占い師
2020年05月04日
ヨギ・シンの正体、そしてルーツに迫る(その2)
前回の記事では、とうとう判明した謎のインド人占い師「ヨギ・シン」の正体と思われるシク教徒のコミュニティー(カーストと言い換えても良い)'B'について書いた。
今回は、ヨギ・シンが'B'に所属しているとしたら、彼らはいったいどのように世界中に出没しているのか、そして彼らは本当に'B'の一員なのかという部分に迫ってみたい。
私が考える、「ヨギ・シン='B'説」は、このようなものだ。
20世紀中頃までにイギリス領をはじめとする世界中に渡った'B'たちは、祖国では低く見られていた生業を捨て、新しい職に就いて暮らすようになった。
最初の世代が移住してから長い年月が過ぎ去ったが、彼らは今でもインドに暮らす親族たちと深い絆で結ばれている。
インドで暮らす同胞たちのなかには、彼らの伝統である「辻占」の技術(それは多分にメンタリズムやマジックの技術を含むものだ)を受け継いだ者たちも残っていたとしても、不思議ではない。
彼らは、息子の進学や娘の結婚などのためにお金が必要になると、海外に暮らす親族のネットワークを頼って、「出稼ぎ」のために世界中の大都市に渡る。
だが、先進国では、労働ビザを持たない外国人が簡単に就くことができる仕事などない。
短い期間で大金を稼ぐには、富裕層を狙って彼らの伝統である占いを行うしか手段はなかった。
さあ、どこの国に出稼ぎに行こうか。
'B'のコミュニティーのなかで、話し合いが行われる。
今回は、ヨギ・シンが'B'に所属しているとしたら、彼らはいったいどのように世界中に出没しているのか、そして彼らは本当に'B'の一員なのかという部分に迫ってみたい。
私が考える、「ヨギ・シン='B'説」は、このようなものだ。
20世紀中頃までにイギリス領をはじめとする世界中に渡った'B'たちは、祖国では低く見られていた生業を捨て、新しい職に就いて暮らすようになった。
最初の世代が移住してから長い年月が過ぎ去ったが、彼らは今でもインドに暮らす親族たちと深い絆で結ばれている。
インドで暮らす同胞たちのなかには、彼らの伝統である「辻占」の技術(それは多分にメンタリズムやマジックの技術を含むものだ)を受け継いだ者たちも残っていたとしても、不思議ではない。
彼らは、息子の進学や娘の結婚などのためにお金が必要になると、海外に暮らす親族のネットワークを頼って、「出稼ぎ」のために世界中の大都市に渡る。
だが、先進国では、労働ビザを持たない外国人が簡単に就くことができる仕事などない。
短い期間で大金を稼ぐには、富裕層を狙って彼らの伝統である占いを行うしか手段はなかった。
さあ、どこの国に出稼ぎに行こうか。
'B'のコミュニティーのなかで、話し合いが行われる。
香港には、ついこないだまであの家のじいさんが行っていた。
ロンドンでは今となり村の叔父さんたちが「仕事」をしているところだ。
メルボルンには向こうの家の親父が行っていたが、「詐欺師に注意!」と報道されてしまったばかり。
ロンドンでは今となり村の叔父さんたちが「仕事」をしているところだ。
メルボルンには向こうの家の親父が行っていたが、「詐欺師に注意!」と報道されてしまったばかり。
よし、今まで誰も行っていない東京にしよう。
ちょうど、エンジニアをしている従兄弟の一人が、2年前から東京で暮らしているのだ。
「ヨギ・シン」たちは、こんなふうにして目的地を決めるのだろう。
占い師は、親族の住まいに身を寄せ、その街に暮らす親族に、占いに適した地域を尋ねる。
金払いの良い富裕層が集まっていること。
英語を理解する教育程度の高い人間が多いこと。
そして、見慣れない異国の人間が歩いていても、怪しまれないこと。
彼らが安心して活動するには、少なくともこういった条件が必要だ。
先住の'B'は、ちょっと迷惑だなと感じながらも、故郷から来た時代遅れの親類に、寝床を提供して、助言を与える。
ちょうど、エンジニアをしている従兄弟の一人が、2年前から東京で暮らしているのだ。
「ヨギ・シン」たちは、こんなふうにして目的地を決めるのだろう。
占い師は、親族の住まいに身を寄せ、その街に暮らす親族に、占いに適した地域を尋ねる。
金払いの良い富裕層が集まっていること。
英語を理解する教育程度の高い人間が多いこと。
そして、見慣れない異国の人間が歩いていても、怪しまれないこと。
彼らが安心して活動するには、少なくともこういった条件が必要だ。
先住の'B'は、ちょっと迷惑だなと感じながらも、故郷から来た時代遅れの親類に、寝床を提供して、助言を与える。
伝統を大事にしている自分たちのコミュニティーでは、娘の結婚に持参金が必要なことも、この忌むべき生業から抜け出すには高い学歴が必要なことも分かっているからだ。
東京に来たヨギ・シンが、丸の内という彼らの活動にいちばん適した街にいきなり出没できたのは、きっとこんな背景があったはずだ。
必要なお金が集まったら、彼らは故郷へと帰ってゆく。
そのお金で高い教育を受けたり、よい家柄に嫁いだ彼らの子どもたちは、もう誰も「ヨギ・シン」にはならない。
もし、「仕事」の最中に正体やトリックがばれそうになったら、あるいは、警察や役人に怪しまれそうになったら、なんとかしてその場から逃げ出して、その街から立ち去ることだ。
拘束や強制送還で済めば、まだ運が良い方だ。
彼らの存在や、その秘密が知れ渡ってしまったら、もう誰も先祖代々の共有財産であるこの生業をできなくなってしまう。
それだけはなんとしても避けなければならない。
…国際フォーラムで声をかけた時の「彼」の反応は、こんな事情があることを思わせるものだった。
ある程度、情報も集まり、仮説も立てられた。
次はどんな調査をすべきだろうか。
私が大きく考えさせられる言葉に出会ったのは、ちょうどこんな想像を巡らせていた時だった。
それは、シク教徒たちが集まるウェブサイトに書かれていた、何気ない言葉だった。
そのサイトは、世界中のシク教徒たちがシク教の歴史や文化を話し合うために作られたものだった。
パンジャービー語やヒンディー語の文字は見当たらず、全て英語で書かれていたから、海外在住のシク教徒や、インドでも英語を自由に使える階層の(つまり、教育レベルが高い)人々が主に利用しているサイトなのだろう。
このサイトの中で、ロンドンに住む男性が書いた、'B'に対するこんなコメントを見つけてしまったのだ。
「かつて、我々シク教徒は誇り高い戦士だと思われていた。それが、'B'のコミュニティーのいんちきな占いのせいで、シク教徒といえば怪しいニセ占い師だと言われるようになってしまった。悲しいことだ。1920年代からイギリスでは同じようなことが言われているし、今ではネット上のあらゆる場所でシク教徒には近づくなと言われている。占いは彼らの伝統かもしれないけど、そのせいでシク教徒の評判が傷つけられている。彼らは150年前からなにも変わっていない。でも、カースト差別主義者だと思われたくないから、誰もこんな話はしないんだ…。(大意)」
次はどんな調査をすべきだろうか。
私が大きく考えさせられる言葉に出会ったのは、ちょうどこんな想像を巡らせていた時だった。
それは、シク教徒たちが集まるウェブサイトに書かれていた、何気ない言葉だった。
そのサイトは、世界中のシク教徒たちがシク教の歴史や文化を話し合うために作られたものだった。
パンジャービー語やヒンディー語の文字は見当たらず、全て英語で書かれていたから、海外在住のシク教徒や、インドでも英語を自由に使える階層の(つまり、教育レベルが高い)人々が主に利用しているサイトなのだろう。
このサイトの中で、ロンドンに住む男性が書いた、'B'に対するこんなコメントを見つけてしまったのだ。
「かつて、我々シク教徒は誇り高い戦士だと思われていた。それが、'B'のコミュニティーのいんちきな占いのせいで、シク教徒といえば怪しいニセ占い師だと言われるようになってしまった。悲しいことだ。1920年代からイギリスでは同じようなことが言われているし、今ではネット上のあらゆる場所でシク教徒には近づくなと言われている。占いは彼らの伝統かもしれないけど、そのせいでシク教徒の評判が傷つけられている。彼らは150年前からなにも変わっていない。でも、カースト差別主義者だと思われたくないから、誰もこんな話はしないんだ…。(大意)」
そこには、ご丁寧に世界中に出没した「ヨギ・シン」たちのことを伝えるブログやニュースサイトのリンク(私が彼らの出没情報を得るのに使ったものと同じページだった)が貼り付けられていた。
また別のスレッドには、同じくイギリス在住のシク教徒からこんなコメントが書かれていた。
「(ヨギ・シンのような詐欺に会ったという声に対して)悲しいことに、それをしているのは自分と同じ'B'コミュニティーの出身者だよ。こんなことをする'B'は本当に少なくて、1%くらいだけだ。彼らはイギリスに住んでいるわけじゃなくて、インドからやって来るんだ。」
ここに書かれていたのは、他ならぬシク教徒たちからの告発であり、また'B'の同胞たちからの、生業に対する弁解だった。
これらの書き込みを読む限り、おそらく私の推理は当たっていたのだろう。
間違いなく'B'こそがヨギ・シンの所属するコミュニティーだ。
それでも、私は謎が解けた喜びよりも、むしろもやもやとした落ち着かない気持ちが湧いて来るのを抑えられなかった。
大谷幸三氏の本(『インド通』)やシク教の解説書で、'B'が非差別的な立場の存在であることを、知識としては理解していた。
だが、私は放浪の占い師である彼らを、どこかロマンチックな存在として見ていたところがあった。
秘伝の占いを武器に、口八丁で世界中を渡り歩く謎多き人々。
彼らに対して、物語のなかのジプシーやサンカ(かつて日本にいたとされる漂泊民)に抱くのと同じようなイメージを持っていたのだ。
ところが、ここに書かれていたのは、仲間たちから恥ずべき存在として扱われている、時代遅れで極めて弱い立場の人々だった。
このウェブサイトで、'B'は決して激しい言葉で差別されているわけではない。
むしろ、ここで'B'を批判しているのは無教養な差別主義者ではなく、先進国に暮らしながらも、自身のルーツであるシクのコミュニティ全体の誇りをも考えている立派なシク教徒たちに違いない。
だからこそ、'B'の置かれた立場の寄る辺のなさが、とても重苦しいものとして感じられたのだ。
また別のスレッドには、同じくイギリス在住のシク教徒からこんなコメントが書かれていた。
「(ヨギ・シンのような詐欺に会ったという声に対して)悲しいことに、それをしているのは自分と同じ'B'コミュニティーの出身者だよ。こんなことをする'B'は本当に少なくて、1%くらいだけだ。彼らはイギリスに住んでいるわけじゃなくて、インドからやって来るんだ。」
ここに書かれていたのは、他ならぬシク教徒たちからの告発であり、また'B'の同胞たちからの、生業に対する弁解だった。
これらの書き込みを読む限り、おそらく私の推理は当たっていたのだろう。
間違いなく'B'こそがヨギ・シンの所属するコミュニティーだ。
それでも、私は謎が解けた喜びよりも、むしろもやもやとした落ち着かない気持ちが湧いて来るのを抑えられなかった。
大谷幸三氏の本(『インド通』)やシク教の解説書で、'B'が非差別的な立場の存在であることを、知識としては理解していた。
だが、私は放浪の占い師である彼らを、どこかロマンチックな存在として見ていたところがあった。
秘伝の占いを武器に、口八丁で世界中を渡り歩く謎多き人々。
彼らに対して、物語のなかのジプシーやサンカ(かつて日本にいたとされる漂泊民)に抱くのと同じようなイメージを持っていたのだ。
ところが、ここに書かれていたのは、仲間たちから恥ずべき存在として扱われている、時代遅れで極めて弱い立場の人々だった。
このウェブサイトで、'B'は決して激しい言葉で差別されているわけではない。
むしろ、ここで'B'を批判しているのは無教養な差別主義者ではなく、先進国に暮らしながらも、自身のルーツであるシクのコミュニティ全体の誇りをも考えている立派なシク教徒たちに違いない。
だからこそ、'B'の置かれた立場の寄る辺のなさが、とても重苦しいものとして感じられたのだ。
ある人物(おそらく'B'の一員だろう)は、このサイトの掲示板に「'B'コミュニティーがシク教の歴史のなかで果たしてきた役割をきちんと評価すべきだ。そのうえで、シク教徒はコミュニティーによる分断を乗り越えて、ひとつになるべきだ」という趣旨のスレッドを作成していた。
おそらく、シク教徒たちのなかで低い立場に置かれている'B'の扱いに対する異議申立てなのだろう。
だが、それに対する反応は、「シク教徒は全体でひとつの存在なのだから、'B'のコミュニティーだけを評価すべきという考えはおかしい」という、至極まっとうだが冷淡なものがほとんどだった。
他にも、この掲示板では、女子教育の軽視や早期の結婚といった'B'の保守性が批判的に扱われているコメントが散見された。だが、それに対する反応は、「シク教徒は全体でひとつの存在なのだから、'B'のコミュニティーだけを評価すべきという考えはおかしい」という、至極まっとうだが冷淡なものがほとんどだった。
断っておくと、このサイト上のでは、特定のコミュニティーを見下すような意見はほとんど表出されておらず、むしろ「シク教徒全体がひとつの大きなコミュニティーなのだから、個々のカーストやコミュニティーにこだわるべきではない」という考えに基づくコメントが多く書き込まれていた。
それに、シク教徒のなかにも、'B'のことを知らなかったり、彼らがこうした占いを行なっていることを聞いたことがない人たちも多いようだった(私が受けた印象では、むしろそういう人のほうが圧倒的に大多数のようだ)。
それに、シク教徒のなかにも、'B'のことを知らなかったり、彼らがこうした占いを行なっていることを聞いたことがない人たちも多いようだった(私が受けた印象では、むしろそういう人のほうが圧倒的に大多数のようだ)。
だが、それでも「ヨギ・シン」たちがシク教徒の仲間や同じコミュニティからも、恥ずべき存在だと思われているという現実は、心に重くのしかかったままだった。
端的にいうと、私は、こうした弱い立場の彼らの正体を、興味本位で暴こうとすることに、罪悪感を感じ始めてしまったのだ。
「差別的に扱われている彼らの占いを、伝統芸能として再評価すべき」なんていう理想を掲げていたが、そもそも彼ら自身がこの考えをどう感じるのか、私はまったく想像できていなかった。
自分勝手な親切を押し付けようとしていただけなのではないか。
端的にいうと、私は、こうした弱い立場の彼らの正体を、興味本位で暴こうとすることに、罪悪感を感じ始めてしまったのだ。
「差別的に扱われている彼らの占いを、伝統芸能として再評価すべき」なんていう理想を掲げていたが、そもそも彼ら自身がこの考えをどう感じるのか、私はまったく想像できていなかった。
自分勝手な親切を押し付けようとしていただけなのではないか。
彼らはそんなことは望んでおらず、必要最小限だけ、静かに目立たないようにその仕事をしたかっただけなのではないだろうか。
この記事に彼らのコミュニティーの名前をはっきりと書かなかったのも、引用した文献や著者の名前を記さなかったのも、彼らのことを好奇心のままに取り上げることに疑問が湧いてきてしまったからだ。
この記事に彼らのコミュニティーの名前をはっきりと書かなかったのも、引用した文献や著者の名前を記さなかったのも、彼らのことを好奇心のままに取り上げることに疑問が湧いてきてしまったからだ。
彼らのことを書きたいという欲求と、彼らのことを書くべきでないという気持ちの葛藤に、いまだに整理がつかないでいる。
彼らが感じているであろう「痛み」を知らずに、好奇心のままに彼らの正体を暴くことは、果たして許されることなのだろうか。
彼らが感じているであろう「痛み」を知らずに、好奇心のままに彼らの正体を暴くことは、果たして許されることなのだろうか。
国際フォーラムの中庭で遭遇したヨギ・シンの様子が思い出される。
彼が示した明確な拒絶。
彼らが路上で奇妙な占い行為をしていたのは明らかだったにもかかわらず、口が達者な占い師であるはずの彼は、言い逃れをすることもごまかすこともなく、'No'と'I don't know'だけを繰り返し、足早に立ち去った。
そして、それまで連日のように丸の内に現れていたヨギ・シンの集団は、それ以来二度と現れることはなかった…。
はるばる東京を訪れ、その生業で一稼ぎしようと思っていた矢先に、彼らに好奇心を抱いた男(私のこと)に見つかってしまった占い師たち。
自らの生業がどのように見られているかを知りつつも、その生業を続けざるを得ない彼らの気持ちは、思ったよりもずっと複雑なものなのではないだろうか。
彼らは、口八丁で生きるミステリアスな放浪の占い師などでは全くなかったのだ。
自らのコミュニティーや伝統が差別され、その生業が恥ずべきものだと知りながらも、シク教徒としての信仰に誇りを持ち、よりよい暮らしのためにやむなくその伝統にすがって生きている、弱い立場の存在…。
彼らのことを知れば知るほど、「ヨギ・シン」のイメージは私の中で変わっていった。
「彼らは何者なのか」
「彼らはどこから来たのか」
「彼らはいつ頃からいるのか」
「彼らはどんなトリックを使っているのか」
「彼らは何人くらいいるのか」
私はそんなことばかりを気にしていて、大事な疑問を忘れていたのだ。
「彼らは、なぜ占いをするのか」
もちろん、家族のため、お金を稼ぐためだろう。
それは分かる。
しかし、そこに至るまでの経緯や逡巡、ひとりひとりのヨギ・シンが、何を思い、考えているのか。
どのように伝統が受け継がれ、どのように実践されるのか。
それを知るためには、彼らと知り合い、打ち解け、直接尋ねるしかない。
ヨギ・シンが抱える痛みを知った上で、はじめて彼らが秘めてきた伝統を書き記す資格が得られるはずだ。
いや、それだって、独りよがりな思い込みにすぎないかもしれない。
だが、それでも、彼らのことを知らずに、外側から眺めているだけでこれ以上書き続けることはできないし、それ以前にこれ以上書ける内容もない。
どんなアプローチの仕方があるのか、どれだけ時間や労力がかかるのか、皆目見当がつかないし、そもそもこのコロナウイルス流行の状況下では取り掛かりようもないのだが、この続きを書くためには、彼らと直接コンタクトを取るしかない。
ヨギ・シンに対する、ウェブや文献による調査と推理のフェーズは、今回をもってひとまずの終了とすべきだろう。
この続きは、彼らと再び出会い、関係を築いたうえで、あらためて書くということになりそうだ。
そんなことがはたしてできるのだろうか?
だが、何事も試して見なければわからない。
今は、ただその一歩が踏み出せる時が来ることを、静かに待つばかりだ。
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goshimasayama18 at 18:00|Permalink│Comments(0)
2020年05月01日
ヨギ・シンの正体、そしてルーツに迫る(その1)
前回の記事で、山田真美さんの著書『インド大魔法団』『マンゴーの木』で紹介されているインドのマジシャン事情に触れつつ、世界中を流浪する謎の占い師「ヨギ・シン」を、詐欺師扱いされる存在からその伝統に値するリスペクトを受けられる存在にしたいという内容を書いた。
その気持ちに嘘偽りはない。
だが、ヨギ・シンの調査にあたって、それにも増して私の原動力になっていたのは、もっと単純な、本能的とも言える好奇心だ。
あらゆる情報がインターネット検索で分かってしまうこの時代に、こんなに不思議な存在が謎のままでいるということは、ほとんど奇跡であると言っていい。
「彼らは何者なのか」
「彼らはどこから来たのか」
「彼らはいつ頃からいるのか」
「彼らはどんなトリックを使っているのか」
「彼らは何人くらいいるのか」
ヨギ・シンにまつわる全ての謎の答えが知りたかった。
いくつかの謎については、これまでの調査でかなりのことが分かっていた。
彼らが使う「読心術」のトリックは、ちょっとした心理(メンタリズム)的な技法と、以前「ヨギ・トリック」として紹介したあるマジックの技術を使うことで、ほぼ説明することができそうである。
彼らの正体については、大谷幸三氏の著書『インド通』に登場する、シク教徒のなかでも低い身分とされる占い師カーストの人々だということで間違いないだろう。
では、その占い師のカーストは、何という名前なのだろう。
彼らはインドからどのように世界中に広まったのか。
そして、世界中で何人くらいが占い師として活動しているのだろうか。
こうした疑問の答えは、依然として謎のままだった。
私は、彼らの正体をより詳しく探るべく、ほとんど手がかりのないまま、シク教徒の占い師カーストについての調査にとりかかった。
ところで、「シク教徒のカースト」というのは、矛盾した表現だ。
シク教は、カースト制度そのものを否定しているからだ。
16世紀にヒンドゥーとイスラームの影響を受けて成立したシク教は、この2つの信仰が儀式や戒律を重視し過ぎたために形骸化していることを批判し、宗教や神の名はさまざまでも信仰の本質はひとつであるという教えを説いた。
ごく単純に言えば、ヴィシュヌもアッラーも同じ神の異名であり、信仰の前に人々の貴賎はないというのがシク教の思想である。
シク教徒の男性全員がSingh(ライオンを意味する)という名を名乗るのは、悪しき伝統であるカースト制度を否定し、出自による差別をなくすためだ。
シク教の聖地であるアムリトサルの黄金寺院では、宗教や身分にかかわらず、あらゆる人々に分け隔てなく無料で食事が振舞われているが、これもヒンドゥー教徒が自分より低いカーストの者と食事をともにしないことへの批判という意味を持っている。(黄金寺院で毎日提供される10万食もの食事の調理、給仕、後片付けなどの様子は、ドキュメンタリー映画『聖者たちの食卓〔原題"Himself He Cooks"〕』で見ることができる。)
形骸化した既存の宗教への批判から生まれたシク教だが、ほかのあらゆる宗教と同様に、時代とともに様式化してしまった部分もある。
例えば、彼らのシンボルとも言える、男性がターバンを着用する習慣もそのひとつと言えるだろう。
そして、シク教徒たちもまた、インドの他の宗教同様、この土地に深く根付いたカーストという宿痾から逃れることはできなかった。
誰とでも食卓を囲む彼らにも、血縁や地縁でつながった職業コミュニティー間の上下関係、すなわち事実上のカースト制度が存在している。
ヒンドゥー的な浄穢の概念は捨て去ることができても、家柄や職業の貴賤という感覚からは逃れられなかったのだ。
結果として、路上での占いを生業とするコミュニティーに所属する人々は、シク教徒の社会のなかでも、低い身分に位置付けられることになった。
そこまでは分かっていたのだが、シク教徒の辻占コミュニティーについての情報は、なかなか見つけることができなかった。
興味本位のブログ記事や、詐欺への注意を喚起する記事は見つけられても、彼らの正体に関する情報は、英語でも日本語でも、ネット上のどこにも書かれていないようだった。
ところが、なんとなく読み始めたシク教の概説書に、思いがけずヒントになりそうな記述を見つけることができたのだ。
それは、あるイギリス人の研究者が書いた本だった。
その気持ちに嘘偽りはない。
だが、ヨギ・シンの調査にあたって、それにも増して私の原動力になっていたのは、もっと単純な、本能的とも言える好奇心だ。
あらゆる情報がインターネット検索で分かってしまうこの時代に、こんなに不思議な存在が謎のままでいるということは、ほとんど奇跡であると言っていい。
「彼らは何者なのか」
「彼らはどこから来たのか」
「彼らはいつ頃からいるのか」
「彼らはどんなトリックを使っているのか」
「彼らは何人くらいいるのか」
ヨギ・シンにまつわる全ての謎の答えが知りたかった。
いくつかの謎については、これまでの調査でかなりのことが分かっていた。
彼らが使う「読心術」のトリックは、ちょっとした心理(メンタリズム)的な技法と、以前「ヨギ・トリック」として紹介したあるマジックの技術を使うことで、ほぼ説明することができそうである。
彼らの正体については、大谷幸三氏の著書『インド通』に登場する、シク教徒のなかでも低い身分とされる占い師カーストの人々だということで間違いないだろう。
では、その占い師のカーストは、何という名前なのだろう。
彼らはインドからどのように世界中に広まったのか。
そして、世界中で何人くらいが占い師として活動しているのだろうか。
こうした疑問の答えは、依然として謎のままだった。
私は、彼らの正体をより詳しく探るべく、ほとんど手がかりのないまま、シク教徒の占い師カーストについての調査にとりかかった。
ところで、「シク教徒のカースト」というのは、矛盾した表現だ。
シク教は、カースト制度そのものを否定しているからだ。
16世紀にヒンドゥーとイスラームの影響を受けて成立したシク教は、この2つの信仰が儀式や戒律を重視し過ぎたために形骸化していることを批判し、宗教や神の名はさまざまでも信仰の本質はひとつであるという教えを説いた。
ごく単純に言えば、ヴィシュヌもアッラーも同じ神の異名であり、信仰の前に人々の貴賎はないというのがシク教の思想である。
シク教徒の男性全員がSingh(ライオンを意味する)という名を名乗るのは、悪しき伝統であるカースト制度を否定し、出自による差別をなくすためだ。
シク教の聖地であるアムリトサルの黄金寺院では、宗教や身分にかかわらず、あらゆる人々に分け隔てなく無料で食事が振舞われているが、これもヒンドゥー教徒が自分より低いカーストの者と食事をともにしないことへの批判という意味を持っている。(黄金寺院で毎日提供される10万食もの食事の調理、給仕、後片付けなどの様子は、ドキュメンタリー映画『聖者たちの食卓〔原題"Himself He Cooks"〕』で見ることができる。)
形骸化した既存の宗教への批判から生まれたシク教だが、ほかのあらゆる宗教と同様に、時代とともに様式化してしまった部分もある。
例えば、彼らのシンボルとも言える、男性がターバンを着用する習慣もそのひとつと言えるだろう。
そして、シク教徒たちもまた、インドの他の宗教同様、この土地に深く根付いたカーストという宿痾から逃れることはできなかった。
誰とでも食卓を囲む彼らにも、血縁や地縁でつながった職業コミュニティー間の上下関係、すなわち事実上のカースト制度が存在している。
ヒンドゥー的な浄穢の概念は捨て去ることができても、家柄や職業の貴賤という感覚からは逃れられなかったのだ。
結果として、路上での占いを生業とするコミュニティーに所属する人々は、シク教徒の社会のなかでも、低い身分に位置付けられることになった。
そこまでは分かっていたのだが、シク教徒の辻占コミュニティーについての情報は、なかなか見つけることができなかった。
興味本位のブログ記事や、詐欺への注意を喚起する記事は見つけられても、彼らの正体に関する情報は、英語でも日本語でも、ネット上のどこにも書かれていないようだった。
ところが、なんとなく読み始めたシク教の概説書に、思いがけずヒントになりそうな記述を見つけることができたのだ。
それは、あるイギリス人の研究者が書いた本だった。
その本のなかの、イギリス本国に渡ったパンジャーブ系移民について書かれた部分に、こんな記述を見つけたのだ。
「…第一次世界大戦から1950年代の間にイギリスに移住したシク教徒の大部分は、(引用者注:それ以前に英国に渡っていた王族やその従者に比べて)はるかに恵まれない身分の出身だった。インドでは'B'というカーストとして知られている彼らは、他の人々からは、地位の低い路上の占い師と見なされていた。イギリスに渡った'B'の家族の多くが、現在はパキスタン領であるシアルコット地区の出身である。」
(引用者訳。この本には具体的なカースト名が書かれていたのだが、後述の理由により、彼らの集団の名前や、参考にした未邦訳の書籍名については、今は明かさないことにする)
この「低い身分の路上の占い師」である'B'という集団こそが、ヨギ・シンなのだろうか。
文章は続く。
「'B'のシク教徒の先駆者たちは、ロンドンや、ブリストル、カーディフ、グラスゴー、ポーツマス、サウサンプトン、スウォンジーなどの港町や、バーミンガム、エディンバラ、マンチェスター、ノッティンガムなどの内陸部に定住した。彼らはまず家庭訪問のセールスマンになり、やがて小売商、不動産賃貸業などに就くようになった。より最近の世代では、さらに幅広い仕事についている。'B'たちは、他のシク教徒たちが手放してしまった習慣や、他のシク教徒たちに馴染みのない習慣を保持していた。」
「…第一次世界大戦から1950年代の間にイギリスに移住したシク教徒の大部分は、(引用者注:それ以前に英国に渡っていた王族やその従者に比べて)はるかに恵まれない身分の出身だった。インドでは'B'というカーストとして知られている彼らは、他の人々からは、地位の低い路上の占い師と見なされていた。イギリスに渡った'B'の家族の多くが、現在はパキスタン領であるシアルコット地区の出身である。」
(引用者訳。この本には具体的なカースト名が書かれていたのだが、後述の理由により、彼らの集団の名前や、参考にした未邦訳の書籍名については、今は明かさないことにする)
この「低い身分の路上の占い師」である'B'という集団こそが、ヨギ・シンなのだろうか。
文章は続く。
「'B'のシク教徒の先駆者たちは、ロンドンや、ブリストル、カーディフ、グラスゴー、ポーツマス、サウサンプトン、スウォンジーなどの港町や、バーミンガム、エディンバラ、マンチェスター、ノッティンガムなどの内陸部に定住した。彼らはまず家庭訪問のセールスマンになり、やがて小売商、不動産賃貸業などに就くようになった。より最近の世代では、さらに幅広い仕事についている。'B'たちは、他のシク教徒たちが手放してしまった習慣や、他のシク教徒たちに馴染みのない習慣を保持していた。」
シク教徒のなかでもとくに保守的な集団だというから、今では違う職に就いている彼らのなかに、きっとあの占い師たちもいるのではないだろうか。
彼らのコミュニティーの名前が分かれば、あとは簡単に情報が集まるだろうと思ったが、そうはいかなかった。
'B'という単語を使ってググっても、彼らが行うという「占い」に関する情報はほとんど得られないのだ。
それでもなんとかネット上で得られた情報や、探し当てた文献から得た情報(そのなかには、前述の本の著者の方に特別に送っていただいた論文も含まれている)を総合すると、以下のようになる。
'B'に伝わる伝承によると、改宗以前の彼らはヒンドゥーのバラモンであり、神を讃える詩人だったという。
'B'の祖先はもともとスリランカに住んでおり、その地でシク教の開祖ナーナクと出会った彼らは、シク教の歴史のごく初期に、その教えに帰依した。
改宗後、シク教の拠点であるパンジャーブに移り住んだ'B'の人々は、シクの聖歌を歌うことを特別に許された宗教音楽家になった。
彼らのコミュニティーの名前が分かれば、あとは簡単に情報が集まるだろうと思ったが、そうはいかなかった。
'B'という単語を使ってググっても、彼らが行うという「占い」に関する情報はほとんど得られないのだ。
それでもなんとかネット上で得られた情報や、探し当てた文献から得た情報(そのなかには、前述の本の著者の方に特別に送っていただいた論文も含まれている)を総合すると、以下のようになる。
'B'に伝わる伝承によると、改宗以前の彼らはヒンドゥーのバラモンであり、神を讃える詩人だったという。
'B'の祖先はもともとスリランカに住んでおり、その地でシク教の開祖ナーナクと出会った彼らは、シク教の歴史のごく初期に、その教えに帰依した。
改宗後、シク教の拠点であるパンジャーブに移り住んだ'B'の人々は、シクの聖歌を歌うことを特別に許された宗教音楽家になった。
彼らが作った神を讃える歌は、シク教の聖典にも収められている。
インドでは、低いカーストとみなされているコミュニティーが「かつては高位カーストだった」と主張することはよくあるため、こうした伝承がどの程度真実なのかは判断が難しいが、'B'の人々は、今でも彼らこそがシク教の中心的な存在であるという誇りを持っているという。
いずれにしても、彼らはその後の時代の流れの中で、低い身分の存在になっていった。
音楽家であり、吟遊詩人だった彼らは、その土地を持たない生き方ゆえに、貧困に陥り、やがて蔑視される存在になってしまったのだろうか。
少なくとも20世紀の初め頃には、'B'は路上での占いや行商を生業としていた。
彼らの22の氏族のうち13氏族が現パキスタン領であるシアルコット地区を拠点としていたという。
シク教徒の海外への進出は、イギリス統治時代に始まった。
19世紀に王族やその従者がイギリスに移住して以来、多くのシク教徒が、軍人や警官、あるいはプランテーションや工場の労働者として、英本国や世界中のイギリス領へと向かった。
彼らの中でもっとも多かったのが、「土地を所有する農民」カーストであるJatだった。
'B'の人々のイギリスへの移住は、おもに第一次世界大戦期から1950年代ごろに行われている。
とくに、Jatの移住が一段落いた1950年代に、なお不足していた単純労働力を補うために渡英したのが、職人カーストのRamgarhia、ダリット(「不可触民」として差別されてきた人々)のValmiki、そして'B'といった低いカーストと見なされている人々だった。
もともと流浪の民だった'B'は、海外移住に対する抵抗も少なかったようだ。
彼らの主な居住地(シアルコットなど)が、1946年の印パ分離独立によって、イスラームを国教とするパキスタン領になってしまったこともシク教徒の海外移住を後押しした。
シク教徒のほとんどが暮らしていたパンジャーブ地方は、分離独立によって印パ両国に分割され、パキスタン領に住んでいたシク教徒たちは、その多くが世俗国家であるインドや海外へと移住することを選んだのだ。
インドでは、低いカーストとみなされているコミュニティーが「かつては高位カーストだった」と主張することはよくあるため、こうした伝承がどの程度真実なのかは判断が難しいが、'B'の人々は、今でも彼らこそがシク教の中心的な存在であるという誇りを持っているという。
いずれにしても、彼らはその後の時代の流れの中で、低い身分の存在になっていった。
音楽家であり、吟遊詩人だった彼らは、その土地を持たない生き方ゆえに、貧困に陥り、やがて蔑視される存在になってしまったのだろうか。
少なくとも20世紀の初め頃には、'B'は路上での占いや行商を生業としていた。
彼らの22の氏族のうち13氏族が現パキスタン領であるシアルコット地区を拠点としていたという。
シク教徒の海外への進出は、イギリス統治時代に始まった。
19世紀に王族やその従者がイギリスに移住して以来、多くのシク教徒が、軍人や警官、あるいはプランテーションや工場の労働者として、英本国や世界中のイギリス領へと向かった。
彼らの中でもっとも多かったのが、「土地を所有する農民」カーストであるJatだった。
'B'の人々のイギリスへの移住は、おもに第一次世界大戦期から1950年代ごろに行われている。
とくに、Jatの移住が一段落いた1950年代に、なお不足していた単純労働力を補うために渡英したのが、職人カーストのRamgarhia、ダリット(「不可触民」として差別されてきた人々)のValmiki、そして'B'といった低いカーストと見なされている人々だった。
もともと流浪の民だった'B'は、海外移住に対する抵抗も少なかったようだ。
彼らの主な居住地(シアルコットなど)が、1946年の印パ分離独立によって、イスラームを国教とするパキスタン領になってしまったこともシク教徒の海外移住を後押しした。
シク教徒のほとんどが暮らしていたパンジャーブ地方は、分離独立によって印パ両国に分割され、パキスタン領に住んでいたシク教徒たちは、その多くが世俗国家であるインドや海外へと移住することを選んだのだ。
逆にインドからパキスタンに移動したムスリムたちも多く、その混乱の中で両国で数百万人にも及ぶ犠牲者が出たといわれている。
印パの分離独立にともない、これ以前に移住していた'B'の人々は、帰る故郷を失い、イギリスへの定住を選ばざるを得なくなった。
印パの分離独立にともない、これ以前に移住していた'B'の人々は、帰る故郷を失い、イギリスへの定住を選ばざるを得なくなった。
1950年代にイギリスに渡った'B'のなかには、占いを生業とするものがとくに多かったが、彼らの多くは渡英とともにその伝統的な職業を捨て、セールスマンや小売商となった。
彼らは、サウサンプトン、リバプール、グラスゴー、カーディフといった港町でユダヤ人やアイルランド人が経営していた商店を引き継いだり、ハイドパークなどの公園で小間物や衣類、布地などを商ったりして生計を立てた。
また、シンガポールやマレーシア、カナダ、アメリカ(とくにニューヨーク)に移住した者も多く、行商人としてフランス、イタリア、スイス、日本、ニュージーランドやインドシナなどを訪れる者もいたという。
1960年の時点で、イギリスには16,000人ほどのシク教徒がいたが、その後もイギリスのシク教徒は増え続けた。
先に移住していた男性の結婚相手として女性が移住したり、アフリカやカリブ海地域に移住していた移民が、より良い条件を求めてイギリスにやってきたりしたことも、その原因だった。
インドから血縁や地縁を利用して新たに移住する者たちも後を立たなかった。
1960年代以降、インディラ・ガーンディー首相が始めた「緑の革命」(コメや小麦の高収量品種への転換、灌漑設備の整備、化学肥料の導入などを指す)によって、彼らのパンジャーブ州の基幹産業である農業は大きく発展した。
しかし、この成功体験は、人々に「努力して働けば、その分豊かになれる」という意識をもたらし、皮肉にも海外移住の追い風になってしまったという。
今では海外移住者がインド経済に果たす役割は非常に大きくなり、世界銀行によると、2010年にはパンジャーブ州のGDPのうち、じつに10%が海外からの送金によって賄われている(インド全体でも、この年のGDPの5%が海外からの送金によるものだった)。
経済的な野心から違法な手段で海外に渡る者も多く、世界中で15,000人ものパンジャーブ人が不法滞在を理由に拘束されているという。
現在、イギリスには約100万人ものインド系住民が住んでおり、英国における最大のマイノリティーを形成しているが、そのうち45%がパンジャービー系の人々で、その3分の2がシク教徒である。
つまり、イギリスに暮らすインド系住民のうち、約30%がシク教徒なのだ。
インドにおけるシク教徒の人口の2%に満たないことを考えると、これはかなり高い割合ということになる。
その人数の多さゆえか、イギリスのシク教コミュニティーは、決して一枚岩ではなく、それぞれのカーストによって個別のグループを作る傾向があるそうだ。
例えば、彼らの祈りの場である寺院〔グルドワーラー〕もカーストによるサブグループごとに、別々に建てられている。
'B'の人たちは、とくに保守的な傾向が強いことで知られている。
'B'の男性は、他のコミュニティーと比べてターバンを着用する割合が高く、また女子教育を重視しない傾向や、早期に結婚する傾向があると言われている。
参照した文献によると、少なくとも20世紀の間は、'B'の女性は十代後半で結婚することが多く、また女性は年上の男性の前では顔を隠す習慣が守られていたとある。
彼らにとってこうした「保守性」は、特別なことではなく、シク教徒としてのあるべき形なのだと解釈されていた。
長くなったが、これまでに'B'について調べたことをまとめると、このようになる。
世界中に出没している「ヨギ・シン」が'B'の一員だとすれば(それはほぼ間違いのないことのように思える)、例えばこんな仮説が立てられるのではないだろうか。
(つづく)
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彼らは、サウサンプトン、リバプール、グラスゴー、カーディフといった港町でユダヤ人やアイルランド人が経営していた商店を引き継いだり、ハイドパークなどの公園で小間物や衣類、布地などを商ったりして生計を立てた。
また、シンガポールやマレーシア、カナダ、アメリカ(とくにニューヨーク)に移住した者も多く、行商人としてフランス、イタリア、スイス、日本、ニュージーランドやインドシナなどを訪れる者もいたという。
1960年の時点で、イギリスには16,000人ほどのシク教徒がいたが、その後もイギリスのシク教徒は増え続けた。
先に移住していた男性の結婚相手として女性が移住したり、アフリカやカリブ海地域に移住していた移民が、より良い条件を求めてイギリスにやってきたりしたことも、その原因だった。
インドから血縁や地縁を利用して新たに移住する者たちも後を立たなかった。
1960年代以降、インディラ・ガーンディー首相が始めた「緑の革命」(コメや小麦の高収量品種への転換、灌漑設備の整備、化学肥料の導入などを指す)によって、彼らのパンジャーブ州の基幹産業である農業は大きく発展した。
しかし、この成功体験は、人々に「努力して働けば、その分豊かになれる」という意識をもたらし、皮肉にも海外移住の追い風になってしまったという。
今では海外移住者がインド経済に果たす役割は非常に大きくなり、世界銀行によると、2010年にはパンジャーブ州のGDPのうち、じつに10%が海外からの送金によって賄われている(インド全体でも、この年のGDPの5%が海外からの送金によるものだった)。
経済的な野心から違法な手段で海外に渡る者も多く、世界中で15,000人ものパンジャーブ人が不法滞在を理由に拘束されているという。
現在、イギリスには約100万人ものインド系住民が住んでおり、英国における最大のマイノリティーを形成しているが、そのうち45%がパンジャービー系の人々で、その3分の2がシク教徒である。
つまり、イギリスに暮らすインド系住民のうち、約30%がシク教徒なのだ。
インドにおけるシク教徒の人口の2%に満たないことを考えると、これはかなり高い割合ということになる。
その人数の多さゆえか、イギリスのシク教コミュニティーは、決して一枚岩ではなく、それぞれのカーストによって個別のグループを作る傾向があるそうだ。
例えば、彼らの祈りの場である寺院〔グルドワーラー〕もカーストによるサブグループごとに、別々に建てられている。
'B'の人たちは、とくに保守的な傾向が強いことで知られている。
'B'の男性は、他のコミュニティーと比べてターバンを着用する割合が高く、また女子教育を重視しない傾向や、早期に結婚する傾向があると言われている。
参照した文献によると、少なくとも20世紀の間は、'B'の女性は十代後半で結婚することが多く、また女性は年上の男性の前では顔を隠す習慣が守られていたとある。
彼らにとってこうした「保守性」は、特別なことではなく、シク教徒としてのあるべき形なのだと解釈されていた。
長くなったが、これまでに'B'について調べたことをまとめると、このようになる。
世界中に出没している「ヨギ・シン」が'B'の一員だとすれば(それはほぼ間違いのないことのように思える)、例えばこんな仮説が立てられるのではないだろうか。
(つづく)
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goshimasayama18 at 18:56|Permalink│Comments(0)
2020年02月16日
探偵は一人だけではなかった! 「ヨギ・シン」をめぐる謎の情報を追う
これまで何度もこのブログで特集してきた、謎のインド人占い師「ヨギ・シン」。
100年ほど前から世界中で遭遇が報告されているこの不思議な占い師に、私はかねてから異常なほどの関心を寄せてきた。
そして昨年11月、ついには東京で実際に彼と接近遭遇することに成功したのだが(その経緯は過去の記事を参照していただきたい)、彼らの正体は依然として謎のままであり、私は継続して彼らに関する情報を探し求めている。
英語を使って占いを行うヨギ・シンは、おもに英語圏や英語が通じる国際都市に出没している。
だから、私はいつもは海外のウェブサイトやブログで「彼」の情報を収集しているのだが、その日にかぎって、私は日本語での検索を試みることにした。
昨年11月に私が遭遇した際の「ある顛末」以降、日本国内でのヨギ・シン遭遇報告はぱぅたりと途絶えていた。
あれから数ヶ月が経過し、再び日本のどこかに彼が出現したという情報があるかもしれないと思ったからだ。
ところが、そこで私は、全く予想していなかった驚くべき文章を発見してしまった。
mixiの『詐欺師のメッカ タイにようこそ』というコミュニティーに投稿された『インド人街頭占い師の秘密』という投稿がそれである。
(オリジナルはこちらから読める https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6066795&id=72080907)
2012年10月31日に投稿されたこの文章は、おそらく日本で最初に書かれたヨギ・シンについての考察だろう。
一体誰が書いたのかは不明だが、そこに書かれていたのは、まさに驚愕の内容だった。
mixiの『詐欺師のメッカ タイにようこそ』というコミュニティーに投稿された『インド人街頭占い師の秘密』という投稿がそれである。
(オリジナルはこちらから読める https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6066795&id=72080907)
2012年10月31日に投稿されたこの文章は、おそらく日本で最初に書かれたヨギ・シンについての考察だろう。
一体誰が書いたのかは不明だが、そこに書かれていたのは、まさに驚愕の内容だった。
この文章は、こんなふうに始まる。
インド人街頭占い師は、世界中にいます。大都市で現地人を相手にしたり、有名観光地で観光客を相手にしたりしていますが、最も多いのが、バンコク(特にカオサンロード)、インドのデリー、ニューデリー。ほかにも香港、シンガポール、バリ、クアラルンプール、上海、NY、サンフランシスコ等アメリカ各地、、トロント、シドニー、メルボルン、ロンドン、パリ、ブリュッセル、ウィーン等、英語が通じるところならどこにでもいるのですが、なぜかみんな同じような格好をして同じ名前を名乗り、同じようなことをやります。
この時点で、この文章を書いた人が、ヨギ・シンについて、かなり詳しく把握しているということが分かるだろう。
ヨギ・シンの出没地点についても的確だし、上海、ブリュッセル、ウィーンについては、むしろ私のほうが聞いたことがなかった。
そして、この後に続く箇条書きの内容が、また驚くべきものだった。
1.外見ターバンをしている人が多いけれど、スーツ姿のターバン無しや、シャツとズボン姿の若い人もいます。若くてもTシャツではなく、わりときちんとした服装です。2.「You have a lucky face!」と、声をかけてきます。You are lucky lady!とか、lucky manとか、言い方はいろいろありますが、「ラッキー」が入るのが特徴。3.「自分はヨギ・シンだ」と名乗ります。ヨガ行者のシンさんということです。なぜかみんな同じ名前です。4.「占いをしてあげる」と言って、その前にまず、自分の特殊能力を証明しようとします。その方法は、好きな数字、好きな花、好きな色を当てて見せることです。これはまず第一段階。この当てものが成功して客が十分驚いたら、終了して占いに進むこともありますが、次の段階があることが多いです。5.第二段階として、年齢、誕生日、母親の名前、配偶者の名前、恋人の名前、兄弟の数、願い事(wish)等を当ててみせます。6.第三段階として、敵の名前、嫌いな人の名前等を当ててみせます。7.やっと占いに入ります。「7月にいいことがある」「80何歳まで生きる」「90何歳まで生きる」というのが定番のようです。性格判断としては、「あなたは考えすぎる」と、「はっきりものを言い過ぎるのが欠点だ」が定番です。8.脅しをかけることもあります。「ライバルがあなたに呪いをかけている」「堕胎した子供が憑いている」などと言って、「二週間日連続であなたのために祈って呪いをはらってやるからお金を」と、大金を要求します。あくまで一部の人ですが。9.寄付を要求貧しい子供たちの写真を見せ、「この子たちのために寄付を」と、具体的な金額を提示します。貧乏人用、中流用、金持ち用の三種類の寄付額が書かれたボードを示し、「自分のクラスの額を払え」と言うのですが、貧乏人用でさえかなり高いです。10.たいていの人は、「高すぎる」「持ち合わせがない」と言って、払いません。すると、「そこにATMがあるから、おろしなさい」と、ATMまで同行されそうになります。11.結局客は要求の何分の一かを払い、占い師はしぶしぶ受け取りますが、別れ際にパワーストーンを一個くれます。寄付金が多い人には、一個といわずネックレスでくれることもあります。
なんということだろう。
外見、名前、占いの方法、ここに書かれているほぼ全ての内容が、私がこれまで調べたものと一致している。
いったいこの人物は、どうやってヨギ・シンのことを知り、ここまでの情報を調べたのだろうか。
6番めに書かれた「敵の名前や嫌いな人物の名前を当てる」という部分については、私がこれまでに聞いたことがないものだったが、それはすなわち、この人物のほうが私よりもヨギ・シンについて詳しいということでもある。
このひょっとしたら、この投稿がされた2012年ごろのヨギ・シンは、こういった話法を使う者が多かったのかもしれない。
他にも、お金の要求方法や、パワーストーンをくれるということなど、必ずしも一般化できない内容も含まれているが、それだけこれを書いた人物が多くの情報を調べ上げているということだ。
9番目にかかれた「貧乏人、中流、金持ち」と3段階の料金を提示するというやり方は、ヨギ・シンに関しては聞いたことがなかったが、かつて私がヴァラナシで遭遇した怪しげなヒンドゥーの行者に頼みもしない祈祷をされたときと全く同じやり口である。
誰に対しても同じ価格ではなく、経済状況に応じて違う金額を払わせるという考え方はいかにもインド的な発想で、同じ方法を「ヨギ・シン」が使ったいたとしてもまったく不思議ではない。
それにしても、今から7年以上前に、ここまで詳しくヨギ・シンのことを調べあげたこの人物は、いったい何者なのだろうか?
ヨギ・シンについて、それぞれの街での遭遇報告や、「どうやら世界中にいるらしい」といったことまで記載しているウェブサイトは見たことがあったが、ここまで詳細に情報をまとめあげているものは見たことがなかった。
しかも、この人物がしているのは、「情報の収集」だけではなかった。
このあとに続くヨギ・シンのトリックについての考察がまたすごい。
●どうやって当てるのか?好きな数字、好きな花、好きな色は、全世界的にもっとも平凡な答えというのがあります。それは、1から5の間で好きな数字=31から10の間で好きな数字=7好きな色=BLUE好きな花=ROSEです。あらかじめこの答えを1枚の紙に書いておいて、丸めて客に握らせてから質問をします。客が平凡な人で、紙に書いてある通りの答えを言ったら、握っている紙を広げさせます。これでトリックの必要もなく超能力者のふりができます。日本人の場合、好きな花は、ローズとチェリーブラッサムが同じくらいの人気です。だから占い師は、日本人と見ると、「好きな花を二つ言え」と要求し、紙には「R、C」(Rose, Cherryblossomの略)と書いておきます。●予想外の答えだったら?3 /7/BLUE/ ROSEの代わりに、例えば、4/9/RED/PANSY と客が答えたらどうするのか?占い師は客の答えを、いちいち紙にメモしていきます。答え合わせの時に必要だからというのが建前ですが、目的は別にあります。答えを2回書いて、2枚のメモを作るのです。そのうち一枚を丸めて、客の手の中の紙と、こっそりすりかえます。すり替えのやり方は、①自分が写っている集合写真等を出して来て、「この中でわしはどれかわかるか?」などと言って客の注意を引き付け、隙を見てすり替えます。②「丸めた紙を額に当てて、目を閉じて呪文を唱えろ」と要求します。客がやろうとすると、「そうじゃなくて、こうするんだ」と、紙を取り、自分で手本を見せますが、このときにすり替えています。③「手相を見てやろう」と言って、紙を握っている手を開けさせ、「この線がどうのこうの」と、指でさわってりして、この時にすり替えます。あまりに露骨なので、この方法はあまり使われないようです。答えを2回書く代わりに、感圧紙を使う人もいます。感圧紙とは、ノーカーボン紙ともいい、普通の白い紙にしか見えないのに、重ねるとカーボン紙の役割をします。でもこの場合、字が全く一緒になってしまうので、もし比較されると、バレてしまいます。●すり替えなしで当てる誕生日、母親の名前、家族構成、初恋の人の名前等、難しいことも上の紙のすり替えで当てられますが、本人に書かせて当てることもでき、この場合すり替えは不要です。やり方はいろいろ考えられますが、また感圧紙を使ってみましょう。1と2は普通の紙、3と4は感圧紙です。重ねて、メモ帳等に仕込み、生年月日、好きな動物、母親の名前を書いてもらいます。客に紙(1)を取って丸め、握っていてもらいます。4枚目に写っている内容をこっそり見れば、当てられます。もっと便利なマジックグッズを使う人もいます。たとえば、このクリップボードにはさんだ紙に書いてもらったら、内容が全部、離れた所のディスプレーに映ります。https://www.youtube.com/watch?v=O3_GKVmlD_Y最新バージョンは、自分のアイフォンにも映せるようです。マジックグッズでなくても、電子ペンを使えば、同じことができます。ペンの形状がちょっと変わっているのが難ですが。https://www.youtube.com/watch?v=qHD5z9KcKUQ●すり替え無し、紙にも書かないのに当てられたら?カオサンロードは、トリックの余地無く母親の名前を当てる占い師がいることで有名です。インドの観光地のホテル周辺でもそういうことがあるようです。当てられるのは、観光客で、付近のホテルやゲストハウスに泊っている人です。推測すると、どうも、占い師に情報を流しているホテルやゲストハウスがあるようです。なぜなら外国人が宿泊する場合、フロントはパスポートの提示を要求し、コピーをとったりスキャンしたりします。パスポートには本人の名前、写真、生年月日等が印刷されているし、あと、「緊急連絡先」という欄があります。in case of accident notifyとか、emergency contactとか、どこの国のパスポートにもあって、自分で書き込むようになっています。ここに母親の名前を英語で書いていたら、そして占い師に母親の名前をいきなり当てられたら、自分のパスポートのコピーが占い師に渡っている可能性を考慮してよいかもしれません。●連れと別々にされ、トリックの余地なく当てられたら?たとえば夫婦が占い師の二人連れに会い、別々に、占い師一人ずつと相対することになった場合。連れが何を話しているのかわからないほど離れた場所に誘導されたら、そこにトリックがあります。一人からもう一人の個人情報を聞き出し、その情報を二人の占い師が通信機器を使って共有し、読心術ができるふりをしている可能性があります。●占い師ヨギ・シンの正体は?本人たちに聞くと、「○○アシュラムに属している」とか「○○テンプルに属している」とか言いますが、真偽は不明です。シーク教徒のしるしであるターバンを巻いているのに、ヒンズー教的な話をしたり、ヨガ行者だといいながらもヨガの知識が乏しい人もいるからです。何か大きな組織があって、マニュアルがあるのか、それともそんなものは無くて、口コミで手法が広がった個人営業者集団なのか?誰か知ってたら教えて下さい。●本物のサイキックはいるのか?インド人占い師はトリックを使う詐欺師と、ネットではさんざんな評判ですが、中には、占いがすごく当たっていて感銘を受け、電話番号を教えてもらって時々相談しているという人もいます。中には本物の占い師もいるのかもしれません。
あまりの詳細な分析に、驚きが止まらない。
好きな数字なら3、好きな花ならRose、という部分については、思い当たることがあった。
少し前に読んだ「インド大魔法団」(山田真美著、清流社、1997年。この本、めちゃくちゃ面白いのでいずれ詳しく紹介します)という本の中で、インドのマジシャンがこんなことを言っていたのだ。
「ひとつ単純な手品を例にとってお話ししましょう。まず一枚の紙切れを用意して、そこに誰にも見られないように〈薔薇、3〉と書いてください。そしてそれを机の上に伏せて置きます。次に、目の前の人にふたつの質問をするんです。ひとつめは〈あなたの好きな赤い花は何ですか〉。ふたつめは〈一から五までの間の数字を言ってください〉。すると興味深いことに、大多数の回答者は迷わず〈薔薇〉、〈三〉と答えてきます。こうなったら魔術師の思うつぼ。〈あなたの答えは初めからわかっていました。何を隠そう、私には予知能力があるのです〉。そう言って、おもむろに紙を表向きにしてやりましょう。びっくり仰天されること請け合いですよ」
「ただし、この手品には重要なポイントがあるのです。第一に、相手に考える時間を与えないということです。〈好きな赤い花は?さあ、すぐに答えて?〉という具合に、早口で急かすように問いかけるのがコツです。赤い花といえば大半の人が瞬間に薔薇を思い浮かべる、その反射神経だけを利用した手品なのですから。(中略)
二番目に大切なのは言葉の使い方、つまりレトリックの問題で、〈一から五までのあいだの数字〉という風に、〈あいだの〉というところを強調して質問するのがコツです。すると、質問された人は無意識的に、一から五までの数字のちょうど真ん中にある数字、すなわち三を選ばされてしまうのです」
これは、mixiに投稿した人物が書いているのと全く同じ手法である。
『インド大魔法団』によると、物理的なトリック無しに相手の心のうちを読む方法は、インドのマジシャンたちの間では、素人にタネを明かしても問題がないほどに知られているようであり、同じ技法をヨギ・シンが使っていたとしても、全く不思議ではない。
まずは最大公約数的な答えを紙に書いておき、そのうえで、万が一相手が予想外の回答をしたときには、「すり替え」のテクニックを使って予言を的中させるというのは、じつに合理的なやり方だ。
「すり替え」のトリックは、以前私が調べた「ヨギ・トリック」の技法を使えば可能である。
(ちなみに、mixiの投稿にあったような、答え合わせのときに必要だからと言ってヨギ・シンが答えをあからさまにメモするという話は、私が知る限りでは聞いたことがない)
さらに、母親の名前をあてるトリックについての考察も筋が通っている。
「ヨギ・シンに母親の名前を当てられた」という報告は多くあり、そのなかには、自分が母親の名前を伝えていないのに的中されたというものもあったのだが、ホテルやゲストハウスから情報を得ていると考えればこれも説明がつく。
ヨギ・シンが、自らの予知能力にリアリティーを持たせるために、複数のテクニックを組み合わせているとしたら、彼らは怪しげな詐欺師に見えて、実はかなり熟練したパフォーマーだということになる。
「シーク教徒のしるしであるターバンを巻いているのに、ヒンズー教的な話をしたり、ヨガ行者だといいながらもヨガの知識が乏しい人もいる」という指摘に関しては、留意すべき部分があるだろう。
インドのローカル文化においては信仰を超えて宗教的文化が共有されていることもあるし、「ヨギ」という言葉は、ヨガ行者だけでなく、より広い意味での行者や聖者を指すこともある。
つまり、この部分だけで彼が「シク教徒」や「ヨギ」であるということがフェイクだとは言えないのである。
インドの人々が、危険から身を守るため以外の理由で(例えば、特定の宗教が暴力的に弾圧されているような状況以外で)他の信仰を騙ることは考えにくいように思う。
私の考えでは、彼らは紛れもなくパンジャーブにルーツを持つシク教徒だろう。
彼らが「本物かどうか」という問いは、「何をもって本物とするか」ということも含めて、ナンセンスであるように思える。
プロレスラーが格闘家であるのと同時にパフォーマーであるのと同じように、ヨギ・シンも占い師であると同時に手品師でもあり、見方によっては聖人でもあり詐欺師でもあると考えるのが、私にはしっくりとくる。
それにしても、最後にさらりと書かれている「電話番号を教えてもらって時々相談している人もいる」という情報には驚いた。
私はヨギ・シンは尻尾をつかまれないためにも連絡先の交換などはしないと思っていたからだ。
じつはこれについては、さらに驚くべき情報を見つけてしまったので後述する。
これを書いた人物は、いったいどうやってこれだけの情報を集め、仮説を組み立てたのだろうか。
情報集めはインターネットを駆使してできるとしても、ここに書かれているかなり詳細な仮説については、一朝一夕に考えられるものではない。
マジックグッズにかなり詳しいことを考えると、この人物もマジシャンなのだろうか。
あらゆる状況を想定してトリックを推理しているところを見ると、この人物も相当な熱意を持ってヨギ・シンの謎に取り組んでいるということが分かる。
(個人的には、通信機器やハイテク機器を使ったものに関しては、あまり可能性がないのではないかと感じているが)
今から7年以上前の書き込みではあるが、この人物がいったいどうやって情報を集めたのか、その後ヨギ・シンの正体に迫るより詳しい情報をつかむことができたのか、機会があればぜひ伺ってみたい。
今回、ヨギ・シンに関する日本語の情報を収集するにあたり、もう1件面白い書き込みを見つけた。
2014年1月22日に、「Yahoo!知恵袋」へのこんな投稿である。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13119851783
つまり、この部分だけで彼が「シク教徒」や「ヨギ」であるということがフェイクだとは言えないのである。
インドの人々が、危険から身を守るため以外の理由で(例えば、特定の宗教が暴力的に弾圧されているような状況以外で)他の信仰を騙ることは考えにくいように思う。
私の考えでは、彼らは紛れもなくパンジャーブにルーツを持つシク教徒だろう。
彼らが「本物かどうか」という問いは、「何をもって本物とするか」ということも含めて、ナンセンスであるように思える。
プロレスラーが格闘家であるのと同時にパフォーマーであるのと同じように、ヨギ・シンも占い師であると同時に手品師でもあり、見方によっては聖人でもあり詐欺師でもあると考えるのが、私にはしっくりとくる。
それにしても、最後にさらりと書かれている「電話番号を教えてもらって時々相談している人もいる」という情報には驚いた。
私はヨギ・シンは尻尾をつかまれないためにも連絡先の交換などはしないと思っていたからだ。
じつはこれについては、さらに驚くべき情報を見つけてしまったので後述する。
これを書いた人物は、いったいどうやってこれだけの情報を集め、仮説を組み立てたのだろうか。
情報集めはインターネットを駆使してできるとしても、ここに書かれているかなり詳細な仮説については、一朝一夕に考えられるものではない。
マジックグッズにかなり詳しいことを考えると、この人物もマジシャンなのだろうか。
あらゆる状況を想定してトリックを推理しているところを見ると、この人物も相当な熱意を持ってヨギ・シンの謎に取り組んでいるということが分かる。
(個人的には、通信機器やハイテク機器を使ったものに関しては、あまり可能性がないのではないかと感じているが)
今から7年以上前の書き込みではあるが、この人物がいったいどうやって情報を集めたのか、その後ヨギ・シンの正体に迫るより詳しい情報をつかむことができたのか、機会があればぜひ伺ってみたい。
今回、ヨギ・シンに関する日本語の情報を収集するにあたり、もう1件面白い書き込みを見つけた。
2014年1月22日に、「Yahoo!知恵袋」へのこんな投稿である。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13119851783
この筋書き通りでした。このドケチな私が500ドル(5万円くらい)払いました。今日遅めのランチをとりに会社を出たときに、インド人が私を見てハッと立ち止まり、You are Lucky と話しかけてきました。結構綺麗な身なりをしていたので、疑うこともなく話を聞きました。名前はヨギシンでした。彼は、インド訛りの英語で○「あなたは会社で非常に疲れているのだろう、おそらく自分の出した結果ほど評価されていないのでイライラしている。(その通り)」○「幸せそうに振舞っているが、心は幸せではない(まぁ当てはまる)」○「あなたは自分の会社を興すであろうし、それがもう少しで花開く(ネットショップ準備中)」○「あなたは人に何か言われて何かするよりも、自分で引っ張っていきたいタイプ。(まぁ)」と聞いてもいないことをベラベラと勝手にしゃべり始めて、それが以外に合っていたので、私が驚いていると、まだ話したいことがあると、近くのコーヒーショップで話をすることになりました。好きな花、番号、母親の名前、主人の名前を当てたら、報酬として金をよこせと。金持ち500ドル、中流300ドル、貧乏人100ドルでした。手帳みたいなのをもってて、そこに神様の写真と、恵まれない子供の写真が入っており、そこにお金をいれろと言ってきました。ここでピン!と昔シドニーでもヨギシンに会った事を思い出し、シドニーにも行った事あるんじゃないかとしつこく聞くと、オーストラリア、イギリス、カナダと英語圏の滞在を認めていました。手持ちのお金がないといったら、私も丁度ATMに行く用事があったので、ATMまで一緒についてきました。断らずになぜか私もお金を渡してしまいました。10年前にシドニーで全く同じことがあり、思い起こせばその時も100ドル払いました。今回はシンガポールで、ヨギシンと遭遇。疑うことなく、500ドルを渡してしまいました。さらに、私がお金をもっていると思ったのか、どんどん要求が増えてきました。○ 黒魔術にかかっているので、それを取り払ってやる○ 明日ランチを一緒にしないか、そして携帯電話をひとつかってくれ○ ディナーをおごってくれ○ 今晩、会わないかここらへんから、ちょっと怪しいなと思いつつも、金返せとは言えず話だけ聞いてyou are so lucky to get the money from the most stingy person like me. 私みたいなドケチからお金をもらえてラッキーだね。と伝え、ヨギシンは別れ際に赤い石をくれました。やっぱ騙されたのかな。私疲れてたんだわきっと・・・補足さっき電話がかかってきて、ものすごいパワーの黒魔術にかかっているそうです。至急取り払う必要があると言っていました。
なぜか「暮らしと生活ガイド>ショッピング>100円ショップ」のカテゴリーに書き込みされたこの投稿(もはや質問ですらないが)は、ネタだと思われたのか、まともな回答はひとつもついていないが、ヨギ・シンのことを知っている人が読めば、これが実際の体験談であるということが分かるだろう。
冒頭の「この筋書き通りでした」が何を指すのかは不明だが、前述のmixiの投稿のことを指しているのかもしれない。
それにしても驚かされるのは、この文章を書いた人物が、シドニーとシンガポールで2回ヨギ・シンに会っているということ、そして、ヨギ・シンから頻繁に連絡が来て、食事に誘われたり、口説かれたり(?)しているということだ。
またしても秘密主義だと思っていたヨギ・シンの印象が覆される情報だ。
これも、500ドルも支払ったという「太客」だからだろうか。
ヨギ・シンの出没情報と、遭遇報告(もちろん過去のものでも大歓迎)については、今後も募集し続けるので、ぜひコメントかメッセージを寄せてください!
ヨギ・シンについては、その後も地道に調査を進めています。
また何か書けるとよいのだけど。
ひとまず今回は、これまで!
(続き。ついに明らかになるヨギ・シンのルーツに迫ります)
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goshimasayama18 at 20:35|Permalink│Comments(2)
2019年12月30日
知られざる魔術大国インド ヨギ・シンの秘術にせまる(その2)
前回の記事(その1)はこちらから
インドが知られざるマジック大国であることを発見した私は、ヨギ・シンの手がかりを求めて、インドの伝統的な奇術やマジシャンについて調べ始めた。
どんなジャンルにも専門書はあるもので、Lee Siegelという作家/宗教研究者が書いた"Net of Magic : wonders and deceptions in India"という本(1991年、Chicago University Press)は、デリーのShadipurという地区で暮らすマジシャン・カーストの様子がいきいきと描かれていて、大変面白かった。
インドのマジックは、単純なショーというより、「神の奇跡」を模して演じられる。
興味深いことに、ときにはマジシャンが「占い」を行うこともあるようだ。
マジックについての調査を続けるうちに、ヨギ・シンが行なうようなマジック(相手の心を読む)は、ひとつのカテゴリーとして確立しているということが分かってきた。
人の心を読むことをテーマとしたマジックについて調べ始めて間もなく、ヨギ・シンが使う手法によく似た技法を見つけることができた。
それはこんな演出のマジックだ。
マジシャンは、お客さんの中から一人を選び、好きな数字(数字以外、例えば親や恋人の名前でも、持っているお金の合計金額でも何でもいい)を頭の中でイメージしてもらう。
次に、マジシャンはお客さんの心を読むふりをしてメモ用紙に何事かを書きつけると、書いた面がお客に見えないように自分の側に向けて、メモを体の前で保持する。
だが、それは調べるまでもないことだった。
なぜなら、このマジックの名前そのものが、この技のルーツを、何よりも雄弁に語っていたからだ。
いずれにしても、この「ヨギ・トリック」について調べるうちに、そのタネについては大まかに理解することができた。
だが、それでも疑問は残る。
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インドが知られざるマジック大国であることを発見した私は、ヨギ・シンの手がかりを求めて、インドの伝統的な奇術やマジシャンについて調べ始めた。
どんなジャンルにも専門書はあるもので、Lee Siegelという作家/宗教研究者が書いた"Net of Magic : wonders and deceptions in India"という本(1991年、Chicago University Press)は、デリーのShadipurという地区で暮らすマジシャン・カーストの様子がいきいきと描かれていて、大変面白かった。
この本によると、マジシャンになれるのはマジシャン・カースト内に生まれた人間に限られており、たとえ彼らが孤児を迎えて育てたとしても、孤児はあくまでも助手の役割しかすることができないという。
インドのマジックは、単純なショーというより、「神の奇跡」を模して演じられる。
興味深いことに、ときにはマジシャンが「占い」を行うこともあるようだ。
マジックショーは神の名を唱えることから始まる。
彼らのショーの中で、例えばオモチャの鳥が本物の鳥になったり、死んだ人が生き返るというマジックが披露されるとき、それは神による奇跡だという演出がなされる。
彼らのショーの中で、例えばオモチャの鳥が本物の鳥になったり、死んだ人が生き返るというマジックが披露されるとき、それは神による奇跡だという演出がなされる。
また、この本には息子が親の決めた結婚に従わないという相談に対して、マジシャンが魔法の実(ここではライム)を渡して、心変わりをさせるまじないを教えたりする場面も描かれていた。
インドでは、マジシャン、占い師、超能力者の境界は、きわめて曖昧なのだ。
この虚実が一体となった世界は何かに似ていると思ったのだが、考えてみたらそれはプロレスだった。
プロレスは、身もふたもない言い方をしてしまえば、屈強な男たちが、闘いを「演じる」興行なわけだが、その強靭に鍛え上げられた肉体から繰り出す技の基礎には、競技名からも分かるとおり、レスリングの技術が存在している。
シュート(リアルファイト)の技術のあるアスリートが、「パフォーマンスとしての戦い」をするというわけだ。
さらには、個々のプロレスラーのキャラクターについても、虚実が複雑に絡み合っている。
例えば、インド系の伝説的プロレスラー、タイガー・ジェット・シンは、地元カナダでは小学校にその名が冠せられるほどの名士でありながら、リング上ではヒール(悪役)として非道の限りを尽くすというキャラクターを演じている(タイガー・ジェット・シンについては、近々何か書くつもり)。
全てをリアルとして手に汗握ることも、虚構と割り切ってショーとして楽しむこともできるのだが、完全に虚構とは言い切れない何かがそこにはある。
この構造はインドのマジックと全く同じだ。
この構造はインドのマジックと全く同じだ。
虚実といえば、マジシャンたちは自身の信仰に関係なく宗教を演出に取り入れているようで、例えばムスリムのマジシャンが、ヒンドゥーの神話や神の名をパフォーマンスで口にすることもあるという。
ヒンドゥーのなかにもムスリムのなかにもマジシャンは存在しており、彼らはときに同じ伝統を共有している。
ということは、シク教徒の占い師ヨギ・シンも、マジックとトリックと超能力が渾然一体となった、インドの大地の魔術文化のなかにいると言ってよいだろう。
ということは、シク教徒の占い師ヨギ・シンも、マジックとトリックと超能力が渾然一体となった、インドの大地の魔術文化のなかにいると言ってよいだろう。
マジックについての調査を続けるうちに、ヨギ・シンが行なうようなマジック(相手の心を読む)は、ひとつのカテゴリーとして確立しているということが分かってきた。
「カードマジック」とか「ステージマジック」のようないちジャンルとして、相手の心を読むことを主眼としたマジックの専門家が、世界中大勢いるのだ。
このジャンルについて調べてゆけば、きっと彼に近づくことができる。
このジャンルについて調べてゆけば、きっと彼に近づくことができる。
そう確信して調査を続けることにした。
ここで少し言い訳をさせてもらうが、ここから先、いよいよヨギ・シンが行う秘術の核心に触れることになる。
ところが、彼らが行う占い(というかマジック)の、いわゆるタネについて、どう書いたものか、未だに結論が出せずにいるだ。
ヨギ・シンと世界中のマジシャンたちの共通財産でもあるそのトリックを、軽々しく公開すべきでないだろう。
だが、それを書かなければ、ヨギ・シンの本質について書くことはできない。
なんとももどかしいジレンマだが、書ける範囲で書くことにすることをご容赦いただきたい。
ヨギ・シンと世界中のマジシャンたちの共通財産でもあるそのトリックを、軽々しく公開すべきでないだろう。
だが、それを書かなければ、ヨギ・シンの本質について書くことはできない。
なんとももどかしいジレンマだが、書ける範囲で書くことにすることをご容赦いただきたい。
人の心を読むことをテーマとしたマジックについて調べ始めて間もなく、ヨギ・シンが使う手法によく似た技法を見つけることができた。
それはこんな演出のマジックだ。
マジシャンは、お客さんの中から一人を選び、好きな数字(数字以外、例えば親や恋人の名前でも、持っているお金の合計金額でも何でもいい)を頭の中でイメージしてもらう。
次に、マジシャンはお客さんの心を読むふりをしてメモ用紙に何事かを書きつけると、書いた面がお客に見えないように自分の側に向けて、メモを体の前で保持する。
続いて、お客さんに、その想像した言葉を大きな声で口にしてもらう。
そこで隠していたメモ用紙を開示すると、なんとそこには、たった今お客さんが言った内容がそっくりそのまま書かれている。
(マジシャンが紙に何かを書いたのは、お客さんが答えを言う前だったのに!)
そこで隠していたメモ用紙を開示すると、なんとそこには、たった今お客さんが言った内容がそっくりそのまま書かれている。
(マジシャンが紙に何かを書いたのは、お客さんが答えを言う前だったのに!)
このマジックとヨギ・シンの「占い」の違いは、ヨギ・シンの場合、最初に書いた紙を自分が持つのではなく相手の手の中に握らせるという部分だ。
だが、それ以外はほぼ全く同じであり、ヨギ・シンもこのマジックを応用しているはずだと考えて良いだろう。
だが、それ以外はほぼ全く同じであり、ヨギ・シンもこのマジックを応用しているはずだと考えて良いだろう。
このマジックのルーツが分かれば、彼らがどうやってこの技法を自分たちのものにしたのか、その歴史が分かるかもしれない。
だが、それは調べるまでもないことだった。
なぜなら、このマジックの名前そのものが、この技のルーツを、何よりも雄弁に語っていたからだ。
「ヨギ・トリック」。
本当はこの名前ではないのだが、タネ明かしやネタばらしを避けるために、ここではそう呼ぶことにする。
(読んでくださっているみなさんには申し訳ないが、やはりここでヨギ・シンやマジシャンたちのメシの種を奪ってしまうことはできない。以降、この技術の本当の名前やトリックの核心には触れないが、極力ヨギ・シンの謎に迫れるように書いてみる)
このマジックには、欧米で生まれたのではなく、インドの占い師やグルたちによって作られたことが一目で分かるような名前がつけられていた。
しかも、この技法について解説したウェブサイトには、この「ヨギ・トリック」は「もともと読心術や降霊術等に使われていた」という記述まであった。
間違いない。
この「ヨギ・トリック」も、インドのマジシャンや占い師によって編み出され、やがて世界中に流出した技術のうちのひとつなのだ。
(読んでくださっているみなさんには申し訳ないが、やはりここでヨギ・シンやマジシャンたちのメシの種を奪ってしまうことはできない。以降、この技術の本当の名前やトリックの核心には触れないが、極力ヨギ・シンの謎に迫れるように書いてみる)
このマジックには、欧米で生まれたのではなく、インドの占い師やグルたちによって作られたことが一目で分かるような名前がつけられていた。
しかも、この技法について解説したウェブサイトには、この「ヨギ・トリック」は「もともと読心術や降霊術等に使われていた」という記述まであった。
間違いない。
この「ヨギ・トリック」も、インドのマジシャンや占い師によって編み出され、やがて世界中に流出した技術のうちのひとつなのだ。
マジシャンのJames L. Clarkが執筆した"Mind Magic and Mentalism for Dummies"という本によると「ヨギ・トリック」の起源は、歴史の中で失われてしまっているものの、1898年にWilliam Robinsonなる人物が"Spirit Slate and Kindred Phenomena"という著書でそのトリックを紹介した頃には、この技はすでにマジシャンたちに知れ渡っていたという。
このWilliam Robinsonという男が、ヨギ・シンたちの技術を欧米のマジシャンに広めた「犯人」の一人なのだろうか。
そう思ってこの男について調べて見たところ、彼もまた一筋縄ではいかない人物だった。
William Robinsonは、20世紀初めのイギリスで人気を博したアメリカ人のマジシャンだった。
彼は、Ching Ling Fooという中国人マジシャンから着想を得て、自らも東洋人のギミックを使うことを思い立つと、中国風のメイクを施し、髪を辮髪に結い上げてChung Ling Sooというキャラクターを演じて大人気となった。
フーディーニがキャリアの初期にインド人マジシャンを装ったように、彼もまた東洋のミステリアスなイメージを演出に取り入れたのだ。
彼の中国人ギミックは、舞台上では決して英語を話さず、取材の際も通訳をつけて対応するというほどの徹底ぶりだった。
彼の生涯は、その死に様まで記憶に残るものとなった。
1918年3月23日、彼はショーの最中に銃弾を受け止めるマジックに失敗して命を落としたのだ。
死後に身元を調べて、彼がじつは白人だったことを知った人々は大いに驚いたというから、彼もまた虚実皮膜の人物だったのである。
19世紀の早い段階から、パンジャーブ地方のマハラジャをはじめとするシク教徒たちはイギリスに移り住んでいたようだから、ひょっとしたら彼は「ヨギ・トリック」をインド人のマジシャンか占い師から学んだのかもしれない。
このWilliam Robinsonという男が、ヨギ・シンたちの技術を欧米のマジシャンに広めた「犯人」の一人なのだろうか。
そう思ってこの男について調べて見たところ、彼もまた一筋縄ではいかない人物だった。
William Robinsonは、20世紀初めのイギリスで人気を博したアメリカ人のマジシャンだった。
彼は、Ching Ling Fooという中国人マジシャンから着想を得て、自らも東洋人のギミックを使うことを思い立つと、中国風のメイクを施し、髪を辮髪に結い上げてChung Ling Sooというキャラクターを演じて大人気となった。
フーディーニがキャリアの初期にインド人マジシャンを装ったように、彼もまた東洋のミステリアスなイメージを演出に取り入れたのだ。
彼の中国人ギミックは、舞台上では決して英語を話さず、取材の際も通訳をつけて対応するというほどの徹底ぶりだった。
彼の生涯は、その死に様まで記憶に残るものとなった。
1918年3月23日、彼はショーの最中に銃弾を受け止めるマジックに失敗して命を落としたのだ。
死後に身元を調べて、彼がじつは白人だったことを知った人々は大いに驚いたというから、彼もまた虚実皮膜の人物だったのである。
19世紀の早い段階から、パンジャーブ地方のマハラジャをはじめとするシク教徒たちはイギリスに移り住んでいたようだから、ひょっとしたら彼は「ヨギ・トリック」をインド人のマジシャンか占い師から学んだのかもしれない。
いずれにしても、この「ヨギ・トリック」について調べるうちに、そのタネについては大まかに理解することができた。
だが、それでも疑問は残る。
このトリックでは、占い師(手品師)自身が手にしているメモに、相手が思った言葉を書きつけることはできても、トリックをかける相手自身が握っているメモに書くことはどうしても不可能なのだ。
さらに、1993年にバンコクで高野秀行氏が遭遇したヨギ・シンは、高野氏の小指の付け根あたりに、「好きな数字」を青色で浮かび上がらせるという技まで披露したという。
また、デリーでヨギ・シンらしきターバン姿の占い師に遭遇したという人からは、自分が言葉で伝える前に、母親の名前や兄弟の数を的中させられたという報告もあった。
どうやらヨギ・シンは、私が調べた「ヨギ・トリック」だけではなく、複数の技法を組み合わせて、「占い」をしているらしい。
その中に本物の超常現象が含まれている可能性も、完全に否定することはできない。
その中に本物の超常現象が含まれている可能性も、完全に否定することはできない。
世界中のマジシャンたちが、古くから「ヨギ・トリック」を自らのショーに取り入れて、観客を驚かせ、喝采を浴びている一方で、本家のヨギ・シンたちは、今日も旅先の異国の街で、あくまでも占いを装い、詐欺師と呼ばれながら生業を続けている。
現代のマジシャンたちは、「ヨギ・トリック」のタネを知っていても、いまだにそのルーツとなった集団が世界中を旅して、「占い師」として生き続けていることをほとんど知らないだろう。
ヨギ・シンと会い、その不思議な技に驚かされた(そしてお金を巻き上げられた)人も、彼らが歴史ある流浪の占い師集団であることも、そのテクニックが今ではマジック界で広く取り入れられていることも知らないだろう。
ヨギ・シンの「魔術」を暴くことが野暮で無粋とは知りつつも、ここまで深く彼らのことを知っている人間は自分の他にはいないかもしれないという思い上がりから、この記事を書いた。
彼らは100年以上に渡る不思議な伝統を保持して生きる集団でありながら、これまであまりにも大切にされてこなかった。
インドでは100年以上にわたる伝統を守り続ける集団は珍しくもないと思うが、それにしても、技術を搾取され、今も不安定な身分で世界中を渡り歩いて暮らす彼らには、そろそろ正当な評価が与えられても良いのではないだろうか。
100年以上にわたってグローバリゼーションの波間に揺られてきたヨギ・シンたち。
果たして100年後も、世界中の街角で彼らに出会うことができるのだろうか。
ヨギ・シンについての、マジックの分野からの記事はひとまずこれでおしまい。
彼らには、これからもまた別の角度から迫ってみたいと思います。
そして、100年後と言わず、今すぐにでも彼らに再会したい。
強くそう願っています。
(続き。ヨギ・シンの謎に深く迫っていた謎の人物について)
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ヨギ・シンと会い、その不思議な技に驚かされた(そしてお金を巻き上げられた)人も、彼らが歴史ある流浪の占い師集団であることも、そのテクニックが今ではマジック界で広く取り入れられていることも知らないだろう。
ヨギ・シンの「魔術」を暴くことが野暮で無粋とは知りつつも、ここまで深く彼らのことを知っている人間は自分の他にはいないかもしれないという思い上がりから、この記事を書いた。
彼らは100年以上に渡る不思議な伝統を保持して生きる集団でありながら、これまであまりにも大切にされてこなかった。
インドでは100年以上にわたる伝統を守り続ける集団は珍しくもないと思うが、それにしても、技術を搾取され、今も不安定な身分で世界中を渡り歩いて暮らす彼らには、そろそろ正当な評価が与えられても良いのではないだろうか。
100年以上にわたってグローバリゼーションの波間に揺られてきたヨギ・シンたち。
果たして100年後も、世界中の街角で彼らに出会うことができるのだろうか。
ヨギ・シンについての、マジックの分野からの記事はひとまずこれでおしまい。
彼らには、これからもまた別の角度から迫ってみたいと思います。
そして、100年後と言わず、今すぐにでも彼らに再会したい。
強くそう願っています。
(続き。ヨギ・シンの謎に深く迫っていた謎の人物について)
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goshimasayama18 at 04:55|Permalink│Comments(5)
2019年12月24日
知られざる魔術大国インド ヨギ・シンの秘術にせまる(その1)
虹を見るとき、いつも思う。
もしこの現象が、空気中の水滴と光の屈折が引き起こしたものに過ぎないということを知らなかったら、どんなに感動できただろう、と。
この雨上がりの空にかかる色彩の橋が、神々や精霊のしわざかもしれないと思えたら、どんなに素晴らしいだろう。
学ぶのは大切なことだが、知れば知るほど、この世界から神秘は失われてゆく。
知りすぎた我々の周りからは、神や妖怪や精霊たちの居場所は失われ、我々は物質だけの味気ない世界で暮らすようになった。
それでもなお、この世界に残された謎の正体を知りたがってしまうのが人間の性というもので、何が言いたいのかというと、先日からしつこく書いているヨギ・シンのことなのである。
ネッシーもツチノコも人面犬も口裂け女も、もはや誰もまともに信じている人はいない今日、 ヨギ・シンは、この不思議が失われた世界の最後の謎とも言える存在なのだ。
しかも、他の謎や都市伝説と違って、「彼」は確実にこの世界に存在している。
ヨギ・シンを知らない人のために、「彼」の「発見」から出会いまでは、少し長くなるが以下を参照してほしい。
参照するのがめんどくさい方のために端折って書くと、占い師とも詐欺師ともつかない不思議なインド人との遭遇体験が、世界中で報告されているのだ。
「彼」は、じつに不思議な手口で人の心を読み、お金をだまし取って生計を立てている。
いや、だまし取ると言っては「彼」に失礼だ。
「彼」がしていることは、客観的に見て、一般的な占い師やマジシャンと変わらない。
トリックを使った技をさも超常現象のように見せかけることも、科学的根拠のない未来予想を告げてお金を要求することも、それだけで詐欺とは呼べないだろう。
欧米の都市で彼が'scam'(詐欺)と呼ばれる理由があるとしたら、事前に有料だと言わずに、「占い」のあとでお金を請求することと、お客が支払った金額に満足せず、さらにその何倍ものお金を請求することだと思うが、これは別に詐欺行為ではなく、単に欧米と南アジアの商習慣の違いである。
さらにお金を請求されても、それ以上払わなかったという人も、払わずに逃げたという人も何人もいるし、それに対して脅されたり暴力を振るわれたりしたという話は聞いたことがない。
かなり贔屓目な私の意見など参考にならないかもしれないが、彼はそんなに悪い男ではないのだ。
運良く(あるいは、運悪く)「彼」に出会ったとしよう。
「彼」はあなたに「君は幸運な顔をしている」などと声をかけてくる。
「彼」は小さな紙に何事かを書きつけると、それを丸めてあなたの手に握らせてから、あなたの好きな花や数字を尋ねる。
あなたがそれに答えると、「彼」は握りしめている紙を広げて読んでみるように言う。
すると、なんとそこには、さっきあなたが答えた通りの花の名前や数字が書かれている。
その後、さらに高度な質問(例えば、母親の名前など)を的中させたり、未来を占ったりしたうえで、その対価としてお金を要求するというのが、代表的な「彼」の手口だ。
古くはミャンマーで1950年代に出版された小説にその存在の記述があり、90年代にはノンフィクション作家の高野秀行さんがバンコクで遭遇している。(『辺境中毒!』という本にそのエピソードが書かれている)
インターネットが発達した2000年代以降、驚くべきことに、「彼」との遭遇はロンドン、シンガポール、メルボルン、ニューヨーク、トロントなど、世界中の都市で報告されている。
最新の報告は、数日前に日本人の青年が香港で遭遇したという事例だ。
ミャンマーの小説の舞台は1930年代だというから、少なくとも100年近い歴史のある占い(もしくは詐欺)ということになる。
「彼」は、名前を名乗るときも名乗らないときもあるが、名乗る時は必ず「ヨギ・シン」という名であることが分かっている。
「シン(Singh)」はシク教徒の男性ほぼ全員に名付けられるライオンを意味する名前で、「ヨギ」はヨガなどの行者を意味している。
自分はパンジャーブ出身であると言うこともあり、ターバンなど、シク教徒らしき特徴であることも多い。
(「シク教」は16世紀に現在のインド・パキスタンの国境地帯であるパンジャーブ地方で成立した宗教で、男性はターバンを着用することが教義に定められている。現在ではターバンを巻かないシク教徒もいる)
報告された時代と場所がこれだけ多岐にわたっているということは、長年にわたって同じ手口を生業とするグループが存在するということだ。
『インド通』という本を書いた大谷幸三氏によると、シク教徒のなかで、こうした辻占で生活する、低い身分とされている集団があるという。
だが、それ以上のことは何も分からない。
彼らは世界中に何人いるのか。
いつ頃から、彼らは存在しているのか。
海外に出てまで辻占をして、はたして採算は取れるのか。
そして、彼らの技術には、どんなトリックがあるのか。
彼らについて知りたいことはいくらでもあった。
そんな時、なんと「彼」が東京に現れたという情報が入った。
先月(2019年11月)のことだ。
様々な方からの情報が寄せられ(謎のインド人占い師と遭遇した人が検索して私のブログを見つけて、コメントを残してくれたのだ)、写真や遭遇地点の情報をもとに、私は出没報告のあった丸の内を捜索した。
そして、幾日にも渡る捜索の結果、私はついにヨギ・シンと思われる男と遭遇したのだ!
だが、「彼」の正体を知っていることをほのめかした私は警戒され、「彼」は何も語らずに立ち去ってしまった。
私は千載一遇のチャンスを逃してしまった。
まさか怪しいインド人に怪しい男扱いされるとは想像もしていなかったが、考えてみれば、海外で詐欺とも取れる行為をする彼らが警戒を怠らないのは当然のことだった。
もし私が警察や入国管理局の関係者だったとしたら、「彼」は拘束されたり、強制退去させられたりするかもしれない。
私は作戦を誤ったのだ。
その後、それまで何日も続いていた東京でのヨギ・シン遭遇報告はぱったりと途絶えてしまった。
報告によると、ターバンを巻いた初老の男、ターバンのないもう一人の初老の男、そして私が会った比較的若い男の、少なくとも3人のヨギ・シンが東京に来ていたはずだ。
彼らは正体を知っている人間がいることを恐れて、東京から去ってしまったのだろうか。
直接彼らと接触する術を失った私は、別の方面からの調査を行うことにした。
ヨギ・シンの最大の謎と言ってよい、不思議な「技」についての調査だ。
私は、彼の「技」と同じようなテクニックを、テレビか舞台でマジシャンが披露しているのを見た記憶があった。
彼の「技」と同じか、少なくともよく似た技術が、マジックのなかにあるはずだ。
彼の「技」のルーツが分かれば、彼らについてきっと何か分かることがある。
例えば、もし彼の「技」が20世紀前半にイギリスのマジシャンによって発明されたものだということが分かれば、彼らの技法はその時代にインドからイギリスに渡った移民によってコミュニティにもたらされたと推測できる。(実際、シク教徒はインド独立前後にイギリスに移民として渡った者が多かった)
私は、大型書店、図書館、そしてインターネットで、マジック関連の文献の中に手がかりがないか調べ始めた。
そこで改めて気づいたのは、マジックの種類というのは、数え切れないほど無数にあるということだ。
その一つ一つを調べて、彼の「技」との類似点がないかを確認するには、相当な労力と時間が必要だ。
それに、調べれば調べるほど、プロのマジシャンが行うマジックのタネが分かってしまうというデメリットもあった。
私はマジックを見るのが結構好きなのだ。
ヨギ・シンの秘密を探るためとはいえ、知りたくないマジックのタネまで知ってしまうというのはあまりにもむなしい。
マジックもまた、知ることでその神秘を失うのだ。
いずれにしても、多すぎるマジックのタネを、片っ端から調べてゆくのは効率が悪すぎる。
彼の「技」によく似た、数を的中させるマジックといえば、まず思い浮かぶのはカードマジックだ。
私は手始めにカードマジックから調べてゆくことにした。
すると、カードマジックのごく初歩的な部分のなかに、気になる言葉があるのを発見した。
カードマジックについて書かれた本に、「ヒンズー・シャッフル」という単語があったのだ。
「ヒンズー」はほぼ間違いなくヒンドゥー教のことだろう。
これはきっとなにかインドに関係があるに違いない。
調べてみると、我々日本人がトランプをシャッフルするときに行うごく一般的なやり方を、マジックの世界では「ヒンズー・シャッフル」と呼ぶということが分かった。
語源は、かつてインドのマジシャンたちがこのシャッフルを多用していたからだという。
インドのマジシャン。
私はその言葉を見つけて、はっとした。
なぜ今までその発想に至らなかったのだろう。
華やかなラスベガスなどのイメージから、私はマジックの本場といえばアメリカ、そしてそのルーツであるヨーロッパだとばかり考えていた。
だが、インドほどの歴史と文化を誇る土地であれば、そこに豊かな奇術の歴史があっても全くおかしくはないのだ。
調べてみると、インドはイブン・バットゥータが旅行記を著した13世紀から、世にも不思議な奇術を行うマジシャンたちの国として知られていたという。
そう、インドはかつて、マジック大国だったのだ。
とくにロープマジックについては深い歴史とバリエーションがあり、また誰もが見たことがあるであろう箱の中の人物に剣を刺すマジック(もともとは箱ではなく籠が使われていたようだ)も、寝たまま空中浮遊した(ように見える)人物にフラフープを通してみせるマジックも、その発祥の地はインドだという。
考えてみれば、インドほど怪しげでミステリアスな、マジックが似合う国は他にないのではないだろうか。
なにしろ、かのフーディーニも、そのキャリアの初期には顔を褐色に塗り、インド人の魔術師に見えるような演出をしていたという。
インドはむしろマジックの本場とも言える国なのだ。
インドの民衆が誇る知的財産とも言えるマジックは、悲しいことに、植民地支配や独立後の欧米との経済力の格差によって、先進国に流出してしまったのである。
皮肉なことに、悲願の独立を果たしたインド社会では、藩王国の解体によって、宮廷を舞台に活躍していた芸術家たちはパトロンを失ってしまった。
路上で生計を立てていた大道芸人たちも、近年の都市開発によって居場所を奪われ、もはやその文化は風前の灯火だという。
近代国家として歩みだしたインドに、マジシャンたちのための場所はほとんど残されていなかったのだ。
そもそも幼い頃から親族共同体のなかでともに暮らして修行する伝統的な手品師の生き方は、近代的な学校制度とも相入れないものだった。
さらに、映画やテレビといった新しい娯楽が、彼らの衰退に追い打ちをかける。
彼らの先祖から技術を盗んだ先進国のマジシャンたちは、今日もタキシードを着て、華やかなステージで洗練されたマジックを披露する。
着飾った観客たちのなかに、そのマジックのいくつかのルーツがインドにあると想像する人が、はたしているだろうか。
そう考えてみると、一度はインドから奪われたマジックという「文化遺産」を使って、先進国の都市で人々を幻惑してはお金を稼いでゆくヨギ・シンは、たとえ本人が意図していなかったとしても、インドの伝統にのっとったやり方で、文化的かつ歴史的なリベンジを果たしているとも考えられる。
長くなったうえに、話が迷走気味になってきたので、今回はここまで。
次回は、いよいよヨギ・シンの「技」の核心に迫る。
虹の神秘を失わずに、その本質を伝えるには、どう書いたものか。
(写真は丸の内の路上で11月に撮影されたターバン姿のヨギ・シン。彼を含め、少なくとも3名のグループが来日していたと思われる)
その他参考文献:前川道介(1991)『アブラカダブラ 奇術の世界史』白水社、Lee Siegel(1991)"Net of Magic : wonders and deceptions in India" The University of Chicago Press
参考ウェブサイト:https://qz.com/india/1330572/indian-magic-once-captivated-the-world-including-harry-houdini
他
(つづき)
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もしこの現象が、空気中の水滴と光の屈折が引き起こしたものに過ぎないということを知らなかったら、どんなに感動できただろう、と。
この雨上がりの空にかかる色彩の橋が、神々や精霊のしわざかもしれないと思えたら、どんなに素晴らしいだろう。
学ぶのは大切なことだが、知れば知るほど、この世界から神秘は失われてゆく。
知りすぎた我々の周りからは、神や妖怪や精霊たちの居場所は失われ、我々は物質だけの味気ない世界で暮らすようになった。
それでもなお、この世界に残された謎の正体を知りたがってしまうのが人間の性というもので、何が言いたいのかというと、先日からしつこく書いているヨギ・シンのことなのである。
ネッシーもツチノコも人面犬も口裂け女も、もはや誰もまともに信じている人はいない今日、 ヨギ・シンは、この不思議が失われた世界の最後の謎とも言える存在なのだ。
しかも、他の謎や都市伝説と違って、「彼」は確実にこの世界に存在している。
ヨギ・シンを知らない人のために、「彼」の「発見」から出会いまでは、少し長くなるが以下を参照してほしい。
参照するのがめんどくさい方のために端折って書くと、占い師とも詐欺師ともつかない不思議なインド人との遭遇体験が、世界中で報告されているのだ。
「彼」は、じつに不思議な手口で人の心を読み、お金をだまし取って生計を立てている。
いや、だまし取ると言っては「彼」に失礼だ。
「彼」がしていることは、客観的に見て、一般的な占い師やマジシャンと変わらない。
トリックを使った技をさも超常現象のように見せかけることも、科学的根拠のない未来予想を告げてお金を要求することも、それだけで詐欺とは呼べないだろう。
欧米の都市で彼が'scam'(詐欺)と呼ばれる理由があるとしたら、事前に有料だと言わずに、「占い」のあとでお金を請求することと、お客が支払った金額に満足せず、さらにその何倍ものお金を請求することだと思うが、これは別に詐欺行為ではなく、単に欧米と南アジアの商習慣の違いである。
さらにお金を請求されても、それ以上払わなかったという人も、払わずに逃げたという人も何人もいるし、それに対して脅されたり暴力を振るわれたりしたという話は聞いたことがない。
かなり贔屓目な私の意見など参考にならないかもしれないが、彼はそんなに悪い男ではないのだ。
運良く(あるいは、運悪く)「彼」に出会ったとしよう。
「彼」はあなたに「君は幸運な顔をしている」などと声をかけてくる。
「彼」は小さな紙に何事かを書きつけると、それを丸めてあなたの手に握らせてから、あなたの好きな花や数字を尋ねる。
あなたがそれに答えると、「彼」は握りしめている紙を広げて読んでみるように言う。
すると、なんとそこには、さっきあなたが答えた通りの花の名前や数字が書かれている。
その後、さらに高度な質問(例えば、母親の名前など)を的中させたり、未来を占ったりしたうえで、その対価としてお金を要求するというのが、代表的な「彼」の手口だ。
古くはミャンマーで1950年代に出版された小説にその存在の記述があり、90年代にはノンフィクション作家の高野秀行さんがバンコクで遭遇している。(『辺境中毒!』という本にそのエピソードが書かれている)
インターネットが発達した2000年代以降、驚くべきことに、「彼」との遭遇はロンドン、シンガポール、メルボルン、ニューヨーク、トロントなど、世界中の都市で報告されている。
最新の報告は、数日前に日本人の青年が香港で遭遇したという事例だ。
ミャンマーの小説の舞台は1930年代だというから、少なくとも100年近い歴史のある占い(もしくは詐欺)ということになる。
「彼」は、名前を名乗るときも名乗らないときもあるが、名乗る時は必ず「ヨギ・シン」という名であることが分かっている。
「シン(Singh)」はシク教徒の男性ほぼ全員に名付けられるライオンを意味する名前で、「ヨギ」はヨガなどの行者を意味している。
自分はパンジャーブ出身であると言うこともあり、ターバンなど、シク教徒らしき特徴であることも多い。
(「シク教」は16世紀に現在のインド・パキスタンの国境地帯であるパンジャーブ地方で成立した宗教で、男性はターバンを着用することが教義に定められている。現在ではターバンを巻かないシク教徒もいる)
報告された時代と場所がこれだけ多岐にわたっているということは、長年にわたって同じ手口を生業とするグループが存在するということだ。
『インド通』という本を書いた大谷幸三氏によると、シク教徒のなかで、こうした辻占で生活する、低い身分とされている集団があるという。
だが、それ以上のことは何も分からない。
彼らは世界中に何人いるのか。
いつ頃から、彼らは存在しているのか。
海外に出てまで辻占をして、はたして採算は取れるのか。
そして、彼らの技術には、どんなトリックがあるのか。
彼らについて知りたいことはいくらでもあった。
そんな時、なんと「彼」が東京に現れたという情報が入った。
先月(2019年11月)のことだ。
様々な方からの情報が寄せられ(謎のインド人占い師と遭遇した人が検索して私のブログを見つけて、コメントを残してくれたのだ)、写真や遭遇地点の情報をもとに、私は出没報告のあった丸の内を捜索した。
そして、幾日にも渡る捜索の結果、私はついにヨギ・シンと思われる男と遭遇したのだ!
だが、「彼」の正体を知っていることをほのめかした私は警戒され、「彼」は何も語らずに立ち去ってしまった。
私は千載一遇のチャンスを逃してしまった。
まさか怪しいインド人に怪しい男扱いされるとは想像もしていなかったが、考えてみれば、海外で詐欺とも取れる行為をする彼らが警戒を怠らないのは当然のことだった。
もし私が警察や入国管理局の関係者だったとしたら、「彼」は拘束されたり、強制退去させられたりするかもしれない。
私は作戦を誤ったのだ。
その後、それまで何日も続いていた東京でのヨギ・シン遭遇報告はぱったりと途絶えてしまった。
報告によると、ターバンを巻いた初老の男、ターバンのないもう一人の初老の男、そして私が会った比較的若い男の、少なくとも3人のヨギ・シンが東京に来ていたはずだ。
彼らは正体を知っている人間がいることを恐れて、東京から去ってしまったのだろうか。
直接彼らと接触する術を失った私は、別の方面からの調査を行うことにした。
ヨギ・シンの最大の謎と言ってよい、不思議な「技」についての調査だ。
私は、彼の「技」と同じようなテクニックを、テレビか舞台でマジシャンが披露しているのを見た記憶があった。
彼の「技」と同じか、少なくともよく似た技術が、マジックのなかにあるはずだ。
彼の「技」のルーツが分かれば、彼らについてきっと何か分かることがある。
例えば、もし彼の「技」が20世紀前半にイギリスのマジシャンによって発明されたものだということが分かれば、彼らの技法はその時代にインドからイギリスに渡った移民によってコミュニティにもたらされたと推測できる。(実際、シク教徒はインド独立前後にイギリスに移民として渡った者が多かった)
私は、大型書店、図書館、そしてインターネットで、マジック関連の文献の中に手がかりがないか調べ始めた。
そこで改めて気づいたのは、マジックの種類というのは、数え切れないほど無数にあるということだ。
その一つ一つを調べて、彼の「技」との類似点がないかを確認するには、相当な労力と時間が必要だ。
それに、調べれば調べるほど、プロのマジシャンが行うマジックのタネが分かってしまうというデメリットもあった。
私はマジックを見るのが結構好きなのだ。
ヨギ・シンの秘密を探るためとはいえ、知りたくないマジックのタネまで知ってしまうというのはあまりにもむなしい。
マジックもまた、知ることでその神秘を失うのだ。
いずれにしても、多すぎるマジックのタネを、片っ端から調べてゆくのは効率が悪すぎる。
彼の「技」によく似た、数を的中させるマジックといえば、まず思い浮かぶのはカードマジックだ。
私は手始めにカードマジックから調べてゆくことにした。
すると、カードマジックのごく初歩的な部分のなかに、気になる言葉があるのを発見した。
カードマジックについて書かれた本に、「ヒンズー・シャッフル」という単語があったのだ。
「ヒンズー」はほぼ間違いなくヒンドゥー教のことだろう。
これはきっとなにかインドに関係があるに違いない。
調べてみると、我々日本人がトランプをシャッフルするときに行うごく一般的なやり方を、マジックの世界では「ヒンズー・シャッフル」と呼ぶということが分かった。
語源は、かつてインドのマジシャンたちがこのシャッフルを多用していたからだという。
インドのマジシャン。
私はその言葉を見つけて、はっとした。
なぜ今までその発想に至らなかったのだろう。
華やかなラスベガスなどのイメージから、私はマジックの本場といえばアメリカ、そしてそのルーツであるヨーロッパだとばかり考えていた。
だが、インドほどの歴史と文化を誇る土地であれば、そこに豊かな奇術の歴史があっても全くおかしくはないのだ。
調べてみると、インドはイブン・バットゥータが旅行記を著した13世紀から、世にも不思議な奇術を行うマジシャンたちの国として知られていたという。
そう、インドはかつて、マジック大国だったのだ。
とくにロープマジックについては深い歴史とバリエーションがあり、また誰もが見たことがあるであろう箱の中の人物に剣を刺すマジック(もともとは箱ではなく籠が使われていたようだ)も、寝たまま空中浮遊した(ように見える)人物にフラフープを通してみせるマジックも、その発祥の地はインドだという。
考えてみれば、インドほど怪しげでミステリアスな、マジックが似合う国は他にないのではないだろうか。
なにしろ、かのフーディーニも、そのキャリアの初期には顔を褐色に塗り、インド人の魔術師に見えるような演出をしていたという。
インドはむしろマジックの本場とも言える国なのだ。
インドの民衆が誇る知的財産とも言えるマジックは、悲しいことに、植民地支配や独立後の欧米との経済力の格差によって、先進国に流出してしまったのである。
皮肉なことに、悲願の独立を果たしたインド社会では、藩王国の解体によって、宮廷を舞台に活躍していた芸術家たちはパトロンを失ってしまった。
路上で生計を立てていた大道芸人たちも、近年の都市開発によって居場所を奪われ、もはやその文化は風前の灯火だという。
近代国家として歩みだしたインドに、マジシャンたちのための場所はほとんど残されていなかったのだ。
そもそも幼い頃から親族共同体のなかでともに暮らして修行する伝統的な手品師の生き方は、近代的な学校制度とも相入れないものだった。
さらに、映画やテレビといった新しい娯楽が、彼らの衰退に追い打ちをかける。
彼らの先祖から技術を盗んだ先進国のマジシャンたちは、今日もタキシードを着て、華やかなステージで洗練されたマジックを披露する。
着飾った観客たちのなかに、そのマジックのいくつかのルーツがインドにあると想像する人が、はたしているだろうか。
そう考えてみると、一度はインドから奪われたマジックという「文化遺産」を使って、先進国の都市で人々を幻惑してはお金を稼いでゆくヨギ・シンは、たとえ本人が意図していなかったとしても、インドの伝統にのっとったやり方で、文化的かつ歴史的なリベンジを果たしているとも考えられる。
長くなったうえに、話が迷走気味になってきたので、今回はここまで。
次回は、いよいよヨギ・シンの「技」の核心に迫る。
虹の神秘を失わずに、その本質を伝えるには、どう書いたものか。
(写真は丸の内の路上で11月に撮影されたターバン姿のヨギ・シン。彼を含め、少なくとも3名のグループが来日していたと思われる)
その他参考文献:前川道介(1991)『アブラカダブラ 奇術の世界史』白水社、Lee Siegel(1991)"Net of Magic : wonders and deceptions in India" The University of Chicago Press
参考ウェブサイト:https://qz.com/india/1330572/indian-magic-once-captivated-the-world-including-harry-houdini
他
(つづき)
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goshimasayama18 at 00:47|Permalink│Comments(2)
2019年11月16日
ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その3)
これまでの「ヨギ・シン」シリーズ
1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」
5.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その2)」
目の前に、ずっと探し求めていた相手がいる。
2時間ほど前に「イチさん」から送られて来た画像に写っていた、口まわりから耳元まで短いヒゲを生やしたダークカラーのスーツの南アジア系の男。
今でも、自分が長年探し求めていた「彼」と東京で会えたということが信じられない。
だが、手元にあるイチさんから送られてきたターバン姿の「ヨギ・シン2」の画像と、「みょ」さんから送られてきた「彼」からもらったという黒い石の画像が、「彼」が実際に東京にいたという何よりの証拠だ。
(イチさんからは、私が遭遇した「ヨギ・シン3」の画像も送られてきているが、それはじかに接したときの彼の態度を考えて、公表は控える。ごくありふれたインド人の姿が写っている。)
最後に教訓。
もしあなたの住んでいる近くの街で、ヨギ・シンの出没情報があり、彼に会いに行こうと思ったら、
追記:ヨギ・シンのトリックの秘密にせまった続編はこちらです。
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1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」
5.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その2)」
目の前に、ずっと探し求めていた相手がいる。
2時間ほど前に「イチさん」から送られて来た画像に写っていた、口まわりから耳元まで短いヒゲを生やしたダークカラーのスーツの南アジア系の男。
世界中で遭遇体験が報告されている、人の心を読むことができる謎の占い師、「ヨギ・シン」の一人。
写真だとダークグレーに見えたスーツは、近くで見ると暗い色のチェック柄だ。
数日前から丸の内近辺に出没している「ヨギ・シン」(少なくとも3人いることが分かっている)は「あなたの顔からエネルギーが出ている」と声をかけてくるという報告を受けていた。
だが、彼が私に向かって発した第一声は、意外なことに「顔からエネルギー」ではなく、"How are you?"だった。
ここが肝心だ。
戸惑いを見せず、自分のペースを崩さず、話の主導権を握る必要がある。
インドの物売りや客引きが、観光客相手にそうするように。
「ああ、そうだ。私を知っているんだね。君の顔からエネルギーが出ているのを感じるよ」
そんな答えが来ることばかりを予想していた私は、次に彼が発した至極平凡な反応に、一瞬虚をつかれた。
「以前、会ったことがあったかな?」
まったく想定外の言葉だったが、ここは調子を合わせるしかない。
「ええ、私はあなたと会ったことがある」
意外にも、彼の顔に浮かんだのは、親密さではなく、わずかな困惑の表情だった。
「あなたはどこから来たんだ?いったい誰を探しているんだ?」
「ミスター・シン、私は日本人だ。あなたを探していたんだ」
「私といつ会った?」
彼は努めて平静を装っていたが、その口調からは焦りと困惑が高まっていることが感じられた。
「数日前に会ったじゃないか」
「実は、数日前に私の友達があなたに会ったんだ。あなたの話を聞いて、私もあなたに会いたいと思っていた。あなたは占い師のミスター・シンでしょう」
こう伝えれば、彼は警戒心を解いて、本来の占い師として私に接してくれるはずだった。
「いや、私は違う。あなたは誰を探しているんだ?」
まさかの否定。
「あなたは占い師のミスター・シンのはずだ。私の友人があなたに会っている。あなたは素晴らしい占い師だと聞いている」
「違う。私ではない」
彼が示しているのは、明確な「拒絶」。
「聞いてほしい。私は警察ではないし、決してあなたが詐欺師だなんて思ってはいない。私はただ、あなたがたの文化について知りたいだけなんだ。私の友人からあなたのことは聞いている。あなたは占い師でしょう。これは、あなたでしょう」
私は、最後の手段として、イチさんからスマホに送られて来た、通行人に声をかける彼の画像を見せた。
彼の表情に驚きの色が浮かぶ。
しばらく私のスマホを凝視したのち、彼は目線を逸らして、ふたたびこう答えた。
それとも、彼はそもそもヨギ・シンではなかったのか。
立ち去る彼は、少なくとも角を曲がるまでは、携帯電話で誰かに連絡するようなそぶりは見せなかった。
それならば、ダメモトでさっき会った男でもいい。
写真だとダークグレーに見えたスーツは、近くで見ると暗い色のチェック柄だ。
数日前から丸の内近辺に出没している「ヨギ・シン」(少なくとも3人いることが分かっている)は「あなたの顔からエネルギーが出ている」と声をかけてくるという報告を受けていた。
だが、彼が私に向かって発した第一声は、意外なことに「顔からエネルギー」ではなく、"How are you?"だった。
ここが肝心だ。
戸惑いを見せず、自分のペースを崩さず、話の主導権を握る必要がある。
インドの物売りや客引きが、観光客相手にそうするように。
「ファイン。あなたは、占い師のミスター・シンでしょう」
私は笑顔のまま右手を差し出し、握手を求めた。
彼が反射的に出した右手を握り返す。
図々しくもフレンドリーなインドの商売人と渡り合うなら、こちらも同じくらい図々しくネゴシエーションをする必要がある。
そうすれば、向こうも負けじと馴れ馴れしく接してくるはずだ。
彼が反射的に出した右手を握り返す。
図々しくもフレンドリーなインドの商売人と渡り合うなら、こちらも同じくらい図々しくネゴシエーションをする必要がある。
そうすれば、向こうも負けじと馴れ馴れしく接してくるはずだ。
「ああ、そうだ。私を知っているんだね。君の顔からエネルギーが出ているのを感じるよ」
そんな答えが来ることばかりを予想していた私は、次に彼が発した至極平凡な反応に、一瞬虚をつかれた。
「以前、会ったことがあったかな?」
まったく想定外の言葉だったが、ここは調子を合わせるしかない。
笑顔を崩さずに淀みなく答える。
「ええ、私はあなたと会ったことがある」
意外にも、彼の顔に浮かんだのは、親密さではなく、わずかな困惑の表情だった。
少し焦ったような口調で、彼が問いかける。
「あなたはどこから来たんだ?いったい誰を探しているんだ?」
「ミスター・シン、私は日本人だ。あなたを探していたんだ」
「私といつ会った?」
彼は努めて平静を装っていたが、その口調からは焦りと困惑が高まっていることが感じられた。
「数日前に会ったじゃないか」
私はつとめてフレンドリーに、適当な出任せを口にした。
インドで初対面なのに「ハロー、フレンド」と話しかけてくる路上の人々のように。
インドで初対面なのに「ハロー、フレンド」と話しかけてくる路上の人々のように。
それでも、彼の慎重な姿勢は変わらない。
「どこで私に会ったんだ?」
彼の表情に警戒心が浮かぶ。
私には敵意も悪意も、金をだまし取ろうという気もない。
これ以上適当な嘘の続きも思いつかず、少しだけ正直に、こちらの意図を伝えることにした。
彼の表情に警戒心が浮かぶ。
私には敵意も悪意も、金をだまし取ろうという気もない。
これ以上適当な嘘の続きも思いつかず、少しだけ正直に、こちらの意図を伝えることにした。
「実は、数日前に私の友達があなたに会ったんだ。あなたの話を聞いて、私もあなたに会いたいと思っていた。あなたは占い師のミスター・シンでしょう」
こう伝えれば、彼は警戒心を解いて、本来の占い師として私に接してくれるはずだった。
この奇妙な日本人は、あなたの上客なのだ。
ところが、彼の反応はまたしても予想外のものだった。
ところが、彼の反応はまたしても予想外のものだった。
「いや、私は違う。あなたは誰を探しているんだ?」
まさかの否定。
まだこちらのフレンドリーさが足りなかったんだろうか。
笑顔を崩さずに、さらに図々しくたたみかける。
笑顔を崩さずに、さらに図々しくたたみかける。
「あなたは占い師のミスター・シンのはずだ。私の友人があなたに会っている。あなたは素晴らしい占い師だと聞いている」
「違う。私ではない」
彼が示しているのは、明確な「拒絶」。
はぐらかされた時やすっとぼけられた時にどう対応するか、予想以上の高額の料金を請求された時にどうやり過ごすかは事前に準備していた。
しかし向こうが拒絶したときへの対応は、全く考えていなかった。
この時点で、私はなお、自分に敵意がないこと、そして、彼の正体を知っていることを伝えれば、彼が心を開いて、話をしてくれるものと信じていた。
「聞いてくれ、私はあなたに敵意はない。あなたを占い師としてリスペクトしている。占い師のミスター・シン。話を聞かせてくれ」
「違う」
この時点で、私はなお、自分に敵意がないこと、そして、彼の正体を知っていることを伝えれば、彼が心を開いて、話をしてくれるものと信じていた。
「聞いてくれ、私はあなたに敵意はない。あなたを占い師としてリスペクトしている。占い師のミスター・シン。話を聞かせてくれ」
「違う」
彼は今にも立ち去りそうなそぶりを見せた。
なんとしても引き止めなければ。
なんとしても引き止めなければ。
そして、心を閉ざす彼に、正確に意図を伝えなければ。
「聞いてほしい。私は警察ではないし、決してあなたが詐欺師だなんて思ってはいない。私はただ、あなたがたの文化について知りたいだけなんだ。私の友人からあなたのことは聞いている。あなたは占い師でしょう。これは、あなたでしょう」
私は、最後の手段として、イチさんからスマホに送られて来た、通行人に声をかける彼の画像を見せた。
きっと、もう言い逃れができないことが分かれば、諦めて占い師として接してくれるはずだ。
そう思っていた。
彼の表情に驚きの色が浮かぶ。
しばらく私のスマホを凝視したのち、彼は目線を逸らして、ふたたびこう答えた。
「違う」
そう言うと、彼は向きを変え、東京国際フォーラムの中庭を南に向かって歩いてゆき、一度も振り返らずに、歩道を右に曲がって、姿を消した。
あまりにも明確な拒絶に、私は立ち去る彼を呆然と眺めることしかできなかった。
あまりにも明確な拒絶に、私は立ち去る彼を呆然と眺めることしかできなかった。
いったい何が起きたのか、まったく理解できなかった。
ただ千載一遇のチャンスを完全に棒に降ってしまったことだけは分かった。
彼は、自分が占い師だということを明確に否定した。
もしかして、イチさんが送ってきた写真の男とは別人だったのだろうか。
今話した男はチェックのジャケットを着ていた。
送られてきた画像の男のジャケットは、無地のダークグレーに見える。
別人であってほしい。
祈りながら画像を拡大してみると、写真の男が着ているのは、やはり先ほど間近に見たのと同じ、暗い色のチェック柄のジャケットだった。
それとも、彼はそもそもヨギ・シンではなかったのか。
だが、それなら最初に「占い師のミスター・シン」と話しかけた時点で、はっきりと否定していたはずだ。
あの時彼は「以前会ったことがあったかな」と反応した。
自分はシンではない、とか、占い師ではなくエンジニアだ、とか言うのでもなく、いつ、どこで会ったかということを執拗に尋ねてきた。
それに、彼はイチさんから送られてきた写真の中でも、私と話す前も、通行人に声をかけていた。
彼がヨギ・シンであることはやはり間違いないだろう。
立ち去る彼は、少なくとも角を曲がるまでは、携帯電話で誰かに連絡するようなそぶりは見せなかった。
もし彼が、自分たちの正体を知っている人間が探し回っていることを脅威だと感じたのなら(彼の態度はそれを物語っていた)、まず仲間に伝えるはずだ。
すぐに電話を出さなかったところを見ると、彼らが日本で使える携帯電話を持っていない可能性もある。
彼は南側に歩いて行った。
これまで報告されているヨギ・シンとの遭遇地点で国際フォーラムより南側にあるのは、日生劇場だけだ。
彼らは少なくとも3人はいるはずだ。
もし彼が日生劇場付近にいる仲間に状況を報告しに行くとしても、国際フォーラムより北にある丸の内仲通りや二重橋付近、大手町にはまだもう1人のヨギ・シンがいるかもしれない。
私の希望はもはやそれしか残されていなかった。
丸の内、二重橋、大手町。
大手町、二重橋、丸の内。
目を凝らしながら、遭遇報告のあった場所を何度も往復した。
スーツ姿の日本人男性の黒い髪を、何度も黒いターバンに見間違えた。
だが、ヨギ・シンはいない。
捜索する通りを広げても、ターバンの男も、50歳くらいのインド人も全く見当たらない。
捜索する通りを広げても、ターバンの男も、50歳くらいのインド人も全く見当たらない。
今日はこのエリアにはいないのか。
それならば、ダメモトでさっき会った男でもいい。
もう一度しっかりと話せば、何か教えてくれるかもしれない。
ほんの僅かな可能性にかけてみたかった。
ふたたび国際フォーラム、日生劇場前。
前日に報告があったシャンテ周辺。
だが、どんなに歩いても、彼も、別のヨギ・シンらしき男もいなかった。
日が落ち、とても彼のトリックができない暗さになった頃、私は完全に失敗したということをようやく理解した。
それにしても、彼の態度はいったい何だったのだろうか。
彼とのやりとりは、実際はもっと長く、彼は私に少なくとも2回以上「どこから来たんだ?(Where are you from?)」と尋ねてきた。
そのたびに、私は'from Japan'と答えたが、彼は、例えば私が警察のような組織から来た人間なのか、なぜ自分のことを知っているのか、と聞きたかったのかもしれない。
あるいは、彼が日本に来る前に、別の国で会ったことがあると思ったのか。
世界中で人々に声をかけて、口八丁手八丁で金をせしめるタフな男。
天皇即位の祭典で厳重な警備が敷かれた丸の内でも、構わずにその商売を行う豪胆な男。
ヨギ・シンは話好きで、口の上手い男だとばかり思っていた。
だが、私が話しかけた男は、最後まで警戒心を解かない、慎重で猜疑心の強い人物だった。
そして、明確な拒絶。
普通、自分から客に声をかけて稼いでいる占い師が「あなたは占い師ですよね」と声をかけられたなら、これ以上ないチャンスのはずである。
だが、彼は自分が占い師であることを完全に否定した。
ただ頑なにNoだけを繰り返した。
このことが意味するのは、彼が、自分のしているのは占いではなく詐欺行為である、少なくともバレてはまずい行いであると認識しているということだ。
そして、その占い/詐欺行為は、彼がどんなことをするか知らない人間にしか通用しないということを、よく理解しているのだ。
遠い異国で、違法スレスレ(もしくは違法)なことをして働くということは、想像以上にシビアなのだろう。
ひとつ間違えれば、逮捕や拘束、強制送還ということもありうる。
彼らが、自分たちのことを嗅ぎ回る人間に対して、慎重すぎるくらい慎重になるのは、考えれば分かることだった。
彼らが、自分たちのことを嗅ぎ回る人間に対して、慎重すぎるくらい慎重になるのは、考えれば分かることだった。
それにしても、そこまでの危険を冒す価値があるほど、この「ビジネス」は身入りが良いのだろうか。
他の南アジア系の労働者のように、インド料理店で働いたり肉体労働をするよりも効率的なものなのだろうか(さすがにITやエンジニアのスキルがあれば、この辻占はやらないだろうが)。
他の南アジア系の労働者のように、インド料理店で働いたり肉体労働をするよりも効率的なものなのだろうか(さすがにITやエンジニアのスキルがあれば、この辻占はやらないだろうが)。
これもぜひ聞いてみたかった。
あるいは、代々占いを生業にしてきた彼らは、単に他の生き方を知らないだけなのかもしれない。そう考えると、彼の拒絶反応は、先祖代々が守り通してきた商売の秘密、そして今も世界中で働く仲間たちが守り通している彼らの「占い」の秘密を守るためのものだったのかもしれない。
あの頑なな態度は何かに似ていると思ったが、それはインドであやしい男に声をかけられ、絶対に関わりたくないと感じた時の自分の態度そのものだった。
あの完全な拒絶は、自分の身を守るものが何一つない外国で、自分の身を脅かすかもしれない人物、自分からなにかを奪おうとしている人物に対する態度だった。
私が彼に出会うまで、毎日のように寄せられていたヨギ・シンとの遭遇報告は、その後、一件もない。
今でも、自分が長年探し求めていた「彼」と東京で会えたということが信じられない。
だが、手元にあるイチさんから送られてきたターバン姿の「ヨギ・シン2」の画像と、「みょ」さんから送られてきた「彼」からもらったという黒い石の画像が、「彼」が実際に東京にいたという何よりの証拠だ。
(イチさんからは、私が遭遇した「ヨギ・シン3」の画像も送られてきているが、それはじかに接したときの彼の態度を考えて、公表は控える。ごくありふれたインド人の姿が写っている。)
私の手には、握手した時の彼の手の感覚が残っている。
それは、堅くも柔らかくもなく、温かくも冷たくもない、ただただ普通の手だった。
最後に教訓。
もしあなたの住んでいる近くの街で、ヨギ・シンの出没情報があり、彼に会いに行こうと思ったら、
- それらしき人物を見つけても、決して自分から話しかけてはいけない
- 声をかけられるのを待つしかない
- 顔からエネルギーを出そうとする必要は、たぶんない(むしろ、信じやすそうな雰囲気を出した方が声をかけられやすいかもしれない)
- 「彼」のことを聞きたかったら、まずは何も知らないふりをして占いを受け、そのあとに少しずつ聞くのが良いだろう
- 詮索するような態度は見せない方が良い
- 彼はお金のためにやっているのだから、謝礼をはずむと言えば、何か教えてくれるかもしれない
私は自分こそが理解者だと思って接したが、結局私は「彼」に警戒され、逃げられただけだった。
自分の愚かさを痛感している。
これからも、「彼」については調べてゆきたいが、今回のヨギ・シン捜索記はひとまずこれまでとなるのではないかと思う。
続編が書けることを期待している。
もし、この謎のインド人占い師について、何か情報があったら、どんな些細なことでもお寄せください。自分の愚かさを痛感している。
これからも、「彼」については調べてゆきたいが、今回のヨギ・シン捜索記はひとまずこれまでとなるのではないかと思う。
続編が書けることを期待している。
追記:ヨギ・シンのトリックの秘密にせまった続編はこちらです。
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2019年11月14日
ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その2)
これまでの「ヨギ・シン」シリーズはこちらから!
1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」
11月11日(月)、ブログに新たなヨギ・シンとの遭遇情報が寄せられた。
「タカノY」さんからの情報は、7日(木)にイチさんが二重橋付近で目撃したターバン姿の「ヨギ・シン2」と思われる男との遭遇報告だった。
これまで、同様のトリックを使うインド人占い師が海外でその名を名乗っていたことから、便宜上「ヨギ・シン」と呼んできたが、これで「彼」が正真正銘のヨギ・シンであることが判明した。
「彼」はヨギとしか名乗っていないが、シク教徒の男性は、必ず「シン」(Singh)という名前も持つことになっているからだ。
(例:タイガー・ジェット・シン、ランヴィール・シンなど。Singhは日本では通例シンと書かれるが、原音に近く書くならスィンもしくはスィンフ、スィング)
お金を払わずに立ち去ることができたという事例も初の報告だ。
聞けば、タカノYさんはかつて海外旅行中に現金を取られたことがあったそうで、今回も反射的に警戒心が働いたようだ。
ここで、これまでに報告のあった11月6日以降の7件の事例をA〜Fのアルファベットで地図にプロットしてみた。
A地点は、11月6日(水)に最初の遭遇報告があった場所で、「イチさん」がスーツ姿でターバン無しの「ヨギ・シン1」に声をかけられた東京国際フォーラム前だ。
B地点は、翌日7日(木)に「イチさん」が、スーツにターバン姿の「ヨギ・シン2」を目撃した二重橋付近。
C地点は、A地点と同じ国際フォーラム前で、「Nさん」が8日(金)に声をかけられている。
1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」
11月11日(月)、ブログに新たなヨギ・シンとの遭遇情報が寄せられた。
「タカノY」さんからの情報は、7日(木)にイチさんが二重橋付近で目撃したターバン姿の「ヨギ・シン2」と思われる男との遭遇報告だった。
昨日、14:30頃丸の内中通り明治生命本社裏で出会いました。上下黒のスーツにターバンといういでたちでヨギと名乗っていました。英会話は苦手ですが言ってることの内容はブログに書かれていることと同じ内容でした。私の場合は好きな色を当て、お金の話をされたので直感的にノーマネーを繰り返し足早に立ち去り被害には会いませんでした。満を持してと言うべきか、今回の一連の報告のなかで、初めて「彼」がその名前を明かしている。
これまで、同様のトリックを使うインド人占い師が海外でその名を名乗っていたことから、便宜上「ヨギ・シン」と呼んできたが、これで「彼」が正真正銘のヨギ・シンであることが判明した。
「彼」はヨギとしか名乗っていないが、シク教徒の男性は、必ず「シン」(Singh)という名前も持つことになっているからだ。
(例:タイガー・ジェット・シン、ランヴィール・シンなど。Singhは日本では通例シンと書かれるが、原音に近く書くならスィンもしくはスィンフ、スィング)
お金を払わずに立ち去ることができたという事例も初の報告だ。
聞けば、タカノYさんはかつて海外旅行中に現金を取られたことがあったそうで、今回も反射的に警戒心が働いたようだ。
ここで、これまでに報告のあった11月6日以降の7件の事例をA〜Fのアルファベットで地図にプロットしてみた。
A地点は、11月6日(水)に最初の遭遇報告があった場所で、「イチさん」がスーツ姿でターバン無しの「ヨギ・シン1」に声をかけられた東京国際フォーラム前だ。
B地点は、翌日7日(木)に「イチさん」が、スーツにターバン姿の「ヨギ・シン2」を目撃した二重橋付近。
C地点は、A地点と同じ国際フォーラム前で、「Nさん」が8日(金)に声をかけられている。
「ヨギ・シン1」か「ヨギ・シン2」かは不明だが、ターバン姿であれば印象に残るはずなので、おそらくタイプ1の「彼」ではないかと思う。
D地点は日生劇場前。
Nさんと同じ8日(金)に、TKさんが声をかけられた場所だ。
こちらもタイプ1か2かは不明だが、「あなたの顔からエネルギーが出ている」という声のかけ方はイチさんの報告と同様であり、タイプ1の可能性が高い。
今回の報告事例でもっとも南側での遭遇となる。
E地点は、10日(日)に「みょ」さんが遭遇した場所で、報告事例の中でもっとも北に位置している。
後のやりとりで、F地点のタカノYさんの報告と同様、ターバンを巻いたタイプ2であることが判明。
この事例では、「みょ」さんの機転で生まれた年を1年サバを読んで伝えると、「彼」は実際の誕生年ではなく、「みょ」さんが言った年を的中させたという。
これで、彼に真実を言い当てる超能力があるのではなく、発言した言葉を的中させているだけだということが分かった(それでも十分に不思議ではあるが)。
興味深いことに、「みょ」さんは占いのあとに「黒い石」をもらったという。
実は、「黒い石」については以前Twitter経由で複数の方から報告をいただいたことがある。
その時の報告によると、20年ほど前に、バンコクの安宿街カオサンの裏通りで、近親者の名前や数字を「彼」に次々と当てられたそうで、しかも、「彼」による予言(NYに行くことになる、恋人ができる、等)がその後実際に的中したそうだ。
その後、その石は紛失してしまったそうだが、もしかしたら「みょ」さんがもらったものと同じようなものだったのかもしれない。
(2019年5月19日のTweet参照)
F地点は、先ほど紹介した10日(日)にタカノYさんが「彼」と出会った場所。
この地図を見て分かる通り、これまでの遭遇情報は、すべて線路の西側である。
9日(土)の捜索では、八重洲、日本橋、銀座といった線路東側のエリアも回ってみたのだが、どうやら「彼」は線路の東側には一度も足を踏み入れていないようだ。
彼の出没範囲は、かなり狭いエリアに限られているということが分かった。
この範囲内を重点的に捜索すれば、おそらく確実に「彼」と出会えるはずだ。
D地点は日生劇場前。
Nさんと同じ8日(金)に、TKさんが声をかけられた場所だ。
こちらもタイプ1か2かは不明だが、「あなたの顔からエネルギーが出ている」という声のかけ方はイチさんの報告と同様であり、タイプ1の可能性が高い。
今回の報告事例でもっとも南側での遭遇となる。
E地点は、10日(日)に「みょ」さんが遭遇した場所で、報告事例の中でもっとも北に位置している。
後のやりとりで、F地点のタカノYさんの報告と同様、ターバンを巻いたタイプ2であることが判明。
この事例では、「みょ」さんの機転で生まれた年を1年サバを読んで伝えると、「彼」は実際の誕生年ではなく、「みょ」さんが言った年を的中させたという。
これで、彼に真実を言い当てる超能力があるのではなく、発言した言葉を的中させているだけだということが分かった(それでも十分に不思議ではあるが)。
興味深いことに、「みょ」さんは占いのあとに「黒い石」をもらったという。
実は、「黒い石」については以前Twitter経由で複数の方から報告をいただいたことがある。
その時の報告によると、20年ほど前に、バンコクの安宿街カオサンの裏通りで、近親者の名前や数字を「彼」に次々と当てられたそうで、しかも、「彼」による予言(NYに行くことになる、恋人ができる、等)がその後実際に的中したそうだ。
その後、その石は紛失してしまったそうだが、もしかしたら「みょ」さんがもらったものと同じようなものだったのかもしれない。
(2019年5月19日のTweet参照)
F地点は、先ほど紹介した10日(日)にタカノYさんが「彼」と出会った場所。
この地図を見て分かる通り、これまでの遭遇情報は、すべて線路の西側である。
9日(土)の捜索では、八重洲、日本橋、銀座といった線路東側のエリアも回ってみたのだが、どうやら「彼」は線路の東側には一度も足を踏み入れていないようだ。
彼の出没範囲は、かなり狭いエリアに限られているということが分かった。
この範囲内を重点的に捜索すれば、おそらく確実に「彼」と出会えるはずだ。
私は、緊張感とともに、奇妙なプレッシャーを感じた。
ひとつめは、これまでおそらく(当事者以外)誰も知ることができなかった謎を、自分の手で解明してしまうかもしれないという緊張感。
ひとつめは、これまでおそらく(当事者以外)誰も知ることができなかった謎を、自分の手で解明してしまうかもしれないという緊張感。
「撰ばれてあることの恍惚と不安、二つ我に有り」というやつだ。
そしてより大きな重圧は、果たして、自分がやろうとしていることが「彼」らのためになるのだろうか、という疑問だった。
大谷幸三氏の「インド通」によると、「彼」らは、インドでは自らの生業を恥じるほどに低い身分の存在だという。
そうした人々が秘密としてきたことを、(読者数の少ないブログとはいえ)自分なんかが興味本位で暴き、白日のもとに晒してしまってよいのだろうか。
一方で、私なりの考えもあった。
英語による海外でのヨギ・シン遭遇報告を読むと、ほとんどの報告で、「詐欺(scam)」という言葉が使われている。
「メルボルンでこういう手口の詐欺が頻発、気をつけて!」というように。
詐欺と呼ぶ側の気持ちも分かる。
最初に有料であることを提示せず、頼んでもいないサービスを提供したあとで料金を請求する(しかも、支払った金額では足りないと主張し、それ以上の料金を求める)という行為は、インドではよくある話でも、欧米や日本の感覚では詐欺と呼ばれても仕方がない。
けれども私は、ヨギ・シンの洗練された話術やテクニックに、単純に詐欺として片付けてしまうには惜しい何かを感じていた。
誰にも価値を認められぬまま消え去ろうとしている「伝統」とでも言うべきものが、そこにはある。
世界中のネット掲示板で、すでにヨギ・シンについては少なくない情報が書かれている。
(報告の件数の多さのわりに、書かれているのはその名前と不思議な手口くらいだが)
遅かれ早かれ、「彼」の存在はもっと広く知られ、その謎が暴かれる日が来るだろう。
それならば、「彼」をただの詐欺師として見ているのではなく、その洗練された技法にある種の敬意を持っている自分こそが、この仕事をやるべきなのではないだろうか。
そうした人々が秘密としてきたことを、(読者数の少ないブログとはいえ)自分なんかが興味本位で暴き、白日のもとに晒してしまってよいのだろうか。
一方で、私なりの考えもあった。
英語による海外でのヨギ・シン遭遇報告を読むと、ほとんどの報告で、「詐欺(scam)」という言葉が使われている。
「メルボルンでこういう手口の詐欺が頻発、気をつけて!」というように。
詐欺と呼ぶ側の気持ちも分かる。
最初に有料であることを提示せず、頼んでもいないサービスを提供したあとで料金を請求する(しかも、支払った金額では足りないと主張し、それ以上の料金を求める)という行為は、インドではよくある話でも、欧米や日本の感覚では詐欺と呼ばれても仕方がない。
けれども私は、ヨギ・シンの洗練された話術やテクニックに、単純に詐欺として片付けてしまうには惜しい何かを感じていた。
誰にも価値を認められぬまま消え去ろうとしている「伝統」とでも言うべきものが、そこにはある。
世界中のネット掲示板で、すでにヨギ・シンについては少なくない情報が書かれている。
(報告の件数の多さのわりに、書かれているのはその名前と不思議な手口くらいだが)
遅かれ早かれ、「彼」の存在はもっと広く知られ、その謎が暴かれる日が来るだろう。
それならば、「彼」をただの詐欺師として見ているのではなく、その洗練された技法にある種の敬意を持っている自分こそが、この仕事をやるべきなのではないだろうか。
こんな考えは思い上がりだろうか。
そんなことを思いながら、私は再び丸の内に向かった。
その日は仕事の休みを取っており、ほぼ終日をヨギ・シン捜索に時間を費やすことができた。
そんなことを思いながら、私は再び丸の内に向かった。
その日は仕事の休みを取っており、ほぼ終日をヨギ・シン捜索に時間を費やすことができた。
午前中の捜索は、空振り。
昼時に一件別の場所での用事を済ませ、昼食を食べ終わった頃に、「イチさん」からメッセージが届いていることに気づいた。
ふと、前方20メートルほどのところに、私と同じように、何かを探すかのように周囲を見渡しながら歩いている人物がいることに気がついた。
間違いない。
なんと、国際フォーラム付近で、ヨギ・シン1ともヨギ・シン2とも違う第三の「彼」が現れたというのだ。
メッセージには、通行人に声をかける30代〜40代くらいに見えるインド人風の男の写真が添付されていた。
その男は濃い色のスーツに身を包み、もみあげから口のまわりまで短い髭を生やしている。
メッセージには、通行人に声をかける30代〜40代くらいに見えるインド人風の男の写真が添付されていた。
その男は濃い色のスーツに身を包み、もみあげから口のまわりまで短い髭を生やしている。
その姿を目に焼き付けると、私は最寄駅から電車に乗り、国際フォーラムを目指した。
「彼」に会ったら聞きたいことは、すでに心に決めていた。
「彼」のコミュニティーについて。
「彼」に会ったら聞きたいことは、すでに心に決めていた。
「彼」のコミュニティーについて。
「彼」の家族について。
そして、「彼」自身について。
聞くだけではなく、私が彼らの伝統に対してリスペクトの気持ちを持っていることも伝えたかった。
できれば、連絡先を交換したりもしたい。
例えば日本の「ナマステ・インディア」みたいなイベントに彼らが出演したら、「彼」は詐欺師扱いではなく、正当な敬意と称賛を得られるのではないだろうか。
そんなアイデアを「彼」に伝えられたら、そして、実際に日本でのイベントで、ヨギ・シンの占いの実演ができたら、どんなに素晴らしいだろう。
東京駅で電車を降り、丸の内南口から東京国際フォーラムを目指す。
線路沿いの道を南に歩くと、やがてガラス張りの国際フォーラムの威容が目に入る。
イチさんから送られて来た画像には、国際フォーラム周辺と思われる歩道で、通行人に声をかけている「彼」の姿が映っていた。
できれば、連絡先を交換したりもしたい。
例えば日本の「ナマステ・インディア」みたいなイベントに彼らが出演したら、「彼」は詐欺師扱いではなく、正当な敬意と称賛を得られるのではないだろうか。
そんなアイデアを「彼」に伝えられたら、そして、実際に日本でのイベントで、ヨギ・シンの占いの実演ができたら、どんなに素晴らしいだろう。
東京駅で電車を降り、丸の内南口から東京国際フォーラムを目指す。
線路沿いの道を南に歩くと、やがてガラス張りの国際フォーラムの威容が目に入る。
イチさんから送られて来た画像には、国際フォーラム周辺と思われる歩道で、通行人に声をかけている「彼」の姿が映っていた。
目指すべき人物像は分かっている。
まずは、線路を背に、北側から国際フォーラム周囲の歩道を、ゆっくりと反時計回りに回ってゆく。
多くの人が行き交うフォーラム北側の通りに、「彼」の姿はない。
左に曲がり、フォーラム西側の道に入ると、人通りはぐっと少なくなる。
注意しつつ南下するが、ここにも「彼」はいない。
フォーラムの南側まで来たが、「彼」は見当たらなかった。
イチさんの報告から到着まで2時間あまり。
多くの人が行き交うフォーラム北側の通りに、「彼」の姿はない。
左に曲がり、フォーラム西側の道に入ると、人通りはぐっと少なくなる。
注意しつつ南下するが、ここにも「彼」はいない。
フォーラムの南側まで来たが、「彼」は見当たらなかった。
イチさんの報告から到着まで2時間あまり。
その間に「彼」は姿を消してしまったのか。
またしても間に合わなかったのだろうか。
南側の通りから、東西二つの建物に別れた国際フォーラムの中庭に入る。
ここにはたくさんのベンチが並んでいて、人通りも多く、以前から「彼」がいてもおかしくないと思っていた場所だ。
この時も、中庭のベンチは半分ほどが埋まっており、フォーラム内のさまざまなホールやショップに向かう人々が行き交っていた。
慎重に、中庭全体に、視線を巡らせてゆく。
南側の通りから、東西二つの建物に別れた国際フォーラムの中庭に入る。
ここにはたくさんのベンチが並んでいて、人通りも多く、以前から「彼」がいてもおかしくないと思っていた場所だ。
この時も、中庭のベンチは半分ほどが埋まっており、フォーラム内のさまざまなホールやショップに向かう人々が行き交っていた。
慎重に、中庭全体に、視線を巡らせてゆく。
ふと、前方20メートルほどのところに、私と同じように、何かを探すかのように周囲を見渡しながら歩いている人物がいることに気がついた。
ダークカラーのスーツ姿を着た、短い髭に覆われた顔の南アジア系の男が、あたりに視線を配りながら、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来る。
さきほどイチさんが画像を送ってきた男に、とてもよく似ている。
間違いない。
第三の「彼」だ。
その男は、近くを歩いていた初老の男性に突然声をかけた。
呼びかけられた男性は、少し驚いた表情を見せた後、困惑したような笑みを見せながら、何かを断るしぐさをした。
もし急に見知らぬ外国人に「あなたの顔からエネルギーが出ている」とか「好きな色や数字を教えて欲しい」と声をかけられたら、きっとこんな反応をするはずだ。
あるいは、英語が得意でなく、分からないと答えたのかもしれない。
私はゆっくりと「彼」に近づいていった。
「彼」は拒否の姿勢を示した初老の男性を引き止めるのをあきらめ、再びこちらに向きを変えた。
そのとき、「彼」と私の目があった。
私はここぞとばかりに顔からエネルギーを出そうとした。
その気持ちが通じたかのように、「彼」がこちらに向かって歩いてくる。
5メートル、4メートル、3メートル…。
私は「彼」に敵意はないことを示すべく微笑みかけた。
「彼」はもう手を伸ばせば触れられそうな距離にいる。
その男は、近くを歩いていた初老の男性に突然声をかけた。
呼びかけられた男性は、少し驚いた表情を見せた後、困惑したような笑みを見せながら、何かを断るしぐさをした。
もし急に見知らぬ外国人に「あなたの顔からエネルギーが出ている」とか「好きな色や数字を教えて欲しい」と声をかけられたら、きっとこんな反応をするはずだ。
あるいは、英語が得意でなく、分からないと答えたのかもしれない。
私はゆっくりと「彼」に近づいていった。
「彼」は拒否の姿勢を示した初老の男性を引き止めるのをあきらめ、再びこちらに向きを変えた。
そのとき、「彼」と私の目があった。
私はここぞとばかりに顔からエネルギーを出そうとした。
その気持ちが通じたかのように、「彼」がこちらに向かって歩いてくる。
5メートル、4メートル、3メートル…。
私は「彼」に敵意はないことを示すべく微笑みかけた。
「彼」はもう手を伸ばせば触れられそうな距離にいる。
「彼」は私の顔から出ているエネルギーに気づいてくれただろうか。
その時、「彼」が口にしたのは、あのフレーズではなく意外な言葉だった。
"How are you?"
(つづく、またはintermission)
つづきはこちら
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その時、「彼」が口にしたのは、あのフレーズではなく意外な言葉だった。
"How are you?"
(つづく、またはintermission)
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goshimasayama18 at 00:13|Permalink│Comments(0)
2019年11月12日
ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)
これまでの「ヨギ・シン」シリーズの記事:
その1「(100回記念特集)謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」その2「(100回記念企画)謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
その3「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
あの謎のインド人占い師集団、「ヨギ・シン」が東京に来ている。
水、木、金と3日続けてヨギ・シン遭遇の報告を受けた私は、11月のある土曜日、「彼」との遭遇情報があった丸の内〜有楽町エリアに捜索に行くことにした。
休日だったが、「彼」に上客だと思われるために、カジュアルな服装は避け、丸の内のビジネスマンっぽく見えるようジャケットを着て出かけた。
小脇には洋書のペーパーバックを抱え、英語ができる人間だと思わせる演出もしてみた。
今回来日している「彼」は、「君はラッキーな顔をしている」ではなく「君の顔からエネルギーが出ている」と話しかけてくるようなので、鏡の前で、通行人に怪しまれない程度の「エネルギーが出ていそうな表情」を練習し、心がけることにした。
ここまで準備をして言うのもなんだが、もし「彼」を見つけたら、声をかけてもらうまで待っているつもりはない。
自分から近寄って行って話しかけるつもりだ。
「彼」にどう話しかけるか、何を聞くかについてはすでに考えていた。
まず、最初に「あなたは高名な占い師のヨギ・シンではないか。ぜひあなたの話が聞きたい」と声をかける。
百戦錬磨のインド人占い師相手にどこまでできるか分からないが、先制攻撃をしかけて、できれば話の主導権を握りたい。
彼が占いをしてくれるのであれば、その技術をじっくり拝見させてもらおう。
手の中に渡された紙をすぐに開いて見るようなことはしない。
日本でも多くのマジシャンが行っている、心の中を的中させるマジックのタネが知りたいわけではないのだ。
彼が占いをしてくれたとしても、話が全て終わるまで、お金は払わない。
一度お金を払ってしまえば、「続きを聞きたいならもっと払え」という無限ループに陥ってしまうだろう。
そうなってしまっては、なんとしても話を聞きたい自分に勝ち目はない。
逆に、相手を焦らし、「もう少し話せばお金がもらえるかもしれない」という状況を作り出すのがこちらの作戦だ。
そのためには、焦らずに、羽振りの良い鷹揚な感じを演出しなければならない。
まず知りたいのは、「彼」のコミュニティについてだ。
「カースト」や「ジャーティ」(カーストに基づく職業集団)という言葉はデリケートだから使わない方が良いだろう。
彼のコミュニティはもともとこういう占いを生業にしているのか。
そのコミュニティには何人くらいいるのか。
同じコミュニティの占い師は海外には何人くらいいるのか。そして、どこにいるのか。
インド国内にはこの手の占い師は何人くらいいるのか。
ここまで準備をして言うのもなんだが、もし「彼」を見つけたら、声をかけてもらうまで待っているつもりはない。
自分から近寄って行って話しかけるつもりだ。
「彼」にどう話しかけるか、何を聞くかについてはすでに考えていた。
まず、最初に「あなたは高名な占い師のヨギ・シンではないか。ぜひあなたの話が聞きたい」と声をかける。
百戦錬磨のインド人占い師相手にどこまでできるか分からないが、先制攻撃をしかけて、できれば話の主導権を握りたい。
彼が占いをしてくれるのであれば、その技術をじっくり拝見させてもらおう。
手の中に渡された紙をすぐに開いて見るようなことはしない。
日本でも多くのマジシャンが行っている、心の中を的中させるマジックのタネが知りたいわけではないのだ。
彼が占いをしてくれたとしても、話が全て終わるまで、お金は払わない。
一度お金を払ってしまえば、「続きを聞きたいならもっと払え」という無限ループに陥ってしまうだろう。
そうなってしまっては、なんとしても話を聞きたい自分に勝ち目はない。
逆に、相手を焦らし、「もう少し話せばお金がもらえるかもしれない」という状況を作り出すのがこちらの作戦だ。
そのためには、焦らずに、羽振りの良い鷹揚な感じを演出しなければならない。
まず知りたいのは、「彼」のコミュニティについてだ。
「カースト」や「ジャーティ」(カーストに基づく職業集団)という言葉はデリケートだから使わない方が良いだろう。
彼のコミュニティはもともとこういう占いを生業にしているのか。
そのコミュニティには何人くらいいるのか。
同じコミュニティの占い師は海外には何人くらいいるのか。そして、どこにいるのか。
インド国内にはこの手の占い師は何人くらいいるのか。
この占いやコミュニティは何という名前なのか。
誰がこの占い(トリック)を考えたのか。
家族についても聞いてみたい。
父も、その父も同じように占いを仕事をしていたのか。
子どもや兄弟は何人いて、そのうち何人が占いをしているのか。
家族は海外にも暮らしているのか。
女も占いをするのか。
そして、彼個人についても聞きたいことがたくさんある。
占いは誰に習ったのか。
この占いを誰かに教えたのか。
これまでどんな国に行ったことがあるのか。
日本にはなぜ来たのか。
日本に知り合いは住んでいるのか。
どこに滞在しているのか。
順調に話を聞くことができたとして、「彼」にいったいいくら支払ったら良いだろうか。
何しろ相手は百戦錬磨。
うっかり口車に乗らないように、財布の中身はあらかじめ少なめにしておこう。
観光客相手のインドの商売人の常で、いくら支払っても、必ず「それでは少ない」と言ってくるのは分かっている。
最初に渡すのは、こちらの気持ちよりも少なめの金額にする必要がある。
と、そんなことを考えながら、東京駅についたのはちょうどお昼時だった。
丸の内中央改札を出て、行幸通りを二重橋のほうに向かう。
イチさんからの報告では、ターバン姿の「ヨギ・シン2」にはお昼の時間帯に二重橋に行けば会えるとあった。
企業が休みである土曜日に「彼」が「出勤」しているのかどうか分からないが、私にできるのは彼に会えることを祈ることだけだ。
だが、二重橋に近づいてみると、いつもの土曜日とはまるで様子が違うことに気がついた。
翌日に天皇陛下即位パレードを控え、道路上には数十メートルおきに警備の警察官が立っていた。
皇居に近づけば近づくほど警察官の数は増え、地下鉄二重橋駅の近くはほとんど数メートル間隔で警察官の姿がある。
と、そんなことを考えながら、東京駅についたのはちょうどお昼時だった。
丸の内中央改札を出て、行幸通りを二重橋のほうに向かう。
イチさんからの報告では、ターバン姿の「ヨギ・シン2」にはお昼の時間帯に二重橋に行けば会えるとあった。
企業が休みである土曜日に「彼」が「出勤」しているのかどうか分からないが、私にできるのは彼に会えることを祈ることだけだ。
だが、二重橋に近づいてみると、いつもの土曜日とはまるで様子が違うことに気がついた。
翌日に天皇陛下即位パレードを控え、道路上には数十メートルおきに警備の警察官が立っていた。
皇居に近づけば近づくほど警察官の数は増え、地下鉄二重橋駅の近くはほとんど数メートル間隔で警察官の姿がある。
こんな場所で外国人が怪しげな占いをしていれば、間違いなく不審に思われてしまうだろう。
さらに、この日は即位記念の祭典が行われており、各地から集まったかなりの数の祭半纏姿の男女が、皇居方面を目指して歩いていた。
端的に言うと、丸の内のビジネスマン相手に英語で占いを行ってきた「彼」の顧客にはあまりなりそうもない人たちばかりだ。
二重橋駅近辺を何度か往復してみたが、「彼」と思われる姿はなかった。
さらに、この日は即位記念の祭典が行われており、各地から集まったかなりの数の祭半纏姿の男女が、皇居方面を目指して歩いていた。
端的に言うと、丸の内のビジネスマン相手に英語で占いを行ってきた「彼」の顧客にはあまりなりそうもない人たちばかりだ。
二重橋駅近辺を何度か往復してみたが、「彼」と思われる姿はなかった。
ひょっとしたら今日も来たのかもしれないが、この状況を見て場所を変えたのかもしれない。
皇居のお堀に面した日比谷通りから1本離れ、歩行者天国になっている中通りも歩いてみたが、やはり「彼」の姿はない。
そしてここにも多くの警察官が配置されている。
ずっと同じ場所で警備をしている警察官に、このあたりで不思議な占いをしているインド人を見かけなかったか聞こうとしたが、やっぱりやめた。
国民的な大イベントを前に怪しいやつだと思われたらたまったものではないし、何より「彼」の情報を警察に伝えることで、「彼」の今後の商売を邪魔するようなことはしたくない。
皇居のお堀に面した日比谷通りから1本離れ、歩行者天国になっている中通りも歩いてみたが、やはり「彼」の姿はない。
そしてここにも多くの警察官が配置されている。
ずっと同じ場所で警備をしている警察官に、このあたりで不思議な占いをしているインド人を見かけなかったか聞こうとしたが、やっぱりやめた。
国民的な大イベントを前に怪しいやつだと思われたらたまったものではないし、何より「彼」の情報を警察に伝えることで、「彼」の今後の商売を邪魔するようなことはしたくない。
買い物客や祝典に向かう人々でごった返す丸の内エリアの全ての通りを回っても、「彼」の気配を見つけることはできず、今度は喧騒を避けて、丸の内の北側から大手町のエリアに向かうことにした。
丸善が入っているOAZOを越えると、人通りは一気に少なくなる。
皇居から離れるせいか警察官の姿も減り、お祭りに来た人々もいない。
人が多すぎる今日の丸の内では、道端で声をかけて占いを行うことは難しい。
「彼」が人気の少ない大手町エリアに場所を移し、休日出勤してきた数少ないビジネスマンを今日のターゲットすると考えても不思議ではない。
ここでも各ブロックを歩き回ってみたが、やはり「彼」の気配はなかった。
土曜日の大手町は、秋の日差しに輝くガラス張りのビルが墓標のように並び、首都高速の日陰になったベンチでホームレスが昼寝をしているだけだった。
残る希望はイチさんとNさんが「ヨギ・シン1」と遭遇した有楽町エリアだが、その前にひとつ確かめておきたいことがあった。
もし、二重橋付近で占いをしていた「ヨギ・シン2」が警備と喧騒を逃れて別の場所に行くとしたら、それは東京駅の反対側、皇居から離れた八重洲側ではないだろうか。
念のため、八重洲も捜索してみたい。
そう考えた私は、丸ノ内駅北口の東西自由通路を通って、八重洲側に出た。
ぴかぴかのオフィスビルや高級ショップが並ぶ丸の内側と比べて、居酒屋やカラオケが立ち並ぶ雑然とした雰囲気の八重洲は、いかにも怪しげな辻占がいそうなエリアだ。
碁盤の目状になっている区画をくまなく回る。
だが、やはりここにもインド人の姿はない。
八重洲まで来たついでに、日本橋まで足を伸ばしてみることにした。
高島屋や三越といった高級百貨店があるこのエリアは、土曜ともなればヨギ・シンにとって良い客筋の人々が多く集まってくる。
高級百貨店の周辺を中心に、歩いている人々に目をこらす。
だが、ここも空振り。
こうなったら、残されているのは2件の「ヨギ・シン」遭遇情報が寄せられた有楽町側に向かうしかない。
重点的に捜索すべきエリアは、2回の遭遇報告がある国際フォーラム周辺だ。
私は東京駅と有楽町の間の高架をくぐり、情報が寄せられた地点へと向かった。
「彼」が人気の少ない大手町エリアに場所を移し、休日出勤してきた数少ないビジネスマンを今日のターゲットすると考えても不思議ではない。
ここでも各ブロックを歩き回ってみたが、やはり「彼」の気配はなかった。
土曜日の大手町は、秋の日差しに輝くガラス張りのビルが墓標のように並び、首都高速の日陰になったベンチでホームレスが昼寝をしているだけだった。
残る希望はイチさんとNさんが「ヨギ・シン1」と遭遇した有楽町エリアだが、その前にひとつ確かめておきたいことがあった。
もし、二重橋付近で占いをしていた「ヨギ・シン2」が警備と喧騒を逃れて別の場所に行くとしたら、それは東京駅の反対側、皇居から離れた八重洲側ではないだろうか。
念のため、八重洲も捜索してみたい。
そう考えた私は、丸ノ内駅北口の東西自由通路を通って、八重洲側に出た。
ぴかぴかのオフィスビルや高級ショップが並ぶ丸の内側と比べて、居酒屋やカラオケが立ち並ぶ雑然とした雰囲気の八重洲は、いかにも怪しげな辻占がいそうなエリアだ。
碁盤の目状になっている区画をくまなく回る。
だが、やはりここにもインド人の姿はない。
八重洲まで来たついでに、日本橋まで足を伸ばしてみることにした。
高島屋や三越といった高級百貨店があるこのエリアは、土曜ともなればヨギ・シンにとって良い客筋の人々が多く集まってくる。
高級百貨店の周辺を中心に、歩いている人々に目をこらす。
だが、ここも空振り。
こうなったら、残されているのは2件の「ヨギ・シン」遭遇情報が寄せられた有楽町側に向かうしかない。
重点的に捜索すべきエリアは、2回の遭遇報告がある国際フォーラム周辺だ。
私は東京駅と有楽町の間の高架をくぐり、情報が寄せられた地点へと向かった。
傾きかけた日差しの中、国際フォーラム、ビックカメラ周辺のエリアを徹底捜索する。
国際フォーラムの中庭は、話をするのに最適のベンチも多く、とくに念入りに調べた。
ビックカメラには外国人観光客も多い。
彼らも「彼」の顧客になり得るだろう。
だが、ここにもインド人占い師の影も形もない。
有楽町駅の改札を出たところでは、ネルシャツにサングラス姿の中年の男が地べたに座り、フォークギターをかき鳴らしながら浜田省吾を熱唱していた。
しだいにむなしさが募ってくる。
国際フォーラムの中庭は、話をするのに最適のベンチも多く、とくに念入りに調べた。
ビックカメラには外国人観光客も多い。
彼らも「彼」の顧客になり得るだろう。
だが、ここにもインド人占い師の影も形もない。
有楽町駅の改札を出たところでは、ネルシャツにサングラス姿の中年の男が地べたに座り、フォークギターをかき鳴らしながら浜田省吾を熱唱していた。
しだいにむなしさが募ってくる。
目撃情報のあった全ての地点を捜索したが、彼の姿はいっさい無かった。
だが、これで帰るわけにはいかなかった。
最後にもう1箇所、どうしても見ておきたいところがある。
それは、銀座だ。
土日には歩行者天国が設けられ、デパートや高級ショップが連なる銀座であれば、通行者に声をかけやすく、客筋も良い。
外国人観光客も多いから、日本語が苦手な日本人だけをターゲットにすることもない。
もし、私が「彼」で土曜日も「仕事」をするとしたら、この近辺なら間違いなく銀座を選ぶ。
私は三たび線路をくぐり、銀座へと向かった。
並木通り、レンガ通り、ガス燈通り、そして広々とした歩行者天国になっている中央通り。
だが、これで帰るわけにはいかなかった。
最後にもう1箇所、どうしても見ておきたいところがある。
それは、銀座だ。
土日には歩行者天国が設けられ、デパートや高級ショップが連なる銀座であれば、通行者に声をかけやすく、客筋も良い。
外国人観光客も多いから、日本語が苦手な日本人だけをターゲットにすることもない。
もし、私が「彼」で土曜日も「仕事」をするとしたら、この近辺なら間違いなく銀座を選ぶ。
私は三たび線路をくぐり、銀座へと向かった。
並木通り、レンガ通り、ガス燈通り、そして広々とした歩行者天国になっている中央通り。
高級ブランド店を横目に、南北に長い銀座エリアを探索する。
さらに中央通りの東側の名前を知らない通りまで、目を凝らして歩き回ったが、占いをしているインド人の姿はどこにも見当たらなかった。
さすがに日が落ちてきたので、本日の捜索はここで終了。
帰宅前に、有楽町駅から国際フォーラムのエリアを改めて一周したが、やはり彼の姿はなかった。
すっかり暗くなった国際フォーラムの中庭では、大ホールへの入場を待つ大勢の人たちが列を作って並んでいる。
自分より年上の男女が多いが、何かコンサートがあるのだろう。
するとその行列から少し離れたところから、並んでいる人たちに向かって、昼間見かけたネルシャツにサングラス姿の男がギターをかき鳴らし、ハマショーの歌を歌っているのが目に入った。
そうか、今夜は国際フォーラムで浜田省吾のコンサートがあるのだ。
男は「悲しみは雪のように」を熱唱しているが、列に並んだ人々は見向きもしない。
そりゃそうだ。
これから本物を見るというのに、どこの誰とも分からない男が歌うハマショーを聴いてどうする。
だが、私はとてもこの男を笑う気にはなれなかった。
ハマショーファンは、彼に気づいても、誰も彼の歌を聴いてはいなかった。
さすがに日が落ちてきたので、本日の捜索はここで終了。
帰宅前に、有楽町駅から国際フォーラムのエリアを改めて一周したが、やはり彼の姿はなかった。
すっかり暗くなった国際フォーラムの中庭では、大ホールへの入場を待つ大勢の人たちが列を作って並んでいる。
自分より年上の男女が多いが、何かコンサートがあるのだろう。
するとその行列から少し離れたところから、並んでいる人たちに向かって、昼間見かけたネルシャツにサングラス姿の男がギターをかき鳴らし、ハマショーの歌を歌っているのが目に入った。
そうか、今夜は国際フォーラムで浜田省吾のコンサートがあるのだ。
男は「悲しみは雪のように」を熱唱しているが、列に並んだ人々は見向きもしない。
そりゃそうだ。
これから本物を見るというのに、どこの誰とも分からない男が歌うハマショーを聴いてどうする。
だが、私はとてもこの男を笑う気にはなれなかった。
ハマショーファンは、彼に気づいても、誰も彼の歌を聴いてはいなかった。
しかし、私はここまで歩き回ってヨギ・シンを探しているのに、「彼」気づかれてすらいないのだから。
こうして土曜日の捜索が終わった。
スマホに入っている歩数計のアプリは、2万6千歩を超える数値を示していた。
さすがにくたびれた。
こうして土曜日の捜索が終わった。
スマホに入っている歩数計のアプリは、2万6千歩を超える数値を示していた。
さすがにくたびれた。
へとへとになって家に帰り、スマホを開くと、そこにはFacebookに新たな遭遇報告が寄せられていた。
「TKさん」からの報告は、またしてもすぐ近くのエリアからのものだった。
私も昨日遭遇しました。-----夕方、日比谷駅から銀座に向かうところ、日生劇場の前でスーツの外国の方(おそらくインド?)と目が合う。道迷ったかな?と思ったら、「キミの顔から良いエネルギーがでてる」「来年の一月、キミは仕事で昇進するよ」と言われ、(そこで怪しいと思えばよかったのですが)突然彼はメモを書き、クシャクシャにして僕に手渡しました。「好きな色は?」「うーん、黒かな?赤かな?」「ひとつに決めて」「じゃ、赤」「好きな数字は?」「うーん、9かなぁ、、」彼はまたメモにサラサラと書き、「いまキミが望むことは?」「家族の幸せ」「キミの手元のクシャクシャのメモと、いま私が書いたメモが一緒だったら、その夢は叶うよ」と言われ開いてみると、、なんと「Red」「9」と書いてある!!と思ったら、最後に「金くれ」「いやいや、小銭じゃなくてペパーマネーだよ」「1000円じゃなくて、3000円」と言われ、1000円だけ渡して去りました。。
昨日のことというから、前回の記事で書いた「Nさん」の報告と同じ金曜日のことだ。
日生劇場前というのは、これまでの目撃地点ではもっとも南側だが、やはりこれまで報告のある丸の内、有楽町からの徒歩圏内。
帝国ホテルにも近く、やはり「上客」が見込める場所だ。
やはり、「彼」は確実にこのエリアを徘徊しているのだ。
時間さえあれば、いつか必ず会える。
一夜明けて、日曜日。
さすがに昨日の疲れが残っているので、今日は家でゆっくり休むことにする。
この土日は警察官も多いし、「彼」の顧客になりそうなビジネスマンは少ない。
きっと「彼」も休日にしているのだろう。
「会えなかった」というネタで1本書くのもしんどいな、と思っていると、ブログに新しいコメントが寄せられた。
「みょ」さんという方からのコメントは、またしても心拍数が高まるようなものだった。
日生劇場前というのは、これまでの目撃地点ではもっとも南側だが、やはりこれまで報告のある丸の内、有楽町からの徒歩圏内。
帝国ホテルにも近く、やはり「上客」が見込める場所だ。
やはり、「彼」は確実にこのエリアを徘徊しているのだ。
時間さえあれば、いつか必ず会える。
一夜明けて、日曜日。
さすがに昨日の疲れが残っているので、今日は家でゆっくり休むことにする。
この土日は警察官も多いし、「彼」の顧客になりそうなビジネスマンは少ない。
きっと「彼」も休日にしているのだろう。
「会えなかった」というネタで1本書くのもしんどいな、と思っていると、ブログに新しいコメントが寄せられた。
「みょ」さんという方からのコメントは、またしても心拍数が高まるようなものだった。
はじめまして。一時間ほど前にその方に突然占われ?ました。大手町のみずほビルのあたりです。最後に黒い石を渡されたのが印象的でした。
たった1時間前の遭遇報告だ!
今日は休日。
私は慌てて身支度を整えると、再び大手町に向かった。
東京駅に到着した頃には、即位パレードは終了していたが、それでも多くの警察官が警備にあたっていた。
丸の内北口改札から、大手町へ。
ついさっきまで、ここに「彼」がいたのだと思うと、高揚感と緊張感で自然と背筋が伸びる。
たぶん顔からエネルギーも出ているはずだ。
今日は休日。
私は慌てて身支度を整えると、再び大手町に向かった。
東京駅に到着した頃には、即位パレードは終了していたが、それでも多くの警察官が警備にあたっていた。
丸の内北口改札から、大手町へ。
ついさっきまで、ここに「彼」がいたのだと思うと、高揚感と緊張感で自然と背筋が伸びる。
たぶん顔からエネルギーも出ているはずだ。
ほどなくしてみずほ銀行本店が入る大手町タワーに到着。
まずは周囲に目をこらしながら、敷地周辺の歩道を一周する。
「彼」の姿はない。
ビルの警備員が外に立っていたので、怪しまれないように、待ち合わせを装って「このあたりで50歳くらいのインド人の姿を見かけなかったか」と聞いてみたが、記憶にないとのこと。
周囲の歩道をもう一周。
さらに、隣接する大手町ファーストスクエアとの間にある中庭のようなスペースも歩いて見たが、やはり「彼」はいない。
「みょ」さんの遭遇から報告まで1時間。
さらに、私の到着までにもう1時間くらい経過している。
さすがに「彼」もずっとここにとどまってはいないのだろう。
捜索する区画を1ブロックずつ広げてみるが、やはり彼の姿はない。
最後にもう一度、目撃情報頻発地帯である国際フォーラム周辺を捜索したが、手がかりなし。
TKさんからの報告のあった日生劇場前も確認してみたかったが、あいにくとっぷりと日が落ち、とても外で手品ができる明るさではなくなってきたので、本日も捜索終了。
またしても会えなかった。
国際フォーラムの近くに、なぜか今日も浜田省吾の弾き語りをしていた男がいて、仲間と談笑していた。
今日はハマショーのコンサートは無いだろうに、まだいたのか、と思ったが、自分のやっていることを考えると、やはり彼をバカにする気持ちにはなれなかった。
好きなアーティストの歌を気持ちよく歌っている彼と、得体の知れないインド人を探して土日を無駄にし、歩き疲れて疲労困憊の自分、どっちがバカかは考えるまでもなく明らかだからだ。
有楽町駅から電車に乗り、Spotifyで浜田省吾を聴きながら家路についた。
疲れ切った心と体に、ハマショーの歌声が沁みた。
(つづく)
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まずは周囲に目をこらしながら、敷地周辺の歩道を一周する。
「彼」の姿はない。
ビルの警備員が外に立っていたので、怪しまれないように、待ち合わせを装って「このあたりで50歳くらいのインド人の姿を見かけなかったか」と聞いてみたが、記憶にないとのこと。
周囲の歩道をもう一周。
さらに、隣接する大手町ファーストスクエアとの間にある中庭のようなスペースも歩いて見たが、やはり「彼」はいない。
「みょ」さんの遭遇から報告まで1時間。
さらに、私の到着までにもう1時間くらい経過している。
さすがに「彼」もずっとここにとどまってはいないのだろう。
捜索する区画を1ブロックずつ広げてみるが、やはり彼の姿はない。
最後にもう一度、目撃情報頻発地帯である国際フォーラム周辺を捜索したが、手がかりなし。
TKさんからの報告のあった日生劇場前も確認してみたかったが、あいにくとっぷりと日が落ち、とても外で手品ができる明るさではなくなってきたので、本日も捜索終了。
またしても会えなかった。
国際フォーラムの近くに、なぜか今日も浜田省吾の弾き語りをしていた男がいて、仲間と談笑していた。
今日はハマショーのコンサートは無いだろうに、まだいたのか、と思ったが、自分のやっていることを考えると、やはり彼をバカにする気持ちにはなれなかった。
好きなアーティストの歌を気持ちよく歌っている彼と、得体の知れないインド人を探して土日を無駄にし、歩き疲れて疲労困憊の自分、どっちがバカかは考えるまでもなく明らかだからだ。
有楽町駅から電車に乗り、Spotifyで浜田省吾を聴きながら家路についた。
疲れ切った心と体に、ハマショーの歌声が沁みた。
(つづく)
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goshimasayama18 at 06:58|Permalink│Comments(2)
2019年11月10日
あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?
「あのヨギ・シンがついに来日」と言っても、この弱小ブログをかなり前から熱心に読んでいただいている方以外は、知らない人がほとんどだろう
だが、ヨギ・シンは、私にとってはU2より、レディー・ガガよりも来日が待たれていた「伝説のインド人」なのだ。
ヨギ・シンは100年近く前から世界中でその存在が報告されているインド人の占い師だ。
シク教徒と思われる「彼」は、東南アジア、オセアニア、北米、ヨーロッパ、そしてもちろんインドなど、さまざまな地域で、手品のような不思議なテクニックを使い、人の心の中を的中させて、その対価としてお金を払わせてゆく。
その時代背景や出現地域の多彩さから考えると、どうやらこの奇妙な占いを生業にしているシク教徒の国際的なグループがいるようなのである。
「彼」については以前ブログにその正体の推測を含めてかなり詳しく書いたので、興味を持った方はぜひこちらを読んでいただきたい。
詐欺師まがいと言ってしまえばそれまでだが、神出鬼没で巧みなトリックと話術を使う「彼」の存在は好奇心を駆り立ててやまない。
ヨギ・シンの出現地域はおもに英語が通じる地域に限られており、私の知る限り、ここ日本ではこれまでに「彼」との遭遇が報告されたことはなかった。
「彼」とじかに会って、その不思議な技術をまぢかで見ること、そして「彼」らについて詳しく話を聞くことは、私の悲願の一つだった。
ヨギ・シンの記事を書いてから1年が経とうとしていた2019年11月6日。
事態は大きく動き始める。
ヨギ・シンの記事は、2018年の11月に、ブログの100本目の記念として書いたものだったが、この古い記事に「イチさん」という方から、こんなコメントがついたのだ。
なんということだろう。
あの「彼」が東京にいるというのだ!
私はにわかには信じられなかった。
「彼」に会う願ってもいないチャンスだが、ブログのコメントには、イチさんの連絡先情報は何も書かれておらず、こちらからコンタクトを取ることはできない。
私はイチさんが読んでくれることを祈りつつ、コメント欄にもっと詳しい情報を知りたいという旨の返信を書いた。
すると翌日、イチさんが、詳細な遭遇の様子を報告してくれた。
おそらく、これが日本初のヨギ・シン遭遇記である。
つづきはこちら
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だが、ヨギ・シンは、私にとってはU2より、レディー・ガガよりも来日が待たれていた「伝説のインド人」なのだ。
ヨギ・シンは100年近く前から世界中でその存在が報告されているインド人の占い師だ。
シク教徒と思われる「彼」は、東南アジア、オセアニア、北米、ヨーロッパ、そしてもちろんインドなど、さまざまな地域で、手品のような不思議なテクニックを使い、人の心の中を的中させて、その対価としてお金を払わせてゆく。
その時代背景や出現地域の多彩さから考えると、どうやらこの奇妙な占いを生業にしているシク教徒の国際的なグループがいるようなのである。
「彼」については以前ブログにその正体の推測を含めてかなり詳しく書いたので、興味を持った方はぜひこちらを読んでいただきたい。
詐欺師まがいと言ってしまえばそれまでだが、神出鬼没で巧みなトリックと話術を使う「彼」の存在は好奇心を駆り立ててやまない。
ヨギ・シンの出現地域はおもに英語が通じる地域に限られており、私の知る限り、ここ日本ではこれまでに「彼」との遭遇が報告されたことはなかった。
「彼」とじかに会って、その不思議な技術をまぢかで見ること、そして「彼」らについて詳しく話を聞くことは、私の悲願の一つだった。
ヨギ・シンの記事を書いてから1年が経とうとしていた2019年11月6日。
事態は大きく動き始める。
ヨギ・シンの記事は、2018年の11月に、ブログの100本目の記念として書いたものだったが、この古い記事に「イチさん」という方から、こんなコメントがついたのだ。
短いながらも、衝撃的な言葉が並んでいる。いま東京丸の内で会いました。丸めた黄色い紙を使っていました。8000円支払いました。あの人は何者だろうとググってここに辿り着きました。
なんということだろう。
あの「彼」が東京にいるというのだ!
私はにわかには信じられなかった。
「彼」に会う願ってもいないチャンスだが、ブログのコメントには、イチさんの連絡先情報は何も書かれておらず、こちらからコンタクトを取ることはできない。
私はイチさんが読んでくれることを祈りつつ、コメント欄にもっと詳しい情報を知りたいという旨の返信を書いた。
すると翌日、イチさんが、詳細な遭遇の様子を報告してくれた。
おそらく、これが日本初のヨギ・シン遭遇記である。
昨日(11月6日)13時30分ごろ、私は友人と東京駅の近くでランチを済ませた後、リモコンの電池を買うために有楽町ビックカメラに行き、それから職場(丸の内)に戻ろうと国際フォーラムの横を歩いていると、50歳くらいのスーツを着たインド人にexcuse meと呼び止められました。私は道でも訊かれるのだろうと思ったところ、「あなたの眉間からエナジーが溢れている、正直な人だ、でもネガティブに考えると事態は悪い方に行く、ポジティブに考えるように」とアドバイスを受けました。私は転職したてなので貴重なアドバイスだと思って、感謝を伝えると、彼はパンジャブ出身であり、ヨガを勉強していると話してくれました。何を今成し遂げたいか、と訊かれたので転職したてなので新しい仕事でうまく行くと好いと思っている旨話すと、彼は黄色い小さい紙を黒革の財布から取り出し、何か書いて丸め、私に握らせました。そして彼はブルー以外で私の好きな色を尋ね、また10から20までの数字で好きな数字を選ぶように云いました。私はイエローかグリーン、祖母の命日の13、と答えると、彼は色は一つを選べ、と云いました。私はグリーンと答えました。
パンジャーブ出身。ヨガをしている。
「彼」に間違いない。
シク教徒はパンジャーブ州に多く、「ヨギ」とはヨガ行者を意味する言葉だ。
「あなたはラッキーな顔をしている」ではなく、「あなたの眉間からエナジーが溢れている」云々という言葉や、ブルー以外で好きな色を選ばせるということ、10〜20という条件のなかで好きな数字を選ばせるというのは新しいパターンだ。
私は高鳴る鼓動を感じながら、イチさんからの報告を読み進めた。
「彼」に間違いない。
シク教徒はパンジャーブ州に多く、「ヨギ」とはヨガ行者を意味する言葉だ。
「あなたはラッキーな顔をしている」ではなく、「あなたの眉間からエナジーが溢れている」云々という言葉や、ブルー以外で好きな色を選ばせるということ、10〜20という条件のなかで好きな数字を選ばせるというのは新しいパターンだ。
私は高鳴る鼓動を感じながら、イチさんからの報告を読み進めた。
彼は私の手から丸めた紙を取ると、それを開き、そこにはgreen 13と書かれていました。何が起こるのか予測していなかったので、私はそこにすり替えの余地があったのか確認はしていませんでしたし、彼の動作を正確には記憶していません。私が驚くと彼は黒革の財布をひろげ、そこには古い写真や多数の黄色い紙など入っていましたが、そこにお金を入れるように私に言いました。彼はバンクーバーに行かねばならないのでその為だと云っていました。私はズボンの後ろポケットに手を入れ、ランチで一万円札で払ったお釣りの紙幣のうち、いちばん外側にあった5千円札を彼の財布に入れました。触ったのが千円札ならよかったのに、と少し後悔しました。彼は次に私のパートナーの頭文字を云うよう命じました。私はWと答えました。妻は中国系アメリカ人であり本名では頭文字はSだったので、私は本名か通名かで違うと云うと、彼は「そうだろう、本名を云いなさい、だから混乱したんだ」と云いました。実は私の妻は今年7月に他界しており、私はその旨彼に伝えると、そうか、彼女は現世に未練があり、まだここにいる、と云いました。彼は、私にはMの頭文字の女性二人が現れ、一人は悪い方に、もう一人は良い方に私に作用する、と云いました。一人は何となく心当たりがあるといえばありますが、良い方か悪い方かは見当つきません。彼はこれらの会話中もずっと小さな紙にメモを取ったりしており、そのうち一枚の紙を丸めて私に握らせました。私は14時15分から会議があったので、そろそろ行かねばならないと彼に伝えると、彼は予め書いてあった10項目の願望の中から重要なものを3つ選べ、あと3つの花の名前から好きなものを選べ、と云い、私は仕事の成功、家族の平安、子供の幸せ、あとroseを選ぶと彼は私が握っていた紙を開くように、と云いました。そこにはrose 2と書いてあり、彼はその2は子供の数だ、と云いました。この時は絶対にすり替えが起こらないよう、私は手の中の紙に注意を払っていました。(子供は2人です)私は会議に行かねばならなかったので、礼を云ってそこを去ろうとすると、彼はバンクーバーに行かねばならないので3万円払え、このお金は将来、何倍にもなって私に返ってくる、と云いました。私は3万円も持ってないと答えると、そんな筈はないと彼は云いました。(実は定期入れの中に2万円くらい入っていました)面倒だった私は、ランチのお釣りの8千円のうち、残りの3千円を彼の黒革の財布に入れると、彼は自分の顔を覚えておくように、と云い、少し見つめ合った後、彼はそこを去りました。私は14時15分からの会議の後、似た経験のある人はいないか調べたくなり、ネットで検索して貴ページに辿り着いたものです。占い詐欺だったのかもしれませんが、日本において英語であの遣り取りをするのは決して容易ではないと思われ、割には合わないと思います。以上、ご参考になれば。
なんという興味深い報告だろう。
読み終わった私は興奮を抑えることができなかった。
いつもながらの鮮やかな手口も見過ごせないが、何よりも「彼」が日本向けにその話術をアレンジしてきていることに興味を惹かれた。
海外の事例では、自分の所属する教団や慈善団体への寄付としてお金を請求するパターンが多いようだが、今回は「バンクーバーに行かねばならないので3万円払え、このお金は将来、何倍にもなって返ってくる」 と発言している。
寄付文化が一般的でない日本では、馴染みのない団体への寄付を募るよりも、単純に困っていることを訴えた方が効果的だろう。
それに、「このお金は将来何倍にもなって返ってくる」という言葉もよく考えられている。
このフレーズには、現世利益的であるだけではなく、言外に金銭に対する超自然的な力を持っていることを匂わせ「もし払わなかったらこの何倍もの経済的損失があるかもしれない」という感情を起こさせる。
あくまでも聞き手が勝手に思うことであって、まったく脅迫めいたことは言っていないというのもポイントだ。
さらに言えば、丸の内という場所のセレクトも的確である。
イチさんも指摘している通り、英語で占いを行うヨギ・シンは、英会話が苦手な人が多い日本では、なかなか商売を行うことは難しいだろう。
東京が国際的な大都市でありながらも、これまで「彼」との遭遇が報告されてこなかったのは、物価の高さ(最近はそうでもないようだが)や、彼の拠点となるパンジャーブ人コミュニティーが発展していないためだけでなく、「英語があまり通じない」という理由があったからではないかと思う。
ところが、大企業の多い丸の内なら、国際的なビジネスマンも多く、占いだけでなくスピリチュアルな内容の会話にも応じられる高い英語力が期待できる。
裕福な人も多いだろうから、丸の内は彼らにとって、東京のなかでもかなり「客筋が良い」街と言えるだろう。
渋谷や新宿ほどごみごみしておらず、声をかけるのに適度なスペースがあるのも良い。
イチさんの報告を最初に読んだ時、占い師なのに伝統的な格好ではなくスーツ姿だというのを意外に感じたが、この街に溶け込み、怪しまれないためにはスーツ姿が最適だ。
ヨギ・シンはここ日本でも高い情報収拾能力と適応力を発揮しているようだ。
在日パンジャーブ人コミュニティーとも繋がっているのだろうか。
イチさんからの報告を読んで、私は一刻も早く丸の内に行きたくて仕方がなかった。
お昼時に改めてお礼を書き込むと、イチさんからさらなる驚くべきコメントがあった。
読み終わった私は興奮を抑えることができなかった。
いつもながらの鮮やかな手口も見過ごせないが、何よりも「彼」が日本向けにその話術をアレンジしてきていることに興味を惹かれた。
海外の事例では、自分の所属する教団や慈善団体への寄付としてお金を請求するパターンが多いようだが、今回は「バンクーバーに行かねばならないので3万円払え、このお金は将来、何倍にもなって返ってくる」 と発言している。
寄付文化が一般的でない日本では、馴染みのない団体への寄付を募るよりも、単純に困っていることを訴えた方が効果的だろう。
それに、「このお金は将来何倍にもなって返ってくる」という言葉もよく考えられている。
このフレーズには、現世利益的であるだけではなく、言外に金銭に対する超自然的な力を持っていることを匂わせ「もし払わなかったらこの何倍もの経済的損失があるかもしれない」という感情を起こさせる。
あくまでも聞き手が勝手に思うことであって、まったく脅迫めいたことは言っていないというのもポイントだ。
さらに言えば、丸の内という場所のセレクトも的確である。
イチさんも指摘している通り、英語で占いを行うヨギ・シンは、英会話が苦手な人が多い日本では、なかなか商売を行うことは難しいだろう。
東京が国際的な大都市でありながらも、これまで「彼」との遭遇が報告されてこなかったのは、物価の高さ(最近はそうでもないようだが)や、彼の拠点となるパンジャーブ人コミュニティーが発展していないためだけでなく、「英語があまり通じない」という理由があったからではないかと思う。
ところが、大企業の多い丸の内なら、国際的なビジネスマンも多く、占いだけでなくスピリチュアルな内容の会話にも応じられる高い英語力が期待できる。
裕福な人も多いだろうから、丸の内は彼らにとって、東京のなかでもかなり「客筋が良い」街と言えるだろう。
渋谷や新宿ほどごみごみしておらず、声をかけるのに適度なスペースがあるのも良い。
イチさんの報告を最初に読んだ時、占い師なのに伝統的な格好ではなくスーツ姿だというのを意外に感じたが、この街に溶け込み、怪しまれないためにはスーツ姿が最適だ。
ヨギ・シンはここ日本でも高い情報収拾能力と適応力を発揮しているようだ。
在日パンジャーブ人コミュニティーとも繋がっているのだろうか。
イチさんからの報告を読んで、私は一刻も早く丸の内に行きたくて仕方がなかった。
お昼時に改めてお礼を書き込むと、イチさんからさらなる驚くべきコメントがあった。
実は私はインドとは縁浅からぬものがあり、大学の卒業旅行はインド、仕事もインドと深い関わりがあったこともあり、数年前にはインド人に騙されて、相当に嫌な思いをしたこともあります。アガスティアの葉を自身で経験したインド駐在員からは、あれは絶対に本物だ、と、そう信じるべき理由も含め聞いたこともあり、今回のことはどう理解すべきか正直迷っています。あの人通りの中から、私を見つけて話しかけて来た、あのインド人、まったくの偶然とも思えないのですよ。
と書き込んで、オフィスに戻る途中、私が会ったインド人とは別のターバン巻いたインド人が、インド人の通行人に例の占いをしてるのを発見しました。写真撮りました。よかったら二重橋前に昼に来れば会えますよ!ということで、やはりインチキだった模様。写真のターバンの人物は、私の八千円とは違う人物です。このターゲットのインド人はこの後、走って逃げてました。
なんと、おそらく日本で初めてであろうヨギ・シンとの遭遇報告だけでなく、「彼」の写真も撮影したというのだ。
しかも、「彼」は一人ではなかった。
イチさんが前日に出会った50歳くらいの男と、それとは別のターバンの男の、少なくとも2人が東京に来ている!
仮に、イチさんが出会ったほうを「ヨギ・シン1」、ターバンのほうを「ヨギ・シン2」と呼ぶことにする。
タフなネゴシエーションをすることで知られるインド人が走って逃げ出したということにも、ただならぬものを感じる。
世界中の報告事例(おもにインド人以外によるものが多い)では、「彼」らから暴力や脅迫めいた気配を感じたとされるものはなかった。
逃げ出したインド人は、「彼」から、同じ文化圏で育った者だけが感じられる何か超自然的な脅威を感じたのだろうか。(ただ急いでいただけの可能性もあるが)
これが、イチさんが撮影に成功した「ヨギ・シン2」の写真である。
右側がインド人を相手に占いを行なっている「ヨギ・シン2」だ。
ターバンを巻いたスーツ姿の男性のヒゲには白髪が多く、少なくとも50歳は超えているように思える。
ターバンは言うまでもなくシク教徒のシンボルで、彼がまぎれもなく「ヨギ・シン」であることの証明だ。
(最近はターバンを巻かないシクの男性も多いので、「ヨギ・シン1」がシク教徒でないということにはならない)
よく見ると、財布のようなものを手にして、2枚目ではペンを持っているのが分かる。
これは、イチさんのコメントにある「古い写真や多数の黄色い紙」 が入っていたという財布と同じものだろう。
2枚目のペンは、「彼はこれらの会話中もずっと小さな紙にメモを取ったりしており」という報告と合致する。
2枚目の写真は、もとの画像をかなり拡大したものなのだが、2枚とも絶妙な角度や粗さで「彼」の顔をうかがい知ることができない。
このミステリアスさがさらなる好奇心を刺激する。
(念のためお伝えしておくと、イチさんからは顔に目線を入れることを勧められたのだが、角度や画質から明確に個人を特定できるものではないと判断して、「彼」と思われる人物についてはそのまま掲載することにした)
イチさんは「やはりインチキだった模様」と書いているが、これを完全に「インチキ」と呼んでよいのかどうか、私には判断できない。
ご夫人を亡くし、転職したばかりの局面で、これまで様々な縁があったインドの占い師に偶然声をかけられたイチさんが、そこに何かを感じたということも、その直後に別の占い師が同じトリックをしているのを見かけてやはりインチキだと思ったということも、十分に理解できる。
心の中を紙に書いて的中させるトリックは、同じことをマジシャンがやっているのを見たことがあるので、なんらかのテクニックを使えばできることなのだろう。
だが、だからといって彼をインチキだと言ってしまったら、科学的な根拠のない占いは、全て詐欺ということになってしまう。
あのサイババも、彼が手からビブーティー(聖灰)を出すトリックを暴いた映像が公開されたことがあったが、それでも彼のことを崇拝する信者が減ったようには思えない。
もし、「彼」がトリックを使って人を騙し、お金を取ることしか考えていなかったとしても、「彼」のテクニックや話術には、人の心に強い印象を残す、極めて洗練された何かがあることは間違いない。
「真実」ではないかもしれないが、完全に「偽り」だと言うことができない領域に、ヨギ・シンはいる。
それは例えば、プロレスが純粋な格闘技ではないとしても、それでもなお、そこには見る人の心を強く動かす何かがあるというのと、よく似ている。
イチさんが「ヨギ・シン1」と遭遇したのが水曜日、「ヨギ・シン2」を目撃したのが木曜日だ。
この時点で、私は週末になったら丸の内にヨギ・シンを探しに行くことを決意していた。
かみさんは訳のわからないインド人にうつつを抜かす私を不気味そうに見ているが、構うことはない。
長年の間、ずっと会いたかった「彼」、いつどこに行けば会えるのかけっして分からなかった「彼」、そして、日本に来ることはまずないだろうと思っていた「彼」が東京に来ているのだ。
こんなチャンスは二度とない。
そして、ヨギ・シン捜索を翌日に控えた金曜日には、Facebookのページに、また別の方からこんなコメントが寄せられた。
しかも、「彼」は一人ではなかった。
イチさんが前日に出会った50歳くらいの男と、それとは別のターバンの男の、少なくとも2人が東京に来ている!
仮に、イチさんが出会ったほうを「ヨギ・シン1」、ターバンのほうを「ヨギ・シン2」と呼ぶことにする。
タフなネゴシエーションをすることで知られるインド人が走って逃げ出したということにも、ただならぬものを感じる。
世界中の報告事例(おもにインド人以外によるものが多い)では、「彼」らから暴力や脅迫めいた気配を感じたとされるものはなかった。
逃げ出したインド人は、「彼」から、同じ文化圏で育った者だけが感じられる何か超自然的な脅威を感じたのだろうか。(ただ急いでいただけの可能性もあるが)
これが、イチさんが撮影に成功した「ヨギ・シン2」の写真である。
右側がインド人を相手に占いを行なっている「ヨギ・シン2」だ。
ターバンを巻いたスーツ姿の男性のヒゲには白髪が多く、少なくとも50歳は超えているように思える。
ターバンは言うまでもなくシク教徒のシンボルで、彼がまぎれもなく「ヨギ・シン」であることの証明だ。
(最近はターバンを巻かないシクの男性も多いので、「ヨギ・シン1」がシク教徒でないということにはならない)
よく見ると、財布のようなものを手にして、2枚目ではペンを持っているのが分かる。
これは、イチさんのコメントにある「古い写真や多数の黄色い紙」 が入っていたという財布と同じものだろう。
2枚目のペンは、「彼はこれらの会話中もずっと小さな紙にメモを取ったりしており」という報告と合致する。
2枚目の写真は、もとの画像をかなり拡大したものなのだが、2枚とも絶妙な角度や粗さで「彼」の顔をうかがい知ることができない。
このミステリアスさがさらなる好奇心を刺激する。
(念のためお伝えしておくと、イチさんからは顔に目線を入れることを勧められたのだが、角度や画質から明確に個人を特定できるものではないと判断して、「彼」と思われる人物についてはそのまま掲載することにした)
イチさんは「やはりインチキだった模様」と書いているが、これを完全に「インチキ」と呼んでよいのかどうか、私には判断できない。
ご夫人を亡くし、転職したばかりの局面で、これまで様々な縁があったインドの占い師に偶然声をかけられたイチさんが、そこに何かを感じたということも、その直後に別の占い師が同じトリックをしているのを見かけてやはりインチキだと思ったということも、十分に理解できる。
心の中を紙に書いて的中させるトリックは、同じことをマジシャンがやっているのを見たことがあるので、なんらかのテクニックを使えばできることなのだろう。
だが、だからといって彼をインチキだと言ってしまったら、科学的な根拠のない占いは、全て詐欺ということになってしまう。
あのサイババも、彼が手からビブーティー(聖灰)を出すトリックを暴いた映像が公開されたことがあったが、それでも彼のことを崇拝する信者が減ったようには思えない。
もし、「彼」がトリックを使って人を騙し、お金を取ることしか考えていなかったとしても、「彼」のテクニックや話術には、人の心に強い印象を残す、極めて洗練された何かがあることは間違いない。
「真実」ではないかもしれないが、完全に「偽り」だと言うことができない領域に、ヨギ・シンはいる。
それは例えば、プロレスが純粋な格闘技ではないとしても、それでもなお、そこには見る人の心を強く動かす何かがあるというのと、よく似ている。
イチさんが「ヨギ・シン1」と遭遇したのが水曜日、「ヨギ・シン2」を目撃したのが木曜日だ。
この時点で、私は週末になったら丸の内にヨギ・シンを探しに行くことを決意していた。
かみさんは訳のわからないインド人にうつつを抜かす私を不気味そうに見ているが、構うことはない。
長年の間、ずっと会いたかった「彼」、いつどこに行けば会えるのかけっして分からなかった「彼」、そして、日本に来ることはまずないだろうと思っていた「彼」が東京に来ているのだ。
こんなチャンスは二度とない。
そして、ヨギ・シン捜索を翌日に控えた金曜日には、Facebookのページに、また別の方からこんなコメントが寄せられた。
一時間前、有楽町で話しかけられました。私も、話しかけられた後気になり、ブログにたどり着きました。コメントされていた方と同じく、スーツのインド人でした。話された内容もコメントの方と同じく片方の女性はどうのとの内容で、ラッキーナンバーと好きな色を聞かれ、当てられました。手品としても価値があったと思い、1000円渡したところ、5000円欲しい!と言われ、結局断り握手して帰りました。帰り道、財布を見てみると、現金の所持金がちょうど渡したのも含めて5000円だったので驚きました。危険な感じは全くありませんでした。メンタリストダイゴとかテレビで見ててやらせだろとか思っていたので、実際自分が当てられてびっくりしています。ブログを拝見して、もっと真剣に聞いてみれば良かったと後悔しております。是非体験してみてください。その際はup 楽しみにしてます。ちなみに国際フォーラム出入口、グレーのスーツです。
「ヨギ・シン1」と思われる人物との遭遇レポートだ!
「片方の女性はどうの」というのは、イチさんの報告にあった「Mの頭文字の女性二人が現れ、一人は悪い方に、もう一人は良い方に私に作用する」と同じ言葉だろう。
国籍を問わず、Mから始まる名前は多い。
これも誰にでも当てはまる、じつによくできた名文句だ。
「彼」はイチさんに対しても、今回報告してくれたNさんに対しても、所持金をほぼぴたりと当てている。
最初に5,000円を出したイチさんには30,000円といい、1,000円を出したNさんには5,000円と言っているから、最初に出した金額の5〜6倍を言うことにしているのだろうが、これを瞬時に自然に言えるということは、この「彼」がかなり話術に長けているということがうかがえる。
Nさんがコメントしてくれた時刻から考えると、「彼」との遭遇は金曜日の午後4時から5時くらいの時間帯だったようだ。
「彼」らが丸の内から有楽町のエリアで、水、木、金と3日間にわたって活動をしていたことは間違いない。
「彼」は確実に東京にいる。
待ってろよ、ヨギ・シン。
(つづく)
「片方の女性はどうの」というのは、イチさんの報告にあった「Mの頭文字の女性二人が現れ、一人は悪い方に、もう一人は良い方に私に作用する」と同じ言葉だろう。
国籍を問わず、Mから始まる名前は多い。
これも誰にでも当てはまる、じつによくできた名文句だ。
「彼」はイチさんに対しても、今回報告してくれたNさんに対しても、所持金をほぼぴたりと当てている。
最初に5,000円を出したイチさんには30,000円といい、1,000円を出したNさんには5,000円と言っているから、最初に出した金額の5〜6倍を言うことにしているのだろうが、これを瞬時に自然に言えるということは、この「彼」がかなり話術に長けているということがうかがえる。
Nさんがコメントしてくれた時刻から考えると、「彼」との遭遇は金曜日の午後4時から5時くらいの時間帯だったようだ。
「彼」らが丸の内から有楽町のエリアで、水、木、金と3日間にわたって活動をしていたことは間違いない。
「彼」は確実に東京にいる。
待ってろよ、ヨギ・シン。
(つづく)
つづきはこちら
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goshimasayama18 at 14:07|Permalink│Comments(21)
2018年11月13日
(100回記念企画)謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体
前回のあらすじ:
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説。
1990年代のバンコク、カオサン。
2010年代のロンドン。
あらゆる場所に出没する謎のインド人占い師の情報が、さまざまな国の本や新聞、そしてインターネットで報告されていた。
調べてみると、「彼」は他にもカナダやオーストラリアやマレーシアなど、世界中のあらゆる場所に出没しているようだ。
「彼」の手口は、手品のようなトリックを使って人の心の中を的中させては、金品を巻き上げるというもの。
時代や場所が変わっても、全く同じ手口が報告されていた。
シク教徒のようなターバンを巻いたいでたちで現れ、ときに「ヨギ・シン(Yogi Singh)」と名乗る「彼」。
まるでタイムトラベラーのような「彼」はいったい何者なのか。
複数のインド人に聞いても、その正体を知るものはいなかった。
「彼」の存在に気づいた世界中の人々が不思議に思っているが、誰もその答えは分からない。
私はシク教徒のなかに、そのような占いを生業にする集団がいるのではないかと考えたが…。
(続き)
「彼」の正体はひょんなことからあっけなく判明した。
大谷幸三氏の『インド通』という本(白水社)に、その正体が書かれていたのだ。
ノンフィクション作家で漫画原作者でもある大谷氏は、1960年代から70回以上もインドに通い、元マハラジャから軍の要人まで多彩な知己のいる、まさにインド通。
この本の「クトゥブの予言者」という章に、「彼」の正体と思われる答えが書かれていた。
このエピソードもまた、思い出話から始まる。
それは彼が2度目にインドを訪れた時の話。舞台はデリーだ。
大谷氏が郊外の遺跡「クトゥブ・ミーナール」を訪れた時のこと。
クトゥブ・ミーナールは、いまでは観光客で賑わう遺跡だが、当時は人気もまばらな場所だった。
そこで、大谷氏は予言者だという白髭に長髪姿の老人に声をかけられた。
老人は唐突に大谷氏の家の庭にある松の木の本数を的中させ驚かせると、こう不吉な予言を言い残した。
「お前は人生のうちに、三十二度インドへ帰ってくるであろう。このインドの天と地の間で、お前は名声と富を得るだろう。そして、三十二度目のインドで死ぬであろう」
この謎の預言者が「彼」なのではない。
話は続く。
インドに魅せられた大谷氏は、予言通りにその後何度もインドを訪れることになる。
そこで出会ったインドの友人たちにあの占い師のことを伝えると、彼らは皆本気で心配した。
あの預言者はお金を要求しなかった。
金銭に執着しない聖者のような占い師は、詐欺師まがいではなく本物の予言者である可能性が高いからだ。
ある友人がその占い師の消息を探すと、彼はもう亡くなっているらしいことが判明する。
これは悪い知らせだ。
死んだ占い師の予言を覆すことはできない。
友人たちは、大谷氏に、一回のインド滞在をできるだけ長くして、三十一回目にインドを訪れたら二度と戻ってくるなと真剣に忠告した。
少なくとも当時のインド社会では、力のあるものによる予言は、極めてリアルなものと考えられていたのだ。
そんな中、ただ一人この予言を信じず、真っ向から否定する友人がいた。
彼の名前はハリ・シン。
占い師の家系に生まれた、シク教徒だ。
彼は、全ての占いは欺瞞であると言って憚らなかった。
彼のこの態度は、家族の生業と自分の運命に対する、複雑な気持ちによるものだった。
彼の父は高名な占い師だった。
それなのに、なぜ家族は裕福になれなかったのか。
未来を知る能力があるのに、なぜ幸せな未来を手に入れられなかったのか。
自分の境遇へのやるせない思いが、「占い」への疑念や憤りへと変わっていったのだ。
彼は、酒に酔うと、小さい頃に仕込まれた、相手が心に浮かべた数字や色を当てるトリックを、簡単なまやかしだと言って披露しては悪態をついた。
(しかし、この本に書かれているトリックでは、相手の母親や恋人のような固有名詞を当てることはほぼ不可能で、依然として謎は残るのだが)
インドでは辻占は低い身分の仕事とされる。
さきほど「金銭に執着しない占い師は詐欺師まがいではなく本物の予言者」と書いたが、これは「お金のために占いを行う辻占は詐欺師同然」ということの裏返しだ。
ハリ・シンの出自は、彼にとって誇らしいものではなく、憎むべきものだった。
彼は小さい頃に家を出て、占いではなく物売りをして生計を立てていたが、それでは食べてゆくことができず、皮肉にも彼もまた占い師になる道を選ぶことになる。
「逃れようとしても逃れられないのがジャーティだ」とブラーミン(バラモン)の男は言ったそうだ。
ハリ・シンは、インディラ・ガンディー首相暗殺事件に端を発するインド国内でのシク教徒弾圧を避け、子ども達の教育費や結婚資金を稼ぐため、オランダに渡ることを選んだ。
外国で占い師として稼いだお金を、インドに仕送りとして送るのだ。
字も書けないというハリ・シンが、占い師という職業でどうやって就労ビザを取ったのか、いまひとつよく分からないが、そこはインドのこと、裏金や人脈でどうにかなったのだろう。
もうお分かりだろう。
ハリ・シンもまた、世界中で例の占いをして日銭を稼ぐ、「彼」らのひとりだったのだ。
オランダにもまたひとり「ヨギ・シン」がいたということだ。
ミャンマー、タイ、オーストラリア、イギリス、カナダ、インドネシア。
世界中で「詐欺師に注意!」「不思議!わたしの街にも同じような人がいた!」と報告されている「彼」。
その一人は、自らの家業を憎みつつも、家族のために異国の地で辻占を続け、その稼ぎを故郷に仕送りをする男、ハリ・シンだった。
世界中のヨギ・シンに、きっとこんなふうにそれぞれの物語があるのだろう。
海外で必死で稼いだお金で、「彼」は娘たちの持参金を払い、立派な結婚式を挙げる。
息子たちに質の高い教育を受けさせ、優秀な大学に通わせる。
占い師ではなく、もっと別の「立派な」仕事に就かせるために。
そして、ヨギ・シンの子どもたちはエンジニアに、企業のマーケティング担当者に、どこかのいい家のお嫁さんになる。
医者や弁護士になる人もいるかもしれない。
ヨギ・シンの子どもたちは、もう誰もヨギ・シンにはならない。
誰よりも、ヨギ・シン自身がそれを望んでいるはずだ。
たとえ、成功した子どもたちに、家族代々の仕事を古臭いまやかしだと思われるとしても。
インドにおいて、正統な伝統に基づく占いは、社会や生活に深く溶け込んでいる。
どんなに時代が変化しても、インドから伝統的な占い師がいなくなることはないだろう。
ただ、世界中で報告されている「ヨギ・シン」スタイルの占い師に関してはどうだろう。
彼らの子どもたちが誰も後をつがなかったとき、この守るべき伝統とも考えられていない占い師たちは、歴史の波間に消えていってしまうのだろうか。
このまま「彼」の存在は、知る人ぞ知る、しかし世界中に知っている人がいる、マイナーな都市伝説のひとつになってゆくのだろうか。
2050年の「ヨギ・シン」を想像してみる。
先進国で誰にも相手にされなくなった「彼」は、ようやく経済成長の波に乗ることができたアフリカの小国に辿り着く。
いかにも成金といった風情の身なりのいい男に、ターバンを巻いたインド人が声をかける。
「あなたの好きな花を当ててみせよう」
誰も知らないが、実は彼こそは最後のヨギ・シンだった。
一族の結束はいまだに固いが、この占いのトリックができるのは彼が最後の一人だ。
仲間たちはみな、エンジニアやビジネスマンになり、少数の占い師の伝統を守っている者たちもコンピュータを駆使した新しい方法で占いを行っている。
「彼」もまた子どもたちを大学に行かせるために異国の地で辻占をしているが、子どもたちには後を継がせないつもりだ。
「彼」自身も知らないまま、ひとつの伝統と歴史がもうじき幕を降ろす。
あるいは、「彼」はデリーの郊外あたりに作られたテーマパーク「20世紀インド村」みたいなところで、「ガマの油売り」よろしく伝統芸能のひとつとしてその手口を披露しているかもしれない。
若者たちが物珍しげに眺めている後ろで、年老いたインド人は懐かしそうに彼を見つめている。
パフォーマンスを終えた「彼」に、「ずっと探していたんだ」と話しかける日本人がいたら、それはきっと私に違いない。
話を大谷氏の本に戻すと、このエピソードはまだ終わらない。
あの不気味な予言のことだ。
時は流れ、大谷氏に三十二回目のインド訪問がやってくる。
そこで虎狩りの取材に出かけた大谷氏はあの不吉な予言を思わせる、信じられない目に合うことになる。
詳細は省くが、この章では例のヨギ・シンの辻占以外にも、インドの占い事情が詳らかに紹介されていて、非常に興味深い内容だった。
インド社会のなかで、占いという超自然的な力がどんなふうに生きているのかを知りたい方には、ご一読をお勧めする。
子どもたちも皆結婚し、初老になったハリ・シンは、今となってはもう父を罵ることもなく、こう言っているという。
占い師は自分で自分を占うと、力を失うんだ、と。
彼は、思うようにならなかった運命を、諦めとともに受け入れたのか。
それとも、家族を養う糧を与えてくれた代々の家業を、誇りを持って認めることができたのだろうか。
それにしても、これはいったい何だったんだろう。
たまたま読んだ本と新聞で見つけた「彼」は、インターネットで世界中が繋がった時代ならではの都市伝説の主人公になっていた。
その「彼」の正体は、秘密結社ともカルト宗教とも関係のない、伝統的な生業を武器にグローバル社会の中で稼ぐことを選んだ、インドの伝統社会に基づく「ジャーティ」の構成員たちだった。
これが私がヨギ・シンについて知っていることのすべて。
日本から一歩も出ないまま、インドに関する不思議を見つけ、そしてその答えが分かってしまうというのも、時代なのかな、と思う。
「彼」の正体を知ってしまった今、もし「彼」に出会うことがあったら、いったいどんな言葉をかけられるだろうか。
「彼」に占ってほしいことは見つかるだろうか。
それでもやっぱり、会ってみたいとは思うけれども。
(世界中での「彼 」の出没情報は、「Indian fortune teller」もしくは「Sikh fortune teller」で検索すると数多くヒットする。ご興味のある方はお試しを)
2019年11月18日追記:
この記事を書いてから1年、まさかここ日本を舞台に続編が書けるとは思ってもいなかった。
予想外の展開を見せる続編はこちらから。
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説。
1990年代のバンコク、カオサン。
2010年代のロンドン。
あらゆる場所に出没する謎のインド人占い師の情報が、さまざまな国の本や新聞、そしてインターネットで報告されていた。
調べてみると、「彼」は他にもカナダやオーストラリアやマレーシアなど、世界中のあらゆる場所に出没しているようだ。
「彼」の手口は、手品のようなトリックを使って人の心の中を的中させては、金品を巻き上げるというもの。
時代や場所が変わっても、全く同じ手口が報告されていた。
シク教徒のようなターバンを巻いたいでたちで現れ、ときに「ヨギ・シン(Yogi Singh)」と名乗る「彼」。
まるでタイムトラベラーのような「彼」はいったい何者なのか。
複数のインド人に聞いても、その正体を知るものはいなかった。
「彼」の存在に気づいた世界中の人々が不思議に思っているが、誰もその答えは分からない。
私はシク教徒のなかに、そのような占いを生業にする集団がいるのではないかと考えたが…。
(続き)
「彼」の正体はひょんなことからあっけなく判明した。
大谷幸三氏の『インド通』という本(白水社)に、その正体が書かれていたのだ。
ノンフィクション作家で漫画原作者でもある大谷氏は、1960年代から70回以上もインドに通い、元マハラジャから軍の要人まで多彩な知己のいる、まさにインド通。
この本の「クトゥブの予言者」という章に、「彼」の正体と思われる答えが書かれていた。
このエピソードもまた、思い出話から始まる。
それは彼が2度目にインドを訪れた時の話。舞台はデリーだ。
大谷氏が郊外の遺跡「クトゥブ・ミーナール」を訪れた時のこと。
クトゥブ・ミーナールは、いまでは観光客で賑わう遺跡だが、当時は人気もまばらな場所だった。
そこで、大谷氏は予言者だという白髭に長髪姿の老人に声をかけられた。
老人は唐突に大谷氏の家の庭にある松の木の本数を的中させ驚かせると、こう不吉な予言を言い残した。
「お前は人生のうちに、三十二度インドへ帰ってくるであろう。このインドの天と地の間で、お前は名声と富を得るだろう。そして、三十二度目のインドで死ぬであろう」
この謎の預言者が「彼」なのではない。
話は続く。
インドに魅せられた大谷氏は、予言通りにその後何度もインドを訪れることになる。
そこで出会ったインドの友人たちにあの占い師のことを伝えると、彼らは皆本気で心配した。
あの預言者はお金を要求しなかった。
金銭に執着しない聖者のような占い師は、詐欺師まがいではなく本物の予言者である可能性が高いからだ。
ある友人がその占い師の消息を探すと、彼はもう亡くなっているらしいことが判明する。
これは悪い知らせだ。
死んだ占い師の予言を覆すことはできない。
友人たちは、大谷氏に、一回のインド滞在をできるだけ長くして、三十一回目にインドを訪れたら二度と戻ってくるなと真剣に忠告した。
少なくとも当時のインド社会では、力のあるものによる予言は、極めてリアルなものと考えられていたのだ。
そんな中、ただ一人この予言を信じず、真っ向から否定する友人がいた。
彼の名前はハリ・シン。
占い師の家系に生まれた、シク教徒だ。
彼は、全ての占いは欺瞞であると言って憚らなかった。
彼のこの態度は、家族の生業と自分の運命に対する、複雑な気持ちによるものだった。
彼の父は高名な占い師だった。
それなのに、なぜ家族は裕福になれなかったのか。
未来を知る能力があるのに、なぜ幸せな未来を手に入れられなかったのか。
自分の境遇へのやるせない思いが、「占い」への疑念や憤りへと変わっていったのだ。
彼は、酒に酔うと、小さい頃に仕込まれた、相手が心に浮かべた数字や色を当てるトリックを、簡単なまやかしだと言って披露しては悪態をついた。
(しかし、この本に書かれているトリックでは、相手の母親や恋人のような固有名詞を当てることはほぼ不可能で、依然として謎は残るのだが)
インドでは辻占は低い身分の仕事とされる。
さきほど「金銭に執着しない占い師は詐欺師まがいではなく本物の予言者」と書いたが、これは「お金のために占いを行う辻占は詐欺師同然」ということの裏返しだ。
ハリ・シンの出自は、彼にとって誇らしいものではなく、憎むべきものだった。
彼は小さい頃に家を出て、占いではなく物売りをして生計を立てていたが、それでは食べてゆくことができず、皮肉にも彼もまた占い師になる道を選ぶことになる。
「逃れようとしても逃れられないのがジャーティだ」とブラーミン(バラモン)の男は言ったそうだ。
ハリ・シンは、インディラ・ガンディー首相暗殺事件に端を発するインド国内でのシク教徒弾圧を避け、子ども達の教育費や結婚資金を稼ぐため、オランダに渡ることを選んだ。
外国で占い師として稼いだお金を、インドに仕送りとして送るのだ。
字も書けないというハリ・シンが、占い師という職業でどうやって就労ビザを取ったのか、いまひとつよく分からないが、そこはインドのこと、裏金や人脈でどうにかなったのだろう。
もうお分かりだろう。
ハリ・シンもまた、世界中で例の占いをして日銭を稼ぐ、「彼」らのひとりだったのだ。
オランダにもまたひとり「ヨギ・シン」がいたということだ。
ミャンマー、タイ、オーストラリア、イギリス、カナダ、インドネシア。
世界中で「詐欺師に注意!」「不思議!わたしの街にも同じような人がいた!」と報告されている「彼」。
その一人は、自らの家業を憎みつつも、家族のために異国の地で辻占を続け、その稼ぎを故郷に仕送りをする男、ハリ・シンだった。
世界中のヨギ・シンに、きっとこんなふうにそれぞれの物語があるのだろう。
海外で必死で稼いだお金で、「彼」は娘たちの持参金を払い、立派な結婚式を挙げる。
息子たちに質の高い教育を受けさせ、優秀な大学に通わせる。
占い師ではなく、もっと別の「立派な」仕事に就かせるために。
そして、ヨギ・シンの子どもたちはエンジニアに、企業のマーケティング担当者に、どこかのいい家のお嫁さんになる。
医者や弁護士になる人もいるかもしれない。
ヨギ・シンの子どもたちは、もう誰もヨギ・シンにはならない。
誰よりも、ヨギ・シン自身がそれを望んでいるはずだ。
たとえ、成功した子どもたちに、家族代々の仕事を古臭いまやかしだと思われるとしても。
インドにおいて、正統な伝統に基づく占いは、社会や生活に深く溶け込んでいる。
どんなに時代が変化しても、インドから伝統的な占い師がいなくなることはないだろう。
ただ、世界中で報告されている「ヨギ・シン」スタイルの占い師に関してはどうだろう。
彼らの子どもたちが誰も後をつがなかったとき、この守るべき伝統とも考えられていない占い師たちは、歴史の波間に消えていってしまうのだろうか。
このまま「彼」の存在は、知る人ぞ知る、しかし世界中に知っている人がいる、マイナーな都市伝説のひとつになってゆくのだろうか。
2050年の「ヨギ・シン」を想像してみる。
先進国で誰にも相手にされなくなった「彼」は、ようやく経済成長の波に乗ることができたアフリカの小国に辿り着く。
いかにも成金といった風情の身なりのいい男に、ターバンを巻いたインド人が声をかける。
「あなたの好きな花を当ててみせよう」
誰も知らないが、実は彼こそは最後のヨギ・シンだった。
一族の結束はいまだに固いが、この占いのトリックができるのは彼が最後の一人だ。
仲間たちはみな、エンジニアやビジネスマンになり、少数の占い師の伝統を守っている者たちもコンピュータを駆使した新しい方法で占いを行っている。
「彼」もまた子どもたちを大学に行かせるために異国の地で辻占をしているが、子どもたちには後を継がせないつもりだ。
「彼」自身も知らないまま、ひとつの伝統と歴史がもうじき幕を降ろす。
あるいは、「彼」はデリーの郊外あたりに作られたテーマパーク「20世紀インド村」みたいなところで、「ガマの油売り」よろしく伝統芸能のひとつとしてその手口を披露しているかもしれない。
若者たちが物珍しげに眺めている後ろで、年老いたインド人は懐かしそうに彼を見つめている。
パフォーマンスを終えた「彼」に、「ずっと探していたんだ」と話しかける日本人がいたら、それはきっと私に違いない。
話を大谷氏の本に戻すと、このエピソードはまだ終わらない。
あの不気味な予言のことだ。
時は流れ、大谷氏に三十二回目のインド訪問がやってくる。
そこで虎狩りの取材に出かけた大谷氏はあの不吉な予言を思わせる、信じられない目に合うことになる。
詳細は省くが、この章では例のヨギ・シンの辻占以外にも、インドの占い事情が詳らかに紹介されていて、非常に興味深い内容だった。
インド社会のなかで、占いという超自然的な力がどんなふうに生きているのかを知りたい方には、ご一読をお勧めする。
子どもたちも皆結婚し、初老になったハリ・シンは、今となってはもう父を罵ることもなく、こう言っているという。
占い師は自分で自分を占うと、力を失うんだ、と。
彼は、思うようにならなかった運命を、諦めとともに受け入れたのか。
それとも、家族を養う糧を与えてくれた代々の家業を、誇りを持って認めることができたのだろうか。
それにしても、これはいったい何だったんだろう。
たまたま読んだ本と新聞で見つけた「彼」は、インターネットで世界中が繋がった時代ならではの都市伝説の主人公になっていた。
その「彼」の正体は、秘密結社ともカルト宗教とも関係のない、伝統的な生業を武器にグローバル社会の中で稼ぐことを選んだ、インドの伝統社会に基づく「ジャーティ」の構成員たちだった。
これが私がヨギ・シンについて知っていることのすべて。
日本から一歩も出ないまま、インドに関する不思議を見つけ、そしてその答えが分かってしまうというのも、時代なのかな、と思う。
「彼」の正体を知ってしまった今、もし「彼」に出会うことがあったら、いったいどんな言葉をかけられるだろうか。
「彼」に占ってほしいことは見つかるだろうか。
それでもやっぱり、会ってみたいとは思うけれども。
(世界中での「彼 」の出没情報は、「Indian fortune teller」もしくは「Sikh fortune teller」で検索すると数多くヒットする。ご興味のある方はお試しを)
2019年11月18日追記:
この記事を書いてから1年、まさかここ日本を舞台に続編が書けるとは思ってもいなかった。
予想外の展開を見せる続編はこちらから。
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goshimasayama18 at 00:04|Permalink│Comments(27)