ジャズ

2021年06月29日

デリーの渋谷系ポップとインディアン・フォークトロニカの話 Peter Cat Recording Co.のフロントマン Suryakant Sawhney a.k.a. Lifafa



peter-cat
Peter Cat Recording Co.(以下PCRC)は、2009年にヴォーカル/ギターのSuryakant Sawhneyを中心に結成されたバンドだ。
どこか懐かしさを感じさせる彼らのサウンドからは、ジャズ、サイケ、ソウル、ディスコ、ジプシー音楽など、多岐にわたる音楽の影響が感じられる。
彼らは2018年にはパリのレーベルPanacheと契約しており、インドのインディー・アーティストのなかでは、世界的にもそのセンスが評価されているバンドのひとつである。



この"Floated By"と"Where the Money Flows"は、バカラック・マナーのノスタルジックなバラード。



かと思えば、この"Memory Box"はクラシックなディスコ・サウンドだ。
(曲は32秒頃からリズムイン。それにしても8分を超える楽曲は長すぎるけど)

この3曲はいずれも2019年に発表されたアルバム"Bismillah"の収録曲で、このアルバムはRolling Stone Indiaによる年間ベストアルバムのひとつに選出されるなど、高い評価を得た。

もう少し前の時代の彼らの音楽性も興味深い。

この"Portrait of a Time"はオールディーズ・ジャズを思わせる曲だし…


"Love Demons"のように、独特のサイケデリック感覚をたたえた楽曲もある。
このギターのチューニングのゆらぎっぷり!(狂っているとはあえて言わない)

お聴きいただいて分かる通り、彼らのサウンドは、往年のポピュラーミュージックを現代的なセンスで再構築したもので、そこには、物質的には豊かだが退屈な日常への諦念や、その虚無感への対抗手段としての遊び心が存在している。
こうしたスタイルや精神は、日本のインディー音楽史で言えば、「渋谷系」的なアプローチと呼ぶことができるだろう。(音楽性に反して、ビジュアル面では毎回かなり濃いインド色を出しているのが面白い)

それでは、PCRCの中心人物Suryakant Sawhneyという人物は、例えば大滝詠一的なポップミュージック職人なのかというと、ことはそんなに単純ではない。
Suryakantは、自身のソロプロジェクトである'Lifafa'名義で、PCRCとは全く異なる、なんとも形容し難い音楽を発表しているのだ。

2019年にリリースしたファーストアルバムの"Jaago"の冒頭を飾るタイトルチューンでは、宗教音楽を思わせるハルモニウムとヒンディー語のヴォーカルから始まる。
だが、長いイントロが終わると、インド的なサウンドがループされ、有機的ながらも独特なグルーヴが形成されてゆく。

同アルバム収録のNikammaも、インド的な音色のビートの上を漂う気怠げなヒンディー語のヴォーカルが印象的だ。
これはいったい、新しい音楽なのか、懐かしい音楽なのか。
デジタルに反復するビートと、ローカル色の濃い音色とヒンディー語の響き。
あえてLifafaのジャンルに名前をつけるとしたら、「インディアン・フォークトロニカ」ということになるだろうか。

つい先日、Suryakantはコロナ禍のなかLifafa名義のセカンドアルバム"Superpower 2020"をリリース。
あいかわらずインドっぽい要素と現代的な要素が混在した、独特の音楽世界を表現している。


Suryakant曰く、PCRCがギターで作曲したヨーロッパ音楽なのに対して、Lifafaはコンピューターで作曲したヒンディー・オリエンテッドな電子音楽で、さらには政治的・社会的なテーマも扱っているとのこと。
ある記事によると、Lifafaのトラックはボリウッドのクラシックな音源をサンプリングして作られたものだという。
PCRCで欧米のポップミュージックを再構築したように、彼はインドの過去の音楽遺産を再構築して、現代に通じるアートを作ろうとしているのだろうか。


PCRCの中心人物にしてLifafaの張本人であるSuryakant Sawhneyは、そのサウンド同様に、なんとも不思議な経歴の持ち主だ。
船乗りの父を持つ彼は、子供時代の大部分を、地中海を航行する商用船の上で過ごしたという。
父はディーン・マーティンのような古風なポップスのファン、母はヒンドゥーの賛美歌バジャンの歌手だったというから、彼の音楽に見られるヨーロッパ的憂愁や、洋楽ポップスとインドの伝統音楽の影響といった要素は、幼い時期に全て揃っていたのだ。

Suryakantが10代の頃に父が亡くなり、彼は母と共にデリー近郊のグルガオンで暮らすこととなった。
音楽的に恵まれた環境に育ったとはいえ、彼は最初からミュージシャンを目指していたわけではなく、その頃の彼の興味は映像製作の分野に向いていた。
父を亡くしてもなお彼の家庭は裕福だったようで、大学時代は米サンフランシスコに留学し、アニメーションを学んだ。
だが、資金面から映画制作を断念した彼は、次なる表現の手段として、インドに帰国してPeter Cat Recording Co.を結成する。



海外経験のあるアーティストが欧米の音楽ジャンルをインドに導入し、国内のシーンの第一人者になるという現象は、インドでは珍しくない。(例えばレゲエ/スカのSka Vengers, ドリームポップのEasy Wanderlings, シンガーソングライターのSanjeeta Bhattacharya, トラップのSu Realなど)
だが、PCRCにしろLifafaにしろ、Suryakantの音楽に対するアプローチは、単に海外の音楽ジャンルの導入にとどまらないセンスを感じる。
そのスタイルの向こう側に、お手本となったジャンルの模倣に留まらないオリジナリティと精神性が感じられるのだ。



欧米のポピュラー音楽の伝統を踏まえたクールネスと、インドならではのサウンドが、Suryakantという触媒を通して、様々な形象で溢れ出している。
決してメインストリームで聴かれる音楽ではないかもしれないが、彼の音楽がもっと様々な場面で評価されるようになることを願ってやまない。

例えば、PCRCが落ち着いた喫茶店で流れていたり、Lifafaがチャイとインドスイーツが美味しいカフェで流れていたりしたら、すごくハマると思うのだけど。



参考サイト:
https://www.platform-mag.com/music/lifafa-aka-suryakant-sawhney.html

https://www.thestrandmagazine.com/single-post/2020/09/25/in-conversation-suryakant-sawhney-doesnt-fit-in-a-box

https://www.rediff.com/getahead/report/have-you-heard-suryakant-sawhney-sing/20200311.htm





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goshimasayama18 at 21:46|PermalinkComments(0)

2019年08月19日

Sarathy Korwarの"More Arriving"はとんでもない傑作なのかもしれない

イギリス在住のタブラプレイヤー/ジャズパーカッショニストのSarathy Korwarのセカンドアルバム"More Arriving"が素晴らしい。
すでに先日の記事でも、このアルバムからムンバイの先鋭的ヒップホップグループSwadesiが参加した楽曲"Mumbay"を紹介させてもらったが、改めてアルバム全体を聴いて、その強烈な内容に衝撃を受けた。

タイトルで、とんでもない作品「かもしれない」と書いたのは、内容に対する疑問ではない。
内容は文句なしに素晴らしいのだが、このジャンル不明の大傑作が、世界的にはニッチな存在となっている(世界中の南アジア系住民以外にはなかなか届かない)'Desi Music'の枠を超えた、現代ジャズの名盤として歴史に名を残す可能性があるのではないか、という気持ちを込めたものだ。
個人的には、この作品はKamasi Wahingtonあたりと同等の評価を受けるに値する内容のものだと考えている。

改めて、ここで"Mumbay"を紹介する。


アメリカで生まれ、インド(アーメダーバードとチェンナイ)で育ったSarathy Korwarは、10代からタブラの練習を始め、ほどなくコルトレーンらのスピリチュアル・ジャズにも興味を持つようになった。
その後もタブラの修行とジャズの追求を続け、進学のために移ったプネーでドラムを始めると、セッションミュージシャンとして音楽の道を目指すようになる。
その後、より本格的にタブラを追求するためにイギリスに渡り、SOAS(東洋アフリカ研究学院)のSanju Sahaiに師事。
ジャズミュージシャンとしてのキャリアも続け、2016年にクラブ・ミュージックの名門レーベルNinja Tuneからファーストアルバム"Day To Day"をリリースした。

彼の音楽性をごく簡単に説明すれば、「ジャズとインド古典音楽の融合」ということになるだろう。
これまでもジャズとインド音楽の融合は、東西のさまざまなアーティストが試みているが(例えばジョン・マクラフリンとザキール・フセインらによるプロジェクト'Shakti'や、ドキュメンタリー映画"Song of Lahore"にもなったパキスタンのSachal Jazz Ensembleなど)、いずれもが異なる音楽的要素を混合することによる、純粋な音響的な表現の追求にとどまるものだった。
つまり、実験的で純音楽的な試みではあっても、その時代の最先端のロックやヒップホップのような、同時代的なものではなかったということだ。
Sarathy Korwarのファースト・アルバムも、こうした枠のなかの作品のひとつとして捉えられるものだった。 
(もちろん、それでもここに挙げたアルバムが普遍的な音楽作品として十分に素晴らしいことは言うまでもない。また、それぞれのプロジェクトには社会的・時代的な必然性があったというのも事実だが、少なくとも同時代へのメッセージ性を強く持ったものではなかった)


ところが、The Leaf Label(これまでに、Four TetやAsa-Chang&巡礼の作品を取り扱っているヨークシャーのレーベル)からリリースされた彼のセカンドアルバム"More Arriving"は、こうした作品群とは全く違う次元のものだった。
Sarathyは、このアルバムに、SwadesiやPrabh Deepらの発展著しいインドのヒップホップ勢を参加させることで、インドの古典音楽とジャズという、「あまりにも様式として完成されてしまっているが故に、決して現代的にはなり得ない音楽ジャンル」に、極めて今日的な緊張感と魅力を付与することに成功した

このアルバムで、Sarathyは 2019年のセンスでジャズを解体再構築している。
いや、というよりも、むしろ2019年のセンスでジャズ本来の精神を解放しているといったほうが良いかもしれない。
つまり、都会の不穏さと快楽を音楽に閉じ込めるとともに、音そのもので、抑圧的な社会からの魂の自由を表現しているのだ。
それも、タブラプレイヤーでもあるインド系ジャズパーカッショニストだけができるやり方で。

とくに、冒頭の"Mumbay"から"Coolie"(デリーのラッパーPrabh Deepとレゲエシンガー&DJのDelhi Sultanateが参加)、そして"Bol"(アメリカ在住のカルナーティック・フュージョンのシンガーAditya Prakashと、インド系イギリス人でポエトリー・スラムのアーティストZia Ahmedが参加)に繋がる流れは素晴らしい。
"Bol"では、インドの伝統音楽が、ほぼそのままの形を保ちながら、すべて生音であるにもかかわらず、恐ろしいほど現代的に表現されている。
しかも、ここまでヘヴィに、緊張感を保ったままでだ。

"Bol"というタイトルは「発言」や「会話」という意味。
歌詞にもビデオにも、今日の英国社会での南アジア系住民へのステレオタイプな偏見に対する皮肉を含んだメッセージが込められている。
この動画は4分程度のシングル・バージョンだが、9分以上あるアルバム・バージョンはさらに素晴らしい。


アルバム全体もYoutubeで公開されているので、紹介しておく。
コンセプトや構成がしっかりしたアルバムなので、ぜひ通しで聴いてもらいたい。

"More Arriving"には、他にもムンバイのラッパーのTRAP POJU(a.k.a. Poetik Justis)やカルカッタの女性古典(ヒンドゥスターニー)シンガーのMirande, さらには在外インド人作家のDeepak Unnikrishnanなど、多彩なメンバーが参加している。

最後に、このアルバムへのSarathyのコメントやレーベルからの紹介文と、各メディアによる評価を紹介したい。

「このアルバムには、たくさんのラッパーや詩人などが参加していて、南アジアの様々な声をフィーチャーすることを目指しているんだ。それは単一のものではなく、ブラウン(南アジア系の人々)の多様なストーリーやナラティブによって成り立っているっていうことを強調しておくよ。"More Arriving"というタイトルは、人々の移動(ムーブメント)を表している。この言い回しは、恐怖や、望まざる競争、歓迎せざる気持ちなどがより多くやってくるという今日の状況を取り巻くものなんだ。」
(Sarathy Korwarのウェブサイトhttp://www.sarathykorwar.comより)

「我々は分断の時代を生きている。多文化主義(multiculturalism)は人種間の緊張と密接な関係があり、政治家は人々の耳に複雑なメッセージを届けることすらできないほどに無力だ。別な視点を持つべき時がやってきた。
このアルバムで、Sarahty Korwarは彼自身の鮮やかで多元的な表現を、世界に向けて撃ち放った。これは必ずしも調和(unity)のレコードではない。分断したイギリス社会でインド人として生きるKorwarの経験を率直に反映したものだ。イギリスとインドで2年半にわたってレコーディングされ、ムンバイとニューデリーの新しいラップシーンと、彼自身のインド古典音楽とジャズの楽器が取り入れられている。これは、対立から生まれた、対立の時代のためのレコードだ。」

(The Leaf Labelのウェブサイトhttp://www.theleaflabel.com/en/news/view/653/DMより)

「稀有な才能… 彼のリズムの激しさ、魅惑的なビジョンは、インドとジャズの融合の歴史に新しいスピンを加えた。★★★★★」(MOJO)

「絶対的な瞬間。民族的アイデンティティーを扱った、サイケデリックで、強烈なジャズのオデッセイ。素晴らしい。★★★★」(Guardian)

「2019年を定義するアルバムのうちのひとつ。Sarathyのニューアルバムはここ1年でもっともエキサイティングなもの…カゥワーリーからモダンジャズ、ムンバイ・ヒップホップ、インド古典音楽にいたるまでのワイルドな相乗効果だ。だがこれは、まさに今イギリスで起こっていることに関するレコードでもある」(Pete Paphides, Needle Mythology podcast)

「素晴らしい… アドレナリンに溢れ、パーカッションに導かれた、意識(consciousness)を高めるスリリングな冒険」(Electronic Music)

「アジア系ラッパーや詩人をフィーチャーしたインド音楽とジャズのスリリングな融合であり、いいかげんなステレオタイプや、東西文化のナラティブを変える必要性などのテーマに取り組んでいる。これは分断の時代のタイムリーなサウンドトラックだ」(Songlines)

「Korwarは、公民権を剥奪された人々の声という、ジャズの政治的でラディカルな歴史を取り入れ、それを現代イギリスにおけるインド人ディアスポラの体験に応用している」(The Vinyl Factory)

(以上、各媒体からのコメントは、The Leaf Labelのウェブサイトhttp://www.theleaflabel.com/en/news/view/653/DMから引用)


近年、独自の発展を続けてきた在外インド系アーティストと、急速に進化しているインド国内のアーティストの共演が盛んに行われているが、またしても、国境も、ジャンルも超えた名盤が誕生した。
"Sarathy Korwar"の"More Arriving"は、インド系ディアスポラとインド本国から誕生した、極めて普遍的かつ現代的な、もっと聴かれるべき、もっと評価されるべき作品だ。

インドの作品にしては珍しく、フィジカルでのリリース(CD、レコード)もされるようなので、ぜひ実際に手に取って聴いてみたいアルバムである。


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goshimasayama18 at 15:31|PermalinkComments(0)

2019年08月13日

ここ最近の面白い新曲を紹介!Karsh Kale feat. Komorebi, Aswekeepsearching, Swarthy Korwar feat. MC Mawaliほか

ここ最近、以前紹介したアーティストを中心に面白いリリースが相次いでいるので、今回はまとめて紹介してみます。

以前「インドのインディーズシーンの歴史的名曲レビュー」でも取り上げたタブラプレイヤー兼フュージョン・エレクトロニックの大御所Karsh Kaleは、日本のカルチャーの影響を受けた女性エレクトロニカアーティストKomorebiをフィーチャーした新曲をリリース。
Karsh Kale feat. Komorebi "Disappear" 
 
両方のアーティストの良さが活きた素晴らしい出来栄えの楽曲。
Komorebiはここ1〜2年でどんどん評価を上げており、ついにフュージョン音楽(ここで言うフュージョンはインド伝統音楽と現代音楽の融合のこと)のパイオニアの一人で、メインストリームの映画音楽でも活躍するKarsh Kaleに抜擢されるまでになった。
映像から音作りまで、非常にアーティスティックな彼女が今後どのような受け入れられ方をするのか、注目して見守りたい。

バンガロールを拠点に活躍するポストロックのAswekeepsearchingは、よりロック色の強い新曲"Rooh"(ウルドゥー語で「精神」という意味の単語か)をリリース。

今作では、ひとつ前のアルバム"Zia"で見られたエレクトロニックの要素は見られず、よりロック的な音作りの楽曲となっているが、演奏はともかくヴォーカルがLUNA SEAの河村隆一っぽく聴こえるところが好みが分かれそうだ。
彼らは新曲と同名のニューアルバムを準備中とのこと。
インドのポストロックシーンの代表格である彼らが、どんな新しいサウンドを届けてくれるのだろうか。


アメリカ出身のインド系女性シンガーMonica Dograは、フュージョンヒップホップ的な楽曲"Jungli Warrior"をリリース。

Divineらのガリー・ラップ以降、なんの変哲も無いインドの日常風景やそこらへんのオヤジをかっこよく撮るのが流行っているようだが、このビデオでもボート漕ぎのおっさんが非常にクールな質感で映されている。
オシャレで絵になるもののみを映すのではなく、日常を「リアルでかつクールなもの」として再定義するこの傾向は、かっこいいし面白いし個人的にも大好きだ。
タイトルはの"Jungli Warrior"は「ワイルドな戦士」といった意味。
余談だが英語でも日本語でも通じる"Jungle"はインド由来の言葉である。

在英インド系タブラ奏者/ジャズ・パーカッショニストのSarathy Korwarは、ムンバイのアンダーグラウンドヒップホップクルーSwadesiのMC Mawaliをフィーチャーした"Mumbay"をリリース。
 
ひたすらムンバイの街と人々を映した映像は、まさに日常をクール化する作風の具体例と言っていいだろう。
ムンバイの映像に合わせて、もろジャズなトラックに、ラップと呼ぶにはインド的過ぎるMawaliの語りが乗ると、まるでニューヨークあたりのように、不穏かつスタイリッシュに映るのが不思議だ。
冒頭に映画『ガリーボーイ』で有名になったフレーズ'Apna Time Aayega'がプリントされたTシャツや、ダラヴィのラッパーたちが少しだが映っている。
音楽的には変拍子が入ったノリにくいリズムが、不思議な緊張感を醸し出していて、大都会ムンバイの雰囲気が伝わってくるかのような楽曲に仕上がっている。

Sarathy Korwarは、2016年に名門Ninja Tuneから、デビュー・アルバム"Day to Day"をリリースしたアーティスト。
ジャズにインドに暮らすアフリカ系少数民族Siddi族の音楽を取り入れた音楽性がジャイルス・ピーターソンやフォー・テットにも高い評価を受け、その後はカマシ・ワシントンらのオープニング・アクトを務めるなどヨーロッパを中心に活躍している。
"Mumbay"は彼のセカンド・アルバム"More Arriving"からの楽曲。
Sarathyは「これまでにイギリスで考えられてきた典型的なインドのサウンドではなくて、本国とディアスポラ双方の2019年の新しい音楽のショーケースを見せたかったんだ」と述べている。
アルバムの他の楽曲にはデリーの大注目ラッパーPrabh Deepや闘争のレゲエ・アーティストDelhi Sultanateも参加している。
新しい世代の在外インド人系フュージョン・アーティストとして要注目だ。

この"Mumbay"という楽曲は、「ムンバイ(ボンベイ)という都市へのラブレターのようなもの」で、この街の二重性や相反する物語を表すもの」だそう。
https://www.vice.com/en_in/article/xwndb7/stream-sarathy-korwars-new-single-mumbay-ft-mc-mawali-of-swadesi) 
以前紹介したDIVINEの"Yeh Mera Bombay"とも似たテーマを扱っているようにも思える。

ちなみにムンバイの老舗ヒップホップクルー、Mumbai's Finestによると「ムンバイは名前で、ボンベイは感情だ。同じように聴こえるかもしれないけど、ボンベイには意味があるんだ(欠点もね)」(Mumbai is the name and Bombay is a feeling, It may sound the same, but Bombay is the meaning (demeaning)!)とのこと。

この街の文化的な豊かさやいびつさが、今後ますます素晴らしい作品を生むことになりそうだ。



今回紹介したアーティストを過去に取り上げた記事はこちらから。








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goshimasayama18 at 23:28|PermalinkComments(0)

2019年01月20日

バークリー出身の才媛が日本語で歌うオーガニックソウル! Sanjeeta Bhattacharya

その言語でないと表現することが難しい言葉というものがある。
例えば、インドの言葉で代表的なのはサンスクリット語の「シャンティ(Shanti)」。
これは平和・静寂・至福などを表す言葉で、ヨガの世界などで使われる。
ピースフルな状態を表すこの言葉は、あのマドンナも曲名にしたことがある。
日本語で代表的なのは、ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイが提唱したことでも有名な「Mottainai=もったいない」だろう。

今回紹介する曲のタイトルも、日本語でないと表現が難しい感覚と言っていいのだろうか。
インドの若手女性シンガー、Sanjeeta Bhattacharyaが先ごろ発表した曲のタイトルは、なんと"Natsukashii(懐かしい)"
 
ホーリーの粉、サイクルリクシャー、ブランコにシャボン玉。
タイトルの通り懐かしい雰囲気の映像に乗せて、過ぎ去った恋の思い出の甘さと苦さがポップに歌われる。
決して後悔しているわけでもあの頃に帰りたいわけでもないが、束の間、過去を思い返して思い出に浸る。
確かに「懐かしい」はノスタルジックとも違う日本語独特の表現なのかもしれない。

これまで、日本の文化に影響を受けたアーティスト(ロック編エレクトロニカ編)とか、日本語の名前を持つアーティストというのは紹介してきたけど、冒頭だけとはいえインドではほとんどの人が知らない日本語で歌うアーティストというのは珍しい。
しかも、サウンドは心地よいオーガニックソウルで、曲名以外これといって日本的なわけでもないし。
いったい彼女はどこで「懐かしい」という日本語を見つけたのだろうか。

Sanjeeta Bhattacharyaを語る上で、もうひとつ注目すべき点は、彼女がアメリカの名門音楽学校、バークリー音楽院の出身だということだ。
このブログでなんども書いてきたように、インドのインディーミュージックシーンは2000年代から急速な発展を遂げた。
映画音楽一辺倒だったインドにロックやダンスミュージックなどの新しい音楽を紹介したのは、欧米に暮らす在外インド人や、海外で青春時代を過ごした「帰国子女」たちだった。
今ではそこからさらに発展して、海外の名門音楽学校に留学したアーティストが帰国して活躍する時代を迎えたというわけだ。


インドのウェブサイトIndianwomenblog.orgに掲載されたインタビューによると、Sanjeethaはインドの多くのシンガー同様、幼少期からインドの古典音楽(ヒンドゥスターニー、カタック)を学んでいたそうだ。
バークリーでは世界中の音楽を学んだが、それでも彼女の音楽のルーツはインド古典だと語っている。
最近のオーガニックソウル調の曲からはあまり古典の要素は伺えないが、ヒンディーで歌った曲からは、そんな彼女のルーツが十分に感じられる。

古典音楽風の繊細な節回しとジャズ/ソウル的な抑揚が魅力的なこの曲は、トルコ系イギリス人の女性作家、Elif Shafaqの本'40 Rules of Love'にインスパイアされたもの。
曲のタイトル'Shams'はこの本に出てくるスーフィー(イスラーム神秘主義の行者)の名前で、歌の内容は「私に必要なのは師匠でも弟子でもなく、友であり仲間だ。ともに座ってみれば、私たちの内面には見た目以上に多くの調和があるはずだ」という、現代社会で深い意味を持つメッセージ。

バークリーでは、ジャズだけでなくバルカン音楽やフラメンコ、ラテン音楽など世界中の音楽を学んだという彼女がスペイン語で歌うこの曲は'Menos es mas'

インド人である彼女がスペイン語の歌い回しを見事にものにしているのを聴いて、フラメンコの担い手であるロマ(ジプシー)のルーツはインドのラージャスタン州のあたりに遡るということを、ふと思い出したりもした。

彼女が尊敬するミュージシャンとして挙げるのはエリス・レジーナとビリー・ホリデイ。
ブラジル音楽とジャズの、伝説的なシンガーだ。
ジャズとインド古典音楽は即興において似た部分があると話す彼女は、今までに触れたあらゆる文化や音楽の影響を、自分なりに咀嚼して表現している。
そのアンテナに、きっと日本語の「懐かしい」もひっかかったのだろう。
おそらくは、世界中からミュージシャンの卵が集まるバークリーで、日本人から耳にした言葉だったのではないだろうか。

ちなみにバークリーで学ぶインド人アーティストは多く、女性シンガーではパティ・スミスを連想させるグランジ系フォークロックのAlisha Batthや、日本で活動しているジャズ/ソウルシンガーのTea (Trupti)などが活躍している。
彼女たちもそれぞれ独特の世界観をもっている興味深いミュージシャンなので、いずれ紹介したいと思います。

それでは!



(追記)
彼女が2020年10月にリリースした"Red"では、なんとラップを披露!
ミュージックビデオもこれまでのナチュラルなイメージからぐっと変わって、妖艶な雰囲気を感じさせるものになっている。
しかもマダガスカルのシンガーNiu Razaとの共演という話題もあり、この曲はRolling Stone Indiaが選ぶ2020年のベストミュージックビデオの1位に輝いた。



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2018年08月29日

フュージョン音楽界の新星! Pakshee

「フュージョン」といえば、前世紀頃の日本では、ジャズとロックの融合的な音楽ジャンルを指していたものだが、インド音楽で「フュージョン」という場合、それは「古典と現代」が融合した音楽ジャンルのことを指す。

今回紹介するデリーのバンド、Paksheeは、北インドのヒンドゥスターニーと南インドのカルナーティックという異なるスタイルの古典声楽をベースに持つふたりのヴォーカリストと、ソウル、ファンク、ジャズの要素の強いバンドメンバーとの絶妙のアンサンブルを聴かせてくれるインド・フュージョンロック界の新星だ。
まだスタジオ音源のリリースは2曲に過ぎないが、そのサウンドからは限りない可能性を感じさせてくれる。

まずは、彼らのデビュー曲、"Raah Piya" を紹介しよう。
Rolling Stone India誌が選んだ2017年のインドのミュージックビデオ・ベスト10の第5位にランクインしたビデオでもある。

タイトなリズムに浮遊感のあるヴォーカルが心地良い。
古典風に歌ってたと思ったら、ジャジーなピアノソロに続いてラップが入ってぐっと曲調が変わり、さらに最後のヴァースでヴォーカリスト2人がメインのパートとインプロヴィゼーションに分かれて掛け合いを始める頃には、あなたにもインドのフュージョン・ロックの魅力が最大限に感じられるはずだ。
インド声楽は慣れないと少しつかみどころがなく感じるかもしれないが、はまってくると独特のヴォーカリゼーションがとても心地よく感じるようになってくる。

続いて、彼らの2本目のビデオ"Kosh".
楽曲もビデオもさらに洗練されてきた!

今度はギターのアルペジオやリズムがちょっとラテンっぽい感じも感じさせる楽曲だ。
スムースな曲調が一転するのが3:20頃からの間奏で、ギターのノイズをバックに緊張感あふれる怒涛のリズムに突入する。
ここからさらにジャズ色の濃いピアノソロを経てヴォーカルに戻ってくる展開は圧巻だ。

"Kosh"のビデオを制作したのはデリーの映像作家Mohit Kapil.
「なぜ愛すのか、誰を愛すのか、どう愛すのか」というテーマで作成された映像は、困難の中にいる人々を扱った3つの独立したストーリーから成り立っている。
仕事と育児に追われるシングルマザー、作品を作りのための意思疎通がうまくいかないダンサーと写真家、衰えや痴呆と否応なしに向き合わされる老夫婦。
それぞれが日常の苦しみのなかから喜びや希望を見出してゆく過程は、計算し尽くされた美しい色調や構成とあいまって、短編映画のような印象を残す。

このPaksheeでユニークなのは、2人いるヴォーカリストのうち、一人はヒンディー語で、もう一人はマラヤラム語(南部ケララ州の言語)で歌っているということ。
全く異なる言語体系の両方の言語が達者な人はインドでもそう多くないはずだが、こうした言語の使い分け方にも何かしらの意図がありそうで、ぜひ彼らに聞いてみたいところだ。

この曲では、2つの言語で、
「いったい誰がミツバチのために花を蜜で満たすのか。誰が花を咲かせるのか」
「蝶は繭から孵るとき、いったいどうやって育ったのか。誰が育て、羽に色をつけたのか」

といった、生命をめぐる哲学的とも言える歌詞が歌われている。
("Kosh"はヒンディー語で「繭」や「宝のありか(金庫)」という意味とのこと)

Paksheeのサウンドは、楽器は西洋風、歌はインド風という比較的わかりやすいフュージョンだが、ジャズやロック的なインストゥルメンタルと古典音楽風のヴォーカルが不可分に一体化していて、先日紹介したPineapple Express同様に、フュージョンロックの新世代と呼ぶにふさわしい音像を作り上げている。

インドの要素の入ったロック」は昔から欧米のアーティストも多く作っているけど、この本格的な古典ヴォーカルを生かしたサウンドは本場インドならでは。
演奏力も高く、大きな可能性を秘めている彼らが、インドの市場でどのように受け入れられるのか、はたまた海外でも高く評価される日が来るのか、非常に楽しみだ。
まあどっちにしろ、世間の評価に関係なく私は高く評価しますよ。ええ。

それでは今日はこのへんで! 

goshimasayama18 at 01:00|PermalinkComments(0)

2018年08月08日

インドのエリートR&Bシンガーが歌う結婚適齢期!Aditi Ramesh

「インドの女性に関する話題」と言えば、ここ日本で報道されるのは、首都デリーや地方でのレイプ被害だとか、結婚のときの持参金で揉めて花嫁が殺されたとか、顔に硫酸をかけられたとか、悲惨なものばかり。
あるいは、インディラ・ガンディー首相やタミルナードゥ州のジャヤラリタ州首相のような、いわゆる「男まさり」な女性政治家たちや、女性美をとことん強調したボリウッド女優など、いずれにしてもかなり極端なものが多いように思う。
もちろん、そのいずれもが注目すべきトピックではあるのだけれども、当然ながら、こうした注目を浴びる人たちとは関係なく暮らす女性たちだってインドにはたくさんいる。

というわけで、今回は、「女性R&Bシンガー、Aditi Rameshが歌う現代インドのキャリアウーマンの切実な悩み」というテーマでお届けします。

今回の記事の主役、Aditi Rameshはムンバイで活躍する実力派女性シンガーソングライターで、例えばこんな楽曲を歌っている 。

お聴きいただければ分かるとおり、この曲はインド要素ゼロ。
ちょっとフランスの女性シンガーZazを思わせる、ジャジーな楽曲だ。


もっとミニマルでエクスペリメンタルな曲もある。
Zap Mamaみたいなアフリカにルーツのあるアーティストに似た雰囲気のある楽曲で、中間部では南インド古典音楽のカルナーティック的な歌い回しも出てくる。

現在28歳のAditiは、少女時代をニューヨークで過ごした。
ニューヨークでも、やはり以前紹介したRaja Kumariのように、インド人コミュニティとの繋がりが強かったのだろう。
クラシックピアノだけでなく、カルナーティック音楽の古典声楽を習っていたという。
15歳のときに家族とともにインドのバンガロールに戻ってくると、その後大学で法律を修め、インドでもトップクラスの法律事務所で弁護士としてキャリアをスタートさせた。
この経歴を見てわかる通り、彼女はミュージシャンである以前に、裕福な家庭で育った極めて優秀なエリートでもあるわけだ。

そんな彼女が再び音楽と向き合うことになったのは2016年。
友人にキーボードをもらったことをきっかけに、彼女はまた音楽にのめり込んでゆく。
翌年に最初の音源をリリースすると、ジャズやブルース、ヒップホップ、それにほんの少しのカルナーティックの要素を融合した彼女の音楽は、若いリスナーたちの注目を集めることとなった。
今では弁護士の仕事を辞めて、音楽一本で生活しているとのこと。

何不自由なく育ったお嬢さんがブルースねえ、と皮肉りたくもなるが、15歳という多感な時期にインドに戻ってきた彼女は、母国であるはずのインドでの暮らしになかなかなじめず、両親ともうまくいかない時期を過ごしていたという。
彼女が法律の道に進んだのも、両親のように薬学や工学を学びたくないという理由からだそうだ。 

音楽活動に真剣に取り組み始めた当初、彼女のいちばんのモチベーションは、人間性を無視してまで働かざるをえない環境への不満を表現することだった。
仕事に対する怒りをブルースの形でぶつけた"Working People's Blues"という曲でムンバイのシンガーソングライターのコンペティションで優勝したことが、デビューのきっかけになった。
これがその曲で、歌は30秒頃から。

お聴きいただいて分かる通り、かなり本格的なブルースソングだ。
はたから見れば裕福で悩みなんかなさそうに見える境遇でも、 当然ながら相応の苦労や憂鬱があるってわけだ。

さて、前置きが長くなったが、今回注目するのはこの曲。
"Marriageble Age"


現代的なR&Bを思わせるミニマルなトラックにフィーメイル・ラッパーDee MCのラップを大きくフィーチャーした楽曲で、ところどころにカルナーティック的な歌い回しが顔を出す。
ジャジーな部分やR&Bっぽい部分はインドらしさ皆無なのに、ラップになるとアメリカの黒人やジャマイカン的なリズムではなく、インドのリズム由来のフロウになっているところに、このリズムがDNAレベルでの浸透していることを感じる。

サウンド面でも非常に興味深い楽曲だが、今回注目する歌詞の内容はこんな感じだ。
(英語の歌詞全体はこちらからどうぞ。"show more"をクリック!)

あなたはいくつになったの?25?26?
家族はいつ身を固めるのかと聞いてくる
いつ赤ちゃんを産んでくれるの?
あなたの体内時計はどんどん時を刻んでゆくのに、どうして私を困らせるの?
いつ落ち着くつもりなの?
どうしていい人を探さないの?男の人はたくさんいるのに

分からないの?そんなことが私のしたいことの全てってわけじゃない
私には自分のしたいことがある、無関心だなんて言わないで

でもあなたはもう結婚適齢期、20代ももう下り坂
あなたは結婚適齢期、もう十分自由を満喫したでしょう?
どうして動き回っているの?あなたの人生で何をやっているの?
今すぐに誰かの奥さんにならないんだったら
誰にも見つけてもらえない落し物みたいになるわ

(ここからラップパート)
時は流れてゆくのに、どうして遊びまわっているの?
美貌は衰えてゆくのに、自分だけは別だと思ってる
あなたは正気を失ってるの 結婚する時期よ
気分を切り替えなさい 夢見る時は終わったの

私たちのおせっかいは終わらないわ
こういうものなの 逆らえないの
イヤって言えば言うほどしつこくするわよ
それだけが目的なの 理由は聞かないで

あなたはインドにいるの ここはアメリカじゃない
一度無くした若さは戻らないわ
また結婚の申し込み(rishtaa)があったわ、今度は文句ないでしょう
最高の巡り合わせなのに、どうしてまだ待つなんて言うの?
娘よ、手遅れになる前に決めなきゃ
これ以上自由でいるあなたを見たくはないわ

私の古い考えを変えることはできないわ
男とハグしたりキスしたりするのは結婚してからにしなさい
結婚証明こそが生きてゆくためのライセンスなのよ
どうして理解できないの?あなたには責任があるの
まだ子供時代が過ごしたいの?
あなたの叔母さんが送ってくれた写真を見てみなさい
目をそらさないで この人の奥さんになりなさい
仕事が終わったら彼のために料理を作って彼を幸せにするの
向こうのご両親も待っているわ 年相応になりなさい

インドの女性であることは呪わしくもありがたいこと
みんなは私を押さえつけようとするけど私は自由でいたいの
結婚適齢期なのよ 血を絶やそうとしているの?
30歳になるまで待っていられないわ もうすぐなのよ



ところどころ、とくにヒンディーのところはGoogle翻訳なので間違っているかもしれないがご勘弁を。
親族からのプレッシャーを表したすごく直接的な歌詞にとにかくびっくりした。
日本だとポップスの曲で、ここまで具体的かつ個人的な不満をぶちまけることって、なかなかない。
でもAditiがこういう曲を発表したのは、これが単なる個人的な不平ではなく、インド社会全体に共通して見られる現象だからだろう。
実際にAditiが親からこういうプレッシャーをかけられているということではなく(それも有りうることだが)、多くのリスナーが共感してくれる内容だからこそ歌にしたのではないだろうか。

Aditiに代表される英語での高等教育を受けた新しい世代は、インド社会でますます存在感を増してきている。
彼らの特徴は、英語を流暢に話すこと(海外在住経験者も多い)、その多くがエンジニアやMBA、法律家や医師などの専門職であること、カースト等の伝統的な価値観への帰属意識が希薄なことなどが挙げられ、インド社会の中で、カーストや地域をベースにした既存の集団とは違う、新しい「階層」を形成している。
しかしながら、今日でも家族をベースにしたコミュニティの団結がとても強いのもまたインド。
こうした新しい考え方と価値観を異にする彼らの両親らの古い世代とのギャップは埋めようがないレベルにまで達している。
その最たるものが結婚に対する意識だ。
彼らの母親たちの世代では、女性は20代前半には両親の決めた相手と結婚し、家庭に入り、子どもを生み育て家を守るのが当然であり、またそれこそが幸福とされていた。
もっとキャリアを追求したいとか、結婚相手を自分で探して選びたいとか、結婚のタイミングを自分で決めたい、という若い世代の考え方とはどうしたって相容れない。
これはもうどちらが正しいという問題ではなく、価値観や幸福感のベースをコミュニティーや伝統とするのか、それとも個人とするのかという根本的な考え方の違いなのだ。

世間体や家族の体面のためだけに結婚なんかしたくはないし、それが幸福とも思えない。
それなのに両親や親族からは会うたびに結婚はまだかと聞かれる。
めんどくさくってしょうがない。

と、まあ、この曲は都市部のインドの女性の極めて現実的な悩みを歌ったものなのだ。
そもそもブルースやR&Bは人々の憂鬱や苦労をストレートに歌い飛ばすもの。
特段に悲惨な境遇でなければ歌にしてはいけないなんて決まりはなく、例えば往年のR&Bシンガー、エタ・ ジェイムスの"My Mother in Law"という曲では、口うるさい姑への不満が歌われている。
そういう意味で、このAditi Rameshの"Mariageable Age" はまさしく現代のインド都市部の働く女性のためのリアルなブルースと呼ぶことができるだろう。

彼女はソロ名義とは別のプロジェクトや客演も積極的に行っている。

よりジャジーなアプローチを行っているカルテット、Jazztronaut.


音楽の世界における女性の地位向上をテーマにした女性だけのバンド、Ladies Compatment.


Mohit Rao, Adrian Joshua, The Accountantとのユニットではヒップホップ色の強いサウンド。


先日の映画音楽カバーの記事でも紹介したアカペラグループVoctronicaのメンバーの一人でもある。


彼女の音楽は、インドの要素を取り入れていても、どこか都会的でR&Bの空気感が支配的な印象を受ける。
こうした印象は、インド系アメリカ人であるRaja Kumariとも共通しているように感じるが、これはAditiも幼いころを米国で過ごし、アメリカの音楽に本場で親しんでいたことが理由なのだろうか。
(彼女はインタビューでも、両親はミュージシャンでこそなかったが、いろいろな音楽を聴かせてくれたと語っている)
R&Bやジャズをベースにしたサウンドに、ほんの少しのインド音楽の要素。
これは、欧米風の個人主義的な価値観に基づいて暮らしつつも、伝統やコミュニティーから完全には自由になれないインドの新しい世代そのものを表しているようにも感じられる。

というわけで、今回はAditi Rameshの音楽を通じてインドにおける世代間の価値観のギャップを紹介してみました。
彼女の音楽は、こんなふうに歌詞をほじくらなくても、サウンドだけでも十分に素晴らしいものなので、ぜひいろんな曲を聴いてみてください。

いよいよ次回は、読者の方からリクエストをいただいたバンド、Pineapple Expressを紹介してみたいと思います! 
それでは。 



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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

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goshimasayama18 at 23:24|PermalinkComments(0)