GullyBoy

2022年08月09日

Emiway Bantaiと振り返るインドのヒップホップシーンの歴史!

先日、悪童のイメージが強かったムンバイの人気ラッパーEmiway Bantaiが、唐突にインドのヒップホップシーンに名を残した(っていうか今なお活躍中の)ラッパーたちへのリスペクトを表明するツイートを連投していたのを見つけてびっくりした。
彼はもともと、並外れたラップスキルを武器にいろんなラッパーにビーフを仕掛けて名を上げてきた武闘派だった。
そのスキルの高さは、数多くのラッパーがカメオ出演した映画『ガリーボーイ』でも「Emiway Bantai見たか?あいつはやばいぜ」と名指しで称賛されるほど。

荒っぽいビーフで悪名を轟かせていたEmiwayは、注目が高まったところで、いきなり超ポップな"Macheyenge"と題するシリーズの楽曲をリリースして、一気にスターダムに登りつめた。
この"Firse Machayenge"はなんとYouTubeで4.8億再生。



全方位的に失礼な物言いをさせてもらうなら、それまでインドのヒップホップシーンには、センスの悪いド派手なパーティーラッパーか、泥臭いストリート・ラッパーの二通りしかいなかったのだが、このEmiwayの垢抜けたチャラさとポップさは非常に新鮮で、大いに受けたのだった。
Emiwayはその後も、バトルモードとポップモードを自在に行き来しながら、シーンでの名声を確実なものにしていった。

自分の才能とセンスで独自の地位を確立したEmiwayは、他のラッパーとの共演も少なく、さらに上述の通り、毒舌というかビーフ上等なキャラだったので、急に「シーンの人格者」みたいなリスペクトを全面に出したツイートを連発したことに、大いに驚いたというわけである。

というわけで、今回はEmiwayの一連のツイートを見ながら、インドのヒップホップシーンの歴史を振り返ってみたい。
つい先日軽刈田によるインドのヒップホップシーンの概要を書いたばかりではあるけれど、今回はEmiwayによるシーンの内側からの視点ということで、何か新しい発見があるかもしれない。
ではさっそく、7月18日から始まったツイートを時系列順に見てみよう。


「NaezyとEmiwayがAAFATとAUR BANTAIでムンバイ・スタイルを紹介し、インドのヒップホップシーンに脚光をもたらした」

ここに書かれた、"Aafat!"は先日の記事でも紹介したNaezyのデビュー曲で、後にボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』制作のきっかけにもなった歴史に残る楽曲だ。

Emiwayの"Aur Bantai"も同じ時期にリリースされた曲なのだが、はっきり言ってNaezyの"Aafat!"と比べると、相当ダサくて野暮ったい。



ムンバイ・スタイルを決定づけた曲をNaezyの"Aafat!"の他にもう1曲挙げるとしたら、それは間違いなくDIVINEの"Yeh Mera Bombay"だと思うのだが、路地裏が舞台とはいえウェルメイドなミュージックビデオになっているYeh Mera Bombayじゃなくて、"Aur Bantai"のインディペンデント魂こそがムンバイの流儀だぜ、ってことなのかもしれない。
まあとにかく、売れっ子になってもこのミュージックビデオをYouTubeに残したままにして、こういうタイミングでちゃんと取り上げるEmiwayの真摯さは、きちんと評価したいところだ。
ちなみにEmiwayのラッパーネームにも使われているBantaiとはムンバイのスラングで「ブラザー」のような親しい仲間への呼びかけに使われる言葉。
さらに言うと、EmiwayというのはEminemとLil Wayneを組み合わせてつけたという超テキトーな名前だ。



「そしてDIVINEとNaezyの"Mere Gully Mein"(「俺の路地で」の意味)がインドのヒップホップシーンに大きな注目を集め、ボリウッドにまで結びつけた」

映画『ガリーボーイ』でもフィーチャーされたこの曲が果たした役割については、今更言うまでもないだろう。
ヒンディー語で路地を意味する'gully'を「ストリート」の意味で使い、インドの都市生活に根ざしたヒップホップのあり方を広く知らしめた曲である。





「DIVINEはメジャーレーベルと契約し、インドのラッパーたちに『成り上がり』の方法を示した」

これはまさにその通り。
DIVINEこそがインドでストリート発の成功を成し遂げた最初のラッパーだった。
個人的にグッと来たのは次のツイートだ。



「EmiwayとRaftaarのディスはインドのヒップホップを次のレベルへと引き上げた。
このビーフによって誰もがインドのヒップホップについてもっと知ることになった」

ここでEmiwayは、かつての敵に、過去を水に流して称賛を送っているのである。
Raftaarはデリーのラッパーで、ボリウッドなどのコマーシャルな仕事もするビッグな存在だったのだが、その彼がEmiwayに対して「彼みたいなラッパーが大金を稼ぐのは無理だろう」と発言したのがことの発端だった。
インドで最初の、そして最も注目を集めたビーフが幕を開けたのだ。
(その経緯については、この記事に詳しく書いている)
当時EmiwayがRaftaarをディスって作った曲がこちら。




ちなみにこの曲、2番目のヴァースではDIVINEを、3番目のヴァースではモノマネまで披露してMC STANを痛烈にディスっている。
今となっては抗争は終わって、リスペクトの気持ちだけが残ったということなのだろう。
Emiwayは、DIVINEやMC STANに対しても、今回の一連のツイートでリスペクトを表明しており、彼らとのビーフはいずれも手打ちになったようだ。



「映画『ガリーボーイ』がインドのヒップホップシーンをメインストリームに引き上げるために大きな役割を果たした。NaezyとDIVINE、この映画に関わった全てのアーティストにbig upを」

NaezyとDIVINEをモデルにした『ガリーボーイ』については、今読み返すとちょっと恥ずかしくなるくらい熱く紹介してきたので今回は割愛。



この映画によってヒップホップがインドの大衆に一般に広く知られるようになったことを否定する人はいないはずだ。



「MC STANが新世代の音楽をインドのヒップホップシーンにもたらした」

これは遠く日本からシーンをチェックしている私にも明白だった。
それまでマッチョというかワイルド一辺倒だったインドのヒップホップシーンに、細くてエモでメロディアスなラップを導入したMC STANは、シーンの様相を一気に変えたゲームチェンジャーだった。





KR$NAもデリーのラッパー。
2006年にデビュー(といってもMySpaceで最初の楽曲を発表したという意味だが)したかなり古参のラッパーで、かつてはRaftaarと共闘してEmiwayと対立関係にあった。
ここでいう「リリカル・ゲーム」が何を指しているのかちょっと分からないが、ビーフのことか、ライム(韻)以上の面白さを歌詞に取り入れたという意味だろうか。
KR$NAは、最近ではEmiwayの'Machayenge'シリーズを引き継いだ(?)楽曲をリリースしているので、今となっては良好な関係を築いているのかもしれない。


Emiwayの一連の楽曲と比べるとずいぶんとダークでヘヴィだが、この曲が"Macheyenge", "Firse Macheyenge", "Macheyenge 3"と続いたシリーズの正式な続編なのかどうか、ちょっと気になるところではある。

かつての敵たちにリスペクトを表明した後のこの一言がまたナイスだ。


「Emiway Bantaiはインディペンデントなシーンをインドのヒップホップに知らしめ、自分自身の力だけでビッグになれることを万人に示した」

どうでしょう。
「お前じゃ無理とかなんとか言われたけどさ、ま、言ってた奴らもリスペクトに値するアーティストたちだし、根に持っちゃいないよ。でも俺は、大手のレーベルにも所属しないで、自分自身の力だけでここまで成し遂げたんだけどね」ってとこだろうか。
このプライドはヒップホップアーティストとしてぜひ持ち続けていてほしいところ。




かと思えば、今度はインドのヒップホップシーンで古くから活躍していたアーティストたちにまとめてリスペクトを表明している。
Baba Sehgalは1992年に、国内でのヒップホップブームに大きく先駆けて、「インド初のラップ」とされる"Thanda Thanda Pani"をヒットさせたラッパー。


そもそもVanilla Iceの"Ice Ice Baby"をパクッたしょうもない曲なわけだが、それでもここでシーンの元祖の名前を切り捨てずにちゃんと出すところには好感が持てる。
Apache Indianは90年代に一瞬ヒットしたインド系イギリス人のダンスホールレゲエシンガー、Bohemiaはパキスタン系アメリカ人のラッパーで、2000年代初頭から活動しているDesi HipHop(南アジア系ヒップホップ)シーンの大御所だ。
Mumbai's Finest, Outlaws, Dopeadeliczは、いずれも2010年代の前半から活動しているムンバイの老舗クルー。
他にムンバイでは、Swadesi Movement(社会派なリリックと伝統音楽との融合が特徴のグループ)、フィメール・ラッパーのDee MCの名前が挙げられている。
BlaazeやYogi Bはタミルのラッパー、MWAはBrodha VSmokey the Ghostがベンガルールで結成していたユニットで、サウスにも目配りが効いている。

あと、正直に言うとこれまで聞いたことがなかったラッパーの名前も挙げていて、Pardhaan(インド北部ハリヤーナー), KKG(パンジャービーラッパーのSikander Kahlonを輩出したチャンディーガルのグループらしい)、Muhfaad, Raga(どちらもデリーのラッパー)というのは初耳だった。



「Honey Singhこそがインドでコマーシャルラップに脚光を浴びせた張本人だ」


個人的にもう1か所グッと来たのは、Emiwayのようなストリート上がりのラッパーたちが無視・軽蔑しがちなコマーシャルなラッパーたちにもきちんとリスペクトを示しているところ。
Honey Singhはその代表格で、人気曲ともなればYouTubeで数千万〜数億回は再生されているメインストリームの大スターだ。
ただ、あまりにもコマーシャルなパーティーソングばかりのスタイルであるがために反感を買いがちで、5年くらい前、インドのストリート系ラッパーのYouTubeのコメント欄には「Honey Singhなんかよりこの曲のほうがずっとクール」みたいなコメントが溢れていたものだった。
まあでも、彼のような存在がいたからこそ、その後のストリート系ラッパーたちのスタイルが際立ったのも事実で、ド派手なダンスチューンとともにラップという歌唱法をインドに知らしめたその功績はもちろん称賛に値する。






BadshahもHoney Singhと同様のコマーシャル・ラッパーで、Ikkaは彼らと同じグループから出てきたもうちょっとストリート寄りのスタイルのラッパー(ちなみにRaftaarも同じMafia Mundeerというクルーの出身)、Seedhe Mautはこのブログでも何度も取り上げてきた二人組だ(ここまでデリー勢)。
Enkoreはムンバイ、Madhurai Souljourはタミル、Khasi Bloodzは北東部メガラヤ州のラッパー。
ジャンルや地域に関わらずリスペクトするべき相手はちゃんとリスペクトするぜ、ということだろう。
さっきから見ていると、Emiway、デリーのシーンはずいぶんチェックしているようである。



「俺のブラザー、MINTAにもbig upを。彼はインドのヒップホップシーンの一端を担っていたが、俺の成功のために全ての力を注ぎ込んでくれていたから、これまで自分の楽曲をリリースしてこなかった。ようやく彼は自分自身の音楽のフォーカスしているところだ。彼がインドのヒップホップシーンで果たしてきた大きな役割に対してbig upを」

MINTAはEmiwayのレーベルBantai Recordsのラッパーで、このツイートを見る限り、これまでは裏方として彼を支えてきてくれたようだ。
ここで言うブラザーが本当の血縁関係なのか、仲間の意味なのかは分からないが、共演した楽曲をリリースしたばかりなので、いずれにしても彼をフックアップしたいという意図があるのだろう。




パンジャーブ系イギリス人のラッパー/バングラー・シンガーのManj MusikとRaftaarが共演した"Swag Mera Desi"は、自分のルーツを誇ることがテーマの2014年にリリースされた楽曲。





そして先日亡くなったSidhu Moose Walaへの追悼も。
Sidhuが属していたパンジャービー系バングラー・ラップのシーンは、ムンバイのEmiwayとはあまり接点がなさそうだが、それだけ大きな存在だったのだろう。



「そしてシーンにいる全てのアンダーグラウンド・アーティストたちにリスペクトを。君たちはもっと評価されるべきだ。俺もかつては君たちみたいだった。君たちが俺よりもビッグな存在になれることを神に祈っているよ」

Emiway, これをさらりと言えるポジションまで腕ひとつで成り上がってきたところが本当にカッコイイ。
あの垢抜けない"Aur Bantai"を見た後だと、非常に説得力がある。



「俺はみんなに感謝しながらも、自分だけの力でここまでやってきた。だからお前にもできるはずだ。他人に感謝しているからって、萎縮する必要はない。ポジティブさを広めれば、お前にもポジティブなものが返ってくる」

さんざん他のラッパーをディスっていたEmiwayが言うからこその深みのある言葉だ。



そして改めてDesi HipHopのパイオニアであるBohemiaへのリスペクトを表明して、一連のツイートを終えている。
この言動は、彼がシーンの悪童から人格者の大物ラッパーへと脱皮したことを示しているのだろうか。
頼もしさとともに一抹の寂しさも感じてしまうが、きっとEmiwayは、何ヶ月かしたら、何事もなかったかのように他のラッパーをディスりまくる曲をリリースしたりすることだろう。
Emiway Bantaiはそういう男だと思うし、またそれがたまらない魅力だと思う。


最後に、ちょっと意地悪だが、彼が名前を挙げなかったラッパーやシーンについて書いてみたい。
Emiway自身も「誰か忘れていたらゴメン」と書いているし、ビーフの相手にもリスペクトを表明しているくらいだから、単に忘れたか、交流がないというだけだとは思うのだけど、ここから彼の交流関係やシーンの繋がりの有無を見ることができるはずだ。


私が思う「彼が名前を挙げてもよかったラッパー」としては、2000年代前半にバングラー・ラップを世界中に知らしめたパンジャービー系イギリス人Panjabi MCと、シク教徒ながらバングラーらしさ皆無のハードコアなヒップホップスタイルでデリーから彗星のように登場したPrabh Deepだ。
シーンを概観したときに、Panjabi MCはインド系ヒップホップのオリジネイターの一人として、Prabh Deepは新世代のラッパーとして、必ず名前を挙げるべき存在だと思うのだが、Emiwayはやはりパンジャーブ系ラッパーとはあまり接点がないのだろう。

地域でいえば、ベンガル地方のラッパー(Cizzyとか)の名前も挙がっていないし、テルグー語圏(ハイデラーバードあたりとか)やケーララのラッパーにも触れずじまいだったが、これもやはり、地理的・言語的な問題で交流がないからではないかと思う。
「インドのヒップホップ」と一言で言っても、地理的にも言語的にも、距離による隔たりは大きいのだ。
自分自身も、南のほうはあんまり馴染みがないこともあって、ヒンディー語圏中心の話題になりがちなので、ちょっと気をつけないといけないなと思った次第。


いずれにしても、唐突に一皮剥けて大人になった感じのツイートを連投したEmiwayが、このあとどんな楽曲やパフォーマンスを披露してくれるのか、ますます楽しみである。



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2022年07月20日

辺境ヒップホップ研究会で吠える(黎明期 パーティーラップとストリートラップ)

さる7月17日(日)大阪の国立民族学博物館で行われた「辺境ヒップホップ 研究会」に参加してきました。
この研究会は、『ヒップホップ・モンゴリア』の著者で同博物館准教授の島村一平さんの呼びかけによって行われたもの。
『ヒップホップ・モンゴリア』は大きな衝撃を受けた本だったので、その著者の方に招かれて、以前から「ここ天国じゃん」と思っていた場所(みんぱく)で行われる研究会に参加できるっていうのは、自分にとってこの上ない僥倖。
当日は滲み出るドヤ顔をマスクで隠しつつ、本物の研究者の先生方の中に野良犬ブロガーを混ぜていただいた意気(粋)に応えるべく、俺がインドのヒップホップについて面白いと思う部分をほぼ全部乗せで吠えてまいりました。(というのは嘘で、普通に喋ってきました)
そのときに話した内容を、mottainaiのでダイジェストにしてみなさんにお届けします。

当日時間の都合で紹介できなかった部分も入れます&過去に書いた関連記事のリンクなんかもつけてみました。

研究会では、島村先生のモンゴルのヒップホップの発表と、同志社大学グローバル地域文化学部助教の中野幸男先生の発表もあって、これが超絶面白かったのだけど、この研究会の成果は後日なんらかの形でみなさんにお届けできる予定もあるみたいなので、みなさん期待して待っていてください。
(モンゴルについては『ヒップホップ・モンゴリア』をまず読むべし)

というわけで、以下、私が喋った内容です。



インドのヒップホップについて語るなら、この曲から始めるのが最適だろう、と個人的には思っている。

1975年に英コヴェントリーで生まれたインド系イギリス人Panjabi MCが2003年にリリースしたこの曲は、Jay-Zによってリミックスされ、UKのR&Bチャートで1位、USではビルボードのダンス系チャートで3位になるという世界的ヒットとなった。
インドのヒップホップが、在外インド人たちから始まったということは、覚えておくべきポイントだろう。
この時期、Panjabi MCのルーツであるインド北西部パンジャーブ地方の伝統音楽バングラーとヒップホップを融合した音楽は世界を席巻し、Missy ElliotteやBlack Eyed Peas, Chemical Brothersらが自身の作品にそのテイストを流用している。
後者2つはバングラーというよりは映画音楽だが、とにかく、2000年代前半は、インド風味がポピュラー音楽に使われる時代だった。
(そのさらに前に、1992年にヴァニラ・アイスの"Ice Ice Baby"をパクったBaba Sehgalの"Thanda Thanda Pani"や、1994年にA.R.Rahmanが映画音楽として発表した"Pettai Rap"という曲があるのだが、これらに関してはオーパーツというか、あくまでも単発的な例外として、触れないことにする)
バングラー・ラップは、世界的にはこの時期にだけ注目を集めた一発屋的ジャンルでしかなかったが、インド国内に逆輸入されると、「外来の新しいパーティー・ミュージック」としてEDMやラテンポップと融合して独自の進化を遂げた。
ボリウッド映画のサウンドトラックにもたびたび取り上げられ、今日に至るまで人気ジャンルとなっている。

そのインド産パンジャービー系パーティーラップを代表するアーティストが、Yo Yo Honey SinghとBadshahだ。

2013年にボリウッド映画"Boss"の挿入歌として作成されたこの曲は、YouTubeで1億3,000万再生。

Honey Singhが率いるMafia Mundeerというユニットの一員だったBadshah(しかし喧嘩別れ)が2015年にリリースした"DJ Waley Babu"の再生回数は4億1,000万回を超えている。
 

金、女、酒、車、パーティー!って感じのとにかく派手な世界観だった彼らは、最近ではストリート系ラップの台頭に影響されたのか、よりリアルっぽさ重視の芸風にシフトしてきているようだ。







当たり前だが、インド人がいつも陽気に踊りまくる音楽(ステレオタイプなボリウッド的な)を聴いているわけではない。
長らく映画音楽の独占状態だったインドだが、2010年代に入るとインターネットが普及しはじめ、これまでインドに存在しなかったタイプの音楽を、ネットさえあれば誰でも聴けるようになった。
そこでヒップホップに出会ったインドの若者たちは、自分たちなりのストリート・ラップを始めるようになる。(不思議なことに、この時代のインドのラッパーたちは、同時代ではなく90年代のUSのラッパーの影響が強い)
ムンバイでは、ストリートラッパーのDIVINEを中心に、ヒンディー語で「路地」を意味するGullyという語を冠した「ガリーラップ」というムーブメントが勃興する。






ガリーラップを代表するアーティストの一人、Naezyは、ムンバイの下町エリアのKurla East地区の出身(かつては、ラッパーとして「盛る」ためか、スラム出身と紹介されることも多かった)。
いずれにしても庶民的な家庭に生まれた彼は、スタジオに入ったりビート制作を依頼したりする余裕はなかったようで、父親に買ってもらったiPadでビートをダウンロードし、iPadにマイクをつないで録音し、iPadを使って近所でミュージックビデオを撮影して、iPadからYouTubeにアップした。

この「身近にあるものを使って音楽を作ってしまおう」という姿勢は、レコードプレイヤー2台を使ってビートメイキングを始めたブロンクスのヒップホップ・オリジネイターにも通じるものだろう。
このミュージックビデオは、映画監督Zoya Akhtarの目に留まり、2019年にはNaezyとDIVINEをモデルにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』が制作された。
これが大ヒットを記録して、映画賞も総ナメ。
インドの大衆に、パーティーラップではないストリート発のヒップホップが広く知られることとなった。



映画『ガリーボーイ』では、よりヒップホップ的な成り上がりストーリーを強調するためだろうか、主人公の地元は『スラムドッグ$ミリオネア』と同じスラム街のダラヴィに変えられていた。
実際、ダラヴィはブレイクダンスやビートボックスのフリースクールまで存在するムンバイのヒップホップの一大中心地で、MC AltafやDopeadeliczなど、多くのラッパーを輩出している。
インドのスラム街のヒップホップというと、最下層の人々がラップをやっているように思われるかもしれないが、実態はすこし異なるようだ。
上記の"Yeh Mera Bombay"や"Aafat!"がリリースもしくは制作された2013年当時、インドのインターネット普及率は15%(大都市ムンバイではもっと高かっただろうが)。
DIVINEやNaezyを始めとする初期のストリートラッパーたちは、英語でUSのヒップホップを聴いて理解できていたわけだが、インドでは英語を流暢に操ることができる人々は、人口の10%程度という説もある(これもやはりムンバイではもっと高いはずではあるが)。

つまり、彼らがそれなりに恵まれた環境にいたことは間違いなく、それにある程度の教養を持ち合わせている層だったのだ。
(ガリーボーイの主人公も、スラムの住人とはいえ、スマホを持ち、英語で授業が行われるカレッジに通っていた)
インドでは、都市部であっても住む家すらなく路上で暮らす人々もいるし、地方で電気も水道もインターネットもなく暮らしている人々が大勢いる。
ガリーのラッパーたちが直面する格差や苦悩を軽視するつもりはないが、この時期のインドのヒップホップは、そこまで「持たざる者たちの音楽」ではなかったと言って良いだろう。
インド都市部の貧困の象徴として扱われることが多いダラヴィだが、ムンバイの中では最大ではあるものの、「わりと程度が多く、支援されることが多い」スラムだという話も聞いたことがある。
(繰り返すが、だからといって彼らが感じているであろう疎外感や衛生環境の悪さなどを軽んじる意図はない)





こうしたインターネット経由で経由でUSのラッパーたちから影響を受けたシーンは、ムンバイだけではなく各都市で同時多発的に発生し、様々な言語のシーンが花開くこととなった。

ああっ、まだ最初のほうなのに、もうこんなに長くなってしまった。
ひとまず今回はこのへんにして、全3回くらいで書くことにします。



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goshimasayama18 at 22:07|PermalinkComments(0)

2021年06月13日

バングラー・ギャングスタ・ヒップホップの現在形 Sidhu Moose Wala(その1)



これまでも何度か書いてきた通り、インドの「ヒップホップ」には大きく分けて2つの成り立ちがある。


インドにおけるヒップホップ第一波は、1990年代に欧米(おもにイギリス)経由で流入してきた「バングラー・ビート」だった。
このムーブメントの主役は、インド系移民、そのなかでもとくに、シク教徒などのパンジャーブ人(パンジャービー)たちだ。
彼らは、もともとパンジャーブ(インド北西部からパキスタン東部にわたる地域)の民謡/ダンス音楽だった「バングラー」をヒップホップやクラブミュージックと融合させ、「バングラー・ビート」 という独自の音楽を作り上げた。
バングラー・ビートはインド国内に逆輸入され、またたく間に大人気となった。

(そのあたりの詳細は、この記事から続く全3回のシリーズで)

インドだけではない。
この時代、バングラーは世界を席巻していた。
2003年には、Jay-ZがリミックスしたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"(Beware of the Boys)が、UKのR&Bチャートで1位、USのダンスチャートで3位になるという快挙を達成する。
世界的に見れば、バングラーはこの時代に一瞬だけ注目を浴びた「一発屋ジャンル」ということになるだろう。

だが、インド国内ではその後もモダン・バングラーの勢いは止まらなかった。
パンジャーブ系のメンバーを中心にデリーで結成されたMafia Mundeer (インドの音楽シーンを牽引するYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaarなどが在籍していたユニット)らが人気を博し、バングラー・ラップは今日に至るまで人気ジャンルであり続けている。
こうした「バングラー系ヒップホップ」に「物言い」をつけるとしたら、「ヒップホップと言われているけど、音楽的には全然ヒップホップじゃない」ということ、そして「コマーシャルな音楽で、ストリートの精神がない」ということになるだろう。 

「音楽的には全然ヒップホップでない」とは、どういうことか。
これは説明するよりも、聴いてもらったほうが早いだろう。
例えば、さきほど話題に出たPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"はこんな感じ。


バングラー・ビートは、間違いなくヒップホップの影響を受けたジャンルであり、それまでにインドに存在していたどんなジャンルよりもヒップホップ的ではあるが、お聴きいただいて分かる通り、決して「ヒップホップ」ではない。
(正確に言うと、Panjabi MCはこれよりも早い時期にはよりヒップホップ的なサウンドを志していたが、ある時期からよりバングラ―的なスタイルへと大きく舵を切った。また、同じ時期にイギリスで活躍していたRDBのように、よりヒップホップに近い音楽性のグループも存在している。)

その後もバングラー系「ヒップホップ」は独自の進化を遂げるが、音楽的にはむしろEDMやラテン的なリズムに接近しており、やはりヒップホップと呼んでいいものかどうか、微妙な状態が続いている。(最近になってRaftaarやBadshahがヒップホップ回帰的な音楽性を打ち出しているのは面白い現象)
例えば、インド国内のバングラー・ラップの代表格、Yo Yo Honey Singhが昨年リリースした"Loka"はこんな感じである。

この曲をヒップホップとカテゴライズするのは無理があると思うかもしれないが、インド人に「インドのヒップホップに興味がある」と言ったら「Honey Singhとか?」と聞かれたことが実際にある。
インドでは、彼の音楽はヒップホップの範疇に入っていると考えて間違いないだろう。

もうひとつの批判である「バングラーは売れ線の音楽で、ストリートの精神がない」とはどういうことか。
1990年代〜2000年頃、まだインターネットが一般的ではなく、海外が今よりはるかに遠かった時代に、バングラー・ビートは、映画音楽などの商業音楽のプロデューサーたちによってインドに導入された。
つまり、インドでは、バングラー・ラップは日本で言うところの「歌謡曲」的なメインカルチャーの一部であり、ストリートから自発的に発生したムーブメントではなかったのだ。
インドでは、こうしてコマーシャルな形で入ってきたバングラー・ラップが、ヒップホップとして受け入れられていた。 
だが、インドにもヒップホップ・グローバリゼーションの波がやってくる。


2010年代の中頃にインドに登場したのが「ガリー・ラップ」だ。
彼らは、インターネットの発展によって出会った本場アメリカのヒップホップの影響を直接的に受けていることを特徴としている。
(狭義の「ガリー・ラップ」とは、映画『ガリーボーイ』のモデルになったNaezyやDIVINEなどムンバイのストリート・ラッパーたちによるムーブメントを指すが、ここでは便宜的に2010年代以降の、おもにUSのヒップホップに影響を受けたインド国内のヒップホップ・ムーブメント全体を表す言葉として使う)
ガリー・ラッパーたちは、アメリカのラッパーたちが、貧困や差別、格差や不正義といったインドとも共通するテーマを表現していることに刺激を受け、自分たちの言葉でラップを始めた。

彼らの多くが、それまでインドにほとんど存在しなかった英語ラップ的なフロウでラップし、これまでのバングラー・ヒップホップとは一線を画す音楽性を提示した。
また、(ボリウッド・ダンス的でない)ブレイクダンスや、グラフィティ、ヒューマン・ビートボックスといったヒップホップ・カルチャー全般も、スラムを含めた都市部のストリートで人気を集めるようになった。

ミュージックビデオの世界観も含めて、ガリーラップの象徴的な楽曲を挙げるとしたら、(たびたび紹介しているが)DIVINEの"Yeh Mera Bombay"、そしてDIVINEとNaezyが共演した"Mere Gully Mein"となるだろう。

映画『ガリーボーイ』でも使われたこの曲のビートは、USのヒップホップとはまた異なる感触だが、この時代のガリーラップに特有のものだ。

商業主義的かつリアルさに欠けたバングラー系のヒップホップは、ガリー系ラッパーにとっては「フェイク」だった。
映画『ガリーボーイ』の冒頭で、主人公が盗んだ車の中で流れたパンジャービー系の「ヒップホップ」に嫌悪を表すシーンには、こういう背景がある。
日本のストリート系ヒップホップの黎明期に、ハードコア寄りの姿勢を示していたラッパーが、一様に'J-Rap'としてカテゴライズされていたJ-Pop寄りのラッパーを叩いていた現象に近いとも言えるかもしれない。

さらに長くなるが、音楽性ではなく、スタイルというかアティテュードの話をするとまた面白い。

ガリー・ラップがヒップホップの社会的かつコンシャスな部分を踏襲しているとすれば、バングラー系ラップはヒップホップのパーティー的・ギャングスタ的な側面を踏襲していると言える。

二重にステレオタイプ的な表現をすることを許してもらえるならば、パンジャービー系ラッパーたちの価値観というのは、ヒップホップの露悪的な部分と親和性が高い。
すなわち、「金、オンナ、車(とくにランボルギーニが最高)、力、パーティー、バイオレンス」みたいな要素が、バングラー・ラップのミュージックビデオでは称揚されているのだ。

こうしたマチズモ的な価値観は、おそらく、ヒップホップの影響だけではなく、パンジャービー文化にもともと内包されていたものでもあるのだろう。
(念のためことわっておくと、パンジャーブ系ラッパーの多くが信仰しているシク教では、男女平等が教義とされており、「ギャングスタ」的な傾向は、宗教的な理由にもとづくものではない。また、ミュージックビデオなどで表される暴力性や物質主義的な要素を快く思わないパンジャービーたちも大勢いることは言うまでもない。ちなみに最近では、DIVINEやEmiway Bantaiといったガリー出身のラッパーたちも、スーパーカーや南国のリゾートが出てくる「成功者」のイメージのミュージックビデオを作るようになってきている)


まだ主役のSidhu Moose Walaが出てきていませんが、長くなりそうなので、2回に分けます!
(続き)


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2020年02月22日

祝『ガリーボーイ』フィルムフェア賞13冠達成!! そして『WALKING MAN』とのシンクロニシティーを考える




日本でDVDが発売されたばかりの『ガリーボーイ』が、ヒンディー語映画界最高の賞であり、ボリウッドのアカデミー賞とも呼ばれているフィルムフェア賞(Filmfare Awards)で主要部門の総ナメにして、13冠を達成した。

その内訳は以下の通り。
  • 作品賞
  • 監督賞 ゾーヤー・アクタル(Zoya Akhtar)
  • 主演男優賞 ランヴィール・シン(Ranveer Singh)
  • 主演女優賞 アーリヤー・バット(Alia Bhatt) 
  • 助演男優賞 シッダーント・チャトゥルヴェーディ(Soddhant Chaturvedi)
  • 助演女優賞 アムリター・スバーシュ(Amruta Subhash)
  • 最優秀脚本賞 ゾーヤー・アクタル(Zoya Akhtar)、リーマー・カーグティー(Reema Kagti)
  • 最優秀ダイアローグ賞 ヴィジャイ・マウリヤ(Vijay Maurya)
  • 最優秀音楽監督賞 ゾーヤー・アクタル(Zoya Akhtar)、アンクル・テワリ(Ankur Tewari)
  • 最優秀作詞家賞 "Apna Time Aayega" ディヴァイン(Divine)、アンクル・テワリ(Ankur Tewari)
  • 最優秀美術賞 スザンヌ・カプラン・マーワンジー Suzanne Caplan Merwanji
  • 最優秀撮影賞 ジェイ・オーザ(Jay Oza)
  • 最優秀バックグラウンド・スコア賞 カーシュ・カーレイ(Karsh Kale)
今年のフィルムフェア賞は、まさに『ガリーボーイ』のためにあったと言って良いだろう。
ここまでの高い評価を得た『ガリーボーイ』だが、じつは興行成績に関しては2019年に公開されたヒンディー語映画のうち、8位に甘んじている。
『ガリーボーイ』はインド国内で14億ルピー、世界で24億ルピーと、十分にヒット作品と呼べるだけの数字を叩き出しているが、興行成績1位の"War"(国内32億ルピー、世界48億ルピー)と比べると、その売り上げは
半分程度でしかない。(出典はBollywood Hungama "Bollywood Top Grossers Worldwide"
これは、大都市ムンバイのストリートヒップホップという斬新なテーマが、必ずしもすべての層に受け入れられたわけではないということを意味している。

それにもかかわらず、『ガリーボーイ』がここまで圧倒的な評価を得られたのは、スラム生まれのラップという新しくて熱いカルチャーをボリウッドに導入して素晴らしい作品に仕上げた制作陣の手腕、そしてそれに見事に応えた役者たちの熱演によるものだ。
この革新的な映画のストーリーは、じつは、親子の葛藤、夢と現実の相克、身分違いの恋、サクセスストーリーといった、ボリウッドの王道とも言えるモチーフで構成されている。
だが、そうしたクラシックな要素と、新しいカルチャー、新しいヒーロー像、新しい女性像がとてもバランスよく配置されており、王道でありながらも革新的な、奇跡のような作品となったのだ。
今後ボリウッドの歴史に永く名を残すことになるであろう『ガリーボーイ』を称えるのと同時に、もう一本紹介したい映画がある。

同じく2019年に公開された国産ヒップホップ映画『WALKING MAN』である。
(この映画のDVDは4月24日発売予定)
この『WALKING MAN』と『ガリーボーイ』には、シンクロニシティーとも言える共通点が数多くあり、同じ時代に極東アジアと南アジアで作られた、よく似た質感を持つヒップホップ映画について、きちんと何か書き残しておくべきではないかと思っているのだ。
WALKINGMAN

『ガリーボーイ』は、実在のラッパーNaezyとDivineをモデルに制作された映画であり、ニューヨークのラッパー、Nasがエグゼクティブプロデューサーとして名を連ねている。
一方の『WALKING MAN』はラッパーANARCHYの初監督作品だ。
ANARCHYは京都市向島の市営団地に生まれ、彫師の父との父子家庭で育ち、喧嘩に明け暮れる少年時代を過ごした。
15歳でラッパーとしての活動を開始。暴走族の総長を務めたり、少年院で1年を過ごすなど波乱に満ちた青春を過ごしたのち、2006年に25歳でファーストアルバム"Rob The World"を発表する。
自身の生い立ちや経験をベースにした力強いラップで話題と支持を集め、私、軽刈田も、インドの音楽シーンにはまる前、彼の音楽を聴いて強い衝撃を受けたものだった。

この2本の映画の共通点を探すとしたら、ストーリー以前に、実際のラッパーが作品に深く携わっているということがまず挙げられるだろう。
(『ガリーボーイ』のNasは、制作に関わったわけではなく、実際には完成した映画を見てエグゼクティブ・プロデューサーに名乗り出たということらしいが、名を連ねることを許可したということは、この映画のリアルさを認めたということだと理解して良いだろう)
つまり、この2作品は「本物が作った(あるいは本物がモチーフになった)映画」なのだ。 

実在のラッパーをモチーフにした映画と言えば、ヒップホップの本場アメリカではN.W.A.の軌跡を描いた『ストレイト・アウタ・コンプトン』と、エミネムの半生をもとに本人が主演した『8マイル』がまず挙げられるが、『ガリーボーイ』と『WALKING MAN』には、この2作品とは大きく異なる共通点がある。
それは、『〜コンプトン』と『8マイル』の主人公たちが物語の最初からすでにラッパーだったのに対して、『ガリーボーイ』『WALKING MAN』の主人公は、映画の冒頭では都市の下流に生きる単なる若者であり、ストーリーの中でヒップホップに出会い、ラップに目覚めてゆくということである。
『ガリーボーイ』のムラドは、Nasに憧れつつも、自分がラッパーになろうとは考えておらず、地元にヒップホップシーンがあることも知らなかったという設定だし、『WALKING MAN』のアトムに至っては、ヒップホップファンですらない。

つまり、アメリカの2作品が「ラッパーたちのサクセスストーリー」であるのに対して、日印の2本は、「声を上げる手段を持たない若者が、ヒップホップと出会い、ラッパーになるまで」を描いた映画なのだ。
『ガリーボーイ』も『WALKING MAN』も、日印のシーンを代表するラッパーが関わっていながらも、ヒップホップファンのみを対象にした映画ではなく、ラッパーとしての第一歩にフォーカスすることで、ヒップホップの精神を、万人に向けて分かりやすく提示した作品なのである。
アメリカと日印のヒップホップの定着度の違いと言ってしまえばそれまでだが、コアなファン層以外もターゲットとしたことで、より作品のテーマが結晶化され、理解しやすくなっているとも言えるだろう。
そのテーマとは何か。

『WALKING MAN』の舞台は、川崎の工業地帯だ。
貧しい母子家庭で妹と暮らしながら廃品回収業で生計を立てる寡黙な青年アトム(野村周平)は、母の急病をきっかけに、母の収入は絶たれ、治療費が必要なのに公的なサービスも受けられないという八方塞がりの窮地に陥る。
この最悪の状態から、アトムはラップとの出会いによって、自分のコトバと自信を手にして変わってゆく、というのが『WALKING MAN』のあらすじである。

一方で、『ガリーボーイ』の主人公ムラドは、ムンバイのスラム街ダラヴィに暮らしている。
カレッジの音楽祭に出演していたラッパーとの出会いから、自身もラッパーとなったムラドは、怪我をした父に代わって裕福な家庭の運転手として働くことになる。
ムラドはそこで圧倒的な貧富の差を目のあたりにして、ラッパーとしての表現を深化させてゆく。

親の怪我や病気による窮状、そこからのヒップホップによる「救い」といったストーリーもよく似ているが、ここで注目したいのは、この2作品の主人公のキャラクターである。
ヒップホップ映画の主人公であれば、ふつうはささくれ立った「怒れる若者」タイプか、もしくはファンキーでポジティブなキャラクターを設定しそうなものだが、この2作品の主人公は、いずれも内省的で、生まれ持ったスター性などまるでない性格づけがされている。
『ガリーボーイ』のムラドは、仲間が自動車泥棒をする場面で怖気付いたり、自分のリリックをラップしてみろと言われて緊張してしまうような性格だし、『WALKING MAN』のアトムは、「吃音」という大きなハンデを持ち、自分の感情を素直に出すことすらできないという設定だ。
こうした主人公たちの「不器用さ」は、ヒップホップの本質のひとつである「抑圧された、声なき者たちの声」という部分を象徴したものと理解することができるだろう。
(マーケティング的に見れば、こうした主人公の性格づけは、バッドボーイ的なヒップホップファン以外にも共感を得やすくするための設定とも取ることもできるし、『ガリーボーイ』に関しては、ムラドのモデルになったNaezyも実際にシャイで内向的な青年のようである) 
彼らが内向的で、社会からの疎外感を感じているからこそ、自分の言葉で自身を堂々とレペゼンするヒップホップが彼らの救いとして大きな意味を持ち、また彼らがラッパーとしての一歩を踏み出すことが、人間的な成長として描けるのだ。

ムラドとアトムの成長を描く手段として、ラップバトルが使われているのも印象的だ。
フリースタイルに臨んだ2人が、どう挫折し、どう乗り越えるか、という展開は、『8マイル』の影響はあるにしても、あまりにも似通っている。
彼らがラップバトルで勝利するために戦うべきは、じつは対戦相手ではなく、自分自身の中にある。
自分の弱点を認め、その上で自分自身を誇り、自分の言葉で表現することが、結果的にオーディエンスの心を動かすという展開は、ヒップホップの意義を見事に表したものである。

他にも、家族との葛藤(ムラドは父との、アトムは妹との確執がある)、主人公に協力する兄貴的な人物の存在(ムラドにはMCシェール、アトムには山本)など、この2つの映画の共通点はまだまだある。

制作された国や時期を考えれば、この2つの作品が影響を与え合う可能性はまったく無いにもかかわらず、これだけの一致があるということは、はたして偶然なのだろうか。
従来のタフでワイルド、言葉巧みで男性的なラッパー像からは大きく異なるムラドとアトムというキャラクターは、いったい何を表しているのだろうか。
私は、ここにこそヒップホップというアートの本質と、その今日的な意味が描かれているのではないかと思う。
ヒップホップ、すなわち、ラップ、B-ボーイング(ブレイクダンス)、DJ(ヒューマンビートボックスのような広義のビートメイキングを含む)、グラフィティアートは、スキルとセンスさえあれば、体一つでいくらでもクールネスを体現できるアートフォームであり、ハンデを魅力に変えることができる魔法なのだ。
内省的なムラドとアトムは、自信すら持てないほどに抑圧された若者の象徴だ。
ヒップホップはそうした者たちにこそ大きな意味を持ち、また彼らこそが最良の表現者になれる。
こうした、いわば、「希望としてのヒップホップ」を描いたのが、『ガリーボーイ』であり『WALKING MAN』なのである。
その希望の普遍性を表すためには、主人公は従来のラッパー像とは異なる「弱い」人間である必要があったし、家族との葛藤を抱えた「居場所のない」若者である必要があったのだ。

この作品の核は階級差別に対する闘いです。インドだけに限りません。私達は抑圧を無くし、人が自分を表現できる能力を磨き、自分に自信を持って、夢を追いかけることができる世界にしていかなければならないと思います」
これは、『ガリーボーイ』のゾーヤー・アクタル監督の言葉だ。 
ムラドとアトムのハードな環境の背景には、世界中で広がる一方の格差社会があるということも、もちろんこのシンクロニシティの理由のひとつである。
今更かもしれないが、この2作品のシンクロニシティに触れて、ヒップホップはもはやアメリカの黒人文化という段階を完全に脱したということを実感した。
ヒップホップは、その故郷アメリカを遠く離れ、日本でもインドでも、単なるパーティーミュージックでも外国文化への憧れでもなく、抑圧された者たちの言葉を乗せた、リアルでローカルな文化となったのだ。
この「ローカル化」は、逆説的に、ヒップホップのグローバル化でもあり、その日本とインドにおける2019年のマイルストーンとしてこの2本の映画を位置付けることもできるだろう。

共通点だけでなく、この2作品の異なる点にも注目してみたい。
それは家族やコミュニティーとの「繋がり」の描かれ方だ。
『ガリーボーイ』では、家族やコミュニティーは、自由を縛る保守的な価値観とつながったものとして描かれ、「絆」がすなわち主人公を苦しめるくびきとして描かれている。
一方で、『WALKING MAN』のアトムは、吃音というハンデを持ち、また誰からの援助も得られない極貧の母子家庭に暮らしているという設定だ。
つまり、逆に「絆の不在」「疎外感」が彼を苦しめているのである。
絆による不自由と、絆の不在による疎外感。
この2作品が乗り越えるべき壁として描いたテーマは、そのままインドと日本の社会を象徴しているように思えるのだが、いかがだろうか。

それから個人的に衝撃だったのが、ムンバイのスラムに暮らすムラドがスマホを持ち、大学に通う学生だったのに対して、川崎のアトムは(おそらくは)大学に通うことなく場末の廃品回収業者で働いており、スマホを持つことを「目標」としているということだ。
ダラヴィはムンバイのスラムのなかでは比較的「恵まれた」環境のようだし(あくまでもより劣悪なスラムとの比較の話だが)、住む場所すらなく路上で暮らす人々や、電気や水道すらない農村部の人々と比べれば、インド社会の最底辺とは言えないということには留意すべきだが、それでも、ムンバイのスラムの「あたりまえ」が日本の若者の憧れとして描かれているという事実はショックだった。
日本が落ちぶれたのか、インドが成長著しいのか、おそらくはその両方なのだろうが、この言いようもない衝撃を、ヒップホップ映画からの「お前の足元のリアルをきちんと見ろ!」というメッセージとして受け取った次第である。

最後に、もう一つ気になった点である、「吃音とラップの親和性」についても触れておきたい。
すでに書いた通り、『WALKING MAN』のアトムは吃音者という設定だが、実際に日本には達磨という吃音のラッパーがいるし、インドにもTienasという吃音者ラッパーがいる。
映画のなかで、アトムが通行者を数えるカウンターでリズムを刻みながら、吃ることなく言葉を発する場面が出てくるが、実際にこうした吃音の克服法があるのだろうか。
あまり興味本位で考えるべきではないかもしれないが、「吃音」という「声を持てぬもの」を象徴するようなハンデを抱えたラッパーが日印それぞれに存在しているということも(他の国にもいるのかもしれない)、また意味深い共通点であるように感じられる。

基本的にはインドのカルチャーを紹介するというスタンスで書いているブログなので、『WALKING MAN』のことは公開時には紹介しなかったのだが、『ガリーボーイ』と合わせて見ることで、現代社会とヒップホップの現在地をより的確に感じることができる、粗削りだが良い作品である。
ヒップホップや音楽に心を動かされたことがある、すべての人にお勧めしたい2本だ。


もう十分に長くなったが、最後の最後に、似たテーマを扱った、ムンバイと日本のヒップホップの曲を並べて紹介したい。

まずは、『ガリーボーイ』の中から、大都市ムンバイの格差をテーマにした"Doori"、そして日本からは『WALKING MAN』の監督を務めたANARCHYの"Fate".




続いてはリアルにダラヴィ出身で、『ガリーボーイ』にもカメオ出演していたMC Altafの"Code Mumbai 17"(17はダラヴィのピンコード)と、横浜代表Ozrosaurusの"AREA AREA".
オジロの地元レペゼンソングなら横浜の市外局番を冠した"Rolling 045"なんだけど、この2曲はビートの感じが似ていて自分がDJだったら繋げてみたい。



地元レペゼンソングでもう1組。
『ガリーボーイ』のMCシェールのモデルとなったDivineのデビュー曲"Yeh Mera Bombay"(これが俺のボンベイ)。ムンバイの下町を仲間と練り歩きながら、ヒップホップなんて関係なさそうなオッサンとオバハンも巻き込むミュージックビデオに地元愛を感じる。
日本からは当然、SHINGO★西成の"大阪UP"でしょう。



最後にオールドスクールなビートでB-Boysをテーマにした楽曲。
インドからはMumbai's Finestの"Beast Mode". これはダンス、グラフィティ・アート、ビート・ボクシング、BMX、スケボーなどの要素を含むムンバイのBeast Mode Crewのテーマ曲のようだ。
となると日本からは
Rhymesterのクラシック"B-Boyイズム"で迎え撃つことになるでしょう。
ちなみにB-Boyという言葉は、日本だと「ヒップホップ好き」という意味で使われるけど、本来はブレイクダンサーという意味。踊れないのに海外でうっかり言わないよう注意。



それでは今日はこのへんで!

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goshimasayama18 at 17:09|PermalinkComments(0)

2019年11月04日

帰ってきたガリーボーイ歌詞翻訳!"Train Song" by麻田豊、餡子、Natsume

『ガリーボーイ』リリック翻訳シリーズの番外編、いわばアンコールも(たぶん)今回でラスト!
麻田先生、餡子さん、Natsumeさん、本当にお疲れ様でした!
打ち上げどこかでやりましょう(業務連絡)。

最後に紹介するのは、"Train Song".
今回もラップではなく、『ガリーボーイ』のサウンドトラックのなかでは珍しい普通に歌われている曲なのだけど、この曲が素晴らしい名曲!
私も大いに気に入っています。

歌は英語とヒンディー語のパートに分かれていて、英語部分を歌っているのはタブラプレイヤー/エレクトロニカ・アーティストとしても知られるインド系イギリス人のKarsh Kale、ヒンディー語部分は南インド出身で、さまざまな言語の映画音楽の歌手としても知られるRaghu Dixit.
英語部分の作詞はKarsh Kaleを中心にしたメンバーで行われているようで、ヒンディー語部分の作詞は、前回紹介した"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)でも作詞を手がけたジャーヴェード・アフタル。
ゾーヤー・アフタル監督の父親であり、ボリウッドの脚本家/作詞家、ウルドゥー詩人として伝説的な人物である彼が、ここでも活躍している。
作曲はデリーを中心に活動を続けるエレクトロニカ・デュオのMidival PunditzとKarsh Kaleの共作。
Midival PunditzとKarshはいずれも2000年前後から活動するベテランで、いわばインド系クラブミュージックのパイオニアだ。
ヒップホップにこだわった映画のなかで、ここだけジャンルも国籍も超えた(そして、しっかりアフタル・ファミリーの大御所ジャーヴェードも入った)大物のコラボレーションを持って来るあたり、非常に面白いバランス感覚だと言える。


TrainSong1

TrainSong2

TrainSong3

餡子さんのコメント:
ヒンディー語パートと英語パートに分かれている歌で、ヒンディー語パートはムラドのこれまでの話と、今回の成功を讃える内容になっています。
英語の部分は歌だけ聞くとハテナ?ですが、エンディングの場面で駅でサフィーナと会うときに流れるのでその情景を表してるのだと思います。

Natsumeさんの考察で「心臓」は体の左側にあるから「左側の出口」というのは心臓とリンクしているのでは、という解釈をしました。
今回の歌詞の翻訳のためカラーチー在住の麻田先生の知人の方にもご協力いただきました!

格差社会への憤りや、自分自身を誇る血圧高めのラップが多い『ガリーボーイ』のサウンドトラックのなかで、この曲の開放感は独特の輝きを放っている。
詩的なメタファーに満ちた歌詞も印象的で、ヒンディー語部分はじつにヒンディー語的な、英語部分は非常に英語的な歌い回しになっており、それがごく自然に融合しているのも面白い。
英語、ヒンディー語それぞれのフォークっぽいメロディーラインに続いて、スケールの大きいコーラスに続く展開は、何度聴いても心地よい爽快感がある。

この"Train Song"は、短い曲ながら、大御所ウルドゥー詩人、在外インド系ミュージシャン、国内クラブミュージックのパイオニア、映画音楽界の人気シンガーという様々な才能が有機的に絡み合いながらそれぞれの良さを活かしあっている、まさに現代のインドの音楽シーンを象徴する名曲と言ってよいだろう。

"Train Song"にはヒップホップ的な要素は皆無だが、この曲の背景には、ヒップホップに憧れるスラムの青年がラッパーになって留学帰りのプロデューサーと出会い、自分の言葉(ヒンディー/ウルドゥー語)でNasのオープニング・アクトを目指すというこの映画のストーリーと地続きの、グローバル化しながらも独自性を失わず、むしろその輝きを増してゆく現代インドの音楽シーンの面白さが詰まっているのだ。

この曲に絡めて『ガリーボーイ』のもう一つのテーマを紹介するとすれば、それは「調和と融合」ということになるかもしれない。
この「調和と融合」は、ヒップホップに代表される、実際のインドのインディーミュージックシーンを理解する上でも重要なキーワードだ。
スラム出身の青年のリリックと、富裕層出身でアメリカの名門大学で音楽を学んだビートメーカーのトラックの融合。
アメリカから来たラップと、インドの伝統的なリズムやポエトリーの融合。
ムスリムのラッパーとヒンドゥーのラッパー(MCシェールのモデルとなったDivineはクリスチャンだが)のコラボレーション。
映画のなかで起きるこういった出来事は、全て実際の音楽シーンでも実現していることだ。
そもそも、宗教の垣根を越えた詩人や音楽家の庇護や共演は、インドでは何百年も前の王朝時代からあたり前のように行われていた。

現実世界ではコミュニティの分断と対立のニュースばかりが報じられるなか、インドの音楽シーンのこうした美徳は、ますますその価値を増しているようにも思える。

『ガリーボーイ』で提示されたような、さまざまな魅力に満ちた実際のインドの音楽シーンについて、これからもこのブログで積極的に紹介してゆきたいと思います!



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2019年11月02日

帰ってきた『ガリーボーイ』歌詞翻訳!"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)by 麻田豊、餡子、Natsume


先日まで集中連載していた、インド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』のラップのリリック翻訳シリーズ。

大好評にお応えして、このプロジェクトを進めている餡子さん、麻田先生、Natsumeさんによるチームから新たに届いた翻訳を紹介します!
今回紹介する楽曲は、"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)。

ところで、今回は記事のタイトルが「ラップ翻訳」ではなく、「歌詞翻訳」となっていることに注目。
そう、今回紹介する曲はラップではない。
この"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)は、イギリス生まれのインド系プロデューサー、Rishi Richが作ったトラックに乗せて、主演のランヴィール・シンが、ゾーヤー・アフタル監督の父でもあるジャーヴェード・アフタルによる詩を朗読したもので、そういう意味では「歌詞」と呼ぶのも厳密には違うかもしれない。
(あえて言えば、ポエトリー・リーディングやSlamと呼ばれるジャンルに近いか。なお、監督らのAkhtarという苗字については、映画のパンフレットをはじめ「アクタル」と記載されているものが多いが、今回は翻訳に携わった麻田先生にならって「アフタル」に統一する)


EkHeeRaasta



餡子さんによるコメント:
このリリックのシーンは、ムラドが電車に揺られている中周りにぼんやりと死んだ目をしたサラリーマンたちが映されて、「レールの上に載せられた人生」で「たった一本の道」を歩むしかない…という状況があらわされてますね。

この曲の作詞をしたジャーヴェード・アフタルは、ウルドゥー語詩人であると同時にヒンディー語映画の作詞家・脚本家としても長く活躍し、インド政府からパドマー・シュリー、パドマー・ブーシャンという2つの称号を受勲している伝説的な人物だ。
(北インドで広く話されるヒンディー語と、パキスタンの公用語で北インドのムスリムにも話者が多いウルドゥー語は、文字が異なり、語彙にも違いがあるが、言語的には非常に近く、会話においては相互の意思疎通が可能なことが多い)
無理やり日本に例えれば、倉本聰と谷川俊太郎と阿久悠を、足して割らずに数倍にしたくらいの人物ということになるかもしれない。
ちなみにジャーヴェードの父も映画音楽の作詞でも活躍した詩人で、さらに祖父も詩人である。

ゾーヤー監督は、母が女優/脚本家のハニー・イラーニー(ただしゾーヤーが6歳のときに両親は別居し、やがて離婚。ジャーヴェードは女優のシャバーナー・アーズミーと再婚した)、弟がこの映画でも共同製作を努めたファルハーン・アフタルという生粋のボリウッド一家の出身で、映画製作を「ファミリー・ビジネス」と呼んではばからない。
これまで紹介してきたように、『ガリーボーイ』は、インド社会の中で抑圧されてきたスラムの若者が、アメリカの黒人文化であるヒップホップに影響を受け、ストリートラップ(ガリーラップ)によって成長・成功してゆく作品であるが、アフタル・ファミリーそして監督の父ジャーヴェード・アフタルという補助線を引くとまた違う背景が見えてくる。
すなわち、伝統的なヒンディー/ウルドゥーの詩からヒップホップという新しいポエトリー文化への連続性である。
(ウルドゥー語学文学の研究者である麻田先生は早くからこの指摘をしていたが、さすがの視点!)
 
ゾーヤー・アフタル監督は、主人公ムラードのモデルとなったNaezyのラップを初めて聴いたときの印象として、「これまでインドでこんなふうにリアルな表現をする音楽を聴いたことがなかった」という趣旨の発言をしていたが、これは映像作家としてだけではなく、詩に造詣が深いアフタル・ファミリーの一員としての感想でもあったはずだ。
この『ガリーボーイ』では、"Doori Poem"(へだたり/詩)でもジャーヴェード・アフタルが作詞を担当し、"Doori"ではなんとラッパーのDivineとリリックの共作までしている。

さらに言えば、Naezyはラッパーであることを、父に「非イスラーム的である」と咎められ、一時期活動を休止していたが、今では「ラップはイスラーム文化の伝統的な"詩"と同じようなものである」という理解が得られ、活動を再開している。
インドは今でも若者が恋人に詩を送るような、ポエトリー文化の盛んな国。
インドのヒップホップカルチャーには、おそらくだがこうした詩作文化の伝統も、大きく影響しているのではないだろうか。

それにしても、国家から叙勲されるような大詩人がヒップホップ映画に参加し、ラッパーと共作すらしてしまうボリウッドの懐の深さには恐れ入るしかない。
そういえば、映画のテーマとなっている親子の確執や身分違いの恋、現実と夢との相克といった題材も、決して目新しいものではなく、インド映画の伝統とも言えるものである。
『ガリーボーイ』はヒップホップというインドにおける新しい文化を扱った映画でありながら、アフタル・ファミリーというボリウッドの伝統を担ってきた一家の、正統な系譜に連なる作品でもあるのだ。



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2019年10月25日

『ガリーボーイ』ラップ翻訳"Asli Hip Hop"(リアルなヒップホップ)by麻田豊、餡子、Natsume


いよいよ大詰めを迎えてまいりました、麻田先生、餡子さん、Natsumeさんによる『ガリーボーイ』リリック翻訳。
今回紹介するのは"Asli Hip Hop"(リアルなヒップホップ)。
ラッパーとして成長したムラードが、ヒューマン・ビートボックスに載せて、ガリー育ちの魂を聴かせてくれる曲だ。
 
AsliHipHop

餡子さんのコメント:
このラップの中でも母親への愛が語られていて、インドらしさを感じます。テンポがスローだからか、正しい文法でリリックが書かれていて比較的訳しやすいです。

ラップはもちろんランヴィール本人。リリックは若干20歳のラッパーSpitfireが書いている。
ビートボックスは、ラッパー、ダンサー、グラフィティアーティストを含むムンバイのクルーBombay LokalのD-CypherとBeat Raw.
インドのストリート(ガリー)ヒップホップシーンでは、ターンテーブルやレコード盤が必要なDJの代わりにビートボクシングが非常に盛んで、ダラヴィでは放課後にビートボクシング教室まで開かれているという。
リアルな雰囲気のアドリブを入れているのは実際のムンバイのシーンのMCたちだ。

リリックは解説する必要がないくらい明確で力強い。
餡子さんの指摘通り「母親への愛と感謝」が入っているのもいかにもインド的だ。
「ヒップホップこそが俺の宗教/どんなカーストにも属さない」という部分もとてもインドっぽいフレーズだ。
ムラードはムスリムとしての信仰も大事にしているが、その信仰は彼に安らぎを与えるだけではなく、彼を縛りつける不自由さとも結びついている。
見下され、抑圧される原因となっているカーストについては言わずもがなだ。
ムラードにとって、いや、実際のムンバイのスラムの若者達にとって、ヒップホップは、既存の宗教やコミュニティとは関係なく、自分を誇り、仲間とつながることができる手段なのだ。
今やヒップホップはアメリカの黒人文化という枠組みを大きく超え、こういった現象は世界中の都市で起きている。
『ガリーボーイ』はインドにおける都市の若者文化のグローバル化と、ヒップホップのローカル化を同時に感じることができる作品でもある。

既に何度も書いてきたことだが、"Asli Hip Hop"が「リアルな(asli)」ヒップホップと強調しているのは、インドにはメインストリームのパーティー音楽として「リアルでないヒップホップ」が既に高い人気を得ていたからだ。
『ガリーボーイ』の中で「リアルなヒップホップ」の対極にあるパーティーラップとして使われているのが、この"Goriye".
 
意図に反して、これはこれで結構かっこよく仕上がっている。
もっとEDM系のダサいバングラ系ラップはいくらでもあるように思うが、そこは日本人とインド人の感じ方の違いかもしれない。

次回はこのリリック翻訳シリーズのいよいよ(ひとまずの)最終回!
もちろん、『ガリーボーイ』を象徴する曲、"Apna Time Aayega"(俺の時代がやって来る)です!
乞うご期待!


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ガリーボーイ:サブサブ5



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2019年10月24日

『ガリーボーイ』ラップ翻訳"Azadi"(自由)by麻田豊、餡子、Natsume

麻田豊、餡子、Natsume(敬称略)による『ガリーボーイ』リリック翻訳第5弾!
前回紹介した恋に悩むラブソングの"Kab Se Kab Tak"からうって変わって、今回はこの映画の中でも、とくに政治的・社会的なトラック"Azadi"を紹介!


Azadi1-2


Azadi2

Azadi3-2


Azadi4

餡子さんからのコメント:
アーザーディー!の掛け声がアツイ!ぜひリミックス原曲の力強いデモを聞いてください。
まるでPublic Enemyを思わせるような政治的アジテーションのこの曲は、リリックもトラックも、そしてラップもDivineとDub Sharmaによるもの。
Divineは何度も紹介している通り『ガリーボーイ』のMCシェールのモデルとなったムンバイのラッパーで、Dub Sharmaはインド北部チャンディーガルのエレクトロニックミュージック・アーティスト/ラッパーだ。

この強烈な政治的ナンバーは、実は映画のストーリーの中で不可欠な使われ方をしているわけではない。
むしろ、どちらかというとBGM的な扱いだ。
(一応、格差による不条理とそれに抗う姿勢が示される場面ではあるが)

であるならば、他の曲と同じようなスラムをレペゼンするラップでも、いっそのことインストゥルメンタルでも良いはずだ。
それでもあえてこの曲を採用したのは、ゾーヤー・アクタル監督が、この映画を通して、ヒップホップがストリートをレペゼンするだけではなく、政治や社会の構造的な問題にも鋭く物申すジャンルであることを伝えたかったからだろう。

ラップというよりもシュプレヒコールのようなコーラスは、じつはもともと実際のデモで使われたものがもの。
デリーの名門大学JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)で行われた学生運動のリーダー、Kanhaiya Kumarによるコール&レスポンスがこの曲の原型だ。


凄まじい熱気!

この動画のタイトルに、"Lal-Salaam Song"とあるが、この'Lal-Salaam'は、「赤色万歳!」を意味する、共産主義にシンパシーを持つものの合言葉。
この言葉は、以前紹介したデリーを拠点に活動するスカバンド"Ska Vengers"の中心人物Delhi Sultanate aka Taru Dalmiaも、自身のサウンドシステムでのパフォーマンスで使用している。

彼が'Lal Salaam'といっしょに、反カースト/平等主義の合言葉'Jai Bhim'を叫んでいることにも注目。
この言葉は、最下層の被差別階級から身を起こし、インドの初代法務大臣にまで登りつめたビームラーオ・アンベードカルを称える言葉で、彼はカーストの軛から逃れるために、同じ身分の50万人もの同志たちとヒンドゥーから仏教へと集団改修したことでも知られている。
リンクした記事で紹介した動画でも、DJブースから、ヒンドゥー・ナショナリズムや企業のルールからの自由を求めて、"A-za-di"のコール&レスポンスをするTaruの姿を見ることができる。
彼もまた、政治や社会構造の矛盾に鋭く批判を突きつけるアーティストなのだ。

先ほど紹介したJNUでのKanhaiya Kumarによるアジテーションは、Dub Sharmaによってリミックスされてダンストラックとなっており、このバージョンが『ガリーボーイ』で使われたラップの原曲となっている。

反ヒンドゥーナショナリズム、反差別、反暴力などあらゆるデモの様子が収められたこのミュージックビデオもインドの民衆のエネルギーが伝わってくる。
("Azadi"の原曲の調査は餡子さんによるもの。"India91"に登場するラッパーの全員解明もそうだが、餡子さんの調査力、凄すぎ!)

ちなみに'Azadi'という単語は、今インドでもっとも勢いのあるデリーのアンダーグラウンド・ヒップホップレーベルの名称にも使われている。


『ガリーボーイ』のなかでは、他にも"Jingostan"が、かなり政治的な楽曲だ。
'Jingostan'は、自国の利益のためなら他国に対して武力も辞さない強圧的な姿勢を表す'jingoism'に、国を表す'stan'をつけた造語で、続けて叫ばれる'Zindabad'は「万歳!」のようなかけ声だ。
つまり、この曲は覇権主義的な国家を皮肉った内容なのである。

この曲も、'Jingostan Zindabad'の掛け声がまるでデモか集会のような雰囲気を醸し出しており、いわゆるヒップホップ的(現代アメリカ黒人文化的)というよりは、かなりインド的な雰囲気が感じられる。
そして、この曲も決してストーリーの中で不可欠な位置付けで使われているわけではないのだ。

BGM的な部分にこうした政治的な楽曲が選ばれているという事実から、ゾーヤー監督がこの映画を通して伝えようとしたもう一つのメッセージを感じることができる。
つまり「ヒップホップは、インドの伝統とも言える社会運動・政治運動とも極めて親和性が高いもので、こうした部分にもインドのヒップホップの個性と存在意義がある」という主張である。

これまでに、このブログではインドのヒップホップのルーツとして、「アフリカ系アメリカ人によるオリジナル・ヒップホップ」に加えて、「古典音楽などの独自のリズム。とくに口で複雑なリズムを表現するBolやKonnakkol」を挙げていたが、ひょっとしたら3つめのルーツとして「デモ更新のアジテーション演説」を挙げても良いのかもしれない。
確かに、多くの人々の心を掴む演説をするには、リズム感やキャッチーな言葉のセンスが欠かせないはずで、そこにはラップと相通じる部分があるはずだ。

『ガリーボーイ』そのものは、社会格差や差別の問題を扱いながらも、ラッパーの青年のサクセスストーリーという、斬新だが親しみやすいテーマの映画に仕上がっている。
同じくダラヴィを舞台にしたタミル映画『カーラ』(こちらもヒップホップがサウンドトラックに使われている)のように、スラムを潰そうとする悪徳政治家などが出てくるわけではない。
だが、その根底には、ゾーヤー・アクタル監督の、いびつな社会構造への強烈な異議申し立てがあるのではないだろうか。
そして、こうした問題意識があるからこそ、ガリーのラッパーたちと共鳴し合い、ボリウッドの歴史に残るであろう作品が作れたのではないかとも感じる。

今回もついつい長くなってしまいました。
"Azadi"のリリックの翻訳を読んでこんなことを考えた次第です。
このリリック紹介もいよいよ大詰め、次回はインドにリアルなヒップホップを届ける決意表明とも言える"Asli HipHop"です!



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goshimasayama18 at 23:43|PermalinkComments(0)

2019年10月23日

『ガリーボーイ』ラップ翻訳"Kab Se Kab Tak"(いつからいつまで)by麻田豊、餡子、Natsume


大好評の『ガリーボーイ』ラップのリリック翻訳シリーズ、今回は主人公ムラードの不安な恋心を綴った曲、"Kab Se Kab Tak"を紹介。
厳しいスラムの環境や、社会の格差をラップした曲が多いこの映画の中では異色のラブソングだ。

この曲でラップを聴かせているのは(劇中でムラードがラップしているという設定なので)例によって主演のランヴィール。
女性ヴォーカルはカシミール出身のシンガーソングライター/プレイバックシンガーのVibha Saraf.
リリックは映画にカメオ出演もしているラッパーのKaam Bhari、楽曲はインド系イギリス人のタブラ奏者で、映画音楽も多数手がけているKarsh Kaleが担当した。
作詞と作曲の両方に、この映画の音楽スーパーバイザーを務めたシンガーソングライターのAnkur Tewariの名前がクレジットされている。
アコースティックでメロウな曲調だが、R&Bっぽく仕上げずに、最近のボリウッドでよくあるバラード風にまとめたのは、一般的なインド人の音楽の嗜好を考慮してのことだろう。
ヒップホップと大衆性を両立させた見事なバランス感覚だ。

(今回は、若干ネタバレ的なことを書くので、未見でネタバレが嫌な方は、リリックまで読んだらお引き返しを)


KabSeKabTak1

KabSeKabTak2

KabSeKabTak3

餡子さんからのコメント:
この歌は映画本編で最後まで流して欲しかったです。そうすればもっとムラードのサフィーナに対する想いがわかったのに。前半の彼女、君はスカイ、後半の君はサフィーナを指していると解釈しています。
kab seは彼女とか君とか俺とかたくさん代名詞が出てきて、誰を指しているのか?
サフィーナだけじゃないような、と考えてました。
劇中では途中までのレコーディングしか描かれませんでしたが、この曲を最後まで歌い切ったとき、スカイは「ムラドはサフィーナなしに生きられないんだな」と思ったでしょうね、その様子をちょっと見てみたかったです。

餡子さんの解釈になるほどと唸りました。

ムラードは、彼に想いを寄せるスカイの気持ちを、なかなかうまく受け止めることができない。
理由の一つは、長くつきあってきたサフィーナへの愛情。
もう一つの理由は、豪邸に暮らし、アメリカに音楽留学できるほどに裕福なスカイが、なぜ貧しい彼に愛情を示すのか、全く分からないからだ。
ムラードやシェールにとっては、お金にならない音楽を学ぶために留学することも、音楽だけを教える大学が存在するということも、想像もつかないことだった。
古い価値観に縛られないスカイは、生まれや階級に関係なく、ムラードの才能に魅力を感じて彼に惹かれた。
だが、ムラードは、自分のことを完全に使用人(運転手)としてしか見なさない勤務先の裕福な一家と同じ階層にいるはずのスカイが、彼に恋愛感情を持つということが理解できない。
高級ホテルのようなスカイの家(ムラードは高級ホテルがどんな場所かも知らないかもしれないが)の洗面所で、ムラードがきれいに畳まれた真っ白なタオルに戸惑うシーンが印象的だ。

乗り越えるべき壁は、世間だけではなく、自分の中にもあるのだ。
ムラードが手に入れる自由は、貧困や偏見や束縛からの自由だけではなく、これまでの自分自身からの自由でもある。

恋に揺れるムラードは、結局は「自分がいちばん自分自身でいられる」相手を選ぶ。
この選択は、「自分が自分自身であることを誇る」ヒップホップの思想と、どこかつながっているはずだ。
物語の後半に向けて、ストーリーは加速してゆく。

次のリリック紹介は"Azadi".
お楽しみに!

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goshimasayama18 at 22:40|PermalinkComments(0)

2019年10月22日

『ガリーボーイ』ラップ翻訳"Mere Gully Mein"(俺の路地では)by麻田豊、餡子、Natsume


今回の『ガリーボーイ』劇中ラップのリリック翻訳紹介は、ムンバイのストリートヒップホップシーンを象徴する楽曲、"Mere Gully Mein"(俺の路地では)。

映画の中で、主人公のムラード(aka GullyBoy)が初めて出会ったリアルな地元ラッパー(兄貴分的な存在でもある)MCシェールと共演する曲で、映像はダラヴィでのミュージックビデオの撮影シーンという設定になっている。
それではさっそくミュージックビデオと翻訳をご覧いただきたい。


MereGullyMein1

MereGullyMein2

MereGullyMein3

餡子さんのコメント
Shooterは子分、弟分といったスラングです。舎弟の訳を気に入っています。

この曲のオリジナルは、ムラードとMCシェールのモデルとなった実在のラッパー、NaezyとDivineが共演して2015年に発表したものだ。
ラップは、ムラードのパートは主演のランヴィール、MCシェールのパートはモデルとなったDivine自身が担当している。
餡子さんのコメントの通り、リリックにはムンバイならではのスラングが盛りだくさん。
翻訳にあたっては、ムンバイ在住のHirokoさんを介して、現地のラッパーたちにも協力してもらったそうだ。

『ガリーボーイ』には、ムンバイの実在のラッパーのトラックが何曲もアレンジされて使われているが、この"Mere Gully Mein"に関しては、冒頭のセリフがキャラクター名に置き換わっている以外、リリックはオリジナルのまま。
つまり、ランヴィールは天才ラッパーNaezyのフロウを完コピしたということだ。
このエピソードひとつとっても、彼がこの役柄にいかに全力で取り組んだか分かるだろう。
ゾーヤー・アクタル監督は、この映画のインスピレーションの源となったNaezyとDivineとに敬意を込めて、オリジナルのまま映画に使用したという。
こちらがそのオリジナルバージョン。


私が最初にこの曲のミュージックビデオをYouTubeで見た頃(2年ほど前)には、数十万回だった再生回数が、今では2,700万回を超えている。
『ガリーボーイ』という映画がローカルなヒップホップシーンに及ぼした影響の大きさが分かる。
映画バージョンだとボリウッドっぽかったダンスが、オリジナルではヒップホップなところにも注目。

リリックの内容は、「スラムの暮らしは貧乏だし犯罪や不正もあるが、ここが俺の生まれ育った場所だ」という、地元をレペゼンする内容。
従来の価値観では恥ずべきものとされる自分のルーツを、ラップのスキルや言葉のセンスでかっこ良さに変えてしまうこの曲は、まさにヒップホップそのものだ。
Divineは路地を意味するヒンディー語の"Gully"という単語を、ヒップホップ的なリアルでクールな意味合いに置き換えて使用し、インドのストリートヒップホップを象徴する言葉に昇華させた。
なお、NaezyもDivineも実際はダラヴィ出身ではなく、NaezyはKurla East出身、DivineはAnderhi EastのJB Nagarの出身。
どちらもムンバイのかなり下町っぽいエリア(スラムとまで言って良いかは分からない)だが、映画化にあたって設定がダラヴィに置き換えられたのは、やはりダラヴィがムンバイでもっとも有名なスラムであるからだろう。

印象的なトラックは、現在はデリーを中心に活躍しているSez on the Beatがプロデュースしたものだ。
現在は、よりトラップやチル寄りのトラックを作ることが多いSezだが、この曲のパーカッシブなビートはいかにもインド人好み。
サウンド的にも、ガリーの人々にとってのリアルなカッコよさのど真ん中なのだろう。

ちなみにNaezyは映画の中のムラードと同様にムスリムだが、DivineはMCシェールとは違ってクリスチャンである(映画の中のシェールはどうやらヒンドゥーという設定のようだ)。
最初のヴァースの「クリスチャンもヒンドゥーもムスリムも礼拝する/俺の路地では」という部分は、様々な宗教やルーツの人々が肩を寄せ合って生活するスラムの暮らしや、既存のコミュニティーの枠を越えた共演が盛んなヒップホップシーンのことを表しているものと思われる。
Divine曰く、「Gullyは特別な場所。ヒンドゥーもムスリムもクリスチャンもいるが、Gullyこそがみんなが信じている宗教だ。国は豊かになっても俺たちの生活は変わらない。だからこそ俺たちの声を聞いてほしい」とのことだ。
このミュージックビデオには、子どもたちや近所のおばさんなど、およそヒップホップのビデオには似合わない人々がたくさん出てくるが、彼らはラップ仲間や小さいコミュニティーだけでなく、自分たちが暮らす「ガリー」全体をレペゼンしているのだ。

ところで、この映画のなかで、もう1箇所、ゾーヤー・アクタル監督から、オリジナル・ガリーボーイズ(DivineとNaezyに代表される実際のガリーのラッパーたち)への敬意が表される場面がある。
名前こそ出ないが、Divine本人がカメオ出演しているシーンだ。
そのシーンで、ムラードはDivineに、ある言葉をかけるのだが、その言葉は、映画の登場人物ムラードとしての台詞ではなく、ヒップホップファンであったというゾーヤー監督やランヴィール・シン本人からの、オリジナル・ガリーボーイズへのメッセージに思えてならない。
2回目に見る方は是非注目してみてほしい。
個人的にもガリーボーイで最も好きなシーンのうちの一つだ。
(ヒント:そのシーンがあるのは最後のほうです)


追記:麻田豊先生からのご指摘があり、このリリック翻訳シリーズの記事では、登場人物などの表記を、映画の中の字幕よりも原音に近いものにしています(例:ムラド→ムラード)。



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