IndianFortuneTeller
2018年11月13日
(100回記念企画)謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体
前回のあらすじ:
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説。
1990年代のバンコク、カオサン。
2010年代のロンドン。
あらゆる場所に出没する謎のインド人占い師の情報が、さまざまな国の本や新聞、そしてインターネットで報告されていた。
調べてみると、「彼」は他にもカナダやオーストラリアやマレーシアなど、世界中のあらゆる場所に出没しているようだ。
「彼」の手口は、手品のようなトリックを使って人の心の中を的中させては、金品を巻き上げるというもの。
時代や場所が変わっても、全く同じ手口が報告されていた。
シク教徒のようなターバンを巻いたいでたちで現れ、ときに「ヨギ・シン(Yogi Singh)」と名乗る「彼」。
まるでタイムトラベラーのような「彼」はいったい何者なのか。
複数のインド人に聞いても、その正体を知るものはいなかった。
「彼」の存在に気づいた世界中の人々が不思議に思っているが、誰もその答えは分からない。
私はシク教徒のなかに、そのような占いを生業にする集団がいるのではないかと考えたが…。
(続き)
「彼」の正体はひょんなことからあっけなく判明した。
大谷幸三氏の『インド通』という本(白水社)に、その正体が書かれていたのだ。
ノンフィクション作家で漫画原作者でもある大谷氏は、1960年代から70回以上もインドに通い、元マハラジャから軍の要人まで多彩な知己のいる、まさにインド通。
この本の「クトゥブの予言者」という章に、「彼」の正体と思われる答えが書かれていた。
このエピソードもまた、思い出話から始まる。
それは彼が2度目にインドを訪れた時の話。舞台はデリーだ。
大谷氏が郊外の遺跡「クトゥブ・ミーナール」を訪れた時のこと。
クトゥブ・ミーナールは、いまでは観光客で賑わう遺跡だが、当時は人気もまばらな場所だった。
そこで、大谷氏は予言者だという白髭に長髪姿の老人に声をかけられた。
老人は唐突に大谷氏の家の庭にある松の木の本数を的中させ驚かせると、こう不吉な予言を言い残した。
「お前は人生のうちに、三十二度インドへ帰ってくるであろう。このインドの天と地の間で、お前は名声と富を得るだろう。そして、三十二度目のインドで死ぬであろう」
この謎の預言者が「彼」なのではない。
話は続く。
インドに魅せられた大谷氏は、予言通りにその後何度もインドを訪れることになる。
そこで出会ったインドの友人たちにあの占い師のことを伝えると、彼らは皆本気で心配した。
あの預言者はお金を要求しなかった。
金銭に執着しない聖者のような占い師は、詐欺師まがいではなく本物の予言者である可能性が高いからだ。
ある友人がその占い師の消息を探すと、彼はもう亡くなっているらしいことが判明する。
これは悪い知らせだ。
死んだ占い師の予言を覆すことはできない。
友人たちは、大谷氏に、一回のインド滞在をできるだけ長くして、三十一回目にインドを訪れたら二度と戻ってくるなと真剣に忠告した。
少なくとも当時のインド社会では、力のあるものによる予言は、極めてリアルなものと考えられていたのだ。
そんな中、ただ一人この予言を信じず、真っ向から否定する友人がいた。
彼の名前はハリ・シン。
占い師の家系に生まれた、シク教徒だ。
彼は、全ての占いは欺瞞であると言って憚らなかった。
彼のこの態度は、家族の生業と自分の運命に対する、複雑な気持ちによるものだった。
彼の父は高名な占い師だった。
それなのに、なぜ家族は裕福になれなかったのか。
未来を知る能力があるのに、なぜ幸せな未来を手に入れられなかったのか。
自分の境遇へのやるせない思いが、「占い」への疑念や憤りへと変わっていったのだ。
彼は、酒に酔うと、小さい頃に仕込まれた、相手が心に浮かべた数字や色を当てるトリックを、簡単なまやかしだと言って披露しては悪態をついた。
(しかし、この本に書かれているトリックでは、相手の母親や恋人のような固有名詞を当てることはほぼ不可能で、依然として謎は残るのだが)
インドでは辻占は低い身分の仕事とされる。
さきほど「金銭に執着しない占い師は詐欺師まがいではなく本物の予言者」と書いたが、これは「お金のために占いを行う辻占は詐欺師同然」ということの裏返しだ。
ハリ・シンの出自は、彼にとって誇らしいものではなく、憎むべきものだった。
彼は小さい頃に家を出て、占いではなく物売りをして生計を立てていたが、それでは食べてゆくことができず、皮肉にも彼もまた占い師になる道を選ぶことになる。
「逃れようとしても逃れられないのがジャーティだ」とブラーミン(バラモン)の男は言ったそうだ。
ハリ・シンは、インディラ・ガンディー首相暗殺事件に端を発するインド国内でのシク教徒弾圧を避け、子ども達の教育費や結婚資金を稼ぐため、オランダに渡ることを選んだ。
外国で占い師として稼いだお金を、インドに仕送りとして送るのだ。
字も書けないというハリ・シンが、占い師という職業でどうやって就労ビザを取ったのか、いまひとつよく分からないが、そこはインドのこと、裏金や人脈でどうにかなったのだろう。
もうお分かりだろう。
ハリ・シンもまた、世界中で例の占いをして日銭を稼ぐ、「彼」らのひとりだったのだ。
オランダにもまたひとり「ヨギ・シン」がいたということだ。
ミャンマー、タイ、オーストラリア、イギリス、カナダ、インドネシア。
世界中で「詐欺師に注意!」「不思議!わたしの街にも同じような人がいた!」と報告されている「彼」。
その一人は、自らの家業を憎みつつも、家族のために異国の地で辻占を続け、その稼ぎを故郷に仕送りをする男、ハリ・シンだった。
世界中のヨギ・シンに、きっとこんなふうにそれぞれの物語があるのだろう。
海外で必死で稼いだお金で、「彼」は娘たちの持参金を払い、立派な結婚式を挙げる。
息子たちに質の高い教育を受けさせ、優秀な大学に通わせる。
占い師ではなく、もっと別の「立派な」仕事に就かせるために。
そして、ヨギ・シンの子どもたちはエンジニアに、企業のマーケティング担当者に、どこかのいい家のお嫁さんになる。
医者や弁護士になる人もいるかもしれない。
ヨギ・シンの子どもたちは、もう誰もヨギ・シンにはならない。
誰よりも、ヨギ・シン自身がそれを望んでいるはずだ。
たとえ、成功した子どもたちに、家族代々の仕事を古臭いまやかしだと思われるとしても。
インドにおいて、正統な伝統に基づく占いは、社会や生活に深く溶け込んでいる。
どんなに時代が変化しても、インドから伝統的な占い師がいなくなることはないだろう。
ただ、世界中で報告されている「ヨギ・シン」スタイルの占い師に関してはどうだろう。
彼らの子どもたちが誰も後をつがなかったとき、この守るべき伝統とも考えられていない占い師たちは、歴史の波間に消えていってしまうのだろうか。
このまま「彼」の存在は、知る人ぞ知る、しかし世界中に知っている人がいる、マイナーな都市伝説のひとつになってゆくのだろうか。
2050年の「ヨギ・シン」を想像してみる。
先進国で誰にも相手にされなくなった「彼」は、ようやく経済成長の波に乗ることができたアフリカの小国に辿り着く。
いかにも成金といった風情の身なりのいい男に、ターバンを巻いたインド人が声をかける。
「あなたの好きな花を当ててみせよう」
誰も知らないが、実は彼こそは最後のヨギ・シンだった。
一族の結束はいまだに固いが、この占いのトリックができるのは彼が最後の一人だ。
仲間たちはみな、エンジニアやビジネスマンになり、少数の占い師の伝統を守っている者たちもコンピュータを駆使した新しい方法で占いを行っている。
「彼」もまた子どもたちを大学に行かせるために異国の地で辻占をしているが、子どもたちには後を継がせないつもりだ。
「彼」自身も知らないまま、ひとつの伝統と歴史がもうじき幕を降ろす。
あるいは、「彼」はデリーの郊外あたりに作られたテーマパーク「20世紀インド村」みたいなところで、「ガマの油売り」よろしく伝統芸能のひとつとしてその手口を披露しているかもしれない。
若者たちが物珍しげに眺めている後ろで、年老いたインド人は懐かしそうに彼を見つめている。
パフォーマンスを終えた「彼」に、「ずっと探していたんだ」と話しかける日本人がいたら、それはきっと私に違いない。
話を大谷氏の本に戻すと、このエピソードはまだ終わらない。
あの不気味な予言のことだ。
時は流れ、大谷氏に三十二回目のインド訪問がやってくる。
そこで虎狩りの取材に出かけた大谷氏はあの不吉な予言を思わせる、信じられない目に合うことになる。
詳細は省くが、この章では例のヨギ・シンの辻占以外にも、インドの占い事情が詳らかに紹介されていて、非常に興味深い内容だった。
インド社会のなかで、占いという超自然的な力がどんなふうに生きているのかを知りたい方には、ご一読をお勧めする。
子どもたちも皆結婚し、初老になったハリ・シンは、今となってはもう父を罵ることもなく、こう言っているという。
占い師は自分で自分を占うと、力を失うんだ、と。
彼は、思うようにならなかった運命を、諦めとともに受け入れたのか。
それとも、家族を養う糧を与えてくれた代々の家業を、誇りを持って認めることができたのだろうか。
それにしても、これはいったい何だったんだろう。
たまたま読んだ本と新聞で見つけた「彼」は、インターネットで世界中が繋がった時代ならではの都市伝説の主人公になっていた。
その「彼」の正体は、秘密結社ともカルト宗教とも関係のない、伝統的な生業を武器にグローバル社会の中で稼ぐことを選んだ、インドの伝統社会に基づく「ジャーティ」の構成員たちだった。
これが私がヨギ・シンについて知っていることのすべて。
日本から一歩も出ないまま、インドに関する不思議を見つけ、そしてその答えが分かってしまうというのも、時代なのかな、と思う。
「彼」の正体を知ってしまった今、もし「彼」に出会うことがあったら、いったいどんな言葉をかけられるだろうか。
「彼」に占ってほしいことは見つかるだろうか。
それでもやっぱり、会ってみたいとは思うけれども。
(世界中での「彼 」の出没情報は、「Indian fortune teller」もしくは「Sikh fortune teller」で検索すると数多くヒットする。ご興味のある方はお試しを)
2019年11月18日追記:
この記事を書いてから1年、まさかここ日本を舞台に続編が書けるとは思ってもいなかった。
予想外の展開を見せる続編はこちらから。
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説。
1990年代のバンコク、カオサン。
2010年代のロンドン。
あらゆる場所に出没する謎のインド人占い師の情報が、さまざまな国の本や新聞、そしてインターネットで報告されていた。
調べてみると、「彼」は他にもカナダやオーストラリアやマレーシアなど、世界中のあらゆる場所に出没しているようだ。
「彼」の手口は、手品のようなトリックを使って人の心の中を的中させては、金品を巻き上げるというもの。
時代や場所が変わっても、全く同じ手口が報告されていた。
シク教徒のようなターバンを巻いたいでたちで現れ、ときに「ヨギ・シン(Yogi Singh)」と名乗る「彼」。
まるでタイムトラベラーのような「彼」はいったい何者なのか。
複数のインド人に聞いても、その正体を知るものはいなかった。
「彼」の存在に気づいた世界中の人々が不思議に思っているが、誰もその答えは分からない。
私はシク教徒のなかに、そのような占いを生業にする集団がいるのではないかと考えたが…。
(続き)
「彼」の正体はひょんなことからあっけなく判明した。
大谷幸三氏の『インド通』という本(白水社)に、その正体が書かれていたのだ。
ノンフィクション作家で漫画原作者でもある大谷氏は、1960年代から70回以上もインドに通い、元マハラジャから軍の要人まで多彩な知己のいる、まさにインド通。
この本の「クトゥブの予言者」という章に、「彼」の正体と思われる答えが書かれていた。
このエピソードもまた、思い出話から始まる。
それは彼が2度目にインドを訪れた時の話。舞台はデリーだ。
大谷氏が郊外の遺跡「クトゥブ・ミーナール」を訪れた時のこと。
クトゥブ・ミーナールは、いまでは観光客で賑わう遺跡だが、当時は人気もまばらな場所だった。
そこで、大谷氏は予言者だという白髭に長髪姿の老人に声をかけられた。
老人は唐突に大谷氏の家の庭にある松の木の本数を的中させ驚かせると、こう不吉な予言を言い残した。
「お前は人生のうちに、三十二度インドへ帰ってくるであろう。このインドの天と地の間で、お前は名声と富を得るだろう。そして、三十二度目のインドで死ぬであろう」
この謎の預言者が「彼」なのではない。
話は続く。
インドに魅せられた大谷氏は、予言通りにその後何度もインドを訪れることになる。
そこで出会ったインドの友人たちにあの占い師のことを伝えると、彼らは皆本気で心配した。
あの預言者はお金を要求しなかった。
金銭に執着しない聖者のような占い師は、詐欺師まがいではなく本物の予言者である可能性が高いからだ。
ある友人がその占い師の消息を探すと、彼はもう亡くなっているらしいことが判明する。
これは悪い知らせだ。
死んだ占い師の予言を覆すことはできない。
友人たちは、大谷氏に、一回のインド滞在をできるだけ長くして、三十一回目にインドを訪れたら二度と戻ってくるなと真剣に忠告した。
少なくとも当時のインド社会では、力のあるものによる予言は、極めてリアルなものと考えられていたのだ。
そんな中、ただ一人この予言を信じず、真っ向から否定する友人がいた。
彼の名前はハリ・シン。
占い師の家系に生まれた、シク教徒だ。
彼は、全ての占いは欺瞞であると言って憚らなかった。
彼のこの態度は、家族の生業と自分の運命に対する、複雑な気持ちによるものだった。
彼の父は高名な占い師だった。
それなのに、なぜ家族は裕福になれなかったのか。
未来を知る能力があるのに、なぜ幸せな未来を手に入れられなかったのか。
自分の境遇へのやるせない思いが、「占い」への疑念や憤りへと変わっていったのだ。
彼は、酒に酔うと、小さい頃に仕込まれた、相手が心に浮かべた数字や色を当てるトリックを、簡単なまやかしだと言って披露しては悪態をついた。
(しかし、この本に書かれているトリックでは、相手の母親や恋人のような固有名詞を当てることはほぼ不可能で、依然として謎は残るのだが)
インドでは辻占は低い身分の仕事とされる。
さきほど「金銭に執着しない占い師は詐欺師まがいではなく本物の予言者」と書いたが、これは「お金のために占いを行う辻占は詐欺師同然」ということの裏返しだ。
ハリ・シンの出自は、彼にとって誇らしいものではなく、憎むべきものだった。
彼は小さい頃に家を出て、占いではなく物売りをして生計を立てていたが、それでは食べてゆくことができず、皮肉にも彼もまた占い師になる道を選ぶことになる。
「逃れようとしても逃れられないのがジャーティだ」とブラーミン(バラモン)の男は言ったそうだ。
ハリ・シンは、インディラ・ガンディー首相暗殺事件に端を発するインド国内でのシク教徒弾圧を避け、子ども達の教育費や結婚資金を稼ぐため、オランダに渡ることを選んだ。
外国で占い師として稼いだお金を、インドに仕送りとして送るのだ。
字も書けないというハリ・シンが、占い師という職業でどうやって就労ビザを取ったのか、いまひとつよく分からないが、そこはインドのこと、裏金や人脈でどうにかなったのだろう。
もうお分かりだろう。
ハリ・シンもまた、世界中で例の占いをして日銭を稼ぐ、「彼」らのひとりだったのだ。
オランダにもまたひとり「ヨギ・シン」がいたということだ。
ミャンマー、タイ、オーストラリア、イギリス、カナダ、インドネシア。
世界中で「詐欺師に注意!」「不思議!わたしの街にも同じような人がいた!」と報告されている「彼」。
その一人は、自らの家業を憎みつつも、家族のために異国の地で辻占を続け、その稼ぎを故郷に仕送りをする男、ハリ・シンだった。
世界中のヨギ・シンに、きっとこんなふうにそれぞれの物語があるのだろう。
海外で必死で稼いだお金で、「彼」は娘たちの持参金を払い、立派な結婚式を挙げる。
息子たちに質の高い教育を受けさせ、優秀な大学に通わせる。
占い師ではなく、もっと別の「立派な」仕事に就かせるために。
そして、ヨギ・シンの子どもたちはエンジニアに、企業のマーケティング担当者に、どこかのいい家のお嫁さんになる。
医者や弁護士になる人もいるかもしれない。
ヨギ・シンの子どもたちは、もう誰もヨギ・シンにはならない。
誰よりも、ヨギ・シン自身がそれを望んでいるはずだ。
たとえ、成功した子どもたちに、家族代々の仕事を古臭いまやかしだと思われるとしても。
インドにおいて、正統な伝統に基づく占いは、社会や生活に深く溶け込んでいる。
どんなに時代が変化しても、インドから伝統的な占い師がいなくなることはないだろう。
ただ、世界中で報告されている「ヨギ・シン」スタイルの占い師に関してはどうだろう。
彼らの子どもたちが誰も後をつがなかったとき、この守るべき伝統とも考えられていない占い師たちは、歴史の波間に消えていってしまうのだろうか。
このまま「彼」の存在は、知る人ぞ知る、しかし世界中に知っている人がいる、マイナーな都市伝説のひとつになってゆくのだろうか。
2050年の「ヨギ・シン」を想像してみる。
先進国で誰にも相手にされなくなった「彼」は、ようやく経済成長の波に乗ることができたアフリカの小国に辿り着く。
いかにも成金といった風情の身なりのいい男に、ターバンを巻いたインド人が声をかける。
「あなたの好きな花を当ててみせよう」
誰も知らないが、実は彼こそは最後のヨギ・シンだった。
一族の結束はいまだに固いが、この占いのトリックができるのは彼が最後の一人だ。
仲間たちはみな、エンジニアやビジネスマンになり、少数の占い師の伝統を守っている者たちもコンピュータを駆使した新しい方法で占いを行っている。
「彼」もまた子どもたちを大学に行かせるために異国の地で辻占をしているが、子どもたちには後を継がせないつもりだ。
「彼」自身も知らないまま、ひとつの伝統と歴史がもうじき幕を降ろす。
あるいは、「彼」はデリーの郊外あたりに作られたテーマパーク「20世紀インド村」みたいなところで、「ガマの油売り」よろしく伝統芸能のひとつとしてその手口を披露しているかもしれない。
若者たちが物珍しげに眺めている後ろで、年老いたインド人は懐かしそうに彼を見つめている。
パフォーマンスを終えた「彼」に、「ずっと探していたんだ」と話しかける日本人がいたら、それはきっと私に違いない。
話を大谷氏の本に戻すと、このエピソードはまだ終わらない。
あの不気味な予言のことだ。
時は流れ、大谷氏に三十二回目のインド訪問がやってくる。
そこで虎狩りの取材に出かけた大谷氏はあの不吉な予言を思わせる、信じられない目に合うことになる。
詳細は省くが、この章では例のヨギ・シンの辻占以外にも、インドの占い事情が詳らかに紹介されていて、非常に興味深い内容だった。
インド社会のなかで、占いという超自然的な力がどんなふうに生きているのかを知りたい方には、ご一読をお勧めする。
子どもたちも皆結婚し、初老になったハリ・シンは、今となってはもう父を罵ることもなく、こう言っているという。
占い師は自分で自分を占うと、力を失うんだ、と。
彼は、思うようにならなかった運命を、諦めとともに受け入れたのか。
それとも、家族を養う糧を与えてくれた代々の家業を、誇りを持って認めることができたのだろうか。
それにしても、これはいったい何だったんだろう。
たまたま読んだ本と新聞で見つけた「彼」は、インターネットで世界中が繋がった時代ならではの都市伝説の主人公になっていた。
その「彼」の正体は、秘密結社ともカルト宗教とも関係のない、伝統的な生業を武器にグローバル社会の中で稼ぐことを選んだ、インドの伝統社会に基づく「ジャーティ」の構成員たちだった。
これが私がヨギ・シンについて知っていることのすべて。
日本から一歩も出ないまま、インドに関する不思議を見つけ、そしてその答えが分かってしまうというのも、時代なのかな、と思う。
「彼」の正体を知ってしまった今、もし「彼」に出会うことがあったら、いったいどんな言葉をかけられるだろうか。
「彼」に占ってほしいことは見つかるだろうか。
それでもやっぱり、会ってみたいとは思うけれども。
(世界中での「彼 」の出没情報は、「Indian fortune teller」もしくは「Sikh fortune teller」で検索すると数多くヒットする。ご興味のある方はお試しを)
2019年11月18日追記:
この記事を書いてから1年、まさかここ日本を舞台に続編が書けるとは思ってもいなかった。
予想外の展開を見せる続編はこちらから。
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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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goshimasayama18 at 00:04|Permalink│Comments(27)
2018年11月10日
(100回記念特集)謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい
約1年前に始めたこのブログも今回の記事で100回目。
というわけで、音楽からは離れるのだけど、インドに関する話題で、個人的にここ数年でもっとも面白いと感じている話を2回に分けて書いてみます。
楽しんでもらえるとよいのだけど。
「彼」のことを初めて知ったのは、辺境ノンフィクション・ライター、高野秀行氏の『辺境の旅はゾウにかぎる』(のちに『辺境中毒!』という名前で集英社から文庫化)という本だった。
ある朝方、バンコクの安宿街カオサンで、高野氏がインド人の占い師に声をかけられたところから、この話は始まる。
「君は占いに興味があるか」
ヒマだった高野氏は、そのインド人の相手をしてみることにした。
「彼」は何事か書いた小さな紙を丸めて高野氏に握らせると「君の好きな花は何か」と尋ねる。
高野氏が「Rose」と答えると、「彼」は握った紙を開いてみろという。
なんとそこには「Rose」の文字が書かれていた。
占い師は、その後も次々と同じ手口で好きな色、好きな数字を的中させると、もし同じように母親の名前を当てることができたら、彼が所属する宗教団体に100ドルを寄付しろという賭けをしかけてきた。
いつの間にか、この賭けの証人役と思われる仲間のインド人もやって来ている。
好きな花や色や数字は、偶然の一致、あるいは潜在意識や統計をもとに的中させた可能性もあるだろう。
だが、日本語の母親の名前は当てられるわけがない。
成り行きと対抗意識から高野氏がその要求を飲むと、占い師はなんと母親の名前をも的中させ、100ドルを巻き上げて消えていったという。
それは1993年のことだったというが、話はここで終わらない。
その後、高野氏が1930年代を舞台にしたミャンマーの小説を読んでいると、なんとそこにインド人の占い師による全く同じ手口の詐欺の話が載っていた。
ターバンを巻いたインド人の男が「旦那、占い、どうですか」と声をかけ、好きな数字などを的中させると、仲間のインド人を連れてきて賭けをしかけ、まんまとシャツを勝ち取っていったという話だ。
この小説が出版されたのは1955年だが、著者は1909年生まれ。
著者が実際に1930年代に体験したことがもとになっている可能性が高いという。
高野氏は、1990年代のタイと1930年代のミャンマーで、インド人による全く同じ手口の詐欺が行われていたという事実に驚きつつも、たとえ詐欺であったとしても、変化の激しい時代に60年以上も続いた手口をこれからも大切にしてほしいものだと結んでいる。
当時、これを読んだ私は、どちらもインドが舞台ではないにもかかわらず「うわあインドっぽいエピソードだなあ」と感じたものだった。
インドはワケがわからないことが起こることに関しては世界有数の国(この話、インドじゃないけど)。
こんなことがあっても全く不思議ではないのだが、その後、いつの間にかこの話も忘れてしまっていた。
次に「彼」と出会ったのはそれから数年後。
新聞を読んでいた時のことだった。
2012年9月20日、東京新聞、夕刊。
「世界の街 海外レポート」という海外特派員によるエッセイ風のコーナーにロンドン担当の小杉さんという方が寄せた文章を、少し長いが引用させていただく。
間違いない。
高野氏の本に書いてあった「彼」だ。
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説、1990年代のバンコク、そこにいた「彼」が2012年のロンドンにも存在している。
こんなことがあるのだろうか。
彼は占い詐欺をしながらあらゆる時代と場所をめぐるタイムトラベラーなのだろうか。
ロンドンでこの不思議な出来事があったということは、インターネットで英語で検索したら何か情報が得られるかもしれない。
そう思って、「Indian fortune teller」とGoogleに打ち込んでみると、出てくる出てくる。
「彼」が現れたのは、なんとミャンマー、バンコク、ロンドンだけではなかった。
シドニー、メルボルン、シンガポール、トロント、香港、マレーシア、カンボジア、そしてもちろん、ニューデリー。
「私も同じ手口に合ったことがある!」「私も!」と世界中のあらゆる場所で「彼」の出現が報告されていた。
よくよく読んでみると、その手口には、ほとんどの場合共通点がある。
・"You have a lucky face"などと声をかけてくること。
・丸めた紙を手に握らせ、好きな花、好きな数字、恋人の名前などを尋ねるということ。答えた後にその紙を開くと答えが的中していること。
・慈善団体への寄付を装い、金品を要求すること。
・多くの場合、ターバンを巻いたシク教徒風の格好をしていること。
また、「彼」が「ヨギ・シン(Yogi Singh)」 と名乗ることが多いということも分かった。
だが「ヨギ」 はヨガ行者などの「師」を表す言葉で、「シン(Singh) 」はシク教徒の男性全員が名乗る名前。
これだけで世界中で報告されている「彼」が同一人物であるとか、同じ一族であるということを判断するのは早計だ。
ではいったい「彼」は何者なのか。
こうした報告をインターネット上でまとめていた男性の一人は、「時間さえあれば彼らのことを調べて本にするのに」と書いていたが、私もまったくの同感だった。
彼らとの遭遇が報告された土地に東京が含まれていないのがとても残念だった。
もし叶うなら「彼」に会ってみたい。
しかし、例えば「彼」に会うためだけに休みを工面してメルボルンあたりに1週間くらい滞在しても、会える保証は全くないし、インド系コミュニティーで彼らのことを聞いて回ったりした場合、もし「彼」が良からぬ組織に関わっていたりしたら、身に危険が及ぶかもしれない。
シク教徒の本場であるパンジャーブ系の人を含めて、何人かのインド人に「彼」の噂を聞いたことがないか尋ねてみたが、誰も知っている人はいなかった。
ただ、彼らが一様に、不思議がるふうでもなく「あいにく自分は知らないけど、まあそんなこともあるだろうね」という反応だったのがとても印象に残っている。
やっぱり、インド人も認める「インドならあり得る話」のようだ。
いずれにしても、インドでも有名な話ではないということが分かった。
インターネットで世界中が繋がる時代になって、初めて顕在化したグローバルな都市伝説。
とにかく「彼」の正体が知りたくてしょうがなかった。
現実的に考えて、1930年代から2012年という幅のある期間での報告がされているということからも、「彼」が同一人物であるという可能性はないだろう。(タイムトラベラー説も魅力的ではあるが)
また、「彼」がこれだけ世界中の多くの街で報告されているということは、彼らが少人数の近しい親族(例えば親子や兄弟) だけで構成されているということも考えにくい。
決して大金を稼げる商売ではないであろう辻占で、これだけ世界中を漫遊するみたいなことはできないだろうからだ。
これはきっと「ジャーティ」だ。
シク教徒のなかに、この手の占いを生業とする「ジャーティ」の人々がいるに違いない。
「ジャーティ」とは、カースト制度の基礎となる職業や地縁などをもとにした排他的な共同体の単位のこと。
よく「インドでは結婚は親が決めた同じコミュニティーの人としなければならない」とか「インドには村全員がコブラ使いの村がある」という話を聞くことがあるが、これらはみな「ジャーティ」を指している。
「結婚は同じ(もしくは同等の)ジャーティの人とするもの」「コブラ使いのジャーティの村」というわけだ。
「ジャーティ」はヒンドゥー教の概念で、建前としてはシク教やイスラム教には無いものとされているが、実際は彼らの間にも同じような、職業や地縁をもとにしたコミュニティーは存在している。
都会ではもはや「ジャーティ」に基づく職業選択は過去のものとなっているが、今でも「ジャーティ」を結婚などの局面で尊重すべきと考えている人たちは多い(とくに古い世代に多い)。
これだけ世界中の多くの街で「彼」が報告されているということは、シク教徒のなかに、占いを生業として、同じトリックを身につけた同一のジャーティ集団がいるに違いない。
シク教の故郷、パンジャーブ州には、詐欺占い師ばかりが暮らす村があったりするのだろうか。
インドでも知る人の少ない彼らが、何らかのネットワークを使って世界中に進出し、同じトリックで稼いでいるということか。
自分の所属する宗教団体への献金を装うことも多いということは、もしかしたら秘密結社やカルト宗教?
シク教徒のなかには、パンジャーブ州のインドからの独立を目指す過激な一団もいる。
もしかしたら、そうしたグループと関わりのある人たちによる、占いを口実にした資金集めということもあるかもしれない。
謎は深まるばかりだ。
つづく
--------------------------------------
というわけで、音楽からは離れるのだけど、インドに関する話題で、個人的にここ数年でもっとも面白いと感じている話を2回に分けて書いてみます。
楽しんでもらえるとよいのだけど。
「彼」のことを初めて知ったのは、辺境ノンフィクション・ライター、高野秀行氏の『辺境の旅はゾウにかぎる』(のちに『辺境中毒!』という名前で集英社から文庫化)という本だった。
ある朝方、バンコクの安宿街カオサンで、高野氏がインド人の占い師に声をかけられたところから、この話は始まる。
「君は占いに興味があるか」
ヒマだった高野氏は、そのインド人の相手をしてみることにした。
「彼」は何事か書いた小さな紙を丸めて高野氏に握らせると「君の好きな花は何か」と尋ねる。
高野氏が「Rose」と答えると、「彼」は握った紙を開いてみろという。
なんとそこには「Rose」の文字が書かれていた。
占い師は、その後も次々と同じ手口で好きな色、好きな数字を的中させると、もし同じように母親の名前を当てることができたら、彼が所属する宗教団体に100ドルを寄付しろという賭けをしかけてきた。
いつの間にか、この賭けの証人役と思われる仲間のインド人もやって来ている。
好きな花や色や数字は、偶然の一致、あるいは潜在意識や統計をもとに的中させた可能性もあるだろう。
だが、日本語の母親の名前は当てられるわけがない。
成り行きと対抗意識から高野氏がその要求を飲むと、占い師はなんと母親の名前をも的中させ、100ドルを巻き上げて消えていったという。
それは1993年のことだったというが、話はここで終わらない。
その後、高野氏が1930年代を舞台にしたミャンマーの小説を読んでいると、なんとそこにインド人の占い師による全く同じ手口の詐欺の話が載っていた。
ターバンを巻いたインド人の男が「旦那、占い、どうですか」と声をかけ、好きな数字などを的中させると、仲間のインド人を連れてきて賭けをしかけ、まんまとシャツを勝ち取っていったという話だ。
この小説が出版されたのは1955年だが、著者は1909年生まれ。
著者が実際に1930年代に体験したことがもとになっている可能性が高いという。
高野氏は、1990年代のタイと1930年代のミャンマーで、インド人による全く同じ手口の詐欺が行われていたという事実に驚きつつも、たとえ詐欺であったとしても、変化の激しい時代に60年以上も続いた手口をこれからも大切にしてほしいものだと結んでいる。
当時、これを読んだ私は、どちらもインドが舞台ではないにもかかわらず「うわあインドっぽいエピソードだなあ」と感じたものだった。
インドはワケがわからないことが起こることに関しては世界有数の国(この話、インドじゃないけど)。
こんなことがあっても全く不思議ではないのだが、その後、いつの間にかこの話も忘れてしまっていた。
次に「彼」と出会ったのはそれから数年後。
新聞を読んでいた時のことだった。
2012年9月20日、東京新聞、夕刊。
「世界の街 海外レポート」という海外特派員によるエッセイ風のコーナーにロンドン担当の小杉さんという方が寄せた文章を、少し長いが引用させていただく。
多国籍の人が暮らすロンドン。どう見てもアジア人の自分に平然と道を尋ねてくる英国人はざらにいる。八月下旬、支局前の通りで喫煙していると、見知らぬ中年男性が近づいてきた。「また道案内か」と思いきや予想外の言葉を聞いた。
「あなたに来月、幸運が訪れる」。さらに「あなたは長寿だ。少なくとも八十七歳まで生きる」とも。
聞けば、インド出身の自称「占い師」。そのまま耳を傾けると、指先ほど小さく折り畳まれた紙切れを手渡された。
その上で「何のための幸運であってほしいか」「あなたのラッキーナンバーは」 と問われた。男はこちらが返した答えをメモ帳に書き取ると事前に私に渡した紙切れに「フッ」と息を吹き掛けた。
その紙を広げて驚いた。記してあったのは先ほどの答え。思わずうなった直後、男は言った。
「あなたの幸せが成就するように祈るから、お金を払わないか」
なんだ、そういうことか。提示された料金は最大で百ポンド(役一万二千円)。急速に興味を失い、支払いも丁重に断った。
この話を友人にすると、「占い詐欺でしょ」。だとしたら、自分が目にしたのは単なる手品か。いいカモにされかけたが、最初に言われた幸運とやらが気になって仕方ない。
間違いない。
高野氏の本に書いてあった「彼」だ。
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説、1990年代のバンコク、そこにいた「彼」が2012年のロンドンにも存在している。
こんなことがあるのだろうか。
彼は占い詐欺をしながらあらゆる時代と場所をめぐるタイムトラベラーなのだろうか。
ロンドンでこの不思議な出来事があったということは、インターネットで英語で検索したら何か情報が得られるかもしれない。
そう思って、「Indian fortune teller」とGoogleに打ち込んでみると、出てくる出てくる。
「彼」が現れたのは、なんとミャンマー、バンコク、ロンドンだけではなかった。
シドニー、メルボルン、シンガポール、トロント、香港、マレーシア、カンボジア、そしてもちろん、ニューデリー。
「私も同じ手口に合ったことがある!」「私も!」と世界中のあらゆる場所で「彼」の出現が報告されていた。
よくよく読んでみると、その手口には、ほとんどの場合共通点がある。
・"You have a lucky face"などと声をかけてくること。
・丸めた紙を手に握らせ、好きな花、好きな数字、恋人の名前などを尋ねるということ。答えた後にその紙を開くと答えが的中していること。
・慈善団体への寄付を装い、金品を要求すること。
・多くの場合、ターバンを巻いたシク教徒風の格好をしていること。
また、「彼」が「ヨギ・シン(Yogi Singh)」 と名乗ることが多いということも分かった。
だが「ヨギ」 はヨガ行者などの「師」を表す言葉で、「シン(Singh) 」はシク教徒の男性全員が名乗る名前。
これだけで世界中で報告されている「彼」が同一人物であるとか、同じ一族であるということを判断するのは早計だ。
ではいったい「彼」は何者なのか。
こうした報告をインターネット上でまとめていた男性の一人は、「時間さえあれば彼らのことを調べて本にするのに」と書いていたが、私もまったくの同感だった。
彼らとの遭遇が報告された土地に東京が含まれていないのがとても残念だった。
もし叶うなら「彼」に会ってみたい。
しかし、例えば「彼」に会うためだけに休みを工面してメルボルンあたりに1週間くらい滞在しても、会える保証は全くないし、インド系コミュニティーで彼らのことを聞いて回ったりした場合、もし「彼」が良からぬ組織に関わっていたりしたら、身に危険が及ぶかもしれない。
シク教徒の本場であるパンジャーブ系の人を含めて、何人かのインド人に「彼」の噂を聞いたことがないか尋ねてみたが、誰も知っている人はいなかった。
ただ、彼らが一様に、不思議がるふうでもなく「あいにく自分は知らないけど、まあそんなこともあるだろうね」という反応だったのがとても印象に残っている。
やっぱり、インド人も認める「インドならあり得る話」のようだ。
いずれにしても、インドでも有名な話ではないということが分かった。
インターネットで世界中が繋がる時代になって、初めて顕在化したグローバルな都市伝説。
とにかく「彼」の正体が知りたくてしょうがなかった。
現実的に考えて、1930年代から2012年という幅のある期間での報告がされているということからも、「彼」が同一人物であるという可能性はないだろう。(タイムトラベラー説も魅力的ではあるが)
また、「彼」がこれだけ世界中の多くの街で報告されているということは、彼らが少人数の近しい親族(例えば親子や兄弟) だけで構成されているということも考えにくい。
決して大金を稼げる商売ではないであろう辻占で、これだけ世界中を漫遊するみたいなことはできないだろうからだ。
これはきっと「ジャーティ」だ。
シク教徒のなかに、この手の占いを生業とする「ジャーティ」の人々がいるに違いない。
「ジャーティ」とは、カースト制度の基礎となる職業や地縁などをもとにした排他的な共同体の単位のこと。
よく「インドでは結婚は親が決めた同じコミュニティーの人としなければならない」とか「インドには村全員がコブラ使いの村がある」という話を聞くことがあるが、これらはみな「ジャーティ」を指している。
「結婚は同じ(もしくは同等の)ジャーティの人とするもの」「コブラ使いのジャーティの村」というわけだ。
「ジャーティ」はヒンドゥー教の概念で、建前としてはシク教やイスラム教には無いものとされているが、実際は彼らの間にも同じような、職業や地縁をもとにしたコミュニティーは存在している。
都会ではもはや「ジャーティ」に基づく職業選択は過去のものとなっているが、今でも「ジャーティ」を結婚などの局面で尊重すべきと考えている人たちは多い(とくに古い世代に多い)。
これだけ世界中の多くの街で「彼」が報告されているということは、シク教徒のなかに、占いを生業として、同じトリックを身につけた同一のジャーティ集団がいるに違いない。
シク教の故郷、パンジャーブ州には、詐欺占い師ばかりが暮らす村があったりするのだろうか。
インドでも知る人の少ない彼らが、何らかのネットワークを使って世界中に進出し、同じトリックで稼いでいるということか。
自分の所属する宗教団体への献金を装うことも多いということは、もしかしたら秘密結社やカルト宗教?
シク教徒のなかには、パンジャーブ州のインドからの独立を目指す過激な一団もいる。
もしかしたら、そうしたグループと関わりのある人たちによる、占いを口実にした資金集めということもあるかもしれない。
謎は深まるばかりだ。
つづく
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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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goshimasayama18 at 22:12|Permalink│Comments(6)