Arivu
2024年09月01日
映画音楽に進出するインディーアーティストたち
もうこのブログに100回くらい書いてきたことだけど、インドでは長らく映画音楽がポピュラー音楽シーンを独占していた。
いつも記事にしているインディペンデント系の音楽シーンが発展してきたのは、インターネットが普及した以降のここ10年ほどに過ぎない。
インドの音楽シーンでは、映画のための音楽を専門に手掛ける作曲家・作詞家・プレイバックシンガーと、自分たちの表現を追求するインディーズのアーティストは別々の世界に暮らしていて、前者の市場のほうがずっと大きく、大きなお金が動いている、というのがちょっと前までの常識だった。
ところが、ここ5年ほどの間に、状況はかなり変化してきている。
インドではいまやヒップホップが映画音楽を超えて、もっとも人気があるジャンルなのだという説まであるという。
参考記事:
日印ハーフのラッパーBig Dealも、インタビューで「ヒップホップはインドでボリウッド以上に人気のあるジャンルになっている」と熱く語っていた。
まあこれはかなり贔屓目に見た意見かもしれないが、ヒップホップを含めたインディーズ勢が急速な成長を遂げ、インドのポピュラーミュージックシーンで存在感を強めているのは間違いない。
それを象徴する事象として、ここ数年の間に、インディーズのミュージシャンが映画音楽に起用される例が多くなってきた。
その背景には、インディーズミュージシャンのレベルの向上と、とくに都市部の若者の音楽の好みが、これまで以上に多様化してきたという理由がありそうだ。
私の知る限りでは、映画音楽に進出したインディーミュージシャンでもっとも「化けた」のは、OAFF名義でムンバイ在住の電子ポップアーティストKabeer Kathpaliaだ。
以前は渋めのエレクトロニック音楽を作っていたOAFFは、2022年にAmazon Primeが制作した映画"Gehraiyaan"に起用されると、一気に映画音楽家として注目を集めるようになった。
OAFF, Savera "Doobey"
歌っているのはLothikaというシンガー。
作詞は映画専門の作詞家であるKausar Munirが手掛けているという点では、インド映画マナーに則った楽曲と言える。
この曲のSpotifyでの再生回数は1億回以上。
タイトルトラックの"Gehraiyaan Title Track"にいたっては、3億回以上再生されている。
映画の主演は人気女優ディーピカー・パードゥコーンと『ガリーボーイ』の助演で注目を集めたシッダーント・チャトゥルヴェーディ。
監督は"Kapoor and Sons"(2016年。邦題『カプール家の家族写真』)らを手がけたシャクン・バトラー(Shakun Batra)が務めている。
OAFFは2023年のNetflix制作による映画"Kho Gaye Hum Kahan"にも関わっているのだが、この作品はさらに多くのインディーズアーティストが起用されていて、サントラにはプロデューサーのKaran KanchanやラッパーのYashrajも参加。
以前インタビューで「あらゆるスタイルに挑戦したい」と言っていたKaran Kanchanが、ここでは古典音楽出身でボリウッド映画での歌唱も多いRashmeet Kaurと組んで、見事にフィルミーポップ風のサウンドに挑戦している。
Karan Kanchan, Rashmeet Kaur, Yashraj "Ishq Nachaawe"
この映画の監督は『ガリーボーイ』や『人生は二度とない(Zindagi Na Milegi Dobara)』のゾーヤー・アクタルで、主演はまたしてもシッダーント・チャトゥルヴェーディ。
(ところで、人物名にカナ表記とアルファベット表記が混じっているが、これは検索しても日本語で情報がなさそうな人はアルファベット表記で、ある程度情報が得られそうな人はカナ表記にしているからです)
音楽のセレクトから監督・主演まで、いかにも都市部のミドルクラスをターゲットにした陣容だ。
ムンバイのメタルバンドPentagramの出身のVishal Dadlani(ボリウッドの作曲家コンビVishal-Shekharの一人)のように、インディーズから映画音楽に転身した例もあり、OAFFが今後どういう活動をしてゆくのか、気になるところではある。
もうちょっと前の作品だと、シンガーソングライターのPrateek Kuhadの名曲"Kasoor"のアコースティックバージョンがNetflix映画の『ダマカ テロ独占生中継(Dhamaka)』(2021)で使われていたのが記憶に残っている。
Prateek Kuhad "Kasoor (Acoustic)"
これは映画のために書き下ろされたのではなく、既存の曲が映画に使われたという珍しい例。
ここまで読んで気づいた方もいるかと思うが、インディーミュージシャンの起用はNetflixとかAmazon Primeとかの配信系の映画が多い。
インディーズ勢の音楽性が配信作品の客層の好みと合致しているからだろう。
ヒップホップに関して言うと、ここ数年の間に、Honey SinghとかBadshahじゃなくてストリート系のラッパーが映画音楽に起用される例も見られるようになってきて、いちばん驚いたのは、この"Farrey"という2023年の学園もの映画にMC STANが参加していたこと。
"ABCD(Anybody Can Dance)"や"A Flying Jatt"(『フライング・ジャット』)の映画音楽を手がけたSachin-Jigarによる曲でラップを披露している。
MC Stan, Sachin-Jigar & Maanuni Desai "Farrey Title Track"
おそらくインド初のエモ系、マンブル系ラッパーとしてシーンに登場したMC STANは、映画音楽からはいちばん遠いところにいると思ったのだが、実はあんまりこだわりがなかったようだ。
セルアウトとかそういう批判がないのかは不明。
ラップ部分のリリックのみSTAN本人が手がけている。
映画にはサルマン・カーンの姪のAlizeh Agunihotriが主演。サントラには他にBadshahが参加したいつもの感じのパーティーチューンなんかも収められている。
ストリート系のラッパーが映画音楽に参加した例としては(ヒップホップ映画の『ガリーボーイ』(2019)は別にして)、さかのぼればDIVINEとインドのベースミュージックの第一人者であるNucleyaが起用された"Mukkabaaz"(2018)や、もっと前にはベンガルールのBrodha VとSmokey the Ghostが参加していた 『チェンナイ・エクスプレス』(2013)もあった。
いずれも各ラッパーのソロ作品に比べるとかなり映画に寄せた音楽性で、アーティストの個性を全面に出した起用というよりは、楽曲の中のラップ要員としての起用という印象が強い。
「映画のための音楽」と個人の作家性が極めて強いヒップホップはあんまり相性が良くなさそうだが、このあたりの関係が今後どうなってゆくかはちょっと気になるところだ。
ここまでヒンディー語のいわゆるボリウッド映画について述べてきたが、南インドはまた状況が違っていて、タミルあたりだとArivuなんてもう映画の曲ばっかりだし、最近注目のラッパーPaal Dabbaもかなり映画の曲を手がけている。
Paal Dabba & Dacalty "Makkamishi"
2024年の映画"Brother"の曲。
濃いめの映像、3連のリズムとパーカッション使いがこれぞタミルという感じだ。
Arivu "Arakkonam Style"
こちらもまたタミルっぽさとヒップホップの理想的な融合と言えるビート、ラップ、メロディー。
映画"Blue Star"(2024)には、自身もダリット(カーストの枠外に位置付けられてきた被差別民)出身で、ダリット映画を手がけてきたことでも知られるパー・ランジット(Pa. Ranjith)が制作に名を連ねている。
Arivuはもともと彼が召集した音楽ユニット、その名もCasteless Collectiveの一員でもあり、ランジットは『カーラ 黒い砦の闘い』(2018年。"Kaala")でもラップを大幅にフィーチャーしていた。
タミル人に関しては、メジャー(映画)とインディーズ音楽の垣根がそもそもあんまりなく、2つのシーンがタミルであることの誇りで繋がっているような印象を受ける。
タミルのベテランヒップホップデュオHip Hop Tamizha(まんま「タミルのヒップホップ」という意味)なんて映画音楽を手掛けるだけじゃなくてメンバーのAdhiが映画の主演までしているし。
Hip Hop Tamizha "Vengamavan"
これは2019年の"Natpe Thunai"という映画の曲。
この頃は、いかにもタミル映画の曲にラップが入っている、という印象だったけど、最近の映画の曲になるとかなりヒップホップ色が強くなってきている。
Hip Hop Tamizha "Unakaaga"
これはAdhiが主演だけでなく監督も務めた"Kadaisi Ulaga Por"という今年公開された映画の曲。
今後、タミルの映画音楽がどれくらい洋楽的なヒップホップに寄って来るのかはちょっと注目したいポイントである。
南インド方面で驚いたのは、アーメダーバード出身のポストロックバンドAswekeepsearchingが、今年(2024年の)公開の"Footage"という映画のサウンドトラックを全て手掛けているということ。
予告編ではかなり大きく彼らの名前が取り上げられていてびっくりした。
映像的なポストロックは確かに映画音楽にぴったりだが、エンタメ的な派手さとは離れた音楽であるためか、インドで映画音楽に使用された例は聞いたことがない。
ケーララ州のマラヤーラム語映画で、この独特のセンスはいかにもといった感じ。
サントラはすでにサブスクでリリースされていて、予告編の曲は弾き語り風だが、他の曲では彼ららしいダイナミズムに溢れたサウンドを楽しむことができる。
2017年リリースの"Zia"に収録されていたこの曲も映画で使用されているようだ。
Aswekeepsearching "Kalga"
ここまで紹介した曲が、ほとんど「インディー系のアーティストが映画のためのサントラを制作」とか、「映画のサントラにインディー系のアーティストが起用」だったのに対して、このケースはAswekeepsearchingの音楽のスタイルを映画に寄せることなく映画音楽として成立させていて、他の例とは違うタイプの起用方法だと言えそうだ。
そういえばマラヤーラム語映画では、以前"S Durga"(2018)という映画でもスラッシュメタルバンドのChaosが起用された例があったが、こういう傾向が今後他の言語の映画にも広がってゆくのかどうか、興味深いところではある。
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goshimasayama18 at 17:18|Permalink│Comments(0)
2022年07月25日
辺境ヒップホップ研究会で吠える2(ヒップホップの諸要素のインド的解釈と実践)
前回に続いて「辺境ヒップホップ研究会」で話してきた内容をダイジェストで紹介する。
前回の記事では、パンジャーブ系移民によるバングラー・ラップがインドに逆輸入されて誕生したド派手なパーティー系ラップと、その少しあとの時代にインターネット経由でUSのヒップホップの影響を直接受けて発生したストリート・ラップのムーブメントを紹介した。
ご存知のように、ヒップホップという音楽は、パーティー音楽でもあるし、ストリート音楽でもあるし、他にも様々な要素を持ったジャンルだ。
というわけで、今回は「ヒップホップの諸要素のインド的解釈と実践」というアホな学生の卒論のようなタイトルのもと、インドのシーンのいろんな面を見てみましょう。
ギャングスタ音楽としてのヒップホップ
前回も書いた通り、インドのヒップホップシーンは、そこそこの経済力や英語力(≒高い教育レベルと言いかえてもいいだろう)がある層が中心となって形成されてきた。
もともとブロンクスやコンプトンの貧困や被差別のなかから生まれたヒップホップが「舶来の最新のパーティーミュージック」や「意識高いオシャレな音楽」として輸入されるというのは、アジアやアフリカや東欧では結構あることなんじゃないかと思う(日本でも最初の頃はそうだったし、これは今後も辺境ヒップホップ研究会で注目してみたいポイントだ)。
まあとにかく、インドのヒップホップシーンは、口汚いビーフやドラッグを扱った曲はあっても、銃犯罪やマジの暴力事件とは距離をおいた、なんつうか「コンシャス」なものだと思っていたので、大人気のバングラー・ラッパーのSidhu Moose Walaがギャングの抗争に巻き込まれて射殺された事件には大きな衝撃を受けた。
この件については、少し前に詳しく書いたばかりなので、ここではリンクを貼るにとどめておく。
彼について書いた他の記事はこちら。
スタイル的な部分でいえば、ストリート系のラッパーたちが「歌い方はラップだけど、ビートにはインドっぽい音をサンプリングしがち」なのに対して、Sidhuはビートに現代的なヒップホップを引用しても(例えばDIVINEと共演した"Moosedrilla")、あくまでもバングラーの伝統に忠実な歌い方を守っているのが面白い。
首から下はヒップホップ的なファッションでキメていても、いつもシク教徒の誇りであるターバンを巻いているのも、Yo Yo Honey SinghやBadshahといった現代的ヘアスタイルのパーティーラッパーたち(彼らもシク教徒だ)とは対象的だ。
このあたりのこだわりは、バングラー系ラップがもともとディアスポラで生まれた音楽であるがゆえに、より自身ののルーツを強調する必要性があったからこそ生まれたスタイルなんじゃないかとも思う。
カリスマ的な人気を誇ったSidhu亡き後、バングラー系ギャングスタ・ラップのシーンがどう変化してゆくのか、今後も注目してゆきたい。
プロテスト音楽としてのヒップホップ
言うまでもなく、ヒップホップというジャンルは、アメリカの黒人たちの差別や抑圧の歴史に大きな影響を受けている。
差別といえばインドにも悪名高いカースト制度というものがあるが、アメリカにおける黒人の割合が約13%なのに対して、インドで法的に「指定カースト」として位置付けられた下層カースト民は人口の16.6%にも及ぶ。
インドでヒップホップがカースト差別に苦しむ人々をエンパワーする音楽としての意味を持つのは必然と言えるだろう。
南インドのタミルナードゥ州チェンナイ出身のArivuは、ダリット(カーストの枠外として抑圧されてきた人々)出身であることを公言しているラッパーだ。
彼はローカルなストリートミュージックだった「ガーナ」のシンガーとして育ち、大学でカースト差別について学んだのち、ラッパーへと転身した。
ガーナは宗教的権威と結びついた古典音楽とは異なる、チェンナイの大衆的な音楽で、もともと下層の労働者たちが生み出したものだとも言われている。
おそらく彼の中では、タミルのストリートミュージックであるガーナとヒップホップが自然に繋がっているのだろう。
この曲では、カースト差別に対する怒りのみならず、北インドの人々や文化が幅を利かせている状況への反発もテーマとなっている(字幕ONで英語字幕が読める)。
タミル人として行動しているだけで「反インド的」と言われてしまうことに対するプロテストであるこの曲は、結局のところどんな差異があっても俺たちは同じ人間なんだ、という'unity'の呼びかけへと発展してゆく。
彼はCasteless Collectiveというガーナとファンクとヒップホップを融合したバンドの一員でもあり、バンドでもその名の通りカースト差別反対をテーマにした曲を発表しているので、チェックしてみたい方はこちらの記事からどうぞ。
インド東部オディシャ州のダリット・ラッパー、Dule Rockerは、小さな村で建設作業員をしながら独力で楽曲を発表している超インディペンデントかつアンダーグラウンドかつハードコアなラッパーだ。
研究会では彼がDalit Pantherという肩書き(?)を名乗って発表した"Dalit Lives Matter"という曲を紹介したのだが、今調べてみたら、どういうわけかYouTubeから削除されてしまっているようだ。
アメリカの黒人たちのムーブメントがそのままカースト差別反対のメッセージに転用されているのが興味深いという話をしたかったのだが、仕方ないので今回は代わりにBBCが制作した彼の活動を追った映像を貼り付けておく。
インドでは、こんなふうにヒップホップがダリットのエンパワーメントに使われている例だけではなく、ラップのリリックがカースト差別的だと批判されることもある。
DIVINEがカリフォルニア出身のインド系フィメールラッパーRaja Kumariと共演したこの曲では、彼女の'Untouchable with the Brahmin flow from the motherland'というリリックが、カースト差別を肯定的に扱っているのではないかとの非難を受けた。
「母なる大地から生まれたブラーミン(カースト最上位のバラモンのこと)のフロウには触れられない」というラインは、おそらく彼女が自身のルーツを誇ったものなのだろうが、この文脈では、カーストの最下層の人々が穢れた存在とみなされ、上位カーストから「不可触民(アンタッチャブル)」と呼ばれていたことを想起させる。
アメリカで生まれ育った彼女は自分のルーツをレペゼンする意味で使ったのかもしれないが、インド本国ではまた別の意味を持って響いてしまったのだ。
カーストに関する話題は、当然ながらインドでは気軽に楽しめるテーマではないので、カースト差別に対するエンパワーメントを扱ったラップは、決してシーンの主流ではない。
インドでも、'dalit lives matter'のフレーズがヒップホップシーンや社会の中で大きな意味を持つようになる日は来るのだろうか。
ところで、インドでは、カースト差別とは別に、少数民族に対する差別も深刻な社会問題である。
「指定カースト」と同じように「指定部族」として法的に位置づけられた人々は人口の8.6%にものぼる。
とくにインド北東部には、インドの大多数を占めるヒンドゥーやイスラームとは全く違う文化を持ち、東アジア・東南アジア的な顔立ちを持つ人々が多く暮らしている。
北東部の人々は、マジョリティが暮らす地域に進学などで移り住むと、激しい差別やいじめを受けることも多く、これまでに数多くの北東部出身の学生たちが命を落としている。
インド北東部の最北端、アルナーチャル・プラデーシュ州出身のK4 Kekhoは、そんな北東部の人々の主張をラップで訴えている。
「俺は中国人でも移民でもない。あんたたちと同じインド人なんだ」という主張は、インド北東部のヒップホップの頻出テーマだ。
次に紹介するBig Dealも同様のテーマを扱っているのだが、彼は北東部出身ではなく、インド人の父親と日本人の母親の間に生まれた日印ハーフのラッパーである。
おそらく顔立ちのせいで北東部出身者に間違えられることが多いからだと思うが、彼は北東部の人々を代弁する曲を何曲もリリースしている。
先ほど紹介したK4 Kekhoの曲が"I am an Indian"で、この曲は"Are You Indian".
北東部の人々がインド社会でどんな扱いを受けているかが分かろうというものだ。
"Are You Indian"は、前半でインドのマジョリティ(大局的に見ればマイノリティであるムスリムもいる)による「お前らを差別するつもりはないが…」という言葉で始まる偏見が語られ、後半がそれに対する北東部出身者からの反論(アンサー)という構成になっている。
ミュージックビデオではいろんな俳優が喋っているように見えるが、実際は全てBig Dealによるラップのリップシンクになっている。
Big Deal本人も語っているのだが、この曲のアイディアは、アメリカの黒人ラッパーJoyner Lucasの"I'm not Racist"という曲とミュージックビデオををそのままインド北東部に置き換えたものだ。
カースト差別へのプロテストと同様に、少数民族の主張を訴える際にも、アメリカの黒人たちが使った手法がそのまま使われているのだ。
ヒップホップというカルチャーが持つ普遍性が感じられるエピソードだと思うのだけど、どうだろう。
女性のエンパワーメント
インドというと、保守的な価値観が支配的で、女性の自由が少ないというイメージを持つ人もいるだろう。
結婚相手を親に決められ、結婚後は仕事を続けることよりも家庭に入ることが期待され、そもそも結婚するときに花嫁側が持参金を払うという風習から、女性が生まれること自体が歓迎されないという風潮が、すべてのコミュニティにではないにせよ、まだまだインドには存在している。
この曲は、カリフォルニア生まれのインド系(テルグ系)フィメール・ラッパーRaja Kumariのもと、南部のベンガルールのSIRI、北東部メガラヤ州のMeba Ofiria、西部のムンバイのDee MCというインド各地の女性ラッパーたちが共演したもの。
英語ラップが多い曲なので、字幕をONにすると大意がつかめる。
タイトルの"Rani"は「女王」という意味で、つまり女性たちに対して「あなたは決定権を持ち、リスペクトされるべき存在であることを忘れないで」ということを訴えているのだ。曲のテーマ自体は文句なしに素晴らしいのだが、日本人として聞き捨てならないのは、この曲の冒頭のSIRIのリリックにある'I Nagasaki on them haters'というフレーズだ。
あるラジオ番組に出演したときに、この曲をかけようと思っていたのだけど、このリリックに気づいて、紹介するのをやめたことがある。
そのことをTwitterでつぶやいたところ、SIRIと同郷のベンガルールのラッパーが、引用リツイートの形で「特定のカルチャーをエンパワーするために他のカルチャーを傷つけるのはよくない。俺たちはインクルーシブにならないといけない」というアンサーをしてくれた。
インドのヒップホップシーンのコンシャスさを強く感じた出来事として、印象に残っている。
インドのルーツとの融合
ヒップホップには、自分の暮らす街や所属するコミュニティを「レペゼンする」(represent)カルチャーあるが、インドのヒップホップでは、音楽的な方法で自らのルーツをレペゼンしようという試みも行われている。
どういうことかというと、インドの古典音楽のリズムとラップを融合した「フュージョン・ラップ」に取り組んでいるアーティストたちがいるのだ。
インドの古典音楽では、口で擬音語的にリズムを表す方法があり、北インドでは「ボール」(bol)、南インドでは「コナッコル」と呼ばれていたりする(他にも地域や流派によって別の呼び方があるかもしれない)。
文章で表すよりも、このRaja Kumariのインタビューを聴けば一目瞭然だろう(こちらも字幕ON推奨。ひとまず今回見てもらいたいのは、動画開始から70秒ほど、2:30頃までだ)。
慣れ親しんだ古典のリズムに言葉を乗せたらラップになった!という発見をした人はインド国内にもいて、南インドの古典音楽パーカッショニストViveick Rajagopalanもまた、ラッパーたちと共演して、古典のリズムとラップの融合に挑戦している。
他にも、イギリスではタブラ奏者でジャズドラマーのSarathy Korwarが「インド古典とラップとジャズの融合」というさらに高度なフュージョンに取り組んでいて、これまた素晴らしかったりする。
インド人たちの、新しいカルチャーと自らのルーツを融合することに対するためらいの無さには、いつも大きな刺激を受けている次第である。
地元のレペゼン
当日、インド各地のローカル文化がヒップホップにおいてどう表現されているか、みたいな話をしようと思っていたのだけど、時間がなくて割愛したんだった。
なので今回の記事では改めて書こうと思ったのだけど、この記事ももう十分に長くなったので、このテーマが気になる人はこのへんの記事を読んでみてください。面白いです。
ラップ以外の諸要素について
さて、ここまでインドのラップシーンについて書いてきたけれど、古くからヒップホップとは「ラップ、B-Boying(ブレイクダンス)、DJ、グラフィティ」の4要素を含むカルチャーの総称と言われている。
他の要素についてもちょっと触れておくと、B-Boyingについては、さすがダンス好きの国民性だけあって結構盛んなようで、ダラヴィには無料のダンススクールを運営している若者もいる。
ブレイクダンスの技術を通して、スラムの子供たちに誇りを持ってもらおう、という取り組みで、この記事で紹介しているドキュメンタリーがなかなか面白いので興味があったらぜひ見てもらいたい。
ターンテーブルを使うクラシックなスタイルのDJに関しては、インドではインターネットの普及以前は長らくカセットテープが音楽媒体の主流を占めており、レコード盤はほとんど流通していなかったためか、まったく普及していないようだ。
街中で行われるサイファーでは、インドでもビートボックスでリズムを取ることが普通に行われている。
ダラヴィにはビートボックスのフリースクールがあるという話も聞いたことがある。
ちなみにレコーディング時のビートメイキングに関していうと、市中のラッパーはもっぱらビートをオンラインでダウンロードして賄うという、これまた今日の世界共通の方法を取っていることが多いようである。
グラフィティについては、例えば「India hiphop graffiti」とかで画像検索すると、インドの言語の文字やインドっぽいモチーフ(例えばヒンドゥーの神様)がヒップホップ的スタイルで描かれている作品をたくさん見つけることができる。
インドにはもともと政治的スローガンなどを壁に書く習慣があったので、ヒップホップ的なグラフィティも違和感なく受け入れられているようだ。
ヒップホップ・インディア
長かったこの記事もようやくお終い。
「辺境ヒップホップ研究会」での発表は、研究会の発起人である島村一平さんの著書『ヒップホップ・モンゴリア』をパクって、いやサンプリングして「ヒップホップ・インディア」というタイトルさせてもらいました。
最後に紹介したのは、ベンガルールのラッパーSmokey the Ghostの"Hip Hop is Indian".
インドのヒップホップ界を代表するアーティストたちや名曲のタイトルが散りばめられた曲です。
(ちなみにSIRIのナガサキのリリックに対しての抗議に共感を表明してくれたのは彼です)
ヒップホップがインディアンってどういうこと?と思うかもしれないけど、インドのヒップホップを聴いていてつくづく思うのは、ヒップホップというのはもはやアメリカの文化ではなく、完全にグローバルな文化になったんだなあ、ということ。
インドの、いや世界中のヒップホップアーティストたちは、別にアメリカ人の真似がしたいわけじゃない(きっかけはそうだったとしても)。
差別や抑圧や格差はどんな社会にもあるし、世界中のあらゆる人たちがダンスしたりパーティーしたりもするのも当然のことだ。
韻律をともなう詩の文化も世界中にあるから、ライムすることだって別に珍しいことじゃない。
ヒップホップを生み出したブロンクスのオリジネイターたち、そしてそれを発展させてきたアメリカのアーティストたちに対するリスペクトを欠くつもりは全くないけど、1970年代にニューヨークのブロンクスで生まれたヒップホップという文化が、こうして世界中に根づき、そして発祥の地から遠く離れた土地でも誰かを楽しませ、エンパワーし続けているという事実は、純粋に素晴らしいことだなあと思う。
ヒップホップはローカルであると同時に普遍的で、インドを含めた世界中のどの国のヒップホップからも、我々はメッセージとパワーをもらうことができる。
ほとんどのリスナーは自国とアメリカのシーンしかチェックしていないと思うけど、宝物はあらゆるところに存在している。
そのことを改めて感じることができた「辺境ヒップホップ研究会」でした。
次回も楽しみだなあ。
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goshimasayama18 at 22:59|Permalink│Comments(0)
2021年10月24日
あらためて、インドのヒップホップの話(その5 タミル編 ルーツへの愛着が強すぎるラッパーたち)
これまで、ムンバイ編、デリー&パンジャービー編、ベンガルール編、コルカタ&その他北インド編と4回に分けてお届けしてきたインドのヒップホップの歴史。
今回は満を持してサウスのヒップホップを紹介!
ここでいう「サウス」は、当然ながらアトランタやマイアミのことではなく、南インドのことで、今回は南インドのなかでもタミルのラッパーたちを特集する。
インド南部のタミルナードゥ州は、あの「スーパースター」ラジニカーント(『ムトゥ 踊るマハラジャ』他多数)の故郷であり、自分たちの文化への強い誇りを持つことでも知られている(まあインドはどこもたいていそうだけど)。
また、同州の公用語タミル語でラップするラッパーたちは、海外でも自身のアイデンティティを守り続けている。
タミル語ラップの歴史は古く、1994年の映画"Kadhalan"の挿入歌であるこの曲は、インドのラップ史の最初期の名曲とされている。
Suresh Peters "Pettai Rap" (from "Kadhalan")
コミカルな曲調ながらもオールドスクールなビートとフロウにセンスを感じるこの曲は、インド映画音楽シーンの神とも言えるA.R.ラフマーンの手によるもの。
ラップしているのは映画のプレイバックシンガーなどで活躍しているSuresh Peters.
この曲を聞けば、いかにもな映画音楽的な曲調で知られるラフマーンが、じつは同時代の西洋ポピュラーミュージックにもかなり造詣が深いことが分かる。
(そういえば、後ラフマーンがミック・ジャガーやレニー・クラヴィッツらと結成したスーパーバンド、Super Heavyもかなりかっこよかった)
実際、タミル系のルーツを持つバンガロールのBrodha Vはこの曲に大きな影響を受けているという。
あのラフマーンがインドのヒップホップシーンにも大きな影響を与えていたとは驚きだが、しかしこの曲はあくまでも例外中の例外で、このあとタミルナードゥ州内でヒップホップが爆発的に流行するということにはならなかった。
タミル語ラップのシーンもまた、その黎明期は海外在住のアーティストたちによって牽引されていた。
タミル人には、イギリス統治時代から、労働者としてマレーシアやシンガポールなどの東南アジア地域に移住した者たちが多い。
その中でも、マレーシアに暮らすタミル人は、貧困のなかで暮らしている人々が多いようで、そうした境遇からもヒップホップカルチャーへの共感が大きく、首都のクアラルンプールは「タミル語ヒップホップの首都」とまで呼ばれているという。
1996年にクアラルンプールで結成されたPoetic Ammoの中心人物Yogi Bが2006年にリリースしたアルバム"Vallavan"はタミル語ラップ黎明期の名盤とされている。
その収録曲"Madai Thiranthu"のミュージックビデオがかなりかっこいいのだが、YouTubeの動画が直接貼り付けられない仕様になっているようなので、リンクを貼っておく。
アフリカ系アメリカ人の文化では、床屋(barber shop)はコミュニティの交流の場としても意味を持ってきたことが知られているが、これはそのマレーシア系タミル人版!
ヒップホップカルチャーの見事なタミル的翻案になっている。
こちらは'00年代からカジャンの街を拠点に活動しているラップグループK-Town ClanのRoshan Jamrockと、同じくマレーシア出身のYoung Ruff(いずれもタミル系)の共演で、その名も"Tamilian Anthem".
Young Ruff "Tamilian Anthem" Produced by Roshan Jamrock
マレーシアからシンガポールに目を移すと、2007年にデビューしたタミル系フィメールラッパーのLady Kashがいる。
Lady Kash "Villupaattu"
この曲は、タミルの伝統的な物語の形式(音楽にあわせて語る)'Villupattu'をタミル人にとってのラップのルーツの一つとして讃えるというコンセプト。
マレーシアのラッパーたち同様に、彼女がタミル人としてのアイデンティティを大事にしていることが分かる。
シンガポールはインド系住民が多いが、その半分以上がタミル人で、あの『ムトゥ 踊るマハラジャ』も、シンガポールのリトルインディアで江戸木純によって「発見」されている。
シンガポールのタミル系ラッパーでは、他にも若手のYung Rajaなどが活躍している。
東南アジア以外では、インドのすぐ南、スリランカにも多くのタミル人が多く暮らしている。
スリランカは人口の約75%をシンハラ人、約15%をタミル人が占めており、民族対立による内戦が2009年まで続いていた。
世界で最も有名なタミル系のラッパーを挙げるとすれば、それは間違い無くスリランカのタミル人をルーツを持つイギリス人のM.I.Aということになるだろう。
スリランカで生まれ、幼い頃にイギリスに移住した彼女のラッパーネームは「軍事行動中に行方不明になった人物」(Missing In Action)を表しており、「タミルの独立を目指す活動のなかで消息不明になった父のことを指している」と説明されることが多いが、実際には行方不明になったのは父親ではなくイトコらしい。
彼女がタミルらしさを強く打ち出したアルバム"Kala"からのこの曲を聴いてもらおう。
M.I.A "Birdflu"
UKの南アジア系音楽シーンに詳しい栗田知宏さんによると、この曲には、タミル語映画Jayam(2003年)の劇中曲 "Thiruvizhannu Vantha" のウルミ(両面太鼓)のビートが用いられており、曲中に入っている子どもの声はタミルの手遊び歌とのこと。
夜のシーンの背景に見られるトラのマークは、スリランカで武装闘争を繰り広げていた「LTTE(タミル・イーラム解放の虎)のロゴ」だという説もあるそうだ。
M.I.Aは2000年にデビューすると、そのラディカルな姿勢と斬新な音楽性で一躍注目を集め、MadonnaやNicki Minajと共演するなど、業界内でも高い評価を得た。
しかしながら、彼女のインド国内への影響は、そこまで大きくはなさそうで、私の知る限りでは、インド国内のミュージシャンから、影響を受けたアーティストとして彼女の名前が上がったり、インド国内の音楽メディアで彼女が大きく取り上げられているのを見た記憶はない。
その理由は、おそらく彼女のルーツがインドではなくスリランカであること、彼女がタミル語ではなく英語でラップし、タミル系コミュニティのスターというより、世界的な人気ラッパーである(つまり、自分たちのための表現者ではない)といったことではないかと思う。
また、彼女がいつもタミル的なサウンドにこだわっているわけではなく、普段は非常に個性的ではあるが、特段南アジア的ではないスタイルで活動していることも、インドでの注目の低さと関係しているかもしれない。(例えば、テルグー系アメリカ人フィメール・ラッパーで、最近活動の拠点をインドに移しているRaja Kumariは、ビジュアルやサウンドで常にインド的な要素を表出している)
もっとも、M.I.Aのデビュー当時の'00年代には私はインド国内のシーンに注目していなかったので、その頃にインドでも大きな話題となっていた可能性はある。
また、インド国内の音楽メディアはどうしてもムンバイやデリーのシーンを中心に取り上げる傾向があるので、もしかしたらタミルナードゥでは彼女は根強い人気があるのかもしれない。
スリランカ本国のタミル系ラッパーでは、Krishan Mahesonが有名だ。
彼は90年代から活躍していたスリランカのラップグループBrown Boogie NationやRude Boy Republic(いずれも英語でラップしていた)らの影響を受けてラッパーとなり、2006年にリリースした"Asian Avenue"は、世界中のタミル人に受け入れられたという。
最近ではインド国内のタミル映画のサウンドトラックでの活躍も目立っているが、正直あまりピンとくる曲を見つけられなかったので、今回は楽曲の紹介を見送る。
…思わず在外タミル系ラッパーの紹介に力が入ってしまったが、とにかくこうした東南アジアやスリランカのアーティストたちが、タミル語ラップ(あるいはタミル系のアイデンティティを表現した英語ラップ)を開拓し、インターネット等を通してタミルナードゥの若者たちにも影響を与えたことは確かだろう。
同じインド人でも、タミルのラッパーたちが思い描く「世界地図」は、たとえばイギリスや北米への移民が多い北インドのパンジャービーたちとは、おそらく全く別のものになるということは、インドのカルチャーを考える上でちょっと頭に入れておきたい。
インド国内、タミルナードゥ州内のラッパーでは、チェンナイを拠点に活動している二人組Hip Hop Tamizhaが古株にあたる。
彼らのユニット名はそのものずばり「タミルのヒップホップ」を意味しており、2015年にリリースしたこの"Club Le Mabbu Le"で注目を集めた。
Hip Hop Tamizha "Club Le Mabbu Le"
率直に言うと結構ダサいのだが、単に欧米や在外タミル人ラッパーの模倣に終わるのではなく、たとえダサかろうと自分たちならではのローカルっぽさをちゃんと混ぜてくれるところが、彼らのいいところかもしれない。
ちなみにこの曲は「女性への敬意を欠く」いう昔のヒップホップにありがちな批判を受けたりもしている。
批判したのは同郷のフィメール・ラッパーSofia Ashraf.
社会問題を鋭く批判するリリックで知られた存在で、以前この記事で特集しているので、興味がある人はぜひ読んでみてほしい。
Hip Hop Tamizhaは、その名の通りタミルへの誇りが強すぎるラッパーたちで(まあ今回紹介しているアーティストは全員そうだが)、タミル人たちの伝統である「牛追い祭」である「ジャリカットゥ」をテーマにした"Takkaru Takkaru"のミュージックビデオでは、もはやヒップホップであることをほとんど放棄して、タミル映画まんまの映像とサウンドを披露している。
(こちらの記事参照。インド映画や南アジアに興味があるなら、見ておいて損はない)
チェンナイのMC Valluvarは、そこまで人気があるラッパーではないようだが、地元のストリート感覚あふれるこのミュージックビデオは最高で、以前からの個人的なお気に入りの一つ。
MC Valluvar "Thara Local"
とくに後半、道端で唐突に始まるダンスのシーンで、何事かとそれを眺めるオバチャンや子どもたちがリアルですごくいい。
古都マドゥライのラップグループ、その名もMadurai Souljourも郷土愛が溢れまくっていて、ごく短いこのトラックは、彼らの名刺がわりの一曲。
Madurai Souljour "Arimugam"
ところで、タミル文化の面白いところは、メインカルチャーとカウンターカルチャーが渾然一体となっているところだと思っている。
インド最大の話者数を誇る北インドのヒンディー語圏では、ラップやインディーロックのようなカウンターカルチャーを実践する若者たちは、エンターテイメントの主流にして王道であるボリウッドの商業的娯楽映画をちょっとバカにしているようなところがある。
例えば、ミュージシャンがインタビューで「ボリウッド映画の音楽なんてやりたくないね。自分は金のために音楽をやっているんじゃないんだ」みたいに言っているのを目にすることがたびたびあるのだ。
ところが、タミルの場合、映画は彼らの誇りや文化の一部であり、カウンターカルチャーとかインディペンデントのアティテュードとか関係なく、そこに参加することは、表現者にとって最大の名誉だと考えられているようなフシがある。
インド国外のラッパーを含めて、ここまでにこの記事で紹介したラッパーのほぼ全員が、タミル映画のサウンドトラックに参加しているし、M.I.Aでさえも、上述の通り非常にタミル映画っぽいテイストのミュージックビデオを作ったりしている。
もしスーパースター(ご存知の通り、比喩ではなく、オフィシャルな「別名」が「スーパースター」)であるラジニカーントの映画に参加できたりしたら、もうこの上ない僥倖で、たとえ両親がラッパーになることに反対していたとしても、一族の誇りとして泣いて喜んでくれることだろう。
例を挙げるとすれば、タミル人が多く暮らすムンバイの最大のスラム「ダラヴィ」を舞台にした映画"Kaala"(日本公開時の邦題は「カーラ 黒い砦の闘い」。主演はスーパースター!)のサウンドトラックには、実際にダラヴィ出身のタミル系ラップグループDopeadeliczや、マレーシアのYogi BやRoshan Jamrockも参加している。
"Semma Weightu"
Music: Santhosh Narayanan
Singers: Hariharasudhan, Santhosh Narayanan
Lyrics/Rap Verses: Arunraja Kamaraj, Dopeadelicz, Logan"Katravai Patravai"
Music: Santhosh Narayanan
Lyrics : Kabilan, Arunraja Kamaraj, Roshan Jamrock
RAP : Yogi B, Arunraja Kamaraj, Roshan Jamrock
(詳しくはこちらの記事から)
タミルのラッパーが映画音楽に参加している例は他にもかなりありそうなのだが、きりがないので今回は割愛。
以前、マサラワーラーの武田尋善さんが「タミル人にとってのラジニカーントはJBみたいな存在」と言っていたのを聞いて、ああなるほどと思ったのだが、黒人の誇りを力強く鼓舞したジェームス・ブラウンのように、ラジニカーントもまた「タミル庶民の誇り」みたいに扱われているフシがある。(ちなみに彼自身はタミル人ではなく、マラータ系)
タミル人のなかには、北インドの言語や人々が幅をきかせているインドの現状に対する反発みたいなものが存在していて、それがメインカルチャーとかカウンターカルチャーとかに関係なく、一枚岩のアイデンティティにつながっているのだろう。
ところで、先ほど紹介した"Kaala"の監督Pa.Ranjithは、2017年にCasteless Collectiveというバンドを結成している。
彼はもともとカースト制度の枠外に位置づけられ、過酷な差別の対象となってきた「ダリット」の出身である。
Casteless Collectiveは、彼がダリットのミュージシャンを集め、その名の通りカースト制度などのあらゆる抑圧を否定するというコンセプトのバンドなのだ。
Casteless Collective "Vada Chennai"
タミルの伝統音楽である'Gaana'とラップやロックなどを融合した彼らの音楽は、サウンド的にはヒップホップとは呼べないかもしれないが、ルーツを大事にしつつもマイノリティを勇気付ける彼らのアティテュードには、かなりヒップホップ的な部分があると言ってもいいだろう。
音楽ジャンルやアートフォームとしてのヒップホップはアメリカで生まれたが、ヒップホップ的な感覚は時代や場所を問わず遍在している。
逆説的に言えば、だからこそ、その感覚を純化させ具体化したヒップホップというジャンルはすごいということになる。
Casteless Collectiveは12人にもなる大所帯バンドだが、その中のラッパーArivuは、同様のテーマのソロ作品を通して、よりヒップホップ的なスタイルの表現も追求している。
Arivu x ofRo "Kallamouni"
このCasteless Collective一派の活動には、これからも注目していきたいところ。
Netflix Indiaでは南インドのヒップホップシーンをテーマにしたドキュメンタリー"Namma Stories"も公開され、「サウス」のヒップホップはこれからますます熱くなりそうだ。
最後に、カナダ在住のタミル系ラッパー(スリランカにルーツを持つ)Shah Vincent De Paulを紹介したい。
彼はタミルの伝統楽器ムリダンガムのリズムとラップの融合という新しい試みに取り組んでいる。
在外タミル人と国内との文化の還流も、今後ますます注目すべきテーマになりそうである。
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