小林真樹

2020年08月08日

歴史的名著!『食べ歩くインド』by小林真樹

食べ歩くインド

アジアハンター代表、小林真樹さんの『食べ歩くインド』(旅行人)。
この本が間違いなく面白いだろうということは分かっていたのだが、インドの音楽シーンについて読むべき本が溜まっていたので、秋頃にいろいろ落ち着いてから買おうと思っていた。

ところが、書店でついうっかり実物を見つけてしまい、手にとって、ぱらぱらとページをめくってみたら、もう駄目だった。
自分はけっしてインドのスペシャリストではないけれど、インドに興味を持ってかれこれ20年。
いつしか、インドに関する本を読むとき、未知のことを知るというよりも、どこか「確認する」みたいになっている自分がいた。
ちょっと調子に乗っていたのかもしれない。
何なんだこの本は。
もう、全く知らないことしか書かれていない。
しかも、それがいちいち面白くて、興味(と食欲)をそそる…。

気がついたら、『北・東編』『南・西編』の二冊を持ってレジに並んでいた。
というわけで、今手元には、読み終わったばかりの2冊がある。

この2冊については、SNS上で、旅好き、南アジア好き、南アジア料理好きのみなさんが、的を射た言葉で絶賛しつつ紹介しているのをたくさん読んでいたので、料理についてはズブの素人の自分は、けっして評したりするまい、と固く心に決めていたのだが、あまりの面白さに、気がついたら、こうしてブログに書いてしまっている。
恐るべきは、私の忍耐力の無さではなく、この本の持つ魔力だ。


南インド料理をはじめとする南アジアの料理は、静かな、しかし熱狂的なブームになっていると言われて久しく、びっくりするほど詳しい人がたくさんいるが、この本ははっきりいって怪物だ。
『北』編の「ガルワール料理」「バスタル地方の部族食」、『南』編の「ラヤシラーマ料理」「オーナムのサッディヤ料理」「ウドゥピ料理」とか、まったく聞いたことのない料理が次から次へと出てくる。
パキスタン、バングラデシュ、ネパールといった周辺諸国の料理はもちろん、南アジアのなかでも独特の文化を持つ、インド北東部の「アッサム料理」「ナガ料理」「マニプリ料理」「カシ(メーガーラヤ)料理」までカバーしており、守備範囲の広さと深さでは全く類を見ない奇書だ。

内容は耳慣れない言葉の連続なのだが、はっきりいってそんなことはどうでもいいくらい、この本は面白い。
今まで誰も記していない、ローカルの文化のなかだけに生きている面白いものを追い求める小林さんの情熱がびんびん伝わってくるからだ。
「北インド/ガルワール料理」から一例を挙げると、例えばこんな文章だ。

他のインドの諸地域同様、ガルワールでも豆は最もポピュラーな食材の一つ。主な料理は、バット(黒豆)を使った汁物料理のバット・キ・カチュロニ、ローストしたウラッド豆の豆粥料理であるチェースー、ベスンのガッテー(団子)を具にしたガッテー・キ・サブジーなど。ガハットダール(ホースグラム)もガルワール全体で一般的で、特にこのガハットの豆粥ペーストと野菜を使ったファーヌー(スープ状の煮込み料理)、また冬の間に保存食料として、ペーストにしたウラッド豆を団子にして日干ししたバリーや、同様にムーング豆の乾燥団子マンゴーリーなどがある。バリーもマンゴーリーも野菜汁に入れて食べる。

(一応言っておくと、耳慣れない単語についてはきちんと説明がされているし、巻末には五十音順の用語説明も付いている)
インド料理についての知識があれば、もちろん一層楽しめるのだろうが、私みたいな素人が読んでも、この笑っちゃうくらいに知らない言葉が出てくる文章は楽しくってしょうがない。

小林さんが書く圧倒的な未知の情報のなかに、自分の持つ限られた知識や経験と重なる部分が見つかると、また格別の喜びがある。
個人的に言えば、「コルカタに中華料理が多い理由はこんなことだったのか」とか、「菓子ロシュ・ゴッラ(ラス・グッラー)の地理的帰属をめぐる西ベンガル州とオディシャ州の法廷闘争なんてものがあったのか。そういえばラッパーのBig Dealが『ラス・グッラーはオディシャ生まれだぜ』ってラップしてたな」とか、「パールシー(ゾロアスター教徒)が炭酸飲料の製造をしてた話って、ロヒントン・ミストリーの小説に出てきたな」なんていう発見に、脳内で予想外のシナプスが繋がる快感があった。

小林さんの興味の対象は、食材や調理方法にとどまらず、年月が生み出した店や客の雰囲気、その土地の歴史や文化、民族の伝統や信仰にも及ぶ。
料理の表層的な味だけではなく、その味を生み出した地層のような背景を紐解いてゆく過程は知的興奮に満ちている。
読んでいると、小林さんのなかで、狂気にも似た好奇心が、静かに、しかし激しく燃えていることが、がんがん伝わってくる。

『食べ歩くインド』を読んで、辻調理師学校を設立した辻静雄の著作を思い出した。
フランスの食と食にまつわる文化に魅せられ、その歴史から最先端までをわかりやすく、かつ詳細に書き記した彼の著書は、日本におけるフランス料理の普及に多大な役割を果たした。
自分は西洋の料理にも全く疎いが、一時期、読み物としての面白さにはまって、彼の本を夢中になって読んでいた。
『食べ歩くインド』も、数十年後には、同じように「古典」としての評価が確立しているはずだ。
今後、日本で、いや、もしかしたら世界で、インドの食や料理について書くとき、『食べ歩くインド』以前と以後に時代が明確に二分されるのではないか、という気すらしている。

なんか興奮して気持ち悪いくらいに絶賛してしまっているが、そういう本だ、これは。


最後にもうひとつだけ。
あとがきに書かれていた「誤解を恐れずにいえば、インド食べ歩きは美味しさの追求が最優先事項ではありません」という文章に、思いっきりシビれた。
(じゃあ何が最優先なのかは、ぜひご自身で読んでみてください)

私は「古典音楽でも映画音楽でもないインド音楽」という、極めてニッチなテーマでブログを書いているが、同様に誤解を恐れずに言えば、そこに音楽としての完成度の高さを追求しているわけではない(何を音楽の完成度とするかは置いておいて)。
ポピュラーミュージックとしての完成度や新しさ、社会へのインパクトを最優先事項とするならば、他に書くべき音楽はいくらでもあるだろう。
それでも、現代ポピュラー音楽の直接的ルーツである欧米から地理的・文化的な距離があるうえに、様々な民族、言語、宗教、伝統、歴史、価値観がときにモザイクのように、ときに坩堝のように合わさったインドという磁場で生み出される新しい音楽(とその背景)に、言いようのない面白さを感じているのだ。

インドという汲めども汲めども決して面白さの尽きない泉のような国で、小林さんが料理文化を追求しているように、自分も音楽カルチャーをこれからも追求していこう、という思いを新たにした次第です。


『食べ歩くインド』を読んでいて思い出したミュージックビデオを2つほど貼りつけておきます。

オディシャ(オリッサ)州プリー出身の日印ハーフのラッパーBig Dealによる、世界初のオディア語ラップ"Mu Heli Odia" .

2:20頃から「奴らにラスグッラーはオディシャのものだと教えてやれ」というリリックが。
西ベンガル州とのラスグッラー訴訟の話を読んだあとだと、この「奴ら」っていうのは、インド人全般って意味じゃなくてベンガル人のことなのかな、なんて思ったりもする。

ジョードプルのヒップホップグループJ19 Squadが同郷のラッパーJagindar RVとSumsa Supariと共演した地元讃歌"Mharo Jodhpur".

『食べ歩くインド』を読んで、この1:00から出てくる団子みたいなのが、全粒粉を丸めて火を通したラージャスターン名物ダール・バーティなるものだと分かったのはうれしかった。(その後に出てくるのは「カスタ・カチョーリー」か?)

インド人は基本的に地元愛が非常に強いので、他にもローカルな食べ物が出てくるミュージックビデオがあった気がするんだが…自分がいかに食文化を見過ごしちゃっているかを思い知らされた。

最後の最後に、『食べ歩くインド』を読んだ全員が必ず思う感想を、私にも言わせてください。
「コロナが落ち着いたら、インドに行ってこの本片手にいろんなものを食べまくりたい!」


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goshimasayama18 at 02:10|PermalinkComments(0)