F16s
2023年08月16日
なぜか今頃発表! The Indies Awards 2022
インドの優れたインディペンデント音楽のアーティストや作品に対して、2020年から表彰を行なっているThe Indies Awardsの2022年版が、先日唐突に発表された。
すでに2023年の8月後半にさしかかったこのタイミングでいったい何故?
もしかしてインドには日本でいうところの「年度」みたいな考え方があるの?(例えば2022年の8月から翌年の7月までを2022年度として扱うとか)
…と不思議に思ったものの、どうやらそういったことはいっさいなく、純粋に2022年以前にリリースされた作品のみが対象とされているようだし、単に選考に時間がかかっていたか、忘れていただけの模様。
インドのインディーズシーンは、まだまだみんなが手弁当で盛り上げているといった感じなので、おそらく選考委員のみなさんも本業を別に持っていたりして、きっと忙しくてこのタイミングになるまで手がつけられなかったんだろう。
なにしろ、ジャンル別アルバム・楽曲、パート別プレイヤー部門など全部で27部門もある本格的な賞なので、選考に時間がかかるのも分かる。
(…かと思ったら、後述の通り、どう考えても2021年にリリースされた作品がたくさん入っていたりして、なんだか訳がわからない)
個別の受賞者は上記のリンクを辿ってもらうとして、主要部門と気になる部門について、いくつか紹介してみたいと思います。
Artist of the Year: Seedhe Maut
アーティスト・オブ・ザ・イヤーに選ばれたのはこのブログでも何度も紹介しているデリーのSeedhe Maut.
確かに2022年のSeedhe Mautはインドを代表するヒップホッププロデューサーSez on the Beatと久しぶりに共作した傑作アルバム"Nayaab"をリリースし、インドのヒップホップの新境地を切り開く大活躍をしていた。
さらに彼らはHiphop/ Rap Song of the Year部門もこの"Namastute"で受賞している。
アレ?この曲、もう1作前のアルバムの曲だけど、リリースいつだっけ?と思って調べてみたら、2021年の2月。
なにがなんだかよくわからなくなって来たけど、名作なのは間違いないのでまあ良しとしよう。
Song of the Year: Sunflower Tape Machine "Sophomore Sweetheart"
やはり2021年の6月にリリースされているこの曲がなぜ2022年のベストソングに選ばれているのかは謎だが、洋楽的なインディーミュージックとしてよくできた曲なことに異論はない。
Sunflower Tape MachineはチェンナイのアーティストAryaman Singhのソロプロジェクトで、この曲は2021年のRolling Stone Indiaが選ぶベストシングルの2位にもランクインされていた。
Sunflower Tape MachineはThe Indies AwardsでもEmerging Artist of the Yearとのダブル受賞。
リリースする楽曲ごとに作風が変わる彼らの魅力は、近々特集して紹介したいところだ。
Album of the Year: Saptak Chatarjee "Aaina"
彼はこれまで知らなかったアーティストだった。
どうもこのThe Indiesは、Rolling Stone Indiaあたりと比べると、いわゆるフュージョン的な、インドの要素を多く含んだ音楽を評価する傾向があるようで、彼も本格的な古典音楽を歌ったりもするシンガーソングライター。
Saptak Chatarjeeはデリーとムンバイを拠点にしているようで、YouTubeでチェックする限り、その実力は間違いなさそうだ。
Music Video of the Year: The F16s "Easy Bake, Easy Wake"
F16sはチェンナイ出身のロックバンド。
ふざけた名前のLendrick Kumar(説明するのも野暮だが、たぶんインドによくいるKumarという名前を、Kendrick Lanarのアナグラム風にしている)によるミュージックビデオは、独特のユーモアと世界観が魅力的。
この曲が収録された"Is It Time to Eat the Rich Yet?"は、Rock / Blues / Alternative Album Of The Yearも受賞している。
ちなみにこのアルバムもやはり2021年の11月にリリースされたもの。
前回のThe Indies Awardsは2022年の12月に発表されているので、ぎりぎりのタイミングだったのかもしれないが、たまに2021年前半の作品が含まれているのが解せない。
他のチェンナイ勢では、フジロックでの来日も記憶に新しいJATAYUの"Moodswings"がInstrumental Music Album Of The Yearを受賞している。
Artwork Of The Year: Midhaven "Of The Lotus & The Thunderbolt"
Metal/Hardcore Song of the Year: Midhaven "Zhitro"アートワーク部門とメタル・ハードコア部門の楽曲賞を両方を受賞したのが、このMidhavenというムンバイのアーティストだった。
不勉強ながらこれまで知らなかったバンドで、先日出版された『デスメタル・インディア』にも掲載されていない新鋭バンドのようだ。
アートワーク部門での受賞となったのがこのサムネイルのイラストで、やはりこの媒体がインド的な要素を嗜好していることを感じさせられるセレクトだ。
楽曲はミドルテンポのよくあるメタルで、それなりにレベルの高いインドのメタルシーンでこれといって特筆すべき部分は感じられなかった。
Electronic/Dance Album of the Year: MojoJojo "AnderRated"
伝統音楽をポップな感覚でダンスミュージックと融合するムンバイのプロデューサーMojoJojoが2021年の10月のリリースしたアルバム。
RitvizやLost Storiesなど、いわゆる印DM(インド的EDM)ではいろんなスタイルで活躍しているアーティストがいるが、彼はちょっとラテンポップっぽい要素があるところが独特だろうか。
ちなみに楽曲部門(Electronic / Dance Song Of The Year)では、ラージャスターンの民謡とエレクトロニックを融合するというコンセプトで活動するBODMASの"Camel Culture"(やっぱり2021年のリリース)が選出されている。
インドのエレクトロニックシーンの評価基準をフュージョンという点に置いているのだとしたら、なかなか興味深いセレクトである。
Folk-Fusion Song Of The Year: Abhay Nayampally "Celebration (feat. Bakithi Kumalo, Hector Moreno Guerrero & King Robinson Jr)"
このAbhay Nayampallyというギタリストもこれまで聴いたことがなかったが、やっている音楽はかなり面白くて、ラテン・カルナーティック・フュージョンとでも呼ぶべき音楽性の一曲。
南アフリカのベーシスト、アメリカのドラマー、ドミニカのキーボーディストが参加しているようで、まさに大陸をまたいだ興味深いコラボレーションを実現している。
もっと多くの音楽ファンに聴かれてほしい曲である。
Pop Song Of The Year: Ranj "Attached"
英語で歌うベンガルールの女性シンガーの作品で、センスよくまとまったポップスとしての完成度はインド基準ではかなり高い。
Rolling Stone Indiaが好みそうな音楽性だと思ったが、Rolling Stone Indiaの2021年のベストシングルには選ばれていなかった。
以前も書いたことがあるが、この手のミドルクラス的ポップスで良質な作品をリリースしているアーティストはインドにそれなりにいるのだが、彼らがターゲットにしているリスナー層は主に洋楽を聴いており、そんなに聴かれていないのが、ちょっともったいない。
他にこのブログで紹介したことがあるアーティストでは、やはりどちらも2021年の作品だが、Easy Wanderlingsの"Enemy"がRock / Blues / Alternative Song Of The Yearに、Prabh Deepの"Tabia"がHip-Hop / Rap Album Of The Yearに選出されている。
それにしてもこんなに2021年の作品が多く選ばれている理由はなんでだろう。
前回(第2回)の選出は2021年の12月に行われているようなので、ほとんどの作品が前回の対象にもなっているんじゃないかと思うのだが…。
なんにせよ、こうして新しいアーティストを知ることができたり、自分が取り上げて来たアーティストがインド国内でも高く評価されていることを知れたりするのはいい機会だった。
来年の発表はいつになるのかさっぱり分からないが、今後も注目してゆきたい音楽賞ではある。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 01:34|Permalink│Comments(0)
2023年01月31日
Rolling Stone Indiaが選ぶ2022年のミュージックビデオTop10
1月も終わりかけの時期に去年の話をするのもバカみたいだが、毎年定点観測していることなので一応書いておくことにする。
この「Rolling Stone Indiaが選ぶその年のTop10」シリーズ、急成長が続くインドのインディー音楽シーンを反映したのか、2022年はベストシングルが22曲、ベストアルバムが15枚(アルバムの数え方は今も「枚」でいいのか)も選ばれていたのだが、今回お届けするミュージックビデオ編はきっちり10作品だった。
単に選者が適当なのか、それともそこまで名作が多くなかったのか。(元記事)
10作全部チェックするヒマな人もあんまりいないと思うので、そうだな、3曲挙げるとしたら、音的にも映像的にも、6位と3位と2位がオススメかと思います。
それではさっそく10位から見てみましょう。
10. Disco Puppet "Speak Low"
ベンガルールのドラマーでシンガーソングライターのShoumik Biswasによるプロジェクト。
かつては前衛的な電子音楽だったが、気がついたらアコースティックな弾き語り風の音楽になっていた。
インドではローバジェットなアニメのミュージックビデオが多いが、影絵風というのはこれまでありそうでなかった。
音も映像も後半で不思議な展開を見せる。
映像もDisco PuppetことShoumikの手によるもの。
多才な人だな。
9. Rono "Lost & Lonely"
ムンバイのシンガーソングライターによる、日常を描いたリラクシングな作品。
なんかこういう自室で踊り狂うミュージックビデオは、洋楽や邦楽で何度か見たことがあるような気がする。
8. Aarifah "Now She Knows"
ベストシングル部門でも11位にランクインしていたムンバイのシンガーソングライター。
これまた日常や自然の中でのどうってことのない映像。
インドはこの手の「ワンランク上の日常」みたいな作風が多いような気がするが、よく考えたら日本を含めてどこの国でもそんなものかもしれない。
7. Parekh & Singh
コルカタが誇るドリームポップデュオのSNSをテーマにしたミュージックビデオ。
ウェス・アンダーソン趣味丸出しだった以前ほど手が込んだ作品ではないが、それでも色調の美しさは相変わらず。
6. Kanishk Seth, Kavita Seth & Jave Bashir "Saacha Sahib"
いかにもインド的な「悟り」を表現したようなモノクロームのアニメーションが美しい。
Rolling Stone Indiaの記事によると「グルーヴィーなエレクトロニック・フュージョン」とのこと。
インド的なヴォーカルの歌い回し、音使いと抑制されたグルーヴの組み合わせが面白い(と思っていたら終盤に怒涛の展開)。
クレジットによると、歌われているのは15〜16世紀の宗教家カビール(カーストを否定し、イスラームやヒンドゥーといった宗教の差異を超えて信仰の本質を希求した)による詩だそうだ。
都市部の若者の「インド観」に、欧米目線のスピリチュアリズムっぽいものが多分に含まれていることを感じさせる作品でもある。
5. Serpents of Pakhangba "Pathoibi"
インド北東部のミャンマーに程近い場所に位置するマニプル州のメイテイ族の文化を前面に打ち出したフォーク/アヴァンギャルド・メタルバンド(活動拠点はムンバイ)。
少数民族の伝統音楽の素朴さとヘヴィな音圧の融合が、呪術的な雰囲気を醸し出している。
ミュージックビデオのテーマは呪術というよりも社会問題としての児童虐待?
後半のヴォーカルにびっくりする。
4. Ritviz "Aaj Na"
インド的EDM(勝手に印DMと命名)の代表的アーティスト、Ritvizが2022年にリリースしたアルバムMimmiからの1曲。
テーマはメンタルヘルスとのことで、心の問題を乗り越える親子の絆が描かれている。
アルバムにはKaran Kanchanとの共作曲も含まれている。
3. Seedhe Maut x Sez on the Beat "Maina"
Seedhe Mautが久しぶりにSez on the Beatと共作したアルバムNayaabの収録曲。
インドNo.1ビートメーカー(と私が思っている)、Sezの繊細なビートが素晴らしい。
これまで攻撃的でテクニカルなラップのスキルを見せつけることが多かったSeedhe Mautにとっても新境地を開拓した作品。
ミュージックビデオのストーリーも美しく、タイトルの意味は「九官鳥」。
昨年急逝された麻田豊先生(インドの言語が分からない私にいつもいろいろ教えてくれた)に歌詞の意味を教えてもらったのも、個人的には忘れ難い思い出だ。
2. F16s "Sucks To Be Human"
チェンナイを拠点に活動するロックバンドのポップな作品で、宇宙空間でメンバーが踊る映像が面白い。
どこかで見たことがあるような感じがしないでもないが、年間トップ10なんだから全作品これくらいのクオリティが欲しいよな。
ミュージックビデオの制作は、いつも印象的な作品を作るふざけた名前の映像作家、Lendrick Kumar.
1. Sahirah (feat. NEMY) "Juicy"
ムンバイを拠点に活動するシンガーソングライターの、これまたオシャレな日常系の作品。
ラップになったところでアニメーションになるのが若干目新しい気がしないでもないが、このミュージックビデオが本当に2022年の年間ベストでいいんだろうか。
そこまで特別な作品であるようには思えないのだが…。
印象的なアニメーションは、以前F16sの作品なども手がけたDeepti Sharmaによるもの。
というわけで、全10作品を見てみました。
毎年ここにランキングされている作品を見ると、「上質な日常系」「現代感覚の伝統フュージョン系」「ポップな色彩のアニメーション系」といった大まかな系統に分けられることに気づく。
インドのインディー音楽シーンが急速に拡大すると同時に、少なくとも映像においては、その表現様式が類型化するという傾向も出てきているようだ。
もはやインディー音楽もミュージックビデオも、「インドにしてはレベルが高い」という評価をありがたがる時代はとっくに過ぎている。
この壁を突き破る作品が出てくるのか、といった部分が今後の注目ポイントだろう。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 19:07|Permalink│Comments(0)
2021年11月21日
サウスのロックバンドが相次いでアルバムをリリース! クールかつシュールなF16s
(前回の記事)
When Chai Met Toastに続いて紹介するのは、タミルナードゥ州出身のF16s.
以前から注目していたバンドだが、ここに来て充実したアルバム(というかEP)をリリースしたので、この機会に特集したい。
F16sは2012年に、チェンナイの異なるカレッジバンドのメンバーだった4人によって結成された。
影響を受けたバンドとしてThe Arctic MonkeysやThe Strokesの名前を挙げているが、彼らの近年の作風は、ストレートなロックというよりも、シティポップの現代的解釈と言えるものになってきている。
このたびリリースした"Is It Time To Eat The Rich Yet?"のオープニングトラック"I'm On Holiday"は、ポップな曲調ながらも、ヴェイパーウェイヴ的などこかシニカルな雰囲気が印象的だ。
前回紹介したWhen Chai Met Toastと同様に、目を閉じて聞けばまったくインドらしさのないサウンドだ。
同作収録曲の"Easy Bake Easy Wake"もセンスの良いポップソングだが、それよりもミュージックビデオのクセが強すぎる!
歌詞もシュールというかシニカルというか、独特の世界観で、サウンドとのギャップが激しい怪作。
映像監督はLendrick Kumarというふざけた名前の人物で、彼は独特のセンスのミュージックビデオをいくつも手掛けているようなので、いつかきちんと掘り下げてみたい。
タミルというと、ヒップホップ界隈では独特の郷土愛が強く感じられるアーティストが多い印象があったが、F16sに関しては、まったくタミル的な要素が見当たらないのが面白い。
過去作も同様で、以前インドの寿司の記事で紹介したこの"Amber"は、インターネットと自己愛がテーマのミュージックビデオ。
オシャレながらもどこか虚無感を感じさせる音楽性がどことなくデリーのPeter Cat Recording Co.を思わせるなあ、と思ったら、今回の"Is It Time To Eat The Rich Yet?"にもPCRCのメンバーが参加しているらしく、またレーベルもPCRCと同じデリーのPagal Hainaに所属している。
Pagal Hainaは渋谷系的なオシャレ音楽を中心にリリースしているレーベル。
日本で今聴いて新しく感じられる音楽ではないが、インドという国にもこういうサウンドの愛好者がいると思うと、なかなか感慨深いものがある。
PCRCのヴォーカリストSuryakant Sawhneyは、ソロではLifafa名義でバンドとは全く異なるフォークトロニカ的な楽曲を発表しているが、F16sのヴォーカリスト兼ギタリストのJosh Fernandezも、ソロ活動ではJBABE名義でストレートなロックチューンを発表している。
方法論こそ違うが、現代社会へのシニカルな目線はF16s同様。
この作品では親子の価値観の断絶や現代インドのお見合いをネタにしている。
このミュージックビデオも監督はLendrick Kumar.
今回、F16sについて書いてみて改めて感じたのは、音響的な面だけ気にして聴いていた時には優等生的なバンドかと思っていたけれど、彼らの本質はサウンドではなく、むしろそのアティテュードだということだ。
インドの豊かな伝統と、繋がりつつも分断されたインドの新しい世代の美学とシニシズムが、彼らの音楽には満ち満ちている。
これからますます変わりゆくインド社会の中で、彼らがどんな音楽を発信してゆくのか、興味は尽きない。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
軽刈田 凡平のプロフィールはこちらから
goshimasayama18 at 22:40|Permalink│Comments(0)
2021年08月06日
ここ最近の気になる曲特集! インドのヒップホップ集大成、ノスタルジック・ポップ、強烈メタル&オルタナティブ・ロック!
忙しさにかまけてブログの更新を怠っていた間も、インドの音楽シーンでは日々名曲が量産されていた。
記事にできなかった佳曲はtwitterで紹介しているのだが、時とともに流れてしまうツイートにとどめるだけではもったいない楽曲が立て続けにリリースされたので、記事にしたためておくことにする。
(このブログの過去の記事だって探しづらくて埋もれちゃうじゃないか、というご意見もあるかもしれないが…スミマセン)
まず紹介したいのは、南部のIT都市ベンガルールを拠点に活動するラッパー、Smokey The Ghostの新曲"Hip Hop Is Indian".
インドでは地元言語(ベンガルールならカンナダ語)でラップするラッパーが多い中で、Smokey The Ghostは英語でのラップにこだわっている。
その理由はおそらく、lo-fi的だったりエクスペリメンタルだったりするビートとの相性を考えてのことだろう。
英語ラップと言っても、彼はアメリカっぽい英語ではなく、あえて南インド訛りの英語でラップすることで地元をレペゼンする意識を表明している。
だが、この曲で彼がテーマにしているのは、もっとスケールの大きい、「インド全体のヒップホップ・シーン」だ。
シタールを大胆に導入した、これ以上ないほどインド的なビートに乗せて、Smokeyはインド全土のラッパーやクラシックのタイトルを盛り込んだリリックをライムしている。
1番のヴァースでは、インドには珍しいスクラッチDJ(カセットテープが主流でレコード文化が根付かなかったインドでは、ビートメイキングにターンテーブルが使われることはなかった)のDJ Panicに始まり、Smokeyとの共演経験もあるデリーのPrabh Deep, 北東部を代表するラッパーであるメガラヤ州のKhasi BloodzとMeba Ofilia, ムンバイのフィーメイル・ラッパーDee MC, ベンガルールの盟友Brodha V(彼に関しては、代表曲の"Aatma Raama"が挙げられている)、ムンバイのシーンを初期から支えたACE, DIVINE(本名のVivianの名前でラップされる)、Naezy(DIVINEとNaezyの名曲"Mere Gully Mein"のリリックも登場)、そしてBombay BassmentのBob Omuloの名前がshout outされる。
続く2番のヴァースでも、BadshahやYo Yo Honey Singhといったメインストリームラッパーから、Jay Seanなどの在外インド人ラッパー/シンガー、南インド諸州のラッパーたちまで、ジャンルも地域も国境すらも超えて、インド系ヒップホップ・アーティストを幅広く讃えているのだ。
(コルカタのラッパーに触れられていないのがちょっと残念ではあるが、ベンガル語のシーンはやはりインド全体の中ではマイナーなのか…)
言語、民族、宗教、文化、地域、思想など、あらゆる多様性にあふれるインドは、多様性の分だけ対立の種にも事欠かない。
インディペンデントのミュージシャンたちに話を聞く限りでは、若い世代にはこうした対立にうんざりしている人も多いようで、そんな時、ヒップホップのような新しい文化が、分断を超える役割を果たしているのだ。
1番のヴァースでは、インドには珍しいスクラッチDJ(カセットテープが主流でレコード文化が根付かなかったインドでは、ビートメイキングにターンテーブルが使われることはなかった)のDJ Panicに始まり、Smokeyとの共演経験もあるデリーのPrabh Deep, 北東部を代表するラッパーであるメガラヤ州のKhasi BloodzとMeba Ofilia, ムンバイのフィーメイル・ラッパーDee MC, ベンガルールの盟友Brodha V(彼に関しては、代表曲の"Aatma Raama"が挙げられている)、ムンバイのシーンを初期から支えたACE, DIVINE(本名のVivianの名前でラップされる)、Naezy(DIVINEとNaezyの名曲"Mere Gully Mein"のリリックも登場)、そしてBombay BassmentのBob Omuloの名前がshout outされる。
続く2番のヴァースでも、BadshahやYo Yo Honey Singhといったメインストリームラッパーから、Jay Seanなどの在外インド人ラッパー/シンガー、南インド諸州のラッパーたちまで、ジャンルも地域も国境すらも超えて、インド系ヒップホップ・アーティストを幅広く讃えているのだ。
(コルカタのラッパーに触れられていないのがちょっと残念ではあるが、ベンガル語のシーンはやはりインド全体の中ではマイナーなのか…)
言語、民族、宗教、文化、地域、思想など、あらゆる多様性にあふれるインドは、多様性の分だけ対立の種にも事欠かない。
インディペンデントのミュージシャンたちに話を聞く限りでは、若い世代にはこうした対立にうんざりしている人も多いようで、そんな時、ヒップホップのような新しい文化が、分断を超える役割を果たしているのだ。
スキルとセンスとリリックの内容で評価されるラップの世界では、信仰やバックグラウンドが異なるアーティスト同士が認め合い、リスペクトしあっている。
インドの優れたヒップホップが聴きたければ、この曲に名前が出てくるアーティストを掘ってゆけば間違いない。
この曲は、インドにおけるヒップホップ・カルチャーを讃える美しいアンセムだ。
(Smokey The Ghostについては、以前書いたこの記事でも特集しています)
続いて紹介する曲は、個人的にインドで最高のシンガーソングライターだと思っているPrateek Kuhadの新EPからの曲"Shehron Ke Raaz".
Prateekは昨年アメリカの名門Elektraレーベルとの契約を発表したので、てっきり英語の曲を中心にリリースしてゆくのかと思ったら、意外にも全曲ヒンディー語のEPをリリースしてきた。
アトロクに出演したときに紹介した"Kasoor"も大好評だったが、今回の"Shehron Ke Raaz"も、切ないメロディーと繊細なファルセットボイスが絶品な名曲!
Prateek Kuhadはいつも美しいミュージックビデオを作ることでも知られているが、この作品の映像作家Reema Senguptaとは、2017年の"Tum Jab Paas"以来のコラボレーションとなる。
ノスタルジックな映像の舞台は、ムンバイの老舗イラーニー・カフェである"Excelcior Cafe".(もちろん日本のあのチェーン店とは無関係だ)
イラーニー・カフェとは、19世紀にイランから移住してきたパールスィー(ゾロアスター教徒)やムスリムによって運営される、独自の食文化を提供する飲食店のこと。
近年その数は減少の一途を辿っており、イラーニー・カフェは古き良き時代のムンバイを象徴する存在でもあるのだ。
どこか懐かしさを感じさせるPrateekの音楽にぴったりな映像の舞台と言えるだろう。
タイトルの意味は「街の秘密」。
「今夜、君と僕はこの街の秘密」という歌詞も美しい。
歌詞の英訳はこのリリックビデオで見ることができる。
なお、Cafe Excelsiorを含めたムンバイのイラーニー・カフェについては、Komeさんのブログのこちらの記事に、とても詳しく書かれている。
KASCKの"Death To The Crooked"は、このブログでは久しぶりに取り上げるオーセンティックなヘヴィ・メタル。
KASCKはマハーラーシュトラ州プネー出身のスラッシュメタルバンドで、この曲を含むデビューEP"Deal With The Devil"を9月に発表する予定。
プログレッシブ・メタルや技巧的なデスメタルが盛んなインドで、サウンドもタイトルも、ここまで伝統的なヘヴィメタルの世界観を継承しているバンドは珍しい。
だが、ミュージックビデオを見てもらえば分かる通り、楽曲のテーマはヘヴィメタルらしいファンタジーや抽象性とは真逆の、むしろハードコア・パンク的とも言える極めて社会的・政治的なものだ。
歌詞の内容は、盲目的な宗教ナショナリズムによる憎悪、政治や権力の暴走などを扱っている。
インド社会を反映した強烈なアジテーションとド直球なメタル・サウンドの組み合わせが、なんとも言えないカタルシスと高揚感を生む曲だ。
JBABEは、チェンナイのロックバンドF16sのギター・ヴォーカルJosh Fernandezのソロプロジェクト 。
"Punch Me In My Third Eye"は、叙情的なポップロックを奏でるF16sとはうってかわって、90年代のグランジ/オルタナティブ的なエネルギーが爆発した一曲だ。
親に従いインドの伝統的なお見合いの席で顔を合わせたものの、もはや伝統的な価値観を持ち合わせていない若い世代をコミカルな描いたミュージックビデオがとにかく面白い。
両親の間で居心地悪そうに座る男女が、二人きりになった瞬間にあけすけな本音で語り出し、暴れ始めるというあらすじ(想像上の出来事?)で、タイトルも伝統的な考え方を皮肉ったものだろう。
ミュージックビデオ監督のLendrick Kumarという名前にもニヤリとさせられた。
インドの多様性は、言語や文化や宗教といった横軸の広がり、カーストや貧富といった縦軸の格差に加えて、保守的な価値観と新しい考え方という、世代や思想的な面にもおよんでおり、まさに四次元的な多様さを持っていると言える。
インドでは、そうした多様性のせめぎ合いの中で、面白い楽曲が日々生み出されているのだ。
--------------------------------------
インドの優れたヒップホップが聴きたければ、この曲に名前が出てくるアーティストを掘ってゆけば間違いない。
この曲は、インドにおけるヒップホップ・カルチャーを讃える美しいアンセムだ。
(Smokey The Ghostについては、以前書いたこの記事でも特集しています)
続いて紹介する曲は、個人的にインドで最高のシンガーソングライターだと思っているPrateek Kuhadの新EPからの曲"Shehron Ke Raaz".
Prateekは昨年アメリカの名門Elektraレーベルとの契約を発表したので、てっきり英語の曲を中心にリリースしてゆくのかと思ったら、意外にも全曲ヒンディー語のEPをリリースしてきた。
アトロクに出演したときに紹介した"Kasoor"も大好評だったが、今回の"Shehron Ke Raaz"も、切ないメロディーと繊細なファルセットボイスが絶品な名曲!
Prateek Kuhadはいつも美しいミュージックビデオを作ることでも知られているが、この作品の映像作家Reema Senguptaとは、2017年の"Tum Jab Paas"以来のコラボレーションとなる。
ノスタルジックな映像の舞台は、ムンバイの老舗イラーニー・カフェである"Excelcior Cafe".(もちろん日本のあのチェーン店とは無関係だ)
イラーニー・カフェとは、19世紀にイランから移住してきたパールスィー(ゾロアスター教徒)やムスリムによって運営される、独自の食文化を提供する飲食店のこと。
近年その数は減少の一途を辿っており、イラーニー・カフェは古き良き時代のムンバイを象徴する存在でもあるのだ。
どこか懐かしさを感じさせるPrateekの音楽にぴったりな映像の舞台と言えるだろう。
タイトルの意味は「街の秘密」。
「今夜、君と僕はこの街の秘密」という歌詞も美しい。
歌詞の英訳はこのリリックビデオで見ることができる。
なお、Cafe Excelsiorを含めたムンバイのイラーニー・カフェについては、Komeさんのブログのこちらの記事に、とても詳しく書かれている。
KASCKの"Death To The Crooked"は、このブログでは久しぶりに取り上げるオーセンティックなヘヴィ・メタル。
KASCKはマハーラーシュトラ州プネー出身のスラッシュメタルバンドで、この曲を含むデビューEP"Deal With The Devil"を9月に発表する予定。
プログレッシブ・メタルや技巧的なデスメタルが盛んなインドで、サウンドもタイトルも、ここまで伝統的なヘヴィメタルの世界観を継承しているバンドは珍しい。
だが、ミュージックビデオを見てもらえば分かる通り、楽曲のテーマはヘヴィメタルらしいファンタジーや抽象性とは真逆の、むしろハードコア・パンク的とも言える極めて社会的・政治的なものだ。
歌詞の内容は、盲目的な宗教ナショナリズムによる憎悪、政治や権力の暴走などを扱っている。
インド社会を反映した強烈なアジテーションとド直球なメタル・サウンドの組み合わせが、なんとも言えないカタルシスと高揚感を生む曲だ。
JBABEは、チェンナイのロックバンドF16sのギター・ヴォーカルJosh Fernandezのソロプロジェクト 。
"Punch Me In My Third Eye"は、叙情的なポップロックを奏でるF16sとはうってかわって、90年代のグランジ/オルタナティブ的なエネルギーが爆発した一曲だ。
親に従いインドの伝統的なお見合いの席で顔を合わせたものの、もはや伝統的な価値観を持ち合わせていない若い世代をコミカルな描いたミュージックビデオがとにかく面白い。
両親の間で居心地悪そうに座る男女が、二人きりになった瞬間にあけすけな本音で語り出し、暴れ始めるというあらすじ(想像上の出来事?)で、タイトルも伝統的な考え方を皮肉ったものだろう。
ミュージックビデオ監督のLendrick Kumarという名前にもニヤリとさせられた。
インドの多様性は、言語や文化や宗教といった横軸の広がり、カーストや貧富といった縦軸の格差に加えて、保守的な価値観と新しい考え方という、世代や思想的な面にもおよんでおり、まさに四次元的な多様さを持っていると言える。
インドでは、そうした多様性のせめぎ合いの中で、面白い楽曲が日々生み出されているのだ。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
2020年を振り返る独断で選んだ10曲はこちらから!
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
2019年の自選おすすめ記事はこちらから
2020年を振り返る独断で選んだ10曲はこちらから!
ジャンル別記事一覧!
goshimasayama18 at 22:13|Permalink│Comments(0)
2020年07月01日
インドと寿司の話(20年前の思い出と、最近のミュージックビデオなど)
誰が決めたのかは知らないが、6月18日は国際寿司デーだったそうだ。
(と思って書き始めたら、もうとっくに過ぎてしまった…)
寿司がすっかり国際的な料理になって久しいが、今回の記事は、私の奇妙な思い出話から始めたいと思う。
あれは今からちょうど20年前の話。
卒業旅行で訪れたインドのゴアで、なんとも不思議な店を目にした。
いや、今となっては、あれを店と呼んでいいのかすら分からない。
ゴアは、いくつもの美しいビーチを持つインド西部の街だ。
かつてポルトガル領だったゴアは、インドでは例外的にヨーロッパっぽい雰囲気があり、そのためか、欧米人ツーリスト、とくにヒッピーやバックパッカーに人気が高い。
(ゴアのヒッピーカルチャーについては、この記事から始まる全3回にまとめてあるので興味がある方はどうぞ)
心地よい潮風が吹き、美味しい欧米料理が安く食べられ、この国ではめずらしく飲酒にも寛容なゴアは、どことなく修行のような雰囲気がただようインド貧乏旅行のなかで、珍しく楽園の空気を感じることができる街だった。
1ヶ月にわたる旅の終盤だった私は、南国の暖かい日差しの中、ヒッピーファッションやトランスのCDを扱う店を冷やかしたり、海辺で外国人ツーリストとビーチバレーをしたりして、楽園ムードを満喫していた。
…その粗末な掘っ建て小屋が立っていたのは、アンジュナ・ビーチとカラングート・ビーチの間の細い道路脇のヤシの木陰だったと記憶している。
色褪せたスカイブルーのその小屋は、どうやら食べ物屋だったらしいのだが、入り口は閉ざされ、南京錠がかけられていた。
トタンのような素材で作られたその小屋はあまりに見すぼらしく、多少旅慣れた私でも「もしこの店が営業していても、ここで出された物は絶対に口にしたくない」と思うほどだった。
いや、今となっては、あれを店と呼んでいいのかすら分からない。
ゴアは、いくつもの美しいビーチを持つインド西部の街だ。
かつてポルトガル領だったゴアは、インドでは例外的にヨーロッパっぽい雰囲気があり、そのためか、欧米人ツーリスト、とくにヒッピーやバックパッカーに人気が高い。
(ゴアのヒッピーカルチャーについては、この記事から始まる全3回にまとめてあるので興味がある方はどうぞ)
心地よい潮風が吹き、美味しい欧米料理が安く食べられ、この国ではめずらしく飲酒にも寛容なゴアは、どことなく修行のような雰囲気がただようインド貧乏旅行のなかで、珍しく楽園の空気を感じることができる街だった。
1ヶ月にわたる旅の終盤だった私は、南国の暖かい日差しの中、ヒッピーファッションやトランスのCDを扱う店を冷やかしたり、海辺で外国人ツーリストとビーチバレーをしたりして、楽園ムードを満喫していた。
…その粗末な掘っ建て小屋が立っていたのは、アンジュナ・ビーチとカラングート・ビーチの間の細い道路脇のヤシの木陰だったと記憶している。
色褪せたスカイブルーのその小屋は、どうやら食べ物屋だったらしいのだが、入り口は閉ざされ、南京錠がかけられていた。
トタンのような素材で作られたその小屋はあまりに見すぼらしく、多少旅慣れた私でも「もしこの店が営業していても、ここで出された物は絶対に口にしたくない」と思うほどだった。
そこが食べ物屋らしいと思ったのには理由がある。
壁面に、サイケデリックに曲がりくねった書体で、それまでインドでは一度も目にしたことのない料理の名前が大書きされていたのだ。
'SEAFOOD'という単語と並んで、その薄汚れた壁に書かれていたのは、ド派手な原色の'SUSHI', 'SASHIMI'という文字だった。
しかしそこには、日本人が寿司と聞いてイメージする、新鮮さや清潔さといった要素は全くなかった。
日差しが照りつけるインドの常夏の街の、さびれた小屋で出される寿司、刺身。
これ以上食中毒が確実な状況があるだろうか。
当時、日本人バックパッカー向けに日本食っぽい料理を出す店は、一応インド各地に存在していた(ヴァラナシの「ガンガー富士」とか、ブッダガヤの「ポレポレ」とか)。
だが、メニューはせいぜい親子丼とかオムライスみたいなものばかりで、ご飯はパサパサのインド米、しかもオリジナルの味を知らないインド人の料理人が勝手にスパイシーな味付けにしてしまうので、そこで出されるのは、食べればかえって本物の日本食が恋しくなってしまうという代物だった。
まともな日本食を食べるには、大金を払って、駐在員が行くような大都市の高級店に行くしかなかったのだ(行ったことがないので分からないけど)。
あの頃、生の魚料理を出す店は、インドには無かったのではないだろうか。
当時のインドには、新鮮な魚を安定した冷蔵状態で輸送・保管して調理できる環境はほとんどなかったはずだし、生魚を扱える料理人がわざわざ日本からインドに働きに来るとも思えなかった。
(本格的な日本食の店を海外で志すなら、あの頃だったらアメリカやヨーロッパに行ったはずだ)
きっと、寿司が食べたくなった旅行者が、とっくに潰れた店にふざけて落書きしたに違いない。
小屋の入り口は固く閉ざされており、その寂れた雰囲気は、潰れてからずいぶんと経過しているように見えた。
と、その小屋をなんとなく眺めていると、突然、どこからともなく一人のインド人のおっさんが現れた。
どうやらその「店」の関係者が、客と思しき日本人を見つけてやって来たらしいのだ。
その男が、おもむろに「あんた、スシを食べに来たのか?」と聞いてきたので、私はさらに驚いた。
驚いた理由その1は、この小屋というか店は、一応、まだ営業しているらしいということ。
そして、驚いた理由その2は、この小屋で、本当に寿司や刺身を提供しているということだ。
怖いもの見たさで「ここで寿司が食べられるの?」と聞くと、そのオヤジは「今はないが、夜ならできる。夜また来い!」と力強く答えた。
それは、「日本人のあなたが満足できる寿司じゃないかもしれないけど…」みたいな謙虚さの一切感じられない、インド人特有の、根拠のない自信に満ち溢れた、堂々たる言いっぷりだった。
あまりに不意をつかれたのと、よく分からない気まずさから、お人好しな日本人の私は、つい反射的にこう言ってしまった。
「分かった。夜、また来る」
店の親父は、力を込めて「OK. 準備しておく」と答えた。
壁面に、サイケデリックに曲がりくねった書体で、それまでインドでは一度も目にしたことのない料理の名前が大書きされていたのだ。
'SEAFOOD'という単語と並んで、その薄汚れた壁に書かれていたのは、ド派手な原色の'SUSHI', 'SASHIMI'という文字だった。
しかしそこには、日本人が寿司と聞いてイメージする、新鮮さや清潔さといった要素は全くなかった。
日差しが照りつけるインドの常夏の街の、さびれた小屋で出される寿司、刺身。
これ以上食中毒が確実な状況があるだろうか。
当時、日本人バックパッカー向けに日本食っぽい料理を出す店は、一応インド各地に存在していた(ヴァラナシの「ガンガー富士」とか、ブッダガヤの「ポレポレ」とか)。
だが、メニューはせいぜい親子丼とかオムライスみたいなものばかりで、ご飯はパサパサのインド米、しかもオリジナルの味を知らないインド人の料理人が勝手にスパイシーな味付けにしてしまうので、そこで出されるのは、食べればかえって本物の日本食が恋しくなってしまうという代物だった。
まともな日本食を食べるには、大金を払って、駐在員が行くような大都市の高級店に行くしかなかったのだ(行ったことがないので分からないけど)。
あの頃、生の魚料理を出す店は、インドには無かったのではないだろうか。
当時のインドには、新鮮な魚を安定した冷蔵状態で輸送・保管して調理できる環境はほとんどなかったはずだし、生魚を扱える料理人がわざわざ日本からインドに働きに来るとも思えなかった。
(本格的な日本食の店を海外で志すなら、あの頃だったらアメリカやヨーロッパに行ったはずだ)
きっと、寿司が食べたくなった旅行者が、とっくに潰れた店にふざけて落書きしたに違いない。
小屋の入り口は固く閉ざされており、その寂れた雰囲気は、潰れてからずいぶんと経過しているように見えた。
と、その小屋をなんとなく眺めていると、突然、どこからともなく一人のインド人のおっさんが現れた。
どうやらその「店」の関係者が、客と思しき日本人を見つけてやって来たらしいのだ。
その男が、おもむろに「あんた、スシを食べに来たのか?」と聞いてきたので、私はさらに驚いた。
驚いた理由その1は、この小屋というか店は、一応、まだ営業しているらしいということ。
そして、驚いた理由その2は、この小屋で、本当に寿司や刺身を提供しているということだ。
怖いもの見たさで「ここで寿司が食べられるの?」と聞くと、そのオヤジは「今はないが、夜ならできる。夜また来い!」と力強く答えた。
それは、「日本人のあなたが満足できる寿司じゃないかもしれないけど…」みたいな謙虚さの一切感じられない、インド人特有の、根拠のない自信に満ち溢れた、堂々たる言いっぷりだった。
あまりに不意をつかれたのと、よく分からない気まずさから、お人好しな日本人の私は、つい反射的にこう言ってしまった。
「分かった。夜、また来る」
店の親父は、力を込めて「OK. 準備しておく」と答えた。
ところが、その夜、再びその店に行くことはなかった。
すっぽかしたのではない。
ゴアの強烈な日差しで熱射病になってしまったのだ。
体調は最悪で、とてもそんな不衛生な店で食事をする気にはならなかったし、そもそもベッドから起き上がることもできず、私はひたすら宿で体を休めることしかできなかった。
こうして私は、インドで寿司を食べる貴重なチャンスを逸したわけだが、正直にいうと、あの不衛生な寿司屋に行かないで済む理由ができて、どこかほっとしていた。
すっぽかしたのではない。
ゴアの強烈な日差しで熱射病になってしまったのだ。
体調は最悪で、とてもそんな不衛生な店で食事をする気にはならなかったし、そもそもベッドから起き上がることもできず、私はひたすら宿で体を休めることしかできなかった。
こうして私は、インドで寿司を食べる貴重なチャンスを逸したわけだが、正直にいうと、あの不衛生な寿司屋に行かないで済む理由ができて、どこかほっとしていた。
翌日にはすっかり元気になったものの、ゴアにはインドの他の街では見かけないような欧米風の食べ物を出す店がたくさんあり、薄情な私は、あのみすぼらしい寿司屋のことを、もうすっかり忘れてしまっていた。
ちょうど2000年のことである。
思いがけずインドで初めて寿司を食べたのは、それから10年の月日が流れた2010年のことだった。
バックパッカーからスーツケーサー(とは言わないけど)に成り上がった、もしくは成り下がった私は、出張で職場のえらい人と一緒にバンガロールのかなり高級なホテルに泊まっていた。
えらい人と一緒だったので、いいホテルに泊まれたのである。
バックパッカー時代に泊まっていた宿と比べて、1泊の料金が100倍くらいするそのホテルは、私がよく知るインドとは全く別の世界だった。
見るもの全てが、かつて宿泊していた安宿とは全く異なる清潔感と高級感にあふれていた。
スタッフはアイロンの効いた制服に身を包み、シーツやテーブルクロスは染みひとつない真っ白。
世界中のエグゼクティブと思しき人たちが行き交う無国籍な高級空間は、スタッフの顔立ちさえ除けば、まるでヨーロッパの大都市のホテルのようだった(行ったことないので分からないけど)。
そのホテルの朝食バイキングに、なんと、巻き寿司が並んでいたのである。
たしか、サーモン巻きとカッパ巻きだったと思う。
おそるおそるお皿にとって食べてみると、日本風のお米に酢がちゃんと効いていて、テーブルには醤油も添えられていて、正真正銘の寿司と呼んで全く差し支えのない一品だった。
(もちろん、お腹も壊さなかった)
さらに、その宿には日本風居酒屋も併設されていて、内装は外国の日本料理屋にありがちな、やたらと赤を強調した中国風だったけれど、燗酒も出してくれたし、カツオのたたきなんかもあって(おいしかった)、なかなかに本格的な和食を提供していた。
いくらIT産業が発展した国際都市のバンガロールとはいえ、インドの内陸部で寿司やカツオのたたきが食べられるなんて、と、ものすごく驚いたのを覚えている。
そして、その時、すっかり忘れていたゴアのあの店の記憶が蘇ってきたのだ。
清潔感と高級感のある空調の効いた大都会バンガロールの高級ホテルではなく、灼熱のゴアの掘っ建て小屋で、'SUSHI'や'SASHIMI'を出していたはずの、あの店の記憶が…。
もしあの日、あの店を訪れていたら、自分はいったいどんな料理を目にしていたのだろう。
世界中のエグゼクティブと思しき人たちが行き交う無国籍な高級空間は、スタッフの顔立ちさえ除けば、まるでヨーロッパの大都市のホテルのようだった(行ったことないので分からないけど)。
そのホテルの朝食バイキングに、なんと、巻き寿司が並んでいたのである。
たしか、サーモン巻きとカッパ巻きだったと思う。
おそるおそるお皿にとって食べてみると、日本風のお米に酢がちゃんと効いていて、テーブルには醤油も添えられていて、正真正銘の寿司と呼んで全く差し支えのない一品だった。
(もちろん、お腹も壊さなかった)
さらに、その宿には日本風居酒屋も併設されていて、内装は外国の日本料理屋にありがちな、やたらと赤を強調した中国風だったけれど、燗酒も出してくれたし、カツオのたたきなんかもあって(おいしかった)、なかなかに本格的な和食を提供していた。
いくらIT産業が発展した国際都市のバンガロールとはいえ、インドの内陸部で寿司やカツオのたたきが食べられるなんて、と、ものすごく驚いたのを覚えている。
そして、その時、すっかり忘れていたゴアのあの店の記憶が蘇ってきたのだ。
清潔感と高級感のある空調の効いた大都会バンガロールの高級ホテルではなく、灼熱のゴアの掘っ建て小屋で、'SUSHI'や'SASHIMI'を出していたはずの、あの店の記憶が…。
もしあの日、あの店を訪れていたら、自分はいったいどんな料理を目にしていたのだろう。
やはり、インド人は寿司もスパイシーに仕立ててしまっていただろうか。
ご飯は日本米?インディカ米?
味やクオリティーはともかく、もしかしたら、あれはインドで最初の寿司レストランだったのかもしれない。
味やクオリティーはともかく、もしかしたら、あれはインドで最初の寿司レストランだったのかもしれない。
バンガロールで寿司を食べてからさらに10年。
その後もインドは驚異的な経済成長と国際化を続け、今ではインドのどの都市にも、寿司を出す店が出来ているようだ。
疑っているあなたは、「インドの都市名(スペース)SUSHI」と入れて、Google先生に聞いてみてほしい。
この画像は、「Bangalore Sushi」で画像検索してみた結果だが、ひとまずは「寿司」と呼んで全く問題のない料理が並んでいるのが分かるだろう。
長い思い出話に付き合っていただきありがとうございました。
ここからが本題。(前置きが長すぎる!申し訳ない)
インドでも一般化しつつある寿司だが、インド人にとって、寿司や刺身はまだまだ「生で魚を食べるという奇妙な料理」だ。
この画像は、「Bangalore Sushi」で画像検索してみた結果だが、ひとまずは「寿司」と呼んで全く問題のない料理が並んでいるのが分かるだろう。
長い思い出話に付き合っていただきありがとうございました。
ここからが本題。(前置きが長すぎる!申し訳ない)
インドでも一般化しつつある寿司だが、インド人にとって、寿司や刺身はまだまだ「生で魚を食べるという奇妙な料理」だ。
インド人は、一般的に食に関しては極めて保守的だ。
ご存知のように、人口の8割を占めるヒンドゥー教徒は牛肉食を神聖なものとして忌避しており、ムスリムは豚肉を汚れたものとして忌避している。
ヴェジタリアンも多く、かつては異なるカーストと食卓をともにしない習慣すらあったインド人は、見慣れない外国料理に好奇心を持って飛びつくようなことはなく、食べ慣れた料理こそが一番安心で、そして美味しいと思っている人がほとんど。
ヴェジタリアンも多く、かつては異なるカーストと食卓をともにしない習慣すらあったインド人は、見慣れない外国料理に好奇心を持って飛びつくようなことはなく、食べ慣れた料理こそが一番安心で、そして美味しいと思っている人がほとんど。
インドの人気作家Chetan Bhagatの小説"A Half Girlfriend"に、ビハール州の田舎育ちの主人公の大学生が、好意を寄せるデリーのお金持ちの娘のホームパーティーに呼ばれたものの、うまくとけ込むことができずに戸惑う場面が出てくる。
そこで登場するのが寿司だ。
ウェイターが持ってきた見慣れぬ料理が「生魚を乗せたライス」だと聞いて、主人公はびっくりするのだ。
主人公は翌日、似た境遇の寮の仲間たちと、傷を舐め合うかのように「寿司なんてさっぱり理解できないよ。日本の料理なんだって」と語り合う。
都会の金持ちのライフスタイルの理解不能さをぼやいているというわけだ。
(この小説は、後にArjun Kapoor, Shraddha Kapoor主演で映画化されたが、映画は未見なのでこのシーンが再現されていたかどうかは分からない)
ビハール州やデリーは内陸部であり、そもそも魚を食べる週間がない。
ビハール州やデリーは内陸部であり、そもそも魚を食べる週間がない。
有りあまるお金を持っているのに、わざわざゲテモノの「生魚」を食べるなんて意味が分からない、という感覚は、内陸部の保守的なインド人にとっては至極真っ当なものだろう。
今回は、そんなふうにインドでは高級であると同時にかなりキッチュな食べ物である「寿司」が出てくるミュージックビデオを紹介したい。
まずは、チェンナイを拠点に活動しているインディーロックバンド、F16sが昨年リリースしたアルバム"WKND FRND"からシングルカットされた"Amber".
ポップなアニメーションで現代社会に生きる人々の孤独を表現したミュージックビデオの1:56に羽の生えた寿司が登場する。
リッチで華やかな生活に憧れながらもなじめない孤独感のさなかに、突如として飛んでくる謎の寿司は、"A Half Girlfriend"に出てきたのと同様に、空虚な豊かさの象徴だろう。
ちなみにF16sの活動拠点であるインド南部東岸の港町チェンナイは、貿易などに携わる日本企業が以前から多く進出している街である。
チェンナイの寿司事情を開設したJETROのこんな記事を見つけた。
内陸部よりも魚に馴染みがあるはずのチェンナイでも、やはり生魚は地元の人々にとってハードルが高いようだ。
続いて紹介するのは、インド随一のセンスの良さを誇るコルカタのドリームポップデュオParekh and Singhが今年4月にリリースした"Newbury Street".
寿司は2:18に登場。
見たところ、マグロ、エビ、イカ、玉子などのなかなか本格的な寿司のようだ。
Newbury Streetはアメリカのボストンにあるお洒落な繁華街の名前。
このタイトルは、メンバーのNischay Parekhがこの通りにほど近い名門バークリー音楽大学に留学していたために付けられたものだろう。
このミュージックビデオに出てくる寿司は、これまでに見てきたような「高級なゲテモノ料理」ではなく、ポップでクールな世界観に溶け込んだ、「色鮮やかでお洒落な料理」という位置付けだ。
留学経験がある国際派であり、かつFacebookページのおすすめアーティストにウディ・アレンやマーヴィン・ゲイと並んで、アメリカ版「料理の鉄人」にも出演していた「和の鉄人」森本正治を挙げている彼らにとって、寿司は馴染みのないものではないのだろう。
(森本氏は、インドでもムンバイの5つ星ホテルTaj Mahal Palace内に、和食レストラン"Wasabi"を展開している)
多少インドのことを知っている日本人としては、Parekh and Singhのセンスももちろん分かるし、彼らと価値観を共有していない大多数のインド人(たとえ現代的な音楽のアーティストであっても)にとって、寿司が高級だが極めて悪趣味な食べ物だという感覚も理解できる。
そういえば、子どもの頃、見たことも食べたこともないエスカルゴに対して、私も同じようなイメージを持っていたのを思い出す。
フランス人、カタツムリ喰うのかよ、気持ち悪っ、て。
今では、サイゼリヤに行けば必ず「エスカルゴのオーブン焼き」を頼むくらいエスカルゴ好きになったのだが…。
だんだん何を書いているのか分からなくなってきたが、今回はインドでの寿司の思い出と、インド人にとっての寿司、そして、インドのミュージックビデオに登場する寿司を紹介しました。
書いてたら、寿司が食べたくてたまらなくなってきた。
…寿司、食べたいなあ。
できれば回ってないやつ。
それにしても、あのゴアの寿司屋のオヤジが今頃何をやってるんだろう…。
もしあなたが、ゴアで怪しげな寿司屋を見つけたら、ぜひ食べてみて、どんな味だったか教えてください。
追伸。
そういえば、1990年代のインドで刺身を食べさせてくれた場所を1箇所だけ思い出した。
インド東部オディシャ州の海辺の小さな街、プリーにある日本人バックパッカーの溜まり場、「サンタナ・ロッジ」だ。
3食付きのこの宿では、追加料金(確か150ルピーくらい、当時のレートで500円ほどだったと思う)を払えば、大阪の飲食店での勤務経験があるオーナーが、近所の漁師から仕入れた魚の新鮮な刺身を出してくれたのだ。
日本から取り寄せた醤油とワサビもあり、日本食に飢えていた私は、もちろんこの刺身を注文した。
困ったのは、ご飯がパサパサのインド米だということと、他のおかずがインド風のカレーだということ。
食べる前から想像がついたことだが、インドの米と刺身は全く合わず、さらにインドカレーと刺身は味の方向性が完全に真逆で、悲劇的なまでにめちゃくちゃな組み合わせだということだ。
(念のために言うと、その刺身は鮮度もまったく味も申し分なく、単体で食べればとても美味しいものだった)
あの時の味のミスマッチを考えれば、全く異なる食文化で育ったインドの人たちが、寿司や刺身をゲテモノ扱いするのも無理がないことだと思う。
追伸その2。
ちょうどタイムリーに面白い記事を見つけたので、貼り付けておく。
大幅に後に書いた追伸その3(2023年3月)
ケーララのバンドWhen Chai Met Toastが、究極とも言えるスシ・ソングをリリースした。
元記事を書いてから3年足らずで、インド都市部での寿司に対する意識はまた大きく変わってきているように思う。
--------------------------------------
軽刈田 凡平のプロフィールはこちらから
凡平自選の2018年のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
凡平自選の2019年のおすすめ記事はこちらから!
ジャンル別記事一覧!
今回は、そんなふうにインドでは高級であると同時にかなりキッチュな食べ物である「寿司」が出てくるミュージックビデオを紹介したい。
まずは、チェンナイを拠点に活動しているインディーロックバンド、F16sが昨年リリースしたアルバム"WKND FRND"からシングルカットされた"Amber".
ポップなアニメーションで現代社会に生きる人々の孤独を表現したミュージックビデオの1:56に羽の生えた寿司が登場する。
リッチで華やかな生活に憧れながらもなじめない孤独感のさなかに、突如として飛んでくる謎の寿司は、"A Half Girlfriend"に出てきたのと同様に、空虚な豊かさの象徴だろう。
ちなみにF16sの活動拠点であるインド南部東岸の港町チェンナイは、貿易などに携わる日本企業が以前から多く進出している街である。
チェンナイの寿司事情を開設したJETROのこんな記事を見つけた。
内陸部よりも魚に馴染みがあるはずのチェンナイでも、やはり生魚は地元の人々にとってハードルが高いようだ。
続いて紹介するのは、インド随一のセンスの良さを誇るコルカタのドリームポップデュオParekh and Singhが今年4月にリリースした"Newbury Street".
寿司は2:18に登場。
見たところ、マグロ、エビ、イカ、玉子などのなかなか本格的な寿司のようだ。
Newbury Streetはアメリカのボストンにあるお洒落な繁華街の名前。
このタイトルは、メンバーのNischay Parekhがこの通りにほど近い名門バークリー音楽大学に留学していたために付けられたものだろう。
このミュージックビデオに出てくる寿司は、これまでに見てきたような「高級なゲテモノ料理」ではなく、ポップでクールな世界観に溶け込んだ、「色鮮やかでお洒落な料理」という位置付けだ。
留学経験がある国際派であり、かつFacebookページのおすすめアーティストにウディ・アレンやマーヴィン・ゲイと並んで、アメリカ版「料理の鉄人」にも出演していた「和の鉄人」森本正治を挙げている彼らにとって、寿司は馴染みのないものではないのだろう。
(森本氏は、インドでもムンバイの5つ星ホテルTaj Mahal Palace内に、和食レストラン"Wasabi"を展開している)
多少インドのことを知っている日本人としては、Parekh and Singhのセンスももちろん分かるし、彼らと価値観を共有していない大多数のインド人(たとえ現代的な音楽のアーティストであっても)にとって、寿司が高級だが極めて悪趣味な食べ物だという感覚も理解できる。
そういえば、子どもの頃、見たことも食べたこともないエスカルゴに対して、私も同じようなイメージを持っていたのを思い出す。
フランス人、カタツムリ喰うのかよ、気持ち悪っ、て。
今では、サイゼリヤに行けば必ず「エスカルゴのオーブン焼き」を頼むくらいエスカルゴ好きになったのだが…。
だんだん何を書いているのか分からなくなってきたが、今回はインドでの寿司の思い出と、インド人にとっての寿司、そして、インドのミュージックビデオに登場する寿司を紹介しました。
書いてたら、寿司が食べたくてたまらなくなってきた。
…寿司、食べたいなあ。
できれば回ってないやつ。
それにしても、あのゴアの寿司屋のオヤジが今頃何をやってるんだろう…。
もしあなたが、ゴアで怪しげな寿司屋を見つけたら、ぜひ食べてみて、どんな味だったか教えてください。
追伸。
そういえば、1990年代のインドで刺身を食べさせてくれた場所を1箇所だけ思い出した。
インド東部オディシャ州の海辺の小さな街、プリーにある日本人バックパッカーの溜まり場、「サンタナ・ロッジ」だ。
3食付きのこの宿では、追加料金(確か150ルピーくらい、当時のレートで500円ほどだったと思う)を払えば、大阪の飲食店での勤務経験があるオーナーが、近所の漁師から仕入れた魚の新鮮な刺身を出してくれたのだ。
日本から取り寄せた醤油とワサビもあり、日本食に飢えていた私は、もちろんこの刺身を注文した。
困ったのは、ご飯がパサパサのインド米だということと、他のおかずがインド風のカレーだということ。
食べる前から想像がついたことだが、インドの米と刺身は全く合わず、さらにインドカレーと刺身は味の方向性が完全に真逆で、悲劇的なまでにめちゃくちゃな組み合わせだということだ。
(念のために言うと、その刺身は鮮度もまったく味も申し分なく、単体で食べればとても美味しいものだった)
あの時の味のミスマッチを考えれば、全く異なる食文化で育ったインドの人たちが、寿司や刺身をゲテモノ扱いするのも無理がないことだと思う。
追伸その2。
ちょうどタイムリーに面白い記事を見つけたので、貼り付けておく。
大幅に後に書いた追伸その3(2023年3月)
ケーララのバンドWhen Chai Met Toastが、究極とも言えるスシ・ソングをリリースした。
元記事を書いてから3年足らずで、インド都市部での寿司に対する意識はまた大きく変わってきているように思う。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
軽刈田 凡平のプロフィールはこちらから
凡平自選の2018年のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
凡平自選の2019年のおすすめ記事はこちらから!
ジャンル別記事一覧!
goshimasayama18 at 19:40|Permalink│Comments(0)