パンク
2020年06月26日
強烈な社会派無神論ブラックメタル/グラインドコア! Heathen Beastで学ぶ現代インドの政治と社会
コルカタ出身のブラックメタル/グラインドコアバンド、Heathen Beastが新しいアルバムをリリースした。
このニューアルバム"The Revolution Will Not Be Televised, But Heard"がすさまじい。
彼らはギター/ヴォーカルのCarvaka、ベースのSamkhya、ドラムスのMimamsaの3人からなるバンドなのだが、あまりにも激しすぎるその主張のために、本名やメンバー写真を公開せずに活動しているという穏やかでないバンドなのだ。
(3人組のはずなのにアーティスト写真には4人の男のシルエットが写っているが、あまり気にしないようにしよう)
彼らの音楽について説明するには、まず彼らが演奏しているブラックメタルとグラインドコアというジャンルの説明が必要だろう。
ブラック・メタルというのは、ヘヴィメタルが元来持っていた、悪魔崇拝(サタニズム)的な要素をマジで取り入れた音楽のことだ。
もともとは、キリスト教的な道徳観への反抗の象徴だったサタニズムを純化させ、ヘヴィメタルの持つ地下宗教的な雰囲気を、過剰なまでに先鋭化させたジャンルがブラックメタルである。
一方のグラインドコアは、社会への不満がモチベーションになっているパンクロックをルーツに持つ。
もともとは、キリスト教的な道徳観への反抗の象徴だったサタニズムを純化させ、ヘヴィメタルの持つ地下宗教的な雰囲気を、過剰なまでに先鋭化させたジャンルがブラックメタルである。
一方のグラインドコアは、社会への不満がモチベーションになっているパンクロックをルーツに持つ。
グラインドコアは、パンクのサウンド面の激しさを強調した「ハードコア・パンク」の破壊衝動的な要素を、極限まで突き詰めたジャンルと言っていい。
どちらも極端にノイジーなサウンドに超高速なビート、そして絶叫するヴォーカルという点では共通しているが、そのルーツは、構築主義的なメタルとニヒリズム的なパンクという、全く異なるものなのだ。
今回紹介するHeathen Beastのサウンドは、その両方を標榜しているバンドで、彼らの音楽性は、ブラックメタルとグラインドコアを合わせた'Blackend Glind'と表現されることもあるようだ。
Heathen Beastのメンバーは、それぞれが無神論者であることを明言している。
「無宗教」(特定の信仰を選ばない)ではなく、神の存在そのものを明確に否定するという姿勢は、ヒンドゥーにしろイスラームにしろ、(シク教にしろ、ジャイナ教にしろ、キリスト教にしろ…以下続く)信仰が文化やコミュニティーの基盤となっているインド社会では、非常にラディカルなことである。
インドでは、「信仰」は、コミュニティーを結びつけ救いを与えてくれる反面、強すぎる絆や保守的な規範意識が、個人の意思の否定したり、差別的・排他的な感情を駆り立てたりするという負の側面も持っている。
インドで無神論を選ぶということは、単なる内面の問題ではなく、「信仰」に基づくコミュニティーで成り立っているインド社会を否定するという、非常に社会的(かつパンクロック的)な行為でもあるのだ。
彼らが宗教を否定するブラックメタルであると同時に、パンクロックを突き詰めたグラインドコアでもあるという所以である。
"The Revolution Will Not Be Televised, But Heard"には全部で12曲が収録されているが、このトラックリストがまたすさまじい。
1. Fuck C.A.A
2. Fuck N.P.R & N.R.C
3. Fuck Modi-Shah
4. Fuck The B.J.P
5. Fuck Your Self Proclaimed Godmen
6. Fuck Your Police Brutality
7. Fuck The R.S.S
8. Fuck You Godi Media
9. Fuck Your Whatsapp University
10. Fuck Your Hindu Rashtra
11. Fuck The Economy (Modi Already Has)
12. Fuck The Congress
と、すがすがしいほどにFワードが並んでいる。
彼らがfuckと叫んでいる対象をひとつひとつ見てゆくと、現代インドの政治や社会が抱えている課題を、とてもよく理解することができる。
というわけで、今回は、彼らのニューアルバムのタイトルを1曲ずつ紹介しながら、インドの政治と社会についてお勉強してみたい。
1曲めは、Fuck CAA.
シュプレヒ・コールのようなイントロと、ひたすら街頭デモの様子を映した映像から、彼らの社会派っぷりが分かるミュージックビデオだ。
CAA(Citizenship Amendment Act)すなわち「修正市民権法」とは、昨年12月11日に可決された法案のこと。
この法令は、インドに近隣諸国から移住してきたマイノリティーの人々に対して、適切に市民権をあたえるためのものとされているが、その対象からムスリムを除外していることから、インドの国是である政教分離に違反した差別的な法案だとして、大きな反対運動が巻き起こった。
いつもこのブログで紹介しているインディーミュージシャンたちも、そのほとんどがソーシャルメディア上でこの法案に反対する声明を出していたことは記憶に新しい。
2曲めは、Fuck NPR&NRC.
NPRとはNational Population Register(全国国民登録)、NRCとはNational Register of Citizen(国民登録制度)のことだ。
いずれも不法移民の取り締まりなどを目的として、インドの居住者全員を登録するという制度だが、これまで戸籍制度が整備されていなかったインドでは、国籍を証明する書類の不備などを理由にマイノリティーの人々が意図的に社会から排除されてしまうのではないか、という懸念が広がっている。
Heathen Beastはこれらの制度に強烈に異議を唱えているというわけだ。
3曲めは、Fuck Modi-Shah.
Modiはもちろんモディ首相のこと、Shahはモディ内閣で内務大臣を務めるアミット・シャーのことだ。
シャーは、モディ同様にヒンドゥー至上主義団体RSSの出身で、上記のCAA(修正市民権法)導入を主導した中心人物。
これは、Heathen Beastからの現政権の中枢に対する強烈な糾弾なのである。
さて、律儀に1曲ずつ聴いてくれた方はそろそろお気付きのことと思うが、彼らの音楽は全曲「こんな感じ」だ。
その硬派な姿勢はともかく、曲を聴くのはしんどい、という人は、ひとまず解説だけ読んでいただいて、曲を聴くのは体力があるときにしてもらっても、もちろん構わないです。
4曲めは、"Fuck The B.J.P."
BJPとは日本語で「インド人民党」と訳されるBharatiya Janata Partyのこと。
BJPは一般的にヒンドゥー至上主義政党と言われている。
インドは人口の8割がヒンドゥー教を信仰しているが、政教分離を国是としており、政治と宗教との間には一線を画してきた。
ところが、後述のRSSなどのヒンドゥー至上主義団体を支持母体とするBJPは、これまでに述べてきたようなヒンドゥー至上主義的・イスラーム嫌悪的な傾向が強いと指摘されている。
リベラルな思想を持つミュージシャンの中にも、その政策を激しく批判している者は多い。
例えば、以前特集したレゲエ・アーティストのDelhi Sultanateもその一人で、彼はサウンドシステムを用いて自由のためのメッセージを広めるという活動を繰り広げている。
その(ある意味ドン・キホーテ的でもある)活動の様子はこちらの記事からどうぞ。
5曲めの"Fuck Your Self Proclaimed Godmen"は、インドに多くいる「自称、神の化身」「自称、聖人」を糾弾するもの。
彼らが、本来の宗教者の役割として人々を精神的に導くだけでなく、宗教間の嫌悪や対立を煽ったり、高額な献金を募ったり、現世での不幸の原因をカルマ(前世からの因縁)によるものとしていることに対する批判だと理解して良いだろう。
6曲めの"Fuck Your Police Brutality"は文字通り、警察による理不尽な暴力行為を糾弾するもの。
歌詞を読めば、警察の暴力がマイノリティーであるムスリムや、抗議運動を繰り広げている人々に向けられているということがよく分かるはずだ。
昨今話題になっているBlack Lives Matter同様に、インドでもマイノリティーは偏見に基づく公権力の暴力の犠牲になりがちなのだ。
7曲めは"Fuck The R.S.S."
RSSとは民族義勇団と訳されるRashtriya Swayamsevak Sanghの略称だ。
1925年に医師のヘードゲワール(Keshav Baliram Hedgewar)によって設立されたRSSは、当初からヒンドゥー至上主義(インドはヒンドゥー教徒の国であるという主張)を掲げており、ヒンドゥーとムスリムの融和を掲げるガーンディーの暗殺を首謀したことで、一時期活動を禁止されていた歴史を持つ。
政権与党BJPの支持母体のひとつであり、その反イスラーム的な傾向が強いことが問題視されている。
(一方で、RSSは教育、就労支援、医療などの慈善活動も多く手掛けており、彼らが単なる排外主義団体ではないことは、中島岳志氏の『ヒンドゥー・ナショナリズム 印パ緊張の背景』に詳しい)
8曲めは"Fuck Your Godi Media".
Godi mediaというのは聞きなれない言葉だが、ヒンドゥー至上主義的、反イスラーム的(とくに反パキスタン)的な言説を流す傾向が高いメディアのことのようだ。
9曲めは"Fuck Your Whatsapp University".
また耳慣れない言葉が出てきたが、Whatsappは、インドで非常に普及しているメッセージ送受信や無料通話のできるスマートフォンアプリのこと(日本で言えばさしずめLINEだろう)で、4億人ものユーザーがいるという。
Whatsapp Universityというのは、Whatsappから流されてくる誤った情報やフェイクニュースのことを指す言葉のようだ。
こうした情報操作は、おもに現政権与党(つまりBJP)を賞賛するもの、与党に対立する組織や国家を非難するものが多いとされており、BJPは実際に900万人もの人員をWhatsappキャンペーンに動員していると報じられている。
一方で、野党も同じようなインターネットによる情報拡散要員を抱えているという指摘もあり、政権批判だけではなく、このような状況全体に対する問題視もされているという。
Whatsappが(誤った)知識や情報の伝達の場となっていることから'Whatsapp University'と呼ばれているようだが、ひょっとしたら客観的・批判的思考力を持たない卒業生を送り出し続けているインドの大学を揶揄しているという意味も含んでいるのかもしれない。
Godi MediaやWhatsapp UniversityはどちらもジャーナリストのRavish Kumarが提唱した用語である。
インドでは、政治的な主張をするジャーナリストの殺害がこれまでに何件も起こっており、彼もまた2015年から殺害をほのめかす脅迫を受けていることを明らかにしている。
暴力で言論や表現が弾圧されかねないこうした背景こそが、Heathen Beastが匿名でアルバムをリリースせざるを得ない事情なのである。
10曲めは"Fuck Your Hindu Rashtra".
'Hindu Rashtra'はヒンドゥー至上主義国家という意味のようだ。
11曲目は"Fuck The Economy (Modi Already Has)"
これはタイトルどおり、為政者と一部の人々にのみ富をもたらす資本主義経済を糾弾する曲。
そしてラストの12曲めは"Fuck the Congress".
ここで名指しされている"Congress"とは、なんと現最大野党である「国民会議派」のこと。
つまり、彼らは現政権与党BJPや、その背景にあるヒンドゥー至上主義的な傾向だけを糾弾しているわけではなく、インドの政治全般に対してことごとくNoを突きつけているのだ。
国民会議派は、インド独立運動で大きな役割を果たし、初代首相のネルーを輩出し、その後も長く政権を握った政党だが、独立以降、ネルーの娘であるインディラ・ガーンディーをはじめとする一族の人間がトップを取ることが多く、その血統主義は「ネルー・ガーンディー王朝」と呼ばれている。
政権与党時代から、インディラ時代の強権的な政治手法や大企業との結びつきを批判されることも多く、今日においても、ヒンドゥー至上主義的な与党のカウンターとして全面的に支持することができないという人は多いようだ。
昨今の国民会議派は、BJPの支持層を取り込むために、対外的にBJP以上にタカ派の方針を表明することもあり、そうした傾向に対する不満を訴えている可能性もあるのだが、何しろ歌詞が聞き取れないのでよく分からない。
…というわけで、Heathen Beastがその激しすぎるサウンドで、何に対して怒りをぶちまけているのかを、ざっと解説してみた。
彼らはコルカタ出身のバンドである。
彼らのこの真摯なまでの社会性は、独立運動の拠点のひとつであり、その後も(暴力的・非合法的なものを含めて)さまざまな社会運動の舞台となってきたコルカタの文化的風土と無縁ではないだろう。
独立闘争の英雄チャンドラ・ボースを生み、ナクサライトのような革命運動の発祥の地である西ベンガルでは、人々(とくに若者たち)はデモやフォークソングを通して、常に社会や政治に対して強烈な意義申し立てを行ってきた。
Heathen Beastは、単に現政権やヒンドゥー教を糾弾するだけのバンドではない。
今回のアルバムでは、ヒンドゥー・ナショナリズム的な政治を批判する傾向が強いが、彼らが2012年にリリースした"Bakras To The Slaughter"では、イスラーム教がヤギを犠牲とすることを激しく批判している。
何しろ彼らは、"Fuck All Religions Equally"という曲すら演奏しているほどなのだ。
彼らには珍しく、サウンド的にもタブラの音色などインドの要素が入った面白い曲だ。
こうした曲を聴けば、彼らの怒りが、迷信に基づいたものや、人間や生命の尊厳を脅かしたりするものであれば、あらゆる方向に向いているということが分かるだろう。
Heathen Beastの激しすぎる主張を批判することは簡単だろう。
批判ばかりで代案がないとか、彼らが糾弾している対象にも(差別や排外主義は論外としても)それなりの理由や言い分があるとか、そもそもこの音楽と歌い方じゃあ立派な主張もほとんど伝わらない、とか、ツッコミどころはいくらでもある。
それでも、彼らがこういう音楽を通して怒りを率直に表明しているということや、匿名とはいえこうしたことを表明できる社会であるということは、ものすごく真っ当で、正しいことだと思うのだ。
そもそも、ここまで政治や社会に対して直球で怒りをぶつけているパンクロックバンドなんて、いまどき世界中を探してもほとんどいないんじゃないだろうか?
こうした怒りの表明は、ヒップホップのようなより現代的な音楽ジャンルでも、もっとジャーナリスティックなやり方でも、より文学的な表現でもできるかもしれないが、やはりヘヴィメタルやパンクロックでしか表せない感覚というものは、確実に存在する。
ブラックメタルやハードコアのサブジャンルが細分化し、伝統芸能化、スポーツ化(単に暴れるためだけの激しい音楽となっている)してしまって久しいが、彼らのこの大真面目な姿勢に、私はちょっと感動してしまった。
Heathen Beastがテーマにしているのは、彼らがまさに今直面しているインド国内の問題だが、インド人のみならず、ミュージシャンが政治性を持つことを頑なに排除しようとする国の人(あと、そもそも政治性のある音楽を認めていない国の偉い人)も、彼らの音楽を聴いて姿勢を正してほしいと心から思う。
いや、彼らの音楽で姿勢を正すのは変だな。
モッシュするなりダイブするなり好きなように暴れて、それからじっくり考えてみてほしい。
Spirit of Punk Rock is STILL ALIVE in India!
Azadi! (Freedom!)
参考サイト:
https://thoseonceloyal.wordpress.com/2020/05/27/review-heathen-beast-the-revolution-will-not-be-televised-but-it-will-be-heard/
https://en.wikipedia.org/wiki/Citizenship_(Amendment)_Act,_2019
https://www.news18.com/news/india/what-is-npr-is-it-linked-to-nrc-all-you-need-to-know-about-the-exercise-2461799.html
https://cyberblogindia.in/the-great-indian-whatsapp-university/
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4曲めは、"Fuck The B.J.P."
BJPとは日本語で「インド人民党」と訳されるBharatiya Janata Partyのこと。
BJPは一般的にヒンドゥー至上主義政党と言われている。
インドは人口の8割がヒンドゥー教を信仰しているが、政教分離を国是としており、政治と宗教との間には一線を画してきた。
ところが、後述のRSSなどのヒンドゥー至上主義団体を支持母体とするBJPは、これまでに述べてきたようなヒンドゥー至上主義的・イスラーム嫌悪的な傾向が強いと指摘されている。
リベラルな思想を持つミュージシャンの中にも、その政策を激しく批判している者は多い。
例えば、以前特集したレゲエ・アーティストのDelhi Sultanateもその一人で、彼はサウンドシステムを用いて自由のためのメッセージを広めるという活動を繰り広げている。
その(ある意味ドン・キホーテ的でもある)活動の様子はこちらの記事からどうぞ。
5曲めの"Fuck Your Self Proclaimed Godmen"は、インドに多くいる「自称、神の化身」「自称、聖人」を糾弾するもの。
彼らが、本来の宗教者の役割として人々を精神的に導くだけでなく、宗教間の嫌悪や対立を煽ったり、高額な献金を募ったり、現世での不幸の原因をカルマ(前世からの因縁)によるものとしていることに対する批判だと理解して良いだろう。
6曲めの"Fuck Your Police Brutality"は文字通り、警察による理不尽な暴力行為を糾弾するもの。
歌詞を読めば、警察の暴力がマイノリティーであるムスリムや、抗議運動を繰り広げている人々に向けられているということがよく分かるはずだ。
昨今話題になっているBlack Lives Matter同様に、インドでもマイノリティーは偏見に基づく公権力の暴力の犠牲になりがちなのだ。
7曲めは"Fuck The R.S.S."
RSSとは民族義勇団と訳されるRashtriya Swayamsevak Sanghの略称だ。
1925年に医師のヘードゲワール(Keshav Baliram Hedgewar)によって設立されたRSSは、当初からヒンドゥー至上主義(インドはヒンドゥー教徒の国であるという主張)を掲げており、ヒンドゥーとムスリムの融和を掲げるガーンディーの暗殺を首謀したことで、一時期活動を禁止されていた歴史を持つ。
政権与党BJPの支持母体のひとつであり、その反イスラーム的な傾向が強いことが問題視されている。
(一方で、RSSは教育、就労支援、医療などの慈善活動も多く手掛けており、彼らが単なる排外主義団体ではないことは、中島岳志氏の『ヒンドゥー・ナショナリズム 印パ緊張の背景』に詳しい)
8曲めは"Fuck Your Godi Media".
Godi mediaというのは聞きなれない言葉だが、ヒンドゥー至上主義的、反イスラーム的(とくに反パキスタン)的な言説を流す傾向が高いメディアのことのようだ。
9曲めは"Fuck Your Whatsapp University".
また耳慣れない言葉が出てきたが、Whatsappは、インドで非常に普及しているメッセージ送受信や無料通話のできるスマートフォンアプリのこと(日本で言えばさしずめLINEだろう)で、4億人ものユーザーがいるという。
Whatsapp Universityというのは、Whatsappから流されてくる誤った情報やフェイクニュースのことを指す言葉のようだ。
こうした情報操作は、おもに現政権与党(つまりBJP)を賞賛するもの、与党に対立する組織や国家を非難するものが多いとされており、BJPは実際に900万人もの人員をWhatsappキャンペーンに動員していると報じられている。
一方で、野党も同じようなインターネットによる情報拡散要員を抱えているという指摘もあり、政権批判だけではなく、このような状況全体に対する問題視もされているという。
Whatsappが(誤った)知識や情報の伝達の場となっていることから'Whatsapp University'と呼ばれているようだが、ひょっとしたら客観的・批判的思考力を持たない卒業生を送り出し続けているインドの大学を揶揄しているという意味も含んでいるのかもしれない。
Godi MediaやWhatsapp UniversityはどちらもジャーナリストのRavish Kumarが提唱した用語である。
インドでは、政治的な主張をするジャーナリストの殺害がこれまでに何件も起こっており、彼もまた2015年から殺害をほのめかす脅迫を受けていることを明らかにしている。
暴力で言論や表現が弾圧されかねないこうした背景こそが、Heathen Beastが匿名でアルバムをリリースせざるを得ない事情なのである。
10曲めは"Fuck Your Hindu Rashtra".
'Hindu Rashtra'はヒンドゥー至上主義国家という意味のようだ。
11曲目は"Fuck The Economy (Modi Already Has)"
これはタイトルどおり、為政者と一部の人々にのみ富をもたらす資本主義経済を糾弾する曲。
そしてラストの12曲めは"Fuck the Congress".
ここで名指しされている"Congress"とは、なんと現最大野党である「国民会議派」のこと。
つまり、彼らは現政権与党BJPや、その背景にあるヒンドゥー至上主義的な傾向だけを糾弾しているわけではなく、インドの政治全般に対してことごとくNoを突きつけているのだ。
国民会議派は、インド独立運動で大きな役割を果たし、初代首相のネルーを輩出し、その後も長く政権を握った政党だが、独立以降、ネルーの娘であるインディラ・ガーンディーをはじめとする一族の人間がトップを取ることが多く、その血統主義は「ネルー・ガーンディー王朝」と呼ばれている。
政権与党時代から、インディラ時代の強権的な政治手法や大企業との結びつきを批判されることも多く、今日においても、ヒンドゥー至上主義的な与党のカウンターとして全面的に支持することができないという人は多いようだ。
昨今の国民会議派は、BJPの支持層を取り込むために、対外的にBJP以上にタカ派の方針を表明することもあり、そうした傾向に対する不満を訴えている可能性もあるのだが、何しろ歌詞が聞き取れないのでよく分からない。
…というわけで、Heathen Beastがその激しすぎるサウンドで、何に対して怒りをぶちまけているのかを、ざっと解説してみた。
彼らはコルカタ出身のバンドである。
彼らのこの真摯なまでの社会性は、独立運動の拠点のひとつであり、その後も(暴力的・非合法的なものを含めて)さまざまな社会運動の舞台となってきたコルカタの文化的風土と無縁ではないだろう。
独立闘争の英雄チャンドラ・ボースを生み、ナクサライトのような革命運動の発祥の地である西ベンガルでは、人々(とくに若者たち)はデモやフォークソングを通して、常に社会や政治に対して強烈な意義申し立てを行ってきた。
Heathen Beastは、単に現政権やヒンドゥー教を糾弾するだけのバンドではない。
今回のアルバムでは、ヒンドゥー・ナショナリズム的な政治を批判する傾向が強いが、彼らが2012年にリリースした"Bakras To The Slaughter"では、イスラーム教がヤギを犠牲とすることを激しく批判している。
何しろ彼らは、"Fuck All Religions Equally"という曲すら演奏しているほどなのだ。
彼らには珍しく、サウンド的にもタブラの音色などインドの要素が入った面白い曲だ。
こうした曲を聴けば、彼らの怒りが、迷信に基づいたものや、人間や生命の尊厳を脅かしたりするものであれば、あらゆる方向に向いているということが分かるだろう。
Heathen Beastの激しすぎる主張を批判することは簡単だろう。
批判ばかりで代案がないとか、彼らが糾弾している対象にも(差別や排外主義は論外としても)それなりの理由や言い分があるとか、そもそもこの音楽と歌い方じゃあ立派な主張もほとんど伝わらない、とか、ツッコミどころはいくらでもある。
それでも、彼らがこういう音楽を通して怒りを率直に表明しているということや、匿名とはいえこうしたことを表明できる社会であるということは、ものすごく真っ当で、正しいことだと思うのだ。
そもそも、ここまで政治や社会に対して直球で怒りをぶつけているパンクロックバンドなんて、いまどき世界中を探してもほとんどいないんじゃないだろうか?
こうした怒りの表明は、ヒップホップのようなより現代的な音楽ジャンルでも、もっとジャーナリスティックなやり方でも、より文学的な表現でもできるかもしれないが、やはりヘヴィメタルやパンクロックでしか表せない感覚というものは、確実に存在する。
ブラックメタルやハードコアのサブジャンルが細分化し、伝統芸能化、スポーツ化(単に暴れるためだけの激しい音楽となっている)してしまって久しいが、彼らのこの大真面目な姿勢に、私はちょっと感動してしまった。
Heathen Beastがテーマにしているのは、彼らがまさに今直面しているインド国内の問題だが、インド人のみならず、ミュージシャンが政治性を持つことを頑なに排除しようとする国の人(あと、そもそも政治性のある音楽を認めていない国の偉い人)も、彼らの音楽を聴いて姿勢を正してほしいと心から思う。
いや、彼らの音楽で姿勢を正すのは変だな。
モッシュするなりダイブするなり好きなように暴れて、それからじっくり考えてみてほしい。
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goshimasayama18 at 17:25|Permalink│Comments(0)
2020年02月01日
ムンバイのハードコアバンドRiot Peddlersとインドのパンクロックシーン!
ムンバイのハードコアパンクバンドRiot Peddlersが、デビュー作以来7年ぶりとなるニューEPをリリースした。
今回はその話題を書こうと思っていたのだが、200本を超える記事を書いてきたこのブログで、実はパンクロックについて触れるのはこれが初めて!
というわけで、今回はインドのパンクロックシーンについてもあわせて紹介してみます。
いきなり結論から書くと、21世紀に入ってからインディーミュージックシーンが発展したインドでは、パンクロックの存在感は決して大きくない。
というか、外から眺める限り、その存在はかなり小さいように見える。
これにはいくつかの理由が考えられる。
まず1つめは、かつてのアメリカやイギリスでパンクバンドをやっていたような、社会に不満を持つ若者たちの表現手段が、パンクロックからヒップホップに完全に移行してしまったということ。これはインドに限らず世界的な傾向だろう。
それに、バンドをやるためには、楽器やリハーサルスタジオにも安くないお金がかかる。
とくにインドの場合、経済的に恵まれない層の若者たちにとって、エレキギターやドラムセットを買うなんて夢のまた夢のまた夢。
体一つでできるラップと違い、そもそもロックはそれなりに裕福でないとできないジャンルなのだ。
インドでパンク人気がいまひとつな理由は、他にも考えられる。
パンクロックのサウンド面での特徴といえば、それはもちろん「激しさ」ということになるだろうが、インドでは、激しい音楽のジャンルとしては、パンクよりもヘヴィメタルのほうが圧倒的に人気なのだ。
階級社会のインドでは、人々は自分を「より良く見せよう」という意識が高い。
そのせいかどうかは分からないが、あえて低俗にふるまい初期衝動の発散に終始するパンクロックよりも、構築的で技巧的なヘヴィメタルを志す若者たちが多いのである。
インドにはとくにデスメタルやメタルコアなどのエクストリーム系のバンドが多く、それに対してハードコア・パンクは非常に少ない(これも今日ではインドに限らない世界的な傾向と言えるかもしれないが…)
もうひとつ言えば、インドでは、パンクロックが流行した時代('70〜'90頃)にインディーミュージックが盛んでなく、パンクのシーンが形成されなかったということも、パンク不在の理由として挙げられるだろう。
そんなわけで、インドではパンクロックは、決して盛んなわけではないのだが、それでも各地で草の根的な活動を繰り広げているバンドたちがいる。
まずは、冒頭でも触れたムンバイのスリーピースバンドRiot Pedllers.
(画像は彼らのFacebookから拝借)
モヒカン頭のインド人は初めて見たという人が多いのではないだろうか。
彼らのファーストアルバム"Sarkarsm"から、"Bollywood Song"をさっそく聴いていただこう。
いかにもインドっぽい旋律のヘタクソな歌から始まるが、これはインドの娯楽の絶対的メインストリームであるボリウッドをおちょくっているのである。
その後の歌詞を冒頭の4行だけ載せると、こんな感じである。
こうした経歴や、この映像の観客の様子からも、インドのハードコアパンクがメタルシーンとかなり接近しているということが見て取れる。
続いては、同じくムンバイから、Green Dayあたりが大好きそうなバンド、Punk On Toastの"My Friends"を紹介する。
ギターをかかえて両足を揃えてジャンプ!
なんだか青春っぽい。
Hi-Standardあたりを思い出すアラフォーの人も多いんじゃないだろうか。
この曲はかなりポップなメロディックパンクだが、彼らの他の曲はもっとハードコアっぽかったりもする。
インドのパンクロックの中心地を挙げるとしたら、やはり最大の都市ムンバイということになるようで、ムンバイには、他にもマスコアからの影響を受けたDeath By FungiやGreyfadeといったバンドが存在している。
インド東部のウエスト・ベンガル州コルカタのThe Lightyears Explodeは、よりポップな音楽性のバンド。
政治的というよりは内政的なテーマを歌っているようだ。
同じくコルカタにはRoad2Renaissanceというバンドもいる。
曲は、その名も"Marijuana Song".
DoorsやPink Floydらの影響も公言している彼らをパンクバンドとして紹介いいものかどうか迷うが、パンク的な要素のあるサウンドではある。
あくまで印象としてだが、コルカタのバンドからはニューヨークのバンドのような文学的洗練を感じることが多い。
タゴールやサタジット・レイで知られる文化的な土地であることと、なにか関係があるのだろうか。
歴史を遡って、インドで最初のパンクバンドについて調べてみると、どうやら2002年にムンバイで結成されたTripwireというバンドに行き着くようだ。
Ramones, Sex Pistols, Black Flag, Bad Religionといったクラシックなバンドの影響を受けているようだが、個人的には彼らのサウンドからはあまりパンクを感じない。
労働者階級出身であることがパンクスの絶対条件だとは思わないが、彼らからは、隠しきれない「育ちの良さ」みたいなものが感じられてしまって、パンク的な破壊衝動をあまり感じられないというのが正直なところである。
2004年にデリーで結成されたSuperfuzzというバンドもインドにおける初期パンクロックにカテゴライズされることがあるようだ。
この曲に関しては、ニルヴァーナ風のサウンドに、リアム・ギャラガー風のヴォーカルといった感じだが、全ての曲がこのスタイルというわけでもなく、ロックバンドとしての作曲/パフォーマンス能力はこの時代のインドにしてはなかなか高いものを持っているようである。
その後、彼らはIndigo Childrenと改名し、90年代のUKのバンドを思わせるようなポップなロックを演奏している。
と、ここまで読んで(聴いて)いただいて分かる通り、インドのパンクバンドは、サウンド的には亜流の域を出ないものが多く、強いオリジナリティやカリスマ的な人気バンドが存在しているわけではない。
それでも、破壊衝動や社会への怒りと不満をパンクロックに乗せて表現している人たちがインドにもいるということに、まず何よりもうれしさを感じる。
カウンターカルチャーとしての音楽の本流がヒップホップに移ってしまったとしても、やはりどうしてもパンクロックでしか表現できないフィーリングというものがあるのだ。
かつて、ブルーハーツは『パンクロック』という曲で、極めて率直にこう歌った。
インドにも同じように感じている若者たちがいるのだと思うと、かつてこのジャンルにずいぶん力をもらった一人として、単純にうれしい。
インドのパンクロックシーンはまだまだ発展途上だし、その規模から考えると、これから爆発的に成長するとも思えないが、インドの都市の片隅で、ヘタクソなパンクバンドに合わせてモッシュしている若者たちがいると思うと、またいっそうインドという国が身近に感じられるというものである。
がんばれ!インドのパンクバンド!
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今回はその話題を書こうと思っていたのだが、200本を超える記事を書いてきたこのブログで、実はパンクロックについて触れるのはこれが初めて!
というわけで、今回はインドのパンクロックシーンについてもあわせて紹介してみます。
いきなり結論から書くと、21世紀に入ってからインディーミュージックシーンが発展したインドでは、パンクロックの存在感は決して大きくない。
というか、外から眺める限り、その存在はかなり小さいように見える。
これにはいくつかの理由が考えられる。
まず1つめは、かつてのアメリカやイギリスでパンクバンドをやっていたような、社会に不満を持つ若者たちの表現手段が、パンクロックからヒップホップに完全に移行してしまったということ。これはインドに限らず世界的な傾向だろう。
それに、バンドをやるためには、楽器やリハーサルスタジオにも安くないお金がかかる。
とくにインドの場合、経済的に恵まれない層の若者たちにとって、エレキギターやドラムセットを買うなんて夢のまた夢のまた夢。
体一つでできるラップと違い、そもそもロックはそれなりに裕福でないとできないジャンルなのだ。
インドでパンク人気がいまひとつな理由は、他にも考えられる。
パンクロックのサウンド面での特徴といえば、それはもちろん「激しさ」ということになるだろうが、インドでは、激しい音楽のジャンルとしては、パンクよりもヘヴィメタルのほうが圧倒的に人気なのだ。
階級社会のインドでは、人々は自分を「より良く見せよう」という意識が高い。
そのせいかどうかは分からないが、あえて低俗にふるまい初期衝動の発散に終始するパンクロックよりも、構築的で技巧的なヘヴィメタルを志す若者たちが多いのである。
インドにはとくにデスメタルやメタルコアなどのエクストリーム系のバンドが多く、それに対してハードコア・パンクは非常に少ない(これも今日ではインドに限らない世界的な傾向と言えるかもしれないが…)
もうひとつ言えば、インドでは、パンクロックが流行した時代('70〜'90頃)にインディーミュージックが盛んでなく、パンクのシーンが形成されなかったということも、パンク不在の理由として挙げられるだろう。
そんなわけで、インドではパンクロックは、決して盛んなわけではないのだが、それでも各地で草の根的な活動を繰り広げているバンドたちがいる。
まずは、冒頭でも触れたムンバイのスリーピースバンドRiot Pedllers.
(画像は彼らのFacebookから拝借)
モヒカン頭のインド人は初めて見たという人が多いのではないだろうか。
彼らのファーストアルバム"Sarkarsm"から、"Bollywood Song"をさっそく聴いていただこう。
いかにもインドっぽい旋律のヘタクソな歌から始まるが、これはインドの娯楽の絶対的メインストリームであるボリウッドをおちょくっているのである。
その後の歌詞を冒頭の4行だけ載せると、こんな感じである。
I hate this song, it makes me sick
Bollywood can suck my dick
I have a big frown on my face,
Need to get the fuck out of this place
あえて訳すまでもないと思うが、ここにはボリウッドに対する痛烈な嫌悪感が表されている。
インドの娯楽映画は日本にもファンが多いので少し言いづらいのだが(私も別に嫌いではない)、あんなものはクソだと思う人が一定の割合でいるというのは、主流文化の避けられない宿命だろう。こういうカウンターカルチャーが無かったら、かえって不健全というものだ。
アルバムタイトルの"Sarkarsm"は、インドの諸言語で「権力者」 を意味する'sarkar'と、英語で「皮肉」を意味する'sarcasm'をかけ合わせた造語で、「権力やメインストリームに対する皮肉」といった意味と思われる。
(ちなみに"Sarkar"というタイトルの映画はヒンディー語でもタミル語でもあって、ヒンディー語版は名優アミターブ・バッチャン主演のマフィア映画のシリーズ、タミル語版はヴィジャイ主演の選挙をテーマにした作品)
続いては、新作"Strength in Dumbers"(今度は「数の力」という意味の'strength in numbers'をもじっていて「アホどもの力」とでも訳せるだろうか)から"Muslim Dudes On Bikes".
ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭にともなって肩身の狭い思いをしているムスリムへの、少々手荒い応援歌である(ちなみにバンドのメンバーは3人ともヒンドゥーのようだ)。
このEPは5曲入りでたったの11分というパンクロックらしい潔い内容。
彼らのサウンドは、これといった特徴のないハードコアパンクだが、主流文化に毒づき、マイノリティーに共感する彼らのアティテュードは、間違いなくパンクロックのものである。
続いて紹介するバンドは、プネーのFalse Flag.
これは2018年にリリースされたネパールのパンクバンドNeck Deep in FilthとのスプリットEPで、最初の4曲がFalse Flagの楽曲。
彼らについて紹介した記事によると、False Flagはマルキシズム的な思想に基づいた、反女性差別、反カースト差別的な主張を持ったバンドとのことである。
以前、ジャマイカン・ミュージックを武器に戦う活動家のDelhi Sultanateを紹介したときにも思ったことだが、政治的な主張をより多くの人に伝えたいのであれば、もっとインドの大衆に受け入れられやすいジャンルだってあるはずだ。
それでもこうしたインドでは全くポピュラーではないジャンルを選んでいる理由は、おそらくだが、彼らにとっては、その思想とパンクロックのサウンドは不可分のものであって、どちらか片方では成立し得ないものだからなのだろう。
政治性が極端に排除された日本の音楽シーンのことを考えると、ちょっと背筋が伸びる思いである。
まあ、パンクロックを聴いて背筋を伸ばすのもなんだけど。
こちらは、昨年デビューしたムンバイの5人組Pacifist.
スマホで撮ったみたいな縦長の画像に味わいを感じる。
ここまで紹介したどのバンドもまともなミュージックビデオを作成していないことからも、インドのパンクシーンがかなり草の根的な状況であることが分かるだろう。
彼らはAt The Drive InやHelmetなどの影響を受けているとのことだが、ヴォーカリストのSidharth Raveendranはもともとはデスメタルバンドのメンバーだったそうだ。
Bollywood can suck my dick
I have a big frown on my face,
Need to get the fuck out of this place
あえて訳すまでもないと思うが、ここにはボリウッドに対する痛烈な嫌悪感が表されている。
インドの娯楽映画は日本にもファンが多いので少し言いづらいのだが(私も別に嫌いではない)、あんなものはクソだと思う人が一定の割合でいるというのは、主流文化の避けられない宿命だろう。こういうカウンターカルチャーが無かったら、かえって不健全というものだ。
アルバムタイトルの"Sarkarsm"は、インドの諸言語で「権力者」 を意味する'sarkar'と、英語で「皮肉」を意味する'sarcasm'をかけ合わせた造語で、「権力やメインストリームに対する皮肉」といった意味と思われる。
(ちなみに"Sarkar"というタイトルの映画はヒンディー語でもタミル語でもあって、ヒンディー語版は名優アミターブ・バッチャン主演のマフィア映画のシリーズ、タミル語版はヴィジャイ主演の選挙をテーマにした作品)
続いては、新作"Strength in Dumbers"(今度は「数の力」という意味の'strength in numbers'をもじっていて「アホどもの力」とでも訳せるだろうか)から"Muslim Dudes On Bikes".
ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭にともなって肩身の狭い思いをしているムスリムへの、少々手荒い応援歌である(ちなみにバンドのメンバーは3人ともヒンドゥーのようだ)。
このEPは5曲入りでたったの11分というパンクロックらしい潔い内容。
彼らのサウンドは、これといった特徴のないハードコアパンクだが、主流文化に毒づき、マイノリティーに共感する彼らのアティテュードは、間違いなくパンクロックのものである。
続いて紹介するバンドは、プネーのFalse Flag.
これは2018年にリリースされたネパールのパンクバンドNeck Deep in FilthとのスプリットEPで、最初の4曲がFalse Flagの楽曲。
彼らについて紹介した記事によると、False Flagはマルキシズム的な思想に基づいた、反女性差別、反カースト差別的な主張を持ったバンドとのことである。
以前、ジャマイカン・ミュージックを武器に戦う活動家のDelhi Sultanateを紹介したときにも思ったことだが、政治的な主張をより多くの人に伝えたいのであれば、もっとインドの大衆に受け入れられやすいジャンルだってあるはずだ。
それでもこうしたインドでは全くポピュラーではないジャンルを選んでいる理由は、おそらくだが、彼らにとっては、その思想とパンクロックのサウンドは不可分のものであって、どちらか片方では成立し得ないものだからなのだろう。
政治性が極端に排除された日本の音楽シーンのことを考えると、ちょっと背筋が伸びる思いである。
まあ、パンクロックを聴いて背筋を伸ばすのもなんだけど。
こちらは、昨年デビューしたムンバイの5人組Pacifist.
スマホで撮ったみたいな縦長の画像に味わいを感じる。
ここまで紹介したどのバンドもまともなミュージックビデオを作成していないことからも、インドのパンクシーンがかなり草の根的な状況であることが分かるだろう。
彼らはAt The Drive InやHelmetなどの影響を受けているとのことだが、ヴォーカリストのSidharth Raveendranはもともとはデスメタルバンドのメンバーだったそうだ。
こうした経歴や、この映像の観客の様子からも、インドのハードコアパンクがメタルシーンとかなり接近しているということが見て取れる。
続いては、同じくムンバイから、Green Dayあたりが大好きそうなバンド、Punk On Toastの"My Friends"を紹介する。
ギターをかかえて両足を揃えてジャンプ!
なんだか青春っぽい。
Hi-Standardあたりを思い出すアラフォーの人も多いんじゃないだろうか。
この曲はかなりポップなメロディックパンクだが、彼らの他の曲はもっとハードコアっぽかったりもする。
インドのパンクロックの中心地を挙げるとしたら、やはり最大の都市ムンバイということになるようで、ムンバイには、他にもマスコアからの影響を受けたDeath By FungiやGreyfadeといったバンドが存在している。
インド東部のウエスト・ベンガル州コルカタのThe Lightyears Explodeは、よりポップな音楽性のバンド。
政治的というよりは内政的なテーマを歌っているようだ。
同じくコルカタにはRoad2Renaissanceというバンドもいる。
曲は、その名も"Marijuana Song".
DoorsやPink Floydらの影響も公言している彼らをパンクバンドとして紹介いいものかどうか迷うが、パンク的な要素のあるサウンドではある。
あくまで印象としてだが、コルカタのバンドからはニューヨークのバンドのような文学的洗練を感じることが多い。
タゴールやサタジット・レイで知られる文化的な土地であることと、なにか関係があるのだろうか。
歴史を遡って、インドで最初のパンクバンドについて調べてみると、どうやら2002年にムンバイで結成されたTripwireというバンドに行き着くようだ。
Ramones, Sex Pistols, Black Flag, Bad Religionといったクラシックなバンドの影響を受けているようだが、個人的には彼らのサウンドからはあまりパンクを感じない。
労働者階級出身であることがパンクスの絶対条件だとは思わないが、彼らからは、隠しきれない「育ちの良さ」みたいなものが感じられてしまって、パンク的な破壊衝動をあまり感じられないというのが正直なところである。
2004年にデリーで結成されたSuperfuzzというバンドもインドにおける初期パンクロックにカテゴライズされることがあるようだ。
この曲に関しては、ニルヴァーナ風のサウンドに、リアム・ギャラガー風のヴォーカルといった感じだが、全ての曲がこのスタイルというわけでもなく、ロックバンドとしての作曲/パフォーマンス能力はこの時代のインドにしてはなかなか高いものを持っているようである。
その後、彼らはIndigo Childrenと改名し、90年代のUKのバンドを思わせるようなポップなロックを演奏している。
と、ここまで読んで(聴いて)いただいて分かる通り、インドのパンクバンドは、サウンド的には亜流の域を出ないものが多く、強いオリジナリティやカリスマ的な人気バンドが存在しているわけではない。
それでも、破壊衝動や社会への怒りと不満をパンクロックに乗せて表現している人たちがインドにもいるということに、まず何よりもうれしさを感じる。
カウンターカルチャーとしての音楽の本流がヒップホップに移ってしまったとしても、やはりどうしてもパンクロックでしか表現できないフィーリングというものがあるのだ。
かつて、ブルーハーツは『パンクロック』という曲で、極めて率直にこう歌った。
僕 パンクロックが好きだ
中途ハンパな気持ちじゃなくて
本当に心から好きなんだ
インドにも同じように感じている若者たちがいるのだと思うと、かつてこのジャンルにずいぶん力をもらった一人として、単純にうれしい。
インドのパンクロックシーンはまだまだ発展途上だし、その規模から考えると、これから爆発的に成長するとも思えないが、インドの都市の片隅で、ヘタクソなパンクバンドに合わせてモッシュしている若者たちがいると思うと、またいっそうインドという国が身近に感じられるというものである。
がんばれ!インドのパンクバンド!
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goshimasayama18 at 14:15|Permalink│Comments(0)
2018年05月30日
ただのお洒落野郎にあらず!Ska Vengers!
以前、デリーのレゲエバンド、Reggae Rajahsを紹介したことがあるが、今回は同じジャマイカの音楽でもスカ!
同じくデリーを拠点に活躍するSka Vengersを紹介したい。
彼らのことはいつか紹介しないと、とずっと思っていた。
まずは彼らがどんな人たちなのか、見てもらいたい。
ご覧の通り、今まで紹介してきたミュージシャンの中でも、抜群にオシャレで洗練された佇まいだ。
そしてSka Vengersというバンド名にもアタクシは少し衝撃を受けた。
もちろんこれは、音楽ジャンルのSkaとScavengerという単語を掛け合わせたものだけど、スカベンジャーと言えばごみをあさって生活している人たちのことを指す。
インドは富や教養や階級を、服装や態度や生活やあらゆる面でわかりやすく示す国。
そんなインドで、見るからに上流階級育ちっぽい彼らが、そんな下賤な名前を名乗るっていうのはかつてのインドでは考えられないこと。
あえて自分を低く見せるというロックな逆説的価値観がようやくインドにも根付いてきたのか、と思いつつも、裕福な連中がアウトロー気取りで何も考えずにスカベンジャーとか言ってるんじゃないの?とうがった見方をしていた。
正直、ナメててスマンカッタ。という話を2回くらいに分けて書かせてもらいます。
サウンドは例えばこんな感じに小粋で洗練されたスカ・サウンド。
あれ?古典じゃん、と思うかもしれないけど43秒あたりから曲が始まります。
これもまた前置きが長いビデオだが、1:40あたりから曲が始まる。
中心メンバーは男性ヴォーカルのDelhi SultanateことTaru Dalmiaと、女性ヴォーカルのBegum X。
イギリス人のキーボーディストを含む6人組で、かつてはReggae RajahsのDiggy Dangや、Yohei Sato、Rie Onaという日本人メンバー(!)も在籍していたようだ。
この世界水準なサウンドを武器にヨーロッパツアーなども行っており、あのイギリスのグラストンベリー・フェスティバルにも出演するなど、国際的な評価を得ている。
Ska Vengersはかつてドイツに住んでいたDelhi Sultanateが、現地で出会ったスカやレゲエといった音楽をインドでも演奏するために2009年に結成された。
同じくデリーを拠点に活躍するSka Vengersを紹介したい。
彼らのことはいつか紹介しないと、とずっと思っていた。
まずは彼らがどんな人たちなのか、見てもらいたい。
ご覧の通り、今まで紹介してきたミュージシャンの中でも、抜群にオシャレで洗練された佇まいだ。
そしてSka Vengersというバンド名にもアタクシは少し衝撃を受けた。
もちろんこれは、音楽ジャンルのSkaとScavengerという単語を掛け合わせたものだけど、スカベンジャーと言えばごみをあさって生活している人たちのことを指す。
インドは富や教養や階級を、服装や態度や生活やあらゆる面でわかりやすく示す国。
そんなインドで、見るからに上流階級育ちっぽい彼らが、そんな下賤な名前を名乗るっていうのはかつてのインドでは考えられないこと。
あえて自分を低く見せるというロックな逆説的価値観がようやくインドにも根付いてきたのか、と思いつつも、裕福な連中がアウトロー気取りで何も考えずにスカベンジャーとか言ってるんじゃないの?とうがった見方をしていた。
正直、ナメててスマンカッタ。という話を2回くらいに分けて書かせてもらいます。
サウンドは例えばこんな感じに小粋で洗練されたスカ・サウンド。
あれ?古典じゃん、と思うかもしれないけど43秒あたりから曲が始まります。
これもまた前置きが長いビデオだが、1:40あたりから曲が始まる。
中心メンバーは男性ヴォーカルのDelhi SultanateことTaru Dalmiaと、女性ヴォーカルのBegum X。
イギリス人のキーボーディストを含む6人組で、かつてはReggae RajahsのDiggy Dangや、Yohei Sato、Rie Onaという日本人メンバー(!)も在籍していたようだ。
この世界水準なサウンドを武器にヨーロッパツアーなども行っており、あのイギリスのグラストンベリー・フェスティバルにも出演するなど、国際的な評価を得ている。
Ska Vengersはかつてドイツに住んでいたDelhi Sultanateが、現地で出会ったスカやレゲエといった音楽をインドでも演奏するために2009年に結成された。
海外在住経験のあるメンバーがそのジャンルのパイオニアになるというのは、これまでも見てきたようにインドのミュージックシーンではよくある話だ。
ちょっと変わったところでは、昔のボリウッドの曲をジャイプルの伝統的なブラスバンドのKawa Brass Bandと一緒にやっていたりもする。
ここまで見ると、単なる外国帰りの金持ち連中がインドらしからぬオシャレサウンドを演奏しているだけなんじゃないの?とつい勘ぐりなってしまうところだけれども、さにあらず。
彼らは自分たちの演奏するジャマイカン・ミュージックの本質を、単なるゴキゲンなダンスミュージックとしてではなく、抑圧や植民地主義、不正義と戦う術として位置づけて取り組んでいる。
そうした彼らの本質がもっとも強くストレートに出ているのがこの曲だ。
"Modi, A Message to You"
この曲は70年代に活躍したイギリスのスカ・バンド、Specialsの"Message to You Rudy"という曲のカバーというか替え歌で、インドの現首相ナレンドラ・モディへの痛烈な批判になっている。
モディが所属する「インド人民党」(BJP)は、ヒンドゥー・ナショナリズムを掲げる組織、「民族奉仕団」(RSS)が母体となって結成された政党だ。
RSSはインドの国父ガンディーの暗殺に関わり、一時期活動が禁止されていた歴史を持つヒンドゥー至上主義団体だ。
モディがインド首相に就任以来、その経済政策などで一定の支持を集めている反面、所属政党であるBJPは地方議会でヒンドゥー教で神聖視される牛の屠殺を禁止する法案を可決させたり、同党支持者の反イスラム的な姿勢を黙認したりしていることを批判されてもいる。
インドは人口の8割がヒンドゥー教徒だが、独立以来、政教分離(セキュラリズム)国家としての原則を守ってきた。
だがBJPは「母なるインドはヒンドゥーの土地」というヒンドゥー・ナショナリズム的な傾向を政治に持ち込み、小政党が分立するなかでマジョリティーであるヒンドゥー教徒を中心に支持を拡大し、ついに中央政権を奪取するに至った。
こうした政党を批判することは、インドではとても勇気がいることで、実際バンドはこの曲を発表したことで、殺害予告を受けたという。
このビデオの中で、モディは現代的な女性に伝統的な格好をさせて牢屋に入れ、ムスリムと握手すると見せかけて無視し、炎に包まれる街を見捨てる悪者として描かれる。
さらには小さい家を潰して工場を建て、人々にテント暮らしを余儀なくさせ、故郷グジャラートの経済だけを発展させるが(日本では美談となっているインドへの新幹線の輸出は、じつは首都デリーとモディの地元グジャラート州アーメダバードを結ぶ路線だ)、真実を追求するジャーナリストから逃げ回り、最後には両目をハーケンクロイツにされるという散々な扱いを受けている。
Delhi Sultanateは語る。
「グジャラート州で2002年(モディが州首相を務めていた時代)に恐ろしい暴動が起きた。この暴動で2,000人を超えるムスリムが虐殺されたと主張する人たちもいる。多くの人がこの暴動でモディが中心的な役割を果たしたと確信しているんだ」と。
この曲の背景を少し詳しく見てみよう。
2002年2月27日、アヨーディヤーからグジャラート州のゴードラー駅に到着した列車に何者かが火を放ち、ヒンドゥー教の巡礼者58名が死亡する事件が起きた。
アヨーディヤーはヒンドゥー教の伝承ではラーマ・ヤーナの主人公ラーマ神の生誕地とされている土地だ。
ちょっと変わったところでは、昔のボリウッドの曲をジャイプルの伝統的なブラスバンドのKawa Brass Bandと一緒にやっていたりもする。
ここまで見ると、単なる外国帰りの金持ち連中がインドらしからぬオシャレサウンドを演奏しているだけなんじゃないの?とつい勘ぐりなってしまうところだけれども、さにあらず。
彼らは自分たちの演奏するジャマイカン・ミュージックの本質を、単なるゴキゲンなダンスミュージックとしてではなく、抑圧や植民地主義、不正義と戦う術として位置づけて取り組んでいる。
そうした彼らの本質がもっとも強くストレートに出ているのがこの曲だ。
"Modi, A Message to You"
この曲は70年代に活躍したイギリスのスカ・バンド、Specialsの"Message to You Rudy"という曲のカバーというか替え歌で、インドの現首相ナレンドラ・モディへの痛烈な批判になっている。
モディが所属する「インド人民党」(BJP)は、ヒンドゥー・ナショナリズムを掲げる組織、「民族奉仕団」(RSS)が母体となって結成された政党だ。
RSSはインドの国父ガンディーの暗殺に関わり、一時期活動が禁止されていた歴史を持つヒンドゥー至上主義団体だ。
モディがインド首相に就任以来、その経済政策などで一定の支持を集めている反面、所属政党であるBJPは地方議会でヒンドゥー教で神聖視される牛の屠殺を禁止する法案を可決させたり、同党支持者の反イスラム的な姿勢を黙認したりしていることを批判されてもいる。
インドは人口の8割がヒンドゥー教徒だが、独立以来、政教分離(セキュラリズム)国家としての原則を守ってきた。
だがBJPは「母なるインドはヒンドゥーの土地」というヒンドゥー・ナショナリズム的な傾向を政治に持ち込み、小政党が分立するなかでマジョリティーであるヒンドゥー教徒を中心に支持を拡大し、ついに中央政権を奪取するに至った。
こうした政党を批判することは、インドではとても勇気がいることで、実際バンドはこの曲を発表したことで、殺害予告を受けたという。
このビデオの中で、モディは現代的な女性に伝統的な格好をさせて牢屋に入れ、ムスリムと握手すると見せかけて無視し、炎に包まれる街を見捨てる悪者として描かれる。
さらには小さい家を潰して工場を建て、人々にテント暮らしを余儀なくさせ、故郷グジャラートの経済だけを発展させるが(日本では美談となっているインドへの新幹線の輸出は、じつは首都デリーとモディの地元グジャラート州アーメダバードを結ぶ路線だ)、真実を追求するジャーナリストから逃げ回り、最後には両目をハーケンクロイツにされるという散々な扱いを受けている。
Delhi Sultanateは語る。
「グジャラート州で2002年(モディが州首相を務めていた時代)に恐ろしい暴動が起きた。この暴動で2,000人を超えるムスリムが虐殺されたと主張する人たちもいる。多くの人がこの暴動でモディが中心的な役割を果たしたと確信しているんだ」と。
この曲の背景を少し詳しく見てみよう。
2002年2月27日、アヨーディヤーからグジャラート州のゴードラー駅に到着した列車に何者かが火を放ち、ヒンドゥー教の巡礼者58名が死亡する事件が起きた。
アヨーディヤーはヒンドゥー教の伝承ではラーマ・ヤーナの主人公ラーマ神の生誕地とされている土地だ。
この地域が16世紀にムガル帝国の支配下に入ると、アヨーディヤーにはバブリー・マスジッドというイスラム教のモスクが建設された。500年近く昔の話である。
BJPは、このアヨーディヤーの地をムスリムから取り戻すことを掲げて選挙を戦い、多数派であるヒンドゥー教徒の支持を広げてきた。
そしてついに1992年、この歴史あるバブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒たちが破壊するという事件が起きてしまう(ちなみにバブリー・マスジッド以前にヒンドゥーの寺院があったという主張に歴史的な根拠はない)。
この破壊事件を主導したのは、RSSやVHP(世界ヒンドゥー協会)のメンバーをを中心とするサング・パリワールというヒンドゥー至上主義組織で、この事件をきっかけに起きた宗教対立でインド全土で1,200人もの死者が出ることとなった。
これが現代インドの宗教間対立の大きな火種となった「アヨーディヤー事件」である。
一部のヒンドゥー教徒たちは、2002年のゴードラー駅での列車放火事件をイスラム教徒によるアヨーディヤー事件への報復であると判断して暴動を起こし、1,000名を超える死者が出る大惨事となった。
BJPは、このアヨーディヤーの地をムスリムから取り戻すことを掲げて選挙を戦い、多数派であるヒンドゥー教徒の支持を広げてきた。
そしてついに1992年、この歴史あるバブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒たちが破壊するという事件が起きてしまう(ちなみにバブリー・マスジッド以前にヒンドゥーの寺院があったという主張に歴史的な根拠はない)。
この破壊事件を主導したのは、RSSやVHP(世界ヒンドゥー協会)のメンバーをを中心とするサング・パリワールというヒンドゥー至上主義組織で、この事件をきっかけに起きた宗教対立でインド全土で1,200人もの死者が出ることとなった。
これが現代インドの宗教間対立の大きな火種となった「アヨーディヤー事件」である。
一部のヒンドゥー教徒たちは、2002年のゴードラー駅での列車放火事件をイスラム教徒によるアヨーディヤー事件への報復であると判断して暴動を起こし、1,000名を超える死者が出る大惨事となった。
犠牲者の多くはイスラム教徒だ。
この暴動の背後で、BJPの州政府関係者が、列車放火事件がイスラム教徒によるものだと断定した発言をしたり、イスラム教徒の住居や商店の場所を暴徒側に教えたりしていたという指摘がある。
彼らはその黒幕としてモディを批判しているというわけなのだ。
Ska VengersはBJPやモディのナショナリズム的傾向や、新自由主義的な政策に明確に反対を唱えている。
彼らにとって、スカやレゲエは単なる音楽では無い。植民地主義や新自由主義、あらゆる抑圧や専制から本当の自由を勝ち取るための闘争の手段なのだ。
バンドのもう一人のフロントマン、女性ヴォーカリストのBegum Xはこう語る。
「ジャマイカとインドは共通した歴史を持っているわ。どちらもいまだに植民地時代の影響に直面しているの」
TaruのステージネームであるDelhi Sultanateというのは13世紀から16世紀にかけてデリー地方を支配したイスラム教の「デリー諸王朝」のことだ。
彼はヒンドゥーとイスラムの習俗や伝統が融合し多様な文化が栄えたこの王朝を、多様性、寛容性の象徴として自らのステージネームにしている。
彼らの闘争は、バンドでの形態にとどまらない。
次回このDelhi SultanateことTaruのさらなる驚愕の活動を紹介する。
それJAHまた!
この暴動の背後で、BJPの州政府関係者が、列車放火事件がイスラム教徒によるものだと断定した発言をしたり、イスラム教徒の住居や商店の場所を暴徒側に教えたりしていたという指摘がある。
彼らはその黒幕としてモディを批判しているというわけなのだ。
Ska VengersはBJPやモディのナショナリズム的傾向や、新自由主義的な政策に明確に反対を唱えている。
彼らにとって、スカやレゲエは単なる音楽では無い。植民地主義や新自由主義、あらゆる抑圧や専制から本当の自由を勝ち取るための闘争の手段なのだ。
バンドのもう一人のフロントマン、女性ヴォーカリストのBegum Xはこう語る。
「ジャマイカとインドは共通した歴史を持っているわ。どちらもいまだに植民地時代の影響に直面しているの」
TaruのステージネームであるDelhi Sultanateというのは13世紀から16世紀にかけてデリー地方を支配したイスラム教の「デリー諸王朝」のことだ。
彼はヒンドゥーとイスラムの習俗や伝統が融合し多様な文化が栄えたこの王朝を、多様性、寛容性の象徴として自らのステージネームにしている。
彼らの闘争は、バンドでの形態にとどまらない。
次回このDelhi SultanateことTaruのさらなる驚愕の活動を紹介する。
それJAHまた!
goshimasayama18 at 23:23|Permalink│Comments(0)