都市伝説
2020年02月16日
探偵は一人だけではなかった! 「ヨギ・シン」をめぐる謎の情報を追う
これまで何度もこのブログで特集してきた、謎のインド人占い師「ヨギ・シン」。
100年ほど前から世界中で遭遇が報告されているこの不思議な占い師に、私はかねてから異常なほどの関心を寄せてきた。
そして昨年11月、ついには東京で実際に彼と接近遭遇することに成功したのだが(その経緯は過去の記事を参照していただきたい)、彼らの正体は依然として謎のままであり、私は継続して彼らに関する情報を探し求めている。
英語を使って占いを行うヨギ・シンは、おもに英語圏や英語が通じる国際都市に出没している。
だから、私はいつもは海外のウェブサイトやブログで「彼」の情報を収集しているのだが、その日にかぎって、私は日本語での検索を試みることにした。
昨年11月に私が遭遇した際の「ある顛末」以降、日本国内でのヨギ・シン遭遇報告はぱぅたりと途絶えていた。
あれから数ヶ月が経過し、再び日本のどこかに彼が出現したという情報があるかもしれないと思ったからだ。
ところが、そこで私は、全く予想していなかった驚くべき文章を発見してしまった。
mixiの『詐欺師のメッカ タイにようこそ』というコミュニティーに投稿された『インド人街頭占い師の秘密』という投稿がそれである。
(オリジナルはこちらから読める https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6066795&id=72080907)
2012年10月31日に投稿されたこの文章は、おそらく日本で最初に書かれたヨギ・シンについての考察だろう。
一体誰が書いたのかは不明だが、そこに書かれていたのは、まさに驚愕の内容だった。
mixiの『詐欺師のメッカ タイにようこそ』というコミュニティーに投稿された『インド人街頭占い師の秘密』という投稿がそれである。
(オリジナルはこちらから読める https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6066795&id=72080907)
2012年10月31日に投稿されたこの文章は、おそらく日本で最初に書かれたヨギ・シンについての考察だろう。
一体誰が書いたのかは不明だが、そこに書かれていたのは、まさに驚愕の内容だった。
この文章は、こんなふうに始まる。
インド人街頭占い師は、世界中にいます。大都市で現地人を相手にしたり、有名観光地で観光客を相手にしたりしていますが、最も多いのが、バンコク(特にカオサンロード)、インドのデリー、ニューデリー。ほかにも香港、シンガポール、バリ、クアラルンプール、上海、NY、サンフランシスコ等アメリカ各地、、トロント、シドニー、メルボルン、ロンドン、パリ、ブリュッセル、ウィーン等、英語が通じるところならどこにでもいるのですが、なぜかみんな同じような格好をして同じ名前を名乗り、同じようなことをやります。
この時点で、この文章を書いた人が、ヨギ・シンについて、かなり詳しく把握しているということが分かるだろう。
ヨギ・シンの出没地点についても的確だし、上海、ブリュッセル、ウィーンについては、むしろ私のほうが聞いたことがなかった。
そして、この後に続く箇条書きの内容が、また驚くべきものだった。
1.外見ターバンをしている人が多いけれど、スーツ姿のターバン無しや、シャツとズボン姿の若い人もいます。若くてもTシャツではなく、わりときちんとした服装です。2.「You have a lucky face!」と、声をかけてきます。You are lucky lady!とか、lucky manとか、言い方はいろいろありますが、「ラッキー」が入るのが特徴。3.「自分はヨギ・シンだ」と名乗ります。ヨガ行者のシンさんということです。なぜかみんな同じ名前です。4.「占いをしてあげる」と言って、その前にまず、自分の特殊能力を証明しようとします。その方法は、好きな数字、好きな花、好きな色を当てて見せることです。これはまず第一段階。この当てものが成功して客が十分驚いたら、終了して占いに進むこともありますが、次の段階があることが多いです。5.第二段階として、年齢、誕生日、母親の名前、配偶者の名前、恋人の名前、兄弟の数、願い事(wish)等を当ててみせます。6.第三段階として、敵の名前、嫌いな人の名前等を当ててみせます。7.やっと占いに入ります。「7月にいいことがある」「80何歳まで生きる」「90何歳まで生きる」というのが定番のようです。性格判断としては、「あなたは考えすぎる」と、「はっきりものを言い過ぎるのが欠点だ」が定番です。8.脅しをかけることもあります。「ライバルがあなたに呪いをかけている」「堕胎した子供が憑いている」などと言って、「二週間日連続であなたのために祈って呪いをはらってやるからお金を」と、大金を要求します。あくまで一部の人ですが。9.寄付を要求貧しい子供たちの写真を見せ、「この子たちのために寄付を」と、具体的な金額を提示します。貧乏人用、中流用、金持ち用の三種類の寄付額が書かれたボードを示し、「自分のクラスの額を払え」と言うのですが、貧乏人用でさえかなり高いです。10.たいていの人は、「高すぎる」「持ち合わせがない」と言って、払いません。すると、「そこにATMがあるから、おろしなさい」と、ATMまで同行されそうになります。11.結局客は要求の何分の一かを払い、占い師はしぶしぶ受け取りますが、別れ際にパワーストーンを一個くれます。寄付金が多い人には、一個といわずネックレスでくれることもあります。
なんということだろう。
外見、名前、占いの方法、ここに書かれているほぼ全ての内容が、私がこれまで調べたものと一致している。
いったいこの人物は、どうやってヨギ・シンのことを知り、ここまでの情報を調べたのだろうか。
6番めに書かれた「敵の名前や嫌いな人物の名前を当てる」という部分については、私がこれまでに聞いたことがないものだったが、それはすなわち、この人物のほうが私よりもヨギ・シンについて詳しいということでもある。
このひょっとしたら、この投稿がされた2012年ごろのヨギ・シンは、こういった話法を使う者が多かったのかもしれない。
他にも、お金の要求方法や、パワーストーンをくれるということなど、必ずしも一般化できない内容も含まれているが、それだけこれを書いた人物が多くの情報を調べ上げているということだ。
9番目にかかれた「貧乏人、中流、金持ち」と3段階の料金を提示するというやり方は、ヨギ・シンに関しては聞いたことがなかったが、かつて私がヴァラナシで遭遇した怪しげなヒンドゥーの行者に頼みもしない祈祷をされたときと全く同じやり口である。
誰に対しても同じ価格ではなく、経済状況に応じて違う金額を払わせるという考え方はいかにもインド的な発想で、同じ方法を「ヨギ・シン」が使ったいたとしてもまったく不思議ではない。
それにしても、今から7年以上前に、ここまで詳しくヨギ・シンのことを調べあげたこの人物は、いったい何者なのだろうか?
ヨギ・シンについて、それぞれの街での遭遇報告や、「どうやら世界中にいるらしい」といったことまで記載しているウェブサイトは見たことがあったが、ここまで詳細に情報をまとめあげているものは見たことがなかった。
しかも、この人物がしているのは、「情報の収集」だけではなかった。
このあとに続くヨギ・シンのトリックについての考察がまたすごい。
●どうやって当てるのか?好きな数字、好きな花、好きな色は、全世界的にもっとも平凡な答えというのがあります。それは、1から5の間で好きな数字=31から10の間で好きな数字=7好きな色=BLUE好きな花=ROSEです。あらかじめこの答えを1枚の紙に書いておいて、丸めて客に握らせてから質問をします。客が平凡な人で、紙に書いてある通りの答えを言ったら、握っている紙を広げさせます。これでトリックの必要もなく超能力者のふりができます。日本人の場合、好きな花は、ローズとチェリーブラッサムが同じくらいの人気です。だから占い師は、日本人と見ると、「好きな花を二つ言え」と要求し、紙には「R、C」(Rose, Cherryblossomの略)と書いておきます。●予想外の答えだったら?3 /7/BLUE/ ROSEの代わりに、例えば、4/9/RED/PANSY と客が答えたらどうするのか?占い師は客の答えを、いちいち紙にメモしていきます。答え合わせの時に必要だからというのが建前ですが、目的は別にあります。答えを2回書いて、2枚のメモを作るのです。そのうち一枚を丸めて、客の手の中の紙と、こっそりすりかえます。すり替えのやり方は、①自分が写っている集合写真等を出して来て、「この中でわしはどれかわかるか?」などと言って客の注意を引き付け、隙を見てすり替えます。②「丸めた紙を額に当てて、目を閉じて呪文を唱えろ」と要求します。客がやろうとすると、「そうじゃなくて、こうするんだ」と、紙を取り、自分で手本を見せますが、このときにすり替えています。③「手相を見てやろう」と言って、紙を握っている手を開けさせ、「この線がどうのこうの」と、指でさわってりして、この時にすり替えます。あまりに露骨なので、この方法はあまり使われないようです。答えを2回書く代わりに、感圧紙を使う人もいます。感圧紙とは、ノーカーボン紙ともいい、普通の白い紙にしか見えないのに、重ねるとカーボン紙の役割をします。でもこの場合、字が全く一緒になってしまうので、もし比較されると、バレてしまいます。●すり替えなしで当てる誕生日、母親の名前、家族構成、初恋の人の名前等、難しいことも上の紙のすり替えで当てられますが、本人に書かせて当てることもでき、この場合すり替えは不要です。やり方はいろいろ考えられますが、また感圧紙を使ってみましょう。1と2は普通の紙、3と4は感圧紙です。重ねて、メモ帳等に仕込み、生年月日、好きな動物、母親の名前を書いてもらいます。客に紙(1)を取って丸め、握っていてもらいます。4枚目に写っている内容をこっそり見れば、当てられます。もっと便利なマジックグッズを使う人もいます。たとえば、このクリップボードにはさんだ紙に書いてもらったら、内容が全部、離れた所のディスプレーに映ります。https://www.youtube.com/watch?v=O3_GKVmlD_Y最新バージョンは、自分のアイフォンにも映せるようです。マジックグッズでなくても、電子ペンを使えば、同じことができます。ペンの形状がちょっと変わっているのが難ですが。https://www.youtube.com/watch?v=qHD5z9KcKUQ●すり替え無し、紙にも書かないのに当てられたら?カオサンロードは、トリックの余地無く母親の名前を当てる占い師がいることで有名です。インドの観光地のホテル周辺でもそういうことがあるようです。当てられるのは、観光客で、付近のホテルやゲストハウスに泊っている人です。推測すると、どうも、占い師に情報を流しているホテルやゲストハウスがあるようです。なぜなら外国人が宿泊する場合、フロントはパスポートの提示を要求し、コピーをとったりスキャンしたりします。パスポートには本人の名前、写真、生年月日等が印刷されているし、あと、「緊急連絡先」という欄があります。in case of accident notifyとか、emergency contactとか、どこの国のパスポートにもあって、自分で書き込むようになっています。ここに母親の名前を英語で書いていたら、そして占い師に母親の名前をいきなり当てられたら、自分のパスポートのコピーが占い師に渡っている可能性を考慮してよいかもしれません。●連れと別々にされ、トリックの余地なく当てられたら?たとえば夫婦が占い師の二人連れに会い、別々に、占い師一人ずつと相対することになった場合。連れが何を話しているのかわからないほど離れた場所に誘導されたら、そこにトリックがあります。一人からもう一人の個人情報を聞き出し、その情報を二人の占い師が通信機器を使って共有し、読心術ができるふりをしている可能性があります。●占い師ヨギ・シンの正体は?本人たちに聞くと、「○○アシュラムに属している」とか「○○テンプルに属している」とか言いますが、真偽は不明です。シーク教徒のしるしであるターバンを巻いているのに、ヒンズー教的な話をしたり、ヨガ行者だといいながらもヨガの知識が乏しい人もいるからです。何か大きな組織があって、マニュアルがあるのか、それともそんなものは無くて、口コミで手法が広がった個人営業者集団なのか?誰か知ってたら教えて下さい。●本物のサイキックはいるのか?インド人占い師はトリックを使う詐欺師と、ネットではさんざんな評判ですが、中には、占いがすごく当たっていて感銘を受け、電話番号を教えてもらって時々相談しているという人もいます。中には本物の占い師もいるのかもしれません。
あまりの詳細な分析に、驚きが止まらない。
好きな数字なら3、好きな花ならRose、という部分については、思い当たることがあった。
少し前に読んだ「インド大魔法団」(山田真美著、清流社、1997年。この本、めちゃくちゃ面白いのでいずれ詳しく紹介します)という本の中で、インドのマジシャンがこんなことを言っていたのだ。
「ひとつ単純な手品を例にとってお話ししましょう。まず一枚の紙切れを用意して、そこに誰にも見られないように〈薔薇、3〉と書いてください。そしてそれを机の上に伏せて置きます。次に、目の前の人にふたつの質問をするんです。ひとつめは〈あなたの好きな赤い花は何ですか〉。ふたつめは〈一から五までの間の数字を言ってください〉。すると興味深いことに、大多数の回答者は迷わず〈薔薇〉、〈三〉と答えてきます。こうなったら魔術師の思うつぼ。〈あなたの答えは初めからわかっていました。何を隠そう、私には予知能力があるのです〉。そう言って、おもむろに紙を表向きにしてやりましょう。びっくり仰天されること請け合いですよ」
「ただし、この手品には重要なポイントがあるのです。第一に、相手に考える時間を与えないということです。〈好きな赤い花は?さあ、すぐに答えて?〉という具合に、早口で急かすように問いかけるのがコツです。赤い花といえば大半の人が瞬間に薔薇を思い浮かべる、その反射神経だけを利用した手品なのですから。(中略)
二番目に大切なのは言葉の使い方、つまりレトリックの問題で、〈一から五までのあいだの数字〉という風に、〈あいだの〉というところを強調して質問するのがコツです。すると、質問された人は無意識的に、一から五までの数字のちょうど真ん中にある数字、すなわち三を選ばされてしまうのです」
これは、mixiに投稿した人物が書いているのと全く同じ手法である。
『インド大魔法団』によると、物理的なトリック無しに相手の心のうちを読む方法は、インドのマジシャンたちの間では、素人にタネを明かしても問題がないほどに知られているようであり、同じ技法をヨギ・シンが使っていたとしても、全く不思議ではない。
まずは最大公約数的な答えを紙に書いておき、そのうえで、万が一相手が予想外の回答をしたときには、「すり替え」のテクニックを使って予言を的中させるというのは、じつに合理的なやり方だ。
「すり替え」のトリックは、以前私が調べた「ヨギ・トリック」の技法を使えば可能である。
(ちなみに、mixiの投稿にあったような、答え合わせのときに必要だからと言ってヨギ・シンが答えをあからさまにメモするという話は、私が知る限りでは聞いたことがない)
さらに、母親の名前をあてるトリックについての考察も筋が通っている。
「ヨギ・シンに母親の名前を当てられた」という報告は多くあり、そのなかには、自分が母親の名前を伝えていないのに的中されたというものもあったのだが、ホテルやゲストハウスから情報を得ていると考えればこれも説明がつく。
ヨギ・シンが、自らの予知能力にリアリティーを持たせるために、複数のテクニックを組み合わせているとしたら、彼らは怪しげな詐欺師に見えて、実はかなり熟練したパフォーマーだということになる。
「シーク教徒のしるしであるターバンを巻いているのに、ヒンズー教的な話をしたり、ヨガ行者だといいながらもヨガの知識が乏しい人もいる」という指摘に関しては、留意すべき部分があるだろう。
インドのローカル文化においては信仰を超えて宗教的文化が共有されていることもあるし、「ヨギ」という言葉は、ヨガ行者だけでなく、より広い意味での行者や聖者を指すこともある。
つまり、この部分だけで彼が「シク教徒」や「ヨギ」であるということがフェイクだとは言えないのである。
インドの人々が、危険から身を守るため以外の理由で(例えば、特定の宗教が暴力的に弾圧されているような状況以外で)他の信仰を騙ることは考えにくいように思う。
私の考えでは、彼らは紛れもなくパンジャーブにルーツを持つシク教徒だろう。
彼らが「本物かどうか」という問いは、「何をもって本物とするか」ということも含めて、ナンセンスであるように思える。
プロレスラーが格闘家であるのと同時にパフォーマーであるのと同じように、ヨギ・シンも占い師であると同時に手品師でもあり、見方によっては聖人でもあり詐欺師でもあると考えるのが、私にはしっくりとくる。
それにしても、最後にさらりと書かれている「電話番号を教えてもらって時々相談している人もいる」という情報には驚いた。
私はヨギ・シンは尻尾をつかまれないためにも連絡先の交換などはしないと思っていたからだ。
じつはこれについては、さらに驚くべき情報を見つけてしまったので後述する。
これを書いた人物は、いったいどうやってこれだけの情報を集め、仮説を組み立てたのだろうか。
情報集めはインターネットを駆使してできるとしても、ここに書かれているかなり詳細な仮説については、一朝一夕に考えられるものではない。
マジックグッズにかなり詳しいことを考えると、この人物もマジシャンなのだろうか。
あらゆる状況を想定してトリックを推理しているところを見ると、この人物も相当な熱意を持ってヨギ・シンの謎に取り組んでいるということが分かる。
(個人的には、通信機器やハイテク機器を使ったものに関しては、あまり可能性がないのではないかと感じているが)
今から7年以上前の書き込みではあるが、この人物がいったいどうやって情報を集めたのか、その後ヨギ・シンの正体に迫るより詳しい情報をつかむことができたのか、機会があればぜひ伺ってみたい。
今回、ヨギ・シンに関する日本語の情報を収集するにあたり、もう1件面白い書き込みを見つけた。
2014年1月22日に、「Yahoo!知恵袋」へのこんな投稿である。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13119851783
つまり、この部分だけで彼が「シク教徒」や「ヨギ」であるということがフェイクだとは言えないのである。
インドの人々が、危険から身を守るため以外の理由で(例えば、特定の宗教が暴力的に弾圧されているような状況以外で)他の信仰を騙ることは考えにくいように思う。
私の考えでは、彼らは紛れもなくパンジャーブにルーツを持つシク教徒だろう。
彼らが「本物かどうか」という問いは、「何をもって本物とするか」ということも含めて、ナンセンスであるように思える。
プロレスラーが格闘家であるのと同時にパフォーマーであるのと同じように、ヨギ・シンも占い師であると同時に手品師でもあり、見方によっては聖人でもあり詐欺師でもあると考えるのが、私にはしっくりとくる。
それにしても、最後にさらりと書かれている「電話番号を教えてもらって時々相談している人もいる」という情報には驚いた。
私はヨギ・シンは尻尾をつかまれないためにも連絡先の交換などはしないと思っていたからだ。
じつはこれについては、さらに驚くべき情報を見つけてしまったので後述する。
これを書いた人物は、いったいどうやってこれだけの情報を集め、仮説を組み立てたのだろうか。
情報集めはインターネットを駆使してできるとしても、ここに書かれているかなり詳細な仮説については、一朝一夕に考えられるものではない。
マジックグッズにかなり詳しいことを考えると、この人物もマジシャンなのだろうか。
あらゆる状況を想定してトリックを推理しているところを見ると、この人物も相当な熱意を持ってヨギ・シンの謎に取り組んでいるということが分かる。
(個人的には、通信機器やハイテク機器を使ったものに関しては、あまり可能性がないのではないかと感じているが)
今から7年以上前の書き込みではあるが、この人物がいったいどうやって情報を集めたのか、その後ヨギ・シンの正体に迫るより詳しい情報をつかむことができたのか、機会があればぜひ伺ってみたい。
今回、ヨギ・シンに関する日本語の情報を収集するにあたり、もう1件面白い書き込みを見つけた。
2014年1月22日に、「Yahoo!知恵袋」へのこんな投稿である。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13119851783
この筋書き通りでした。このドケチな私が500ドル(5万円くらい)払いました。今日遅めのランチをとりに会社を出たときに、インド人が私を見てハッと立ち止まり、You are Lucky と話しかけてきました。結構綺麗な身なりをしていたので、疑うこともなく話を聞きました。名前はヨギシンでした。彼は、インド訛りの英語で○「あなたは会社で非常に疲れているのだろう、おそらく自分の出した結果ほど評価されていないのでイライラしている。(その通り)」○「幸せそうに振舞っているが、心は幸せではない(まぁ当てはまる)」○「あなたは自分の会社を興すであろうし、それがもう少しで花開く(ネットショップ準備中)」○「あなたは人に何か言われて何かするよりも、自分で引っ張っていきたいタイプ。(まぁ)」と聞いてもいないことをベラベラと勝手にしゃべり始めて、それが以外に合っていたので、私が驚いていると、まだ話したいことがあると、近くのコーヒーショップで話をすることになりました。好きな花、番号、母親の名前、主人の名前を当てたら、報酬として金をよこせと。金持ち500ドル、中流300ドル、貧乏人100ドルでした。手帳みたいなのをもってて、そこに神様の写真と、恵まれない子供の写真が入っており、そこにお金をいれろと言ってきました。ここでピン!と昔シドニーでもヨギシンに会った事を思い出し、シドニーにも行った事あるんじゃないかとしつこく聞くと、オーストラリア、イギリス、カナダと英語圏の滞在を認めていました。手持ちのお金がないといったら、私も丁度ATMに行く用事があったので、ATMまで一緒についてきました。断らずになぜか私もお金を渡してしまいました。10年前にシドニーで全く同じことがあり、思い起こせばその時も100ドル払いました。今回はシンガポールで、ヨギシンと遭遇。疑うことなく、500ドルを渡してしまいました。さらに、私がお金をもっていると思ったのか、どんどん要求が増えてきました。○ 黒魔術にかかっているので、それを取り払ってやる○ 明日ランチを一緒にしないか、そして携帯電話をひとつかってくれ○ ディナーをおごってくれ○ 今晩、会わないかここらへんから、ちょっと怪しいなと思いつつも、金返せとは言えず話だけ聞いてyou are so lucky to get the money from the most stingy person like me. 私みたいなドケチからお金をもらえてラッキーだね。と伝え、ヨギシンは別れ際に赤い石をくれました。やっぱ騙されたのかな。私疲れてたんだわきっと・・・補足さっき電話がかかってきて、ものすごいパワーの黒魔術にかかっているそうです。至急取り払う必要があると言っていました。
なぜか「暮らしと生活ガイド>ショッピング>100円ショップ」のカテゴリーに書き込みされたこの投稿(もはや質問ですらないが)は、ネタだと思われたのか、まともな回答はひとつもついていないが、ヨギ・シンのことを知っている人が読めば、これが実際の体験談であるということが分かるだろう。
冒頭の「この筋書き通りでした」が何を指すのかは不明だが、前述のmixiの投稿のことを指しているのかもしれない。
それにしても驚かされるのは、この文章を書いた人物が、シドニーとシンガポールで2回ヨギ・シンに会っているということ、そして、ヨギ・シンから頻繁に連絡が来て、食事に誘われたり、口説かれたり(?)しているということだ。
またしても秘密主義だと思っていたヨギ・シンの印象が覆される情報だ。
これも、500ドルも支払ったという「太客」だからだろうか。
ヨギ・シンの出没情報と、遭遇報告(もちろん過去のものでも大歓迎)については、今後も募集し続けるので、ぜひコメントかメッセージを寄せてください!
ヨギ・シンについては、その後も地道に調査を進めています。
また何か書けるとよいのだけど。
ひとまず今回は、これまで!
(続き。ついに明らかになるヨギ・シンのルーツに迫ります)
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goshimasayama18 at 20:35|Permalink│Comments(2)
2019年12月30日
知られざる魔術大国インド ヨギ・シンの秘術にせまる(その2)
前回の記事(その1)はこちらから
インドが知られざるマジック大国であることを発見した私は、ヨギ・シンの手がかりを求めて、インドの伝統的な奇術やマジシャンについて調べ始めた。
どんなジャンルにも専門書はあるもので、Lee Siegelという作家/宗教研究者が書いた"Net of Magic : wonders and deceptions in India"という本(1991年、Chicago University Press)は、デリーのShadipurという地区で暮らすマジシャン・カーストの様子がいきいきと描かれていて、大変面白かった。
インドのマジックは、単純なショーというより、「神の奇跡」を模して演じられる。
興味深いことに、ときにはマジシャンが「占い」を行うこともあるようだ。
マジックについての調査を続けるうちに、ヨギ・シンが行なうようなマジック(相手の心を読む)は、ひとつのカテゴリーとして確立しているということが分かってきた。
人の心を読むことをテーマとしたマジックについて調べ始めて間もなく、ヨギ・シンが使う手法によく似た技法を見つけることができた。
それはこんな演出のマジックだ。
マジシャンは、お客さんの中から一人を選び、好きな数字(数字以外、例えば親や恋人の名前でも、持っているお金の合計金額でも何でもいい)を頭の中でイメージしてもらう。
次に、マジシャンはお客さんの心を読むふりをしてメモ用紙に何事かを書きつけると、書いた面がお客に見えないように自分の側に向けて、メモを体の前で保持する。
だが、それは調べるまでもないことだった。
なぜなら、このマジックの名前そのものが、この技のルーツを、何よりも雄弁に語っていたからだ。
いずれにしても、この「ヨギ・トリック」について調べるうちに、そのタネについては大まかに理解することができた。
だが、それでも疑問は残る。
凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
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インドが知られざるマジック大国であることを発見した私は、ヨギ・シンの手がかりを求めて、インドの伝統的な奇術やマジシャンについて調べ始めた。
どんなジャンルにも専門書はあるもので、Lee Siegelという作家/宗教研究者が書いた"Net of Magic : wonders and deceptions in India"という本(1991年、Chicago University Press)は、デリーのShadipurという地区で暮らすマジシャン・カーストの様子がいきいきと描かれていて、大変面白かった。
この本によると、マジシャンになれるのはマジシャン・カースト内に生まれた人間に限られており、たとえ彼らが孤児を迎えて育てたとしても、孤児はあくまでも助手の役割しかすることができないという。
インドのマジックは、単純なショーというより、「神の奇跡」を模して演じられる。
興味深いことに、ときにはマジシャンが「占い」を行うこともあるようだ。
マジックショーは神の名を唱えることから始まる。
彼らのショーの中で、例えばオモチャの鳥が本物の鳥になったり、死んだ人が生き返るというマジックが披露されるとき、それは神による奇跡だという演出がなされる。
彼らのショーの中で、例えばオモチャの鳥が本物の鳥になったり、死んだ人が生き返るというマジックが披露されるとき、それは神による奇跡だという演出がなされる。
また、この本には息子が親の決めた結婚に従わないという相談に対して、マジシャンが魔法の実(ここではライム)を渡して、心変わりをさせるまじないを教えたりする場面も描かれていた。
インドでは、マジシャン、占い師、超能力者の境界は、きわめて曖昧なのだ。
この虚実が一体となった世界は何かに似ていると思ったのだが、考えてみたらそれはプロレスだった。
プロレスは、身もふたもない言い方をしてしまえば、屈強な男たちが、闘いを「演じる」興行なわけだが、その強靭に鍛え上げられた肉体から繰り出す技の基礎には、競技名からも分かるとおり、レスリングの技術が存在している。
シュート(リアルファイト)の技術のあるアスリートが、「パフォーマンスとしての戦い」をするというわけだ。
さらには、個々のプロレスラーのキャラクターについても、虚実が複雑に絡み合っている。
例えば、インド系の伝説的プロレスラー、タイガー・ジェット・シンは、地元カナダでは小学校にその名が冠せられるほどの名士でありながら、リング上ではヒール(悪役)として非道の限りを尽くすというキャラクターを演じている(タイガー・ジェット・シンについては、近々何か書くつもり)。
全てをリアルとして手に汗握ることも、虚構と割り切ってショーとして楽しむこともできるのだが、完全に虚構とは言い切れない何かがそこにはある。
この構造はインドのマジックと全く同じだ。
この構造はインドのマジックと全く同じだ。
虚実といえば、マジシャンたちは自身の信仰に関係なく宗教を演出に取り入れているようで、例えばムスリムのマジシャンが、ヒンドゥーの神話や神の名をパフォーマンスで口にすることもあるという。
ヒンドゥーのなかにもムスリムのなかにもマジシャンは存在しており、彼らはときに同じ伝統を共有している。
ということは、シク教徒の占い師ヨギ・シンも、マジックとトリックと超能力が渾然一体となった、インドの大地の魔術文化のなかにいると言ってよいだろう。
ということは、シク教徒の占い師ヨギ・シンも、マジックとトリックと超能力が渾然一体となった、インドの大地の魔術文化のなかにいると言ってよいだろう。
マジックについての調査を続けるうちに、ヨギ・シンが行なうようなマジック(相手の心を読む)は、ひとつのカテゴリーとして確立しているということが分かってきた。
「カードマジック」とか「ステージマジック」のようないちジャンルとして、相手の心を読むことを主眼としたマジックの専門家が、世界中大勢いるのだ。
このジャンルについて調べてゆけば、きっと彼に近づくことができる。
このジャンルについて調べてゆけば、きっと彼に近づくことができる。
そう確信して調査を続けることにした。
ここで少し言い訳をさせてもらうが、ここから先、いよいよヨギ・シンが行う秘術の核心に触れることになる。
ところが、彼らが行う占い(というかマジック)の、いわゆるタネについて、どう書いたものか、未だに結論が出せずにいるだ。
ヨギ・シンと世界中のマジシャンたちの共通財産でもあるそのトリックを、軽々しく公開すべきでないだろう。
だが、それを書かなければ、ヨギ・シンの本質について書くことはできない。
なんとももどかしいジレンマだが、書ける範囲で書くことにすることをご容赦いただきたい。
ヨギ・シンと世界中のマジシャンたちの共通財産でもあるそのトリックを、軽々しく公開すべきでないだろう。
だが、それを書かなければ、ヨギ・シンの本質について書くことはできない。
なんとももどかしいジレンマだが、書ける範囲で書くことにすることをご容赦いただきたい。
人の心を読むことをテーマとしたマジックについて調べ始めて間もなく、ヨギ・シンが使う手法によく似た技法を見つけることができた。
それはこんな演出のマジックだ。
マジシャンは、お客さんの中から一人を選び、好きな数字(数字以外、例えば親や恋人の名前でも、持っているお金の合計金額でも何でもいい)を頭の中でイメージしてもらう。
次に、マジシャンはお客さんの心を読むふりをしてメモ用紙に何事かを書きつけると、書いた面がお客に見えないように自分の側に向けて、メモを体の前で保持する。
続いて、お客さんに、その想像した言葉を大きな声で口にしてもらう。
そこで隠していたメモ用紙を開示すると、なんとそこには、たった今お客さんが言った内容がそっくりそのまま書かれている。
(マジシャンが紙に何かを書いたのは、お客さんが答えを言う前だったのに!)
そこで隠していたメモ用紙を開示すると、なんとそこには、たった今お客さんが言った内容がそっくりそのまま書かれている。
(マジシャンが紙に何かを書いたのは、お客さんが答えを言う前だったのに!)
このマジックとヨギ・シンの「占い」の違いは、ヨギ・シンの場合、最初に書いた紙を自分が持つのではなく相手の手の中に握らせるという部分だ。
だが、それ以外はほぼ全く同じであり、ヨギ・シンもこのマジックを応用しているはずだと考えて良いだろう。
だが、それ以外はほぼ全く同じであり、ヨギ・シンもこのマジックを応用しているはずだと考えて良いだろう。
このマジックのルーツが分かれば、彼らがどうやってこの技法を自分たちのものにしたのか、その歴史が分かるかもしれない。
だが、それは調べるまでもないことだった。
なぜなら、このマジックの名前そのものが、この技のルーツを、何よりも雄弁に語っていたからだ。
「ヨギ・トリック」。
本当はこの名前ではないのだが、タネ明かしやネタばらしを避けるために、ここではそう呼ぶことにする。
(読んでくださっているみなさんには申し訳ないが、やはりここでヨギ・シンやマジシャンたちのメシの種を奪ってしまうことはできない。以降、この技術の本当の名前やトリックの核心には触れないが、極力ヨギ・シンの謎に迫れるように書いてみる)
このマジックには、欧米で生まれたのではなく、インドの占い師やグルたちによって作られたことが一目で分かるような名前がつけられていた。
しかも、この技法について解説したウェブサイトには、この「ヨギ・トリック」は「もともと読心術や降霊術等に使われていた」という記述まであった。
間違いない。
この「ヨギ・トリック」も、インドのマジシャンや占い師によって編み出され、やがて世界中に流出した技術のうちのひとつなのだ。
(読んでくださっているみなさんには申し訳ないが、やはりここでヨギ・シンやマジシャンたちのメシの種を奪ってしまうことはできない。以降、この技術の本当の名前やトリックの核心には触れないが、極力ヨギ・シンの謎に迫れるように書いてみる)
このマジックには、欧米で生まれたのではなく、インドの占い師やグルたちによって作られたことが一目で分かるような名前がつけられていた。
しかも、この技法について解説したウェブサイトには、この「ヨギ・トリック」は「もともと読心術や降霊術等に使われていた」という記述まであった。
間違いない。
この「ヨギ・トリック」も、インドのマジシャンや占い師によって編み出され、やがて世界中に流出した技術のうちのひとつなのだ。
マジシャンのJames L. Clarkが執筆した"Mind Magic and Mentalism for Dummies"という本によると「ヨギ・トリック」の起源は、歴史の中で失われてしまっているものの、1898年にWilliam Robinsonなる人物が"Spirit Slate and Kindred Phenomena"という著書でそのトリックを紹介した頃には、この技はすでにマジシャンたちに知れ渡っていたという。
このWilliam Robinsonという男が、ヨギ・シンたちの技術を欧米のマジシャンに広めた「犯人」の一人なのだろうか。
そう思ってこの男について調べて見たところ、彼もまた一筋縄ではいかない人物だった。
William Robinsonは、20世紀初めのイギリスで人気を博したアメリカ人のマジシャンだった。
彼は、Ching Ling Fooという中国人マジシャンから着想を得て、自らも東洋人のギミックを使うことを思い立つと、中国風のメイクを施し、髪を辮髪に結い上げてChung Ling Sooというキャラクターを演じて大人気となった。
フーディーニがキャリアの初期にインド人マジシャンを装ったように、彼もまた東洋のミステリアスなイメージを演出に取り入れたのだ。
彼の中国人ギミックは、舞台上では決して英語を話さず、取材の際も通訳をつけて対応するというほどの徹底ぶりだった。
彼の生涯は、その死に様まで記憶に残るものとなった。
1918年3月23日、彼はショーの最中に銃弾を受け止めるマジックに失敗して命を落としたのだ。
死後に身元を調べて、彼がじつは白人だったことを知った人々は大いに驚いたというから、彼もまた虚実皮膜の人物だったのである。
19世紀の早い段階から、パンジャーブ地方のマハラジャをはじめとするシク教徒たちはイギリスに移り住んでいたようだから、ひょっとしたら彼は「ヨギ・トリック」をインド人のマジシャンか占い師から学んだのかもしれない。
このWilliam Robinsonという男が、ヨギ・シンたちの技術を欧米のマジシャンに広めた「犯人」の一人なのだろうか。
そう思ってこの男について調べて見たところ、彼もまた一筋縄ではいかない人物だった。
William Robinsonは、20世紀初めのイギリスで人気を博したアメリカ人のマジシャンだった。
彼は、Ching Ling Fooという中国人マジシャンから着想を得て、自らも東洋人のギミックを使うことを思い立つと、中国風のメイクを施し、髪を辮髪に結い上げてChung Ling Sooというキャラクターを演じて大人気となった。
フーディーニがキャリアの初期にインド人マジシャンを装ったように、彼もまた東洋のミステリアスなイメージを演出に取り入れたのだ。
彼の中国人ギミックは、舞台上では決して英語を話さず、取材の際も通訳をつけて対応するというほどの徹底ぶりだった。
彼の生涯は、その死に様まで記憶に残るものとなった。
1918年3月23日、彼はショーの最中に銃弾を受け止めるマジックに失敗して命を落としたのだ。
死後に身元を調べて、彼がじつは白人だったことを知った人々は大いに驚いたというから、彼もまた虚実皮膜の人物だったのである。
19世紀の早い段階から、パンジャーブ地方のマハラジャをはじめとするシク教徒たちはイギリスに移り住んでいたようだから、ひょっとしたら彼は「ヨギ・トリック」をインド人のマジシャンか占い師から学んだのかもしれない。
いずれにしても、この「ヨギ・トリック」について調べるうちに、そのタネについては大まかに理解することができた。
だが、それでも疑問は残る。
このトリックでは、占い師(手品師)自身が手にしているメモに、相手が思った言葉を書きつけることはできても、トリックをかける相手自身が握っているメモに書くことはどうしても不可能なのだ。
さらに、1993年にバンコクで高野秀行氏が遭遇したヨギ・シンは、高野氏の小指の付け根あたりに、「好きな数字」を青色で浮かび上がらせるという技まで披露したという。
また、デリーでヨギ・シンらしきターバン姿の占い師に遭遇したという人からは、自分が言葉で伝える前に、母親の名前や兄弟の数を的中させられたという報告もあった。
どうやらヨギ・シンは、私が調べた「ヨギ・トリック」だけではなく、複数の技法を組み合わせて、「占い」をしているらしい。
その中に本物の超常現象が含まれている可能性も、完全に否定することはできない。
その中に本物の超常現象が含まれている可能性も、完全に否定することはできない。
世界中のマジシャンたちが、古くから「ヨギ・トリック」を自らのショーに取り入れて、観客を驚かせ、喝采を浴びている一方で、本家のヨギ・シンたちは、今日も旅先の異国の街で、あくまでも占いを装い、詐欺師と呼ばれながら生業を続けている。
現代のマジシャンたちは、「ヨギ・トリック」のタネを知っていても、いまだにそのルーツとなった集団が世界中を旅して、「占い師」として生き続けていることをほとんど知らないだろう。
ヨギ・シンと会い、その不思議な技に驚かされた(そしてお金を巻き上げられた)人も、彼らが歴史ある流浪の占い師集団であることも、そのテクニックが今ではマジック界で広く取り入れられていることも知らないだろう。
ヨギ・シンの「魔術」を暴くことが野暮で無粋とは知りつつも、ここまで深く彼らのことを知っている人間は自分の他にはいないかもしれないという思い上がりから、この記事を書いた。
彼らは100年以上に渡る不思議な伝統を保持して生きる集団でありながら、これまであまりにも大切にされてこなかった。
インドでは100年以上にわたる伝統を守り続ける集団は珍しくもないと思うが、それにしても、技術を搾取され、今も不安定な身分で世界中を渡り歩いて暮らす彼らには、そろそろ正当な評価が与えられても良いのではないだろうか。
100年以上にわたってグローバリゼーションの波間に揺られてきたヨギ・シンたち。
果たして100年後も、世界中の街角で彼らに出会うことができるのだろうか。
ヨギ・シンについての、マジックの分野からの記事はひとまずこれでおしまい。
彼らには、これからもまた別の角度から迫ってみたいと思います。
そして、100年後と言わず、今すぐにでも彼らに再会したい。
強くそう願っています。
(続き。ヨギ・シンの謎に深く迫っていた謎の人物について)
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ヨギ・シンと会い、その不思議な技に驚かされた(そしてお金を巻き上げられた)人も、彼らが歴史ある流浪の占い師集団であることも、そのテクニックが今ではマジック界で広く取り入れられていることも知らないだろう。
ヨギ・シンの「魔術」を暴くことが野暮で無粋とは知りつつも、ここまで深く彼らのことを知っている人間は自分の他にはいないかもしれないという思い上がりから、この記事を書いた。
彼らは100年以上に渡る不思議な伝統を保持して生きる集団でありながら、これまであまりにも大切にされてこなかった。
インドでは100年以上にわたる伝統を守り続ける集団は珍しくもないと思うが、それにしても、技術を搾取され、今も不安定な身分で世界中を渡り歩いて暮らす彼らには、そろそろ正当な評価が与えられても良いのではないだろうか。
100年以上にわたってグローバリゼーションの波間に揺られてきたヨギ・シンたち。
果たして100年後も、世界中の街角で彼らに出会うことができるのだろうか。
ヨギ・シンについての、マジックの分野からの記事はひとまずこれでおしまい。
彼らには、これからもまた別の角度から迫ってみたいと思います。
そして、100年後と言わず、今すぐにでも彼らに再会したい。
強くそう願っています。
(続き。ヨギ・シンの謎に深く迫っていた謎の人物について)
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goshimasayama18 at 04:55|Permalink│Comments(5)
2019年12月24日
知られざる魔術大国インド ヨギ・シンの秘術にせまる(その1)
虹を見るとき、いつも思う。
もしこの現象が、空気中の水滴と光の屈折が引き起こしたものに過ぎないということを知らなかったら、どんなに感動できただろう、と。
この雨上がりの空にかかる色彩の橋が、神々や精霊のしわざかもしれないと思えたら、どんなに素晴らしいだろう。
学ぶのは大切なことだが、知れば知るほど、この世界から神秘は失われてゆく。
知りすぎた我々の周りからは、神や妖怪や精霊たちの居場所は失われ、我々は物質だけの味気ない世界で暮らすようになった。
それでもなお、この世界に残された謎の正体を知りたがってしまうのが人間の性というもので、何が言いたいのかというと、先日からしつこく書いているヨギ・シンのことなのである。
ネッシーもツチノコも人面犬も口裂け女も、もはや誰もまともに信じている人はいない今日、 ヨギ・シンは、この不思議が失われた世界の最後の謎とも言える存在なのだ。
しかも、他の謎や都市伝説と違って、「彼」は確実にこの世界に存在している。
ヨギ・シンを知らない人のために、「彼」の「発見」から出会いまでは、少し長くなるが以下を参照してほしい。
参照するのがめんどくさい方のために端折って書くと、占い師とも詐欺師ともつかない不思議なインド人との遭遇体験が、世界中で報告されているのだ。
「彼」は、じつに不思議な手口で人の心を読み、お金をだまし取って生計を立てている。
いや、だまし取ると言っては「彼」に失礼だ。
「彼」がしていることは、客観的に見て、一般的な占い師やマジシャンと変わらない。
トリックを使った技をさも超常現象のように見せかけることも、科学的根拠のない未来予想を告げてお金を要求することも、それだけで詐欺とは呼べないだろう。
欧米の都市で彼が'scam'(詐欺)と呼ばれる理由があるとしたら、事前に有料だと言わずに、「占い」のあとでお金を請求することと、お客が支払った金額に満足せず、さらにその何倍ものお金を請求することだと思うが、これは別に詐欺行為ではなく、単に欧米と南アジアの商習慣の違いである。
さらにお金を請求されても、それ以上払わなかったという人も、払わずに逃げたという人も何人もいるし、それに対して脅されたり暴力を振るわれたりしたという話は聞いたことがない。
かなり贔屓目な私の意見など参考にならないかもしれないが、彼はそんなに悪い男ではないのだ。
運良く(あるいは、運悪く)「彼」に出会ったとしよう。
「彼」はあなたに「君は幸運な顔をしている」などと声をかけてくる。
「彼」は小さな紙に何事かを書きつけると、それを丸めてあなたの手に握らせてから、あなたの好きな花や数字を尋ねる。
あなたがそれに答えると、「彼」は握りしめている紙を広げて読んでみるように言う。
すると、なんとそこには、さっきあなたが答えた通りの花の名前や数字が書かれている。
その後、さらに高度な質問(例えば、母親の名前など)を的中させたり、未来を占ったりしたうえで、その対価としてお金を要求するというのが、代表的な「彼」の手口だ。
古くはミャンマーで1950年代に出版された小説にその存在の記述があり、90年代にはノンフィクション作家の高野秀行さんがバンコクで遭遇している。(『辺境中毒!』という本にそのエピソードが書かれている)
インターネットが発達した2000年代以降、驚くべきことに、「彼」との遭遇はロンドン、シンガポール、メルボルン、ニューヨーク、トロントなど、世界中の都市で報告されている。
最新の報告は、数日前に日本人の青年が香港で遭遇したという事例だ。
ミャンマーの小説の舞台は1930年代だというから、少なくとも100年近い歴史のある占い(もしくは詐欺)ということになる。
「彼」は、名前を名乗るときも名乗らないときもあるが、名乗る時は必ず「ヨギ・シン」という名であることが分かっている。
「シン(Singh)」はシク教徒の男性ほぼ全員に名付けられるライオンを意味する名前で、「ヨギ」はヨガなどの行者を意味している。
自分はパンジャーブ出身であると言うこともあり、ターバンなど、シク教徒らしき特徴であることも多い。
(「シク教」は16世紀に現在のインド・パキスタンの国境地帯であるパンジャーブ地方で成立した宗教で、男性はターバンを着用することが教義に定められている。現在ではターバンを巻かないシク教徒もいる)
報告された時代と場所がこれだけ多岐にわたっているということは、長年にわたって同じ手口を生業とするグループが存在するということだ。
『インド通』という本を書いた大谷幸三氏によると、シク教徒のなかで、こうした辻占で生活する、低い身分とされている集団があるという。
だが、それ以上のことは何も分からない。
彼らは世界中に何人いるのか。
いつ頃から、彼らは存在しているのか。
海外に出てまで辻占をして、はたして採算は取れるのか。
そして、彼らの技術には、どんなトリックがあるのか。
彼らについて知りたいことはいくらでもあった。
そんな時、なんと「彼」が東京に現れたという情報が入った。
先月(2019年11月)のことだ。
様々な方からの情報が寄せられ(謎のインド人占い師と遭遇した人が検索して私のブログを見つけて、コメントを残してくれたのだ)、写真や遭遇地点の情報をもとに、私は出没報告のあった丸の内を捜索した。
そして、幾日にも渡る捜索の結果、私はついにヨギ・シンと思われる男と遭遇したのだ!
だが、「彼」の正体を知っていることをほのめかした私は警戒され、「彼」は何も語らずに立ち去ってしまった。
私は千載一遇のチャンスを逃してしまった。
まさか怪しいインド人に怪しい男扱いされるとは想像もしていなかったが、考えてみれば、海外で詐欺とも取れる行為をする彼らが警戒を怠らないのは当然のことだった。
もし私が警察や入国管理局の関係者だったとしたら、「彼」は拘束されたり、強制退去させられたりするかもしれない。
私は作戦を誤ったのだ。
その後、それまで何日も続いていた東京でのヨギ・シン遭遇報告はぱったりと途絶えてしまった。
報告によると、ターバンを巻いた初老の男、ターバンのないもう一人の初老の男、そして私が会った比較的若い男の、少なくとも3人のヨギ・シンが東京に来ていたはずだ。
彼らは正体を知っている人間がいることを恐れて、東京から去ってしまったのだろうか。
直接彼らと接触する術を失った私は、別の方面からの調査を行うことにした。
ヨギ・シンの最大の謎と言ってよい、不思議な「技」についての調査だ。
私は、彼の「技」と同じようなテクニックを、テレビか舞台でマジシャンが披露しているのを見た記憶があった。
彼の「技」と同じか、少なくともよく似た技術が、マジックのなかにあるはずだ。
彼の「技」のルーツが分かれば、彼らについてきっと何か分かることがある。
例えば、もし彼の「技」が20世紀前半にイギリスのマジシャンによって発明されたものだということが分かれば、彼らの技法はその時代にインドからイギリスに渡った移民によってコミュニティにもたらされたと推測できる。(実際、シク教徒はインド独立前後にイギリスに移民として渡った者が多かった)
私は、大型書店、図書館、そしてインターネットで、マジック関連の文献の中に手がかりがないか調べ始めた。
そこで改めて気づいたのは、マジックの種類というのは、数え切れないほど無数にあるということだ。
その一つ一つを調べて、彼の「技」との類似点がないかを確認するには、相当な労力と時間が必要だ。
それに、調べれば調べるほど、プロのマジシャンが行うマジックのタネが分かってしまうというデメリットもあった。
私はマジックを見るのが結構好きなのだ。
ヨギ・シンの秘密を探るためとはいえ、知りたくないマジックのタネまで知ってしまうというのはあまりにもむなしい。
マジックもまた、知ることでその神秘を失うのだ。
いずれにしても、多すぎるマジックのタネを、片っ端から調べてゆくのは効率が悪すぎる。
彼の「技」によく似た、数を的中させるマジックといえば、まず思い浮かぶのはカードマジックだ。
私は手始めにカードマジックから調べてゆくことにした。
すると、カードマジックのごく初歩的な部分のなかに、気になる言葉があるのを発見した。
カードマジックについて書かれた本に、「ヒンズー・シャッフル」という単語があったのだ。
「ヒンズー」はほぼ間違いなくヒンドゥー教のことだろう。
これはきっとなにかインドに関係があるに違いない。
調べてみると、我々日本人がトランプをシャッフルするときに行うごく一般的なやり方を、マジックの世界では「ヒンズー・シャッフル」と呼ぶということが分かった。
語源は、かつてインドのマジシャンたちがこのシャッフルを多用していたからだという。
インドのマジシャン。
私はその言葉を見つけて、はっとした。
なぜ今までその発想に至らなかったのだろう。
華やかなラスベガスなどのイメージから、私はマジックの本場といえばアメリカ、そしてそのルーツであるヨーロッパだとばかり考えていた。
だが、インドほどの歴史と文化を誇る土地であれば、そこに豊かな奇術の歴史があっても全くおかしくはないのだ。
調べてみると、インドはイブン・バットゥータが旅行記を著した13世紀から、世にも不思議な奇術を行うマジシャンたちの国として知られていたという。
そう、インドはかつて、マジック大国だったのだ。
とくにロープマジックについては深い歴史とバリエーションがあり、また誰もが見たことがあるであろう箱の中の人物に剣を刺すマジック(もともとは箱ではなく籠が使われていたようだ)も、寝たまま空中浮遊した(ように見える)人物にフラフープを通してみせるマジックも、その発祥の地はインドだという。
考えてみれば、インドほど怪しげでミステリアスな、マジックが似合う国は他にないのではないだろうか。
なにしろ、かのフーディーニも、そのキャリアの初期には顔を褐色に塗り、インド人の魔術師に見えるような演出をしていたという。
インドはむしろマジックの本場とも言える国なのだ。
インドの民衆が誇る知的財産とも言えるマジックは、悲しいことに、植民地支配や独立後の欧米との経済力の格差によって、先進国に流出してしまったのである。
皮肉なことに、悲願の独立を果たしたインド社会では、藩王国の解体によって、宮廷を舞台に活躍していた芸術家たちはパトロンを失ってしまった。
路上で生計を立てていた大道芸人たちも、近年の都市開発によって居場所を奪われ、もはやその文化は風前の灯火だという。
近代国家として歩みだしたインドに、マジシャンたちのための場所はほとんど残されていなかったのだ。
そもそも幼い頃から親族共同体のなかでともに暮らして修行する伝統的な手品師の生き方は、近代的な学校制度とも相入れないものだった。
さらに、映画やテレビといった新しい娯楽が、彼らの衰退に追い打ちをかける。
彼らの先祖から技術を盗んだ先進国のマジシャンたちは、今日もタキシードを着て、華やかなステージで洗練されたマジックを披露する。
着飾った観客たちのなかに、そのマジックのいくつかのルーツがインドにあると想像する人が、はたしているだろうか。
そう考えてみると、一度はインドから奪われたマジックという「文化遺産」を使って、先進国の都市で人々を幻惑してはお金を稼いでゆくヨギ・シンは、たとえ本人が意図していなかったとしても、インドの伝統にのっとったやり方で、文化的かつ歴史的なリベンジを果たしているとも考えられる。
長くなったうえに、話が迷走気味になってきたので、今回はここまで。
次回は、いよいよヨギ・シンの「技」の核心に迫る。
虹の神秘を失わずに、その本質を伝えるには、どう書いたものか。
(写真は丸の内の路上で11月に撮影されたターバン姿のヨギ・シン。彼を含め、少なくとも3名のグループが来日していたと思われる)
その他参考文献:前川道介(1991)『アブラカダブラ 奇術の世界史』白水社、Lee Siegel(1991)"Net of Magic : wonders and deceptions in India" The University of Chicago Press
参考ウェブサイト:https://qz.com/india/1330572/indian-magic-once-captivated-the-world-including-harry-houdini
他
(つづき)
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もしこの現象が、空気中の水滴と光の屈折が引き起こしたものに過ぎないということを知らなかったら、どんなに感動できただろう、と。
この雨上がりの空にかかる色彩の橋が、神々や精霊のしわざかもしれないと思えたら、どんなに素晴らしいだろう。
学ぶのは大切なことだが、知れば知るほど、この世界から神秘は失われてゆく。
知りすぎた我々の周りからは、神や妖怪や精霊たちの居場所は失われ、我々は物質だけの味気ない世界で暮らすようになった。
それでもなお、この世界に残された謎の正体を知りたがってしまうのが人間の性というもので、何が言いたいのかというと、先日からしつこく書いているヨギ・シンのことなのである。
ネッシーもツチノコも人面犬も口裂け女も、もはや誰もまともに信じている人はいない今日、 ヨギ・シンは、この不思議が失われた世界の最後の謎とも言える存在なのだ。
しかも、他の謎や都市伝説と違って、「彼」は確実にこの世界に存在している。
ヨギ・シンを知らない人のために、「彼」の「発見」から出会いまでは、少し長くなるが以下を参照してほしい。
参照するのがめんどくさい方のために端折って書くと、占い師とも詐欺師ともつかない不思議なインド人との遭遇体験が、世界中で報告されているのだ。
「彼」は、じつに不思議な手口で人の心を読み、お金をだまし取って生計を立てている。
いや、だまし取ると言っては「彼」に失礼だ。
「彼」がしていることは、客観的に見て、一般的な占い師やマジシャンと変わらない。
トリックを使った技をさも超常現象のように見せかけることも、科学的根拠のない未来予想を告げてお金を要求することも、それだけで詐欺とは呼べないだろう。
欧米の都市で彼が'scam'(詐欺)と呼ばれる理由があるとしたら、事前に有料だと言わずに、「占い」のあとでお金を請求することと、お客が支払った金額に満足せず、さらにその何倍ものお金を請求することだと思うが、これは別に詐欺行為ではなく、単に欧米と南アジアの商習慣の違いである。
さらにお金を請求されても、それ以上払わなかったという人も、払わずに逃げたという人も何人もいるし、それに対して脅されたり暴力を振るわれたりしたという話は聞いたことがない。
かなり贔屓目な私の意見など参考にならないかもしれないが、彼はそんなに悪い男ではないのだ。
運良く(あるいは、運悪く)「彼」に出会ったとしよう。
「彼」はあなたに「君は幸運な顔をしている」などと声をかけてくる。
「彼」は小さな紙に何事かを書きつけると、それを丸めてあなたの手に握らせてから、あなたの好きな花や数字を尋ねる。
あなたがそれに答えると、「彼」は握りしめている紙を広げて読んでみるように言う。
すると、なんとそこには、さっきあなたが答えた通りの花の名前や数字が書かれている。
その後、さらに高度な質問(例えば、母親の名前など)を的中させたり、未来を占ったりしたうえで、その対価としてお金を要求するというのが、代表的な「彼」の手口だ。
古くはミャンマーで1950年代に出版された小説にその存在の記述があり、90年代にはノンフィクション作家の高野秀行さんがバンコクで遭遇している。(『辺境中毒!』という本にそのエピソードが書かれている)
インターネットが発達した2000年代以降、驚くべきことに、「彼」との遭遇はロンドン、シンガポール、メルボルン、ニューヨーク、トロントなど、世界中の都市で報告されている。
最新の報告は、数日前に日本人の青年が香港で遭遇したという事例だ。
ミャンマーの小説の舞台は1930年代だというから、少なくとも100年近い歴史のある占い(もしくは詐欺)ということになる。
「彼」は、名前を名乗るときも名乗らないときもあるが、名乗る時は必ず「ヨギ・シン」という名であることが分かっている。
「シン(Singh)」はシク教徒の男性ほぼ全員に名付けられるライオンを意味する名前で、「ヨギ」はヨガなどの行者を意味している。
自分はパンジャーブ出身であると言うこともあり、ターバンなど、シク教徒らしき特徴であることも多い。
(「シク教」は16世紀に現在のインド・パキスタンの国境地帯であるパンジャーブ地方で成立した宗教で、男性はターバンを着用することが教義に定められている。現在ではターバンを巻かないシク教徒もいる)
報告された時代と場所がこれだけ多岐にわたっているということは、長年にわたって同じ手口を生業とするグループが存在するということだ。
『インド通』という本を書いた大谷幸三氏によると、シク教徒のなかで、こうした辻占で生活する、低い身分とされている集団があるという。
だが、それ以上のことは何も分からない。
彼らは世界中に何人いるのか。
いつ頃から、彼らは存在しているのか。
海外に出てまで辻占をして、はたして採算は取れるのか。
そして、彼らの技術には、どんなトリックがあるのか。
彼らについて知りたいことはいくらでもあった。
そんな時、なんと「彼」が東京に現れたという情報が入った。
先月(2019年11月)のことだ。
様々な方からの情報が寄せられ(謎のインド人占い師と遭遇した人が検索して私のブログを見つけて、コメントを残してくれたのだ)、写真や遭遇地点の情報をもとに、私は出没報告のあった丸の内を捜索した。
そして、幾日にも渡る捜索の結果、私はついにヨギ・シンと思われる男と遭遇したのだ!
だが、「彼」の正体を知っていることをほのめかした私は警戒され、「彼」は何も語らずに立ち去ってしまった。
私は千載一遇のチャンスを逃してしまった。
まさか怪しいインド人に怪しい男扱いされるとは想像もしていなかったが、考えてみれば、海外で詐欺とも取れる行為をする彼らが警戒を怠らないのは当然のことだった。
もし私が警察や入国管理局の関係者だったとしたら、「彼」は拘束されたり、強制退去させられたりするかもしれない。
私は作戦を誤ったのだ。
その後、それまで何日も続いていた東京でのヨギ・シン遭遇報告はぱったりと途絶えてしまった。
報告によると、ターバンを巻いた初老の男、ターバンのないもう一人の初老の男、そして私が会った比較的若い男の、少なくとも3人のヨギ・シンが東京に来ていたはずだ。
彼らは正体を知っている人間がいることを恐れて、東京から去ってしまったのだろうか。
直接彼らと接触する術を失った私は、別の方面からの調査を行うことにした。
ヨギ・シンの最大の謎と言ってよい、不思議な「技」についての調査だ。
私は、彼の「技」と同じようなテクニックを、テレビか舞台でマジシャンが披露しているのを見た記憶があった。
彼の「技」と同じか、少なくともよく似た技術が、マジックのなかにあるはずだ。
彼の「技」のルーツが分かれば、彼らについてきっと何か分かることがある。
例えば、もし彼の「技」が20世紀前半にイギリスのマジシャンによって発明されたものだということが分かれば、彼らの技法はその時代にインドからイギリスに渡った移民によってコミュニティにもたらされたと推測できる。(実際、シク教徒はインド独立前後にイギリスに移民として渡った者が多かった)
私は、大型書店、図書館、そしてインターネットで、マジック関連の文献の中に手がかりがないか調べ始めた。
そこで改めて気づいたのは、マジックの種類というのは、数え切れないほど無数にあるということだ。
その一つ一つを調べて、彼の「技」との類似点がないかを確認するには、相当な労力と時間が必要だ。
それに、調べれば調べるほど、プロのマジシャンが行うマジックのタネが分かってしまうというデメリットもあった。
私はマジックを見るのが結構好きなのだ。
ヨギ・シンの秘密を探るためとはいえ、知りたくないマジックのタネまで知ってしまうというのはあまりにもむなしい。
マジックもまた、知ることでその神秘を失うのだ。
いずれにしても、多すぎるマジックのタネを、片っ端から調べてゆくのは効率が悪すぎる。
彼の「技」によく似た、数を的中させるマジックといえば、まず思い浮かぶのはカードマジックだ。
私は手始めにカードマジックから調べてゆくことにした。
すると、カードマジックのごく初歩的な部分のなかに、気になる言葉があるのを発見した。
カードマジックについて書かれた本に、「ヒンズー・シャッフル」という単語があったのだ。
「ヒンズー」はほぼ間違いなくヒンドゥー教のことだろう。
これはきっとなにかインドに関係があるに違いない。
調べてみると、我々日本人がトランプをシャッフルするときに行うごく一般的なやり方を、マジックの世界では「ヒンズー・シャッフル」と呼ぶということが分かった。
語源は、かつてインドのマジシャンたちがこのシャッフルを多用していたからだという。
インドのマジシャン。
私はその言葉を見つけて、はっとした。
なぜ今までその発想に至らなかったのだろう。
華やかなラスベガスなどのイメージから、私はマジックの本場といえばアメリカ、そしてそのルーツであるヨーロッパだとばかり考えていた。
だが、インドほどの歴史と文化を誇る土地であれば、そこに豊かな奇術の歴史があっても全くおかしくはないのだ。
調べてみると、インドはイブン・バットゥータが旅行記を著した13世紀から、世にも不思議な奇術を行うマジシャンたちの国として知られていたという。
そう、インドはかつて、マジック大国だったのだ。
とくにロープマジックについては深い歴史とバリエーションがあり、また誰もが見たことがあるであろう箱の中の人物に剣を刺すマジック(もともとは箱ではなく籠が使われていたようだ)も、寝たまま空中浮遊した(ように見える)人物にフラフープを通してみせるマジックも、その発祥の地はインドだという。
考えてみれば、インドほど怪しげでミステリアスな、マジックが似合う国は他にないのではないだろうか。
なにしろ、かのフーディーニも、そのキャリアの初期には顔を褐色に塗り、インド人の魔術師に見えるような演出をしていたという。
インドはむしろマジックの本場とも言える国なのだ。
インドの民衆が誇る知的財産とも言えるマジックは、悲しいことに、植民地支配や独立後の欧米との経済力の格差によって、先進国に流出してしまったのである。
皮肉なことに、悲願の独立を果たしたインド社会では、藩王国の解体によって、宮廷を舞台に活躍していた芸術家たちはパトロンを失ってしまった。
路上で生計を立てていた大道芸人たちも、近年の都市開発によって居場所を奪われ、もはやその文化は風前の灯火だという。
近代国家として歩みだしたインドに、マジシャンたちのための場所はほとんど残されていなかったのだ。
そもそも幼い頃から親族共同体のなかでともに暮らして修行する伝統的な手品師の生き方は、近代的な学校制度とも相入れないものだった。
さらに、映画やテレビといった新しい娯楽が、彼らの衰退に追い打ちをかける。
彼らの先祖から技術を盗んだ先進国のマジシャンたちは、今日もタキシードを着て、華やかなステージで洗練されたマジックを披露する。
着飾った観客たちのなかに、そのマジックのいくつかのルーツがインドにあると想像する人が、はたしているだろうか。
そう考えてみると、一度はインドから奪われたマジックという「文化遺産」を使って、先進国の都市で人々を幻惑してはお金を稼いでゆくヨギ・シンは、たとえ本人が意図していなかったとしても、インドの伝統にのっとったやり方で、文化的かつ歴史的なリベンジを果たしているとも考えられる。
長くなったうえに、話が迷走気味になってきたので、今回はここまで。
次回は、いよいよヨギ・シンの「技」の核心に迫る。
虹の神秘を失わずに、その本質を伝えるには、どう書いたものか。
(写真は丸の内の路上で11月に撮影されたターバン姿のヨギ・シン。彼を含め、少なくとも3名のグループが来日していたと思われる)
その他参考文献:前川道介(1991)『アブラカダブラ 奇術の世界史』白水社、Lee Siegel(1991)"Net of Magic : wonders and deceptions in India" The University of Chicago Press
参考ウェブサイト:https://qz.com/india/1330572/indian-magic-once-captivated-the-world-including-harry-houdini
他
(つづき)
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goshimasayama18 at 00:47|Permalink│Comments(2)
2019年11月16日
ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その3)
これまでの「ヨギ・シン」シリーズ
1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」
5.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その2)」
目の前に、ずっと探し求めていた相手がいる。
2時間ほど前に「イチさん」から送られて来た画像に写っていた、口まわりから耳元まで短いヒゲを生やしたダークカラーのスーツの南アジア系の男。
今でも、自分が長年探し求めていた「彼」と東京で会えたということが信じられない。
だが、手元にあるイチさんから送られてきたターバン姿の「ヨギ・シン2」の画像と、「みょ」さんから送られてきた「彼」からもらったという黒い石の画像が、「彼」が実際に東京にいたという何よりの証拠だ。
(イチさんからは、私が遭遇した「ヨギ・シン3」の画像も送られてきているが、それはじかに接したときの彼の態度を考えて、公表は控える。ごくありふれたインド人の姿が写っている。)
最後に教訓。
もしあなたの住んでいる近くの街で、ヨギ・シンの出没情報があり、彼に会いに行こうと思ったら、
追記:ヨギ・シンのトリックの秘密にせまった続編はこちらです。
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1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」
5.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その2)」
目の前に、ずっと探し求めていた相手がいる。
2時間ほど前に「イチさん」から送られて来た画像に写っていた、口まわりから耳元まで短いヒゲを生やしたダークカラーのスーツの南アジア系の男。
世界中で遭遇体験が報告されている、人の心を読むことができる謎の占い師、「ヨギ・シン」の一人。
写真だとダークグレーに見えたスーツは、近くで見ると暗い色のチェック柄だ。
数日前から丸の内近辺に出没している「ヨギ・シン」(少なくとも3人いることが分かっている)は「あなたの顔からエネルギーが出ている」と声をかけてくるという報告を受けていた。
だが、彼が私に向かって発した第一声は、意外なことに「顔からエネルギー」ではなく、"How are you?"だった。
ここが肝心だ。
戸惑いを見せず、自分のペースを崩さず、話の主導権を握る必要がある。
インドの物売りや客引きが、観光客相手にそうするように。
「ああ、そうだ。私を知っているんだね。君の顔からエネルギーが出ているのを感じるよ」
そんな答えが来ることばかりを予想していた私は、次に彼が発した至極平凡な反応に、一瞬虚をつかれた。
「以前、会ったことがあったかな?」
まったく想定外の言葉だったが、ここは調子を合わせるしかない。
「ええ、私はあなたと会ったことがある」
意外にも、彼の顔に浮かんだのは、親密さではなく、わずかな困惑の表情だった。
「あなたはどこから来たんだ?いったい誰を探しているんだ?」
「ミスター・シン、私は日本人だ。あなたを探していたんだ」
「私といつ会った?」
彼は努めて平静を装っていたが、その口調からは焦りと困惑が高まっていることが感じられた。
「数日前に会ったじゃないか」
「実は、数日前に私の友達があなたに会ったんだ。あなたの話を聞いて、私もあなたに会いたいと思っていた。あなたは占い師のミスター・シンでしょう」
こう伝えれば、彼は警戒心を解いて、本来の占い師として私に接してくれるはずだった。
「いや、私は違う。あなたは誰を探しているんだ?」
まさかの否定。
「あなたは占い師のミスター・シンのはずだ。私の友人があなたに会っている。あなたは素晴らしい占い師だと聞いている」
「違う。私ではない」
彼が示しているのは、明確な「拒絶」。
「聞いてほしい。私は警察ではないし、決してあなたが詐欺師だなんて思ってはいない。私はただ、あなたがたの文化について知りたいだけなんだ。私の友人からあなたのことは聞いている。あなたは占い師でしょう。これは、あなたでしょう」
私は、最後の手段として、イチさんからスマホに送られて来た、通行人に声をかける彼の画像を見せた。
彼の表情に驚きの色が浮かぶ。
しばらく私のスマホを凝視したのち、彼は目線を逸らして、ふたたびこう答えた。
それとも、彼はそもそもヨギ・シンではなかったのか。
立ち去る彼は、少なくとも角を曲がるまでは、携帯電話で誰かに連絡するようなそぶりは見せなかった。
それならば、ダメモトでさっき会った男でもいい。
写真だとダークグレーに見えたスーツは、近くで見ると暗い色のチェック柄だ。
数日前から丸の内近辺に出没している「ヨギ・シン」(少なくとも3人いることが分かっている)は「あなたの顔からエネルギーが出ている」と声をかけてくるという報告を受けていた。
だが、彼が私に向かって発した第一声は、意外なことに「顔からエネルギー」ではなく、"How are you?"だった。
ここが肝心だ。
戸惑いを見せず、自分のペースを崩さず、話の主導権を握る必要がある。
インドの物売りや客引きが、観光客相手にそうするように。
「ファイン。あなたは、占い師のミスター・シンでしょう」
私は笑顔のまま右手を差し出し、握手を求めた。
彼が反射的に出した右手を握り返す。
図々しくもフレンドリーなインドの商売人と渡り合うなら、こちらも同じくらい図々しくネゴシエーションをする必要がある。
そうすれば、向こうも負けじと馴れ馴れしく接してくるはずだ。
彼が反射的に出した右手を握り返す。
図々しくもフレンドリーなインドの商売人と渡り合うなら、こちらも同じくらい図々しくネゴシエーションをする必要がある。
そうすれば、向こうも負けじと馴れ馴れしく接してくるはずだ。
「ああ、そうだ。私を知っているんだね。君の顔からエネルギーが出ているのを感じるよ」
そんな答えが来ることばかりを予想していた私は、次に彼が発した至極平凡な反応に、一瞬虚をつかれた。
「以前、会ったことがあったかな?」
まったく想定外の言葉だったが、ここは調子を合わせるしかない。
笑顔を崩さずに淀みなく答える。
「ええ、私はあなたと会ったことがある」
意外にも、彼の顔に浮かんだのは、親密さではなく、わずかな困惑の表情だった。
少し焦ったような口調で、彼が問いかける。
「あなたはどこから来たんだ?いったい誰を探しているんだ?」
「ミスター・シン、私は日本人だ。あなたを探していたんだ」
「私といつ会った?」
彼は努めて平静を装っていたが、その口調からは焦りと困惑が高まっていることが感じられた。
「数日前に会ったじゃないか」
私はつとめてフレンドリーに、適当な出任せを口にした。
インドで初対面なのに「ハロー、フレンド」と話しかけてくる路上の人々のように。
インドで初対面なのに「ハロー、フレンド」と話しかけてくる路上の人々のように。
それでも、彼の慎重な姿勢は変わらない。
「どこで私に会ったんだ?」
彼の表情に警戒心が浮かぶ。
私には敵意も悪意も、金をだまし取ろうという気もない。
これ以上適当な嘘の続きも思いつかず、少しだけ正直に、こちらの意図を伝えることにした。
彼の表情に警戒心が浮かぶ。
私には敵意も悪意も、金をだまし取ろうという気もない。
これ以上適当な嘘の続きも思いつかず、少しだけ正直に、こちらの意図を伝えることにした。
「実は、数日前に私の友達があなたに会ったんだ。あなたの話を聞いて、私もあなたに会いたいと思っていた。あなたは占い師のミスター・シンでしょう」
こう伝えれば、彼は警戒心を解いて、本来の占い師として私に接してくれるはずだった。
この奇妙な日本人は、あなたの上客なのだ。
ところが、彼の反応はまたしても予想外のものだった。
ところが、彼の反応はまたしても予想外のものだった。
「いや、私は違う。あなたは誰を探しているんだ?」
まさかの否定。
まだこちらのフレンドリーさが足りなかったんだろうか。
笑顔を崩さずに、さらに図々しくたたみかける。
笑顔を崩さずに、さらに図々しくたたみかける。
「あなたは占い師のミスター・シンのはずだ。私の友人があなたに会っている。あなたは素晴らしい占い師だと聞いている」
「違う。私ではない」
彼が示しているのは、明確な「拒絶」。
はぐらかされた時やすっとぼけられた時にどう対応するか、予想以上の高額の料金を請求された時にどうやり過ごすかは事前に準備していた。
しかし向こうが拒絶したときへの対応は、全く考えていなかった。
この時点で、私はなお、自分に敵意がないこと、そして、彼の正体を知っていることを伝えれば、彼が心を開いて、話をしてくれるものと信じていた。
「聞いてくれ、私はあなたに敵意はない。あなたを占い師としてリスペクトしている。占い師のミスター・シン。話を聞かせてくれ」
「違う」
この時点で、私はなお、自分に敵意がないこと、そして、彼の正体を知っていることを伝えれば、彼が心を開いて、話をしてくれるものと信じていた。
「聞いてくれ、私はあなたに敵意はない。あなたを占い師としてリスペクトしている。占い師のミスター・シン。話を聞かせてくれ」
「違う」
彼は今にも立ち去りそうなそぶりを見せた。
なんとしても引き止めなければ。
なんとしても引き止めなければ。
そして、心を閉ざす彼に、正確に意図を伝えなければ。
「聞いてほしい。私は警察ではないし、決してあなたが詐欺師だなんて思ってはいない。私はただ、あなたがたの文化について知りたいだけなんだ。私の友人からあなたのことは聞いている。あなたは占い師でしょう。これは、あなたでしょう」
私は、最後の手段として、イチさんからスマホに送られて来た、通行人に声をかける彼の画像を見せた。
きっと、もう言い逃れができないことが分かれば、諦めて占い師として接してくれるはずだ。
そう思っていた。
彼の表情に驚きの色が浮かぶ。
しばらく私のスマホを凝視したのち、彼は目線を逸らして、ふたたびこう答えた。
「違う」
そう言うと、彼は向きを変え、東京国際フォーラムの中庭を南に向かって歩いてゆき、一度も振り返らずに、歩道を右に曲がって、姿を消した。
あまりにも明確な拒絶に、私は立ち去る彼を呆然と眺めることしかできなかった。
あまりにも明確な拒絶に、私は立ち去る彼を呆然と眺めることしかできなかった。
いったい何が起きたのか、まったく理解できなかった。
ただ千載一遇のチャンスを完全に棒に降ってしまったことだけは分かった。
彼は、自分が占い師だということを明確に否定した。
もしかして、イチさんが送ってきた写真の男とは別人だったのだろうか。
今話した男はチェックのジャケットを着ていた。
送られてきた画像の男のジャケットは、無地のダークグレーに見える。
別人であってほしい。
祈りながら画像を拡大してみると、写真の男が着ているのは、やはり先ほど間近に見たのと同じ、暗い色のチェック柄のジャケットだった。
それとも、彼はそもそもヨギ・シンではなかったのか。
だが、それなら最初に「占い師のミスター・シン」と話しかけた時点で、はっきりと否定していたはずだ。
あの時彼は「以前会ったことがあったかな」と反応した。
自分はシンではない、とか、占い師ではなくエンジニアだ、とか言うのでもなく、いつ、どこで会ったかということを執拗に尋ねてきた。
それに、彼はイチさんから送られてきた写真の中でも、私と話す前も、通行人に声をかけていた。
彼がヨギ・シンであることはやはり間違いないだろう。
立ち去る彼は、少なくとも角を曲がるまでは、携帯電話で誰かに連絡するようなそぶりは見せなかった。
もし彼が、自分たちの正体を知っている人間が探し回っていることを脅威だと感じたのなら(彼の態度はそれを物語っていた)、まず仲間に伝えるはずだ。
すぐに電話を出さなかったところを見ると、彼らが日本で使える携帯電話を持っていない可能性もある。
彼は南側に歩いて行った。
これまで報告されているヨギ・シンとの遭遇地点で国際フォーラムより南側にあるのは、日生劇場だけだ。
彼らは少なくとも3人はいるはずだ。
もし彼が日生劇場付近にいる仲間に状況を報告しに行くとしても、国際フォーラムより北にある丸の内仲通りや二重橋付近、大手町にはまだもう1人のヨギ・シンがいるかもしれない。
私の希望はもはやそれしか残されていなかった。
丸の内、二重橋、大手町。
大手町、二重橋、丸の内。
目を凝らしながら、遭遇報告のあった場所を何度も往復した。
スーツ姿の日本人男性の黒い髪を、何度も黒いターバンに見間違えた。
だが、ヨギ・シンはいない。
捜索する通りを広げても、ターバンの男も、50歳くらいのインド人も全く見当たらない。
捜索する通りを広げても、ターバンの男も、50歳くらいのインド人も全く見当たらない。
今日はこのエリアにはいないのか。
それならば、ダメモトでさっき会った男でもいい。
もう一度しっかりと話せば、何か教えてくれるかもしれない。
ほんの僅かな可能性にかけてみたかった。
ふたたび国際フォーラム、日生劇場前。
前日に報告があったシャンテ周辺。
だが、どんなに歩いても、彼も、別のヨギ・シンらしき男もいなかった。
日が落ち、とても彼のトリックができない暗さになった頃、私は完全に失敗したということをようやく理解した。
それにしても、彼の態度はいったい何だったのだろうか。
彼とのやりとりは、実際はもっと長く、彼は私に少なくとも2回以上「どこから来たんだ?(Where are you from?)」と尋ねてきた。
そのたびに、私は'from Japan'と答えたが、彼は、例えば私が警察のような組織から来た人間なのか、なぜ自分のことを知っているのか、と聞きたかったのかもしれない。
あるいは、彼が日本に来る前に、別の国で会ったことがあると思ったのか。
世界中で人々に声をかけて、口八丁手八丁で金をせしめるタフな男。
天皇即位の祭典で厳重な警備が敷かれた丸の内でも、構わずにその商売を行う豪胆な男。
ヨギ・シンは話好きで、口の上手い男だとばかり思っていた。
だが、私が話しかけた男は、最後まで警戒心を解かない、慎重で猜疑心の強い人物だった。
そして、明確な拒絶。
普通、自分から客に声をかけて稼いでいる占い師が「あなたは占い師ですよね」と声をかけられたなら、これ以上ないチャンスのはずである。
だが、彼は自分が占い師であることを完全に否定した。
ただ頑なにNoだけを繰り返した。
このことが意味するのは、彼が、自分のしているのは占いではなく詐欺行為である、少なくともバレてはまずい行いであると認識しているということだ。
そして、その占い/詐欺行為は、彼がどんなことをするか知らない人間にしか通用しないということを、よく理解しているのだ。
遠い異国で、違法スレスレ(もしくは違法)なことをして働くということは、想像以上にシビアなのだろう。
ひとつ間違えれば、逮捕や拘束、強制送還ということもありうる。
彼らが、自分たちのことを嗅ぎ回る人間に対して、慎重すぎるくらい慎重になるのは、考えれば分かることだった。
彼らが、自分たちのことを嗅ぎ回る人間に対して、慎重すぎるくらい慎重になるのは、考えれば分かることだった。
それにしても、そこまでの危険を冒す価値があるほど、この「ビジネス」は身入りが良いのだろうか。
他の南アジア系の労働者のように、インド料理店で働いたり肉体労働をするよりも効率的なものなのだろうか(さすがにITやエンジニアのスキルがあれば、この辻占はやらないだろうが)。
他の南アジア系の労働者のように、インド料理店で働いたり肉体労働をするよりも効率的なものなのだろうか(さすがにITやエンジニアのスキルがあれば、この辻占はやらないだろうが)。
これもぜひ聞いてみたかった。
あるいは、代々占いを生業にしてきた彼らは、単に他の生き方を知らないだけなのかもしれない。そう考えると、彼の拒絶反応は、先祖代々が守り通してきた商売の秘密、そして今も世界中で働く仲間たちが守り通している彼らの「占い」の秘密を守るためのものだったのかもしれない。
あの頑なな態度は何かに似ていると思ったが、それはインドであやしい男に声をかけられ、絶対に関わりたくないと感じた時の自分の態度そのものだった。
あの完全な拒絶は、自分の身を守るものが何一つない外国で、自分の身を脅かすかもしれない人物、自分からなにかを奪おうとしている人物に対する態度だった。
私が彼に出会うまで、毎日のように寄せられていたヨギ・シンとの遭遇報告は、その後、一件もない。
今でも、自分が長年探し求めていた「彼」と東京で会えたということが信じられない。
だが、手元にあるイチさんから送られてきたターバン姿の「ヨギ・シン2」の画像と、「みょ」さんから送られてきた「彼」からもらったという黒い石の画像が、「彼」が実際に東京にいたという何よりの証拠だ。
(イチさんからは、私が遭遇した「ヨギ・シン3」の画像も送られてきているが、それはじかに接したときの彼の態度を考えて、公表は控える。ごくありふれたインド人の姿が写っている。)
私の手には、握手した時の彼の手の感覚が残っている。
それは、堅くも柔らかくもなく、温かくも冷たくもない、ただただ普通の手だった。
最後に教訓。
もしあなたの住んでいる近くの街で、ヨギ・シンの出没情報があり、彼に会いに行こうと思ったら、
- それらしき人物を見つけても、決して自分から話しかけてはいけない
- 声をかけられるのを待つしかない
- 顔からエネルギーを出そうとする必要は、たぶんない(むしろ、信じやすそうな雰囲気を出した方が声をかけられやすいかもしれない)
- 「彼」のことを聞きたかったら、まずは何も知らないふりをして占いを受け、そのあとに少しずつ聞くのが良いだろう
- 詮索するような態度は見せない方が良い
- 彼はお金のためにやっているのだから、謝礼をはずむと言えば、何か教えてくれるかもしれない
私は自分こそが理解者だと思って接したが、結局私は「彼」に警戒され、逃げられただけだった。
自分の愚かさを痛感している。
これからも、「彼」については調べてゆきたいが、今回のヨギ・シン捜索記はひとまずこれまでとなるのではないかと思う。
続編が書けることを期待している。
もし、この謎のインド人占い師について、何か情報があったら、どんな些細なことでもお寄せください。自分の愚かさを痛感している。
これからも、「彼」については調べてゆきたいが、今回のヨギ・シン捜索記はひとまずこれまでとなるのではないかと思う。
続編が書けることを期待している。
追記:ヨギ・シンのトリックの秘密にせまった続編はこちらです。
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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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2019年11月14日
ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その2)
これまでの「ヨギ・シン」シリーズはこちらから!
1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」
11月11日(月)、ブログに新たなヨギ・シンとの遭遇情報が寄せられた。
「タカノY」さんからの情報は、7日(木)にイチさんが二重橋付近で目撃したターバン姿の「ヨギ・シン2」と思われる男との遭遇報告だった。
これまで、同様のトリックを使うインド人占い師が海外でその名を名乗っていたことから、便宜上「ヨギ・シン」と呼んできたが、これで「彼」が正真正銘のヨギ・シンであることが判明した。
「彼」はヨギとしか名乗っていないが、シク教徒の男性は、必ず「シン」(Singh)という名前も持つことになっているからだ。
(例:タイガー・ジェット・シン、ランヴィール・シンなど。Singhは日本では通例シンと書かれるが、原音に近く書くならスィンもしくはスィンフ、スィング)
お金を払わずに立ち去ることができたという事例も初の報告だ。
聞けば、タカノYさんはかつて海外旅行中に現金を取られたことがあったそうで、今回も反射的に警戒心が働いたようだ。
ここで、これまでに報告のあった11月6日以降の7件の事例をA〜Fのアルファベットで地図にプロットしてみた。
A地点は、11月6日(水)に最初の遭遇報告があった場所で、「イチさん」がスーツ姿でターバン無しの「ヨギ・シン1」に声をかけられた東京国際フォーラム前だ。
B地点は、翌日7日(木)に「イチさん」が、スーツにターバン姿の「ヨギ・シン2」を目撃した二重橋付近。
C地点は、A地点と同じ国際フォーラム前で、「Nさん」が8日(金)に声をかけられている。
1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」
11月11日(月)、ブログに新たなヨギ・シンとの遭遇情報が寄せられた。
「タカノY」さんからの情報は、7日(木)にイチさんが二重橋付近で目撃したターバン姿の「ヨギ・シン2」と思われる男との遭遇報告だった。
昨日、14:30頃丸の内中通り明治生命本社裏で出会いました。上下黒のスーツにターバンといういでたちでヨギと名乗っていました。英会話は苦手ですが言ってることの内容はブログに書かれていることと同じ内容でした。私の場合は好きな色を当て、お金の話をされたので直感的にノーマネーを繰り返し足早に立ち去り被害には会いませんでした。満を持してと言うべきか、今回の一連の報告のなかで、初めて「彼」がその名前を明かしている。
これまで、同様のトリックを使うインド人占い師が海外でその名を名乗っていたことから、便宜上「ヨギ・シン」と呼んできたが、これで「彼」が正真正銘のヨギ・シンであることが判明した。
「彼」はヨギとしか名乗っていないが、シク教徒の男性は、必ず「シン」(Singh)という名前も持つことになっているからだ。
(例:タイガー・ジェット・シン、ランヴィール・シンなど。Singhは日本では通例シンと書かれるが、原音に近く書くならスィンもしくはスィンフ、スィング)
お金を払わずに立ち去ることができたという事例も初の報告だ。
聞けば、タカノYさんはかつて海外旅行中に現金を取られたことがあったそうで、今回も反射的に警戒心が働いたようだ。
ここで、これまでに報告のあった11月6日以降の7件の事例をA〜Fのアルファベットで地図にプロットしてみた。
A地点は、11月6日(水)に最初の遭遇報告があった場所で、「イチさん」がスーツ姿でターバン無しの「ヨギ・シン1」に声をかけられた東京国際フォーラム前だ。
B地点は、翌日7日(木)に「イチさん」が、スーツにターバン姿の「ヨギ・シン2」を目撃した二重橋付近。
C地点は、A地点と同じ国際フォーラム前で、「Nさん」が8日(金)に声をかけられている。
「ヨギ・シン1」か「ヨギ・シン2」かは不明だが、ターバン姿であれば印象に残るはずなので、おそらくタイプ1の「彼」ではないかと思う。
D地点は日生劇場前。
Nさんと同じ8日(金)に、TKさんが声をかけられた場所だ。
こちらもタイプ1か2かは不明だが、「あなたの顔からエネルギーが出ている」という声のかけ方はイチさんの報告と同様であり、タイプ1の可能性が高い。
今回の報告事例でもっとも南側での遭遇となる。
E地点は、10日(日)に「みょ」さんが遭遇した場所で、報告事例の中でもっとも北に位置している。
後のやりとりで、F地点のタカノYさんの報告と同様、ターバンを巻いたタイプ2であることが判明。
この事例では、「みょ」さんの機転で生まれた年を1年サバを読んで伝えると、「彼」は実際の誕生年ではなく、「みょ」さんが言った年を的中させたという。
これで、彼に真実を言い当てる超能力があるのではなく、発言した言葉を的中させているだけだということが分かった(それでも十分に不思議ではあるが)。
興味深いことに、「みょ」さんは占いのあとに「黒い石」をもらったという。
実は、「黒い石」については以前Twitter経由で複数の方から報告をいただいたことがある。
その時の報告によると、20年ほど前に、バンコクの安宿街カオサンの裏通りで、近親者の名前や数字を「彼」に次々と当てられたそうで、しかも、「彼」による予言(NYに行くことになる、恋人ができる、等)がその後実際に的中したそうだ。
その後、その石は紛失してしまったそうだが、もしかしたら「みょ」さんがもらったものと同じようなものだったのかもしれない。
(2019年5月19日のTweet参照)
F地点は、先ほど紹介した10日(日)にタカノYさんが「彼」と出会った場所。
この地図を見て分かる通り、これまでの遭遇情報は、すべて線路の西側である。
9日(土)の捜索では、八重洲、日本橋、銀座といった線路東側のエリアも回ってみたのだが、どうやら「彼」は線路の東側には一度も足を踏み入れていないようだ。
彼の出没範囲は、かなり狭いエリアに限られているということが分かった。
この範囲内を重点的に捜索すれば、おそらく確実に「彼」と出会えるはずだ。
D地点は日生劇場前。
Nさんと同じ8日(金)に、TKさんが声をかけられた場所だ。
こちらもタイプ1か2かは不明だが、「あなたの顔からエネルギーが出ている」という声のかけ方はイチさんの報告と同様であり、タイプ1の可能性が高い。
今回の報告事例でもっとも南側での遭遇となる。
E地点は、10日(日)に「みょ」さんが遭遇した場所で、報告事例の中でもっとも北に位置している。
後のやりとりで、F地点のタカノYさんの報告と同様、ターバンを巻いたタイプ2であることが判明。
この事例では、「みょ」さんの機転で生まれた年を1年サバを読んで伝えると、「彼」は実際の誕生年ではなく、「みょ」さんが言った年を的中させたという。
これで、彼に真実を言い当てる超能力があるのではなく、発言した言葉を的中させているだけだということが分かった(それでも十分に不思議ではあるが)。
興味深いことに、「みょ」さんは占いのあとに「黒い石」をもらったという。
実は、「黒い石」については以前Twitter経由で複数の方から報告をいただいたことがある。
その時の報告によると、20年ほど前に、バンコクの安宿街カオサンの裏通りで、近親者の名前や数字を「彼」に次々と当てられたそうで、しかも、「彼」による予言(NYに行くことになる、恋人ができる、等)がその後実際に的中したそうだ。
その後、その石は紛失してしまったそうだが、もしかしたら「みょ」さんがもらったものと同じようなものだったのかもしれない。
(2019年5月19日のTweet参照)
F地点は、先ほど紹介した10日(日)にタカノYさんが「彼」と出会った場所。
この地図を見て分かる通り、これまでの遭遇情報は、すべて線路の西側である。
9日(土)の捜索では、八重洲、日本橋、銀座といった線路東側のエリアも回ってみたのだが、どうやら「彼」は線路の東側には一度も足を踏み入れていないようだ。
彼の出没範囲は、かなり狭いエリアに限られているということが分かった。
この範囲内を重点的に捜索すれば、おそらく確実に「彼」と出会えるはずだ。
私は、緊張感とともに、奇妙なプレッシャーを感じた。
ひとつめは、これまでおそらく(当事者以外)誰も知ることができなかった謎を、自分の手で解明してしまうかもしれないという緊張感。
ひとつめは、これまでおそらく(当事者以外)誰も知ることができなかった謎を、自分の手で解明してしまうかもしれないという緊張感。
「撰ばれてあることの恍惚と不安、二つ我に有り」というやつだ。
そしてより大きな重圧は、果たして、自分がやろうとしていることが「彼」らのためになるのだろうか、という疑問だった。
大谷幸三氏の「インド通」によると、「彼」らは、インドでは自らの生業を恥じるほどに低い身分の存在だという。
そうした人々が秘密としてきたことを、(読者数の少ないブログとはいえ)自分なんかが興味本位で暴き、白日のもとに晒してしまってよいのだろうか。
一方で、私なりの考えもあった。
英語による海外でのヨギ・シン遭遇報告を読むと、ほとんどの報告で、「詐欺(scam)」という言葉が使われている。
「メルボルンでこういう手口の詐欺が頻発、気をつけて!」というように。
詐欺と呼ぶ側の気持ちも分かる。
最初に有料であることを提示せず、頼んでもいないサービスを提供したあとで料金を請求する(しかも、支払った金額では足りないと主張し、それ以上の料金を求める)という行為は、インドではよくある話でも、欧米や日本の感覚では詐欺と呼ばれても仕方がない。
けれども私は、ヨギ・シンの洗練された話術やテクニックに、単純に詐欺として片付けてしまうには惜しい何かを感じていた。
誰にも価値を認められぬまま消え去ろうとしている「伝統」とでも言うべきものが、そこにはある。
世界中のネット掲示板で、すでにヨギ・シンについては少なくない情報が書かれている。
(報告の件数の多さのわりに、書かれているのはその名前と不思議な手口くらいだが)
遅かれ早かれ、「彼」の存在はもっと広く知られ、その謎が暴かれる日が来るだろう。
それならば、「彼」をただの詐欺師として見ているのではなく、その洗練された技法にある種の敬意を持っている自分こそが、この仕事をやるべきなのではないだろうか。
そうした人々が秘密としてきたことを、(読者数の少ないブログとはいえ)自分なんかが興味本位で暴き、白日のもとに晒してしまってよいのだろうか。
一方で、私なりの考えもあった。
英語による海外でのヨギ・シン遭遇報告を読むと、ほとんどの報告で、「詐欺(scam)」という言葉が使われている。
「メルボルンでこういう手口の詐欺が頻発、気をつけて!」というように。
詐欺と呼ぶ側の気持ちも分かる。
最初に有料であることを提示せず、頼んでもいないサービスを提供したあとで料金を請求する(しかも、支払った金額では足りないと主張し、それ以上の料金を求める)という行為は、インドではよくある話でも、欧米や日本の感覚では詐欺と呼ばれても仕方がない。
けれども私は、ヨギ・シンの洗練された話術やテクニックに、単純に詐欺として片付けてしまうには惜しい何かを感じていた。
誰にも価値を認められぬまま消え去ろうとしている「伝統」とでも言うべきものが、そこにはある。
世界中のネット掲示板で、すでにヨギ・シンについては少なくない情報が書かれている。
(報告の件数の多さのわりに、書かれているのはその名前と不思議な手口くらいだが)
遅かれ早かれ、「彼」の存在はもっと広く知られ、その謎が暴かれる日が来るだろう。
それならば、「彼」をただの詐欺師として見ているのではなく、その洗練された技法にある種の敬意を持っている自分こそが、この仕事をやるべきなのではないだろうか。
こんな考えは思い上がりだろうか。
そんなことを思いながら、私は再び丸の内に向かった。
その日は仕事の休みを取っており、ほぼ終日をヨギ・シン捜索に時間を費やすことができた。
そんなことを思いながら、私は再び丸の内に向かった。
その日は仕事の休みを取っており、ほぼ終日をヨギ・シン捜索に時間を費やすことができた。
午前中の捜索は、空振り。
昼時に一件別の場所での用事を済ませ、昼食を食べ終わった頃に、「イチさん」からメッセージが届いていることに気づいた。
ふと、前方20メートルほどのところに、私と同じように、何かを探すかのように周囲を見渡しながら歩いている人物がいることに気がついた。
間違いない。
なんと、国際フォーラム付近で、ヨギ・シン1ともヨギ・シン2とも違う第三の「彼」が現れたというのだ。
メッセージには、通行人に声をかける30代〜40代くらいに見えるインド人風の男の写真が添付されていた。
その男は濃い色のスーツに身を包み、もみあげから口のまわりまで短い髭を生やしている。
メッセージには、通行人に声をかける30代〜40代くらいに見えるインド人風の男の写真が添付されていた。
その男は濃い色のスーツに身を包み、もみあげから口のまわりまで短い髭を生やしている。
その姿を目に焼き付けると、私は最寄駅から電車に乗り、国際フォーラムを目指した。
「彼」に会ったら聞きたいことは、すでに心に決めていた。
「彼」のコミュニティーについて。
「彼」に会ったら聞きたいことは、すでに心に決めていた。
「彼」のコミュニティーについて。
「彼」の家族について。
そして、「彼」自身について。
聞くだけではなく、私が彼らの伝統に対してリスペクトの気持ちを持っていることも伝えたかった。
できれば、連絡先を交換したりもしたい。
例えば日本の「ナマステ・インディア」みたいなイベントに彼らが出演したら、「彼」は詐欺師扱いではなく、正当な敬意と称賛を得られるのではないだろうか。
そんなアイデアを「彼」に伝えられたら、そして、実際に日本でのイベントで、ヨギ・シンの占いの実演ができたら、どんなに素晴らしいだろう。
東京駅で電車を降り、丸の内南口から東京国際フォーラムを目指す。
線路沿いの道を南に歩くと、やがてガラス張りの国際フォーラムの威容が目に入る。
イチさんから送られて来た画像には、国際フォーラム周辺と思われる歩道で、通行人に声をかけている「彼」の姿が映っていた。
できれば、連絡先を交換したりもしたい。
例えば日本の「ナマステ・インディア」みたいなイベントに彼らが出演したら、「彼」は詐欺師扱いではなく、正当な敬意と称賛を得られるのではないだろうか。
そんなアイデアを「彼」に伝えられたら、そして、実際に日本でのイベントで、ヨギ・シンの占いの実演ができたら、どんなに素晴らしいだろう。
東京駅で電車を降り、丸の内南口から東京国際フォーラムを目指す。
線路沿いの道を南に歩くと、やがてガラス張りの国際フォーラムの威容が目に入る。
イチさんから送られて来た画像には、国際フォーラム周辺と思われる歩道で、通行人に声をかけている「彼」の姿が映っていた。
目指すべき人物像は分かっている。
まずは、線路を背に、北側から国際フォーラム周囲の歩道を、ゆっくりと反時計回りに回ってゆく。
多くの人が行き交うフォーラム北側の通りに、「彼」の姿はない。
左に曲がり、フォーラム西側の道に入ると、人通りはぐっと少なくなる。
注意しつつ南下するが、ここにも「彼」はいない。
フォーラムの南側まで来たが、「彼」は見当たらなかった。
イチさんの報告から到着まで2時間あまり。
多くの人が行き交うフォーラム北側の通りに、「彼」の姿はない。
左に曲がり、フォーラム西側の道に入ると、人通りはぐっと少なくなる。
注意しつつ南下するが、ここにも「彼」はいない。
フォーラムの南側まで来たが、「彼」は見当たらなかった。
イチさんの報告から到着まで2時間あまり。
その間に「彼」は姿を消してしまったのか。
またしても間に合わなかったのだろうか。
南側の通りから、東西二つの建物に別れた国際フォーラムの中庭に入る。
ここにはたくさんのベンチが並んでいて、人通りも多く、以前から「彼」がいてもおかしくないと思っていた場所だ。
この時も、中庭のベンチは半分ほどが埋まっており、フォーラム内のさまざまなホールやショップに向かう人々が行き交っていた。
慎重に、中庭全体に、視線を巡らせてゆく。
南側の通りから、東西二つの建物に別れた国際フォーラムの中庭に入る。
ここにはたくさんのベンチが並んでいて、人通りも多く、以前から「彼」がいてもおかしくないと思っていた場所だ。
この時も、中庭のベンチは半分ほどが埋まっており、フォーラム内のさまざまなホールやショップに向かう人々が行き交っていた。
慎重に、中庭全体に、視線を巡らせてゆく。
ふと、前方20メートルほどのところに、私と同じように、何かを探すかのように周囲を見渡しながら歩いている人物がいることに気がついた。
ダークカラーのスーツ姿を着た、短い髭に覆われた顔の南アジア系の男が、あたりに視線を配りながら、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来る。
さきほどイチさんが画像を送ってきた男に、とてもよく似ている。
間違いない。
第三の「彼」だ。
その男は、近くを歩いていた初老の男性に突然声をかけた。
呼びかけられた男性は、少し驚いた表情を見せた後、困惑したような笑みを見せながら、何かを断るしぐさをした。
もし急に見知らぬ外国人に「あなたの顔からエネルギーが出ている」とか「好きな色や数字を教えて欲しい」と声をかけられたら、きっとこんな反応をするはずだ。
あるいは、英語が得意でなく、分からないと答えたのかもしれない。
私はゆっくりと「彼」に近づいていった。
「彼」は拒否の姿勢を示した初老の男性を引き止めるのをあきらめ、再びこちらに向きを変えた。
そのとき、「彼」と私の目があった。
私はここぞとばかりに顔からエネルギーを出そうとした。
その気持ちが通じたかのように、「彼」がこちらに向かって歩いてくる。
5メートル、4メートル、3メートル…。
私は「彼」に敵意はないことを示すべく微笑みかけた。
「彼」はもう手を伸ばせば触れられそうな距離にいる。
その男は、近くを歩いていた初老の男性に突然声をかけた。
呼びかけられた男性は、少し驚いた表情を見せた後、困惑したような笑みを見せながら、何かを断るしぐさをした。
もし急に見知らぬ外国人に「あなたの顔からエネルギーが出ている」とか「好きな色や数字を教えて欲しい」と声をかけられたら、きっとこんな反応をするはずだ。
あるいは、英語が得意でなく、分からないと答えたのかもしれない。
私はゆっくりと「彼」に近づいていった。
「彼」は拒否の姿勢を示した初老の男性を引き止めるのをあきらめ、再びこちらに向きを変えた。
そのとき、「彼」と私の目があった。
私はここぞとばかりに顔からエネルギーを出そうとした。
その気持ちが通じたかのように、「彼」がこちらに向かって歩いてくる。
5メートル、4メートル、3メートル…。
私は「彼」に敵意はないことを示すべく微笑みかけた。
「彼」はもう手を伸ばせば触れられそうな距離にいる。
「彼」は私の顔から出ているエネルギーに気づいてくれただろうか。
その時、「彼」が口にしたのは、あのフレーズではなく意外な言葉だった。
"How are you?"
(つづく、またはintermission)
つづきはこちら
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goshimasayama18 at 00:13|Permalink│Comments(0)
2018年11月13日
(100回記念企画)謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体
前回のあらすじ:
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説。
1990年代のバンコク、カオサン。
2010年代のロンドン。
あらゆる場所に出没する謎のインド人占い師の情報が、さまざまな国の本や新聞、そしてインターネットで報告されていた。
調べてみると、「彼」は他にもカナダやオーストラリアやマレーシアなど、世界中のあらゆる場所に出没しているようだ。
「彼」の手口は、手品のようなトリックを使って人の心の中を的中させては、金品を巻き上げるというもの。
時代や場所が変わっても、全く同じ手口が報告されていた。
シク教徒のようなターバンを巻いたいでたちで現れ、ときに「ヨギ・シン(Yogi Singh)」と名乗る「彼」。
まるでタイムトラベラーのような「彼」はいったい何者なのか。
複数のインド人に聞いても、その正体を知るものはいなかった。
「彼」の存在に気づいた世界中の人々が不思議に思っているが、誰もその答えは分からない。
私はシク教徒のなかに、そのような占いを生業にする集団がいるのではないかと考えたが…。
(続き)
「彼」の正体はひょんなことからあっけなく判明した。
大谷幸三氏の『インド通』という本(白水社)に、その正体が書かれていたのだ。
ノンフィクション作家で漫画原作者でもある大谷氏は、1960年代から70回以上もインドに通い、元マハラジャから軍の要人まで多彩な知己のいる、まさにインド通。
この本の「クトゥブの予言者」という章に、「彼」の正体と思われる答えが書かれていた。
このエピソードもまた、思い出話から始まる。
それは彼が2度目にインドを訪れた時の話。舞台はデリーだ。
大谷氏が郊外の遺跡「クトゥブ・ミーナール」を訪れた時のこと。
クトゥブ・ミーナールは、いまでは観光客で賑わう遺跡だが、当時は人気もまばらな場所だった。
そこで、大谷氏は予言者だという白髭に長髪姿の老人に声をかけられた。
老人は唐突に大谷氏の家の庭にある松の木の本数を的中させ驚かせると、こう不吉な予言を言い残した。
「お前は人生のうちに、三十二度インドへ帰ってくるであろう。このインドの天と地の間で、お前は名声と富を得るだろう。そして、三十二度目のインドで死ぬであろう」
この謎の預言者が「彼」なのではない。
話は続く。
インドに魅せられた大谷氏は、予言通りにその後何度もインドを訪れることになる。
そこで出会ったインドの友人たちにあの占い師のことを伝えると、彼らは皆本気で心配した。
あの預言者はお金を要求しなかった。
金銭に執着しない聖者のような占い師は、詐欺師まがいではなく本物の予言者である可能性が高いからだ。
ある友人がその占い師の消息を探すと、彼はもう亡くなっているらしいことが判明する。
これは悪い知らせだ。
死んだ占い師の予言を覆すことはできない。
友人たちは、大谷氏に、一回のインド滞在をできるだけ長くして、三十一回目にインドを訪れたら二度と戻ってくるなと真剣に忠告した。
少なくとも当時のインド社会では、力のあるものによる予言は、極めてリアルなものと考えられていたのだ。
そんな中、ただ一人この予言を信じず、真っ向から否定する友人がいた。
彼の名前はハリ・シン。
占い師の家系に生まれた、シク教徒だ。
彼は、全ての占いは欺瞞であると言って憚らなかった。
彼のこの態度は、家族の生業と自分の運命に対する、複雑な気持ちによるものだった。
彼の父は高名な占い師だった。
それなのに、なぜ家族は裕福になれなかったのか。
未来を知る能力があるのに、なぜ幸せな未来を手に入れられなかったのか。
自分の境遇へのやるせない思いが、「占い」への疑念や憤りへと変わっていったのだ。
彼は、酒に酔うと、小さい頃に仕込まれた、相手が心に浮かべた数字や色を当てるトリックを、簡単なまやかしだと言って披露しては悪態をついた。
(しかし、この本に書かれているトリックでは、相手の母親や恋人のような固有名詞を当てることはほぼ不可能で、依然として謎は残るのだが)
インドでは辻占は低い身分の仕事とされる。
さきほど「金銭に執着しない占い師は詐欺師まがいではなく本物の予言者」と書いたが、これは「お金のために占いを行う辻占は詐欺師同然」ということの裏返しだ。
ハリ・シンの出自は、彼にとって誇らしいものではなく、憎むべきものだった。
彼は小さい頃に家を出て、占いではなく物売りをして生計を立てていたが、それでは食べてゆくことができず、皮肉にも彼もまた占い師になる道を選ぶことになる。
「逃れようとしても逃れられないのがジャーティだ」とブラーミン(バラモン)の男は言ったそうだ。
ハリ・シンは、インディラ・ガンディー首相暗殺事件に端を発するインド国内でのシク教徒弾圧を避け、子ども達の教育費や結婚資金を稼ぐため、オランダに渡ることを選んだ。
外国で占い師として稼いだお金を、インドに仕送りとして送るのだ。
字も書けないというハリ・シンが、占い師という職業でどうやって就労ビザを取ったのか、いまひとつよく分からないが、そこはインドのこと、裏金や人脈でどうにかなったのだろう。
もうお分かりだろう。
ハリ・シンもまた、世界中で例の占いをして日銭を稼ぐ、「彼」らのひとりだったのだ。
オランダにもまたひとり「ヨギ・シン」がいたということだ。
ミャンマー、タイ、オーストラリア、イギリス、カナダ、インドネシア。
世界中で「詐欺師に注意!」「不思議!わたしの街にも同じような人がいた!」と報告されている「彼」。
その一人は、自らの家業を憎みつつも、家族のために異国の地で辻占を続け、その稼ぎを故郷に仕送りをする男、ハリ・シンだった。
世界中のヨギ・シンに、きっとこんなふうにそれぞれの物語があるのだろう。
海外で必死で稼いだお金で、「彼」は娘たちの持参金を払い、立派な結婚式を挙げる。
息子たちに質の高い教育を受けさせ、優秀な大学に通わせる。
占い師ではなく、もっと別の「立派な」仕事に就かせるために。
そして、ヨギ・シンの子どもたちはエンジニアに、企業のマーケティング担当者に、どこかのいい家のお嫁さんになる。
医者や弁護士になる人もいるかもしれない。
ヨギ・シンの子どもたちは、もう誰もヨギ・シンにはならない。
誰よりも、ヨギ・シン自身がそれを望んでいるはずだ。
たとえ、成功した子どもたちに、家族代々の仕事を古臭いまやかしだと思われるとしても。
インドにおいて、正統な伝統に基づく占いは、社会や生活に深く溶け込んでいる。
どんなに時代が変化しても、インドから伝統的な占い師がいなくなることはないだろう。
ただ、世界中で報告されている「ヨギ・シン」スタイルの占い師に関してはどうだろう。
彼らの子どもたちが誰も後をつがなかったとき、この守るべき伝統とも考えられていない占い師たちは、歴史の波間に消えていってしまうのだろうか。
このまま「彼」の存在は、知る人ぞ知る、しかし世界中に知っている人がいる、マイナーな都市伝説のひとつになってゆくのだろうか。
2050年の「ヨギ・シン」を想像してみる。
先進国で誰にも相手にされなくなった「彼」は、ようやく経済成長の波に乗ることができたアフリカの小国に辿り着く。
いかにも成金といった風情の身なりのいい男に、ターバンを巻いたインド人が声をかける。
「あなたの好きな花を当ててみせよう」
誰も知らないが、実は彼こそは最後のヨギ・シンだった。
一族の結束はいまだに固いが、この占いのトリックができるのは彼が最後の一人だ。
仲間たちはみな、エンジニアやビジネスマンになり、少数の占い師の伝統を守っている者たちもコンピュータを駆使した新しい方法で占いを行っている。
「彼」もまた子どもたちを大学に行かせるために異国の地で辻占をしているが、子どもたちには後を継がせないつもりだ。
「彼」自身も知らないまま、ひとつの伝統と歴史がもうじき幕を降ろす。
あるいは、「彼」はデリーの郊外あたりに作られたテーマパーク「20世紀インド村」みたいなところで、「ガマの油売り」よろしく伝統芸能のひとつとしてその手口を披露しているかもしれない。
若者たちが物珍しげに眺めている後ろで、年老いたインド人は懐かしそうに彼を見つめている。
パフォーマンスを終えた「彼」に、「ずっと探していたんだ」と話しかける日本人がいたら、それはきっと私に違いない。
話を大谷氏の本に戻すと、このエピソードはまだ終わらない。
あの不気味な予言のことだ。
時は流れ、大谷氏に三十二回目のインド訪問がやってくる。
そこで虎狩りの取材に出かけた大谷氏はあの不吉な予言を思わせる、信じられない目に合うことになる。
詳細は省くが、この章では例のヨギ・シンの辻占以外にも、インドの占い事情が詳らかに紹介されていて、非常に興味深い内容だった。
インド社会のなかで、占いという超自然的な力がどんなふうに生きているのかを知りたい方には、ご一読をお勧めする。
子どもたちも皆結婚し、初老になったハリ・シンは、今となってはもう父を罵ることもなく、こう言っているという。
占い師は自分で自分を占うと、力を失うんだ、と。
彼は、思うようにならなかった運命を、諦めとともに受け入れたのか。
それとも、家族を養う糧を与えてくれた代々の家業を、誇りを持って認めることができたのだろうか。
それにしても、これはいったい何だったんだろう。
たまたま読んだ本と新聞で見つけた「彼」は、インターネットで世界中が繋がった時代ならではの都市伝説の主人公になっていた。
その「彼」の正体は、秘密結社ともカルト宗教とも関係のない、伝統的な生業を武器にグローバル社会の中で稼ぐことを選んだ、インドの伝統社会に基づく「ジャーティ」の構成員たちだった。
これが私がヨギ・シンについて知っていることのすべて。
日本から一歩も出ないまま、インドに関する不思議を見つけ、そしてその答えが分かってしまうというのも、時代なのかな、と思う。
「彼」の正体を知ってしまった今、もし「彼」に出会うことがあったら、いったいどんな言葉をかけられるだろうか。
「彼」に占ってほしいことは見つかるだろうか。
それでもやっぱり、会ってみたいとは思うけれども。
(世界中での「彼 」の出没情報は、「Indian fortune teller」もしくは「Sikh fortune teller」で検索すると数多くヒットする。ご興味のある方はお試しを)
2019年11月18日追記:
この記事を書いてから1年、まさかここ日本を舞台に続編が書けるとは思ってもいなかった。
予想外の展開を見せる続編はこちらから。
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説。
1990年代のバンコク、カオサン。
2010年代のロンドン。
あらゆる場所に出没する謎のインド人占い師の情報が、さまざまな国の本や新聞、そしてインターネットで報告されていた。
調べてみると、「彼」は他にもカナダやオーストラリアやマレーシアなど、世界中のあらゆる場所に出没しているようだ。
「彼」の手口は、手品のようなトリックを使って人の心の中を的中させては、金品を巻き上げるというもの。
時代や場所が変わっても、全く同じ手口が報告されていた。
シク教徒のようなターバンを巻いたいでたちで現れ、ときに「ヨギ・シン(Yogi Singh)」と名乗る「彼」。
まるでタイムトラベラーのような「彼」はいったい何者なのか。
複数のインド人に聞いても、その正体を知るものはいなかった。
「彼」の存在に気づいた世界中の人々が不思議に思っているが、誰もその答えは分からない。
私はシク教徒のなかに、そのような占いを生業にする集団がいるのではないかと考えたが…。
(続き)
「彼」の正体はひょんなことからあっけなく判明した。
大谷幸三氏の『インド通』という本(白水社)に、その正体が書かれていたのだ。
ノンフィクション作家で漫画原作者でもある大谷氏は、1960年代から70回以上もインドに通い、元マハラジャから軍の要人まで多彩な知己のいる、まさにインド通。
この本の「クトゥブの予言者」という章に、「彼」の正体と思われる答えが書かれていた。
このエピソードもまた、思い出話から始まる。
それは彼が2度目にインドを訪れた時の話。舞台はデリーだ。
大谷氏が郊外の遺跡「クトゥブ・ミーナール」を訪れた時のこと。
クトゥブ・ミーナールは、いまでは観光客で賑わう遺跡だが、当時は人気もまばらな場所だった。
そこで、大谷氏は予言者だという白髭に長髪姿の老人に声をかけられた。
老人は唐突に大谷氏の家の庭にある松の木の本数を的中させ驚かせると、こう不吉な予言を言い残した。
「お前は人生のうちに、三十二度インドへ帰ってくるであろう。このインドの天と地の間で、お前は名声と富を得るだろう。そして、三十二度目のインドで死ぬであろう」
この謎の預言者が「彼」なのではない。
話は続く。
インドに魅せられた大谷氏は、予言通りにその後何度もインドを訪れることになる。
そこで出会ったインドの友人たちにあの占い師のことを伝えると、彼らは皆本気で心配した。
あの預言者はお金を要求しなかった。
金銭に執着しない聖者のような占い師は、詐欺師まがいではなく本物の予言者である可能性が高いからだ。
ある友人がその占い師の消息を探すと、彼はもう亡くなっているらしいことが判明する。
これは悪い知らせだ。
死んだ占い師の予言を覆すことはできない。
友人たちは、大谷氏に、一回のインド滞在をできるだけ長くして、三十一回目にインドを訪れたら二度と戻ってくるなと真剣に忠告した。
少なくとも当時のインド社会では、力のあるものによる予言は、極めてリアルなものと考えられていたのだ。
そんな中、ただ一人この予言を信じず、真っ向から否定する友人がいた。
彼の名前はハリ・シン。
占い師の家系に生まれた、シク教徒だ。
彼は、全ての占いは欺瞞であると言って憚らなかった。
彼のこの態度は、家族の生業と自分の運命に対する、複雑な気持ちによるものだった。
彼の父は高名な占い師だった。
それなのに、なぜ家族は裕福になれなかったのか。
未来を知る能力があるのに、なぜ幸せな未来を手に入れられなかったのか。
自分の境遇へのやるせない思いが、「占い」への疑念や憤りへと変わっていったのだ。
彼は、酒に酔うと、小さい頃に仕込まれた、相手が心に浮かべた数字や色を当てるトリックを、簡単なまやかしだと言って披露しては悪態をついた。
(しかし、この本に書かれているトリックでは、相手の母親や恋人のような固有名詞を当てることはほぼ不可能で、依然として謎は残るのだが)
インドでは辻占は低い身分の仕事とされる。
さきほど「金銭に執着しない占い師は詐欺師まがいではなく本物の予言者」と書いたが、これは「お金のために占いを行う辻占は詐欺師同然」ということの裏返しだ。
ハリ・シンの出自は、彼にとって誇らしいものではなく、憎むべきものだった。
彼は小さい頃に家を出て、占いではなく物売りをして生計を立てていたが、それでは食べてゆくことができず、皮肉にも彼もまた占い師になる道を選ぶことになる。
「逃れようとしても逃れられないのがジャーティだ」とブラーミン(バラモン)の男は言ったそうだ。
ハリ・シンは、インディラ・ガンディー首相暗殺事件に端を発するインド国内でのシク教徒弾圧を避け、子ども達の教育費や結婚資金を稼ぐため、オランダに渡ることを選んだ。
外国で占い師として稼いだお金を、インドに仕送りとして送るのだ。
字も書けないというハリ・シンが、占い師という職業でどうやって就労ビザを取ったのか、いまひとつよく分からないが、そこはインドのこと、裏金や人脈でどうにかなったのだろう。
もうお分かりだろう。
ハリ・シンもまた、世界中で例の占いをして日銭を稼ぐ、「彼」らのひとりだったのだ。
オランダにもまたひとり「ヨギ・シン」がいたということだ。
ミャンマー、タイ、オーストラリア、イギリス、カナダ、インドネシア。
世界中で「詐欺師に注意!」「不思議!わたしの街にも同じような人がいた!」と報告されている「彼」。
その一人は、自らの家業を憎みつつも、家族のために異国の地で辻占を続け、その稼ぎを故郷に仕送りをする男、ハリ・シンだった。
世界中のヨギ・シンに、きっとこんなふうにそれぞれの物語があるのだろう。
海外で必死で稼いだお金で、「彼」は娘たちの持参金を払い、立派な結婚式を挙げる。
息子たちに質の高い教育を受けさせ、優秀な大学に通わせる。
占い師ではなく、もっと別の「立派な」仕事に就かせるために。
そして、ヨギ・シンの子どもたちはエンジニアに、企業のマーケティング担当者に、どこかのいい家のお嫁さんになる。
医者や弁護士になる人もいるかもしれない。
ヨギ・シンの子どもたちは、もう誰もヨギ・シンにはならない。
誰よりも、ヨギ・シン自身がそれを望んでいるはずだ。
たとえ、成功した子どもたちに、家族代々の仕事を古臭いまやかしだと思われるとしても。
インドにおいて、正統な伝統に基づく占いは、社会や生活に深く溶け込んでいる。
どんなに時代が変化しても、インドから伝統的な占い師がいなくなることはないだろう。
ただ、世界中で報告されている「ヨギ・シン」スタイルの占い師に関してはどうだろう。
彼らの子どもたちが誰も後をつがなかったとき、この守るべき伝統とも考えられていない占い師たちは、歴史の波間に消えていってしまうのだろうか。
このまま「彼」の存在は、知る人ぞ知る、しかし世界中に知っている人がいる、マイナーな都市伝説のひとつになってゆくのだろうか。
2050年の「ヨギ・シン」を想像してみる。
先進国で誰にも相手にされなくなった「彼」は、ようやく経済成長の波に乗ることができたアフリカの小国に辿り着く。
いかにも成金といった風情の身なりのいい男に、ターバンを巻いたインド人が声をかける。
「あなたの好きな花を当ててみせよう」
誰も知らないが、実は彼こそは最後のヨギ・シンだった。
一族の結束はいまだに固いが、この占いのトリックができるのは彼が最後の一人だ。
仲間たちはみな、エンジニアやビジネスマンになり、少数の占い師の伝統を守っている者たちもコンピュータを駆使した新しい方法で占いを行っている。
「彼」もまた子どもたちを大学に行かせるために異国の地で辻占をしているが、子どもたちには後を継がせないつもりだ。
「彼」自身も知らないまま、ひとつの伝統と歴史がもうじき幕を降ろす。
あるいは、「彼」はデリーの郊外あたりに作られたテーマパーク「20世紀インド村」みたいなところで、「ガマの油売り」よろしく伝統芸能のひとつとしてその手口を披露しているかもしれない。
若者たちが物珍しげに眺めている後ろで、年老いたインド人は懐かしそうに彼を見つめている。
パフォーマンスを終えた「彼」に、「ずっと探していたんだ」と話しかける日本人がいたら、それはきっと私に違いない。
話を大谷氏の本に戻すと、このエピソードはまだ終わらない。
あの不気味な予言のことだ。
時は流れ、大谷氏に三十二回目のインド訪問がやってくる。
そこで虎狩りの取材に出かけた大谷氏はあの不吉な予言を思わせる、信じられない目に合うことになる。
詳細は省くが、この章では例のヨギ・シンの辻占以外にも、インドの占い事情が詳らかに紹介されていて、非常に興味深い内容だった。
インド社会のなかで、占いという超自然的な力がどんなふうに生きているのかを知りたい方には、ご一読をお勧めする。
子どもたちも皆結婚し、初老になったハリ・シンは、今となってはもう父を罵ることもなく、こう言っているという。
占い師は自分で自分を占うと、力を失うんだ、と。
彼は、思うようにならなかった運命を、諦めとともに受け入れたのか。
それとも、家族を養う糧を与えてくれた代々の家業を、誇りを持って認めることができたのだろうか。
それにしても、これはいったい何だったんだろう。
たまたま読んだ本と新聞で見つけた「彼」は、インターネットで世界中が繋がった時代ならではの都市伝説の主人公になっていた。
その「彼」の正体は、秘密結社ともカルト宗教とも関係のない、伝統的な生業を武器にグローバル社会の中で稼ぐことを選んだ、インドの伝統社会に基づく「ジャーティ」の構成員たちだった。
これが私がヨギ・シンについて知っていることのすべて。
日本から一歩も出ないまま、インドに関する不思議を見つけ、そしてその答えが分かってしまうというのも、時代なのかな、と思う。
「彼」の正体を知ってしまった今、もし「彼」に出会うことがあったら、いったいどんな言葉をかけられるだろうか。
「彼」に占ってほしいことは見つかるだろうか。
それでもやっぱり、会ってみたいとは思うけれども。
(世界中での「彼 」の出没情報は、「Indian fortune teller」もしくは「Sikh fortune teller」で検索すると数多くヒットする。ご興味のある方はお試しを)
2019年11月18日追記:
この記事を書いてから1年、まさかここ日本を舞台に続編が書けるとは思ってもいなかった。
予想外の展開を見せる続編はこちらから。
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2018年11月10日
(100回記念特集)謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい
約1年前に始めたこのブログも今回の記事で100回目。
というわけで、音楽からは離れるのだけど、インドに関する話題で、個人的にここ数年でもっとも面白いと感じている話を2回に分けて書いてみます。
楽しんでもらえるとよいのだけど。
「彼」のことを初めて知ったのは、辺境ノンフィクション・ライター、高野秀行氏の『辺境の旅はゾウにかぎる』(のちに『辺境中毒!』という名前で集英社から文庫化)という本だった。
ある朝方、バンコクの安宿街カオサンで、高野氏がインド人の占い師に声をかけられたところから、この話は始まる。
「君は占いに興味があるか」
ヒマだった高野氏は、そのインド人の相手をしてみることにした。
「彼」は何事か書いた小さな紙を丸めて高野氏に握らせると「君の好きな花は何か」と尋ねる。
高野氏が「Rose」と答えると、「彼」は握った紙を開いてみろという。
なんとそこには「Rose」の文字が書かれていた。
占い師は、その後も次々と同じ手口で好きな色、好きな数字を的中させると、もし同じように母親の名前を当てることができたら、彼が所属する宗教団体に100ドルを寄付しろという賭けをしかけてきた。
いつの間にか、この賭けの証人役と思われる仲間のインド人もやって来ている。
好きな花や色や数字は、偶然の一致、あるいは潜在意識や統計をもとに的中させた可能性もあるだろう。
だが、日本語の母親の名前は当てられるわけがない。
成り行きと対抗意識から高野氏がその要求を飲むと、占い師はなんと母親の名前をも的中させ、100ドルを巻き上げて消えていったという。
それは1993年のことだったというが、話はここで終わらない。
その後、高野氏が1930年代を舞台にしたミャンマーの小説を読んでいると、なんとそこにインド人の占い師による全く同じ手口の詐欺の話が載っていた。
ターバンを巻いたインド人の男が「旦那、占い、どうですか」と声をかけ、好きな数字などを的中させると、仲間のインド人を連れてきて賭けをしかけ、まんまとシャツを勝ち取っていったという話だ。
この小説が出版されたのは1955年だが、著者は1909年生まれ。
著者が実際に1930年代に体験したことがもとになっている可能性が高いという。
高野氏は、1990年代のタイと1930年代のミャンマーで、インド人による全く同じ手口の詐欺が行われていたという事実に驚きつつも、たとえ詐欺であったとしても、変化の激しい時代に60年以上も続いた手口をこれからも大切にしてほしいものだと結んでいる。
当時、これを読んだ私は、どちらもインドが舞台ではないにもかかわらず「うわあインドっぽいエピソードだなあ」と感じたものだった。
インドはワケがわからないことが起こることに関しては世界有数の国(この話、インドじゃないけど)。
こんなことがあっても全く不思議ではないのだが、その後、いつの間にかこの話も忘れてしまっていた。
次に「彼」と出会ったのはそれから数年後。
新聞を読んでいた時のことだった。
2012年9月20日、東京新聞、夕刊。
「世界の街 海外レポート」という海外特派員によるエッセイ風のコーナーにロンドン担当の小杉さんという方が寄せた文章を、少し長いが引用させていただく。
間違いない。
高野氏の本に書いてあった「彼」だ。
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説、1990年代のバンコク、そこにいた「彼」が2012年のロンドンにも存在している。
こんなことがあるのだろうか。
彼は占い詐欺をしながらあらゆる時代と場所をめぐるタイムトラベラーなのだろうか。
ロンドンでこの不思議な出来事があったということは、インターネットで英語で検索したら何か情報が得られるかもしれない。
そう思って、「Indian fortune teller」とGoogleに打ち込んでみると、出てくる出てくる。
「彼」が現れたのは、なんとミャンマー、バンコク、ロンドンだけではなかった。
シドニー、メルボルン、シンガポール、トロント、香港、マレーシア、カンボジア、そしてもちろん、ニューデリー。
「私も同じ手口に合ったことがある!」「私も!」と世界中のあらゆる場所で「彼」の出現が報告されていた。
よくよく読んでみると、その手口には、ほとんどの場合共通点がある。
・"You have a lucky face"などと声をかけてくること。
・丸めた紙を手に握らせ、好きな花、好きな数字、恋人の名前などを尋ねるということ。答えた後にその紙を開くと答えが的中していること。
・慈善団体への寄付を装い、金品を要求すること。
・多くの場合、ターバンを巻いたシク教徒風の格好をしていること。
また、「彼」が「ヨギ・シン(Yogi Singh)」 と名乗ることが多いということも分かった。
だが「ヨギ」 はヨガ行者などの「師」を表す言葉で、「シン(Singh) 」はシク教徒の男性全員が名乗る名前。
これだけで世界中で報告されている「彼」が同一人物であるとか、同じ一族であるということを判断するのは早計だ。
ではいったい「彼」は何者なのか。
こうした報告をインターネット上でまとめていた男性の一人は、「時間さえあれば彼らのことを調べて本にするのに」と書いていたが、私もまったくの同感だった。
彼らとの遭遇が報告された土地に東京が含まれていないのがとても残念だった。
もし叶うなら「彼」に会ってみたい。
しかし、例えば「彼」に会うためだけに休みを工面してメルボルンあたりに1週間くらい滞在しても、会える保証は全くないし、インド系コミュニティーで彼らのことを聞いて回ったりした場合、もし「彼」が良からぬ組織に関わっていたりしたら、身に危険が及ぶかもしれない。
シク教徒の本場であるパンジャーブ系の人を含めて、何人かのインド人に「彼」の噂を聞いたことがないか尋ねてみたが、誰も知っている人はいなかった。
ただ、彼らが一様に、不思議がるふうでもなく「あいにく自分は知らないけど、まあそんなこともあるだろうね」という反応だったのがとても印象に残っている。
やっぱり、インド人も認める「インドならあり得る話」のようだ。
いずれにしても、インドでも有名な話ではないということが分かった。
インターネットで世界中が繋がる時代になって、初めて顕在化したグローバルな都市伝説。
とにかく「彼」の正体が知りたくてしょうがなかった。
現実的に考えて、1930年代から2012年という幅のある期間での報告がされているということからも、「彼」が同一人物であるという可能性はないだろう。(タイムトラベラー説も魅力的ではあるが)
また、「彼」がこれだけ世界中の多くの街で報告されているということは、彼らが少人数の近しい親族(例えば親子や兄弟) だけで構成されているということも考えにくい。
決して大金を稼げる商売ではないであろう辻占で、これだけ世界中を漫遊するみたいなことはできないだろうからだ。
これはきっと「ジャーティ」だ。
シク教徒のなかに、この手の占いを生業とする「ジャーティ」の人々がいるに違いない。
「ジャーティ」とは、カースト制度の基礎となる職業や地縁などをもとにした排他的な共同体の単位のこと。
よく「インドでは結婚は親が決めた同じコミュニティーの人としなければならない」とか「インドには村全員がコブラ使いの村がある」という話を聞くことがあるが、これらはみな「ジャーティ」を指している。
「結婚は同じ(もしくは同等の)ジャーティの人とするもの」「コブラ使いのジャーティの村」というわけだ。
「ジャーティ」はヒンドゥー教の概念で、建前としてはシク教やイスラム教には無いものとされているが、実際は彼らの間にも同じような、職業や地縁をもとにしたコミュニティーは存在している。
都会ではもはや「ジャーティ」に基づく職業選択は過去のものとなっているが、今でも「ジャーティ」を結婚などの局面で尊重すべきと考えている人たちは多い(とくに古い世代に多い)。
これだけ世界中の多くの街で「彼」が報告されているということは、シク教徒のなかに、占いを生業として、同じトリックを身につけた同一のジャーティ集団がいるに違いない。
シク教の故郷、パンジャーブ州には、詐欺占い師ばかりが暮らす村があったりするのだろうか。
インドでも知る人の少ない彼らが、何らかのネットワークを使って世界中に進出し、同じトリックで稼いでいるということか。
自分の所属する宗教団体への献金を装うことも多いということは、もしかしたら秘密結社やカルト宗教?
シク教徒のなかには、パンジャーブ州のインドからの独立を目指す過激な一団もいる。
もしかしたら、そうしたグループと関わりのある人たちによる、占いを口実にした資金集めということもあるかもしれない。
謎は深まるばかりだ。
つづく
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というわけで、音楽からは離れるのだけど、インドに関する話題で、個人的にここ数年でもっとも面白いと感じている話を2回に分けて書いてみます。
楽しんでもらえるとよいのだけど。
「彼」のことを初めて知ったのは、辺境ノンフィクション・ライター、高野秀行氏の『辺境の旅はゾウにかぎる』(のちに『辺境中毒!』という名前で集英社から文庫化)という本だった。
ある朝方、バンコクの安宿街カオサンで、高野氏がインド人の占い師に声をかけられたところから、この話は始まる。
「君は占いに興味があるか」
ヒマだった高野氏は、そのインド人の相手をしてみることにした。
「彼」は何事か書いた小さな紙を丸めて高野氏に握らせると「君の好きな花は何か」と尋ねる。
高野氏が「Rose」と答えると、「彼」は握った紙を開いてみろという。
なんとそこには「Rose」の文字が書かれていた。
占い師は、その後も次々と同じ手口で好きな色、好きな数字を的中させると、もし同じように母親の名前を当てることができたら、彼が所属する宗教団体に100ドルを寄付しろという賭けをしかけてきた。
いつの間にか、この賭けの証人役と思われる仲間のインド人もやって来ている。
好きな花や色や数字は、偶然の一致、あるいは潜在意識や統計をもとに的中させた可能性もあるだろう。
だが、日本語の母親の名前は当てられるわけがない。
成り行きと対抗意識から高野氏がその要求を飲むと、占い師はなんと母親の名前をも的中させ、100ドルを巻き上げて消えていったという。
それは1993年のことだったというが、話はここで終わらない。
その後、高野氏が1930年代を舞台にしたミャンマーの小説を読んでいると、なんとそこにインド人の占い師による全く同じ手口の詐欺の話が載っていた。
ターバンを巻いたインド人の男が「旦那、占い、どうですか」と声をかけ、好きな数字などを的中させると、仲間のインド人を連れてきて賭けをしかけ、まんまとシャツを勝ち取っていったという話だ。
この小説が出版されたのは1955年だが、著者は1909年生まれ。
著者が実際に1930年代に体験したことがもとになっている可能性が高いという。
高野氏は、1990年代のタイと1930年代のミャンマーで、インド人による全く同じ手口の詐欺が行われていたという事実に驚きつつも、たとえ詐欺であったとしても、変化の激しい時代に60年以上も続いた手口をこれからも大切にしてほしいものだと結んでいる。
当時、これを読んだ私は、どちらもインドが舞台ではないにもかかわらず「うわあインドっぽいエピソードだなあ」と感じたものだった。
インドはワケがわからないことが起こることに関しては世界有数の国(この話、インドじゃないけど)。
こんなことがあっても全く不思議ではないのだが、その後、いつの間にかこの話も忘れてしまっていた。
次に「彼」と出会ったのはそれから数年後。
新聞を読んでいた時のことだった。
2012年9月20日、東京新聞、夕刊。
「世界の街 海外レポート」という海外特派員によるエッセイ風のコーナーにロンドン担当の小杉さんという方が寄せた文章を、少し長いが引用させていただく。
多国籍の人が暮らすロンドン。どう見てもアジア人の自分に平然と道を尋ねてくる英国人はざらにいる。八月下旬、支局前の通りで喫煙していると、見知らぬ中年男性が近づいてきた。「また道案内か」と思いきや予想外の言葉を聞いた。
「あなたに来月、幸運が訪れる」。さらに「あなたは長寿だ。少なくとも八十七歳まで生きる」とも。
聞けば、インド出身の自称「占い師」。そのまま耳を傾けると、指先ほど小さく折り畳まれた紙切れを手渡された。
その上で「何のための幸運であってほしいか」「あなたのラッキーナンバーは」 と問われた。男はこちらが返した答えをメモ帳に書き取ると事前に私に渡した紙切れに「フッ」と息を吹き掛けた。
その紙を広げて驚いた。記してあったのは先ほどの答え。思わずうなった直後、男は言った。
「あなたの幸せが成就するように祈るから、お金を払わないか」
なんだ、そういうことか。提示された料金は最大で百ポンド(役一万二千円)。急速に興味を失い、支払いも丁重に断った。
この話を友人にすると、「占い詐欺でしょ」。だとしたら、自分が目にしたのは単なる手品か。いいカモにされかけたが、最初に言われた幸運とやらが気になって仕方ない。
間違いない。
高野氏の本に書いてあった「彼」だ。
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説、1990年代のバンコク、そこにいた「彼」が2012年のロンドンにも存在している。
こんなことがあるのだろうか。
彼は占い詐欺をしながらあらゆる時代と場所をめぐるタイムトラベラーなのだろうか。
ロンドンでこの不思議な出来事があったということは、インターネットで英語で検索したら何か情報が得られるかもしれない。
そう思って、「Indian fortune teller」とGoogleに打ち込んでみると、出てくる出てくる。
「彼」が現れたのは、なんとミャンマー、バンコク、ロンドンだけではなかった。
シドニー、メルボルン、シンガポール、トロント、香港、マレーシア、カンボジア、そしてもちろん、ニューデリー。
「私も同じ手口に合ったことがある!」「私も!」と世界中のあらゆる場所で「彼」の出現が報告されていた。
よくよく読んでみると、その手口には、ほとんどの場合共通点がある。
・"You have a lucky face"などと声をかけてくること。
・丸めた紙を手に握らせ、好きな花、好きな数字、恋人の名前などを尋ねるということ。答えた後にその紙を開くと答えが的中していること。
・慈善団体への寄付を装い、金品を要求すること。
・多くの場合、ターバンを巻いたシク教徒風の格好をしていること。
また、「彼」が「ヨギ・シン(Yogi Singh)」 と名乗ることが多いということも分かった。
だが「ヨギ」 はヨガ行者などの「師」を表す言葉で、「シン(Singh) 」はシク教徒の男性全員が名乗る名前。
これだけで世界中で報告されている「彼」が同一人物であるとか、同じ一族であるということを判断するのは早計だ。
ではいったい「彼」は何者なのか。
こうした報告をインターネット上でまとめていた男性の一人は、「時間さえあれば彼らのことを調べて本にするのに」と書いていたが、私もまったくの同感だった。
彼らとの遭遇が報告された土地に東京が含まれていないのがとても残念だった。
もし叶うなら「彼」に会ってみたい。
しかし、例えば「彼」に会うためだけに休みを工面してメルボルンあたりに1週間くらい滞在しても、会える保証は全くないし、インド系コミュニティーで彼らのことを聞いて回ったりした場合、もし「彼」が良からぬ組織に関わっていたりしたら、身に危険が及ぶかもしれない。
シク教徒の本場であるパンジャーブ系の人を含めて、何人かのインド人に「彼」の噂を聞いたことがないか尋ねてみたが、誰も知っている人はいなかった。
ただ、彼らが一様に、不思議がるふうでもなく「あいにく自分は知らないけど、まあそんなこともあるだろうね」という反応だったのがとても印象に残っている。
やっぱり、インド人も認める「インドならあり得る話」のようだ。
いずれにしても、インドでも有名な話ではないということが分かった。
インターネットで世界中が繋がる時代になって、初めて顕在化したグローバルな都市伝説。
とにかく「彼」の正体が知りたくてしょうがなかった。
現実的に考えて、1930年代から2012年という幅のある期間での報告がされているということからも、「彼」が同一人物であるという可能性はないだろう。(タイムトラベラー説も魅力的ではあるが)
また、「彼」がこれだけ世界中の多くの街で報告されているということは、彼らが少人数の近しい親族(例えば親子や兄弟) だけで構成されているということも考えにくい。
決して大金を稼げる商売ではないであろう辻占で、これだけ世界中を漫遊するみたいなことはできないだろうからだ。
これはきっと「ジャーティ」だ。
シク教徒のなかに、この手の占いを生業とする「ジャーティ」の人々がいるに違いない。
「ジャーティ」とは、カースト制度の基礎となる職業や地縁などをもとにした排他的な共同体の単位のこと。
よく「インドでは結婚は親が決めた同じコミュニティーの人としなければならない」とか「インドには村全員がコブラ使いの村がある」という話を聞くことがあるが、これらはみな「ジャーティ」を指している。
「結婚は同じ(もしくは同等の)ジャーティの人とするもの」「コブラ使いのジャーティの村」というわけだ。
「ジャーティ」はヒンドゥー教の概念で、建前としてはシク教やイスラム教には無いものとされているが、実際は彼らの間にも同じような、職業や地縁をもとにしたコミュニティーは存在している。
都会ではもはや「ジャーティ」に基づく職業選択は過去のものとなっているが、今でも「ジャーティ」を結婚などの局面で尊重すべきと考えている人たちは多い(とくに古い世代に多い)。
これだけ世界中の多くの街で「彼」が報告されているということは、シク教徒のなかに、占いを生業として、同じトリックを身につけた同一のジャーティ集団がいるに違いない。
シク教の故郷、パンジャーブ州には、詐欺占い師ばかりが暮らす村があったりするのだろうか。
インドでも知る人の少ない彼らが、何らかのネットワークを使って世界中に進出し、同じトリックで稼いでいるということか。
自分の所属する宗教団体への献金を装うことも多いということは、もしかしたら秘密結社やカルト宗教?
シク教徒のなかには、パンジャーブ州のインドからの独立を目指す過激な一団もいる。
もしかしたら、そうしたグループと関わりのある人たちによる、占いを口実にした資金集めということもあるかもしれない。
謎は深まるばかりだ。
つづく
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goshimasayama18 at 22:12|Permalink│Comments(6)