トランス
2025年07月09日
ひとひねりが面白いタミル映画『マーヴィーラン 伝説の勇者』
7月11日公開のタミル語映画『マーヴィーラン 伝説の勇者』の試写を見てきた。
タミル映画を見るのは久しぶりだったのだが、「そうそう!タミル映画ってこうじゃなきゃね」という王道の部分と、「そうひねって来たか」という意外性の部分がいい感じに融合していて、とても面白かった。
もちろん「タミル映画って何?」という人も、よくできたエンタメとして思いっきり楽しめるはずだ。
ストーリーを公式サイトから転載して紹介する。
新聞の長期連載漫画「マーヴィーラン」の作者であるサティヤ。気弱な彼は、ゴーストライターとしての立場に甘んじるばかりか、人一倍負けん気の強い母イーシュワリの起こす騒動を収めるのに必死の毎日。そんなある日、住居のある地域一帯が開発対象となり、立ち退きを余儀なくされてしまう。新たな住処として提供された新築の高層マンションに一時は浮かれる一家だったが、そこは恐ろしい手抜き工事の元に建てられた「欠陥住宅」だった!
人を人とも思わない悪徳政治家ジェヤコディ一派が仕切る新築マンションの増築と開発。やがて彼ら一味の魔の手がサティヤの年頃の妹ラージに迫り、彼は意を決して立ち向かうが、すげなく返り討ちに遭ってしまう。自らが描き続ける“マーヴィーラン=偉大なる勇者”との姿のギャップに、屋上から絶望の淵を覗き込んだその後ー奇跡的に生還したサティヤの耳元で、勇壮な「声」が鳴り響くようになる。その声はサティヤを「勇者」と呼び、ジェヤコディを「死神」と呼ぶのだった。「声」の通りに行動すると、ジェヤコディの悪辣な顔が暴かれていくが、波風を立てるのが大嫌いなサティヤは「勇者」の立場を放棄すべく必死の抵抗に打って出る。果たしてサティヤは、真の「マーヴィーラン」として、民衆を苦しめる巨悪に立ち向かうことができるのか!?
監督は、マドーン・アシュヴィン。
今作は彼にとって、2021年に制作された『マンデラ』(日本では映画祭イベントで上映)に続く2作目の長編映画となる。
カースト制度と政治の問題を扱った社会派コメディの前作で、彼は2022年に国家映画賞新人監督賞と脚本賞を受賞している。
主演はシヴァカールティケヤーン。
タミル映画の人気俳優の一人で、日本ではこれまでに『レモ』(2016年。原題『Remo』)や『私の夢、父の夢』(2018年。原題『Kanaa』)といった主演作が映画祭などで上映されている。
今作も社会派といえる一面のある映画だが、コミカルな要素で笑わせつつ、派手なアクションシーンで魅せるという点では王道のタミル風エンタメ作品と言える。
面白いのは主人公がまったくヒーローっぽいキャラクターではなく、いわゆるのび太くんタイプの気弱な男だということ。
この気弱な主人公のサティヤが、彼が書いているマンガの主人公「マーヴィーラン」に憑依されるという、言ってしまえばただそれだけの映画なのだが、この二人羽織的な設定をうまく使って、161分もの上映時間をテンポよく楽しませる製作陣の手腕には唸らされた。
いかにもタミル的なケレン味たっぷりな格闘シーンに、「自分の体が勝手に動く」ということによるメタな視点を取り入れ、お約束的になりがちなバトルをコミカルに仕立て上げたアクションシーンには思いっきり笑ってしまった。
この「マーヴィーラン」という作中のマンガの設定が、日本人にはちょっと分かりにくいので、触れておきたい。
良かれと思って説明してしまうと(ネタバレと思う人がいたら申し訳ない)、このマンガは「長年にわたっていろいろな作者が交代しながら新聞に描き継いできた作品」ということになっている。
日本でも『ゴルゴ13』みたいに、作者の死後にスタッフが描き続ける例はあるが、まったく関係ない人が設定やキャラクターを引き継いで同じ作品を続けてゆくというのは聞いたことがない。
鑑賞中、この部分にもやもやしていたので、試写後に字幕を手がけた藤井美佳さんに「そういうことですよね?」と確認したところ、その通りだとのこと。
サティヤは「マーヴィーラン」の最新の作者として、ひょんなことから「表舞台」に出ることになる(ここは映画でお楽しみに)。
この「マーヴィーラン」、長く続いているものの、あまり人気はなく、「真剣に読む人はほとんどいない、落ち目の新聞に惰性で続いている漫画」という設定が、この映画のいい味わいになっている。
再開発による立ち退きと代わりの住居の斡旋は、インドでは非常に切実で現実的なテーマだ。
昨年末に訪問したムンバイのダラヴィ地区では、まさに再開発計画が進行中だった。
『スラムドッグ$ミリオネア』や『ガリーボーイ』の舞台にもなったこの巨大スラムでは、証明書類を持っていない人も多く、誰にどう新しい住居を割り当てるのかというだけでも、解決に多大な時間と労力を要することになる。
プラスチックごみのリサイクルなど、スラムならではの産業に従事している人々の仕事どうなるのか、といった問題もあり、誰もが納得する解決策はまったく見えてこない。
まったく異なるジャンルの映画だが、7月25日公開の『私たちが光と想うすべて』でもこのテーマが扱われており、インドにおけるこの問題の身近さと普遍性を感じさせられた。
『マーヴィーラン』では、この庶民にとって深刻な問題を救うのが、正義漢でもスーパーヒーローでもなく、気弱な漫画家と、彼が描くあまり人気のないキャラクターだというのがいい。
このリアリティとユーモアとありえなさのバランスが、絶品なのだ。
個人的に興味深かったのは、サティヤに「ヒーローが降りてくる」という設定を、宗教的な神秘としてではなく、ポストモダン的というか、信仰や伝統文化とは切り離された、純粋な「ミラクル(奇跡というか不思議というか)」として描いているということ。
これはおそらくアシュヴィン監督が特定の信仰とは切り離されたものとして「マーヴィーラン」を描きたかったのだと思う。
宗教や地域や言語やコミュニティによる諍いが日常茶飯事のインドで、監督がこだわりたかった部分なのではないかと感じられたのだが、いかがだろうか。
音楽は、いかにもタミル!って感じの3連のリズムの応酬が楽しめる曲が多い。
この曲、音だけで聴くとトランスなのだけど、映像を見るとトランスっぽい印象は完全に消えちゃって、タミルの濃さに塗り潰されてしまうのが面白い。
タミル映画の曲はサブスクで聴いた時と映像で見た時の印象が全く違う(音楽的な要素が映像の濃さに負けている)ときが結構あって、それはそれで2度楽しめる感じがしてアリだなと思っている。
最近のアクション系タミル映画の曲は、「ヘヴィなギターのリフにタミル語のラップ風チャント」というスタイルが多い印象だったのだけど、『マーヴィーラン』はどういうわけかトランスっぽい曲が使われていて、この曲なんてJuno Reactorみたいにも聴こえる。
暑い夏にぴったりの映画です。
上映館などの情報はこちらからどうぞ!
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goshimasayama18 at 20:30|Permalink│Comments(0)
2023年05月08日
インド産トランスミュージック各種!(ヒンドゥーモチーフから人力トランスバンドまで)
今回は「最近のインドのトランス・ミュージック」の話を書く。
ゴアトランスというジャンルを生んだことからも分かるとおり、インドはトランスというジャンルに多大な影響を与えてきた国である。
インドの古典音楽が持つ深く瞑想的な響きや、ヨガなどの精神文化が持つ西洋文明に対するオルタナティブなイメージは、ビートルズの時代から、欧米のポピュラー音楽のカウンターカルチャーとしての側面に大きな影響を与えてきた。
インドの宗教的/哲学的な「悟り」は、欧米のポピュラー音楽シーンでは、ドラッグによる精神変容、すなわちサイケデリックという感覚と同一視されて扱われてきた歴史を持つ。
トランスは、そうしたオルタナティブな精神性〜サイケデリックという方向性を煮詰めたようなジャンルだった。
それゆえ、伝統音楽がサンプリングされたり、ヒンドゥーの神々がアートワークに使われたりしていた往年のトランスは、改めて思い返してみれば、インドの伝統のエキゾチシズム的消費というか、今風に言うところの「文化の盗用」みたいな側面がかなり強い音楽でもあった。
このサイケデリックなパーティー音楽においては、インドからの影響は、あくまでも表面的なものでしかなかったのだ。
ゴアにトランスがどう定着し、そして廃れていったかは、以前、3回に分けて書いたことがあるので、ここでは繰り返さない。
(こちらの記事参照)
トランスアーティストたちによるインド理解が表層的なものだったとは言っても、欧米目線から見たニンジャやサムライが日本人にとってキッチュでありながらもクールだと感じられるのと同じように、インド人にとっても、サイケデリックに解釈されたインド文化は、どこかかっこよく、魅力的なものだったのだろう。
インドでは、いまだにオールドスクールなゴア/サイケデリックトランスの人気は根強く、その名も3rd Eye Eventsという、まるでインドかぶれの外国人がつけたみたいな名前のオーガナイザーが、海外からDJを招聘して各都市でパーティーを開催していたりもする。
今回注目したいのは、そうした海外直輸入のスタイルで実践されているトランスではなく、インドのフィルターを通して、さまざまな形で解釈・表現されているインド式のトランスミュージックだ。
トランスというジャンルは、ときに誇張され、ときに模倣されながら、インドで独自の進化・発展を遂げているのだが、それがかなり面白いのだ。
例えば、2年ほど前にリリースされたこの曲では、かつてゴアトランスの時代に西洋のアーティストがエキゾチックかつスピリチュアルな雰囲気作りに借用していたヒンドゥー教の要素を、マジで導入している。
Vinay Joshi "Mai Shiv Hun"
お聴きのとおり、ヒンドゥー教の観点から、本気でシヴァ神を讃えるというテーマの曲である。
この曲をリリースしているJSR Record Labelというところは、この曲以外は普通のポップミュージックを扱っているようなので、本気の信仰というよりは、もうちょっと洒落っぽいものである可能性もあるが…。
Agam Aggarwal "Mahamrityunjay Mantra"
シヴァ神を讃えるマントラに壮大なエレクトロニック・サウンドを加えた曲。
さっきの曲同様に、CGで描かれたヒンドゥー神話的な世界が面白い。
クラブミュージック世代には、純粋な声楽だけの宗教歌や伝統的な宗教画より、こういうアレンジが施されているほうが親しみやすかったりするのだろうか。
DJ NYK at Adiyogi (Shiv Mantra Mix)
インドでは、ポピュラー音楽やクラブミュージックと宗教的なものがシームレスに繋がっている。
ふだんはボリウッドソングをプレイすることが多いDJ NYKは、タミルナードゥにある巨大なシヴァ神像(世界最大の胸像らしい)Adhiyogi Shiva Statueの前で、シヴァ神を讃える曲をミックスしたパフォーマンスを披露している。
トランス特有のクセの強い音の少ないミックスなので、インドっぽいクラブミュージックには興味があるがトランスは苦手という人(そんな人いる?)にも比較的聴きやすいんじゃないかと思う。
このDJプレイは、ヨガ行者で神秘思想家でもあるSadhguruという人物が提唱した環境保護活動Save Soilムーブメントのために行われたものとのこと。
エレクトロニック系/DJ以外の人力トランスをやっているバンドも面白い、
ケーララのShanka Tribeは、「トライバルの文化的遺産や伝統を重視し、さまざまな音楽を取り入れたトライバルミュージックバンド」とのこと。
Shanka Tribe "When Nature Calls"
Shanka Tribe "Travelling Gypsies ft. 6091"
トライバルというのは、インドではおもに「法的に優遇政策の対象となっている少数民族/先住民族」に対して使われる言葉だが、音楽的にどのあたりがトライバル要素なのかはちょっと分からなかった。
オーストラリアのディジュリドゥとか西アフリカのジェンベとかリコーダーのような海外の楽器が多用されていて、結果的に、南アフリカのパーカッショングループAmampondoと共演していたころのJuno Reactor(ゴアトランスを代表するアーティスト。"Pistolero"あたりを聴いてみてほしい)みたいな音になっている。
(以下、斜体部分は2023年5月11日追記)
初めてShanka Tribeを聴いた時から、彼らの曲、とくに"When Nature Calls"がJuno Reactorの"Pistolero"にどことなく似ている気がするなあ、と感じたていたのだが、あらためて久しぶりにJunoを聴いてみたら、「どことなく」どころじゃなくて、本当にそっくりな音像だった。
この時期のJuno Reactorは、南アフリカのパーカッショングループAmampondoと共演することが多かった。
Shanka TribeがPistolero時代のJuno Reactorを音作りの参考にしていたのは間違いないだろう。
当時のJuno Reactorの、典型的な白人音楽であるトランスにアフリカのパーカッショングループを取り入れるという方法論、そしてそれをエキゾチックな演出として受け入れるオーディエンスという構造は、どうも支配/被支配の関係に見えてしまって、居心地の悪さを感じたものだった。
当時、(今もだと思うが)トランスのリスナーにアフリカ系の人は極めて少なく、白人やイスラエリ、そして日本人がほとんどだったという背景も、その印象を強くしていたのかもしれない。
何が言いたいのかというと、インドの中で非差別的な立場に置かれてきた先住民族の文化や伝統を重視していると主張するShanka Tribeがやっていることは、もしかしたらサウンドの類似性以上に、この時代のJunoと共通する構図があるのではないかということだ。
結局のところ、インド社会の中で、「持てるものの音楽」のなかに「持たざるものの音楽やイメージ」を剽窃しているだけなのではないか、という疑問が湧いてきてしまう。
たとえこれらのプロジェクトに関わったマイノリティ自身が包摂のための方法論として好意的に捉えていたとしても、ちょっと注意深くなったほうが良い問題をはらんでいると思う。
一応付記しておくと、そうした感情を抜きにして、純粋に音楽として楽しむのあれば、Juno ReactorもShanka Tribeも、かなり好きなタイプではある。
イギリス在住のインド系古典パーカッション奏者、Sarahy Korwarは、これまでにジャズやヒップホップの要素の強い作品をリリースしてきたが、最新作では人力トランス的なサウンドに挑戦している。
Sarathy Korwar "Songs Or People"
ちょっとRovoとかBoredoms人脈のサウンドっぽく聴こえるところもある。
こちらはベンガルールのNaadというアーティストの曲で、かなり紋切り型なサウンドではあるが、Sitar Trance Indian Classical Fusionとのこと。
Naad "Bhairavi Sunrise"
90年代末頃のBuddha Bar系のコンピレーションに入っていそうな曲だが、要は、その頃に確立したフュージョン電子音楽的な手法がいまだにインドでは根強く支持されているということなのだろう。
最後に、海外のアーティストでいまだにエキゾチック目線でインドっぽいトランスを作っている人たちもいたので、ちょっと紹介してみたい。
こちらは、トランス大国イスラエルのアーティストがデンマークのIboga Recordsというところからリリースした作品。
Technical Hitch "Mama India"
この曲は、フランスのアーティストによるもの。
Kalki "Varanasi"
曲名の通り、ヒンドゥーの聖地ヴァーラーナシーの路地裏や、砂漠の中の城塞を囲む「ブルーシティ」ジョードプルの旧市街で撮影されたミュージックビデオが印象的。
我々外国人にとってはかなり異国情緒を感じさせられる映像ではあるが、地元の人にとっては京都とか浅草寺の仲見世の日常風景みたいなものだろうから、こんなふうにサイケデリックなエフェクトを施してミュージックビデオに使われるのは、どんな感じがするものなのだろうか。
ジャンルとしてはかなり定型化した印象の強い「トランス」だが、インドではまだまだいろいろな解釈・発展の余地がありそうで、また面白いものを見つけたら紹介してみたいと思います。
2023年6月26日追記:
このSajankaというアーティストも本格インド的トランスに取り組んでいて面白い音を作っている。
類型的な部分もあるが、アコースティックギターのストロークで始まるトランスなんて聴いたことがなかった。(トランスよく聴いていたのはかなり前なので、ここ数年は珍しくなかったりするのかもしれないが)
彼はもとの記事で紹介したShanka Tribeのリミックスを手掛けていたりもする。
結果的にインドかぶれのドイツ人トランスアーティストのDJ JorgがShiva Shidapu名義でリリースした"Power of Celtic"(1997年?リリース)みたいになっていて、海外目線で見たインド的トランスサウンドが内在化する見本みたいになっている。
(…なんて書いて分かる人が何人くらいいるのか分からないが、興奮のあまり書いてしまった。"Power of Celtic"聴きなおしてみたらあんまり似ていなかった。)
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goshimasayama18 at 23:17|Permalink│Comments(0)








