HipHop
2019年02月24日
Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史
(ムンバイのラッパー、DivineとNaezyをモデルにした映画"Gully Boy"についての記事はこちらから:
「ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開"Gully Boy"」
「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」
「映画"Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア」)
在外インド人によるDesi hip hopの誕生から、インド都市部でのストリートラップの誕生まで、インドのヒップホップの歴史を、3つに区切って紹介!
(アーティスト名など、文字の色が変わっているところは、そのアーティストを紹介している記事へのリンクになっているのでよろしく)
【Desi Hip Hopのはじまり】(20世紀末〜2005年頃)
「インド系」のヒップホップは、総称して'desi hip hop'と呼ばれる。
'Desi'という接頭辞は、本来は南アジア系ディアスポラ(在外コミュニティー)を意味する言葉。
'Desi hip hop'という言葉は、もともとはイギリスやカナダなどで暮らす南アジア系(インドのみならず、パキスタン、バングラデシュなども含む)移民によるラップミュージックを指していたが、現在ではインド国内のヒップホップを含めた総称として使われることもある。
とにかく、この呼び名からも分かる通り、インドのヒップホップは、海外に暮らす移民たちによる、「在外南アジア系コミュニティーの音楽」として始まった。
Desi hip hop誕生前夜の90年代後半には、イギリスを中心に「バングラー・ブーム」が巻き起こっていた。
このパンジャーブ州発祥の強烈にシンプルでエスニックなリズムは、インド系移民からメインストリームにも飛び火し、そのブームはPanjabi MCが1998年にリリースした"Mundian To Bach Ke"が2003年には世界的なヒットとなるまでに拡大した。
同じく90年代には、タブラ奏者のTalvin SinghやAsian Dub Foundationのようなバンドによる「エイジアン・アンダーグラウンド」と呼ばれるムーブメントもイギリスで勃興。
南アジア系移民によるクラブミュージックとルーツ音楽の融合が本格的に始まり、インド系ヒップホップ誕生の期は十分に熟していたのだ。
こうした状況下で、同時代の欧米の音楽にも親しんだ移民の若者たちが、自分たちの言葉をラップに載せて吐き出すのは必然だった。
初期のdesi hip hopを代表するアーティストを一人挙げるとしたら、カリフォルニアのBohemiaということになるだろう。
Desi hip hopの創始者と言われるBohemiaは、1979年にパキスタンのカラチで生まれ、13歳のときに家族とともにカリフォルニアに移住してきた。
母の死をきっかけに高校をドロップアウトした彼は、南アジア系の仲間とバンドを組んで音楽を作り始める。
やがて彼は、故郷を持たずに放浪するボヘミアンの名を借りて、移民の青春や文化的衝突をリリックに乗せた世界最初のパンジャービー語ラッパーとなり、在外パンジャーブ系コミュニティーを中心に人気を博してゆく。
2002年に発表した彼のデビューアルバムは、地元カリフォルニアよりもインド系移民の多いイギリスで高く評価され、BBCラジオのトップ10にもランクインした。
彼は俳優Akshay Kumarとの親交でも知られ、'Chandni Chowk To China'や'Desi Boyz'といった彼の主演作品への楽曲提供も行なうなど、ボリウッドとヒップホップの橋渡しという意味でも大きな役割を果たした。
Desi hip hopのラッパーたちはアメリカやカナダからも登場したが、シーンの中心はインド系移民の多いイギリスで、マンチェスターのMetz and TrixやウエストヨークシャーのRDBら、多くのアーティストがこの時代から活躍している。
Desi hip hopは、その後も独自の進化を続け、Raxstar(ルートン〔英〕、2005年デビュー)、Shizzio(ロンドン。2006年デビュー)、Swami Baracus(ロンドン。2006年デビュー?)、J.Hind(カリフォルニア。2009年デビュー)ら、多彩なアーティストを輩出している。
2010年代に入ってからは、Desi hip hopという用語の古臭さを嫌い、Burban(Brown Urbanの略。Brownは南アジア系の意)というジャンル名を提唱するアーティストも出始め、Jay Sean(ロンドン。2014年デビュー)のように、音楽性からインドらしさを取り払って人種に関係なく受け入れられるアーティストが登場するなど、シーンは一層の多様化を見せている。
【インド製エンターテインメント・ラップの登場】
海外でのdesi hip hopの流行がインド本国にも伝わると、インドの一大エンターテインメント産業である映画音楽業界が放っておくはずがなかった。
Desi hip hopのアーティストは、イギリスのインド系移民の主流で、バングラーの故郷でもあるパンジャーブ系のラッパーが多かったが、その影響からか、この時期にインドで活躍しはじめたラッパーもパンジャーブ系が多かったのが特徴だ。
その代表格がYo Yo Honey Singhだ。
パンジャーブ州ホシアールプル出身の彼は、イギリス留学を経てデリーを拠点に音楽活動を開始。
Desi hip hopシーンの影響を受けた彼は、2006年にBadshah, Raftaarらとバングラー/ラップユニットMafia Mundeerを結成し、国産バングラー・ラップを作り始める(名義としては各メンバーの名前でリリースされている楽曲が多い)。
この新しいサウンドに流行に敏感なボリウッドが飛びつくと、当初はシンプルなものだった彼らの音楽性は、映画音楽に採用されるにしたがって、どんどん派手に、きらびやかになってゆく。Mafia Mundeer出身のアーティストでは、Honey Singh同様にゴージャスなサウンドが特徴のBadshah、よりヒップホップ色の強いサウンドのRaftaarらもヒット曲を量産し、インドのエンターテインメント・ラップの雛形を作り上げた。
インターネットの普及によりインド国内で多様な音楽が聴ける環境が整うと、ガラパゴス的だったインドの映画音楽は一気に発展し、派手なサウンドのバングラー・ラップはボリウッドでひんぱんに取り上げられるようになる。
また同じ時期には、おそらくはインド初のフィーメイルラッパーということになるであろうHard Kaur(彼女もイギリス育ち)も登場し、現在も映画音楽を中心に活躍している。
彼らのサウンドは、インドではヒップホップとして扱われることが多いが、その音楽性はむしろバングラー・ビートをEDM的に発展させた楽曲にラップを合わせたもの。
アーティストの名前を知らなくても、インド料理店などで流れているのを耳にしたことがある人も多いかもしれない。
【インドのストリートヒップホップ Gully Rapの台頭】(2010年頃〜)
インド社会にインターネットが完全に定着すると、それまで耳に入る音楽といえば国内の映画音楽ばかりだった状況が一変する。
エンターテインメント色の強いボリウッド・ラップとは一線を画するラッパーたちが次々と登場してきたのだ。
高価な楽器がなくても始められるラップがインドの若者たちに広まるのは当然のことだった。
それまで、映画音楽などのようにエンターテインメント産業によって制作され、提供されるのが常識だった音楽を、若者が自分で作って発信できる時代が訪れたのだ。
こうして、インドじゅうの大都市に、アンダーグラウンドなヒップホップ・シーンが誕生した。
ムンバイからは、ケニア出身のラッパーBob Omulo率いるバンドスタイルのBombay Bassment, Mumbai's Finest、そしてストリート出身のDivineやNaezyが登場。
Divineはヒンディー語で「裏路地」を意味するGullyという言葉を多用し、インド産ストリートラップの誕生を印象付けた。
ムンバイは他にもEmiway Bantai, Swadesi, Tienas, Dharavi United, Ibexら、多くのラッパーを輩出し、インドのアンダーグラウンド・ヒップホップの一大中心地となった。
英語、ヒンディー、マラーティーと多様性のある言語が使用されているのもムンバイのシーンの特徴だ。
首都デリーでは名トラックメーカーSez on the Beatを擁するAzadi Recordsが人気を集め、パンジャービーながらバングラではなくアンダーグラウンド・スタイルで人気を博しているPrabh DeepやSeedhe Mautらが台頭してきている。
デカン高原のITシティ、バンガロールでは、バッドボーイだった過去とヒンドゥーの信仰をテーマにしたBrodha Vや、出身地オディシャの誇りや日印ハーフであることで受けた差別の経験をラップするBig Dealらがこなれた英語のラップを聴かせる一方で、地元言語カンナダ語でラップするMC BijjuやGubbiら、よりローカル色の強いラッパーたちも活躍している。
南インドのタミル・ナードゥ州ではHip Hop TamizhaやMadurai Souljourが、ケーララ州ではStreet Academicsらがそれぞれの地元言語(タミル語、マラヤーラム語)で楽曲をリリースし、インド北東部でも、トリプラ州のBorkung Hrankhawl(BK)、メガラヤ州のKhasi Bloodz、アルナーチャル・プラデーシュ州のK4 Kekhoらがマイノリティーとしての民族の誇りや反差別をラップしている。
こうしたアーティストの特徴は、彼らの音楽的影響源がDesi Hiphopやいわゆるボリウッド・ラップではなく、EminemやKendrick Lamarらのアメリカのラッパーだということ。
各地で同時多発的に勃興したムーブメントは少しずつ大波となってゆく。
ここにきて、アンダーグラウンドなものとされてきたGully Rapが"Gully Boy"としてボリウッドの大作映画に取り上げられるなど、インドのヒップホップシーンはよりボーダレス化、多様化が進み、ますます面白くなっている。
アンダーグラウンドシーン出身のラッパーがメジャーシーンである映画音楽の楽曲を手がけることも多くなってきた。
また、在外インド人系アーティストでは、カリフォルニア出身でソングライターとしてグラミー賞にもノミネートされたことがある米国籍のフィーメイル・ラッパーのRaja Kumariが、映画音楽からDivineとの共演まで、インド系ヒップホップシーンのあらゆる場面で活躍している。
当初、インドのストリート系ラップはアッパーな曲調が大半を占めていたが、昨今ではTre Ess, Tienas, Smokey The Ghost, Enkoreのようによりメロウでローファイ的なトラックの楽曲を発表するアーティストも増えてきた。
世界的なチルホップ、ローファイ・ヒップホップの流行に呼応した動きと見てよいだろう。
ムンバイのラッパーIbexが日本人アーティストのHiroko、トラックメーカーのKushmirとともに日本語のリリックを取り入れたチルホップ曲"Mystic Jounetsu"をリリースしたのも記憶に新しい。
"Gully Boy"のヒットで一気にメジャーシーンに躍り出て来たインドのヒップホップシーンは今後どのように発展し、変化してゆくのか、これからもますます注目してゆきたい。
(…といいつつ、あまりにもアーティストの数が増え続け、もはや追い続けることが不可能なレベルに入って来たとも思うのだけど)
今回の記事で紹介したラッパーたちの楽曲をいくつか紹介します。
かなりの量になるので、興味があるところだけでも聞いてみて。
Desi Hip Hop前夜に世界中でヒットしたPanjabi MCの"Mundian To Bach He"(1998年)
今にして思うとあのバングラ・ブームは何だったんだろう。
世界的なブームは一瞬だったけど、その後もインド国内のみならず在外インド人の間でもバングラは愛され続けており、インド系ヒップホップにも多大な影響を与えてきた。
Bohemiaのファースト・アルバム"Vich Pardesa de"(2002年)。
改めて聴いてみて、このあとにインドで流行するヒップホップと比較すると、オリジナルの(アメリカの黒人の)ヒップホップのヴァイブを一番持っているようにも感じる。
そのBohemiaが映画音楽を手がけるとこうなる"Chandni Chowk To China"(2009年)
その後のボリウッド・ラップとも異なる、これはこれで面白い音楽性。
Chandni Chowkはデリーの要塞遺跡ラール・キラーにつながる歴史ある繁華街の通りの名前だ。
Sunit & Raxstar "Keep It Undercover"(2005年)
トラックにインド音楽をサンプリングするのはその後のインド本国でのヒップホップでもよく見られる手法。
Shizzio FT Tigerstyle "I Swear"(2009年)
Shizzioは2010年代以降、新しいDesiミュージックとしてBurbanを提唱するアーティストの一人。
Swami Baracusは音楽的にはまったくインドらしさを感じさせないラッパー。 "The Recipe"(2011年)
Jay Sean "Down ft. Lil Wayne"(2009年)
かつてはもっとインド色の強い音楽性だったJay Seanは、無国籍な作風となったこの曲でビルボードチャートNo.1を達成。
インド系のアーティストとしては初の快挙。
Yo Yo Honey Singh ft. Bill Singh "Peshi"(2005年)
Yo Yo Honey Singhのデビュー曲はのちの音楽性よりもシンプルでバングラ色が濃厚!
最新の楽曲は昨今流行りのバングラのラテン的解釈。
Yo Yo Honey Singh "Makhna"(2018年)
典型的なボリウッド・パーティー・ラップ。
歌い始めのところで「食べやすい」と聞こえる空耳にも注目。
Raftaar x Brodha V "Naachne Ka Shaunq"
ボリウッド・ラップとストリートシーン出身のラッパーの共演例のひとつ。
Hard Kaur "Sherni"(2016年)
イギリス育ちのフィーメイル・ラッパーの草分けHard Kaur.
Bombay Bassment "Hip Hop (Never Be the Same)"(2011年)
レゲエ的な曲を演奏することも多いBombay Bassmentはムンバイのシーンの初期から活動しているグループだ。ベースやドラムがいるというのも珍しい。
Mumbai's Finest "Beast Mode"(2016年)
オールドスクールな雰囲気満載のこの曲はダンスやスケボーも含めたムンバイのヒップホップシーンの元気の良さが伝わる楽曲。
Divine ft. Naezy "Mere Gully Mein"(2015年)
映画"Gully Boy"でも効果的に使われていた楽曲のDivineとNaezyによるオリジナル・バージョン。
映画公開以来Youtubeの再生回数もうなぎのぼりで、ボリウッドの力を思い知らされた。
"Suede Gully"(2017年)はDivine, Prabh Deep, Khasi Bloodz, Madurai Souljourとインド各地のシーンで活躍するストリートラッパーの共演。
Gullyという言葉がインドのヒップホップシーンで多様されていることが分かる。
ご覧の通りPumaのプロモーション的な意味合いが強い楽曲で、この頃からアンダーグラウンド・シーンに大手企業が注目してきていたことが分かる。
Street Academics "Vandi Puncture"(2012年)
ケララ州を代表するラッパーデュオStreet Academics.
Smokey the Ghost "Only My Name ft. Prabh Deep"(2017年)
Sezプロデュースのこの曲はチルでジャジーな新しいタイプのインディアン・ヒップホップサウンド。
Tienas "18th Dec"(2018年)
ムンバイのTienasのこの曲はインドのヒップホップ界を牽引するデリーの新進レーベルAzadi Recordsからのリリース。
Raja Kumari "Karma"(2019年)
Raja Kumariはこの曲や先日紹介した"Shook"を含む5曲入りのアルバム"Bloodline"を2月22日にリリースしたばかり。
やはり唯一無二の存在感。
2019.3.7追記:このあとに書いた印パ対立の犠牲となってきた悲劇の地カシミールで自由を求めてラップするストリートラッパーMC Kashについてはこちらから。「カシミール問題とラッパーMC Kash」
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凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
2018年06月15日
ジャールカンドの突然変異! The Mellow Turtle
貧しく保守的な地域だと思っていたジャールカンドから本格的なラッパーが出てきたことに大いに驚いたものだが、驚きはこれだけでは終わらなかった。
Tre Essと頻繁に共演している同じくラーンチー出身のギタリスト、The Mellow TurtleことRishabh Lohia .
ブルースをベースにしつつ、トリップホップやエレクトロニカの要素もある楽曲の数々は、これまたジャールカンド離れした驚愕のサウンド!
まずはぜひ聴いてみてください。
昨年リリースされたセカンドアルバム"Dzong"から、"Minor Men"
Tre Essと共演した曲"Lake Dive"
アルバムタイトルの"Dzong"とは、ブータンの言語「ゾンカ語」のことだが、ブータンからは距離のあるジャールカンドで、どういう意味が込められているのだろうか。
ファーストアルバムではよりルーツ的なサウンドを聴かせている!
静止画と字幕、フリー素材だけで作ったみたいなビデオが微笑ましいぞ。
地元の写真なのだろうか。
これは何だろう、ローファイ・ヘヴィー・ブルース・ロックとでも呼ぶべきか。
途中で入ってくるラップがG.Love的な雰囲気も醸し出している。
インド古典を使った"Laced"もセンスが良い!
何なんでしょう。この、古いものも新しいものもセンスよくミックスしたオリジナリティー溢れるサウンドは。
ジャールカンドや周辺地域の後進性については前回の記事でも触れたが、デリーやムンバイといった大都市ではなく、ラーンチーからこのサウンドが生み出されるということは、インドに詳しくない人のために分かりやすく説明すると、東京に例えるとすれば足立区からコーネリアスが出てきたくらいのインパクトがある。
彼のFacebookのページによると、お気に入りのミュージシャンとして、Tom MischやFKJといった、ルーツミュージックを現代的な方法で再構築しているアーティストに加えて、B.B. KingやMuddy Watersのような昔ながらのブルースアーティストを挙げている。
ちなみにインドのアーティストでは、お気に入りとしてこのブログでも取り上げたSka Vengersの名前が挙がっていた。
同ページには、The Mellow Turtleは起業家、社会活動家としての顔も持っていると紹介されていたが、彼もまたSka VengersのTaruのような啓蒙活動をしているのだろうか。
ぜひ本人に聞いてみたいところだ。
これまでこのブログで見てきたインドのミュージシャンは、ロックならロック、ラップならラップとひとつのジャンルからの影響しか表現しないアーティストばかりだった。
中には、インドの伝統音楽や映画音楽など、地元の文化と欧米の音楽との融合を試みているミュージシャンはいたが、彼のように西洋音楽の中の異なるジャンルを、それも時代をまたいでセンスよく融合させるという、言ってみればBeck的なセンスを持ち合わせたミュージシャンというのはインドでは本当に稀有。
いったいどうやってジャールカンドでこのセンスが育まれたのだろう。
Tre EssとThe Mellow Turtle.
ジャールカンドが生んだ突然変異。
ラーンチーにはいったいどんなシーンがあるのか。
彼らの音楽的センスはどのように育まれたのか。
二人にメッセージを送って確かめてみたいと思います。
返事がもらえるといいなあ。
追記:
The Mellow TurtleとTre Essのコラボレーションで最も気に入っているのがここで聴けるアルバム「Blues off the Ashtray」からの楽曲。
https://soundcloud.com/nrtya/sets/tre-ess-x-the-mellow-turtle
以前聞いて「おおっ!」と思ったものの記事を書いているときに見つけられなかったのだけど、再び発見したので改めて載せておきます。
ブルースとヒップホップ、黒人音楽の始まりと現在地がまさかインドで違和感なく融合するとは。
2018年06月11日
インドのヒップホップの「新宗教」って何だ?Tre Ess!
いったい何事かと思ってみたら、数々の才能あるアーティストが所属するムンバイのレーベル、NRTYAに所属するラッパー/トラックメイカーのTre Essによる新曲「New Religion」を紹介する記事だった。
この曲は、Tre Essがムンバイ、コルカタ、ニューヨークのラッパーと共演した、総勢8名によるマルチリンガル・ラップだ(なぜジャケットに漢字が使われているのかは全くもって不明)。
小慣れた英語のフロウもはまってるし、ところどころにインドの要素を入れつつ最後はギターも入ってヘヴィーロック的な展開を見せるディープなトラックもかっこいい!
マイクリレーの順番は、
Cizzy(コルカタ、ベンガル語)
Tienas(ムンバイ、英語)
Kav E(ムンバイ、英語)
Tre Ess( ラーンチー、英語)
Gravity( ムンバイ、ヒンディー語)
Jay Kila(ニューヨークのインド系ラッパー、英語)
Nihal Shatty and the Accountant(ムンバイ、英語)
最後にまたTre Ess、と続く。
Gravityのパートでヒンディー語になったところで、タブラの音が入ってサウンドもインドっぽくなるところなんかもなかなか小粋にできている。
ヒンドゥー、イスラム、シク教、キリスト教、仏教など多くの宗教を抱えるインドで「新宗教」とはどういうことかと思ったが、その真意はリリックからははっきりしない。
リリックの内容は、英語のパートを見る限りだと不穏で暴力的な都市での生活を語ったもののようで、宗教っぽい部分といえば、TienasとTre Essのパートで"I'm a god"というフレーズが使われているくらいか。
推測するに、「神に祈っても救われないこの世の中で、ヒップホップの価値観こそが俺たちの新しい宗教なのさ」といったところだろうか。
そういえば、キリスト教が盛んなインド北東部のデスメタルバンド、Third Sovereignも、彼らの音楽にブラックメタルのような反キリスト教的な要素があるのかという質問に対して、「俺たちは、反宗教というより、宗教同士、コミュニティー同士の対立にうんざりしているんだ。ヘヴィーメタルはそれ自身がひとつの宗教みたいな感じだ。違いや対立にこだわるんじゃなくて、音楽は個人のバックグラウンドに関係なく夢中になることができる。ブラックメタルのアーティストは宗教の垣根を越えた表現として音楽を演奏しているんだ」と語っていた。
この曲についても、ジャンルは違えど同じような意味合いがあるのかもしれない。
さて、もう1つこの曲でびっくりしたのは、この流暢な英語ラップと完成度の高いトラックを披露しているTre Essが、ムンバイやデリーのような大都市ではなく、ジャールカンド州のラーンチーの出身だということ。
ジャールカンドは2000年にビハール州から独立して生まれた新しい州で、先に述べた周辺の州と比べると、これといった大都市や観光地があるわけではないため、インドに行ったことがある人でも、訪れたことがある人はあまりいないのではないかと思う。
隣接するビハール州が住民一人当たりGDPのワースト1(US$520)、ウッタル・プラデーシュ州がワースト2(US$740)で、このあたりは人口こそ多いものの、インド主要部の中でもとくに貧しく後進的な地域とされている。(人口に関していうと、この3州は合計で約3.5億人を擁し、インド全体の3割弱を占める地域ではある)
首都デリーの一人当たり年間GDPはUS$4,500だから、その格差の程がお分かり頂けると思う。
また、ジャールカンドは人口の3割ほどを「指定部族」が占める。
指定部族とは、ヒンドゥーやイスラムとは異なる伝統を持ち、歴史的に被差別的な立場を強いられてきた人々であり、ビハール州からの独立にも、そうした背景が関係していると聞く。
先日のレゲエ活動家Taru Dalmiaの記事でも書いた通り、英語のラップはインドの一般大衆からすると、まだまだエリート・ミュージックという印象を持たれるジャンル。
失礼ながら、こんな後進的なイメージの州から、ここまで洗練されたヒップホップ(歌詞はリアルなストリートライフだとしても)が出てきたら、そりゃあ驚くってものでしょう。
ちなみに以前行った「全インド州別ヘヴィーメタル状況調査」でも、ジャールカンドにはメタルバンドは一組も存在していないという結果が出ている。おそらくは貧困や保守性を原因として、ラップだけでなく現代的な西洋音楽全般が普及していない様子が伺える。
そんなジャールカンド出身のTre Ess、「New Religion」だけが他のミュージシャンの助けもあって奇跡的な出来なのかと思ったら、そんなことは全然なく、他の曲もやはり驚愕の出来。
Tre Ess "Bycicle Thieves"(ft. Gravity)
こちらもムンバイのGravityとの共演だが、ジャジーで夜の空気感を感じさせるトラックのクールさといったら!
Tre Ess "Through the Window"
こちらも生演奏の不穏な感じのトラック(インドのヒップホップにありがちな、アゲる方向に持っていかないところが逆に重い!)に、ジャールカンドの荒んだ暮らしが綴られている。
リリックはYoutubeから見ると確認できるんだけど、
Everybody and their momma is a rebel in Jharkhand
誰もが、母親でさえもがジャールカンドでは反逆者
戦場みたいな所で生まれたあんたの娘の成り行きさ
というラインから始まって、
と終わる(bastiはヒンディー語で貧しい人々が住む過密地域という意味らしい)。
…少し話がそれるが、アタクシがインドの最近の音楽を熱心に聴き始めた最初のきっかけは、ヒップホップだった。
インドの特定のアーティストという意味ではない。
これだけインターネットが発達して、簡単な機材とスマホでもあれば、誰もが自分の表現を世の中に訴えることができる時代。
様々な差別や貧富の差、不条理で非合理なことに満ちているインドにこそ、ラップという形でリアルな自己表現をするアーティストが必ずいるんじゃないかと思って、いろんな音楽を掘り始めた。
その後、いろんな意味で面白い音楽にたくさん出会えたということはこのブログでいつも書いている通り。
そのなかでも、これは久しぶりのめっけもの感がある。
Tre Ess レペゼン・ジャールカンド。
このサウンド、このリリック。
これは本物かもしれない。
ウェブ上の記事によると、Tre Essはお気に入りとして、Vince Staplesのようなラッパーに加え、フューチャー・ソウルのHiatus Kaiyoteや、ジャズ/ファンク寄りのSnarky Puppy、ダブ・ステップ的シンガーソングライターのJames Blakeなど、ジャンルにこだわらない(というかジャンル分けが非常にしづらい)アーティストを挙げており、やはりジャールカンドらしからぬセンスを感じる。
あ、ちなみにTre Essの名前の由来は、本名の頭文字が全てSから始まるというころで、アメリカのプロレス団体WWEのTriple Hにあやかってつけたものだそうだ。
これもまた「インド人WWE好き説」を裏付けるエピソードのひとつと言えそうだ。
そしてジャールカンド州ラーンチー出身の驚くべき才能はこのTre Ess だけじゃない!
その話はまた改めて!
2018年05月26日
魅惑のラージャスターニー・ヒップホップの世界!
彼らは前に紹介したDIVINEやBrodha Vに比べると、もっとマイナーかつローカルな存在だが、伝統色の濃いラージャスタン文化とヒップホップとの融合はとても面白くて聴き応えも見応え(ビデオの)もたっぷり。
詳細は以前の記事を見てもらうとして、とくに、ヒップホップのワイルドさが地域独特のマッチョ的美学と融合されているところなんて最高だ。
というわけで、今回はJ19 Squad以外のラージャスターニー・ヒップホップのアーティストを紹介したい。
まずは、Raptaanさん(たぶんこれがアーティストの名前であってると思う)で"Marwadi Hip Hop".
このビデオ、自慢のラクダとキスしたり(ラクダも踊る!)、ナイフで首を掻っ切る仕草をしてみたり、バイクに腰掛けて水パイプを吸ってみたりと、これまたほとばしるローカル色が最高!
子供からじいさんまで一族郎党をバックにラップしてるとこなんて、結果的にだけどチカーノ・ラップみたいなファミリーの結束感を感じさせられる。
"Hip, Hop, Marwadi Hip Hop"というリズミカルなリリックも、不穏さとキュートさを合わせ持ったトラックも普通にかっこいいし、サウンド的にもよくできている。
ここででてくるMarwadi(Marwari=マールワーリー)という言葉は、ラージャスタン州の中でもジョードプルを中心にかつて繁栄したマールワール王国にルーツを持つカーストのこと。
インド全土のみならず、世界中に広がる商人階級のネットワークで有名で、インドの大財閥、ビルラーに代表される「マールワーリー資本」はインド経済に今も大きな影響力を持ち続けている
J19がインタビューで触れていた戦士階級であるラージプートと並んで、この地域の帰属意識の大きな支柱になっているのだろう。
ちなみに言語の面でも、ラージャスターニー語のジョードプル地方の方言は「マールワーリー語」というまた別の言語として扱われることもあるようだ。
続いての曲は、J19 Squadとも共演していたRapperiya BaalamがKunal Verma、Swaroop Khanとコラボレーションした"Mharo Rajasthan"
オープニングの字幕によるとこの曲のタイトルは"Rajasthan Anthem"という意味だそうで、これまた地元愛炸裂の一曲だ(J19はジョードプル賛歌の"Mharo Jodhpur"という曲をやっていた)。
この曲は英語とラージャスターニー語のミックスだが、聴きどころはなんといっても、カッワーリーを思わせるインド北西部独特のコブシの効いた歌とハルモニウムが入った伝統色の濃いトラック!
映像の内容も、シーク教徒のとはまた違うこの地方独特のカラフルなターバンとか、砂漠、ラクダ、城、湖とラージャスタンの魅力が満載で、ラージャスタン州のプロモーションビデオとしても秀逸な出来になっている。
というわけで、J19 Squad以外にも魅力的なアーティストを多数抱えるのラージャスターニー・ヒップホップ。
そのローカル色の強さゆえに、インド全土で大人気!というふうになるのは難しいのかもしれないけれど、今後も注目していきたいと思います。
2018年05月13日
忘れた頃にJ19 Squadから返事が来た!(その1)
インドの伝統文化を色濃く残す砂漠の土地ラージャスタンの香りをぷんぷんさせながら、同時に平気で銃をぶっ放すとんでもないワルでもあるJ19 Squadに興味津々となったアタクシは、さっそくインタビューを申し込み、いくつかの質問を送った。
その日のうちに彼らから「Much love, bro. すぐに答えるぜ」との返信が来たが、その後の音沙汰がないまま時は流れゆき、そろそろ1ヶ月になろうかというとある日、完全にあきらめかけた頃に彼らから返事が来た。
その回答を読んで、もう少し質問したいことが出てきたので、改めてメッセージを送る。
「Much love, bro. すぐに答える」
…が、またしても返事は来ない。
催促を送ること一度、二度。
「すぐに返事するぜ、bro.」
まだ次の返事は来ていないのだけど、せっかくいただいた1回目の内容をずっと寝かせておくのも何なので、ここでひとまずこれまでのインタビューの模様をお届けします。
その前に、彼らの音楽をおさらい!
彼らの地元「ブルーシティ」ことジョードプルへの愛に溢れた曲。
"Mharo Jodhpur"
ワルさで言えばこの曲が一番"Bandook".
2:30からの英語のセリフ「You know why we are doing this? We are doing for our streert, our people, our city man. Ain't no body gonna stop us. Hahahaha. Yeah, You know who we are, J19 Squad!」ってとこがイカしてる!
最後のSquad!でキメるとこ、好きだなあー。
笑顔で銃をぶっ放す女の子たちも、なんかよく分からないけどキュート!
ボブ・マーリィへのトリビュートと題された、"Bholenath".
やってることはシヴァ神を祀った寺院でのひたすらな大麻の吸引で、ボブはどこ?って感じがするんだけど。それにインドでも大麻は一応違法なはずだけど、こんなに堂々とビデオで吸っちゃってて大丈夫なのだろうか。
これらのビデオを見てわかる通り、彼らの魅力を一言で表すとすれば、ラージャスタン土着の男っぽさと、ヒップホップ由来のの"サグい"(Thug=ワルい)感じの共存。
果たしてそんな彼らの素顔はどんななのか?
ビデオだと大勢の仲間たちが写ってるよね。
全部で19人のメンバーがいるの?JはジョードプルのJ?」
マジで怖い人たちではないのかも。
ちょっと安心だけどまだ油断はできない。
おお!ここでもエミネムの影響。
TIはサウスのギャングスタラッパーで、トラップの創始者と言われることもあるアーティスト。
やはり二人ともワイルドなイメージがあるラッパーが好みなのか。
DIVINEがクリスチャンラッパーのLacrae、Big Dealがケンドリック・ラマーのようなコンシャスラッパーに影響を受けていることとは対照的だ(まあこの2人もエミネムからの影響は公言してるけど)。
なるほど。
ここで名前が出てきたRapperiya Baalamは朴訥としたフュージョン・スタイル(伝統音楽と現代音楽のミックス)で美しき故郷ラージャスタンについて歌うシンガー。
Rapperiyaの素朴さとJ19 Squadのワイルドさが郷土愛で結びついたこの曲"Raja"は、彼らだけがたどり着くことができたインディアン・ヒップホップのひとつの到達点!と個人的には思います。
さて、そろそろ彼らの最も気になる点について聞かねばなるまい。
彼らのビデオは非常に暴力的。
銃をバンバンぶっ放したりしているけど、これはマジなのか。
確信をついた質問をしてみた。
凡「あなたたちのミュージックビデオがとても気に入っているんだけど、”Bandook”はまさにリアルなギャングスタ・ライフって感じだよね。これはあなたたちの実際の生活がもとになっているの?それともフィクション的なものなの?」
彼らの回答に出てきたラージプートは、ラージャスタン州の誇り高き戦士(クシャトリヤ)カーストのこと。7世紀〜13世紀にかけてこの地方に王国を築き、幾度も西方からのイスラム勢力のインド亜大陸への侵入を防いだ勇猛さで知られる。
彼らのミュージックビデオを見てもわかる通り、今でもとにかく地元愛の強い土地柄なのだ。
それと、この回答を聞いて正直ちょっとほっとした。
いくらジョードプルと日本で距離が離れているとはいえ、平気で銃をぶっ放すような連中に「俺たちがフェイクだって言うのか!」とか怒られたらさすがにちょっとビビるからね。
次に、彼らについてもうひとつ気になっていたことを聴いてみた。
なるほど!
彼らは愛する地元ジョードプルに、同じく彼らが心から愛するヒップホップを根づかせるために地元の言語で歌っていたのだ。
ビデオでの暴力的な表現は、ヒップホップのギャングスタ・カルチャーを地元の勇猛なラージプート文化と融合して、ラージャスタン風に翻案したものということなのだろう。
ものすごいギャングスタのように見えて、案外周到に計算された表現様式なのかもしれない。
それからここで出てきたデシ・ヒップホップというのは海外の移民を含めたインド系アーティストのヒップホップを指す言葉。
彼らはラージャスタンにヒップホップを広めるとともに、より大きなマーケットでの成功も視野に入れているようだ。
そんな彼らのインタビューその2がお届けできる日は来るのか?
あまり期待はしないでお待ちください。
20年前からインド人にすっぽかされるのは慣れてるんだけどさ。
2018年04月21日
本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編
インドのヒップホップシーンはここ数年爆発的に拡大・多様化していて、ストリート寄りのスタイルの彼らとは別に、Yo Yo Honey SinghやBadshahのように、ボリウッド的メインストリームで活躍するラッパーもいるし(Youtubeの再生回数は彼らの方がずっと多い)、BK(Borkung Hrangkhawl)やUNBのようなインド北東部における差別問題を訴える社会派のラッパーもいる。
インドの古典のリズムとの融合も行われていて、各地に各言語のシーンがある。
以前も書いたように、インドのヒップホップって、アメリカの黒人文化に憧れて寄せていくのではなく、自分たちの側にヒップホップをぐいっと引き寄せて、完全に自分たちのものしてしまっているような雰囲気がある。
いわゆる「ストリート」の描き方も、アメリカのゲットーを模したフィクショナルな場所としてではなく、オバチャンがローカルフードを売り、好奇心旺盛な子ども達が駆け回り、洗濯物が干してあるインドの「路地」。
インドのラッパーたちは、スタイルやファッションとしてのヒップホップではなく、自分たちが本当に語るべき言葉を自分たちのリズムに乗せて発信するという、ヒップホップカルチャーの本質を直感的に理解しているかのようだ。
なぜそれができているのかというと、ひとつには彼らが英語を解することが挙げられるだろう。
インドは、英語を公用語とする国では世界で最大の人口を誇る(実際に流暢に英語を話すのは1億〜3億人くらいと言われている)。
英語を解する彼らが米国のヒップホップに接したときに、ファッションやサウンドよりも、まずそこで語られている内容に耳が向けられたとしても不思議ではない。
そしてもうひとつ、インドには彼らが声を上げるべき社会的問題が山積しているということ。
貧富の差、差別、コミュニティーの対立、暴力、汚職。挙げていけばきりがない。
インドの若者たちがヒップホップに触れたとき、アメリカのゲットーの黒人たちのように、自分たちが語るべき言葉を自分たちのリズムに乗せて、ラップという形で表現しようと思うのは至極当然のことと言えるだろう。
でも、インドにヒップホップが急速に根付いた理由はきっとそれだけではない、というのが今回の内容。
さて、ここまで、「ヒップホップ」という言葉を、音楽ジャンルの「ラップ」とほぼ同義のものとしてこの文章を書いてきた。
でも「ヒップホップ」という言葉の本来の定義では、ヒップホップはMC(ラップ)、ブレイクダンス、DJ、グラフィティーの4つの要素を合わせた概念だという。
今回はその中のダンスのお話。
インドに行ったことがある人ならご存知の通り、インド人はみんなダンスが大好き。
各地方の古典舞踊をやっている人たちもたくさんいるけど、あのマイケル・ジャクソンのミュージックビデオにも影響を与えたと言われるインド映画のダンスのような、モダンなスタイルのダンスも大人気で、道ばたの子ども達がラジカセから流れる映画音楽に合わせて上手に踊っているのを見たことがある人も多いんじゃないだろうか。
(ちなみに、いやいや逆にインドの映画がマイケル・ジャクソンのミュージックビデオに影響を受けたんだよ、という説もある)
今回は、イギリスの大手メディア「ガーディアン」が、あの「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台にもなったムンバイ最大のスラム街、ダラヴィで撮影したヒップホップのドキュメンタリー映像を紹介します。
タイトルは、Slumdogならぬ"Slumgods of Mumbai".
これがもうホンモノで、実に見応えがある。
まるでヒップホップ黎明期のニューヨークのゲットーのようだ(よく知らないけど)。
スラム街の中で誰に見せるともなくダンスする少年達。
束の間の楽しみなのか、やるせない境遇を踊ることで忘れたいのか。
ダラヴィに暮らす少年ヴィクラムに、母親はしっかり勉強して立派な職に就くよう語りかける。
教育こそが立派な未来を切り拓くのだと。
だがヴィクラムには母親に内緒で出かける場所があった。
B BOY AKKUことAKASHの教える無料のダンス教室だ。
彼はここで同世代の少年たちとブレイクダンスを習うことが喜びだった。
でもヴィクラムは教育熱心な母親にダンス教室に通っていることを伝えることができない。
両親が必死に働いたお金を自分の教育のためにつぎ込んでくれていることを知っているからだ。
で、このダンス教室の様子が素晴らしいんだよ。
子ども達が自分の内側から湧き上がってくる衝動が、そのままダンスという形で吹き出しているかのようだ。
人生/生活、即ダンス。
それを残念そうに見つめるAKKU.
誰もが金のために必死で働くダラヴィで、AKKUは、ダンスを通して子ども達に、生きてゆくうえで何よりも大切な、人としての「誇り」を教えようとしていた。
大勢の人たちの前で踊り、喝采を浴びることで、スラムの子ども達が自分に誇りを持つことができる。
だが、周囲の大人たちは適齢期のAKKUに結婚することを勧めていた。
結婚して夫婦の分の稼ぎを得てこそ、責任感のある人間になれると。
しかし二人分の稼ぎを得るには、ダンス教室を続けることは難しい。
AKKUは自分のダンス教室を通して、子ども達に誇りを感じてもらうこと、ヒップホップカルチャーの一翼を担うことこそが自分の役割だと感じていた。
自分がダンス教室をやめてしまえば、誰が子どもたちに誇りを教えるのか。
ヒップホップは彼自身の誇りでもあり、彼もまた葛藤の中にいる…。
AKKUは、ヴィクラムの両親の理解を得るべく、彼が内緒でダンス教室に来ていることを伝えに行くのだった。
だが、両親の理解はなかなか得られない。
さまざまな葛藤をかかえたまま、AKKUのヴィクラムへのダンスレッスンが続いていく。
そして迎えたある夜、薄暗い照明のダンス教室の中、ヴィクラムの両親も招待されたスラムのB BOYたちのダンス大会が始まった。
次々にダンスを披露する少年たち。
家では見せたことがないほど活き活きと踊るヴィクラムの姿に、両親もやがて満面の笑顔を見せる。
そう、我が子が一生懸命に打ち込む姿を喜ばない親はいない。
そして、コンテストの結果は…。
この物語のラストで、AKKUはヴィクラムに、あるプレゼントを渡す…。
いつも両親に「ミルクを買いに行く」と嘘をついてダンス教室に来ていたヴィクラムに、勉強して成功を収めるということとはまた別の、希望と誇りが託される場面だ。
このドキュメンタリーを見れば、音楽やダンスが抑圧された人々にとってどんな意味を持つことができるかを改めて感じることができる。
世界中の多くの場所と同様に、ここダラヴィでも、音楽やダンスが、日々の辛さを忘れ、喜びを感じさせてくれるという以上のものになっていることが分かる。
そして音楽やダンスがもたらす希望は、言葉や文化を異にする我々にも、普遍的な魅力を持って迫ってくる。
人はパンのみにて生きるにあらず。
貧しくとも、人はお金のためだけに生きているわけではない。
ヒップホップは、ただの音楽やダンスではなく、本来はそうした人間の尊厳を取り戻すための営為なのだということに改めて気付かされる。
もちろんヒップホップを発明したのはアメリカの黒人たちだけど、ヒップホップというフォーマットは国籍や文化に関係なく、あらゆる抑圧された人たちが(抑圧されていない人でさえも!)共有できる文化遺産であるということを改めて感じた。
ダラヴィの生活は夢が簡単に叶う環境ではないだろう。
AKKUが今もダンス教室に通っているのか、彼らのうち何人が今もダンスを続けているのか、煌びやかなムンバイのクラブシーンで活躍できるようになったB BOYはいるのか、それは分からない。
でもこのドキュメンタリーからは、きっと何か感じるものがあるはず。
たったの13分で英語字幕もあるので是非みんな見てみて!
追記: Youtubeで確認したところ、AKKUは今でもダンスを、ダンス教室を続けているようだ。
昨年行われたTEDxでのAKKUのプレゼンテーションを見たら、最後にダンス教室の生徒たちも出ていたけど、ヴィクラムの姿は確認できなかった。
成長して見分けがつかなくなってしまっただけなのか、ダンスをやめてしまったのか、たまたまここにいなかっただけなのか…
2017年12月27日
インドのエミネム? Brodha V
さてさて、本日紹介しますのは、この人、Brodha Vさん。ラッパーです。
まずは1曲、Aatma Raama、聴いてください。
インドのヒップホップはムンバイとかデリーとか、街ごとにいろんなシーンがあるみたいなんだけど、この人はITシティ、バンガロールのシーンを代表するラッパー。
英語でラップしているので、インドのラップが初めてという方も聴きやすいんじゃないでしょうか。
ちょっとエミネムっぽい感じもあって、実際影響を受けているみたいで歌詞にも出てくる。
バンガロールのあるカルナータカ州はカンナダ語が公用語。こういうスマートな英語のラップとは別に、もっと不良っぽいカンナダ語のラップのシーンもあるみたいだ。
都市ごとにシーンの特徴も違って、例えばムンバイはもっとストリート色が濃いような印象。
この曲の聴きどころはなんといってもAメロ部分の欧米基準って感じの英語のラップと、サビのヒンドゥーの聖歌とのコントラスト。
こういう曲を聴くと、インドが単にアメリカの黒人文化をそのままコピーしているのではなく、自分たちの文化とヒップホップを(なかば強引にでも)接続して、血肉がかよった自分たちのものにしているんだってことが分かる。
歌詞では、若くてお金がなくてワルかった頃のこと、そこからラップに出会い希望を見出したことなんかが歌われていて、そんななかで道を踏み外しそうになったときや、ラップを自分のキャリアとして選んだときに、俺は目を閉じて神に祈るんだ…という部分からヒンドゥー聖歌のサビにつながる。
ワルかったころの体験があって、そこからヒップホップに救いを見出すっていうのは、アメリカでも日本でもラップではよくある歌詞のモチーフだけど、そこからラーマ神(ヴィシュヌの化身、ラーマヤーナの主人公)への感謝につながるっていうのがインドならでは。
サビ部分の聖歌の原曲はこんな感じ。
アメリカのラッパーでも、苦しい環境からキリスト教に救いを見出すなんていう話はあるし、フランスあたりの移民系のラッパーだとイスラム教に救いを見出すみたいなストーリーもあったりするけど、この曲はそのインド(ヒンドゥー教)版と言える。
もちろん、インドにはムスリムやシク教徒のラッパーもいる(いずれ紹介します)。
ちなみに3番のヴァースではエミネムや2pacのようなスターになりたかった、エマ・ワトソンみたいな彼女が欲しかったなんて歌詞も出てくる。
ヒンドゥーの神への祈りも欧米文化への憧れも、インドのラッパーにとっては自然な感情なんだろうね。
よく考えたら日本人のラッパーも神社に初詣とか行くだろうし。
インドのヒップホップ専門サイトDesi Hip Hopのインタビューによると、Brodha Vが初めて聴いたラップは、4、5歳のとき聴いたタミル語映画のこの曲だったとのこと。
オールドスクール調のかっこいい曲だなあって思ったら、作曲はA.R.Rahman.
この人本当に天才だなあ。
さらにBrodha Vさんの他の曲も聴いてみましょう。
これはボリウッド映画のための曲ということでよりハデなアレンジ。
これは女神ドゥルガー(シヴァ神の妻、パールヴァティの化身のひとつで、強大な力を持つ戦いの女神)を讃える賛歌とラップのミクスチャーで、どうも女性が活躍するアクション映画だからこういう選曲がされている模様。
この曲のヒンドゥー聖歌の原曲はリズミカルで現代音楽に映えるみたいで、ロックアレンジにしている人たちもいる。
こっちもタブラとか入っててかっこいい!
現時点で最新の曲はどうやらこれ。
ヒンドゥー聖歌は入っていないけど、トラックのパーカッシブな部分がインドっぽいかな。
サビの犬の声のところはアイデア賞ものじゃないでしょうか。
途中のリズムチェンジして速くなるところ、最後のヒンディーで見栄を切る(っていうのか)ところがイカす!
YouTubeのコメント欄には、インド人による「俺たちのエミネム!」みたいな意見にたくさん「いいね!」がついてたりして、Brodha Vさん、着実に自分が望むポジションに近づいているのではないでしょうか。
それでは今日はこのへんで!