ヒップホップ
2019年03月01日
早すぎたインド系ラッパーたち アジアのPublic Enemyとインドの吉幾三、他
まずイギリスに目を向けると、パキスタン系イギリス人Aki Nawazを中心に1991年に結成されたFun-Da-Mentalというグループがいる。
彼らは1992年に"Janaam", "Gandhi's Revenge"の2枚のシングルをリリースしてシーンに登場した。
Desi hiphopの第一人者といわれるBohemiaのデビューが2002年だから、彼よりも10年も早かったということになる。
中心人物のAkiは、Fun-Da-Mental結成以前、のちのゴシックロックバンドThe Cult(念のため書くと、イアン・アストベリーのあのThe Cultだ!) の前身Southern Death Cultのドラマーを務めていたというから、Queenのフレディ・マーキュリーのように、南アジア系移民の中でも若い頃からロックに親しんだ暮らしを送っていたのだろう。
しかし、その後の活動は、南アジア系のルーツから距離を置いてブリティッシュ・ハードロックの道に進んだフレディとは大きく異なっている。
Fun-Da-Mentalは、アメリカの急進的な黒人運動ブラック・パンサーの影響を受けた反人種差別や、イスラームの擁護、反アメリカ主義をテーマにラップする非常に政治的・社会的なバンドで、そうした姿勢から、アメリカの政治的ヒップホップユニットになぞらえて、'Asian Public Enemy'とも呼ばれた。
1994年のファーストアルバムのタイトルトラック"Seize the Time".
今聴くとちょっととっちらかった印象だが、伝統音楽のサンプリングという後年の南アジア系ヒップホップのスタイルがこの時点ですでに確立されていることが分かる。
1998年にリリースされたアルバム"Erotic Terrorism"からの"Ja Sha Taan"はカッワーリーとヒップホップとロックの融合!貴重なライブ映像を見つけた。
彼らに続くUKの南アジア系政治的ラップ・バンドとしては、よりダンサブルで音楽的ミクスチャーを進めたAsian Dub Foundation(1995年デビュー)が日本でも人気だが、だんだんヒップホップから離れてくるので今回は割愛。
この系統のアーティストは、その強すぎる政治性からか、その後大きな潮流とはなっていないようだが、南アジア系の音楽と社会運動が結びついた初期の例としても大きな意味があるように思う。
さて、本国インドはどうかというと、こちらもまた強烈なアーティストがいる。
Fun-Da-Mentalよりもさらに早い1990年にデビューしたBaba Sehgal(本名Harjeet Singh Sehgal)は、ウッタル・プラデーシュ州ラクナウ出身の「インドで最初のラッパー」とも「最初のヒンディー・ラッパー」とも言われるアーティストだ。
インド本国でバングラー系ラップが流行しだすのが2010年頃からであることを考えると、いかに彼が早かったかが分かるだろう。
彼は在英インド系レゲエ・アーティストのApache Indianの影響で音楽活動を開始したというが、後進的というか保守的なウッタル・プラデーシュでどうやって海外の音楽に触れたのかとか、機材の使い方や音楽の作り方をどう学んだのかとか、そのキャリアの初期にはよくわからない部分が多い。
そもそも、Apache Indianに影響を受けて音楽を始めたと言っているのに、そのApache Indianと同じ年にデビューしているのも解せない。
名前を見ると彼もまたパンジャーブ系のようなので(Apache Indianもだ)、移民と本国とをつなぐパンジャーブ・コネクションがあって、彼に誰よりも早く最先端の音楽をもたらしたのだろうか。
とにかく、彼は大学卒業後、デリーで電気技師として働きながら本格的に音楽活動を始めた。
1990年にリリースした"Dilruba"、1991年にリリースした"Alibaba"が思うようにヒットしなかった彼は、一念発起してムンバイに拠点を移すと、1992年にリリースしたサードアルバムの"Thanda Thanda Pani"が大ヒット。
一躍スターとなった彼だが、当時はまだ電話のない家に住んでいたため、隣の通りのパーン(インドの噛みタバコ)ショップが連絡先で、電話が来ると店の子供が彼を呼びに来ていたという。
(もとの記事では"Gully"という言葉が使われていた。そういう意味では、彼は最初のHiphop Gully Boyと呼べるかもしれない。いずれにしてもインドのヒップホップはムンバイのGullyで生まれたのだ)
"Thanda Thanda Pani"から、'Cool Cool Water'という意味のタイトルトラック。
Queen & David Bowieの"Under Pressure"をサンプリングしたVanila Iceの"Ice Ice Baby"をさらにパクったというなんだかすごい楽曲。
このアルバムの売上枚数については、記事によって3万枚から50万枚までかなり開きがあるが、とにかく当時の大ヒットとなったことは間違いないようだ。
同じアルバムから"Dil Dhadke".
当時のインドにしてはえらくかっこいいトラックが始まったと思ったら、曲が始まった途端に吉幾三みたいな感じでずっこける。
いろんな記事を読むと、どうも彼は今のインドのオシャレな音楽ファンからは、古いというかダサいというか、あまり好意的に受け止められていないようで、このブログで連載している「インドのインディー音楽史」にも入っていないし、まさに日本のラップ史における吉幾三の「おら東京さ行くだ」的な存在なのかもしれない。
その後、映画音楽を含めた何枚かのアルバムをリリースした後にヒンディー語圏の音楽シーンから姿を消した彼は、南インド(テルグ語)映画のプレイバックシンガーに活動の場を移した。
すっかり過去の人となっていた彼は、2015年に自身のYoutubeチャンネルを開設してカムバックすると、この"Going To The Gym"が久しぶりのヒットとなり、フェスティバル等にも出演するようになる。
ちょっと松平健にも似ているような気がするが、ちょうどマツケンサンバのように、彼の音楽をキッチュなものとして楽しめる土壌がインドにできてきた、といったところだろうか。
(Baba Sehgalの半生については主にこれらのサイトを参考にしました。
http://www.vervemagazine.in/people/mapping-the-unique-trajectory-of-baba-sehgals-success
https://www.indiatoday.in/magazine/society-the-arts/story/19921130-thanda-thanda-pani-hots-up-the-hindi-rap-scene-767167-2012-12-21)
映画音楽の分野では、A.R.Rahmanが1994年のタミル語映画"Kadhalan"のために作った"Pettai Rap"あたりがインドで最初のラップ・ソングということになりそうだ。
こちらもインド音楽の要素を取り入れたオールドスクール風の曲で、これはこれで結構かっこよく、さすがRahmanといった出来栄え。
バンガロールのラッパー、Brodha Vが初めて聴いたラップとして挙げているこの曲は、世界初のタミル語ラップでもあるかもしれない。
まさか当時はインド各地にストリートラップシーンができ、ボリウッドスター主演のヒップホップ映画が大ヒットする時代が来るとは誰も思っていなかったことだろう。
インドではちょうど昨日、世界最大手の音楽ストリーミングサービスSpotifyが使用できるようになり、音楽メディアはその話題で持ちきりだ。
よりいっそう世界の音楽にアクセスしやすくなったインド。
きっともう5年、10年したらシーンの様相もまたすっかり変わっているのだろうなあ。
ますます楽しみになってきた。
それでは今回はこのへんで!
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2019年02月10日
Raja Kumariがレペゼンするインド人としてのルーツ、そしてインド人女性であるということ
この曲は、今年前半にリリースが予定されているニューアルバム、"Blood Line"(血統)からの先行リリース。
以前の曲と比べてよりドスのきいた声で、ミッシー・エリオットのような凄みが出てきた。
イントロからサンプリングされている伝統音楽っぽい歌がインドっぽくないなあと思っていたら、どうやらスワヒリ語のチャントだとのこと。
つまりこの曲はアフリカ系アメリカ人が発明したヒップホップとそのルーツであるアフリカの音楽、そしてインド系アメリカ人である彼女とそのルーツであるインドの音楽(この曲ではちょっとだけど)が融合した非常に野心的な楽曲なのだ。
この曲のサウンドがとても気に入ってよく聴いていたのだけど、彼女のインタビューに基づいて歌詞を読んでみると、歌詞もまた非常に興味深いものだということがわかる。
最初のヴァースは'Diamond bindi shining with bangles out' と始まる。
「ビンディー」はヒンドゥーの女性が額につける飾りで、もともとは悟りとともに開かれるとされる第3の目を模したもの。
「バングル」は今ではすっかり一般的な単語になっているが、もともとはインド人女性がつけるインドの腕輪を指す言葉だ。
インド人女性としての誇りや美的感覚を自信を持って見せつけよう、というところからリリックは始まる。
この曲の最も重要なテーマはその後のラインに出てくる'Hindu guap'.
'guap'は現金を意味するスラングだが、彼女曰く「ヒンドゥー文化の豊かさに誇りを持とう」という意味を表す言葉だという。
つまりこの曲は、インド系アメリカ人として米国で育った彼女が自らのルーツをレペゼンするとともに、グローバル社会で生きるインド系の人々(とくに女性)に誇りを持つことを促すメッセージソングでもあるというわけだ。
Raja Kumari自身が歌詞の意味を説明したビデオ。
ニューヨークのメディア'The Knockturnal'のインタビューで、彼女は自らの半生とアメリカでインド系女性として生きる現実を語っている。
(The Knockturnal 'Exclusive: Raja Kumari Talks New Single "Shook" Upcoming Album "Bloodline" & Musical Beginnings')
彼女の両親は1970年代にアメリカン・ドリームを夢見て渡米したインド人移民だ。
インド系移民の常として、彼女の両親は子どもたちの教育に力を注いだ。
Raja Kumariいわく、彼女の兄弟は典型的なインド人。
勉強の成果を生かして脳神経外科医や法律家として活躍しているという。
兄弟のなかで彼女だけが音楽の道に進んだが、両親はそんな彼女を幼い頃から応援し、優れた師匠のもとで古典舞踊を習わせた。
それが今の彼女の音楽の基礎になっているのだ。
古典舞踊を踊る少女時代の彼女をフィーチャーしたミュージックビデオ、"Believe in You".
やがて古典舞踊ではなく、R&Bやヒップホップの道に進んだ彼女は、Iggy Azaleaに提供した曲でグラミー賞候補になったのち、音楽活動の場をインドにまで広げた。
カリフォルニアで生まれ育った彼女だが、それでもインドは居心地の良い場所だったという。
南アジアやインド文化がなかなか理解されにくいアメリカと比べ、インドでは自分のしていることがより受け入れられていると感じることができたからだ。
南アジアの女性にステレオタイプな保守的なイメージを持っている人々に対しても、彼女は戦ってゆく必要があると語っている。
こうした状況の中で、彼女は自身のルーツを、音楽とリリックを通して表現しようとしているのだ。
映画Bohemian Rhapsodyのなかで、インド系であるFreddie Marcuryが名前を変え、南アジア的な要素を排除しようとしている姿で描かれていたのとは対照的である。
(これはヒンドゥーであるKumariに対して、Freddieがパールシーであることも多少関係しているのかもしれないが)
そういえば、彼女がミュージックビデオで着ている衣装も、インド的な美意識をいかにヒップホップ的ファッションに落とし込むかということに挑戦しているように見える。
こうした背景を踏まえてDivineと共演した楽曲"Roots"を改めて聞くと、これまた非常に趣深い。
Raja Kumariは、ヒップホップアーティストという、インド人女性のステレオタイプからはみ出した生き方をしながらも、インド古典音楽やインドの伝統的なファッションの要素を取り入れ、米国社会のなかでインドの文化や宗教を誇らしげに掲げている。
先日紹介したDivineは、対照的だ。
Raja KumariとDivine.
Raja Kumariのニューアルバム'Bloodline'はアメリカで製作され、マイアミのDanja(Timbaland, Mriah Carey, Missy Elliott, Madonnaらとの仕事で知られる)、アトランタのSean Garrett(Beyonce, Nicky Minaj, Usher, Britney Spearsらとの仕事で知られる)ら、そうそうたる顔ぶれが参加したものになるようだ。
彼女はこのアルバムを、インドやディアスポラ向けのものではなく、より普遍的なものとして製作しているという。
"Shook"を聞く限り、内容も素晴らしいものになりそうで、期待しながらリリースを待ちたい。
それでは今日はこのへんで。
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2018年08月14日
インド独立記念日にラップを聴きながら考える
といっても、インドは第二次世界大戦の終戦と同時に独立したわけではなく、インドはかの有名なマハトマ・ガンディーらの活躍によって、1947年の8月15日にイギリスからの独立を果たした。
ガンディーの悲願であったヒンドゥーとムスリムとの統一国家としての独立はついに果たせず、世俗国家であるインドとイスラム国家であるパキスタン(当時はバングラデシュも東パキスタン)との分離独立という形をとることになった。
(ちなみにパキスタンの独立記念日はインドより1日早い8月14日とされている)
イギリスが植民地支配への抵抗運動を弱体化させるために、ヒンドゥーとイスラムを「分割統治」していたことが、分離独立の一因となったのだった。
なぜこんな歴史の話を持ち出したかというと、この独立記念日にあたって、何人かのラッパーがインド国民に向けたラップソングを発表していて、それがまた現代インドを考える上で非常に面白い内容だから。
というわけで、今回は、他の国にはなかなか無さそうな、「インド独立記念日ラップ」を紹介します。
まずは、Big DealとGubbiの二人のラッパーとシンガーのRinosh Georgeによって、2014年の独立記念日に合わせて発表された曲、"Be the Change"を聴いてみましょう。
1番のヴァースでラップしているBig Dealは日本人の母とインド人の父との間に生まれた日印ハーフのラッパーで、逆境に負けないポジティブなメッセージをラップした"One Kid"や、地元オディシャ州への誇りをテーマにした"Mu Heli Odia"が代表曲。
彼は、リリックの中で、大国となりながらもいまだに宗教や言語や地域やカーストといった多様性のもとでの平等を達成できずにいることを憂い、差異を理由に批判しあうのではなく、自らこそが変わるべきだとラップしている。
2番のヴァースを歌っているGubbiはカンナダ語のラッパー。
カンナダ語はITシティのバンガロールを擁するカルナータカ州の公用語だ。
彼もまた、独立を成し遂げイギリスが去ってから68年も経つのに、未だに「自由」が達成できていないことをラップしながらも、安易に政府のみを批判するのではなく、自分自信が政治や社会に責任を持つべきだ、と人々を戒めている。
コーラスのメッセージはこうだ。
我々はみんなこの地で生まれたのだから、永遠に団結しよう
内面の美しさに目を向け、よりよい日々のために働こう
10億を超える人口を擁し、経済大国にもなったインド。
だが同じ国の中で生まれても、多様性が豊かな国であるがゆえに、コミュニティー間の対立は枚挙にいとまがない。貧富の差も無くなるどころか拡がるばかりだ。
宗教や文化や民族に基づく、見た目による差別も今日までずっと残っている。
(実際、日印ハーフのBig Dealは、そのインド人らしからぬ見た目から、少年時代いじめを受けていた)
こうした問題から目を背けて無批判にインドの独立を祝うのではなく、自らが主体的にこうした状況を変えてゆこう(be the change)、という現実を見据えたメッセージを乗せた曲というわけだ。
社会に対するメッセージを発信するラッパーらしい視点の曲と言えるだろう。
さて、続いて紹介しますのは、Adhbhut ft. Mansi n Shanuという人たちによる"Mera India"(ヒンディー語で「私のインド」という意味)。お聴きください。
さっきの曲の寛容のもとに団結を訴える内容とはうって変わって、いきなり軍隊や兵器がガンガンに出てきて驚いたと思う。
独立記念日にはインド軍のパレードもあるので、まあ軍が出てくるくらいまでは良しとしても、ご丁寧に効果音までつけてミサイルをぶっ放したりしているのを見ると、さすがにちょっと物騒だなっていう印象を受けるね。
ヒンディー語のリリックの内容はというと、どうやら、
「みんなが金を持ってるわけではないが、母なるインドが食わせてくれる。反逆者から身を守れ、敵から土地を取り返せ!ヤツらを撃ち殺せ!インドは世界の王となる」
みたいな、勇ましいっていうか超タカ派右寄りな内容がラップされているようで、さっきの曲とのあまりの違いに驚くしかない。
そもそも、これまでこのブログで紹介してきたアーティストは、自由に愛し合うことすら許されない保守的な価値観を批判するSu Real、レゲエを武器に社会の不正義を糾弾するTaru Dalmia、北東部のマイノリティーとして被差別的な立場に置かれながらも相互理解を訴えるBorkung HrankhawlやUNBなど、リベラル寄りの立場で表現を行っている人が多かった。
別に意識してそういう人たちを選んだわけではなく、本来カウンターカルチャーであるロックやレゲエやヒップホップには、本質的に抑圧への抵抗というテーマが内在しているから、インドのアーティストの表現が社会の現状を踏まえてそのようなものになるのは当然なのだ。
改めて言うまでもなく、ロックの誕生以降、60年代のヒッピームーヴメント、70年代のパンクロック、80年代のヒップホップ、90年代のレイヴカルチャーと、スタイルや思想を変えながらも、音楽はカウンターカルチャーとして体制からの自由を表明する役割を担ってきた。
もちろん、ヒット曲のなかにはそうした思想性とは関係のないラブソングだって多いし、今日ナショナリズム的な傾向が国を問わず広がってきていることは周知の通りだ。
それにしたって、ポップカルチャーの形式を取ったここまでの直接的なタカ派的愛国表現っていうのは、ちょっとお目にかかったことがない。
この曲の背景には、歌詞でははっきりと名指しされていないものの、独立以来の対立が続いている反パキスタン感情があると見て間違いないだろう。
イギリスからの分離独立は、最終的には武力闘争によらない形での決着となったが、悲劇はむしろ独立後に起きた。
パキスタンを目指すインド領内のムスリムと、インドを目指すパキスタン領内のヒンドゥー教徒やシク教徒の大移動は大混乱となり、その中で宗教対立による多くの虐殺や暴行が行われた。
また、カシミール地方では、独立時に人口の8割を占めるムスリムをヒンドゥーの藩王が統治する体制だったが、分離独立のなかで双方が領有権を主張し、今日まで領土問題での緊張と対立が続いている。
ときに両軍による戦闘も起こっているのは国際ニュースで報じられる通りで、このような極端な愛国ラップソングが作られる背景には、いまも核保有国同士の緊張が続く印パ関係があるというわけだ。
ところで、この曲でちょっと謎なのは、コーラス前の最後のライン。
Desh ke kone kone me kranti ki aag laga de という歌詞なのだが、これは英訳すると
Set fire to revolution in the corner of the country という意味になるそうで(Google先生による)ここだけ急にすんごく左寄りな表現になっている。
おそらく1曲めの"Be the Change"同様に、「傍観者になるな、一人一人が意識を変えて、行動を起こすんだ」といった意味だと思うが、似たような表現でもその指している内容がここまで対極だということが、こう言っちゃあなんだが面白い。
それと、こういう曲が発表されるということは、ラップという表現のフォーマットが、リベラルなサブカルチャー好きではなく、愛国タカ派寄りの人々にも訴えうるからなわけで、インドにおけるヒップホップの浸透をまたひとつ感じたのでした。
ちなみにこの曲を発表したAdhbhutさん、いつもこういった軍国的な曲をやっている訳ではなく、例えばこの曲では、貧富の差が拡大し農家が自死を選ばざるを得ない状況や、暴力が蔓延る社会を憂う内容(多分)をラップしている。
この曲に関して言えば、むしろそのまなざしは最初に紹介した"Be the Change"に近い。
それでは、インド人のみなさん、それぞれの立場の違いはあれど、 独立記念日、おめでとうございます。
次回はちょっと夏っぽい内容で書こうかなと思います。
2018年07月29日
革新者の覚悟!ジャールカンドの天才ラッパー Tre Essのインタビュー!
以前このブログで紹介したところかなり反響があった、後進地域ジャールカンド州出身の天才ラップアーティスト、Tre Essに送っていた質問の答えが届きました。
(彼について紹介した記事はこちらから)
今回はそのメールインタビューの様子を紹介します!
音楽制作について、地元について、ミュージシャンとしてのキャリアについて、非常に真摯に包み隠さず語ってくれたTre Essに改めて感謝!
2018年にヒップホップを作ることは簡単だし、人気はあるけどゴミみたいな音楽もたくさんある。でも今や第三世界のキッズたち(註:自分を含めて、ということだろう)だって、今まで以上にいろんな音楽にアクセスすることができる。最初の頃、俺はすごくオールドスクールだった。その頃はNas, Biggie, Redmanがお気に入りのアーティストだった。でもプロダクションがどんどん良くなってゆく中で、ヒップホップがどれだけ進化したかを理解したんだ。
と、いきなり熱を込めて回答してくれた。
当方の翻訳力不足で、意味が取りにくいところもあるかもしれないが、大意はつかめると思う。
ここで注目すべきは、彼がヒップホップをエクスペリメンタル(実験的)な要素のある進化しつづける音楽と定義していることだろう。
ジャールカンドのタフな暮らしを綴ったリリックにも特徴があるTre Essだが、ヒップホップの本質としてコトバよりも音楽的革新性を挙げていることに、彼のサウンドクリエイターとしての矜持が伺える。
また、この手の質問に「Eminemに影響を受けてラップを始めたんだ」とか答えるラッパーが多いなかで、表現者として他のアーティストに過剰な憧れを持ち続けることに疑問を持つ姿勢はとても印象的だ。
彼はキャリアの早い段階から、自分自身のことも「エクスペリメンタルな革新を続ける表現者の一人」として位置づけていたのだろう。
続いては、気になる地元のシーンについて。
Tre Essを紹介した記事でも書いた通り、ジャールカンド州はインドの中でも貧しい地域であり、有名ミュージシャンを多く輩出している都市部とは大きく環境が異なる。
都市部を離れれば、インド社会の中で被差別的な立場を強いられてきた先住民族が支配する地域もあり、特有の社会問題もある州だ。
ー正直に言うと、あなたがジャールカンドのラーンチー出身ということにかなり驚いたんだ。なぜかって、インドのコンテンポラリーなミュージシャンはほとんどがデリーとかムンバイみたいな大都市の出身だから。ジャールカンドの音楽シーンについて教えてくれる?
JayantはVikritっていうバンドをやってて、インドやネパールのメタルシーンで活躍してる。俺たちはお互いに違うタイプのサウンドをカバーしていて、しょっちゅうお互いにインスパイアされているってことが気に入っているのさ。
他にもたくさんのアーティストがジャールカンドにはいるけど、彼らは今ひとつ活気や野心に欠けているんだ。昔はそんな状況がいやだったけど、今じゃ自分たちで変えなきゃいけないと思ってるよ。
俺たちはそういう気づきを広げようと努力していて、無料のギグをしたりいろいろしてるけど、このことに関してはそんなに楽観的ってわけじゃないね。俺はコミュニティーを良くしようとしない人間になるのはまっぴらごめんだから、ただ良いことをして、自分が育ったクソみたいな環境をマシにしようとしてるだけってとこさ」
このブログでも大々的に紹介したThe Mellow Turtleに加えて、ラーンチーのミュージックシーンの第3の男として、The Mellow Turtleのインタビューでも名前が挙がったJayant Doraiburuが出てきた。
Tre Essも語っているように、彼はDream TheaterやSymphony Xに影響を受けたプログレッシブ・メタルバンド、Vikritのドラマーも務めている。
彼らのウェブサイトによると、やっているのはこんな曲。
確かに、Tre EssともThe Mellow Turtleともまったく違うヘヴィーメタルを演奏している。
ラップ、ブルース/エレクトロニカ、メタルと全然違うジャンルのアーティストが刺激し合っているというのも、狭い街のシーンならではだろう。
彼らに次ぐアーティストは出てくるのだろうか。
続いては、個人的に初めて出会った彼の曲であり、現在のインドのアンダーグラウンドヒップホップシーンを代表する曲ともいえる" New Religion"について聞いてみた。
Tre Essの名義ながら、コルカタ、ムンバイ、ニューヨークのラッパー総勢7名を客演に迎えた意欲作だ。
明確なコンセプトと過剰なまでの自信。
そしてその根底には、新しい試みへの強い意志がある。
例えば既存の欧米のヒップホップとインドの伝統的なサウンドを融合させて、ヒップホップというジャンルをより「拡げて」いるアーティストもいるが、Tre Essはヒップホップを「拡げる」のではなく、「前に進める」という明確な意識を持ったアーティストと言えるだろう。
ー“New Religion”っていうタイトルの意味を教えてくれる?以前インタビューしたヘヴィーメタルのミュージシャン(Third SovereignのVedantのこと。彼へのインタビュー記事はこちら)が、宗教やコミュニティー同士の争いにはうんざりしていて、ヘヴィーメタルこそが新しい宗教みたいなものさ、ってことを言っていたんだ。あなたもヒップホップに関して、同じような意見を持っているの?
この既存の価値観に対する強烈な反発!
Brodha Vのように、ヒップホップで成り上がりつつも、ヒンドゥーの神への祈りを忘れないというスタンスや、経験なクリスチャンだというDIVINE、シク教徒であることを全面的に出しているPrabh Deepみたいなアーティストもインドにはいるが、彼はより反権威主義的なスタンスだ。
これは彼がより保守的な地域の出身であることも関係しているのかもしれない。
物質主義、功利主義が浸透している都会であれば伝統的な価値観を見直したくもなるかもしれないが、旧弊な価値観に縛られざるを得ない地域においては、音楽こそが精神の自由をもたらす第一の価値観ということになるのだろう。
ーThe Mellow Turtleとあなたが共演している曲が本当に気に入ってるんだけど、彼もラーンチー出身だよね。どうやって彼と出会って、共演するようになったの?
The Mellow Turtleへのインタビューでも語られていたエピソードだ。
その最初に共演した曲というのがこの"Tangerine".
やがてアルバム"Elephant Ride"や"Dzong"でも共演し、唯一無二のサウンドを作り上げてゆくのは今までに紹介した通り。
続いて今後の活動について聴いてみた。
どんなことかっていうと、例えば友だちと15分か20分ドライブするだけで、みんなが長い時間かけて旅行でもしない限り得られないような静けさを見つけることができる。このへんの自然はすごくきれいなんだ。目に映る全てが美しく、しかもそこにも何一つ人の手で計画されたものなんてないんだ!街の中に、今でも自然のままの森林地帯があるんだよ!俺にとってはそれがいちばん美しいものだよ。
でもすごく皮肉なことに、青々とした森林地帯のうち、どこに銃を構えたナクサライトが潜んでいるか分からないんだよ」
ここまで、ずっと強気で不遜とも言えるラッパー然とした態度を見せてきた彼が、初めてその葛藤を見せた答えだ。
音楽的に成功するための大都会への憧れと、故郷の自然への愛着、アンビバレントな感情。
ナクサライトとは、インドの主に貧困地域で活動する毛沢東主義派のテロリストのことで、以前紹介したジャールカンドゆえの闇を感じる内容だ。
強気な態度で既存の権威に噛みつくラッパー、エクスペリメンタルな要素を取り入れたサウンドクリエイター。
そんな彼の口から「投資」なんて言葉が出てくるところにインドのシーンの特異性を感じる。
Taru Dalmiaのドキュメンタリーでも出てきたテーマだが、インドではヒップホップは「ストリートの音楽」であるが、「大衆の音楽」ではなく「エリートの音楽」というややねじれた存在になっているのだ。
The Mellow Turtleも法律事務所で働くエリートでもある。
でも、彼らがやっていることが決して金持ちの道楽ではなく、極めて真摯に誠実に音楽や表現と向き合っているということは音楽を聴けば分かるはずだ。
自分たちだけでなく、後進のミュージシャンのことまで考えているというのだから推して知るべしだ。
おお、ここでもやはりインドでWWE大人気説を裏付ける返事が返ってきた。
唐突だが、プロレスにおいて新しい価値観を提唱した人物といえば、日本のマット界ならば前田日明ということになる。
Tre Essのインタビューを終えて、前田日明が80年代にUWFを立ち上げた時に発した言葉「選ばれてあることの恍惚と不安、二つ我にあり」 を思い出した。
(実際は前田自身の言葉ではなく、原典は太宰で、さらにその元ネタはヴェルレーヌなわけだが)
UWFは従来のプロレスとは異なる格闘技的な要素を持った団体で、前田にとってプロレスとは常に過激に進化しつづけるものであり、かつてその姿勢の提唱者だったアントニオ猪木が既存のプロレスの枠の中に収まってしまったことへの強烈なプロテストでもあった。
Tre Essが前田日明なら、当初は革新的だったものの新しい表現を追求しなくなったヒップホップアーティストはアントニオ猪木(その他当時のプロレスラー)にあたる。
保守的、後進的なジャールカンドで革新的なヒップホップを作り続けてゆくことについて、彼もまた恍惚と不安の中にいるのだろう。
今のところ、そうした葛藤や、狭いシーンならではの出会いは、彼の音楽をより魅力的なものにしているように思える。
今後彼は、そしてMellow TurtleやJayantといったラーンチーのミュージシャンたちはどんな音楽を作ってゆくのか。
大都市への進出はあるのか。それとも地元のシーンをさらに発展させてゆくのか。
ジャールカンドのシーンともども、今後も紹介してゆきたいと思います!
それでは!
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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2018年06月23日
The Mellow Turtleインタビュー!驚異の音楽性の秘密とは?
先日紹介した、ジャールカンド州ラーンチー出身の驚くべき音楽性を誇るギタリスト/シンガー・ソングライターのThe Mellow Turtle.
インドの中でも後進的な地域の出身ながら、時代もジャンルも超越した先進的なハイブリッドサウンドを奏でる彼の音楽遍歴やバックグラウンドはいかなるものなのか?
想像を超える実態が明らかになった驚愕のメールインタビューの模様をお届けします!
その前に、The Mellow Turtleの紹介記事はこちら!
—あなたのFacebookページを読むと、ずいぶんいろんなタイプの音楽を聴いてきたみたいだね(註:彼はおすすめとして、Tom Misch, FKJ, Bonobo, B.B.King, Muddy Waters, Alt J, Ratatat, Ska Vengers, The F16sなど、海外、国内を問わず非常に多様なアーティストを挙げている)。 それにブルースロックだったり、ヒップホップだったり、エクスペリメンタルなものだったり、すごくいろいろなスタイルの曲を書いているけど、いったいどんな音楽的影響を受けてきたのか、教えてもらえる?
MT「最近聞いているのはアフリカのマリのブルースだよ。Ali Farka Toure, Songhoy Blues, Vieux Farka Toureとかだな。 大きな影響を受けたアーティストといえば、The Black Keys, Ratatat, Gorillaz, Chet Faker, Glass Animals, Morcheeba, Thievery Corporation, Muddy Waters, Howlin Wolfあたりってことになる。 最近じゃヒンドゥスターニー(北インド)の古典音楽も聴き始めたよ。」
マリのブルース!そっちから球が飛んでくるとは思わなかった!
他にも、インディーロック、新世代シンガー・ソングライター、ローファイ、伝説的ブルースマンと、古典から現代まで、センス良すぎるラインナップだ。
さらに地元インドの古典音楽まで聴き始めたとは!
ギタリストにもかかわらず、いわゆるギターヒーロー的なテクニカルなプレイヤーを挙げずに、いろいろなジャンルのグッドミュージックを挙げているのも印象的。
本当に音楽そのものが大好きなのだろう。
—マリのブルースって、いったいどこで知ったの?
MT「Youtubeで見つけて、そこからインターネットで調べ始めたんだ。Ali Farka ToureとRy Cooderのアルバム「Talking Timbuktu」はチェックすべきだよ。すごく美しい音楽だ」
Ali Farka Toureのソロアルバムはこちら!
Ali Farka Toure、不勉強にして初耳だったのだけど、聴いてみてびっくりした。
なぜって、もはやすっかり伝統芸能として形骸化し、息絶えたと思っていたブルースの「精神」が、彼の音楽に生々しく息づいていたから。
アフリカ系アメリカ人によって生まれ、そのままアメリカで死んだと思われていたブルースは、その精神的故郷アフリカで今も生き残っていた。
そしてインドの後進地域のミュージシャンに影響を与え、さらに新しい音楽の母胎となっている。
なんて素晴らしい話なんだろう!
—いつ、どんなふうにギターの演奏を始めたの?
MT「13、4歳のころにギターを弾き始めた。理由はギターのサウンドにどっぷりはまっちゃってたから。それでギターのレッスンを始めたんだけど、少しの間だけレッスンを受けて、あとはウェブ上のタブ譜を見ながら練習したよ」
—お気に入りのソングライターやパフォーマー、ギタリストは誰?
MT「それは難しい質問だな。ソングライターとしては、Ben Howardが大好きだ。ベスト・パフォーマーを挙げるなら、Anderson Paakってことになるね。お気に入りのギタリストってことなら、B.B.Kingがいちばんだよ」
Ben Howardは先日紹介したAsterix Majorを思わせる叙情的なフォーク系シンガー・ソングライターだ。
The Mellow Turtle、守備範囲広すぎだろう。
Anderson Paakはカリフォルニアのゲットー出身のアーティスト。アメリカの黒人音楽の誕生から現在までを全て詰め込んだようなラッパー/シンガー/ドラマー。
ケンドリック・ラマーらと並んで、現在のヒップホップシーンで高い評価を得ている。
B.B.Kingは言うまでもないブルースの大御所だ。これは彼が映画ブルースブラザーズ2000でも披露していた代表曲の1つ。
こうして彼のお気に入りの音楽を並べてみると、音楽性は様々だが、サウンドやスタイルのかっこよさを追求するだけでなく、魂を込めて真摯に表現しているタイプのアーティストが多いことに気がつく。
とくに彼の黒人音楽の好みに関しては、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ばざるを得ないジャールカンドの暮らしの中で育まれた感覚が共鳴するアーティストを挙げているようにも感じる。考えすぎだろうか?
—あなたがTre Essと競演している曲がすごく好きなんだけど、彼もラーンチー出身だよね。いつ、どんなふうに出会って、共作を始めるようになったか教えてもらえる?
MT「ありがとう!友達のJayantとElephant RideのEPを作っていたときに、Sumit(Tre Essの本名)もJayantのスタジオでソロアルバムをレコーディングしてたんだ。ある日スタジオに顔を出したらJayantが、僕らの曲に合わせてラップをした奴がいるって言うんだ。それをチェックしてみたらすごく良かったから、そのTangerineって曲のラップをそのまま残しておくことにしたんだよ。その後、僕らはスタジオで顔を合わせて、いっしょにレコーディングするようになった。それで今じゃすっかり大親友になったってわけさ。」
それがこの曲、Tangerine. Tre Essのラップは2:10頃から。
ラップが入ることで、ブルースロック調の曲がより現代的、立体的になっているのがわかる。
—ラーンチーやジャールカンド州のミュージックシーンについて教えてくれる?ジャールカンドじゃどんなところでライブをしているの?ライブハウスみたいなところとか、フェスとかあるの?
MT「ラーンチーのシーンは本当に退屈だよ。生演奏が聴ける場所なんてないね。へヴィーメタルとカバーバンドのリスナーがいるだけさ。ラーンチーでライブを企画しようとしたことがあったんだ。でも観客は古いヒンディー語とか英語の曲のカバーばっかりリクエストしてきた。ここで新しいタイプの音楽を聴く人を見つけるのは本当に大変だよ」
音楽好きがほとんどいない街で、偶然出会った全く違うジャンルの才能あふれるミュージシャン2人。
ムンバイやデリーのような音楽シーンが成熟した大都市だったら、出会わずにすれ違うだけだったかもしれない。
音楽の神様はたまにこうして才能のあるもの同士を引き合わせる。
そして、そんな音楽好きがほとんどいない街で、純粋に自分たちの音楽を追求しつづけるThe Mellow TurtleとTre Essには、心からのリスペクトを感じる。
でも、本当に今のままでいいの?
—インドの場合、多くの才能あるミュージシャンがデリーやムンバイやバンガロールみたいな大都市に活動拠点を移しているよね。あなたも活動拠点を大都市に移したいと思う?それともラーンチーにとどまり続けるつもり?
MT「正直言って、まだなんとも言えないよ。理想を言えば、ラーンチーとムンバイと両方で過ごすことができればいいけど。都会の生活はとても厳しいよね。生活にお金もかかるし、交通状況も最悪で(駐:ラッシュアワーや交通渋滞のことか)移動のためにずいぶん時間を無駄にしなきゃならない。でもボンベイみたいな街に住めば、もっとライブの機会は増えるし、音楽業界の先頭に立っている人たちにも会える。僕の音楽を聴いてくれるファンを増やすこともできると思うし。」
日本でも、いや世界中でも、同じように感じている地方在住のミュージシャンは多いことと思う。上京して一人暮らしするのだってバカにならないお金がかかる。
都会出身のミュージシャンとは、そもそも前提条件から違うってわけだ。
でも、だからこそ、彼のように地方から大都市のシーンとは関係なく面白い音楽が出てきたりもするのだけど。
—あなたのアルバムのタイトル『Dzong』(ゾン)とか、曲名の『Dzongka』(ゾンカ)っていうのは、ブータンの言語の『ゾンカ語』のことだよね?もしそうなら、どうしてこのタイトルをつけたのか、意味を教えてもらえる?
MT「ブータンの言葉だと、『Dzong』っていうのは宗教や行政や社会福祉を全て執り行う城のことなんだ。このアルバムを通して、僕は精神的なことや政治的なこと、社会的なことを表現したかった。それから僕は建物としての『Dzong』にすっかり魅了されてるんだ。すごくきれいなんだよ。そういうわけでアルバムに『Dzong』ってタイトルをつけたんだ。
これが「Dzong」(ゾン)
『Dzongka』っていうのはブータンの言葉を意味している。この曲では、自分たちの独自のサウンドを追求してみたんだ。ブータンが独自の言語や文化を持っているようにね。『Dzong』をレコーディングしているとき、僕とSumit(Tre Ess)でブータンに行く機会があったんだ。二人ともブータンの文化や雰囲気がすっかり気に入ったんだよ。僕が今までに見た中で一番美しい国だった。」
今度はブータンと来たか!
アメリカや世界中のグッドセンスな音楽のスタイルに乗せて、地元の街のブルース(憂鬱)を歌う。それだけでも十分なのに、隣国の文化からもインスパイアを受けたという彼らの感受性には恐れ入る。時代も地理的な条件もいっさい関係ないみたいだ。
-あなたのFacebookのページによると、ソーシャルワーカーや起業家としても活躍しているみたいだね。音楽以外ではどんなことをしているの?
MT「父の不動産会社で働いていて、プロジェクトの責任者をしているよ。ソーシャルワーカーとしては、今はSt.Michales盲学校のとても才能あるミュージシャンたちのメンターとレコーディングをしているよ。学校で週に2回、ギターも教えているんだ。学校でセッションのための部屋も作ろうとしているんだ」
不動産会社はともかく、盲学校でのプロジェクトはとても面白そうだ。
初期のブルースマンからレイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダーを経てラウル・ミドンまで、盲目の素晴らしいミュージシャンは数多くいる。
彼の音楽的センスと、インドの土壌から、どんなミュージシャンが出てくるのだろうか。
インタビューを通して感じたのは、彼の音楽全般に対する情熱だ。
地域も時代も超え、あらゆる音楽に興味を持ち、良いものを聴き分ける音楽ファンとしての情熱。
そしてそこから受けた影響を、音楽シーンのない街で世界中のどこにもない自分の音楽として作り、表現する情熱。
また、音楽の普遍性と地域性ということについても考えさせられた。
彼の音楽は、先に述べたような世界中のさまざまな音楽からの影響で成り立っている。
だが、彼の作るサウンドの、ビートの隙間からは、紛れもないインドの地方都市の空気が漂ってくるのもまた事実だ(これは、Tre Essの音楽からも感じることだ)。
ニューヨークの音楽にはニューヨークの、西海岸の音楽には西海岸の空気があるように、彼の作る音楽からは、ジャールカンドの空気感が伝わって来る。
昼の暑さを忘れさせるくらい涼しくなった夜の、排気ガスやどこからともなく漂う煮炊きの匂い、オートリクシャーのエンジンとクラクションの音、暗い街角で行くあてもなく佇む人々の眼差しや息遣いが感じられるような音像だと、私は感じている。
The Mellow Turtle. ジャールカンド州ラーンチーが生んだ稀有な才能。
今後彼がどんな音楽を作り出すのか。
またみなさんに紹介できることを楽しみにしています。
2018年05月26日
魅惑のラージャスターニー・ヒップホップの世界!
彼らは前に紹介したDIVINEやBrodha Vに比べると、もっとマイナーかつローカルな存在だが、伝統色の濃いラージャスタン文化とヒップホップとの融合はとても面白くて聴き応えも見応え(ビデオの)もたっぷり。
詳細は以前の記事を見てもらうとして、とくに、ヒップホップのワイルドさが地域独特のマッチョ的美学と融合されているところなんて最高だ。
というわけで、今回はJ19 Squad以外のラージャスターニー・ヒップホップのアーティストを紹介したい。
まずは、Raptaanさん(たぶんこれがアーティストの名前であってると思う)で"Marwadi Hip Hop".
このビデオ、自慢のラクダとキスしたり(ラクダも踊る!)、ナイフで首を掻っ切る仕草をしてみたり、バイクに腰掛けて水パイプを吸ってみたりと、これまたほとばしるローカル色が最高!
子供からじいさんまで一族郎党をバックにラップしてるとこなんて、結果的にだけどチカーノ・ラップみたいなファミリーの結束感を感じさせられる。
"Hip, Hop, Marwadi Hip Hop"というリズミカルなリリックも、不穏さとキュートさを合わせ持ったトラックも普通にかっこいいし、サウンド的にもよくできている。
ここででてくるMarwadi(Marwari=マールワーリー)という言葉は、ラージャスタン州の中でもジョードプルを中心にかつて繁栄したマールワール王国にルーツを持つカーストのこと。
インド全土のみならず、世界中に広がる商人階級のネットワークで有名で、インドの大財閥、ビルラーに代表される「マールワーリー資本」はインド経済に今も大きな影響力を持ち続けている
J19がインタビューで触れていた戦士階級であるラージプートと並んで、この地域の帰属意識の大きな支柱になっているのだろう。
ちなみに言語の面でも、ラージャスターニー語のジョードプル地方の方言は「マールワーリー語」というまた別の言語として扱われることもあるようだ。
続いての曲は、J19 Squadとも共演していたRapperiya BaalamがKunal Verma、Swaroop Khanとコラボレーションした"Mharo Rajasthan"
オープニングの字幕によるとこの曲のタイトルは"Rajasthan Anthem"という意味だそうで、これまた地元愛炸裂の一曲だ(J19はジョードプル賛歌の"Mharo Jodhpur"という曲をやっていた)。
この曲は英語とラージャスターニー語のミックスだが、聴きどころはなんといっても、カッワーリーを思わせるインド北西部独特のコブシの効いた歌とハルモニウムが入った伝統色の濃いトラック!
映像の内容も、シーク教徒のとはまた違うこの地方独特のカラフルなターバンとか、砂漠、ラクダ、城、湖とラージャスタンの魅力が満載で、ラージャスタン州のプロモーションビデオとしても秀逸な出来になっている。
というわけで、J19 Squad以外にも魅力的なアーティストを多数抱えるのラージャスターニー・ヒップホップ。
そのローカル色の強さゆえに、インド全土で大人気!というふうになるのは難しいのかもしれないけれど、今後も注目していきたいと思います。
2018年04月01日
インドいち美しい砂漠の街のギャングスタラップ J19Squad
インドらしさという点でいえば混沌と聖性の街ヴァラナシか、歴史のある大都会デリーやムンバイか、現代的な大都会バンガロールか、いやいや大都市ではなく鄙びたブッダガヤやプリーも捨てがたい。
異国情緒のあるゴアや、独自の文化のあるシッキムも素晴らしく、まだ行ったことのない南インドや北東部にも素晴らしい場所はいくらでもあるだろう。
インド西部ラージャスタン州に、ジョードプルという街がある。
別名は「ブルーシティ」。
旧市街にある、築500年にはなろうかという家々の多くが青く塗られていることから、そう呼ばれている。
タール砂漠の乾燥した大地に、青い石造りの家と、人々の鮮やかな民族衣装が映える美しい街だ。
そう。アタクシは、インドでいちばん「美しい街」は?と聞かれたら、ジョードプルと答えることにしている。
古き良きインドが残っていて、ラクダに乗って砂漠の村々を訪れれば、何百年と変わらぬ暮らしをしている人々がいる。
青い旧市街は何よりも美しく、街の人々も大都会の観光地に比べてずっとフレンドリーだ。
ってのは全部、20年くらい前の記憶なのだけど、 果たしてあのジョードプルにもラッパーっているのかしらん、と思って調べてみたら、いた。
それもすんごいギャングスタラップ集団が。
ここまで紹介してきたインドのラッパーは、Big DealもBKも、ヒップホップのワイルドさは保ちつつも、基本的にはポジティブかつ真摯なメッセージをラップしていた。
あるいは、政治的な主張や差別への抗議をラップするとかね。
ところが今回紹介する連中はとことん「悪」。
奴らの名はJ19 Squad.
まずは1曲聴いてくださいよ。ワルいぜー。 "Bandook"
物騒な感じの連中が大勢集まって、ナイフを持った男にピストルを突きつけたり、女性を拉致したり、銃をぶっ放したりしてる。なんてやばそうな奴らなんだ。
今まで紹介した中ではストリート寄りのBrodha VとかDIVINEと比べても、はるかに強烈かつ直球なギャングスタアピール。
ラップのスキルも高くて、それも言葉は分からないなりにも、俺たちとんでもないワルだぜ、って感じムンムンのラップをしている。
2:40くらいからの「誰も俺たちを止められないぜ、ハッハッハー!俺たちが誰だか分かってんだろ。J19スクワッドだ!」っていうブレイクのところも、ベタだけどカッコよく決まってる。
ひと気のない道でこんな人たちに会ったら、思わず用事を思い出したふりして引き返すね、アタクシは。
かと思えば、ボブ・マーリィに捧げる、ってな曲もやってたりする。
"Bholenath A Tribute to Bob Marley"
…あの、みなさんいきなり思いっきり大麻吸ってるんですけど。
なんかヒンドゥー寺院みたいなところで、連中、ひたすら大麻吸ってる。
歌詞は分からないけど、ボブ・マーリィ全然出てこないし。
コブラやシヴァ・リンガ(男根の象徴)と、シヴァ神のシンボルばかりが出てきて、トリビュート・トゥ・ボブというよりトリビュート・トゥ・シヴァといった感じのような気もするな。
っていうか、インドでも大麻って違法なはずだけど、こういうビデオをアップして大丈夫なんだろうか。
で、なかでも最高なのがコレ!
地元のシンガーと思われる、Rapperiya Baalamと共演している曲"Raja"(王)
いきなりラクダに乗った男が(彼がRapperiyaか?)、いい感じに訛りのきついラップをかます。
インドっぽいトラックにラップを乗せる、っていうのは今までもあったけど、これはヒップホップ色の強いトラックに民謡っぽい歌が乗る!
そんでラッパーたちは地元の移動遊園地を練り歩きながらラップしまくる。
このビデオ、本当に最高じゃないか!
ヒップホップのルーツの黒人っぽさはもはやゼロで、完全にインドのラージャスタンの空気なのに、それでいて完璧にヒップホップのヴァイブがある、と思いませんか?
なにしろ、革ジャンのラッパーとターバンを巻いてラクダに乗った男が何の違和感もなく共存している。
これはラージャスタンの砂漠の男たちがアメリカ生まれのヒップホップを飲み込んだ瞬間のドキュメンタリーだとも言えるんじゃないだろうか。
そんな彼らも地元ジョードプルは何よりも誇りに思ってる(言葉わからないけど、多分)。
こないだ書いたインド各地のご当地ラッパーの記事でも紹介した、地元ジョードプルを讃える歌(多分)、"Mharo Jodhpur"
それにしても、彼ら、毎回大勢で映っているけど、J19というだけあって19人組なんだろうか。
地元のラージャスターニー語でラップしている曲もあれば、ヒンディーでラップしている曲もある。
( Youtubeのタイトルに"Rajasthani Rap"とか"Hindi Rap"とか書かれている)
かと思えば、つい最近リリースされた曲は、なんと"Hindi Rock".
歌はラップだけど、まさかの生バンドだ。
いったいJ19 Squadとは何者なのか?
JはジョードプルのJ?
19は人数?
ラッパーと楽器部隊がいるの?
ギャングスタっぽいアピールはマジ?それともフィクション?
さほどメジャーなグループではないらしく、検索してもさっぱり分からないしインタビュー記事などもヒットしない。
謎は深まるばかり。
彼らにもインタビューのオファーをしてみようと思うのだけど、果たして返事は来るでしょうか?
乞うご期待!
2018年01月26日
インドのメインストリームヒップホップ1 Yo Yo Honey Singh
凡平です。
2回にわたってむさ苦しい音楽を紹介してきたので、今回は「なんとかメタル」から離れて、ヒップホップのアーティストを紹介することにしたい。
これまで、ヒップホップでは大衆音楽とは距離を置いた、ストリート寄りのBrodha VさんとかDIVINEさんを紹介してきたけど、今回は「これぞインドのメインストリーム!」ってなラッパーを紹介させていただきます。
というわけで、本日紹介するのはこの方、Yo Yo Honey Singhさんです。
ヨー・ヨー・ハニー・シン。
この名前を聞いて、まずみんな何を思うかってえと、芸名がださい…ってことだと思う。
Singhの部分が本名なわけだけれども、人間、自分の名前にヨー・ヨー・ハニーってのをつけたがるもんだろうか。
みなさんも自分の名前にちょっとヨー・ヨー・ハニーをつけてみてほしい。
自分がプロのミュージシャンになるとして、その名前で行こうってのはなかなか思わないんじゃないかなあ、って思うけど、まあそんなことはどうでもいいや。
まずはこの曲、2012年の曲でBrown Rang。
再生回数は2018年1月の時点で4,400万回。
Brodha VやDIVINEがせいぜい80万回くらいだから、文字通り桁が違う。それも二桁だ。
このビデオは2012年にYouTubeで最も見られたビデオってことになっている(たぶん当時はもっと再生回数の多い動画が上がっていたものと思われる)。
この曲はパンジャーブ語で歌われているんだけど、パンジャーブ語話者はインドとパキスタンに9,500万人程度。
じゃあパンジャーブ語話者だけがこの曲を聴いてるのかっていうと、そうとも限らなくて、ヒンディー語(話者2億6,000万人)を含めて似た構造を持っている北インド系の言語を母語とする人たちを中心に、歌詞を聴いて理解できる層というのはインドに相当数いるのではないかな。
で、そこまで人気のあるビデオってだけあって、内容も今まで見てきたインドのラッパーたちとは大違いで、下町をTシャツで練り歩いていたりはしない。
なんかゴージャスな感じのところでビシっとキメた格好で綺麗なおねえちゃんと絡んでいる。
まあこういう成金感覚も非常にヒップホップ的ではあるよな。
曲はオートチューン処理されたようなヴォーカルとか、同時代の欧米を意識しつつも歌い回しなんかはインドっぽいところを残しているのが印象的だ。
Brown Rangというのは、英語とおそらくはパンジャーブ語のミックスで、「茶色い肌」という意味だそうで、これは自分たちインド人のことを指していると考えて間違いないだろう。
「茶色い肌の彼女、みんな君に夢中で何も手につかないぜ、色白の女の子なんてもう誰も相手にしないのさ」という歌詞で、これを非常に現代的なサウンドに乗せて歌うところがニクい。
インドにはかなりいろいろな肌の色の人がいるが、昔から色白こそが美の条件とされている。
映画に出てくる女優も男優もかなり肌の色が薄い人ばかり。
そういうインドで、最先端のサウンドに乗せて「茶色い肌こそ魅力的なのさ」と歌うこの曲は、色白でない大多数の若者達にとって、とても魅力的に響くってことなのだろう。
続いてはこの曲。2013年のBlue Eyes.
なんかDA PUMPっぽい空気感を感じるビデオではあるが、この曲の再生回数もすでに1億4400万回!
1年前に「茶色い肌が魅力的さ」と歌ってたくせに、今度は「君の青い瞳が最高」みたいな曲。でも、白人の女の子を口説く内容の曲ということに、格別に都会的というか進歩的な雰囲気があるのかもしれない。
同じようにオートチューンを使ったコーラス部分が結構現代的なのに比べて、ラップのところがどうもちょっと野暮ったいんだけど、それもまた魅力といえば魅力、のような気もしないでもない。
もう少し最近の曲だとこんな感じになってる。
2016年のSuperman.
今度は曲調がヒップホップというよりEDMっぽい感じになってきた。
「ベイビー、アイム・ア・スーパーマン!」とあいかわらず一定のダサさがある部分が、やっぱり幾ばくかの安心感になっていると思うのですが、いかがでしょう。
YoYo Honey SinghことHirdesh Singhはパンジャーブ州のシク教の一家に生まれ、イギリスの音楽学校で学んだ後、デリーを拠点に音楽活動をしている。
パンジャーブと言えば、90年代に世界的にもちょっと話題になったインド発祥の音楽、バングラの発祥の地だ。2011年にボリウッド映画「Shakal pe mat ja」の音楽を手がけた後、音楽活動のみならず俳優としても活躍している。パンジャーブ語だけでなく、ヒンディーで歌う事も多いようだ。
シク教は、インド北東部パンジャーブ州で16世紀に生まれた宗教。当時の(そして今も)インドの二大宗教であるヒンドゥーとイスラムの影響を受けつつ、他の宗教を排斥せず「いずれの信仰も本質は同じ」という考えを持ち、インドを中心に3,000万人の信者がいる。シク教徒の割合はインド全体では2%程度だが、ターバンと髭が目立つせいかもっといるように感じるし、パンジャーブ州では今でもじつに6割がシク教徒だ。
男性はひげを伸ばしてターバンを巻くことになっていて、ラッパーでも若手の社会派として人気のあるPrabh Deepなんかはターバンを巻いている。デスメタルバンドGutslitのベーシストも、そんな音楽やってるのに律儀にターバン(色は黒)は巻いているが、Yo Yo Honey Singhはターバン、全然巻いてないね。
若手シク教徒がターバンについてどう思っているのか、気になるところではある。
ここから先は完全に想像というか妄想だけど、彼の場合、おそらくイギリス留学が脱ターバンのきっかけになったのではないかな。
おそらく、シク教徒のターバンには、「自らすすんで戒律を守る」ということとは別に、コミュニティの中でかぶらないわけにはいかない、みたいな部分もあるのだと思う。
イギリスに留学したことで、初めてそうした因習から自由になり、ターバンを脱ぎ捨て、一人の若者として最新の音楽を学んでそれをインドに持ち帰る。
その無国籍なサウンドに、若干のインド的な要素をブレンドして、欧米コンプレックスを払拭するような歌詞を乗せて歌う。
Yo Yo Honey Singhの音楽はある意味非常に現代のインド的な音楽だと思うのだけど、いかがでしょうか。
今日はこのへんで!