デリー

2022年06月19日

デリーを代表するラッパーとビートメーカー Seedhe MautとSez on the Beatが再タッグでアルバムをリリース!




昨年インドのヒップホップ史に残る傑作アルバム『न』(Na)をリリースしたデリーのラップデュオSeedhe Mautが、先月早くもニューアルバムをリリースした。
しかも今回では、2年前にAzadi Records(デリーを、いやインドを代表するヒップホップレーベル)と袂を分かった名ビートメーカー、Sez on the Beatと全曲で再びコラボレーションしているというから驚いた。




Sezとは前作でも1曲で共演していたので、完全に縁が切れたわけではないとは思っていたが、Azadi Recordsからの脱退は待遇をめぐっての後味の悪いものだったみたいだし、Azadi側もTienasがSezへの痛烈なdisを表明するなど、かなり関係がこじれていたようだった(詳細は上記のリンク参照)から、今作がAzadiからのリリースと聞いて、本当にびっくりした。
Sezは脱退後、MVMNTというレーベルを作って順調に楽曲をリリースしていたし、Sezも自身のプロデュースで唯一無二の世界観を表現したアルバムを出したばかりだったから、彼らの再タッグはまったく予想していなかったのだ。

ニューアルバム"Nayaab"のアートワークは、ストリート色の強かった前作とはうって変わって、寓話的で神秘的なものになっていて、ここからも、この作品がSeedhe Mautにとってまた新しい扉を開いたものであることが分かる。

seedhemaut_nayaab

手前の人物がさしている傘には、首都デリーの地図の形をした穴が開いていて、そこから光がさしている。
これはこのアルバムの社会性を表すとともに、「暗闇の中での気づき」を象徴していると書いているメディアもある。
ヒンディー語のリリックが分からないのが残念だが、今作でも政治的・社会的なテーマを含んだ内容がラップされているようだ。

サウンド面では、パーカッシブなビートとラップの応酬だった前作とはまったく異なり、よりメロディが強調され、ときにアンビエント的なビートやドラマチックな構成が目立つ作風へと大きく舵を切っている。
Seedhe MautとSezは2018年のアルバム"Bayaan"でも共演しているのだが、その時からの成長やスタイルの変化に注目して聴いてみるのも面白いだろう。

新作を聴く前に、前作をもう1回おさらいしてみよう。
これが昨年リリースされた『न』(Na)の1曲め、"Namastute".


トラップビートとラップ、めくるめくリズムの応酬。
『न』(Na)は一枚通してそのスリリングさが楽しめるアルバムだった。
それが、今作"Nayaab"の冒頭を飾るタイトルトラックではこうなる。


たたみかけるようなラップは鳴りをひそめて、穏やかな語りから滑らかにリズムが始まり、ドラマティックなストリングスで締められるこの曲は、SezのリリシズムとSeedhe Mautの二人の表現力が、新たな傑作を生み出したことを感じさせるものだ。

新作の世界観をもっとも端的に表している曲は、この"Maina"だろう。


この曲で歌声を披露しているのは、Seedhe Mautの一人Abhijay Negi a.k.a. Encore.
いつもの苛立ちを含んだラップとは全く異なる、こんな美しい歌も歌えるのかと軽い衝撃を覚えた。
ミュージックビデオの滑稽で悲しく、そして優しいストーリーも素晴らしい。

こちらの"Teen Dost"では、もう一人のラッパーであるSiddhant Sharma a.k.a. Calmがメロディアスなフロウを披露している。


鬼気迫るテクニカルなラップの印象が強かったSeedhe Mautの2人が、Sezの世界観に合わせてここまで叙情的なアルバムを作るとは、いい意味で完全に予想を裏切られた。

もちろん今作でも、例えばこの"Toh Kya"のように、トラップ的なビートに乗せてSeedhe Mautが切れ味鋭いラップを披露している曲もあるのだが、そこにもやはりSezの美学が感じられるサウンドとなっている。



この"Batti"は、Sez, Seedhe Mautに加えてデリーの鬼才ラッパー Prabh Deepと共演した"Class-Sikh Maut Vol.II"以来のタブラを導入したビートが強烈だ。



リリックが分からないという前提をことわったうえでの話となるが、今作でもっとも社会性が高く、そして個人的でもある楽曲が、この"GODKODE"だろう。


この曲に関しては、少々解説が必要だ。
昨年5月、デリーを拠点に活動するMC Kodeというラッパーが、自殺をほのめかす言葉をinstagramに残して消息を絶った。
失踪する少し前、彼が2016年に行われたラップバトルでヒンドゥー教を口汚く罵っていた映像が発掘され、インターネット上で拡散されていたのだ。
動画の中で、彼はここに書くことすら憚られるような言葉で、性的な表現を交えて、ヒンドゥーの聖典マハーバーラタやバガヴァット・ギーターを侮辱していた。
この動画は当然ながら多くのヒンドゥー教徒の怒りを買い、彼は個人情報を晒され、殺害予告を受けるなど悪質な脅迫を受けることになった。

彼はただちにインターネット上で謝罪と後悔を表明したが、彼への中傷は止まなかった。
そして「自分以外の誰を責めるつもりもない。俺の存在から解放されることが、この国全体が罰として望んでいることなんだろう」という言葉を残して姿を消したのだ。
捜索の結果、彼は数週間後に別の州にいたところを無事発見されたのだが、彼が完全に精神を病んでいたのは明白だった。

インドの文化にリスペクトを持つ外国人の我々の目から見れば、彼の宗教へのディスは完全に一線を超えているし、人々が生きるよりどころにしている信仰を侮辱したのであれば、度を超えた非難を受けて当然だとも思える。
ヒップホップコミュニティではタブーに踏み込んだディスが日常茶飯事とはいえ、そのカルチャーを知らない大多数のヒンドゥー教徒たちにとっては、彼の言動はとうてい容認できるものではないはずだ。
欧米文化にかぶれた不道徳な若者が、自分たちが大事にしている伝統を口汚く罵ったのだから、相応の怒りを買うのはあたりまえだ。

だが同時に、インド社会に生きるラッパーであり、MC Kodeの友人でもあったSeedhe Mautにとっては、また別の見方や感じ方があるということも理解できる。
近年インドでは、ヒンドゥー教社会の右傾化が強まっており、マイノリティであるイスラームへ圧力や保守的な価値観が強化されつつある。
現政権与党であるインド人民党(BJP)も、ヒンドゥー・ナショナリズム的な思想を強く指摘されている政党だ。
ナショナリズムと宗教が結びついた時、仮にそれがインドの人口の8割を占めるヒンドゥー教徒の大部分にとっては歓迎できる(あるいは、少なくとも実害のない)ものであったとしても、インドが本来持っていた宗教や文化の多様性という観点から見たときにはどうだろうか。
本質的に自由を標榜するカウンターカルチャーであるヒップホップを信奉する彼らにとってみれば、これは決して無視できない状況のはずだ。
そこに来て、今回のMC Kodeへのバッシングである。
ラップにおけるビーフでは、どんなに口汚く罵ってもそれはあくまで言葉の上でのことなのに、本来は心の平安を与えるはずの宗教が、5年も前の動画を引っ張り出してきて、謝罪と反省を表明しているにもかかわらず、精神が崩壊するまで追い詰めているのだ。
その現実に、Seedhe MautとSezが少なからぬ疑問と怒りを感じるのも理解できる。
リリックの詳細が分からないのがもどかしいが、Seedhe MautとSezは、この曲で明確にMC Kodeの側に立つことを表明しているそうだ。
リリックビデオに出てくる「51」という数字は、MC Kodeを支え続けた熱心なファンの数であり、彼らもともにいるという意味なのだろう。
楽曲の後半では、彼らが所有していたというMC Kodeが語っている音声が使われている。

インドの伝統と欧米から来た新しい文化は、その化学反応から素晴らしいフュージョン作品を生み出すこともあるが、今回の例のように、その摩擦から悲痛な断末魔を生み出すこともある。
だが、その断末魔のなかからも、こうしたインドのリアルを映し出す作品を作り出してしまうということに、彼らのヒップホップアーティストとしての覚悟の大きさが感じられる、

ちなみに本名を見る限り、MC Kode自身もヒンドゥーの家庭に生まれているようだ(もちろん彼は信仰心が篤いタイプではないのだろうが)。
もし彼がムスリムだったら、彼への非難はこの程度では到底おさまらなかっただろう。


と、今回は彼らの楽曲の背景も詳しく紹介させてもらったが、お聴きいただいて分かる通り、このアルバムは、言葉の意味をもって補完しなければ鑑賞に値しない音楽ではまったくない。
ヒップホップにおけるリリックを軽視するつもりはないが、優れたラップのアルバムが全てそうであるように、言葉とビートの音とリズム(そして今作ではメロディー)だけでも、十分に楽しむことができる作品だ。

長くなったが、インドのヒップホップシーンにまたひとつ名盤が誕生した。
こうした優れた作品が、日本でも、多くの人に聴かれることを願ってやまない。


参考サイト:
https://theindianmusicdiaries.com/10-things-you-did-not-know-about-seedhe-mauts-nayaab

https://ahummingheart.com/reviews/nayaab-by-seedhe-maut/

https://livewire.thewire.in/out-and-about/music/the-disappearance-of-rapper-mc-kode-the-story-so-far/

https://www.freepressjournal.in/viral/rapper-mc-kode-under-fire-for-abusing-hinduism-in-old-rap-battle-video-issues-apology

https://www.reddit.com/r/IndianHipHopHeads/comments/uytt9w/godkode_51/





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goshimasayama18 at 17:45|PermalinkComments(0)

2021年10月08日

デリーのラップデュオ Seedhe Mautのアルバム『न』(Na)がヤバい!

今更こんなことを言うのもなんだが、ラップというのは「言葉」の音楽だ。
なので、聞いて直感的に理解できない言語(私の場合、つまり日本語以外)のラップのアルバムを1枚通して聴くっていうのはけっこうキツい。
同じラッパーてあれば、似たようなフロウや世界観の曲が多くなるし、そもそもアルバム1枚あたり2〜3曲はつまらない曲が入っている。
そういう曲は、じつはリリックがすごく良かったりするのかもしれないが、何を言っているか分からない私には知ったこっちゃない。
次からは、その曲を飛ばすようになるだけだ。

そんなわけで、海外のラッパーのアルバムを初めて聴くときは、楽しみ半分、気が重いの半分くらいの微妙な気分なことが多い。
コンセプトとかが大事なのも分かるが、端的にかっこいい曲だけ聴きたいのだ。

今回は、そんな私の外国語ラップに対する先入観を大きく打ち破ったインドのヒップホップ作品を紹介したい。

それは、デリーのラップデュオSeedhe Mautが9月にリリースしたアルバム『न』。
この作品は、シンプルなビートで客演もほとんどないという、言ってみればかなり「派手さ」には欠ける作品なのだが、ここのところ最初から最後まで、毎日のように聴きまくっている。

Seedhe-Maut
Seedhe Maut


ちなみにデーヴァナーガリー文字で『न』と書くタイトルは、'Na'と読むようで、アルバムの曲名は全てNから始まる曲名で統一されている。
彼らはこの作品をアルバムではなくミックステープと位置付けているようだが(ヒップホップにおけるミックステープの定義は諸説あるが、アルバムよりもカジュアルな作品集と考えれば概ね間違いないだろう)、楽曲の質の高さや統一感は、どう考えてもアルバムと呼ぶほうがしっくりする。



Seedhe Maut "Namastute"
この曲がオープニングトラック。

かなり音数を削ぎ落としているにもかかわらず緊張感を保ち続けるビートと、熟練のタブラプレイヤーにように千変万化するフロウに乗せて言葉を吐き出すラップ。
このアルバムの魅力は、単純に言ってしまえば、ただそれだけだ。

無機質なビートと表現力豊かなラッパーの声が、立体的な音の構造物となって、ときに跳ね、ときに畳み掛け、ときにスカしながら緩急をつけてリスナーの耳に流れ込んでくる。
要は、声を使ったリズム音楽としてのヒップホップの魅力が詰まったアルバムなのだ。
このアルバムを聴けば、彼らがラップを「言葉の音楽」としてだけでなく、声とビートによるリズムのアンサンブルとしても大事にしていることが分かるはずだ。

このアルバムでは、ほとんどの曲のビートをSeedhe MautのかたわれであるCalmが自ら手掛けている。
だからこそ、ラップとの相乗効果を生み出すツボを押さえたビートのアレンジができているのだろう

それに、言葉は分からなくても苛立ちや怒りが伝わってくるラップの表現力も素晴らしい。
彼らがラッパーとしてもビートメーカーとしても、非凡な才能を持っていることが感じられるアルバムだ。



Seedhe Maut "Naamcheen"
ちなみにこのアルバムに参加している外部のビートメーカーはSez on the BeatとDJ Saの二人。
どちらも作品にアクセントを加えるいい仕事をしている。



この"Nanchaku"では、プネー出身のラッパーMC STANとの共演が実現。
MC STANはファッションや気怠くも挑発的なラップ(スキルもめちゃくちゃ高い)のスタイルも含めて、インドのヒップホップシーンを一新した、いま最も勢いのあるラッパーだ。

Seedhe Maut "Nanchaku ft. MC STAN"
Seedhe Mautの二人が歯切れの良いラップを披露したあとの3番目のヴァースがMC STAN.
退屈そうにすら聞こえる彼のフロウが始まった瞬間に、楽曲の空気感を変えてしまう実力はさすがの一言。


このアルバムが、インドのヒップホップ作品の中でも際立ってカッコよく聴こえる最大の理由は、ビートがことごとく今っぽいことだと思う。
インドでは、スキルの高いラッパーの曲でもビートが垢抜けないことも多いし、意欲的なフュージョン(インド音楽との融合)作品でも、センスが悪くてださくなってしまうことも珍しくない。

『न』がすごいのは、その現代的なビートを、単にアメリカのヒップホップの模倣や無国籍なサウンドにとどめているのではなく、しっかりとインド的な音に仕上げていることだ。

たとえばこの曲。

Seedhe Maut "Natkhat"


他の国のラップでも、エスニックなアクセントとしてビートにインドっぽい音が使われることがないわけではないが、ここまでインド的で、かつここまで今の空気感のあるビートは、彼ら以外には世界中の誰も作ることができないだろう。

驚くべき才能の持ち主であるSeedhe Mautとは、いったいどのようなアーティストなのだろうか?

Seedhe Mautは、デリーに暮らすCalmとEncore ABJによって、2017年に結成された二人組だ。
影響を受けたラッパーは、Run The Jewels, Clipse, Black Hippy, Mobb Deepだというから、EminemやNasや2Pacらをフェイバリットに挙げることが多いガリーラッパー(後述)に比べると、世代的にも新しく、かつシブい趣味を持っているようだ。

2017年にファーストEP "2 Ka Pahada"を発表すると、早くもデリー新興ヒップホップレーベルAzadi Recordsの目にとまり、契約を結ぶことになる。
2018年には、当時インドのヒップホップシーンの話題を独占していたPrabh Deepとコラボレーションした"Class-Sikh Maut Vol.II"を、同レーベルの3番目のタイトルとしてリリースした。



このアルバムのタイトルは、Prabh Deepのデビューアルバム"Class-Sikh"に便乗したものであり、正直なところ、この頃の彼らの印象は、ターバン姿で強烈なラップを吐き出すPrabh Deepに比べてかなり地味なものだった。
その後、彼らはSezをビートメーカーに迎えたアルバム"Bayaan"や、Karan Kanchanと組んだヘヴィロック的なシングル"Dum Pishaach"をリリースするなど、精力的な活動を展開。


印DM(インド的EDM)アーティストのRitvizのトラックに客演した"Chalo Chalain"もとても良かったが、この頃もまだ、私はSeedhe Mautに対して「多様なビートを器用に乗りこなせるデリーのストリート系ラッパー」という印象しか持っていなかった。

そんなダークホース的な存在だった彼らは、つまり今回の『न』で大きく化けたのだ。
この大化けの理由は、やはりラッパーであるCalmが自らビートを手掛けたことにあるのではないか。
自分たちのフロウを熟知しているからこその、シンプルながらもラップと立体的に絡み合うビートが、楽曲の細部に至る緊張感を生み出している。
端的に言って、このアルバムは、ガリーラップ以降のインドのヒップホップの新しい到達点と言っていい。


(ガリーラップは、2010年代のムンバイのシーンで形成されたインド版ストリートラップのこと)


ムンバイのカラーが強かったガリーラップ以降のシーンでは、デリーのPrabh DeepやプネーのMC STANが新しいスタイルを提示していたが、いかんせん彼らの音楽は、本人のキャラクターの強さに負うところが大きかった。
Seedhe Mautに関しては、その革新性が彼らのキャラクターではなく、スキルとサウンドのセンスによるものであるところが特筆すべき点だろう。

実際、Seedhe  Mautは、GQ India誌に「過去10年のインドのヒップホップの歴史はムンバイのガリーラップと同義だったが、Seedhe Mautがそれを変えることになる」と評されている。
また、彼らはその詩的かつ社会的なリリックでも高い評価を得ているようだ。


本来であれば、この「インドの地域別ヒップホップシーン特集」の続編として、タミルあたりのラッパーについて書こうと思っていたところ、彼らのアルバムがあまりにも素晴らしいので、この記事を先に書いてしまった。


(サウスのシーンはあまり追い切れていないので、じっくりと調べてから書きたいと思ってます)

Seedhe Maut, これからの活躍がますます楽しみなアーティストだ。
楽曲リリースのペースも早い彼らのこと、また近いうちに新しい作品を耳にすることができるだろう。




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goshimasayama18 at 22:31|PermalinkComments(0)

2021年09月01日

あらためて、インドのヒップホップの話 (その2 デリー&パンジャービー・ラッパー編 バングラー系パーティー・ラップと不穏で殺伐としたラッパーたち)



DelhiRappersラージュ

例えばラジオ番組とかで、「インドのヒップホップを3曲ほど選曲してほしい」なんて言われると、ついムンバイのラッパーの曲ばかり挙げてしまうことが多い。
ムンバイの曲ばかりになってしまう理由は、やはり映画『ガリーボーイ』をめぐる面白いストーリーが話しやすいのと、抜群にポップで今っぽい曲を作っているEmiway Bantaiの存在が大きい。

とはいえ、州が違えば言葉も文化も違う国インドでは、あらゆる都市に個性の異なるヒップホップシーンがある。
というわけで、今回は首都デリーのヒップホップシーンについてざっと紹介します!

ご覧の通り、デリーという街は北インドのほぼ中央に位置している。
(まずはちょっとお勉強っぽい話が続くが辛抱だ)
DelhiMap
(画像出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Delhi

ここで注目すべきは、デリーの北西にあるパキスタンと国境を接したパンジャーブ州。
インドとパキスタンの両国にまたがる地域であるパンジャーブは、男性信徒のターバンを巻いた姿で知られるシク教の発祥の地として知られている。
1947年、インドとパキスタンがイギリスからの分離独立を果たすと、パキスタン側に住んでいたシク教徒やヒンドゥー教徒たちは、イスラームの国となるパキスタンを逃れて、インド領内へと大移動を始めた。
同様にインド領内からパキスタンを目指したムスリムも大勢いて、大混乱の中、多くの人々が暴力にさらされ、命が奪われる悲劇が起きた。
それが今日に至る印パ対立の大きな原因の一つになっているのだが、今はその話はしない。
パキスタン側から逃れてきたパンジャーブの人々は、その多くがパンジャーブに比較的近い大都市であるデリーに住むこととなった。
結果として、デリーのシーンは、パンジャービー(パンジャーブ人)の音楽が主流となったのである。

パンジャービーには、北米やイギリスに移住した者も多い。
彼らはヒップホップや欧米のダンスミュージックと彼らの伝統音楽であるバングラー(Bhangra)を融合し、バングラー・ビートと呼ばれるジャンルを作り上げた。
2003年に"Mundian To Bach Ke"を世界的に大ヒットさせたPanjabi MCはその代表格だ。
デリーのパンジャービーたちは、本国に逆輸入されたバングラー・ビートを実践し、インドのヒップホップの第一世代となった。
この世代を代表しているのが、Mafia Mundeerというユニット出身のラッパーたちだ。




キャリアなかばで空中分解してしまったMafia Mundeerの詳細はこれらの記事を参照してもらうことにして、ここでは、その元メンバーたちの楽曲をいくつか紹介することとしたい。

彼らの中心人物だったYo Yo Honey SinghとBadshahは、その後、バングラービートにEDMやラテン音楽を融合したパーティーミュージックで絶大な人気を誇るようになった。


Yo Yo Honey Singh "Loka"


Badshah "DJ Waley Babu"

オレ様キャラのHoney Singhはリリックが女性蔑視的だという批判を浴びることもあり、アルコール依存症になったり、少し前には妻への暴力容疑で逮捕されたりもしていて、悪い意味で古いタイプの本場のラッパーっぽいところがある(USと違って銃が出てこないだけマシだが)。

この二人はヒット曲ともなるとYouTubeの再生回数が余裕で億を超えるほどの大スターだが、その商業主義的な姿勢ゆえに、ガリーラップ世代のヒップホップファンから仮想敵として扱われているようなところがある。
(一時期、インドのストリート系のラッパーの動画コメント欄は「Honey Singhなんかよりずっといい」みたいな言葉で溢れていた)

Mafia Mundeerの元メンバーの中でも、より正統派ヒップホップっぽいスタイルで活動しているのがRaftaarとIkkaだ。


Raftaar "Sheikh Chilli"

この曲は前回のムンバイ編で紹介したEmiway BantaiとのBeefのさなかに発表した彼に対する強烈なdissソング。
RaftaarとEmiwayのビーフについては、この記事に詳しく書いている。



IKKA Ft. DIVINE Kaater "Level Up"
Mafia Mundeerの中ではちょっと地味な存在だったIkkaは、今ではDIVINEとともにNASのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属アーティストとなり、本格派ラッパーとしてのキャリアを追求している。

もちろん、デリーにパンジャーブ系以外のラッパーがいないわけではなく、その代表としては'00年代なかばから活動しているベテランラッパーのKR$NAが挙げられる。

KR$NA Ft. RAFTAAR "Saza-E-Maut"
ちなみにこの曲でKrishnaと共演しているRaftaarも、バングラー・ラップのシーン出身ではあるが、もとはと言えばパンジャービーではなく南部ケーララにルーツを持つマラヤーリー系だ。


パンジャービー・シクのラッパーといえばバングラー・ラップというイメージを大きく塗り変えたのが2017年に"Class-Sikh"で鮮烈なデビューを果たしたPrabh Deepだ。
黒いタイトなターバンをストリート・ファッションに合わせ、殺伐としたデリーのストリートライフをラップする彼は、相棒のSez on the Beat(のちに決裂)のディープで不穏なトラックとともにシーンに大きな衝撃を与えた。

Prabh Deep "Suno"


彼が所属するAzadi Recordsは、デリーのみならずインド全土のアンダーグラウンドな実力派のラッパーを擁するレーベルで、デリーでは他にラップデュオのSeedhe Mautが所属している。


Seedhe Maut "Nanchaku" ft MC STAN


この曲はプネー出身の新鋭ラッパーMC STANとのコラボレーション。
彼らは意外なところでは印DM(軽刈田が命名したインド風EDM)のRitvizとも共演している。

Ritviz "Chalo Chalein" feat. Seedhe Maut
インドのインディーミュージックシーンでは、こうしたジャンルを越えたコラボレーションも頻繁に行われるようになってきた。
デリーのレーベルでは、他にはRaftaarが設立したKalamkaarにも注目すべきラッパーが多く所属している。


Prabh Deep以降、パンジャーブ系シク教徒でありながら、バングラーではないヒップホップ的なラップをするラッパーも増えてきている。
例えばこのSikander Kahlon.

Sikander Kahlon "100 Bars 2"


その一方で、このSidhu Moose Walaのように、バングラーのスタイルを維持しながら、ヒップホップ的なビートを導入しているアーティストも存在感を増している。

Sidhu Moose Wala "295"



Deep Kalsi Ft. KR$NA x Harjas x Karma "Sher"



Siddu Moose Walaはカリスタン独立派(シク教徒の国をパンジャーブに建国するという考えを支持している)という少々穏やかならぬ思想の持ち主だが、彼の人気はすさまじく、Youtubeでの動画再生回数は軒並み数千万〜数億回に達している。
パンジャービー、バングラーとヒップホップの関係は、一言で説明できるものではなくなってきているのだ。(ちなみにSikander KahlonもSiddu Moose Walaも、デリー出身ではなくパンジャーブ州の出身)



最後に、デリー出身のその他のラッパーをもう何人か紹介したい。

Sun J, Haji Springer "Dilli (Delhi)"

Karma "Beat Do"

パンジャービーの影響以外の点で、デリーのヒップホップシーンの特徴を挙げるとすれば、このどこか暗く殺伐とした雰囲気ということになるだろうか。
デリーのラッパーのミュージックビデオは、なぜか夜に撮影されたものが多く、内容も暴力や犯罪を想起させるものが少なくない。
他の都市と比較して、自分の街への愛着や誇りをアピールした曲が少ないのも気になる要素だ。
デリーの若者は自分たちの街にあんまりポジティブなイメージを持っていないのだろうか。

とはいえ、こうしたダークなラップがまた魅力的なのもまた事実で、独特な個性を持ったデリーのシーンには今後も注目してゆきたい。


(ムンバイ編はこちら)




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goshimasayama18 at 20:27|PermalinkComments(0)

2021年06月29日

デリーの渋谷系ポップとインディアン・フォークトロニカの話 Peter Cat Recording Co.のフロントマン Suryakant Sawhney a.k.a. Lifafa



peter-cat
Peter Cat Recording Co.(以下PCRC)は、2009年にヴォーカル/ギターのSuryakant Sawhneyを中心に結成されたバンドだ。
どこか懐かしさを感じさせる彼らのサウンドからは、ジャズ、サイケ、ソウル、ディスコ、ジプシー音楽など、多岐にわたる音楽の影響が感じられる。
彼らは2018年にはパリのレーベルPanacheと契約しており、インドのインディー・アーティストのなかでは、世界的にもそのセンスが評価されているバンドのひとつである。



この"Floated By"と"Where the Money Flows"は、バカラック・マナーのノスタルジックなバラード。



かと思えば、この"Memory Box"はクラシックなディスコ・サウンドだ。
(曲は32秒頃からリズムイン。それにしても8分を超える楽曲は長すぎるけど)

この3曲はいずれも2019年に発表されたアルバム"Bismillah"の収録曲で、このアルバムはRolling Stone Indiaによる年間ベストアルバムのひとつに選出されるなど、高い評価を得た。

もう少し前の時代の彼らの音楽性も興味深い。

この"Portrait of a Time"はオールディーズ・ジャズを思わせる曲だし…


"Love Demons"のように、独特のサイケデリック感覚をたたえた楽曲もある。
このギターのチューニングのゆらぎっぷり!(狂っているとはあえて言わない)

お聴きいただいて分かる通り、彼らのサウンドは、往年のポピュラーミュージックを現代的なセンスで再構築したもので、そこには、物質的には豊かだが退屈な日常への諦念や、その虚無感への対抗手段としての遊び心が存在している。
こうしたスタイルや精神は、日本のインディー音楽史で言えば、「渋谷系」的なアプローチと呼ぶことができるだろう。(音楽性に反して、ビジュアル面では毎回かなり濃いインド色を出しているのが面白い)

それでは、PCRCの中心人物Suryakant Sawhneyという人物は、例えば大滝詠一的なポップミュージック職人なのかというと、ことはそんなに単純ではない。
Suryakantは、自身のソロプロジェクトである'Lifafa'名義で、PCRCとは全く異なる、なんとも形容し難い音楽を発表しているのだ。

2019年にリリースしたファーストアルバムの"Jaago"の冒頭を飾るタイトルチューンでは、宗教音楽を思わせるハルモニウムとヒンディー語のヴォーカルから始まる。
だが、長いイントロが終わると、インド的なサウンドがループされ、有機的ながらも独特なグルーヴが形成されてゆく。

同アルバム収録のNikammaも、インド的な音色のビートの上を漂う気怠げなヒンディー語のヴォーカルが印象的だ。
これはいったい、新しい音楽なのか、懐かしい音楽なのか。
デジタルに反復するビートと、ローカル色の濃い音色とヒンディー語の響き。
あえてLifafaのジャンルに名前をつけるとしたら、「インディアン・フォークトロニカ」ということになるだろうか。

つい先日、Suryakantはコロナ禍のなかLifafa名義のセカンドアルバム"Superpower 2020"をリリース。
あいかわらずインドっぽい要素と現代的な要素が混在した、独特の音楽世界を表現している。


Suryakant曰く、PCRCがギターで作曲したヨーロッパ音楽なのに対して、Lifafaはコンピューターで作曲したヒンディー・オリエンテッドな電子音楽で、さらには政治的・社会的なテーマも扱っているとのこと。
ある記事によると、Lifafaのトラックはボリウッドのクラシックな音源をサンプリングして作られたものだという。
PCRCで欧米のポップミュージックを再構築したように、彼はインドの過去の音楽遺産を再構築して、現代に通じるアートを作ろうとしているのだろうか。


PCRCの中心人物にしてLifafaの張本人であるSuryakant Sawhneyは、そのサウンド同様に、なんとも不思議な経歴の持ち主だ。
船乗りの父を持つ彼は、子供時代の大部分を、地中海を航行する商用船の上で過ごしたという。
父はディーン・マーティンのような古風なポップスのファン、母はヒンドゥーの賛美歌バジャンの歌手だったというから、彼の音楽に見られるヨーロッパ的憂愁や、洋楽ポップスとインドの伝統音楽の影響といった要素は、幼い時期に全て揃っていたのだ。

Suryakantが10代の頃に父が亡くなり、彼は母と共にデリー近郊のグルガオンで暮らすこととなった。
音楽的に恵まれた環境に育ったとはいえ、彼は最初からミュージシャンを目指していたわけではなく、その頃の彼の興味は映像製作の分野に向いていた。
父を亡くしてもなお彼の家庭は裕福だったようで、大学時代は米サンフランシスコに留学し、アニメーションを学んだ。
だが、資金面から映画制作を断念した彼は、次なる表現の手段として、インドに帰国してPeter Cat Recording Co.を結成する。



海外経験のあるアーティストが欧米の音楽ジャンルをインドに導入し、国内のシーンの第一人者になるという現象は、インドでは珍しくない。(例えばレゲエ/スカのSka Vengers, ドリームポップのEasy Wanderlings, シンガーソングライターのSanjeeta Bhattacharya, トラップのSu Realなど)
だが、PCRCにしろLifafaにしろ、Suryakantの音楽に対するアプローチは、単に海外の音楽ジャンルの導入にとどまらないセンスを感じる。
そのスタイルの向こう側に、お手本となったジャンルの模倣に留まらないオリジナリティと精神性が感じられるのだ。



欧米のポピュラー音楽の伝統を踏まえたクールネスと、インドならではのサウンドが、Suryakantという触媒を通して、様々な形象で溢れ出している。
決してメインストリームで聴かれる音楽ではないかもしれないが、彼の音楽がもっと様々な場面で評価されるようになることを願ってやまない。

例えば、PCRCが落ち着いた喫茶店で流れていたり、Lifafaがチャイとインドスイーツが美味しいカフェで流れていたりしたら、すごくハマると思うのだけど。



参考サイト:
https://www.platform-mag.com/music/lifafa-aka-suryakant-sawhney.html

https://www.thestrandmagazine.com/single-post/2020/09/25/in-conversation-suryakant-sawhney-doesnt-fit-in-a-box

https://www.rediff.com/getahead/report/have-you-heard-suryakant-sawhney-sing/20200311.htm





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2021年06月24日

インドで活躍するLGBTQ+とミュージシャンたち(2021年版)

6月は、LGBTQ+を支持する'Pride Month'として、世界中でさまざまな発信が行われている。

インドは宗教的に保守的なイメージを持たれることが多いが(だからこそと言うべきか)、インディーミュージックシーンではLGBTQ+をサポートする意図を持ったミュージックビデオが目立つ。
また、自身がLGBTQ+であることをオープンにして活動しているミュージシャンも活動している。
(昨年このテーマで書いた以下の記事参照)



彼らは決して有名アーティストというわけではないが、その堂々たる存在感は、ジェンダーやセクシュアリティーに関係なく、我々に勇気と刺激を与えてくれる。

本題に入る前に、あらためて説明すると、LGBTQ+とは、同性愛者、バイセクシュアル、トランスジェンダー(身体の性別と内面の性別が異なる)、男女のどちらでもないと感じている人、自身の性自認や性的指向が決まっていない人などの性的少数者の総称だ。 
マジョリティであるヘテロセクシュアル(異性愛者)やシスジェンダー(肉体上の性別と性自認が一致している人)とは異なる存在として、'LGBTQ+'というひとつの言葉で表されることも多いが、このくくりの中にも多様性が存在しているのだ。

インド社会におけるLGBTQ+へのまなざしもまた多様である。
前回の記事でも書いた通り、2018年まで「同性間での性行為を違法とする」という時代遅れな法令(1861年に制定されたもの)が存在していたかと思えば、トランスジェンダーの女性(肉体上の性別が男性で、性自認が女性である人)が「ヒジュラー」というある種の聖性を持った存在として受け入れられていたりもする。
とはいえ、インド社会に現代的な意味でのインクルージョンが古くから存在していたわけではなく、ヒジュラーは偏見や差別の対象でもあったし、さらに言えばそれ以外の性的マイノリティたちには、長い間(多くの場合は今でも)居場所すらなかったという現実もある。

こうした伝統の反面、2019年に急逝したQueen Harishのように、男性として生まれながらも、伝統舞踊ラージャスターニー・ダンスの「女型」として、アーティストとして非常に高い評価を得ていた例もある。
彼(彼女と言うべきか)の人生については、このパロミタさんが翻訳した、生前最後のインタビュー記事が詳しい。


私の知る限り、Queen Harishは自身の性自認や性的指向をオープンにしてはいなかったようだが、出生時の性とは違う性を表現するアーティストとして、彼が(彼女がと言うべきか)高く評価されていたことに異論を唱える人はいないだろう。
(Queen Harishは性別を超越した立場の表現者であり、これから挙げるようなLGBTQ+としてのメッセージを発信しているアーティストと同列に語るのは違和感があるが、インド社会のジェンダーとアート/芸能にまつわる一例として紹介した。ちなみにQueen Harishは、ムンバイで活躍している日本人シンガー/ダンサーのHiroko Sarahさんのラージャスターニー・ダンスの師匠でもあった)


さて、いつも通りインドのインディーミュージックの話題に移ろう。
インドのインディー音楽シーンをチェックしていると、こちらが意識していなくても、LGBTQ+をテーマにした作品に出会うことがたびたびある。
実力派シンガーソングライターのSanjeeta Bhattacharyaが今年2月にリリースした"Khoya Sa"は、女性同性愛者をテーマにした詩的な映像が美しい作品だ。
このミュージックビデオは、現代インドの郊外における「従来の愛の文化的概念に困惑している女性たち」を描いており、社会的束縛のなかにいても、愛は自由であることを表現しているのだという。
Sanjeetaはアメリカの名門バークリー音楽大学を卒業したエリートでもある。
これまで英語やスペイン語で歌ったり(日本語タイトルの曲もある)、マダガスカルのシンガーと共演したりと、国際的かつ都会的なイメージだった彼女が、あえてヒンディー語で歌い、郊外を舞台とした映像作品を作ったことに、強いメッセージ性を感じる。

(ちなみに彼女はミュージックビデオのなかで同性愛者を演じているが、性的指向や性自認を明らかにしてはいない。当事者性に焦点を当てるのではなく、作品の価値の普遍性にこそ注目すべきであることは言うまでもないだろう)

Sanjeetaの叙情的な表現とは対照的に、より強烈にクィア性を打ち出しているアーティストもいる。
Marc MascarenhasことTropical Marcaはムンバイで活動している「インドで最初のドラァグ・クイーン」だ。
彼女は、スウェーデン人のPetter Wallenbergが設立したLGBTQ+の権利と平等を訴える国際的アーティスト集団'Rainbow Riot'とコラボレーションして、2019年に"Tropical Queen"という楽曲をリリースした。



Sanjeetaが郊外での性的マイノリティの心細さを表現していたのとはうって変わって、大都市ムンバイでは、ここまで大胆な表現が許容されている。(もちろん、こうした表現を快く思わない保守層も少なからずいるわけだが)
インドは良くも悪くも伝統と変化が様々な形で共存している。
これもまた自由で新しいインドの一面だと言えるだろう。
Petter Wallenbergは他にもムンバイで多くのコラボレーションを行っており、これはインド初のLGBT合唱団との共演。

同性愛がインドで「合法化」されたことについて、「以前は芋虫のように隠れていたけど、今は蝶になったよ」と語っている男性の言葉が印象に残る。

ムンバイだけではなく、デリーにもLGBTQ+の権利を歌うバンドが存在している。

ヴォーカリストのSharif D Rangnekarを中心に結成されたFriends of Lingerは、性的マイノリティだけでなく、女性の尊厳や、ヒンドゥー・ナショナリズムによるジャーナリストへの暴力など、社会的なテーマを取り上げているバンドだ。
都市部のリベラル層の間では、インドに存在する多くの社会問題と同様に、性的マイノリティの権利も注目されるトピックになってきているのだろう。
近年ではインド映画においても、同性愛がテーマとされていることは昨年の記事でも書いたとおりだ。


いつも感じていることだが、インドの社会をリサーチしていると、かの国ではなく、むしろ日本の社会や社会問題が、強烈な逆光に照らし出されるような感覚を覚える。
インド社会を全体として見れば、LGBTQ+をめぐる状況には改善されなければならない点が多く存在しているが、当事者も、そうでないアーティストも、音楽の力を借りて、彼らのための主張を堂々と表現していることに関しては、我々も大いに見習うべきだろう。

今年のPride Monthも残りわずか。
いずれの国でも、性的マイノリティとされる人々が、差別や偏見に晒されずに生きてゆけるようになることを願うばかりだ。



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goshimasayama18 at 23:54|PermalinkComments(0)

2020年02月11日

Daisuke Tanabe氏にインドのクラブシーンについて聞く!

おそらくは、日本のコンテンポラリー・ミュージックの世界で、最も多くインドでの活動を経験しているミュージシャンだろう。

Daisuke Tanabe — 世界的に活躍する電子音楽アーティストである彼は、2016年を皮切りに、これまでに3度のインドツアーを行っている。
のみならず、2018年にはムンバイのエレクトロニカ系レーベルKnowmad RecordsからEP "Cat Steps"をリリースするなど、彼とインドのシーンとのつながりは、非常に深いようである。
つい先月もインド4都市でのライブを行ったばかりのTanabe氏に、メールでインドのクラブミュージックシーンについて聞いてみた。

DaisukeTanabe

Tanabe氏とインドの音楽シーンとの最初の接点は、2016年にムンバイのエレクトロニカ・アーティストKumailのリミックスを手掛けたことだったという。
Kumailと「いつかインドでライブができたらいいね」と話していたところ、さっそくその年に最初のインドツアーが決定した。
Daisuke Tanabe、初のインドツアーは、'Magnetic Fields Festival'への出演と、ムンバイ、ベンガルール、プネーの3都市を回るものだった。
実際に訪れてみると、インドにはすでに彼の音楽を長く聞いているリスナーが大勢おり、大歓迎を受けたという。
これまで何度もこのブログで書いてきた通り、コアなファンを持つジャンルや、「音の響き」そのものが重視される音楽では、国籍や国境はあまり意味を持たない。

Tanabe氏自身も意外だったという大歓迎は、彼の音楽のスタイルと、そして質の高さが、国や文化の壁を軽々と超えるものだということの証明と言えるだろう。
ちなみに彼以外にインドでのライブを経験している日本人アーティストには、フィールドレコーディングによる音源を再構築してユニークなサウンドを作るYosi Horikawa、ポストロックのMono、デスメタルの兀突骨などがいる。
いずれも唯一無二の「音の個性」を持ったアーティストばかりである。

Knowmad RecordsからリリースされたEP"Cat Steps".

繊細かつ自由。
リズム、ハーモニー、ノイズが気まぐれに、しかし美しく展開する作風はまさにCat Stepsのタイトルにふさわしい。

Kumailの"Bottom Feeder"のDaisuke Tanabe Remixは、叙情と混沌と美の2分半だ。

Daisuke Tanabeのインドでの最初のライブは、ラージャスターン州の砂漠の中の宮殿で行われる電子音楽系のフェス、Magnetic Fields Festivalだった。
インドらしい異国情緒と国内外の先端的な音楽が融合した、かなりユニークなフェスティバルだ。
Sunburn, VH1 Supersonic, NH7 Weekenderなど、近年大規模な音楽フェスが増えているインドだが、ローカルの伝統文化と新しい音楽を融合するという発想のフェスは珍しい。
彼が出演した2016年のアフタームービーからも、その独特な雰囲気が感じられる。


このMagnetic Fields Festivalは、チケットがかなり高額なフェスであるため、Tanabe氏曰く、客層は裕福そうな人が多く、オーディエンスのマナーもとても良かったとのこと。
日本では音楽ファンにもインド好きにもまだほとんど知られていないイベントだが、伝統的なインドと最先端の音楽シーンをかなり面白い形で体験できる、素晴らしいフェスティバルのようだ。
(かつての記事でも少し紹介しているので、興味のある方はこちらもどうぞ)


2018年の9月には、リリースしたばかりの"Cat Steps"を引っさげて、ニューデリー、ムンバイ、バンガロール、プネーを回る2度目のインドツアーを挙行。
今年1月のツアーでは、ムンバイ、バンガロール、ニューデリーに加えて、ゴアでのライブも行った。

Tanabe2018tour
和の要素を感じさせるフライヤーがクールだ。
Tanabe2020Tour

ヨーロッパ各国や中国など、さまざまな国でのライブ経験のあるTanabe氏に、インドのオーディエンスの印象について聞いてみたところ、「最初から最後までとにかくよく踊る」とのこと。
国によってはアーティストの動きにかぶりつくところもあれば、じっと音楽に耳を澄ますオーディエンスが多いところもあるそうだが、「インドはとにかく反応が良い」そうだ。
インド映画を見れば分かる通り、インド人は筋金入りのダンス好きだ。
インドに行ったことがある人なら、子どもたちがラジカセから流れる映画音楽に合わせて、キレキレのダンスを踊っているのを見かけたことがある人も多いだろう。
インドでは、大衆映画のファンから、クラブに来るような新しい音楽のファンまで、とにかく踊りまくる。
すばらしい国ではないか。

インドの都市ごとのシーンの印象について聞いてみたところ、あくまでも彼がライブを行った場所の印象だとことわったうえで、こう語ってくれた。

「ムンバイはインドの中でも特にパーティ好きと言うか、眠らない街という印象」、「デリーも大都市の雰囲気があるが、シーンに関してはムンバイよりある意味で大人な雰囲気」、そして「バンガロールはインドのローカルアーティストに聞くと、こぞって実験的な音楽に対しても耳を開いているという返事が返ってくる」そうで、今回初めて訪れたパーティーシーズンのゴアは、「オーディエンスの外国人率が他の都市と比べてダントツに高く、緩い雰囲気ではあるものの、やはり真剣に聴いてくれる印象」とのことだった。

このコメントは非常に面白い。
というのも、Tanabe氏が語るそれぞれの都市の印象が、各都市の歴史的・文化的な特徴とも重なっているように思えるからだ。
ムンバイはインド最大の都市であり、娯楽の中心地。ボリウッドのようなメインストリームの音楽からアンダーグラウンドなヒップホップ、エレクトロニック系、ハードコアまで様々なサウンドが生まれる土地である。
首都デリーは、古くから様々な王朝が栄えた文化的都市。インドで最初の国産電子音楽ユニットであるMIDIval Punditzやインド発のレゲエユニットReggae Rajahsなど、洗練されたセンスを感じさせるアーティストを多く輩出している。
バンガロールは20世紀末からIT産業によって急速に発展した国際都市で、音楽的にはポストロックなど、実験的なバンドが多い印象である。
そして、ゴアは古くから欧米人ヒッピーたちに愛されたリゾート地で、言わずと知れたゴア・トランスの発祥の地だ。

「ゴアは未だにトランスのパーティーも盛んなようで、興味深かったのは土地柄的にインドの人が最初に耳にする電子音楽はトランスが多い」というコメントも面白い。
ゴアはかつて西洋人のヒッピー/レイヴァーたちのトランスパーティーの世界的な中心地だったが(今でもHilltopやShiva Valleyというトランスで有名なヴェニューがある)、2000年頃からレイヴへの規制が強化され、外国人中心のパーティーと入れ替わるように、インドの若者たちが自分たちの音楽文化を作りあげてきたという歴史を持っている。

(ゴアの音楽シーンの歴史については、この3つの記事にまとめている) 



Tanabe氏は「実は以前はトランスも聴いていたので、インドでの人気の理由にはそこら辺の根っこの部分で近いものを感じ取っているのかもしれない」と述べている。
彼の有機的かつ刺激的なサウンドのルーツに実はトランスがあって、それがインドのオーディエンスにも無意識的に伝わっているとしたら、偶然なのか必然なのかは分からないが、音の持つ不思議な「縁」を感じさせられる話ではある。

また、Tanabe氏から聞いた各都市の「風営法」についての情報も興味深かった。
ムンバイでは、クラブイベントは深夜2時ごろまでに終了することが多いようだが、近々条例が改正され、さらに長時間の営業が可能になる見込みだという。
一方、バンガロールでは、つい最近まで音楽イベントに対する規制がかなり強かったようで、現在では緩和されているものの、そうした事情を知らない人も多く、イベントを行うこと自体が難しい状況もあるという。
バンガロールでは、昨年、地元言語であるカンナダ語以外の言葉でラップしていたミュージシャンが、観客からのクレームで強制的にステージを中止させられるという事件も起きている。
ITバブル以降急速に発展したバンガロールでは、実験的な音楽が好まれるシーンがある一方で、まだまだ保守的な一面もあるということがうかがえる。

インドの音楽シーンを俯瞰すると、中産階級以上の新しいもの好きな若者たちが新しい音楽を積極的に支持している反面、宗教的に保守的な層(ヒンドゥーにしろ、イスラームにしろ)は、享楽的な欧米文化の流入に強い危機感と反発を抱く傾向がある。
実際、EDM系の大規模フェスであるSunburn Festivalはヒンドゥー原理主義者からの脅迫を受けているし、人気ラッパーのNaezyは父親から「ラップはイスラーム的に許されないもの」と言われていたようだ。(Naezyの場合、結局、ラップはイスラームの伝統的な詩の文化に通じるもの、ということで、お父さんには理解してもらえたという)
こうした文化的な緊張感が、様々な形でインドの音楽シーンに影響を与えているようだ。


Daisuke TanabeがムンバイのKnowmad Recordsから"Cat Steps"をリリースした経緯については、こちらのblock.fmの記事に詳しい。

「リリースして誰かに聴いてもらうということには変わりないし、今はもうどこの国からリリースしたっていうのはほとんど関係ない時代」という言葉が深い。
インターネットで世界中がつながった今、優れた音楽であれば、あらゆる場所にファンがいるし、またコアな愛好家がいるジャンルであれば、あらゆる場所にアーティストがいる。
Tanabe氏はこれまで、日本のCirculationsやイギリスのBrownswood、ドイツのProject: Mooncircleといったレーベルから作品をリリースしてきたが、今回のKnowmadからのリリースによって、インドのファンベースをより強固なものにすることができたようである。
勢いのある途上国のレーベルからリリースすることは、メリットにも成りうるのだ。

Tanabe氏は、特段インドにこだわって活動しているというわけではなく、ファンやプロモーターからのニーズがあるところ、面白いシーンがあるところであれば、国や地域の先入観にとらわれず(つまり、欧米や先進国でなくても)、どこにでも出向いてゆくというスタンスなのだろう。
そんな活動のフィールドのなかに、当たり前のようにインドという国が入ってくる時代が、もう到来しているのだ。

Tanabe氏とのやりとりで印象に残った言葉に、「インドのアーティストやプロモーター、オーディエンスと会話すると、海外からのステレオタイプなインド像を覆してやるという気概みたいなものもよく見受けられる」というものがあった。

インドの音楽と聞いてイメージするものといえば、映画音楽か伝統音楽という人がほとんどで、電子音楽やポストロック、メタルなどを思い浮かべる人はとても少ない。
今では、インドにもこうしたジャンルの面白いアーティストがいるし、熱心なファンもいる。
彼らには新しいインドの音楽シーンを作っていこうという熱意と気概があり、すでにMagnetic FieldsやSunburnのような大きなイベントも行われている。

何が言いたいのかというと、日本の音楽ファンやアーティストも、インドをはじめとする途上国のシーンにもっと着目したほうが面白いのではないか、ということだ。
まだ形成途中の、熱くて形が定まっていないシーンに触れられることなんて、日本や欧米の音楽だけを聴いていたら、なかなか味わえないことだ。
まして、インドは「とにかく踊る国」である。
こんな面白い国の音楽シーンを、放っておく手はない。



…と、ここで記事を終わりにしても良いのだけど、とは言っても、いざ現地の音楽シーンを体験しに行こうにも、どこに行ったらよいのか分からないという人も多いだろう。
インドには、ヒップホップやテクノがかかるクラブもあれば、ボリウッド映画のダンスチューンがかかりまくるディスコみたいな店(これはこれで面白そうだが)もある。

というわけで、最後に、Tanabe氏に聞いたインド各地のクラブ情報をお届けしたいと思います。


まずは、ムンバイから。
「どの都市にもライブ会場があり、僕が初めて訪れた時(25年ほど前とのこと)には想像もできなかった都市にもクラブがあったりします。お隣の国のネパールでもフェスティバルがあったりと、まだまだ行ってみたい会場や国はたくさんですが、知っている都市の中ではムンバイが特にクラブに対して非常に精力的な印象でした。
僕が今回プレイしたAnti Socialという会場は他の都市にも支店ができて居るようで、情報も得やすいかもしれません。

他にもBonoboもよく名前を聞く会場の一つです。」



「デリーではSummer House cafeという会場でライブしましたが、こちらも音も良く、また料理も美味しいものが食べられます。」

(註:このSummer House Cafeはデリーの若者たちが集う、音楽や新しいカルチャーの中心地Hauz Khasに位置している)
 

「バンガロールでは前回、今回ともにFoxtrotという会場でライブしましたが、こちらも他の会場と同じく非常に良い雰囲気の中で、料理や飲み物が楽しめます。」



「ゴアは街を歩けばイベントのポスターが至る所に貼ってあるので、イベントを探すのは最も簡単だと思われます。ただイベントが多いのでお気に入りの場所を探すのには多少時間を要するかもしれません。

どの街も全く違った顔を持って居るのでどれか一つは選べないので、とりあえず今回訪れた会場を挙げてみました。」


とのこと!
インドでは、日本のような音楽がメインのクラブやライブハウスというものはあまり無いようで、どこもレストランバーやカフェバー的な、食事と飲み物も楽しめるようなお店になっている。
今回紹介したようなお店は、現地ではオシャレスポットなので、いかにもバックパッカーのようなヨレヨレの格好で行くのは控えたほうが良いかもしれない。
 
お店にもよるが、イベントによっては、ロックやヒップホップ、はたまたスタンダップコメディの日なんかもあるみたいなので、訪れる前にホームページをチェックして、好みのジャンルのイベントを狙って行くことをオススメする。
ムンバイに関しては、現地在住のHirokoさん、ラッパーのIbex、ビートメーカーのKushmirに聞いた情報も参考になるはず。(この記事で紹介されています)


次にインドを訪れるなら、ぜひ現地の音楽シーンの熱さも味わってみては!



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goshimasayama18 at 22:55|PermalinkComments(0)

2018年09月14日

日本の文化に影響を受けたインド人アーティスト! ロックバンド編 Kraken

先日、日本のサブカルチャーからの影響を受けたエレクトロニカ・アーティストとして、宮崎駿のアニメなどからインスパイアされたKomorebiと、カルト・ムービー「鉄男」からタイトルを取ったトラックをリリースしたHybrid Protokolを紹介した。

今回は、ジャパニーズ・カルチャーの影響を受けたアーティスト、ロックバンド編!
彼らの日本のサブカルチャーへの驚くべき愛情を心して読むべし。

そのバンドの名前はKraken。
2014年に結成された6人組のデリーのロックバンドだ。
このブログの熱心な読者の方なら、彼らがRolling Stone Indiaが選ぶ2017年のベストアルバムの第7位に選ばれていたのを覚えているかもしれない。
彼らがどれだけ日本に影響を受けているかは、フライヤーやウェブサイトを見ていただければ一目瞭然!

まずこれがファーストアルバムのウェブ告知。
lushbykraken
箸としゃもじは分かるけど、まるいのはピザ?

続いて最近のツアーのフライヤー。
Krakenフライヤー
お坊さんが「こんなのプログレじゃないぜ」って言ってる。サポートのポストハードコア/マスロックのバンド名、Haiku Like Imaginationというのにも注目。彼らも日本文化の影響を受けてるんだろうか。

 北東部ツアーのフライヤーはこんな感じ。
Krakenフライヤー2

これ、全てインドのバンドがインド国内向けに作ってるチラシです。
五重塔、着物、寿司っていう伝統的な要素に、缶ジュースや公衆電話、カタカナ表記、といかにも「外国人から見た日本」的なテイストだけど、日本文化というとアニメやマンガのイメージが非常に強いインドで、伝統や食文化にまで目配りができているというのはなかなかの日本通ぶりと言える。

バンドの中心メンバーのギタリスト、Moses Koulは実際に日本に一人旅に来たこともあるようで、日本のカルチャーに大きな影響を受けているという(詳細は後述)。

そんな彼らのサウンドをさっそく聴いてみましょう。
2017年にリリースされた彼らのファーストアルバム"Lush"から、"Yooo! It's ALetter From Koi Fish"

"Koi Fish"は魚の鯉のことのようで、「ヨ〜!俺の鯉からの手紙だ!」という日本語表記に脱力するが、これは「恋」と「鯉」がかかっているのかな?
歌詞をみると一応ラブソングのようだし。
バッキングでも派手に動き回るギターや、ハードコアっぽいシャウトが入りつつも、それが暴力性の表現ではなくグルーヴ感を促進するように使われているところなど、日本の音楽専門学校のESP出身のバンドみたいな雰囲気だ(分かるかなあ)。
ビデオもローバジェットで作られているようだけど、日本旅行のお土産なのかな?が並んでいて、ここでも彼らの日本愛が感じられる。

"Bouncy Bouncy Ooh Such A Good Time"

タイトルの訳は「ワクワク楽しいなあ〜」だって。ビデオはジブリの森かな。

"What Will Be, Will Be, Promise Me Kawaii Tea"

今度は「なるようになる、可愛いお茶を約束してくれ」とのこと。
またしても日本の日常を切り取ったビデオと激しいロックが不思議な雰囲気を醸し出している。

なんだか曲調も日本のアニメ(戦うようなやつ)の主題歌っぽく聴こえるが、いったい彼らはどんな日本文化に影響を受けてきたのか。
SNSを通していくつかの質問をしてみました。
最初の質問は、日本の文化にいつ、どんなふうに影響を受けたのかということ。

Kraken 「まず、俺たちの音楽を日本に広める機会を提供してくれてありがとう。日本は大好きで、深い影響を受けた国なんだ。いつ、どんなふうに日本の豊かな文化から影響を受けたかを答えるよ。俺たちのギタリストMoses Koulは十代のときに映画やアートを通して日本の音楽を発見したんだ。 
それで、日本のジャズ・アーティストたちにのめり込んでいた。同じ頃に、たくさんの映画やアートやアニメがインドに入ってきて、インドでも日本文化にもっと深く知ることができるようになった。つまり、 日本のメジャーな輸出文化であるアニメとかJ-Pop以外のものにも触れられるようになったってことだよ。俺たちは、日本のアートの歴史の中で、日本がどうやって西洋文化を受け入れて、そこに独自の要素を加えていったのかを知ることができた。
例えば、すごく日本的に聞こえるメロディーラインってあるよね。それは、そういう音を奏でるミュージシャンたちが、欧米よりも日本のアーティストにより親しんでいるからそういう曲調になるんだってこととかね。
俺たちのキーボーディストのReuben Dasは自作のアニメやマンガにも情熱を注いでいて、これは俺たちが日本のアートや音楽、文化に触れながら育ってきたことを表すアウトプットになっているんだ。
俺たちは日本の映画、アート、音楽にすごくリスペクトと憧れを感じている。子どもの頃から日本の美しい文化にインスパイアされ、影響を受けて育ってきたからこういうことをしているってわけさ。
日本でツアーをして、俺たちの音楽をプレイするのが夢なんだよ。今すぐにでも叶えたいと思っている。そのためにとにかくがんばっているのさ」

ありがとう。
そんなふうに言ってもらえて日本人としてうれしいよ。
それにしても、影響を受けたのが日本のジャズというのは意外だった。
影響を受けた日本のミュージシャンや映画などを具体的に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

Kraken「俺たちがインスパイアされたり影響を受けたミュージシャンの名前をいくつか挙げると、上原ひろみ、山下洋輔トリオ、きゃりーぱみゅぱみゅ、菊池雅章、Uyama Hirotoだな。それとは別に、日本のヒップホップにも深い影響を受けていて、何人か名前を挙げるとなると、Nujabes、Ken the 390、Gomess。
俺たちが大きく影響を受けた映画監督は、宮崎駿、今敏、岩井俊二だよ。」

この回答にはびっくりした。
だって、かれらの音楽性から、てっきりOne OK RockとかSpyairとかの名前が挙がるものと思っていたから。
映画にしても、宮崎駿はともかくとして、他にはドラゴンボールとかNarutoあたりが挙がるものと思っていた。
この予想以上にマニアックな日本通ぶりにはひたすら驚かされるばかり。
ここに名前が挙がったアーティスト全員を深く知っている人って、日本人でも少ないんじゃないだろうか。
正直、私も日本のジャズやヒップホップにはてんで詳しくないので、存じ上げない方が何人かいた。
菊池雅章(これで「まさぶみ 」と読む)はピアニストで、日本のマイルスとも称される、日本におけるエレクトリック・ジャズのパイオニア。ピアノソロのアルバムや尺八との共演アルバムなんかも作っている。
Uyama HirotoはNujabesとのコラボレーションでも知られるマルチプレイヤー、Gomessは自閉症であることをカミングアウトしているラッパーで、独特の詩世界で知られるアーティストだ。
今敏(こん・さとし)は「Perfect Blue」「東京ゴッドファーザーズ」「パプリカ」などで知られるアニメ映画の監督。
自分の知識の無さを恥入りました。
それにしても、まさかこんな斜め上の回答が返ってくるとは思わなかった。

そのことを正直に伝えると、
「ハハハ、きゃりーぱみゅぱみゅは知ってるだろ?」とのこと。
私もたまにインド人のブログ読者(グーグル翻訳などを使って読んでくれているようだ)から「このアーティストは知らなかった!素晴らしいアーティストを教えてくれてありがとう」とか言われることがあるが、まさかインド人に日本のアーティストを教えてもらうことがあるとは。
今回名前を挙げてもらったアーティストをチェックしてみて、そのセンスの良さに恐れ入りました。
ヘヴィーロックアーティストの名前がひとつも挙がらなかったのが意外だったけど、今後はビジュアル面以外でも、彼らが影響を受けた日本のサブカルチャーの要素が出てくることがあるのだろうか。

すぐにでも日本で演奏したいと語るKraken.
その夢が一刻も早く願うことを心から願わずにはいられない。
少なくとも、ここまで日本を愛してくれている彼らが、日本でもっと有名になってほしいなあと思います。
みなさんも彼らのことを広めてくれたらうれしいよ。

それでは、また! 


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2018年09月06日

インドで最大のロックフェス!NH7 Weekender!

先日、あまりにも面白いネタだったので、インド辺境の超通好みなフェス、Ziro Festivalを紹介してしまったが、よく考えたらいきなりダモ鈴木が出演する山奥のフェスティバルを取り上げるより先に、これがインドの盛り上がってる大規模都市型フェスですよ、っていうのを紹介するべきだった。

というわけで、今回はインドの大都市を巡って開催される大型フェス、NH7 Weekenderを紹介します。
このNH7 Weekenderは、イベントプロモーターOnly Much Louder の代表、Vijay Nairがイギリスのグラストンベリーのような音楽イベントをインドでも開催したいと思ったことがきっかけで始まったフェスティバル。
第1回目は2010年にマハーラーシュトラ州プネーで開催され、そのときからグローバル洋酒企業のBacardiが冠スポンサーとなってサポートしている。
マハーラーシュトラ州はインド最大の都市ムンバイを擁する州で、プネーはムンバイから車や鉄道で4時間弱の距離にある学園都市。
学生や若者が多く、独自の音楽シーンもあるこの街は、インドでフェスを行うのにぴったりの場所だろう。
第1回は37組のアーティストが出演し、海外からはイギリスのポップロックバンドThe Magic NumbersとUKインディアンによるAsian Dub Fundation(フジロックでもおなじみ)が参加した。
その時の様子がこちら。

ちょっと戸惑いながらも盛り上がるオーディエンスが微笑ましい。

その後、毎年の開催ごとに規模を拡大してゆき、プネー以外にもデリー(郊外のノイダ)、バンガロール、コルカタ、シロンなどでも開催されるようになった。
インドを代表する都市に加え、ここでも何度もこのブログで紹介している独自の文化を持った「インド北東部」メガラヤ州の州都シロンが入っていることに、北東部の音楽カルチャーの強さをあらためて感じる。

これまでに参加した海外のアーティストは、主なものだけでMark Ronson、Mutemath、Flying Lotus、Mogwai、Basement Jaxx、Imogen Heap、Steve Vai、Megadethなど。
ジャンルも年代も非常に多様性に富んだ顔ぶれだ。
いわゆるワールドミュージック的なジャンルからも、Wailers、Rodrigo y Gabriela、Seun Kutiなどのツボを押さえたアーティストを招聘しており、さらにはTalvin SinghやTrilok Gurtu、Karsh Kaleといった海外のシーンでも活躍しているインド系アーティストも多数出演している。
もちろん、出演者の大半を占めるのはインドのアーティストで、このブログで今まで紹介してきた中でも、Su RealDemonic RessurectionBlackstratbluesReggae RajahsSka VengersAgamSandunesTejasRhythm ShawDivineParekh and SinghAditi Rameshら、多くの実力派アーティストたちがパフォーマンスした。
2017年にはコメディアンが出演するステージも設けられ、Kunal Raoも出演したようだ。

最近のフェスの様子はこんな感じ。

規模もぐっと大きくなって、オーディエンスの盛り上がりっぷりも板についてきた。

メガラヤ州シロンでは、同じイベントでも大きく雰囲気を変えて、自然の中でのビッグフェスとなる。

これ、インド版のフジロックだなあ!行きたい。。。

この様子を見る限り、インドの音楽シーンはいつまでたっても映画音楽の一強だとか言われているけれど、インディーズシーンも十分に盛り上がってるじゃないですか。
これはおそらく、日本で洋楽聴いている人があんまりいないとはいってもフジロックやサマソニのような洋楽系フェスには大勢人が集まる、みたいなのと似ている状況なんじゃないだろうか。

そう考えてみると、ドメスティックな商業的音楽シーンがメインストリームでありながらも、サブカル的シーンにも根強いファンがいる日本とインドの音楽シーンって、結構似ているような気もする。

インドにはまだまだ素晴らしいフェスティバルがたくさんあるので、また改めて紹介します!
それでは!

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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

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goshimasayama18 at 00:35|PermalinkComments(0)