Festival
2019年03月27日
ヒンドゥー・ナショナリズムとインドの音楽シーン
先日、映画「バジュランギおじさんと小さな迷子」の話題と絡めてヒンドゥー・ナショナリズムの話を書いた。(「バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(前編)」)
ヒンドゥー・ナショナリズムは、「インドはヒンドゥーの土地である」という思想で、この思想のもとに教育や貧困支援などの慈善活動が行われている反面、ヒンドゥーの伝統に反するもの(例えば外来の宗教であるイスラームやキリスト教)をときに暴力的に排除しようとする側面があるとして問題視されている。
こうした運動は現代インドで無視できないほどの力を持っており、よく言われる例では現在の政権与党であるモディ首相の所属するBJP(インド人民党)は、ヒンドゥー・ナショナリズム団体RSS(民族義勇団)を母体とする政党だったりもする。
このブログで紹介しているようなロックやヒップホップ、エレクトロニックなどの音楽シーンでは、これらのジャンルがもともと自由や反権威を志向するものだということもあって、一般的にこうしたヒンドゥー至上主義的な動きに反対する傾向が強い。
その最もラディカルな例が以前紹介したデリーのレゲエバンドSka VengersのDelhi SultanateことTaru DalmiaのユニットBFR Soundsystemだろう。
彼はジャマイカン・ミュージックを闘争のための音楽と位置づけ、レゲエ未開の地インドでサウンドシステムを通してヒンドゥー・ナショナリズムや抑圧的な体制からの自由を訴えるという、なかばドン・キホーテ的な活動を繰り広げている。
(詳細は「Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」参照)
Ska Vengersの痛烈なモディ批判ソング"Modi, A Message for you".
Taruはこの曲を発表したことで殺害予告を受けたこともあるそうだが、命の危険を冒してまで、彼らは音楽を通してメッセージを発信しているのだ。
ヒンドゥー・ナショナリズムについては、地域や所属するコミュニティーや個人の考え方によって、まったく捉えられ方が異なる。
たとえばムンバイのような先進的な大都市に暮らす人に話を聞くと、度を越したナショナリズム的な傾向があるのはごく一部であって、ほとんどの人は全くそんなこと考えずに生活しているよ、なんて言われたりもする。
(ムンバイはムンバイで、シヴ・セーナーという地域ナショナリズム政党が強い土地柄であるにもかかわらず、だ)
こんなふうに聞くと、なーんだ、ヒンドゥー・ナショナリズムなんて言っても、実際は一部の偏屈な連中が騒いでいるだけなんじゃないの?と言いたくなってしまうが、地方では、ナショナリズム的な傾向と伝統的な価値観が合わさって、なかなかに厳しい状況のようなのだ。
昨年8月に書かれたインドのカルチャー系ウェブサイトHomegrownの記事では、インド北部ウッタル・プラデーシュ州の街ジャーンシーの信じられない状況が報告されている。
(Homegrown "Communal ‘Hate Songs’ Top The Playlists Of DJs In Jhansi"
さらにそのもとになった記事は、ThePrint "The Hindu & Muslim DJs behind India’s hate soundtrack")
この街では、なんとDJたちがヒンドゥー至上主義や反ムスリム、反リベラル的なリリックの楽曲を作り、大勢の人々が繰り出すラーマ神やガネーシャ神の祭礼の際に大音量でプレイして、住民たちが大盛り上がりで踊っているという。
「シヴァ神がカイラーシュ山からメッセージを送り、サフラン色(ヒンドゥー至上主義を象徴する色)の旗がパキスタンにもはためく」とか「インドに暮らしたければ"Jai Sri Ram"を唱えろ」とか「アヨーディヤーのバブリー・マスジッドを破壊した跡地にラーマ寺院を建てよう」なんていう狂信的で偏見に満ちた曲が流されているというのだ。
"Jai Sri Ram"というヒンドゥーの祈りの言葉は、映画「バジュランギおじさん」では印パ/ヒンドゥーとムスリムの相互理解の象徴として使われていたことを覚えている人も多いだろう。
その言葉が、ここではムスリムに対する踏み絵のような使われ方をしている。
アヨーディヤーというのはイスラーム教の歴史あるモスク、バブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒が破壊するという事件が起きた街の名前だ。
この事件は現代インドの宗教対立の大きな火種となっており、このリリックはムスリムに対する明白な挑発だ。(Ska vengersを紹介した記事でも少し触れている)
なんだか悲しい話だが、この問題を扱ったこの短いドキュメンタリー映像(6分弱)を見る限り、こうしたヘイト的な曲に合わせてダンスする人々の様子は、憎しみに燃えているというよりもむしろ無邪気に楽しんでいるようで、それがまた余計にやりきれない気持ちにさせられる。
これらのヘイトソングを作成しているDJ達(記事やビデオではDJと呼ばれているが、いわゆるトラックメイカーのことようだ)は、インタビューで「個人的にはムスリムのことを憎んではいない。でも求められた曲を作ることが俺たちの仕事で、こういう曲のほうが金になるんだ」と語っている。
彼らにこういう楽曲を発注して、行き過ぎたナショナリズムを煽動している黒幕がいるのだ。
DJたちもさすがに「モスクの前なんかでこういう曲をプレイするのは問題だね」という意識はあるようだが、保守的な田舎町で音楽で生計を立ててゆくために、てっとり早く金になるヘイト的な楽曲を作ることへのためらいは見られない。
偏見に満ちた思想が音楽を愛するアーティスト自身の主張ではないということに少しだけ救われるが、宗教的な祭礼において、祝福や神への献身よりもヘイトのほうに需要があるというのは、部外者ながらどう考えてもおかしいと感じざるを得ない。
このジャーンシー、私も20年ほど前に、バスの乗り継ぎのために降り立ったことがあるが、そのときはのどかでごく普通の小さな地方都市という以上の印象は感じなかった。
ところが、記事によるとこの地域はリンチや暴動、カーストやコミュニティーの違いによる暴力沙汰などが頻発しているとのことで、インドの保守的なエリアの暗部がさまざまな形で噴出しているようなのである。
地域や貧富による多様性と格差がすさまじいインドでは、ムンバイのような大都市の常識が地方ではまったく通じない。
インドの田舎には古き良き暮らしや伝統が残っている反面、旧弊な偏見が残り、コミュニティー同士が時代の変化のなかで対立を激化させているという部分もあるのだ。
上記のThe Printの記事によると、実際にウエストベンガル州やビハール州では、こうしたヘイトソングがモスクの近くでプレイされたことをきっかけとする衝突が発生しているという。
ふだんこのブログで紹介している都市部の開かれた音楽カルチャーと比較すると、とても信じられない話だが、残念ながらこれもまたインドの音楽シーンの一側面ということになるのだろう。
こうした排他的ヒンドゥー・ナショナリズムの音楽シーンへの影響は、じつは地方都市だけに限ったことではない。
マハーラーシュトラ州のプネーは多くの大学が集まる学園都市で、多数の有名外国人アーティストがライブを行うなど文化的に開かれた印象の土地だが、2018年にはヒンドゥー・ナショナリストたちがここで行われたSunburn Festival(以前紹介したアジア最大のエレクトロニック系音楽フェスだ)をテロの標的としたという疑いで逮捕されている。
(The New Indian Express "Suspected right-wing activists wanted to target Sunburn Festival in Pune: ATS")
この件で逮捕されたヒンドゥー右翼団体'Sanatan Sanstha'のメンバー5人は、ヒンドゥー教の伝統に反するという理由で、EDM系のフェスティバルであるSunburn Festivalや、大ヒット映画"Padmaavat"の上映館に爆発物を仕掛けることを計画していたという。
2018年のSunburn Festivalの様子
"Padmaavat"予告編。主演は"Gully Boy"のRanveer Singhで、彼の奥さんDeepika Padukoneも出演し、大ヒットを記録した映画だ。
こうして並べてみると、もう何がヒンドゥー至上主義者の逆鱗に触れるのか、全くもって分からなくなってくる。
"Padmaavat"に関して言うと、歴史映画のなかでのキャラクターや宗教の描き方についてヒンドゥー、イスラームそれぞれの宗教団体から抗議を受け、撮影の妨害なども行われていたということのようだ。
こうしたタイプの映画への反対運動は頻繁に行われていて、州によっては特定の映画の上映が禁止されてしまうといったことも起きている。
Sunburn Festivalに関しては言わずもがなで、享楽的なEDMに合わせて踊る人々は伝統を重んじるヒンドゥー至上主義者たちにとっては堕落以外の何ものでもないと映るのだろう。
資本主義・物質主義的な価値観の急速な浸透(インドは90年代初めごろまで社会主義的な経済政策をとっていた)に対する反発は、ヒンドゥー・ナショナリズム隆盛の原因のひとつだが、その矛先はこうして新しいタイプの音楽の流行にも向けられるようになった。
今更こんなことを大上段に構えて言うのもなんだが、音楽や芸術は人間の精神の自由を象徴するものだ。
音楽に合わせて肉体と精神を解放して生を祝福するという行為は、有史以前から人類が行ってきたことのはずなのに、自らの価値観に合わないからという理由でそれを(ときに暴力的に)潰そうとする人々がいる。
音楽が好きな人なら、「特定の価値観を持つ人たちが、音楽表現の場を、音楽を楽しむ場を、奪うなんてことがあってはならない」ということに同意してくれるだろう。
だが、我々もインドの過激な伝統主義者たちのニュースを人ごとだとは言っていられない。
ここ日本でも、アーティストの表現をサポートすべきレコード会社が、特定のアーティストが「容疑者」となったことで、彼が関わった作品の配信を停止したり、CDを店頭から回収したりなんていう馬鹿馬鹿しいことがあったばかりだ。
脅迫に屈したわけでもないのに、事なかれ主義の自粛こそが正義だと考え、とても音楽文化を扱う企業とは思えないような判断をしているということに、大げさに言えば危機感を覚える。
坂本龍一も言っていたが、いったい誰のための、何のための自粛なんだろうか。
しかも、同じ会社がオーバードーズで死んだジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックス、明らかにドラッグの影響を受けている(コカイン所持で逮捕されたこともある)ジョージ・クリントンの作品は平気で扱っているというから開いた口がふさがらない。
自粛したければ、個々のリスナーが聴かないことを選べば良いだけだ。
話が大幅に逸れたけど、いろいろと考えせられるインドと、そして日本の状況について書かせてもらいました。
それぞれが、それぞれの好きな音楽を楽しむ。そんな当たり前のことができる世の中が日本に無いっていうのが情けないね。
インドじゃ命懸けで表現に向き合っているアーティストもいるというのに。
A-ZA-DI!! (Freedom)
ヒンドゥー・ナショナリズムは、「インドはヒンドゥーの土地である」という思想で、この思想のもとに教育や貧困支援などの慈善活動が行われている反面、ヒンドゥーの伝統に反するもの(例えば外来の宗教であるイスラームやキリスト教)をときに暴力的に排除しようとする側面があるとして問題視されている。
こうした運動は現代インドで無視できないほどの力を持っており、よく言われる例では現在の政権与党であるモディ首相の所属するBJP(インド人民党)は、ヒンドゥー・ナショナリズム団体RSS(民族義勇団)を母体とする政党だったりもする。
このブログで紹介しているようなロックやヒップホップ、エレクトロニックなどの音楽シーンでは、これらのジャンルがもともと自由や反権威を志向するものだということもあって、一般的にこうしたヒンドゥー至上主義的な動きに反対する傾向が強い。
その最もラディカルな例が以前紹介したデリーのレゲエバンドSka VengersのDelhi SultanateことTaru DalmiaのユニットBFR Soundsystemだろう。
彼はジャマイカン・ミュージックを闘争のための音楽と位置づけ、レゲエ未開の地インドでサウンドシステムを通してヒンドゥー・ナショナリズムや抑圧的な体制からの自由を訴えるという、なかばドン・キホーテ的な活動を繰り広げている。
(詳細は「Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」参照)
Ska Vengersの痛烈なモディ批判ソング"Modi, A Message for you".
Taruはこの曲を発表したことで殺害予告を受けたこともあるそうだが、命の危険を冒してまで、彼らは音楽を通してメッセージを発信しているのだ。
ヒンドゥー・ナショナリズムについては、地域や所属するコミュニティーや個人の考え方によって、まったく捉えられ方が異なる。
たとえばムンバイのような先進的な大都市に暮らす人に話を聞くと、度を越したナショナリズム的な傾向があるのはごく一部であって、ほとんどの人は全くそんなこと考えずに生活しているよ、なんて言われたりもする。
(ムンバイはムンバイで、シヴ・セーナーという地域ナショナリズム政党が強い土地柄であるにもかかわらず、だ)
こんなふうに聞くと、なーんだ、ヒンドゥー・ナショナリズムなんて言っても、実際は一部の偏屈な連中が騒いでいるだけなんじゃないの?と言いたくなってしまうが、地方では、ナショナリズム的な傾向と伝統的な価値観が合わさって、なかなかに厳しい状況のようなのだ。
昨年8月に書かれたインドのカルチャー系ウェブサイトHomegrownの記事では、インド北部ウッタル・プラデーシュ州の街ジャーンシーの信じられない状況が報告されている。
(Homegrown "Communal ‘Hate Songs’ Top The Playlists Of DJs In Jhansi"
さらにそのもとになった記事は、ThePrint "The Hindu & Muslim DJs behind India’s hate soundtrack")
この街では、なんとDJたちがヒンドゥー至上主義や反ムスリム、反リベラル的なリリックの楽曲を作り、大勢の人々が繰り出すラーマ神やガネーシャ神の祭礼の際に大音量でプレイして、住民たちが大盛り上がりで踊っているという。
「シヴァ神がカイラーシュ山からメッセージを送り、サフラン色(ヒンドゥー至上主義を象徴する色)の旗がパキスタンにもはためく」とか「インドに暮らしたければ"Jai Sri Ram"を唱えろ」とか「アヨーディヤーのバブリー・マスジッドを破壊した跡地にラーマ寺院を建てよう」なんていう狂信的で偏見に満ちた曲が流されているというのだ。
"Jai Sri Ram"というヒンドゥーの祈りの言葉は、映画「バジュランギおじさん」では印パ/ヒンドゥーとムスリムの相互理解の象徴として使われていたことを覚えている人も多いだろう。
その言葉が、ここではムスリムに対する踏み絵のような使われ方をしている。
アヨーディヤーというのはイスラーム教の歴史あるモスク、バブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒が破壊するという事件が起きた街の名前だ。
この事件は現代インドの宗教対立の大きな火種となっており、このリリックはムスリムに対する明白な挑発だ。(Ska vengersを紹介した記事でも少し触れている)
なんだか悲しい話だが、この問題を扱ったこの短いドキュメンタリー映像(6分弱)を見る限り、こうしたヘイト的な曲に合わせてダンスする人々の様子は、憎しみに燃えているというよりもむしろ無邪気に楽しんでいるようで、それがまた余計にやりきれない気持ちにさせられる。
これらのヘイトソングを作成しているDJ達(記事やビデオではDJと呼ばれているが、いわゆるトラックメイカーのことようだ)は、インタビューで「個人的にはムスリムのことを憎んではいない。でも求められた曲を作ることが俺たちの仕事で、こういう曲のほうが金になるんだ」と語っている。
彼らにこういう楽曲を発注して、行き過ぎたナショナリズムを煽動している黒幕がいるのだ。
DJたちもさすがに「モスクの前なんかでこういう曲をプレイするのは問題だね」という意識はあるようだが、保守的な田舎町で音楽で生計を立ててゆくために、てっとり早く金になるヘイト的な楽曲を作ることへのためらいは見られない。
偏見に満ちた思想が音楽を愛するアーティスト自身の主張ではないということに少しだけ救われるが、宗教的な祭礼において、祝福や神への献身よりもヘイトのほうに需要があるというのは、部外者ながらどう考えてもおかしいと感じざるを得ない。
このジャーンシー、私も20年ほど前に、バスの乗り継ぎのために降り立ったことがあるが、そのときはのどかでごく普通の小さな地方都市という以上の印象は感じなかった。
ところが、記事によるとこの地域はリンチや暴動、カーストやコミュニティーの違いによる暴力沙汰などが頻発しているとのことで、インドの保守的なエリアの暗部がさまざまな形で噴出しているようなのである。
地域や貧富による多様性と格差がすさまじいインドでは、ムンバイのような大都市の常識が地方ではまったく通じない。
インドの田舎には古き良き暮らしや伝統が残っている反面、旧弊な偏見が残り、コミュニティー同士が時代の変化のなかで対立を激化させているという部分もあるのだ。
上記のThe Printの記事によると、実際にウエストベンガル州やビハール州では、こうしたヘイトソングがモスクの近くでプレイされたことをきっかけとする衝突が発生しているという。
ふだんこのブログで紹介している都市部の開かれた音楽カルチャーと比較すると、とても信じられない話だが、残念ながらこれもまたインドの音楽シーンの一側面ということになるのだろう。
こうした排他的ヒンドゥー・ナショナリズムの音楽シーンへの影響は、じつは地方都市だけに限ったことではない。
マハーラーシュトラ州のプネーは多くの大学が集まる学園都市で、多数の有名外国人アーティストがライブを行うなど文化的に開かれた印象の土地だが、2018年にはヒンドゥー・ナショナリストたちがここで行われたSunburn Festival(以前紹介したアジア最大のエレクトロニック系音楽フェスだ)をテロの標的としたという疑いで逮捕されている。
(The New Indian Express "Suspected right-wing activists wanted to target Sunburn Festival in Pune: ATS")
この件で逮捕されたヒンドゥー右翼団体'Sanatan Sanstha'のメンバー5人は、ヒンドゥー教の伝統に反するという理由で、EDM系のフェスティバルであるSunburn Festivalや、大ヒット映画"Padmaavat"の上映館に爆発物を仕掛けることを計画していたという。
2018年のSunburn Festivalの様子
"Padmaavat"予告編。主演は"Gully Boy"のRanveer Singhで、彼の奥さんDeepika Padukoneも出演し、大ヒットを記録した映画だ。
こうして並べてみると、もう何がヒンドゥー至上主義者の逆鱗に触れるのか、全くもって分からなくなってくる。
"Padmaavat"に関して言うと、歴史映画のなかでのキャラクターや宗教の描き方についてヒンドゥー、イスラームそれぞれの宗教団体から抗議を受け、撮影の妨害なども行われていたということのようだ。
こうしたタイプの映画への反対運動は頻繁に行われていて、州によっては特定の映画の上映が禁止されてしまうといったことも起きている。
Sunburn Festivalに関しては言わずもがなで、享楽的なEDMに合わせて踊る人々は伝統を重んじるヒンドゥー至上主義者たちにとっては堕落以外の何ものでもないと映るのだろう。
資本主義・物質主義的な価値観の急速な浸透(インドは90年代初めごろまで社会主義的な経済政策をとっていた)に対する反発は、ヒンドゥー・ナショナリズム隆盛の原因のひとつだが、その矛先はこうして新しいタイプの音楽の流行にも向けられるようになった。
今更こんなことを大上段に構えて言うのもなんだが、音楽や芸術は人間の精神の自由を象徴するものだ。
音楽に合わせて肉体と精神を解放して生を祝福するという行為は、有史以前から人類が行ってきたことのはずなのに、自らの価値観に合わないからという理由でそれを(ときに暴力的に)潰そうとする人々がいる。
音楽が好きな人なら、「特定の価値観を持つ人たちが、音楽表現の場を、音楽を楽しむ場を、奪うなんてことがあってはならない」ということに同意してくれるだろう。
だが、我々もインドの過激な伝統主義者たちのニュースを人ごとだとは言っていられない。
ここ日本でも、アーティストの表現をサポートすべきレコード会社が、特定のアーティストが「容疑者」となったことで、彼が関わった作品の配信を停止したり、CDを店頭から回収したりなんていう馬鹿馬鹿しいことがあったばかりだ。
脅迫に屈したわけでもないのに、事なかれ主義の自粛こそが正義だと考え、とても音楽文化を扱う企業とは思えないような判断をしているということに、大げさに言えば危機感を覚える。
坂本龍一も言っていたが、いったい誰のための、何のための自粛なんだろうか。
しかも、同じ会社がオーバードーズで死んだジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックス、明らかにドラッグの影響を受けている(コカイン所持で逮捕されたこともある)ジョージ・クリントンの作品は平気で扱っているというから開いた口がふさがらない。
自粛したければ、個々のリスナーが聴かないことを選べば良いだけだ。
話が大幅に逸れたけど、いろいろと考えせられるインドと、そして日本の状況について書かせてもらいました。
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それではまた。
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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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goshimasayama18 at 21:52|Permalink│Comments(0)
2018年07月02日
Tomorrowlandに出演するインド人EDMアーティスト! Lost StoriesとZaeden!
7月にベルギーで行われる世界最大のEDMフェスティヴァル、Tomorrowland.
今回は、世界一チケットが取りにくいとも言われるこのフェスへの出演経験のあるインド人アーティストを紹介します。
そのうちの一組はLost Stories.
2015年以来、Tommorowlandへの出演を重ねている彼らはムンバイ出身のPrayag MehtaとRishab Joshiの2人組で、2009年にキャリアを開始してすぐにオランダの超有名DJ、TiëstoのレーベルBlack Hole Recordingsからシングル"False Promises"をリリースしている。
これがその曲。
今聴くと少し古さを感じる楽曲だが(プログレッシブ・トランス?)、なによりもまずインドらしさが全くないことに驚かされる。この曲は、インド人アーティストによる初の国際的な評価を受けたダンスミュージックとしてエポックメイキングなものだったとのこと。
要所要所で聞かれるきらびやかな旋律は、むしろレーベルの故郷であるオランダ色を感じさせるものだ。
古くは60年代Ravi Shankar、90年代以降もバングラ・ビートの一時的なブームやA.R.Rahmanなど、インドの音楽が世界的な評価を得ることはたびたびあった。
でもそのいずれもが、「インドらしさ」を特徴とした、西洋から見るとエキゾ趣味的なものであったことは否めない。
ところが彼の音楽は、音だけを聴いていたらヨーロッパのアーティストだとしか思えないサウンドだ。
インドでもついにこういう音が作られるようになったかと思うと、うれしいようなさみしいような複雑な気持ちになる(とはいえ、その後もインド国内でインド要素盛りだくさんの面白い音楽が多く作られていることはいつも紹介している通り)。
他の曲は例えばこんな感じ。
"How You Like Me Now"
この曲に関して言えば、ビデオを見続けているとだんだん何がかっこよくて何がかっこ悪いのか、よく分からなくなってくる。
たぶん80年代のB級SFがモチーフなんだと思うが、この微妙な感じを遊び心やダサかっこ良さとして前向きに捉えて良いものなんだろうか。クラブミュージックに詳しい人教えて。
最近の曲では、ブラジル的なリズム?なんかも取り入れてきて、あいかわらずのインド離れっぷり。
"Spread the Fire"
いかに無国籍なサウンドで勝負してきたとはいえ、ダンスミュージックの世界では、ときにインド出身であるということは「売り」にもなる。
イスラエル人とベルギー人によるユニット、Jetfireとの共演曲では満を持してのインド要素炸裂!
その名も"India"!
90年代にアンダーグラウンドなレイヴシーンを席巻した、インド要素をサイケ風味の一部として取り入れていたゴアトランスの現代版といったところだろうか。
まあとにかく、彼の音楽性はインドのインディーミュージックの文脈で捉えるだけでは不十分で、多国籍かつ無国籍な享楽電子音楽の中の一アーティストとして評価するべきものなんだろう。
国籍やバックグラウンドにとらわれずに、単純に心地よいダンスミュージックとして消費するのがこういう音楽の本来の聴き方なのだと思う。
Tomorrowlandへの出演経験があるもう一人のインド人アーティストはZaeden.
彼はデリー近郊の成長著しい都市、グルガオン出身のDJで、なんと1995年出身の22歳という若さ!
幼い頃からタブラとピアノを習い、14歳からDJを始めたという、まさに新しい世代のインド人ミュージシャンだ。
彼もまた本場オランダのEDM系レーベル、Spinnin' Recordsと契約を結んでおり、早くも2015年にはTommorowlandへの出演を果たしている。
ヴォーカリストをフィーチャーした曲や、コラボレーションやリミックスでの仕事が多く、この曲はアメリカ出身の人気DJ、Borgeousとの共作。
"Yesterday"
Coldplayの"Magic"のリミックス。
Cimo Frankelなるオランダ人シンガーとの共演"City of the Lonely Hearts"
アゲすぎないディープ・ハウス的とも言える音楽性にまたインドらしからぬものを感じる。
Ankit Tiwariというインド人シンガーの曲のプロデュース、"Tere Jaane Se"
ヒンディー語のタイトルを含めて、オールインディア体制でこういう音楽を作るようになったかと思うと、90年代からインドを知っている身としてはとても感慨深い。
今後、インドらしさという武器なしで、国際的なマーケットで評価を受けるこうした新世代のアーティストは今後ますます増えてくるだろう。
この規模のイベントががんがんに盛り上がっているところを見ると、インドのEDMシーン、まだまだ勢いを増していきそうな予感。
彼らが今後もこのままの路線で世界的な評価を高めて行くのか、どこかでルーツに戻ってインド的な要素を取り入れて行くのか、これからも注目していきたいと思います!
今回は、世界一チケットが取りにくいとも言われるこのフェスへの出演経験のあるインド人アーティストを紹介します。
そのうちの一組はLost Stories.
2015年以来、Tommorowlandへの出演を重ねている彼らはムンバイ出身のPrayag MehtaとRishab Joshiの2人組で、2009年にキャリアを開始してすぐにオランダの超有名DJ、TiëstoのレーベルBlack Hole Recordingsからシングル"False Promises"をリリースしている。
これがその曲。
今聴くと少し古さを感じる楽曲だが(プログレッシブ・トランス?)、なによりもまずインドらしさが全くないことに驚かされる。この曲は、インド人アーティストによる初の国際的な評価を受けたダンスミュージックとしてエポックメイキングなものだったとのこと。
要所要所で聞かれるきらびやかな旋律は、むしろレーベルの故郷であるオランダ色を感じさせるものだ。
古くは60年代Ravi Shankar、90年代以降もバングラ・ビートの一時的なブームやA.R.Rahmanなど、インドの音楽が世界的な評価を得ることはたびたびあった。
でもそのいずれもが、「インドらしさ」を特徴とした、西洋から見るとエキゾ趣味的なものであったことは否めない。
ところが彼の音楽は、音だけを聴いていたらヨーロッパのアーティストだとしか思えないサウンドだ。
インドでもついにこういう音が作られるようになったかと思うと、うれしいようなさみしいような複雑な気持ちになる(とはいえ、その後もインド国内でインド要素盛りだくさんの面白い音楽が多く作られていることはいつも紹介している通り)。
他の曲は例えばこんな感じ。
"How You Like Me Now"
この曲に関して言えば、ビデオを見続けているとだんだん何がかっこよくて何がかっこ悪いのか、よく分からなくなってくる。
たぶん80年代のB級SFがモチーフなんだと思うが、この微妙な感じを遊び心やダサかっこ良さとして前向きに捉えて良いものなんだろうか。クラブミュージックに詳しい人教えて。
最近の曲では、ブラジル的なリズム?なんかも取り入れてきて、あいかわらずのインド離れっぷり。
"Spread the Fire"
いかに無国籍なサウンドで勝負してきたとはいえ、ダンスミュージックの世界では、ときにインド出身であるということは「売り」にもなる。
イスラエル人とベルギー人によるユニット、Jetfireとの共演曲では満を持してのインド要素炸裂!
その名も"India"!
90年代にアンダーグラウンドなレイヴシーンを席巻した、インド要素をサイケ風味の一部として取り入れていたゴアトランスの現代版といったところだろうか。
まあとにかく、彼の音楽性はインドのインディーミュージックの文脈で捉えるだけでは不十分で、多国籍かつ無国籍な享楽電子音楽の中の一アーティストとして評価するべきものなんだろう。
国籍やバックグラウンドにとらわれずに、単純に心地よいダンスミュージックとして消費するのがこういう音楽の本来の聴き方なのだと思う。
Tomorrowlandへの出演経験があるもう一人のインド人アーティストはZaeden.
彼はデリー近郊の成長著しい都市、グルガオン出身のDJで、なんと1995年出身の22歳という若さ!
幼い頃からタブラとピアノを習い、14歳からDJを始めたという、まさに新しい世代のインド人ミュージシャンだ。
彼もまた本場オランダのEDM系レーベル、Spinnin' Recordsと契約を結んでおり、早くも2015年にはTommorowlandへの出演を果たしている。
ヴォーカリストをフィーチャーした曲や、コラボレーションやリミックスでの仕事が多く、この曲はアメリカ出身の人気DJ、Borgeousとの共作。
"Yesterday"
Coldplayの"Magic"のリミックス。
Cimo Frankelなるオランダ人シンガーとの共演"City of the Lonely Hearts"
アゲすぎないディープ・ハウス的とも言える音楽性にまたインドらしからぬものを感じる。
Ankit Tiwariというインド人シンガーの曲のプロデュース、"Tere Jaane Se"
ヒンディー語のタイトルを含めて、オールインディア体制でこういう音楽を作るようになったかと思うと、90年代からインドを知っている身としてはとても感慨深い。
今後、インドらしさという武器なしで、国際的なマーケットで評価を受けるこうした新世代のアーティストは今後ますます増えてくるだろう。
この規模のイベントががんがんに盛り上がっているところを見ると、インドのEDMシーン、まだまだ勢いを増していきそうな予感。
彼らが今後もこのままの路線で世界的な評価を高めて行くのか、どこかでルーツに戻ってインド的な要素を取り入れて行くのか、これからも注目していきたいと思います!
goshimasayama18 at 22:34|Permalink│Comments(0)
2018年03月03日
音楽フェス化するホーリー
日本でもちょくちょく面白ニュース扱いで報道されているが、この時期、インド全土でホーリーっていう祭が行われている。
これがまたふざけた祭りで、どんなお祭りか っていうと、色のついた粉や水をひたすらぶっかけ合うっていうシロモノで、昔から観光ガイドやなんかには、この時期は外国人は出歩かないほうがいいよ(珍しがられて標的にされるから)なんてことが書かれていたもんである。
インドを旅していたのはずいぶん昔のことなので、このホーリー、なんとなく下町とか田舎のほうで盛んに行われているようなイメージでいたのだけれども、今ではすっかり様変わりし、DJやバンドが出演する、いわゆるパリピ的な人が集まる大規模なパーティーが大都市でいくつも開催されるようになった。
その模様はこんな感じ。
ほんとうにたくさん開催されていて、挙げていくときりがないのだが、いくつかのチラシを載せるとこんな感じで、すっかり音楽フェスといった雰囲気になっている。
ニューデリーのUnite Holi Music Festival.
こっちはジャイプルのHoli Music Festival.
ムンバイのHoli Bash.
ニューデリーのHoli Madness.
このHoli Mooフェスティバルは、ラッパーのPrabh Deepを怒らせてキャンセルされたっていういわくつき。
名前を間違えて印刷されたうえに、「2年間このフェスに出られたおかげでビッグになれたって言ってるけどタダで出てやったのに何言ってんの?失せろ、このマヌケクソ野郎。出演者のみんな、ギャラは前払いにしてもらったほうがいいぜ、まともに払ってもらえないからな」とのこと。
各フェスの模様は映像で見るとこんな感じ。
田舎っぽい伝統行事だったホーリーがこの様変わり。
調べてみたら、お前気づくの遅いよって言われそうだけど、アメリカ、イギリス、ニュージーランド、南アフリカとか世界中でホーリーにインスパイアされたこの手のイベントが行われていて、インド系のみならず相当盛り上がってるみたい。
日本でも横浜とかインド系の多い葛西ではホーリーが行われているようだが、この手の大規模なフェス的なやつもそのうち入ってくるんだろうか。
会場貸してくれるとこあんまりなさそうだけど、これくらいアホになれるお祭りがあっても良いようには思うけどね。
これがまたふざけた祭りで、どんなお祭りか っていうと、色のついた粉や水をひたすらぶっかけ合うっていうシロモノで、昔から観光ガイドやなんかには、この時期は外国人は出歩かないほうがいいよ(珍しがられて標的にされるから)なんてことが書かれていたもんである。
インドを旅していたのはずいぶん昔のことなので、このホーリー、なんとなく下町とか田舎のほうで盛んに行われているようなイメージでいたのだけれども、今ではすっかり様変わりし、DJやバンドが出演する、いわゆるパリピ的な人が集まる大規模なパーティーが大都市でいくつも開催されるようになった。
その模様はこんな感じ。
ほんとうにたくさん開催されていて、挙げていくときりがないのだが、いくつかのチラシを載せるとこんな感じで、すっかり音楽フェスといった雰囲気になっている。
ニューデリーのUnite Holi Music Festival.
こっちはジャイプルのHoli Music Festival.
ムンバイのHoli Bash.
ニューデリーのHoli Madness.
このHoli Mooフェスティバルは、ラッパーのPrabh Deepを怒らせてキャンセルされたっていういわくつき。
名前を間違えて印刷されたうえに、「2年間このフェスに出られたおかげでビッグになれたって言ってるけどタダで出てやったのに何言ってんの?失せろ、このマヌケクソ野郎。出演者のみんな、ギャラは前払いにしてもらったほうがいいぜ、まともに払ってもらえないからな」とのこと。
各フェスの模様は映像で見るとこんな感じ。
田舎っぽい伝統行事だったホーリーがこの様変わり。
調べてみたら、お前気づくの遅いよって言われそうだけど、アメリカ、イギリス、ニュージーランド、南アフリカとか世界中でホーリーにインスパイアされたこの手のイベントが行われていて、インド系のみならず相当盛り上がってるみたい。
日本でも横浜とかインド系の多い葛西ではホーリーが行われているようだが、この手の大規模なフェス的なやつもそのうち入ってくるんだろうか。
会場貸してくれるとこあんまりなさそうだけど、これくらいアホになれるお祭りがあっても良いようには思うけどね。
goshimasayama18 at 23:56|Permalink│Comments(0)