チルホップ

2019年10月19日

Gully Boy -Indian HipHop Night- でこんな話をしてきました!

10月15日に、ディスクユニオン新宿のスペースduesにて、"Gully Boy -Indian HipHop Night"に出演してきました。
このイベントは、インド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』(18日から公開中!)の楽曲や、映画の舞台となったムンバイのヒップホップシーンを紹介するというもの。

不肖軽刈田、今回は日本におけるワールドミュージックの批評/紹介の第一人者で、クラブDJ、ラジオDJとしても活躍されているサラーム海上さん(昨今は中東料理研究もすごい!)、ムンバイで古典舞踊カタックのダンサーとしてする活動かたわらシンガーとして現地のラッパーと楽曲をリリースした経験を持つSarah Hirokoさんという超強力なお二人とともに、思う存分語らせてもらいました。

会場はなんと満員札止め!
ほとんどの方に立ち見でご覧いただき、なんだか申し訳なかったですが、大勢の方にお越しいただけて本当に感謝です。
今回は、お越しいただけなかった方のために、ここで改めて当日プレイした曲を紹介しつつ、お話しした内容や、準備していたけど時間の都合で話せなかった内容を紹介したいと思います!


いちばん初めに紹介したのは『ガリーボーイ』を象徴するこの曲、"Apna Time Aayega"
 
まずHirokoさんから、曲のタイトル"Apna Time Aayega"の意味「俺の時代が来る」について説明。
映画の舞台となったのはムンバイ最大のスラム、ダラヴィ。
貧困や抑圧のなかで暮らしていた若者たちは、ヒップホップに出会ったことで、自分たちの気持ちをリリックに乗せて、音楽として発信できるようになった。
まだまだ音楽だけで生きてゆくのは難しい。
それでも、差別され、見下されてきた彼らが、ラップを通してリアルな感情を世の中に発表できるようになったことは大きな変化だ。
ラップのスキルとセンスさえあれば、賞賛され、憧れられることすらあるようになったこの現在こそ、彼らが「俺の時代が来ている!」と胸を張って言える状況なのだ。
ヒップホップは、スラムの若者たちにとってただの音楽以上の大きな意味を持っている。

ダラヴィでヒップホップの人気が高まってきたのは2010年頃から。
スマホの普及により、スラムの若者たちもインターネット経由で気軽に海外の音楽が聴けるようになった。
アメリカのヒップホップに出会った彼らは、自分たちと同じように差別や貧困のもとで生きるラッパーたちのクールな表現に憧れと親近感を感じ、そして自らもラップやブレイクダンスを始めた。

こうしたストリートから生まれた、インドではまだ新しいカルチャーを扱った映画が、この『ガリーボーイ』というわけだ。
ヒップホップというと、アメリカの黒人文化(もしくは不良文化)という印象が強いかもしれないが、その本質は抑圧された若者たちが自分自身やコミュニティの誇りを取り戻し、自分のコトバを発信するという、とても普遍的なものだ。

『ガリーボーイ』が公開されると、それまでアンダーグラウンドな存在だったインドのストリートラッパーたちは、爆発的な注目を集めるようになった。
"Apna Time Aayega"「俺の時代が来ている」という言葉は、映画の主人公ムラドだけでなく、インドのストリートラッパー一人一人の言葉にもなったのだ。


続いて紹介したのは"Asli HipHop".

タイトルの意味は「リアルなヒップホップ」。
ラップにおいて重要なのは、スキル、言葉のセンス、そして自分自身に正直であること。
楽器もお金も必要のないヒップホップは、スラムの若者たちにぴったりの表現方法だった。
サビでは、「インドにリアルなヒップホップを届けるぜ」という言葉が繰り返される。

ここで、Hirokoさんにムンバイから持って来てもらったムンバイのラッパーたちの写真、そして、ラッパーやトラックメーカーたちからのビデオメッセージが披露された。
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ラッパーたちの背後に、いかにもヒップホップらしいグラフィティも見ることができる。
ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJというヒップホップを構成する4つのアートフォームのうち、唯一インドのシーンで広く普及しなかったのがDJだ。
高価なターンテーブルや、インドでは一般的に普及していないレコード盤を必要とするDJの代わりに、インドのシーンで発展したのが、この"Asli Hip Hop"でも聴くことができるヒューマンビートボックスだ。
ダラヴィには、なんと放課後に無料でビートボクシングを教えるスクールもあるという。

現地のアーティストからのビデオメッセージでは、『ガリーボーイ』を通してインドのヒップホップが日本に広まることを喜ぶ声だけでなく、ヒンディー語のラップや、トラックメーカーのKaran Kanchanによる日本文化への愛などが披露された。(彼は吉田兄弟、和楽器バンド、Daoko、Babymetalらの日本のアーティストのファンだとのことで、彼は自身の名義ではJ-Trapなる日本風のトラップミュージックを作っている)

ところで、この"Asli Hip Hop"が「リアルな」ヒップホップであることを強調していることには理由がある。
ストリート発のヒップホップがインドに生まれる前から、流行に目ざとい映画音楽にはラップが導入されていた。
パンジャーブ州の伝統音楽「バングラー」に現代的なダンスビートを融合させた「バングラー・ビート」は、21世紀のインドの音楽シーンのメインストリームとなり、ラップ風ヴォーカルと融合して量産された。

というわけで、続いて紹介したのは、ストリートの「リアルなヒップホップ」ではないインドのエンターテインメント・ラップミュージック。
今回サラームさんに選曲していただいたのは、2016年に公開された映画"Baar Baar Dekho"から"Kala Chashma"


印象的な高音部のフレーズはバングラーで使われるトゥンビという伝統楽器によるもの。
歌っているのは、ボリウッド系パンジャービーラッパーの代表格のBadshahだ。
彼やYo Yo Honey Singhらのボリウッド・ラッパーたちは、ストリート系ラッパーたちから、無内容で享楽的な姿勢を批判されることも多く、最近は『ガリーボーイ』にも出演しているストリート・ラッパーEmiway BantaiとボリウッドラッパーRaftaarの間の「ビーフ」(ラップを通じてのお互いへの批判合戦)も話題となった。
ここでサラームさんから、「インドには様々なリズムがあるが、現代的なダンスミュージックの四つ打ちと合うのはバングラーだけ」というコメント。
DJでもあるサラームさんならではのこの指摘には大いに唸らされた。
とにかく、これがインドのストリートラップ誕生以前のラップミュージックというわけ。

続いて、典型的ボリウッドラップをもう1曲。

2005年の映画"Bluffmaster"から、"Right Here, Right Now".
サラームさんから、90年代のアメリカのヒップホップのビデオのインド風翻案であると紹介があったが、確かにそんな感じ!

ラップしているのはボリウッドの伝説的名優アミターブ・バッチャンの息子で同じく俳優のアビシェーク・バッチャン。
『ガリーボーイ』のランヴィール・シン同様に俳優自身がラップしている珍しいパターンで、ラップはヘタウマだがさすがに良い声をしている。
本来、こうしたヒップホップ特有の「金・女・パーティー!」といった世界観は、貧しい出自のラッパーたちが、音楽を通して成り上がったことを誇って始まったものだが、ラップしているアビシェークは二世俳優。
「お前は生まれた時から金持ちだろうが!」とつっこみたくなるが、 これも民衆の憧れとしてのボリウッド的な表現のひとつではある。
インドのストリート出身のラッパーたちは、リリックやビデオでもリアルさにこだわっており、こうした享楽的なボリウッドラップとは対照的な姿勢を見せている。
『ガリーボーイ』のなかにも、ムラドがボリウッド風の派手なラップはヒップホップではないと否定する場面が出てくるが、その背景にはこうした対照的な2つのラップシーンの存在があるのだ。


『ガリーボーイ』には、主人公たちのモデルとなったラッパーが存在する。
主人公ムラドのモデルとなったのはNaezy, ムラドの兄貴分MCシェールのモデルとなったのがDivineだ。
NaezyとDivineが共演した楽曲で、ガリーラップのクラシック"Mere Gully Mein"は、ガリーボーイでもリメイクされ大々的にフィーチャーされている。
 
ランヴィールはNaezyのパートをほぼ完コピ。
シッダーント・チャトゥルヴェーディ演じるMCシェールのラップはDivine本人が吹き替えている。

ここでHirokoさんから、ラップで使われるヒンディー語には、スラングやマラーティー語(ムンバイがあるマハーラーシュトラ州の言語)などの別の言語も使われており、さらにはフロウを心地よくするための文法破格も頻繁に行われているという説明。
映画に使われた楽曲のリリックについては、このブログで次号から麻田豊さん、餡子さん、ナツメさんの3人が手がけた邦訳を掲載する予定なのでお楽しみに!

映画のタイトルにも使われている"Gully"という単語は、スラムにあるような細い路地を表す言葉で、"Mere Gully Mein"は「俺の路地で」という意味だ。
この"Gully"は、Divineが英語の「ストリート」と同じような意味合いで多用したことで、インドのヒップホップシーンでよく使われるようになった。


ムラドのモデルとなったNaezyが注目を集めるきっかけとなった曲が、この2014年にリリースされた"Aafat!"だ。

シンプルなビートだが、言葉がわからなくても確かなスキルとフロウのセンスが感じられる一曲。
彼はこの曲を、家族からプレゼントされたiPadだけで作り上げた。
iPadでビートをダウンロードし、そこにラップを乗せ、さらには近所でこのミュージックビデオを撮影してYouTubeにアップすると、「凄いラッパーがいる」とたちまち話題になった。
(『ガリーボーイ』にもこのエピソードから着想を得たと思われるシーンがある)

ゾーヤー・アクタル監督は、このビデオで彼のことを知り、会いにいったところ、少し話を聞くだけの予定がすっかり話し込んでしまい、この映画を作るインスピレーションを受けたというから、この"Aafat!"がなければ、『ガリーボーイ』という映画もなかったかもしれない。

Naezyが初めてラップに出会ったのはSean Paulのダンスホールレゲエだったそうだ。
真似してラップをしてみたところ、思いのほか上手くでき、友達や女の子たちにも注目を浴びることができて、ラップに興味を持ったという。
出身は、実際はダラヴィではなくKurla Eastという地区の、やはりスラムのような一角だった。("Aafat!"のミュージックビデオを見れば雰囲気が分かるだろう)
10代のころの彼は、悪友たちと盗みや破壊行為を繰り返す不良少年で、あるときとうとう留置所に入れられることになってしまった。
父親は海外に出稼ぎ中。
取り乱した母親を見た彼は、こんな生活をしていてはいずれ取り返しのつかないことになってしまうと悟る。
それ以来、彼は部屋にこもって自分のリリックを書き始めるようになった。
ラッパーNaezyの誕生だ。

ミュージックビデオではいかにもラッパー然としたNaezyだが、サングラスをかけているのは目を見られるのが恥ずかしいからだそうで、素顔はシャイで内省的な青年なのだ。
『ガリーボーイ』でランヴィール・シンが演じたムラドは、ラッパーにしてはかなり内気なキャラクターだが、これはモデルとなったNaezyのこうした性格を反映したものと思われる。
(ヒップホップが一般的でないインドでギャングスタ的なラッパー像を演じても支持が得られないということもあると思うが)

続いて同じくNaezyか今年8月にリリースした"Rukta Nah".

プロデュースは、ビデオメッセージも寄せてくれたKaran Kanchan.
この曲では、世界的なトレンドを意識してトラップっぽいサウンドを聴かせてくれている。
じつはNaezyは、ちょうど『ガリーボーイ』製作中の2018年の一年間、音楽活動を休止していた。
彼はムスリムの家族のもとに生まれており、父親がラップは「非イスラーム的である」と判断したためだ。
映画のモデルになるほどの人気ラッパーでも、まだまだ家族や伝統やコミュニティの価値観との葛藤に悩む実態があるのだ。
今では、父親も「ラップはイスラームの伝統的な詩と通じるもの」という理解を示すようになり、無事音楽活動を続けることができるようになったという。
Naezy自身も、この曲ではサングラスを外した姿でラップを披露し、パフォーマーとしての成長を見せてくれている。


続いてはMCシェールのモデルになったインドのヒップホップ界の兄貴的存在、Divineを紹介!
2013年にリリースされた楽曲"Yeh Mera Bombay".
初期ガリーラップのアンセムだ。

Divineも実際はダラヴィの出身ではないのだが、彼の地元Andheri East地区のJ.B. Nagarという地区も、スラムというかかなり下町っぽい場所のようだ。
「これが俺のボンベイ」という意味のこの曲のビデオに出てくるのは、高層ビルでも高級住宅街でもなく、リクシャーワーラー(三輪タクシーの運転手)や路上の床屋、荷車を引く労働者たちのようなガリーに生きる人々。
まさに、地元をレペゼンするヒップホップなのである。

Divineの本名はVivian Fernandes.
映画のMCシェール(本名Srikanth)は名前からするとヒンドゥーという設定のようだが、モデルとなったDivineはクリスチャンだ。
彼は母子家庭で育った不良少年だったが、教会では敬虔に祈ることからDivineというラッパーネームを名乗ることになった。
友人がニューヨーク出身のラッパー50CentのTシャツを着ていたことからヒップホップに興味を持った彼は、インターネットで調べて、アメリカのラッパーたちが自分と同じような環境に生まれ育ったことを知り、自身もラッパーを志す。
映画を見れば、Divineの持つ兄貴っぽい雰囲気を、シッダーント・チャトゥルヴェーディがかなりリアルに再現していることが分かるだろう。

映画でのムラド(ムスリム)とシェール(ヒンドゥー)のコラボレーションのように、インドのヒップホップシーンでは様々なバックグラウンドのアーティストによる共演がごくふつうに行われている。
Divine曰く「Gullyは特別な場所。ヒンドゥーもムスリムもクリスチャンもいるが、Gullyこそがみんなが信じている宗教だ。国は豊かになっても俺たちの生活は変わらない。だからこそ俺たちの声を聞いてほしい」
ヒップホップこそがその声となったのだ。


Divineの"Yeh Mera Bombay"でもインドっぽいトラックが使われていたが、インドのヒップホップでは、古典音楽や古典のリズムとの融合が頻繁に行われている。
『ガリーボーイ』のサウンドトラックでは、この"India 91"がまさにそうした楽曲にあたる。

"91"はインドを表す国番号だ。

この曲のもとになったのは、南インドの伝統音楽カルナーティックのパーカッショニストであるViveick RajagopalanとラップユニットのSwadesiが共演した"Ta Dhom"というプロジェクトだ。

サラームさんからの紹介によると、ViveickがSwadesiのラッパーたちに古典のリズムを教えたところ、彼らもこの古くて(ヒップホップにとっては)新しいリズムに非常に興味を持ち、このプロジェクトに発展したとのこと。

"India 91"のミュージックビデオにはムンバイを中心とする実際のラッパーたちがカメオ出演しているが、餡子さんが登場する全ラッパーを調べ上げて紹介したこの記事「India 91 ラッパーを探せ!」は圧巻!
ヒンディー、マラーティー、グジャラーティー、パンジャービーという4つの言語でラップされるこの曲は、古典から現代までという縦軸と、地域や言語という横軸の二つの意味でインドの多様性を象徴する一曲だ。


続いて古典のリズムとラップの融合をもう1曲。
プネー出身だが現在はイギリスで活躍するパーカッショニストSarathy Korwarの"Mumbay".
この曲にもSwadesiのMC Mawaliが参加している。

インドの古典音楽には5拍子などの奇数拍のものもあり、この楽曲は7拍子の古典のリズムにジャズとラップを融合したもの。
冒頭に"Apna Time Aayega"のTシャツも登場する。
彼のように海外に拠点を移して活躍するアーティストが、インドのシーンの発展に刺激を受けて母国のラッパーたちと共演する機会も増えてきている。
(Sarathy Korwarについてはこちらの記事で詳しく紹介している。「Sarathy Korwarの"More Arriving"はとんでもない傑作なのかもしれない」

北インドの古典音楽には、Bolという口でリズムを取るラップのような伝統があり(南インドにもよく似たKonnakkolというものがある)、ここでカタックダンサーでもあるHirokoさんがカタックのBolの実演を披露。
インド伝統文化の詩やリズムへのこだわり、そしてダンス好きで口が達者な国民性を考えると、インドにヒップホップが根づくのは必然のような気すらしてくる。
インドの古典のリズムとヒップホップの融合は、他にはインド系アメリカ人ラッパーのRaja Kumariなども取り組んでおり、インドのヒップホップの特徴のひとつになっている。
"India 91"がサウンドトラックに取り入れられたのは、そうした潮流への目配りを表していると言えるだろう。


続いては、Hirokoさんが地元ムンバイのラッパーたちと共演した『ミスティック情熱』を紹介。


インドのヒップホップシーンではまだ珍しいChill Hop/Jazzy HipHop的なビートに、ムンバイのラッパーIbexの日本語ラップ(!)とHirokoさんの歌をフィーチャーした唯一無二の楽曲。
アニメ『サムライチャンプルー』の音楽を手がけた故Nujabesを通してChill Hopのサウンドは世界中に広まり、このジャンルはアニメなどの日本のカルチャーとの親和性の高いものとして受け入れられている。
この曲でHirokoさんがコラボレーションしたラッパーのIbexやビートメーカーのKushmirも日本のアニメに大きく影響を受けているという。
Hirokoさんからはミュージックビデオ制作の苦労話など、インドでの音楽活動の興味深いエピソードを聞かせてもらうことができた。
(このコラボレーションについては、この記事で詳しく紹介している。「日本とインドのアーティストによる驚愕のコラボレーション "Mystic Jounetsu"って何だ?」


続いては、Hirokoさんがムンバイのスラムで子ども達への教育支援活動に協力しているという話題から、ダラヴィで無料のヒップホップダンス教室を開いているSlumgodsを紹介。
彼らはダラヴィが舞台となり世界的に大ヒットした映画"Slumdog Millionaire"のイメージに反発し、「俺たちは犬じゃない」とSlumgodsというクルーを結成、子ども達にダンスを通して自分たちへの誇りを持ってもらうための活動を続けている。


『ガリーボーイ』ではラップに焦点があてられているが、ダラヴィではヒップホップといえばダンスも広く受け入れられている。
ラップにしろダンスにしろ、体一つでクールな自己表現ができるヒップホップは、スラムで生きる人々にぴったりの表現手段なのだ。

続いてHirokoさんが支援活動を行うワダラ地区の子どもがラップするなんともかわいらしい映像が流された。
実際にこの街でHirokoさんたちが支援していた若者の一人は、つい先日ラップのミュージックビデオをリリース。この映像の1分20秒ぐらいからその楽曲が始まる。


Hirokoさんによると、ダラヴィはムンバイのスラムのなかでは、過酷な環境とはいえまだましなほうで(例えば識字率は7割ほどに達し、これはインドのスラムではもっとも高い)、他のスラムの人々はさらに厳しい生活を強いられている。
また、スラムにすら暮らせない路上生活者たちもおり、そうした暮らしを強いられた人たちが、ダラヴィのラッパーたちのように自分たちの誇りを取り戻せる日がいつか来るのだろうかと考えると、気が遠くなってくる。
いずれにしても、ダラヴィ以外のスラムでも、ヒップホップは希望の光になりつつあるようだ。


ここまで話して、時間が少々余ったので、ムンバイ以外の地区のラッパーの紹介ということで、デリーのPrabh Deepのミュージックビデオを流した。

彼は今インドで最も勢いのあるアンダーグラウンド・ヒップホップレーベル、Azadi Recordsを代表するラッパーで、この曲のトラックをプロデュースしたのは、かつて"Mere Gully Mein"を手がけたSez on the Beat.
ご覧の通りPrabh Deepはパンジャービーのシク教徒なのだが、このビデオを見たサラームさんから、「他のラッパーとは違うパンジャービーの声の出し方」というコメントがあり、さすがの指摘に大いに感心した。


というわけで、90分に及んだトークイベント"Gully Boy -Indian HipHop Night"は、この"Train Song"で締めて終了。

南インド出身のシンガー、Raghu Dixitとイギリス在住のタブラプレイヤーKarsh Kaleのコラボレーションで、ヒンディー語ヴォーカルがDixit、英語がKaleだ。

今回のイベントの模様は、近々HirokoさんのYoutubeチャンネルでも公開する予定なので、ぜひそちらもご覧ください。
そして何よりも、『ガリーボーイ』を未見の方はぜひご覧いただきたい。
いとうせいこう氏監修による字幕もジャパンプレミア上映時から大幅にパワーアップしているという話。

すでにこのブログでも何度も書いてきたとおり、『ガリーボーイ』は普遍的な魅力を持つ音楽映画、青春映画であると同時に、格差や伝統的価値観のなかで、夢や自由を追い求める若者の苦闘と葛藤の物語でもある。
そしてインド社会の抑圧された人々に、ヒップホップという希望の灯がともされた瞬間の記録としても、まさに歴史に残る映画と言えるだろう。
『ガリーボーイ』の続編の構想を知らせる報道もあったが、この映画によって注目を集めるようになったインドじゅうのガリーラッパーたちの活躍や、彼らによってさらに若い世代がヒップホップに希望を見出してゆくインドのヒップホップシーンの現状そのものが、この映画の続編なのである。

90分のイベントで話した内容と、伝えきれなかった内容をお届けしたが、インドのヒップホップで紹介したい曲やエピソードはまだまだたくさんあり、映画がヒットしたらぜひ第2弾のイベントがやってみたい!

お越しいただいた方、YouTubeのストリーミングでご覧いただいた方、そしてこのブログを読んでいただいた方、ありがとうございました!


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2019年06月01日

インドならではのGully Cricket Rap!そして日本ではなくインドで生まれたJ-Trapとは何か?


映画"Gully Boy"のヒットで、今やムンバイだけではなくインドを代表するラッパーとなったDivine.
最近ではPumaの新しい広告に起用されて、"SockThem"という楽曲でラップを披露している。
(インド映画史、音楽史に残るヒップホップ映画"Gully Boy"についてはこちらから「映画"Gully Boy"のレビューと感想」)
 
クリケットはインド最大の人気スポーツで、スター選手は30億円以上の年収を手にする国民的ヒーロー。
そのクリケットのインド代表選手でもあるVirat Kohli、女子クリケット選手のSushma Vermらをフィーチャーした、インドならではのコマーシャルビデオだ(ちなみに東アジア系の顔立ちの男女は、北東部マニプル州出身の女子ボクシングのチャンピオンMary Komと、同州出身のサッカー選手Dheeraj Singh Moirangthem)。
国民的スポーツであるクリケットを、ヒップホップに代表されるストリートカルチャーにも通じる「クールなもの」として扱ったこのCMは、インドでもスポーツウェアをファッションのひとつとして定着させようというPumaの戦略の一環として作成されたものだ。
(関連記事:「インドの音楽シーンと企業文化! 酒とダンスとスニーカー、そしてデスメタルにG-Shock!」

ここで起用されたDivineは、ヒンディー語で「路地」を意味する'Gully'という言葉をインドの「ストリート」を象徴するものとしてヒップホップに導入した先駆者でもある。
大衆スポーツであるクリケットもまたあらゆる場所でプレイされており、路地のような広いスペースがない場所でも、ルールが簡略化された'Gully Cricket'なるものが楽しまれている(ヴァラナシのガンジス河のほとりの、火葬場のすぐ近くで子供達がクリケットに興じているのを見たときにはさすがに驚いた)。
つまり、この曲は、'Gully'というインドのストリート文化を象徴する言葉を軸にしてヒップホップとクリケットをつなげるという、非常にインド的かつ今日的なものになっているのだ。
"SockThem"というスペースのないタイトル表記も、ハッシュタグ文化や検索しやすさを意識した、とても今日的なものと言えるだろう。

"SockThem"のトラックを手がけているのは、Karan Kanchan.
ムンバイのヒップホップシーンで数多くのトラックを手がけている22歳の新進クリエイターだ。

代表的なところだと、"Gully Boy"の主人公のモデルになったNaezyが2017年にリリースした"Aane De"のトラックは彼によるもの。
当時若干20歳!
ムンバイのヒップホップシーンが若い才能によって活気づいていることが分かる。

Karan Kanchanの名前を最初に知ったのは、インドの媒体で彼がJ-Trapアーティストとして紹介されていたのを読んだ時だった。
Trapというのは、ヒップホップから派生した、あの重低音を強調した音楽ジャンルのトラップのことである。
では、接頭語の'J'は何なのかというと、驚くべきことに、それはJ-Popなどと同様に、日本、つまりJapanを表す'J'なのである。
調べてみたが、J-Trapなるジャンルは、日本国内には今のところ存在していないようだ。
いったいどういうことなのかというと、どうやら彼は、琴や三味線といった日本古来の楽器とトラップを融合して、J-Trapという全く新しいジャンルをインドで編み出したてしまったようなのだ。


インドのアーティストが、古典音楽と現代音楽を躊躇なく融合させているという話を先日書いたばかりだが、まさかインド人が日本の伝統音楽とトラップまで融合させているとは思わなかった。
さっそくそのサウンドを聴いてみよう。
"Kawaii Killer".
 
アタック感が強くてサステインの少ない三味線の音色が意外とトラップサウンドに合っている!

この"Torii"は、マンガやゲームなどのジャパニーズカルチャーの影響を受けたベトナム人トラップアーティストのTrickazが運営する'Otodayo Rocords'からリリースされた楽曲。
Karanによると、日本の戦争映画の音楽に影響を受けたとのことだが、完全にオリジナルな個性を持つサウンドに仕上がっている。



琴や三味線の音が入ると、結果的に「謎の村雨城」みたいな昔のゲームのBGMを思い出させる雰囲気もあって、それがまた面白い。(歳がバレますが)

日本カラーが少ない曲はこんな感じ。 

以前、謎のジャンル「ターバン・トラップ」のアーティストとして紹介したGurbaxの楽曲のリミックスも。

ターバン・トラップとJ-トラップ、トラップミュージック界の日印タッグ結成!(どちらもインド人だけど)

ここ数年、世界中のアンダーグラウンド・シーンでオタクカルチャーとクラブミュージックの融合が進んでいて、ハードコアテクノから派生した日本のナードコアやヒップホップから派生したアメリカのナードコア、スムースなトラックに日本のアニメの映像を取り入れたローファイ・ビーツ/チルホップなど、様々なジャンルが誕生している。
このKaran KanchanのJ-Trapもその新しい一例として見ることができるだろう。
(参考:「日本とインドのアーティストによる驚愕のコラボレーション "Mystic Jounetsu"って何だ?」
(参考サイト:面白外人イアンの謎の文化チガイ 第51回「入門ナードコア」

その究極とも言えるトラックが、日本在住のアメリカ人Youtuber(現在ではすでに離日しているようだ)Nathalia Natchanとのコラボレーションであるこの"Trap Bandit".

カンちゃんとなっちゃんによるこの楽曲は、外国人によって作られた全く新しい「ジャパニーズ・ミュージック」だ。

こういう作品を聴くと、日本文化はもはや日本人だけのものではないことを改めて感じる。
かつて、イタリア人がマカロニ・ウエスタンを作り出し、日本人が数々の欧米文化を独自にアレンジしてきたように、日本文化も外からの目線で再構築される時代になったということなのだろう。
日本のリスナーにとって、これはかなり楽しいことである。
我々が知らない間に日本のカルチャーが、見たこともない「クールなもの」になっているというのは、最高にクールで面白いことではないか。


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2019年02月15日

日本とインドのアーティストによる驚愕のコラボレーション "Mystic Jounetsu"って何だ?

このブログではこれまでも日本のカルチャーの影響をうけたインドの音楽を紹介してきたが、ここに来てその究極とも言える楽曲がリリースされた。

ムンバイを拠点に活動するラッパーIbexが、現地でインドの伝統舞踊カタックのダンサーとして活躍するHiroko Sarah(この曲ではコーラスを担当)とコラボレーションし、ビートメーカーのKushmirがトラックを作った曲の名前は"Mystic Jounetsu(ミスティック情熱)"!!

以前からこのプロジェクトについて、日印の文化が融合したものになると聞いてはいたのだが、まさかこう来るとは!
様々な言語のラッパーが活躍するインドで、ここまで本格的に日本語でラップしたのはIbexが初めてではないだろうか。
アゲアゲなトラックが多いインドのヒップホップシーンのなかで、この曲ではKushmirのチルホップ寄りのトラックにHirokoが歌うどことなく和風なメロディーがきれいにはまっている。

リリックはこちら(https://genius.com/Ibex-mystic-jounetsu-lyrics-lyrics)からご覧いただけるが、なんといきなり故Nujabes(チルホップの創始者とされる日本のアーティスト)への追悼から始まる。
お聴きの通り日本語の単語がほとんど全てのラインに入っていて、Ibexの日本のカルチャーへの愛着が感じられるものになっているので、聴くだけではなく、ぜひ読んでみてほしい。

さっそくIbex, Hiroko, Kushmirの3人にインタビューを申し込み、この曲が生み出された背景やインドのヒップホップシーン、そしてインドにおける日本文化についてたっぷり語ってもらった。
今回はその様子をお届けします。
読み応えあり!



凡平「このプロジェクトを始めたきっかけを教えてください。そもそも誰の発案だったのでしょうか?」

Ibex「俺は基本的にはラッパーだけど、ミキサーもやっているんだ。
あるときクライアントの一人がチルホップのビートにあわせてレコーディングしていて、それがきっかけでチルホップというジャンルに興味を持った。
そこから掘り下げて聞いているうちに、チルホップのパイオニアの今は亡きNujabesサンを見つけたんだ。
俺は大のアニメファンでもあって『サムライ・チャンプルー』を見ていたんだけど、あとになってこのアニメの曲は全部Nujabesサンがやっていたって気がついたよ。
ラッパーにとってチルホップのビートに合わせて曲を作るのは本当にクールなこと。
このジャンルは日本で生まれたわけだし、日本の要素を入れることでこの曲をさらなるレベルに高められると思ったんだ」

チルホップ(Chill-hop)やローファイ・ヒップホップ(Lo-Fi Hiphop/Lo-Fi Beats)と呼ばれるジャンルはここ数年世界的なブームになっていて、興味深いことに世界中のこのジャンルのトラックメイカーたちが、ヴィジュアルイメージに日本のアニメを取り入れている。
(例えばこんな感じ。このジャンルについてはこの記事に詳しい。beipana: Lo-Fi Hip Hopはどうやって拡大したか

もともと典型的なバッドボーイ文化だったヒップホップと、オタク・カルチャーであるアニメがこんなふうに結びつくというのは非常に面白い現象だ。
Beipanaの記事にも、アニメ『サムライ・チャンプルー』がこの2つを結びつけたきっかけのひとつだと書かれているが、このIbexの回答はそれを裏付けるものだ。


凡平「3人はどうやって出会ったんですか?HirokoとIbexが最初に知り合って、そのあとにこのトラックを作るためにKushmirを見つけた、と聞きましたが…」

Hiroko「Ibexは昔からドラゴンボールやジブリのアニメとか、ゲーム、寿司や日本食、日本文化が大好きで、私が日本人だからということと、二人ともムンバイをベースにアーティスト活動と会社勤めをしているという状況が似ていたので、意気投合して、そのうち何かコラボで作品が作れたら良いねーと話していたんです。
そんななかで、Ibexが日本語ラップの作品を作りたいとアイディアを出して、私がそれに賛同してこのプロジェクトが始動しました。
私はIbexに日本語を教えたり、作詞を手伝ったり、そしてコーラスもすることになったんです」
 
Ibex「こういうジャンルはインドでは全く新しいものだったから、プロデュースしてくれるアーティストを探していたんだ。日本人のアーティストも探したよ。
そのときにKushmirのアルバムを聴いたんだ。それはアンビエントだったんだけど、まさに15分間の至福だった。
アンビエントとチルホップは近いジャンルだし、彼こそが俺たちの曲をプロデュースするのに最適だと感じた。そしたら彼もこのアイデアを気に入って、すぐにこのプロジェクトに入ってくれたんだ」

Hiroko「実は、『ミスティック情熱』は三年越しのプロジェクトなんですよ。
最初にIbexと私で日本語で歌詞を作って、Nujabesのビートにラップとコーラスを乗せたデモテープを作り、それをベースにしてビートメイカーを探しました。
インドではchillhopはメジャーではないので、ビートメイカーは海外か日本で探していたんですが、なかなか決まらなくて。そんな時にIbexのひらめきでKushmirに打診したら、快諾してくれて、ようやくビート制作が始動しました。
ビートが完成して、私が日本に一時帰国中に歌のレコーディングと日本のシーンの撮影を行ったんです。
そしてラップと歌を乗せてミックス・マスタリングした曲が完成し、ムンバイでのMV撮影を計画したんですが、DOPの人が忙しかったり、ムンバイの長いモンスーンシーズン(雨期)に入って撮影ができなかったりで、延び延びになってしまって。その後数ヶ月して、ようやく撮影が完了し、映像編集へ入れました。
しかし、またまた依頼していたエディターが忙しくて進まず、結局Ibex自身が映像編集をすることに決めたんです。
会社の仕事や次の音楽プロジェクトと並行しての映像編集はかなり大変だったと思いますが、Ibexは諦めず、頑張ってベストな作品を作ってくれました。
映像編集をするときには、元ウェブデザイナー、グラフィックデザイナーでもある私がカラーコレクションのアドバイスをしました」


ここで少し補足すると、映画音楽や伝統音楽以外の音楽シーンがまだまだ発展途上のインドでは、音楽だけで生計を立てているミュージシャンというのは本当に少ない。
ほとんどのミュージシャンが、昼は別の仕事をしながら、限られた時間を音楽制作に充てているという現実がある。
インドでは映画音楽などの商業音楽でない限り、「音楽で食べてゆく」というのは極めて難しい。
難しいというよりも、「インディーミュージシャンからプロになる」という道筋が、いまだにきちんと整備されていないのが現状なのだ。
日本に例えると、バンドブーム以前の状況を思い出してもらえれば少し近いかもしれない。
ストリートラッパーのDivineやNaezyの半生をモデルに"Gully Boy"という映画がとても話題になっているが、これは逆説的に音楽で成り上がることが本当に珍しいということの証でもある。
音楽制作が必ずしも成功というゴールに繋がっていない中で、これだけの時間と労力をかけて音楽を作ってゆくインドのミュージシャンたちの情熱には感服するしかない。

楽曲だけでなくミュージックビデオにおいても、イメージの決定、撮影場所の選定、画面の構図、衣装、編集など全てをHirokoとIbexが行ったという。

Hiroko「そんなこだわりに対して、協力してくださった皆様には本当に感謝しています。
また、日本の伝統文化を紹介するために、インド ムンバイにある日本山妙法寺の森田上人、ムンバイ剣道部の皆様にもご協力いただきました。
お陰様でとてもクールな映像を撮ることができたと思います。
今回のMVには神社やお寺のシーンも出てきますが、どの場所でもまず最初にきちんとお参りしてから、撮影をしたんです。私の神仏への礼儀、こだわりですね(笑)」

日本で撮ったように見えるIbexのシーンが全てインドで撮られていると聞いてびっくり。
ちなみにビデオの最初にABBAのレコードが出てくるが、ABBAがサンプリングされているわけではなく、この曲のためにシーケンスを組んだビートが使われている。

凡平「IbexとKushmirに聞きたいのですが、いつ、どんなふうにヒップホップと出会ったんですか?影響を受けたアーティストや、どうやってパフォーマーになったかを教えてください」

Ibex「学校に通っていた1998年頃に、Eminemで最初にヒップホップに触れたんだ。自分にとって最初に覚えたラップの曲はLinkin Parkの"The End"だよ。
最初に聴いたのはEminemだけど、影響を受けたのはSean PaulとかDamian Marleyだな。俺の曲はジャンル的にはダンスホールだから。
たくさんのローカル・ギグをクラブでやるようになって、そのまま止まらずにここまで来たって感じだよ。俺たちは情熱があるから、続けられているんだ」

ダンスホールスタイルのIbexの曲。こっちが本業ということらしい。


Kushmir「俺の場合はMTVでいろんなヒップホップのビデオを見ていたんだ。大学時代に友達がTupac Shakurのアルバムをくれて、それからだんだんこのジャンルにのめり込んでいった。
影響を受けたのはNotrious BIGとKanye Westだな。
Kanye WestがMPC(リズムマシン)でパフォーマンスしているのを見て、すごく影響を受けた。次の日には自分で買って来て、自分で音楽を作り始めたってわけ」


凡平「Ibexが日本語でラップしているのを聴いて驚きました。日本語のリリックはどうやって作ったんですか?」

Ibex「このことについては、リリックの名義は全部Hirokoサンにしないといけないな。翻訳サイトを使おうと思って検索もしてみたんだけど、彼女の手助けがなかったらちょうどいい言葉やセンテンスを見つけられなかったよ。
彼女のおかげで日本語のリリックがずいぶんスムースに進んだんだ。Hirokoサンにアリガトウ、だよ」

Hiroko「日本語ラップ部分は、Ibexが英語で歌詞を書いてそれを私が日本語に訳したり、Ibexから指定された言葉と韻をふめる日本語の単語を私が調べて送ったりして作りました。
私の歌パートの歌詞も、Ibexが英語でイメージした文章を作って、それを私が日本語に訳しながら、こう変えたらどう?とアドバイスして変えていき、今回の歌詞になりました。
あと、レコーディング前にIbexに日本語の発音の特訓をしたんです。かなりスパルタに(笑)
スパルタレッスンの甲斐あって、Ibexの日本語ラップはかなりスムースなflowに仕上がったと思います。
Ibexはもともと英語・ヒンディーでのラップは上手くてスムースなフロウなのですが、日本語ラップは初めてだったので、レコーディング前にたくさん練習したと思います。
私の声で日本語ラップ部分をモバイルで録音して、そのデータを発音の参考としてIbexに送ったり。
私はラップはできないんですけどね(笑)」


凡平「リリックは日本語と英語のミックスということで、一般的なインド人や英語圏のリスナーには意味が伝わりにくいと思うのですが、そこは雰囲気や響きを重視したということですか?
インドだと、いろんな言語のラップや音楽があるので、言葉の一部がわからなくても雰囲気や響きで楽しめる、みたいなこともあるのかなあ、と思ったのですが」

Ibex「うん。俺は最初は日本だけをターゲットにしようとしたんだけど、この曲が英語と日本語のミックスになったことで、世界中にいる多くのチルホップのリスナーにより届けやすくなったと気づいたんだ。
インドのリスナーに関してはラウドでアップビートなボリウッドの曲のようには楽しんでくれないかも、とも思っていた。
でもリリースしてみたら、インド人の友達やファンもみんなこの曲をとても気に入ってくれて驚いたよ。
大勢の人からリリックの訳について聴かれたけど、Youtubeの英語翻訳つきの字幕とかで解決する問題さ。
リスナーがリリックの意味を理解できなくても、雰囲気やサウンドを重視して聴いたりするだろ?
理想を言えば、俺はみんなに最初は楽曲と映像を楽しんでもらって、次に歌詞に注目してほしい。Youtubeを字幕付きで見るとかしてね。
genius.comで歌詞を読むこともできるよ。
テレビやパーティーやYoutubeで海外の曲を楽しむことも多いと思うけど、例えば有名なスペイン語の曲の"Taki Taki"は、意味はわからなくても世界中のたくさんの国でヒットして楽しまれているだろ。
インドにはいろんな言語の音楽やラップがある。だから部分的に言葉がわからなくても、雰囲気やサウンドを楽しむことができると思うんだ。
インドは多様性があって、全ての州にそれぞれのスタイルの伝統音楽や文化がある。
インドはこんなふうに多様性に富んだ国だから、あらゆる形式の音楽や文化を受け入れて楽しむことができるんだ。たとえそれが海外のものでもね。
日本は俺を含めて多くのインド人にとって憧れの場所だよ。音楽もとても進んでいるし。
サウンド、音楽性、ビジュアルの要素がうまくいっていれば、言葉がわからなくても曲は楽しめると思うんだ」

Hiroko「私達日本人がヒンディー語映画の歌を意味がわからなくても楽しめるように、海外のリスナーも日本語の意味がわからなくても、音楽や雰囲気が良ければ楽しんでもらえるのではないかと考えました。
ただ、インドでは英語ラップよりヒンディー語ラップがより好まれる傾向にありますね。
IbexもDIVINEと同様クリスチャンで、母語は英語ですが、ヒンディー語でのラップ作品も制作しています」
  
Ibexの「インドのリスナーに関してはラウドでアップビートなボリウッドの曲のようには楽しんでくれないかも」という心配は、インドの音楽シーンでは派手なボリウッド映画のミュージカルナンバーが主流で、こうしたサウンドのヒップホップはまだまだアンダーグラウンドなものだということを意味している。
今度はインドのヒップホップシーンの現状について聞いてみた。


凡平「インドのヒップホップはどんどん成長して来ているようだけど、それについてどう思います?」

Ibex「その通りだね。2008年ごろからヒップホップシーンにいるけど、その頃は全然シーンは大きくなかった。アンダーグラウンドラップは、みんなが集まるパーティーで聴いて楽しむような音楽だとは思われていないんだけど、商業的な映画のGully Boyが公開されて、今まさにそれが変わろうとしているところなんだ。
インドのアンダーグラウンドなヒップホップやラップも、レストランやクラブや結婚パーティーでプレイされるようになってきた。
インド中に広く知れ渡って、受け入れられて来ているところだよ」

Kushmir「今はインドのアンダーグラウンド・ヒップホップシーンの黄金時代だね。アンダーグラウンドのヒップホップアーティストにとって、才能を見せつけるいい機会だよ」


ここでいう「アンダーグラウンド・ラップ」は、ボリウッド的なラップミュージック(例えばYo Yo Honey Singhとか)に対比して言われているものだ。
日本でいうと、DA PUMPのような音楽と、漢とかKOHHがやっているヒップホップの違いを想像してみると近いかもしれない。


凡平「インドのレゲエ・シーンはどうですか?Ibexはダンスホールに合わせてラップしたりもしていますよね。Reggae RajahsとかSka Vengers以外でオススメのアーティストがいたら教えてください」

Ibex「Reggae RajahsとSka Vengersはインドじゅうにレゲエやダンスホールを行き渡らせたパイオニアだね。
Reggae RajahsのメンバーのGeneral Zoozがムンバイでダンスホールを流行らせた中心人物だよ。
DJ Bob Omuloもレゲエでラップしたり歌ったりしている。彼はヒップホップアーティストとしてのほうが有名ではあるけど。
レゲエ/ダンスホールならDJ Major Cがトップ・セレクタ(註:レゲエにおけるDJ)だね。
King Jassimも注目すべきレゲエアーティストだ。
Apache Indianは今や国際的なスターだけど、運が良ければムンバイのClub Raastaで彼のライブが見られるよ」


凡平「『Mystic Jounetsu』はチルホップということですが、インドでも最近Smokey The GhostとかTienasとかTre EssとかEnkoreみたいに、チルホップ/ローファイ・ヒップホップっぽいトラックを作るアーティストが増えて来ているように感じます。インドのヒップホップシーンのトレンドはどんな感じですか?」

Ibex「うん。今名前を挙げたようなアーティストは俺たちがいるアンダーグラウンド・ヒップホップシーンに属している。チルホップやローファイは、次にインドじゅうで流行するものになるかもしれないね。(註:今はまだ流行っていないということだろう)
俺たちインドのアンダーグラウンド・シーンは、もともと英語でラップを始めたんだけど、今の流行はヒンディー・ラップだ。ヒンディーはインドじゅうで話されている主要言語だから、そのほうがより理解してもらえて、受け入れてもらえるんだ。
英語や他の言語のラップがインドで流行するにはまだ時間がかかるかもしれないけど、英語や他の外国語のラップや音楽がインドじゅうで受け入れられる日が来ると思うよ。俺たちは好きなこと、情熱を注げることをやり続けるよ」

Kushmir「チルホップやローファイはまだまだニッチなリスナーのものだな。でも世界中で少しずつ成長して来ているよ」

ちなみに二人にインドでおすすめのラッパーを聞いたところ、Emiway, Seedhe Maut, Enkoreの名前が挙がった。


凡平「ここで少し話題を変えて、IbexやKushmirも日本の文化(アニメやゲーム)が好きだと聞きました。
インドにも日本の文化の影響を受けているミュージシャンはいるようですが(エレクトロニカのKomorebiや、ロックバンドのKrakenなど)、日本文化ってインドでも存在感、あるんでしょうか?」

Ibex「ああ。日本に関するものをずっと楽しんできたよ。とくにビデオゲームを小さい頃から日本のものだとは気づかずにずっと楽しんできたんだ。
例えばカプコンの『ストリートファイター』とか、Neo Geoの『キング・オブ・ファイターズ』とか、ニンテンドーのファミコンの8-bitゲームとか。
日本のカルチャーに影響を受けているうちに、アニメや映画の音楽も楽しむようになったんだ。
まだまだニッチではあるけど、もし日本文化が好きなら、インドでも見つけたり体験したりできるようになってきたよ。
ありがたいことに、ムンバイでは日本にいるみたいな気分になれる場所がたくさんある。レストランとか、クールジャパンフェスティバルとか、コスプレ、アニメや映画、カフェ、日本映画のフェスティバルとかね」

Kushmir「俺もビデオゲームやアニメを見て育ってきたから、それらは俺の人生の大きな部分を占めているよ。とくに『鋼の錬金術師』だな。見てると涙が出てくるよ。あとは『デスノート』。ビデオゲームだと『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』と『ストリート・ファイター』だな。日本文化に影響を受けているインド人ミュージシャンは多いよ。
ドラゴンボールのフィギュアのコレクションも持ってる」

『Mystic Jounetsu』のミュージックビデオ(3:09頃)にも出てきたスーパーサイヤ人の悟空のフィギュアもKushmirのものだそうで、ビデオの中の折り鶴はIbexとHirokoが折ったものだとのこと。

Hiroko「日本人目線で見ても、インドの人達は日本人に対してとても友好的で、特にムンバイは私にとって居心地が良い場所です。
日本の文化や日本のテクノロジーはインドでも評価が高くて、日本人は親切で礼儀正しいというイメージが浸透していますね。
ムンバイとデリーで不定期に開催される『クールジャパンフェスティバル』では、たくさんのインド人アニメファンやコスプレイヤーが集まって盛り上がっています」

おお、これはナガランドのコスプレファンたちが行きたがっていたイベントのことだ。
離れてはいても同じアジアという親近感があるのだろうか。たとえまだニッチな存在だとしても、アメリカやイギリスと比べて、日本文化に影響を受けたアーティストの割合は確実に多いような印象を受ける。 

Hirokoがデザインしたジャケットは、サムライチャンプルーの決めポーズから取ったもの。
mysticjounetsu
彼女が触媒になって、ヒップホップ、アニメ、日本文化がチルホップという象徴的な形でインドで結晶したというわけだ。
だが彼らの間での日印の文化的影響は、一方向だけのものではない。
IbexとKushmirが日本文化に影響を受けているのと同様に、Hirokoもまた豊かなインド文化から、大きな影響を受けている。

凡平「Hirokoさんはもともとダンサーですが、この曲ではすごくきれいなコーラスを聴かせてくれていますね」

Hiroko「
ありがとうございます。
シンガーとしてオフィシャルな作品に参加したのは今回が初めてなんですが、実は5才から10年間ピアノと声楽を学んでいたんです。
子供の頃から歌や踊りや演技が大好きで、ずっと何らかのステージに立ってました。
子供〜学生時代はチアガールをやったり、ピアノと声楽以外にも演劇で舞台に立ったり、合唱部に所属してコンクールに出場したり。
大人になってからは、毎週末クラブ通いをして音楽と踊りを楽しんでました。
日本でベリーダンスを習ったのちにインドでボリウッドダンス、ラジャスターニダンスや古典舞踊のカタックを学び、ステージで踊っています。
今はインドで古典舞踊カタックをメインに踊っていて、時には『ラーマーヤナ』のダンスドラマ内でヒンディー語の台詞で演技をしたり、時々インドのTV CMに演技や踊りで出演したりしています」

なんだかもうすごいバイタリティーだ。
Hirokoさんのこれまでの人生とダンス遍歴は、日経WOMANのこの記事に詳しい。(日経WOMAN「趣味だったインドのダンス 40歳で現地のCM出演へ」) 
クラブ通い時代は
筋金入りのクラバーで、有名DJの友人も多いと伺った。
舞台に立つのが大好きな女の子が大人になってクラバーになり、やがてインドで古典舞踊のダンサーになって現地のラッパーと曲をリリースするようになるって、なんて面白い人生なんだろう。


凡平「古典舞踊とは別にインドのクラブでパフォーマンスをされたりしているようですが、ムンバイのクラブでオススメのところがあったら教えてください」 

Hiroko「Raasta Bombayがオススメですね。
ムンバイには色々なナイトクラブやバーがありますが、ボリウッドやトランスのDJイベントが多いなか、Raastaはボリウッド音楽禁止(笑)で、純粋にクラブミュージックを楽しみたい人が集まる場所です。
レゲエやヒップホップの定例イベントや、Apache Indianのようなスペシャルゲスト出演のイベントなどが開催されています」

Raasta BombayでのHiroko&Ibexの共演したときの映像を教えてもらった。
 

Ibex「ああ。クラブでもやっているよ。もしレゲエやダンスホールが好きなら、ムンバイならRaastaを強くすすめるよ。ヒップホップなら、たくさんあるけど、Hard Rock CafeかBlue Frog, I-Bar, Social Offline, 3-Wise Monkeysかな」

Kushmir「俺はヒップホップとかエレクトロニックミュージックが好きなんだけど、今じゃムンバイにはいろんなタイプのジャンルを楽しめる場所がたくさんあるよ。でも俺が好きなのはThe Denだな。水曜にプレイされるエレクトロニック・ミュージックが素晴らしいよ」


凡平「このメンバーで、ライブをしたり新作を作ったりする予定はありますか?」

Ibex「ああ、この曲をライブでもやってみたいと思ってる。ショーが決まったら連絡するよ。このミスティック情熱チームでもっとたくさんのコラボレーションもしてみたいね」

Hiroko「次はIbexとラップとタブラとカタックダンスのコラボレーションを考えているんです。それか、IbexのラップとKushmirのビートと私のコーラスに、三味線みたいな日本の楽器を入れてみるとか。
ライブについては、実は、MVを観てくださった日本のイベント・音楽関係の方からインドで開催されるクールジャパン的なイベントやDJイベントでのパフォーマンスオファーをいただいたんですよ。とても有り難いお話です。
そのうち日本でも、Ibex feat. Hirokoでパフォーマンスができたら良いなぁと思います。
日本のオーガナイザーさん、是非呼んでください!笑


曲名同様に、音楽やパフォーマンスにかける情熱と、日本文化への愛情が強く印象に残ったインタビューだった。
以前Tre Essを取り上げた時にも思ったことだが、こういう突然変異的な面白いサウンドが出てくることにインドのアンダーグラウンドシーンの自由さや懐の深さをしみじみと感じた。
発展途上のシーンだからこその情熱と自由さがあるように思えるのだ。

日本とインドの音楽をシーンをつなぐきっかけにもなりそうなこの一曲。
Gully Boyの公開という追い風もある中で、この異彩を放つ楽曲がインドでどう受け入れられるかもとっても気になる。
日本でのパフォーマンスもぜひとも実現してほしい。
インドのアンダーグラウンドな音楽が、少しずつ、我々の身近な存在になってきているのを感じる。
さらなるコラボレーションも期待して待ちたい。

この楽曲を聴いたり購入したりは、こちらから!
https://linkco.re/BYyN6ZcD

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goshimasayama18 at 21:28|PermalinkComments(0)