BigDeal

2024年08月05日

オディシャのお祭りラップ


インド全土のインディーズ音楽情報を網羅したいと思っているこのブログだが、インドはあまりにも広大で、いつも北インドのヒンディー語圏のアーティストについて書くことがが多くなってしまっている。
それじゃいかんということで、今回はインド東部のオディシャ州のラッパーたちに注目したい。
オディシャ州はベンガル湾に面した東インドの北側、コルカタの南のほうに位置している。
州の公用語はオディア語、州都はブバネーシュワル。
なお、州や言語の表記に関しては、オディシャ/オリッサ、オディア/オリヤーという揺れが見られるが、ここではオディシャとオディアとさせていただく。
オディシャには「コナーラクの太陽寺院」という世界遺産があるものの、ムンバイやベンガルールのような国際的な都市があるわけではなく、どちらかというと鄙びた田舎の州といった趣の地方である。

Odisha-India
(画像出典:https://www.britannica.com/place/Odisha/Economy)


以前「インドのラッパーたちはやたらと独立記念日(8月15日)をテーマにしたラップをする」とか「色のついた粉や水をぶっかけ合うお祭り『ホーリー』に合わせてラップの曲がリリースされている」という記事を書いたことがあるが、こうした記念日ソング、祭ソングの傾向は、ここオディシャでも変わらない。




オディシャ州といえば、海辺の街プリー出身の日印ハーフのラッパーBig Dealのことを思い出す人も多いだろう。
オディシャ州の言語であるオディア語と英語の両方でラップする彼に「ラップの言語はどうやって選んでいるの?」と聞いてみたところ、「オディア語でラップするときはお祝いのようなより楽しい雰囲気にしていて、英語でラップするときは議論を呼ぶようなものにしている」という答えが返ってきた。

(↑インタビュー詳細はこちらから)

「お祝いのような」と訳した部分は、cerebratoryという英単語を使っていた。
パーティーラップっぽい曲のことを言っているのかなと思っていたのだけど、オディア語ラップを詳しくチェックしてゆくと、むしろそれよりも「オディシャのお祭りについてラップをする」という意味のほうが強かったのかもしれない。
彼も、他のオディシャのラッパーも、オディア語でやたらと地元の祭りについてラップしているのだ。

「祭」といえばさぶちゃん(北島三郎)。
演歌とヒップホップは、ローカル色(地元レペゼン意識)が強く、カタギじゃない雰囲気を持ち、型にはまった生き方よりもタフで自由な生き方を志向するという点で共通点があると思うのだが、日本ではヒップホップが受容される過程で、演歌的なドメスティックな要素はほとんど排除されてしまった。
本場アメリカに寄せることこそがヒップホップ的にリアルという価値観が強かったためだろう。
それに反して、インドでは、そしてもちろんここオディシャでも、地元の祭りとヒップホップが思いっきり繋がっているのである。
ローカルこそがリアル、というわけだ。

例えば、Big Dealの曲に、生まれ故郷プリーで行われるRath Yatraという大きなお祭りをテーマにした"Choka Dolia"という曲がある。
(Rath Yatraについてもラート・ヤートラとかラト・ヤトラとか日本語での表記が定まっていないようなので、ここはアルファベット表記でいきます)

Rapper Big Deal "Chaka Dolia(Rath Yatra 2024 Special) " ft. ‪SatyajeetJena‬ 


タイトルにRath Yatra 2024 Specialとあるように、この曲は7月に行われるRath Yatraに合わせてリリースされた曲で、英語字幕を見れば分かる通り、ヒンドゥーの神への帰依がラップされている。
アメリカにクリスチャン・ラップがあるように、インドにはヒンドゥー・ラップ(とはあまり呼ばれていないが、ヒンドゥーの信仰をテーマにしたラップ)が存在している。
ベンガルールのBrodha Vの初期の代表曲"Aatma Raama"あたりがその代表曲と言えるだろう。

Big Dealがラップするのは、もっぱら地元で強く信仰されている神様「ジャガンナート」のことだ。
最初のほうに別の神様であるクリシュナの名前も出てくるが、ヒンドゥー教は多神教かつ様々な文化の集合体であるため、この地域ではクリシュナとジャガンナートは同じ神だと捉えられている部分もあるようだ。
真っ黒な顔に丸い目をしたマンガのキャラクターみたいなジャガンナートと、ヒンドゥーの神々のなかでもとりわけイケメンに描かれるクリシュナが同一というのはよそ者には理解しがたいが、本来は目に見えない信仰の対象である神が、別の形象で現されているということなのだろう。

ところで、以前Big Dealから「自分は神を信じて入るけど、特定の信仰は持っていない」という言葉を聞いたことがある。
この曲ではヒンドゥーの神への信仰を語っていて、言ってることと違うじゃん、とつっこみたくなってしまうところだが、私が思うに、おそらく彼の中でジャガンナートに帰依することと、特定の宗教を選ばないことは矛盾していない。
彼にとって、あるいはもしかしたら地元の多くの人たちにとって、ジャガンナートへの信仰は、地域に根ざしたあまりにも日常的な存在で、誰かが枠組みや教義を作った宗教よりも、はるかに普遍的なことなのだろう。

この曲の後半では、ムスリムとして生まれたサラベガ(17世紀のオディア語詩人)がジャガンナートに帰依したというエピソードがラップされている。
これは昨今インドで盛んなヒンドゥーナショナリズム的な「イスラム教よりヒンドゥーのほうが立派なんだ」という主張をしているのではなくて、ジャガンナートは宗教の垣根なんて関係なくありがたい神様なんだよ、と言っているのだと思う。
このあたりは、日本人が初詣で地元の寺や神社にお参りする時に、いちいち自分は仏教徒とか神道の信者とか考えないのと同じような感覚なのかもしれない。
彼は"Kalia"と題したジャガンナートと地元への愛に満ちたラップのシリーズを発表していて、この"Kalia3"では珍しく英語でジャガンナートへの感謝と帰依がラップされている。

Big Deal "Kalia 3"


彼は世界中にジャガンナートの素晴らしさを伝えるべく、この曲を英語でラップしているとのこと。
それがちゃんとオディシャの人々に支持されているのが素晴らしい。
そして、この曲でも「カーストも宗教も関係なく、誰もが平等」とラップされている。

調べてみると、Big Deal以外にも、Rath Yatraについてオディア語でラップした曲はたくさんリリースされているようだ。

Rapper Rajesh "Jay Jagannath 2"


これはRapper Rajeshによる"Jai Jagannath 2"という曲。
Jai Jagannathという言葉はBig Dealもよく発しているが、ジャガンナート神を讃える祈りのことばで、オディシャでは挨拶のようにも使われているようだ。

最初に笛を吹いている人物が演じているのはクリシュナなので、やはりここでもクリシュナとジャガンナートが同一視されている。
この宗教歌謡っぽい曲が、ヴァースに入ると当然のようにラップになるところに、今のインドでのヒップホップの定着っぷりが感じられる。

あと関係ないけど、オディシャのラッパーにはMC○○じゃなくて、Rapper○○って名乗っている人が多いような気がする。
Big Dealも正式にはRapper Big Dealの名義で活動しているし、ダリット(カースト制度の枠外に置かれた被差別民)出身のラッパーでRapper Dule Rockerという人もいる。
インドでも他の地域でラッパー○○というMCネームは見た記憶がないので、なんでだかちょっと気になるところだ。

続いてこちらはUstaadというラッパーの"Re Kalia"という曲

Ustaad "Re Kalia"


これもインドのラッパーの曲によくあることなのだが、"Re Kalia"という曲名とは別に、タイトル欄にいろんなサブタイトル(?)が書かれていて、Jai JagannathやShri Jagannathというジャガンナート神への賛美に加えて、やはりRath Yatra Songとお祭りソングであることが明記されている。
Big Dealもタイトルに使っていたKaliaという言葉は、ググってみた限りでは、「黒みがかった美」すなわちクリシュナを讃える言葉らしい。
青い姿で描かれることが多いクリシュナ神だが、シヴァやクリシュナのように青い肌で書かれるヒンドゥーの神は、もともとは黒い肌だったことを表していると言われる。
このKaliaは、クリシュナを讃えるのと同時に、おそらく真っ黒い肌で描かれるジャガンナートとも関係している言葉という意味を持っているのではないかと思う。


Subham Riku "Jaga Kalia"


こちらはSubham Rikuというラッパーの"Jaga Kalia"という曲。
ここでもタイトルにKaliaという言葉が使われ、Rath Yatra Rap Songというサブタイトルがつけられている。
昨年リリースされて700回程度しか再生されていない曲だが、なかなかちゃんとしている。
数年前にオディア語のラップをチェックしたときには、率直に言ってかなり垢抜けない感じだったのが、すごい勢いで進化しているようだ。

オディア語ラップ、ご覧の通りムンバイやデリーとはまた別の方向性で成熟してきている。
オディシャのリアルというのが、伝統的なお祭りや信仰と地続きになっているというのが、なんとも最高ではないですか。



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goshimasayama18 at 22:42|PermalinkComments(0)

2024年05月03日

インドからいろんなアーティストが来日しまくっている!

気がつけば1ヶ月以上、新しい記事を書いていなかった。
これはブログを始めて以来はじめてのことだ。
この間、何をしていたのかというと、インドから来たいろんな人たちと会っていた。

まず4月上旬に日本にやってきたのは、オディシャ州プリー出身の日印ハーフのラッパーBig Deal.
彼のことは以前もこのブログで何度か紹介している。

これは6年前に書いたごく簡単なBig Dealの紹介記事なんだが、改めて読み返してみたら、文章があまりにも酷くて驚いた。
でもまあ彼がどんなバックグラウンドを持ったラッパーなのかはとりあえずわかってもらえると思う。

こちらは4年前に書いた記事。
当時公開されていた映画を絡めてどうにか読んでもらおうという浅ましさが感じられてオエッとなったが、それはこっちの問題で、Big Deal がヒップホップという外来の文化にインドならでは状況を真摯に重ねていることがよく理解できるはずだ。


今回Big Dealは関空から来日。
到着翌日に、さっそく大阪を拠点に活動している生ヒップホップバンド「韻シスト」のベーシストShyoudogとドラマーのTarow-Oneを紹介した。
シンガーをやっているかみさんのツテで、Shyoudogとは以前から知り合いだったのだが、Big Dealに彼らの音源を聴かせてみたところ、非常に気に入ったとのことで、予定を調整してもらったのだ。
彼らがやっているお店(チルアウト酒場ネバフ食堂)にて顔合わせ。
好きなラッパーの話とかですぐにうちとけて、ちょうどお客さんが少ない時間帯だったので、MPCとミニキーボードで音を出してBig Dealにフリースタイルをしてもらった。
それにしてもラッパーってすげえなあ、と思ったのは、ちょうどその日休みだったスタッフ兼ラッパーの方がお店に顔を出したときに「ちょっと今インドのラッパーが来てるからフリースタイルやってよ」って言われて、ちゃんと韻踏んでラップしてたってこと。
「え?インド?ラッパー?いいっすよ」って感じであたり前のようにラップしてて、猪木の「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」って言葉を思い出した。
図らずも実現した日印ラッパー&ミュージシャンのセッションを間近に見られたのは最高だった。
Shyoudog, Tarow-One, OneMiさんありがとう。


Big Dealは4月12日には東京で行われたMusic Bridge Tokyoっていう国際音楽イベントに出演したDarthreider & The Bassonsのステージにゲスト出演。オディア語のラップで会場を盛り上げた。

それにしてもこのイベントのダースレイダーさんは凄かったなあ。
客席は外国のお客さんがほとんどだったのだけど、ドラムとベースのみという最小限のバンドに合わせて、ほとんど英語のラップやフリースタイルで沸かせていた。
いろんな国の人がいるし、俺みたいな日本人もいるわけだから、ノンネイティブにも分かるごくシンプルな英語しか使っていないのだけど、言葉の力と場を支配する力でグルーヴを生み出してゆくパフォーマンスは、MCという言葉が本来意味するMaster of Ceremonyという言葉にふさわしいものだった。
Darthreider & The Bassonsが海外のフェスによく呼ばれている理由が分かった気がした。

Big Dealは、その2日後にはダースレイダーさんと仙台を代表するラッパーのHUNGERさん(この2人は国立民族学博物館で密かに行われている「辺境ヒップホップ研究会」のメンバーでもある)と都内でスタジオ入りして1曲レコーディング。
三者三様のフローが楽しめる日本語、英語、オディア語のマイクリレーはそう遠くないうちに世に出るはずなので楽しみにしていてください。
Big Dealはその後も日本各地を満喫してつい先日無事ムンバイに帰ったとのこと。
東京ではダースレイダーさん、HUNGERさんを交えたインタビューも行なっていて、これも近々、たぶん辺境ヒップホップ研究会のウェブサイトで公開されるはずなので、乞うご期待。



4月中旬には、昨年も1ヶ月の日本滞在を楽しんだビートメーカーのKaran Kanchanが再び来日。
今回は2ヶ月間、日本の各地を旅するという。
彼についてはこのブログでもたびたび取り上げているが、最近ではDIVINEのアルバムでの楽曲プロデュースやNetflix映画の音楽を担当したことなどでますます活躍の幅を広げ、なんとSpotifyとYouTubeでのプロデュースした楽曲の合計再生回数が10億回(!)を超えたとのこと。
いまやインドでもっとも勢いのあるプロデューサーと言ってもまったく過言ではなくなった。

過去の記事や辺境ヒップホップ研究会でのインタビューを貼っておきます。





今回の滞在では、前回の来日で関係を構築したアーティストとのコラボレーションにも取り組むそうで、ここでも日印のアーティストの絆が生まれそうだ。
5月4日には京都のBrooklyn Night Bazaarで日本での初DJを披露する予定もある。
日本のヒップホップなんかもかけるそうなので、近くの方はぜひ遊びに行ってみてください。
KKBrooklynBazaar

関東近郊の方は、5月11日(土)の深夜25時から、J-WAVEのM.A.A.D Spinという番組でインタビューが放送されるので、ぜひそちらを楽しみにしてほしい。
ちなみになぜか私が通訳やってます。
自分は留学したり英語を真面目に勉強したりしたことが全くなく、英語でのコミュニケーションは常に「根性英語」でやっている。
今回も電波に乗せるにもかかわらず非常に適当な通訳でたいへん恐縮なのだが、彼が話しているインドの音楽シーンだったり、彼の日本文化への思い入れだったりの話は大変面白いので、ぜひ聴いてみてください。
ナビゲーターのNazwa!のお二人(Naz Chrisさん、Watusiさん)が上手に話をリードしてくれています。

Karan Kanchanはスタジオでたまたま同じ時間に収録していたZeebraさんとも挨拶を交わしていた。
この4枚目の写真、近いうちに「え!あの二人が!」ってなるんじゃないかと思う。


せっかくなので最近彼が出演したビッグステージ、Lollapalooza Indiaのときのダイジェスト映像と、最近リリースした中でとくにかっこいいと思う曲を貼っておきます。




彼は他にもPritamやVishal Shekharといった映画音楽の大御所とコラボレーションしたり、Boiler Roomに出演したりもしていて、インドでも揺るぎないビッグネームになってきている。

Karan Kanchanはこの後も日本にしばらく滞在して、音楽制作(久しぶりのJ-Trapを三味線奏者の寂空-Jack-さんと共演で作るとのこと)や各地の観光をするとのこと。


そういえば、3月にはデリーのベテランラッパーKR$NAも来日していて、銀座の新しいクラブZouk Tokyoでのイベントに出演してたらしい。


デジタル分野での音楽マーケティングなどを手掛けているBelieveの主催企画だったとのこと。
これ全然気が付かなくて、SNSで見つけた時にはもう終わっていたのだけど、日本で本格的なパフォーマンスを行ったインドのラッパーは、彼が初めてだったんじゃないかと思う。

KR$NAは昨年も来日していて、この"Joota Japani"という曲のミュージックビデオを撮影していた。
いつもは日本のヒップホップの映像を撮影しているクルーが手掛けていて、かなりお金をかけた気合いの入った作品に仕上がっている。
(ギャルがガラケーを使っているのが気になるが)



この曲のビートは、1955年の名作ヒンディー語映画"Shree 420"の挿入歌"Mera Joota Hai Japani"(「靴は日本製、ズボンは英国製、帽子はロシア製だけど心はインド製」という歌詞で知られる)をサンプリングしたもの。
インドのオールディーズにあたる映画音楽をヒップホップに転用する手法は、Karan Kanchanが"Bazigaar"で導入して大ヒットさせたのを参考にしたものだろう。
KR$NAはTeriyaki Boyzの"Tokyo Drift"のビートに乗せたフリースタイルを披露していたりもするので、結構日本好きなのかもしれない。



まあこんなわけで、円安の影響もあってかインドのアーティストたちの来日が相次いている昨今。
この来日ラッシュの中で知ったのだけど、Arjun Kunungoっていう日本にも拠点を作って活動している人もいて、この曲では日本のラッパーCyber Ruiと共演している。


これからもいろんなコラボレーションが見られそうだ。


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2022年07月25日

辺境ヒップホップ研究会で吠える2(ヒップホップの諸要素のインド的解釈と実践)



前回に続いて「辺境ヒップホップ研究会」で話してきた内容をダイジェストで紹介する。


前回の記事では、パンジャーブ系移民によるバングラー・ラップがインドに逆輸入されて誕生したド派手なパーティー系ラップと、その少しあとの時代にインターネット経由でUSのヒップホップの影響を直接受けて発生したストリート・ラップのムーブメントを紹介した。
ご存知のように、ヒップホップという音楽は、パーティー音楽でもあるし、ストリート音楽でもあるし、他にも様々な要素を持ったジャンルだ。
というわけで、今回は「ヒップホップの諸要素のインド的解釈と実践」というアホな学生の卒論のようなタイトルのもと、インドのシーンのいろんな面を見てみましょう。



ギャングスタ音楽としてのヒップホップ

前回も書いた通り、インドのヒップホップシーンは、そこそこの経済力や英語力(≒高い教育レベルと言いかえてもいいだろう)がある層が中心となって形成されてきた。
もともとブロンクスやコンプトンの貧困や被差別のなかから生まれたヒップホップが「舶来の最新のパーティーミュージック」や「意識高いオシャレな音楽」として輸入されるというのは、アジアやアフリカや東欧では結構あることなんじゃないかと思う(日本でも最初の頃はそうだったし、これは今後も辺境ヒップホップ研究会で注目してみたいポイントだ)。

まあとにかく、インドのヒップホップシーンは、口汚いビーフやドラッグを扱った曲はあっても、銃犯罪やマジの暴力事件とは距離をおいた、なんつうか「コンシャス」なものだと思っていたので、大人気のバングラー・ラッパーのSidhu Moose Walaがギャングの抗争に巻き込まれて射殺された事件には大きな衝撃を受けた。
この件については、少し前に詳しく書いたばかりなので、ここではリンクを貼るにとどめておく。



彼について書いた他の記事はこちら。



スタイル的な部分でいえば、ストリート系のラッパーたちが「歌い方はラップだけど、ビートにはインドっぽい音をサンプリングしがち」なのに対して、Sidhuはビートに現代的なヒップホップを引用しても(例えばDIVINEと共演した"Moosedrilla")、あくまでもバングラーの伝統に忠実な歌い方を守っているのが面白い。
首から下はヒップホップ的なファッションでキメていても、いつもシク教徒の誇りであるターバンを巻いているのも、Yo Yo Honey SinghやBadshahといった現代的ヘアスタイルのパーティーラッパーたち(彼らもシク教徒だ)とは対象的だ。
このあたりのこだわりは、バングラー系ラップがもともとディアスポラで生まれた音楽であるがゆえに、より自身ののルーツを強調する必要性があったからこそ生まれたスタイルなんじゃないかとも思う。
カリスマ的な人気を誇ったSidhu亡き後、バングラー系ギャングスタ・ラップのシーンがどう変化してゆくのか、今後も注目してゆきたい。



プロテスト音楽としてのヒップホップ

言うまでもなく、ヒップホップというジャンルは、アメリカの黒人たちの差別や抑圧の歴史に大きな影響を受けている。
差別といえばインドにも悪名高いカースト制度というものがあるが、アメリカにおける黒人の割合が約13%なのに対して、インドで法的に「指定カースト」として位置付けられた下層カースト民は人口の16.6%にも及ぶ。
インドでヒップホップがカースト差別に苦しむ人々をエンパワーする音楽としての意味を持つのは必然と言えるだろう。

南インドのタミルナードゥ州チェンナイ出身のArivuは、ダリット(カーストの枠外として抑圧されてきた人々)出身であることを公言しているラッパーだ。
彼はローカルなストリートミュージックだった「ガーナ」のシンガーとして育ち、大学でカースト差別について学んだのち、ラッパーへと転身した。
ガーナは宗教的権威と結びついた古典音楽とは異なる、チェンナイの大衆的な音楽で、もともと下層の労働者たちが生み出したものだとも言われている。
おそらく彼の中では、タミルのストリートミュージックであるガーナとヒップホップが自然に繋がっているのだろう。


この曲では、カースト差別に対する怒りのみならず、北インドの人々や文化が幅を利かせている状況への反発もテーマとなっている(字幕ONで英語字幕が読める)。
タミル人として行動しているだけで「反インド的」と言われてしまうことに対するプロテストであるこの曲は、結局のところどんな差異があっても俺たちは同じ人間なんだ、という'unity'の呼びかけへと発展してゆく。
彼はCasteless Collectiveというガーナとファンクとヒップホップを融合したバンドの一員でもあり、バンドでもその名の通りカースト差別反対をテーマにした曲を発表しているので、チェックしてみたい方はこちらの記事からどうぞ。




インド東部オディシャ州のダリット・ラッパー、Dule Rockerは、小さな村で建設作業員をしながら独力で楽曲を発表している超インディペンデントかつアンダーグラウンドかつハードコアなラッパーだ。
研究会では彼がDalit Pantherという肩書き(?)を名乗って発表した"Dalit Lives Matter"という曲を紹介したのだが、今調べてみたら、どういうわけかYouTubeから削除されてしまっているようだ。
アメリカの黒人たちのムーブメントがそのままカースト差別反対のメッセージに転用されているのが興味深いという話をしたかったのだが、仕方ないので今回は代わりにBBCが制作した彼の活動を追った映像を貼り付けておく。





インドでは、こんなふうにヒップホップがダリットのエンパワーメントに使われている例だけではなく、ラップのリリックがカースト差別的だと批判されることもある。
DIVINEがカリフォルニア出身のインド系フィメールラッパーRaja Kumariと共演したこの曲では、彼女の'Untouchable with the Brahmin flow from the motherland'というリリックが、カースト差別を肯定的に扱っているのではないかとの非難を受けた。


「母なる大地から生まれたブラーミン(カースト最上位のバラモンのこと)のフロウには触れられない」というラインは、おそらく彼女が自身のルーツを誇ったものなのだろうが、この文脈では、カーストの最下層の人々が穢れた存在とみなされ、上位カーストから「不可触民(アンタッチャブル)」と呼ばれていたことを想起させる。
アメリカで生まれ育った彼女は自分のルーツをレペゼンする意味で使ったのかもしれないが、インド本国ではまた別の意味を持って響いてしまったのだ。

カーストに関する話題は、当然ながらインドでは気軽に楽しめるテーマではないので、カースト差別に対するエンパワーメントを扱ったラップは、決してシーンの主流ではない。
インドでも、'dalit lives matter'のフレーズがヒップホップシーンや社会の中で大きな意味を持つようになる日は来るのだろうか。


ところで、インドでは、カースト差別とは別に、少数民族に対する差別も深刻な社会問題である。
「指定カースト」と同じように「指定部族」として法的に位置づけられた人々は人口の8.6%にものぼる。
とくにインド北東部には、インドの大多数を占めるヒンドゥーやイスラームとは全く違う文化を持ち、東アジア・東南アジア的な顔立ちを持つ人々が多く暮らしている。
北東部の人々は、マジョリティが暮らす地域に進学などで移り住むと、激しい差別やいじめを受けることも多く、これまでに数多くの北東部出身の学生たちが命を落としている。

インド北東部の最北端、アルナーチャル・プラデーシュ州出身のK4 Kekhoは、そんな北東部の人々の主張をラップで訴えている。


「俺は中国人でも移民でもない。あんたたちと同じインド人なんだ」という主張は、インド北東部のヒップホップの頻出テーマだ。

次に紹介するBig Dealも同様のテーマを扱っているのだが、彼は北東部出身ではなく、インド人の父親と日本人の母親の間に生まれた日印ハーフのラッパーである。
おそらく顔立ちのせいで北東部出身者に間違えられることが多いからだと思うが、彼は北東部の人々を代弁する曲を何曲もリリースしている。


先ほど紹介したK4 Kekhoの曲が"I am an Indian"で、この曲は"Are You Indian".
北東部の人々がインド社会でどんな扱いを受けているかが分かろうというものだ。
"Are You Indian"は、前半でインドのマジョリティ(大局的に見ればマイノリティであるムスリムもいる)による「お前らを差別するつもりはないが…」という言葉で始まる偏見が語られ、後半がそれに対する北東部出身者からの反論(アンサー)という構成になっている。
ミュージックビデオではいろんな俳優が喋っているように見えるが、実際は全てBig Dealによるラップのリップシンクになっている。
Big Deal本人も語っているのだが、この曲のアイディアは、アメリカの黒人ラッパーJoyner Lucasの"I'm not Racist"という曲とミュージックビデオををそのままインド北東部に置き換えたものだ。
カースト差別へのプロテストと同様に、少数民族の主張を訴える際にも、アメリカの黒人たちが使った手法がそのまま使われているのだ。
ヒップホップというカルチャーが持つ普遍性が感じられるエピソードだと思うのだけど、どうだろう。





女性のエンパワーメント

インドというと、保守的な価値観が支配的で、女性の自由が少ないというイメージを持つ人もいるだろう。
結婚相手を親に決められ、結婚後は仕事を続けることよりも家庭に入ることが期待され、そもそも結婚するときに花嫁側が持参金を払うという風習から、女性が生まれること自体が歓迎されないという風潮が、すべてのコミュニティにではないにせよ、まだまだインドには存在している。

この曲は、カリフォルニア生まれのインド系(テルグ系)フィメール・ラッパーRaja Kumariのもと、南部のベンガルールのSIRI、北東部メガラヤ州のMeba Ofiria、西部のムンバイのDee MCというインド各地の女性ラッパーたちが共演したもの。


英語ラップが多い曲なので、字幕をONにすると大意がつかめる。
タイトルの"Rani"は「女王」という意味で、つまり女性たちに対して「あなたは決定権を持ち、リスペクトされるべき存在であることを忘れないで」ということを訴えているのだ。曲のテーマ自体は文句なしに素晴らしいのだが、日本人として聞き捨てならないのは、この曲の冒頭のSIRIのリリックにある'I Nagasaki on them haters'というフレーズだ。
あるラジオ番組に出演したときに、この曲をかけようと思っていたのだけど、このリリックに気づいて、紹介するのをやめたことがある。
そのことをTwitterでつぶやいたところ、SIRIと同郷のベンガルールのラッパーが、引用リツイートの形で「特定のカルチャーをエンパワーするために他のカルチャーを傷つけるのはよくない。俺たちはインクルーシブにならないといけない」というアンサーをしてくれた。
インドのヒップホップシーンのコンシャスさを強く感じた出来事として、印象に残っている。



インドのルーツとの融合

ヒップホップには、自分の暮らす街や所属するコミュニティを「レペゼンする」(represent)カルチャーあるが、インドのヒップホップでは、音楽的な方法で自らのルーツをレペゼンしようという試みも行われている。
どういうことかというと、インドの古典音楽のリズムとラップを融合した「フュージョン・ラップ」に取り組んでいるアーティストたちがいるのだ。
インドの古典音楽では、口で擬音語的にリズムを表す方法があり、北インドでは「ボール」(bol)、南インドでは「コナッコル」と呼ばれていたりする(他にも地域や流派によって別の呼び方があるかもしれない)。
文章で表すよりも、このRaja Kumariのインタビューを聴けば一目瞭然だろう(こちらも字幕ON推奨。ひとまず今回見てもらいたいのは、動画開始から70秒ほど、2:30頃までだ)。


慣れ親しんだ古典のリズムに言葉を乗せたらラップになった!という発見をした人はインド国内にもいて、南インドの古典音楽パーカッショニストViveick Rajagopalanもまた、ラッパーたちと共演して、古典のリズムとラップの融合に挑戦している。



他にも、イギリスではタブラ奏者でジャズドラマーのSarathy Korwarが「インド古典とラップとジャズの融合」というさらに高度なフュージョンに取り組んでいて、これまた素晴らしかったりする。
インド人たちの、新しいカルチャーと自らのルーツを融合することに対するためらいの無さには、いつも大きな刺激を受けている次第である。








地元のレペゼン

当日、インド各地のローカル文化がヒップホップにおいてどう表現されているか、みたいな話をしようと思っていたのだけど、時間がなくて割愛したんだった。
なので今回の記事では改めて書こうと思ったのだけど、この記事ももう十分に長くなったので、このテーマが気になる人はこのへんの記事を読んでみてください。面白いです。





ラップ以外の諸要素について

さて、ここまでインドのラップシーンについて書いてきたけれど、古くからヒップホップとは「ラップ、B-Boying(ブレイクダンス)、DJ、グラフィティ」の4要素を含むカルチャーの総称と言われている。
他の要素についてもちょっと触れておくと、B-Boyingについては、さすがダンス好きの国民性だけあって結構盛んなようで、ダラヴィには無料のダンススクールを運営している若者もいる。
ブレイクダンスの技術を通して、スラムの子供たちに誇りを持ってもらおう、という取り組みで、この記事で紹介しているドキュメンタリーがなかなか面白いので興味があったらぜひ見てもらいたい。


ターンテーブルを使うクラシックなスタイルのDJに関しては、インドではインターネットの普及以前は長らくカセットテープが音楽媒体の主流を占めており、レコード盤はほとんど流通していなかったためか、まったく普及していないようだ。
街中で行われるサイファーでは、インドでもビートボックスでリズムを取ることが普通に行われている。
ダラヴィにはビートボックスのフリースクールがあるという話も聞いたことがある。

ちなみにレコーディング時のビートメイキングに関していうと、市中のラッパーはもっぱらビートをオンラインでダウンロードして賄うという、これまた今日の世界共通の方法を取っていることが多いようである。

グラフィティについては、例えば「India hiphop graffiti」とかで画像検索すると、インドの言語の文字やインドっぽいモチーフ(例えばヒンドゥーの神様)がヒップホップ的スタイルで描かれている作品をたくさん見つけることができる。
インドにはもともと政治的スローガンなどを壁に書く習慣があったので、ヒップホップ的なグラフィティも違和感なく受け入れられているようだ。


ヒップホップ・インディア


長かったこの記事もようやくお終い。
「辺境ヒップホップ研究会」での発表は、研究会の発起人である島村一平さんの著書『ヒップホップ・モンゴリア』をパクって、いやサンプリングして「ヒップホップ・インディア」というタイトルさせてもらいました。
最後に紹介したのは、ベンガルールのラッパーSmokey the Ghostの"Hip Hop is Indian".
インドのヒップホップ界を代表するアーティストたちや名曲のタイトルが散りばめられた曲です。
(ちなみにSIRIのナガサキのリリックに対しての抗議に共感を表明してくれたのは彼です)

ヒップホップがインディアンってどういうこと?と思うかもしれないけど、インドのヒップホップを聴いていてつくづく思うのは、ヒップホップというのはもはやアメリカの文化ではなく、完全にグローバルな文化になったんだなあ、ということ。
インドの、いや世界中のヒップホップアーティストたちは、別にアメリカ人の真似がしたいわけじゃない(きっかけはそうだったとしても)。

差別や抑圧や格差はどんな社会にもあるし、世界中のあらゆる人たちがダンスしたりパーティーしたりもするのも当然のことだ。
韻律をともなう詩の文化も世界中にあるから、ライムすることだって別に珍しいことじゃない。
ヒップホップを生み出したブロンクスのオリジネイターたち、そしてそれを発展させてきたアメリカのアーティストたちに対するリスペクトを欠くつもりは全くないけど、1970年代にニューヨークのブロンクスで生まれたヒップホップという文化が、こうして世界中に根づき、そして発祥の地から遠く離れた土地でも誰かを楽しませ、エンパワーし続けているという事実は、純粋に素晴らしいことだなあと思う。
ヒップホップはローカルであると同時に普遍的で、インドを含めた世界中のどの国のヒップホップからも、我々はメッセージとパワーをもらうことができる。
ほとんどのリスナーは自国とアメリカのシーンしかチェックしていないと思うけど、宝物はあらゆるところに存在している。
そのことを改めて感じることができた「辺境ヒップホップ研究会」でした。

次回も楽しみだなあ。



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goshimasayama18 at 22:59|PermalinkComments(0)

2021年09月05日

あらためて、インドのヒップホップの話(その3 ベンガルール編 洗練された英語ラップとカンナダ・マシンガンラップ)


BangaloreRappers


インドのヒップホップを都市別に紹介するこのシリーズの3回目は、インド南部カルナータカ州の州都ベンガルール。
(日本では 「バンガロール」という旧称のほうがまだなじみがあるが、2014年に州の公用語カンナダ語の呼称である「ベンガルール」に正式に改称された)

デカン高原に位置する都市ベンガルールは、インドでは珍しく年間を通じて安定したおだやかな気候であり、イギリス統治時代には支配階級の英国人たちの保養地として愛された。
かつては「インドの庭園都市」という別名にふさわしい落ち着いた街だったようだが、20世紀末から始まったIT産業の急速な発展は、この街の様子を一変させてしまった。
1990年に400万人ほどだった人口は、今では1,300万人に迫るほどに急増。
世界的なソフトウェア企業のビルが立ち並ぶベンガルールは、ムンバイとデリーに次ぐインド第3の巨大都市となった。 


国際的な大都市にふさわしく、この街のヒップホップシーンには、英語ラップを得意とするラッパーが数多く存在している。

例えば、Eminemによく似たフロウでヒンドゥー教のラーマ神への信仰をラップするBrodha V.
コーラスのメロディーはラーマを称える宗教歌で、アメリカにクリスチャン・ラップがあるように、インドならではのヒンドゥー・ラップになっている。

Brodha V "Aatma Raama"

彼はこのブログでいちばん最初に紹介したラッパーでもある。


Siriは前回紹介したデリーのAzadi Records所属。
ムンバイのDee MCや北東部のMeba Ofiliaと並んで、インドを代表するフィメール・ラッパーだ。

Siri "Live It"



かつてはBodha Vと同じM.W.Aというユニットに所属していたSmokey the Ghostは、わりと売れ線の曲も手がけるBrodha Vとは対照的に、アンダーグラウンド・ラッパーとしての姿勢を堅持している。
彼はかつてマンブル・ラッパーたちを激しくディスったこともあり、90年代スタイルのラップにこだわりを持っているようだ。

Smokey the Ghost & Akrti "YeYeYe"

この"Hip Hop is Indian"は、インド全土のラッパーの名前やヒップホップ・クラシックのタイトルを、北から南まで、コマーシャルからアンダーグラウンドまでリリックに織り込んだ、インドのシーン全体を讃える楽曲だ。

Smokey the Ghost "Hip Hop is Indian"

ちなみに彼が所属していたM.W.Aは、言うまでもなくカリフォルニアの伝説的ラップグループN.W.A(Niggaz with Attitude)から取られたユニット名で、'Machas with Attitude'の略だという。
'Macha'はベンガルールのスラングで、「南部の野郎ども」といった意味だそうだ。



ベンガルールで活躍している英語ラッパーには、他の地域にルーツを持つラッパーも多い。
インド東部のオディシャ州出身の日印ハーフのラッパーBig Dealもその一人だ。
この"One Kid"では、彼が生まれ故郷のプリーではその見た目ゆえに差別され、ダージリンの寄宿学校にもなじめず、ベンガルールでラッパーとなってようやく自分の生きる道を見出した半生をそれぞれの街を舞台にラップしている。

Big Deal "One Kid"



インド南西部のケーララ州出身、テキサス育ちのHanumankindもベンガルールを拠点として活動する英語ラッパーだ。

Hanumankind "DAMNSON"


彼はジャパニーズ・カルチャー好きという一面もあり、この曲ではスーパーマリオブラザーズのあの曲に乗せて、Super Saiyan(スーパーサイヤ人)とか「昇竜拳」といった単語が散りばめられたラップを披露している。

Hanumankind "Super Mario"



ベンガルールで英語ラップが盛んな理由を挙げるとすれば、
  1. 世界中から人々が集まり、英語が日常的に話されている国際都市であるということ
  2. ベンガルールが位置するカルナータカ州の言語であるカンナダ語は、インドの中では比較的話者数の少ない言語であるということ(カンナダ語の話者数は4,000万人を超えるが、それでもインドの人口の3.6%に過ぎず、最大言語ヒンディー語の5億人を超える話者数と比べると、かなりローカルな言語である)
  3. 他地域から移り住んできたラッパーも多く、彼らは自身の母語でラップしてもベンガルールで支持を受けることは難しく、またローカル言語のカンナダ語もラップできるほどのスキルも持ち合わせていないと思われること
という3点が考えられる。

もちろん、ここに紹介したラッパーの全員が常に英語ラップをしているわけではなく、Siriは"My Jam"のコーラスでカンナダ語を披露しているし(全曲カンナダ語の曲もリリースしている)、Brodha Vもカンナダ語やヒンディー語でラップすることがある。
またBig Dealはオディシャ出身者としての誇りから母語のオディア語を選んでラップすることもあり、史上初のオディア語ラッパーでもある。



さて、ここまで見てきたような英語ラップのシーンは、じつはベンガルールのヒップホップのごく一面でしかない。
話者数の比較的少ないローカル言語とはいえ、もちろんベンガルールにはカンナダ語のラッパーも存在している。
そして、どういうわけかその多くが、リリックをひたすらたたみかけるマシンガンラップを得意としているのだ。
例えばこんな感じ。


MC BIJJU "GUESS WHO'S BACK"


RAHUL DIT-O, S.I.D, MC BIJJU  "LIT"

カンナダ・マシンガンラップの代表格MC BIJJU、そして、この曲で共演しているRAHUL DIT-O、S.I.Dもこれでもかという勢いのマシンガン・ラップ。
冒頭の寸劇で、コマーシャルな曲をやれば金になるが、コンシャス・ラップをしてもほとんど稼ぎにならない現状が皮肉たっぷりに描かれているのも面白い。


ぐっとポップな雰囲気のこの曲でも、フロウは少し落ち着いているものの、どこかしら言葉を詰め込んだようなラップが目立つ。

EmmJee and Gubbi "Hongirana"

ラッパーはGubbi.
南インドの言語(カンナダ語、タミル語、テルグー語、マラヤーラム語)はアルファベット表記したときにひとつの単語がやたらと長くなる印象があるが、おそらくそうした言語の特質上、カンナダ語のラップはマシンガンラップ的なフロウになってしまうのだろう。


変わり種としては、ちょっとレゲエっぽいフロウと、絶妙に垢抜けないミュージックビデオが印象的なこんな曲もある。

Viraj Kannadiga ft.Ba55ck "Juice Kudithiya"

この曲はカンナダ語のレゲトンとして作られたようで、リリックの内容は「これは酒じゃなくてジュースだ」という意味らしい。
カンナダ語ラップといっても、ハードコアな印象のものから、ポップなもの、コミカルなものと多様なスタイルが存在している。


いわゆるストリート発信のヒップホップとは異なるが、北インドにおけるバングラー・ポップ的な、カンナダ語のエンターテインメント的ダンスミュージックというのも人気があるようだ。

Chandan Shetty "Party Freak"

この曲の再生回数が4,000万回だというから、やはりRAHUL DIT-O, S.I.D, MC BIJJUの"LIT"のミュージックビデオのように、インドじゅう(というか世界中)どこに行ってもコンシャスな内容のものよりコマーシャルなものが人気なのは変わらない。

今回紹介した英語ラップのシーンとカンナダ語ラップのシーンは、別に対立しているわけではなく、それぞれのラッパーが共演することもあるし、またラッパーが曲によって言語を使い分けることもある。
IT産業で急速に発展した国際都市という顔と、カルナータカ州の地方都市という2つの顔を持つベンガルールは、これからも面白いラッパーが登場しそうな要注目エリアである。





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goshimasayama18 at 20:14|PermalinkComments(0)

2021年03月15日

ヒップホップで食べ歩くインドの旅

インドのヒップホップを聴いていて、気がついたことがある。
それは、「インドのラッパーは、やたらと地元の食べ物のことを扱う」ということだ。

ヒップホップにはレペゼンというカルチャーがあり、生まれ育った街やストリート、そして仲間たちを誇り、自慢するのが流儀とされているが、普通、食べ物はあんまり出てこない。
日本のヒップホップで例えるなら、愛知県出身のAK-69が味噌煮込みうどんやきしめんのことをラップしたり、横浜出身のMACCHO(OZROSAURUS)が崎陽軒のシウマイや家系ラーメンについてラップしたりするなんてことはまずないだろう。
本場アメリカでも、ニューヨークのJay-ZやNASとシカゴのカニエ・ウエストやコモンが「俺の街のピザのほうがうまい」とビーフを繰り広げるなんてことはありえないわけだが(当たり前だ)、インドのラッパーたちは、やたらと地元の食べ物のことをラップし、ミュージックビデオに登場させるのである。



まずは、私がこれまで見てきたなかでの「ベスト食べ歩きビデオ」に認定できる作品、ベンガルールのラッパーNEX(2021.12.15追記。このブログの記事を書いた時はNEXというアーティスト名だったのだが、のちにPasha Bhaiに改名したようだ)の"Kumbhakarna"のミュージックビデオを見てほしい。
ソフトウェア企業のビルが立ち並ぶ国際都市としてのベンガルールではなく、庶民が集う飲食街を活写した映像は、インドの下町の食レポとしても十分に楽しめる。

ケバブ系の焼き物や、よくわからない炒め物、揚げ物などの屋台から始まり、味のあるカフェでタバコを燻らせながらチャイを飲む。
撮影場所はストリートフードの店が軒を連ねるShivaj Nagarという場所。
Twitterでこの曲を紹介したところ、なんと近所に住んでいるという方からリアクションがあった。


「ゴキブリと猫とネズミだらけだけど旨い」
…なかなかに気合の入ったエリアだ。

牛肉料理をふんだんに提供しているということ、イスラームの装束に身を包んだ人の姿が多く見られることから、この地域自体もムスリムが多く暮らす場所のようである。
食べ物屋以外にも、雑貨屋や生地屋など、下町のリアルな空気感がびんびん伝わってくる。

このNEX、よほどストリートフードが好きなようで、この'Eid Ka Chaand'では、牛の足を調理しているシーンから始まる。


Shivaj Nagar情報を教えてくれたBari Bari Bari Kosambariさんに伺ったところ、牛の足の煮込み「ビーフ・パヤ」の仕込みではないかとのこと。
ビーフ・パヤは「まだ日の出ぬ内から仕込んで市場の人が朝に食べる定番というイメージ」だそうで、こちらもリアルな地元感がたまらない。
3:20頃からは、今度は鶏肉を調理している様子が映される。

2本とも南アジアのイスラーム庶民の肉食文化の豊かさが感じられ、つい食べ物にばかり目が行ってしまうが、どちらもビートもラップもかなりかっこいい。
NEX, 今後もミュージックビデオともども注目のラッパーだ。


次の食べ歩きの舞台はハイデラーバード。
映画『バーフバリ』で有名になったテルグー語圏の中心都市で、インド料理好きにはビリヤニ(ビリヤーニー)の街として知られている。
この街のラッパーのミュージックビデオに登場するのももちろんビリヤニだ。

まず紹介するのは、Nawab Gangという地元のクルーから、AsurA, Lil Gunda, P$Ychloneの3人による"Flirt With Hyd". 

いかにもハイデラーバードらしいイスラーム建築が目立つ街並みを練り歩き、リクシャーにハコ乗りしながらラップするビデオは地元感覚満載!
撮影場所にヒップホップっぽいアメリカ的な「ストリート」ではなく、本当の意味で地元をレペゼンする場所を選ぶインドのラッパーたちのセンスにはいつもながら敬服する。
2:00過ぎからはピザ・ドーサ、2:30過ぎからはニハーリー(肉の煮込み)といったストリートフードの屋台が映され、3:10には満を持してビリヤニが登場!
一瞬だが、リリックでも確かに「チキン・ビリヤーニー、マトン・ナハーリー(ニハーリー)」と言っている。
彼らのユニット名の'Nawab'はかつて南アジアを支配していたイスラーム王朝の「太守」を意味する言葉だ。
ムガール帝国、ニザーム王国といったイスラーム王朝の都市だったこの街にふさわしい名前で、ロゴマークはムンバイのDIVINEのGully Gangを意識しているようでもある。


ハイデラーバードからビリヤニ・ラップをもう1曲。
Ruhaan Arshadというラッパーの"Miya Bhai Hyderabad".

チャイから始まり、ニハーリー(0:45頃)、そしてビリヤニは1:58頃に登場。(そのすぐ後にはケバブも出てくる)
これまでのミュージックビデオとはうってかわって、陽気な地元の兄ちゃんたちが盛り上がってるって感じの垢抜けない映像がほほえましい。
タイトルの'miya bhai'は'my brother'という意味の仲間に呼びかけるスラングらしい。(ウルドゥー語。ここまで紹介したラッパーが使用している言語は、よく分からんけどおそらくデカン高原一帯のムスリムに話されているデカン・ウルドゥーと思われる)
「みーや、みーや、みーやばーい」というサビが印象に残るこの曲は、2018年にリリースされて以来、なんと4億4000回以上も再生されている。
ハイデラーバードの人口が700万人弱であることを考えると、異常なまでの愛されっぷりだ。
たしかに耳の残る曲ではあるが、インド人の心を掴む特別な何かが込められているのだろうか…。


続いては、インド東岸、オディシャ州の海辺の町プリー。
これまでもたびたび紹介している日印ハーフのラッパーBig Dealによる世界初のオディア語(オディシャ州の言語)ラップ"Mu Heli Odia".



内陸部のベンガルールやハイデラーバードとはぐっと異なる、ひなびた海辺の街ならではの風景が楽しめる。
また、近くにジャガンナート寺院という大きなヒンドゥー寺院があるからか、サドゥー(ヒンドゥーの世捨て人的な行者)の姿が目立つのも印象的だ。
注目してほしいのは、2:20過ぎからの'Let 'em know that Rosogolla is from Odisha'(Rosogollaはオディシャで生まれたものだとやつらに分らせてやれ)という英語字幕で表されているリリック。
ここでRosogolla(おそらくオディア語の表記)と呼ばれているのは、ヒンディー語ではラスグッラー(Rasgulla)として知られている牛乳と小麦粉と砂糖で作られた甘いお菓子のこと。
初めてこのミュージックビデオを見た時から「地元の菓子をラップで自慢するなんて、いかにもインドらしいなあ」と思っていたのだが、小林真樹さんの『食べ歩くインド 北・東編』を読んで、ここには単なる郷土自慢以上の意味が込められていることに気づいた。

このラスグッラーの発祥をめぐって、オディシャ州とウエストベンガル州との間で裁判になるほどの論争があったというのだ。
ラスグッラーは一般的にはウエストベンガル州コルカタのKC Dasという菓子店によって有名になったとされているが、オディシャ州側は、もともとはプリーのジャガンナート寺院の供物として作られていたものだと主張(古くは15世紀の文献にRasagolaという菓子の記述があるという)。
ウエストベンガル側も、今日のラスグッラーは19世紀にDasが改良して普及したものだと主張し、一歩も譲らなかった。
結果、2017年にラスグッラーはウエストベンガル州に帰属する(ただし、オディシャ州でも製造方法や独自の特徴を明記すればラスグッラーの名称を使用可能とする)という判決が下されたという。
この曲がリリースされたのはその判決が出る直前で、つまりBig Dealはこのリリックを通じてラスグッラーの正統なルーツを主張していたのだ。

これに対してコルカタのラッパーが「ラスグッラーは俺たちのものだ」とアンサーしたりするとなお面白かったのだが、今のところそうした動きはない模様。
コルカタ愛の強いCizzyあたりに、ぜひ仕掛けてもらいたいものである。



続いては、インド西部に足を延ばし、タール砂漠が広がるラージャスターン州を食べ歩こう。
こちらも以前紹介したことがある曲だが、青く塗られた石造りの家が立ち並ぶ「ブルーシティ」ことジョードプルのラップユニットJ19 Squadによる"Mharo Jodhpur".


1:00頃に出てくる料理に注目。
真ん中に置かれたボール状の食べ物が置かれたターリーは、ダール・バーティーと呼ばれるもので、チャパティと同じ生地を団子状にして加熱したバーティーと豆カレーのダールを合わせたもの(リリックでも確かに「ダール・バーティー」とラップしている)。
この地方を代表する料理で、「食べ歩くインド 北・東編」によると、大量の乾燥牛糞を燃やした中にバーティーの生地を投入してローストし、灰や土で蓋をして焼き上げ、最後にギー(精製した発酵バター)をくぐらせて作るこの地方独特の食べ物だという。
その後に出てくるのはミルチ・バダと呼ばれるジョードプル名物のストリートフードで、青唐辛子とジャガイモやカリフラワーをスパイスやバターを合わせた生地でくるんで揚げたものだ。
J19 Squadは他のミュージックビデオでは銃をぶっぱなしたりしているかなりコワモテな連中だが、やはり地元の食べ物には人一倍の誇りを持っているのだろう。

探せばまだまだありそうだが、今回の食べ歩きの旅はここまで。
地域や食文化はさまざまだが、いずれの楽曲からも、「これが俺たちの血や肉を作っているんだ」という誇りと自負が感じられるのがお分かりいただけただろう。

他にも、ヒップホップではないが、ケーララ州には地元の名物料理の名前を冠したAvialというバンドもいるし、とにかくインドのミュージシャンの地元料理愛には驚かされるばかり。
コロナ禍でなかなか旅に出られない状況が続くけれど、また面白い食べ歩きミュージックビデオがあったら紹介してみたい。


ところで、今回の記事を書くにあたって、どんなにタイトルを考えても、小林真樹さんの名著「食べ歩くインド」(旅行人)に似てしまって仕方なかったので、この際リスペクトを込めて、思いっきりパクらせていただきました。
南アジアの食文化を、ここまで広く、深く、そして面白く紹介した本は世界中を探しても他にないはず。
ジャンルは違えどインドのカルチャーを掘る者としても、大いに刺激をいただいた一冊です。
未読の方は、ぜひ。



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2020年08月08日

歴史的名著!『食べ歩くインド』by小林真樹

食べ歩くインド

アジアハンター代表、小林真樹さんの『食べ歩くインド』(旅行人)。
この本が間違いなく面白いだろうということは分かっていたのだが、インドの音楽シーンについて読むべき本が溜まっていたので、秋頃にいろいろ落ち着いてから買おうと思っていた。

ところが、書店でついうっかり実物を見つけてしまい、手にとって、ぱらぱらとページをめくってみたら、もう駄目だった。
自分はけっしてインドのスペシャリストではないけれど、インドに興味を持ってかれこれ20年。
いつしか、インドに関する本を読むとき、未知のことを知るというよりも、どこか「確認する」みたいになっている自分がいた。
ちょっと調子に乗っていたのかもしれない。
何なんだこの本は。
もう、全く知らないことしか書かれていない。
しかも、それがいちいち面白くて、興味(と食欲)をそそる…。

気がついたら、『北・東編』『南・西編』の二冊を持ってレジに並んでいた。
というわけで、今手元には、読み終わったばかりの2冊がある。

この2冊については、SNS上で、旅好き、南アジア好き、南アジア料理好きのみなさんが、的を射た言葉で絶賛しつつ紹介しているのをたくさん読んでいたので、料理についてはズブの素人の自分は、けっして評したりするまい、と固く心に決めていたのだが、あまりの面白さに、気がついたら、こうしてブログに書いてしまっている。
恐るべきは、私の忍耐力の無さではなく、この本の持つ魔力だ。


南インド料理をはじめとする南アジアの料理は、静かな、しかし熱狂的なブームになっていると言われて久しく、びっくりするほど詳しい人がたくさんいるが、この本ははっきりいって怪物だ。
『北』編の「ガルワール料理」「バスタル地方の部族食」、『南』編の「ラヤシラーマ料理」「オーナムのサッディヤ料理」「ウドゥピ料理」とか、まったく聞いたことのない料理が次から次へと出てくる。
パキスタン、バングラデシュ、ネパールといった周辺諸国の料理はもちろん、南アジアのなかでも独特の文化を持つ、インド北東部の「アッサム料理」「ナガ料理」「マニプリ料理」「カシ(メーガーラヤ)料理」までカバーしており、守備範囲の広さと深さでは全く類を見ない奇書だ。

内容は耳慣れない言葉の連続なのだが、はっきりいってそんなことはどうでもいいくらい、この本は面白い。
今まで誰も記していない、ローカルの文化のなかだけに生きている面白いものを追い求める小林さんの情熱がびんびん伝わってくるからだ。
「北インド/ガルワール料理」から一例を挙げると、例えばこんな文章だ。

他のインドの諸地域同様、ガルワールでも豆は最もポピュラーな食材の一つ。主な料理は、バット(黒豆)を使った汁物料理のバット・キ・カチュロニ、ローストしたウラッド豆の豆粥料理であるチェースー、ベスンのガッテー(団子)を具にしたガッテー・キ・サブジーなど。ガハットダール(ホースグラム)もガルワール全体で一般的で、特にこのガハットの豆粥ペーストと野菜を使ったファーヌー(スープ状の煮込み料理)、また冬の間に保存食料として、ペーストにしたウラッド豆を団子にして日干ししたバリーや、同様にムーング豆の乾燥団子マンゴーリーなどがある。バリーもマンゴーリーも野菜汁に入れて食べる。

(一応言っておくと、耳慣れない単語についてはきちんと説明がされているし、巻末には五十音順の用語説明も付いている)
インド料理についての知識があれば、もちろん一層楽しめるのだろうが、私みたいな素人が読んでも、この笑っちゃうくらいに知らない言葉が出てくる文章は楽しくってしょうがない。

小林さんが書く圧倒的な未知の情報のなかに、自分の持つ限られた知識や経験と重なる部分が見つかると、また格別の喜びがある。
個人的に言えば、「コルカタに中華料理が多い理由はこんなことだったのか」とか、「菓子ロシュ・ゴッラ(ラス・グッラー)の地理的帰属をめぐる西ベンガル州とオディシャ州の法廷闘争なんてものがあったのか。そういえばラッパーのBig Dealが『ラス・グッラーはオディシャ生まれだぜ』ってラップしてたな」とか、「パールシー(ゾロアスター教徒)が炭酸飲料の製造をしてた話って、ロヒントン・ミストリーの小説に出てきたな」なんていう発見に、脳内で予想外のシナプスが繋がる快感があった。

小林さんの興味の対象は、食材や調理方法にとどまらず、年月が生み出した店や客の雰囲気、その土地の歴史や文化、民族の伝統や信仰にも及ぶ。
料理の表層的な味だけではなく、その味を生み出した地層のような背景を紐解いてゆく過程は知的興奮に満ちている。
読んでいると、小林さんのなかで、狂気にも似た好奇心が、静かに、しかし激しく燃えていることが、がんがん伝わってくる。

『食べ歩くインド』を読んで、辻調理師学校を設立した辻静雄の著作を思い出した。
フランスの食と食にまつわる文化に魅せられ、その歴史から最先端までをわかりやすく、かつ詳細に書き記した彼の著書は、日本におけるフランス料理の普及に多大な役割を果たした。
自分は西洋の料理にも全く疎いが、一時期、読み物としての面白さにはまって、彼の本を夢中になって読んでいた。
『食べ歩くインド』も、数十年後には、同じように「古典」としての評価が確立しているはずだ。
今後、日本で、いや、もしかしたら世界で、インドの食や料理について書くとき、『食べ歩くインド』以前と以後に時代が明確に二分されるのではないか、という気すらしている。

なんか興奮して気持ち悪いくらいに絶賛してしまっているが、そういう本だ、これは。


最後にもうひとつだけ。
あとがきに書かれていた「誤解を恐れずにいえば、インド食べ歩きは美味しさの追求が最優先事項ではありません」という文章に、思いっきりシビれた。
(じゃあ何が最優先なのかは、ぜひご自身で読んでみてください)

私は「古典音楽でも映画音楽でもないインド音楽」という、極めてニッチなテーマでブログを書いているが、同様に誤解を恐れずに言えば、そこに音楽としての完成度の高さを追求しているわけではない(何を音楽の完成度とするかは置いておいて)。
ポピュラーミュージックとしての完成度や新しさ、社会へのインパクトを最優先事項とするならば、他に書くべき音楽はいくらでもあるだろう。
それでも、現代ポピュラー音楽の直接的ルーツである欧米から地理的・文化的な距離があるうえに、様々な民族、言語、宗教、伝統、歴史、価値観がときにモザイクのように、ときに坩堝のように合わさったインドという磁場で生み出される新しい音楽(とその背景)に、言いようのない面白さを感じているのだ。

インドという汲めども汲めども決して面白さの尽きない泉のような国で、小林さんが料理文化を追求しているように、自分も音楽カルチャーをこれからも追求していこう、という思いを新たにした次第です。


『食べ歩くインド』を読んでいて思い出したミュージックビデオを2つほど貼りつけておきます。

オディシャ(オリッサ)州プリー出身の日印ハーフのラッパーBig Dealによる、世界初のオディア語ラップ"Mu Heli Odia" .

2:20頃から「奴らにラスグッラーはオディシャのものだと教えてやれ」というリリックが。
西ベンガル州とのラスグッラー訴訟の話を読んだあとだと、この「奴ら」っていうのは、インド人全般って意味じゃなくてベンガル人のことなのかな、なんて思ったりもする。

ジョードプルのヒップホップグループJ19 Squadが同郷のラッパーJagindar RVとSumsa Supariと共演した地元讃歌"Mharo Jodhpur".

『食べ歩くインド』を読んで、この1:00から出てくる団子みたいなのが、全粒粉を丸めて火を通したラージャスターン名物ダール・バーティなるものだと分かったのはうれしかった。(その後に出てくるのは「カスタ・カチョーリー」か?)

インド人は基本的に地元愛が非常に強いので、他にもローカルな食べ物が出てくるミュージックビデオがあった気がするんだが…自分がいかに食文化を見過ごしちゃっているかを思い知らされた。

最後の最後に、『食べ歩くインド』を読んだ全員が必ず思う感想を、私にも言わせてください。
「コロナが落ち着いたら、インドに行ってこの本片手にいろんなものを食べまくりたい!」


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2020年06月11日

インドに共鳴する#BlackLivesMatter ダリットやカシミール、少数民族をめぐる運動


今さら言うまでもないことだが、米ミネアポリスでアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが警察官の過剰な暴力によって命を落としたことに端を発する抗議運動が、世界中に広がっている。
この運動は、もはや個別の事件への抗議運動ではなく、社会構造に組み込まれた差別や格差全体に対する抗議であるとか、過激な反ファシスト活動家たちが暴力的な行動を引き起こしているとか、いや、じつは暴力行為の引き金を引いているのは彼らを装った白人至上主義団体だ、とか、さまざまな議論が行われているが、すでに詳しく報じている媒体も多いので、ここでは割愛する。

アフリカ系アメリカ人のみならず、多くの人種や国籍の人々が、SNS上で#BlackLivesMatterというハッシュタグを使い、軽視される黒人の命を大切にするよう訴えていることも周知の通りだ。
この 'Black Lives Matter'(BLM)は、2013年に黒人少年が白人自警団員に射殺された事件をきっかけに生まれスローガンで、その後も同様の事件が起こるたびに、'BLM'ムーブメントは大きなうねりを巻き起こしており、インドでも、多くの著名人がBLMへの共感を表明している。

それにともなってソーシャルメディア上で目につくようになってきたのが、#DalitLivesMatterというハッシュタグだ。
ダリット(Dalit. ダリトとも)とは、南アジアでカースト制度の最下層の抑圧された人々のこと。
動物の死体の処理や、皮革工芸、清掃、洗濯など「汚れ」を扱う仕事を生業としてきた彼らの存在は、カースト制度の枠外に位置付けられた「アウトカースト」と呼ばれたり、触れたり視界に入ったりするだけで汚れるとされて'Untouchable'(「不可触民」と訳される)と呼ばれるなど、激しい差別の対象となってきた。
インドの憲法はカースト制度もそれに基づく差別も禁じているが、今日に至るまで、苛烈なカースト差別に起因する殺人や暴力はあとを絶たない。
ソーシャルメディア上では、#DalitLivesMatterのハッシュタグとともに、実際に起きたダリット迫害事件のニュースがシェアされたり、「インドのセレブリティーはBLMに対する共感を表明するなら、自国内の差別問題にも真摯に取り組むべきだ」という痛烈な意見が述べられたり、さまざまな情報発信が行われている。

ダリットに対する差別反対と地位向上を訴えているオディシャ州出身のラッパーのSumeet Blueも、#DalitLivesMatterを使用している一人だ。
彼はソーシャルメディアを通じて、ネパールのダリットが石を投げられて殺されたことや、貧しさゆえにオンライン授業にアクセスできなかったケーララ州のダリットの少女が自ら命を絶ったことなど、厳しい現実を発信し続けている。

彼のリリックのテーマもまたダリットの地位向上であり、この"Blue Suit Man"では、「ダリット解放運動の父」アンベードカル博士をラップで讃えている。

アンベードカルはダリットとして様々な差別を受けながら、猛勉強をして大学に進み、ヴァドーダラー君主による奨学金を得てコロンビア大学に留学し、のちにインド憲法を起草して初代法務大臣も務めた人物である。
晩年、彼はヒンドゥー教こそがカースト制度の根源であるという考えから、50万人もの同朋とともに仏教に改宗し、ダリット解放とインドにおける仏教復興運動の両方で大きな役割を果たした。
彼は青いスーツを好んで着用していたことで知られ、今日では青はダリット解放運動を象徴する色となっている。(これとは別に、青は空や海のように境界がないことを表しているという説も聞いたことがある)

インド各地に目を向けると、ヒップホップとタミルの伝統音楽を融合したCasteless Collectiveや、自らの出自である皮革工芸カーストの名を冠したチャマール・ポップ(Chamar Pop)を歌う女性シンガーGinni Mahiなどが、音楽を通して反カーストやダリットの地位向上のためのメッセージを発信しつづけている。




ダリット以外のインドの人々にも、BLMムーブメントは影響を与えている。
#KashmiriLivesMatterは、長く独立運動や反政府運動が続き、それに対する苛烈な弾圧で罪のない人々の自由や命が奪われ続けているカシミールへの共感を表明するハッシュタグだ。

カシミール出身のラッパーAhmerは、自由を求める政治的/社会的な主張を発信しているレゲエアーティストのDelhi Sultanateとコラボレーションした新曲"Zor"を6月9日にリリースした。
(ただし、彼らが#KashmiriLivesMatterのハッシュタグを使用していることは確認できなかった。彼の曲を聴けば、同じテーマを扱っていることは分かるのだが)。

カシミール地方は、昨年、中央政府によって自治権を持った州から直轄領へと変更になったばかりであり、その反対運動を抑えるために、外出禁止やインターネットの遮断といった事実上の戒厳令下に置かれていた。
こうした状況のもとで、圧制に反発し、カシミール人を鼓舞する楽曲をリリースするということは、かなり勇気のいる行動だと思うが、なんとしても訴えたい現実があるのだろう。

カシミールのラッパーによる意見表明は今回が初めてではない。
同じくカシミール出身のラッパーMC Kashは、2010年に、抑圧され続けるカシミールの現状に抗議する"I Protest"をリリースしている。
この曲のタイトルは、大きな共感を呼び起こし、ハッシュタグ'#IProtest'として、インド社会を中心に広く拡散し、カシミールの住民への弾圧に反対する人々の合い言葉となった。


Delhi SultanateやMC Kashについては、以前こちらの記事で詳しく紹介している。



#DalitLivesMatterや#KashmiriLivesMatterは、BLMに比べれば、大きな盛り上がりになっているとは言えないかも知れないが、社会構造の中で抑圧された人々をめぐる運動が国境を超えてインスパイアされているということを示す象徴的な事例と言うことができるだろう。
マイノリティの権利獲得/地位向上のための運動としての歴史が長いアフリカ系アメリカ人のムーブメントは、訴求力の高い彼らの音楽とともに、様々なマイノリティ運動に活力を与えているのだ。


もうひとつ事例を紹介したい。
2017年に米ラッパーのJoyner Lucasが発表した"I'm not Racist"は、今回のBLMムーブメントとともに再び注目されている楽曲だが、白人による無理解に基づく偏見と、それに対する黒人からの言い分というこの曲の構成を、インドに置き換えて「リメイク」したラッパーがいる。
まずは、オリジナル版を見てみよう。


オディシャ州出身の日印ハーフのラッパー、Big Dealは、その東アジア人的な見た目を理由に幼少期に差別を受けた経験を持っており、そのことから、彼によく似た外見を持ち、マイノリティーとして差別の対象となっているインド北東部の人々の心情に寄り添った楽曲を発表している。
インドのメインランド(アーリア系やドラヴィダ系の人種がマジョリティであるインド主要部)の人々から「お前は本当にインド人なのか?」と蔑まれるインド北東部出身者の状況をラップした"Are You Indian"がその曲である。

さまざまな人々がリップシンクしているが、"I'm Not Racist"同様に、実際は全てのヴァースをBig Dealがラップしている。
この曲の前半では、メインランドの典型的インド人から、北東部出身者の見た目や習慣に関する偏見に基づいた差別的な非難が繰り広げられる。
後半のヴァースでは、それに対して、北東部出身者から、彼らも同じインド人であること、彼らの中にも多様性があるということ、マイノリティーとして抑圧されてきたこと、差別的な考えはインド独立前のイギリス人と同様で恥ずべきものであることなどという反論が行われる。

リリックの詳細はこちらの記事に詳しく訳してあるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。
Big Dealはつい先日も、コロナウイルスの発生源とされる中国人に似た見た目の北東部出身者がコロナ呼ばわりされることに抗議する曲をリリースしており、さながら北東部の人々の心情をラップで代弁するスポークスマンのような役割を果たしている。



#DalitLivesMatterや#KashmiriLivesMatter(インドに限ったものではないが、#MuslimLivesMatterというものもある)は、#BlackLivesMatterが黒人の命だけを特別扱いするものだとして起こった#AllLivesMatter(黒人の置かれた状況を無視した話題のすり替えであり、マジョリティである白人の特権性に無自覚な表現だと批判された)とは全く異なるものだ。
インドにおけるこうしたムーブメントは、BLMのスローガンである'None of us are free, until all of us are free'をローカライズしたものだと言うことができるろう。
オリジナルのBLMをリスペクト、サポートするだけではなく、インドの社会問題にも想いを寄せるとともに、日本を含めた世界中に様々な形で存在している差別や偏見についても、改めて考えるきっかけとしたい。



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goshimasayama18 at 19:42|PermalinkComments(0)

2020年05月17日

ロックダウン中に発表されたインドの楽曲(その1) ヒップホップから『負けないで』まで



今回の世界的な新型コロナウイルス禍に対して、インドは3月25日から全土のロックダウン(必需品購入等の必要最低限の用事以外での外出禁止)に踏み切った。
これは、日本のような「要請」ではなく、罰則も伴う法的な措置である。
インド政府はかなり早い時期から厳しい方策を取ったのだ。

当初、モディ首相によるこの速やかな判断は高く評価されたものの、都市部で出稼ぎ労働者が大量に職を失い、故郷に帰るために何百キロもの距離を徒歩で移動したり、バスに乗るために大混雑を引き起こしたりといった混乱も起きている。
貧富の差の激しいインドでは、ロックダウンや経済への影響が弱者を直撃しており、多様な社会における対応策の困難さを露呈している。
こうした状況に対し、政府は28兆円規模の経済対策を発表し、民間でもこの国ならではの相互扶助がいたるところで見られているが、なにしろインドは広く、13億もの人口のすみずみまで支援が行き渡るのは非常に難しいのが現実だ。

当初3週間の予定だったインドのロックダウンは、その後2度の延長の発表があり、現時点での一応の終了予定は5月17日となっているが、おそらくこれで解除にはならず、もうじき3度目の延長が発表される見込みである。
インド政府は感染者数によって全インドをレッド、グリーン、オレンジの3つのゾーンに分け、それぞれ異なる制限を行なっているが、ムンバイ最大のスラム街ダラヴィ(『スラムドッグ$ミリオネア』や『ガリーボーイ』の舞台になった場所だ)などの貧困地帯・過密地帯でもコロナウイルスの蔓延が確認されており、日本同様に収束のめどは立っていない。

このような状況下で、インドのミュージシャンたちもライブや外部でのスタジオワーク等の活動が全面的に制限されてしまっているわけだが、それでも多くのアーティストが積極的に音楽を通してメッセージを発表している。

デリーを代表するラッパーPrabh Deepの動きはかなり早く、3月26日にこの "Pandemic"をリリースした。

デリーに暮らすシク教徒の若者のリアリティーをラップしてきた彼は、これまでもストリートの話題だけではなく、カシミール問題などについてタイムリーな楽曲を発表してきた。
彼の特徴である、どこか達観したような醒めた雰囲気を感じさせるリリックとフロウはこの曲でも健在。
ロックダウン同様の戒厳令が続いているカシミールに想いを馳せるラインがとくに印象に残る。
以前は名トラックメーカーのSez on the Beatとコラボレーションすることが多かったPrabh Deepだが、Sezがレーベル(Azadi Records)を離れたため、今作は自身の手によるビートに乗せてラップしている。
Prabh Deepはラッパーとしてだけではなく、トラックメーカーとしての才能も証明しつつあるようだ。



ムンバイの老舗ヒップホップクルーMumbai's FinestのラッパーAceは、"Stay Home Stay Safe"というタイトルの楽曲をリリースし、簡潔にメッセージを伝えている。

かなり具体的に手洗いやマスクの重要性を訴えているこのビデオは、ストリートに根ざしたムンバイのヒップホップシーンらしい率直なメッセージソングだ。
シーンの重鎮である彼が若いファン相手にこうした発信をする意味は大きいだろう。



バンガロールを拠点に活動している日印ハーフのラッパーBig Dealは、また異なる視点の楽曲をリリースしている。
彼はこれまでも、少数民族として非差別的な扱いを受けることが多いインド北東部出身者に共感を寄せる楽曲を発表していたが、今回も北東部の人々がコロナ呼ばわりされていること(このウイルスが同じモンゴロイド系の中国起源だからだろう)に対して強く抗議する内容となっている。

Big Dealは東部のオディシャ州出身。
小さい頃から、その東アジア人的な見た目ゆえに差別を受け、高校ではインド北東部にほど近いダージリンに進学した。
しかし、彼とよく似た見た目の北東部出身者が多いダージリンでも、地元出身者ではないことを理由に、また差別を経験してしまう。
こうした幼少期〜若者時代を過ごしたことから、偏見や差別は彼のリリックの重要なテーマとなっているのだ。




インドでの(そして世界での)COVID-19の蔓延はいっこうに先が見えないが、こうした状況下でも、インドのヒップホップシーンでは、言うべき人が言うべきことをきちんと発言しているということに、少しだけ安心した次第である。

ヒップホップ界以外でも、パンデミックやロックダウンという未曾有の状況は、良かれ悪しかれ多くのアーティストにインスピレーションを与えているようだ。
ムンバイのシンガーソングライターMaliは、"Age of Limbo"のミュージックビデオでロックダウンされた都市の様子をディストピア的に描いている。
 
タイトルの'limbo'の元々の意味は、キリスト教の「辺獄」。
洗礼を受けずに死んだ人が死後にゆく場所という意味だが、そこから転じて忘却や無視された状態、あるいは宙ぶらりんの不確定な状態を表している。 
この曲自体はコロナウイルス流行の前に作られたもので、本来は紛争をテーマにした曲だそうだが、期せずして歌詞の内容が現在の状況と一致したことから、このようなミュージックビデオを製作することにしたという。
ちなみにもしロックダウンが起きなければ、Maliは別の楽曲のミュージックビデオを日本で撮影する予定だったとのこと。
状況が落ち着いたら、ぜひ日本にも来て欲しいところだ。

ロックダウンのもとで、オンライン上でのコラボレーションも盛んに行われている。
インドの古典音楽と西洋音楽の融合をテーマにした男女デュオのMaati Baaniは、9カ国17人のミュージシャンと共演した楽曲Karpur Gauramを発表した。



インド音楽界の大御所中の大御所、A.R.Rahmanもインドを代表する17名のミュージシャンの共演による楽曲"Hum Haar Nahin Maanenge"をリリース。

古典音楽や映画音楽で活躍するシンガーから、B'zのツアーメンバーに起用されたことでも有名な凄腕女性ベーシストのMohini Deyまで、多彩なミュージシャンが安定感のあるパフォーマンスを見せてくれている。

以前このブログで紹介した日印コラボレーションのチルホップ"Mystic Jounetsu"(『ミスティック情熱』)を発表したムンバイ在住の日本人ダンサー/シンガーのHiroko Sarahさんも、以前共演したビートメーカーのKushmirやデリーのタブラ奏者のGaurav Chowdharyとの共演によるZARDのカバー曲『負けないで』を発表した。



インドでも、できる人ができる範囲で、また今だからこそできる形で表現を続けているということが、なんとも心強い限り。

次回は、Hirokoさんにこのコラボレーションに至った経緯やインドのロックダウン事情などを聞いたインタビューを中心に、第2弾をお届けします!

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goshimasayama18 at 15:14|PermalinkComments(0)

2019年06月04日

Big Dealがラップで訴える故郷オディシャ州のサイクロン被害からの復興

5月3日、20年ぶりとなる猛烈な強さのサイクロン'Fani'がインド東岸とバングラデシュを直撃した。
インド東部オディシャ州の政府は事前に各種メディアを通じて120万人以上の人々に避難を指示し、43,000人のボランティアを準備してサイクロンに備えた。
この'Fani'によって、インドでは同州を中心に72名が亡くなったが、10,000人を超える死者・行方不明者を出した1999年のサイクロンと比べると大幅に犠牲者数を減らすことができたのは、事前の準備と対策が功を奏したからだと言えるだろう。
odisha_map
オディシャ州の位置(出典:Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_districts_of_Odisha

だが、喜んでばかりはいられない。
過去の大災害と比べて人的被害が少なかったせいか、サイクロン通過後の状況は、海外でも、そしてインド国内でもほとんど報道されていないようなのだ。
'Fani'が過ぎ去ると、インドのニュースは、ほとんど下院選挙一色となってしまった。

しかし、最大風速毎時250キロ、再低気圧937ヘクトパスカルに達した'Fani'の被害は甚大だった。
被害の中心地は州沿岸部のプリー地区、コルダ地区で、12世紀に建築された有名なジャガンナート寺院も被害を受けた。
被災者数は1,700万人弱にのぼり、オディシャ州内の物的損害の推定額は17.4億米ドルに達するという。
'Fani'の被害を受けたインフラ再建のためには、24億6,000万ドルが必要とされている。

甚大な被害にも関わらず、その後の支援が不十分な状況に対して、同州プリー出身の日印ハーフのラッパーBig Dealは、さらなる支援を呼びかける楽曲をYouTubeで公開した。

"I am Odisha".

豊かな自然のもとで暮らすオディシャの人々にとって、日本同様に自然災害の脅威は避けられないものだ。
1999年に続き、2013年の'Phailin'、さらには今年の'Fani'と、オディシャ州は度重なるサイクロンの被害に見舞われており、そのたびに住民たちはそこから立ち直ってきた。
このビデオにも出てくるように、過去の被災経験から、オディシャ州には数多くの避難施設(シェルター)が建設され、今回の'Fani'上陸の際には、適切な避難行動によって人的被害を最小限にとどめることができた。

とはいえ、生活基盤が破壊された状況からの再建は容易ではなく、オディシャ州は多くの支援を必要としている。
とくに沿岸部には貧しい漁民が多く暮らしており、住まいや漁船を破壊されたりした者も少なくないようだ。
私も20年ほど前にプリーを訪れたことがあるが、海岸沿いに掘っ立て小屋のような漁民の住居がひしめきあうように建てられていたのを覚えている。
もし彼らの生活が20年で大幅に改善していなければ、彼らが生命以外のほぼ全てを失ってしまったであろうことは想像に難くない。

Big Dealはオディア語(オディシャ州の言語)でラップした最初のラッパーであり、"Mu Heli Odia"(俺はオディシャ人)という曲をリリースしたこともある、名実ともにオディシャを代表するヒップホップアーティストだ。
日印ハーフの彼は、少年時代には、顔立ちの違いからいじめを受けたこともあったそうだが、それでもオディシャ州をレペゼンするアーティストになり、活動拠点を南部の大都市バンガロールに移した今も、オディシャ人であることを誇る楽曲をリリースしている。
このビデオでは、自身のラップスキルと報道の映像、そして美しいオディシャの自然や文化を織り交ぜながら、報道が途絶えた今も苦しんでいる被災者に代わって支援を訴えている。

オディシャのニュースサイトMyCityLinksにBig Dealが語ったところによると、この曲は、過去20年で5つのサイクロンに見舞われたオディシャが、決して打ちのめされず、そのたびに立ち上がってきたことを示すものだという。
この曲は地元言語オディア語ではなく、英語とヒンディー語でラップされているが、インド国内で少しでも多くの人に今回の被災への意識を高めるために、話者数の多い言語を選んだそうだ。
彼は'Fani'襲来の2日後に曲を書き始め、2週間でこの曲を完成させた。
(mycitylinks.in "Big Deal’s “I am Odisha” tells the resilience of disaster-prone State"

いつものように、Big Dealのラップから感じられるのは、ファッション的な暴力性や露悪性ではなく、真摯で誠実なメッセージであり、問いかけである。
自分のコミュニティーをレペゼンし、抑圧された人々の声なき声を代弁し、社会的なメッセージを発信する。
ここには、ヒップホップの美徳の全てがある。

'Fani'の被害を受ける前の美しいオディシャを取り戻すためにも、彼のこの活動をシェアしたいと思う。
Big Dealによる世界初のオディア語ラップ、"Mu Heli Odia"で、この土地の美しさを改めてご覧いただきたい。


過去のBig Dealに関する記事はこちらから。
「レペゼンオディシャ、レペゼン福井、日印ハーフのラッパー Big Deal」
「律儀なBig Deal」(インタビュー)
「インド独立記念日にラップを聴きながら考える」(彼が独立記念日に寄せて作った曲について)
「"Gully Boy"と『あまねき旋律』をつなぐヒップホップ・アーティストたち」(彼がインド北東部への差別について作ったプロテストラップについて)


"I am Odisha"の動画の最後に出てくる州政府首相による基金のウェブサイト(cmrfodisha.gov.in)では、日本からの支援は難しいようなので、日本で支援を受けつけている団体を紹介する。
NPO法人JAPAN INDIA CLUB」という、プリー在住のロックドラマーの宮原"ナチョス"剛さんが代表を務める団体だ。
同団体は2014年からプリーで日本とインドのミュージシャンによる音楽フェス「オディシャジャパンフェスティバル」を開いており、日本からはモーモールルギャバンなどのバンドが出演している。

現地プリーに拠点のあるこの団体が、緊急支援プロジェクトを立ち上げており、詳細は以下のリンクから確認できる。

サイクロンへの支援についてはこちらから:
JAPAN INDIA CLUB 【緊急】『インドオディシャ州プリー2019サイクロン災害救援プロジェクト』

JAPAN INDIA CLUBについてはこちらから:
JAPAN INDIA CLUBとは?活動理念



団体のウェブサイトからのメッセージを引用して紹介します。

【緊急】
救援金の受付を開始いたします。

5月3日プリーを襲った巨大サイクロンによる災害について

2019年5月3日、インド東部オディッシャ州プリーに巨大サイクロン「Fani -ファニ-」が上陸しました。

「ファニ」の勢力はプリー至上最大級のサイクロンで、現在も120万人以上が避難生活を送っていると報道があります。

想像を絶する暴風雨が人々や家を襲い、停電、断水、通信手段断絶等の甚大な被害をもたらしています。

現在はインド政府の対応や近隣の週からのサポートもあり少しずつ、復旧に向かってはおりますが、

依然として猛暑等も重なり、この過酷な状況は続いています。

今現在、我々が把握している現地からの被災情報は
「プリーの学校、民家、商店、ホテル等の崩壊」
「ライフライン断絶、復旧の見通しがたたない」
「多くの方が避難している」
「漁村の船も家屋もすべてなくなり、漁村が村ごとなくなったこと」

そして、甚大な被災に遭われた現地では

人々が協力し合い、過酷な状況下で復興を目指し、
「前向きにがんばっている」
ということです。

しかし連絡手段が限られている中、実際の被災状況などが少しづつ明らかになってきてはいますが、最新の被災情報を入手することは困難を極めています。

この甚大な被害に一刻も早く対応をするために、
日本国内での救援金の募金による支援のお願いを開始することと致しました。

この度のみなさまからお寄せいただきました救援金は、
当NPO法人が責任を持ち、2019サイクロン災害救援金として、
被災した方々への支援活動及び復興活動のために使用させて頂くことをお約束致します。

(引用以上)
JAPAN INDIA CLUBが行なっているODISHA JAPAN FESTIVALの様子はこちら!

JAPAN INDIA CLUBでは、来年もプリーのペンタコタ地区でこのフェスティバルの開催を考えているとのことで、そのためにも1日もはやく現地の生活が健やかになるよう願っているというメッセージをいただいた。

Let's help rebuild Odisha!


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goshimasayama18 at 23:24|PermalinkComments(0)

2019年05月24日

混ぜたがるインド人、分けたがる日本人  古典音楽とポピュラーミュージックの話

『喪失の国、日本 インド・エリートビジネスマンの[日本体験記]』という本がある(文春文庫)。
M.K.シャルマなる人物が書いた本を、インドに関する著書で有名な山田和氏が翻訳したものだ。
山田氏は、デリーの小さな書店で「日本の思い出」と題されたヒンディー語の私家版と思しき本を見つけて購入し、その後、奇遇にもその本の著者のシャルマ氏と知り合うこととなった。(曰く「9億5000万分の1の偶然」)。
この奇縁から、山田氏がシャルマ氏にヒンディー語から英語への翻訳を依頼し、それを山田氏がさらに日本語に訳して出版されたのが、この本というわけだ。

日本人のインド体験記は数多く出版されているが、インド人による日本体験記は珍しい。
シャルマ氏は、90年代初期の日本に滞在した経験をもとに、持ち前の好奇心と分析力を活かして、日印の文化の相違や、虚飾に走りがちな日本人の姿を、ときにユーモラスに、ときに鋭く指摘している。
全体を通して面白いエピソードには事欠かない本書だが、とくに印象に残っているのは、シャルマ氏が日本人の同僚とインド料理店を訪れた時の顛末だ。

私は料理同士をミックスさせ、捏ねると美味しくなると、何度もアドヴァイスをしたのだが、誰も実行しようとしなかった。混ぜると何を食べているのかわからなくなる、美味そうでない、生理的に受けつけない、というのが彼らの返事だった。
その態度があまりにも頑ななので、私は彼らが「生(き)(本来のままで混じり気のないこと)」と呼んで重視する純粋性、単一性への信仰、つまり「混ぜることを良しとしない価値観」がそこに介在していることに気づいたのである。
インドでは、スパイスの使い方がそうであるように、混ぜることを愛する。

(同書「インド人は混ぜ、日本人は並べる」の章より)

その後、シャルマ氏は「日本食も混ぜた方が美味しくなると思うか」という質問に「そう思う」と本音で答えた結果、「それは犬猫の食べ物」と言われてしまったという。
インド人は様々な要素を混ぜ合わせることを豊穣の象徴として良しとし、日本人はそれぞれの要素の純粋性を尊重するという、食を通した比較文化論である。

なぜ唐突にこんな話をしたかというと、インドの音楽シーンにも、私はこれと全く同じような印象を受けているからだ。
彼ら(インド人)は、とにかくよく混ぜる。
何を混ぜるのか?
それは、彼らの豊かな文化的遺産である古典音楽と、欧米のポピュラーミュージックを混ぜるということである。
それも、奇を衒ったり、ウケを狙っているふうでもなく、まるで「俺たちにとっては普通のことだし、こうしたほうが俺たちらしくてかっこいいだろ」と言うがごとく、インドのミュージシャン達は、ごく自然に、時間も場所も超越して音楽を混ぜてしまうのだ。
日本では「フュージョン」と言うと、ジャズとロックとイージーリスニングの中間のような音楽を指すことが多いが、インドで「フュージョン」と言った場合、それはおもに伝統音楽と現代音楽の融合を意味する。

その一例が、前回紹介した「シタールメタル」だ。
古典音楽一家に生まれ育ったRishabh Seenは、シタールとプログレッシブ・メタルの融合に本気で取り組んでいる。

ヒップホップの世界でも、Bandish ProjektやRaja Kumariが古典音楽のリズムをラップに導入したり、Brodha Vがヒンドゥーの讃歌を取り入れたり、そして多くのラッパーがトラックに伝統音楽をサンプリングしたりと、様々なフュージョンが試みられている。


Bandish ProjektもRaja Kumariも、インド伝統の口で取るリズム(北インドではBol, 南インドではKonnakolという)からラップに展開してゆく楽曲の後半が聴きどころだ。

Eminemっぽいフロウを聴かせるBrodha Vの"Aatma Raama"はサビでラーマ神を讃える歌へとつながってゆく。

 Divineのトラックは、実際はテレビ番組のテーマ曲の一部だそうだが、伝統音楽っぽい笛の音色をBeastie Boysの"Sure Shot"みたいな雰囲気で使っている!
Divineはムンバイを、Big Dealはオディシャ州をそれぞれレペゼンするという内容の曲。トラックもテーマに合わせてルーツ色が強いものを選んでいるのだろうか。

伝統音楽との融合はヒップホップだけの話ではない。
Anand Bhaskar CollectiveやPaksheeといったロックバンドは、ヒンドゥスターニーやカルナーティックの古典声楽を、あたり前のようにロックの伴奏に乗せている。


タミルナードゥ州のプログレッシブメタルバンドAgamは、演奏もヴォーカルもカルナーティック音楽の影響を強く感じる音楽性だ。

例を挙げてゆくときりがないので、そろそろ終わりにするが、エレクトロニック・ミュージックの分野では、Nucleyaがひと昔前のボリウッド風の歌唱をトラップと融合させているし、古典音楽のミュージシャンたちも、ラテンポップスの大ヒット曲"Despacito"を伝統スタイルで見事にカバーしている。(しかも、彼らが使っている楽器のうちひとつはiPadだ!)



まったくなんという発想の自由さなんだろう。
異質なものを混ぜることに対する、驚くべき躊躇の無さだ。

翻って、我が国日本はどうかと考えると、我々日本人は、混ぜない。
最新の流行音楽に雅楽や純邦楽の要素を取り入れるなんてまずないし、ロックバンドが演歌や民謡の歌手をヴォーカリストに採用するなんてこともありそうにない(例外的なものを除いて)。
そう、日本は「分けたがる」のだ。
純邦楽は日本の伝統かもしれないけど、ロックやヒップホップとは絶対に相容れないもの。
民謡や演歌の歌い方は、今日の流行音楽に取り入れたら滑稽なもの。
素材の純粋さを活かす日本文化は、混ぜないで、分けることでそれぞれの良さを際立たせる。

いったいなぜ、日本人とインド人でこんなにも自国の伝統と西洋の流行音楽に対する接し方が違うのか。
なぜインド人は、何のためらいもなく古典音楽と最新の流行音楽を混ぜることができるのか。
その理由は、インドの地理的、歴史的な背景に求めることができるように思う。

よく言われるように、インドは非常に多くの文化や民族が混在している国で、公用語の数だけでも18言語とも22言語とも言われている(実際に話されている言語の数は、その何倍、何十倍になる)。
現在のインドは、もともとひとつの国や文化圏ではなく、異なる文化を持つたくさんの藩王国や民族、部族の集まりだった。
彼らは移動や貿易や侵略を通して、互いに影響を与えあってきた歴史を持つ。
11世紀以降本格的にインドに進入してきたイスラーム王朝もまた、インド文化に大きな影響を与えた。
かつての王侯たちは、異なる信仰の音楽家や芸術家たちをも庇護して文化の発展を支えていたし、イスラームのスーフィズムとヒンドゥーのバクティズムのように、異なる信仰のもとに共通点のある思想が生まれたこともあった。
インドの歴史は多様性のもとに育まれている。
こうした異文化どうしの交流と影響の上に成り立っているのが、インドの芸術であり、音楽なのだ。

また、スペインやポルトガルなどの貿易拠点となったり、イギリス支配下の時代を経験したことの影響も大きいだろう。
インド人は、かなり昔から南アジアの中だけでなく、東(インド)と西(ヨーロッパ) の文化もミックスしてきたのだ。
音楽においても東西文化の融合はかなり早い段階から行われていて、ヨーロッパ発祥のハルモニウム(手漕ぎオルガン)は今ではほとんど北インドやパキスタン音楽でしか使われていないし、南インドでは西洋のバイオリンがそっくりそのまま古典音楽を演奏する楽器として使われている。
 

彼らの音楽的フュージョンは、一朝一夕に成し遂げられたものではないのである。
彼らはスパイス同様、音楽的要素も混ぜることでもっと良くなるという思想を持っているに違いない。
そもそも例に上げているスパイスにしても、インド原産のものばかりではない。
例えば今ではインド料理の基本調味料のひとつとなっている唐辛子は、大航海時代にヨーロッパ人によってインドにもたらされたものだ。
古いものも、新しいものも、自国のものも、他所から来たものも、混ぜ合わせながら、より良いものを作ってきたという歴史。
その上に、今日の豊かで面白いフュージョン音楽文化が花開いている。
長く鎖国が続いた日本の歴史とは非常に対照的である。

日本の音楽シーンでは、ルーツであるはずの文化や伝統と、現代の流行との間に、深い断絶がある。
その断絶の起源が鎖国にあるのか、明治にあるのか、はたまた戦後にあるのかは分からないが、とにかく我々は長唄や民謡とヒップホップを混ぜようとしたりはしない。
というか、そもそも伝統音楽と流行音楽の両方を深く聴いているリスナー自体、ほとんどいないだろう。

日本人は、分ける。
インド人は、混ぜる。

と、ここまで書いて、ふと気がついたことがある。
スパイスや音楽については混ぜることが大好きなインド人も、なかなか混ぜたがらないものがある。
それは、彼らの「生活」そのものだ。
例えば、食。
スパイスについては混ぜることを良しとしている彼らも、食生活そのものに関しては、都市に住む一部の進歩的な人々以外、総じて保守的である。

牛を神聖視するヒンドゥーと、豚を穢れているとするムスリム、さらには人口の3割を占めるというベジタリアンなど、インドには多くの食に関するタブーがある。
それらは個人やコミュニティーのアイデンティティーと強く結びついており、気軽に変えられるものではない。
音楽に関する仕事をしていて、アメリカ留学経験も日本在住経験もあるとても都会的なインド人が、頑なにベジタリアンとしての食生活を守っている例を知っている。
その人は信仰心が強いタイプでは全くないが、生まれた頃からずっと食べていなかった肉を食べるということに、気持ち悪さのような感覚があるという。
(多様性の国インドにはいろんなタイプの人がいるので、あくまで一例。最近では逆にベジタリアン家庭に育っても、鶏肉くらいまでは好んで食べる若者もそれなりにいるようだ)
多くのインド人にとっては、小さな頃から食べ慣れた食生活を守ることが、何よりも安心できることなのだろう。

また、結婚についても同様に、インド人は混ぜたがらない。
ご存知のように、インドでは結婚相手を選ぶときに、自分と同等のコミュニティー(宗教、カースト、職業、経済や教育のレベルなど)から相手を選ぶことが多い。
保守的な地方では、カーストの低い相手との結婚を望む我が子を殺害する「名誉殺人」すら起こっている。(家族の血統が穢れることから名誉を守るという理屈だ)
 
一方、日本人は食のタブーのない人がほとんどだし、海外の珍しくて美味しい料理があると聞けば喜んで飛びつき、さらには日本風にアレンジしたりもする。
食に関して言えば、日本人は混ぜまくっている。
結婚に関しても、仮に「身分違いの恋」みたいなことになっても、せいぜい親や親族の強硬な反対に合うことがあるくらいで、殺されたりすることはまずない。
日々の暮らしに関わる部分では、日本人のほうが混ざることに対する躊躇が少なく、インド人のほうが分けたがっているというわけだ。
国や民族ごとに、人々が何を混ぜたがり、何を分けたがっているのかを考えると、いろいろなことが分かってくるような気もするが、話が大きくなり過ぎたのでこのへんでやめておく。


最後に、冒頭で紹介した山田和氏の「喪失の国、ニッポン〜」をもう一度紹介して終わりにする。
この本は、これまで読んだインド本の中で、確実にトップスリーには入る面白さで、唯一欠点があるとすれば、なんとも景気の悪いタイトルくらいだ。 
主人公のシャルマ氏は、花見の宴席を見て古代アラブの宴を思い起こし、「やっさん」というあだ名の同僚からペルシアの王ハッサンを想像してしまうぶっ飛びっぷりだし、後半では淡い恋のエピソードも楽しめる。 
実は、この本の内容は全て山田氏の創作なのではないかという疑惑もあるようなのだが(正直、私もちょっとそんな気がしている)、もしそうだとしても、それはそれで十分に面白い奇書なので、ご興味のある方はぜひご一読を!



インドのフュージョン音楽については、過去に何度か詳しく書いているので、興味がある方はこちらのリンクから!
混ぜるな危険!(ヘヴィーメタルとインド古典音楽を) インドで生まれた新ジャンル、シタール・メタルとは一体何なのか

「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

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goshimasayama18 at 21:49|PermalinkComments(0)