GullyBoy

2019年03月09日

"Gully Boy"と『あまねき旋律』をつなぐヒップホップ・アーティストたち 

ムンバイのストリート・ヒップホップシーンを描いたRanveer Singh主演の"Gully Boy"がインドで大ヒットを続けている。
ここ日本での自主上映でもかなり評判が良いようで、今までになくインドのヒップホップが注目を集めている。
残念ながらSpace Boxさんによる英語字幕の自主上映は本日がラストとのことだが、これまでに日本でヒットしてきたインド映画とはまた違う毛色の本作、改めて正式な劇場公開が待たれる。
(Gully Boyについては不肖、軽刈田も大絶賛しております。「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」

この映画はムンバイのラッパーNaezyとDivineをモデルにしているが、インドではここ数年、大都市ムンバイのみならず、様々な都市や地域でアンダーグラウンドなヒップホップシーンが形成されている。

それはインドのなかでも独自の文化を持つインド北東部も例外ではない。
インド北東部のナガランド州を舞台にしたドキュメンタリー映画『あまねき旋律』をご覧になった方は、ナガの地に駐留するインド軍が映し出された、重苦しい無音のシーンを覚えていることだろう。
かつて村が焼き払われ、この土地の独立運動が徹底的に弾圧された歴史が、字幕で伝えられる場面だ。
山あいの農村に暮らすチャケサン・ナガ族のみずみずしい歌声にあふれたこの映画の中で、そこだけ生気が失せたような沈黙がとても印象的なシーンだった。
(ナガランドについては何度も書いているが、『あまねき旋律』についてはこちらから:「特集ナガランドその1 辺境の山岳地帯に響く歌声 映画『あまねき旋律』」
インド北東部地図NEとシッキムインド北東部地図拡大
(地図出展:Wikipedia)

インド北東部は、ヒンドゥー/イスラームの二大宗教や、アーリア/ドラヴィダの二大民族に代表される典型的なインド文化とは全く異なるルーツを持つため、周縁的な存在であることを余儀なくされ、差別や偏見の対象となってきた。
そのため、北東部ではナガランド以外でも多くの州で、独立運動や権利を求める闘争が行われてきた。
そうした運動を牽制するため、インド北東部の多くの地域が、前回紹介したカシミール同様にAFSPA(Armed Force Special Power Act. 軍事特別法と訳されることがある)の対象地域とされ、軍や警察による令状なしの捜査・逮捕・資産の収奪が認められている。
そして残念なことにその特権は必ずしも正義のために行使されているわけではなく、これまでに多くの一般市民が権力を持つ側の犠牲になっており、それゆえに権利や自由を求める意識はさらに高まってきたという歴史がある。
このブログでも紹介してきたとおり、インド北東部は典型的なインド文化の影響が少なく、クリスチャンが多いこともあって相対的に欧米文化の影響が大きいため、インドのなかでもかなり洗練されたポピュラー音楽文化を持っている地域だ。
当然ながらアンダーグラウンドヒップホップシーンにも数多くの素晴らしいアーティストがいる。

インド北東部では多くのラッパーが差別や偏見に抵抗し、民族の誇りを掲げたラップをリリースしているが、その代表格がトリプラ州のBorkung Hrankhawl(BK)だ。

"Fighter ft. Meyi"

"Roots (Chini Haa)"
ヒップホップというよりはEDMに近いビートに乗せてポジティブなリリックを吐き出す姿勢がとても印象的なBorkung Hrankhawlについては、以前も詳しく紹介した。(「トリプラ州の“コンシャス”ラッパー Borkung Hrangkhawl」

メガラヤ州からは、この地に暮らすカシ族の名を取ったKhasi Bloodzが、「インドのロックの首都」とも言われるほどインディーミュージックが盛んな州都シロン(Shillong)を拠点に活動している。
この曲はその名も"Hip Hop"

メンバーのBig-Riは同郷の女性R&BシンガーMeba Ofiliaとコラボレーションしたこの楽曲でMTV Europeの2018年Best India Actに選ばれた(こちらの記事でも特集)。
"Done Talking"  


と、ここまではイントロダクション(いつも長くて申し訳ない)。
今回は奇しくも3人のラッパーが似たタイトルの楽曲を発表していることを紹介します。

まずは北東部でも最北の地、アルナーチャル・プラデーシュ州のラッパーK4 Kekhoが昨年リリースした"I am an Indian"から。

「北東部出身者が、インドの主要部で中国人やネパール人に間違えられて経験する真実に基づいている」というメッセージから始まるこのミュージックビデオは、インド国内でも十分に認識されず、高等教育を受けるために進んだ主要都市では外見や文化の違いから差別と偏見にさらされる過酷な現実を訴えている。
それでもなお「俺もまたインド人だ」と主張するラップは、ある意味独立を訴えるよりも悲しみを感じさせるものだ。
後半では主要都市の大学で差別や暴力によって北東部出身者が命を落とした事件に対する抗議の様子が出てくるが、これはBorkung Hrankhawlもフリースタイルのスポークンワードで訴えていた深刻な問題だ。

続いて紹介するのはインドに併合される1975年まで独立国だったシッキム州のラッパー、UNBが2014年に紹介した"Call Me Indian".

彼のことも以前ブログで取り上げたのを覚えている方もいるかもしれない(そのときの記事)。
ユーモラスなフロウでラップされているが、インド人としての誇りを持っていてもインド人して見られず、見た目を馬鹿にされ、声をあげれば暴力さえ振るわれるというリリックの中身は悲痛なものだ。

そして3曲めに取り上げるのは、オディシャ州出身のラッパー、Big Deal.
オディシャ州は地図を見ればわかる通りインド北東部ではないが、インド人の父と日本人の母のもとに生まれた彼は外見的に北東部出身者にうりふたつで、彼もまた幼少期に外見ゆえの差別を受けてきたという。
Odisha
(地図出展:Wikipedia)

彼が昨年リリースした楽曲のタイトルは"Are You Indian".

"I Am Indian", "Call Me Indian", "Are You Indian"と、奇しくも3曲が3曲とも「外見からインド人みなされず差別にさらされる北東部出身者が、自分も同じインド人だと抗議する」というテーマを掲げているのがお分かりいただけるだろう。
これらの曲は、北東部出身者は、インドの主要地域出身者に比べて、同等の尊厳が認められていないという状況を表している。

Big Dealのこの"Are You Indian"はアメリカのラッパーJoyner Lucasの"I'm Not Racist"という曲にインスパイアされて書かれたものだという(この曲もアメリカの黒人の心情が非常に分かるものになっているので、興味があればぜひビデオを見てほしい)。
前半では、ヒンドゥー、ムスリム、南部出身者ら、多様ではあるがインド主要部を構成する人々からの北東部への偏見が吐き出される。
それに対して後半は北東部出身者からの返答という構成になっている。

これがかなり面白いので、相当長くなるがリリックの訳を載せてみます。
まずは前半、インドのメインランドからの偏見はこんな内容だ。

お前は誰だ?ここで何をしている?
よくは知らんが最近インドじゃ移民が多すぎる
中国人に見えるが国境をくぐり抜けて来たのか?
差別するわけじゃないが、お前のマヌケな顔を見て言ってるんだ
小さい目に無いような眉毛
お前がインド人だって?疑わしいね
お前がインド人だって?何言ってんだ
インド人を探してるってんなら、あいつを見てみな

お前たちの女どもは挑発的な格好をして一晩中パーティーするんだろ
そりゃレイプされるのも仕方が無いね
全然違うんだよ 俺たちは最高で、お前たちは病気だ
お前らの学生どもはアル中か大麻中毒だろ
自分には関係無いって言うのは勝手だが、俺はお前らが大嫌いだ
お前らの近所に住んでるが、お前らがでかい音でかける音楽が大嫌いだ
大学に行ってる奴らも多いみたいだが
さぼってばかりで金を無駄にしているんだろう
どうして仕事につかないんだ?自分の価値も見つけられないのか?
いつまでも親のスネかじりか? 
ゲームばかりやって時間を無駄にしてるのか?
少数民族の優遇制度のおかげで仕事につくんだろ
政府のお情けにすがって生きてるのか?
 
お前らの女どもは早いって聞くが
処女を失ったみたいに尊厳も無くしちまったのか?ひどいもんだ
 
お前らもお前らの臭い食べ物も地獄に堕ちろ
お前らが料理すると黄色いクソみたいな匂いがして吐きそうになる
肉が入ったものしか食べないんだろ
鶏肉じゃ満足できなくて犬も食べるんだろ
 
調子を合わせてみたり、自分たちは違うって言ってみたり
西洋人になりたがってみたり、インド人になりたがってみたり
お前らは矛盾ばっかりだ
どうしてどっちかに決められないんだ?
お前らが思ってるなりたい人間になれよ
その方が楽だからって誰かの真似をするな、被害者ぶるな
それがお前らの地域のテロの理由だろ
自分たちの権利のために戦ってるって言うんだろ
人殺しはやめろ
 
お前らの人種は何か変なんだ
男らしいって言うがヒゲもないじゃないか
法律なんかクソくらえだ 裁判所なんか信じないね
正義なんて盲目だし、盲目ってのがキーワードなんだ
だから犯罪者どもが好き勝手したり無罪の人間が聴取されたりするんだ
俺たちが汚い言葉を使ったって言って5年も刑務所に入れるんだ
メアリー・コムは好きだぜ
彼女は自分の地元だけじゃなくてインドを代表してるんだ
俺たちは絆を分かち合う必要がある
自分たち自身みたいにお互いを気遣う必要がある
お前らはインド人か?
インド人になりたいのか?


まずはここでも中国人に似ていることや外見に対する差別から歌詞が始まり、ヒンドゥーやイスラーム的な価値観とは異なる彼らへの偏見が続く。
今回紹介した3曲全てに北東部の食文化に対する差別が入っているのも興味深い。
インドのマジョリティーであるヒンドゥー文化は菜食を清浄なものとし、肉食を忌避する傾向があるが、北東部出身者は伝統的に肉をよく食べることから、差別の対象となりやすい。
「犬肉を食べているんだろう」というのは、典型的な北東部出身者への偏見の一例だ。
指定部族(Scheduled Tribe=STという。ちなみに不可触民などの指定カーストはScheduled Caste=STと略される)優遇制度の恩恵を受けていることや、テロリズム的独立運動というのも北東部のステレオタイプへの批判と言ってよいだろう。
最後の方に出てくるメアリー・コムというのは北東部のマニプル州出身の女子ボクシング世界チャンピオンのこと。
彼女はモンゴロイドだが、彼女の半生が映画化された際には、典型的なインド美人の女優、プリヤンカ・チョープラーが彼女の役を演じた。

さて、前半の偏見に対する北東部からの反論はこんなふうに続く。

俺は俺だ インド人としてうまくやろうとしてる
お前の無知には我慢できないな 俺を移民だと思っていやがる
国境のそばに住んでるんだ もちろんその左側さ
(※国境の右側は中国ということだろう)
俺の顔で判断したってことはあんたはまぎれもない人種差別主義者だ
アルナーチャル、アッサム、マニプル、ミゾラム、
メガラヤ、トリプラ、シッキム、ナガランド
これが北東部、インドのセブン・シスターズだ
俺たちはまぎれもないインド人、中国でも日本でもない
 
俺たちがいい暮らしをしていて苦々しいんだろ
目は小さくても大きいビジョンで見渡せるんだ
いつの日かいっしょになれるかもな
調和のうちに共存できるかもな 俺たちもテロはこりごりだ

女性たちへの差別的な感性
あんた達の服だって思ってるほど立派じゃない
正義のための道に毎日集まるんだ
ムスリムへの差別も止めろ
(※この4行のヒンディー語部分は機械翻訳なのであやしいです)
 
俺たちは歴史的にひどく抑圧されてきた
不平等と混乱にさらされてきた
差別され、マイノリティーとして抑圧されてきた
だから俺たちには優遇制度が与えられているんだ
簡単に言おう 俺たちはあらゆる優遇制度に十分に価する
お情けにすがって生きているんじゃない お前がそう思わなかったとしてもだ
なんなら今すぐ役所に行って問題提起してみな
 
俺たちの中には同化しようとする奴も、違ったままでいたい奴もいる
俺たちの中には西洋人になりたがる奴もいるが、それはお前たちが俺たちもインド人だと感じさせないからだ
俺が言いたいのはお前らがこうさせたってことだ
どうして心を決めないんだ
俺たちに心の底から好きなようにさせてくれ
俺たちに好きなようにさせてくれ、俺たちは犠牲者だ
俺たちの地域のテロの理由は
政府がしてくれないから自分たちの権利のために戦っているんだ
体制なんてクソくらえだ

メアリーを讃えろ
男どもは毛深くてクソみたいな匂いがする
俺たちの女が怖がるのも無理はない
ガンディーは肌の色のせいで電車から降ろされた
イギリス人はそんなふうに俺たちを人種差別して、そして出て行った
今日まで俺たちは同じようなことをしている

俺たちは俺たちのプライドの奴隷
罪のないものが代償を払わされてる
暴力的に命が奪われ、また母親が泣く
また娘がレイプされ、息子が死んでゆく
すべての犠牲は、誰が正しいか証明するために起きているんだ
俺たちが戦い続けて、目をあわせようとしないなら
そんな人生なら、
生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
変化をもたらす時だ 俺たちから始めるんだ


無知や見た目による差別への反論がこれでもかと畳みかけられる。
逆差別との批判も受けがちな優遇制度も、独立運動にも、彼ら自身さえうんざりしているテロ行為にさえ、それに値するだけの理由があるのだという主張には、犠牲者でありつづけてきた悲痛が込もっている。
リリックはさらに激しさを増し、かつてインド人を差別したイギリス人と同じことをしている差別主義者や、差別することで自尊心を満たす彼らの生き方を糾弾する。

ここまで聞くと、やはり差別される側である北東部出身者の声に一部の理があるように思える。
Youtubeのコメント欄には、この曲に対して北東部出身者からの共感の声と、メインランドの理解者からの賞賛の声が並んでいるが、その中にいくつか気になるものがあった。
「こういう音楽を作ることで、かえって分断を強調してしまうのではないか」とか「北東部にもメインランドから移住した者に対する差別がある」といったものだ。

正直にいうと、私も北東部の人々のおかれた状況に同情しつつも、この曲の後半のかなり過激な糾弾に対しては、差別主義者の心に届くのなあ、と疑問に感じていた。
北東部出身者でないBig Dealのリリックが、実際の当事者であるK4 KekhoやUNBの表現よりも赤裸々で激しいことも気になる。

Big Dealは、当事者が反発を招かないために、あえて越えないようにしていたラインを越えてしまったのではないか。
こうした表現方法では、共感者の理解は得られても、そうでない人(例えばST制度反対論者)の気持ちを変えることはできないのではないか。

その点に対して、Big Dealは、この曲について解説した動画の中で非常に興味深い話を語っている。

オディシャ州の小さな街プリーで育った彼は、幼少期に東アジア的な見た目ゆえの差別を経験した。
プリーの街にはそんな顔の人間は誰もいなかったからだ。
インド北東部にほど近いウエストベンガル州ダージリンの寄宿舎学校進むと、そこには彼によく似た見た目の同級生たちがいた。
ところが、今度こそよく似た仲間たちに溶け込めたのかというと、そうではなかった。
そこで会った北東部出身者は、見た目は似ていてもよその地域から彼をやはり差別したのだという。
(そこからラップに出会ったことで自信を得てゆく過程は彼の"One Kid"という曲に詳しく表現されている

こうした経験を通して、彼は偏見というものが決して一方向だけのものではないことを知る。
偏見とは双方向的なもので、それぞれが「正しい」と思っていることの中に含まれているのだ。
それがマジョリティーとマイノリティーに分断されたときに、差別という問題になって表出する。
これは「差別される側にも原因がある」というような意味ではなく、人間の本質についての話だ。

この曲は北東部への差別を扱った楽曲ではあるが、メインテーマは前半と後半、それぞれのヴァースの最後の部分なのだ。

俺たちは絆を分かち合う必要がある
自分たち自身みたいにお互いを気遣う必要がある
 
俺たちが戦い続けて、目をあわせようとしないなら
そんな人生なら、
生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
変化をもたらす時だ 俺たちから始めるんだ

Big Dealは、自分と異なる容姿の人々と、よく似た人々の双方からの差別を経験したからこそ、この曲を作ったと語っている。
「差別する側の言い分」である前半のラストにも理解を求める言葉があるのは、無知や偏見ゆえに差別する人々も、心の底では相互理解の必要性を分かっているということを表しているのだろう。
この曲が扱っているのはインドだけの問題ではなく、世界中の誰にとっても普遍的なテーマなのだ。

本日はこのへんまで!
今回はずいぶん長い記事を読んでいただいてありがとうございました!



Big Dealのことも以前書いていたので興味のある方はこちらからどうぞ。
「レペゼンオディシャ、レペゼン福井、日印ハーフのラッパー Big Deal」2018.2.28
「律儀なBig Deal」(インタビュー)2018.3.24




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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

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凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 

goshimasayama18 at 20:11|PermalinkComments(0)

2019年02月24日

Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史

今回は、ボリウッドの大スターであるRanveer Singh主演の映画"Gully Boy"を生み出すまでに至ったインドのヒップホップシーンの歴史を振り返ってみます。
(ムンバイのラッパー、DivineとNaezyをモデルにした映画"Gully Boy"についての記事はこちらから:
「ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開"Gully Boy"」
「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」
「映画"Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア」

在外インド人によるDesi hip hopの誕生から、インド都市部でのストリートラップの誕生まで、インドのヒップホップの歴史を、3つに区切って紹介!
(アーティスト名など、文字の色が変わっているところは、そのアーティストを紹介している記事へのリンクになっているのでよろしく)

【Desi Hip Hopのはじまり】(20世紀末〜2005年頃)

「インド系」のヒップホップは、総称して'desi hip hop'と呼ばれる。
'Desi'という接頭辞は、本来は南アジア系ディアスポラ(在外コミュニティー)を意味する言葉。
'Desi hip hop'という言葉は、もともとはイギリスやカナダなどで暮らす南アジア系(インドのみならず、パキスタン、バングラデシュなども含む)移民によるラップミュージックを指していたが、現在ではインド国内のヒップホップを含めた総称として使われることもある。
とにかく、この呼び名からも分かる通り、インドのヒップホップは、海外に暮らす移民たちによる、「在外南アジア系コミュニティーの音楽」として始まった。

Desi hip hop誕生前夜の90年代後半には、イギリスを中心に「バングラー・ブーム」が巻き起こっていた。
このパンジャーブ州発祥の強烈にシンプルでエスニックなリズムは、インド系移民からメインストリームにも飛び火し、そのブームはPanjabi MCが1998年にリリースした"Mundian To Bach Ke"が2003年には世界的なヒットとなるまでに拡大した。
同じく90年代には、タブラ奏者のTalvin SinghやAsian Dub Foundationのようなバンドによる「エイジアン・アンダーグラウンド」と呼ばれるムーブメントもイギリスで勃興。
南アジア系移民によるクラブミュージックとルーツ音楽の融合が本格的に始まり、インド系ヒップホップ誕生の期は十分に熟していたのだ。
こうした状況下で、同時代の欧米の音楽にも親しんだ移民の若者たちが、自分たちの言葉をラップに載せて吐き出すのは必然だった。

初期のdesi hip hopを代表するアーティストを一人挙げるとしたら、カリフォルニアのBohemiaということになるだろう。
Desi hip hopの創始者と言われるBohemiaは、1979年にパキスタンのカラチで生まれ、13歳のときに家族とともにカリフォルニアに移住してきた。
母の死をきっかけに高校をドロップアウトした彼は、南アジア系の仲間とバンドを組んで音楽を作り始める。
やがて彼は、故郷を持たずに放浪するボヘミアンの名を借りて、移民の青春や文化的衝突をリリックに乗せた世界最初のパンジャービー語ラッパーとなり、在外パンジャーブ系コミュニティーを中心に人気を博してゆく。
2002年に発表した彼のデビューアルバムは、地元カリフォルニアよりもインド系移民の多いイギリスで高く評価され、BBCラジオのトップ10にもランクインした。
彼は俳優Akshay Kumarとの親交でも知られ、'Chandni Chowk To China'や'Desi Boyz'といった彼の主演作品への楽曲提供も行なうなど、ボリウッドとヒップホップの橋渡しという意味でも大きな役割を果たした。
Desi hip hopのラッパーたちはアメリカやカナダからも登場したが、シーンの中心はインド系移民の多いイギリスで、マンチェスターのMetz and TrixやウエストヨークシャーのRDBら、多くのアーティストがこの時代から活躍している。

Desi hip hopは、その後も独自の進化を続け、Raxstar(ルートン〔英〕、2005年デビュー)、Shizzio(ロンドン。2006年デビュー)、Swami Baracus(ロンドン。2006年デビュー?)、J.Hind(カリフォルニア。2009年デビュー)ら、多彩なアーティストを輩出している。
2010年代に入ってからは、Desi hip hopという用語の古臭さを嫌い、Burban(Brown Urbanの略。Brownは南アジア系の意)というジャンル名を提唱するアーティストも出始め、Jay Sean(ロンドン。2014年デビュー)のように、音楽性からインドらしさを取り払って人種に関係なく受け入れられるアーティストが登場するなど、シーンは一層の多様化を見せている。


【インド製エンターテインメント・ラップの登場】
海外でのdesi hip hopの流行がインド本国にも伝わると、インドの一大エンターテインメント産業である映画音楽業界が放っておくはずがなかった。
Desi hip hopのアーティストは、イギリスのインド系移民の主流で、バングラーの故郷でもあるパンジャーブ系のラッパーが多かったが、その影響からか、この時期にインドで活躍しはじめたラッパーもパンジャーブ系が多かったのが特徴だ。

その代表格がYo Yo Honey Singhだ。
パンジャーブ州ホシアールプル出身の彼は、イギリス留学を経てデリーを拠点に音楽活動を開始。
Desi hip hopシーンの影響を受けた彼は、2006年にBadshah, Raftaarらとバングラー/ラップユニットMafia Mundeerを結成し、国産バングラー・ラップを作り始める(名義としては各メンバーの名前でリリースされている楽曲が多い)。
この新しいサウンドに流行に敏感なボリウッドが飛びつくと、当初はシンプルなものだった彼らの音楽性は、映画音楽に採用されるにしたがって、どんどん派手に、きらびやかになってゆく。Mafia Mundeer出身のアーティストでは、Honey Singh同様にゴージャスなサウンドが特徴のBadshah、よりヒップホップ色の強いサウンドのRaftaarらもヒット曲を量産し、インドのエンターテインメント・ラップの雛形を作り上げた。
インターネットの普及によりインド国内で多様な音楽が聴ける環境が整うと、ガラパゴス的だったインドの映画音楽は一気に発展し、派手なサウンドのバングラー・ラップはボリウッドでひんぱんに取り上げられるようになる。
また同じ時期には、おそらくはインド初のフィーメイルラッパーということになるであろうHard Kaur(彼女もイギリス育ち)も登場し、現在も映画音楽を中心に活躍している。

彼らのサウンドは、インドではヒップホップとして扱われることが多いが、その音楽性はむしろバングラー・ビートをEDM的に発展させた楽曲にラップを合わせたもの。
アーティストの名前を知らなくても、インド料理店などで流れているのを耳にしたことがある人も多いかもしれない。


【インドのストリートヒップホップ Gully Rapの台頭】(2010年頃〜)
インド社会にインターネットが完全に定着すると、それまで耳に入る音楽といえば国内の映画音楽ばかりだった状況が一変する。
エンターテインメント色の強いボリウッド・ラップとは一線を画するラッパーたちが次々と登場してきたのだ。
高価な楽器がなくても始められるラップがインドの若者たちに広まるのは当然のことだった。
それまで、映画音楽などのようにエンターテインメント産業によって制作され、提供されるのが常識だった音楽を、若者が自分で作って発信できる時代が訪れたのだ。
こうして、インドじゅうの大都市に、アンダーグラウンドなヒップホップ・シーンが誕生した。

ムンバイからは、ケニア出身のラッパーBob Omulo率いるバンドスタイルのBombay Bassment, Mumbai's Finest、そしてストリート出身のDivineやNaezyが登場。
Divineはヒンディー語で「裏路地」を意味するGullyという言葉を多用し、インド産ストリートラップの誕生を印象付けた。
ムンバイは他にもEmiway Bantai, Swadesi, Tienas, Dharavi United, Ibexら、多くのラッパーを輩出し、インドのアンダーグラウンド・ヒップホップの一大中心地となった。
英語、ヒンディー、マラーティーと多様性のある言語が使用されているのもムンバイのシーンの特徴だ。

首都デリーでは名トラックメーカーSez on the Beatを擁するAzadi Recordsが人気を集め、パンジャービーながらバングラではなくアンダーグラウンド・スタイルで人気を博しているPrabh DeepやSeedhe Mautらが台頭してきている。

デカン高原のITシティ、バンガロールでは、バッドボーイだった過去とヒンドゥーの信仰をテーマにしたBrodha Vや、出身地オディシャの誇りや日印ハーフであることで受けた差別の経験をラップするBig Dealらがこなれた英語のラップを聴かせる一方で、地元言語カンナダ語でラップするMC BijjuやGubbiら、よりローカル色の強いラッパーたちも活躍している。

南インドのタミル・ナードゥ州ではHip Hop TamizhaやMadurai Souljourが、ケーララ州ではStreet Academicsらがそれぞれの地元言語(タミル語、マラヤーラム語)で楽曲をリリースし、インド北東部でも、トリプラ州のBorkung Hrankhawl(BK)、メガラヤ州のKhasi Bloodz、アルナーチャル・プラデーシュ州のK4 Kekhoらがマイノリティーとしての民族の誇りや反差別をラップしている。

こうしたアーティストの特徴は、彼らの音楽的影響源がDesi Hiphopやいわゆるボリウッド・ラップではなく、EminemやKendrick Lamarらのアメリカのラッパーだということ。
よりシンプルなトラックにメッセージ性の強いリリックを乗せた彼らは、エンターテインメント色の強いボリウッド・ラップがすくいきれない若者たちの気持ちを代弁し、支持を集めてきた。

各地で同時多発的に勃興したムーブメントは少しずつ大波となってゆく。
ここにきて、アンダーグラウンドなものとされてきたGully Rapが"Gully Boy"としてボリウッドの大作映画に取り上げられるなど、インドのヒップホップシーンはよりボーダレス化、多様化が進み、ますます面白くなっている。
アンダーグラウンドシーン出身のラッパーがメジャーシーンである映画音楽の楽曲を手がけることも多くなってきた。
また、在外インド人系アーティストでは、カリフォルニア出身でソングライターとしてグラミー賞にもノミネートされたことがある米国籍のフィーメイル・ラッパーのRaja Kumariが、映画音楽からDivineとの共演まで、インド系ヒップホップシーンのあらゆる場面で活躍している。

当初、インドのストリート系ラップはアッパーな曲調が大半を占めていたが、昨今ではTre Ess, Tienas, Smokey The Ghost, Enkoreのようによりメロウでローファイ的なトラックの楽曲を発表するアーティストも増えてきた。
世界的なチルホップ、ローファイ・ヒップホップの流行に呼応した動きと見てよいだろう。
ムンバイのラッパーIbexが日本人アーティストのHiroko、トラックメーカーのKushmirとともに日本語のリリックを取り入れたチルホップ曲"Mystic Jounetsu"をリリースしたのも記憶に新しい。

"Gully Boy"のヒットで一気にメジャーシーンに躍り出て来たインドのヒップホップシーンは今後どのように発展し、変化してゆくのか、これからもますます注目してゆきたい。
(…といいつつ、あまりにもアーティストの数が増え続け、もはや追い続けることが不可能なレベルに入って来たとも思うのだけど)


今回の記事で紹介したラッパーたちの楽曲をいくつか紹介します。
かなりの量になるので、興味があるところだけでも聞いてみて。

Desi Hip Hop前夜に世界中でヒットしたPanjabi MCの"Mundian To Bach He"(1998年)

今にして思うとあのバングラ・ブームは何だったんだろう。
世界的なブームは一瞬だったけど、その後もインド国内のみならず在外インド人の間でもバングラは愛され続けており、インド系ヒップホップにも多大な影響を与えてきた。

Bohemiaのファースト・アルバム"Vich Pardesa de"(2002年)。

改めて聴いてみて、このあとにインドで流行するヒップホップと比較すると、オリジナルの(アメリカの黒人の)ヒップホップのヴァイブを一番持っているようにも感じる。

そのBohemiaが映画音楽を手がけるとこうなる"Chandni Chowk To China"(2009年)

その後のボリウッド・ラップとも異なる、これはこれで面白い音楽性。
Chandni Chowkはデリーの要塞遺跡ラール・キラーにつながる歴史ある繁華街の通りの名前だ。

Sunit & Raxstar "Keep It Undercover"(2005年)

トラックにインド音楽をサンプリングするのはその後のインド本国でのヒップホップでもよく見られる手法。

Shizzio FT Tigerstyle "I Swear"(2009年)

Shizzioは2010年代以降、新しいDesiミュージックとしてBurbanを提唱するアーティストの一人。

Swami Baracusは音楽的にはまったくインドらしさを感じさせないラッパー。 "The Recipe"(2011年)


Jay Sean "Down ft. Lil Wayne"(2009年)

かつてはもっとインド色の強い音楽性だったJay Seanは、無国籍な作風となったこの曲でビルボードチャートNo.1を達成。
インド系のアーティストとしては初の快挙。

Yo Yo Honey Singh ft. Bill Singh "Peshi"(2005年)

Yo Yo Honey Singhのデビュー曲はのちの音楽性よりもシンプルでバングラ色が濃厚!

最新の楽曲は昨今流行りのバングラのラテン的解釈
Yo Yo Honey Singh "Makhna"(2018年)


Badshah "Saturday Saturday"(2012年) 

典型的なボリウッド・パーティー・ラップ。
歌い始めのところで「食べやすい」と聞こえる空耳にも注目。

Raftaar x Brodha V "Naachne Ka Shaunq"

ボリウッド・ラップとストリートシーン出身のラッパーの共演例のひとつ。

Hard Kaur "Sherni"(2016年)

イギリス育ちのフィーメイル・ラッパーの草分けHard Kaur.
Raja Kumariもそうだが、こういうラッパー然とした佇まいはなかなかインド出身の女性には出せないのかもしれない。

Bombay Bassment "Hip Hop (Never Be the Same)"(2011年)

レゲエ的な曲を演奏することも多いBombay Bassmentはムンバイのシーンの初期から活動しているグループだ。ベースやドラムがいるというのも珍しい。

Mumbai's Finest "Beast Mode"(2016年)

オールドスクールな雰囲気満載のこの曲はダンスやスケボーも含めたムンバイのヒップホップシーンの元気の良さが伝わる楽曲。

Divine ft. Naezy "Mere Gully Mein"(2015年)

映画"Gully Boy"でも効果的に使われていた楽曲のDivineとNaezyによるオリジナル・バージョン。
映画公開以来Youtubeの再生回数もうなぎのぼりで、ボリウッドの力を思い知らされた。

"Suede Gully"(2017年)はDivine, Prabh Deep, Khasi Bloodz, Madurai Souljourとインド各地のシーンで活躍するストリートラッパーの共演。

Gullyという言葉がインドのヒップホップシーンで多様されていることが分かる。
ご覧の通りPumaのプロモーション的な意味合いが強い楽曲で、この頃からアンダーグラウンド・シーンに大手企業が注目してきていたことが分かる。

Street Academics "Vandi Puncture"(2012年)

ケララ州を代表するラッパーデュオStreet Academics.

Smokey the Ghost "Only My Name ft. Prabh Deep"(2017年)

 Sezプロデュースのこの曲はチルでジャジーな新しいタイプのインディアン・ヒップホップサウンド。

Tienas "18th Dec"(2018年)

ムンバイのTienasのこの曲はインドのヒップホップ界を牽引するデリーの新進レーベルAzadi Recordsからのリリース。

Raja Kumari "Karma"(2019年)

Raja Kumariはこの曲や先日紹介した"Shook"を含む5曲入りのアルバム"Bloodline"を2月22日にリリースしたばかり。
やはり唯一無二の存在感。

2019.3.7追記:このあとに書いた印パ対立の犠牲となってきた悲劇の地カシミールで自由を求めてラップするストリートラッパーMC Kashについてはこちらから。「カシミール問題とラッパーMC Kash

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2019年02月17日

映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)

インドでもここ日本でも大注目の、ムンバイのヒップホップシーンを題材にした映画"Gully Boy"の自主上映会に行ってきました!(Spaceboxさん主催、@キネカ大森)

GullyBoy

あらすじは自分が見るまで知りたくないという人もいると思うので、別の記事にまとめてあります。
他に、ストーリーに関連した見どころやトリビアなんかも書いてあるので、そっちも読んでみたい方はこちらからどうぞ( "Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア)。

じつは、感想を書くにあたって、「たぶんこんな感じだろうな」と思って書きかけていたものがあったのだけど、実際に映画を見てみたら、これがもう本当に素晴らしく、あまりにも感じたことや気づかされたことが多くかったので、事前に書いたものを全て消して今新たにこの文章を書いている。

Ranveer Singh演じる主人公は、ムスリムのラッパー、Murad.
以前も書いたように、この映画は実在のムンバイのラッパー、Divine(クリスチャン)Naezy(ムスリム)を題材にしたもので、MuradはNaezyをモデルにしたキャラクターということになるようだ。
てっきりDivineが主人公だと思っていたので、これにはけっこう驚いた。
どうやら映画の中でMuradの兄貴分にあたるMC Sher(Siddhant Chatruvedi)がDivineをモデルにしたキャラクター(ラップの吹き替えもDivine)にあたるらしい。
(DivineやNaezyについては、こちらの記事をどうぞ「ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開"Gully Boy"」) 

とはいえ、二人のキャラクター設定は実際のDivineとNaezyとは違うところが結構あるので、やはりZoya Aktar監督の言うとおり、これは伝記映画というよりも、彼らをモチーフにしたフィクションとして見るべき作品なのだろう。
(映画の冒頭には、きちんと'Original Gully Boys'としてDivineとNaezyの名前が出てくるのだが)

なんといってもこの映画でとにかく印象に残ったのは、Ranveerの演技の素晴らしさ!
予告編やポスターを見る限り、Ranveerの七三分けみたいな髪型や自信なさげな様子が、ラッパー役にしては違和感があるなあと感じていたのだけど、これが実はMuradの内面の繊細さや抑圧された状況を表す演出であって、そんな彼がラップを通して自信と自由と成功を手に入れてゆく過程が、じっくりと丁寧に描かれている。
実際のNaezyを撮影した"Mumbai 70"という短編ドキュメンタリーを見たことがあるが、この中でオフステージのNaezyが見せていたのと同様の繊細さがうまく再現されていた。



まだまだヒップホップが一般的でないインドで、兄貴肌でワイルドなイメージのDivineを主人公にしても共感は得られにくいだろうから、この設定は非常にうまくできているのではないだろうか。
吹き替え無しで臨んだラッパーとしてのパフォーマンスシーンももちろん圧巻で、Ranveerはこの映画でほんとうに良い仕事をしたと思う。

映画全体を見ても、貧しい生まれの青年のラッパーとしてのサクセスストーリーを軸に、恋愛、家族との葛藤、格差、貧しさゆえに手を染める悪事などの要素もうまく盛り込まれていて、単なる音楽映画でも青春映画でもない重厚な作品に仕上がっていた。
また映像がとても美しかったのも印象的だ。

ボリウッドにつきもののミュージカル/ダンスシーンのヒップホップへの翻案は、下手をするとかなりださいものになってしまうのでは、と心配していたのだけど、ミュージックビデオの撮影というとても自然な取り入れられ方をしていて、ストリート感覚とエンタメのバランスの良さに感心させられた。


また、ラップのリリックの内容に社会性が強いものが多かったという点も特筆したい。
いくつか紹介すると、「なぜこうも上手くいかないのか、なぜ富めるものと貧しいものがいるのか」というテーマの"Doori"はZoya Akhtar監督の父で、詩人/作詞家/脚本家としても著名なJaved Akhtarの詩をDivineがリライトしたもの。
 

"Azadi"は「飢え、差別、不正義、政治の腐敗、格差からの自由を!」というテーマの曲。
Azadiは自由という意味のヒンディー語で、デリーの人気ヒップホップレーベルの名前にもなっている単語だ。
この曲の"A-Za-di!"というコーラスはデモ行進のシュプレヒコールを思わせるもので、この映画がヒップホップを社会運動的な側面を持つものとして描いていることがよくわかる楽曲。
パフォーマンスはDivineとDub Sharma.

 

こうしたテーマは、じつはストリートの生活やそこに暮らす人々の心のうちを扱うことが多い実際のNaezyやDivineのリリックよりも、かなり具体的で政治的なものだ。
(ムンバイで政治的、社会的なテーマを扱うラッパーとしては、MC MawaliとMC TodfodのデュオであるSwadesiがいる)
インドで最初のストリートヒップホップを題材にした映画(それも大物俳優の出演した大作)が、娯楽的なサクセスストーリーだけではなく、こうしたラップが持つ社会的な意義をもテーマにしたということは、すごく重要なことだと思う。
ボリウッドが、ラップを単なるエンターテインメントでも成り上がりの手段でもなく、持たざるものが声を上げ、社会に対峙するための武器として描いたことはきちんと評価したい。

日本でヒップホップ映画を撮ると、どうしても『サイタマノラッパー』みたいに、「ヒップホップの美学と日本人のメンタリティーの間にあるギャップにフォーカスする」という視点になりがちだけど(それはそれで大好きだが)、映画の中のムンバイのラッパーたちは、自身のおかれた社会的状況や格差や不正義をストレートにラップし、喝采を浴びる。
これは国民性の違いと言ってしまえばそれまでだが、表現者がどれだけ社会の抑圧をリアルに感じているかということが大きく関係しているように思う。

抑圧された人間が、自分の心のうちを自分の言葉(ラップ)で表現することによって、いかに自由とプライドを取り戻せるのか。
ヒップホップでどんな夢が見られるのか。
個人のラップが、一人の人間だけでなく、彼がレペゼンするコミュニティーにとってどんな意味を持ちうるのか。

この映画で提示されたテーマは、インドのみならず、世界中の都市に暮らす人々やヒップホップファンにとってもリアルに感じることができるものだと思う。
つまり、この映画は、DVDになったときに、『バーフバリ』とか『ムトゥ』の隣ではなく、"8 Mile"とか、"Straight Outta Compton"の隣に並べてもまったく構わないということだ。
夢を追うミュージシャンのサクセスストーリー、もしくは実在のアーティストの脚色された伝記という括りで、『アリー スター誕生』とか、『ボヘミアン・ラプソディ』の隣にこの映画のDVDを並べたって構わない。
いや、むしろそうしてほしい。 
この傑作映画は、インド映画好きのためだけの映画ではまったくない。

また、この手のヒップホップがまだまだアンダーグラウンドであるインドの市場を考えてのことだと思うが、ストーリーの中で、ヒップホップ/ラップがどんなものなのかという説明もさりげなくされる構成になっているところにも感心した。
ヒップホップに興味のない人も置いていかないようになっているから、ヒップホップ映画ではなく、単に一人の人間の成長物語としても、社会的な映画として見ることもできるのだ。


個人的な話になるが、現代のインドの音楽に興味を持ったきっかけのひとつが、90年代にインドを旅したときに、「インド社会の中で抑圧された人たちが、アメリカの黒人のように音楽で主張をし始めたら、すごいことになるだろうなあ」という気持ちを抱いたことだった。
今、それがまさに実現していて、こうしてインドのエンターテインメント界の大本山であるボリウッド映画にまでなったということに、なんというかもう感慨無量だ。

インド映画について語る時、「インド社会は現実があまりにも厳しいから、現実にはありえないような夢物語が大衆に好まれる」という趣旨のことが言われがちだが、この映画に関しては夢物語でもなんでもなく、実際にストリートからのし上がったラッパーたちがモデルになっているのだ。
エミネム主演の"8 Mile"に似ている部分もあるが(とくにラップバトルのシーン)、"8 Mile"の背景として、音楽業界の発展したアメリカ社会では、ラッパーとして有名になることによって社会的・経済的な成功が得られるというコンセンサスがあった。
インドの場合、ストリート出身者がラップをしても、それでプロになって暮らしてゆけるなんて、かつては誰も思っていなかった。
"Gully Boy"は、すでに確立された形で夢を叶えた成功物語ではなくて、インドの常識を変えた「最初の一人」を象徴的に描いているというところにも大きな意味があるのだ。

そして、「インドにおけるストリートラッパー(=gully boy)のサクセスストーリー」という映画の物語とは別に、「ストリートラッパーの人生がスター俳優主演でボリウッドで映画化する」というこの映画そのものが、この映画のモデルになったNaezyやDivineにとっての最高のサクセスストーリーになっているわけで、この現実と映画がリアル絡み合った状況がインドのインディーミュージックファンにはもうたまらない。

この映画のテーマ曲"Apna Time Aayega"は「俺の時代がやって来る!」と宣言する楽曲。


この「俺の時代」とは、インドじゅうのアンダーグラウンドラッパーが注目される時代であり、声なき者たちの声をラップという形で社会に広く届けることができる時代であり、また抑圧された境遇に生まれた者がインディーミュージックに夢を持つことができる時代のことなのだ。

学生時代以降、あんまりインドに行けていないけど、ずっとインドを好きでいて良かった。
素直にそう思えた映画だった。
まだインターネットが一般的でない時代の、欧米や東アジアとは完全に別世界だったインドも懐かしいけど、新しいインドもやっぱり最高に面白い。
そのインドの中から、こうして普遍的な魅力をもった音楽映画が出てきたということが、とても感慨深かった。
でもほんと、そんな個人の感慨なんてどうでもいいくらいの歴史的な映画だった!

改めて、日本での一般公開が待たれる素晴らしい映画でした。
今度は日本語字幕でしっかりと見てみたい! 
本当はヒンディーやウルドゥーが分かったら何倍も楽しいのだろうけど。

多少ネタバレがあっても良いからもっと読みたい、という人はあらすじの記事も読んでみてください。


(関連記事「Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史」

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映画"Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア

映画"Gully Boy"のレビューを書いてみたのだけど(リンクはこちら)、あらすじについては映画を観るまで知りたくない、という人もいると思うので、レビューとは別にこちらの記事に書くことにします。
あらすじと言っても、全てを書いてしまっているわけではなく、ちょうど映画のパンフレットに書いてあるくらいの感じにしたつもりです。
見どころ、楽曲紹介とトリビアも書いてあるので、映画を観終わってから読んでも「あのシーンにはああいう背景があったのか」と楽しめるものと思います。

あらすじは読みたくないけど見どころとか楽曲紹介とかトリビアだけ読みたい、という人は、一度記事の一番下までスクロールしていただいて、そこから少しだけ上に戻ってみてください。
多めの改行がしてあるので、あらすじを読まずに済むようになっています。

前置きが長くなりましたが、あらすじはこの下から!
























"Gully Boy"あらすじ

イスラム教徒の大学生Murad(Ranveer Singh)は、家族とともにインド最大のスラム、ダラヴィに暮らしている。
彼はときに悪友の起こす悪事に巻き込まれたりしながら、退屈で希望の持てない青春を過ごしていた。
彼は一人になるとノートに自作のラップのリリックを書くほどのヒップホップファンだが、憧れのNas(アメリカのラッパー)はあまりにも遠い存在だ。
MuradにはSafeena(Alia Bhatt)という幼なじみの恋人がいるが、裕福で保守的な彼女の両親は、二人の交際を認めてくれるはずもなく、二人はお互いの家族に分からないように会わなければならなかった。

ある日、大学でのコンサートでMC Sher(ライオン)と名乗るラッパー(Siddhant Chaturvedi)のステージを見たMuradは大きな衝撃を受ける。
ムンバイにもアンダーグラウンドなヒップホップシーンがあることを知ったMuradは、ラップバトルの場を訪れ、Sherに「よかったら自分が書いたリリックをラップしてくれないか」と話しかけるが「ラップは自分自身の言葉で語るものだ」と返されてしまう。
自分がラッパーになる気は無かったMuradだったが、Sherにうながされ、彼は自作のリリックを初めて人前で披露することになるのだった。

彼がYoutubeにアップした動画は、アメリカの名門音楽学校、バークリー出身の女性ビートメーカーSky(Kalki Koechlin)の目に留まり、Sherと彼女とMuradの3人での音楽活動が始まった。
本格的にラッパーとなったMuradは、スラムのストリート出身であることから、「ストリートの少年」を意味する'Gully Boy'と名乗ることになった。

ラッパーとしての活動を始めたMuradだが、そんな時に父が事故にあい、怪我のために働けなくなってしまう。
彼は父に代わって裕福な家族の運転手として働くことになるが、そこでスラムに暮らす自分との圧倒的な貧富の差を目の当たりにするのだった。
Sherの励ましで、自分の見たこと、感じたことを率直にラップすることを決意したMuradは、格差やストリートでの生活をテーマにしたラップをレコーディングし、地元ダラヴィのストリートでミュージックビデオ撮影を決行。
その動画が高い評価を受け、Muradは人気ラッパーになってゆく。
しかし父は彼のラッパーとしての活動に大反対する。
「音楽などして何になるのか。お前にそんなことをさせるために教育に金を注ぎ込んできたわけではない」と父は激怒。
ミュージックビデオの成功を祝うパーティーでは、嫉妬深いSafeenaがSkyとの関係を誤解してトラブルになり、そのことがきっかけでSafeenaとも別れてしまう。
家では父が母に暴力を振るい、Muradと母と弟は家を出て暮らすことになる。

途方にくれるMuradだったが、彼はアメリカの人気ラッパー、Nasのインド公演のオープニングアクトを決めるラップバトルが行われることを知り、この夢のような機会に応募することを決める。

なんとか大学を卒業したMuradは、叔父の会社で働くことになった。 
貧しい生まれの彼にしては十分すぎるほどの境遇だ。
だがそこでは、ラップバトルに参加するための休みを取ることは許されず、「使用人の子はしょせん使用人」と屈辱的な言葉を浴びせられてしまう。
Muradは夢を選ぶのか、安定した人生を選ぶのか…。



























'Gully Boy'の見どころ!
  • この映画の中で、ヒップホップは、序盤では退屈で希望が持てない日常を忘れさせてくれるものとして、中盤では自分自身の言葉を語り誇りと自由を取り戻すためのものとして、終盤ではストリート出身のMuradが夢を叶えるための手段として描かれている。また、終盤のあるシーンで、Muradのラップが、Muradのためだけのものではなく、彼が暮らすダラヴィ17のコミュニティーの声を代弁するものであることが示唆される。Zoya Akhtar監督は、本当にヒップホップに対する正しい理解のもとでこの映画を作成したと思う。
  • 映画の序盤、Muradは、「ヒップホップファンではあるが、ラッパーになる気はない若者」として描かれる。この映画は、そんな彼がラッパーになろうとする過程で、Sherからヒップホップの表現者としての精神を教わってゆくという構成になっている。まだこの手のヒップホップがアンダーグラウンドな存在であるインドで、観客に分かりやすくヒップホップ文化を伝えることができるよう、うまくできた構成だ。
  • 映画の冒頭、悪友Moeenが車両強盗をするシーンで、盗んだ車の中でかかる曲は、典型的なインドの売れ線ヒップホップ。Muradがこの手のヒップホップを拒否するシーンを見せることで、彼がコマーシャルなものではなく、よりリアルなヒップホップを志向していることを暗示している。(MC Sherのステージを見るまで、Muradが地元のシーンを知らなかったようにも見えるので、「彼はアメリカのヒップホップに憧れてヒンディーでリリックを書いているがムンバイにヒップホップを実践している人がいるとは知らなかった」ということだろう)
  • この映画のラップバトルのシーンが独特で、DJやビートに合わせるのではなく、トラック無しで1ターンずつラップしあうというもの。インドではこれが一般的なのだろうか。
  • Muradのラップを高く評価して、トラックメーカーとして名乗り出たSkyと名乗る人物を、彼とSherは男性だと思っていたが、会ってみると正体はボストンの名門バークリーで学んだ女性だった。貧しいMuradとSherは、大学で音楽を学ぶということが想像できない。二人にとって、教育とは現実的な収入の良い仕事につくためのものでしかなく、音楽がキャリアになるとは考えたこともないからだ。インドの富裕層/エリート層のミュージシャンが、ヒップホップというカルチャーを通して、ストリート出身の二人と出会う象徴的なシーンだ。実際にバークリー出身のインド人女性ミュージシャンに、シンガーソングライターのSanjeeta Bhattacharyaや日本で活躍するジャズ/ソウルシンガーのTea(Trupti Pandkar)らがいる。
  • Muradに惹かれてゆくSkyに、生まれ育った境遇があまりに違う彼は戸惑って「どうして僕のことなんかが好きなんだい?貧しい階級の出身なのに」と尋ねる。それに対してSkyは「あなたはアーティスト。どこから来たかなんて気にしない」と答える。ヒップホップという自由を希求する音楽に惹かれながらも、Muradもまた階級意識から自由になれていないということが分かる。
  • 若者が主人公のインド映画では、たいてい親子の価値観の違いによる断絶が描かれるが、この映画もまた然り。Muradの親もSafeenaの親も厳格で保守的だが、それは子どもたちに安定した幸福な暮らしができるようになってもらうための愛情でもある。だが、若い世代にとっては安定よりも自由こそが幸福なのだ。
  • ラップコンテストのシーンで審査員を務めている垢抜けた感じの人たちは、アメリカやイギリス生まれのインド系移民のミュージシャンたち。このブログでも取り上げたRaja Kumariの姿も見える。このシーンは、これまで海外のインド系移民や、裕福な層(この映画の中ではSky)を中心に作られてきたインドのインディーミュージックシーンに、いよいよ本物のストリート出身のアーティストが加わることになる瞬間を描いたものとして見ることもできる。
  • ラップコンテスト予選のシーンは、最初のラップバトルのシーンと対になっている。ヒップホップにおいて大事なのはファッションではなく言葉の中身であることが示されるシーンだ。「インドで最初のヒップホップ映画」がヒップホップをファッションではなくよりリアルなものとして描いていることはきちんと覚えておきたい。
  • 負傷した父に代わり、裕福な家庭の運転手として働くことになるMurad. 運転手は、貧しい生まれの者が決して手が届くことがない富裕層の世界に触れることができる象徴的な職業だ。金持ちの運転手を務める使用人の境遇については、アラヴィンド・アディガ(Aravind Adiga)の小説「グローバリズム出づる国の殺人者より」(原題"The White Tiger")に詳しい。
  • ラップコンテストのシーンでは、実際にインドのアンダーグラウンドシーンで活躍するラッパーが何人もカメオ出演している。名前が出てきただけでも、Shah Rule, Emiway Bantai, Kaam Bhari, MC Todfod, Malic Sahab, Checkmate, Stony Psyko, Shaikspeare… 他にもいたかな。
  • ステージに向かうMuradが神に祈りを捧げるシーンがある。また、成功を納めた彼をスラムの住人が老若男女も宗教の区別もなく祝福する場面もある。ムンバイのスラムで、ヒップホップが信仰やローカル社会と矛盾するアメリカの文化ではなく、生活に根ざしコミュニティーを代弁するものになっていることが分かるシーンだ。 
  • Muradがダラヴィのストリートで撮影した映像は評判を呼び、多くの支持を集めるが、それでも彼は音楽で生きてゆくという決心がなかなかつかず、父親も彼がラッパーとして生きてゆくことを認めようとしない。インドではCDやカセットテープが音楽流通の主体だった時代にインディーミュージックが栄えることはついになかった。インドで音楽で生計を立てるには、映画音楽などの商業音楽の道に進むか、厳しい修行を経て古典音楽のミュージシャンになる以外の道は、ほぼなかったのだ。インターネットを介して誰もが様々な音楽を享受/発信できる時代になって、初めてインドのインディーミュージックシーンが発展しはじめた。つまり、音楽は無料で聴くものであって、いくらそこで評判を得ても、音楽を売ってプロになるという道はいまだに整備されていないのだ。そういう現状を踏まえると、ストリートから音楽で成功したNaezyとDivine、そして映画の中のMuradの見え方がまた変わってくるのではないだろうか。






映画に使われた楽曲たちをいくつか紹介!

傷ついた心と母親への愛、そしてインドに本物のヒップホップを届けるぜ!という気持ちをラップする"Asli Hip Hop"はアンダーグラウンドシーンのラッパーSpitfireによるもので、ラップしているのは主演のRanveer自身。
映画の中ではラップバトルのシーンに使われていた。
インド人の母親への愛情表現はいつもストレートだが、ラップバトルでお母さんへの愛情をラップするというのはちょっと面白い。
アメリカだと相手の母親をけなすというのは聞いたことがあるけど。


「俺たちの時代が来る」とラップする"Apna Time Aayega".
この曲はボリウッドに取り上げられにわかに注目を集めたアンダーグラウンド・ラップの象徴的な扱いをされていて、多くのラッパーがこの曲のタイトルに関連した発信をソーシャルメディア上でしている。
DivineとDub Sharmaによる楽曲をこれもRanveer自身がラップ。
映画のなかのこの曲のシーンでは、涙が止まらなくなった。


Zoya Akhtar監督の父、Javed Akhtarによる詩をDivineがリライトした"Doori".
映画の中ではこの曲でMuradの詩的センスが高く評価されることになる。
なぜこうも上手くいかないのか、なぜ富めるものと貧しいものがいるのか、といった内容を詩的に表現した曲で、これもRanveer.
彼は本当にラップをがんばっている。


「飢え、差別、不正義、政治の腐敗、格差からの自由を!」というテーマの曲。"Azadi"
Azadiは自由という意味。デリーの人気ヒップホップレーベルの名前にもなっている単語だ。
この曲の"A-Za-di!"というコーラスはデモ行進のシュプレヒコールを思わせるもので、この映画がヒップホップを社会運動的な側面を持つものとして描いていることがよくわかる楽曲。
パフォーマンスはDivineとDub Sharma.

"Azadi"のコール&レスポンスはインドのデモの定番で、音楽の場で使われている例としては、以前紹介したデリーの社会派レゲエ・アーティストのTaru Dalmiaの活動を追ったドキュメンタリー(「Ska Vengersの中心人物 Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」)の最後にも出てくる。

"Train Song"はカルナータカ州出身の人気フォーク(伝統音楽)系ポップ歌手Raghu Dixitと90年代から活躍する在英エレクトロニカ系アーティスト/タブラプレイヤーKarsh Kaleの共演で、プロデュースにはMidival Punditzの名も。


"India 91"は古典音楽カルナーティックのパーカッション奏者Viveick Rajagopalanのリズムに合わせてMC Altaf, MC TodFod, 100 RBH, Maharya & Noxious Dがラップする楽曲。
伝統のリズムとラップの融合という、インド特有のヒップホップ文化にもきちんと目配りがされていることがうれしかった。
元ネタは以前このブログでも紹介したRajagopalanとSwadesiのコラボレーションによる楽曲"Ta Dhom".(「インド古典音楽とラップ!インドのラップのもうひとつのルーツ」



トリビア

最後に、映画の設定と実際のDivineとNaezyとで違うところや、トリビア的なものを挙げる。
これ以外にもたくさんあると思うけど、やはり監督Zoya Akhtarの言う通り、これは伝記映画ではなく、DivineとNaezyをモデルにアンダーグラウンド・ヒップホップシーンを描いたフィクション映画として楽しむべきものなのだろう。

  • 映画の舞台は、『スラムドッグ・ミリオネア』と同じ「インド最大のスラム」ダラヴィになっていたが、Naezyが生まれ育った街はBombay70ことクルラ地区の出身で、Divineは西アンデーリー出身。いずれもスラムと呼ばれる土地ではある。
  • Divineをモデルにしたと思われるMC Sherは、映画ではどうやらヒンドゥーという設定のようだったが、実際のDivineはクリスチャンで、本名はVivian Fernandes. 不良少年だったが、教会では敬虔に祈りを捧げることから、Divineの名を名乗ることになった。
  • 映画ではMC Sherは母親がいない設定だったが、実際のDivineが育った環境はシングルマザーの家庭だった。実際はその母親も海外に出稼ぎに出ていたため、祖母のもとで育てられた。
  • Muradが暮らす家をスラム体験ツアーで欧米人ツーリストが訪れたときに、Muradがツーリストが着ているNasのTシャツに反応するシーンがあるが、実際のDivineがヒップホップに興味を持ったきっかけは、彼のクラスメートが50 CentのTシャツを着ていたことだった。
  • 映画では、MC SherがMuradに自分の言葉で自分でラップするように諭す存在として描かれているが、現実の世界でも、活動初期に英語でラップしていたDivineに対して、ヒンディー語でのラップを勧めたラッパーがいる。Camoflaugeの名でトロントでラッパーとして活動しているGangis Khanだ。
  • 最初のラップバトルで、Muradが着ていたニセモノのアディダスを馬鹿にされ、何も言い返せなくなってしまうシーンがあるが、実際にニセモノのアディダスをテーマにした曲をリリースしたムンバイのラッパーがいる。英語でラップするTienasが2017年に発表した"Fake Adiddas"がそれで「ニセモノのアディダスと安物の服にはもうウンザリ」という内容。
  •  
  • 映画ではMuradはSafeenaにプレゼントされたiPadを使って本格的にラップを始めるが、実際のNaezyは、父親にプレゼントされたiPadを使ってレコーディングし、ミュージックビデオを撮影してYoutubeにアップロードしたことが注目されるきっかけとなった。


ちなみにDivineの"Jungli Sher"もiPhoneで撮影されたミュージックビデオという触れ込みだが、これはメジャーのソニーからリリースされた楽曲なので、貧しさゆえというよりは話題作りという意味合いの強いものだろう。


映画の中でも、彼らが地元ダラヴィでミュージックビデオを撮影するシーンが出てくるが、この"Mere Gully Mein"はDivineとNaezyによるオリジナルにRanveerのパートを追加したもの。
 

  • 映画ではMuradが暮らすスラムの地区は「ダラヴィ17」と呼ばれ、Gully Boyはダラヴィ17をレペゼンするラッパーとしてラップコンテストに望むことになるが、Naezyが生まれ育ったクルラ地区のスラムのエリアコードは"Bombay 70"。彼をモチーフにした短編ドキュメンタリー映画のタイトルにもなった。
 

  • この映画のエグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされている米ヒップホップ界の大スターNas(ナズ). パキスタンや北インドのムスリムの間で話されるウルドゥー語で'Naz'とは「あなたがどんなときも常に愛されていることを知ることで得られる安心感と自信」という意味の他の言語に訳せない言葉。単なる偶然だが、この映画のテーマを考えると暗示的ではある。この映画のためにNas, Divine, Naezy, Ranveer Singhがコラボした"NY Se Mumbai".
 

と、いろいろと語らせてもらいました。
個人的に好きなのは、Muradが家の中でiPadでラップの練習をしていて「独り言はやめなさい。縁起が悪いから」と母親に言われるシーンと、家でステージでのパフォーマンスの練習をしていたところに父親が帰ってきて、あわてて何もしていない振りをするシーン。
世界中のラッパー志望の若者たちが共感できて笑えるすごく素敵なシーンだと思った。


いずれにしても、この映画でインドのヒップホップシーンがますます注目され、活性化することは間違いない。
そんな中で、Divineは自らのレーベル'Gully Gang Entertainment'を発足することをアナウンスした。
そこからいったいどんなアーティストが出て来るのか、本当に楽しみで仕方がない。 


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2019年02月10日

Raja Kumariがレペゼンするインド人としてのルーツ、そしてインド人女性であるということ

以前も紹介したアメリカ国籍のインド系女性ラッパー、Raja Kumariが昨年11月にリリースした楽曲"Shook"がかっこいい。
この曲は、今年前半にリリースが予定されているニューアルバム、"Blood Line"(血統)からの先行リリース。

以前の曲と比べてよりドスのきいた声で、ミッシー・エリオットのような凄みが出てきた。
イントロからサンプリングされている伝統音楽っぽい歌がインドっぽくないなあと思っていたら、どうやらスワヒリ語のチャントだとのこと。
つまりこの曲はアフリカ系アメリカ人が発明したヒップホップとそのルーツであるアフリカの音楽、そしてインド系アメリカ人である彼女とそのルーツであるインドの音楽(この曲ではちょっとだけど)が融合した非常に野心的な楽曲なのだ。

この曲のサウンドがとても気に入ってよく聴いていたのだけど、彼女のインタビューに基づいて歌詞を読んでみると、歌詞もまた非常に興味深いものだということがわかる。

最初のヴァースは'Diamond bindi shining with bangles out' と始まる。
「ビンディー」はヒンドゥーの女性が額につける飾りで、もともとは悟りとともに開かれるとされる第3の目を模したもの。
「バングル」は今ではすっかり一般的な単語になっているが、もともとはインド人女性がつけるインドの腕輪を指す言葉だ。
インド人女性としての誇りや美的感覚を自信を持って見せつけよう、というところからリリックは始まる。

この曲の最も重要なテーマはその後のラインに出てくる'Hindu guap'.
'guap'は現金を意味するスラングだが、彼女曰く「ヒンドゥー文化の豊かさに誇りを持とう」という意味を表す言葉だという。

つまりこの曲は、インド系アメリカ人として米国で育った彼女が自らのルーツをレペゼンするとともに、グローバル社会で生きるインド系の人々(とくに女性)に誇りを持つことを促すメッセージソングでもあるというわけだ。

Raja Kumari自身が歌詞の意味を説明したビデオ。


ニューヨークのメディア'The Knockturnal'のインタビューで、彼女は自らの半生とアメリカでインド系女性として生きる現実を語っている。
The Knockturnal 'Exclusive: Raja Kumari Talks New Single "Shook" Upcoming Album "Bloodline" & Musical Beginnings'

彼女の両親は1970年代にアメリカン・ドリームを夢見て渡米したインド人移民だ。
インド系移民の常として、彼女の両親は子どもたちの教育に力を注いだ。
Raja Kumariいわく、彼女の兄弟は典型的なインド人。
勉強の成果を生かして脳神経外科医や法律家として活躍しているという。
兄弟のなかで彼女だけが音楽の道に進んだが、両親はそんな彼女を幼い頃から応援し、優れた師匠のもとで古典舞踊を習わせた。
それが今の彼女の音楽の基礎になっているのだ。
古典舞踊を踊る少女時代の彼女をフィーチャーしたミュージックビデオ、"Believe in You". 


やがて古典舞踊ではなく、R&Bやヒップホップの道に進んだ彼女は、Iggy Azaleaに提供した曲でグラミー賞候補になったのち、音楽活動の場をインドにまで広げた。

カリフォルニアで生まれ育った彼女だが、それでもインドは居心地の良い場所だったという。
南アジアやインド文化がなかなか理解されにくいアメリカと比べ、インドでは自分のしていることがより受け入れられていると感じることができたからだ。
南アジアの女性にステレオタイプな保守的なイメージを持っている人々に対しても、彼女は戦ってゆく必要があると語っている。
こうした状況の中で、彼女は自身のルーツを、音楽とリリックを通して表現しようとしているのだ。
映画Bohemian Rhapsodyのなかで、インド系であるFreddie Marcuryが名前を変え、南アジア的な要素を排除しようとしている姿で描かれていたのとは対照的である。
(これはヒンドゥーであるKumariに対して、Freddieがパールシーであることも多少関係しているのかもしれないが)

そういえば、彼女がミュージックビデオで着ている衣装も、インド的な美意識をいかにヒップホップ的ファッションに落とし込むかということに挑戦しているように見える。




こうした背景を踏まえてDivineと共演した楽曲"Roots"を改めて聞くと、これまた非常に趣深い。
Raja Kumariは、ヒップホップアーティストという、インド人女性のステレオタイプからはみ出した生き方をしながらも、インド古典音楽やインドの伝統的なファッションの要素を取り入れ、米国社会のなかでインドの文化や宗教を誇らしげに掲げている。
つまり、彼女なりのやり方で、アメリカ社会では周辺化されてしまっているインドのルーツをレペゼンしているというわけだ。

先日紹介したDivineは、対照的だ。
巨大産業である映画音楽系シンガーや帰国子女・留学経験者ばかりだったインドのヒップホップ界で、ムンバイの貧民街出身のラッパーとして、本物のストリート(Gully)のラップを届けることで頭角を現してきた。
彼はインドの都市の中で周辺化されてしまっているスラム出身というルーツをレペゼンしているのだ。

Raja KumariとDivine.
この曲、"Roots"では、インド系ではあるが、性別も宗教も(Divineはクリスチャン)生まれ育ちも、まったく異なるルーツを持った二人がヒップホップという一点でつながり、コラボレーションしているというわけだ。
もちろん、この2つは矛盾しているわけではなく、いずれも本物のヒップホップのアティテュードと言えるものだろう。


Raja Kumariのニューアルバム'Bloodline'はアメリカで製作され、マイアミのDanja(Timbaland, Mriah Carey, Missy Elliott, Madonnaらとの仕事で知られる)、アトランタのSean Garrett(Beyonce, Nicky Minaj, Usher, Britney Spearsらとの仕事で知られる)ら、そうそうたる顔ぶれが参加したものになるようだ。
彼女はこのアルバムを、インドやディアスポラ向けのものではなく、より普遍的なものとして製作しているという。
"Shook"を聞く限り、内容も素晴らしいものになりそうで、期待しながらリリースを待ちたい。
それでは今日はこのへんで。



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goshimasayama18 at 20:46|PermalinkComments(0)

2019年02月04日

ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開!"Gully Boy"

1年ほど前にこのブログで紹介した、ムンバイを、いやインドを代表するラッパーDivineの半生をモデルにした映画が公開される。
タイトルは"Gully Boy".
GullyBoy

主演はランヴィール・シン(Ranveer Singh)。
マッチョなボディー(マッチョが多いインド人俳優のなかでも群を抜く)と甘いマスクで日本にも根強いファンがいる俳優だ。
インド映画好きにとっては、昨年"Om Shanti Om"等で有名なディーピカー・パドゥコーン(Deepika Padukone)との美男美女カップルの結婚式を覚えている人も多いことと思う。
Deepika_Ranveer_traditional
Deepika_Ranveer_Western
さすがに何着ても似合うね。

共演は英国籍インド人のアリア・バット(Alia Bhatt).
これまでベストセラー小説"2 States" の映画版のヒロインなどを務めており、歌手としても活動している。
監督はゾーヤ・アクタル(Zoya Akhtar).

タイトルの'Gully'という英単語を調べると「小峡谷」や「水路」という訳が出てきて「はて?」となるが、ヒンディーが分かる人に聞いてみたところ、これは実はヒンディー語で、「路地」というような意味とのこと。
さしずめ「ストリート」のニュアンスで捉えたらよいのだと思う(Divineのラップクルーの名前も'Gully Gang'だ)
予告編を見ると、スラムからヒップホップでのし上がってゆくという内容の映画のようだ。


Divineは以前の記事でも書いたとおり、ムンバイの貧しい地区で育ったクリスチャン。
初めは英語でラップしていたが、自分自身をより的確に表現するためにヒンディーでラップするようになったという。
クリスチャンはインド社会のなかでは少数派(人口の2%くらい)であるため、映画では主人公の背景がどのように描かれるのか(あるいは描かれないのか)気になるところだ。
あらためて代表曲を紹介すると、「これがオレのボンベイ(ムンバイの旧名)だぜ!」と宣言する"Yeh Mera Bombay".

ムンバイとはいってもそこは'Gully'出身のDivine.
このビデオには高層ビルもオシャレエリアも出てこず、出てくるのは屋台のオヤジやリクシャードライバーのオッサンばかり。
こんなふうに下町を練り歩いていた彼がボリウッド映画にまでなると思うと非常に感慨深い。

Divineと並んでこの映画のモデルとなったのは、同じくムンバイを代表するラッパーのNaezy.
彼の代表曲"Aafat!".
さびれた埠頭やトラック駐車場といった「大都会でない」ムンバイを映したビデオからは、彼がDivine同様にストリートに出自を持つラッパーであり、同時に確かなスキルを持っているということが分かるだろう。

このビデオではいかにもストリート系なコワモテのイメージだが、彼は敬虔なムスリムでもあり、不良少年からヒップホップで立ち直ったという経験を持つ。
彼の生き様を取り上げたこの短いドキュメンタリー(英語字幕付き)は2014年のムンバイフィルムフェスティバルで最優秀短編映画賞を受賞した。

白いムスリムの衣装に身を包んだ彼からは、ラッパーとしてパフォーマンスしているときとは全く異なる印象を受ける。
彼もまた貧しい地区に生まれ、盗みや暴力行為を繰り返す不良少年だったが、あるとき逮捕されたことをきっかけに誤った道にいることに気づき、部屋に籠ってリリックを書き始め、ラッパーとしてのキャリアをスタートさせた。
偶然聞いたショーン・ポールに憧れ、英語のラップを覚えてクラスメートや女の子の注目を集めていた彼は、こうした過ちを経て自分の言語で、自分の言葉をラップし始めるようになった。
彼が初めて書いたリリックはこんな感じだ。

たくさんの道が目の前にある / だがお前は多くの誘惑に溺れかけている
初めからやり直せたらと思っているが / 時間は過去に戻してはくれない
もしもまだ完全に溺れてしまっていないなら / しっかりするんだ
神様はお前のために何か考えてくれているはずだから


「これが俺のホームスタジオさ」と彼が見せるのは、父親からプレゼントしてもらったiPadだ。
スラムに暮らす家族のプレゼントがiPadというのにも驚かされるが、このiPadで、彼はビートをダウンロードし、ループさせ、彼のリリックを乗せて、ビデオクリップまで撮影した。
こうしてインターネットにアップした映像が先ほどの"Aafat!"で、1年間で10万ビューもの注目を集めることとなった(今では400万ビューにも達している)。

だが、彼の母親は、不良の道から更生したことを喜びながらも、彼のしていることを「イスラームでは認められていないことよ」とも言う。
「みんなはサングラスが似合っているというけれど、目を隠すためにしているのさ」と語る彼は、細やかな感性を持ち、音楽と家族との間で葛藤する若者でもあるのだ。
こうした繊細な部分が映画ではどのように描かれるのだろうか。

監督のZoya Akhtarは、インドではまだアンダーグラウンドな存在であるヒップホップシーンの熱さと魅力に触発されてこの映画を撮ったとのことで、この映画はDivineとNaezyの伝記ではなく、あくまで二人にインスパイアされた架空の物語だとしている。
彼らと同じムンバイ出身で、大のヒップホップファンで知られる主演のRanveer Singhは、この映画の主人公を演じることを熱望し、「俺はこの映画をやるために生まれてきた」とまで語っている。
インドの娯楽のメインストリームである洗練された映画業界に生きる彼から見て、初期衝動むき出しのムンバイのヒップホップシーンは逆にまぶしく映るのだろう。
映画のモデルとなったDivineは、監督やRanveerのヒップホップへの情熱に対して「(たとえこれが自分とNaezyの伝記でなくても)これは俺たちみんなの物語なんだ。 俺のメッセージがより多くの人たちに届く助けになるのであれば…」と映画への協力を決めた模様。

DivineとNaezyがコラボした、オリジナルの"Mere Gully Mein"

Ranveer Singhらによる"Gully Boy"バージョンの"Mere Gully Mein"

ストリートラッパー達がスラムを練り歩いて撮ったビデオを人気俳優がリメイクする日が来るとは、当時は誰も想像しなかっただろう。
ヒップホップ好きというだけあって、Ranveerのラップのスキルもなかなかのものだ。
ボリウッドスターが出演している注目作ということもあり、2019年の1月に公開されたこのビデオの再生回数は、さっそくオリジナルを超えてしまった(現時点で1,600万回ほど。オリジナルのミュージックビデオは2015年に公開され、約1,400万回)

一方で、この曲をめぐってちょっとしたトラブルも発生している。
このブログでも何度も紹介してきた鬼才トラックメーカーのSez On The Beatは、もともと彼がプロデュースした"Mere Gully Mein"の新しいバージョンが映画の中で無断で使われていたことに対して、Facebook上で抗議を表明した。
彼はこの映画でDivineとNaezyのために書いたオリジナル音源が使われると信じていたとして、インドのヒップホップを大きく変えたこの曲への敬意に欠く映画業界のやり方を非難していた。
しかし彼も映画でヒップホップシーンが取り上げられること自体には肯定的な意見を述べていて、どうやらこの問題は映画の製作者側がSezの名前をクレジットに入れ、しかるべき楽曲使用料を払うということで決着しそうな見通し。

映画のサウンドトラックは全曲がYoutubeで公開されているが、当然ながらほぼ全曲がラップというインド映画のサントラとしては異色の作品となっている。
 
参加しているミュージシャンも、Divineの他にDub Sharma、Midival Punditz、Bandish Projekt、Karsh Kaleとクラブよりの人脈が揃っており、ご覧いただいたとおり主演のRanveerもラップを披露している。
この映画はインドではまだまだストリートカルチャーだったヒップホップが、エンターテインメントのメインストリームに取り入れられる瞬間を切り取った記念碑的な作品と見ることもできるのだ。
 
インドの映画ファン/ヒップホップファンの間では、さっそくこの映画をEminemの自伝的映画"8 mile"と比較する向きもあるとのこと。
トップクラスの俳優を起用したこの映画で、インドでのヒップホップ人気の裾野はますます広がることだろう。
インドから、次はどんな面白いヒップホップーティストが登場するのだろう。

ボヘミアン・ラプソディーをはじめミュージシャンの人生を扱った映画の公開が続いていることもこの映画を後押しするかもしれない。
バーフバリ以降、日本ではインド映画の「絶叫上映」がよく開催されているが、日本人がスクリーンを前にDivineのラップを大音量で聴きながら熱狂する、みたいな日がくるのだろうか。
日本での公開が待たれるところだ。

今回の記事の参考にしたサイトはこちら
NDTB  '"Not A Biopic", Director Zoya Akhtar Explains What Ranveer Singh, Alia Bhatt's Gully Boy Is About'
Entertainment Times 'Ranveer Singh: I was born to do "Gully Boy"'

Filmfare.com 'Rapper Divine reacts to Gully Boy not being a biopic on him'
Rock Street Journal 'Sez On The Beat to get Credits & Royalties for Mere Gully Mein on Gully Boy'


熱いのはラッパーたちだけじゃない。ムンバイ最大のスラム、ダラヴィ地区のヒップホップダンサーをめぐるドキュメンタリーを紹介した記事はこちらから! 「本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編」



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