思い出
2020年07月01日
インドと寿司の話(20年前の思い出と、最近のミュージックビデオなど)
誰が決めたのかは知らないが、6月18日は国際寿司デーだったそうだ。
(と思って書き始めたら、もうとっくに過ぎてしまった…)
寿司がすっかり国際的な料理になって久しいが、今回の記事は、私の奇妙な思い出話から始めたいと思う。
あれは今からちょうど20年前の話。
いや、今となっては、あれを店と呼んでいいのかすら分からない。
ゴアは、いくつもの美しいビーチを持つインド西部の街だ。
かつてポルトガル領だったゴアは、インドでは例外的にヨーロッパっぽい雰囲気があり、そのためか、欧米人ツーリスト、とくにヒッピーやバックパッカーに人気が高い。
(ゴアのヒッピーカルチャーについては、この記事から始まる全3回にまとめてあるので興味がある方はどうぞ)
心地よい潮風が吹き、美味しい欧米料理が安く食べられ、この国ではめずらしく飲酒にも寛容なゴアは、どことなく修行のような雰囲気がただようインド貧乏旅行のなかで、珍しく楽園の空気を感じることができる街だった。
1ヶ月にわたる旅の終盤だった私は、南国の暖かい日差しの中、ヒッピーファッションやトランスのCDを扱う店を冷やかしたり、海辺で外国人ツーリストとビーチバレーをしたりして、楽園ムードを満喫していた。
…その粗末な掘っ建て小屋が立っていたのは、アンジュナ・ビーチとカラングート・ビーチの間の細い道路脇のヤシの木陰だったと記憶している。
色褪せたスカイブルーのその小屋は、どうやら食べ物屋だったらしいのだが、入り口は閉ざされ、南京錠がかけられていた。
トタンのような素材で作られたその小屋はあまりに見すぼらしく、多少旅慣れた私でも「もしこの店が営業していても、ここで出された物は絶対に口にしたくない」と思うほどだった。
壁面に、サイケデリックに曲がりくねった書体で、それまでインドでは一度も目にしたことのない料理の名前が大書きされていたのだ。
'SEAFOOD'という単語と並んで、その薄汚れた壁に書かれていたのは、ド派手な原色の'SUSHI', 'SASHIMI'という文字だった。
しかしそこには、日本人が寿司と聞いてイメージする、新鮮さや清潔さといった要素は全くなかった。
日差しが照りつけるインドの常夏の街の、さびれた小屋で出される寿司、刺身。
これ以上食中毒が確実な状況があるだろうか。
当時、日本人バックパッカー向けに日本食っぽい料理を出す店は、一応インド各地に存在していた(ヴァラナシの「ガンガー富士」とか、ブッダガヤの「ポレポレ」とか)。
だが、メニューはせいぜい親子丼とかオムライスみたいなものばかりで、ご飯はパサパサのインド米、しかもオリジナルの味を知らないインド人の料理人が勝手にスパイシーな味付けにしてしまうので、そこで出されるのは、食べればかえって本物の日本食が恋しくなってしまうという代物だった。
まともな日本食を食べるには、大金を払って、駐在員が行くような大都市の高級店に行くしかなかったのだ(行ったことがないので分からないけど)。
あの頃、生の魚料理を出す店は、インドには無かったのではないだろうか。
当時のインドには、新鮮な魚を安定した冷蔵状態で輸送・保管して調理できる環境はほとんどなかったはずだし、生魚を扱える料理人がわざわざ日本からインドに働きに来るとも思えなかった。
(本格的な日本食の店を海外で志すなら、あの頃だったらアメリカやヨーロッパに行ったはずだ)
きっと、寿司が食べたくなった旅行者が、とっくに潰れた店にふざけて落書きしたに違いない。
小屋の入り口は固く閉ざされており、その寂れた雰囲気は、潰れてからずいぶんと経過しているように見えた。
と、その小屋をなんとなく眺めていると、突然、どこからともなく一人のインド人のおっさんが現れた。
どうやらその「店」の関係者が、客と思しき日本人を見つけてやって来たらしいのだ。
その男が、おもむろに「あんた、スシを食べに来たのか?」と聞いてきたので、私はさらに驚いた。
驚いた理由その1は、この小屋というか店は、一応、まだ営業しているらしいということ。
そして、驚いた理由その2は、この小屋で、本当に寿司や刺身を提供しているということだ。
怖いもの見たさで「ここで寿司が食べられるの?」と聞くと、そのオヤジは「今はないが、夜ならできる。夜また来い!」と力強く答えた。
それは、「日本人のあなたが満足できる寿司じゃないかもしれないけど…」みたいな謙虚さの一切感じられない、インド人特有の、根拠のない自信に満ち溢れた、堂々たる言いっぷりだった。
あまりに不意をつかれたのと、よく分からない気まずさから、お人好しな日本人の私は、つい反射的にこう言ってしまった。
「分かった。夜、また来る」
店の親父は、力を込めて「OK. 準備しておく」と答えた。
すっぽかしたのではない。
ゴアの強烈な日差しで熱射病になってしまったのだ。
体調は最悪で、とてもそんな不衛生な店で食事をする気にはならなかったし、そもそもベッドから起き上がることもできず、私はひたすら宿で体を休めることしかできなかった。
こうして私は、インドで寿司を食べる貴重なチャンスを逸したわけだが、正直にいうと、あの不衛生な寿司屋に行かないで済む理由ができて、どこかほっとしていた。
翌日にはすっかり元気になったものの、ゴアにはインドの他の街では見かけないような欧米風の食べ物を出す店がたくさんあり、薄情な私は、あのみすぼらしい寿司屋のことを、もうすっかり忘れてしまっていた。
ちょうど2000年のことである。
思いがけずインドで初めて寿司を食べたのは、それから10年の月日が流れた2010年のことだった。
バックパッカーからスーツケーサー(とは言わないけど)に成り上がった、もしくは成り下がった私は、出張で職場のえらい人と一緒にバンガロールのかなり高級なホテルに泊まっていた。
えらい人と一緒だったので、いいホテルに泊まれたのである。
バックパッカー時代に泊まっていた宿と比べて、1泊の料金が100倍くらいするそのホテルは、私がよく知るインドとは全く別の世界だった。
見るもの全てが、かつて宿泊していた安宿とは全く異なる清潔感と高級感にあふれていた。
世界中のエグゼクティブと思しき人たちが行き交う無国籍な高級空間は、スタッフの顔立ちさえ除けば、まるでヨーロッパの大都市のホテルのようだった(行ったことないので分からないけど)。
そのホテルの朝食バイキングに、なんと、巻き寿司が並んでいたのである。
たしか、サーモン巻きとカッパ巻きだったと思う。
おそるおそるお皿にとって食べてみると、日本風のお米に酢がちゃんと効いていて、テーブルには醤油も添えられていて、正真正銘の寿司と呼んで全く差し支えのない一品だった。
(もちろん、お腹も壊さなかった)
さらに、その宿には日本風居酒屋も併設されていて、内装は外国の日本料理屋にありがちな、やたらと赤を強調した中国風だったけれど、燗酒も出してくれたし、カツオのたたきなんかもあって(おいしかった)、なかなかに本格的な和食を提供していた。
いくらIT産業が発展した国際都市のバンガロールとはいえ、インドの内陸部で寿司やカツオのたたきが食べられるなんて、と、ものすごく驚いたのを覚えている。
そして、その時、すっかり忘れていたゴアのあの店の記憶が蘇ってきたのだ。
清潔感と高級感のある空調の効いた大都会バンガロールの高級ホテルではなく、灼熱のゴアの掘っ建て小屋で、'SUSHI'や'SASHIMI'を出していたはずの、あの店の記憶が…。
もしあの日、あの店を訪れていたら、自分はいったいどんな料理を目にしていたのだろう。
味やクオリティーはともかく、もしかしたら、あれはインドで最初の寿司レストランだったのかもしれない。
バンガロールで寿司を食べてからさらに10年。

この画像は、「Bangalore Sushi」で画像検索してみた結果だが、ひとまずは「寿司」と呼んで全く問題のない料理が並んでいるのが分かるだろう。
長い思い出話に付き合っていただきありがとうございました。
ここからが本題。(前置きが長すぎる!申し訳ない)
インドでも一般化しつつある寿司だが、インド人にとって、寿司や刺身はまだまだ「生で魚を食べるという奇妙な料理」だ。
ヴェジタリアンも多く、かつては異なるカーストと食卓をともにしない習慣すらあったインド人は、見慣れない外国料理に好奇心を持って飛びつくようなことはなく、食べ慣れた料理こそが一番安心で、そして美味しいと思っている人がほとんど。
インドの人気作家Chetan Bhagatの小説"A Half Girlfriend"に、ビハール州の田舎育ちの主人公の大学生が、好意を寄せるデリーのお金持ちの娘のホームパーティーに呼ばれたものの、うまくとけ込むことができずに戸惑う場面が出てくる。
そこで登場するのが寿司だ。
ウェイターが持ってきた見慣れぬ料理が「生魚を乗せたライス」だと聞いて、主人公はびっくりするのだ。
ビハール州やデリーは内陸部であり、そもそも魚を食べる週間がない。
今回は、そんなふうにインドでは高級であると同時にかなりキッチュな食べ物である「寿司」が出てくるミュージックビデオを紹介したい。
まずは、チェンナイを拠点に活動しているインディーロックバンド、F16sが昨年リリースしたアルバム"WKND FRND"からシングルカットされた"Amber".
ポップなアニメーションで現代社会に生きる人々の孤独を表現したミュージックビデオの1:56に羽の生えた寿司が登場する。
リッチで華やかな生活に憧れながらもなじめない孤独感のさなかに、突如として飛んでくる謎の寿司は、"A Half Girlfriend"に出てきたのと同様に、空虚な豊かさの象徴だろう。
ちなみにF16sの活動拠点であるインド南部東岸の港町チェンナイは、貿易などに携わる日本企業が以前から多く進出している街である。
チェンナイの寿司事情を開設したJETROのこんな記事を見つけた。
内陸部よりも魚に馴染みがあるはずのチェンナイでも、やはり生魚は地元の人々にとってハードルが高いようだ。
続いて紹介するのは、インド随一のセンスの良さを誇るコルカタのドリームポップデュオParekh and Singhが今年4月にリリースした"Newbury Street".
寿司は2:18に登場。
見たところ、マグロ、エビ、イカ、玉子などのなかなか本格的な寿司のようだ。
Newbury Streetはアメリカのボストンにあるお洒落な繁華街の名前。
このタイトルは、メンバーのNischay Parekhがこの通りにほど近い名門バークリー音楽大学に留学していたために付けられたものだろう。
このミュージックビデオに出てくる寿司は、これまでに見てきたような「高級なゲテモノ料理」ではなく、ポップでクールな世界観に溶け込んだ、「色鮮やかでお洒落な料理」という位置付けだ。
留学経験がある国際派であり、かつFacebookページのおすすめアーティストにウディ・アレンやマーヴィン・ゲイと並んで、アメリカ版「料理の鉄人」にも出演していた「和の鉄人」森本正治を挙げている彼らにとって、寿司は馴染みのないものではないのだろう。
(森本氏は、インドでもムンバイの5つ星ホテルTaj Mahal Palace内に、和食レストラン"Wasabi"を展開している)
多少インドのことを知っている日本人としては、Parekh and Singhのセンスももちろん分かるし、彼らと価値観を共有していない大多数のインド人(たとえ現代的な音楽のアーティストであっても)にとって、寿司が高級だが極めて悪趣味な食べ物だという感覚も理解できる。
そういえば、子どもの頃、見たことも食べたこともないエスカルゴに対して、私も同じようなイメージを持っていたのを思い出す。
フランス人、カタツムリ喰うのかよ、気持ち悪っ、て。
今では、サイゼリヤに行けば必ず「エスカルゴのオーブン焼き」を頼むくらいエスカルゴ好きになったのだが…。
だんだん何を書いているのか分からなくなってきたが、今回はインドでの寿司の思い出と、インド人にとっての寿司、そして、インドのミュージックビデオに登場する寿司を紹介しました。
書いてたら、寿司が食べたくてたまらなくなってきた。
…寿司、食べたいなあ。
できれば回ってないやつ。
それにしても、あのゴアの寿司屋のオヤジが今頃何をやってるんだろう…。
もしあなたが、ゴアで怪しげな寿司屋を見つけたら、ぜひ食べてみて、どんな味だったか教えてください。
追伸。
そういえば、1990年代のインドで刺身を食べさせてくれた場所を1箇所だけ思い出した。
インド東部オディシャ州の海辺の小さな街、プリーにある日本人バックパッカーの溜まり場、「サンタナ・ロッジ」だ。
3食付きのこの宿では、追加料金(確か150ルピーくらい、当時のレートで500円ほどだったと思う)を払えば、大阪の飲食店での勤務経験があるオーナーが、近所の漁師から仕入れた魚の新鮮な刺身を出してくれたのだ。
日本から取り寄せた醤油とワサビもあり、日本食に飢えていた私は、もちろんこの刺身を注文した。
困ったのは、ご飯がパサパサのインド米だということと、他のおかずがインド風のカレーだということ。
食べる前から想像がついたことだが、インドの米と刺身は全く合わず、さらにインドカレーと刺身は味の方向性が完全に真逆で、悲劇的なまでにめちゃくちゃな組み合わせだということだ。
(念のために言うと、その刺身は鮮度もまったく味も申し分なく、単体で食べればとても美味しいものだった)
あの時の味のミスマッチを考えれば、全く異なる食文化で育ったインドの人たちが、寿司や刺身をゲテモノ扱いするのも無理がないことだと思う。
追伸その2。
ちょうどタイムリーに面白い記事を見つけたので、貼り付けておく。
大幅に後に書いた追伸その3(2023年3月)
ケーララのバンドWhen Chai Met Toastが、究極とも言えるスシ・ソングをリリースした。
元記事を書いてから3年足らずで、インド都市部での寿司に対する意識はまた大きく変わってきているように思う。
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2018年04月25日
原点、っていうか20年前の思い出。シッキムにて。
インドによく通ってた20年ほど前、今となっては前世紀末の話。
当時のインドでは、街角で流れていたのは映画音楽か宗教歌ばかり。
ロックやヒップホップなんて洋楽も国産のも全然聴こえてこなかったし、カセットテープ屋さん(当時、インドの主流音楽メディアはCDではなくカセットだった)に行っても映画音楽と古典音楽しか並んでいなかった。
当時、アタクシはインドとロックが三度のメシより好きな若者だったので、インド感たっぷりのインドのロックバンドってのがあったら聴きたいなあ、と思っていたものだった。
その頃、ラヴィ・シャンカルの甥のアナンダ・シャンカルがロックの名曲をシタールでカバーしたアルバムがCDで再発されていたのだけど、B級趣味の企画盤っぽくてあんまり好みじゃなかったし。
前にも書いたけど、デリーのカセット屋で「インドのロックをくれ」と言ったら、出てきたのはジュリアナ東京みたいな音楽だった。
インドのロック好きの人たちが本気でやっているロックバンドは無いものか、と探していたけどどこにも見つからなかったし、そもそも見つけ方が分からなかった。仕方なく、イギリスのインドかぶれバンドのクーラシェイカーあたりを「なんか現地のノリと違うんだよなあ」とか思いながら聴いていたものだった。
これはインド北東部、シッキム州を訪れたときのお話。
シッキムはネパール国境の東にちょこんとあるごく小さな州で、1975年まで「シッキム王国」という独立国だった歴史を持つ。
シッキム州の場所
シッキムの住民はネパール系やチベット系の、日本人と似た、いわゆる「平たい顔族」の人たちが多い。
どこを開いてもアーリア系やドラヴィダ系の濃い顔ばかりの「地球の歩き方 インド」の中で、薄い顔の人たちが民族衣装を着て微笑んでいるシッキムのページに、どことなく安心感と懐かしさを感じたものだった。
シッキムの州都ガントクから乗り合いバスで山あいのルムテクという村に向かったときのこと。
ルムテクはチベット仏教の大きな僧院が有名(っていうかそれしかない)な小さな村で、オフシーズンだったせいか、1軒だけ営業していた宿にも英語が分かる人がおらず、「ここ泊まる。食事する」と身振り手振りでなんとかチェックインを済ませた。
ルムテクは素朴な雰囲気の村で、とてもリラックスして過ごすことができた。
僧院も素晴らしく、おおぜいの少年僧たちがめいめいに暗唱するお経は、伽藍の高い天井に反響して、不思議な音楽的な響きが感じられた。
さて、翌日。
他に見る場所もないので、ガントクに帰るバス乗り場に行くと、もうその日のバスは全て出た後だという。
途方に暮れていると、こぎれいな車に乗ったインド人男性がやって来て、「これからガントクに行くんだけど、よかったら一緒に乗っていかないか」と誘ってくれた。
「観光客に向こうから声をかけてくる奴はほぼ悪者」というインドの大原則があるのだけど、このあたりは素朴な人たちばっかりだったし、オフシーズンのこんな小さな村に観光客相手の詐欺師もいないだろうと判断して、ありがたく乗せてもらうことにした。
彼の名前はパサンサン。カリンポンという街で自営業をしているという。
ドライバーが運転する車の後部座席で、パサンサンとの会話は大いに盛り上がった。
何故か。それは彼がインドで初めて出会ったロック好きだったから。
「ディープパープルがデリーに来た時には3日かけて見に行ったんだ。スティーヴ・モーズは凄いね。リッチーのプレイを再現するだけじゃなくて、自分のフレーズも弾けるんだ」「ブータンに行った時に、旅行で来ていたミック・ジャガーに会ったことがあるんだよ」なんて話がまさかこんなところで聞けるとは!
最初ちょっと警戒したことも忘れ、すっかり打ち解けた私に、彼は「ローリング・ストーンズのYou Can’t Always Get What You Wantをインド風にカバーしたこともあるんだ」と言うと、おもむろに歌い出した。
「まずイントロはシタールから入るんだ」
“I saw her today at the reception
A glass of wine in her hand…”
「ここでタブラが入ってくる」
タブラ の音色を真似ながら、パサンサンは歌い続ける。
“I knew she would meet her connection
At her feet was a footloose man…”
「ここでギターが入って、サビだ」
“You can’t always get what you want…”
これには本当にびっくりした。
なぜって、これこそがまさに当時の自分が聴きたかったインドのロックそのものだったから!
すっかり意気投合したパサンサンは、その日1日、ガントクの街を案内してくれた。
晩御飯はパサンサンの奢りでビールを飲みながらまたロック談義。
当時の日記によると、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、ストーンズ、ザ・フー、ジェスロ・タル、ジャニス・ジョプリン、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、スコーピオンズ、テン・イヤーズ・アフター、ゴダイゴなんかの話をしたとある。
インターネットも一般的になる前、西洋の音楽の音源もほとんど流通していないインドで、彼はどうやってこんなに(当時から見ても)昔のバンドの知識を得たんだろう。
その日は二人ともガントクに泊まって、次の日一緒にカリンポンを案内してくれることになった。ロックをインド風にカバーした音源も聴かせてくれるという。
ホテルに帰る前、パサンサンが言った。
「ドライバーに給料を支払わないといけないんだけど、今日は銀行が休みなんだ。800ルピー貸してくれないか?」
おっと。
これはインドでは絶対にお金を貸してはいけない場面。貸したら絶対に返ってこない。
ガイドブックにも、大学教授を名乗る身なりのいい家族連れにお金を騙し取られたとか、そういう体験談がわんさと載っている。
でも。アタクシは思った。
あんな小さな村でたまたま会って、ここまで趣味が一致して意気投合した男が、さらに詐欺師だなんて、いくらなんでもそんな偶然は無いんじゃないだろうか。
それに800ルピーは当時の日本円で2,000円くらい。
インドでは大金とはいえ、ドライバーを雇えるくらいの男がかすめ取ろうとする金額ではないだろう。
翌日に返してもらうことを約束し、その日はパサンサンが紹介してくれた、ふざけた名前の「ホテル・パンダ」に宿泊。酔いも手伝って心地よい眠りについた。
翌日。
約束していた朝9時にホテルのフロントに行くと、パサンサンはまだ来ていない。まあ、インド人だしな…と思いながら10分、20分、30分。
さすがにおかしいと思ってパサンサンが宿泊していた部屋をノックしてみたが返事がない。
よく見ると、鍵は外からかかっている。
やばい!と思ってホテルのフロントで聞くと、「その男ならもうとっくにチェックアウトしたよ」とのこと。
やられた!
信じた俺がバカだった!
800ルピーも惜しいけど、彼がカリンポンで聴かせると約束してくれた、インド風にカバーしたロックの名曲の数々が聴けなくなってしまったことが何よりも残念だった。
ホテルの前で困った顔をしていると、映画俳優のようにハンサムな向かいのオーディオ屋の兄ちゃんが「どうした?」と声をかけてきた。
「昨日ここに泊まってたロック好きのパサンサンって男を知ってるか?」
と聞くと、「おー、君もロック好きなのか!」と店のステレオで大音量でボンジョビやドアーズやエルヴィス(すごい組み合わせ!)を流して、ロックの話をしてくる。
音が大きすぎて通りの人はみんなこっちを不快そうに見てくるし、そもそも会話がままならないくらいのヴォリュームだ。
「で、昨日俺が800ルピー貸したパサンサンって男のことなんだけど…」
「いや、そんな奴は知らない。よく知らない人にお金を貸したらいけないよ」
知らないんなら早く言ってくれよ!
それにシッキム、どうしてこんなにロック好きが多いんだよ!
情けないやら悔しいやらで、その日は一日中、前日にパサンサンに案内された場所を巡りながら彼の消息を探したけど、結局何も分からないまま。
彼を探すことはあきらめて、次の目的地のネパールに向かうことにした。
それ以降、インドの旅の中であんなにロックが好きな男に会うことは無かった。
ゴアにはトランスのCDを売るインド人がいたし、ネパールのポカラでは、欧米人ツーリスト向けに当時流行ってたオアシスの曲をカバーしているバンドを見かけたけど、どちらも「仕事としてやってる」って感じで、心からの音楽好きであるようには見えなかった。
欧米のロックをインド風にカバーした音楽なんてものも聴く機会は無かった。
当時そんなことをやっていたのはパサンサンとその仲間くらいだったんだろうか。
インターネットが発達した時代になり、インドでもロックバンドが増えてきていて、遠く離れた日本でもインドのインディーズ音楽が容易に聴けるようになった。
それでも、あの日パサンサンから聞いたようなアプローチで洋楽のロックを演奏しているバンドにはいまだにお目にかかったことがない。
今でも、彼の音源が聴いてみたいと思う。
そして、あのとき感じた「インドのロックが聴いてみたい」という気持ちが、このブログを書くきっかけのずっと根っこのほうにあるのかな、とも少しだけ思う。
それにしてもパサンサン、晩飯もホテル代も出してくれて、1日潰してまで800ルピー騙し取るって、彼の暮らしぶりを考えたらずいぶんわりに合わないペテンだったと思うけど、あれは本当になんだったんだろう。
思うに、彼も最初は純粋にロック談義を楽しんでいたのだろうけど、途中で間抜けな日本人が完全に気心を許してるのを感じて、「これくらいの金なら掠め取ってもいいかな」と考えたんじゃないだろうか。
次回あたりで、この20年前からロックが盛んな(?)シッキム州出身のロックンロールバンド、先日紹介したGirish and the Chroniclesのインタビューがお届けできそうです。
本日はこのへんで。
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