フォーク

2020年04月15日

コルカタのドリームフォークバンド Whale In The Pondが紡ぐ美しき終末の叙事詩


ここのところ、コルカタやベンガルのミュージシャンを立て続けに紹介してきたので、そろそろ別の地方のミュージシャンを取り上げようと思っていたのだけど、またまたコルカタ出身の素晴らしいバンドを見つけてしまった。
インドの音楽シーンをチェックしていて、一年に一組出会えるかどうかの「本物」に出会ってしまったのだ。
あらかじめ断っておくが、まだまだ発展途上のインドのインディー音楽シーンにも、センスの良いアーティストはそこそこいる。
ただ、欧米の模倣や類型的なミュージシャンも多く、彼らがその音を鳴らすべき必然性と、個性的で独自の世界観を兼ね備えたアーティストとなると、本当に数少ないのが現状なのだ。
そうした魅力をあわせ持ったアーティストを紹介できる喜びは、何にも増して大きい。

さっそく紹介しよう。
彼らの名前はWhale In The Pond.
とある音楽メディアで「ドリーム・フォーク」紹介されていた彼らの音楽を聴いて以来、すっかり夢中になってしまっている。

まずは、2017年にリリースされた彼らのデビューEP"Marbles"から、"Autumun Winds"をお聴きいただこう。

「アコースティック版Pink Floyd」とでも呼べるような深みのあるサウンドとハーモニーは、まさにドリーム・フォークの名にふさわしい。

これだけでも非凡な才能をうかがわせるに十分だが、つい先日彼らがリリースしたセカンドアルバム"Dofon"は、これに輪をかけてすばらしかった。
彼らの新作は、前作のようなメロウなフォークサウンドだけでなく、地元の伝統音楽やラテンのリズムまで取り入れた、よりアコースティックかつ多様性にあふれた素晴らしいコンセプト・アルバムなのだ。

アルバムの冒頭を飾る"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"は、地元の音楽を導入した、どこか別の世界からやってきたような不思議な魅力を持った一曲だ。


インドの古典音楽として有名な北インドのヒンドゥスターニーや南インドのカルナーティックと比べるとぐっと素朴な印象のあるベンガル地方の伝統音楽に、これまた素朴な欧米風のアコースティックなフォークロックを融合したサウンドは、とても個性的であるだけでなく、この上なく美しく、やさしい。

やわらかい音作りが印象的なこのアルバムだが、アルバムタイトルの"Dofon"は、じつはベンガル語で「埋葬」という意味だそうで、このアルバムにはこんな不吉な言葉も添えられている。

'You'd be forgiven for mistaking this sunset as a thing of beauty; It's anything but. Our kind doesn't really deserve an ending like this, not after all we've done. Two suns will rage together in the evening sky, one brighter than the other: the light dispersing through the scattered clouds into a sinister maloon. You couldn't pick a more beautiful day for harbinger of the apocalypse.'

意味が取りにくい文章だが、強いて訳せばこんな趣旨になるだろうか。
「あなたがこの落日を単に美しいものだと誤解したとしてもしかたない。だが、これはそのようなものでは全くないのだ。夕暮れの空に、二つの太陽が猛り狂い、片方はより明るく輝く。その光は雲を散らし、不気味な色を放つ。黙示録の前兆として、こんなに美しい日はどこにもないのだ」

破滅的な響きをもつこれらの言葉は、いったい何を意味するのだろうか。
そして、彼らのユニークで心地よいサウンドはいったいどこから生まれてきたのか。
数々の疑問について、さっそく彼らにインタビューを申し込んで聞いてみた。


−いつ頃バンドを結成したんですか?全員コルカタ出身なのでしょうか?

「Sourjyoはアッサム州のSilcharという街の出身なんだ。彼は2013年にコルカタのJadavpur Universityに英文学を学びにやってきて、そこでShireenと出会った。二人は大学でいくつかの曲を共作して、そこから一緒に演奏するというアイデアが浮かんだんだ。それから、Sofar Kolkataでの最初のライヴのあとにDeepが加わった。1年後にファーストアルバムを出した後にSagnikが仲間に加わったんだ。
だから、Sourjyo以外はコルカタ出身だよ」

彼らから送られてきた資料によると、Whale In The Pondのメンバーは以下の4名。

Sourjyo Sinha: メインヴォーカル、ギター、作詞、作曲
Shireen Ghosh: プロダクション、ミキシング、バッキングヴォーカル、フルート、メロディカ
Sagnik Samaddar: キーボード、マンドリン、バッキングヴォーカル
Deep Phoenix: ギター、ベース、パーカッション、マンドリン、バッキングヴォーカル

メインヴォーカルとソングライターを務めるSourjyoを中心に、多彩なアコースティック楽器を演奏するマルチプレイヤーたちが集まったバンドのようだ。

−なるほど、だから"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"はSilcharで起きたことが歌われているんですね。この曲はベンガル語?それともシレット語(シレット語〔Sylheti〕は、 Sourjyoの故郷Silcharを含むインド北東部、バングラデシュ北部で話されているベンガル語の方言)ですか?

「うん。その通り。これはシレット語だよ。"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"と"Dofon"はシレット語で歌われている」

"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"のYouTube動画に添えられていた文章によると、この曲は、かつてSilcharでシレット語を話す人々の権利が蔑ろにされていたこと、命がけの抗議運動の甲斐あってやがてアッサムでもベンガル語(シレット語はベンガル語の一方言)が公用語に認められたこと、その後この地に広軌の鉄道が引かれ人々が歓迎したこと、その鉄道を引いた政府は他の人々に対して抑圧的な傾向があったが、Silcharの人々は自分たちが弾圧されるわけではないので気にかけなかったことなどが、皮肉を込めて歌われている。

−基本的にアコースティック楽器で演奏するというのがこのバンドのコンセプトなのでしょうか?ドリーム・フォークと呼ばれることもあるみたいだけど、自分たちの音楽をどんなふうにカテゴライズしますか?

「ドリームフォークって言葉は、僕らが思いついたんだ。最初のアルバムはドリームポップ的な美しさをアコースティック楽器で表現したものだったからね。ただ、さまざまなジャンルを試しているから、僕らの音楽をカテゴライズするのは難しいな。'インディーフォーク'で十分だと思うけど。
うん、僕たちはライブではアコースティック楽器をプレイしている。でも僕らが音楽を作るときは、どんなことでもやってみるよ。サウンドに関しては主にShileenが指揮しているんだ。自分たちの可能性を限定したりはしないよ」

−どんなふうに曲を作っているんですか?特定のメンバーが書いているのか、それとも共作しているんですか?

「Sourjyoが曲を書いて、基本的な構成を考えている。残りのメンバーは、それをリアレンジしたり、さらに別の要素を付け加えたりしているんだ。今ではもっと共作っぽくなっているよ。新作ではバンドメンバー全員がプレイしながら作ったからね」

ニューアルバムのタイトルトラック"Dofon"は7分を超える大曲で、メンバー全員が作曲に関わっているそうだ。

−なるほど、だからニューアルバムはさらに多彩な内容になっているんですね。ところで、このアルバムは「この世の終わり」をテーマにしたものだそうですね。このコンセプトについて、もう少し詳しく教えてもらえませんか?

「ずいぶん長い話になるから、アルバムのビジュアルに取り掛かる前に書き留めた'Dofon'の基本的なコンセプトを送るよ。ビジュアルも合わせて送るね」

事前に読んでいたTelegraph Indiaによるインタビューで、Sourjyoは「"Dofon"は世界の終末をリアルに表現したコンセプトアルバム」と語っていた。
そのコンセプトについて彼らから送られてきた資料は、なんと12ページにも及ぶ詳細なもので、そこには「滅亡の叙事詩」とでも呼べるような、驚くべき内容が書かれていた。
あわせて送られてきた歌詞を読む限り、歌われている内容はむしろ抽象的であり、様々な解釈の余地を残している。
ところが、その背景にはかなり精緻かつ具体的な「破局の物語」が込められているのである。
もし、彼らの音楽を「やさしく、美しいもの」にとどめておきたい人は、このあとに続く文章を読まない方がいいかもしれない。


このアルバムの中の6曲は、すべて一つの大きな物語として繋がっており、端的に言うと、核によるホロコーストによって引き起こされる人類全体の終焉を描いているのだ。
「核による世界の終末」というコンセプトは、東西冷戦終結以降、あまり見なくなったものだが、隣国パキスタンと核保有国同士での緊張状態にあるインドでは、今なお核戦争が最もリアルな「破滅への道」なのだろう。
以下、それぞれの楽曲の趣旨を簡単に紹介する。

2曲めの"The Night's End"と1曲めの"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"は、対になっている曲だという。
"The Night's End"は、戦いが続く荒れ果てた土地で、シェルターを求めて逃げている母親が幼い子どものために歌っている歌である。
母親は死にゆく運命に絶望しながらも、「遠くないうちに夜が明ける」と歌い聞かせているのだ。
"Aaij Bhagle..."は、前述のように、もともとはSilcharでの出来事をテーマにした歌だったが、このアルバムの中では、戦争を起こした最高指導者に追従し、自分のまわり生活だけを考えて暮らしている人々を表現したものになっている。
つまり、この2曲は、同じ状況を二つの異なる側面から描いたものというわけだ。

5拍子のリズムにフルートの音色が美しい"Where Is Your Heart"は、"Aaij Bhagle..."の続編とも言える楽曲だ。
国を率いる最高指導者は、裕福で特権階級の影響力のある人々のことしか気にかけていなかった。
そして、そこではあなた自身も、多かれ少なかれ、富と権力を追求して生きている。
やがて人々はそのことに気がつくのだが、もはや未来を変えるには遅過ぎた…というのがこの曲の内容だ。


"Kite/Loon"は「絶望のバラード」。
この世界に間もなく終末が訪れることを受け入れ、途方に暮れつつも、空想にふけったり、違うことを考えたり、愛する人とともに過ごしている人々について歌われている。

アルバムの最後の2曲、"Nova"と"Dofon"も、同じテーマ、すなわち、核爆弾が落とされ人類が破滅する瞬間を、2つの側面から描いたものだという。
ラストを飾る"Dofon"の内容は、破滅の瞬間が近づいたとき、特権を持たない平民がシェルターを見つけ、「入れてくれ」とドアを叩くが、誰もその扉を開ける者はおらず、彼はその目で核爆弾が落とされるのを見届ける…というもの。

ラストから2曲目の"Nova"では、視点がシェルターの中に移る。
これは特権階級の人々の、この世の終わりのパーティーソングだ。
もしかしたら生き残れるかもしれないという希望を抱いている彼らもまた、滅亡することになる。
外側からドアを叩く音は、音楽のビートにまぎれて聞こえない。
助けを求める声もまた、音楽にかき消されて誰にも届かない。
ついに爆弾が落ちるのを見たとき、その声は激しい叫びへと変わってゆくが、誰もその叫びを聞く者はいない…。

初めて彼らの音楽を聴いた時、優しさの中にも文学的な深みを感じさせる音像にPink Floydを想起したのだが、このアルバムは、まさに70年代のプログレッシブ・ロックを思わせる詩的かつ壮大なコンセプト・アルバムだったのだ。
この"Dofon"を、まるでデビルマンのような、全く救いようのない「破滅と終末の叙事詩」と呼んでも差し支えないだろう。

Dofon

夕日の前で踊る男を描いたこの印象的なビジュアルは、ベーシストのSagnikの家に飾られていた60年前の絵がもとになっているという。
もともとは月夜の海辺で踊る男を描いていたこの絵は、恍惚の表情を浮かべ、踊りながら海に入り溺死してゆく男の狂気を描いたものだったそうで、彼らが考えていた作品のイメージにぴったりだったことから、背景にアレンジを加えてこのアルバムのカバーに採用されたそうだ。
インタビューに戻ろう。

−思ったよりもずっとディープな内容なんですね…。でも、世界中が厳しい現状にある今、Whale In The Pondの音楽は、ポジティブなだけのポップミュージックよりも、ずっと心を慰めてくれるような気がします。
ところで、かなり色々な音楽の影響を感じさせるサウンドですが、どんな人たちの影響を受けているか教えてもらえますか?

「かなりたくさんのアーティストやサウンドに影響を受けているよ。僕らはみんな好みが違うんだ。"Aaij Bhagle..."と"Dofon"は明確に地元の民謡の影響を受けているし、西洋音楽の影響も入っている。"Where Is Your Heart"はフラメンコから、"Nova"はボサノヴァとEDMの要素がある。
もしアーティストの名前を挙げるんだとしたら…時間がかかるな(笑)。とにかくたくさんのスタイルやサウンドを借りてきているから、僕らの好きな音楽やアーティストを寄せ集めたみたいな感じだよ」

−なるほど。では、好きなアーティストの名前を挙げるとしたら?

「The Beatles, Radiohead, Gorillas, Queen, Tame Impala, 少し名前を挙げるとしたらそんなところだね」

1960年代のビートルズから2010年代のTame Impalaまで、それぞれまったく異なる音楽性のバンドの名前が挙がったが、そのなかに彼らのようなフォークサウンドを特徴とするバンドはひとつも含まれていないというのが面白い。

−ところで、地元の民謡(フォークミュージック)から影響を受けているというお話が興味深かったのですが、それはベンガルの民謡ですか?それともシレットの民謡?

「ベンガル民謡も、シレット民謡も、アッサム民謡もだよ。そういった音楽が、僕らがいたところにはどこにでもあって、聴きながら育ったんだ。ひとつ例を挙げるとしたら'Ganja Khaiya Moghno Hoiya Nase Bhulanath'かな。誰が書いた曲かは知らないし、YouTubeにもいい音源が上がっていないんだけど。もしSilcharに来たなら、どこでも流れている曲だよ。日常文化の一部って感じさ」

いいバージョンが無いということなので、あえてリンクは貼らないが、'Ganja〜'という曲名からも分かる通り、どうやら大麻に関連した内容らしく、こうしたテーマゆえか、DJミックス(かなり民謡っぽいものだが)もたくさん作られている曲のようだ。

−すごく興味深いですね。日本では、これからタゴールに関するドキュメンタリー映画が公開されるところで、ベンガル文化への注目が少しずつ高まってきています。タゴールの詩やバウル・ソングのようなベンガルの文化からの影響はありますか?

「"Dofon"はバウルからいくらか影響を受けているのは確かだね。この曲ではPratul Mukherjeeの影響も受けている。でもラビンドラナート(タゴール)の影響は無いなあ。この街や州では誰もが彼の影響を受けているから、僕らが違う道を選んでいるっていうのはいいことだと思うよ。」

Pratul Mukherjee(Mukhopadhyayとも)は1942年生まれの詩人であり、また同時に歌手でもソングライターでもある人物で、ベンガルで親しまれている大衆歌を多く作った人物だ。
彼がベンガルの文壇(あるいは音楽界)でどのような存在なのかは分からないが、詩人であり、ソングライターでもある(そして自分でも歌う)というマルチな才人ぶりは、タゴールやバウルたちとも重なるところがある。
自分の作った詩にメロディーをつけて歌にするというのは、ベンガルの伝統とも言えるものなのだろうか。
インドのロックバンドの中では極めて詩的な世界観を持つWhale In The Pondは、こうしたベンガルの歌びとたちの系譜の最先端にいると言ってもいいのかもしれない。
ちなみに"Dofon"は、彼の"Dinga Bhashao"という詩曲の影響を受けているそうだ。

−それでは最後の質問。コルカタのミュージックシーンはどんな感じですか?Parekh & Singhや、かつてのHighみたいに、コルカタには素晴らしいバンドがいますよね。地元のバンドでお気に入りはいますか?

「コルカタの音楽シーンはまた盛り上がってきているところだよ。唯一の問題は、インドの音楽シーンはデリーとボンベイに支配されてしまっているってことだね。だからなかなか僕らの言葉を広めることができないんだ。
僕らが気に入っている地元のアーティストの中では、Rivuは素晴らしいプロデューサー/ギタリストだよ。じつのところ、彼の新作"Incident 2019"は"Dofon"と同じような世界観のアルバムなんだ。僕らもちょっと意識したよ。
Paroma & Adilも素晴らしいアーティストだ。
いろんなバンドに参加しているDolinmanは、もともとFiddler's Green(ドイツのアイリッシュパンクバンドではなく、コルカタのフォーク・ジャムバンド)のメンバーで、"Dofon"でマンドリンを演奏して魔法のようなタッチを加えてくれた。
もちろん、Parekh & Singhも素晴らしいね」

インドの音楽シーンはデリーとムンバイに支配されてしまっている、というのは常々私も感じていることだ。
インドの大手音楽系メディアはこの2都市に拠点を置いているところがほとんどで、彼らのように優れたバンドであっても、東部のベンガル語圏や南部で活動しているアーティストは、なかなか紹介される機会に恵まれないのが現状なのだ。
そうした状況のなかで、コルカタのアーティストたちは、商業性やトレンドの追求ではなく、文学的とも言える独自の表現を研ぎ澄ませてゆく傾向があるような印象を受ける。

彼らがイチオシだというRivuは、彼らとはうって変わってエレキギター主体のインストゥルメンタル。
だが、インストにも関わらず、グレタ・トゥンベリのスピーチを導入するなどして、巧みに世界観を表現している。


Paloma and Adilはトリップホップ的なサウンドのアーティストだ。
このディープなサウンドと雰囲気に、この街の他のアーティストとも共通したものを感じてしまうのは偶然ではないだろう。


Fiddler's Greenは、地元のフォークミュージックにカントリーなどの要素を加えたアコースティックなジャムバンドだ。

軽快でここちよいサウンドの素晴らしいフュージョン・フォークバンドである。

コルカタはインドのなかでも、個性的で独自の世界観を持ったアーティストを多く輩出している街なのだ。

今回紹介したWhale In The Pondの"Dofon"は、絶望的なテーマを扱ったアルバムであるが、コロナウイルスの蔓延に世界中がおののいている今だからこそ、聴かれるべき作品であるようにも感じる。
彼らのあたたかいサウンドは、希望のない世界を描きながらも、不思議と癒やしを与えてくれるように思うのだ。
また、彼らはこのアルバムの物語を演劇にすることも計画しているという。
これもまた、いかにもベンガルらしい文化的かつ芸術的な表現へのアプローチだと言えるだろう。

それにしても、イギリス統治時代の中心地であり、そして独自の詩と音楽の文化を持ったベンガルのシーンの奥深さは計り知れない。
まだまだ紹介すべきアーティストが出てきそうだが、ひとまず今回はこのへんで!


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2019年12月13日

またインドのアーティストが知らないうちに来日していた!女性ドリーミー・ポップデュオ Gouri and Aksha


またしても知らないうちにインドのアーティストが来日公演を行っていたことが判明!
これまた少し前の話になるが、Rolling Stone Indiaの記事によると、ムンバイのソウル/ポップデュオのGouri and Akshaが今年5月に大阪のいくつかの会場でライブを行なったとのこと。

彼女たちは、その後9月にデビューシングル"Look Inside"をリリースしたばかりの新人アーティスト。
前回紹介したEasy Wanderlingsの"My Place To You"を思い起こさせるような、美しいアニメのビデオが印象的なこの曲は、フォークを基調にしながらも、生演奏とエレクトロニックサウンドが融合した叙情的な一曲。



最小限の画面の変化ながら、浮遊感あふれるサウンドとあいまって、幻想的な視覚効果が強く印象に残る映像だ。

Rolling Stone Indiaの記事によると、Gouri and Aksha ーすなわちGouri RanjitとAksha Kiniー はミュージカル『アラジン』のムンバイ公演のリハーサルで出会い、二人で好きな曲を歌ったりハモったりするようになったという。
やがて、デリーでの1ヶ月の公演の間に、ホテルの部屋をシェアして、一緒に曲を書くようになったそうだ。
印象的なアニメーションビデオは、プネーの若手女性アニメ作家Anusha Menonによるもの。
湖畔に座る少女は、彼女たちのうちの一人をモデルにしたものだと思うが、私はそこに、彼女の衣装のせいだけでなく、極めてインドらしからぬものを感じた。

そのことを説明する前に、彼女たちがYouTubeにアップしている他の曲も聴いてみよう。
ピアノとヴォーカルのデュオスタイルで披露される楽曲たちは、ちょっとキャロル・キングを思わせるような情感がある。


ここで、ピアノを弾きながら歌っている方(GouriとAkshaのどっちだろう?)の髪型に注目してほしい。
お分かりだろうか。
彼女にはなんと、前髪がある!
90年代以降、インドの社会は急激に変化しつづけているが、今でもインドの女性の髪型はほとんどがロングのワンレングスだ。
それがもっともインド女性に似合う髪型だからということもあるのだろうが、ロックやヒップホップなどのジャンルで活躍する女性アーティストたちも変わらない。
(おそらくだが、インドの成人女性に前髪のある髪型が好まれないのは、「子どもっぽく見える」という理由からなのではないかと思う)
髪型一つからも、彼女たちが新しい感性を持った世代のアーティストだということが伝わってくるというものだ。

そんな彼女たちに、さっそくメールでインタビューを申し込んでみた。


凡平「とても独創的な音楽を演奏していますが、どんな音楽的な影響を受けているか教えてください」

G&A「たくさんの影響を受けているわ。例を挙げるとしたら、Fiona Apple, Sara Bareilles, Hiatus Kayoteとか。Moses SomneyとかMaroなんかの新しくて素晴らしい音楽からも学んでいるの。これまでにいろんな音楽から学んできたことが、無意識のうちに私たちのソングライティングに現れていると思うわ」


凡平「"Look Inside"はエレクトロニックな音と生演奏が融合したサウンドですが、YouTubeにアップされている他の曲はアコースティックですね。今後はどんなタイプの曲を作っていくつもりですか?」

G&A「曲を作っている時には、ジャンルのことはあんまり考えてないの。どんなものからもインスピレーションを得られるわ。ちょっとした出来事とか、新しく見つけたAbeltonのプラグインとか、私たちの好きなコードの響きとか。そうしたら、アイデアや気持ちを制限したり決めつけたりしないで、自由に羽ばたかせて曲を作るの。
そうは言っても、"Look Inside"は、今のところ私たちがプロデュースした唯一の曲よ。私たちは他の曲をプロデュースしているところなの。YouTubeやSoundcloudにアップしてあるアコースティックバージョンの曲をね」


凡平「Anusha Menonによる"Look Inside"のミュージックビデオが本当に素晴らしいですね。どうやって彼女とコラボレーションすることになったのでしょうか?」

G&A「彼女にコンタクトする前から、私たちは彼女をインスタグラムでフォローしてたの。正直に言うと、私たちはちょっとだけアニメの要素が入ったシングルフレームの絵が欲しかっただけだったの。でもAnushaが曲を聴いたらインスパイアされて、1曲分のきちんとした映像を作ってくれたの。
この曲はもともと内省的なものだったから、ダークで夜の要素が欲しかった。私たちはとくにAnushaの作品の『ワビ・サビ』スタイルな部分が好きだったから、そういうものをお願いしたわ。あとは全部Anushaがやってくれたのよ。私たちが飼っている2匹の猫、ObitoとPakaluを登場させるっていうアイデアもAnushaのものよ。2匹とも、私たちの内面的なパートナーでもあるから(ハートマーク)」


凡平「日本ツアーをすることになったきっかけは?」

Aksha「実は私は今、短期契約で日本で働いているのよ。
こっちに来たとき、いくつかのライブ会場にコンタクトして、私たちの音源をシェアしてみたの。そうしたら、驚くことにたくさんの場所からライブをやってほしいっていう連絡が来たわ。
だからGouriに日本に飛んで来てもらって、彼女が日本にいるうちに、できるだけ多くのギグをしたの」


凡平「ライブはどんなところで行いましたか?大阪だけ?」

G&A「ええ、Akshaの仕事があったから、遠くでライブをするってわけにはいかなかったの。だから、大阪の、全然違う雰囲気の素敵な3つの会場でライブをしたのよ。
1つめは、Art and Nepalっていうアートギャラリー兼カフェ。
2つめは、Soundgarden Bar and Cafe. ここは心斎橋のど真ん中にあって、ツインピークスみたいな不思議な魅力がある場所。
3カ所目は、El Nagueっていう白い素敵なアップライトピアノがあるイタリアンレストランよ。」


なんと、来日公演の理由が日本で働いていたからだということに驚いた。
彼女たちもまた、昨今のインドのインディー音楽シーンで目立つ多くの国際派アーティストと同様に、インドという枠組みの中だけで捉えるのではなく、グローバルなインディーミュージックシーンのなかに位置づけられるべきアーティストなのだろう。
欧米の音楽に影響を受け、当たり前のようにデビュー前に海外でライブを行う、新しいインドのアーティストたち。
彼女の前髪は、そうした新しい世代の姿勢を表す象徴でもあるのだ。(もちろん本人はそんなことは意識していないだろうが)

アコースティックなサウンドを基底に持ちつつ、現代的なアプローチも積極的に取り入れるGouri and Akshaの活動に、これからも注目していきたい。



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2019年10月06日

インド北東部にボブ・ディランがいた(その1)!マニプル州のImphal Talkies!



個人的な話になるが、ボブ・ディランのなかでいちばん好きな曲はこの"Don't Think Twice, It's Alright".
『くよくよするなよ』っていう素敵な放題もついている。
(この音源は本物。インドのボブ・ディランはこの後出てきます)

学生時代、就職を控えた最後の春休み、当面最後になるであろう1ヶ月単位でのインドの旅(そして実際、それ以来そんなに長くインドには行けていない)の終わり頃だったと記憶している。
あれはどの街に向かう鉄道だったろうか。
夕暮れに染まるインドの大地を眺めるともなく眺めつつ、CDウォークマンでこの曲を聴きながら、自分の人生はこれからどうなるんだろうか、なんてしみじみと考えたものだった。
就職先が古いタイプの日本企業で、最初の勤務地は出身地とは違う地方に配属になるというしきたりがあった。
1ヶ月後、自分はどこの街でどんな人とどんな仕事をしているのだろうか。
あと、この"Freewheelin' Bob Dylan"のジャケットのような、寄り添ってくれる彼女も欲しかった(ちなみにこの女性は、実際にディランがつきあっていた彼女)。
今にして思うと、めちゃくちゃ安っぽい感傷だが、きっとそんな感傷に浸りたい年頃だったんだろう。
ああ恥ずかしい。
そんな思い出話はさておき。

先日、「インド北東部にJ-Popバンドがいた!?」という記事をお届けした。
インド北東部は"7 Sisters States"と呼ばれる7つの州から構成され(さらにシッキム州を北東部に含めることもある)インドのマジョリティとは異なるモンゴロイド系の民族が暮らす地域だ。
インド北東部地図NEとシッキム

インド北東部地図拡大 

この地域は、中国、ミャンマー、バングラデシュ、ブータンと入り組んだ国境を接する地政学上重要な地域であり、また多くの州で過激な独立運動が行われていたため、長らく外国人観光客の入域が制限されていた謎の多いエリアでもある。
その北東部に、「J-Popバンド」がいたというので、ずいぶんとびっくりしたものだった。

ところが、北東部の驚異はそれだけにとどまらない。
今度は、なんとインド北東部に「ボブ・ディラン」がいるのを見つけてしまったのだ。
「インドのボブ・ディラン」が発見されたのは、マニプル州の州都インパール。
第二次世界大戦中に、日本軍がイギリス軍による中国への補給路(いわゆる援蔣ルート)を遮断するために攻略を目指し、無謀な作戦により大勢の死者を出したあの「インパール作戦」の目的地だった街だ。

それではさっそく聴いていただこう。
インドのボブ・ディランこと、Imphal Talkiesの"Hey Juliet".


どうだろう、この独特の節回しと、ヘタクソ、もとい味のあるハーモニカ、どう聴いても1960年代のボブ・ディランではないだろうか。
このサウンドにして、2013年にリリースされた楽曲だというからさらに驚きだ。 
この曲は、「ロミオとジュリエット」をモチーフに、独立闘争とその弾圧によって殺伐としたインパールで、自由なアメリカに憧れる少女について歌った内容のようだ。

以前の記事でも紹介したとおり、インド北東部はなぜかいまだに80年代から90年代のメタルバンドが高い人気を誇る土地。
メタル以外でも、Bonny MとかBig Mountainみたいな懐かしのアーティストたちが北東部で開催されるフェスに呼ばれていたりする。
先日の渋谷系J-Popといい、北東部はどこか時空が歪んでいるのかもしれない。
(参考:「インド北東部のロック・フェスティバルは、懐かしのメタル天国だった!」) 

彼らの"Hey Little Girl"という曲もかなりのディランっぷりなので、興味のある方はご一聴を。(YoutubeやSoundcloud上には無かったが、Spotifyでは聴ける。ちなみにこちらはなんと2017年の作品)

ディラン的なサウンドのなかで、彼らの個性と呼べる部分を挙げるとするならば、それはアルペジオの中に聴こえるシンプルで印象的なギターのフレーズだろう。
繰り返されるシンプルなメロディーは、この地方の伝統音楽によく似ており、彼らのルーツに根ざしたもののようだ。

それにしても、21世紀に入って20年が経とうとしている今、50年以上前のプロテスト・フォークのサウンドを再現するImphal Talkiesとはいったいどんなバンドなのだろうか。

Imphal Talkiesは、フロントマンでソングライターのAkhu Chingangbamを中心に2008年に結成された。
バンド名の由来は地元にあった映画館で、映画大国インドでは、同じように映画館の名前からとられた"◯◯ Talkies"というバンドが他にも何組か存在している。
よりロック色の強いサウンドを発表するときは、Imphal Talkies and Howlersという名前で活動しているようだ。

Akhuが扱う歌詞のテーマは、文学的・抽象的でもあったボブ・ディランに比べると、極めて政治的に明瞭なものだ。
例えば、それはインド北東部を苦しめ続けているAFSPA(Armed Force Special Power Act. 「軍事特別法」と訳されることがあるようだ)への抗議だ。

AFSPAは、加熱する独立運動を警戒したインド中央政府が、1958年にインド北東部やカシミールを対象地域として施行した法律だ。
宗教や民族や文化や言語の多様性を抱えるインドにとって、独立運動は不満を持つ他の地域にも飛び火しかねない見過ごせない問題だ。
このAFSPAは、独立運動を徹底的に弾圧するために、警察や治安部隊に令状なしの人々の拘束や殺傷、財産の破壊・収奪を認るものだった。
この法律のもと、インド北東部では多くの無辜の市民が中央政府側の弾圧の犠牲となった。

AFSPAは、過去に国連人権委員会や国際的な人権NGOであるヒューマン・ライツ・ウォッチから廃止を求められるなど、正当性に疑問が持たれている。
Imphal Talkiesの"AFSPA, Why Don't You Go Fuck Youself"は、この法案を率直に糾弾したものだ。

このビデオに出てくる新聞記事やニュース映像、そして激しい抗議運動を見れば、この法のもとでいかに北東部の人々がしいたげられてきたか、分かるだろう。

Imphal Talkiesの中心人物Akhuは、紛争が続くインパールの街で育ち、故郷を離れてデリーに進学したときに、はじめて平和な街の暮らしというものを知ったという。
だが、デリーでは、同時に北東部出身のマイノリティとしての差別や偏見にも直面することとなった。
こうした経験が、社会の矛盾や不条理に対する音楽を制作するきっかけになったそうだ。

これまで意図的にディラン的な楽曲ばかりを紹介してきたが、じつはこうしたスタイル以外の楽曲も多く、 インドの大統領プラナーブ・ムケルジーが2013年にインパールを訪問中に、バンドメンバーが警察から暴力を受けたことをきっかけに作られた曲"Mr. President is Coming"
 

紛争地で生まれた子どもたちに捧げられた"Lullaby"は、同じような環境で育った彼らならではの楽曲だ。



インド北東部が置かれた状況は、周縁部であるがゆえに、海外はもとより、インド国内でもあまり知られてはいない。
この地域の音楽シーンと合わせて、彼らが直面しているさまざまな問題も注目されてほしいと願うばかりである。

さて、そろそろこの記事はおしまいなわけだが、最後にさらなる衝撃的な事実をお伝えしたい。
じつは、一般的に「インドのボブ・ディラン」と呼ばれているのは、このImphal Talkiesではなく、別のアーティストなのだ。
インド北東部には、なんとImphal Talkiesよりもっと早く「インドのボブ・ディラン」と呼ばれたアーティストが存在している。
彼の名は、Lou Majaw.
「インドのロックの首都」と呼ばれるメガラヤ州シロン出身のアーティストだ。
いわば、「元祖インドのボブ・ディラン」だ。
アメリカにはボブ・ディランは一人しかいないが、インド北東部にはディランはたくさんいるのである。
北東部のロックシーンで大きな役割を果たしてきた彼のことは、また改めて紹介したい。

それでは!

 参考記事:The Hindu "I will make music till end of time, says 'Imphal Talkies and the Howlers' founder Akhu Chingangbam"  MARCH 27, 2019 
 


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goshimasayama18 at 23:00|PermalinkComments(0)

2018年06月17日

心地よい憂鬱と叙情…。 Asterix Major

いつもインパクトを出すためにブログのタイトルに「!」を入れるようにしているのだけど、今回はビックリマーク無し。代わりに「…」を入れてみた。
なんたって憂鬱と叙情だからね…。

さて、このブログでは、これまでいろいろなタイプのインドの音楽を紹介してきた。
かっこいい音楽。面白い音楽。いかにもインドらしい音楽。インド社会の知られざる側面がよくわかる音楽。などなど。
今回紹介するのは、何ていったらいいんだろう。
インドとか日本とか、そういう限定的な枠を超えて、すごく、じんとくる音楽だ。 

デリーのシンガーソングライター、Asterix Majorの新曲、"Falling Up".
これまでにこのブログで紹介したことがない、ギターの弾き語り中心の穏やかな曲。
決してポップでキャッチーなわけでもない。
でも静かだが、力強く、重く、深いメッセージが伝わってくる曲だ。
ぜひ、歌詞や映像と一緒に味わってみてほしい一曲です。

モノクロ中心の 美しい映像は、インドのことを映しているはずなのに、曲調や歌詞とあいまって、遠く離れた場所に住んでいる我々の胸にも迫ってくる。

美しい映像の中に映される、信じられないほどの格差。路上で暮らす人たち。
豊かな生活と引き換えの環境汚染。農作物への大量の化学薬品の使用。
様々な形での暴力に晒される子供や女性など社会的の弱者。
我々はこうした問題がインド固有のものではなく、日本でも、世界中のあらゆるところでも起きているということを知っている。
また、途上国で起きている深刻な問題が、先進国が主導する世界的な経済システムの中で引き起こされたものだということも知っている。

物質的にも経済的にも発展してきたはずなのに、社会の歪みは大きくなるばかり。
こんなことををこの先ずっと続けていくことができるのだろうか。
でも誰もが、世の中の不安や矛盾から目を背けて、日々を生きている。
この、とてもやっかいで、でもとても大事な真実を、この曲は非常に美しい方法で表現している。

この"Falling Up"について彼は、断罪しているのではなく、ただ我々が暮らしている社会のあり方を描写しているんだと語っている。
こうした超越者的な視点のせいだろうか。
この曲には、絶望というよりも、諦観にも似たやさしさを感じる不思議な味わいがある。
個人的には、この曲が持つ「やさしい虚無感 」みたいな感覚とフォーク的な曲調に、先ごろ亡くなった森田童子を思い出したりもした。

彼の他の楽曲も、また同じように独特の情感をたたえており、美しい映像で綴られている。
エレクトロニカ系のアーティスト、NYNとのコラボレーション、"Desire"

フォーキーな"Falling Up"とはうって変わって、EDM的なトラックに乗せてラップ的な歌唱も披露している。

こちらはもう少しアンビエント寄りな、7 bucksとの曲、"Someday"

彼の音楽の叙情性がより活きた曲調だ。
クオリティーの高い映像は、デリーのShunya Picturesというところが製作しているもの。
Shunyaって日本人の名前みたいにも聴こえるけど、何なんだろう?

このAsterix Majorは、Facebookのプロフィールによると、専業ミュージシャンというわけではなく、現在デリーのマルチ・スズキ(日本のスズキがインドで立ち上げた合弁企業で、インドを含む南アジア全域で高いシェアを誇る)でインターンシップをしているそうだ。

彼の非凡な才能が今後どのような楽曲を生み出すのか、非常に楽しみなミュージシャンである。

最後に、この曲は「人生」についての曲。
多少拙い部分はあるけど、この胸を抉られるような感覚はどこから来るんだろうなあ。
 

goshimasayama18 at 17:56|PermalinkComments(0)