AnimeMirchi
2022年01月27日
インディアン・ナード・カルチャーを考えてみる
少し前に読んだ「ブラック・ナード・カルチャー:それは現実逃避(escape)ではない」という記事がめっぽう面白かったので、インドにおけるナード・カルチャー(nerd culture≒オタク文化)について考えてみた。
詳細は(本当に面白いので)各自読んでもらうとして、この「ブラック・ナード論」を自分なりの観点で要約すると、「マジョリティである白人からも、黒人コミュニティの内部からも、マッチョあるいはセクシーな存在であることを強いられていた黒人にとって、ナード(≒オタク)であることは、逃避的な性格を持つものではなく、むしろクリエイティブな姿勢である」ということになる。
記事では、ブラック・ナード・カルチャーの代表者として、ドナルド・グローヴァー(チャイルディッシュ・ガンビーノ)、タイラー・ザ・クリエイター、フランク・オーシャンらを挙げている。(記事にも触れられているが、最近では女性ラッパーのミーガン・ジー・スタリオンもアニメ好きで有名だ)
20年前だったら、ナードな黒人セレブリティーがここまで大勢活躍している状況はまったく想像できなかった。
確かにナード・カルチャーは、アメリカの黒人文化を変えつつあるのだろう。
さて、それではいつもこのブログで紹介しているインドの音楽シーンの場合はどうだろう。
インドのインディーミュージックシーンにも「オタク趣味」を持つアーティストは多い。
例えば、デリーを中心に活動するマスロック/プログレッシヴ・メタルバンドのKrakenは、曲名やビジュアルイメージにも日本の要素を取り入れており、さらにインタビューでは驚くほど日本文化(音楽・映画)に詳しい一面を見せてくれた。
同じくデリーのエレクトロニカ・アーティストのTarana Marwahは、宮崎アニメなどの日本の作品からの影響を公言しており、日本語のKomorebiというアーティスト名で活動している。
ベンガルールのラッパーHanumankindは、最近はシリアス路線に転向しているものの、かつてはゲームやアニメなどのオタクカルチャーをテーマにしたラップを数多く発表していた。
そこまで前面にナード的なルーツを出していないアーティストでも、例えばプネーのドリームポップバンドEasy Wanderlingsは、宮崎駿や久石譲のファンだと語っており、ミュージックビデオにさりげなくトトロのぬいぐるみを登場させている。
日本文化からの影響という意味で言えば、「インドで日本語で歌うインド人シンガー」Drish Tはその究極系とも言える存在だろう。
ムンバイを拠点にインドをマーケットとして活動しながら、彼女は行ったことがない日本のコンビニをイメージした曲を日本語でリリースしている。
ムンバイで活躍する日本人シンガーHiroko Sarahと共演しているラッパーのIbexやKushmirも、インタビューで日本のカルチャーに親しんできたことを語っている。
インドでも、ナード/オタク的カルチャーをインスピレーションの源として、オリジナルな表現に昇華しているアーティストがたくさんいることに間違いはなさそうだ。
その背景を考える前提としてまず理解しなければならないのは、インド社会では、インディーミュージシャンがマッチョさやセクシーさを求められる風潮は、おそらくそこまで強くはないということだ。(一部ヒップホップ勢を除く)
欧米社会では「労働者階級の音楽」「被抑圧者の音楽」であるロックやヒップホップは、インドにおいては、むしろ「欧米の先進国からやってきたハイカルチャー的な音楽」だ。
アニメやゲーム、あるいはマーベルやDCのようなアメリカのコミックを原作とした作品のようなナード/オタクカルチャーも、外来の(ときにクールな)文化という意味では同様である。
インドのインディーミュージシャンは、こうした外来文化に敏感な、インテリ的なアッパーミドル層が中心であり(一部ヒップホップ勢を除く)、その点でアメリカのストリート発祥のブラック・カルチャーとは分けて考えるべきだろう。(もちろんアメリカの黒人アーティストにも富裕層出身者やインテリは多いが…)
じゃあ、インドのナード・カルチャーは、ただの金持ちのオタク趣味なのか。
というと、そうとも言い切れない部分があるはずだ。
インドの大都市に暮らす進歩的な人々が、日本人の平均よりもはるかに欧米的な感覚を持っていることは間違いないが、それでもインド社会の保守性はまだまだ根強い。
親世代と若者の価値観のギャップはインドの映画や文学の永遠のテーマだし、インディー音楽シーンでも、社会の保守性の生きづらさや世代間のすれ違いを扱った曲は多い。
(前回の記事↓で紹介した1位、2位の曲とかね)
ほかにも過剰な格差社会、競争社会であるとか、政治や行政の腐敗や機能不全、コミュニティの対立など、インド社会にはさまざまな問題が山積している。
そうした社会に疲れた若者たちにとって、物語の中に憂き世とはまったく別の小宇宙を見せてくれるオタク/ナードカルチャーは、ある種の避難所的な役割を果たしているのも確かだろう。
それを言ったら、オタク/ナードカルチャーの元になった作品を生み出した日本やアメリカだって、それぞれ固有の社会問題には事欠かないわけで、結局のところ、どこの文化でもオタク/ナード的な異世界が人々を惹きつけることに変わりはないのだけど。
いずれにしても、インド+ナードの組み合わせが、なんだか面白いものを生み出しているってことは間違いない。
例えばこのインドのアニメファンによるYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'の強烈な二次創作は、他の国ではありえないオリジナルっぷりを見せてくれている。
「ガンジャ(大麻)がキマってるみたいなアニメのシーンのコンピレーション」とか、「もしアニメがボリウッドで作られていたら」とか、アニメとインドのインディーミュージックの融合とか、我々の想像を超えたセンスを見せつけてくれる。
例えば、その豪腕を評価されながらもヒンドゥー・ナショナリズム的な姿勢を非難されてもいるモディ首相をネタにしたエヴァンゲリオンのオープニングのパロディなんて、批判的風刺なのだろうけどもう訳がわからない。
とにかく言えるのは、このブログでは「インド+欧米由来のコンテンポラリー音楽」の面白さを追求しているけれど、「インド+オタク/ナードカルチャー」もものすごく面白いってこと。
この混沌のなかから、世界をあっと言わせるようなものすごい作品が生まれてくるのも、そう遠い話ではないのかもしれない。
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詳細は(本当に面白いので)各自読んでもらうとして、この「ブラック・ナード論」を自分なりの観点で要約すると、「マジョリティである白人からも、黒人コミュニティの内部からも、マッチョあるいはセクシーな存在であることを強いられていた黒人にとって、ナード(≒オタク)であることは、逃避的な性格を持つものではなく、むしろクリエイティブな姿勢である」ということになる。
記事では、ブラック・ナード・カルチャーの代表者として、ドナルド・グローヴァー(チャイルディッシュ・ガンビーノ)、タイラー・ザ・クリエイター、フランク・オーシャンらを挙げている。(記事にも触れられているが、最近では女性ラッパーのミーガン・ジー・スタリオンもアニメ好きで有名だ)
20年前だったら、ナードな黒人セレブリティーがここまで大勢活躍している状況はまったく想像できなかった。
確かにナード・カルチャーは、アメリカの黒人文化を変えつつあるのだろう。
さて、それではいつもこのブログで紹介しているインドの音楽シーンの場合はどうだろう。
インドのインディーミュージックシーンにも「オタク趣味」を持つアーティストは多い。
例えば、デリーを中心に活動するマスロック/プログレッシヴ・メタルバンドのKrakenは、曲名やビジュアルイメージにも日本の要素を取り入れており、さらにインタビューでは驚くほど日本文化(音楽・映画)に詳しい一面を見せてくれた。
同じくデリーのエレクトロニカ・アーティストのTarana Marwahは、宮崎アニメなどの日本の作品からの影響を公言しており、日本語のKomorebiというアーティスト名で活動している。
ベンガルールのラッパーHanumankindは、最近はシリアス路線に転向しているものの、かつてはゲームやアニメなどのオタクカルチャーをテーマにしたラップを数多く発表していた。
そこまで前面にナード的なルーツを出していないアーティストでも、例えばプネーのドリームポップバンドEasy Wanderlingsは、宮崎駿や久石譲のファンだと語っており、ミュージックビデオにさりげなくトトロのぬいぐるみを登場させている。
日本文化からの影響という意味で言えば、「インドで日本語で歌うインド人シンガー」Drish Tはその究極系とも言える存在だろう。
ムンバイを拠点にインドをマーケットとして活動しながら、彼女は行ったことがない日本のコンビニをイメージした曲を日本語でリリースしている。
ムンバイで活躍する日本人シンガーHiroko Sarahと共演しているラッパーのIbexやKushmirも、インタビューで日本のカルチャーに親しんできたことを語っている。
インドでも、ナード/オタク的カルチャーをインスピレーションの源として、オリジナルな表現に昇華しているアーティストがたくさんいることに間違いはなさそうだ。
その背景を考える前提としてまず理解しなければならないのは、インド社会では、インディーミュージシャンがマッチョさやセクシーさを求められる風潮は、おそらくそこまで強くはないということだ。(一部ヒップホップ勢を除く)
欧米社会では「労働者階級の音楽」「被抑圧者の音楽」であるロックやヒップホップは、インドにおいては、むしろ「欧米の先進国からやってきたハイカルチャー的な音楽」だ。
アニメやゲーム、あるいはマーベルやDCのようなアメリカのコミックを原作とした作品のようなナード/オタクカルチャーも、外来の(ときにクールな)文化という意味では同様である。
インドのインディーミュージシャンは、こうした外来文化に敏感な、インテリ的なアッパーミドル層が中心であり(一部ヒップホップ勢を除く)、その点でアメリカのストリート発祥のブラック・カルチャーとは分けて考えるべきだろう。(もちろんアメリカの黒人アーティストにも富裕層出身者やインテリは多いが…)
じゃあ、インドのナード・カルチャーは、ただの金持ちのオタク趣味なのか。
というと、そうとも言い切れない部分があるはずだ。
インドの大都市に暮らす進歩的な人々が、日本人の平均よりもはるかに欧米的な感覚を持っていることは間違いないが、それでもインド社会の保守性はまだまだ根強い。
親世代と若者の価値観のギャップはインドの映画や文学の永遠のテーマだし、インディー音楽シーンでも、社会の保守性の生きづらさや世代間のすれ違いを扱った曲は多い。
(前回の記事↓で紹介した1位、2位の曲とかね)
ほかにも過剰な格差社会、競争社会であるとか、政治や行政の腐敗や機能不全、コミュニティの対立など、インド社会にはさまざまな問題が山積している。
そうした社会に疲れた若者たちにとって、物語の中に憂き世とはまったく別の小宇宙を見せてくれるオタク/ナードカルチャーは、ある種の避難所的な役割を果たしているのも確かだろう。
それを言ったら、オタク/ナードカルチャーの元になった作品を生み出した日本やアメリカだって、それぞれ固有の社会問題には事欠かないわけで、結局のところ、どこの文化でもオタク/ナード的な異世界が人々を惹きつけることに変わりはないのだけど。
いずれにしても、インド+ナードの組み合わせが、なんだか面白いものを生み出しているってことは間違いない。
例えばこのインドのアニメファンによるYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'の強烈な二次創作は、他の国ではありえないオリジナルっぷりを見せてくれている。
「ガンジャ(大麻)がキマってるみたいなアニメのシーンのコンピレーション」とか、「もしアニメがボリウッドで作られていたら」とか、アニメとインドのインディーミュージックの融合とか、我々の想像を超えたセンスを見せつけてくれる。
例えば、その豪腕を評価されながらもヒンドゥー・ナショナリズム的な姿勢を非難されてもいるモディ首相をネタにしたエヴァンゲリオンのオープニングのパロディなんて、批判的風刺なのだろうけどもう訳がわからない。
とにかく言えるのは、このブログでは「インド+欧米由来のコンテンポラリー音楽」の面白さを追求しているけれど、「インド+オタク/ナードカルチャー」もものすごく面白いってこと。
この混沌のなかから、世界をあっと言わせるようなものすごい作品が生まれてくるのも、そう遠い話ではないのかもしれない。
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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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goshimasayama18 at 18:07|Permalink│Comments(0)
2021年12月06日
インド大衆音楽の再定義 Indian Lo-Fi/Chillという新しい可能性
今回もまた詳しくないジャンルについて語ることになってしまうのだけど、どうしても書いておきたいテーマなので許してもらいたい。
いわゆる'lo-fi beats'のインドでの受け入れられ方、って話なんである。
2010年代後半から世界中に広がっていったlo-fiビートは、一過性のブームに終わることなく、熾火のように静かに、しかし確かな熱を持って燃え続けている。
2017年にフランスでスタートしたこのオリジナルlo-fiガールのYouTubeチャンネル'lofi hip hop radio'は、いつ見ても数万人の視聴者がいるし、Spotifyなどのサブスクでも、この手の音を集めたプレイリストが数え切れないほど作られている。
lo-fiの起源や発展については、詳しい人がいろいろ書いてくれているのでそっちを読んでもらうとして、要するに、ヒップホップから派生した、ジャジーでチルなサウンドやレイドバックしたビートが、やがてアナログなざらつきと温かみを感じさせる'lo-fi'というジャンルとして再定義されていった、ということで概ね間違っていないと思う。
面白いことに、こうしたサウンドのオリジネイターとされる日本人ビートメーカーの故Nujabesや、彼が音楽を手掛けたアニメ『サムライ・チャンプルー』の影響なのか、「lo-fiビートには日本のアニメ風の動画を合わせる」というのが、スタイルとして定着している。
lo-fiはクラブカルチャーとオタク文化を繋ぐミッシングリンクでもある(多分。けど今回はその話はしない)。
で、最近ようやく気がついたのだけど、このlo-fiという概念は、音楽ジャンルというよりも、音像のスタイルのことなんだな。
あえてノイズを散らし、トレブルやベースをカットした、カセットテープのような音像そのものが、「架空の思い出/故郷」とでも言えるようなノスタルジックな感傷とリラクシングな雰囲気を醸し出すサウンド作りの手法になっているってわけだ。
こうしたlo-fiビートが持つピースフルで肯定的なイメージは、同じノスタルジーを喚起する音楽でも、大量消費文化に対する皮肉やディストピア的な感覚の強いヴェイパーウェイヴとは見事に対照的だ。
批評性のあるカウンターカルチャーとして受け入れられたヴェイパーウェイヴに対して、lo-fiビートがここまで大衆的な支持を得ることができた理由は、「郷愁」という誰もが持つ感情に素直に訴えかけてくるからだろう。
そしてここからが本題なのだけど、インドの音楽シーンもこうした潮流と無関係ではないのである。
これまでにブログで紹介した中にも、Lo-Fiビートの影響を大きく受けたミュージックビデオがいくつかある。
インドのアニメファンによるYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'は、オリジナルのローファイ・ガールへのオマージュを捧げつつ、インド的なサウンドのLo-Fiビートを編集した17分の動画を作成している。
Indian lofi hip hop/ chill beats ft. wodds - Desi lofi girl studying
サウンドについては言うに及ばず、机の上のチャイグラスや右腕のヘナにインドらしさを感じさせつつ、初音ミクやドラえもんなどの日本的な要素(本棚には太宰治の本もある!)を取り入れた映像もとてもクール。
モンスーンの季節なのか、窓の外では雨が降りしきっているのが印象的だ。
先日特集をお届けしたムンバイのビートメーカーKaran Kanchanも、この"marzi"では彼の代名詞でもあったJ-Trapとは正反対の叙情的なlo-fi的なチルサウンドを聴かせている。
Karan Kanchan, mohit, Xplicit - marzi
このミュージックビデオでは、うたた寝するLo-FiガールならぬLo-Fiボーイが印象的だが、こちらも窓の外は雨。
インドでは雨とローファイ的ノスタルジーは深い関わりがあるのだろうか。
Raj "Can't You See"
デリーを拠点に活躍するギタリストのRajは、韓国のLo-Fi系レーベル'Smile For Me'からアルバム"Lo-Fi and Romance"をリリースしている。
lo-fiビートの特徴のひとつであるメロウなギターサウンドが心地よい作品。
Prim4l "Pardesi"
アッサム州グワハティ出身のPrim4lは、オールド・ボリウッド風のヴォーカルとメロウなギターを組み合わせた"Pardesi"を発表。
(1996年のヒット映画"Raja Hindustani"へのヴェイパーウェイヴ的オマージュか?)
と、こんなふうにインドのインディペンデント・シーンにおいても、ローファイ・サウンドは確固たる存在感を放っているのだ。
いやいや、そんなこと言っても、一部のアーティストが通好みな音楽性に飛びついているだけでしょ、と思われるかもしれないが、そうではない。
インディー・アーティストたちによるオリジナルの楽曲だけではなく、ボリウッドの新旧の名曲、すなわちインドの大衆的なヒット曲をローファイにアレンジした音楽もYouTubeに数多くアップされていて、そうした動画が、決して小さくはない支持を集めているのである。
これらのlo-fi系ボリウッドチューンは、どの動画も数百万回の再生回数を誇っている。
ヒット映画のテーマ曲ともなれば1億再生超えも珍しくないインドでは、大人気と言えるほどではないかもしれないが、こうした大衆的ヒットをlo-fi化したサウンドを評価する層が、無視できないほどに存在しているのは確かなようである。
個人的な感覚で言わせてもらうと、インド映画の曲って、サウンドトラックそのまんまだと、音やアレンジのクセが強くて、そこまで入り込めないことが多い。
服に例えると、普段づかいするのには派手で奇抜すぎるエスニックな服、みたいな。
ところが、lo-fi的なアレンジをほどこすことで、そうした過剰さが取れて、むしろオシャレな感じすらするサウンドになってしまうから面白い。
とにかく、欧米とも東アジアとも全く別の発展を遂げてきたインドのポピュラー音楽が、ここに来てlo-fiという同じ方法論で、人々のノスタルジーを喚起しているってことは間違いないだろう。
どうやらインドでは、少なくともここ日本以上に、lo-fi的なサウンドや方法論が、受け入れられつつあるようなのである。
音楽の歴史や文化は全く違っても、ノイズまじりの音色や、アナログな音像という、音の質感そのものに関しては、lo-fiであることが同じ意味合いを持つのだと思うと、感慨深いものがある。
こうした状況から、何か新しくて面白いものが生まれてきそうな予感がするのだが、それがいったいどんなものになるのか、期待を込めつつ注目してゆきたい。
それにしても、改めて思うのは、すべての音がデジタル化/均質化してしまった今、10年後、20年後の人たちは、どんなサウンドにノスタルジーを感じるのだろう、ということ。
サブスク配信の音源を、安物のbluetoothイヤホンを通して聴いたような薄っぺらい音質が、いずれノスタルジックなサウンドとして懐かしがられる日が来るのかもしれない。
(関連記事っぽいもの)
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いわゆる'lo-fi beats'のインドでの受け入れられ方、って話なんである。
2010年代後半から世界中に広がっていったlo-fiビートは、一過性のブームに終わることなく、熾火のように静かに、しかし確かな熱を持って燃え続けている。
2017年にフランスでスタートしたこのオリジナルlo-fiガールのYouTubeチャンネル'lofi hip hop radio'は、いつ見ても数万人の視聴者がいるし、Spotifyなどのサブスクでも、この手の音を集めたプレイリストが数え切れないほど作られている。
lo-fiの起源や発展については、詳しい人がいろいろ書いてくれているのでそっちを読んでもらうとして、要するに、ヒップホップから派生した、ジャジーでチルなサウンドやレイドバックしたビートが、やがてアナログなざらつきと温かみを感じさせる'lo-fi'というジャンルとして再定義されていった、ということで概ね間違っていないと思う。
面白いことに、こうしたサウンドのオリジネイターとされる日本人ビートメーカーの故Nujabesや、彼が音楽を手掛けたアニメ『サムライ・チャンプルー』の影響なのか、「lo-fiビートには日本のアニメ風の動画を合わせる」というのが、スタイルとして定着している。
lo-fiはクラブカルチャーとオタク文化を繋ぐミッシングリンクでもある(多分。けど今回はその話はしない)。
で、最近ようやく気がついたのだけど、このlo-fiという概念は、音楽ジャンルというよりも、音像のスタイルのことなんだな。
あえてノイズを散らし、トレブルやベースをカットした、カセットテープのような音像そのものが、「架空の思い出/故郷」とでも言えるようなノスタルジックな感傷とリラクシングな雰囲気を醸し出すサウンド作りの手法になっているってわけだ。
こうしたlo-fiビートが持つピースフルで肯定的なイメージは、同じノスタルジーを喚起する音楽でも、大量消費文化に対する皮肉やディストピア的な感覚の強いヴェイパーウェイヴとは見事に対照的だ。
批評性のあるカウンターカルチャーとして受け入れられたヴェイパーウェイヴに対して、lo-fiビートがここまで大衆的な支持を得ることができた理由は、「郷愁」という誰もが持つ感情に素直に訴えかけてくるからだろう。
そしてここからが本題なのだけど、インドの音楽シーンもこうした潮流と無関係ではないのである。
これまでにブログで紹介した中にも、Lo-Fiビートの影響を大きく受けたミュージックビデオがいくつかある。
インドのアニメファンによるYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'は、オリジナルのローファイ・ガールへのオマージュを捧げつつ、インド的なサウンドのLo-Fiビートを編集した17分の動画を作成している。
Indian lofi hip hop/ chill beats ft. wodds - Desi lofi girl studying
サウンドについては言うに及ばず、机の上のチャイグラスや右腕のヘナにインドらしさを感じさせつつ、初音ミクやドラえもんなどの日本的な要素(本棚には太宰治の本もある!)を取り入れた映像もとてもクール。
モンスーンの季節なのか、窓の外では雨が降りしきっているのが印象的だ。
先日特集をお届けしたムンバイのビートメーカーKaran Kanchanも、この"marzi"では彼の代名詞でもあったJ-Trapとは正反対の叙情的なlo-fi的なチルサウンドを聴かせている。
Karan Kanchan, mohit, Xplicit - marzi
このミュージックビデオでは、うたた寝するLo-FiガールならぬLo-Fiボーイが印象的だが、こちらも窓の外は雨。
インドでは雨とローファイ的ノスタルジーは深い関わりがあるのだろうか。
Raj "Can't You See"
デリーを拠点に活躍するギタリストのRajは、韓国のLo-Fi系レーベル'Smile For Me'からアルバム"Lo-Fi and Romance"をリリースしている。
lo-fiビートの特徴のひとつであるメロウなギターサウンドが心地よい作品。
Prim4l "Pardesi"
アッサム州グワハティ出身のPrim4lは、オールド・ボリウッド風のヴォーカルとメロウなギターを組み合わせた"Pardesi"を発表。
(1996年のヒット映画"Raja Hindustani"へのヴェイパーウェイヴ的オマージュか?)
と、こんなふうにインドのインディペンデント・シーンにおいても、ローファイ・サウンドは確固たる存在感を放っているのだ。
いやいや、そんなこと言っても、一部のアーティストが通好みな音楽性に飛びついているだけでしょ、と思われるかもしれないが、そうではない。
インディー・アーティストたちによるオリジナルの楽曲だけではなく、ボリウッドの新旧の名曲、すなわちインドの大衆的なヒット曲をローファイにアレンジした音楽もYouTubeに数多くアップされていて、そうした動画が、決して小さくはない支持を集めているのである。
これらのlo-fi系ボリウッドチューンは、どの動画も数百万回の再生回数を誇っている。
ヒット映画のテーマ曲ともなれば1億再生超えも珍しくないインドでは、大人気と言えるほどではないかもしれないが、こうした大衆的ヒットをlo-fi化したサウンドを評価する層が、無視できないほどに存在しているのは確かなようである。
個人的な感覚で言わせてもらうと、インド映画の曲って、サウンドトラックそのまんまだと、音やアレンジのクセが強くて、そこまで入り込めないことが多い。
服に例えると、普段づかいするのには派手で奇抜すぎるエスニックな服、みたいな。
ところが、lo-fi的なアレンジをほどこすことで、そうした過剰さが取れて、むしろオシャレな感じすらするサウンドになってしまうから面白い。
とにかく、欧米とも東アジアとも全く別の発展を遂げてきたインドのポピュラー音楽が、ここに来てlo-fiという同じ方法論で、人々のノスタルジーを喚起しているってことは間違いないだろう。
どうやらインドでは、少なくともここ日本以上に、lo-fi的なサウンドや方法論が、受け入れられつつあるようなのである。
音楽の歴史や文化は全く違っても、ノイズまじりの音色や、アナログな音像という、音の質感そのものに関しては、lo-fiであることが同じ意味合いを持つのだと思うと、感慨深いものがある。
こうした状況から、何か新しくて面白いものが生まれてきそうな予感がするのだが、それがいったいどんなものになるのか、期待を込めつつ注目してゆきたい。
それにしても、改めて思うのは、すべての音がデジタル化/均質化してしまった今、10年後、20年後の人たちは、どんなサウンドにノスタルジーを感じるのだろう、ということ。
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goshimasayama18 at 22:40|Permalink│Comments(0)
2020年12月10日
インドのアニメファンによるYouTubeチャンネル"Anime Mirchi"の強烈すぎる世界!
これまでも何度か特集しているとおり、インドにおいて日本のカルチャーは一定のファン層を獲得している。
ここでいう「カルチャー 」というのは、主にアニメのことで、インドのインディーミュージシャンの中には、日本のアニメ作品からの影響を公言しているアーティストがたくさんいるのだ。
そんなインドのアニメファンが運営している、かなり面白いYouTubeチャンネルを発見してしまった。
それが、今回紹介するこの'Anime Mirchi'である。
('Mirchi'とはインド料理にもよく使われる唐辛子のこと)
このチャンネルの素晴らしいところは、単にアニメのみを扱っているのではなく、インドのインディペンデント・ミュージックと日本のアニメ・カルチャーの融合にも積極的に取り組んでいることである。
中でも唸らされたのが、この'Indian lofi hip hop/ chill beats ft. wodds || Desi lofi girl studying'と題された動画だ。
Lo-Fiヒップホップは、創成期の代表的ビートメーカーである故Nujabesが、アニメ作品『サムライ・チャンプルー』のサウンドを手掛けたことなどから、アニメとのつながりが深いジャンルとされている。
とくに、パリ郊外に拠点を構えるYouTubeチャンネル'ChilledCow'が、"lofi hip hop radio - beats to relax/study to"に勉強中の女の子のアニメーションを使用してからは、ローファイサウンドと日本風のアニメの組み合わせがひとつの様式美として確立した。
Lo-Fi HipHopについてはこのbeipanaさんによる記事が詳しい。
この「勉強中の女の子」(当初はジブリの『耳をすませば』 のワンシーンが使われていたが、著作権の申し立てによってオリジナルのアニメに差し替えられた)は、国や文化によって様々なバージョンが二次創作されており、Anime Mirchiが作成したのはそのインド・バージョンというわけである。
(インド以外の各国バージョンはこの記事で紹介されている)
さらに面白いところでは、「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」をヴェイパーウェイヴ、シンセウェイヴ的に再構築するという狂気としか思えないアイディアを実現したこんな音源もアップロードされている。
ヒンディー語版?のドラえもんのテーマ曲をリミックスした映像は超ドープ!
ここ数年話題となっているヴェイパーウェイヴというジャンルを簡単に説明すると、「80年代風の大量消費文化を、追憶と皮肉を込めて再編集したもの」ということになるだろう。
「シンセウェイヴ」は、同様のコンセプトでシンセサウンドとレトロフューチャー的なイメージが主体となったものだ。
これらの動画のサウンドを手掛けている'$OB!N'というアーティストは相当なアニメファンらしく、あの『こち亀』の主人公の両津勘吉をテーマにしたこんな曲を自身のSoundcloudで発表していたりもする。
カタカナ入りの字幕も全てこの動画のために作成されたものだ。
『バーフバリ』はコアなアニメ作品同様、コスプレまでする熱心なファンを持つ映画だが、こうして見てみると、かなりアニメ的なシーンや演出が多いということに気づかされる。
この映像は、『バーフバリ』の日本で大ヒットし、新しいファン層を開拓したことに対するトリビュートとして制作されたものだそう。
『バーフバリ』はコアなアニメ作品同様、コスプレまでする熱心なファンを持つ映画だが、こうして見てみると、かなりアニメ的なシーンや演出が多いということに気づかされる。
この映像は、『バーフバリ』の日本で大ヒットし、新しいファン層を開拓したことに対するトリビュートとして制作されたものだそう。
インドのインディーミュージックの紹介を趣旨としているこのブログとしては、最近のアーティストの作品に日本のアニメの映像を組み合わせた動画に注目したい。
これはSmg, Frntflw, Atteevの共作によるEDM"One Dance"に新海誠の『言の葉の庭』の映像を合わせたもの。
デリーのラッパーデュオSeedhe MautとKaran Kanchanの"Dum Pishaach"にはHELLSINGの映像が重ねられている。
この2曲に関しては、オリジナルのミュージックビデオも(ほぼ静止画だが)アニメーションで作られており、"One Dance"はSF風、"Dum Pishaach"はアメコミと日本のアニメとインドの神様が融合したような独特の世界観を表現している。
"Dum Pishaach"のビートメイカーKaran Kanchanは大のアニメ好き、日本カルチャー好きとしても有名なアーティストだ。
著作権的なことを考えると微妙な部分もあるが(というか、はっきり言ってアウトだが)、ここまで熱心に日本のカルチャーを愛してくれて、かつ私が愛するインドのインディーミュージックにも造詣が深いこのチャンネル運営者の情熱にはただただ圧倒される。
インドにおけるジャパニーズ・カルチャーと、日本におけるインディアン・カルチャー。
いずれもコアなファンを持つ2つのジャンルをつなぐ'Anime Mirchi'に、どうかみなさんも注目してほしい。
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