Dohnraj
2024年12月23日
2024年度版 軽刈田 凡平's インドのインディー音楽top10
インドのシーンを長くチェックしていると、あまりの急成長っぷりに、今後どんなに面白い曲がリリースされても、もう以前みたいに驚かないかな、なんていう勝手な心配をしてしまうときがある。
幸運なことに、今年もそれは完全な杞憂に終わった。
2024年もインドのインディーズ音楽シーンは大豊作。
例によって、シングルだったりアルバムだったりミュージックビデオだったりいろいろ取り混ぜて、今年のインドのインディーズ・シーンを象徴していると思える10作品を紹介する。
Hanumankind “Big Dawg”(シングル)
今年のインドのインディーズ音楽シーンの話題のひとつだけ選ぶとしたら、どう考えてもこの曲をおいて他にない。
マラヤーリー系(ケーララ州にルーツを持つ)でテキサス育ち、ベンガルールを拠点に活動しているHanumankindは、インドでは少なくない英語でラップをするラッパーの一人だ。
ヒップホップをアメリカの音楽として捉えれば英語ラップこそが正統派ということになるのだが、今更いうまでもなくヒップホップのグローバル化はとっくに完了しいて、このジャンルは世界中でローカル化のフェーズに入っている。
インドでも人気が高いのはヒンディー語やパンジャーブ語などのローカル言語のラップで(ベンガルールならカンナダ語)、インドの英語ラップはローカル言語の人気ラッパーと比べるとYouTubeの再生回数が2ケタくらい低い通好みな存在にとどまっていた。
そこから一気に世界的ヒットへと躍り出てしまったというところにHanumankindのミラクルがある。
今では“Big Dawgs”の再生回数は、彼がリリックの中でリスペクトを込めてネームドロップしたProject Patすらはるかに上回っている。
Kalmiの強烈なビート、ふてぶてしい本格的な英語ラップ、インド人という意外性、そしてCGなしで撮影されたミュージックビデオ(「死の井戸」を意味する'maut ka kuan'というインドの見世物)など、全ての条件がこの奇跡を呼び起こした。
Kalmiの強烈なビート、ふてぶてしい本格的な英語ラップ、インド人という意外性、そしてCGなしで撮影されたミュージックビデオ(「死の井戸」を意味する'maut ka kuan'というインドの見世物)など、全ての条件がこの奇跡を呼び起こした。
年末にはNetflixの"Squid Game2"(イカゲーム2)の楽曲も手がけ、Habumankindはますます波に乗っている。
今後、彼は一発屋以上の成功を手に入れることはできるのか。
他のインドのラッパーたちは彼の成功に続くことができるのか。
1年後に彼が、インドのヒップホップシーンがどういう状況になっているのか今から楽しみだ。Paal Dabba “OCB”(シングル)
インドのヒップホップのビートを時代別に見ていくと、黎明期とも言える2010年代前半は、90年台USラップの影響が強いブーンバップ的なビートが多く、2020年前後からはいわゆる「トラップ以降」のビートが目立つようになってきた。(超大雑把かつ独断によるくくりで、例外はいくらでもあります)
それが、ここにきてディスコっぽいファンキーなビートが目立つようになってきた。
その代表格として、このタミルの新進ラッパーを挙げたい。
ラップ良し、ダンス良し。
タミル語らしい響きのフロウやいかにもタミルっぽいケレン味たっぷりのセンスと、世界中のどこの国でも通用する現代的なクールさを兼ね備えた彼は、この地域の人気ラッパーの常として、映画音楽でも引っ張りだこだ。
タミル語らしい響きのフロウやいかにもタミルっぽいケレン味たっぷりのセンスと、世界中のどこの国でも通用する現代的なクールさを兼ね備えた彼は、この地域の人気ラッパーの常として、映画音楽でも引っ張りだこだ。
インドのヒップホップのトレンドが、ディスコ化といういかにもインド的なフェーズに入ってきたということ、そしてそれがカッコいいということが最高だ。
ミュージックビデオもタミルらしさとヒップホップっぽさ(2Pacみたいな人物が出て来たりする)、ブルーノ・マーズ以降っぽい感覚が共存していて今のインドって感じで痺れる。
Frappe Ash “Junkie”(アルバム)
Frappe Ashはデリーから北に250キロ、ウッタラカンド州デヘラードゥーンという音楽シーンではあまり存在感のない街出身のラッパー。
(以前はデラドゥンと書かれることが多かったと思うが、都市名は言語に忠実な表記をするのがスタンダードになってきているので、ここではデヘラードゥーンとしておく)
調べてみると学園都市であるデヘラードゥーンにはそれなりにラッパーがいるみたいで、若者が多い街には若者文化が栄えているという法則はここでもあてはまるようだ。
彼が今年6月にリリースしたアルバム“Junkie”が素晴らしかった。
このアルバムはディスコ調ありポップなトラックありと、スタイル的にも多様で、かつセンスの良いアルバムなのだが、その1曲目にこのフュージョントラックを入れてきたのにはめちゃくちゃしびれた。
新人ラッパーかと思ったら、音源のリリース時期をチェックしてみると2016年には活動を始めているそこそこのベテラン。
インドの地方都市の音楽シーンも本当にあなどれなくなってきた。
Sez on the Beat、Seedhe Mautらのデリーの人脈やアーメダーバードのDhanjiなど、北インドのかっこいいラッパーとは軒並み繋がっているようで、今作にはゲスト陣も多数参加。
Spotify Indiaによると、インドのヒップホップでもっとも成長が著しい言語はハリヤーンウィー語(デリーにほど近いハリヤーナー州に話者が多い)だそうだが、これまでヒンディー語の音楽シーンに回収されてしまっていた北インド各地の音楽シーンが、自らの言語をビートに乗せる術を得て目覚め始めているのかもしれない。
ハリヤーナーのフュージョンラップでは年末にデリーの名匠Sez on the BeatプロデュースによるRed Bull 64 Barsで衝撃的な"Kakori Kaand"を発表したMC SQUAREもやばかった。
ハリヤーナーのフュージョンラップでは年末にデリーの名匠Sez on the BeatプロデュースによるRed Bull 64 Barsで衝撃的な"Kakori Kaand"を発表したMC SQUAREもやばかった。
Kratex, Shreyas “Taambdi Chaamdi”
マラーティー語は大都市ムンバイを擁するマハーラーシュトラ州の公用語だが、ムンバイで作られる「ボリウッド映画」がヒンディー語映画を指すことからも分かるように、この街のエンタメはインド最大の市場を持つヒンディー語作品に偏りがちで、音楽シーンでもマラーティー語はそこまで存在感がない。
そんな中で「マラーティー語のハウス」というかなりニッチなジャンルに特化して取り組んできたのがムンバイ出身のDJ/プロデューサーのKratexだ。
そのセンスとクオリティには以前から注目していたが、彼とプネー出身のマラーティー語ラッパーShreyasと共演したこの曲でついに大きな注目を得るに至った。
オランダの名門Spinnin Recordsからリリースされたこの曲は、ユーモアと洒脱さを兼ね備えた音楽性でこれまでにYouTubeで2,000万回に迫る再生回数を叩き出している。
Kratexの曲はBPM130くらいで揃えられていて、サブスクで流しっぱなしにしておくのも楽しい。
Prabh Deep “DSP”(アルバム)
デリーのストリートを代表するラッパーとして彗星のように現れたPrabh Deepだが、じつは数年前に首都から引っ越しており、現在はゴアを拠点に活動している。
街のイメージそのままに、デリー時代は苛立ちを感じさせる殺伐とした曲が多かったが、陽光が降り注ぐ海辺のゴアに越してからの彼はなんか吹っ切れたような印象がある。
日本で言うと、ちょうどKOHHが千葉雄喜になった感じと似ている。
もうひとつKOHHと共通しているのが、Prabh Deepもまたリリックよりも声の良さだけで聴かせる力を持っているということ。
この“Zum”なんて、ほとんど中身がなさそうなリリックだが(超深いことを言っている可能性もなくはないが)、力を抜いた発声でもここまで聴かせる緊張感がある。
タイ在住のアメリカ人ラッパーとの共演というわけがわからない意外性も彼らしい。
タイ在住のアメリカ人ラッパーとの共演というわけがわからない意外性も彼らしい。
バングラーかギャングスタ的なスタイルに偏りがちな他のパンジャービー・シクのラッパーとは一線を画し、自由なヒップホップを追求する姿勢は拠点を移しても変わらない。
Prabh Deepはこれまでも年間ベストで選んでいるので、よほどの作品でなければ選出しないつもりでいたのだが、2021年の"Tabia"とはまったく別の方向性でこれだけのアルバムを作られたら選ばないわけにはいかない。
しかも彼は今年、よりリラックスした作風の"KING Returns"というアルバムもリリースしている。
あいかわらずすごい創作意欲だ。
しかも彼は今年、よりリラックスした作風の"KING Returns"というアルバムもリリースしている。
あいかわらずすごい創作意欲だ。
Wazir Patar “Barks(feat. Azaad 4L)”他(楽曲)
定点観測している、パンジャーブ系のバングラー・ラッパーのヒップホップ化について、今年しびれたのはこの曲。
このジャンルではオンビートで朗々と歌うバングラーのフロウからタメの効いたヒップホップ的なリズムへの以降が進みつつあるが、その2024年的スタイルを聴かせてくれるのがWazir Patarだ。
“Barks”のバングラー的な張りのある発声とラップのスピットの融合に、ギャングスタ的アティテュードをバングラーでどう表現するかという問いに対するひとつの答えが出ている。(そんな問いは俺以外だれもしてないが)
ビートがトラップ系ではなくブーンバップなのも良くて、パンジャービーでシクでギャングスタという彼の個性(いささかありふれていると思わなくもないが)が存分に感じられる。
Sidhu Moose Wala亡き後のシーンはKaran AujlaやShubhらの人気ラッパーがしのぎを削っているが、Wazir Patarもその中で存在感を増しつつある一人だ。
Sambata “Hood Life”(楽曲)
国籍を問わずラッパーの進化というのは割と似たような過程を辿るのかもしれない。
ムンバイ、プネーあたり(マハーラーシュトラ州西側)のストリート系ラッパーのわずか10年あまりの歴史の教科書があるとしたら、DIVINEが1ページ目に載るはずだろう。
彼はハスキーな声で歯切れの良いラップをスピットする、日本で言うとZeebraみたいなスタイルで「ストリートの声」となった。
彼はハスキーな声で歯切れの良いラップをスピットする、日本で言うとZeebraみたいなスタイルで「ストリートの声」となった。
その後に進化系として的確なラップ技術と”Firse Macheyange”に象徴されるポップさなどを兼ね備えたEmiway Bantaiが登場。他のラッパーをディスりまくって名を挙げた。
続いてシーンを賑わせたのは、エモ/マンブル系のMC STANだ。
そこからさらに進化して、2024年の雰囲気を感じさせてくれるラッパーがこのSAMBATAだ。
続いてシーンを賑わせたのは、エモ/マンブル系のMC STANだ。
そこからさらに進化して、2024年の雰囲気を感じさせてくれるラッパーがこのSAMBATAだ。
SAMBATAのラップには、日本でいうとWATSONとかDADAと通じるような雰囲気がある。
ちょっとやさぐれたような、
ちょっとやさぐれたような、
彼もまたマラーティー語ラッパー。まさかこのトップ10にマラーティー語の曲を2曲も選ぶ日が来るとは思わなかったな。
パンジャービー語ラッパー(バングラーではない)のRiar Saabとの共演という視野の広さも良い。
プロデュースはKaran Kanchan. 今回もいい仕事をしている。
パンジャービー語ラッパー(バングラーではない)のRiar Saabとの共演という視野の広さも良い。
プロデュースはKaran Kanchan. 今回もいい仕事をしている。
Raman “Dekho Na”(シングル)
新世代R&Bアーティストもどんどんかっこいい人が出てきている。
その中でもとくに印象に残ったのがこのRaman.
彼は日本でいうと藤井風みたいな雰囲気がある。
ヴォーカリストとしてもソングライターとしても資質があって、声にも色気がある。
このままインディーズでやり続けていても良いし、映画音楽方面に進出しても面白そうだ。
この手のシンガーについては以前この記事で特集している。
Karun, Lambo Drive, Arpit Bala & Revo Lekhak “Maharani”
以前から注目していたインドでたびたび見られるラテン風ラップ/ポップスの一つの到達点とも言える曲。
このテーマで書くなら、よりビッグネームなYo Yo Honey Singhの"Bonita"とか、Badshahが参加した"Bailamos"を挙げてもよかったのだが、彼らは以前からレゲトンなどのラテンの要素を取り入れていたことを知っていたので、今回はサンタナみたいな伝統的ラテンなこの曲をセレクトしてみた。
独特の歌い回しのどこまでがインド要素でどこからがラテン要素なのかが分からなく
ラテン風の楽曲ではタミルのAasamyも良かった。
Dohnraj “Gods & Lowlife”(アルバム)
ロックアーティストとしては唯一の選出となったDohnrajは、デリーを拠点に80年代的なロックサウンドを奏でているシンガーソングライター。
ジャンルの多様性を確保するためにロックから選ぶようなことはしたくなかったし、彼にことは2022年にも年間Top10に選出しているのでそんなに推すつもりはなかったのだが、 9月にリリースされた“Gods & Lowlife”の充実度を考えたら、リストに入れないという選択肢はなかった。
そう来たか!のプログレ風の”If That Don’t Please Ya (Nothing Ever Will)”に始まり、80〜90年代の洋楽的要素をふんだんに取り入れた万華鏡的音世界は、世代のせいかもしれないがとても魅力的だった。
先日の記事にも書いたが、インドのアーティストの過去の洋楽オマージュっぷりはかなり面白く、今後も注目していきたい分野だ。
というわけで、いつも年末ぎりぎりに発表していた年間ベスト10を今年はちょっと早めに発表してみました。
今ムンバイにいて、その様子はとある媒体で書きますが、とても刺激的な出会いと経験を重ねています。
みなさんも良いお年を!
先日の記事にも書いたが、インドのアーティストの過去の洋楽オマージュっぷりはかなり面白く、今後も注目していきたい分野だ。
というわけで、いつも年末ぎりぎりに発表していた年間ベスト10を今年はちょっと早めに発表してみました。
今ムンバイにいて、その様子はとある媒体で書きますが、とても刺激的な出会いと経験を重ねています。
みなさんも良いお年を!
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goshimasayama18 at 13:58|Permalink│Comments(0)
2024年11月21日
60's〜90's洋楽オマージュ! インドの温故知新アーティスト特集
たびたび書いているように、インドでインディペンデントな音楽シーンが爆発的に発展したのは、インターネット普及した2010年代以降のこと。
20世紀のインドでは、インディーズ系の音楽は、ごく一部の裕福な若者の趣味としてしか存在していなかった。
その頃のインドでは、バンドをやるための楽器や機材はとても高価だったため、今のようにスマホが1台あればビートをダウンロードできて、それに合わせてラップできて…というわけにはいかなかったからだ。(細かく調べればいくつかの例外はあるかもしれないが)
だから、今でもインドのロックシーンには労働者階級のパンク的な荒っぽさよりもミドルクラスの上品な雰囲気が漂うバンドが多いし、そもそもインドのインディーズ音楽シーンではロックよりも圧倒的にヒップホップやエレクトロニックの人気が高い。
インドのインディーズ音楽シーンが盛り上がり始めた2010年代には、ロックはもう過去の音楽だったからだ。
とはいえ、過去のクールな音楽を掘って模倣したがるというのはどこの国でも同じこと。
まだまだインディーズ・シーンの歴史の浅いインドにも、彼らが生まれる前の60年代〜90年代のロックの影響を受け、そのオマージュとも言える楽曲を発表しているアーティストが結構いる。
ここ最近でもっとも衝撃を受けたのは、デリーのアンダーグラウンドヒップホップレーベルAzadi Recordsが最近プッシュしているシンガーGundaがリリースしたこの曲だ。
なんとThe Doorsへのオマージュになっている!
Gunda, Encore ABJ "Ruswai"
サンプリングのネタとして引用するのではなく、Light My Fireっぽい雰囲気をそのまま再現するという方法論は2024年に聴くとめちゃくちゃ新鮮だ。
歌はジム・モリソンほどソウルフルではないが、この気だるいグルーヴで引っ張ってゆく感じ、ものすごく「分かってる」。
口上みたいなフロウから始まるEncore ABJ(デリーのSeedhe Mautのメンバー)のラップも完璧にはまっている。
まさかインドからこういう悪魔合体音楽が生まれてくるとは!
ところで、Prabh DeepやSeedhe Mautといった人気ラッパーが軒並み離れてしまった(専属ではなくなった)Azadi Recordsは、最近では歌モノのリリースがかなり多くなってきており、必ずしもヒップホップレーベルとは言えなくなってきているが、独特の冴えたセンスは相変わらず。
ヒップホップというジャンルの間口は今すごく広がっているから、むしろ現在のヒップホップを体現していると言ってもいいかもしれない。
以前紹介した「現代インドで80年代UKロックを鳴らす男」ことDohnrajが今年リリースしたニューアルバム"Gods & Lowlifes"もやばかった。
前作は80's臭に溢れていたが、今作のタイトルトラックはもろ90'sのブリットポップ!
Dohnraj, Jbabe "Gods & Lowlifes"
このヘタウマな歌の感じ、ドラマチックなアレンジ、そして叙情的なメロディー。
90年代UKの一発屋バンドThe Verveあたりを思い起こさせる…とか言うと年がバレそうだが、当時リリースされていたらミュージックライフとかクロスビートあたりのレビューで結構いい評価がついたんじゃないだろうか。
この曲にはタミルのロックバンドF16sのフロントマンで、ソロでも秀作を発表しているJbabeが参加している。
距離も離れていて言語も文化もまったく違うデリーとチェンナイの2人が、この90's UKロックへのオマージュのためだけにコラボレーションしているというのも痺れる。
このアルバムからミュージックビデオが制作された"Freedom"は、うってかわってブルースっぽいシブい始まり方をする曲だが、歌の感じはミック・ジャガーやデヴィッド・ボウイを彷彿とさせる、あの英国特有の湿った感じ。
Dohnraj "Freedom"
途中からの展開は若干アイデアの寄せ集めっぽい感じがしないでもないが、メロディーやアレンジがいちいちツボを押さえていて唸らされる。
このアルバムには他にもプログレっぽい曲なんかも収められていて、そもそもロックの人気がそこまで高くないインドで異常にマニアックな音楽世界を構築している。
こういうアーティストばかり紹介していると、せっかくインドの音楽を紹介するんだったら古い洋楽の模倣じゃなくてインドのオリジナルな音を紹介すればいいじゃないか、と思う人もいるかもしれない。
それも一理あるのだが、そもそも前提として、日本もインドもインディペンデントな音楽シーンに関して言えば、アメリカやイギリスの音楽文化の圧倒的な影響下にある。
良くも悪くもそれは否定のしようがない事実で、結局のところ、こうした過去の音楽的遺産は、ポップカルチャーの共通語として機能する。
それぞれの文化を土壌としたオリジナルな表現や、あるいは世界中の誰もまだ鳴らしていないような尖ったサウンドも素晴らしいが、こんなふうに「あっ!そういうの好きなの?分かる!」みたいな感覚を、日本からも欧米からも遠く離れた南アジアのアーティストに感じたりできることっていうのも、すごく素敵なことなんじゃないだろうか。
90年代から音楽を聴いていた自分としては、インドの若いミュージシャンがリアルタイムで経験したはずのない音を緻密に再現しているのを発見すると、海外旅行中に思いがけず旧友にばったり会ったみたいなたまらないエモーションを感じてしまう。
おっと、つい感傷的になっちまった。
まだもうちょっとこの手の音楽を紹介させてもらう。
次はもうちょっと新しい音楽だ。
デリーのBhargはラッパーとの共演も多い現代的な感覚を併せ持ったアーティストだが、この曲を聴くと過去の音楽も相当聴き込んでいるということが分かる。
イントロのチープなノスタルジーと、後半Weezerみたいな展開がこれまたたまらない。
Bharg "Nithalla"
歌詞がヒンディー語であることがまったく気にならないエヴァーグリーンな洋楽ポップ的メロディーもいい。
自分は洋楽的なメロディーの端々に言語特有の訛りとも言える節回しが出てしまうシンガーが好きなのだが、逆にこうやって自分の言語と洋楽的センスを見事に融合するこだわりもまたかっこいいと思う。
インドでこの手のノスタルジックな洋楽サウンドを鳴らすミュージシャンを紹介するなら、Peter Cat Recording Co.に触れないわけにはいかない。
彼らが今年リリースしたアルバム"Beta"は、すでに日本でも多くのインディーズ系メディアで取り上げられているが、期待を裏切らないクオリティだった。
Peter Car Recording Co. "Suddenly"
これは決してディスっているわけではないのだが、彼らの曲を聴くと「上質な退屈」という言葉が頭に浮かぶ。
インターネットなんか繋がないで、こういう音楽を流しながらコーヒーを飲んだり本を読んだりぼーっとしながら時間を過ごすのが本当の贅沢なんじゃないか、というような感覚だ。
昔(インターネット時代の前の話)、金持ちの友人の別荘に行ったらテレビがなくて驚いたことがあるのだが、そのときに、この人たちは本当の裕福な時間の過ごし方を知っているんだなあと思ったものだった。
このコンテンツ飽和時代に、一瞬でも飽きさせないように一曲に展開を詰め込むのではなく、淡々と上質なメロディーを紡いでいく彼らの音楽にも、そうした「贅沢さとしての退屈」みたいな感覚が込められているように思うのだ。
デジタルネイティブなインドの若い世代にも、おそらくだがインターネット以前の時代や、繋がらない時間の過ごし方に対する憧憬はあるはずで、日本よりも激しい競争社会に生きる彼らのほうが、むしろそうした思いはずっと強いとも考えられる。
彼らが20世紀の洋楽的なロックやポップスに惹かれるのは、そこに今日の音楽には存在し得ない、より豊穣な自由さを感じるからかもしれない。
次の日曜はチャイを入れてPeter Cat Recording Co.を聴く退屈な午後を楽しんでみようかな。
すぐにスマホに手が伸びてしまいそうだけど。
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goshimasayama18 at 21:04|Permalink│Comments(0)
2022年12月27日
2022年度版 軽刈田 凡平's インドのインディー音楽top10
このブログを書き始めてあっという間に5年の月日が流れた。
始めた頃、どうせ読んでくれる人は数えるほどだろうから、せめて印象に残る名前にしよう思って「かるかった・ぼんべい」と名乗ってみたのだが、どういうわけかまあまあ上手く行ってしまい、この5年の間に雑誌に寄稿させてもらったり、ラジオで喋らせてもらったり、あろうことか本職の研究者の方々の集まりに呼んでいただいたりと、想像以上に注目してもらうことができた。
みなさん本当にありがとうございます。
こんなことになるなら、もうちょっとちゃんとした名前を付けておけばよかった。
「飽きたらやめればいいや」という始めた頃のいい加減な気持ちは今もまったく変わらないものの、幸いにもインドの音楽シーンは面白くなる一方で、まったくやめられそうにない。
これからも自分が面白いと思ったものを自分なりに書いていきますんで、よろしくお願いします。
というわけで、今年も去りゆく1年を振り返りつつ、今年のインドのインディー音楽界で印象に残った作品や出来事を、10個選ばせてもらいました。
Bloodywood (フジロック・フェスティバル出演)
日本におけるインド音楽の分野での今年最大のトピックは、フジロックフェスティバルでのBloodywoodの来日公演だろう。
朝イチという決して恵まれていない出演順だったにもかかわらず、彼らは一瞬でフジロックのオーディエンスを虜にした。
映像では彼らの熱烈なファンが大勢詰めかけているように見えるが、おそらく観客のほとんどは、それまでBloodywoodの音楽を一度も聴いたことがなかったはずだ。
現地にいた人の話によると、ステージが始まった頃にはまばらだった観客が、彼らの演奏でみるみるうちに膨らんでいったという。
これはメタル系のオーディエンスが決して多くはないフジロックでは極めて異例のことだ。
Bloodywoodは一瞬だが日本のTwitterのトレンドの1位にまでなり、おかげで私のブログで彼らを紹介した記事も、ずいぶん読んでもらえた。
(もうちょっとちゃんと書いとけばよかった)
メタル・ミーツ・バングラーという、意外だけど激しくてキャッチーでチャーミングなスタイルは、日本のリスナーに音楽版『バーフバリ』みたいなインパクトを与えたものと思う。
日本だけではない。
BloodywoodのSNSを見ると、彼らがメタル系のフェスを中心に、その後も世界各地を荒らし続けている様子が見てとれる。
一方で、いまやセンスの良いインド系アーティストがいくらでもいる中で、ステレオタイプ的な見せ方を意図的に行った彼らが最も注目を集めているという事実は、現時点での世界の音楽シーンの中での南アジアのアーティストの限界点を示しているとも言えるだろう。
Sidhu Moose Wala 死去
去年まで、この年末のランキングはその年にリリースされた作品のみを対象としてきたのだが、今年はシーンに大きなインパクトを与えた「出来事」も入れることとした。
その大きな理由となったのが、あまりにも衝撃的だった5月のSidhu Moose Wala射殺事件だ。
バングラーラップにリアルなギャングスタ的要素を導入し、絶大な人気を誇っていたSidhuは、演出ではなく実際にギャングと関わるリアルすぎるギャングスタ・ラッパーだった。
彼はインドとカナダを股にかけて暗躍するパンジャーブ系ギャングの抗争に巻き込まれ、28歳の若さでその命を落とした。
音楽的には、バングラーに本格的なヒップホップビートを導入したスタイルでパンジャービー・ラップシーンをリードした第一人者でもあった。
彼の音楽、死、そして生き様は、今後もインドの音楽シーンで永遠に語りつがれてゆくだろう。
彼が憧れて続けていた2Pacのように。
Prateek Kuhad "The Way That Lovers Do"(アルバム)
インド随一のメロディーメイカー、Prateek Kuhadがアメリカの名門レーベルElektraからリリースした全編英語のアルバム(EP?)、"The Way That Lovers Do"は、派手さこそないものの、全編叙情的なムードに満ちた素晴らしいアルバムだった。
彼が敬愛するというエリオット・スミスを彷彿させる今作は、インドのシンガーソングライターの実力を見せつけるに十分だった。
彼のメロディーセンスの良さは群を抜いており、贔屓目で見るつもりはないが、このままだと彼が作品をリリースするたびに、毎年このTop10に選ぶことになってしまうんじゃないかと思うと悩ましい。
リリース後にヨーロッパやアメリカ各地を回るツアーを行うなど、インドのアーティストにしてはグローバルな活躍をしているPrateekだが、観客はインド系の移住者が中心のようで、彼がその才能に見合った評価を受けているとはまだまだ言えない。
要は、私はそれだけ彼に期待しているのだ。
すでに何度も紹介しているが、彼のヒンディー語の楽曲も、言語の壁を超えて素晴らしいことを書き添えておく。
MC STAN "Insaan"(アルバム)他
このアルバムが出たのはもうずいぶん昔のことのように思えるが、リリースは今年の2月だった。
もともとマンブルラップ的なスタイルだったMC STΔNだが、この作品ではオートチューンをこれでもかと言うほど導入して、インドにおけるエモラップのあり方を完成させた。
マチズモ的な傾向が強いインドのヒップホップシーンでは異色の作品だ。
彼の他にも同様のスタイルを取り入れていたラッパーはいたが、彼ほどサマになっていたのは一人もいなかった。
「弱々しいほどに痩せたカッコイイ不良」という、インドでは不可能とも思われたアンチヒーロー像を確立させたというだけでも、彼の功績はシーンに名を残すにふさわしい。
最近では、リアリティーショー番組のBigg Bossに出演するなど、活躍の場をますます広げている。
今インドでもっとも勢いのあるラッパーである。
Emiway Bantai "8 Saal"(アルバム)他
インドでもっとも勢いのあるラッパーがMC STΔNだとしたら、人気と実力の面でインドNo.1ラッパーと呼べるのがEmiway Bantaiだろう。
今年も彼はアルバム"8 Saal"をはじめとする数多くの楽曲をリリースした。
アグレッシブなディス・トラック(今年もデリーのKR$NAとのビーフは継続中)、ルーツ回帰のストリート・ラップ、チャラいパーティーソング、lo-fiなど、Emiwayはヒップホップのあらゆるスタイルに取り組んでいて、それが全てサマになっている。
かと思えば、インドのヒップホップ史を振り返って、各地のラッパーたちをたたえるツイートをしてみたりもしていて、Emiwayはもはやかつての誰彼構わず噛み付くバッドボーイのイメージを完全に脱却して、大御所の風格すら漂わせている。
『ガリーボーイ』にチョイ役(若手の有望株という位置付け)でカメオ出演していたのがほんの4年前とは思えない化けっぷりだ。
もはや彼は『ガリーボーイ』のモデルとなったNaezyとDIVINEを、人気でも実力でも完全に凌駕した。
Seedhe Maut, Sez on the Beat "Nayaab"(アルバム)
昨年も選出したSeedhe Mautを今年も入れるかどうか悩んだのだが、インドNo.1ビートメーカーのSe on the Beatと組んだこのアルバムを、やはり選ばずにはいられなかった。
セルフプロデュースによる昨年の『न』(Na)が、ラッパーとしてのリズム面での卓越性を見せつけた作品だとしたら、今作は音響面を含めた叙情的なアプローチを評価すべき作品だ。
Seedhe Mautというよりも、Sezの力量をこそ評価すべき作品かもしれない。
インドのヒップホップをサウンドの面で革新し続けているのは、間違いなくSezとPrabh Deep(後述の理由により今年は選外)だろう。
インドのヒップホップは、2022年もひたすら豊作だった。
Yashraj "Takiya Kalaam"(EP)
悩みに悩んだこのTop10に、またラッパーを選んでしまった。
ここまでに選出したSidhu Moose Wala, MC STΔN、Emiway Bantai, Seedhe Maut&Sezに関しては、インドのヒップホップファンにとってもまず納得のセレクトだと思うが、この作品に関しては、インド国内でどのような評価及びセールスなのか今ひとつわからない。
YouTubeの再生回数でいうと、他のラッパーたちの楽曲が数百万から数千万回なのに比べて、この"Doob Raha"はたったの45,000回に満たない(2022年12月16日現在)。
だが、過去のUSヒップホップの遺産を存分に引用したインド的ブーンバップのひとつの到達点とも言えるこの作品を、無視するわけにはいかなかった。
自分の世代的なものもあるのかもしれないが、単純に彼のラップもサウンドも、ものすごく好きだ。
若干22歳の彼がこのサウンドを堂々と作り上げたことに、インドのヒップホップシーンの成熟を改めて実感した。
Parekh & Singh "The Night is Clear"(アルバム)
インドのインディーポップシーンでも群を抜くセンスの良さを誇るParekh & Singhのニューアルバムは、その格の違いを見せつけるに足るものだった。
イギリスの名門インディーレーベルPeacdfrogに所属し、日本では高橋幸宏からプッシュされている彼らは、もはや「インドのアーティスト」というくくりで考えるべき段階を超えているのかもしれない。
Prateek KuhadやEasy Wanderlingsら、多士済々のインディーポップ勢のなかで、国際的な評価では頭ひとつ抜けている彼らが今後どんな活躍を見せるのか、ますます目が離せなくなりそうだ。
Blu Attic
ド派手なEDMが多いインドの電子音楽シーンの中で、Blu Atticが示した硬質なテクノと古典声楽との融合は、Ritvizらによるインド的EDM(いわゆる印DM)とも違う、懐かしくて新鮮な方法論だった。
どちらかというと地味な音楽性だからか、このデリー出身の若手アーティストへの注目は、インド国内では必ずしも高くはないようだが、だからこそ当ブログではきちんと評価してゆきたい。
彼がYouTubeで公開している古いボリウッド曲のリミックスもなかなかセンスが良い。
インドのアーティストは、古典音楽と現代音楽を、躊躇なく融合してかっこいい音を作るのが得意だが、Blu Atticによってそのことをあらためて思い知らされた。
Dohnraj
インドのインディー音楽シーンが急速に盛り上がりを見せたのは2010年台以降になってからだが、それはすなわち、あらゆる年代のポピュラー音楽を、インターネットを通して自在に聴くことができる時代になってからシーンが発展したことを意味している。
まだ若いシーンにもかかわらず、インドにはさまざまな時代の音楽スタイルで活動するアーティストが存在しているが、このDohnrajは80年代のUKロックのサウンドをほぼ忠実に再現している、驚くべきスタイルのアーティストだ。
気になる点は彼のオリジナリティだが、あらゆる音楽が先人の遺産の上に築かれていることを考えれば、インドで80年代のUKサウンドを再現するという試み自体が、むしろ非常にオリジナルな表現方法でもあるように思う。
彼の音楽遍歴(以下の記事リンク参照)を含めてグッとくるものがあった。
インドのシーンの拡大と深化をあらためて感じさせてくれる作品だった。
というわけで、今年の10作品を選出してみました。
気がつけばヒップホップが5作品(というか、5話題)。
ヒップホップを中心に選ぶつもりはなかったのだけど、インドのヒップホップは今年も名作揃いで、他にもPrabh Deepの"Bhram"(これまでの作風から大きく変わったわけではないので今年は選出しなかった)や、Karan KanchanがRed Bull 64 Barsで見せた仕事っぷりも素晴らしかった。
やはりインドのシーンのもっともクリエイティブな部分はヒップホップにこそあるような気がしてならないが、とんでもなく広く、才能にあふれたインドのシーンのこと、来年の今頃は、「やっぱりロックだ」とか「エレクトロニックだ」とか言っているかもしれない。
今年はありがたいことに、仕事のご依頼をいただくことも多く、本業(?)のブログが滞り気味なことが多かったですが、来年もこれまで同様続けて参ります。
今後ともよろしくです。
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始めた頃、どうせ読んでくれる人は数えるほどだろうから、せめて印象に残る名前にしよう思って「かるかった・ぼんべい」と名乗ってみたのだが、どういうわけかまあまあ上手く行ってしまい、この5年の間に雑誌に寄稿させてもらったり、ラジオで喋らせてもらったり、あろうことか本職の研究者の方々の集まりに呼んでいただいたりと、想像以上に注目してもらうことができた。
みなさん本当にありがとうございます。
こんなことになるなら、もうちょっとちゃんとした名前を付けておけばよかった。
「飽きたらやめればいいや」という始めた頃のいい加減な気持ちは今もまったく変わらないものの、幸いにもインドの音楽シーンは面白くなる一方で、まったくやめられそうにない。
これからも自分が面白いと思ったものを自分なりに書いていきますんで、よろしくお願いします。
というわけで、今年も去りゆく1年を振り返りつつ、今年のインドのインディー音楽界で印象に残った作品や出来事を、10個選ばせてもらいました。
Bloodywood (フジロック・フェスティバル出演)
日本におけるインド音楽の分野での今年最大のトピックは、フジロックフェスティバルでのBloodywoodの来日公演だろう。
朝イチという決して恵まれていない出演順だったにもかかわらず、彼らは一瞬でフジロックのオーディエンスを虜にした。
映像では彼らの熱烈なファンが大勢詰めかけているように見えるが、おそらく観客のほとんどは、それまでBloodywoodの音楽を一度も聴いたことがなかったはずだ。
現地にいた人の話によると、ステージが始まった頃にはまばらだった観客が、彼らの演奏でみるみるうちに膨らんでいったという。
これはメタル系のオーディエンスが決して多くはないフジロックでは極めて異例のことだ。
Bloodywoodは一瞬だが日本のTwitterのトレンドの1位にまでなり、おかげで私のブログで彼らを紹介した記事も、ずいぶん読んでもらえた。
(もうちょっとちゃんと書いとけばよかった)
メタル・ミーツ・バングラーという、意外だけど激しくてキャッチーでチャーミングなスタイルは、日本のリスナーに音楽版『バーフバリ』みたいなインパクトを与えたものと思う。
日本だけではない。
BloodywoodのSNSを見ると、彼らがメタル系のフェスを中心に、その後も世界各地を荒らし続けている様子が見てとれる。
一方で、いまやセンスの良いインド系アーティストがいくらでもいる中で、ステレオタイプ的な見せ方を意図的に行った彼らが最も注目を集めているという事実は、現時点での世界の音楽シーンの中での南アジアのアーティストの限界点を示しているとも言えるだろう。
Sidhu Moose Wala 死去
去年まで、この年末のランキングはその年にリリースされた作品のみを対象としてきたのだが、今年はシーンに大きなインパクトを与えた「出来事」も入れることとした。
その大きな理由となったのが、あまりにも衝撃的だった5月のSidhu Moose Wala射殺事件だ。
バングラーラップにリアルなギャングスタ的要素を導入し、絶大な人気を誇っていたSidhuは、演出ではなく実際にギャングと関わるリアルすぎるギャングスタ・ラッパーだった。
彼はインドとカナダを股にかけて暗躍するパンジャーブ系ギャングの抗争に巻き込まれ、28歳の若さでその命を落とした。
音楽的には、バングラーに本格的なヒップホップビートを導入したスタイルでパンジャービー・ラップシーンをリードした第一人者でもあった。
彼の音楽、死、そして生き様は、今後もインドの音楽シーンで永遠に語りつがれてゆくだろう。
彼が憧れて続けていた2Pacのように。
Prateek Kuhad "The Way That Lovers Do"(アルバム)
インド随一のメロディーメイカー、Prateek Kuhadがアメリカの名門レーベルElektraからリリースした全編英語のアルバム(EP?)、"The Way That Lovers Do"は、派手さこそないものの、全編叙情的なムードに満ちた素晴らしいアルバムだった。
彼が敬愛するというエリオット・スミスを彷彿させる今作は、インドのシンガーソングライターの実力を見せつけるに十分だった。
彼のメロディーセンスの良さは群を抜いており、贔屓目で見るつもりはないが、このままだと彼が作品をリリースするたびに、毎年このTop10に選ぶことになってしまうんじゃないかと思うと悩ましい。
リリース後にヨーロッパやアメリカ各地を回るツアーを行うなど、インドのアーティストにしてはグローバルな活躍をしているPrateekだが、観客はインド系の移住者が中心のようで、彼がその才能に見合った評価を受けているとはまだまだ言えない。
要は、私はそれだけ彼に期待しているのだ。
すでに何度も紹介しているが、彼のヒンディー語の楽曲も、言語の壁を超えて素晴らしいことを書き添えておく。
MC STAN "Insaan"(アルバム)他
このアルバムが出たのはもうずいぶん昔のことのように思えるが、リリースは今年の2月だった。
もともとマンブルラップ的なスタイルだったMC STΔNだが、この作品ではオートチューンをこれでもかと言うほど導入して、インドにおけるエモラップのあり方を完成させた。
マチズモ的な傾向が強いインドのヒップホップシーンでは異色の作品だ。
彼の他にも同様のスタイルを取り入れていたラッパーはいたが、彼ほどサマになっていたのは一人もいなかった。
「弱々しいほどに痩せたカッコイイ不良」という、インドでは不可能とも思われたアンチヒーロー像を確立させたというだけでも、彼の功績はシーンに名を残すにふさわしい。
最近では、リアリティーショー番組のBigg Bossに出演するなど、活躍の場をますます広げている。
今インドでもっとも勢いのあるラッパーである。
Emiway Bantai "8 Saal"(アルバム)他
インドでもっとも勢いのあるラッパーがMC STΔNだとしたら、人気と実力の面でインドNo.1ラッパーと呼べるのがEmiway Bantaiだろう。
今年も彼はアルバム"8 Saal"をはじめとする数多くの楽曲をリリースした。
アグレッシブなディス・トラック(今年もデリーのKR$NAとのビーフは継続中)、ルーツ回帰のストリート・ラップ、チャラいパーティーソング、lo-fiなど、Emiwayはヒップホップのあらゆるスタイルに取り組んでいて、それが全てサマになっている。
かと思えば、インドのヒップホップ史を振り返って、各地のラッパーたちをたたえるツイートをしてみたりもしていて、Emiwayはもはやかつての誰彼構わず噛み付くバッドボーイのイメージを完全に脱却して、大御所の風格すら漂わせている。
『ガリーボーイ』にチョイ役(若手の有望株という位置付け)でカメオ出演していたのがほんの4年前とは思えない化けっぷりだ。
もはや彼は『ガリーボーイ』のモデルとなったNaezyとDIVINEを、人気でも実力でも完全に凌駕した。
Seedhe Maut, Sez on the Beat "Nayaab"(アルバム)
昨年も選出したSeedhe Mautを今年も入れるかどうか悩んだのだが、インドNo.1ビートメーカーのSe on the Beatと組んだこのアルバムを、やはり選ばずにはいられなかった。
セルフプロデュースによる昨年の『न』(Na)が、ラッパーとしてのリズム面での卓越性を見せつけた作品だとしたら、今作は音響面を含めた叙情的なアプローチを評価すべき作品だ。
Seedhe Mautというよりも、Sezの力量をこそ評価すべき作品かもしれない。
インドのヒップホップをサウンドの面で革新し続けているのは、間違いなくSezとPrabh Deep(後述の理由により今年は選外)だろう。
インドのヒップホップは、2022年もひたすら豊作だった。
Yashraj "Takiya Kalaam"(EP)
悩みに悩んだこのTop10に、またラッパーを選んでしまった。
ここまでに選出したSidhu Moose Wala, MC STΔN、Emiway Bantai, Seedhe Maut&Sezに関しては、インドのヒップホップファンにとってもまず納得のセレクトだと思うが、この作品に関しては、インド国内でどのような評価及びセールスなのか今ひとつわからない。
YouTubeの再生回数でいうと、他のラッパーたちの楽曲が数百万から数千万回なのに比べて、この"Doob Raha"はたったの45,000回に満たない(2022年12月16日現在)。
だが、過去のUSヒップホップの遺産を存分に引用したインド的ブーンバップのひとつの到達点とも言えるこの作品を、無視するわけにはいかなかった。
自分の世代的なものもあるのかもしれないが、単純に彼のラップもサウンドも、ものすごく好きだ。
若干22歳の彼がこのサウンドを堂々と作り上げたことに、インドのヒップホップシーンの成熟を改めて実感した。
Parekh & Singh "The Night is Clear"(アルバム)
インドのインディーポップシーンでも群を抜くセンスの良さを誇るParekh & Singhのニューアルバムは、その格の違いを見せつけるに足るものだった。
イギリスの名門インディーレーベルPeacdfrogに所属し、日本では高橋幸宏からプッシュされている彼らは、もはや「インドのアーティスト」というくくりで考えるべき段階を超えているのかもしれない。
Prateek KuhadやEasy Wanderlingsら、多士済々のインディーポップ勢のなかで、国際的な評価では頭ひとつ抜けている彼らが今後どんな活躍を見せるのか、ますます目が離せなくなりそうだ。
Blu Attic
ド派手なEDMが多いインドの電子音楽シーンの中で、Blu Atticが示した硬質なテクノと古典声楽との融合は、Ritvizらによるインド的EDM(いわゆる印DM)とも違う、懐かしくて新鮮な方法論だった。
どちらかというと地味な音楽性だからか、このデリー出身の若手アーティストへの注目は、インド国内では必ずしも高くはないようだが、だからこそ当ブログではきちんと評価してゆきたい。
彼がYouTubeで公開している古いボリウッド曲のリミックスもなかなかセンスが良い。
インドのアーティストは、古典音楽と現代音楽を、躊躇なく融合してかっこいい音を作るのが得意だが、Blu Atticによってそのことをあらためて思い知らされた。
Dohnraj
インドのインディー音楽シーンが急速に盛り上がりを見せたのは2010年台以降になってからだが、それはすなわち、あらゆる年代のポピュラー音楽を、インターネットを通して自在に聴くことができる時代になってからシーンが発展したことを意味している。
まだ若いシーンにもかかわらず、インドにはさまざまな時代の音楽スタイルで活動するアーティストが存在しているが、このDohnrajは80年代のUKロックのサウンドをほぼ忠実に再現している、驚くべきスタイルのアーティストだ。
気になる点は彼のオリジナリティだが、あらゆる音楽が先人の遺産の上に築かれていることを考えれば、インドで80年代のUKサウンドを再現するという試み自体が、むしろ非常にオリジナルな表現方法でもあるように思う。
彼の音楽遍歴(以下の記事リンク参照)を含めてグッとくるものがあった。
インドのシーンの拡大と深化をあらためて感じさせてくれる作品だった。
というわけで、今年の10作品を選出してみました。
気がつけばヒップホップが5作品(というか、5話題)。
ヒップホップを中心に選ぶつもりはなかったのだけど、インドのヒップホップは今年も名作揃いで、他にもPrabh Deepの"Bhram"(これまでの作風から大きく変わったわけではないので今年は選出しなかった)や、Karan KanchanがRed Bull 64 Barsで見せた仕事っぷりも素晴らしかった。
やはりインドのシーンのもっともクリエイティブな部分はヒップホップにこそあるような気がしてならないが、とんでもなく広く、才能にあふれたインドのシーンのこと、来年の今頃は、「やっぱりロックだ」とか「エレクトロニックだ」とか言っているかもしれない。
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goshimasayama18 at 00:09|Permalink│Comments(0)
2022年02月06日
現代インドで80年代UKロックを鳴らす男 Dohnraj
前回、インドのシューゲイズ・アーティスト特集という誰に向けているのか分からない記事を書いてしまったのだが(なぜか反響が大きかった)、今回もまた、時空が歪んでしまったかのようなアーティストを紹介したい。
今回の主役は、デリーを拠点に活躍するロック・アーティストDohnraj.
彼は2020年代のインドで、どう聴いても80年代のUKロックにしか聴こえないサウンドを鳴らしているという、稀有なアーティストだ。
"Make a Life Feel Special"
この独特のしゃくりあげるようなヴォーカル、熱さよりもクールネスを感じさせるバッキング、そしてシニカルな雰囲気!
ある程度の年齢のロックファンなら、「あの頃こんなバンドいたなぁ〜」と懐かしい気分に浸ってしまうことだろう。
Dohnrajの音楽は、完全に80年代のUKロックサウンドなのだが、特定のアーティストのコピーというわけではなく、部分的にAztec Cameraっぽかったり、Cureっぽかったり、The Smithっぽかったり、いろいろな要素が感じられる。(演奏に関しては、ちょっとThe Policeっぽいかなとも思う)
つまり彼は、誰かの曲をカバーしているのではなく、洒脱で虚無的でどこかひねくれた、80年代UKロックの空気感をカバーしているのだ。
"You're Fine"
この曲はちょっとデヴィッド・ボウイ風。
先ほどの曲とタイプは違うが、やはりどう聴いても80年代のUKサウンドだ。
いつも書いているように、インドのインディペンデント音楽シーンが活気を帯びてきたのは2010年代に入ってからのこと。
インドでは、古くからポピュラー音楽は映画音楽の独占状態であり、他には古典音楽や宗教音楽くらいしか音楽の選択肢がない状況が長く続いていた。
20世紀のインドでは、それ以外のジャンルの音楽は、そもそも流通のルートすらほとんどなかったのだ。
若者たちがロックを演奏したりラップしたりするようになるには、世界中の音楽を気軽に聴くことができ、そして自分の音楽を簡単に発信できるインターネットの普及を待たねばならなかった。
つまり、Dohnrajが元ネタにしている80年代には、インドではUKロックのような音楽は、ほとんど聴かれていなかったのだ。
ごく一部の富裕層の若者がロックを演奏していたのは確かだが(例えばケーララの13ADや、ムンバイのRock Machineなどのハードロック勢)、それは極めて例外的な話で、当日インドにインディーズ・シーンと呼べるようなものはなかったし、欧米のポピュラー音楽のリスナーすら珍しかったはずだ。
インドには存在しない過去を模倣する男、Dohnrajとはいったい何者なのだろうか?
現地メディアが彼のことを特集した記事によると、DohnrajことDhanraj Karalは、周囲に馴染めず、友達の少ない少年だったという。
小さい頃からマイケル・ジャクソンの音楽に夢中だった彼は、ある日耳にしたジョン・レノンの"God"を聴いて衝撃を受ける。
「彼は人生と苦しみについて歌っていたんだ。真実と誠実さについてのメッセージだよ」
"God"はビートルズを脱退したレノンが、「神は苦痛を図るための概念に過ぎない。もうキリストもディランもプレスリーも、ビートルズさえも信じない。ただヨーコと自分だけを信じる」と歌った曲だ。
この曲には、ジョンが「もう信じない」ものがたくさん出てくるのだが、「信じないものリスト」の中には、当時の欧米の世相を反映して、ブッダやマントラ(真言)やギーター(ヒンドゥー教の聖典)やヨガといったインド発祥の言葉も出てくる。
もちろんレノンは、60年代のカウンターカルチャーから生まれた東洋思想ブームについて歌っているわけだが、こうした概念が信仰とともに根付いているインドで暮らすDhanraj少年にとって、この「信仰との決別宣言」は、価値観をひっくり返す啓示のように感じられたのかもしれない。
きっとこの時、ロックはインド社会で生きづらさを感じていたDhanraj少年の生きる指針となったのだろう。
彼は音楽の道を志し、アメリカに留学してCalifornia College of Musicで学んだ後、デリーを拠点に活動を開始した。
今回紹介する曲は、いずれも昨年11月にリリースした彼のファーストアルバム"Beauty and Bullshit"に収録されているものだ。
彼は影響を受けたアーティストとして、初期プリンス、Talking Heads、The Cure、そしてベルリン時代のデヴィッド・ボウイを挙げている。
アメリカに留学したのなら、いくらでも最新の音楽に触れる機会もあっただろうに、自らの表現手段として、80年代のサウンドを選んだというのが興味深い。
これまで紹介した曲は80'sのUKロックの印象が強かったが、これらの曲の聴けば、確かに彼がプリンスの影響を受けていることが分かる。
"Our Paths are Different"
Dohnrajの音楽を「ノスタルジーばかりでオリジナリティが無い」と批判することもできるだろう。
インドで生まれた彼が80年代のUKサウンドを奏でる必然性はまるでないし、偏執的なまでのサウンドへのこだわりは、どこか現実逃避のようにも感じられる。
だが、先日インドのナード/オタク・カルチャーについての記事を書いたときにも思ったことだが、「現実逃避」は、ときにクリエイティブな行為にもなり得る。
国も時代も違う音楽にそこまで夢中になれるということ自体が、音楽というものの普遍性を示しているとも言えるのだ。
思えば自分も、学生時代の一時期、ジャニス・ジョプリンとか、60年代の洋楽ロックばかり聴いていた。
当時の自分にとっては、同時代の音楽以上のリアリティが感じられたからだ。
おそらくDohnrajにとって、80年代のロックサウンドこそが自己を投影するのにもっともふさわしいスタイルなのだろう。
Rolling Stone Indiaの年間ランキングを見れば分かるとおり、インドのインディペンデント音楽シーンは、先進国のトレンドとは関係なく、様々なジャンルのアーティストが評価されている。
Dohnrajもまた高い評価にふさわしいアーティストだと思うし、インド国内のみならず80’sサウンドを愛好する世界中の音楽ファンに聴かれるべき存在だろう。
というわけで、ひとまず彼のことを日本のみなさんに伝えたくてこの記事を書いた次第。
ジョン・レノンから始まって、80'sサウンドにたどり着いた彼は、これから先、どんな音楽を作ってくれるのだろう。
参考サイト:
https://www.news9live.com/art-culture/dhanraj-karal-dohnraj-beauty-and-bullshit-album-review-export-quality-records
https://ahummingheart.com/reviews/dohnraj-debut-beauty-bt-sits-loud-and-comfortable-in-a-fairly-untouched-space-in-indian-music/
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今回の主役は、デリーを拠点に活躍するロック・アーティストDohnraj.
彼は2020年代のインドで、どう聴いても80年代のUKロックにしか聴こえないサウンドを鳴らしているという、稀有なアーティストだ。
"Make a Life Feel Special"
この独特のしゃくりあげるようなヴォーカル、熱さよりもクールネスを感じさせるバッキング、そしてシニカルな雰囲気!
ある程度の年齢のロックファンなら、「あの頃こんなバンドいたなぁ〜」と懐かしい気分に浸ってしまうことだろう。
Dohnrajの音楽は、完全に80年代のUKロックサウンドなのだが、特定のアーティストのコピーというわけではなく、部分的にAztec Cameraっぽかったり、Cureっぽかったり、The Smithっぽかったり、いろいろな要素が感じられる。(演奏に関しては、ちょっとThe Policeっぽいかなとも思う)
つまり彼は、誰かの曲をカバーしているのではなく、洒脱で虚無的でどこかひねくれた、80年代UKロックの空気感をカバーしているのだ。
"You're Fine"
この曲はちょっとデヴィッド・ボウイ風。
先ほどの曲とタイプは違うが、やはりどう聴いても80年代のUKサウンドだ。
いつも書いているように、インドのインディペンデント音楽シーンが活気を帯びてきたのは2010年代に入ってからのこと。
インドでは、古くからポピュラー音楽は映画音楽の独占状態であり、他には古典音楽や宗教音楽くらいしか音楽の選択肢がない状況が長く続いていた。
20世紀のインドでは、それ以外のジャンルの音楽は、そもそも流通のルートすらほとんどなかったのだ。
若者たちがロックを演奏したりラップしたりするようになるには、世界中の音楽を気軽に聴くことができ、そして自分の音楽を簡単に発信できるインターネットの普及を待たねばならなかった。
つまり、Dohnrajが元ネタにしている80年代には、インドではUKロックのような音楽は、ほとんど聴かれていなかったのだ。
ごく一部の富裕層の若者がロックを演奏していたのは確かだが(例えばケーララの13ADや、ムンバイのRock Machineなどのハードロック勢)、それは極めて例外的な話で、当日インドにインディーズ・シーンと呼べるようなものはなかったし、欧米のポピュラー音楽のリスナーすら珍しかったはずだ。
インドには存在しない過去を模倣する男、Dohnrajとはいったい何者なのだろうか?
現地メディアが彼のことを特集した記事によると、DohnrajことDhanraj Karalは、周囲に馴染めず、友達の少ない少年だったという。
小さい頃からマイケル・ジャクソンの音楽に夢中だった彼は、ある日耳にしたジョン・レノンの"God"を聴いて衝撃を受ける。
「彼は人生と苦しみについて歌っていたんだ。真実と誠実さについてのメッセージだよ」
"God"はビートルズを脱退したレノンが、「神は苦痛を図るための概念に過ぎない。もうキリストもディランもプレスリーも、ビートルズさえも信じない。ただヨーコと自分だけを信じる」と歌った曲だ。
この曲には、ジョンが「もう信じない」ものがたくさん出てくるのだが、「信じないものリスト」の中には、当時の欧米の世相を反映して、ブッダやマントラ(真言)やギーター(ヒンドゥー教の聖典)やヨガといったインド発祥の言葉も出てくる。
もちろんレノンは、60年代のカウンターカルチャーから生まれた東洋思想ブームについて歌っているわけだが、こうした概念が信仰とともに根付いているインドで暮らすDhanraj少年にとって、この「信仰との決別宣言」は、価値観をひっくり返す啓示のように感じられたのかもしれない。
きっとこの時、ロックはインド社会で生きづらさを感じていたDhanraj少年の生きる指針となったのだろう。
彼は音楽の道を志し、アメリカに留学してCalifornia College of Musicで学んだ後、デリーを拠点に活動を開始した。
今回紹介する曲は、いずれも昨年11月にリリースした彼のファーストアルバム"Beauty and Bullshit"に収録されているものだ。
彼は影響を受けたアーティストとして、初期プリンス、Talking Heads、The Cure、そしてベルリン時代のデヴィッド・ボウイを挙げている。
アメリカに留学したのなら、いくらでも最新の音楽に触れる機会もあっただろうに、自らの表現手段として、80年代のサウンドを選んだというのが興味深い。
これまで紹介した曲は80'sのUKロックの印象が強かったが、これらの曲の聴けば、確かに彼がプリンスの影響を受けていることが分かる。
"Our Paths are Different"
"Gimme Some Money! & Don't Ask for Anything in Return"
Dohnrajの音楽を「ノスタルジーばかりでオリジナリティが無い」と批判することもできるだろう。
インドで生まれた彼が80年代のUKサウンドを奏でる必然性はまるでないし、偏執的なまでのサウンドへのこだわりは、どこか現実逃避のようにも感じられる。
だが、先日インドのナード/オタク・カルチャーについての記事を書いたときにも思ったことだが、「現実逃避」は、ときにクリエイティブな行為にもなり得る。
国も時代も違う音楽にそこまで夢中になれるということ自体が、音楽というものの普遍性を示しているとも言えるのだ。
思えば自分も、学生時代の一時期、ジャニス・ジョプリンとか、60年代の洋楽ロックばかり聴いていた。
当時の自分にとっては、同時代の音楽以上のリアリティが感じられたからだ。
おそらくDohnrajにとって、80年代のロックサウンドこそが自己を投影するのにもっともふさわしいスタイルなのだろう。
Rolling Stone Indiaの年間ランキングを見れば分かるとおり、インドのインディペンデント音楽シーンは、先進国のトレンドとは関係なく、様々なジャンルのアーティストが評価されている。
Dohnrajもまた高い評価にふさわしいアーティストだと思うし、インド国内のみならず80’sサウンドを愛好する世界中の音楽ファンに聴かれるべき存在だろう。
というわけで、ひとまず彼のことを日本のみなさんに伝えたくてこの記事を書いた次第。
ジョン・レノンから始まって、80'sサウンドにたどり着いた彼は、これから先、どんな音楽を作ってくれるのだろう。
参考サイト:
https://www.news9live.com/art-culture/dhanraj-karal-dohnraj-beauty-and-bullshit-album-review-export-quality-records
https://ahummingheart.com/reviews/dohnraj-debut-beauty-bt-sits-loud-and-comfortable-in-a-fairly-untouched-space-in-indian-music/
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