EasyWanderlings
2023年09月06日
意外なコラボレーション!Komorebi, Easy Wanderlings, Dhruv Visvanath, Blackstratbluesが共作したドリームポップ
インドの音楽シーンは、基本的には都市や言語ごとに形成されているのだが、地域や言語の垣根を越えた共演もたびたび行われている。
それがまたお気に入りのアーティストの共演だったりすると、意外な繋がりにうれしくなってしまう。
今回はそんな曲を紹介したい。
今回のお話の主役となるのは、デリーを拠点に活動するエレクトロポップアーティストKomorebi.
彼女の新作に、プネーのドリームポップバンドEasy Wanderlings、デリーのシンガーソングライター/ギタリストのDhruv Visvanath、さらにはムンバイのギタリストBlackstratbluesが参加していて、これがかなり良かった。
Komorebi "Watch Out"
Komorebiは日本語のアーティスト名からも分かる通り、アニメなどの日本のカルチャーに影響を受けている。
ビジュアルイメージにも日本的な要素がしばしば取り入れられていて、このミュージックビデオの冒頭には、パワーパフガールズみたいなアニメっぽいポップ&カワイイテイストのイラストが採用されている。
(パワーパフガールズはアメリカの作品だけど、日本のアニメや特撮のオマージュ的な要素が強い作品ということで。そういえばNewJeansのEP "GetUp" でもパワーパフガールズっぽいイメージが採用されていたが、そろそろああいうテイストが懐かしい感じになっていてきるのか)
Komorebiが2020年にリリースしたEPのタイトルは、日本語で"Ninshiki".
収録曲のミュージックビデオにもやっぱり日本っぽい要素がたくさん出てくる。
最後の方になると、中国とか他の東アジア的要素も出てくるが、まあ日本人もインドとアラビアあたりを誤解したりしがちなので、そこはお互いさまかな。
要は、リアルな日本というわけではなく、アニメの舞台のようなエキゾチックでフィクション的な日本のイメージを借用したいのだろう。
どうぞどうぞ。
Komorebi "Rebirth"
サウンド的にはノルウェーのエレクトロポップアーティストAURORAっぽいようにも感じるが、KomorebiもAURORAもスタジオジブリ作品のファンという点で共通している。
二人とも、電子音楽だけどどこか自然や神秘を感じさせる音作りにジブリ好きっぽさが出ているような気がするが、どうだろうか。
そういえばKomorebiの"Watch Out"に参加しているプネー(ムンバイにほど近い学園都市)のドリームポップバンドEasy Wanderlingsの中心メンバーSanyanth Narothも、以前インタビューでスタジオジブリのファンであると語っていた。
"Watch Out"の美しいメロディーとハーモニーを聴いた時、てっきり楽曲提供もSanyanthだと思ってしまったのだが、作詞作曲はKomorebiことTaranah Marwahで、Easy Wanderlingsの担当はコーラスとフルートとのこと。
ハーモニーのアレンジひとつでここまで曲の雰囲気が変わるのかと驚いた。
Easy Wanderlingsについてはこのブログで何度も紹介しているので、耳にタコの人もいるかもしれないが、念のためあらためて2曲ほど紹介しておく。
Easy Wanderlings "Beneath the Fireworks"
Easy Wanderlings "Enemy"
"Watch Out"にアコースティックギターで参加しているDhruv Visvanath(名前の発音は、たぶんドゥルーヴ・ヴィスワナートでいいはず)は、Komorebiと同じくデリー出身のシンガーソングライター。
ギタリストとしても評価が高く、2014年にアメリカの'Acoustic Guitar'誌で「30歳以下の最も偉大なギタリスト30人」に選出されている。
彼の新曲は、ジャック・ジョンソンみたいに始まって、重厚なコーラスが印象的なダンサブルなポップスに展開する曲で、中年男性の追憶を描いたミュージックビデオもいい感じだ。
Dhruv Visvanath "Gimme Love"
インドには彼のように上質な英語ポップスを作るアーティストが結構いるのだが、国内のリスナーは英語よりも母語(ヒンディー語とかタミル語とか)の曲を好み、海外のリスナーはインド人が歌う英語の曲にほとんど注目していない。
英語で歌うインドのアーティストは、適切なマーケットがないというジレンマを抱えている。
「インターネットで世界中の音楽が聴けるようになった」とか言われているが、情報の流通や受容、そしてリスナーの心の中には、まだまだたくさんの壁があるのだ。
Dhruv Visvanath "Write"
個人的にはDhruv Visvanathに関しては、ギターも曲作りも良いのだけど、スムースすぎて心に引っかかる部分がないのがネックなのかもしれないな、とちょっと思う。
彼の曲をもう一曲だけ紹介。
珍しくエレキギターをフィーチャーした"Fly"は、卵を主人公にしたコマ撮りアニメが面白い。
Dhruv Visvanath "Fly"
Dhruv Visvanathがアコースティックの名ギタリストなら、ギターソロを弾いているBlackstratbluesことWarren Mendonsaは、今どきジェフ・ベックとかデイヴ・ギルモアみたいな(例えが古くてすまん)スタイルのエレキギターの名ギタリストで、ムンバイを拠点に活動している。
Blackstratblues "North Star"
ちなみに彼はボリウッド映画の作曲トリオとして有名なShankar-Ehsaan-Loyの一人Loy Mendonsaの甥でもある。
それにしても、エレクトロポップのKomorebiの作品に、バンドサウンドを基調としたドリームポップのEasy Wanderlings, アコースティックなフォークポップのDhruv Visvanath, 70年代風ギターインストのBlackstratbluesというまったく異なる作風のアーティストが参加しているというのが面白い。
強いて共通点を挙げるとすれば、彼らが全員、洋楽的な、無国籍なサウンドを追求しているということだろうか。
デリー、ムンバイ、プネーというまったく別の土地(ムンバイとプネーは同じ州だけど)のアーティストの共演というのがまた意外性があって良かった。
こういうコラボレーションにはぜひ今後も期待したいところだ。
話をKomorebiの"Watch Out"に戻すと、この作品はニューアルバム"Fall"からの2曲目のシングルで、1曲目はこの"I Grew Up"という曲。
Komorebi "I Grew Up"
冒頭の字幕に出てくるCandylandというのは5年前の彼女の楽曲のタイトルだ(ストーリー的なつながりはなさそうだが)。
この一連のミュージックビデオで、彼女はKianeというキャラクターを演じている。
9月8日リリースのアルバムで、さらにストーリーが展開されてゆくのかもしれない。
Komorebiの新作はかなり良いものになりそうなので、大いに期待している。
もちろん、共演しているアーティストたちの今後の活躍にも期待大だ。
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goshimasayama18 at 22:53|Permalink│Comments(0)
2023年02月21日
2022〜23インド冬フェスシーズン 最も多くの出演したのは?
夏フェスがポピュラーな日本とは異なり、インドの音楽フェスティバルのシーズンは冬。
インドのインディペンデント系音楽メディアSkillboxに、2022〜23年のシーズンに最も多くフェスに出演したインディーアーティスト・トップ10を紹介する記事がアップされていた。
これがなかなか面白かったので紹介したい。
(元記事はこちら)
この記事によると、1位に輝いたのは、プネーのドリームポップバンドEasy Wanderlingsで、8つのフェスに出演したとのこと。
出演したフェスの内訳は、Bacardi NH7 Weekender (プネー), Bloom In Green (クリシュナギリ), Echoes Of Earth (ベンガルール), Idli Soda (チェンナイ), India Bike Week (ゴア), Lollapalooza India (ムンバイ), Vh1 Supersonic (プネー), Ziro Festival of Music (ジロ)。
南インドのチェンナイやベンガルールから、北東部の最果てアルナーチャル・プラデーシュ州のジロまで、まさにインド全土を股にかけたということになる。
クリシュナギリという地名は初めて聴いたが、南インドタミルナードゥ州(州都はチェンナイ)の地方都市だ。
その郊外で行われたBloom in Greenは、人力トランスバンドや無国籍風ワールドミュージックアーティストが出演したオーガニック系の自然派フェスティバルだったようだ。
これまで南インドのフェスはあまり取り上げていなかったが、改めて調べてみると、結構面白そうなイベントが開催されている。
今シーズンのフェス出演映像は見つからなかったので、2017年のNH7 Weekender出演時の様子をご覧いただきたい。
このブログでも何度も取り上げてきたEasy Wanderlingsは、曲良し、歌良し、演奏良しの素晴らしいバンドで、彼らが1位というのは納得できる。
野外で彼らのオーガニックなサウンドを聴けたら最高だろう。
日本でもフジロックか朝霧JAMあたりで見てみたい。
冬フェス出演回数2位には、6組のアーティストが該当している。
それぞれの出演フェスティバルも合わせて紹介すると、
- Anuv Jain
Bacardi NH7 Weekender (プネー), Beat Street (ニューデリー), Doon Music Festival (デラドゥン), SteppinOut Music Festival (ベンガルール), Vh1 Supersonic (プネー), Zomaland (ハイデラーバード), Zomato Feeding India (ムンバイ) - Bloodywood
Bacardi NH7 Weekender (プネー), Indiegaga (コチ), Lollapalooza India (ムンバイ), Mahindra Independence Rock (ムンバイ), Oddball Festival (ベンガルール、デリー), Rider Mania (ゴア), The Hills Festival (シロン) - Peter Cat Recording Co.
Gin Explorers Club (ベンガルール), India Cocktail Week (ムンバイ), Jaipur Music Stage (ジャイプル), LiveBox Festival (ベンガルール), Rider Mania (ゴア), Vh1 Supersonic (プネー), Ziro Festival of Music (ジロ) - Thaikkudam Bridge
GIFLIF Indiestaan (ボーパール), Idli Soda (チェンナイ), Indiegaga (ベンガルール、コーリコード), Mahindra Independence Rock (ムンバイ), Rider Mania (ゴア), Signature Green Vibes (ハイデラーバード), South Side Story (ニューデリー) - The Yellow Diary
Beat Street (ニューデリー), Doon Music Festival (デラドゥン), LiveBox Festival (ムンバイ), Lollapalooza India (ムンバイ), Oktoberfest (ムンバイ), SteppinOut Music Festival (ベンガルール), Zomaland (アーメダーバード、ハイデラーバード、ニューデリー) - When Chai Met Toast
India Cocktail Week (ベンガルール), Indiegaga (コチ), International Indie Music Festival (コヴァーラム), North East Festival (New Delhi), Parx Music Fiesta (Mumbai), SpokenFest (Mumbai), Toast Wine and Beer Fest (Pune)
詳細はアーティスト名のところからリンクを辿っていただくとして、ここではこれまでこのブログで取り上げたことがない人たちを紹介したい。
Anuv Jainはパンジャーブ出身の主にヒンディー語で歌うアーバン・フォーク系シンガー。
2018年のデビュー曲の"Baarishein"で一気に注目を集め、この曲、まったく絵が動かないシンプルなリリックビデオにもかかわらず、YouTubeで5,000万回以上も再生されている。
歌詞はわからなくても、彼の非凡なメロディーセンスが理解できるだろう。
ヒンディー語がとっつきにくいという人は、こちらの英語曲"Ocean"をどうぞ。
アレンジに関しては、弾き語りというか、最小限のバッキング以外は入れない方針っぽいのが潔くもあるし、少しもったいない気もする。
The Yellow Diaryはムンバイ出身のインド・フュージョンっぽいポップバンドで、2021年にリリースしたこの"Roz Roz"という曲のYouTubeでの再生回数は1,000万回を超えている。
ちなみにこの後には8位タイとして、6つのフェスに出演したParvaaz(ベンガルール出身のヒンディー語で歌うインディーロックバンド)、Taba Chake(北東部アルナーチャル・プラデーシュ出身のウクレレ・シンガーソングライター)、The F16s(チェンナイ出身のロックバンド)、T.ill Apes(ベンガルール出身のファンク/ヒップホップバンド)の4組が名を連ねている。
元記事を書いたAmit Gurbaxaniは、この統計を取るために50以上のフェスティバルを調べたとのこと。
そのうち2つ以上のフェスにラインナップされていたアーティストは70組以上。
オーガナイザーの話では、出演者選定の理由は、
- 人気があること
- ストリーム数、動員、ソーシャルメディアの活躍
- 開催地が地元の場合、しっかりとしたファン基盤があること
- ヘッドライナーのアーティストとの相性を考慮
だそうで、まあこれは世界中共通だろう。
典型的なメタルバンドはラインナップしづらいけど、Bloodywoodみたいな個性のある面白いバンドは例外とのことで、なるほど、彼らは日本でいうところのマキシマム・ザ・ホルモンみたいな存在なのだろう。
それにしてもBloodywoodは欧米でも日本でも母国でも、フェス人気がかなり高いようだ。
DIVINE、Prateek Kuhad、Ritvizといった人気アーティストの出演が少ないのは、独自のツアーが忙しいからだそうで、これも世界共通の傾向だろう。
典型的なメタルバンドはラインナップしづらいけど、Bloodywoodみたいな個性のある面白いバンドは例外とのことで、なるほど、彼らは日本でいうところのマキシマム・ザ・ホルモンみたいな存在なのだろう。
それにしてもBloodywoodは欧米でも日本でも母国でも、フェス人気がかなり高いようだ。
DIVINE、Prateek Kuhad、Ritvizといった人気アーティストの出演が少ないのは、独自のツアーが忙しいからだそうで、これも世界共通の傾向だろう。
最後に今シーズンのフェスの映像をいくつか紹介してみたい。
まずは、南インド各地で行われた巡回型フェスティバルIndiegagaから、ケーララ州コチ会場のBloodywoodのライブのアフタームービー。
続いて同じIndiegagaでも、こちらはコーリコード会場から、地元ケーララのThaikkudam Bridgeのライブの模様。
ベンガルールで行われたOddball Festivalのアフタームービー。
プネーの大型フェスNH7 Weekenderから、When Chai Met Toastのライブの様子。
今回紹介したのはロック系のフェスが中心になってしまったが、EDMやヒップホップが優勢に感じられるインドで、ロックも根強い人気を保っていることが確認できた。
インドのフェス、ほんとそろそろ遊びに行きたいんだよなあ。
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goshimasayama18 at 21:36|Permalink│Comments(0)
2022年11月05日
インドが誇る2大ドリームポップバンド Parekh & SinghとEasy Wanderlingsの新作!
インドが誇る2大ドリームポップバンド(だと私が勝手に思っている)Parekh & SinghとEasy Wanderlingsが相次いでアルバムとEPを発表した。
彼らはインドのなかでは、国際的な成功にわりと近い場所にいると言えるアーティストたちだ。
Parekh & Singhは英Peacefrog Recordsに所属していて、Easy WanderlingsはSXSW(South By South West. テキサス州オースティンで開催されるポップカルチャーの巨大見本市)への出演経験がある。
要は、海外からも評価されそうなインディーポップバンドなのだが、以前も書いた通り、インドでは彼らのような英語で歌う「洋楽的」なスタイルのアーティストの人気はさほど高くない。
こうした音楽のリスナーは、インディーズシーンをチェックしている一部の若者に限られ、大衆的な成功を収めるには程遠い状況なのだ。
国内がダメならば、その音楽の質の高さに海外からの注目が集まっても良さそうなものなのだが、我々を含む外国人はインド人にはいかにもインドっぽい音楽を求めてしまう傾向があり、例えばBloodywoodみたいなインドらしさあふれるバンドと比べると、彼らのようなバンドの知名度は高くはない。
であれば、彼らの素晴らしさを大々的に知ってもらおう、というのがこのブログの心意気というやつで、まずはさっそくParekh & Singhが10月にリリースしたアルバム"The Night Is Clear"から紹介してみたい。
Parekh & Singh "Sleepyhead"
彼らはコルカタ出身の二人組で、これまでに日本でもインディーズ系媒体に取り上げられたり、高橋幸宏がSNSで好意的に紹介したりと、局地的に注目されてきた。
このニューアルバムのオープニングナンバーでは、従来に比べてちょっとグルーヴが強調されているのが新基軸のような気もするが、基本的な音楽性はこれまでのスタイルが維持されていて、今作でもベルベットのような質感のサウンドとポップなメロディーを存分に楽しむことができる。
そして今回もミュージックビデオのセンスが良い!
以前はウェス・アンダーソン趣味丸出し(それはそれで良かった)だったが、この曲ではそこまで露骨でなく、ハンドカメラを多用した映像とヨーロッパ映画のような色調がじつにスタイリッシュだ。
Parekh & Singh "Je Suis la Pomme Rouge"
こちらも流麗なストリングスが心地よいポップナンバー。
フランス語で歌うインド人アーティストの曲は初めて聴いた。(サビのみ。意味は「私は赤いリンゴ」)
このリリックビデオはアルバムに先駆けること9ヶ月前、2022年の1月に公開されているのだが、これまでの再生回数はたったの9万回程度。
人口規模のせいか、結構しょうもない曲でも数十万再生くらいされていることが多いインドの音楽シーンでの9万回再生というのは、この音楽の完成度を考えると、率直に言って、かなり少ない。
インド国内での「優れた音楽」の基準が必ずしも欧米目線でないことに関してはむしろ健全だとも思うが(インド国内で大衆的に支持されている音楽が素晴らしいとも思わないけど)、それにしたって、英語で歌ってるんだし、もっと世界中のリスナーが彼らのことを聴いてもいいんじゃないだろうか。
ちなみに彼らを直接知っているという人から得た情報によると、商業的に大成功しているわけではない彼らが、どうして"Sleepyhead"みたいな凝ったミュージックビデオを作れるのかというと、実家がとんでもない裕福ということらしい。
別に否定的な意味で書いているわけではなく、持てるリソースを最大限に活かして素敵なポップアートを作る彼らには、むしろリスペクトの念を抱いている。
今後もこの世界観をとことん追求して、上質な作品を作り続けてもらいたい。
アルバム全編は、Spotifyを使っている人は以下のリンクからどうぞ。
今作は、トールキンの『シルマリルの物語』や、フランク・ハーバートの『デューン』、さらには『ハリー・ポッター』などのファンタジー文学やSF文学にインスピレーションを受けているとのこと。
内省的なテーマの楽曲が多くなっているそうで、ぜひ歌詞にも注目して聴いてほしい。
プネーの8人組、Easy Wanderlingsは10月に5曲入りにEP "Caught In A Parade"をリリース。
彼らのことはこれまでも何度か紹介しているが、ポップなメロディーと優しさの溢れるサウンドは絶品。
今作には、昨年5月にリリースされた60年代ポップ風の佳曲"Enemy"も改めて収録されている。
60年代風のアレンジとメロディーが叙情的な1曲。
Easy Wanderlings "Enemy"
この動画も、ほとんど絵が動かない'official audio'とはいえ、これまで7,000回程度しか再生されていない。
楽曲のクオリティに釣り合う注目を集められていないという点では、彼らも同様なのだ。
"Mayflower"では、彼らが敬愛するシンガーソングライターのNikhil D'Souzaをヴォーカルに迎えている。
Nikhil D'Souzaは映画音楽を手がけることもあるムンバイのアーティストで、このブログでも紹介したビートルズのトリビュート・アルバムでジョンの未発表曲"India India"の秀逸なカバーを披露していたのも記憶に新しい。
Easy Wanderlings "Mayflower"
アルバムのラストを飾る"Makin' My Move"は彼らにしては珍しい80年代っぽい雰囲気のダンスチューンだ。
Easy Wanderlings "Makin' My Move"
彼らはアルバムリリースにともなうインド各地でのツアーを終え、1月にムンバイで初めて開催されるロラパルーザ(アメリカ発祥のオルタナティブロックのフェスティバル)への出演を控えている。
アルバムはSpotifyユーザーの方はこちらから。
いい曲を書いている彼らが、インド国内でも国外でも、もっと高い評価を得られる日が来ることを、願ってやまない。
日本のフェスとかにも来てくれないかな。
参考記事:
https://rollingstoneindia.com/parekh-and-singh-capture-magic-realism-on-the-night-is-clear/
https://rollingstoneindia.com/easy-wanderlings-deliver-celestial-new-ep-caught-in-a-parade/
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goshimasayama18 at 23:38|Permalink│Comments(0)
2022年04月03日
インドで洋楽的音楽をどうやって表現するかという問題
あたりまえすぎる話だが、インドという国は、アメリカやイギリスとは全く異なる文化的背景を持っている。
そんな彼らが欧米で生まれたロックやヒップホップを演奏しようとするとき、「インド人であること」とどうやって向き合っているのだろうか、というのが今回のテーマ。
日本でも、欧米由来のポップミュージックを定着させるために、さまざまな手法が編み出されてきた。
例えば、日本語を英語っぽく発音して歌ったり(矢沢、桑田等)、逆に日本語らしい響きをあえてロックに乗せてみたり(はっぴいえんど等)、普通にロックっぽい服や髪型にしても似合わないので、とことん化粧を濃くして髪の毛を極限まで逆だてることで違和感を逆手に取ってみたり(初期ビジュアル系)といった方法論のことである。
日本と比べてインディペンデント音楽の歴史の浅いインドでは、今まさに、インド的な文化と欧米由来の表現をどう両立させるか、いろんなアーティストがいろんなスタイルを確立している真っ最中。
というわけで、今回は、完全な独断で、彼らの取り組み方を3つに分類して紹介してみます。
分類その1:「オシャレ洋楽追求型」
ひとつめのタイプは、インドらしさと欧米の音楽を無理に折衷しようとしないで、もうとことん洋楽的なセンスを追求してしまおう、というスタイル。
ふだんチャパティーにダール(食事として一般的な豆カレー)をつけて食べている現実をとりあえずなかったことにして、パンにジャムを塗って食べてる欧米とおんなじスタイルでやってみました、という方法論だ。
彼らはたいてい英語で歌っていて、音を聴いただけではインド人だとはまったく分からないようなサウンドを作っている。
インドは英語が準公用語のれっきとした英語圏。
英語で教育を受けている若者たちも多く、やろうと思えばこれができてしまうのがインドの底力でもある。
例えば、毎回超オシャレなミュージックビデオを作るコルカタのParekh & Singh.
Parekh & Singh "I Love You Baby, I Love You Doll"
彼らの顔立ちと最後の農村風景でインドのアーティストであることが分かるが、逆にいうとそれ以外はインドらしい要素はまったくないサウンドと世界観だ。
ムンバイの女性R&BシンガーKayanも、毎回オシャレ洋楽風のサウンドとミュージックビデオを作っている。
Kayan "Cool Kids"
あたり前といえばあたり前だが、この手のサウンドを志向するアーティストはほとんどが都会出身。
おそらくだが、彼らはべつに無理してオシャレぶっているわけではなくて(それもあるかもしれないが)、海外での生活経験があったり、ふだんから欧米的なライフスタイルで生活していたりするために、ごく自然とこうした世界観の作品を作っているのだろう。
クラブミュージック界隈にもこの傾向は強くて、例えば俳優のJim Sarbhを起用したこのApe Echoesあたりは音も映像もかなりセンスよく仕上がっている。
Ape Echoes "Hold Tight"
オシャレとは真逆になるが、ヘヴィメタルもこの傾向が強い。
要はそれだけ様式が確立しているからだと思うのだが、彼らがバイクを疾走させるハイウェイには、間違ってもオートリクシャーとか積荷満載の南アジア的デコトラは走っていない。
Against Evil "Mean Machine"
…と、インド人であることを「なかったこと」にして表現を追求するオシャレ洋楽型のアーティストだが、面白いのは、彼らのなかに、サウンドでは洋楽的な音を追求しながらも、ミュージックビデオではインド的な要素を強く打ち出しているアーティストがいるということだ。
例えば、インドのオシャレ洋楽型アーティストの最右翼に位置づけられるデリーのヴィンテージポップバンド、Peter Cat Recording Co.
Peter Cat Recording Co. "Floated By"
バカラック的なヴィンテージポップを退廃的な雰囲気で演奏する彼らのミュージックビデオは、なぜかインドの伝統的な結婚式だ。
ひょっとしたらインドの伝統とオールディーズ的なポップサウンドは、彼らの中で「ノスタルジー」というキーワードで繋がっているのかもしれない。
ケーララ州出身のフォークポップバンドWhen Chai Met Toastの"Yellow Pepar Daisy"は、「未来から現代を振り返る」という飛び道具的な手法で、懐かしさと現代を結びつけている。
When Chai Met Toast "Yellow Paper Daisy"
無国籍的なアニメを導入したEasy Wanderlingsの"Beneath the Fireworks"でも、サリー姿の女性などインド的な要素が見て取れる。
Easy Wanderlings "Beneath the Fireworks"
この、「音は洋楽、映像はインド」というスタイルは、洋楽的なサウンドとインド人としてのルーツが彼らの中に違和感なく共存しているからこそ実践されているのだろう。
分類その2:「フュージョン型」
次に紹介するスタイルは「フュージョン型」。
洋楽的なサウンドとインドの文化的アイデンティティの融合を図ろうとしているアーティストたちだ。
フュージョンという言葉は、インドの音楽シーンでは伝統音楽と西洋音楽を融合させたスタイルを表す言葉として古くから使われてきた。
現代インドでその代表格を挙げるとするならば、例えば、このブログで常々「印DM」として紹介しているRitvizだ。
Ritviz "Liggi"
EDMにインドっぽい旋律をごく自然に融合させ、ミュージックビデオでも伝統と欧米文化が共存しているインドの今をクールに描くRitvizは、まさに現代のフュージョン・アーティストだ。
ヒップホップでフュージョンスタイルを代表するアーティストといえば、ムンバイのSwadesiをおいて他にない。
彼らは政治的・社会的テーマを常に題材にしながらも、インドの大地に根ざした表現を常に意識しており、さまざまな古典音楽や伝統音楽のリズムとヒップホップの融合を試みてきた。
彼らのSwadesiというアーティスト名は、そもそもインド独立運動の一環として巻き起こった国産品愛用を呼びかける「スワデーシー運動」から取られており、その名前からもインドの社会に根ざしつつ、文化と伝統を大事にするというアティテュードが伝わってくる。
この曲では、古典音楽のパーカッショニストViveick Rajagopalanと共演している。
Viveick Rajagopalan feat. Swadesi "Ta Dhom"
彼らは他にも、イギリス在住のインド系ドラマーSarathy Korwarと共演したり、少数民族ワールリー族のリズムやアートを取り入れて彼らの権利を訴えたり("Warli Revolt")と、常に伝統とヒップホップとの接点でありつづけてきた。
大変悲しいことに、Swadesiのメンバーの一人、MC Tod Fodが24歳の若さで亡くなったというニュースが先日飛び込んできた。(この曲では2:44あたりからラップを披露しているのがTodFodだ)
この曲のリリースは2017年なので、当時、彼はまだ19歳だったということになる。
ヒップホップ黎明期のインドで、あまりにも明確にスタイルを確立していたため、彼はてっきりもっと年上のアーティストなのだと思っていた。
インドは今後のインディペンデント・ミュージック・シーンを担う大きな才能を失った。
改めて彼の冥福を祈りたい。
話を戻す。
エレクトロニカの分野でユニークなフュージョン・サウンドを作り出しているアーティストがLifafa.
彼は「オシャレ洋楽型アーティスト」として紹介したPeter Cat Recording Co.のヴォーカリストでもあり、ふたつのスタイルを股に掛ける非常に面白い存在である。
Lifafa "Wahin Ka Wahin"
イントロや間奏で使われているのは、パンジャーブ地方の民謡"Bhabo Kehndi Eh"のメロディー。
極めて現代的な空気感と伝統を巧みに融合させるセンスはインドならでは。
インドでも世界でも、もっと評価されてほしいアーティストの一人だ。
ロックとインド音楽のフュージョンは、ビートルズの時代から取り組まれてきた古くて新しいテーマだ。
インド人の手にかかると、インドの楽器を導入するだけでなく、ヴォーカル的あるいはリズム的なアプローチが取られることが多くなる。
Pakshee "Raah Piya"
Agam "Mist of Capricorn"
古典音楽への深い理解があって初めて再現できるこのサウンドは、単なるエキゾチシズムでインドの要素を取り入れている欧米のロックミュージシャンには絶対に出せない、本場ならではのスタイルだ。
そして第3の分類は、このフュージョン型の派生系とも言えるスタイル。
分類その3:「ステレオタイプ利用型」
他のあらゆる国でもそうであるように、インドでも、リアルなローカル文化と外国人が求める「インドらしさ」には若干の相違がある。
例えば、よく旅行者が土産物屋で買って着ているような、タイダイ染めにシヴァ神やガネーシャ神が描かれたTシャツを着ているインド人はまずいない。
漢字で「一番」と書かれたTシャツを着ている日本人がいないのと同じことだ。
ところが、タイダイに神様がプリントされたTシャツを作って売っているインド人がいるのと同じように、いかにもステレオタイプなイメージをうまく利用して、海外からの注目を集めているアーティストたちが、少ないながらも存在している。
この方法論に気がついたのは、前回紹介したBloodywoodのミュージックビデオを見ていたときだった。
Bloodywood "Dana Dan"
Bloodywood "Machi Bhasad"
サウンド的にはバングラー的なアゲまくるリズムを違和感なくメタルに融合している彼らだが、よく見るとミュージックビデオはなかなかあざとく作られている。
"Dana Dan"のいかにもナンチャッテインド風の格好をした女性ダンサーとか、"Machi Bhasad"のロケ地はラージャスターンなのに突然パンジャーブのバングラー・ダンサーが出現するところとか、「キャッチーなインドっぽさを出すためには多少の不自然は気にしない」というスタンスがあるように感じられるのだ。
念のため言っておくと、別に彼らのこのしたたかな方法論を批判するつもりはない。
YouTubeのコメント欄を見ると、Bloodywoodのミュージックビデオは外国人による賞賛がほとんど。
他のインドのアーティストのYouYubeのコメント欄が、どんなに洋楽的なスタイルで表現しても、インド人のコメントで溢れているのとは対照的だ。
ステレオタイプは偏見や差別の温床にもなりうるやっかいなものだが、ショービジネスにおいては、分かりやすく個性を打ち出し、注目を集めるための武器にもなり得る。
この方法論を非常に有効に使ったのが、フィメール・ラッパーSofia Ashrafだ。
Sofia Ashraf "Kodaikanal Won't"
彼女はグローバル企業の工場がタミルナードゥ州で引き起こした土壌汚染に対する抗議を世界に知らしめるために、サリー姿でNicki Minajのヒット曲"Anaconda"をカバーするという手法を選んだ(しかもラップとはいい意味でミスマッチな古典舞踊つき)。
ショートカットでタトゥーの入った見た目から判断すると、おそらくSofia Ashrafはサリーよりも洋装でいることが多い現代的(西洋的という意味で)な女性だと思うが、この判断は見事に的中し、このミュージックビデオはNicki Minaj本人がリツイートするなど、大きな注目を集め、抗議活動に大きく寄与した。
おそらく、洋楽っぽいオリジナル曲や、典型的なインド音楽で訴えても、南アジアのローカルな問題が世界の注目を集めることは難しかっただろう。
当時、彼女のラップのスキルはそこまで高くはなかったが、このステレオタイプの利用というアイデアが、成功をもたらしたのだ。
ダンスミュージックの分野では、欧米目線で形成されたインドのサイケデリックなイメージを自ら活用する例も見られる。
ムンバイの電子音楽家OAFFのこのミュージックビデオは、伝統的な絵画を使って全く新しい世界を再構築している。
OAFF x Landslands "Grip"
映像作家はフランス出身のThomas Rebour.
インド的な映像をあえて外国のアーティストに制作させて、新しい感覚を生み出しているのが面白い。
例を挙げればまだいくらでも紹介できそうなのだけど、きりがないので今回はこのくらいにしておく。
何が言いたいのかというと、グローバリゼーションが進んだ結果、世界が画一化してつまらなくなるのかというと、必ずしもそういうわけではなくて、結局やっぱりそれぞれの地域から、ユニークで面白いものが生まれてくるんだなあ、ということ。
いつも書いているようにインドの音楽シーンは爆発的な発展の真っ最中で、これからもますます面白い作品が期待できそうだ。
もちろん、どのスタイルのアーティストでも、積極的に紹介していくつもりです。
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2022年03月10日
SXSW2022に出演するインドのアーティストを紹介!
米テキサス州オースティンで、3月11日から10日間にわたって開催されるサウス・バイ・サウスウエスト。
'SXSW'の略称でも有名なこのイベントは、音楽・映画・ネットメディア・ゲームといったカルチャーの巨大見本市で、今後のトレンドを占う重要な場となっている。
SXSWでは、これまでにNorah Jones, The White Stripes, Franz Ferdinandといったアーティストが発掘されており、またTwitterやSpotifyといったオンラインサービスが最初に注目を集めたイベントとしても知られている。
(ちなみに日本のアーティストでは、X JAPAN, Perfume, CHAI, 東京スカパラダイスオーケストラらが過去に出演している)
このネクストカルチャーの一大ショーケースに、今年インドから出演するアーティストたちがいる。
そのうちのひと組が、このブログでも何度も紹介しているプネー出身のドリームポップバンド、Easy Wanderlingsだ。
彼らは昨年リリースした新曲"Enemy"でも、エヴァーグリーンなポップセンスを存分に見せつけてくれた。
SanyことSanyanth Narothのメロディーメイカーとしての才能はもっと評価されるべきだと以前から思っていたので、こうしたブレイクの機会は非常にうれしい。
ニューデリーからは、エレクトロニック系シンガーソングライターのKavya TrehanとKomorebi, アコースティックなスタイルで活動するシンガーソングライターのHanita Bhambriが出演する。
3人とも、インドのインディペンデント・シーンでは以前から評価の高かったアーティストだ。
他には、ムンバイのシンガー・ソングライターKayanと、チェンナイのロックバンドF16sのシンガーJBABE(Josh Fernandez)が出演する。
いずれも都会的なサウンドを特徴とするアーティストが選ばれていて、「哲学やヨーガやカースト制度で知られる悠久の国インド」ではなく、「優秀なエンジニアやグローバル企業のトップを数多く輩出している国際的で発展著しいインド」を感じさせるラインナップではある。
ヒンディー語で歌っているKomorebi以外は、音だけ聴いている限りでは誰もインドのアーティストだとは気づかないだろう。
(実際は、Hanita Bhambriもヒンディー語で歌うことがあるし、Komorebiは英語で歌うこともある)
こうしたインドのグローバルな面(というか欧米カルチャー的な部分)が注目されること自体は、ステレオタイプを壊すという意味でいいことだと思うのだけれども、率直に言って、SXSWみたいなイベントには、もっと「インドっぽさ」を前面に出したアーティストが参加したほうが絶対に面白いんじゃないだろうか。
SXSWでは、期間中に音楽部門だけでも2000近いパフォーマンスが行なわれる。
今回インドから参加するアーティストたちがいずれも質の高い音楽を作っていることは言うまでもないが、世界中の気鋭が集まるなかで「センスは良いが強烈な個性に欠ける洋楽的サウンド」が注目を集めるのは並大抵のことではない。
まして、世界のポピュラーミュージックシーンの辺境の地である南アジアからの参加となればなおさらだ。
それだったら、むしろRitvizとかPrabh DeepとかLifafaみたいな、もっと強烈にインドっぽくて、それでいて今の世界的な音楽シーンとも共振しているアーティストを紹介した方が、結果的にインドのインディペンデント音楽シーンのポテンシャルを印象づけることができるんじゃないかと思う。
Ritvizをはじめとする"印DM"勢ももっと世界で聴かれてほしい。
インドのヒップホップシーンは多士済々だが、言葉が通じないSXSWで最大限にアピールすることを考えると、サウンドのユニークさと声の良さからPrabh Deepかな、と思う。
Lifafaの所属するPeter Cat Recording Co.もセンスの良いバンドだが、インドらしさと唯一無二のサウンドセンスという点ではソロ作だろう。
SXSWの出演ミュージシャンは、自薦によってエントリーして、審査を経て選ばれることになっている。
ふと思ったのだが、もしかしたら、ここで挙げたような、インドっぽくてなおかつ質の高い音楽をやってるミュージシャンは、はじめからSXSWのような海外マーケット向けのプロモーションには興味がないのかもしれない。
なぜかというと、彼らは海外よりもインド国内をマーケットとして想定しているフシがあるからだ。
インドでは、インディーミュージックであっても、英語よりもヒンディー語などのローカル言語で歌われている曲のほうが人気を集めやすい。
こうした傾向は、YouTubeの再生回数からも見て取れて、たとえば英語とローカル言語の両方で楽曲をリリースしているアーティストだと、ほとんどの場合、ローカル言語の曲の方が再生回数が多くなっている。
国内のアーティストが好きなリスナーは、英語よりも母語の曲を好んでいるというわけだ。
一方で、英語で歌われる曲は、インド国内ではそこまで求められていないという現実がある。
もちろんインドにも洋楽志向のリスナーはいるが、彼らは欧米のアーティストばかりチェックしていて国内のシーンにはあまり注目していないし、洋楽と比べてドメスティックな音楽を低く見る傾向があるようだ。
こうした状況は、日本とも少し似たところがあるかもしれない。
このように、インドの洋楽志向のアーティストを取り巻く環境はなかなかに厳しいものがあるのだが、だからこそ、このブログで、彼らが日本で注目されるきっかけを作れたらいいなと密かに思っている。
いずれにしても、世界中のポップミュージックのリスナーが無意識に持っている「英語ポップスは欧米のもの」というバリアーをいかに壊すことができるかが、インドの(洋楽的)インディーミュージシャンが世界に飛躍するための大きな課題なのだ。
なんだか話がとっちらかってきたけれど、そんなことを考えながらいつもインドのアーティストを紹介している次第です。
オースティンで少しでもインドのアーティストたちが爪痕を残してくれることを期待しています。
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goshimasayama18 at 19:35|Permalink│Comments(0)
2022年01月27日
インディアン・ナード・カルチャーを考えてみる
少し前に読んだ「ブラック・ナード・カルチャー:それは現実逃避(escape)ではない」という記事がめっぽう面白かったので、インドにおけるナード・カルチャー(nerd culture≒オタク文化)について考えてみた。
詳細は(本当に面白いので)各自読んでもらうとして、この「ブラック・ナード論」を自分なりの観点で要約すると、「マジョリティである白人からも、黒人コミュニティの内部からも、マッチョあるいはセクシーな存在であることを強いられていた黒人にとって、ナード(≒オタク)であることは、逃避的な性格を持つものではなく、むしろクリエイティブな姿勢である」ということになる。
記事では、ブラック・ナード・カルチャーの代表者として、ドナルド・グローヴァー(チャイルディッシュ・ガンビーノ)、タイラー・ザ・クリエイター、フランク・オーシャンらを挙げている。(記事にも触れられているが、最近では女性ラッパーのミーガン・ジー・スタリオンもアニメ好きで有名だ)
20年前だったら、ナードな黒人セレブリティーがここまで大勢活躍している状況はまったく想像できなかった。
確かにナード・カルチャーは、アメリカの黒人文化を変えつつあるのだろう。
さて、それではいつもこのブログで紹介しているインドの音楽シーンの場合はどうだろう。
インドのインディーミュージックシーンにも「オタク趣味」を持つアーティストは多い。
例えば、デリーを中心に活動するマスロック/プログレッシヴ・メタルバンドのKrakenは、曲名やビジュアルイメージにも日本の要素を取り入れており、さらにインタビューでは驚くほど日本文化(音楽・映画)に詳しい一面を見せてくれた。
同じくデリーのエレクトロニカ・アーティストのTarana Marwahは、宮崎アニメなどの日本の作品からの影響を公言しており、日本語のKomorebiというアーティスト名で活動している。
ベンガルールのラッパーHanumankindは、最近はシリアス路線に転向しているものの、かつてはゲームやアニメなどのオタクカルチャーをテーマにしたラップを数多く発表していた。
そこまで前面にナード的なルーツを出していないアーティストでも、例えばプネーのドリームポップバンドEasy Wanderlingsは、宮崎駿や久石譲のファンだと語っており、ミュージックビデオにさりげなくトトロのぬいぐるみを登場させている。
日本文化からの影響という意味で言えば、「インドで日本語で歌うインド人シンガー」Drish Tはその究極系とも言える存在だろう。
ムンバイを拠点にインドをマーケットとして活動しながら、彼女は行ったことがない日本のコンビニをイメージした曲を日本語でリリースしている。
ムンバイで活躍する日本人シンガーHiroko Sarahと共演しているラッパーのIbexやKushmirも、インタビューで日本のカルチャーに親しんできたことを語っている。
インドでも、ナード/オタク的カルチャーをインスピレーションの源として、オリジナルな表現に昇華しているアーティストがたくさんいることに間違いはなさそうだ。
その背景を考える前提としてまず理解しなければならないのは、インド社会では、インディーミュージシャンがマッチョさやセクシーさを求められる風潮は、おそらくそこまで強くはないということだ。(一部ヒップホップ勢を除く)
欧米社会では「労働者階級の音楽」「被抑圧者の音楽」であるロックやヒップホップは、インドにおいては、むしろ「欧米の先進国からやってきたハイカルチャー的な音楽」だ。
アニメやゲーム、あるいはマーベルやDCのようなアメリカのコミックを原作とした作品のようなナード/オタクカルチャーも、外来の(ときにクールな)文化という意味では同様である。
インドのインディーミュージシャンは、こうした外来文化に敏感な、インテリ的なアッパーミドル層が中心であり(一部ヒップホップ勢を除く)、その点でアメリカのストリート発祥のブラック・カルチャーとは分けて考えるべきだろう。(もちろんアメリカの黒人アーティストにも富裕層出身者やインテリは多いが…)
じゃあ、インドのナード・カルチャーは、ただの金持ちのオタク趣味なのか。
というと、そうとも言い切れない部分があるはずだ。
インドの大都市に暮らす進歩的な人々が、日本人の平均よりもはるかに欧米的な感覚を持っていることは間違いないが、それでもインド社会の保守性はまだまだ根強い。
親世代と若者の価値観のギャップはインドの映画や文学の永遠のテーマだし、インディー音楽シーンでも、社会の保守性の生きづらさや世代間のすれ違いを扱った曲は多い。
(前回の記事↓で紹介した1位、2位の曲とかね)
ほかにも過剰な格差社会、競争社会であるとか、政治や行政の腐敗や機能不全、コミュニティの対立など、インド社会にはさまざまな問題が山積している。
そうした社会に疲れた若者たちにとって、物語の中に憂き世とはまったく別の小宇宙を見せてくれるオタク/ナードカルチャーは、ある種の避難所的な役割を果たしているのも確かだろう。
それを言ったら、オタク/ナードカルチャーの元になった作品を生み出した日本やアメリカだって、それぞれ固有の社会問題には事欠かないわけで、結局のところ、どこの文化でもオタク/ナード的な異世界が人々を惹きつけることに変わりはないのだけど。
いずれにしても、インド+ナードの組み合わせが、なんだか面白いものを生み出しているってことは間違いない。
例えばこのインドのアニメファンによるYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'の強烈な二次創作は、他の国ではありえないオリジナルっぷりを見せてくれている。
「ガンジャ(大麻)がキマってるみたいなアニメのシーンのコンピレーション」とか、「もしアニメがボリウッドで作られていたら」とか、アニメとインドのインディーミュージックの融合とか、我々の想像を超えたセンスを見せつけてくれる。
例えば、その豪腕を評価されながらもヒンドゥー・ナショナリズム的な姿勢を非難されてもいるモディ首相をネタにしたエヴァンゲリオンのオープニングのパロディなんて、批判的風刺なのだろうけどもう訳がわからない。
とにかく言えるのは、このブログでは「インド+欧米由来のコンテンポラリー音楽」の面白さを追求しているけれど、「インド+オタク/ナードカルチャー」もものすごく面白いってこと。
この混沌のなかから、世界をあっと言わせるようなものすごい作品が生まれてくるのも、そう遠い話ではないのかもしれない。
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詳細は(本当に面白いので)各自読んでもらうとして、この「ブラック・ナード論」を自分なりの観点で要約すると、「マジョリティである白人からも、黒人コミュニティの内部からも、マッチョあるいはセクシーな存在であることを強いられていた黒人にとって、ナード(≒オタク)であることは、逃避的な性格を持つものではなく、むしろクリエイティブな姿勢である」ということになる。
記事では、ブラック・ナード・カルチャーの代表者として、ドナルド・グローヴァー(チャイルディッシュ・ガンビーノ)、タイラー・ザ・クリエイター、フランク・オーシャンらを挙げている。(記事にも触れられているが、最近では女性ラッパーのミーガン・ジー・スタリオンもアニメ好きで有名だ)
20年前だったら、ナードな黒人セレブリティーがここまで大勢活躍している状況はまったく想像できなかった。
確かにナード・カルチャーは、アメリカの黒人文化を変えつつあるのだろう。
さて、それではいつもこのブログで紹介しているインドの音楽シーンの場合はどうだろう。
インドのインディーミュージックシーンにも「オタク趣味」を持つアーティストは多い。
例えば、デリーを中心に活動するマスロック/プログレッシヴ・メタルバンドのKrakenは、曲名やビジュアルイメージにも日本の要素を取り入れており、さらにインタビューでは驚くほど日本文化(音楽・映画)に詳しい一面を見せてくれた。
同じくデリーのエレクトロニカ・アーティストのTarana Marwahは、宮崎アニメなどの日本の作品からの影響を公言しており、日本語のKomorebiというアーティスト名で活動している。
ベンガルールのラッパーHanumankindは、最近はシリアス路線に転向しているものの、かつてはゲームやアニメなどのオタクカルチャーをテーマにしたラップを数多く発表していた。
そこまで前面にナード的なルーツを出していないアーティストでも、例えばプネーのドリームポップバンドEasy Wanderlingsは、宮崎駿や久石譲のファンだと語っており、ミュージックビデオにさりげなくトトロのぬいぐるみを登場させている。
日本文化からの影響という意味で言えば、「インドで日本語で歌うインド人シンガー」Drish Tはその究極系とも言える存在だろう。
ムンバイを拠点にインドをマーケットとして活動しながら、彼女は行ったことがない日本のコンビニをイメージした曲を日本語でリリースしている。
ムンバイで活躍する日本人シンガーHiroko Sarahと共演しているラッパーのIbexやKushmirも、インタビューで日本のカルチャーに親しんできたことを語っている。
インドでも、ナード/オタク的カルチャーをインスピレーションの源として、オリジナルな表現に昇華しているアーティストがたくさんいることに間違いはなさそうだ。
その背景を考える前提としてまず理解しなければならないのは、インド社会では、インディーミュージシャンがマッチョさやセクシーさを求められる風潮は、おそらくそこまで強くはないということだ。(一部ヒップホップ勢を除く)
欧米社会では「労働者階級の音楽」「被抑圧者の音楽」であるロックやヒップホップは、インドにおいては、むしろ「欧米の先進国からやってきたハイカルチャー的な音楽」だ。
アニメやゲーム、あるいはマーベルやDCのようなアメリカのコミックを原作とした作品のようなナード/オタクカルチャーも、外来の(ときにクールな)文化という意味では同様である。
インドのインディーミュージシャンは、こうした外来文化に敏感な、インテリ的なアッパーミドル層が中心であり(一部ヒップホップ勢を除く)、その点でアメリカのストリート発祥のブラック・カルチャーとは分けて考えるべきだろう。(もちろんアメリカの黒人アーティストにも富裕層出身者やインテリは多いが…)
じゃあ、インドのナード・カルチャーは、ただの金持ちのオタク趣味なのか。
というと、そうとも言い切れない部分があるはずだ。
インドの大都市に暮らす進歩的な人々が、日本人の平均よりもはるかに欧米的な感覚を持っていることは間違いないが、それでもインド社会の保守性はまだまだ根強い。
親世代と若者の価値観のギャップはインドの映画や文学の永遠のテーマだし、インディー音楽シーンでも、社会の保守性の生きづらさや世代間のすれ違いを扱った曲は多い。
(前回の記事↓で紹介した1位、2位の曲とかね)
ほかにも過剰な格差社会、競争社会であるとか、政治や行政の腐敗や機能不全、コミュニティの対立など、インド社会にはさまざまな問題が山積している。
そうした社会に疲れた若者たちにとって、物語の中に憂き世とはまったく別の小宇宙を見せてくれるオタク/ナードカルチャーは、ある種の避難所的な役割を果たしているのも確かだろう。
それを言ったら、オタク/ナードカルチャーの元になった作品を生み出した日本やアメリカだって、それぞれ固有の社会問題には事欠かないわけで、結局のところ、どこの文化でもオタク/ナード的な異世界が人々を惹きつけることに変わりはないのだけど。
いずれにしても、インド+ナードの組み合わせが、なんだか面白いものを生み出しているってことは間違いない。
例えばこのインドのアニメファンによるYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'の強烈な二次創作は、他の国ではありえないオリジナルっぷりを見せてくれている。
「ガンジャ(大麻)がキマってるみたいなアニメのシーンのコンピレーション」とか、「もしアニメがボリウッドで作られていたら」とか、アニメとインドのインディーミュージックの融合とか、我々の想像を超えたセンスを見せつけてくれる。
例えば、その豪腕を評価されながらもヒンドゥー・ナショナリズム的な姿勢を非難されてもいるモディ首相をネタにしたエヴァンゲリオンのオープニングのパロディなんて、批判的風刺なのだろうけどもう訳がわからない。
とにかく言えるのは、このブログでは「インド+欧米由来のコンテンポラリー音楽」の面白さを追求しているけれど、「インド+オタク/ナードカルチャー」もものすごく面白いってこと。
この混沌のなかから、世界をあっと言わせるようなものすごい作品が生まれてくるのも、そう遠い話ではないのかもしれない。
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goshimasayama18 at 18:07|Permalink│Comments(0)
2019年12月07日
プネーのドリームポップバンド Easy Wanderlingsの素晴らしい新曲とミュージックビデオ
少し前の話題になるが、以前もこのブログで紹介したプネー出身のドリームポップバンド、Easy Wanderlingsが9月にリリースした"My Place To You"がたいへん素晴らしかった。
以前の紹介記事 :
この作品は、"Beneath the Fireworks"と"Madeline"の2曲によって構成されており、プレスリリースによると、2曲とも、愛する人のために、自分の生活を惜しみなく捧げている人々をテーマにしているそうだ。
それぞれが全く異なる雰囲気の楽曲ながら、2曲はシームレスにつながっているものでもあるという。
彼ららしい心地よい音色と上質なメロディーに加えて、今作ではCGアニメーションによる素晴らしいミュージックビデオも制作されている。
楽曲とマッチした幻想的かつエモーショナルな映像はとても美しく、正直に言うと、初めて見た時には感動のあまり涙が出たくらいだ。
まずは、1曲めに収録されている"Beneath the Fireworks"のミュージックビデオをご覧いただきたい。
幻想的でありながら、どこか日常の感情を想起させる世界観が素晴らしい。
登場人物の動きは最小限だが、レイヤーされたイラストをうまく使って広がりのある視覚効果を実現しており、音楽に合わせた情感豊かな映像の美しさは息を呑むばかりだ。
それにしても、この不思議な映像はいったい何を表しているのだろうか。
なぜ、男は輪郭のみで描かれているのだろうか。
通常、白いサリーは寡婦が着るものとされている。
ということは、輪郭で描かれた男はすでに死んでしまっているということなのだろうか。
歌詞もまた、さまざまな解釈ができそうな内容だ。
例えば1番の後半からサビでは、このような歌詞が歌われている。
ドアの向こうへ行ってしまったら 戻れなくなるのが怖いんだ
私に呼びかけるこの世界へと 川のふちでの暮らしへと
フェンスに座って考えている この花火はいったい何のためなのかと
(歌詞は、例えばこのサイトから読むことができる。https://www.metrolyrics.com/beneath-the-fireworks-lyrics-easy-wanderlings.html)
この曲に続く"Madeline"もまた曲、映像ともに美しく、とてもエモーショナルだ。
彼ららしい心地よい音色と上質なメロディーに加えて、今作ではCGアニメーションによる素晴らしいミュージックビデオも制作されている。
楽曲とマッチした幻想的かつエモーショナルな映像はとても美しく、正直に言うと、初めて見た時には感動のあまり涙が出たくらいだ。
まずは、1曲めに収録されている"Beneath the Fireworks"のミュージックビデオをご覧いただきたい。
幻想的でありながら、どこか日常の感情を想起させる世界観が素晴らしい。
登場人物の動きは最小限だが、レイヤーされたイラストをうまく使って広がりのある視覚効果を実現しており、音楽に合わせた情感豊かな映像の美しさは息を呑むばかりだ。
それにしても、この不思議な映像はいったい何を表しているのだろうか。
なぜ、男は輪郭のみで描かれているのだろうか。
通常、白いサリーは寡婦が着るものとされている。
ということは、輪郭で描かれた男はすでに死んでしまっているということなのだろうか。
歌詞もまた、さまざまな解釈ができそうな内容だ。
例えば1番の後半からサビでは、このような歌詞が歌われている。
Get a rope and tie me up
Coz if I walk out this door, I fear I might be gone.
To this world that’s calling me, to live on the edge of the river,
Sitting here on the fence thinking what the fireworks are for?
ロープを取って縛り付けてくれドアの向こうへ行ってしまったら 戻れなくなるのが怖いんだ
私に呼びかけるこの世界へと 川のふちでの暮らしへと
フェンスに座って考えている この花火はいったい何のためなのかと
(歌詞は、例えばこのサイトから読むことができる。https://www.metrolyrics.com/beneath-the-fireworks-lyrics-easy-wanderlings.html)
この曲に続く"Madeline"もまた曲、映像ともに美しく、とてもエモーショナルだ。
幻想的な世界に遊ぶ母子が詩的に表現されている。
指先から放たれる光線は、想像力のメタファーなのだろうか。
穏やかな夜に見る夢のような美しい楽曲と映像だ。
これらの素晴らしい作品について、Easy Wanderlingsの中心人物のSanyことSanyanth Narothにメールで聞いてみた。
凡平「この美しいアニメは誰が作ったものなんでしょう。ちょっと宮崎駿を思わせるところもありますよね。このアニメ作家とコラボレーションするようになった経緯を教えてください。」
Sany「ビデオを楽しんでくれて嬉しいよ。これらの作品は、二人のインドでとてもよく知られたアニメーターのSailesh Gopalan とPreetham Gunalanが手がけたんだ。
Saileshは、"Brown Paper Bag Comics"という作品で知られていて、インスタグラムで読むことができる。たくさんのフォロワーがいる作家なんだ。彼は日本のアニメをたくさん見ていて、すごく影響を受けているんだよ。僕も日本のアニメが大好きだから、彼に頼んだってわけ。アニメで流れている音楽も大好きで、僕は久石譲の大ファンなんだ。
つまり、日本のアニメ好きっていう点で僕らは繋がることができて、彼には自由にコンセプトを考えて作品を作ってもらうことにした。とても楽しいプロセスだったし、みんなに気に入ってもらえてうれしいよ。」
Saileshの"Brown Paper Bag Comics"は、幻想的なミュージックビデオとはうってかわって、社会風刺的な四コマ漫画だ。
https://www.instagram.com/brownpaperbagcomics/
服飾産業が児童労働を黙認していることを激しく批判しながら、幼い使用人を酷使する富裕層を皮肉るなど、インド社会の矛盾を指摘した作風は、ユーモラスではあるが、はっとさせられる。
本来の意味など理解しなくても、詩的な歌詞と映像はじゅうぶんに感動的なものだが、こうしてストーリーを理解すると、まるで一本の映画を観終わったかのような充足感が感じられる。
この楽曲のような「女性の生き方」というテーマは、最近ではインドの映画でも頻繁に扱われており、都市で暮らすリベラルな中産階級にとっては、非常にアクチュアルなものなのだろう。
指先から放たれる光線は、想像力のメタファーなのだろうか。
穏やかな夜に見る夢のような美しい楽曲と映像だ。
これらの素晴らしい作品について、Easy Wanderlingsの中心人物のSanyことSanyanth Narothにメールで聞いてみた。
凡平「この美しいアニメは誰が作ったものなんでしょう。ちょっと宮崎駿を思わせるところもありますよね。このアニメ作家とコラボレーションするようになった経緯を教えてください。」
Sany「ビデオを楽しんでくれて嬉しいよ。これらの作品は、二人のインドでとてもよく知られたアニメーターのSailesh Gopalan とPreetham Gunalanが手がけたんだ。
Saileshは、"Brown Paper Bag Comics"という作品で知られていて、インスタグラムで読むことができる。たくさんのフォロワーがいる作家なんだ。彼は日本のアニメをたくさん見ていて、すごく影響を受けているんだよ。僕も日本のアニメが大好きだから、彼に頼んだってわけ。アニメで流れている音楽も大好きで、僕は久石譲の大ファンなんだ。
つまり、日本のアニメ好きっていう点で僕らは繋がることができて、彼には自由にコンセプトを考えて作品を作ってもらうことにした。とても楽しいプロセスだったし、みんなに気に入ってもらえてうれしいよ。」
Saileshの"Brown Paper Bag Comics"は、幻想的なミュージックビデオとはうってかわって、社会風刺的な四コマ漫画だ。
https://www.instagram.com/brownpaperbagcomics/
服飾産業が児童労働を黙認していることを激しく批判しながら、幼い使用人を酷使する富裕層を皮肉るなど、インド社会の矛盾を指摘した作風は、ユーモラスではあるが、はっとさせられる。
ちなみにSaileshが最も影響を受けた作品は、『ONE PEACE』とのこと。
Sanyが久石譲のファンだというのも、この2曲のイントロの美しいアレンジを聞けば納得だ。
凡平「"Beneath the Fireworks"のビデオでは、父親は透明人間として描かれていて、母親は白いサリーを着ていますよね。これは、『じつは父親は死んでしまっているけれど、彼の魂はまだ家族のために働いている』ということを意味しているのでしょうか。それとも、これは『愛する人に無償の愛を捧げる』ということのメタファーですか?」
Sany「このビデオでは、伝統的なシステムの中で結婚した女性を描いている。彼女はパートナーの要求を全て満たすために、自分のしたいことや幸せを犠牲にして、人生の全てを捧げているんだ。そして、長い間ともに暮らした夫が亡くなったとき、彼女は自分が誰なのか、何が彼女を幸せにしてくれるのか、わからなくなってしまう。
この曲では、全ての女性に、いったん立ち止まって、じぶんがしている素晴らしいことを振り返って、自分自身と自分の幸福のために時間を使ってほしいっていうことを訴えかけているっていうわけさ」
Sanyが久石譲のファンだというのも、この2曲のイントロの美しいアレンジを聞けば納得だ。
凡平「"Beneath the Fireworks"のビデオでは、父親は透明人間として描かれていて、母親は白いサリーを着ていますよね。これは、『じつは父親は死んでしまっているけれど、彼の魂はまだ家族のために働いている』ということを意味しているのでしょうか。それとも、これは『愛する人に無償の愛を捧げる』ということのメタファーですか?」
Sany「このビデオでは、伝統的なシステムの中で結婚した女性を描いている。彼女はパートナーの要求を全て満たすために、自分のしたいことや幸せを犠牲にして、人生の全てを捧げているんだ。そして、長い間ともに暮らした夫が亡くなったとき、彼女は自分が誰なのか、何が彼女を幸せにしてくれるのか、わからなくなってしまう。
この曲では、全ての女性に、いったん立ち止まって、じぶんがしている素晴らしいことを振り返って、自分自身と自分の幸福のために時間を使ってほしいっていうことを訴えかけているっていうわけさ」
つい男性側の立場で考えてしまったが、これは女性の視点からの物語でもあったのだ。
インドでは、伝統的に夫に先立たれた女性は不吉な存在とされ、派手な色の服を着ることや、装飾品を身に付けること、さらには甘いお菓子を食べることすら禁じられた極めて低い地位に甘んじることになる。
ここでは、こうした価値観のもとで嫁ぐこと自体が、寡婦として生きるのと同じように、自分の希望を殺して生きることでもあると表現しているわけだ。
凡平「"Beneath the Fireworks"の歌詞はとても深いですよね。哲学的なようにも聞こえます。花火(Fireworks)は何かのメタファーなのでしょうか?例えば『この世界に生きる喜び』とか?」
Sany「ありがとう。この曲の歌詞は、『実存的危機』についてのものなんだ。『犠牲と責任』というもっと大きなテーマにも関わってくる。
犠牲ということに関しては、誰かが自分の夢や情熱をあきらめているおかげで、彼らが愛している人が自分の夢を追求できているっていうことなんだよ。 きっとみんな個人的なレベルで、自分との関わりを感じてもらえるテーマじゃないかな。誰かの無言の努力を受け取る側にいるとしても、誰かのために努力を捧げる側にいるとしても。
『花火』は誰もが誰かの努力や奮闘のもとで生きているという意味に捉えることができる、って僕は感じているよ」
誰かのために人生を捧げることを、自らを犠牲にして鮮やかな閃光で暗闇を照らす花火に例えるとは、とても詩的な表現だ。
凡平「"Beneath the Fireworks"の最後に、母親が指から光線を出し始めます。これは亡くなった人との精神的な繋がりのようなものですか?」
Sany「この曲の最後に出てくる光線は、"Madeline"の母子が不思議な世界を作り出す時に使っていた光線と同じものなんだ。"Beneath the Fireworks"では、"Madeline"に出てきた子どもが成長して、都市で平凡で活気のない生活をしている。彼が再び『描くこと』に対する情熱を見出すまではね。
この曲の最後で、『光線』が再び彼を見つけ出して、彼は再び子どもの頃に描いたのと同じ絵を描こうと決意したんだ」
インドでは、伝統的に夫に先立たれた女性は不吉な存在とされ、派手な色の服を着ることや、装飾品を身に付けること、さらには甘いお菓子を食べることすら禁じられた極めて低い地位に甘んじることになる。
ここでは、こうした価値観のもとで嫁ぐこと自体が、寡婦として生きるのと同じように、自分の希望を殺して生きることでもあると表現しているわけだ。
凡平「"Beneath the Fireworks"の歌詞はとても深いですよね。哲学的なようにも聞こえます。花火(Fireworks)は何かのメタファーなのでしょうか?例えば『この世界に生きる喜び』とか?」
Sany「ありがとう。この曲の歌詞は、『実存的危機』についてのものなんだ。『犠牲と責任』というもっと大きなテーマにも関わってくる。
犠牲ということに関しては、誰かが自分の夢や情熱をあきらめているおかげで、彼らが愛している人が自分の夢を追求できているっていうことなんだよ。 きっとみんな個人的なレベルで、自分との関わりを感じてもらえるテーマじゃないかな。誰かの無言の努力を受け取る側にいるとしても、誰かのために努力を捧げる側にいるとしても。
『花火』は誰もが誰かの努力や奮闘のもとで生きているという意味に捉えることができる、って僕は感じているよ」
誰かのために人生を捧げることを、自らを犠牲にして鮮やかな閃光で暗闇を照らす花火に例えるとは、とても詩的な表現だ。
凡平「"Beneath the Fireworks"の最後に、母親が指から光線を出し始めます。これは亡くなった人との精神的な繋がりのようなものですか?」
Sany「この曲の最後に出てくる光線は、"Madeline"の母子が不思議な世界を作り出す時に使っていた光線と同じものなんだ。"Beneath the Fireworks"では、"Madeline"に出てきた子どもが成長して、都市で平凡で活気のない生活をしている。彼が再び『描くこと』に対する情熱を見出すまではね。
この曲の最後で、『光線』が再び彼を見つけ出して、彼は再び子どもの頃に描いたのと同じ絵を描こうと決意したんだ」
凡平「"Madeline"のビデオはまるで夢のようにシュールですよね。ここでも最後に、息子が透明人間になってしまいます。これは何を意味しているんですか?」
Sany「小さな町や村で暮らしていた人が、故郷を出て、夢を追って新しい人生のために大都市に行くっていうのはよくあることさ。この息子は、魔法のような世界と母親のもとを離れ、大都市に移ってキャリアを追求するんだけど、その中で彼は喜びを失い、生気を感じられなくなってしまう。だから彼をチョークの輪郭で描いているのさ」
…と、私の解釈はことごとく外れていたが、これでこの曲が表現している内容がはっきりと理解できた。
曲順でいうと、"Beneath the Fireworks"が先になっているが、ストーリーとしての時系列は"Madeline"が先なのだ。
母の愛情のもとで、自由に想像の世界に遊び、絵を描いていた男の子は、やがて成長し、所謂「社会的な成功」を求めて大都市へと出てゆく。
だが、そこでの生活は毎日が同じことの繰り返し。
無味乾燥で喜びの失せたものだった。
Sany「小さな町や村で暮らしていた人が、故郷を出て、夢を追って新しい人生のために大都市に行くっていうのはよくあることさ。この息子は、魔法のような世界と母親のもとを離れ、大都市に移ってキャリアを追求するんだけど、その中で彼は喜びを失い、生気を感じられなくなってしまう。だから彼をチョークの輪郭で描いているのさ」
…と、私の解釈はことごとく外れていたが、これでこの曲が表現している内容がはっきりと理解できた。
曲順でいうと、"Beneath the Fireworks"が先になっているが、ストーリーとしての時系列は"Madeline"が先なのだ。
母の愛情のもとで、自由に想像の世界に遊び、絵を描いていた男の子は、やがて成長し、所謂「社会的な成功」を求めて大都市へと出てゆく。
だが、そこでの生活は毎日が同じことの繰り返し。
無味乾燥で喜びの失せたものだった。
単調な日々にうんざりしつつも、日常を捨てて夢に生きることを躊躇いながら暮らしていた。
ある日、彼は仕事帰りに子どもたちが自由に描いた絵を目にして、幼い頃の描くことの喜びを思い出す。
そして、彼は自分を育ててくれた母の半生に想いを馳せる。
読書と自然を愛していた若い頃の母は、結婚によって自分自身のための喜びを全て手放し、全ての愛情を家族に注いで生きてきた。
彼が大好きだった絵を描くための想像力も、母からもらったものだ。
(ところで、"Beneath the Fireworks"の冒頭の写真にも出てくる少女二人は、彼の妹たち、もしくは彼の恋人とその妹だろうか)
母の無償の愛、そして、自身の生活の虚しさに気づいた彼は、再び想像力を自由に羽ばたかせ、絵を描くことを決意する。
ある日、彼は仕事帰りに子どもたちが自由に描いた絵を目にして、幼い頃の描くことの喜びを思い出す。
そして、彼は自分を育ててくれた母の半生に想いを馳せる。
読書と自然を愛していた若い頃の母は、結婚によって自分自身のための喜びを全て手放し、全ての愛情を家族に注いで生きてきた。
彼が大好きだった絵を描くための想像力も、母からもらったものだ。
(ところで、"Beneath the Fireworks"の冒頭の写真にも出てくる少女二人は、彼の妹たち、もしくは彼の恋人とその妹だろうか)
母の無償の愛、そして、自身の生活の虚しさに気づいた彼は、再び想像力を自由に羽ばたかせ、絵を描くことを決意する。
本来の意味など理解しなくても、詩的な歌詞と映像はじゅうぶんに感動的なものだが、こうしてストーリーを理解すると、まるで一本の映画を観終わったかのような充足感が感じられる。
この楽曲のような「女性の生き方」というテーマは、最近ではインドの映画でも頻繁に扱われており、都市で暮らすリベラルな中産階級にとっては、非常にアクチュアルなものなのだろう。
こうした社会的なテーマを、単に啓蒙的なメッセージとして伝えるだけではなく、詩的にもストーリー的にも情感豊かな作品に仕上げたEasy Wanderlingsと、アニメーターのSailesh Gopalan, Preetham Gunalanの力量には唸らされるばかりだ。
楽曲の素晴らしさに関しては説明の必要はないだろう。
キャッチーなメロディーと、ナチュラルで心地よいアレンジはあいかわらず冴え渡っているが、個人的にはみずみずしいエレキギターの音色の美しさに注目したい。
歌声同様、決して派手ではないかもしれないが、じつに巧みで上質なものだ。
楽曲の素晴らしさに関しては説明の必要はないだろう。
キャッチーなメロディーと、ナチュラルで心地よいアレンジはあいかわらず冴え渡っているが、個人的にはみずみずしいエレキギターの音色の美しさに注目したい。
歌声同様、決して派手ではないかもしれないが、じつに巧みで上質なものだ。
彼らの音楽は、この2曲のアニメーションのように、どこかあたたかく、誰が聴いても懐かしさを感じさせるような不思議な魅力がある。
彼らの音楽は、ここ日本でも、世界でももっと広く受け入れられる可能性を秘めているはずだ。
彼らの音楽は、ここ日本でも、世界でももっと広く受け入れられる可能性を秘めているはずだ。
彼らも、インタビューのたびに日本での成功を望んでいると語っている。
日本の音楽関係者のみなさん、Easy Wanderlingsの音楽はいかがですか?
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goshimasayama18 at 18:01|Permalink│Comments(0)
2019年04月09日
ただただ上質で心地よいメロディーとハーモニー! Easy Wanderlings
インドっぽいサウンドやテーマのミュージシャンを紹介することが多いこのブログだが、インドには、インドらしさの全くない無国籍でオシャレなサウンドを追求しているアーティストもたくさんいる。
しかしながら、彼らの音楽を欧米のトップミュージシャンたちと比較すると、まだまだ匹敵するクオリティーのものは少ないのもまた事実。
結果的に、インドらしさのある音楽のほうが、日本に住む我々から見るとユニークだったりかっこよかったりするので、どうしても紹介するアーティストの多くがインドっぽい要素を持つ人たちになってしまうのだ。
そんな中、今回紹介するアーティストは、インドらしさ皆無にして、同時に素晴らしく質の高いポップミュージックを作っている。
そのバンドの名前は、Easy Wanderlings.
バンドのFacebookによると、マハーラーシュトラ州の学園都市プネーを拠点に活動するドリームポップ/インディー/ソウルバンドとある。
さっそくその音楽を聴いてみよう。
彼らが2017年にリリースしたアルバム"As Written in the Stars"から、"Enjoy It While It Lasts"
どうだろう。
まるで淡い水彩画のような美しい音楽。
シンプルなようでいてじつに緻密に、必要な音が必要な場所に、過剰な主張をせずに置かれている。
同じアルバムから"Dream To Keep Us Going".
このビデオは、彼らの地元プネーで行われたNH7 Weekender Festivalのドキュメンタリーを兼ねた作りになっている。
静かなイントロから温かい音色のエレキギターのフレーズが始まり、男女のヴォーカルの掛け合いやハーモニーが続くドラマティックな構成の曲だが、聴き心地はあくまでもメロウでソフト。
音が余計な邪魔をしない、居心地の良いカフェのような音楽だ。
彼らは、自分たちの音楽を「1日の仕事を終えた後のような、日曜日にのんびりと窓の外を眺めているような、あるいは真夜中の散歩をしているときのような気分を作るもの」と語っているが、まさにそんな時間に聴くのにぴったりのすばらしいサウンドだ。
私も最近は、帰りに一駅分夜道を歩きながら聴いたり、車窓の風景をぼんやりと眺めながら聴いたりしているが、そうすると日常を流れる時間の心地よさがぐっと増すような、そんな不思議な魅力が彼らの音楽にはある。
Easy Wanderlingsの音楽を紹介する記事には、ソウルフル、ドリーミー、ソフト、ポップといった言葉が並ぶ。
彼らの音楽はインドでも高い評価を得ていて、まだ活動開始後間もないにも関わらず、VIMA Music AwardsのChill Song of the Yearや、Beehype Magazineの2017年ベストアルバムなど、数々の賞を受賞している。
この叙情的でありながらも押し付けがましさの全くない音楽には、 彼らの独特の哲学が反映されているようだ。
彼らは「音楽こそが主役であり、表現者が注目を集めるべきではない」という思想のもとに活動しているらしく、その哲学に関しては、Facebookのページにもメンバー名すら載せていないほどの徹底ぶりだ。
(同じようなコンセプトに基づいて作られた名盤といえば、イギリスのロックバンドTravisが2001年に発表した"Invisible Band"を思い出す。Travisのほうがサウンドはよりロックだが、聴き心地の良さの質感はEasy Wanderlingsともよく似ているように思う)
そんな彼らなので、ウェブ上で得られた情報は非常に少なかったのだが、どうやらEasy Wanderlingsはフルートやバイオリンを含めた8人組のバンドのようだ。
彼らは2015年にサンフランシスコでギターのSanyanthとベースのMalayによって結成され、現在はプネーを拠点に活動を続けているらしい。
ただ、コロンビアのボゴタに滞在していた時に作った曲や、海外を拠点にしているメンバーもいるという情報もあり、単にインドのバンドという一言では片付けられない一面もある。
そのボゴタで作ったという曲。
個人的であると同時に共感を覚えることができる歌詞は、彼らのサウンド同様に、エモーショナルだが、やわらかく、あたたかい。
さらにはアコーディオンの音色が印象的なこんな曲もある。
バラエティーに富んだ上質なポップミュージックを生み出すEasy Wanderingsとは、いったいどんなグループなのか。
彼らの結成の経緯について、音楽の秘密について、現在の活動について、メールでバンドの創設者Sanyanthに聞いてみた。
凡平「サンフランシスコでSanyanthとMalayでバンドを結成したと聞いたんですが、どんなふうに音楽を始めたんですか?」
Sanyanth「僕がサンフランシスコで社会起業論(social entrepreneurship)の修士課程にいた頃、Malayはインドにいて、Satyajit Ray Film and Television Instituteで音響を学んでいたんだ。その頃はミュージシャンになるつもりなんてなかったんだけど、サンフランシスコにいた最後の数ヶ月に、ちょっと曲を書いてみようかなと思って試してみた。そうしたらルームメイトがその曲を聴いて、これはリリースすべきだって言ったんだ。それからインドに戻って、ずっと親友だったMalayに会ったら、彼はこの曲を僕たちでレコーディングして世に出すべきだって言った。そういうわけで2015年の中頃にEasy Wanderlingsを結成したんだ。彼は僕にシンガーのPratika(女性ヴォーカル)を紹介してくれて、別の友達を通して他のメンバーもみんな集まって、音楽を作ってゆくことになったんだよ」
凡平「Easy Wanderlingsはバンドというよりも、理想の音楽を演奏するためのプロジェクトに近いと書かれている記事を読んだのですが、あなたたちは固定メンバーで活動するバンドですか、それともプロジェクト的なものですか?」
Sanyanth「はっきりとバンドだと言えるよ。ここ3年の間、メンバーは増え続けていて、今は8人の放浪者たちがいるんだ(註:Sanyanthはメンバーのことを「放浪者たち(wanderlings)」と呼んでいる)彼らは他のプロジェクトもやっているから、全員でパフォーマンスできないこともあるけど、できるだけ8人でステージに立てるようにしてる。たまには他のミュージシャンや友達とステージで共演することもあるよ。
これが今のメンバー8人だ。
凡平「ずいぶんいろんなタイプの曲を書いていますが、曲作りはどうやって?」
Sanyanth「単に人生経験をもとに曲を書いているんだ。会話したこととか、見たこととか。人生にはいろんなことがあるから、僕たちはいつもいろんなことを話しているし、音楽的にも特定の雰囲気にこだわるつもりはない。曲作りのプロセスは、だいたい僕が作曲して歌詞を書いて、それから残りの放浪者たちで演奏するんだ。みんなからのフィードバックをもとに、メンバーといっしょにいい感じになるまで一音づつ作っていくんだよ。
曲作りのインスピレーションは、注意を払ってさえいればどこにでもある。それは心の中でどう感じるかということとも関係がある。人生に夢中になって、興味のあることや好きなことをすればするほど、想像力を刺激する新鮮な気持ちでいられるよ。」
凡平「コロンビアのボゴタにいたと伺いましたが」
Sanyanth「うん。ボゴタには友達を訪ねに行ったんだ。それからしばらく学校で社会革新(social innovation)について教えたり、社会起業家と働いたりしていたよ」
凡平「プネー、チェンナイ、コペンハーゲン、バレンシアにも仲間がいると伺いました。今も演奏するために世界中から集まってくるのですか?」
Sanyanth「コペンハーゲンの友人Vilhelm Juhlerがプネーで学んでいた時に、一緒にステージに立ったり、アルバムで演奏してもらったりしたよ。キーボードのNitin MuralikrishnaはバレンシアのBerlkee College of Musicで音楽制作、テクノロジー、イノベーションの修士号を取ったんだ。アルバムをレコーディングのときは、彼のパートはそこでレコーディングして送ってもらったんだよ。今は彼はインドに戻ってきて、プネーのGrey Spark Audioっていうスタジオでチーフエンジニアとして働いている。面白いミュージシャンに出会ったら、いつも一緒にやってみて、彼らがテーブルに何をもたらすことができるのか、そしてそれが音楽にどんなスパイスを加えてくれるか試してみるんだ。本当にわくわくするよ。
僕たちはアートワークのためにも多くのアーティストとコラボレーションをしている。それから#iwandereasyっていう楽しみも始めた。インスタグラムで僕らとみんなのお気に入りのふらっとでかけている(wander)時間を共有するために、世界中の人たちに呼びかけているんだ。僕らのファンが送ってくれる美しい場所やすばらしい瞬間を見るのはすごく素敵なことだよ。」
(その様子は彼らのウェブサイトhttps://easywanderlings.com/%23iwandereasyで見ることができる)
凡平「アーティストではなく、音楽そのものにフォーカスする姿勢だそうですね。でも、あなたたちの美しい音楽を聴いたら、どんな人が作っているのか気になってしまうと思うんです」
Sanyanth「僕たちが音楽に焦点をあてたかったのは、みんなに音楽の質について判断してもらうべきだと考えたからなんだ。僕らのことがもっと知りたかったら、いつでもメールをくれたりライブを見にきたりして構わないよ。
日本にも近いうちに演奏しに行けたらいいなあ。ぜひバンドと一緒に行ってみたい国のひとつなんだよ。」
自分たちの存在よりも音楽そのものを重視する彼らは、決して頑固なわけではなく、純粋に音楽を大事にするアーティストたちだった。
彼らの音楽同様に興味深いのはそのバックグラウンドだ。
南アジア系の人々が海外で欧米の文化を取り入れ、グローバルなネットワークで作り出した音楽といえば、90年代には自身のルーツに根ざしたバングラ・ビートやエイジアン・アンダーグラウンドがあった。
それが2010年代も後半になると、インドのグローバル化を反映するかのように、インドのルーツから遠く離れた、こうした普遍的で非常に質の高いポップミュージックまでもが生み出されるようになったというわけだ。
個人的な感想だが、今はインディペンデントシーンで活動している彼らだが、その美しく映像的な音楽は、近年の垢抜けた作風のインド映画にもぴったりだと思う。
しかしながら、彼らの音楽を欧米のトップミュージシャンたちと比較すると、まだまだ匹敵するクオリティーのものは少ないのもまた事実。
結果的に、インドらしさのある音楽のほうが、日本に住む我々から見るとユニークだったりかっこよかったりするので、どうしても紹介するアーティストの多くがインドっぽい要素を持つ人たちになってしまうのだ。
そんな中、今回紹介するアーティストは、インドらしさ皆無にして、同時に素晴らしく質の高いポップミュージックを作っている。
そのバンドの名前は、Easy Wanderlings.
バンドのFacebookによると、マハーラーシュトラ州の学園都市プネーを拠点に活動するドリームポップ/インディー/ソウルバンドとある。
さっそくその音楽を聴いてみよう。
彼らが2017年にリリースしたアルバム"As Written in the Stars"から、"Enjoy It While It Lasts"
どうだろう。
まるで淡い水彩画のような美しい音楽。
シンプルなようでいてじつに緻密に、必要な音が必要な場所に、過剰な主張をせずに置かれている。
同じアルバムから"Dream To Keep Us Going".
このビデオは、彼らの地元プネーで行われたNH7 Weekender Festivalのドキュメンタリーを兼ねた作りになっている。
静かなイントロから温かい音色のエレキギターのフレーズが始まり、男女のヴォーカルの掛け合いやハーモニーが続くドラマティックな構成の曲だが、聴き心地はあくまでもメロウでソフト。
音が余計な邪魔をしない、居心地の良いカフェのような音楽だ。
彼らは、自分たちの音楽を「1日の仕事を終えた後のような、日曜日にのんびりと窓の外を眺めているような、あるいは真夜中の散歩をしているときのような気分を作るもの」と語っているが、まさにそんな時間に聴くのにぴったりのすばらしいサウンドだ。
私も最近は、帰りに一駅分夜道を歩きながら聴いたり、車窓の風景をぼんやりと眺めながら聴いたりしているが、そうすると日常を流れる時間の心地よさがぐっと増すような、そんな不思議な魅力が彼らの音楽にはある。
Easy Wanderlingsの音楽を紹介する記事には、ソウルフル、ドリーミー、ソフト、ポップといった言葉が並ぶ。
彼らの音楽はインドでも高い評価を得ていて、まだ活動開始後間もないにも関わらず、VIMA Music AwardsのChill Song of the Yearや、Beehype Magazineの2017年ベストアルバムなど、数々の賞を受賞している。
この叙情的でありながらも押し付けがましさの全くない音楽には、 彼らの独特の哲学が反映されているようだ。
彼らは「音楽こそが主役であり、表現者が注目を集めるべきではない」という思想のもとに活動しているらしく、その哲学に関しては、Facebookのページにもメンバー名すら載せていないほどの徹底ぶりだ。
(同じようなコンセプトに基づいて作られた名盤といえば、イギリスのロックバンドTravisが2001年に発表した"Invisible Band"を思い出す。Travisのほうがサウンドはよりロックだが、聴き心地の良さの質感はEasy Wanderlingsともよく似ているように思う)
そんな彼らなので、ウェブ上で得られた情報は非常に少なかったのだが、どうやらEasy Wanderlingsはフルートやバイオリンを含めた8人組のバンドのようだ。
彼らは2015年にサンフランシスコでギターのSanyanthとベースのMalayによって結成され、現在はプネーを拠点に活動を続けているらしい。
ただ、コロンビアのボゴタに滞在していた時に作った曲や、海外を拠点にしているメンバーもいるという情報もあり、単にインドのバンドという一言では片付けられない一面もある。
そのボゴタで作ったという曲。
I'm 25 tomorrow, should I be worried?
明日で僕は25歳になる 僕は悩むべきなんだだろうか
明日で僕は25歳になる 僕は悩むべきなんだだろうか
Half my life is gone past, incomplete resolutions
人生の半分が過ぎても、分からないことだってまだまだある
人生の半分が過ぎても、分からないことだってまだまだある
Tired of fighting myself, it's together from now on.
自分との戦いにはもううんざりだ これからは自分と仲良くやってゆくよ
自分との戦いにはもううんざりだ これからは自分と仲良くやってゆくよ
I’m getting off this treadmill and walk the stony road.
ランニングマシンを降りて、石造りの道を歩くんだ
ランニングマシンを降りて、石造りの道を歩くんだ
個人的であると同時に共感を覚えることができる歌詞は、彼らのサウンド同様に、エモーショナルだが、やわらかく、あたたかい。
さらにはアコーディオンの音色が印象的なこんな曲もある。
バラエティーに富んだ上質なポップミュージックを生み出すEasy Wanderingsとは、いったいどんなグループなのか。
彼らの結成の経緯について、音楽の秘密について、現在の活動について、メールでバンドの創設者Sanyanthに聞いてみた。
凡平「サンフランシスコでSanyanthとMalayでバンドを結成したと聞いたんですが、どんなふうに音楽を始めたんですか?」
Sanyanth「僕がサンフランシスコで社会起業論(social entrepreneurship)の修士課程にいた頃、Malayはインドにいて、Satyajit Ray Film and Television Instituteで音響を学んでいたんだ。その頃はミュージシャンになるつもりなんてなかったんだけど、サンフランシスコにいた最後の数ヶ月に、ちょっと曲を書いてみようかなと思って試してみた。そうしたらルームメイトがその曲を聴いて、これはリリースすべきだって言ったんだ。それからインドに戻って、ずっと親友だったMalayに会ったら、彼はこの曲を僕たちでレコーディングして世に出すべきだって言った。そういうわけで2015年の中頃にEasy Wanderlingsを結成したんだ。彼は僕にシンガーのPratika(女性ヴォーカル)を紹介してくれて、別の友達を通して他のメンバーもみんな集まって、音楽を作ってゆくことになったんだよ」
凡平「Easy Wanderlingsはバンドというよりも、理想の音楽を演奏するためのプロジェクトに近いと書かれている記事を読んだのですが、あなたたちは固定メンバーで活動するバンドですか、それともプロジェクト的なものですか?」
Sanyanth「はっきりとバンドだと言えるよ。ここ3年の間、メンバーは増え続けていて、今は8人の放浪者たちがいるんだ(註:Sanyanthはメンバーのことを「放浪者たち(wanderlings)」と呼んでいる)彼らは他のプロジェクトもやっているから、全員でパフォーマンスできないこともあるけど、できるだけ8人でステージに立てるようにしてる。たまには他のミュージシャンや友達とステージで共演することもあるよ。
これが今のメンバー8人だ。
Sanyanth Naroth – Composer/ Songwriter / Vocalist
Sharad Rao - Electric Guitar / Vocalist
Malay Vadalkar - Bass
Pratika Gopinath - Female Vocalist
Nitin Muralikrishna - Keyboard
Siya Ragade - Flute
Shardul Bapat- Violin
Abraham Zachariah - Drums 」凡平「ずいぶんいろんなタイプの曲を書いていますが、曲作りはどうやって?」
Sanyanth「単に人生経験をもとに曲を書いているんだ。会話したこととか、見たこととか。人生にはいろんなことがあるから、僕たちはいつもいろんなことを話しているし、音楽的にも特定の雰囲気にこだわるつもりはない。曲作りのプロセスは、だいたい僕が作曲して歌詞を書いて、それから残りの放浪者たちで演奏するんだ。みんなからのフィードバックをもとに、メンバーといっしょにいい感じになるまで一音づつ作っていくんだよ。
曲作りのインスピレーションは、注意を払ってさえいればどこにでもある。それは心の中でどう感じるかということとも関係がある。人生に夢中になって、興味のあることや好きなことをすればするほど、想像力を刺激する新鮮な気持ちでいられるよ。」
凡平「コロンビアのボゴタにいたと伺いましたが」
Sanyanth「うん。ボゴタには友達を訪ねに行ったんだ。それからしばらく学校で社会革新(social innovation)について教えたり、社会起業家と働いたりしていたよ」
凡平「プネー、チェンナイ、コペンハーゲン、バレンシアにも仲間がいると伺いました。今も演奏するために世界中から集まってくるのですか?」
Sanyanth「コペンハーゲンの友人Vilhelm Juhlerがプネーで学んでいた時に、一緒にステージに立ったり、アルバムで演奏してもらったりしたよ。キーボードのNitin MuralikrishnaはバレンシアのBerlkee College of Musicで音楽制作、テクノロジー、イノベーションの修士号を取ったんだ。アルバムをレコーディングのときは、彼のパートはそこでレコーディングして送ってもらったんだよ。今は彼はインドに戻ってきて、プネーのGrey Spark Audioっていうスタジオでチーフエンジニアとして働いている。面白いミュージシャンに出会ったら、いつも一緒にやってみて、彼らがテーブルに何をもたらすことができるのか、そしてそれが音楽にどんなスパイスを加えてくれるか試してみるんだ。本当にわくわくするよ。
僕たちはアートワークのためにも多くのアーティストとコラボレーションをしている。それから#iwandereasyっていう楽しみも始めた。インスタグラムで僕らとみんなのお気に入りのふらっとでかけている(wander)時間を共有するために、世界中の人たちに呼びかけているんだ。僕らのファンが送ってくれる美しい場所やすばらしい瞬間を見るのはすごく素敵なことだよ。」
(その様子は彼らのウェブサイトhttps://easywanderlings.com/%23iwandereasyで見ることができる)
凡平「アーティストではなく、音楽そのものにフォーカスする姿勢だそうですね。でも、あなたたちの美しい音楽を聴いたら、どんな人が作っているのか気になってしまうと思うんです」
Sanyanth「僕たちが音楽に焦点をあてたかったのは、みんなに音楽の質について判断してもらうべきだと考えたからなんだ。僕らのことがもっと知りたかったら、いつでもメールをくれたりライブを見にきたりして構わないよ。
日本にも近いうちに演奏しに行けたらいいなあ。ぜひバンドと一緒に行ってみたい国のひとつなんだよ。」
自分たちの存在よりも音楽そのものを重視する彼らは、決して頑固なわけではなく、純粋に音楽を大事にするアーティストたちだった。
彼らの音楽同様に興味深いのはそのバックグラウンドだ。
南アジア系の人々が海外で欧米の文化を取り入れ、グローバルなネットワークで作り出した音楽といえば、90年代には自身のルーツに根ざしたバングラ・ビートやエイジアン・アンダーグラウンドがあった。
それが2010年代も後半になると、インドのグローバル化を反映するかのように、インドのルーツから遠く離れた、こうした普遍的で非常に質の高いポップミュージックまでもが生み出されるようになったというわけだ。
個人的な感想だが、今はインディペンデントシーンで活動している彼らだが、その美しく映像的な音楽は、近年の垢抜けた作風のインド映画にもぴったりだと思う。
昨今インドでは映画音楽とインディーズシーンの距離がますます縮まっており、インドのエンターテインメントのメインストリームである映画業界からのオファーが来る可能性も高いのではないだろうか。
日本でのライブもぜひ実現してもらいたい。
インドのアーティストの来日公演は、まだまだ古典音楽やコアなジャンル(昨年来日したデスメタルバンドのGutslitとか)に限られているが、もうじき彼らのようなインド産の上質なポップアーティストが日本で見られる日が来るかもしれない。
まずはフジロックあたりで呼んでくれないかな。
苗場の自然の中で彼らの音楽が聴けたらさぞ気持ちいいと思うんだけど。
インドの音楽シーンはますます豊かに、面白くなってゆくばかりだ。
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日本でのライブもぜひ実現してもらいたい。
インドのアーティストの来日公演は、まだまだ古典音楽やコアなジャンル(昨年来日したデスメタルバンドのGutslitとか)に限られているが、もうじき彼らのようなインド産の上質なポップアーティストが日本で見られる日が来るかもしれない。
まずはフジロックあたりで呼んでくれないかな。
苗場の自然の中で彼らの音楽が聴けたらさぞ気持ちいいと思うんだけど。
インドの音楽シーンはますます豊かに、面白くなってゆくばかりだ。
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