バングラ
2020年10月13日
2020年版 シク系ミュージシャンのターバン・ファッションチェック!
先日のバングラーの記事を書いていて、どうしても気になったことがある。
それは、ターバンの巻き方についてだ。
改めて言うまでもないが、ターバンというのは、インド北西部のパンジャーブ地方にルーツを持つ「シク教」の男性信者が教義によって頭に巻くことになっている例のあれのことである。
シク教徒はインドの人口の2%に満たない少数派だが、彼らは英国統治時代から軍人や労働者として諸外国に渡っていたため、インド人といえばターバン姿というイメージになっているのだ。
(実際はシク教徒以外にもターバン文化を持っている人たちもいるし、宗教に関係なく「盛装としてのターバン」というのもあるのだが、ややこしくなるので今回は省略)
シク教徒のミュージシャンのターバン事情については、以前も書いたことがあったのだけど、今回あらためて気づいたことがあった。
それは、インド国内のシクのミュージシャンは、ターバンを巻く時に、ほぼ必ず「正面から見ると額がハの字型になり、耳が隠れるボリュームのある巻き方」をしているということだ。
例えばこんな感じである。
今年7月にリリースされたDiljit Dosanjhの"G.O.A.T."のミュージックビデオを見てみよう。
前回も取り上げたDiljit Dosanjhは、このゴッドファーザーのような世界観のミュージックビデオで、タキシードやストリート系のファッションに合わせて黒いターバンを着用している。
我々がターバンと聞いてイメージする伝統的な巻き方なので、これを便宜的に「トラディショナル巻き」と名付けることにする。
額にチラリと見える赤い下地がアクセントになっているのもポイントだ。
「トラディショナル巻き」のいいところは、この下地チラ見せコーディネートができるということだろう。
それにしても、このミュージックビデオのマフィア風男性、ターバン を巻いているというだけでものすごい貫禄に見える。
「ラッパー巻き」については、このUKのインド系ヒップホップグループRDBが2011年にリリースした"K.I.N.G Singh Is King"のミュージックビデオを見ていただけば一目瞭然だ。
「ラッパー巻き」の特徴は、耳が見える巻き方だということ(耳をほぼ全て出すスタイルもあれば、半分だけ出すスタイルもあるようだ)、正面から見たときの額のラインが「ハの字型」ではなくより並行に近いということ、そしてターバンのボリュームがかなり控えめであるということだ。
それではさっそく、インド国内のパンジャーブ系シンガーたちを見てみよう。
まるで「ターバン王子」と呼びたくなるくらい整った顔立ちと伸びやかな声が魅力のNirvair Pannuは、ちょっとレゲエっぽくも聴こえるビートに合わせて、いかにもバングラー歌手らしい鮮やかな色のターバンを披露している。(曲は1:00過ぎから)
明るい色には黒、濃いエンジには黄色の下地を合わせるセンスもなかなかだ。
映像やファッションに垢抜けない部分もあるが、それも含めてメインストリームの大衆性なのだろう。
パンジャーブ語映画の俳優も務めているJordan Sandhuが今年2月にリリースした"Mashoor Ho Giya"では、オフィスカジュアルやパーティーファッションにカラフルなターバンを合わせたコーディネートが楽しめる。
彼の場合、ターバンと服の色を合わせるのではなく、ターバンの色彩を単独で活かす着こなしを心掛けているようだ。
シンガーの次は、ラッパーを見てみよう。
バングラー的なラップではなく、ヒップホップ的なフロウでラップするNseeBも、やはりターバンはトラディショナル巻きだ。
彼のようなバングラー系ではないラッパーは黒いターバンを巻いていることが多いのだが、今年9月にリリースされた"Revolution"では、様々な色のターバンを、チラ見せ無しのトラディショナル巻きスタイルで披露している。
こちらのSikander Kahlonもパンジャーブ出身のラッパーだ。
この"Kush Ta Banuga"では、ニットキャップやハンチングを後ろ前にしてかぶるなど、いかにもラッパー然とした姿を見せているが、ターバンを巻くときはやっぱりトラディショナル巻き。
ターバンの色はハードコア・ラッパーらしい黒。
個人的には、トラディショナル巻きはチラ見せのアクセントをいかに他のアイテムとコーディネートするかが肝だと思っているのだが、彼やNseeBのように、あえてチラ見せしないスタイルも根強い人気があるようだ。
と、いろいろなスタイルのシク教徒のミュージシャンを見てきたが、ご覧のとおり、インド国内のシク系ミュージシャンは、音楽ジャンルにかかわらず、ターバンを巻く時は「トラディショナル巻き」を守る傾向があるのだ。
ここまで、シクのラッパーたちの2つのターバンの巻き方、すなわち「トラディショナル巻き」と「ラッパー巻き」に注目してきたが、じつは、彼らにはもう一つの選択肢がある。
時代の流れとともに手間のかかるターバンは敬遠されつつあり、最近では、インドのシク教徒の半数がもはやターバンを巻いていないとも言われている。
シクのミュージシャンでも、メインストリーム系ラッパーのYo Yo Honey SinghやBadshahもパンジャーブ出身のシク教徒だが、彼らに関して言えば、ターバンを巻いている姿は全く見たことがない。
Yo Yo Honey Singhが今年リリースしたこの曲では、スペイン語の歌詞を導入したパンジャービー・ポップのラテン化の好例だ。
Badshahの現時点での最新作は、意外なことにかなり落ち着いた曲調で、ミュージックビデオでは珍しくインドのルーツを前面に出している。
原曲はなんとベンガルの民謡だという。
音楽的な話はさておき、ともかく彼らはターバンを巻いていないのだ。
ターバンを巻く、巻かないという選択には、伝統主義か現代的かというだけではなく、宗派による違いも関係しているとも聞いたことがある。
ただ、そうは言っても、シクの男性は、やっぱりターバンを巻いてたほうがかっこよく見えてしまうというのもまた事実。
これもまたステレオタイプな先入観によるものなんだろうけど、成金のパーティーみたいなミュージックビデオであろうと、ギャングスタみたいな格好をしていていようと、ターバンを巻いているだけで、シクの男性は「一本筋の通った男」みたいな雰囲気が出て、圧倒的にかっこよく見えてしまうのだ。
ターバンとファッションと言えば、少し前にGucciがターバン風のデザインの帽子を発表して、 シク教徒たちから「信仰へのリスペクトを欠く行為である」と批判された事件があった。
その帽子のデザインは、今回紹介した洗練されたシク教徒たちのスタイルと比べると、はっきり言ってかなりダサかったので、文化の盗用とかいう以前の問題だったのだが、何が言いたいかというと、要は、ターバンは、世界的なハイブランドが真似したくなるほどかっこいいのだということである。
ところが、ターバンは、センスとか色彩感覚といった問題だけではなく、やはり信仰を持ったシク教徒がかぶっているからこそかっこいいのであって、そうでない人が模倣しても、絶対に彼らほどには似合わないのだ。
それでもターバンを小粋にかぶりこなす彼らの、自身のルーツや文化へのプライドが、何にも増して彼らをかっこよく見せている。
彼らが何を信じ、どんな信念を持って生きているかを知ることもももちろん大事だが、ポップカルチャーの視点から、彼らがいかにクールであるかという部分に注目することも、リスペクトの一形態のつもりだ。
(追記:シク教徒のターバンは正確にはDastarと言い、巻き方にもそれぞれちゃんと名前がある。今回は、音楽カルチャーやファッションと関連づけて気軽に読めるものにしたかったので、あえて「トラディショナル巻き」や「ラッパー巻き」と書いたが、いずれリスペクトを込めて、正しい名称や巻き方の種類を紹介したいと思っている。また、パンジャーブの高齢の男性がラッパー巻きをしているのを見たことがあるので、ラッパー巻きは必ずしも若者向けのカジュアルなスタイルというわけでもないようだ。そのあたりの話は、また改めて。)
参考サイト:
https://en.wikipedia.org/wiki/Kesh_(Sikhism)
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2019年06月12日
私的大発見!インドと吉幾三、そして北インド言語と演歌、レゲエの関係とは?
What is this song mashed up with SAMT? I don't think it's Indian, but it sounds very Indian. 🤔 https://t.co/DgD6NLrU23
— Perfume India 🇮🇳 (@prfmindia) 2019年6月10日
Perfumeファンの彼が、彼女たちのSpending All My Timeと吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」のマッシュアップを聴いて「これ原曲なに?インドの曲じゃないみたいだけど、すごくインドっぽい」とつぶやいていたのを読んで、思わず感動してしまった。
なんで吉幾三なんか(失礼)で感動しているかというと、私はかねがね、ある種のインドの歌について「まるで吉幾三みたいだ!」と思っていたからなのだ。
例えば、インド最初のラッパーであるBaba Sehgalのこの曲。
思いの外かっこいいイントロに「どこが吉幾三?」と思った方も、歌が始まった瞬間にずっこけたはずだ。
これ、完全に幾三だろう。
現在はすっかり洗練されてきたインドのヒップホップだが、始まった当時は完全に吉幾三だったのだ。
(詳しくはこちらに書いています。「早すぎたインド系ラッパーたち アジアのPublic Enemyとインドの吉幾三、他」)
インドのヒップホップ史において、最初のラッパーがこのBaba Sehgalだということは、日本の音楽史上最初のラップのヒット曲が吉幾三「俺ら東京さ行くだ」であったことと同じくらい、無かったことにしたい歴史だろう。
吉幾三っぽく聞こえる楽曲はこれだけにとどまらない。
Jay Zによるリミックスが世界的に大ヒットしたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"も、冷静に聴くとかなりの幾三っぷりである。
そう、インドの音楽、とくに、ここに紹介したような90年代頃のラップ調のバングラーに関しては、じつはかなり吉幾三っぽく聞こえるものが多いのである。
私がそれらの音楽を「吉幾三っぽいなあ」と思っていたところに、インド人の友人が吉幾三を聴いて「なんだかインドの音楽みたい」とつぶやいたのだから、これに感動しないわけがないだろう。
バングラーは、インド北西部、パンジャーブ州が発祥の音楽だ。
パンジャーブ州からは、イギリスに移民として渡った人々が多く、伝統音楽だったバングラーはそこで当時最先端のダンスミュージックと融合し、インドに逆輸入されて、インド全体で大人気となった。
我々にとっては吉幾三っぽく聴こえる音楽だが、当時のインドでは、伝統と最先端の理想的な融合だったのだろう。
さて、ここでもうひとつの大発見をしてしまった。
吉幾三といえば演歌歌手だが、インドと演歌といえば、まっ先に思い浮かぶのが、チャダ。
インドの知識がある方はきっともうお気づきだと思うが、ターバン姿が印象的なチャダは、シク教徒だ。
そして、シク教のルーツは、パンジャーブ州。
そう、彼もまた、出身こそニューデリーだが、パンジャーブの人なのである。
チャダことSarbjit Singh Chadhaは、16歳でミカンの栽培技術を学ぶために来日し、日本で耳にした演歌に惚れ込んで演歌歌手になったという。
パンジャーブの音楽と演歌が似ていると発見して驚いていたら、なんとパンジャーブの人間がとっくの昔に演歌歌手になっていた!
パンジャーブと日本、バングラーと演歌。
外国人演歌歌手としては、米国系黒人であるジェロも有名だが、彼の場合、幼い頃から母方の祖母に演歌を聴かされて育ったというバックグラウンドがある。
それに対して、16歳で来日するまで演歌を聴いたこともなかったはずのチャダが、演歌の独特の歌い回しに魅力を感じ、そしてそれを(北島三郎への師事があったにせよ)完璧にマスターしているということは、やはりパンジャーブの音楽文化と演歌には、相通じる何かがあるのだ。
さらに、Youtubeで関連動画を探していたら、この5月に行われた「マハトマ・ガンディー生誕150周年記念 インド祭in十日町」で吉幾三の「酒よ」を歌うチャダを発見!
吉幾三、バングラー、パンジャーブ、演歌。
これで全てが繋がった!
酒など決して口にしないであろうガンディーが、自身の生誕150年祭で歌われる「酒よ」を聴いてどう思うのか分からないが、インド国旗に描かれた法輪のごとく、とにかくこれでパンジャーブ文化と吉幾三がひとつの円環となったのである。(自分でも何を言っているのかよくわからないが)
ここで改めて注目したいのは、吉幾三とバングラーの、メロディーや発声方法ではなく、歌の節回しだ。
みなさんも、「俺ら東京さ行くだ」の、東北訛りをカリカチュアしたような歌い回しと、バングラーの歌い回しの、微妙に音程を外したり、うわずらせたりする部分がとてもよく似ているということに気がついただろう。
北インドの言語であるヒンディー語やパンジャービー語は、歌ではなく会話でも、その言語の響きそのものが、東北弁や茨城弁っぽく聞こえることがある。
こうした言語固有のイントネーションそのものが、歌われる音楽を田舎くさい(失礼)演歌っぽく聴こえさせているのではないだろうか。
同じ北インドの音楽でも、例えば古典音楽のヒンドゥスターニーの場合、インド独特の音階(ラーガ)や、技巧的な節回しが前面に出るため、決して演歌っぽくは聞こえないのだが、よりシンプルなスタイルであるバングラーとなると、ヒンディー語やパンジャービー語の語感が強く出てしまい、途端に演歌っぽくなってしまうのだ。
ここからは極めて個人的な話になるが、私は10代最後の歳にインドを一人旅して以来、インドという国やその文化に大いに興味を持ってきた。
であるにもかかわらず、他の多くのインド好きたちが惹かれているのに、私がいっこうに魅力を感じられなかったものがある。
それは何かと言うと、映画音楽だ。
例えば、先日、「Aashiqui 2」という映画のDVDを見たのだが、インドでは大変高い評価を得たというその音楽を聴いても、私は「なんか演歌みたいだな」という以上の感想を抱くことができなかった。(ちなみにこの曲です)
メロディーラインのせいもあるが、ヒンディー語で西洋音階のシンプルな旋律を歌うと、その歌い回しのせいで、どうしても演歌っぽく聴こえてしまう。
何が言いたいかというと、若い頃ロック好きだった自分が、インドの映画音楽をどうも好きになれないのは、非ロック的な大仰なアレンジのせいだけではなく、どうやらこの「演歌っぽさ」にも理由があったようだということだ。
私なんかの世代のだと(40代)、ロック好きは深層心理に「演歌は旧弊な価値観を象徴する音楽で、自由を標榜するロックとは相容れないダサいもの!」みたいな意識がこびりついている。
その意識が、どことなく演歌っぽいボリウッド(ヒンディー語)映画音楽を敬遠させていたのだ。
ちなみに最近では、ロックなどのジャンルではヒンディー語であっても、英語的なメロディーや言葉の当て方が十分に確立され、演歌らしさを全く感じさせない楽曲がたくさんある。
例えば、ヒンディー語で歌うポストロックバンドAsweekeepsearchingの音楽を聴いて演歌っぽいと思う人はいないはずだ。
ここでさらに話が飛躍するのだが、ヒンディー語やパンジャービー語が持つ東北弁や茨城弁っぽさは、彼らが英語を話す時にも引き継がれる。
北インドの人々が話す英語は、やっぱり東北弁や茨城弁っぽく聞こえるのだ。
で、東北弁や茨城弁ぽい英語がどう聞こえるかというと、なんとジャマイカン訛りっぽくなるのである!
実際は、ジャマイカ人が話すいわゆる「パトワ語」とインド訛りの英語のイントネーションは全く異なるものなのだが、ネイティブ言語の訛りを色濃く残す北インド人の英語は、レゲエに乗せてラップするトースティング(っていうの?レゲエには詳しくないのだけど)に、結果的にそっくりなってしまっているのだ。
例えば、こちらも90年代に大ヒットしたインド系イギリス人のレゲエ歌手、Apache Indianの"Boom Shak-A-Lack".
最近の楽曲では、デリーのレゲエバンド、Reggae RajahsのメンバーGeneral Zoozによる"Industry".
どこまでがレゲエに寄せていて、どこまでがヒンディー訛りなのか分からないこのニュアンス、お分かり頂けるだろうか。
言語の特徴と音楽の話で言えば、もうひとつ気になっているのが、最近のヒンディー語/パンジャービー語のポップスが、現代のラテン音楽、具体的にはレゲトンに近づいてきているということ。
例えばこんな感じに。
パンジャービーの商業的バングララッパー、Yo Yo Honey Singhの"Makhna".
さらには、スペイン語を導入したこんな曲もある。Badal feat. Dr.Zeus, Raja Kumari "Vamos".
音楽やスタイルにおける現代インドとラテン系の相似については、かつてこちらの記事に書いたので、興味のある方はぜひご一読を。(「ソカ、レゲトン…、ラテン化するインドポップス」)
同じ傾向の英語の訛りを持つ二つの言語圏が、同じようなスタイルの音楽を好む傾向がある。
これは単なる偶然なのだろうか。
さて、レゲエやラテンに少し脱線したが、ここまでヒンディー語/パンジャービー語圏のバングラーが吉幾三的な演歌にそっくりという話を書いてきた。
これも以前書いたネタだが、もうちょっと歌謡曲テイストの演歌にそっくりなのが、ゴアの古いポップスだ。
(「まるで日本! 演歌?歌謡曲? 驚愕のゴアのローカルミュージック!」)
ゴアで話されているコンカニ語も、ヒンディー語やパンジャービー語と同じインド・アーリア語派の言語。
ひょっとしたら、北インド系の言語を話す地方に、まだ知らぬ演歌っぽい音楽が他にもあるのかもしれない。
もし時間とお金が無限にあるなら、インド中を放浪しながら地元の人に演歌を聞かせて、「これに似た音楽を知らないか」と尋ねて回るのも面白そうだ。
(いったいそれに何の意味があるのか自分でも分からないが)
というわけで、今回は、音楽史的もしくは 言語学的な裏付けの一切ない、北インド諸語と演歌やレゲエの類似点についてのたわごとをお届けしました。
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2018年08月31日
インドのインディーズシーンの歴史その4 バングラ・ビートの時代!Apache Indian!
そう、今回取り上げるのはApache Indian.
とくにアラフォー世代のみなさんにとっては懐かしい名前のはずだ。

この例のリストで取り上げられているのは、「Boom 釈迦-楽!」というワケの分からない邦題で有名なあの曲ではなく、"Chok There"という曲。
それではどうぞお聴きください。
うわあ、懐かしい!
このバングラ・レゲエのリズムを聞くと90年代の空気が一気に蘇ってくる。
最初に断っておくと、自分はバングラには全く詳しくない。
90年代に一斉を風靡したバングラを網羅的に紹介できる人は他に適切な人がいるはずなので(サラーム海上さんとか)、今回はごく簡単な紹介に止めさせてもらいます。
Apache Indianはバーミンガム出身のパンジャーブ系のインド系イギリス人。
在外インド人と言っても、当然ながらその出身地域によって言語も文化も異なるわけだが、彼の場合、このパンジャーブ系であるということがとくに大きな意味を持っている(後ほど詳述)。
工業都市バーミンガムのアジア系と黒人が混住する地域で育った彼は、80年代から髪をドレッドにして地元のサウンドシステムでの活動を始めた。
やがて90年代に入ると、バングラとレゲエをミックスしたスタイルで名門Island Recordsと契約。
93年には世界的なヒットとなった"Boom shack-a-lak"をリリースした。
やっぱりこっちも懐かしい。バングラ・ラガ・ロックンロール。
ここで、「バングラ」の説明を改めて。
90年代、「バングラ・ビート」というジャンルがまずイギリスで人気になり、やがて世界的な盛り上がりを見せた。
カタカナで書くと同じなので、バングラという言葉からバングラデシュ(Bangladesh)を連想する人もいるかもしれないが、「バングラ(Bhangra)」は方角的には反対側のインド北西部、パキスタンとの国境に接したパンジャーブ州の伝統的なリズムだ。
パンジャーブ州は、ターバンとヒゲで有名なシク教の本拠地としても有名な土地で、印パ分離独立時に、両国に分割されてしまった経緯のある土地だ。地図上の赤いところ。

(画像出典:Wikipedia)
パンジャーブ州やシク教について詳しく書いていると、それだけで永遠に終わらなくなってしまうので割愛するとして、インドでは、パンジャーブ人は特に陽気で賑やか、率直な性格の人々という印象を持たれているようだ。
例えば、人気作家Chetan Bhagatの"2 states"という小説では、物静かで教養を重んじるタミル人の家庭に育った彼女と、やかましくて歯に衣着せぬ典型的パンジャーブ人の家庭に育った彼氏との結婚に至るまでの両家の葛藤が面白おかしく描かれている。ちなみに著者の自伝的な小説だそうだ。
インド各地に様々なリズムがあるのに、インド系移民の多いイギリスで、どうして90年代にブレイクしたのがこのバングラだったのか。
例えば南インドのカルナーティックのリズムでも良かったのではないかと思っていたのだが、その理由はおそらくはとてもシンプルなことだった。
イギリスに住んでいるインド系の人口150万人のうち、パンジャーブ系は70万人。じつに4割にものぼる。
本国インドでは、インド全体の人口約13億にたいして、パンジャーブ系の人口は約3,300万人、たったの2.5%にすぎないが、歴史的にイギリスには多くのパンジャビ(パンジャーブ人)たちが移住してきているのだ。
(インド国内でのパンジャーブ人の人口は、統計の取り方によって変わってきそうだが、それはひとまず置いておく)
そんなわけで、イギリスのインド系社会ではマジョリティーであるパンジャビのリズム、バングラはさまざまな音楽と結びついて独自の発展を遂げることとなった。
そもそものルーツである伝統的なバングラのリズムはこんな感じ。
より大衆的な音楽だからということもあるだろうが、他のインド古典音楽のように変拍子や複雑なリズムなどはなく、直線的な打楽器のビートはいわゆるアゲアゲ感がある。
このリズムがディスコやヒップホップ、ダンスホールレゲエなどと融合し、「バングラ・ビート」と呼ばれるスタイルが形成された。
バングラ・ビートは、はじめはインド系移民の間でのみ親しまれていたが、90年代に入ると徐々にその存在感を増し、Boom shack-a-lakがヒットした93年頃には世界的な注目を集めるに至ったというわけだ。
最終的には、パンジャーブ系のインド人が演奏していれば、もはやバングラの要素をほとんど残していなくてもバングラというジャンルとして扱われていたように記憶している。
いずれにしても、この「パンジャーブ系」であるということがバングラというジャンルの共通項であったわけだ。
もう一人、90年代のバングラの国際的スターを挙げるとしたら、Punjabi MCということになるだろう。
彼もまたパンジャービ系イギリス人で、よりプリミティブなバングラ・ビートの"Mundian To Bach Ke"は、1998年にUKのシングルチャートで5位、米ビルボードのダンスチャートで3位の大ヒットとなった。
当時、他のヒット曲に混じってこの曲がプレイされると、すごい違和感があったものだけど、理由はともかく世紀末の空気とこのインドのリズムが呼応した時代だったのだろう。
このバングラ、ぎゃくに言うとそれ以前もそれ以降も世界的には見向きもされないジャンルとも言えるかもしれないけど、とにかく90年代はバングラビートの時代だったというわけだ。
話を"Chok There"に戻します。
この曲がリリースされたのは、大ヒット曲"Boom shack-a-lak"に先立つ1991年。
世界的にはバングラ・ブームの創世記を担ったより重要な曲であるはずなのに、このVH1 Sound Nationが選んだインドのインディーズシーンを作った100曲リストでは、前回紹介したドイツローカルの一発屋であるNoble Savegesが1997年にリリースした曲よりも後にリストアップされている。
深読みかもしれないが、これはNoble Savegesが"I am a Indian"をインドで製作したことがより重要視されているのだろう。
Apache Indianもインド系社会特有のテーマについて、インドの言葉を交えて歌っているが、彼がブレイクした90年代前半は、インドにはまだ彼がレゲエビートを引っさげて凱旋帰国できるだけの音楽市場がおそらく整っていなかった。
それに、マーケット的に未開の地であるインドに行くには彼はあまりにも世界で売れすぎた。
Apache Indianも大ヒットから一段落した1996年に、遅ればせながらインドに一時帰国し、タミル語映画"Love Birds"に出演し楽曲も提供している。
楽曲的には当時のインドの映画音楽のアベレージから考えるととても垢抜けた曲なのだが、さすがにインドのメジャーシーンのど真ん中の映画音楽では、インディーズミュージックのリストに入れるわけにもいかないのだろう。
これがその曲で、タイトルは、インド人の口ぐせ"No Problem"
世界的なバングラブームは90年代に過ぎ去ってしまったが、バングラはもちろん今でもパンジャビ系の人々にとって身近なリズム。
最近ではEDMなどと融合し、独自の発展を遂げている。
ところで、Apache Indianというアーティスト名は、お気づきの通り、ネイティブ・アメリカンのほうのインディアンのアパッチ族を意識してつけられたものだが、前回紹介したNoble Savegesというユニット名も、アメリカ先住民を表す言葉だ。
どちらも意図的に「インディアン」という言葉の混同をしているわけだが、そこに単なる言葉遊び以上の意味があるのだろうか。少し気になるところではある。
90年代、インドの音楽シーンはまだ眠っていたけれど、国外では徐々にインド系ミュージシャンの活躍が目立ち始めてくる。
タブラ・エレクトロのTalvin Singh、インディー・ポップのCorner Shop、ミクスチャー的ダブ・バンドのAsian Dub Foundation等々、イギリスのインド系移民たちがシーンで評価され始めたのも90年代だ。
今回は、そんな時代に最も世界で受け入れられたインド系音楽、バングラを感じてもらえたらうれしいです。
次回は再びインドに舞台を移して、インドロック界の大御所バンドを紹介します。
では!
2018年01月26日
インドのメインストリームヒップホップ1 Yo Yo Honey Singh
凡平です。
2回にわたってむさ苦しい音楽を紹介してきたので、今回は「なんとかメタル」から離れて、ヒップホップのアーティストを紹介することにしたい。
これまで、ヒップホップでは大衆音楽とは距離を置いた、ストリート寄りのBrodha VさんとかDIVINEさんを紹介してきたけど、今回は「これぞインドのメインストリーム!」ってなラッパーを紹介させていただきます。
というわけで、本日紹介するのはこの方、Yo Yo Honey Singhさんです。
ヨー・ヨー・ハニー・シン。
この名前を聞いて、まずみんな何を思うかってえと、芸名がださい…ってことだと思う。
Singhの部分が本名なわけだけれども、人間、自分の名前にヨー・ヨー・ハニーってのをつけたがるもんだろうか。
みなさんも自分の名前にちょっとヨー・ヨー・ハニーをつけてみてほしい。
自分がプロのミュージシャンになるとして、その名前で行こうってのはなかなか思わないんじゃないかなあ、って思うけど、まあそんなことはどうでもいいや。
まずはこの曲、2012年の曲でBrown Rang。
再生回数は2018年1月の時点で4,400万回。
Brodha VやDIVINEがせいぜい80万回くらいだから、文字通り桁が違う。それも二桁だ。
このビデオは2012年にYouTubeで最も見られたビデオってことになっている(たぶん当時はもっと再生回数の多い動画が上がっていたものと思われる)。
この曲はパンジャーブ語で歌われているんだけど、パンジャーブ語話者はインドとパキスタンに9,500万人程度。
じゃあパンジャーブ語話者だけがこの曲を聴いてるのかっていうと、そうとも限らなくて、ヒンディー語(話者2億6,000万人)を含めて似た構造を持っている北インド系の言語を母語とする人たちを中心に、歌詞を聴いて理解できる層というのはインドに相当数いるのではないかな。
で、そこまで人気のあるビデオってだけあって、内容も今まで見てきたインドのラッパーたちとは大違いで、下町をTシャツで練り歩いていたりはしない。
なんかゴージャスな感じのところでビシっとキメた格好で綺麗なおねえちゃんと絡んでいる。
まあこういう成金感覚も非常にヒップホップ的ではあるよな。
曲はオートチューン処理されたようなヴォーカルとか、同時代の欧米を意識しつつも歌い回しなんかはインドっぽいところを残しているのが印象的だ。
Brown Rangというのは、英語とおそらくはパンジャーブ語のミックスで、「茶色い肌」という意味だそうで、これは自分たちインド人のことを指していると考えて間違いないだろう。
「茶色い肌の彼女、みんな君に夢中で何も手につかないぜ、色白の女の子なんてもう誰も相手にしないのさ」という歌詞で、これを非常に現代的なサウンドに乗せて歌うところがニクい。
インドにはかなりいろいろな肌の色の人がいるが、昔から色白こそが美の条件とされている。
映画に出てくる女優も男優もかなり肌の色が薄い人ばかり。
そういうインドで、最先端のサウンドに乗せて「茶色い肌こそ魅力的なのさ」と歌うこの曲は、色白でない大多数の若者達にとって、とても魅力的に響くってことなのだろう。
続いてはこの曲。2013年のBlue Eyes.
なんかDA PUMPっぽい空気感を感じるビデオではあるが、この曲の再生回数もすでに1億4400万回!
1年前に「茶色い肌が魅力的さ」と歌ってたくせに、今度は「君の青い瞳が最高」みたいな曲。でも、白人の女の子を口説く内容の曲ということに、格別に都会的というか進歩的な雰囲気があるのかもしれない。
同じようにオートチューンを使ったコーラス部分が結構現代的なのに比べて、ラップのところがどうもちょっと野暮ったいんだけど、それもまた魅力といえば魅力、のような気もしないでもない。
もう少し最近の曲だとこんな感じになってる。
2016年のSuperman.
今度は曲調がヒップホップというよりEDMっぽい感じになってきた。
「ベイビー、アイム・ア・スーパーマン!」とあいかわらず一定のダサさがある部分が、やっぱり幾ばくかの安心感になっていると思うのですが、いかがでしょう。
YoYo Honey SinghことHirdesh Singhはパンジャーブ州のシク教の一家に生まれ、イギリスの音楽学校で学んだ後、デリーを拠点に音楽活動をしている。
パンジャーブと言えば、90年代に世界的にもちょっと話題になったインド発祥の音楽、バングラの発祥の地だ。2011年にボリウッド映画「Shakal pe mat ja」の音楽を手がけた後、音楽活動のみならず俳優としても活躍している。パンジャーブ語だけでなく、ヒンディーで歌う事も多いようだ。
シク教は、インド北東部パンジャーブ州で16世紀に生まれた宗教。当時の(そして今も)インドの二大宗教であるヒンドゥーとイスラムの影響を受けつつ、他の宗教を排斥せず「いずれの信仰も本質は同じ」という考えを持ち、インドを中心に3,000万人の信者がいる。シク教徒の割合はインド全体では2%程度だが、ターバンと髭が目立つせいかもっといるように感じるし、パンジャーブ州では今でもじつに6割がシク教徒だ。
男性はひげを伸ばしてターバンを巻くことになっていて、ラッパーでも若手の社会派として人気のあるPrabh Deepなんかはターバンを巻いている。デスメタルバンドGutslitのベーシストも、そんな音楽やってるのに律儀にターバン(色は黒)は巻いているが、Yo Yo Honey Singhはターバン、全然巻いてないね。
若手シク教徒がターバンについてどう思っているのか、気になるところではある。
ここから先は完全に想像というか妄想だけど、彼の場合、おそらくイギリス留学が脱ターバンのきっかけになったのではないかな。
おそらく、シク教徒のターバンには、「自らすすんで戒律を守る」ということとは別に、コミュニティの中でかぶらないわけにはいかない、みたいな部分もあるのだと思う。
イギリスに留学したことで、初めてそうした因習から自由になり、ターバンを脱ぎ捨て、一人の若者として最新の音楽を学んでそれをインドに持ち帰る。
その無国籍なサウンドに、若干のインド的な要素をブレンドして、欧米コンプレックスを払拭するような歌詞を乗せて歌う。
Yo Yo Honey Singhの音楽はある意味非常に現代のインド的な音楽だと思うのだけど、いかがでしょうか。
今日はこのへんで!