レゲエ

2019年06月12日

私的大発見!インドと吉幾三、そして北インド言語と演歌、レゲエの関係とは?

きっかけは、インド人の友人のこのツイートだった。

 
 Perfumeファンの彼が、彼女たちのSpending All My Timeと吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」のマッシュアップを聴いて「これ原曲なに?インドの曲じゃないみたいだけど、すごくインドっぽい」とつぶやいていたのを読んで、思わず感動してしまった。

なんで吉幾三なんか(失礼)で感動しているかというと、私はかねがね、ある種のインドの歌について「まるで吉幾三みたいだ!」と思っていたからなのだ。
例えば、インド最初のラッパーであるBaba Sehgalのこの曲。

思いの外かっこいいイントロに「どこが吉幾三?」と思った方も、歌が始まった瞬間にずっこけたはずだ。
これ、完全に幾三だろう。
現在はすっかり洗練されてきたインドのヒップホップだが、始まった当時は完全に吉幾三だったのだ。
(詳しくはこちらに書いています。「早すぎたインド系ラッパーたち アジアのPublic Enemyとインドの吉幾三、他」
インドのヒップホップ史において、最初のラッパーがこのBaba Sehgalだということは、日本の音楽史上最初のラップのヒット曲が吉幾三「俺ら東京さ行くだ」であったことと同じくらい、無かったことにしたい歴史だろう。

吉幾三っぽく聞こえる楽曲はこれだけにとどまらない。
Jay Zによるリミックスが世界的に大ヒットしたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"も、冷静に聴くとかなりの幾三っぷりである。

そう、インドの音楽、とくに、ここに紹介したような90年代頃のラップ調のバングラーに関しては、じつはかなり吉幾三っぽく聞こえるものが多いのである。
私がそれらの音楽を「吉幾三っぽいなあ」と思っていたところに、インド人の友人が吉幾三を聴いて「なんだかインドの音楽みたい」とつぶやいたのだから、これに感動しないわけがないだろう。

バングラーは、インド北西部、パンジャーブ州が発祥の音楽だ。
パンジャーブ州からは、イギリスに移民として渡った人々が多く、伝統音楽だったバングラーはそこで当時最先端のダンスミュージックと融合し、インドに逆輸入されて、インド全体で大人気となった。
我々にとっては吉幾三っぽく聴こえる音楽だが、当時のインドでは、伝統と最先端の理想的な融合だったのだろう。

さて、ここでもうひとつの大発見をしてしまった。
吉幾三といえば演歌歌手だが、インドと演歌といえば、まっ先に思い浮かぶのが、チャダ。

インドの知識がある方はきっともうお気づきだと思うが、ターバン姿が印象的なチャダは、シク教徒だ。
そして、シク教のルーツは、パンジャーブ州。
そう、彼もまた、出身こそニューデリーだが、パンジャーブの人なのである。
チャダことSarbjit Singh Chadhaは、16歳でミカンの栽培技術を学ぶために来日し、日本で耳にした演歌に惚れ込んで演歌歌手になったという。

パンジャーブの音楽と演歌が似ていると発見して驚いていたら、なんとパンジャーブの人間がとっくの昔に演歌歌手になっていた!
パンジャーブと日本、バングラーと演歌。
お互いに何も文化的な影響を及ぼしていないはずなのに、この不思議な相似はいったい何なのだろうか。

外国人演歌歌手としては、米国系黒人であるジェロも有名だが、彼の場合、幼い頃から母方の祖母に演歌を聴かされて育ったというバックグラウンドがある。
それに対して、16歳で来日するまで演歌を聴いたこともなかったはずのチャダが、演歌の独特の歌い回しに魅力を感じ、そしてそれを(北島三郎への師事があったにせよ)完璧にマスターしているということは、やはりパンジャーブの音楽文化と演歌には、相通じる何かがあるのだ。

さらに、Youtubeで関連動画を探していたら、この5月に行われた「マハトマ・ガンディー生誕150周年記念 インド祭in十日町」で吉幾三の「酒よ」を歌うチャダを発見!

吉幾三、バングラー、パンジャーブ、演歌。
これで全てが繋がった!
酒など決して口にしないであろうガンディーが、自身の生誕150年祭で歌われる「酒よ」を聴いてどう思うのか分からないが、インド国旗に描かれた法輪のごとく、とにかくこれでパンジャーブ文化と吉幾三がひとつの円環となったのである。(自分でも何を言っているのかよくわからないが)

ここで改めて注目したいのは、吉幾三とバングラーの、メロディーや発声方法ではなく、歌の節回しだ。
みなさんも、「俺ら東京さ行くだ」の、東北訛りをカリカチュアしたような歌い回しと、バングラーの歌い回しの、微妙に音程を外したり、うわずらせたりする部分がとてもよく似ているということに気がついただろう。
北インドの言語であるヒンディー語やパンジャービー語は、歌ではなく会話でも、その言語の響きそのものが、東北弁や茨城弁っぽく聞こえることがある。
こうした言語固有のイントネーションそのものが、歌われる音楽を田舎くさい(失礼)演歌っぽく聴こえさせているのではないだろうか。

同じ北インドの音楽でも、例えば古典音楽のヒンドゥスターニーの場合、インド独特の音階(ラーガ)や、技巧的な節回しが前面に出るため、決して演歌っぽくは聞こえないのだが、よりシンプルなスタイルであるバングラーとなると、ヒンディー語やパンジャービー語の語感が強く出てしまい、途端に演歌っぽくなってしまうのだ。

ここからは極めて個人的な話になるが、私は10代最後の歳にインドを一人旅して以来、インドという国やその文化に大いに興味を持ってきた。
であるにもかかわらず、他の多くのインド好きたちが惹かれているのに、私がいっこうに魅力を感じられなかったものがある。
それは何かと言うと、映画音楽だ。

例えば、先日、「Aashiqui 2」という映画のDVDを見たのだが、インドでは大変高い評価を得たというその音楽を聴いても、私は「なんか演歌みたいだな」という以上の感想を抱くことができなかった。(ちなみにこの曲です)
 
メロディーラインのせいもあるが、ヒンディー語で西洋音階のシンプルな旋律を歌うと、その歌い回しのせいで、どうしても演歌っぽく聴こえてしまう。
何が言いたいかというと、若い頃ロック好きだった自分が、インドの映画音楽をどうも好きになれないのは、非ロック的な大仰なアレンジのせいだけではなく、どうやらこの「演歌っぽさ」にも理由があったようだということだ。
私なんかの世代のだと(40代)、ロック好きは深層心理に「演歌は旧弊な価値観を象徴する音楽で、自由を標榜するロックとは相容れないダサいもの!」みたいな意識がこびりついている。
その意識が、どことなく演歌っぽいボリウッド(ヒンディー語)映画音楽を敬遠させていたのだ。

ちなみに最近では、ロックなどのジャンルではヒンディー語であっても、英語的なメロディーや言葉の当て方が十分に確立され、演歌らしさを全く感じさせない楽曲がたくさんある。
例えば、ヒンディー語で歌うポストロックバンドAsweekeepsearchingの音楽を聴いて演歌っぽいと思う人はいないはずだ。

ここでさらに話が飛躍するのだが、ヒンディー語やパンジャービー語が持つ東北弁や茨城弁っぽさは、彼らが英語を話す時にも引き継がれる。
北インドの人々が話す英語は、やっぱり東北弁や茨城弁っぽく聞こえるのだ。

で、東北弁や茨城弁ぽい英語がどう聞こえるかというと、なんとジャマイカン訛りっぽくなるのである!
実際は、ジャマイカ人が話すいわゆる「パトワ語」とインド訛りの英語のイントネーションは全く異なるものなのだが、ネイティブ言語の訛りを色濃く残す北インド人の英語は、レゲエに乗せてラップするトースティング(っていうの?レゲエには詳しくないのだけど)に、結果的にそっくりなってしまっているのだ。

例えば、こちらも90年代に大ヒットしたインド系イギリス人のレゲエ歌手、Apache Indianの"Boom Shak-A-Lack".


最近の楽曲では、デリーのレゲエバンド、Reggae RajahsのメンバーGeneral Zoozによる"Industry".


どこまでがレゲエに寄せていて、どこまでがヒンディー訛りなのか分からないこのニュアンス、お分かり頂けるだろうか。

言語の特徴と音楽の話で言えば、もうひとつ気になっているのが、最近のヒンディー語/パンジャービー語のポップスが、現代のラテン音楽、具体的にはレゲトンに近づいてきているということ。
例えばこんな感じに。
パンジャービーの商業的バングララッパー、Yo Yo Honey Singhの"Makhna".

 
さらには、スペイン語を導入したこんな曲もある。Badal feat. Dr.Zeus, Raja Kumari "Vamos".

音楽やスタイルにおける現代インドとラテン系の相似については、かつてこちらの記事に書いたので、興味のある方はぜひご一読を。(「ソカ、レゲトン…、ラテン化するインドポップス」

レゲトンはスペイン語圏であるプエルトリコ発祥の音楽だが、ヒンディー語話者の英語の訛り方は、じつはスペイン語話者の訛りと瓜二つなんである。
「-er」や「-ar」で終わる単語の'r'をはっきりと発音するとか、sの子音から始まる単語を話すときに、頭にエがついてしまう(例えばスクール'school'がエスクール'eschool'になってしまう)など、特徴的なところがことごとく似ているのだ。
同じ傾向の英語の訛りを持つ二つの言語圏が、同じようなスタイルの音楽を好む傾向がある。
これは単なる偶然なのだろうか。

さて、レゲエやラテンに少し脱線したが、ここまでヒンディー語/パンジャービー語圏のバングラーが吉幾三的な演歌にそっくりという話を書いてきた。
これも以前書いたネタだが、もうちょっと歌謡曲テイストの演歌にそっくりなのが、ゴアの古いポップスだ。
「まるで日本! 演歌?歌謡曲? 驚愕のゴアのローカルミュージック!」


ゴアで話されているコンカニ語も、ヒンディー語やパンジャービー語と同じインド・アーリア語派の言語。
ひょっとしたら、北インド系の言語を話す地方に、まだ知らぬ演歌っぽい音楽が他にもあるのかもしれない。
もし時間とお金が無限にあるなら、インド中を放浪しながら地元の人に演歌を聞かせて、「これに似た音楽を知らないか」と尋ねて回るのも面白そうだ。
きっとまだ見ぬ「演歌っぽいインド音楽」が見つけられるに違いない。
(いったいそれに何の意味があるのか自分でも分からないが)

というわけで、今回は、音楽史的もしくは 言語学的な裏付けの一切ない、北インド諸語と演歌やレゲエの類似点についてのたわごとをお届けしました。



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goshimasayama18 at 22:58|PermalinkComments(0)

2018年12月04日

ゴアトランス後のゴアの音楽シーン インドのEDM/レゲエ/ロック系フェスティバル!

前回前々回の記事で、1960年代から00年代中頃まで続いたゴアのサイケデリックな狂騒を、ヒッピー側とローカル側の双方の視点から取り上げた。
今回はその後のゴアのシーンの変遷と発展を書いてみたいと思います!

00年代のゴアは変化の10年だった。
ゴアのトランスパーティーが徐々に規制されるようになってきたのは、21世紀に入った頃からだったと記憶している。
この頃、インターネット上では「警察にパーティーが規制されて、今シーズンは全く開催できないみたい」とか「こないだのフルムーンは久しぶりにパーティーが開かれてた。完全にダメってわけでもないらしい」とか、刻々と変化するゴアの情報が飛び交っていた。
ゴアでも、ヨーロッパ同様に、野外でのフリーパーティー(いわゆるレイヴ)は年々規制が厳しくなり、きちんとした営業形態のクラブのような場所(トランスで言えば、Shiva ValleyやHilltopなど)や大規模な商業レイヴでなければパーティーが開けない時代がやってきたのだ。
良かれ悪しかれ、ゴアはもはや、外国人たちが無秩序な祝祭を楽しめる場所ではなくなってしまった。

ハードコアなパーティーフリークはゴアを去り、代わりに増えてきたのが、インドの富裕層の若者たちだった。
サラーム海上氏が著書で、「10年ぶりにゴアに行ったら、かかっている音楽は10年前と同じなのにセンスのいい欧米人はもういなくなって、騒いでいるのはインド人ばかり。ゴアはもう終わった。」(うろ覚え)といった趣旨のことを書いていたのも、この頃だ。
「ほっとけ。今までさんざん植民地扱いされてたところで、やっとインドの人たちが楽しめるようになったんだからいいじゃねえか」と思ったものだった。

インド人はとにかくダンスが好きだ。
急速な経済成長によって可処分所得が増え、インターネットの普及とグローバル化の影響で世界中の音楽に触れられるようになった新しい世代のインド人たちが、ボリウッド音楽では飽き足らずにより本格的なダンスミュージックに惹かれてゆくのは必然だった。
彼らにとって、ゴアは欧米文化の影響が強く、なにやら楽しそうなパーティーも行われている最先端のビーチリゾート。
関東近郊で例えるなら、ものすごくオシャレな湘南をイメージをしてもらえれば近い雰囲気かもしれない(よく分からんけど)。

そんな時代背景の中、2007年に、満を持してインド人の主催による大規模なダンスミュージックフェスティバルがゴアで開催された。
'Sunburn Festival'と名付けられたそのイベントの第一回目の様子がこちら。

このときの目玉はイギリスの大御所Carl CoxとSwedish House Mafiaの一員、Axwell.
新しい、そして最高に楽しい遊び場を見つけたインド人たちのこのうれしそうな様子!
トランスのレイヴでゾンビみたいに踊るヒッピーたちと比べると、このポジティブなエネルギーの発散は目を見張るものがある。
このフェスティバルのオーガナイザーは、起業家にしてEDM系のプロモーターであるShailendra Singhという人物。
第1回目のSunburnは、彼を中心に、MTV Indiaの元MCで、のちにインドで最初にして最大のEDMオーガナイザー'Submerge'を立ち上げるNikhil Chinapaと、バンガロールのDJであるRohit Barkerがホストを務める形で行われた。いずれも拡大する一方のインドEDMシーンの立役者だ。

初回の2007年の来場者は5,000人だったそうだが、回を追うごとに参加者は増加の一途をたどり、2010年には13万人が集結。
そして今ではSunburnは35万人以上を集めるアジア最大にして世界で3番目の規模(Tommorowland, Ultra Festivalに次ぐということ!)の超ビッグフェスとなった。


これまでに招聘した欧米のアーティストは、Carl Cox, Axwell(よほど気に入ったのか2007年以降毎年のように出演している)、Paul Van Dyke, Ferry Corsten, Afrojack, Paul Oakenfold, David Guetta, Tiesto, Swedish House Mafiaら。
テクノ、EDM系のアーティストに混じって、GMS, Infected Mushroom, Skazi, Domino, Riktam & Bansiらトランス系の面々が出演しているのはゴアトランスの名残と言えるだろうか。
また、地元インドのDJたちもPearl, Tuhin Mehta, Lost Storiesらが出演し、会場を盛り上げている。

Sunburn Festivalは2015年までゴアのビーチで開催されていたが、規模が大きくなりすぎたせいか、2016年からはマハーラーシュトラ州プネー(ムンバイから150kmほどの距離にある学園都市)に会場を移している。

その代わりにというわけではないが、2016年からゴアで開催されるようになったのが、レゲエ・ミュージックの祭典、Goa Sunsplashだ。

デリーのレゲエバンド、Reggae Rajahsによって始められたこの南アジア最大のレゲエフェスティバルは、今までにNaaman(フランス),  General Levy(UK), Brother Culture(UK)といったヨーロッパのレゲエ・アクトや、Johnny Osbourne, Mad Professor, Anthony Bといった本場ジャマイカのアーティストを招いて開催されている。
レゲエといえばトランスやジャムバンドと並んでヒッピーに人気の高かった音楽ジャンルだが、トランスに変わって現在のパーティーミュージックの主流となったEDMに比べると、インドでの人気はまだまだそこまでではない。
そのせいか、見たところ観客はインド人よりもヒッピー風の欧米人が多いようだが、出演者ではGereral ZoozやDJ MocityなどReggae Rajahsまわりの人脈や、Ska VengersDelhi Sultanate&Begum X、さらには地元ゴアのサウンドシステム10,000 Lions(サルデーニャ出身のPierre ObinoとReggae Rajahsのメンバーらで結成)など、インドのレゲエ・アーティストも多く見受けられる。
ちなみに2018年のプレパーティーには、日本人レゲエダンサーのCornbreadも参加していたようだ。
これはインドに限った傾向ではないと思うが、もはやレゲエがジャマイカンや黒人だけの音楽ではなく、普遍的なグッドタイム・ミュージックとして(あるいは闘争の音楽として)広く受け入れられているということの証左だろう。

ゴアでは他にもEDMやロック系のフェスが頻繁に行われており、2014年に開催されたNew Wave Musicfestというパンク/インディーロック系のフェスティバルには、日本の少年ナイフも出演している(彼女たちの様子は2:14頃から)。


かつてはヒッピーたちがサイケデリック・パーティーに興じたゴアは、いまではインドの若者たちが集う、インドで最もクールなフェスが数多く行われる街となった。
経済成長とそれにともなうサブカルチャーの発展によって、インドはゴアをヒッピーたちの植民地から取り戻した、と言ったら愛国的に過ぎるだろうか。

集まる人々こそ欧米のヒッピーからインドの音楽好きの若者たちに変わったが、ゴアはあいかわらず最高にゴキゲンな音楽を楽しむことができるリゾート地であり続けている。
これからこの街でどんな音楽文化が育まれてゆくのだろう。
もちろん、ゴアは排他的な街ではないのだから、我々外国人ツーリストも、その様子を一緒に楽しむことができる。
そのときは、地元への敬意も忘れずにね。


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goshimasayama18 at 00:10|PermalinkComments(2)

2018年08月27日

インドのインディーズシーンの歴史その3 逆輸入レゲエポップ Noble Savegesをあなたは知っているか

さて、インドのインディーズシーンを形作ってきた72曲(中途半端!)を紹介するこの企画、第3回目にして海外在住のアーティストが初めて登場します。
その名も「上品な野蛮人たち」こと、Noble Savegesで、今回紹介するのは"I am an Indian"という曲です。
VH1INDIAによるインドのインディー100曲
このNoble Saveges、調べてみようにもとにかく情報がなくて困った。
なぜかWikipediaのドイツ語版にだけ項目があったのだが、そこからの情報によると、1990年代に活躍したポップ/ダンスグループで、レゲエやインド音楽の要素を取り入れた音楽性で数曲のヒットを残したそうだ。
1996年にシングル"Diggin in the Nose"、続いてアルバム"Indian and can we talk"をインドで製作し、マイケル・ジャクソンのインド公演のオープニング・アクトも務めたということらしい。
今回紹介する"I am an Indian"も96年にリリースされた曲のようなので、同じタイミングで製作されたものなのだろう。

わざわざ「インドで製作」と書かれているが、調べてみるとどうやら彼らはインド系ドイツ人で、(それでドイツ語のwikiに情報があったようだ)ドイツでいくつかのヒット曲を出したのち、インドに凱旋逆輸入ということになったものと思われる。

いつもながら前置きが長くなりました。
それではさっそく聴いてみましょう。
Noble Savegesで"I am an Indian". 1997年にドイツとノルウェーでスマッシュヒットした曲とのことです。

曲調としては1992年に世界的にヒットしたSnowの"Informer"のような90年代風レゲエ・ポップだが、イントロや後半でのタブラやシタールの音がインドフレイバーとして効いている。

この曲のYoutubeのコメントを信用するならば、彼らの父親はパンジャブ系クリスチャン、母親はパールスィー(ゾロアスター教徒)で、1976年のミュンヘンオリンピックの際に、ドイツに来たばかりの移民同士として出会ったとのこと。
姉のShirinは今ではプロデューサー、プロモーター、テレビの司会者としても活躍しているそうだ。

この曲がこのリストの3曲目にリストアップされている理由は、おそらくポップアーティストとして最初に海外で評価されたインド人アーティストであるということ(演歌歌手のチャダを除く)、そして何より、"I am an Indian"というインド系のルーツを真正面から扱ったテーマの曲でヒットしたということが、それだけエポックメイキングな出来事だったからなのだろう。

歌詞でもインドの都市やヒンドゥーの神様、言語の名前などが頻繁に出てくるし、たとえそれがヨーロッパの視点から見たエキゾチシズム的な扱われ方だったとしても、当時のインドの人々を誇らしい気持ちにさせるに十分だったはずだ。
日本人にとっての、「スキヤキ」という奇妙なタイトルでヒットしたあの曲のように。

この曲に関して言えば、ドイツとノルウェー以外でヒットしたという情報もなく、おそらくは世界中のほとんどの人は忘れてしまっているものと思う。

それでも、この"I am an Indian"は、インド経済が開放政策に舵を取り、少しずつ成長を始めた頃、世界に向かって開かれてゆくインド、世界とつながってゆくインドの象徴のような曲として、インド人の心に刻まれているのかもしれない。

また、余談だがここ数年のインド国内のヒップホップでは、"I am an Indian"とか"Are you Indian"という言葉は、インドのマジョリティーであるアーリア系やドラヴィダ系とは異なる東アジア的な容貌を持ち、それゆえに差別にさらされているインド北東部の人々が「俺たちだってインド人だ。それなのにどうして差別するんだ」と主張する場面でよく使用されている。
(このブログでも取り上げたシッキムのUNBや、アルナーチャル・プラデーシュのK4 Kekho、北東部出身ではないが日印ハーフのBig Dealなど。いずれもラッパー)

世界に向かってインド系であることをアピールするにも、インド国内でのマイノリティーとしての存在を主張するにも、同じ言葉が使われているというのもまた多様性の国インドらしいエピソードではあると思う。

それでは今回はここまで! 

goshimasayama18 at 00:04|PermalinkComments(0)

2018年06月03日

Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス

前回の記事で、デリーのスカ・バンドSka Vengersを紹介した。
彼らがレゲエやスカを単なるゴキゲンな音楽としてではなく、抑圧や専制に対する闘争の手段として捉え、 ヒンドゥー・ナショナリズムやインド社会の不正義と戦う姿勢を示していることは記事の通りだ。

Ska Vnegersの中心人物、Delhi SultanateことTaru Dalmiaは、バンド以外でもBFR(Bass Foundation Roots) Sound Systemという名義でジャマイカン・ミュージックを通した自由への抑圧に対する抗議行動を行っている。
アル・ジャジーラが製作した"India's Reggae Resistance: Defending Dissent Under Modi" はそんな彼の活動を追いかけたドキュメンタリーだ。



モディ政権後、ヒンドゥー原理主義が力を持ち言論の自由が脅かされつつあるインドで、Taruは音楽を通した闘争を始めるべく、クラウドファンディングで集めた資金でサウンドシステムを作り上げることにした。抗議活動の場で自由を求めるレゲエ・サウンドを鳴らすために。

サウンドシステムとは、ジャマイカで生まれた移動式の巨大なスピーカーとDJブースのこと。
クラブのような音楽を楽しむための場所がなかった時代に、音楽にあわせてラップや語りや歌を乗せるスタイルで、人々を踊らせ、音楽によるひとときの自由を提供するための手段として生まれた(やがて海を渡ってヒップホップやレイヴ・カルチャー誕生の揺籃ともなったのは、また別のお話)。

Taruにとってジャマイカン・ミュージックは自由のための闘争の手段。
「レゲエの本質に戻ってみると、サウンドシステムに行き着く。サウンドシステムは単なる積み重ねたスピーカーじゃない。音楽や自由を自分たちの手に取り戻し、ストリートに届ける手段なんだ」
彼の広い庭に巨大なスピーカーが組み上がる。
まったく歴史的、文化的背景の違うインドで、ジャマイカと同じようにレゲエを闘争の手段にしようとしている彼こそ、ヒンドゥー原理主義者ならぬレゲエ原理主義者なんじゃないか、という気がしないでもないが、彼はいたって真剣だ。

最初の活動の場は、デリーの名門大学JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)。
言論の自由を求める活動の中心地であり、Taruの出身大学でもある。
「同志よ!ジャイ・ビーム!ラール・サラーム!ジャマイカの奴隷農園の革命の歌を演奏する!」
「ジャイ・ビーム」とはインド憲法の起草者で、最下層の被差別階級出身の活動家、ビームラーオ・アンベードカルを讃える言葉。
カーストに基づく差別からの脱却のため、被差別階級の人々と集団で仏教に改宗した彼を讃えるこのフレーズは、改宗仏教徒など、旧弊な社会秩序に異を唱える人々の合言葉だ。
「ラール・サラーム(赤色万歳)」は、共産主義のシンボルカラーを讃える反資本主義者たちの合言葉。
Taruの言葉に活動家たちから歓声が上がるが、音楽をかけても人々は踊らない。
彼の思想には共鳴しても、レゲエなんて聴いたことがない彼らは、初めて耳にするリズムにどうして良いか分からずじっと座っているばかりだ。

すっかり盛り上がりに欠けたまま、やがて大学当局者に音を止めるように言われ、しぶしぶDJを止めるTaru.
すると当局の介入によって演奏を止められたことに抗議して、学生たちから自由を求めるコール&レスポンスが始まる。
皮肉なことに、音楽が止められたことで、抗議運動は初めて盛り上がりを見せたのだった。
やはりインドでレゲエを使った社会運動は無理があるのか。

それでもTaruはあきらめない。
次なる活動の場は幾多の大学を抱える街、プネーのFTII (Film and Television Institute of India)。
抗議行動をオーガナイズする学生組織とのミーティングで、Taruはこんなことを言われる。
「初めてレゲエを聞いたけど、僕たちの文化の中では共感を得にくいんじゃないかな。なんというか、エリートの音楽っていう感じがする。英語だし、ラップだから」
「欧米から来た音楽だからって、みんなエリートの音楽ってわけじゃない。ブロークンな英語で歌われている音楽なんだ」
Taruは反論するが、こう言われてしまう。
「僕たち活動家が理解できないっていうのに、どうやって一般の人々がそれを理解できるんだい?」
Taruの理想と現実の乖離を率直に指摘する言葉だ。

地元の人々に受け入れられるために、彼らの言語であるヒンディーやマラーティーをレゲエのリズムに乗せることにした。
レゲエをインドでの社会運動において意味あるものとするために、彼らの工夫は続く。
地元の社会派ラッパー、Swadesiにも声をかけた。
ジャマイカの大衆のための音楽が、少しずつインドの大衆のためのものに変わってゆく…。

憲法記念日。プネーで行われる野外コンサートの当日。
主宰者側はカシミール問題(パキスタンとの間の、ヒンドゥーとイスラムの宗教問題を含んだ領土問題)のようなデリケートな話題を持ち出し、当局に集会を潰されることを心配していた。
言論の自由を求める集まりであるにもかかわらず、だ。
「世界最大の民主主義国」インドの自由は微妙なバランスの上に成り立っている。

集まった人々に、Taruはこう語りかける。
「独立したはずのインドでも、最近じゃこんな雰囲気だ。でも、いつの日か正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言えるようになろう。俺たちは団結している。もし体制側のスパイがいたとしたっていい。一緒に踊ろう」
Taruがプレイするジャマイカのリズムに、地元の活動家たちがスローガンの言葉を乗せて行く。
地元の言語を使ったラップや、苦労した選曲の甲斐あってか、デリーのときとは違って観客も大いに盛り上がっている。

最後の曲の前に、Taruは「俺たちが求めるものは?」と観客に問いかけた。
即座に「自由(Azadi)!」との答えが返ってくる。
RSS(ヒンドゥー至上主義組織)からの、モディ政権からの、ヒンドゥーナショナリズムからの、企業のルールからの自由。コール&レスポンスは熱気を帯びてくる。
最後の曲は60年代のジャマイカン・ナンバー、Toots & Maytalsの"54 46 Was My Number".
警察の横暴を批判するスカ・ソングだ。

彼の言葉に、サウンドに、集まった人々は心のままに踊り始める。
このシーンは圧巻だ。
インド人は総じて踊りが得意だが、スカのリズムに合わせて魂を解放して踊る彼らは、とても初めてジャマイカの音楽を聴いたようには見えない。
まるで生まれた時からスカやレゲエを聴いて育ったジャマイカンたちのように見える。
音楽が、レゲエミュージックが、束の間であっても変革を求めるインドの人々に精神の自由をもたらした瞬間だ。

この映像は、インドにおけるレベルミュージック(反抗の音楽)としてのレゲエのスタート地点であり、現時点での到達地点の記録でもある。 

名門大学出身で大きな庭のある家に住んでいる彼が、ジャマイカのゲットーで生まれた音楽を、全く文化の異なるインドで大衆革命の手段としようとすることに、いささかのドン・キホーテ的な滑稽さを感じるのも事実だ。
今後、レゲエがインドでのこうした活動の中で大きな意味を持つかと考えると、正直に言うとかなり難しいんじゃないかと思う。(この映像を見る限りだと、もっとインドの大衆の理解を得やすい音楽や伝達方法があるように感じる)

でもレゲエやパンクやヒップホップに夢中になったことがある人だったら、音楽とは単なる心地よいサウンドではなく、人々の意識や社会構造に大きく働きかけるものであることを知っているはず。
そして、サウンドそのものよりも、そうしたスピリットの部分にこそ、音楽の本質があることを分かっているはずだ。
音楽好きとしては、音楽の力を信じて愚直に活動を続ける彼に、なんというかこう、ぐっとくるのを禁じ得ない。
ヒップホップに比べると、まだまだインドではマイナーな感があるレゲエミュージックシーンだが、今後こうした社会的な意味のあるジャンルとして根づいてゆくのかどうか、これからもTaruの活動に注目してゆきたい。

goshimasayama18 at 17:59|PermalinkComments(2)

2018年05月30日

ただのお洒落野郎にあらず!Ska Vengers!

以前、デリーのレゲエバンド、Reggae Rajahsを紹介したことがあるが、今回は同じジャマイカの音楽でもスカ!
同じくデリーを拠点に活躍するSka Vengersを紹介したい。
彼らのことはいつか紹介しないと、とずっと思っていた。
まずは彼らがどんな人たちなのか、見てもらいたい。
skavengers
ご覧の通り、今まで紹介してきたミュージシャンの中でも、抜群にオシャレで洗練された佇まいだ。
そしてSka Vengersというバンド名にもアタクシは少し衝撃を受けた。
もちろんこれは、音楽ジャンルのSkaとScavengerという単語を掛け合わせたものだけど、スカベンジャーと言えばごみをあさって生活している人たちのことを指す。
インドは富や教養や階級を、服装や態度や生活やあらゆる面でわかりやすく示す国。
そんなインドで、見るからに上流階級育ちっぽい彼らが、そんな下賤な名前を名乗るっていうのはかつてのインドでは考えられないこと。
あえて自分を低く見せるというロックな逆説的価値観がようやくインドにも根付いてきたのか、と思いつつも、裕福な連中がアウトロー気取りで何も考えずにスカベンジャーとか言ってるんじゃないの?とうがった見方をしていた。
正直、ナメててスマンカッタ。という話を2回くらいに分けて書かせてもらいます。

サウンドは例えばこんな感じに小粋で洗練されたスカ・サウンド。
あれ?古典じゃん、と思うかもしれないけど43秒あたりから曲が始まります。


これもまた前置きが長いビデオだが、1:40あたりから曲が始まる。


中心メンバーは男性ヴォーカルのDelhi SultanateことTaru Dalmiaと、女性ヴォーカルのBegum X。
イギリス人のキーボーディストを含む6人組で、かつてはReggae RajahsのDiggy Dangや、Yohei Sato、Rie Onaという日本人メンバー(!)も在籍していたようだ。
この世界水準なサウンドを武器にヨーロッパツアーなども行っており、あのイギリスのグラストンベリー・フェスティバルにも出演するなど、国際的な評価を得ている。
Ska Vengersはかつてドイツに住んでいたDelhi Sultanateが、現地で出会ったスカやレゲエといった音楽をインドでも演奏するために2009年に結成された。
海外在住経験のあるメンバーがそのジャンルのパイオニアになるというのは、これまでも見てきたようにインドのミュージックシーンではよくある話だ。

ちょっと変わったところでは、昔のボリウッドの曲をジャイプルの伝統的なブラスバンドのKawa Brass Bandと一緒にやっていたりもする。


ここまで見ると、単なる外国帰りの金持ち連中がインドらしからぬオシャレサウンドを演奏しているだけなんじゃないの?とつい勘ぐりなってしまうところだけれども、さにあらず。
彼らは自分たちの演奏するジャマイカン・ミュージックの本質を、単なるゴキゲンなダンスミュージックとしてではなく、抑圧や植民地主義、不正義と戦う術として位置づけて取り組んでいる。

そうした彼らの本質がもっとも強くストレートに出ているのがこの曲だ。
"Modi, A Message to You"
 
この曲は70年代に活躍したイギリスのスカ・バンド、Specialsの"Message to You Rudy"という曲のカバーというか替え歌で、インドの現首相ナレンドラ・モディへの痛烈な批判になっている。

モディが所属する「インド人民党」(BJP)は、ヒンドゥー・ナショナリズムを掲げる組織、「民族奉仕団」(RSS)が母体となって結成された政党だ。
RSSはインドの国父ガンディーの暗殺に関わり、一時期活動が禁止されていた歴史を持つヒンドゥー至上主義団体だ。

モディがインド首相に就任以来、その経済政策などで一定の支持を集めている反面、所属政党であるBJPは地方議会でヒンドゥー教で神聖視される牛の屠殺を禁止する法案を可決させたり、同党支持者の反イスラム的な姿勢を黙認したりしていることを批判されてもいる。
インドは人口の8割がヒンドゥー教徒だが、独立以来、政教分離(セキュラリズム)国家としての原則を守ってきた。
だがBJPは「母なるインドはヒンドゥーの土地」というヒンドゥー・ナショナリズム的な傾向を政治に持ち込み、小政党が分立するなかでマジョリティーであるヒンドゥー教徒を中心に支持を拡大し、ついに中央政権を奪取するに至った。
こうした政党を批判することは、インドではとても勇気がいることで、実際バンドはこの曲を発表したことで、殺害予告を受けたという。

このビデオの中で、モディは現代的な女性に伝統的な格好をさせて牢屋に入れ、ムスリムと握手すると見せかけて無視し、炎に包まれる街を見捨てる悪者として描かれる。
さらには小さい家を潰して工場を建て、人々にテント暮らしを余儀なくさせ、故郷グジャラートの経済だけを発展させるが(日本では美談となっているインドへの新幹線の輸出は、じつは首都デリーとモディの地元グジャラート州アーメダバードを結ぶ路線だ)、真実を追求するジャーナリストから逃げ回り、最後には両目をハーケンクロイツにされるという散々な扱いを受けている。

Delhi Sultanateは語る。
「グジャラート州で2002年(モディが州首相を務めていた時代)に恐ろしい暴動が起きた。この暴動で2,000人を超えるムスリムが虐殺されたと主張する人たちもいる。多くの人がこの暴動でモディが中心的な役割を果たしたと確信しているんだ」と。

この曲の背景を少し詳しく見てみよう。
2002年2月27日、アヨーディヤーからグジャラート州のゴードラー駅に到着した列車に何者かが火を放ち、ヒンドゥー教の巡礼者58名が死亡する事件が起きた。
アヨーディヤーはヒンドゥー教の伝承ではラーマ・ヤーナの主人公ラーマ神の生誕地とされている土地だ。
この地域が16世紀にムガル帝国の支配下に入ると、アヨーディヤーにはバブリー・マスジッドというイスラム教のモスクが建設された。500年近く昔の話である。

BJPは、このアヨーディヤーの地をムスリムから取り戻すことを掲げて選挙を戦い、多数派であるヒンドゥー教徒の支持を広げてきた。
そしてついに1992年、この歴史あるバブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒たちが破壊するという事件が起きてしまう(ちなみにバブリー・マスジッド以前にヒンドゥーの寺院があったという主張に歴史的な根拠はない)。
この破壊事件を主導したのは、RSSやVHP(世界ヒンドゥー協会)のメンバーをを中心とするサング・パリワールというヒンドゥー至上主義組織で、この事件をきっかけに起きた宗教対立でインド全土で1,200人もの死者が出ることとなった。
これが現代インドの宗教間対立の大きな火種となった「アヨーディヤー事件」である。

一部のヒンドゥー教徒たちは、2002年のゴードラー駅での列車放火事件をイスラム教徒によるアヨーディヤー事件への報復であると判断して暴動を起こし、1,000名を超える死者が出る大惨事となった。
犠牲者の多くはイスラム教徒だ。
この暴動の背後で、BJPの州政府関係者が、列車放火事件がイスラム教徒によるものだと断定した発言をしたり、イスラム教徒の住居や商店の場所を暴徒側に教えたりしていたという指摘がある。
彼らはその黒幕としてモディを批判しているというわけなのだ。

Ska VengersはBJPやモディのナショナリズム的傾向や、新自由主義的な政策に明確に反対を唱えている。
彼らにとって、スカやレゲエは単なる音楽では無い。植民地主義や新自由主義、あらゆる抑圧や専制から本当の自由を勝ち取るための闘争の手段なのだ。
バンドのもう一人のフロントマン、女性ヴォーカリストのBegum Xはこう語る。
「ジャマイカとインドは共通した歴史を持っているわ。どちらもいまだに植民地時代の影響に直面しているの」
TaruのステージネームであるDelhi Sultanateというのは13世紀から16世紀にかけてデリー地方を支配したイスラム教の「デリー諸王朝」のことだ。
彼はヒンドゥーとイスラムの習俗や伝統が融合し多様な文化が栄えたこの王朝を、多様性、寛容性の象徴として自らのステージネームにしている。

彼らの闘争は、バンドでの形態にとどまらない。
次回このDelhi SultanateことTaruのさらなる驚愕の活動を紹介する。
それJAHまた! 


goshimasayama18 at 23:23|PermalinkComments(0)

2018年04月08日

本格的レゲエバンド!その名もReggae Rajahs!

インドのロックやヒップホップを中心に紹介してきたこのブログだけど、そういえばレゲエについては今まで全然触れてこなかった。
ではインドにレゲエミュージシャンがいないのかというとそんなことはなくて、シーンは小さいながらも素晴らしいバンドがちゃんといます。

今回紹介するReggae Rajahsはまさにそうしたバンドの一つ。
Rajaはインドの諸言語で「王様」を意味する言葉。
そこにジャマイカンが信奉するラスタファリアニズムのJah(神・救世主)をミックスしたインドのレゲエバンドにぴったりの名前だ。
ラスタファリアニズムは、主にジャマイカの黒人たちに信奉されている思想で、ものすごくおおざっぱに言うと、堕落した物質主義社会から脱し、心の豊かさを求めてアフリカに回帰することを求める運動ということになる。
今回紹介するReggae Rajahsは、歌詞を見るとそうしたラスタファリアニズムに強く傾倒しているというわけでもなさそうだが、サウンドの面ではかなり本格的なレゲエサウンドを聴かせてくれている。

さっそく1曲聴いてみてください。
"Dancing Mood"

どうです。音楽にもビデオにもインド要素ゼロのゴキゲンなロックステディサウンドでしょう。
あとこのバンドはメロディーセンスが良い!
レゲエ好きじゃなくても、普遍的に良いと思えるキャッチーさじゃないでしょうか。

Reggae RajahsのメンバーはヴォーカルとMCのGeneral Zooz(a.k.a. Mr. Herbalist)とDiggy Dang、DJのMoCityの3人に、2013年に加わったDJと映像を担当するZiggy The Blunt、いろいろ調べたけど今ひとつ役割が分からない(ごめんよ)BeLightsの5人組。
オフィシャルサイトでは、インドで最初のレゲエサウンドシステムを自称している。

ここでもう1曲ゴキゲンなやつを。First Time.

あいかわらず気持ちのいいレゲエサウンドに、坂本九の「明日があるさ」のような一目惚れの恋をテーマにした青春ナンバーだ。
「どうか俺のFacebookリクエストを受け入れてくれ」みたいな現代風ながらも初々しい歌詞が甘酸っぱくて良い。インドの小説や映画やなんかを見ると、垢抜けている今風の若者でも恋愛には結構奥手だったりして、そういうところがインド人のまあかわいいところだ。

Reggae Rajahsは2009年にデリーで結成された。
それぞれイギリス、アメリカ帰りのGeneral ZoozとDiggy Dang、イラク生まれでデリー育ちのDJ MoCityが、デリーで行われたボブ・マーリィのバースデー記念イベントで出会ったことがきっかけになったようだ。
インドではまだまだ数少ないレゲエファンが「え?君もこういうの好きなの?」って感じで出会ったのだろう。
インドではまだマイナーなジャンルに海外で触れた在外インド人が、帰国とともにそのジャンルのインドでのパイオニアになるというのは他のジャンルでもよく見られるパターンで、21世紀に入ってもまだまだ黎明期だったインドのミュージックシーンを象徴するエピソードだと言える。
General Zoozの名前は、このブログで以前紹介したSu Realの"Soldiers"という曲のレゲエパートで本格的なラガヴォイスを披露していたことで覚えている人もいるかもしれない(いないか。面白い曲なのでぜひリンクを辿ってみて)。

DJ MoCityの本名はモハメド・アブーディ・ウライビ。
名前とイラク出身ということからも分かるようにムスリムなのだろうが、他のメンバーの本名を見るとヒンドゥー系の名前で、彼らは多国籍、多宗教のメンバーがレゲエという音楽への愛情で結ばれたバンドと言えるだろう。
彼らは自分たちのバンドでの活動のみならず、Goa Sunsplashというイベントを主催したり、MoCityがboxout fmというネットラジオ曲を運営したりするなど、インド全体のレゲエを中心とした音楽カルチャーの振興にも力を入れているようだ。
いったいどこにそんな資金が?と思わなくもないが、彼らの経歴から想像するに「家がお金持ち」ってことなのかもしれない。

彼らの曲の中でも、個人的にとても気に入っている曲。So Nice.

ちょっとメロウで最高にピースフルなヴァイブの曲で、海沿いの道をドライブしながら聴いたら気持ち良いだろうなあ。
中間部の「Irie!」っていうコール&レスポンスのところ、ぜひライブで一緒にやってみたい。

彼らはニューデリーでのSnoop Dogのオープニングアクトを務めたり、Dub Inc(フランス)、Million Stylez(スウェーデン)、Ziggi Recado(オランダ)、Appache Indian(インド系イギリス人)、Dreadsquad(ポーランド)といった世界中のレゲエアクトと共演したり、ポーランド、ブラジル、フィリピンをツアーする等、国境を越えた活動をしている。
彼らのバイオグラフィーを見てみると、初期にはゴアやマナリといった西洋人ヒッピーが多い都市での活動が多かったようで、インドのアーティストにしては珍しく、コアなジャンルとはいえ非常にインターナショナルな受け入れられ方をしていると言える。

続いては大麻礼賛の曲"Pass the Lighter".

合法化せよ!(legalize!)というピーター・トッシュのようなアジテーションが印象的な1曲。
インド文化(一部のヒンドゥー文化)とレゲエカルチャーの共通点をあえて探すとすれば、大麻がポジティブなものとして捉えられていることと、菜食主義が尊いものとされていることが挙げられるだろうか。
実際、彼らもインタビューでインドのレゲエシーンにおけるラスタファリアニズムの重要性について聞かれたときに「ラスタ文化はインド文化にとても影響を受けているよ。インドの文化にはサードゥー(ヒンドゥーの行者)がいて、髪をドレッドにして大麻を吸ったり森の中で瞑想したりしているし」という、分かったようなよく分からないような回答をしている。

彼らはルーツスタイルのレゲエに最も愛着があるようだが、他にもダンスホールやダブを取り入れることもあって、こんなソカテイストのある曲もやっている。


今回紹介した曲はみんな「Beach Party EP」に入っていて、個人的にも昨年から随分と聴いているよ。

はい。てなわけで、今回はもろインド!って感じじゃなくて、より無国籍な魅力のあるインドのレゲエアーティスト、Reggae Rajahsの紹介でした!
確かに、いろんなリズムやトラックと融合できるヒップホップ(というかラップ)に比べると、レゲエって地域性が出にくい(そしてローカライズがあまり求められていない)ジャンルなのかもしれないね。

あ、そうだ。レゲエの世界だと、ヒップホップで言うところのラッパーをdeejay、DJをSelectaと呼ぶ習わしがあるけど、門外漢なので今回は一般的なほうの表記で書かせてもらいました。
てなわけで、それJAHまた!

goshimasayama18 at 21:04|PermalinkComments(0)