ドラムンベース

2018年11月18日

ワタシ?キモチヨウカイ?俳句のような想像力?日本語の名前を持つインドのアーティストたち!

これまでにこのブログでは、スタジオジブリなどの日本文化に影響を受けたエレクトロニカ・アーティストのKomorebiや、日本のカルト映画「鉄男」の名を冠したトラックをリリースしたコルカタのテクノ・ユニットHybrid Protokol、日本文化への造詣が深すぎるロックバンドのKrakenを紹介してきた。
北東部ナガランドでは日本のアニメやコスプレが大人気だというのも先日書いた通りだ。
とはいえ、欧米文化や韓流アーティストに比べると、インドでは日本文化はまだまだマイナーな存在。
インドの音楽シーンを扱う媒体でも、欧米の人気アーティストやK-Popの話題はよく目にするが、日本の音楽シーンについてのニュースは全く見たことがない。
(ドラえもんのような子ども向けアニメはかなり人気があるようだが)
そんなインドにもかかわらず、またしても日本語のバンド名を持つ面白いアーティストを発見したので、今回は3組まとめて紹介します! 

まず紹介するのは、バンガロールのドラムンベースアーティスト、その名もWatashi.
ワタシ。
そう「私」だ。
なんという斬新なアーティスト名。
つい先ごろ大注目レーベルのNRTYAから発表したばかりの新曲、'In-A-Morato-Rium'を発表したばかりなのだが、Soundcloudの貼り付け方が分からないので、こちらから別のサイトに飛んで聞いてみてほしい。
https://soundcloud.com/nrtya/watashi-in-a-morato-rium

曲もかなりかっこいい!
こちらはバンガロールのクラブ、Kitty Koでの今年1月のDJの様子。
動画で見る限り、けっこうイケメンなWatashiなのだった(いや、だから、私じゃなくてWatashiのことです)。

このWatashiという(日本人にとっては)不思議なアーティスト名は、本人に聞いてみたところ、もともとは彼のメールアドレスであった'Watashi Wa Yogi San'から取ったものらしく、さすがに長くて覚えにくいので、'Watashi'に省略したとのこと。
子どもの頃にたくさんのアニメからの影響を受けたという'Watashi'.
早くフルアルバムが聴いてみたいアーティストの一人です。


続いて紹介するアーティストは、ムンバイ出身の5人組バンド、Kimochi Youkai.
自分たちの音楽をヒップホップ、ジャズ、R&Bと自称しているが、聴く限りではロックやレゲエやジャムバンド的な要素も感じられる音楽性だ。
彼らもSoundcloudにはまだこの1曲しかアップしていないが、なかなかの心地よいグルーヴを聴かせてくれている。
アメリカのヒップホップグループBlack Streetが1996年に発表した'No Diggity'のレゲエカバーを聴いてみてください。
https://soundcloud.com/user-186337827

ライブの様子はこちらから。

彼らのFacebookによると、Kimochi Youkaiは'feel good demons'という意味とのこと。
うーん、ちょっと惜しいかな(笑)
Kimochi Youkaiは、音楽を通じて人々をいい気持ちにさせることを唯一の目的としたグループだそうで、彼らが言いたいのは「気持ち(Kimochi)」じゃなくて「気持ちいい」なのかもしれない。
いずれにしても、彼らのサウンドを聴く限り、人々をいい気分にさせるっていう目的はほぼ達成されているように思える。
彼らもまたフルアルバムが待たれるアーティストだ。

最後に紹介するのは、KrakenPineapple Expressとも共演経験のあるバンド、Haiku Like Imagination.
「俳句のような想像力」とはこれいかに。
バンガロールのマスロック/ポストハードコアバンドである彼らのサウンドはこんな感じ!

これまたかっこいい!
彼らにバンド名の由来を聞いてみたところ、5拍子や7拍子といった、奇数の変拍子を使うことが多いマスロックを演奏しているので、五七五の「俳句」をバンド名に取り入れたとのこと。
なるほど!よく考えたなあ。
彼らはデビュー音源を現在作成中で、なんとその後は日本ツアーも企画しているとのこと。
またしてもなんとも楽しみなアーティストだ。

今回紹介した3組はいずれもまだ新人ミュージシャンではあるけれども、徐々にメディアの露出に取り上げられるようになってきた有望株。
そして3組とも名前こそ日本語だけど、音楽性は三者三様で、そして音楽面からはこれといって日本の影響を感じないのがまた不思議だ。 
日本語の響きが、英語でもインド風でもない、独特な雰囲気を醸し出しているのだろうか。

そういえば、90年代にイギリスにUrusei Yatsuraっていうバンドがいたのを思い出した。
確か彼らは著作権だかの問題で、Yatsuraと名前を変えさせられたうえに、大して売れることもなく解散してしまったように記憶している。
今回紹介した3組には、願わくば末長く活動してもらって、そしてできればここ日本で彼らのパフォーマンスが見てみたいものだ。 
がんばれよ!




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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

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goshimasayama18 at 00:23|PermalinkComments(0)

2018年09月24日

インドのインディーズシーンの歴史その6 フュージョン・エレクトロニカの先駆け Talvin Singh

VH1INDIAによるインドのインディー100曲
VH1 Sound Nationが選んだインドのインディーズミュージックを作ったアーティスト72組を時代順に巡る旅の第6弾。
ここまで、インドの国内のアーティストが海外の流行の模倣から、少しずつオリジナリティーを獲得してゆく過程と、海外在住のインド系アーティストが欧米の音楽にインドのサウンドやリズムを取り入れることで、世界的な人気を獲得してゆくさまを見てきた。

今回紹介するのは、再び海外のインド系アーティスト、Talvin Singhが1998年に発売したアルバム「OK」。
彼がここで表現しているサウンドは、今日まで行われてきたインドのルーツと流行のサウンドが融合されてきた数多くの試みの中でも、ひとつの到達点とも言えるものだ。

Talvin Singhは、前々回にお届けしたのApache Indianに続いて、90年代の音楽シーンに馴染んでいた人には懐かしい名前のはず。
当時、インドにはまっていた学生だった私は「インド好きなの?Talvin Singh聴いた?超かっこいいよ」とこの曲が入っているアルバムを先輩に教えてもらった記憶がある。

Talvin Singhは1970年にロンドンで生まれたインド系イギリス人。
イギリス国籍とはいえ、文化的ルーツを大事にする家庭に育ったようで、幼少期からタブラに親しみ、16歳でパンジャーブ派のタブラを学びにインドに2年間の留学をした。
古典音楽を本格的に学んだTalvinだが、しかし彼はそのまま古典音楽の世界の中で生きることを選ばなかった。
彼は当時イギリスやカナダの南アジア系移民の間で勃興してきていた、電子音楽と伝統音楽をミクスチャーしたジャンル、「エイジアン・アンダーグラウンド」のシーンの中で、めきめきと頭角を現してゆく。
1991年にはニューウェーブバンドのSiouxsie and The Bansheesのメンバーとして"Kiss Them for Me"のレコーディングとその後のツアーに参加。

93年にはBjorkのアルバム「Debut」にパーカッショニストとして参加するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を始める。

90年代も後半に入る頃になると、パンク/ダブ/レゲエのジャンルではAsian Dub Foundationらの台頭もあり、インド系サウンドは「どこか垢抜けないダンスミュージック」から、一躍時代の最先端に躍り出ることになった。
当時インドをバックパッカーとして旅していた私は、電気などのインフラの整備もままならず、抜け目がないけどまだまだ朴訥としたインド国内のインド人と、垢抜けたサウンドを奏でる在外インド系移民たちがどうしても繋がらず、呆然としてしまったのを覚えている。
(今日では、インド国内と在外アーティストのサウンドの差は、こと電子音楽に関して言えばほぼ完全に縮まったと言える)

そんな時代背景のなか、Talvinが98年に発売した記念碑的なソロデビューアルバムが「OK」だ。
例のランキングで紹介されているのはそのタイトルトラック。
前置きが長くなりましたが、聴いてみましょう。 

聴いていただいて分かる通り、謎の沖縄テイストのある楽曲で、コーラスはなんとネーネーズ!
当時聴いたときには、アルバム全体の無国籍感の中でさして気にも留めていなかったのだけど、まさかインドのインディー音楽の歴史を辿るなかで日本の、それも沖縄のアーティストに出会うことになるとは思わなかった。
この曲ではアジアごった煮的なお祭り風サウンドを聴かせているが、アルバム全体はかなり二枚目風な質感に仕上がっていて、例えば2曲めの"Butterfly"はこんな感じ。

こうやって聴くと、タブラの細かくタイトなリズムがドラムンベースに、浮遊感のあるバーンスリー(横笛)とシタールがトリップホップにそれぞれ似た質感を持っており、Talvin Singhのインド由来のサウンドが90年代のクラブカルチャーが持っていた空気感に激しく呼応していたということが改めて分かる。

在英インド系移民によって、インドの伝統音楽と時代の最先端のサウンドが、ちょうど90年代後半に出会うことになったというわけだ。
もちろん、単なる時代のせいというだけではなく、そこにTalvin Singh個人の類稀なセンスが働いていたことは言うまでもない。

その後のTalvin.
2011年にシタール奏者のNiladri Kumarと発表した"Together"では、インド古典音楽にダブ的な手法を取り入れることで近未来的な質感を与えることに成功している。
 

日本のタブラ奏者、Asa-Chang&巡礼による「12節」のRemixを手掛けたりもしている。
 

インドのインディーズ音楽史を紐解くこのシリーズ、第6回目にしていきなり時代の最先端に躍り出てしまったが、果たしてこの先どうなるのか?
乞うご期待を!

 

goshimasayama18 at 18:49|PermalinkComments(0)