Enkore
2020年10月01日
インドNo.1ビートメイカーSez on the Beatの怒りと誇り (ビートメイカーで聴くインドのヒップホップ その1)
決して長くはないインドのヒップホップの歴史のなかで、大きな存在感を放っているSez on the Beatは、ビートメイカーという裏方的なイメージとは正反対の男だ。
彼はときに、ソーシャルメディアを通して、ラッパー以上に饒舌に自らの主張を発信している。
昨年、ボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』がインドで盛り上がっていた頃、彼は怒りをあらわにしていた。
理由は、この映画の重要なシーンで使用されたインド・ヒップホップ史に燦然と輝く名曲"Mere Gully Mein"(原曲はDIVINEとNaezyによる)のクレジットに彼の名前が記載されていなかったということだ。
他の国では想像できないことだが、インドでは、長らく(そして今日に至るまで)ポピュラー・ミュージックと映画音楽はほぼ同義であり、そして映画音楽が紹介される場合、最も大きく表記されるのは曲名でも歌手名でもなく、映画のタイトルだった。
次に曲名や主演俳優の名前(彼らはほとんどの場合、曲に合わせて口パクをするだけなのだが)が続き、シンガーの名前はごく小さく表記されるのみで(劇中では表に出てこない彼らは「プレイバック・シンガー」と呼ばれる)、作曲家やプロデューサーの扱いはさらに小さい。
(ただし、A.R.ラフマーン・クラスのビッグネームになれば話は別)
そもそも、映画のための一要素として作られる映画音楽と、アーティストの作家性が重視されるヒップホップやインディーミュージックは全く構造が異なっているのだ。
結局、Sezの名前がクレジットに入れられることでこの騒動は一件落着となったのだが、映画賞を総ナメにした話題作の影で、ボリウッドが作品のテーマでもあるインディー文化に敬意を示さなかったことは、少しだけ心に引っかかっていた。
(念のため書いておくと、監督のゾーヤー・アクタルはもともとヒップホップの大ファンで、Naezyのパフォーマンスを見てこの映画を企画したというし、主演のランヴィール・シンもヒップホップへのリスペクトを公言している。言いたかったのは、この映画の製作陣への批判ではなく、ボリウッドの構造的な問題のことだ)
SezがインドNo.1ビートメイカーであることに疑いの余地は無いだろう。
彼は、インド産ストリートラップのオリジネイターであるDIVINEやNaezyの初期の作品で、独特のパーカッシブなビートを開発し、「ガリーラップ」の誕生に大きく貢献した。
それ以前にもインドにラップは存在していたが、インドに本物のヒップホップを普及させた最大の功労者をラッパー以外で挙げるとしたら、間違いなくSezの名が挙がるはずだ。
彼の功績を辿ってみよう。
当時はTiesto, Skrillex, David GuettaといったEDMやトランス系のDJを好んでいたそうだ。
音楽で成功できなかったときのために、父の勧めでデリー大学に進み、コンピューター・サイエンスを修めたというから、優秀な学生でもあったのだろう。
もともとヒップホップは単調に思えて好きではなかったが、インドのヒップホップシーン黎明期の梁山泊とも言えるOrkut(ソーシャルメディア)上のコミュニティ'Insignia'との出会いにより、徐々にシーンに傾倒してゆく。
ちょうどSajeelがヒップホップに転向した頃、インド音楽とEDMを融合したNucleyaの音楽が注目を集るようになった。
当時、インドではヒップホップはまだまだアンダーグラウンドな存在である。
Indian Express紙のインタビューによると、彼はそのときに少しだけ後悔したと正直に話している。
EDMはヒップホップよりもビートメイカーに注目が集まるジャンルでもある。
彼の強烈な自尊心や名声へのこだわりは、こうした経験から生まれたものなのかもしれない。
彼はデリーのヒップホップシーンの中心だったコンノートプレイスのIndian Coffee Houseでたむろしながら、シーンの発展のために、そして自身の研鑽のために、ラッパーたちに無償でトラックを提供していた。
2010年頃のことだ。
大学卒業後、音楽マネジメント会社Only Much Louderで働きながら、アッサム州出身のビートメーカーとStunnahBeatzというユニットを組んで活動していたSezに、やがてチャンスが回ってくる。
ムンバイのラッパーDIVINEに提供した"Yeh Mera Bombay"が人気を集めたのだ。
続く"Mere Gully Mein"は、Sez自身はあまり気に入ったビートではなかったそうだが、DivineとNaezyがムンバイのストリートの空気感を濃厚に感じさせるラップを乗せると、刺激的な音楽を求める若者たちに大歓迎された。
Sezのビートは、Divineのワイルドなラップとも、Naezyの苛立ちを感じさせるフロウとも抜群の相性だった。
ヒンディー語で裏路地を意味する"Gully"という単語は、インドのヒップホップを象徴する言葉となり、ついには大スターを起用したボリウッド映画まで作られるほどになったのだ。(先述の『ガリーボーイ』のことだ)
だが、Sezはこの「ガリーラップ」の成功にとどまるつもりはなかった。
彼は一時代を築いたガリービートに早々に見切りをつけると、その後はメロウなチルホップ系のサウンドやトラップ的なビートを導入し、インドのヒップホップシーンの最先端を走り続けている。
とくに、デリーの先鋭的ヒップホップレーベルAzadi Recordsから2017年にリリースされたPrabh Deepのアルバム"Class-Sikh"は、ガリーラップ以降のインドのヒップホップを方向付ける作品として、非常に高い評価を受けている。
彼がAzadi Recordsでプロデュースたのは、デリーのラッパーたちだけではない。
アルバム"Little Kid, Big Dreams"を共作したカシミール出身のAhmerは、Sezの緊張感のあるビートに乗せて、過酷すぎる故郷の生活をラップしている。
美しい自然と厳しい現実を綴ったリリックの対比が、痛切な印象を与えるミュージックビデオだ。
Azadi RecordsでSezが作り出した叙情性と不穏さが共存したビートは、ガリーラップ以降のインドのヒップホップシーンのトレンドを方向付けたと言っても過言ではないだろう。
時計の針を少し戻すと、ガリービート以降、こうしたサウンドに至る前のSezが作っていた、メロウでチルなサウンドも素晴らしかった。
バンガロールのSmokey the GhostとAzadi所属前のPrabh Deepが共演した"Only my Name"はLo-Fi/Jazzy Beat的なサウンドが印象的。
ムンバイのラッパーEnkoreに提供した"Fourever"も美しさが際立っている。
最近のSezはまたビートの幅を広げてきており、昨年10月にバンガロールのフィーメイル・ラッパーSiriがリリースした曲には、また違ったタイプのビートを提供している。
英語でない部分の言語はカルナータカ州の公用語であるカンナダ語。
時は流れて2019年12月、Sezは再び、怒っていた。
彼がFacebookに投稿した長い文章(https://www.facebook.com/sezonthebeat/posts/2534967219919080)を要約してみよう。
「ずっと言いたかったことを言わせてくれ。ヒップホップについて書いている音楽ジャーナリストたち。お前らがプロデューサーにはほとんど言及しないのはどういうことだ?
俺たちだって、ラッパーと同じくらい一生懸命音楽に取り組んでいる。
ラッパーは確かに表紙を飾る存在かもしれないが、同じように音楽を作っているアーティストが、ラップをしないから、ストーリーを語らないからといって十分に注目されないってのは悲しいことだ。
"Class-Sikh", "Bayaan"(Seedhe Mautのアルバム), "Little Kid, Big Dreams"と、俺はAzadi Recordsで3つのビッグプロジェクトに関わってきた。いずれもシングルじゃなくてアルバムだ。
ビートを作り、録音して、プロジェクトを監督してきた。
唯一俺がしなかったのは、ラップしたり、ストーリーを語ったりすることだけだ。
ジャーナリストもレーベルも、プロデューサーが注目されないのは自分たちのせいじゃないと言うだろう。
こんな状況はおかしいと何度もレーベル内で話して、怒りを表してきたが、何も変わらなかった。
俺に対してこんな扱いだったら、もっと無名なプロデューサーは名前すら出してもらえないだろう。
俺はアーティストにも文句を言いたい。ファミリーだのブラザーだのいいながら、お前らはインタビューで仲間のことにはほとんど触れない。
リスナーたちにも少し苦言を呈させてもらう。俺が作ったトラックを聴いているリスナーのうち、アーティストと同様にプロデューサーも気にしてくれているのは半分以下だ。
俺はこんな状況は早く変わって欲しいし、もっと早く指摘するべきだった。
ヒップホップはコミュニティだ。
ラッパーだけのものでも、レーベルだけのものでもない。
P.S. 俺はもうAzadi Recordsの一員ではない。新しいチームを作ったんだ。」
なんと彼は、蜜月と思われていたAzadiとの関係に終止符を打ち、出てゆくことを宣言したのだ。
彼の怒りの源は、『ガリーボーイ』のときと同様に、サウンド面でヒップホップシーンに大きく貢献しながらも軽視されている状況に対してのものだった。
傍目には十分な評価と注目を得られているように見えていたが、シーンのど真ん中にいる彼には、また別の感じ方があったのかもしれない。
いずれにしても、Sezがこれまでインドのヒップホップシーンに残してきた功績は疑う余地のないものだし、今後どんな進化を遂げるのか、非常に楽しみな存在でもある。
参考サイト:
https://www.facebook.com/sezonthebeat/posts/2534967219919080
https://scroll.in/magazine/912400/the-release-of-gully-boy-is-a-bittersweet-moment-for-a-stalwart-of-indias-hip-hop-movement
https://loudest.in/2019/08/05/interview-sez-hip-hop/
http://www.thewildcity.com/news/16976-sez-on-the-beat-releases-first-single-goonj-after-parting-ways-with-azadi-records
https://ahummingheart.com/features/interviews/sez-on-the-beat-and-faizan-khan-building-community-with-the-mvmnt
https://indianexpress.com/article/express-sunday-eye/hip-hop-producer-west-delhi-ended-up-amplifying-the-voice-of-a-whole-new-generation-5388380/
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まだSez on the Beatと名乗る前、Sajeel Kapoorは、PCでゲームをしたり音楽を聴いたりすることが好きな少年だった。
Sajeelは、15歳ときにVirtual DJというソフトと出会い、マッシュアップやリミックスを作り始めるようになる。
Sajeelは、15歳ときにVirtual DJというソフトと出会い、マッシュアップやリミックスを作り始めるようになる。
当時はTiesto, Skrillex, David GuettaといったEDMやトランス系のDJを好んでいたそうだ。
音楽で成功できなかったときのために、父の勧めでデリー大学に進み、コンピューター・サイエンスを修めたというから、優秀な学生でもあったのだろう。
もともとヒップホップは単調に思えて好きではなかったが、インドのヒップホップシーン黎明期の梁山泊とも言えるOrkut(ソーシャルメディア)上のコミュニティ'Insignia'との出会いにより、徐々にシーンに傾倒してゆく。
ちょうどSajeelがヒップホップに転向した頃、インド音楽とEDMを融合したNucleyaの音楽が注目を集るようになった。
当時、インドではヒップホップはまだまだアンダーグラウンドな存在である。
Indian Express紙のインタビューによると、彼はそのときに少しだけ後悔したと正直に話している。
EDMはヒップホップよりもビートメイカーに注目が集まるジャンルでもある。
彼の強烈な自尊心や名声へのこだわりは、こうした経験から生まれたものなのかもしれない。
彼はデリーのヒップホップシーンの中心だったコンノートプレイスのIndian Coffee Houseでたむろしながら、シーンの発展のために、そして自身の研鑽のために、ラッパーたちに無償でトラックを提供していた。
2010年頃のことだ。
大学卒業後、音楽マネジメント会社Only Much Louderで働きながら、アッサム州出身のビートメーカーとStunnahBeatzというユニットを組んで活動していたSezに、やがてチャンスが回ってくる。
ムンバイのラッパーDIVINEに提供した"Yeh Mera Bombay"が人気を集めたのだ。
続く"Mere Gully Mein"は、Sez自身はあまり気に入ったビートではなかったそうだが、DivineとNaezyがムンバイのストリートの空気感を濃厚に感じさせるラップを乗せると、刺激的な音楽を求める若者たちに大歓迎された。
Sezのビートは、Divineのワイルドなラップとも、Naezyの苛立ちを感じさせるフロウとも抜群の相性だった。
ヒンディー語で裏路地を意味する"Gully"という単語は、インドのヒップホップを象徴する言葉となり、ついには大スターを起用したボリウッド映画まで作られるほどになったのだ。(先述の『ガリーボーイ』のことだ)
だが、Sezはこの「ガリーラップ」の成功にとどまるつもりはなかった。
彼は一時代を築いたガリービートに早々に見切りをつけると、その後はメロウなチルホップ系のサウンドやトラップ的なビートを導入し、インドのヒップホップシーンの最先端を走り続けている。
とくに、デリーの先鋭的ヒップホップレーベルAzadi Recordsから2017年にリリースされたPrabh Deepのアルバム"Class-Sikh"は、ガリーラップ以降のインドのヒップホップを方向付ける作品として、非常に高い評価を受けている。
ターバンと髭という伝統的なシク教徒の装いにストリートファッションを合わせ、ムンバイとはまた異なるデリーのストリートの空気感を濃厚に漂わせたPrabh Deepのラップは、Sezのビートと化学反応を起こし、瞬く間にインドのヒップホップシーンの新しい顔となった。
Azadi Recordsは、イギリスで音楽ビジネスに関わっていたMo JoshiとジャーナリストのUday Kapurによって、当時設立されたばかりの新進レーベルだ。
インディペンデントな姿勢にこだわり、ときにラディカルな政治的主張もいとわないAzadi Recordsは、商業主義を排した本物のヒップホップレーベルとして時代の寵児となった。
このレーベルは、Sezの活躍の舞台としてもうってつけだった。
デリーの二人組、Seedhe Mautに提供したトラックでは、珍しくインド古典音楽っぽいリズムやサウンドを導入している。
Azadi Recordsは、イギリスで音楽ビジネスに関わっていたMo JoshiとジャーナリストのUday Kapurによって、当時設立されたばかりの新進レーベルだ。
インディペンデントな姿勢にこだわり、ときにラディカルな政治的主張もいとわないAzadi Recordsは、商業主義を排した本物のヒップホップレーベルとして時代の寵児となった。
このレーベルは、Sezの活躍の舞台としてもうってつけだった。
デリーの二人組、Seedhe Mautに提供したトラックでは、珍しくインド古典音楽っぽいリズムやサウンドを導入している。
彼がAzadi Recordsでプロデュースたのは、デリーのラッパーたちだけではない。
アルバム"Little Kid, Big Dreams"を共作したカシミール出身のAhmerは、Sezの緊張感のあるビートに乗せて、過酷すぎる故郷の生活をラップしている。
美しい自然と厳しい現実を綴ったリリックの対比が、痛切な印象を与えるミュージックビデオだ。
Azadi RecordsでSezが作り出した叙情性と不穏さが共存したビートは、ガリーラップ以降のインドのヒップホップシーンのトレンドを方向付けたと言っても過言ではないだろう。
時計の針を少し戻すと、ガリービート以降、こうしたサウンドに至る前のSezが作っていた、メロウでチルなサウンドも素晴らしかった。
バンガロールのSmokey the GhostとAzadi所属前のPrabh Deepが共演した"Only my Name"はLo-Fi/Jazzy Beat的なサウンドが印象的。
ムンバイのラッパーEnkoreに提供した"Fourever"も美しさが際立っている。
最近のSezはまたビートの幅を広げてきており、昨年10月にバンガロールのフィーメイル・ラッパーSiriがリリースした曲には、また違ったタイプのビートを提供している。
英語でない部分の言語はカルナータカ州の公用語であるカンナダ語。
ここまで彼のトラックを聴いてお気づきの通り、ある時期以降、Sezが手掛けたビートの冒頭には、必ず'Sez on the Beat, boy.'というサウンドロゴが入っている。
これは彼の強烈なプライドと自信を表しているものと見て間違いないだろう。
これは彼の強烈なプライドと自信を表しているものと見て間違いないだろう。
時は流れて2019年12月、Sezは再び、怒っていた。
彼がFacebookに投稿した長い文章(https://www.facebook.com/sezonthebeat/posts/2534967219919080)を要約してみよう。
「ずっと言いたかったことを言わせてくれ。ヒップホップについて書いている音楽ジャーナリストたち。お前らがプロデューサーにはほとんど言及しないのはどういうことだ?
俺たちだって、ラッパーと同じくらい一生懸命音楽に取り組んでいる。
ラッパーは確かに表紙を飾る存在かもしれないが、同じように音楽を作っているアーティストが、ラップをしないから、ストーリーを語らないからといって十分に注目されないってのは悲しいことだ。
"Class-Sikh", "Bayaan"(Seedhe Mautのアルバム), "Little Kid, Big Dreams"と、俺はAzadi Recordsで3つのビッグプロジェクトに関わってきた。いずれもシングルじゃなくてアルバムだ。
ビートを作り、録音して、プロジェクトを監督してきた。
唯一俺がしなかったのは、ラップしたり、ストーリーを語ったりすることだけだ。
ジャーナリストもレーベルも、プロデューサーが注目されないのは自分たちのせいじゃないと言うだろう。
こんな状況はおかしいと何度もレーベル内で話して、怒りを表してきたが、何も変わらなかった。
俺に対してこんな扱いだったら、もっと無名なプロデューサーは名前すら出してもらえないだろう。
俺はアーティストにも文句を言いたい。ファミリーだのブラザーだのいいながら、お前らはインタビューで仲間のことにはほとんど触れない。
リスナーたちにも少し苦言を呈させてもらう。俺が作ったトラックを聴いているリスナーのうち、アーティストと同様にプロデューサーも気にしてくれているのは半分以下だ。
俺はこんな状況は早く変わって欲しいし、もっと早く指摘するべきだった。
ヒップホップはコミュニティだ。
ラッパーだけのものでも、レーベルだけのものでもない。
P.S. 俺はもうAzadi Recordsの一員ではない。新しいチームを作ったんだ。」
なんと彼は、蜜月と思われていたAzadiとの関係に終止符を打ち、出てゆくことを宣言したのだ。
彼の怒りの源は、『ガリーボーイ』のときと同様に、サウンド面でヒップホップシーンに大きく貢献しながらも軽視されている状況に対してのものだった。
傍目には十分な評価と注目を得られているように見えていたが、シーンのど真ん中にいる彼には、また別の感じ方があったのかもしれない。
Azadi Recordsを離れたSezは、MVMNTという新しいレーベルを立ち上げ、引き続き精力的なリリースを続けている。
8月には多くのラッパーをゲストに迎え、EP"New Kids on the Block vol.1"をドロップした。
このThara MovesはLuckというラッパーとの共演。
この"Kahaani"では、EDM系プロデューサーのZaedenをシンガーとして迎えるという珍しいコラボレーションに取り組んでいる。
ラッパーはEnkore, Yungsta, Little Happu, Shayan.
8月には多くのラッパーをゲストに迎え、EP"New Kids on the Block vol.1"をドロップした。
このThara MovesはLuckというラッパーとの共演。
この"Kahaani"では、EDM系プロデューサーのZaedenをシンガーとして迎えるという珍しいコラボレーションに取り組んでいる。
ラッパーはEnkore, Yungsta, Little Happu, Shayan.
ムンバイのEnkoreとSiege, デリー近郊のRebel7, Yungsta, Smokeをラッパーに迎えた"Goonj"のリリックでは、Azadi Recordsとの間に金銭トラブルもあったことを示唆しているようだ。
これに対してAzadi Records側は、ムンバイのTienasがリリースした"Fubu"で、'I made it without SezBeat, bitch'とラップし、決別を宣言した。
これに対してAzadi Records側は、ムンバイのTienasがリリースした"Fubu"で、'I made it without SezBeat, bitch'とラップし、決別を宣言した。
インドのヒップホップシーンを代表するレーベルとビートメイカーの、なんとも後味の悪い結末だが、Sezは自身のレーベルでクールなビートを作り続けており、またAzadi Recordsも新しいプロデューサーの起用で勢いづいているので(Prabh Deepはセルフプロデュースによる良作をリリースしている)、結果的にはこれで良かったのかもしれない。
いずれにしても、Sezがこれまでインドのヒップホップシーンに残してきた功績は疑う余地のないものだし、今後どんな進化を遂げるのか、非常に楽しみな存在でもある。
Sezの告発に影響を受けたわけではないが、インドには優れたラッパーだけでなく、注目に値するビートメイカーも大勢いるので、今後も折りを見てビートメイカー特集を続けてゆきたい。
参考サイト:
https://www.facebook.com/sezonthebeat/posts/2534967219919080
https://scroll.in/magazine/912400/the-release-of-gully-boy-is-a-bittersweet-moment-for-a-stalwart-of-indias-hip-hop-movement
https://loudest.in/2019/08/05/interview-sez-hip-hop/
http://www.thewildcity.com/news/16976-sez-on-the-beat-releases-first-single-goonj-after-parting-ways-with-azadi-records
https://ahummingheart.com/features/interviews/sez-on-the-beat-and-faizan-khan-building-community-with-the-mvmnt
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goshimasayama18 at 22:02|Permalink│Comments(0)
2019年06月08日
ロックバンドKrakenがアンダーグラウンドラッパーを従えて初の(?)コスプレツアーを実施!
22年前に南米を旅行していた時のこと。
確かアルゼンチンだったと記憶しているが、私が乗っていたバスに、いかにもハードコア・パンクとかをやっていそうな、革ジャンを着てタトゥーの入った、いかつくてコワモテの男が乗車してきた。
絡まれたら嫌だなあと思いながら彼の様子を伺っていると、彼はおもむろにカバンの中から、ローマ字で"Otaku"と書かれた日本のアニメの絵が表紙の雑誌を取り出し、夢中になって読み始めた。
当時(今もかもしれないが)、日本ではアニメなどのオタクカルチャーは、ハードコア・パンクや不良文化とは真逆のイメージだったので、彼の好みの振れ幅の大きさに、ものすごく驚かされたものだ。
そういえば、ニューヨークのハードコア・バンドSick Of It Allが、インタビューで、自分たちがいかにドラゴンボールが好きか、どれだけドラゴンボールに衝撃を受け、夢中になったかを熱く語っているのを読んだのも同じ頃だったように思う。
硬派で激しいハードコア・パンクと、小学生のときに読んでいたマンガの印象がどうしても重ならなくて、やはり強烈な違和感を感じたものだった。
何が言いたいのかというと、アニメに代表される日本のオタクカルチャーは、じつは海外ではサブカルチャーのひとつとして、コアな音楽ジャンルと結びついて、面白い受容のされ方をしているのではないか、ということである。
さて、話をいつも通りインドに戻すと、今回の記事のタイトルは「ロックバンドKrakenがアンダーグラウンドラッパーを従えて初の(?)コスプレツアーを実施」というもの。
何を言っているのか、わけが分からないという方も多いのではないかと思う。
解説するとこういうことだ。
かつてこのブログでも紹介した、デリーを拠点に活動するマスロック/プログレッシブメタルバンドKrakenは、ジャパニーズ・カルチャーに大きな影響を受けたグループである。
彼らのファーストアルバム"Lush"では、複雑でテクニカルなロックサウンドに日本文化の影響をミックスしたユニークな世界観を披露しており、Rolling Stone India誌で2017年のベストアルバム第7位に選ばれるなど、音楽的にも高い評価を受けている。
そんな彼らがインド各都市で行う今回のツアーは「コスプレツアー」というかなりユニークなもの。
彼らのTwitter曰く、「初のミュージック&コスプレツアー!最高のパーティーを開くために、音楽ファンとコスプレファンに橋渡しをする!」とのことだそうだ。
The First Ever Music and Cosplay Tour! We are bridging the Music and Cosplay communities, all for the great cause of putting up the greatest party! Ticket Links, start planning your outfit. pic.twitter.com/qG7ZUZboAB
— Kraken (@krakenfam) 2019年6月3日
こうした「コスプレライブツアー」が世界初なのかどうかは分からないが、もしコスプレ発祥の地であるここ日本で前例があったとしても、アニソン歌手とか、声優のコンサートなのではないかと思う。
Krakenの音楽は直接アニメと関連しているわけではなく、サウンドもプログレッシブかつマスロック的なもので、このコスプレライブがいったいどのような雰囲気になるのか、想像もつかない。
しかも、今回彼らがツアーのサポートに起用したのは、ロックバンドではなく、ヒップホップアーティストのEnkoreとHanuMankind.
ラッパーのパフォーマンスにコスプレをした観客がいるというのはもはやシュールでさえある。
インディーシーンが発展途上のインドでは、異なるジャンルのアーティスト同士の共演も珍しくはないが、プログレッシブ・メタルとコスプレとヒップホップの融合と言われると、もう全然わけがわからない。
(ちなみに前回のKrakenのツアーのサポートは、このブログでも紹介したマスロックバンドのHaiku-Like Imagination. 音楽的にはかなり近いバンドだった)
サポートアクトの一人、Enkoreはムンバイのラッパーで、2018年に発表した"Bombay Soul"がRolling Stone Indiaの2018年ベストアルバムTop10に選ばれるなど、批評家からの評価も高いアーティストだ。
インディーシーンが発展途上のインドでは、異なるジャンルのアーティスト同士の共演も珍しくはないが、プログレッシブ・メタルとコスプレとヒップホップの融合と言われると、もう全然わけがわからない。
(ちなみに前回のKrakenのツアーのサポートは、このブログでも紹介したマスロックバンドのHaiku-Like Imagination. 音楽的にはかなり近いバンドだった)
サポートアクトの一人、Enkoreはムンバイのラッパーで、2018年に発表した"Bombay Soul"がRolling Stone Indiaの2018年ベストアルバムTop10に選ばれるなど、批評家からの評価も高いアーティストだ。
その音楽性は、昨今インドで流行しているGully Rap(インド版ストリートラップ)のような前のめりなリズムを強調したものではなく、メロウでジャジーな雰囲気のあるものだ。
(インド各地でこの傾向のアーティストは少しづつ増えてきており、代表的なところでは、ムンバイのTienas, バンガロールのSmokey the Ghost, ジャールカンドのTre Essなど。デリーの人気トラックメイカーSezのサウンドも同様の質感を強調していることがある)
彼のようなアンダーグラウンド・ヒップホップは、音楽的にはKrakenが演奏するプログレッシブ・メタルとは1ミリも重ならないように思えるが、ここにジャパニーズ・カルチャーからの影響という補助線を引くと、意外な共通点が見えてくる。
メロウで心地よいビートを特徴とするチルホップ/ローファイ・ヒップホップ(ローファイ・ビーツ)は、日本のトラックメーカーである故Nujabesが創始者とされている。
彼の楽曲は深夜アニメ『サムライ・チャンプルー』で大々的にフィーチャーされ、ケーブルテレビのアニメ専門チャンネルを通して世界中に広まった。
その影響もあって、今でもチルホップのミックス音源を動画サイトにアップしたときには日本のアニメ風の映像を合わせるのがひとつの様式美になっている。
例えばこんなふうに。
例えばこんなふうに。
意外なところで、ヒップホップはアニメカルチャーと繋がっているのだ。
そしてもう一方のサポートアクトであるHanuMankindがまた強烈だ。
ヒンドゥー教の猿の神ハヌマーンと人類を意味するhumankindを合わせたアーティスト名からして人を食っているが、彼のラップの世界感はさらに驚くべきもの。
メロウでローファイな質感のこの曲のタイトルは、なんと"Kamehameha".
そう、我々にも馴染深いあの「ドラゴンボール」の「かめはめ波」である。
メロウでローファイな質感のこの曲のタイトルは、なんと"Kamehameha".
そう、我々にも馴染深いあの「ドラゴンボール」の「かめはめ波」である。
ビートが入ってきた瞬間に、「孫悟空」という単語からフロウが始まり、続いてSuper Sasiyan(スーパーサイヤ人)という言葉も耳に入ってくるという衝撃的なリリック。
とはいえ彼のサウンドにはドラゴンボール的なヒロイズムや派手さではなく、あくまでチルなビートに乗せて「カメ!ハメ!ハ!」のコーラスが吐き出される。
いったいこれは何なのだ。
とはいえ彼のサウンドにはドラゴンボール的なヒロイズムや派手さではなく、あくまでチルなビートに乗せて「カメ!ハメ!ハ!」のコーラスが吐き出される。
いったいこれは何なのだ。
さらにはこんな楽曲も。
その名も"Super Mario". トラックはそのまんまだ!
この曲も、リリックにはゲーム、ドラゴンボール、クリケットなどのヒップホップらしからぬネタが盛りだくさん。
"Samurai Jack"と名付けられたこの曲はジャジーなビートが心地よい。
ここでもリリックではギークっぽい単語とインドっぽい単語が共存している不思議な世界。これは、インドで実を結んだナードコア・ヒップホップのひとつの結晶という理解で良いのだろうか?
それにしても、KrakenとHanuMankindとEnkore、いくら日本のサブカルチャーという共通点があるとはいえ、そもそもプログレッシブ・メタルバンドがラッパー2人とツアーをするというところからして意外というか想像不能だし、しかもコスプレの要素も入ってくるとなると、もうなんだかわけがわからない。
わけがわからないとはいえ、まるで日本のバンドブームの初期のように、インディーミュージックシーン全体がジャンルにこだわらず盛り上がっている様子はなんだかとっても楽しそうだ。
そういえば、いまやインドNo.1ラッパーとなったDivineがインドの「ロックの首都」と言われている北東部メガラヤ州の州都シロンで行なったライブのサポートは地元のデスメタルバンドPlague Throatだった。
そういえば、いまやインドNo.1ラッパーとなったDivineがインドの「ロックの首都」と言われている北東部メガラヤ州の州都シロンで行なったライブのサポートは地元のデスメタルバンドPlague Throatだった。
バンガロールでは先日ラッパーのBig Dealとやはりブルータル・デスメタルバンドのGutSlitのジョイントライブがあったばかりだ。
なんだかAnthraxがPublic Enemyと共演し、映画"Judgement Night"のサントラでオルタナティブロックとヒップホップのアーティストたちがコラボレーションした90年代前半のアメリカを思い起こさせるようでもある。 (古い例えで恐縮ですが)
特定のジャンルのファンではなく、インディーミュージック/オルタナティブミュージックのファンとしての連帯感が、インドには存在しているのだろうか。
この混沌とした熱気は、ジャンルが細分化されてしまった日本から見ると、正直少々うらやましくもある。
以前行ったインタビューでは、Krakenのメンバーは日本のヒップホップにも影響を受けたことを公言しており、Nujabes、Ken the 390、Gomessらの名前をフェイバリットとして挙げている。
ギター/ヴォーカルのMoses Koul曰く、次のアルバムは前作"Lush"とは大きく異なり、ヒップホップの要素が大きいものになるとのことで、いったいどうなるのか今から非常に楽しみだ。
それにしても、インドの音楽シーンにおける「ジャパニーズ・カルチャー」の面白さは、いつも想像を超えてくる。
先日、「インドで生まれた日本音楽」J-Trapの紹介をしたときにも感じたことだが、もはや日本文化は日本だけのものではないのだ。
この混沌とした熱気は、ジャンルが細分化されてしまった日本から見ると、正直少々うらやましくもある。
以前行ったインタビューでは、Krakenのメンバーは日本のヒップホップにも影響を受けたことを公言しており、Nujabes、Ken the 390、Gomessらの名前をフェイバリットとして挙げている。
ギター/ヴォーカルのMoses Koul曰く、次のアルバムは前作"Lush"とは大きく異なり、ヒップホップの要素が大きいものになるとのことで、いったいどうなるのか今から非常に楽しみだ。
それにしても、インドの音楽シーンにおける「ジャパニーズ・カルチャー」の面白さは、いつも想像を超えてくる。
先日、「インドで生まれた日本音楽」J-Trapの紹介をしたときにも感じたことだが、もはや日本文化は日本だけのものではないのだ。
また、インドでのK-Popブームと比較すると、韓流カルチャーがポップカルチャー(大衆文化)として受容されているのに対して、日本のカルチャーはサブカルチャー(マニア文化)として受け入れられているというのも面白い。
(参考:「インドで盛り上がるK-Pop旋風!」)
今後、日本で生まれた要素が、インドでどんな花を咲かせ、実を結ぶのだろうか。
ジャパニーズ・カルチャーをマサラの一つとして、全く新しいものがインドで生まれるってことに、ワクワクする気持ちを抑えられない。
これからも「インドの日本文化」紹介していきます!
(インドのコスプレ文化といえば、ムンバイなどの大都市だけでなく、北東部ナガランド州でも異常に盛り上がっているようだ。「特集ナガランドその3 ナガの地で花開く日本文化 ナガランドのオタク・カルチャー事情とは?」)
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凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
(参考:「インドで盛り上がるK-Pop旋風!」)
今後、日本で生まれた要素が、インドでどんな花を咲かせ、実を結ぶのだろうか。
ジャパニーズ・カルチャーをマサラの一つとして、全く新しいものがインドで生まれるってことに、ワクワクする気持ちを抑えられない。
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goshimasayama18 at 17:24|Permalink│Comments(0)