マジック

2020年04月24日

インド魔術の神秘に迫る!山田真美さんの名著『インド大魔法団』『マンゴーの木』





今月に入ってから、2回にわたってベンガルの漂泊の歌い人「バウル」についての記事をお届けした。
バウルについて考えるたびに、どうしても頭の中をよぎってしまうのは、あの謎の占い師「ヨギ・シン」のことだ。

かつては「奇妙な歌を歌う世捨て人」として、賎民のような扱いを受けていたバウルは、タゴールとディランという二人のノーベル文学賞受賞者に影響を与えたことで名声を高め、さらには彼ら自身がUNESCOの無形文化遺産に登録されたことによって、ベンガルの伝統文化の担い手という評価を確固たるものにした。
今日では、バウルはオルタナティブな生き方をする行者として、ベンガルのみならず世界中からカリスマ視されるまでになった。

一方で、パンジャーブ地方から世界に飛び出し、少なくとも100年以上の歴史を持つ放浪の占い師「ヨギ・シン」たちは、仲間のシク教徒からは低い身分として見られ続け、そして世界中の都市で「詐欺師」の烙印を押されながら生きている。
(彼らについては、この下のリンクで詳しく紹介している)
なんとかして彼らを、伝統を守ってきた人々として正当に評価されるようにすることはできないだろうか。
彼らについてこれまでしつこく書いてきた理由のひとつには、僭越ながらこうした思いがあった。
いつの日か、代々木公園で行われる「ナマステ・インディア」みたいなイベントの会場で、ヨギ・シンがその伝統の技術を披露する、なんてことがあったらいいなあ、と思っていたのだ。



ところが、あろうことか、私は「ヨギ・シン」当人とのコンタクトという願ってもない機会をふいにしてしまった。
(その詳細は、上のリンクに詳しく書いてある)
千載一遇のチャンスを逃した私は、仕方なく、インターネットや文献での調査を再開することにした。

ちょうどその頃、私が「ヨギ・シン」に夢中になっているということを知っている方から、インドのマジックに関する本として、山田真美さんの著書『インド大魔法団』と『マンゴーの木』を紹介してもらった。
これまで書いてきた通り、ヨギ・シンは占い師でありながら、奇術師とも言える不思議な存在である。
インドでは「占い」と「マジック」は表裏一体のものとして存在しており、さらに言うと、インドの伝統的な占いやマジックには、予知や透視のような、超自然的な能力との境目が曖昧な部分すらあるのだ。

インドのマジックについて日本語で書かれた本は極めて少ない。
この2冊にも、きっと何かヒントがあるに違いない。
そう思って読み始めてみたところ、想像以上の面白さにすっかり夢中になってしまった。
2冊とも、一応ノンフィクションの体裁を取っているのだが、本自体がまるでインドのマジックのように摩訶不思議な内容で、このタイミングでこの本に出会ったことが運命だったのではないかとすら思えるほどに惹きこまれてしまったのだ。
インド大魔法団マンゴーの木

この本の著者の山田真美さんは、公益財団協会日印協会の理事や日印芸術研究所の言語センター長を務めている方である。
『インド大魔法団』が出版されたのは1997年(私が初めてインドを訪れた年だ!)。
作品の舞台は1989年から始まるのだが、この本の冒頭で、山田さんは「インドにはさして興味はなかった」と明言している。
つまり、この2冊は、今では日印関係の要職を務める山田さんが、マジックをきっかけにインドにハマるきっかけを描いたものでもあるのだ。

この物語はこんなふうに始まる。
(先ほども書いた通り、ノンフィクションなのだが、そのへんの小説よりもよほど奇妙なこの本の内容は、やはり「物語」と呼びたくなる)
山田さんは、運命とも言えるような偶然が重なり、インドの「魔法」に興味を持つようになる。
そして、まるで何者かに導かれるように、インドの「魔法使い」を探す旅に出ることになるのだ。
そこから先は不思議な出来事の連続だ。
インドに到着早々に、よく当たるという占い師が山田さんに不思議な「予言」をする。
「この旅の中で、白い貴石を手に入れる。それを差し出す人の助言を聞きなさい」というものだ。
その後、山田さんはインド政府の協力を得て、伝統的な「魔法使い」を探すべく、インド一周の旅に出るのだが、インド文化や宗教の専門家たちからは「もはやインドには魔法使いなど存在しない」と断言されてしまう。
かつてのバウルや今日のヨギ・シンのように、インドのマジシャンたちは、近代化の波の中で、注目する価値のない伝統と見なされ、ほぼ無視されていた。
1990年のインドで伝統的な手品師を探すということは、日本に外国人がやってきて「ガマの油売りが見たい」とか「バナナの叩き売りが見たい」なんて言うのと同じようなものだったのだろう。
それでも不思議なことがたくさん起きてしまうのが、インドという国だ。
(とくに、この時代のインドには、今の何倍も「不思議」が生きていたはずだ)
山田さんは次から次へと現れる占い師(手品師たちや路上の占い師たちと違い、占星術のような伝統的で理論的な占いは敬意を持って扱われている)、宝石商、旅人、大道芸人、伝統舞踊家らによって、インドの持つ底なしの不思議で魅力的な世界にはまってゆく。
仮に多少の演出を入れて書かれているとしても、それでも「運命」としか言いようのない超自然的な力が働いているとしか思えないようなことが、次々に起きるのだ。
そして、調査の鍵を握る伝説の魔法使い、「P.C.ソーカ(P.C. Sorcar) 」との出会いから、物語は驚愕の展開を見せる。
(クライマックス近く、物語の本筋とは関係のないところで、ある手品師が、ヨギ・シンの占いにも通じる心理トリックの種明かしをする場面もあって見逃せない)
そして、「白い貴石」を持った人物は現れるのか…。


こうした「人探し」や「謎解き」の面白さは、まだインターネットがない時代だからこそ成立していたとも言える。
今では、PCソーカのことも、インドの伝統的なマジックのことも、検索すればある程度のことは簡単に分かってしまう。
世界中が情報で繋がった現代世界では、謎や神秘が存在できる場所は、確実に小さくなっているのだ。
1990年代は、「魔法使い」のような存在が神秘として存在することができた最後の時代だったのかもしれない。
携帯もメールもまだまだ普及していなかった90年代のインドを思い出しながら、束の間の懐かしい気持ちにどっぷりと浸ることができた。



続編の『マンゴーの木』は、私がヨギ・シンを探しているように山田さんがこだわりつづけていた、インドの伝統的な「魔法」を探す物語だ。
そのマジックでは、「魔法使い」が地面にタネをまいて布をかぶせると、みるみるうちに本物の実をつけたマンゴーの木が現れるのだという。
物語の舞台は1997年。
山田さんは前回の旅をきっかけに、なんとインド文化交流庁の招聘研究者となり、インドの神話の研究者としてデリーで暮らすようになっていた。
もはや前作のように、次々と現れるインドの不可思議な魅力(魔力?)に翻弄されるのではなく、研究者として積極的に謎に満ちた世界に飛び込んでゆく姿は、じつに頼もしい。
その調査範囲はインド南端のケーララ州におよび、ついに、もはや存在しないと思われていたインド伝統の「魔法使い」のありかをつきとめる…。

途中で何人ものインド人マジシャンが出てくるのだが、華やかな衣装に身を包み、ステージで洗練されたマジックを繰り広げる彼らは、欧米式の演出を好み、「マンゴーの木」のようなインドの伝統的なマジックにはほとんど目もくれない。
ロープトリックも、カップ&ボールも、そして箱の中に入れた美女に剣を刺すマジックもインド発祥だというのに、伝統的なストリートマジックに関しては、現代のインドでは、過去のものとして追いやられてしまっているのだ。
コンテストに出るようなマジシャンたちも、決してスターというわけではない。
インドではマジシャンとして生活してゆくことはまだまだ難しい。
彼らの多くが、銀行員など他の仕事をしながら、マジシャンを続けている。
プロフェッショナルにはなかなかなれない状況でも情熱を燃やし続ける彼らは、いつもブログで紹介しているインドのインディペンデント・ミュージシャンを彷彿とさせる。

「マンゴーの木」のような昔ながらのマジックを生業とするマジシャンは、村から村を渡り歩く貧しい放浪の大道芸人であり、連絡先を探すことすらままならない。
偉大なインド・マジックは、今では尊敬を集める存在ではなくなってしまったのだ。
こうした扱いゆえか、伝統を受け継いで守っているマジシャン自身も、その伝統を、ほとんど価値のないものと思っているようなのである。
ある人物が発するこの言葉を読んで、胸がつまりそうになった。
「俺は長いこと、自分がやっていることなんて、所詮は誰からも注目されることのない、絶滅寸前の大道芸だと思っていたんです。だから、日本人の女の人が俺の芸を見たがっていると聞かされた時も、担がれているんじゃないかと疑ったぐらいです。(中略)生まれてこのかた、こんなふうにちゃんと俺の話を聞いてくれて、芸の一部始終を写真に収めてくれた人なんて、一人もいませんでしたから。今日は俺、貴女から勇気をもらったような気がします。うまく言えないけど、来てくれて本当にありがとう」

急速な経済成長や近代化、グローバル化のなかで、インド人のなかに自らのルーツを大切にしようという意識が芽生えてきているが(過剰な宗教ナショナリズムは、その悪いほうの一面だ)、一方で、これまで権威とは無縁に引き継がれてきた伝統は無視され、切り捨てられようとしている。
そうした風潮のなかで、伝統を守っている当の本人(マジシャン)も、1990年代の時点で、すでにあきらめを感じていたということなのだろう。
「マンゴーの木」が書かれてから20年を超える年月が過ぎ、その後、伝統的なマジシャンたちは、その居場所と誇りを少しでも取り戻すことはできたのだろうか。


今回紹介した2冊の本で山田さんがインドの伝統に向けるまなざしには、とても深い共感を覚えた。
共感しすぎて、読んでいて「私もいつかヨギ・シンについてこんな本が書きたい」という気持ちが湧いてくるのを抑えられなかったほどだ。
それよりも何よりも、単純にめちゃくちゃ面白い2冊だった。
「インドのマジック」という分野は、私もヨギ・シンに興味を持つまで全く意識したことがなかったが、まさかここまでの深さと面白さのある世界だったとは、想像すらしていなかった。
本当にインドの魅力は底なし沼だな…と感じさせられたこの2冊、まだまだ当面外出自粛が続きそうな毎日ですが、何か面白い本を探している方に、オススメです!
ヨギ・シンの話を面白いと感じてくれた人なら、最高に楽しめるはず!



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goshimasayama18 at 17:10|PermalinkComments(3)

2019年12月24日

知られざる魔術大国インド ヨギ・シンの秘術にせまる(その1)

虹を見るとき、いつも思う。 
もしこの現象が、空気中の水滴と光の屈折が引き起こしたものに過ぎないということを知らなかったら、どんなに感動できただろう、と。
この雨上がりの空にかかる色彩の橋が、神々や精霊のしわざかもしれないと思えたら、どんなに素晴らしいだろう。
学ぶのは大切なことだが、知れば知るほど、この世界から神秘は失われてゆく。

知りすぎた我々の周りからは、神や妖怪や精霊たちの居場所は失われ、我々は物質だけの味気ない世界で暮らすようになった。
それでもなお、この世界に残された謎の正体を知りたがってしまうのが人間の性というもので、何が言いたいのかというと、先日からしつこく書いているヨギ・シンのことなのである。

ネッシーもツチノコも人面犬も口裂け女も、もはや誰もまともに信じている人はいない今日、 ヨギ・シンは、この不思議が失われた世界の最後の謎とも言える存在なのだ。
しかも、他の謎や都市伝説と違って、「彼」は確実にこの世界に存在している。

ヨギ・シンを知らない人のために、「彼」の「発見」から出会いまでは、少し長くなるが以下を参照してほしい。







参照するのがめんどくさい方のために端折って書くと、占い師とも詐欺師ともつかない不思議なインド人との遭遇体験が、世界中で報告されているのだ。

「彼」は、じつに不思議な手口で人の心を読み、お金をだまし取って生計を立てている。
いや、だまし取ると言っては「彼」に失礼だ。
「彼」がしていることは、客観的に見て、一般的な占い師やマジシャンと変わらない。
トリックを使った技をさも超常現象のように見せかけることも、科学的根拠のない未来予想を告げてお金を要求することも、それだけで詐欺とは呼べないだろう。
欧米の都市で彼が'scam'(詐欺)と呼ばれる理由があるとしたら、事前に有料だと言わずに、「占い」のあとでお金を請求することと、お客が支払った金額に満足せず、さらにその何倍ものお金を請求することだと思うが、これは別に詐欺行為ではなく、単に欧米と南アジアの商習慣の違いである。
さらにお金を請求されても、それ以上払わなかったという人も、払わずに逃げたという人も何人もいるし、それに対して脅されたり暴力を振るわれたりしたという話は聞いたことがない。
かなり贔屓目な私の意見など参考にならないかもしれないが、彼はそんなに悪い男ではないのだ。

運良く(あるいは、運悪く)「彼」に出会ったとしよう。
「彼」はあなたに「君は幸運な顔をしている」などと声をかけてくる。
「彼」は小さな紙に何事かを書きつけると、それを丸めてあなたの手に握らせてから、あなたの好きな花や数字を尋ねる。
あなたがそれに答えると、「彼」は握りしめている紙を広げて読んでみるように言う。
すると、なんとそこには、さっきあなたが答えた通りの花の名前や数字が書かれている。
その後、さらに高度な質問(例えば、母親の名前など)を的中させたり、未来を占ったりしたうえで、その対価としてお金を要求するというのが、代表的な「彼」の手口だ。

古くはミャンマーで1950年代に出版された小説にその存在の記述があり、90年代にはノンフィクション作家の高野秀行さんがバンコクで遭遇している。(『辺境中毒!』という本にそのエピソードが書かれている)
インターネットが発達した2000年代以降、驚くべきことに、「彼」との遭遇はロンドン、シンガポール、メルボルン、ニューヨーク、トロントなど、世界中の都市で報告されている。
最新の報告は、数日前に日本人の青年が香港で遭遇したという事例だ。
ミャンマーの小説の舞台は1930年代だというから、少なくとも100年近い歴史のある占い(もしくは詐欺)ということになる。

「彼」は、名前を名乗るときも名乗らないときもあるが、名乗る時は必ず「ヨギ・シン」という名であることが分かっている。
「シン(Singh)」はシク教徒の男性ほぼ全員に名付けられるライオンを意味する名前で、「ヨギ」はヨガなどの行者を意味している。
自分はパンジャーブ出身であると言うこともあり、ターバンなど、シク教徒らしき特徴であることも多い。
(「シク教」は16世紀に現在のインド・パキスタンの国境地帯であるパンジャーブ地方で成立した宗教で、男性はターバンを着用することが教義に定められている。現在ではターバンを巻かないシク教徒もいる)


報告された時代と場所がこれだけ多岐にわたっているということは、長年にわたって同じ手口を生業とするグループが存在するということだ。
『インド通』という本を書いた大谷幸三氏によると、シク教徒のなかで、こうした辻占で生活する、低い身分とされている集団があるという。
だが、それ以上のことは何も分からない。
彼らは世界中に何人いるのか。
いつ頃から、彼らは存在しているのか。
海外に出てまで辻占をして、はたして採算は取れるのか。
そして、彼らの技術には、どんなトリックがあるのか。
彼らについて知りたいことはいくらでもあった。

そんな時、なんと「彼」が東京に現れたという情報が入った。
先月(2019年11月)のことだ。
様々な方からの情報が寄せられ(謎のインド人占い師と遭遇した人が検索して私のブログを見つけて、コメントを残してくれたのだ)、写真や遭遇地点の情報をもとに、私は出没報告のあった丸の内を捜索した。
そして、幾日にも渡る捜索の結果、私はついにヨギ・シンと思われる男と遭遇したのだ!
だが、「彼」の正体を知っていることをほのめかした私は警戒され、「彼」は何も語らずに立ち去ってしまった。
私は千載一遇のチャンスを逃してしまった。
まさか怪しいインド人に怪しい男扱いされるとは想像もしていなかったが、考えてみれば、海外で詐欺とも取れる行為をする彼らが警戒を怠らないのは当然のことだった。
もし私が警察や入国管理局の関係者だったとしたら、「彼」は拘束されたり、強制退去させられたりするかもしれない。
私は作戦を誤ったのだ。

その後、それまで何日も続いていた東京でのヨギ・シン遭遇報告はぱったりと途絶えてしまった。
報告によると、ターバンを巻いた初老の男、ターバンのないもう一人の初老の男、そして私が会った比較的若い男の、少なくとも3人のヨギ・シンが東京に来ていたはずだ。
彼らは正体を知っている人間がいることを恐れて、東京から去ってしまったのだろうか。

直接彼らと接触する術を失った私は、別の方面からの調査を行うことにした。
ヨギ・シンの最大の謎と言ってよい、不思議な「技」についての調査だ。
私は、彼の「技」と同じようなテクニックを、テレビか舞台でマジシャンが披露しているのを見た記憶があった。
彼の「技」と同じか、少なくともよく似た技術が、マジックのなかにあるはずだ。
彼の「技」のルーツが分かれば、彼らについてきっと何か分かることがある。
例えば、もし彼の「技」が20世紀前半にイギリスのマジシャンによって発明されたものだということが分かれば、彼らの技法はその時代にインドからイギリスに渡った移民によってコミュニティにもたらされたと推測できる。(実際、シク教徒はインド独立前後にイギリスに移民として渡った者が多かった)

私は、大型書店、図書館、そしてインターネットで、マジック関連の文献の中に手がかりがないか調べ始めた。
そこで改めて気づいたのは、マジックの種類というのは、数え切れないほど無数にあるということだ。
その一つ一つを調べて、彼の「技」との類似点がないかを確認するには、相当な労力と時間が必要だ。

それに、調べれば調べるほど、プロのマジシャンが行うマジックのタネが分かってしまうというデメリットもあった。
私はマジックを見るのが結構好きなのだ。
ヨギ・シンの秘密を探るためとはいえ、知りたくないマジックのタネまで知ってしまうというのはあまりにもむなしい。
マジックもまた、知ることでその神秘を失うのだ。
いずれにしても、多すぎるマジックのタネを、片っ端から調べてゆくのは効率が悪すぎる。
彼の「技」によく似た、数を的中させるマジックといえば、まず思い浮かぶのはカードマジックだ。
私は手始めにカードマジックから調べてゆくことにした。

すると、カードマジックのごく初歩的な部分のなかに、気になる言葉があるのを発見した。
カードマジックについて書かれた本に、「ヒンズー・シャッフル」という単語があったのだ。
「ヒンズー」はほぼ間違いなくヒンドゥー教のことだろう。
これはきっとなにかインドに関係があるに違いない。
調べてみると、我々日本人がトランプをシャッフルするときに行うごく一般的なやり方を、マジックの世界では「ヒンズー・シャッフル」と呼ぶということが分かった。
語源は、かつてインドのマジシャンたちがこのシャッフルを多用していたからだという。

インドのマジシャン。
私はその言葉を見つけて、はっとした。
なぜ今までその発想に至らなかったのだろう。
華やかなラスベガスなどのイメージから、私はマジックの本場といえばアメリカ、そしてそのルーツであるヨーロッパだとばかり考えていた。
だが、インドほどの歴史と文化を誇る土地であれば、そこに豊かな奇術の歴史があっても全くおかしくはないのだ。
調べてみると、インドはイブン・バットゥータが旅行記を著した13世紀から、世にも不思議な奇術を行うマジシャンたちの国として知られていたという。

そう、インドはかつて、マジック大国だったのだ。
とくにロープマジックについては深い歴史とバリエーションがあり、また誰もが見たことがあるであろう箱の中の人物に剣を刺すマジック(もともとは箱ではなく籠が使われていたようだ)も、寝たまま空中浮遊した(ように見える)人物にフラフープを通してみせるマジックも、その発祥の地はインドだという。

考えてみれば、インドほど怪しげでミステリアスな、マジックが似合う国は他にないのではないだろうか。
なにしろ、かのフーディーニも、そのキャリアの初期には顔を褐色に塗り、インド人の魔術師に見えるような演出をしていたという。
インドはむしろマジックの本場とも言える国なのだ。
インドの民衆が誇る知的財産とも言えるマジックは、悲しいことに、植民地支配や独立後の欧米との経済力の格差によって、先進国に流出してしまったのである。

皮肉なことに、悲願の独立を果たしたインド社会では、藩王国の解体によって、宮廷を舞台に活躍していた芸術家たちはパトロンを失ってしまった。
路上で生計を立てていた大道芸人たちも、近年の都市開発によって居場所を奪われ、もはやその文化は風前の灯火だという。
近代国家として歩みだしたインドに、マジシャンたちのための場所はほとんど残されていなかったのだ。
そもそも幼い頃から親族共同体のなかでともに暮らして修行する伝統的な手品師の生き方は、近代的な学校制度とも相入れないものだった。
さらに、映画やテレビといった新しい娯楽が、彼らの衰退に追い打ちをかける。

彼らの先祖から技術を盗んだ先進国のマジシャンたちは、今日もタキシードを着て、華やかなステージで洗練されたマジックを披露する。
着飾った観客たちのなかに、そのマジックのいくつかのルーツがインドにあると想像する人が、はたしているだろうか。

そう考えてみると、一度はインドから奪われたマジックという「文化遺産」を使って、先進国の都市で人々を幻惑してはお金を稼いでゆくヨギ・シンは、たとえ本人が意図していなかったとしても、インドの伝統にのっとったやり方で、文化的かつ歴史的なリベンジを果たしているとも考えられる。

長くなったうえに、話が迷走気味になってきたので、今回はここまで。
次回は、いよいよヨギ・シンの「技」の核心に迫る。
虹の神秘を失わずに、その本質を伝えるには、どう書いたものか。


(写真は丸の内の路上で11月に撮影されたターバン姿のヨギ・シン。彼を含め、少なくとも3名のグループが来日していたと思われる)
ヨギ・シン2加工済み


その他参考文献:前川道介(1991)『アブラカダブラ 奇術の世界史』白水社、Lee Siegel(1991)"Net of Magic : wonders and deceptions in India" The University of Chicago Press
参考ウェブサイト:https://qz.com/india/1330572/indian-magic-once-captivated-the-world-including-harry-houdini



(つづき)



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