ヒンドゥスターニー音楽

2019年04月17日

インドのインディーズシーンの歴史その12 Anoushka Shankar

インドのインディーズシーンの歴史を辿る企画、今回は第12弾!
VH1INDIAによるインドのインディー100曲

今回紹介するのはAnoushka Shankar(アヌーシュカ・シャンカル)。
すでにご存知の方も多いと思うが、あのビートルズが傾倒し、ジョージ・ハリスンが弟子入りまでしたことで有名な北インド古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)の大御所、シタール奏者 のRavi Shankar(ラヴィ・シャンカル)の娘だ。
ラヴィ・シャンカルの娘といえば、かのNorah Jones(ノラ・ジョーンズ)が有名だが、ノラはラヴィがニューヨークで一時期恋愛関係にあったコンサートプロモーターのSue Jonesとの間にできた子どもで、アヌーシュカから見て異母姉にあたる。
ラヴィの女性関係は、仙人みたいな音楽をやっているわりに結構派手で、ノラもアヌーシュカも最初の奥さんとは別の女性との間にできた子どもである。
インド古典音楽に詳しくない私の勝手な感じ方ではあるが、ヒンドゥスターニーは非常に官能的な響きを持つ音楽でもあるし、古典音楽の演奏者だから浮世離れした人間だろうという先入観のほうが間違っているのかもしれない。

今回紹介する"Traces Of You"は2013年にアヌーシュカ・シャンカル名義でリリースされた作品で、ヴォーカルにノラ・ジョーンズをフィーチャーしたもの。
古典音楽とジャズ/ポップス、それぞれの分野で活躍している異母姉妹が共演した楽曲ということになる。

それにしても、家柄的にもインド古典ど真ん中のアヌーシュカと、ジャズ/ポップスシンガーとして世界的な大成功を納めている超メジャーなノラ・ジョーンズの共演が、どうしてこの「インドの"インディーズ"音楽」の歴史に入ってくるだろうのか。
思うに、それは欧米諸国や東アジアから大きく遅れて21世紀に入ってから急速に発展したインドのインディーミュージックの歴史が、単なる先進国の音楽(ロックやヒップホップやエレクトロニック・ミュージック)の模倣ではなく、西洋の音楽とインドの音楽の融合の歴史でもあるからではないだろうか。

Raviの後継者として伝統音楽の道に進んだアヌーシュカと、アメリカでジャズやソウルといった西洋音楽の道に進んだノラ。
これまで、欧米の現代音楽とインドの古典、つまりロックやクラブミュージックと伝統音楽の融合を試みてきた気鋭のミュージシャンを何人も紹介してきたが、これは1960年代から東西の音楽交流の礎を築いてきたシャンカル家の、言わば真打ちによるものだ。

さすがの貫禄というか、この楽曲ではインド古典音楽を、これまで紹介してきた曲たちのように、刺激的なスパイスとして使うのではなく、穏やかな時間を演出するものとしてうまく活かしている。
インド音楽の懐の深さを感じさせられるアレンジだ。

さらに深読みすれば、この曲は、シャンカール家から、西洋音楽とインド音楽とのフュージョンに果敢に挑んだジョージ・ハリスンへの、40年越しのお礼参りと解釈することもできるだろう。

ジョージがビートルズでインド音楽を取り入れた試みは、ロックリスナーにインド音楽への注目を集めさせた一方で、師匠のラヴィからは「本物のインド音楽になっていない」酷評されたと聞く。
ビートルズの曲の中で、典型的なインド風音楽である"Within You, Without You".

欧米のポピュラーミュージックの中では、インド音楽の要素は長らく「サイケデリック的な記号」としてのみ扱われていた。
それが在外インド人社会やインド国内の音楽シーンの発展にともなって、インドのアーティストが本格的に西洋音楽とクラブミュージックの融合始めると、ようやく本格的な東西のフュージョンが質・量ともに充実を見せるようになってきた。
ジョージが生きていたら、こうした現代感覚を持ったインドのミュージシャンたちともぜひ共演してほしかったなあ、としみじみ思う。

ジョージによるインド音楽とロックの融合の試みから40年。
欧米の音楽界に神秘的なインド音楽の魅力を紹介したのは間違いなくラヴィだったが、今度はラヴィの血を引くミュージシャンたちが欧米のジャズやポップスを自らのものとし、この美しいフュージョン・ミュージックを作ったというわけだ。

ちなみに歌詞を読み解いてゆくと、この"Traces of You"というタイトルの"You"は、どうやらアヌーシュカとノラの父、ラヴィのことを意味しているようである。
今日のインドの音楽シーンには、欧米の音楽とインドの伝統音楽を融合させた、世界に類を見ない素晴らしい音楽がたくさんあるのはこのブログでも紹介している通り。

その種を蒔いたラヴィへのリスペクトが、この曲には込められている。



--------------------------------------

「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!


凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 
続きを読む

goshimasayama18 at 22:13|PermalinkComments(0)

2019年01月20日

バークリー出身の才媛が日本語で歌うオーガニックソウル! Sanjeeta Bhattacharya

その言語でないと表現することが難しい言葉というものがある。
例えば、インドの言葉で代表的なのはサンスクリット語の「シャンティ(Shanti)」。
これは平和・静寂・至福などを表す言葉で、ヨガの世界などで使われる。
ピースフルな状態を表すこの言葉は、あのマドンナも曲名にしたことがある。
日本語で代表的なのは、ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイが提唱したことでも有名な「Mottainai=もったいない」だろう。

今回紹介する曲のタイトルも、日本語でないと表現が難しい感覚と言っていいのだろうか。
インドの若手女性シンガー、Sanjeeta Bhattacharyaが先ごろ発表した曲のタイトルは、なんと"Natsukashii(懐かしい)"
 
ホーリーの粉、サイクルリクシャー、ブランコにシャボン玉。
タイトルの通り懐かしい雰囲気の映像に乗せて、過ぎ去った恋の思い出の甘さと苦さがポップに歌われる。
決して後悔しているわけでもあの頃に帰りたいわけでもないが、束の間、過去を思い返して思い出に浸る。
確かに「懐かしい」はノスタルジックとも違う日本語独特の表現なのかもしれない。

これまで、日本の文化に影響を受けたアーティスト(ロック編エレクトロニカ編)とか、日本語の名前を持つアーティストというのは紹介してきたけど、冒頭だけとはいえインドではほとんどの人が知らない日本語で歌うアーティストというのは珍しい。
しかも、サウンドは心地よいオーガニックソウルで、曲名以外これといって日本的なわけでもないし。
いったい彼女はどこで「懐かしい」という日本語を見つけたのだろうか。

Sanjeeta Bhattacharyaを語る上で、もうひとつ注目すべき点は、彼女がアメリカの名門音楽学校、バークリー音楽院の出身だということだ。
このブログでなんども書いてきたように、インドのインディーミュージックシーンは2000年代から急速な発展を遂げた。
映画音楽一辺倒だったインドにロックやダンスミュージックなどの新しい音楽を紹介したのは、欧米に暮らす在外インド人や、海外で青春時代を過ごした「帰国子女」たちだった。
今ではそこからさらに発展して、海外の名門音楽学校に留学したアーティストが帰国して活躍する時代を迎えたというわけだ。


インドのウェブサイトIndianwomenblog.orgに掲載されたインタビューによると、Sanjeethaはインドの多くのシンガー同様、幼少期からインドの古典音楽(ヒンドゥスターニー、カタック)を学んでいたそうだ。
バークリーでは世界中の音楽を学んだが、それでも彼女の音楽のルーツはインド古典だと語っている。
最近のオーガニックソウル調の曲からはあまり古典の要素は伺えないが、ヒンディーで歌った曲からは、そんな彼女のルーツが十分に感じられる。

古典音楽風の繊細な節回しとジャズ/ソウル的な抑揚が魅力的なこの曲は、トルコ系イギリス人の女性作家、Elif Shafaqの本'40 Rules of Love'にインスパイアされたもの。
曲のタイトル'Shams'はこの本に出てくるスーフィー(イスラーム神秘主義の行者)の名前で、歌の内容は「私に必要なのは師匠でも弟子でもなく、友であり仲間だ。ともに座ってみれば、私たちの内面には見た目以上に多くの調和があるはずだ」という、現代社会で深い意味を持つメッセージ。

バークリーでは、ジャズだけでなくバルカン音楽やフラメンコ、ラテン音楽など世界中の音楽を学んだという彼女がスペイン語で歌うこの曲は'Menos es mas'

インド人である彼女がスペイン語の歌い回しを見事にものにしているのを聴いて、フラメンコの担い手であるロマ(ジプシー)のルーツはインドのラージャスタン州のあたりに遡るということを、ふと思い出したりもした。

彼女が尊敬するミュージシャンとして挙げるのはエリス・レジーナとビリー・ホリデイ。
ブラジル音楽とジャズの、伝説的なシンガーだ。
ジャズとインド古典音楽は即興において似た部分があると話す彼女は、今までに触れたあらゆる文化や音楽の影響を、自分なりに咀嚼して表現している。
そのアンテナに、きっと日本語の「懐かしい」もひっかかったのだろう。
おそらくは、世界中からミュージシャンの卵が集まるバークリーで、日本人から耳にした言葉だったのではないだろうか。

ちなみにバークリーで学ぶインド人アーティストは多く、女性シンガーではパティ・スミスを連想させるグランジ系フォークロックのAlisha Batthや、日本で活動しているジャズ/ソウルシンガーのTea (Trupti)などが活躍している。
彼女たちもそれぞれ独特の世界観をもっている興味深いミュージシャンなので、いずれ紹介したいと思います。

それでは!



(追記)
彼女が2020年10月にリリースした"Red"では、なんとラップを披露!
ミュージックビデオもこれまでのナチュラルなイメージからぐっと変わって、妖艶な雰囲気を感じさせるものになっている。
しかもマダガスカルのシンガーNiu Razaとの共演という話題もあり、この曲はRolling Stone Indiaが選ぶ2020年のベストミュージックビデオの1位に輝いた。



--------------------------------------

「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!


凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 


goshimasayama18 at 14:34|PermalinkComments(0)

2018年08月29日

フュージョン音楽界の新星! Pakshee

「フュージョン」といえば、前世紀頃の日本では、ジャズとロックの融合的な音楽ジャンルを指していたものだが、インド音楽で「フュージョン」という場合、それは「古典と現代」が融合した音楽ジャンルのことを指す。

今回紹介するデリーのバンド、Paksheeは、北インドのヒンドゥスターニーと南インドのカルナーティックという異なるスタイルの古典声楽をベースに持つふたりのヴォーカリストと、ソウル、ファンク、ジャズの要素の強いバンドメンバーとの絶妙のアンサンブルを聴かせてくれるインド・フュージョンロック界の新星だ。
まだスタジオ音源のリリースは2曲に過ぎないが、そのサウンドからは限りない可能性を感じさせてくれる。

まずは、彼らのデビュー曲、"Raah Piya" を紹介しよう。
Rolling Stone India誌が選んだ2017年のインドのミュージックビデオ・ベスト10の第5位にランクインしたビデオでもある。

タイトなリズムに浮遊感のあるヴォーカルが心地良い。
古典風に歌ってたと思ったら、ジャジーなピアノソロに続いてラップが入ってぐっと曲調が変わり、さらに最後のヴァースでヴォーカリスト2人がメインのパートとインプロヴィゼーションに分かれて掛け合いを始める頃には、あなたにもインドのフュージョン・ロックの魅力が最大限に感じられるはずだ。
インド声楽は慣れないと少しつかみどころがなく感じるかもしれないが、はまってくると独特のヴォーカリゼーションがとても心地よく感じるようになってくる。

続いて、彼らの2本目のビデオ"Kosh".
楽曲もビデオもさらに洗練されてきた!

今度はギターのアルペジオやリズムがちょっとラテンっぽい感じも感じさせる楽曲だ。
スムースな曲調が一転するのが3:20頃からの間奏で、ギターのノイズをバックに緊張感あふれる怒涛のリズムに突入する。
ここからさらにジャズ色の濃いピアノソロを経てヴォーカルに戻ってくる展開は圧巻だ。

"Kosh"のビデオを制作したのはデリーの映像作家Mohit Kapil.
「なぜ愛すのか、誰を愛すのか、どう愛すのか」というテーマで作成された映像は、困難の中にいる人々を扱った3つの独立したストーリーから成り立っている。
仕事と育児に追われるシングルマザー、作品を作りのための意思疎通がうまくいかないダンサーと写真家、衰えや痴呆と否応なしに向き合わされる老夫婦。
それぞれが日常の苦しみのなかから喜びや希望を見出してゆく過程は、計算し尽くされた美しい色調や構成とあいまって、短編映画のような印象を残す。

このPaksheeでユニークなのは、2人いるヴォーカリストのうち、一人はヒンディー語で、もう一人はマラヤラム語(南部ケララ州の言語)で歌っているということ。
全く異なる言語体系の両方の言語が達者な人はインドでもそう多くないはずだが、こうした言語の使い分け方にも何かしらの意図がありそうで、ぜひ彼らに聞いてみたいところだ。

この曲では、2つの言語で、
「いったい誰がミツバチのために花を蜜で満たすのか。誰が花を咲かせるのか」
「蝶は繭から孵るとき、いったいどうやって育ったのか。誰が育て、羽に色をつけたのか」

といった、生命をめぐる哲学的とも言える歌詞が歌われている。
("Kosh"はヒンディー語で「繭」や「宝のありか(金庫)」という意味とのこと)

Paksheeのサウンドは、楽器は西洋風、歌はインド風という比較的わかりやすいフュージョンだが、ジャズやロック的なインストゥルメンタルと古典音楽風のヴォーカルが不可分に一体化していて、先日紹介したPineapple Express同様に、フュージョンロックの新世代と呼ぶにふさわしい音像を作り上げている。

インドの要素の入ったロック」は昔から欧米のアーティストも多く作っているけど、この本格的な古典ヴォーカルを生かしたサウンドは本場インドならでは。
演奏力も高く、大きな可能性を秘めている彼らが、インドの市場でどのように受け入れられるのか、はたまた海外でも高く評価される日が来るのか、非常に楽しみだ。
まあどっちにしろ、世間の評価に関係なく私は高く評価しますよ。ええ。

それでは今日はこのへんで! 

goshimasayama18 at 01:00|PermalinkComments(0)

2018年06月06日

タブラ奏者Arunangshu Chaudhury来日公演を観てきた!

今日は早稲田の東京コンサーツラボというところでインドのタブラ奏者アルナングシュ・チョウドリィ(Arunangshu Chaudhury)氏のコンサートを見に行ってきた。
KIMG4283

今回のライヴは日本人のシタール奏者、ヨシダダイキチさんと、チョウドリィ師の弟子の日本人タブラプレイヤーのキュウリくんとのトリオ編成。

いつも最近のインドの音楽のことを偉そうに書いているアタクシですが、古典音楽の知識はさっぱり。
今回はライブの前にヨシダ師によるインド古典音楽(北インドのヒンドゥスターニー音楽)の解説というのもあったのだが、要約するとこういうことらしい。

・インド音楽の根底にはインド哲学があり、それは無の境地、「サマディ(三昧)」を目指すものである。

・インドの音階とされる「ラーガ」は1オクターブが西洋音楽のような12音階ではなく、22音階に分けられる。微妙な音階は、シタールの場合、ギターのチョーキングのような音程のなめらかな変化(揺らぎ)として表される。但し、ラーガ=音階(スケール)という意味ではなく、ラーガはメロディーの規則なども含む概念である。

・インドのリズムとされる「ターラ」は、西洋音楽のように例えば「4拍子で前に進んで行く」ようなイメージのものではなく、循環する概念として考えられる。例えば16拍子だったら、16拍子の中に陰と陽があり、1〜8拍は陽、9〜12拍は陰、13〜16拍は始点に戻るためのものと捉えられたりする(正直、よくわかりませんでした)。

・そもそも音楽を言葉で表そうとすること自体に無理があり、ただ楽しめば良い。

最後のやつ以外は理解できたのかどうか甚だ疑問ではあるのだけれども、コンサート自体は素晴らしかった。
おだやかなさざなみが徐々に彩られながらリズムとメロディーの大波となって自在に形を変えてゆくアンサンブルはまるでひとつのストーリーを見ているよう。
コルカタ出身のチョウドリィ氏のタブラはファルカバード・ガラナ(流派)だそうだが(これも何やらよく分かってないけど)、激速かつ緩急自在にして千変万化なプレイは圧巻の一言だった。
三昧の境地といってもダメなサイケデリックロックみたいな独りよがりの恍惚みたいなものではなく、すべての音が完全にコントロールされた上での到達点。
3人の演奏は絶頂に至る大波(しかも毎回、形が違う)を何度も繰り返しながらノンストップで1時間近く続き、知識はなくとも楽しめば良いの言葉通り、誰もが満喫できる内容だった。

同じ3人による昨年のライブの模様がこちら。
 
たまにあるキメの部分はどれくらい事前に決まっているんだろう、とか気にならないでもないが、そういうことは考えずにただ音を楽しむべし! 
生ならともかく、映像だと静かな前半がかったるい、という方は19分あたりから聴くとよいかもしれない。
即興演奏が中心で楽器同士で会話しているかのようなセッション的な部分があったりするのはジャズ的と言えるし、一つのフレーズやリズムを様々に変化させ、音を重ねながら盛り上げてゆくさまはむしろテクノ的とも言えるかもしれない。
詳しくないジャンルのことを書いているので、語尾が「かもしれない」ばかりになっているかもしれない。
あとカタカナ表記がチョードリーじゃなくてチョウドリィなのはどうして?とか、いろいろ思わないでもないけど、まあ細かいことは気にしないで楽しむべし! 

goshimasayama18 at 23:57|PermalinkComments(0)