日本文化
2021年07月07日
Karan Kanchanの活躍が止まらない!(ビートメーカーで聴くインドのヒップホップ その2)
うれしいことに、ここ最近、俺たちのKaran Kanchanの快進撃が止まらない。
Karan Kanchanはムンバイを拠点に活躍しているビートメーカー。
なぜ「俺たちの」なのかというと、彼はジャパニーズ・カルチャーに大きな影響を受け、その結果、日本にも存在していない'J-Trap'というジャンルを「発明」してしまったという、愛すべきアーティストなのである。
(彼について紹介した記事)
J-Trapはトラップのダークでヘヴィなビートに、三味線っぽい音色や和風の旋律をちりばめた、極めてオリジナルな音楽だ。
この"Tokyo Grime"のラッパーはXenon Phoenix.
外国人の目線から見た不穏なイメージの東京がめちゃくちゃクール!
こちらは"Daruma Dub"
インド人仏教僧Bodhidharma(サンスクリット語)を語源とするおなじみのダルマが、日本のポップカルチャーの影響を受けた最新のダンスミュージックとしてインドに帰還したと思うと、なんだか不思議な縁を感じる。
インドでは、K-Popがメインカルチャーとして受け入れられている一方で、アニメやマンガを中心とした日本文化は、コアなファンを持つサブカルチャーとして確固たる位置を占めている。
K-Popのグループがインドの雑誌の表紙を飾ったり、ボリウッドの人気歌手がK-Popシンガーと共演して多くの耳目を集めている一方で、インディーミュージックシーンでは、日本語名のアーティストや、日本語タイトルの楽曲が数多く存在しているのだ。
こうした日韓のカルチャーの受け入れられ方の違いは、東アジアの一員として非常に興味深い。
(関連記事をいくつか貼り付けます)
シーンを見渡せば、他にも、ジブリの映画や久石譲の音楽をフェイバリットに挙げ、ミュージックビデオにトトロの人形を登場させたドリームポップバンドのEasy Wanderlingsや、80年代の日本のアニメをモチーフにしたミュージックビデオ(楽曲のタイトルは"Samurai")をリリースしたSayantika Ghoshなど、日本文化の影響を受けたインディーミュージシャンは枚挙にいとまがない。
Karan Kanchanは、そのなかでも、非常に強く日本のカルチャーの影響を感じさせるアーティストの一人なのである。
この"Monogatari"のイントロの語りは、三味線奏者の寂空-JACK-によるもの。
じつは、この二人を引き合わせたのは私、軽刈田。
Kanchanの「コラボレーションしてくれる三味線奏者を探してほしい」というリクエストをSNSで拡散したところ、寂空が手をあげてくれたのだ。
この曲では、三味線とトラップのコラボレーションに先駆けて、語りでの共演となった。
寂空が所属するバンド'Shamisenist'は、今後アメリカのレーベルColor Redからのデビューが予定されており、ひとまわり大きくなった日印のアーティスト同士の新たなコラボレーションにも期待したい。
J-Trapという類まれなるスタイルを確立したKaran Kanchanは、前回の記事で紹介した「ムンバイのストリートラップシーンの帝王」DIVINEとの共演を皮切りに、瞬く間にインドのヒップホップ・シーンを代表するビートメーカーとなった。
Karan Kanchanは、ソロ名義でJ-Trapの作品を制作するかたわら、DIVINEを中心としたムンバイのストリートラップ集団Gully Gangのビートを数多く手掛け、次々に注目作をリリースしていった。
DIVINEのニューアルバムでは、ストリート路線から脱却し、内面的なテーマを扱うようになった彼に合わせてディープでメロウなビートを提供。
かと思えば、DIVINE同様にMass Appeal Indiaからのデビューを決めたGully GangのD'Evilには、初期ガリーラップを思わせるパーカッシブなビートを用意し、ムンバイの個性を巧みに表現した。
近年のKanchanの活躍の舞台はムンバイを飛び越え、デリーのラッパーと共演する機会も広がっている。
この"Dum Pistaach"ではデリーのラップデュオSeedhe Mautと共演し、ヘヴィ・ロックの要素を導入した新境地を開いた。
アメコミとインド神話とジャパニーズ・カルチャーが融合したようなビジュアルもクール!
デリーを拠点に活躍するメジャー寄りの人気ラッパーRaftaarの楽曲にも制作陣として名を連ねている。
2019年にリリースされたこの曲の再生回数は4,500万回を超えている。
彼の活躍は国境すら超えはじめており、最近では、Netflixで全世界に配信された『ザ・ホワイトタイガー』の主題歌の"Jungle Mantra"で、盟友のDIVINE、そしてアメリカの人気ラッパーVince Staples、Pusha Tとの共演を実現させている。
ここ最近の彼の活動で特筆すべきは、活躍の場を広げているだけではなく、ビートのスタイルも多様化させていることだろう。
以前はトラップ系のヘヴィなビートをシグネチャー・スタイルとしていたKanchanだが、最近ではよりコードやメロディーを重視したサウンドにも挑戦している。
Pothuriと共演した"Wonder"では、Daft Punkを思わせるようなポップでエレクトロニックなR&Bのビートを披露。
Gully Gang一味の出身で、やはりMass Appeal Indiaの所属となったShah Ruleの"Clap Clap"では、印象的なピアノのメロディーと、ドリル的に上下にうねるベースが印象的。
とにかく活躍が止まらないKaran Kanchan、売れてくるにつれて彼は日本のカルチャーを忘れてしまったのか?と少々寂しい気持ちにもなるが、最新曲の"Marzi"は、新境地のChill/Lo-Fi系のビートを大胆に導入した最高に心地よいサウンドを届けてくれた。
Lo-Fi/Chill Hop系のビートは、日本のビートメーカーNujabesやアニメ作品との関わりから、日本のカルチャーとの関わりが深い。
(この話題についてはこの記事に詳しい。beipana「Lo-fi Hip Hop〔ローファイ・ヒップホップ〕はどうやって拡大したか」)
言うまでもなくこのミュージックビデオはあの有名なLo-Fi Study Girlのオマージュ(正面から映しているのは珍しい!)で、机の上のチャイがインドらしさを感じさせるが、窓の外の景色や室内の様子は、日本のようにも、どこか他の国のようにも感じられるのが今っぽい。
ヘヴィはトラップ・サウンドから出発したKaran Kanchanが、メロウなLo-Fiビートでジャパニーズ・カルチャー的な世界に帰ってきてくれたと思うと、なんとも感慨深い。
(関連記事。インドのYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'が作ったインド風Lo-Fi Study Girlにも注目)
ここでこの記事を終わりにしてもよいのだけど、せっかくなのでKaran Kanchan本人に、ここ数年の大活躍とスタイルの深化、そしてパンデミック下での生活についてインタビューをしてみた。
その様子は次回!
お楽しみに!
(Karan Kanchanインタビュー)
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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寂空が所属するバンド'Shamisenist'は、今後アメリカのレーベルColor Redからのデビューが予定されており、ひとまわり大きくなった日印のアーティスト同士の新たなコラボレーションにも期待したい。
J-Trapという類まれなるスタイルを確立したKaran Kanchanは、前回の記事で紹介した「ムンバイのストリートラップシーンの帝王」DIVINEとの共演を皮切りに、瞬く間にインドのヒップホップ・シーンを代表するビートメーカーとなった。
Karan Kanchanは、ソロ名義でJ-Trapの作品を制作するかたわら、DIVINEを中心としたムンバイのストリートラップ集団Gully Gangのビートを数多く手掛け、次々に注目作をリリースしていった。
DIVINEのニューアルバムでは、ストリート路線から脱却し、内面的なテーマを扱うようになった彼に合わせてディープでメロウなビートを提供。
かと思えば、DIVINE同様にMass Appeal Indiaからのデビューを決めたGully GangのD'Evilには、初期ガリーラップを思わせるパーカッシブなビートを用意し、ムンバイの個性を巧みに表現した。
近年のKanchanの活躍の舞台はムンバイを飛び越え、デリーのラッパーと共演する機会も広がっている。
この"Dum Pistaach"ではデリーのラップデュオSeedhe Mautと共演し、ヘヴィ・ロックの要素を導入した新境地を開いた。
アメコミとインド神話とジャパニーズ・カルチャーが融合したようなビジュアルもクール!
デリーを拠点に活躍するメジャー寄りの人気ラッパーRaftaarの楽曲にも制作陣として名を連ねている。
2019年にリリースされたこの曲の再生回数は4,500万回を超えている。
彼の活躍は国境すら超えはじめており、最近では、Netflixで全世界に配信された『ザ・ホワイトタイガー』の主題歌の"Jungle Mantra"で、盟友のDIVINE、そしてアメリカの人気ラッパーVince Staples、Pusha Tとの共演を実現させている。
ここ最近の彼の活動で特筆すべきは、活躍の場を広げているだけではなく、ビートのスタイルも多様化させていることだろう。
以前はトラップ系のヘヴィなビートをシグネチャー・スタイルとしていたKanchanだが、最近ではよりコードやメロディーを重視したサウンドにも挑戦している。
Pothuriと共演した"Wonder"では、Daft Punkを思わせるようなポップでエレクトロニックなR&Bのビートを披露。
Gully Gang一味の出身で、やはりMass Appeal Indiaの所属となったShah Ruleの"Clap Clap"では、印象的なピアノのメロディーと、ドリル的に上下にうねるベースが印象的。
とにかく活躍が止まらないKaran Kanchan、売れてくるにつれて彼は日本のカルチャーを忘れてしまったのか?と少々寂しい気持ちにもなるが、最新曲の"Marzi"は、新境地のChill/Lo-Fi系のビートを大胆に導入した最高に心地よいサウンドを届けてくれた。
Lo-Fi/Chill Hop系のビートは、日本のビートメーカーNujabesやアニメ作品との関わりから、日本のカルチャーとの関わりが深い。
(この話題についてはこの記事に詳しい。beipana「Lo-fi Hip Hop〔ローファイ・ヒップホップ〕はどうやって拡大したか」)
言うまでもなくこのミュージックビデオはあの有名なLo-Fi Study Girlのオマージュ(正面から映しているのは珍しい!)で、机の上のチャイがインドらしさを感じさせるが、窓の外の景色や室内の様子は、日本のようにも、どこか他の国のようにも感じられるのが今っぽい。
ヘヴィはトラップ・サウンドから出発したKaran Kanchanが、メロウなLo-Fiビートでジャパニーズ・カルチャー的な世界に帰ってきてくれたと思うと、なんとも感慨深い。
(関連記事。インドのYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'が作ったインド風Lo-Fi Study Girlにも注目)
ここでこの記事を終わりにしてもよいのだけど、せっかくなのでKaran Kanchan本人に、ここ数年の大活躍とスタイルの深化、そしてパンデミック下での生活についてインタビューをしてみた。
その様子は次回!
お楽しみに!
(Karan Kanchanインタビュー)
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2021年04月12日
インドで発見!日本語で歌うシンガーソングライター Drish T
日本人にとってうれしいことに、アニメや漫画といった日本のカルチャーは、インドのインディー音楽シーンでも一定の存在感を放っている。
Kraken, Komorebi, Riatsuなど、これまで何度も日本の影響を受けたアーティストを紹介してきたが、ここにきて、新たな次元で日本にインスパイアされたシンガーソングライターを見つけてしまった。
彼女の名前はDrish TことDrishti Tandel.
ムンバイ育ち、若干20歳の彼女は、他のアーティストのように、曲に日本語のタイトルを付けたり、日本のアニメ風のミュージックビデオを作ったりしているだけではない。
なんと、彼女は日本語で歌っているのだ。
まずは彼女の曲"Convenience Store(コンビニ)"を聴いてもらおう。
(ちなみに、カタカナの「コンビニ」までがタイトルの一部だ)
大貫妙子を思わせる透明感のある声のキュートなポップス!
日本語の発音もとてもきれいだし、わざとなのかどうか分からないが、「忘れものはいないの?」という表現がユニークでかわいらしい。
彼女がすごいのは、この1曲だけ日本語で歌っているのではなく、「これまでに発表した全ての曲を日本語で歌っている」ということだ。
考えてみてほしい。
日本にも英語で歌うアーティストはいるが、全ての曲を日本語でも英語でもない、母語ではない言語で歌うアーティストがいるだろうか?
Drish Tは他のアーティストの楽曲にゲストヴォーカルとして参加することも多く、iTooKaPillと共演した"Portal"は、なんと日本語の「語り」から始まるエレクトロニック・バラードだ。
声質やトラックのせいもあると思うが、この曲はちょっと宇多田ヒカルっぽく聴こえる。
Animeshというアーティストとコラボレーションした"血の流れ(Blood Flow)"では、アンビエントっぽいトラックに乗せたメロウなヴォーカルを披露している。
インドの音楽シーンに突如現れた日本語シンガー、Drish T, 彼女はいったい何者なのか?
さっそくTwitterのダイレクトメッセージを通じてインタビューを申し込んでみたところ、「日本でインドの音楽のブログを書いている人がいるなんて思わなかった。喜んで質問に答えます!」とすぐに快諾の返事が来た。
それではさっそく、インド生まれの日本語シンガー、Drish Tインタビューの模様をお届けしよう。
ーまず最初に、あなたの経歴を教えてください。あなたはムンバイ在住の二十歳のシンガーソングライターで、カレッジで音楽を学んでいる、ってことであってますか?
「もちろんです!私はムンバイで育ったんですが、でも今はチェンナイにあるA.R.ラフマーンの音楽学校に通っていてディプロマ課程の2年目です」
ーということは、現在はチェンナイに住んでいるんですか?
「はい。ここで学んで3年になります。でもロックダウンでみんな家に帰っていたから、最近になってやっと最終学年がスタートしたところです」
ー学校が再開してよかったですね。いつ、どうやって作曲や歌を始めたんですか?
「最初は8年生(中学2年)のときにアコースティックギターを弾き始めました。叔父さんの古いギターを直して使ったんです。でもすぐに歌うほうが好きだって気がつきました。それで西洋風のヴォーカルを始めて、トリニティ(ロンドンの名門音楽カレッジ)のグレード5の試験を受けることにしました。それから、KM音楽学院(KM Music Conservatory:前述のA.R.ラフマーンの音楽学校)を見つけて、芸術系の学校で12学年(日本でいう高校3年)を終えたあとに、ここに来たんです」
ーギターを始めた頃は、どんな音楽をプレイしていたんですか?
「そのころはポップ・パンクに夢中だったから、ポップ・パンクから始めました」
ー例えばGreen Dayとかですか?古くてすみません、あなたよりだいぶ年上なので(笑)。
「(笑) そう。6年生と7年生(中1)の頃、Green Dayの"Boulevard of Broken Dreams"がすごく人気だった。でもPanic! At The DiscoとかTwenty One Pilots, 5 Seconds To Marsの曲なんかも弾いてました!」
ーいいですね!私はGreen DayでいうとBasket Case世代でした。じゃあ、彼らがあなたに影響を与えたアーティストということですか?
「ええ。最初は彼らの曲をたくさん聴いていた。それからママの古いCDのコレクションで、ブライアン・メイとかマイケル・ジャクソンとかABBAとかQueenも!
それから、ちょっとずつ日本や韓国の音楽も聴くようになって、いまではそういう音楽から影響を受けています!あとはカレッジの友達が作る音楽にも」
ーあなたが日本語でとても上手に歌っているので驚きました。日本語も勉強しているんですか?(ここまで英語でインタビューしていたのだが、この質問に彼女は日本語で答えてくれた)
ーすごい!漢字もたくさん知ってますね。どうやって日本語で歌詞を書いているのですか?
「ありがとうございます(日本語で)!
日本語の歌をたくさん聴いているし、アニメとかインタビューとかポッドキャストとか、いろんなメディアを通して、言葉の自然な響きを学ぼうと努力してる。それで、歌詞を書こうと座ったら、考えなくても言葉が浮かんでくるようになりました。今では日本語が私の内面の深い感情をもっともうまく表現できる言語です。英語よりもね」
ーいつ、どうやって日本のカルチャーを見つけたんですか?
「9年生(中3)と10年生(高1)の頃、YouTuberをたくさん見ていたんだけど、ある時突然彼らが『デスノート』と『進撃の巨人』の話をするようになった(笑)。それですごく興味を持って、最初に見始たのが『四月は君の嘘』。音楽に関する話だったので。それからもっとたくさんアニメを見続けて、とても印象的で美しい言葉だから、日本語も勉強したいって思いました。そういうわけで、Duolingoで独学を始めて、日本の文化に関する本もたくさん読みました。
日本の文化でいちばん好きなのは、礼儀正しさと敬意です。私はすべての人が敬意を持って扱われるべきだと信じているから、すぐに日本の文化に共感ました。
2019年には日本語能力試験(JLPT)のN4(4級)に合格したんです!」
ーおめでとうございます!あなたの言ってること、分かる気がします。僕の場合は19歳のときにインドを旅して、それからずっとインドが好きなので。インドの好きなところは、活気があるところと文化の多様性ですね。僕の場合は、インドの言葉ができないってのが違うけど。勉強するべきだったかな…。
「それは素晴らしい!ヒンディー語はとても簡単だし、北インドで最も共通して話されている言語です。私は南インドの言語を知らないから、今住んでいるチェンナイではちょっと苦労することもあります」
ーお気に入りのアニメや日本のミュージシャンを教えてもらえますか?
「私のお気に入りの日本のアニメは、なんといってもジブリの映画!『ハウルの動く城』はお気に入りの一つです。『ハイキュー!!』も大好き。登場人物たちを見てると、あたたかくてハッピーな気持ちになれます。もちろん、『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『僕のヒーローアカデミア』、最近では『呪術廻戦』も」
ージブリの作品はどれも素晴らしいですよね。もう『呪術廻戦』もご存知なんですね!日本では去年『鬼滅の刃』の映画が大ヒットして、次は『呪術廻戦』が来るんじゃないかってみんな話してますよ。
「ええ。『呪術廻戦』はインドでも私たちの世代にとても人気です!
『NARUTO!』みたいなクラシックな作品ももちろん好き。
日本の音楽に関して言えば、大橋トリオ、久石譲、林ゆうき、Tempalay、Burnout Syndromes、Radwimps、米津玄師、神山羊、King Gnuをたくさん聴いているし、他にもお気に入りは大勢います。挙げればきりがないです(笑)」
ー(凄い…。知らないアーティストもいる…)韓国の音楽も聴いているって言ってましたよね。今ではK-Popは世界中で人気がありますが、日本の音楽と韓国の音楽の違いはどんなところだと思いますか?
「あ、百景を挙げるのを忘れてた!最近ではマスロックやプログレッシブロックもたくさん聴いています。
そうです、K-Popはインドでも大人気です。もちろん、BTSはとくに。私も彼らの音楽は大好きです。なにより、いろんな意味で盛り上げてくれるので。でも、彼らみたいなグループはとても商業的だってことにすぐに気がついて、もっとインディー・ミュージックを聴くようになった。そう、日本の音楽のほうが、より誠実な感じがします。
あっ!toeとu-zhaanのことも言い忘れてました!」
ーK-Popは国際的なマーケットに向けたビッグビジネスって感じですよね。日本の方が人口が多いからかもしれませんが、日本のアーティストはもっと国内マーケット向けに音楽を作っていて、そのことがユニークなサウンドを生み出しているようにも思います。どっちのほうが良いということではなく、どちらも面白いですよね。
プログレッシブロックやマスロックが好きなら、デリーのバンドKrakenは知ってますか? 彼らも日本のカルチャーから影響を受けているバンドです。
「そう、日本の音楽はとてもユニークで、ほとんどの人がなかなかそのことを理解していない。でもインドの人たちも、少しずつ東アジアのカルチャーに対してオープンになってきています。
Krakenのことはちょっと前に知ったのだけど、彼らは本当にクール。私は日本とインドが私たちの文化を超えてつながるのが大好き!」
ーところで、iTooKaPill, Animesh, Ameen Singhなどのたくさんのミュージシャンと共演していますよね。彼らのことは知りませんでしたが、とても才能があるミュージシャンたちで驚きました。どうやって彼らと知り合って、コラボレーションすることになったんですか?
「ええ(笑)、彼らはミュージックカレッジの同級生なんです。ここでたくさんの面白くて才能のある人たちと会えて、素晴らしいです」
ー最高ですね。ところで、これまでずっと日本語で楽曲をリリースしてきましたが、インドの人々のリアクションはどうでしたか?彼らにとっては、意味がわからない言語だと思うのですが。
「そうですね、実際、私の音楽をリリースすることにはためらいがあったのですが、でもK-Popもインドで人気があるし、人々が新しい文化やカルチャーを受け入れるようになってきたって気付きました。それで、みんなが歌詞を理解できるように、リリックビデオを作りました。みんなのリアクションには、とても満足しています。日本語で歌っているから、音楽業界のインフルエンサーたちも注目してくれた。インドではとても珍しいことだから!」
ー『コンビニ』みたいな曲はどうやって書いたんですか?あの曲、すごく気に入っているのですが、日本の暮らしを想像しながら書いたんですか?
「ありがとうございます(日本語で)。私はよくパンケーキを焼くし、日本のコンビニに行くvlogをたくさん見てたから、自分でちょっとした世界を作ってみたくなりました」
ー歌詞の中で「忘れ物はいないの?」っていうところが好きです。「いない」って、人に対して使う言葉だから、なんだか詩的でかわいらしく聞こえるんです。まるで卵とかバターを友達みたいに扱っている気がして。
「歌をレコーディングした後に気が付いたんですが、そのままにしました!それはすごくキュートな見方ですね」
ー間違いだったんですか?わざとそうしているのかと思いました。
「はい、間違いなんです。でもそのままにしておいてよかった(笑)」
ー他の曲は、もっと心の状態を表したものが多そうですね。" Let's Escape (Nigeyo)"(逃げよう)も気に入っています。ギターが素晴らしくて。この曲は何から逃げることを歌っているのですか?
「そう、他の曲は心の状態について歌っています。親友のAmeenがすごくクールなリフを弾いてくれて、共演しようって言ってくれたんです。歌詞を書こうと思って座ったら、すぐに『逃げよう』って言葉が浮かんできた。歌詞全体は、宿命論的な心のあり方から逃げることについて書いているけど、いろんな解釈ができます。何らかの感情、場所、人からエスケープするとかね」
現時点の最新曲"Let's Escape(Nigeyo)"はAmeen Singhのマスロック的なギターをフィーチャーした楽曲で、彼女の新しい一面を見ることができる。
「本当は、2020年の夏に両親といっしょに日本を訪れて、いくつかの音楽大学をチェックする予定でした。でもパンデミックが起こってしまって…。本当に、いつか日本で学んでみたいと思ってます」
ー日本にはまだ来たことがないんですか?
「ええ、まだないんです。チケットも予約していたのに、全てキャンセルしなければならなりませんでした」
と、最後まで日本への思いを語ってくれたDrish T.
彼女が安心して日本に来ることができる日が訪れることを、心から願っている。
彼女がコラボレーションしていたiTooKaPillやAnimeshも才能あるミュージシャンで、インドの若手アーティストの(というか、A.R.ラフマーンのKM音楽学院の)レベルの高さを思い知らされる。
というわけで、今回は「インドで日本語で歌うインド人シンガー」Drish Tを紹介しました!
次回は「インドでヒンディー語で歌う日本人シンガー」です !
Kraken, Komorebi, Riatsuなど、これまで何度も日本の影響を受けたアーティストを紹介してきたが、ここにきて、新たな次元で日本にインスパイアされたシンガーソングライターを見つけてしまった。
彼女の名前はDrish TことDrishti Tandel.
ムンバイ育ち、若干20歳の彼女は、他のアーティストのように、曲に日本語のタイトルを付けたり、日本のアニメ風のミュージックビデオを作ったりしているだけではない。
なんと、彼女は日本語で歌っているのだ。
まずは彼女の曲"Convenience Store(コンビニ)"を聴いてもらおう。
(ちなみに、カタカナの「コンビニ」までがタイトルの一部だ)
大貫妙子を思わせる透明感のある声のキュートなポップス!
日本語の発音もとてもきれいだし、わざとなのかどうか分からないが、「忘れものはいないの?」という表現がユニークでかわいらしい。
彼女がすごいのは、この1曲だけ日本語で歌っているのではなく、「これまでに発表した全ての曲を日本語で歌っている」ということだ。
考えてみてほしい。
日本にも英語で歌うアーティストはいるが、全ての曲を日本語でも英語でもない、母語ではない言語で歌うアーティストがいるだろうか?
Drish Tは他のアーティストの楽曲にゲストヴォーカルとして参加することも多く、iTooKaPillと共演した"Portal"は、なんと日本語の「語り」から始まるエレクトロニック・バラードだ。
声質やトラックのせいもあると思うが、この曲はちょっと宇多田ヒカルっぽく聴こえる。
Animeshというアーティストとコラボレーションした"血の流れ(Blood Flow)"では、アンビエントっぽいトラックに乗せたメロウなヴォーカルを披露している。
インドの音楽シーンに突如現れた日本語シンガー、Drish T, 彼女はいったい何者なのか?
さっそくTwitterのダイレクトメッセージを通じてインタビューを申し込んでみたところ、「日本でインドの音楽のブログを書いている人がいるなんて思わなかった。喜んで質問に答えます!」とすぐに快諾の返事が来た。
それではさっそく、インド生まれの日本語シンガー、Drish Tインタビューの模様をお届けしよう。
ーまず最初に、あなたの経歴を教えてください。あなたはムンバイ在住の二十歳のシンガーソングライターで、カレッジで音楽を学んでいる、ってことであってますか?
「もちろんです!私はムンバイで育ったんですが、でも今はチェンナイにあるA.R.ラフマーンの音楽学校に通っていてディプロマ課程の2年目です」
ーということは、現在はチェンナイに住んでいるんですか?
「はい。ここで学んで3年になります。でもロックダウンでみんな家に帰っていたから、最近になってやっと最終学年がスタートしたところです」
ー学校が再開してよかったですね。いつ、どうやって作曲や歌を始めたんですか?
「最初は8年生(中学2年)のときにアコースティックギターを弾き始めました。叔父さんの古いギターを直して使ったんです。でもすぐに歌うほうが好きだって気がつきました。それで西洋風のヴォーカルを始めて、トリニティ(ロンドンの名門音楽カレッジ)のグレード5の試験を受けることにしました。それから、KM音楽学院(KM Music Conservatory:前述のA.R.ラフマーンの音楽学校)を見つけて、芸術系の学校で12学年(日本でいう高校3年)を終えたあとに、ここに来たんです」
ーギターを始めた頃は、どんな音楽をプレイしていたんですか?
「そのころはポップ・パンクに夢中だったから、ポップ・パンクから始めました」
ー例えばGreen Dayとかですか?古くてすみません、あなたよりだいぶ年上なので(笑)。
「(笑) そう。6年生と7年生(中1)の頃、Green Dayの"Boulevard of Broken Dreams"がすごく人気だった。でもPanic! At The DiscoとかTwenty One Pilots, 5 Seconds To Marsの曲なんかも弾いてました!」
ーいいですね!私はGreen DayでいうとBasket Case世代でした。じゃあ、彼らがあなたに影響を与えたアーティストということですか?
「ええ。最初は彼らの曲をたくさん聴いていた。それからママの古いCDのコレクションで、ブライアン・メイとかマイケル・ジャクソンとかABBAとかQueenも!
それから、ちょっとずつ日本や韓国の音楽も聴くようになって、いまではそういう音楽から影響を受けています!あとはカレッジの友達が作る音楽にも」
ーあなたが日本語でとても上手に歌っているので驚きました。日本語も勉強しているんですか?(ここまで英語でインタビューしていたのだが、この質問に彼女は日本語で答えてくれた)
ーすごい!漢字もたくさん知ってますね。どうやって日本語で歌詞を書いているのですか?
「ありがとうございます(日本語で)!
日本語の歌をたくさん聴いているし、アニメとかインタビューとかポッドキャストとか、いろんなメディアを通して、言葉の自然な響きを学ぼうと努力してる。それで、歌詞を書こうと座ったら、考えなくても言葉が浮かんでくるようになりました。今では日本語が私の内面の深い感情をもっともうまく表現できる言語です。英語よりもね」
ーいつ、どうやって日本のカルチャーを見つけたんですか?
「9年生(中3)と10年生(高1)の頃、YouTuberをたくさん見ていたんだけど、ある時突然彼らが『デスノート』と『進撃の巨人』の話をするようになった(笑)。それですごく興味を持って、最初に見始たのが『四月は君の嘘』。音楽に関する話だったので。それからもっとたくさんアニメを見続けて、とても印象的で美しい言葉だから、日本語も勉強したいって思いました。そういうわけで、Duolingoで独学を始めて、日本の文化に関する本もたくさん読みました。
日本の文化でいちばん好きなのは、礼儀正しさと敬意です。私はすべての人が敬意を持って扱われるべきだと信じているから、すぐに日本の文化に共感ました。
2019年には日本語能力試験(JLPT)のN4(4級)に合格したんです!」
ーおめでとうございます!あなたの言ってること、分かる気がします。僕の場合は19歳のときにインドを旅して、それからずっとインドが好きなので。インドの好きなところは、活気があるところと文化の多様性ですね。僕の場合は、インドの言葉ができないってのが違うけど。勉強するべきだったかな…。
「それは素晴らしい!ヒンディー語はとても簡単だし、北インドで最も共通して話されている言語です。私は南インドの言語を知らないから、今住んでいるチェンナイではちょっと苦労することもあります」
ーお気に入りのアニメや日本のミュージシャンを教えてもらえますか?
「私のお気に入りの日本のアニメは、なんといってもジブリの映画!『ハウルの動く城』はお気に入りの一つです。『ハイキュー!!』も大好き。登場人物たちを見てると、あたたかくてハッピーな気持ちになれます。もちろん、『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『僕のヒーローアカデミア』、最近では『呪術廻戦』も」
ージブリの作品はどれも素晴らしいですよね。もう『呪術廻戦』もご存知なんですね!日本では去年『鬼滅の刃』の映画が大ヒットして、次は『呪術廻戦』が来るんじゃないかってみんな話してますよ。
「ええ。『呪術廻戦』はインドでも私たちの世代にとても人気です!
『NARUTO!』みたいなクラシックな作品ももちろん好き。
日本の音楽に関して言えば、大橋トリオ、久石譲、林ゆうき、Tempalay、Burnout Syndromes、Radwimps、米津玄師、神山羊、King Gnuをたくさん聴いているし、他にもお気に入りは大勢います。挙げればきりがないです(笑)」
ー(凄い…。知らないアーティストもいる…)韓国の音楽も聴いているって言ってましたよね。今ではK-Popは世界中で人気がありますが、日本の音楽と韓国の音楽の違いはどんなところだと思いますか?
「あ、百景を挙げるのを忘れてた!最近ではマスロックやプログレッシブロックもたくさん聴いています。
そうです、K-Popはインドでも大人気です。もちろん、BTSはとくに。私も彼らの音楽は大好きです。なにより、いろんな意味で盛り上げてくれるので。でも、彼らみたいなグループはとても商業的だってことにすぐに気がついて、もっとインディー・ミュージックを聴くようになった。そう、日本の音楽のほうが、より誠実な感じがします。
あっ!toeとu-zhaanのことも言い忘れてました!」
ーK-Popは国際的なマーケットに向けたビッグビジネスって感じですよね。日本の方が人口が多いからかもしれませんが、日本のアーティストはもっと国内マーケット向けに音楽を作っていて、そのことがユニークなサウンドを生み出しているようにも思います。どっちのほうが良いということではなく、どちらも面白いですよね。
プログレッシブロックやマスロックが好きなら、デリーのバンドKrakenは知ってますか? 彼らも日本のカルチャーから影響を受けているバンドです。
「そう、日本の音楽はとてもユニークで、ほとんどの人がなかなかそのことを理解していない。でもインドの人たちも、少しずつ東アジアのカルチャーに対してオープンになってきています。
Krakenのことはちょっと前に知ったのだけど、彼らは本当にクール。私は日本とインドが私たちの文化を超えてつながるのが大好き!」
ーところで、iTooKaPill, Animesh, Ameen Singhなどのたくさんのミュージシャンと共演していますよね。彼らのことは知りませんでしたが、とても才能があるミュージシャンたちで驚きました。どうやって彼らと知り合って、コラボレーションすることになったんですか?
「ええ(笑)、彼らはミュージックカレッジの同級生なんです。ここでたくさんの面白くて才能のある人たちと会えて、素晴らしいです」
ー最高ですね。ところで、これまでずっと日本語で楽曲をリリースしてきましたが、インドの人々のリアクションはどうでしたか?彼らにとっては、意味がわからない言語だと思うのですが。
「そうですね、実際、私の音楽をリリースすることにはためらいがあったのですが、でもK-Popもインドで人気があるし、人々が新しい文化やカルチャーを受け入れるようになってきたって気付きました。それで、みんなが歌詞を理解できるように、リリックビデオを作りました。みんなのリアクションには、とても満足しています。日本語で歌っているから、音楽業界のインフルエンサーたちも注目してくれた。インドではとても珍しいことだから!」
ー『コンビニ』みたいな曲はどうやって書いたんですか?あの曲、すごく気に入っているのですが、日本の暮らしを想像しながら書いたんですか?
「ありがとうございます(日本語で)。私はよくパンケーキを焼くし、日本のコンビニに行くvlogをたくさん見てたから、自分でちょっとした世界を作ってみたくなりました」
ー歌詞の中で「忘れ物はいないの?」っていうところが好きです。「いない」って、人に対して使う言葉だから、なんだか詩的でかわいらしく聞こえるんです。まるで卵とかバターを友達みたいに扱っている気がして。
「歌をレコーディングした後に気が付いたんですが、そのままにしました!それはすごくキュートな見方ですね」
ー間違いだったんですか?わざとそうしているのかと思いました。
「はい、間違いなんです。でもそのままにしておいてよかった(笑)」
ー他の曲は、もっと心の状態を表したものが多そうですね。" Let's Escape (Nigeyo)"(逃げよう)も気に入っています。ギターが素晴らしくて。この曲は何から逃げることを歌っているのですか?
「そう、他の曲は心の状態について歌っています。親友のAmeenがすごくクールなリフを弾いてくれて、共演しようって言ってくれたんです。歌詞を書こうと思って座ったら、すぐに『逃げよう』って言葉が浮かんできた。歌詞全体は、宿命論的な心のあり方から逃げることについて書いているけど、いろんな解釈ができます。何らかの感情、場所、人からエスケープするとかね」
現時点の最新曲"Let's Escape(Nigeyo)"はAmeen Singhのマスロック的なギターをフィーチャーした楽曲で、彼女の新しい一面を見ることができる。
「本当は、2020年の夏に両親といっしょに日本を訪れて、いくつかの音楽大学をチェックする予定でした。でもパンデミックが起こってしまって…。本当に、いつか日本で学んでみたいと思ってます」
ー日本にはまだ来たことがないんですか?
「ええ、まだないんです。チケットも予約していたのに、全てキャンセルしなければならなりませんでした」
と、最後まで日本への思いを語ってくれたDrish T.
彼女が安心して日本に来ることができる日が訪れることを、心から願っている。
彼女がコラボレーションしていたiTooKaPillやAnimeshも才能あるミュージシャンで、インドの若手アーティストの(というか、A.R.ラフマーンのKM音楽学院の)レベルの高さを思い知らされる。
というわけで、今回は「インドで日本語で歌うインド人シンガー」Drish Tを紹介しました!
次回は「インドでヒンディー語で歌う日本人シンガー」です !
goshimasayama18 at 20:43|Permalink│Comments(0)
2020年12月10日
インドのアニメファンによるYouTubeチャンネル"Anime Mirchi"の強烈すぎる世界!
これまでも何度か特集しているとおり、インドにおいて日本のカルチャーは一定のファン層を獲得している。
ここでいう「カルチャー 」というのは、主にアニメのことで、インドのインディーミュージシャンの中には、日本のアニメ作品からの影響を公言しているアーティストがたくさんいるのだ。
そんなインドのアニメファンが運営している、かなり面白いYouTubeチャンネルを発見してしまった。
それが、今回紹介するこの'Anime Mirchi'である。
('Mirchi'とはインド料理にもよく使われる唐辛子のこと)
このチャンネルの素晴らしいところは、単にアニメのみを扱っているのではなく、インドのインディペンデント・ミュージックと日本のアニメ・カルチャーの融合にも積極的に取り組んでいることである。
中でも唸らされたのが、この'Indian lofi hip hop/ chill beats ft. wodds || Desi lofi girl studying'と題された動画だ。
Lo-Fiヒップホップは、創成期の代表的ビートメーカーである故Nujabesが、アニメ作品『サムライ・チャンプルー』のサウンドを手掛けたことなどから、アニメとのつながりが深いジャンルとされている。
とくに、パリ郊外に拠点を構えるYouTubeチャンネル'ChilledCow'が、"lofi hip hop radio - beats to relax/study to"に勉強中の女の子のアニメーションを使用してからは、ローファイサウンドと日本風のアニメの組み合わせがひとつの様式美として確立した。
Lo-Fi HipHopについてはこのbeipanaさんによる記事が詳しい。
この「勉強中の女の子」(当初はジブリの『耳をすませば』 のワンシーンが使われていたが、著作権の申し立てによってオリジナルのアニメに差し替えられた)は、国や文化によって様々なバージョンが二次創作されており、Anime Mirchiが作成したのはそのインド・バージョンというわけである。
(インド以外の各国バージョンはこの記事で紹介されている)
さらに面白いところでは、「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」をヴェイパーウェイヴ、シンセウェイヴ的に再構築するという狂気としか思えないアイディアを実現したこんな音源もアップロードされている。
ヒンディー語版?のドラえもんのテーマ曲をリミックスした映像は超ドープ!
ここ数年話題となっているヴェイパーウェイヴというジャンルを簡単に説明すると、「80年代風の大量消費文化を、追憶と皮肉を込めて再編集したもの」ということになるだろう。
「シンセウェイヴ」は、同様のコンセプトでシンセサウンドとレトロフューチャー的なイメージが主体となったものだ。
これらの動画のサウンドを手掛けている'$OB!N'というアーティストは相当なアニメファンらしく、あの『こち亀』の主人公の両津勘吉をテーマにしたこんな曲を自身のSoundcloudで発表していたりもする。
カタカナ入りの字幕も全てこの動画のために作成されたものだ。
『バーフバリ』はコアなアニメ作品同様、コスプレまでする熱心なファンを持つ映画だが、こうして見てみると、かなりアニメ的なシーンや演出が多いということに気づかされる。
この映像は、『バーフバリ』の日本で大ヒットし、新しいファン層を開拓したことに対するトリビュートとして制作されたものだそう。
『バーフバリ』はコアなアニメ作品同様、コスプレまでする熱心なファンを持つ映画だが、こうして見てみると、かなりアニメ的なシーンや演出が多いということに気づかされる。
この映像は、『バーフバリ』の日本で大ヒットし、新しいファン層を開拓したことに対するトリビュートとして制作されたものだそう。
インドのインディーミュージックの紹介を趣旨としているこのブログとしては、最近のアーティストの作品に日本のアニメの映像を組み合わせた動画に注目したい。
これはSmg, Frntflw, Atteevの共作によるEDM"One Dance"に新海誠の『言の葉の庭』の映像を合わせたもの。
デリーのラッパーデュオSeedhe MautとKaran Kanchanの"Dum Pishaach"にはHELLSINGの映像が重ねられている。
この2曲に関しては、オリジナルのミュージックビデオも(ほぼ静止画だが)アニメーションで作られており、"One Dance"はSF風、"Dum Pishaach"はアメコミと日本のアニメとインドの神様が融合したような独特の世界観を表現している。
"Dum Pishaach"のビートメイカーKaran Kanchanは大のアニメ好き、日本カルチャー好きとしても有名なアーティストだ。
著作権的なことを考えると微妙な部分もあるが(というか、はっきり言ってアウトだが)、ここまで熱心に日本のカルチャーを愛してくれて、かつ私が愛するインドのインディーミュージックにも造詣が深いこのチャンネル運営者の情熱にはただただ圧倒される。
インドにおけるジャパニーズ・カルチャーと、日本におけるインディアン・カルチャー。
いずれもコアなファンを持つ2つのジャンルをつなぐ'Anime Mirchi'に、どうかみなさんも注目してほしい。
'Anime Mirchi' YouTubeチャンネル
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goshimasayama18 at 20:06|Permalink│Comments(0)
2020年08月26日
『懐かしい』『旅』『認識』『生きがい』『物語』… インドで生まれた日本語タイトルの楽曲たち!
インドの音楽シーンを見ていると、日本語のタイトルを冠した曲を目にすることがたまにある。
アニメやマンガに代表される日本のサブカルチャーは、インドでも刺激的な新しい文化に敏感な都市部の若者を中心に人気があり、サブカルチャー経由で日本に興味を持つアーティストも多い…ということが、この現象の理由のようだ。
それだけでも日本人としてうれしいが、さらにうれしいことに、日本語タイトルの曲は、音的にも興味深い作品が多いので、今回、まとめて紹介してみます。
まず最初に紹介するのは、以前に特集したこともあるニューデリーのオーガニック・ソウルシンガーSanjeeta Bhattacharyaの"Natsukashii".
考えてみれば、「懐かしい」にあたる言葉って外国語にないのかもしれない。
Nostargicとも少し違うし…。
日本語が使われているというだけではなく、曲ポップで歌っているSanjeetaもとてもチャーミングなので、日本でももっと聴かれてほしい1曲だ。
彼女はアメリカの名門バークリー音楽大学の出身。
スペイン語の歌を歌っていたりもするので、おそらくバークリーで世界中の様々な言語やカルチャーに触れ、「懐かしい」という言葉をタイトルにつけるに至ったのだろう。
曲名だけではなく、アーティスト名に日本語を採用しているアーティストもいる。
ジブリ作品など日本のカルチャーの影響を大きく受けているデリーのエレクトロニカ・アーティスト'Komorebi'ことTarana Marwahだ。
先日リリースした、他のアーティストによる彼女の作品のリミックス集のタイトルは"Ninshiki"(認識)。
彼女のFacebookによると、「'Ninshiki'は日本語で'In Dreams'という意味」と語っていて「うーん、ちょっと違う」と言いたいところだが、他人によって解釈された作品を『認識』と名付けるのは間違っていないし、なかなか良いセンスだと思う。
ここでは、"Ninshiki"に収録された"Rebirth(Psychonaut Remix)"と、原曲(アニメになったKomorebiがインドと東京を行ったり来たりするミュージックビデオが面白い!)を両方紹介してみたい。
日本語の名前を持ったアーティストといえば、前回も紹介したムンバイのアンビエント/エレクトロニカアーティストRiatsuも、漫画/アニメの" Bleech"に出てくる霊的エネルギー「霊圧」から名前も取っている。
先日の記事でも触れた"Kumo"(蜘蛛)は朝露に輝く蜘蛛の巣のきらめきを思わせる美しい曲。
彼は"Tabi"(旅)という曲をリリースしたこともある。
新型コロナウイルスによるロックダウン中に発表された"Tabi"は、25分におよぶ、内的宇宙への旅とも言える静かな大曲だ。
バンガロールのジャズ/ヒップホップバンドFakeer and the Arcが今年5月にリリースしたアルバムのタイトルは、"Ikigai".
ちょうどこの記事を書いているときに、「インドのヨガ講師がIkigaiという言葉を使っていた」というツイートを読んだばかり。
'Ikigai'という言葉は、スペイン出身で日本在住の作家Hector Garciaによるベストセラーのタイトルになっており、インドの書店にも平積みされていて、インド制作のNetflix作品『マスカ 夢と幸せの味』(原題"Maska")でも使われているという。(ちなみにHector Garciaは"Ichigo Ichie"という著書も書いている。)
「生きがい」はグローバルな言葉になりつつあるようだ。
コルカタのテクノユニットHybrid Protokolによる"Tetsuo"は、『アキラ』のキャラクターではなく、塚本晋也監督による「日本最初のサイバーパンク映画」である『鉄男』(Tetsuo the Iron Man)から取られたものだという。
コルカタは古くはアジア初のノーベル賞受賞者である詩人のタゴールや映画監督のサタジット・レイらを輩出した文化の薫り高い都市だが、現代のテクノアーティストが1989年の日本のカルト映画にまで行き着くとは思わなかった。
どこか90年代テクノの影響を感じさせるサウンドが、映画の世界観にも合致しているように感じられる。
インド北東部のアコースティック・ポップバンドLai Lik Leiによる"Eshei"は、曲名こそ日本語では無いが、"Iriguchi"という映画のテーマ曲として作られている。
マニプル州は、無謀な進軍で多大な犠牲者を出した旧日本軍のインパール作戦の戦場となった土地だ。
この曲に日本語のタイトルが採用されている理由は、こうした悲劇的な歴史によるものかもしれないが、モンゴロイド系の民族が暮らすインド北東部では、ナガランド州で日本のアニメのコスプレがブームになるなど、東アジアのカルチャーへの親和性が高い土地でもある。
民族的にも宗教的にもインドのマジョリティーとは異なる北東部の人々にとって(インド北東部はクリスチャンが多い)、日本や韓国のカルチャーは、ボリウッドなどのインドの現代文化よりも身近に感じられるのかもしれない。
ムンバイのビートメーカーKaran Kanchanは、NaezyやDIVINEなど、インドを代表するラッパーたちのトラックを制作するかたわら、ソロ作品では日本文化の影響を大きく取り入れた'J-Trap'なるジャンルの楽曲を多く発表している。
(このJ-Trapというジャンルは、日本発祥ではなく、このKaran Kanchanが提唱しているものだ)
6月に発表した最新作"Monogatari"では、日本の三味線奏者の寂空(Jack)とのコラボレーションにより、よりユニークな世界観を表現している。
じつは、このコラボレーションのきっかけになったのは、私、不肖軽刈田。
以前インタビューしたことがあるKaran Kanchanから「三味線奏者を紹介してほしい」という相談を受け、SNSで声をかけたところ、世界ツアーの経験もある寂空が応えてくれたのだ。
今作では寂空はナレーションのみの参加だが、今後、三味線でのコラボレーションも計画されているそうで、期待は高まるばかりだ。
インドと日本のコラボレーションとしては、以前このブログでも大々的に紹介したムンバイ在住のダンサー/シンガーのHirokoさんと現地のラッパーIbex, ビートメーカーKushmirによる『ミスティック情熱』も記憶に新しい。
Hirokoさんも現地のミュージシャンとの新しいコラボレーションの計画が進行中だそうで、今後、日印共作による面白い作品がどんどん増えてゆくのかもしれない。
と、ざっと日本語のタイトルを持つ曲や、日本との関わりのある曲を紹介した。
面白いのは、「懐かしい」や「生きがい」といった、日本独特の心のあり方をタイトルに採用した曲が多いということ。
かつて、ヨガやインド哲学に代表されるインドの精神文化は、西洋的な消費文化に対するカウンターカルチャーとして、欧米の若者たちに大きな影響を与えた。
また、インドは仏教のルーツとして、日本文化の源流となった国でもある。
それが今日では、欧米的な生活をするようになったインド都市部の若者たちが、日本の文化をその作品に引用しているというわけで、この現象は、世界的なカウンターカルチャーや精神文化の動向という意味でも、なかなか興味深いものがある。
今後も、極東アジアと南アジアの文化の影響のもとで、どんな素晴らしい作品が生まれてくるのか、興味は尽きない。
また何か面白い作品を見つけたら紹介したいと思います!
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goshimasayama18 at 18:40|Permalink│Comments(2)
2020年07月01日
インドと寿司の話(20年前の思い出と、最近のミュージックビデオなど)
誰が決めたのかは知らないが、6月18日は国際寿司デーだったそうだ。
(と思って書き始めたら、もうとっくに過ぎてしまった…)
寿司がすっかり国際的な料理になって久しいが、今回の記事は、私の奇妙な思い出話から始めたいと思う。
あれは今からちょうど20年前の話。
卒業旅行で訪れたインドのゴアで、なんとも不思議な店を目にした。
いや、今となっては、あれを店と呼んでいいのかすら分からない。
ゴアは、いくつもの美しいビーチを持つインド西部の街だ。
かつてポルトガル領だったゴアは、インドでは例外的にヨーロッパっぽい雰囲気があり、そのためか、欧米人ツーリスト、とくにヒッピーやバックパッカーに人気が高い。
(ゴアのヒッピーカルチャーについては、この記事から始まる全3回にまとめてあるので興味がある方はどうぞ)
心地よい潮風が吹き、美味しい欧米料理が安く食べられ、この国ではめずらしく飲酒にも寛容なゴアは、どことなく修行のような雰囲気がただようインド貧乏旅行のなかで、珍しく楽園の空気を感じることができる街だった。
1ヶ月にわたる旅の終盤だった私は、南国の暖かい日差しの中、ヒッピーファッションやトランスのCDを扱う店を冷やかしたり、海辺で外国人ツーリストとビーチバレーをしたりして、楽園ムードを満喫していた。
…その粗末な掘っ建て小屋が立っていたのは、アンジュナ・ビーチとカラングート・ビーチの間の細い道路脇のヤシの木陰だったと記憶している。
色褪せたスカイブルーのその小屋は、どうやら食べ物屋だったらしいのだが、入り口は閉ざされ、南京錠がかけられていた。
トタンのような素材で作られたその小屋はあまりに見すぼらしく、多少旅慣れた私でも「もしこの店が営業していても、ここで出された物は絶対に口にしたくない」と思うほどだった。
いや、今となっては、あれを店と呼んでいいのかすら分からない。
ゴアは、いくつもの美しいビーチを持つインド西部の街だ。
かつてポルトガル領だったゴアは、インドでは例外的にヨーロッパっぽい雰囲気があり、そのためか、欧米人ツーリスト、とくにヒッピーやバックパッカーに人気が高い。
(ゴアのヒッピーカルチャーについては、この記事から始まる全3回にまとめてあるので興味がある方はどうぞ)
心地よい潮風が吹き、美味しい欧米料理が安く食べられ、この国ではめずらしく飲酒にも寛容なゴアは、どことなく修行のような雰囲気がただようインド貧乏旅行のなかで、珍しく楽園の空気を感じることができる街だった。
1ヶ月にわたる旅の終盤だった私は、南国の暖かい日差しの中、ヒッピーファッションやトランスのCDを扱う店を冷やかしたり、海辺で外国人ツーリストとビーチバレーをしたりして、楽園ムードを満喫していた。
…その粗末な掘っ建て小屋が立っていたのは、アンジュナ・ビーチとカラングート・ビーチの間の細い道路脇のヤシの木陰だったと記憶している。
色褪せたスカイブルーのその小屋は、どうやら食べ物屋だったらしいのだが、入り口は閉ざされ、南京錠がかけられていた。
トタンのような素材で作られたその小屋はあまりに見すぼらしく、多少旅慣れた私でも「もしこの店が営業していても、ここで出された物は絶対に口にしたくない」と思うほどだった。
そこが食べ物屋らしいと思ったのには理由がある。
壁面に、サイケデリックに曲がりくねった書体で、それまでインドでは一度も目にしたことのない料理の名前が大書きされていたのだ。
'SEAFOOD'という単語と並んで、その薄汚れた壁に書かれていたのは、ド派手な原色の'SUSHI', 'SASHIMI'という文字だった。
しかしそこには、日本人が寿司と聞いてイメージする、新鮮さや清潔さといった要素は全くなかった。
日差しが照りつけるインドの常夏の街の、さびれた小屋で出される寿司、刺身。
これ以上食中毒が確実な状況があるだろうか。
当時、日本人バックパッカー向けに日本食っぽい料理を出す店は、一応インド各地に存在していた(ヴァラナシの「ガンガー富士」とか、ブッダガヤの「ポレポレ」とか)。
だが、メニューはせいぜい親子丼とかオムライスみたいなものばかりで、ご飯はパサパサのインド米、しかもオリジナルの味を知らないインド人の料理人が勝手にスパイシーな味付けにしてしまうので、そこで出されるのは、食べればかえって本物の日本食が恋しくなってしまうという代物だった。
まともな日本食を食べるには、大金を払って、駐在員が行くような大都市の高級店に行くしかなかったのだ(行ったことがないので分からないけど)。
あの頃、生の魚料理を出す店は、インドには無かったのではないだろうか。
当時のインドには、新鮮な魚を安定した冷蔵状態で輸送・保管して調理できる環境はほとんどなかったはずだし、生魚を扱える料理人がわざわざ日本からインドに働きに来るとも思えなかった。
(本格的な日本食の店を海外で志すなら、あの頃だったらアメリカやヨーロッパに行ったはずだ)
きっと、寿司が食べたくなった旅行者が、とっくに潰れた店にふざけて落書きしたに違いない。
小屋の入り口は固く閉ざされており、その寂れた雰囲気は、潰れてからずいぶんと経過しているように見えた。
と、その小屋をなんとなく眺めていると、突然、どこからともなく一人のインド人のおっさんが現れた。
どうやらその「店」の関係者が、客と思しき日本人を見つけてやって来たらしいのだ。
その男が、おもむろに「あんた、スシを食べに来たのか?」と聞いてきたので、私はさらに驚いた。
驚いた理由その1は、この小屋というか店は、一応、まだ営業しているらしいということ。
そして、驚いた理由その2は、この小屋で、本当に寿司や刺身を提供しているということだ。
怖いもの見たさで「ここで寿司が食べられるの?」と聞くと、そのオヤジは「今はないが、夜ならできる。夜また来い!」と力強く答えた。
それは、「日本人のあなたが満足できる寿司じゃないかもしれないけど…」みたいな謙虚さの一切感じられない、インド人特有の、根拠のない自信に満ち溢れた、堂々たる言いっぷりだった。
あまりに不意をつかれたのと、よく分からない気まずさから、お人好しな日本人の私は、つい反射的にこう言ってしまった。
「分かった。夜、また来る」
店の親父は、力を込めて「OK. 準備しておく」と答えた。
壁面に、サイケデリックに曲がりくねった書体で、それまでインドでは一度も目にしたことのない料理の名前が大書きされていたのだ。
'SEAFOOD'という単語と並んで、その薄汚れた壁に書かれていたのは、ド派手な原色の'SUSHI', 'SASHIMI'という文字だった。
しかしそこには、日本人が寿司と聞いてイメージする、新鮮さや清潔さといった要素は全くなかった。
日差しが照りつけるインドの常夏の街の、さびれた小屋で出される寿司、刺身。
これ以上食中毒が確実な状況があるだろうか。
当時、日本人バックパッカー向けに日本食っぽい料理を出す店は、一応インド各地に存在していた(ヴァラナシの「ガンガー富士」とか、ブッダガヤの「ポレポレ」とか)。
だが、メニューはせいぜい親子丼とかオムライスみたいなものばかりで、ご飯はパサパサのインド米、しかもオリジナルの味を知らないインド人の料理人が勝手にスパイシーな味付けにしてしまうので、そこで出されるのは、食べればかえって本物の日本食が恋しくなってしまうという代物だった。
まともな日本食を食べるには、大金を払って、駐在員が行くような大都市の高級店に行くしかなかったのだ(行ったことがないので分からないけど)。
あの頃、生の魚料理を出す店は、インドには無かったのではないだろうか。
当時のインドには、新鮮な魚を安定した冷蔵状態で輸送・保管して調理できる環境はほとんどなかったはずだし、生魚を扱える料理人がわざわざ日本からインドに働きに来るとも思えなかった。
(本格的な日本食の店を海外で志すなら、あの頃だったらアメリカやヨーロッパに行ったはずだ)
きっと、寿司が食べたくなった旅行者が、とっくに潰れた店にふざけて落書きしたに違いない。
小屋の入り口は固く閉ざされており、その寂れた雰囲気は、潰れてからずいぶんと経過しているように見えた。
と、その小屋をなんとなく眺めていると、突然、どこからともなく一人のインド人のおっさんが現れた。
どうやらその「店」の関係者が、客と思しき日本人を見つけてやって来たらしいのだ。
その男が、おもむろに「あんた、スシを食べに来たのか?」と聞いてきたので、私はさらに驚いた。
驚いた理由その1は、この小屋というか店は、一応、まだ営業しているらしいということ。
そして、驚いた理由その2は、この小屋で、本当に寿司や刺身を提供しているということだ。
怖いもの見たさで「ここで寿司が食べられるの?」と聞くと、そのオヤジは「今はないが、夜ならできる。夜また来い!」と力強く答えた。
それは、「日本人のあなたが満足できる寿司じゃないかもしれないけど…」みたいな謙虚さの一切感じられない、インド人特有の、根拠のない自信に満ち溢れた、堂々たる言いっぷりだった。
あまりに不意をつかれたのと、よく分からない気まずさから、お人好しな日本人の私は、つい反射的にこう言ってしまった。
「分かった。夜、また来る」
店の親父は、力を込めて「OK. 準備しておく」と答えた。
ところが、その夜、再びその店に行くことはなかった。
すっぽかしたのではない。
ゴアの強烈な日差しで熱射病になってしまったのだ。
体調は最悪で、とてもそんな不衛生な店で食事をする気にはならなかったし、そもそもベッドから起き上がることもできず、私はひたすら宿で体を休めることしかできなかった。
こうして私は、インドで寿司を食べる貴重なチャンスを逸したわけだが、正直にいうと、あの不衛生な寿司屋に行かないで済む理由ができて、どこかほっとしていた。
すっぽかしたのではない。
ゴアの強烈な日差しで熱射病になってしまったのだ。
体調は最悪で、とてもそんな不衛生な店で食事をする気にはならなかったし、そもそもベッドから起き上がることもできず、私はひたすら宿で体を休めることしかできなかった。
こうして私は、インドで寿司を食べる貴重なチャンスを逸したわけだが、正直にいうと、あの不衛生な寿司屋に行かないで済む理由ができて、どこかほっとしていた。
翌日にはすっかり元気になったものの、ゴアにはインドの他の街では見かけないような欧米風の食べ物を出す店がたくさんあり、薄情な私は、あのみすぼらしい寿司屋のことを、もうすっかり忘れてしまっていた。
ちょうど2000年のことである。
思いがけずインドで初めて寿司を食べたのは、それから10年の月日が流れた2010年のことだった。
バックパッカーからスーツケーサー(とは言わないけど)に成り上がった、もしくは成り下がった私は、出張で職場のえらい人と一緒にバンガロールのかなり高級なホテルに泊まっていた。
えらい人と一緒だったので、いいホテルに泊まれたのである。
バックパッカー時代に泊まっていた宿と比べて、1泊の料金が100倍くらいするそのホテルは、私がよく知るインドとは全く別の世界だった。
見るもの全てが、かつて宿泊していた安宿とは全く異なる清潔感と高級感にあふれていた。
スタッフはアイロンの効いた制服に身を包み、シーツやテーブルクロスは染みひとつない真っ白。
世界中のエグゼクティブと思しき人たちが行き交う無国籍な高級空間は、スタッフの顔立ちさえ除けば、まるでヨーロッパの大都市のホテルのようだった(行ったことないので分からないけど)。
そのホテルの朝食バイキングに、なんと、巻き寿司が並んでいたのである。
たしか、サーモン巻きとカッパ巻きだったと思う。
おそるおそるお皿にとって食べてみると、日本風のお米に酢がちゃんと効いていて、テーブルには醤油も添えられていて、正真正銘の寿司と呼んで全く差し支えのない一品だった。
(もちろん、お腹も壊さなかった)
さらに、その宿には日本風居酒屋も併設されていて、内装は外国の日本料理屋にありがちな、やたらと赤を強調した中国風だったけれど、燗酒も出してくれたし、カツオのたたきなんかもあって(おいしかった)、なかなかに本格的な和食を提供していた。
いくらIT産業が発展した国際都市のバンガロールとはいえ、インドの内陸部で寿司やカツオのたたきが食べられるなんて、と、ものすごく驚いたのを覚えている。
そして、その時、すっかり忘れていたゴアのあの店の記憶が蘇ってきたのだ。
清潔感と高級感のある空調の効いた大都会バンガロールの高級ホテルではなく、灼熱のゴアの掘っ建て小屋で、'SUSHI'や'SASHIMI'を出していたはずの、あの店の記憶が…。
もしあの日、あの店を訪れていたら、自分はいったいどんな料理を目にしていたのだろう。
世界中のエグゼクティブと思しき人たちが行き交う無国籍な高級空間は、スタッフの顔立ちさえ除けば、まるでヨーロッパの大都市のホテルのようだった(行ったことないので分からないけど)。
そのホテルの朝食バイキングに、なんと、巻き寿司が並んでいたのである。
たしか、サーモン巻きとカッパ巻きだったと思う。
おそるおそるお皿にとって食べてみると、日本風のお米に酢がちゃんと効いていて、テーブルには醤油も添えられていて、正真正銘の寿司と呼んで全く差し支えのない一品だった。
(もちろん、お腹も壊さなかった)
さらに、その宿には日本風居酒屋も併設されていて、内装は外国の日本料理屋にありがちな、やたらと赤を強調した中国風だったけれど、燗酒も出してくれたし、カツオのたたきなんかもあって(おいしかった)、なかなかに本格的な和食を提供していた。
いくらIT産業が発展した国際都市のバンガロールとはいえ、インドの内陸部で寿司やカツオのたたきが食べられるなんて、と、ものすごく驚いたのを覚えている。
そして、その時、すっかり忘れていたゴアのあの店の記憶が蘇ってきたのだ。
清潔感と高級感のある空調の効いた大都会バンガロールの高級ホテルではなく、灼熱のゴアの掘っ建て小屋で、'SUSHI'や'SASHIMI'を出していたはずの、あの店の記憶が…。
もしあの日、あの店を訪れていたら、自分はいったいどんな料理を目にしていたのだろう。
やはり、インド人は寿司もスパイシーに仕立ててしまっていただろうか。
ご飯は日本米?インディカ米?
味やクオリティーはともかく、もしかしたら、あれはインドで最初の寿司レストランだったのかもしれない。
味やクオリティーはともかく、もしかしたら、あれはインドで最初の寿司レストランだったのかもしれない。
バンガロールで寿司を食べてからさらに10年。
その後もインドは驚異的な経済成長と国際化を続け、今ではインドのどの都市にも、寿司を出す店が出来ているようだ。
疑っているあなたは、「インドの都市名(スペース)SUSHI」と入れて、Google先生に聞いてみてほしい。
この画像は、「Bangalore Sushi」で画像検索してみた結果だが、ひとまずは「寿司」と呼んで全く問題のない料理が並んでいるのが分かるだろう。
長い思い出話に付き合っていただきありがとうございました。
ここからが本題。(前置きが長すぎる!申し訳ない)
インドでも一般化しつつある寿司だが、インド人にとって、寿司や刺身はまだまだ「生で魚を食べるという奇妙な料理」だ。
この画像は、「Bangalore Sushi」で画像検索してみた結果だが、ひとまずは「寿司」と呼んで全く問題のない料理が並んでいるのが分かるだろう。
長い思い出話に付き合っていただきありがとうございました。
ここからが本題。(前置きが長すぎる!申し訳ない)
インドでも一般化しつつある寿司だが、インド人にとって、寿司や刺身はまだまだ「生で魚を食べるという奇妙な料理」だ。
インド人は、一般的に食に関しては極めて保守的だ。
ご存知のように、人口の8割を占めるヒンドゥー教徒は牛肉食を神聖なものとして忌避しており、ムスリムは豚肉を汚れたものとして忌避している。
ヴェジタリアンも多く、かつては異なるカーストと食卓をともにしない習慣すらあったインド人は、見慣れない外国料理に好奇心を持って飛びつくようなことはなく、食べ慣れた料理こそが一番安心で、そして美味しいと思っている人がほとんど。
ヴェジタリアンも多く、かつては異なるカーストと食卓をともにしない習慣すらあったインド人は、見慣れない外国料理に好奇心を持って飛びつくようなことはなく、食べ慣れた料理こそが一番安心で、そして美味しいと思っている人がほとんど。
インドの人気作家Chetan Bhagatの小説"A Half Girlfriend"に、ビハール州の田舎育ちの主人公の大学生が、好意を寄せるデリーのお金持ちの娘のホームパーティーに呼ばれたものの、うまくとけ込むことができずに戸惑う場面が出てくる。
そこで登場するのが寿司だ。
ウェイターが持ってきた見慣れぬ料理が「生魚を乗せたライス」だと聞いて、主人公はびっくりするのだ。
主人公は翌日、似た境遇の寮の仲間たちと、傷を舐め合うかのように「寿司なんてさっぱり理解できないよ。日本の料理なんだって」と語り合う。
都会の金持ちのライフスタイルの理解不能さをぼやいているというわけだ。
(この小説は、後にArjun Kapoor, Shraddha Kapoor主演で映画化されたが、映画は未見なのでこのシーンが再現されていたかどうかは分からない)
ビハール州やデリーは内陸部であり、そもそも魚を食べる週間がない。
ビハール州やデリーは内陸部であり、そもそも魚を食べる週間がない。
有りあまるお金を持っているのに、わざわざゲテモノの「生魚」を食べるなんて意味が分からない、という感覚は、内陸部の保守的なインド人にとっては至極真っ当なものだろう。
今回は、そんなふうにインドでは高級であると同時にかなりキッチュな食べ物である「寿司」が出てくるミュージックビデオを紹介したい。
まずは、チェンナイを拠点に活動しているインディーロックバンド、F16sが昨年リリースしたアルバム"WKND FRND"からシングルカットされた"Amber".
ポップなアニメーションで現代社会に生きる人々の孤独を表現したミュージックビデオの1:56に羽の生えた寿司が登場する。
リッチで華やかな生活に憧れながらもなじめない孤独感のさなかに、突如として飛んでくる謎の寿司は、"A Half Girlfriend"に出てきたのと同様に、空虚な豊かさの象徴だろう。
ちなみにF16sの活動拠点であるインド南部東岸の港町チェンナイは、貿易などに携わる日本企業が以前から多く進出している街である。
チェンナイの寿司事情を開設したJETROのこんな記事を見つけた。
内陸部よりも魚に馴染みがあるはずのチェンナイでも、やはり生魚は地元の人々にとってハードルが高いようだ。
続いて紹介するのは、インド随一のセンスの良さを誇るコルカタのドリームポップデュオParekh and Singhが今年4月にリリースした"Newbury Street".
寿司は2:18に登場。
見たところ、マグロ、エビ、イカ、玉子などのなかなか本格的な寿司のようだ。
Newbury Streetはアメリカのボストンにあるお洒落な繁華街の名前。
このタイトルは、メンバーのNischay Parekhがこの通りにほど近い名門バークリー音楽大学に留学していたために付けられたものだろう。
このミュージックビデオに出てくる寿司は、これまでに見てきたような「高級なゲテモノ料理」ではなく、ポップでクールな世界観に溶け込んだ、「色鮮やかでお洒落な料理」という位置付けだ。
留学経験がある国際派であり、かつFacebookページのおすすめアーティストにウディ・アレンやマーヴィン・ゲイと並んで、アメリカ版「料理の鉄人」にも出演していた「和の鉄人」森本正治を挙げている彼らにとって、寿司は馴染みのないものではないのだろう。
(森本氏は、インドでもムンバイの5つ星ホテルTaj Mahal Palace内に、和食レストラン"Wasabi"を展開している)
多少インドのことを知っている日本人としては、Parekh and Singhのセンスももちろん分かるし、彼らと価値観を共有していない大多数のインド人(たとえ現代的な音楽のアーティストであっても)にとって、寿司が高級だが極めて悪趣味な食べ物だという感覚も理解できる。
そういえば、子どもの頃、見たことも食べたこともないエスカルゴに対して、私も同じようなイメージを持っていたのを思い出す。
フランス人、カタツムリ喰うのかよ、気持ち悪っ、て。
今では、サイゼリヤに行けば必ず「エスカルゴのオーブン焼き」を頼むくらいエスカルゴ好きになったのだが…。
だんだん何を書いているのか分からなくなってきたが、今回はインドでの寿司の思い出と、インド人にとっての寿司、そして、インドのミュージックビデオに登場する寿司を紹介しました。
書いてたら、寿司が食べたくてたまらなくなってきた。
…寿司、食べたいなあ。
できれば回ってないやつ。
それにしても、あのゴアの寿司屋のオヤジが今頃何をやってるんだろう…。
もしあなたが、ゴアで怪しげな寿司屋を見つけたら、ぜひ食べてみて、どんな味だったか教えてください。
追伸。
そういえば、1990年代のインドで刺身を食べさせてくれた場所を1箇所だけ思い出した。
インド東部オディシャ州の海辺の小さな街、プリーにある日本人バックパッカーの溜まり場、「サンタナ・ロッジ」だ。
3食付きのこの宿では、追加料金(確か150ルピーくらい、当時のレートで500円ほどだったと思う)を払えば、大阪の飲食店での勤務経験があるオーナーが、近所の漁師から仕入れた魚の新鮮な刺身を出してくれたのだ。
日本から取り寄せた醤油とワサビもあり、日本食に飢えていた私は、もちろんこの刺身を注文した。
困ったのは、ご飯がパサパサのインド米だということと、他のおかずがインド風のカレーだということ。
食べる前から想像がついたことだが、インドの米と刺身は全く合わず、さらにインドカレーと刺身は味の方向性が完全に真逆で、悲劇的なまでにめちゃくちゃな組み合わせだということだ。
(念のために言うと、その刺身は鮮度もまったく味も申し分なく、単体で食べればとても美味しいものだった)
あの時の味のミスマッチを考えれば、全く異なる食文化で育ったインドの人たちが、寿司や刺身をゲテモノ扱いするのも無理がないことだと思う。
追伸その2。
ちょうどタイムリーに面白い記事を見つけたので、貼り付けておく。
大幅に後に書いた追伸その3(2023年3月)
ケーララのバンドWhen Chai Met Toastが、究極とも言えるスシ・ソングをリリースした。
元記事を書いてから3年足らずで、インド都市部での寿司に対する意識はまた大きく変わってきているように思う。
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今回は、そんなふうにインドでは高級であると同時にかなりキッチュな食べ物である「寿司」が出てくるミュージックビデオを紹介したい。
まずは、チェンナイを拠点に活動しているインディーロックバンド、F16sが昨年リリースしたアルバム"WKND FRND"からシングルカットされた"Amber".
ポップなアニメーションで現代社会に生きる人々の孤独を表現したミュージックビデオの1:56に羽の生えた寿司が登場する。
リッチで華やかな生活に憧れながらもなじめない孤独感のさなかに、突如として飛んでくる謎の寿司は、"A Half Girlfriend"に出てきたのと同様に、空虚な豊かさの象徴だろう。
ちなみにF16sの活動拠点であるインド南部東岸の港町チェンナイは、貿易などに携わる日本企業が以前から多く進出している街である。
チェンナイの寿司事情を開設したJETROのこんな記事を見つけた。
内陸部よりも魚に馴染みがあるはずのチェンナイでも、やはり生魚は地元の人々にとってハードルが高いようだ。
続いて紹介するのは、インド随一のセンスの良さを誇るコルカタのドリームポップデュオParekh and Singhが今年4月にリリースした"Newbury Street".
寿司は2:18に登場。
見たところ、マグロ、エビ、イカ、玉子などのなかなか本格的な寿司のようだ。
Newbury Streetはアメリカのボストンにあるお洒落な繁華街の名前。
このタイトルは、メンバーのNischay Parekhがこの通りにほど近い名門バークリー音楽大学に留学していたために付けられたものだろう。
このミュージックビデオに出てくる寿司は、これまでに見てきたような「高級なゲテモノ料理」ではなく、ポップでクールな世界観に溶け込んだ、「色鮮やかでお洒落な料理」という位置付けだ。
留学経験がある国際派であり、かつFacebookページのおすすめアーティストにウディ・アレンやマーヴィン・ゲイと並んで、アメリカ版「料理の鉄人」にも出演していた「和の鉄人」森本正治を挙げている彼らにとって、寿司は馴染みのないものではないのだろう。
(森本氏は、インドでもムンバイの5つ星ホテルTaj Mahal Palace内に、和食レストラン"Wasabi"を展開している)
多少インドのことを知っている日本人としては、Parekh and Singhのセンスももちろん分かるし、彼らと価値観を共有していない大多数のインド人(たとえ現代的な音楽のアーティストであっても)にとって、寿司が高級だが極めて悪趣味な食べ物だという感覚も理解できる。
そういえば、子どもの頃、見たことも食べたこともないエスカルゴに対して、私も同じようなイメージを持っていたのを思い出す。
フランス人、カタツムリ喰うのかよ、気持ち悪っ、て。
今では、サイゼリヤに行けば必ず「エスカルゴのオーブン焼き」を頼むくらいエスカルゴ好きになったのだが…。
だんだん何を書いているのか分からなくなってきたが、今回はインドでの寿司の思い出と、インド人にとっての寿司、そして、インドのミュージックビデオに登場する寿司を紹介しました。
書いてたら、寿司が食べたくてたまらなくなってきた。
…寿司、食べたいなあ。
できれば回ってないやつ。
それにしても、あのゴアの寿司屋のオヤジが今頃何をやってるんだろう…。
もしあなたが、ゴアで怪しげな寿司屋を見つけたら、ぜひ食べてみて、どんな味だったか教えてください。
追伸。
そういえば、1990年代のインドで刺身を食べさせてくれた場所を1箇所だけ思い出した。
インド東部オディシャ州の海辺の小さな街、プリーにある日本人バックパッカーの溜まり場、「サンタナ・ロッジ」だ。
3食付きのこの宿では、追加料金(確か150ルピーくらい、当時のレートで500円ほどだったと思う)を払えば、大阪の飲食店での勤務経験があるオーナーが、近所の漁師から仕入れた魚の新鮮な刺身を出してくれたのだ。
日本から取り寄せた醤油とワサビもあり、日本食に飢えていた私は、もちろんこの刺身を注文した。
困ったのは、ご飯がパサパサのインド米だということと、他のおかずがインド風のカレーだということ。
食べる前から想像がついたことだが、インドの米と刺身は全く合わず、さらにインドカレーと刺身は味の方向性が完全に真逆で、悲劇的なまでにめちゃくちゃな組み合わせだということだ。
(念のために言うと、その刺身は鮮度もまったく味も申し分なく、単体で食べればとても美味しいものだった)
あの時の味のミスマッチを考えれば、全く異なる食文化で育ったインドの人たちが、寿司や刺身をゲテモノ扱いするのも無理がないことだと思う。
追伸その2。
ちょうどタイムリーに面白い記事を見つけたので、貼り付けておく。
大幅に後に書いた追伸その3(2023年3月)
ケーララのバンドWhen Chai Met Toastが、究極とも言えるスシ・ソングをリリースした。
元記事を書いてから3年足らずで、インド都市部での寿司に対する意識はまた大きく変わってきているように思う。
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goshimasayama18 at 19:40|Permalink│Comments(0)
2018年09月14日
日本の文化に影響を受けたインド人アーティスト! ロックバンド編 Kraken
先日、日本のサブカルチャーからの影響を受けたエレクトロニカ・アーティストとして、宮崎駿のアニメなどからインスパイアされたKomorebiと、カルト・ムービー「鉄男」からタイトルを取ったトラックをリリースしたHybrid Protokolを紹介した。
今回は、ジャパニーズ・カルチャーの影響を受けたアーティスト、ロックバンド編!
彼らの日本のサブカルチャーへの驚くべき愛情を心して読むべし。
そのバンドの名前はKraken。
2014年に結成された6人組のデリーのロックバンドだ。
このブログの熱心な読者の方なら、彼らがRolling Stone Indiaが選ぶ2017年のベストアルバムの第7位に選ばれていたのを覚えているかもしれない。
彼らがどれだけ日本に影響を受けているかは、フライヤーやウェブサイトを見ていただければ一目瞭然!
まずこれがファーストアルバムのウェブ告知。
箸としゃもじは分かるけど、まるいのはピザ?
続いて最近のツアーのフライヤー。
お坊さんが「こんなのプログレじゃないぜ」って言ってる。サポートのポストハードコア/マスロックのバンド名、Haiku Like Imaginationというのにも注目。彼らも日本文化の影響を受けてるんだろうか。
北東部ツアーのフライヤーはこんな感じ。
これ、全てインドのバンドがインド国内向けに作ってるチラシです。
五重塔、着物、寿司っていう伝統的な要素に、缶ジュースや公衆電話、カタカナ表記、といかにも「外国人から見た日本」的なテイストだけど、日本文化というとアニメやマンガのイメージが非常に強いインドで、伝統や食文化にまで目配りができているというのはなかなかの日本通ぶりと言える。
バンドの中心メンバーのギタリスト、Moses Koulは実際に日本に一人旅に来たこともあるようで、日本のカルチャーに大きな影響を受けているという(詳細は後述)。
そんな彼らのサウンドをさっそく聴いてみましょう。
2017年にリリースされた彼らのファーストアルバム"Lush"から、"Yooo! It's ALetter From Koi Fish"
"Koi Fish"は魚の鯉のことのようで、「ヨ〜!俺の鯉からの手紙だ!」という日本語表記に脱力するが、これは「恋」と「鯉」がかかっているのかな?
歌詞をみると一応ラブソングのようだし。
バッキングでも派手に動き回るギターや、ハードコアっぽいシャウトが入りつつも、それが暴力性の表現ではなくグルーヴ感を促進するように使われているところなど、日本の音楽専門学校のESP出身のバンドみたいな雰囲気だ(分かるかなあ)。
ビデオもローバジェットで作られているようだけど、日本旅行のお土産なのかな?が並んでいて、ここでも彼らの日本愛が感じられる。
"Bouncy Bouncy Ooh Such A Good Time"
タイトルの訳は「ワクワク楽しいなあ〜」だって。ビデオはジブリの森かな。
"What Will Be, Will Be, Promise Me Kawaii Tea"
今度は「なるようになる、可愛いお茶を約束してくれ」とのこと。
またしても日本の日常を切り取ったビデオと激しいロックが不思議な雰囲気を醸し出している。
なんだか曲調も日本のアニメ(戦うようなやつ)の主題歌っぽく聴こえるが、いったい彼らはどんな日本文化に影響を受けてきたのか。
SNSを通していくつかの質問をしてみました。
最初の質問は、日本の文化にいつ、どんなふうに影響を受けたのかということ。
Kraken 「まず、俺たちの音楽を日本に広める機会を提供してくれてありがとう。日本は大好きで、深い影響を受けた国なんだ。いつ、どんなふうに日本の豊かな文化から影響を受けたかを答えるよ。俺たちのギタリストMoses Koulは十代のときに映画やアートを通して日本の音楽を発見したんだ。
それで、日本のジャズ・アーティストたちにのめり込んでいた。同じ頃に、たくさんの映画やアートやアニメがインドに入ってきて、インドでも日本文化にもっと深く知ることができるようになった。つまり、 日本のメジャーな輸出文化であるアニメとかJ-Pop以外のものにも触れられるようになったってことだよ。俺たちは、日本のアートの歴史の中で、日本がどうやって西洋文化を受け入れて、そこに独自の要素を加えていったのかを知ることができた。
例えば、すごく日本的に聞こえるメロディーラインってあるよね。それは、そういう音を奏でるミュージシャンたちが、欧米よりも日本のアーティストにより親しんでいるからそういう曲調になるんだってこととかね。
俺たちのキーボーディストのReuben Dasは自作のアニメやマンガにも情熱を注いでいて、これは俺たちが日本のアートや音楽、文化に触れながら育ってきたことを表すアウトプットになっているんだ。
俺たちは日本の映画、アート、音楽にすごくリスペクトと憧れを感じている。子どもの頃から日本の美しい文化にインスパイアされ、影響を受けて育ってきたからこういうことをしているってわけさ。
日本でツアーをして、俺たちの音楽をプレイするのが夢なんだよ。今すぐにでも叶えたいと思っている。そのためにとにかくがんばっているのさ」
ありがとう。
そんなふうに言ってもらえて日本人としてうれしいよ。
それにしても、影響を受けたのが日本のジャズというのは意外だった。
影響を受けた日本のミュージシャンや映画などを具体的に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
Kraken「俺たちがインスパイアされたり影響を受けたミュージシャンの名前をいくつか挙げると、上原ひろみ、山下洋輔トリオ、きゃりーぱみゅぱみゅ、菊池雅章、Uyama Hirotoだな。それとは別に、日本のヒップホップにも深い影響を受けていて、何人か名前を挙げるとなると、Nujabes、Ken the 390、Gomess。
俺たちが大きく影響を受けた映画監督は、宮崎駿、今敏、岩井俊二だよ。」
この回答にはびっくりした。
だって、かれらの音楽性から、てっきりOne OK RockとかSpyairとかの名前が挙がるものと思っていたから。
映画にしても、宮崎駿はともかくとして、他にはドラゴンボールとかNarutoあたりが挙がるものと思っていた。
この予想以上にマニアックな日本通ぶりにはひたすら驚かされるばかり。
ここに名前が挙がったアーティスト全員を深く知っている人って、日本人でも少ないんじゃないだろうか。
正直、私も日本のジャズやヒップホップにはてんで詳しくないので、存じ上げない方が何人かいた。
菊池雅章(これで「まさぶみ 」と読む)はピアニストで、日本のマイルスとも称される、日本におけるエレクトリック・ジャズのパイオニア。ピアノソロのアルバムや尺八との共演アルバムなんかも作っている。
Uyama HirotoはNujabesとのコラボレーションでも知られるマルチプレイヤー、Gomessは自閉症であることをカミングアウトしているラッパーで、独特の詩世界で知られるアーティストだ。
今敏(こん・さとし)は「Perfect Blue」「東京ゴッドファーザーズ」「パプリカ」などで知られるアニメ映画の監督。
自分の知識の無さを恥入りました。
それにしても、まさかこんな斜め上の回答が返ってくるとは思わなかった。
そのことを正直に伝えると、
「ハハハ、きゃりーぱみゅぱみゅは知ってるだろ?」とのこと。
私もたまにインド人のブログ読者(グーグル翻訳などを使って読んでくれているようだ)から「このアーティストは知らなかった!素晴らしいアーティストを教えてくれてありがとう」とか言われることがあるが、まさかインド人に日本のアーティストを教えてもらうことがあるとは。
今回名前を挙げてもらったアーティストをチェックしてみて、そのセンスの良さに恐れ入りました。
ヘヴィーロックアーティストの名前がひとつも挙がらなかったのが意外だったけど、今後はビジュアル面以外でも、彼らが影響を受けた日本のサブカルチャーの要素が出てくることがあるのだろうか。
すぐにでも日本で演奏したいと語るKraken.
その夢が一刻も早く願うことを心から願わずにはいられない。
少なくとも、ここまで日本を愛してくれている彼らが、日本でもっと有名になってほしいなあと思います。
みなさんも彼らのことを広めてくれたらうれしいよ。
それでは、また!
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今回は、ジャパニーズ・カルチャーの影響を受けたアーティスト、ロックバンド編!
彼らの日本のサブカルチャーへの驚くべき愛情を心して読むべし。
そのバンドの名前はKraken。
2014年に結成された6人組のデリーのロックバンドだ。
このブログの熱心な読者の方なら、彼らがRolling Stone Indiaが選ぶ2017年のベストアルバムの第7位に選ばれていたのを覚えているかもしれない。
彼らがどれだけ日本に影響を受けているかは、フライヤーやウェブサイトを見ていただければ一目瞭然!
まずこれがファーストアルバムのウェブ告知。
箸としゃもじは分かるけど、まるいのはピザ?
続いて最近のツアーのフライヤー。
お坊さんが「こんなのプログレじゃないぜ」って言ってる。サポートのポストハードコア/マスロックのバンド名、Haiku Like Imaginationというのにも注目。彼らも日本文化の影響を受けてるんだろうか。
北東部ツアーのフライヤーはこんな感じ。
これ、全てインドのバンドがインド国内向けに作ってるチラシです。
五重塔、着物、寿司っていう伝統的な要素に、缶ジュースや公衆電話、カタカナ表記、といかにも「外国人から見た日本」的なテイストだけど、日本文化というとアニメやマンガのイメージが非常に強いインドで、伝統や食文化にまで目配りができているというのはなかなかの日本通ぶりと言える。
バンドの中心メンバーのギタリスト、Moses Koulは実際に日本に一人旅に来たこともあるようで、日本のカルチャーに大きな影響を受けているという(詳細は後述)。
そんな彼らのサウンドをさっそく聴いてみましょう。
2017年にリリースされた彼らのファーストアルバム"Lush"から、"Yooo! It's ALetter From Koi Fish"
"Koi Fish"は魚の鯉のことのようで、「ヨ〜!俺の鯉からの手紙だ!」という日本語表記に脱力するが、これは「恋」と「鯉」がかかっているのかな?
歌詞をみると一応ラブソングのようだし。
バッキングでも派手に動き回るギターや、ハードコアっぽいシャウトが入りつつも、それが暴力性の表現ではなくグルーヴ感を促進するように使われているところなど、日本の音楽専門学校のESP出身のバンドみたいな雰囲気だ(分かるかなあ)。
ビデオもローバジェットで作られているようだけど、日本旅行のお土産なのかな?が並んでいて、ここでも彼らの日本愛が感じられる。
"Bouncy Bouncy Ooh Such A Good Time"
タイトルの訳は「ワクワク楽しいなあ〜」だって。ビデオはジブリの森かな。
"What Will Be, Will Be, Promise Me Kawaii Tea"
今度は「なるようになる、可愛いお茶を約束してくれ」とのこと。
またしても日本の日常を切り取ったビデオと激しいロックが不思議な雰囲気を醸し出している。
なんだか曲調も日本のアニメ(戦うようなやつ)の主題歌っぽく聴こえるが、いったい彼らはどんな日本文化に影響を受けてきたのか。
SNSを通していくつかの質問をしてみました。
最初の質問は、日本の文化にいつ、どんなふうに影響を受けたのかということ。
Kraken 「まず、俺たちの音楽を日本に広める機会を提供してくれてありがとう。日本は大好きで、深い影響を受けた国なんだ。いつ、どんなふうに日本の豊かな文化から影響を受けたかを答えるよ。俺たちのギタリストMoses Koulは十代のときに映画やアートを通して日本の音楽を発見したんだ。
それで、日本のジャズ・アーティストたちにのめり込んでいた。同じ頃に、たくさんの映画やアートやアニメがインドに入ってきて、インドでも日本文化にもっと深く知ることができるようになった。つまり、 日本のメジャーな輸出文化であるアニメとかJ-Pop以外のものにも触れられるようになったってことだよ。俺たちは、日本のアートの歴史の中で、日本がどうやって西洋文化を受け入れて、そこに独自の要素を加えていったのかを知ることができた。
例えば、すごく日本的に聞こえるメロディーラインってあるよね。それは、そういう音を奏でるミュージシャンたちが、欧米よりも日本のアーティストにより親しんでいるからそういう曲調になるんだってこととかね。
俺たちのキーボーディストのReuben Dasは自作のアニメやマンガにも情熱を注いでいて、これは俺たちが日本のアートや音楽、文化に触れながら育ってきたことを表すアウトプットになっているんだ。
俺たちは日本の映画、アート、音楽にすごくリスペクトと憧れを感じている。子どもの頃から日本の美しい文化にインスパイアされ、影響を受けて育ってきたからこういうことをしているってわけさ。
日本でツアーをして、俺たちの音楽をプレイするのが夢なんだよ。今すぐにでも叶えたいと思っている。そのためにとにかくがんばっているのさ」
ありがとう。
そんなふうに言ってもらえて日本人としてうれしいよ。
それにしても、影響を受けたのが日本のジャズというのは意外だった。
影響を受けた日本のミュージシャンや映画などを具体的に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
Kraken「俺たちがインスパイアされたり影響を受けたミュージシャンの名前をいくつか挙げると、上原ひろみ、山下洋輔トリオ、きゃりーぱみゅぱみゅ、菊池雅章、Uyama Hirotoだな。それとは別に、日本のヒップホップにも深い影響を受けていて、何人か名前を挙げるとなると、Nujabes、Ken the 390、Gomess。
俺たちが大きく影響を受けた映画監督は、宮崎駿、今敏、岩井俊二だよ。」
この回答にはびっくりした。
だって、かれらの音楽性から、てっきりOne OK RockとかSpyairとかの名前が挙がるものと思っていたから。
映画にしても、宮崎駿はともかくとして、他にはドラゴンボールとかNarutoあたりが挙がるものと思っていた。
この予想以上にマニアックな日本通ぶりにはひたすら驚かされるばかり。
ここに名前が挙がったアーティスト全員を深く知っている人って、日本人でも少ないんじゃないだろうか。
正直、私も日本のジャズやヒップホップにはてんで詳しくないので、存じ上げない方が何人かいた。
菊池雅章(これで「まさぶみ 」と読む)はピアニストで、日本のマイルスとも称される、日本におけるエレクトリック・ジャズのパイオニア。ピアノソロのアルバムや尺八との共演アルバムなんかも作っている。
Uyama HirotoはNujabesとのコラボレーションでも知られるマルチプレイヤー、Gomessは自閉症であることをカミングアウトしているラッパーで、独特の詩世界で知られるアーティストだ。
今敏(こん・さとし)は「Perfect Blue」「東京ゴッドファーザーズ」「パプリカ」などで知られるアニメ映画の監督。
自分の知識の無さを恥入りました。
それにしても、まさかこんな斜め上の回答が返ってくるとは思わなかった。
そのことを正直に伝えると、
「ハハハ、きゃりーぱみゅぱみゅは知ってるだろ?」とのこと。
私もたまにインド人のブログ読者(グーグル翻訳などを使って読んでくれているようだ)から「このアーティストは知らなかった!素晴らしいアーティストを教えてくれてありがとう」とか言われることがあるが、まさかインド人に日本のアーティストを教えてもらうことがあるとは。
今回名前を挙げてもらったアーティストをチェックしてみて、そのセンスの良さに恐れ入りました。
ヘヴィーロックアーティストの名前がひとつも挙がらなかったのが意外だったけど、今後はビジュアル面以外でも、彼らが影響を受けた日本のサブカルチャーの要素が出てくることがあるのだろうか。
すぐにでも日本で演奏したいと語るKraken.
その夢が一刻も早く願うことを心から願わずにはいられない。
少なくとも、ここまで日本を愛してくれている彼らが、日本でもっと有名になってほしいなあと思います。
みなさんも彼らのことを広めてくれたらうれしいよ。
それでは、また!
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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goshimasayama18 at 00:18|Permalink│Comments(2)
2018年09月02日
日本文化に影響を受けたインド人アーティスト、エレクトロニカ編! Komorebi, Hybrid Protokol
成長著しいインドのインディーミュージックシーン(ニアリーイコール、非映画音楽シーン)で現在活躍しているアーティストたちは、いずれもがそのジャンルのパイオニア。
インドではインディーミュージックの歴史が浅く、国内にお手本となるアーティストがほぼいない状況なので、インドのミュージシャンは、必然的に海外の、とくにアメリカやイギリスのアーティストの影響を大きく受けているということになる。
このブログで取り上げているアーティストたちも、影響を受けたアーティストの話になると、欧米のミュージシャンの名前を挙げることが常で、例外的にインド人でよく名前が挙がるのはA.R.Rahmanくらい。
英語が達者なインド人たちにしてみれば、言語的にも理解しやすく、また世界の主流でもあるアメリカ、イギリスの音楽の影響を受けるのは当然のことなのだ。
アメリカ、イギリス以外の国の音楽では、K-Popも一定の人気があるようで、 Rolling Stone Indiaのような媒体にもBTSをはじめとするK-Popの情報がよく掲載されている。
そんなインドのなかで、日本のサブカルチャーもそれなりの存在感を示していて、アニメをはじめとする日本文化の影響を受けたアーティストというのも存在する。
その代表格が、その名もKomorebiというエレクトロニカ・アーティストだ。
KomorebiはTarana Marwahというカナダ出身、デリー在住の女性アーティストのソロプロジェクトで、宮崎駿をはじめとする日本のアニメやゲームなどの影響を公言している。
ビジュアルイメージに関しても、日本のいわゆる「カワイイ」カルチャーを意識しているようだ。
ジブリ的な世界観のミュージックビデオの"Time"
Midival PunditzのGrainと共作した曲"Dream"のビデオでは、インド系ドイツ人アーティストArchan Nairのイラストをフィーチャーしている。
彼女が昨年リリースした曲、"Candyland"
音楽的には、Bjork、Imogen Heap、Radiohead、ステージパフォーマンスに関してはGrimes、Lady Gaga、Madonnaにインスパイアされているそうで、日本的なポップなビジュアルイメージと叙情的なエレクトロニカ・サウンドを融合させることにより、無国籍でドリーミィな世界観を構築することに成功している。
彼女のSoundcloudでは、"Kyoto Breeze"、"Miyazaki's Dream"といった、より日本的なタイトルの曲や、このサイトでも紹介したMohini Deiや、ムンバイのブルースロックバンドBlackstratbluesのギタリストWarren Mendosaをフィーチャーした曲も聴ける。
彼女のほかにも日本に影響を受けたタイトルの曲を発表しているアーティストがいる。
コルカタを拠点に活動しているAneesh BasuとSoumajit Ghoshによるテクノ・ユニット、Hybrid Protokolが今年リリースしたこの曲のタイトルは"Tetsuo".
彼らに、「曲のタイトルは AKIRAの登場人物から取ったの?」と聞いたところ、そうではなく塚本晋也監督による"日本最初のサイバーパンク映画"、「鉄男」(Tetsuo the Iron Man)から取ったとのこと。
そっちのほうがよっぽどマニアックだよ!
Chemical BrothersやUnderworld、Shpongleなどに影響を受けたという彼らのサウンドは、90年代テクノっぽいテクスチャーがあり、ダンスミュージックだけでなくリスニング・ミュージックとしても質の高いもの。
大自然の中でオーディエンス無しで40分のライブパフォーマンスを行うなんてこともしていて、まるで無人レイヴといった趣だが、自然と音楽のみというミニマルな環境がアーティストとリスナーのイマジネーションを刺激するという非常に面白い試みだ。
古い例で恐縮だが、ちょっとPink FloydのLive at Pompeiiを思い出した。
収録地はウエストベンガル州北部のシッキム州にほど近いカリンポンという町。
そう、インドのロックにはまるきっかけを作った男の一人、パサンサンが住んでいる(と思われる)町だ。
日本文化の影響を受けているアーティストはエレクトロニカのジャンルだけではなく、ロックバンドなんかもいるのだけど、長くなったのでそれはまた改めて紹介します。
エレクトロニカに関しても質の高いアーティストがゴマンといるインド。
そんな彼らを我々日本の文化が多少なりともインスパイアできていると思うととてもうれしく感じるね。
それでは、また!
goshimasayama18 at 22:30|Permalink│Comments(0)