、16世紀のラクナウ(現ウッタル・プラデーシュ州の州都)地方のスーフィー(「イスラーム神秘主義者」と訳される)詩人マリク・ムハンマド・ジャーヤシーによる叙事詩を映画化したもの。
原作となった叙事詩は、13世紀から14世紀 にかけてのインド北部の史実を題材としたもので、今日でもインドで親しまれている物語だというから、さしずめ日本でいう「平家物語」とか「忠臣蔵」のようなものなのだろう。

この映画は当初インドで2017年12月に公開される予定だったが、ヒンドゥー至上主義団体からの抗議のために1ヶ月以上公開が延期され(わりとよくあることではあるが)、またマレーシアでは逆に「イスラームが悪く描かれている」という理由で上映禁止になったといういわくつきの作品だ。 
『女神の誕生』という邦題のサブタイトルや、「その"美"は、やがて伝説になる」というキャッチコピーは、バーフバリ以降急増している女性ファンを意識したものと思われるが、とことんこだわったというふれこみの映像美にも増して印象に残ったのは、愛や義や野望に忠実に生きる登場人物の苛烈で劇画的なかっこよすぎる生き様だった。


あらすじをごく簡単に説明してみる。
義を重んじるメーワール王国の王ラタン・シンは、シンガラ国(現スリランカ)出身の絶世の美女パドマーワティと恋に落ち、妃とした。
同じ頃、ハルジー朝では己の野望のためには手段を選ばない暴君アラーウッディーンが、国王である叔父を亡き者にしてスルターンの座につく。
パドマーワティの美貌の噂を聞いたアラーウッディーンは、王妃を我がものにすべくメーワール王国に攻め入るが、強固なチットール城に阻まれて退却を余儀なくされる。
だが、和睦を持ちかけると見せかけて奸計を仕掛けたアラーウッディーンは、国王ラタン・シンを捕らえ、デリーの居城に幽閉してしまう。
アラーウッディーンはラタン・シンの身柄と引き換えにパドマーワティをデリーに誘い出そうとする。
しかしパドマーワティの決意と機知、そしてアラーウッディーンの第一王妃メヘルニサーの計らいによって、ラタン・シンはデリー脱出に成功する。
だがこれでアラーウッディーンが諦めるはずもなく、ハルジー朝は秘密兵器を携えて再度のメーワールを侵攻する…。


ヒンドゥーのメーワール王国とイスラームのハルジー朝の戦いの物語ではあるのだが、物語の主眼は宗教同士の戦いではなく、劇画的なまでにキャラが立った人間群像の生き様だ。
戦いの場においてさえ信義を優先させる高潔なラージプート(インド北西部の砂漠地帯ラージャスターンの戦士)の王ラタン・シンと、より強大な権力を目指し、欲しいものは全て手に入れようとする暴虐なスルターンのアラーウッディーン。
対照的でありながらも、愚かしいまでに己の誇りのために生きる二人の王に対し、后であるパドマーワティーとメヘルニサーは、国の平和のために知恵と愛で難局に立ち向かう。
あまりにも熱く激しく、そして悲しい物語は、まるであの『北斗の拳』のような印象を受けた。

強大な力を持ち手段を選ばないアラーウッディーンは気持ちいいほどのラオウっぷりだし、美しさと優しさと強さを兼ね備え、強い男たちを虜にするパドマーワティーはユリアを彷彿とさせる。
ラタン・シンとアラーウッディーンが宮中で対峙するシーンでは、宿敵同士であるはずの二人から、王としての誇りを持った者同士の不思議な「絆」さえ感じられ、さしずめ往年の週刊少年ジャンプのごとく「強敵」と書いて「友」と読みたくなってしまった。
(『北斗の拳』をご存知ない方はごめんなさい。世紀末の暗殺拳をテーマにした武論尊原作の名作マンガがあって、今40代くらいの男性は夢中になって読んだものなのです)

インドの古典叙事詩が持つロマンと日本の少年マンガ的なヒロイズムに共通点があるというのは面白い発見だった。
普遍的な人の心を惹きつける物語の要素というものは時代や場所が変わってもあまり変わらないものなのかもしれない。

とにかく、荒唐無稽なまでのキャラクターを凄まじい迫力と美しさで演じきった俳優たちの演技が大変すばらしく、ものすごいテンションで観客を映画の世界に引き込んでゆく。
じつは、物語が転がり始めるまでの序盤は若干退屈な印象を受けていたのだが、後半の怒涛の展開、そして美しくも激しい圧巻のラストシーンを見終わってみれば、呆然とするほどの満足感にしばらく席を立てないほどだった。

アラーウッディーン役のランヴィール・シンは "Gully Boy"(こちらに詳述)の繊細な主人公役とはうってかわって、狂気に満ちたアンチヒーローを鬼気迫るほどに演じきっている(制作は『パドマーワト』のほうが先)。狂気的な野望の持ち主でありながら、夜空の下で詩を吟じたりもする姿は憎たらしいほどにかっこいい。
絶世の美女パドマーワティを演じるディーピカー・パードゥコーンは外見的な美しさはもとより、内面の美しさ、強さ、誇り高さまでも感じさせる演技で、絢爛な衣装やセットの中でもひときわ美しく輝いている。かなり保守的なものになりかねない役柄を、強い意志と機知とたくましさをもった女性として描いたのは、彼女の演技に加えてサンジャイ・リーラ・バンサーリー監督の手腕でもあるのだろう。
高潔なラージプートの王、ラタン・シンを演じたシャーヒド・カプールも義と誇りに生きる男の強さと悲しさを完璧に表現し、ランヴィールとの素晴らしい対比を見せている。

己のプライドに生きる男たちと同様に、いやそれ以上に強烈な印象を残すのが誇り高き王宮の女性たちだ。
美しく、賢く、強い意志を持った女性たちが、悲劇的なストーリーの中で見せる気高さは何にもまして際立っており、「ラージプートの男たちが強いのは、強い母がいるからですね」という台詞がとくに印象に残った。
また詩人や宦官の奴隷、王に忠誠を誓う戦士といった脇役たちもそれぞれキャラが立っていて、ストーリーに花を添えている。

「究極の映像美」というふれこみに違わず、もちろん映像も素晴らしい。
20年前に訪れたラージャスターンでは、乾燥した大地に映える極彩色の民族衣装が印象的だったので、映像美と聞いてめくるめく色の洪水を想像していたのだが、予想に反してこの映画の基調となるのはセピア色を基調とした深みのある映像。
広大な砂漠や壮麗な王宮、絢爛な衣装を落ち着いた色調で描いた映像は、この壮大な歴史ドラマにふさわしい重厚さを演出している。

以下、映画を見るときにぜひ注目して欲しい部分。
(ほとんどが麻田先生の受け売りですが…)

・制作途中に数々の抗議や脅迫を受けた映画というだけのこともあって、冒頭に長々とした免責事項の説明がある。曰く、「この映画の地名、言語、文化、思想、伝統、衣装…等はフィクションであり、いかなる信仰や文化も軽んじる意図はない。サティ(インドの法律で禁止されている寡婦の殉死の習慣)を推奨するものではない。動物が出てくるシーンにはCGが使われ、実際の動物は大切に扱われた」云々。ちなみに制作中には前述の反対の声もあったというものの、映画が公開になると評価はほぼ賛辞ばかりになったらしい。

・映画の中で詩人として言及されるアミール・フスローは13世紀〜14世紀にかけて活躍したスーフィーの詩人、音楽家で、カッワーリーの創始者、タブラの発明者でもあり、北インドの古典音楽であるヒンドゥスターニー音楽の基礎を築いた人物である。

・アラーウッディーンが叔父から贈られた従者カフールは、字幕では「贈りもの」としか書かれていないが、実際は当時のイスラーム王宮に多数いた宦官の奴隷という設定である。その後のアラーウッディーンへの同性愛を思わせる場面は、こうした設定が背景となっている。

・戦闘シーンではメーワール王国の太陽の旗とハルジー朝の三日月の旗が対照的だが、実際にメーワールの紋章は太陽とラージプート戦士の顔を象ったもので、三日月はイスラームの象徴である。

・この映画にも『バジュランギおじさんと、小さな迷子』で見られたような、ムスリムがヒンドゥーに対してヒンドゥー式のあいさつ(お礼)の仕草(両手を合わせる)をし、それに対してヒンドゥーがイスラーム式に「神のご加護を」と言う場面がある。女たちによるこのシーンは、男たちの戦いを描いた映画のなかで非常に印象的なものになっている。

・パドマーワティだけが、鼻の中央にもピアスをしていたが、何か意味があるのだろうか。王妃という地位を表すもの?

・サブタイトルに「女神の誕生」とあり「パドマーワティが女神のように崇拝されている」との説明があるが、物語の中でも現実世界でも、神々の一人として崇拝されているわけではない。パドマーワティの人気はあくまで伝説上の人物としての尊敬であり、信仰とは別のものだ。

・映画の中で「尊厳殉死」という漢字があてられている「ジョーハル」は、戦争に敗北した際に、女性たちが略奪や奴隷化を防ぐために集団で焼身自殺するというラージャスターンでかつて見られた風習である(井戸に飛び込んだりすることもある)。冒頭の免責事項にあるサティは、寡婦が夫の火葬の際に、夫の亡骸とともに焼身自殺する風習で、法律で禁止されているものの近年まで行われていたとされる。

・映画では悪役として描かれているハルジー朝だが、この「デリー諸王朝時代」はヒンドゥーとイスラームの習慣や文化が融合し、多様な文化が発展した時代でもある。この時代を多様性や寛容の象徴として'Delhi Sultanate'というアーティスト名にしたのが、デリーのスカバンドSka VengersのフロントマンTaru Dalmiaだ。彼は昨今の宗教的ナショナリズムに反対し、BFR Soundsystem名義で社会的な活動にも取り組んでいる。
「Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」

・サンジャイ・リーラ・バンサーリー監督は音楽の才能にも恵まれており、この映画を彩る音楽も監督の手によるもの。インド古典音楽のエモーションとハリウッド的な壮大さが融合した楽曲が多く、作品をより魅力的なものにしている。とくに、物語の舞台となった北インド独特の力強いコブシの効いた古典ヴォーカル風の楽曲は必聴。

と、一度見た限りの印象(と麻田先生から教わった知識)ではあるが、ぜひこうした枝葉の部分にも注目して楽しんでいただきたい。


さすがに話題の大作というだけあって、昨年日本で英語字幕での自主上映が行われた時点でかなり詳しい紹介しを書いている方もたくさんいて、中でも充実しているのはポポッポーさんのブログ。
『ポポッポーのお気楽インド映画 【Padmaavat】』
史実や伝説との関係、上映反対運動のことまで詳しく書かれているのでぜひご一読を。


音楽ブログなので最後に音楽の話題を。
ラージャスターンの気高き戦士、ラージプートの誇りは現代にも受け継がれていて、ジョードプルのラッパーデュオ、J19 Squadは、以前このブログで行ったインタビューで、彼らのギャングスタ的なイメージについて、
「ラージャスターニーはとても慎ましくて親切だけど、もし誰かが楯突こうっていうんなら、痛い目に合わせることになるぜ。ラージプートの戦士のようにね」
と答えている。
 彼らの地元である砂漠の中のブルーシティ、ジョードプルの誇りをラップする"Mharo Jodhpur".
城に食べ物に美しい女性たち。地元の誇りがたくさん出てくる中、ラージプート・スタイルの口髭をぴんとはね上げた男たちも登場する。
これが問題のラージャスターニー・ギャングスタ・ヒップホップ。現代的なギャングスタにもラージプートのプライドが受け継がれているのだ。

地元のシンガーRapperiya Baalamと共演した"Raja"は、色鮮やかなターバンや民族衣装、ラクダに馬とラージャスターニーの誇りがいっぱい。

ラージャスターンのヒップホップについては何度か記事にしているので、ご興味があればこちらもお読みください。
「インドいち美しい砂漠の街のギャングスタラップ J19 Squad」
「忘れた頃にJ19 Squadから返事が来た(その1)」
「魅惑のラージャスターニー・ヒップホップの世界」

本日はここまで!
麻田先生、このたびは本当にありがとうございました!


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2018年05月13日

忘れた頃にJ19 Squadから返事が来た!(その1)

このブログの熱心な読者(いらっしゃるのでしょうか…。いたら手を上げてください)なら、かれこれ1ヶ月半くらい前にラージャスタン州のギャングスタ・ラッパー集団J19 Squadを取り上げたことを覚えているかもしれない。

インドの伝統文化を色濃く残す砂漠の土地ラージャスタンの香りをぷんぷんさせながら、同時に平気で銃をぶっ放すとんでもないワルでもあるJ19 Squadに興味津々となったアタクシは、さっそくインタビューを申し込み、いくつかの質問を送った。
その日のうちに彼らから「Much love, bro. すぐに答えるぜ」との返信が来たが、その後の音沙汰がないまま時は流れゆき、そろそろ1ヶ月になろうかというとある日、完全にあきらめかけた頃に彼らから返事が来た。
その回答を読んで、もう少し質問したいことが出てきたので、改めてメッセージを送る。
「Much love, bro. すぐに答える」
…が、またしても返事は来ない。

催促を送ること一度、二度。
「すぐに返事するぜ、bro.」

まだ次の返事は来ていないのだけど、せっかくいただいた1回目の内容をずっと寝かせておくのも何なので、ここでひとまずこれまでのインタビューの模様をお届けします。
その前に、彼らの音楽をおさらい!

彼らの地元「ブルーシティ」ことジョードプルへの愛に溢れた曲。
"Mharo Jodhpur"


ワルさで言えばこの曲が一番"Bandook".
2:30からの英語のセリフ「You know why we are doing this? We are doing for our streert, our people, our city man. Ain't no body gonna stop us. Hahahaha. Yeah, You know who we are, J19 Squad!」ってとこがイカしてる!
最後のSquad!でキメるとこ、好きだなあー。
笑顔で銃をぶっ放す女の子たちも、なんかよく分からないけどキュート!


ボブ・マーリィへのトリビュートと題された、"Bholenath".
やってることはシヴァ神を祀った寺院でのひたすらな大麻の吸引で、ボブはどこ?って感じがするんだけど。それにインドでも大麻は一応違法なはずだけど、こんなに堂々とビデオで吸っちゃってて大丈夫なのだろうか。


これらのビデオを見てわかる通り、彼らの魅力を一言で表すとすれば、ラージャスタン土着の男っぽさと、ヒップホップ由来のの"サグい"(Thug=ワルい)感じの共存。
果たしてそんな彼らの素顔はどんななのか?

質問に答えてくれたのはメンバーのPK Nimbark.
インドのヒップホップシーンの中でも未知の地、ラージャスターニー・ラップの話を存分に聞かせてくれました!

凡「インタビューに協力してくれてどうもありがとう。まず最初に、”J19 Squad”ってどういう意味?
ビデオだと大勢の仲間たちが写ってるよね。
全部で19人のメンバーがいるの?JはジョードプルのJ?」

J「J19 Squadはラージャスタン州、ジョードプルのヒップホップデュオだ。インドのヒップホップシーンの中で、ラージャスタンを代表(represent)している。Young HとPK Nimbarkの2人で結成されたんだ。ビデオに写っているのは地元の俳優やモデルで、彼らはJ19 Squadに所属しているわけではない。そう、JはJodhpurのJで19は俺たちのエリアコード(郵便番号のようなものか?)だ。」

なるほど。
いかにも地元のギャングの仲間って感じだった彼らは役者さんたちで、あくまで演出だったということか。
マジで怖い人たちではないのかも。
ちょっと安心だけどまだ油断はできない。

凡「音楽的にはどんな影響を受けたの?あなた方の音楽はすごくオリジナルだと思うんだけど。もし海外やインドのアーティストの影響を受けていたら教えて」
J「そうだな。俺たちはジョードプルの別々の地域の出身なんだけど、学校に通ってた頃から音楽に夢中だった。磁石のように音楽に引きつけられているんだ。
Young HはアメリカのラッパーのTIにインスパイアされていて、俺はEminemだな」

おお!ここでもエミネムの影響。
TIはサウスのギャングスタラッパーで、トラップの創始者と言われることもあるアーティスト。
やはり二人ともワイルドなイメージがあるラッパーが好みなのか。
DIVINEがクリスチャンラッパーのLacrae、Big Dealがケンドリック・ラマーのようなコンシャスラッパーに影響を受けていることとは対照的だ(まあこの2人もエミネムからの影響は公言してるけど)。

凡「トラックを作って、リリックを書いて、ラップして、って全部自分たちだけでやってるの?」

J「そうだ。俺たちの曲は全部自分たちによるオリジナルの作品だ。Young Hが曲を作っている。彼がミキシングやマスタリングをやっているんだ。歌詞は2人で協力して書いている。”Go Down”と”Raja”は俺たちの曲じゃなくて、”Go Down”はSir Edi、”Raja”はRapperiya Balam(原文ママ)によるプロデュースだ。」

なるほど。
ここで名前が出てきたRapperiya Baalamは朴訥としたフュージョン・スタイル(伝統音楽と現代音楽のミックス)で美しき故郷ラージャスタンについて歌うシンガー。


Rapperiyaの素朴さとJ19 Squadのワイルドさが郷土愛で結びついたこの曲"Raja"は、彼らだけがたどり着くことができたインディアン・ヒップホップのひとつの到達点!と個人的には思います。



さて、そろそろ彼らの最も気になる点について聞かねばなるまい。
彼らのビデオは非常に暴力的。
銃をバンバンぶっ放したりしているけど、これはマジなのか。
確信をついた質問をしてみた。

凡「あなたたちのミュージックビデオがとても気に入っているんだけど、”Bandook”はまさにリアルなギャングスタ・ライフって感じだよね。これはあなたたちの実際の生活がもとになっているの?それともフィクション的なものなの?」

J「そうだな。Bandookはじつにクールなギャングスタ・ソングだが、それが俺たちのライフスタイルってわけじゃない。俺たちはもっとふつうに暮らしているよ。これがフィクションなのか実際に起きうることなのかっていうのは言えないな。実際のところ、このビデオはラージャスタン人のライフスタイルに基づいている。彼らはとても慎ましくて親切だけど、もし誰かが楯突こうっていうんなら、痛い目に合うことになるぜ。ラージャスタンの王族に仕えたラージプートの戦士のようにね。」

彼らの回答に出てきたラージプートは、ラージャスタン州の誇り高き戦士(クシャトリヤ)カーストのこと。7世紀〜13世紀にかけてこの地方に王国を築き、幾度も西方からのイスラム勢力のインド亜大陸への侵入を防いだ勇猛さで知られる。
彼らのミュージックビデオを見てもわかる通り、今でもとにかく地元愛の強い土地柄なのだ。
それと、この回答を聞いて正直ちょっとほっとした。
いくらジョードプルと日本で距離が離れているとはいえ、平気で銃をぶっ放すような連中に「俺たちがフェイクだって言うのか!」とか怒られたらさすがにちょっとビビるからね。

次に、彼らについてもうひとつ気になっていたことを聴いてみた。

凡「あるときはヒンディー語で、あるときはラージャスターニー語でラップしているよね。どうやってラップする言葉を決めているの?」

J「俺たちはヒンディー語でラップを始めた。でもラージャスターニー語はインドのヒップホップじゃ全然使われていなかったから、俺たちがここで本物のラップを紹介しようって決めたんだ。(地元に)ヒップホップミュージックのシーンを作るためにね。実際にいまシーンを作っているところだよ。これからもデシ・ヒップホップのシーンのためにはヒンディーで、地元のシーンのためにはラージャスターニーで、両方の言語で曲を作っていくつもりだ」

なるほど!
彼らは愛する地元ジョードプルに、同じく彼らが心から愛するヒップホップを根づかせるために地元の言語で歌っていたのだ。
ビデオでの暴力的な表現は、ヒップホップのギャングスタ・カルチャーを地元の勇猛なラージプート文化と融合して、ラージャスタン風に翻案したものということなのだろう。
ものすごいギャングスタのように見えて、案外周到に計算された表現様式なのかもしれない。
それからここで出てきたデシ・ヒップホップというのは海外の移民を含めたインド系アーティストのヒップホップを指す言葉。
彼らはラージャスタンにヒップホップを広めるとともに、より大きなマーケットでの成功も視野に入れているようだ。

そんな彼らのインタビューその2がお届けできる日は来るのか?
あまり期待はしないでお待ちください。
20年前からインド人にすっぽかされるのは慣れてるんだけどさ。 

goshimasayama18 at 12:35|PermalinkComments(0)

2018年04月01日

インドいち美しい砂漠の街のギャングスタラップ J19Squad

インドでどこがいちばん素敵な街だった?と聴かれたら、それはなかなか難しい質問だ。
インドらしさという点でいえば混沌と聖性の街ヴァラナシか、歴史のある大都会デリーやムンバイか、現代的な大都会バンガロールか、いやいや大都市ではなく鄙びたブッダガヤやプリーも捨てがたい。
異国情緒のあるゴアや、独自の文化のあるシッキムも素晴らしく、まだ行ったことのない南インドや北東部にも素晴らしい場所はいくらでもあるだろう。

インド西部ラージャスタン州に、ジョードプルという街がある。
別名は「ブルーシティ」。
旧市街にある、築500年にはなろうかという家々の多くが青く塗られていることから、そう呼ばれている。
タール砂漠の乾燥した大地に、青い石造りの家と、人々の鮮やかな民族衣装が映える美しい街だ。

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jodhpurmen


People_in_Jodhpur_07

そう。アタクシは、インドでいちばん「美しい街」は?と聞かれたら、ジョードプルと答えることにしている。
古き良きインドが残っていて、ラクダに乗って砂漠の村々を訪れれば、何百年と変わらぬ暮らしをしている人々がいる。
青い旧市街は何よりも美しく、街の人々も大都会の観光地に比べてずっとフレンドリーだ。

ってのは全部、20年くらい前の記憶なのだけど、 果たしてあのジョードプルにもラッパーっているのかしらん、と思って調べてみたら、いた。
それもすんごいギャングスタラップ集団が。

ここまで紹介してきたインドのラッパーは、Big DealもBKも、ヒップホップのワイルドさは保ちつつも、基本的にはポジティブかつ真摯なメッセージをラップしていた。
あるいは、政治的な主張や差別への抗議をラップするとかね。
ところが今回紹介する連中はとことん「悪」。

奴らの名はJ19 Squad.
まずは1曲聴いてくださいよ。ワルいぜー。 "Bandook"

物騒な感じの連中が大勢集まって、ナイフを持った男にピストルを突きつけたり、女性を拉致したり、銃をぶっ放したりしてる。なんてやばそうな奴らなんだ。

今まで紹介した中ではストリート寄りのBrodha VとかDIVINEと比べても、はるかに強烈かつ直球なギャングスタアピール。
ラップのスキルも高くて、それも言葉は分からないなりにも、俺たちとんでもないワルだぜ、って感じムンムンのラップをしている。
2:40くらいからの「誰も俺たちを止められないぜ、ハッハッハー!俺たちが誰だか分かってんだろ。J19スクワッドだ!」っていうブレイクのところも、ベタだけどカッコよく決まってる。
ひと気のない道でこんな人たちに会ったら、思わず用事を思い出したふりして引き返すね、アタクシは。

かと思えば、ボブ・マーリィに捧げる、ってな曲もやってたりする。
"Bholenath A Tribute to Bob Marley"

…あの、みなさんいきなり思いっきり大麻吸ってるんですけど。
なんかヒンドゥー寺院みたいなところで、連中、ひたすら大麻吸ってる。
歌詞は分からないけど、ボブ・マーリィ全然出てこないし。
コブラやシヴァ・リンガ(男根の象徴)と、シヴァ神のシンボルばかりが出てきて、トリビュート・トゥ・ボブというよりトリビュート・トゥ・シヴァといった感じのような気もするな。
っていうか、インドでも大麻って違法なはずだけど、こういうビデオをアップして大丈夫なんだろうか。

で、なかでも最高なのがコレ!
地元のシンガーと思われる、Rapperiya Baalamと共演している曲"Raja"(王)

いきなりラクダに乗った男が(彼がRapperiyaか?)、いい感じに訛りのきついラップをかます。
インドっぽいトラックにラップを乗せる、っていうのは今までもあったけど、これはヒップホップ色の強いトラックに民謡っぽい歌が乗る!
そんでラッパーたちは地元の移動遊園地を練り歩きながらラップしまくる。
このビデオ、本当に最高じゃないか!
ヒップホップのルーツの黒人っぽさはもはやゼロで、完全にインドのラージャスタンの空気なのに、それでいて完璧にヒップホップのヴァイブがある、と思いませんか?
なにしろ、革ジャンのラッパーとターバンを巻いてラクダに乗った男が何の違和感もなく共存している。
これはラージャスタンの砂漠の男たちがアメリカ生まれのヒップホップを飲み込んだ瞬間のドキュメンタリーだとも言えるんじゃないだろうか。

そんな彼らも地元ジョードプルは何よりも誇りに思ってる(言葉わからないけど、多分)。
こないだ書いたインド各地のご当地ラッパーの記事でも紹介した、地元ジョードプルを讃える歌(多分)、"Mharo Jodhpur"


それにしても、彼ら、毎回大勢で映っているけど、J19というだけあって19人組なんだろうか。
地元のラージャスターニー語でラップしている曲もあれば、ヒンディーでラップしている曲もある。
( Youtubeのタイトルに"Rajasthani Rap"とか"Hindi Rap"とか書かれている)
かと思えば、つい最近リリースされた曲は、なんと"Hindi Rock".

歌はラップだけど、まさかの生バンドだ。
いったいJ19 Squadとは何者なのか?
JはジョードプルのJ?
19は人数?
ラッパーと楽器部隊がいるの?
ギャングスタっぽいアピールはマジ?それともフィクション?

さほどメジャーなグループではないらしく、検索してもさっぱり分からないしインタビュー記事などもヒットしない。
謎は深まるばかり。
彼らにもインタビューのオファーをしてみようと思うのだけど、果たして返事は来るでしょうか? 
乞うご期待! 

goshimasayama18 at 14:05|PermalinkComments(0)