カルナーティック
2022年10月19日
『響け!情熱のムリダンガム』トークの補足! インド・フュージョン音楽特集
というわけで、シアター・イメージフォーラムにて『響け!情熱のムリダンガム』上映後のトークセッションをしてきました。
お相手を務めていただいた、この映画の配給をされている荒川区尾久の南インド料理店「なんどり」の稲垣紀子さん、ありがとうございました。
インドのなかでもかなりニッチな分野しか詳しくいない私は何を話そうかと迷ったのですが、今回のテーマは「フュージョン音楽」!
このブログでは何度も書いていることですが、インドでは、古典音楽/伝統音楽と、ロックやジャズのような西洋音楽を融合した音楽のことを「フュージョン」と呼んでいます。
『響け!情熱のムリダンガム』のなかでも、生演奏にこだわるヴェンブ・アイヤル師匠が「テレビ番組の審査員をやってくれませんか?」と言われるシーンで、よく聞くとインタビュアーが「カルナーティック・フュージョン」と言っているのが分かります。
伝統的なスタイルの生演奏にこだわる師匠が、テレビ番組、ましてや純粋な形式から離れたフュージョンの番組に出演するなんてことは当然ありえず、もちろんきっぱりと断る、というわけです。
そんなわけで、映画ではちょっとまがい物扱いされているフュージョンですが、じつはかっこいい音楽がめちゃくちゃ沢山あって、ふだん古典音楽を聴き慣れていないリスナーでも、フュージョンを通して分かりやすくそのすごさを感じることができます。
トークの打ち合わせでまず稲垣さんから名前が上がったのが、Shakti.
イギリス人ジャズギタリストのジョン・マクラフリンを中心にインド人の凄腕古典ミュージシャンが揃ったフュージョン・ジャズの伝説的バンドです。
タブラにザキール・フセイン、バイオリンにL.シャンカル(ジョージ・ハリスンのシタールの師匠としても有名なラヴィ・シャンカルとは別人です。念の為)、ガタム(ほぼ壺の打楽器)にT.H.ヴィナヤクラムという凄まじいメンバーが、インド古典音楽の強烈なリズムをジャズと融合して聴かせてくれます。
1997年にはRemember Shaktiという名前で再結成し、ヴィナヤクラムの代わりに、ガタムだけでなくムリダンガムやカンジーラ(トカゲ革のタンバリン)も叩くセルヴァガネーシュが加入。
Shaktiは、「いきなりガチの古典音楽を聴くのはしんどいけど、インド古典音楽がどんなすごい音楽なのか手っ取り早く知りたい」っていう人にはぴったりのバンドです。
(まずは上の映像を6分くらい見てもらえれば、その凄さが伝わるはず)
インド国内では、カルナーティック音楽はジャズよりもプログレッシブ・ロックと融合されることが多い印象で、例えばこのAgamはギター、ベース、ドラムスのロックバンドに、ストリングスやコーラス隊も交えた編成で、古典音楽のダイナミズムを余すことなく表現しています。
変拍子的なキメの多いカルナーティック音楽は、確かにプログレッシブ・ロックと融合するのにぴったりなジャンルと言えそうです。
ちなみにこの歌の原曲は200年ほど前の楽聖ティヤーガラージャなる人物が作った"Manavyalakincharadate"(長っ)という曲だそうで、Nalinakaantiというラーガ(簡単に言うと音階)でDeshadiというターラ(簡単に言うとリズム)に乗せて演奏されているとのこと。
なんだかよくわからないと思いますが、私もよくわかっていないので、ひとまずは「なんか凄そう…」ということだけ感じてもらえれば現時点ではオッケーです。
ムムッと思ったあなたは、ラーガやターラの深い部分まで学べば、インド古典音楽から、一生かけても味わい尽くせないほどの喜びを感じることができるようになるでしょう。(そういうものだと聞いています)
ちなみにこの映画のエンディングで流れる曲もティヤーガラージャの手によるものです。
最近のバンドでは、ベンガルールのプログレッシブ・メタルバンドPineapple Expressが強烈!
古典音楽だけではなく、曲によってはEDMやラップ、ジャズまで取り入れた超雑食性のスタイルは、まさにフュージョンの極地!
強烈です。
映画のテーマであるムリダンガム奏者では、Viveick Rajagopalanという人がTa Dhom Projectと称してラップとの融合を試みています。
古典音楽とラップの融合についてはこの記事で詳しく書いているので、興味のある方はどうぞ。
ところで、私は『響け!情熱のムリダンガム』の冒頭のクラブミュージック的な曲(超カッコいいのにサントラにも入っていない!)がものすごく好きなのですが、こんなサウンドの曲、他にないかなあ、と呟いていたら、南インドパーカッション奏者の竹原幸一さんが教えてくださったのが、Praveen Sparsh.
ローカルな空気感満載の映像を、ドラムンベースというかスラッシュメタルというか、切れ味抜群のムリダンガムが疾走!
超かっこいいです。
映画の冒頭のあの曲は、ピーターが5年後くらいに作った曲だと思って聴くとまた一興ですよ。
さて、チェンナイには、カルナーティックみたいな(ヒンドゥーの)信仰と結びついた古典音楽もあれば、もっと大衆的な伝統音楽もあります。
映画の中では、ピーターのお父さんの故郷で歌い踊られていた"Dingu Dongu"がその系統の音楽です。
映画監督のパー・ランジットの呼びかけで結成されたCasteless Collectiveは、ピーター同様にカーストの最下層に位置付けられた「ダリット」のメンバーによるバンド。
大衆音楽「ガーナ」の強烈なリズムに乗せて、自らの誇りとアイデンティティ、平等を勝ち得るためのアジテーションを叫んでいます。
ファンクやヒップホップなど、アメリカの黒人たちを鼓舞してきた音楽とのフュージョンになっているのも熱いポイント。
まだまだキリがないのですが、映画の中でヴェンブ・アイヤル師匠が言うように、古典音楽は純粋な形式で演奏しないと本質が味わえない厳格な伝統芸術であるのと同時に、さまざまな音楽と組み合わせて楽しむこともできる、まさに「今を生きる音楽」でもある、とも言えるでしょう。
それでは今回はこのへんで。
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2021年05月02日
iPadで奏でる古典音楽! 自由すぎるカルナーティック奏者 Mahesh Raghvan
…なんていう書き出しの記事を、このブログですでに10本近く書いただろうか。
インド人の「あらゆるものを自分たちの音楽に取り込んでしまう」という傾向は、昨日今日に始まったものではない。
例えば、南インドの古典であるカルナーティック音楽ではバイオリンが主要な楽器として使われているし、古典音楽・伝統音楽で広く使われている鍵盤楽器ハルモニウムも、もともとはヨーロッパ発祥の楽器である。
インドの古典音楽に詳しい人なら、それに加えてサックスやギターや大正琴までもが、古典を奏でる楽器として使われていることをご存知だろう。(というか、古典音楽に全く詳しくない私でも知っている)
バイオリンもカルナーティック音楽に使われるとご覧の通り。
フレットのない構造を生かして、ダイナミックに上下する旋律を表現するさまからは、もはや西洋楽器の面影はまったく感じられない…
この床置き式のアコーディオンみたいな楽器がハルモニウム。
ハルモニウムはもはや西洋音楽で使われる機会は消滅してしまい、ほとんど南アジア専用の楽器として使われている。
この演奏はパキスタン〜インドで親しまれているイスラーム神秘主義(スーフィズム)の宗教歌謡カゥワーリー。
サックスの倍音豊かな音色は声楽にも近く、思ったよりも違和感なくカルナーティック音楽になっている。
さきほどのバイオリンの演奏を見て、フレットがないからああいう演奏ができるんだよな…と思った人もいるかもしれないが、ギターでもこの通り。
ちなみにギターはインド古典音楽で使われる場合は、インド風に「ギタール」と呼ばれるらしい(単にインド訛りの英語なのかもしれないが)。
大正琴は現地では'bulbul tarang'という名前で呼ばれている。
この演奏方法は、日本人の発想ではまず思いつかない。
インド人たちは、初めて触れる楽器と出会うたびに、古典音楽を演奏する方法を考えずにはいられないのだろうか。
おそらくだが、インド古典音楽の根底には、その音楽の本質を表すことさえできれば、定まった様式(使われる楽器や演奏方法)は問わないという哲学があるのだろう。
古今のインド人たちのフュージョンっぷりを見れば、彼らがどんな楽器で古典を奏でようと、もう驚くことはない。
そう思っていた私はまだまだ甘かった。
今回の記事の主役、Mahesh Raghvanを初めて見た時、私が考える「フュージョン」の限界は、インド人には遠く及ばないということを思い知らされた。
カルナーティック音楽をベースとしたフュージョン・ミュージックを演奏する彼がプレイする「楽器」は(それを楽器と呼ぶなら、だが)、なんとiPadなのだ。
18世期に作られたこの古典楽曲の、1:23から始まるソロに注目!
Mahesh RaghvanがプレイしているのはGeoshredというiPadのアプリである。
iPad上に表示された音階をなぞることで、フレットレスの弦楽器と同じように無段階に音程をコントロールすることができるこのアプリを利用して、彼はカルナーティック音楽特有の大きなビブラートや微妙な音階を自在に表現している。
この"ShiRaga2.0"は18〜19世紀の作曲家Tyagarajaの作品をダブステップにアレンジしたという意欲作。
彼らは'Carnatic 2.0'と称して、カルナーティック音楽を現代風にアレンジする取り組みを進めている。
こうした取り組みは、インドではMaheshに限ったことではなく、たとえばロックバンドではPinapple Expressがプログレッシブ・メタルとカルナーティック音楽との融合に取り組んでいる。
Maheshは、純粋な古典音楽を追求するというよりは、あくまでも古典の要素を新しい形で表現するということに興味があるようで、彼のYouTubeチャンネルでは、現代のヒット曲や映画音楽をカルナーティック・スタイルで演奏した動画が何百万回もの再生回数を叩き出している。
「ホグワーツがインドに開校したら…」という設定も面白い『ハリー・ポッター』のインド風カバーは、1,000万回再生にも迫る勢いだ。
ホグワーツのインド校にはきっとサイババみたいな見た目の校長がいることだろう。
スターウォーズの『帝国のマーチ』をインド風に演奏すれば、ダースベイダーもボリウッドダンスを踊りそうな雰囲気に。
スターウォーズが黒澤明の時代劇映画影響を受けていることはよく知られているが、もしジョージ・ルーカスがインド映画に影響を受けていたらこんな雰囲気になっていたのだろうか…。
Luis FonsiとDaddy Yankeeの大ヒット曲"Despacito"もタブラやバーンスリーを交えた編成で演奏すればこの通り。
ラテンのリズムとメロディーがここまでインド的なアレンジに合うとは思わなかった。
同じ編成で演奏したMaroon 5の"Girls Like You"も聴きごたえたっぷりだ。
インド古典音楽は国内外にこだわりの強いファンが非常に多いジャンルなので、彼らがMaheshの演奏を聴いてどう感じるのか、気になるところではあるが、YouTubeのコメント欄を見る限り、インドでは好意的に受け止める声ばかりのようだ。
師のもとで一生かけて追求するほどの深さを持ちながら、これだけの自由さとフットワークを持ったインド古典音楽は、現代社会における伝統芸能として、理想的なあり方をしているように思える。
インドの音楽シーンとiPadの関わりといえば、今日のインドのストリートラップブームの火付け役となったNaezy(映画『ガリーボーイ』の主人公ムラドのモデルとなったことでも有名)が、出世作となった楽曲"Aafat!"をiPadのみで作ったことが知られている。(ビートをダウンロードし、マイクを繋いでラップを吹き込み、ビデオクリップを撮影してYouTubeにアップロードするという行為を全てiPadのみで完結し、新しいストリートラップのあり方を提示した)
インドには"Jugaad(ジュガール)"という「今あるもので工夫して、困難を解決する」という発想があるが、インド人とiPadの組み合わせは、音楽界に無限の可能性をもたらしてくれそうだ。
…と、ここまで書いて記事を終わりにしようと思っていたのだが、もうひとつインド古典音楽に合いそうな楽器を思いついてしまった。
それは、1920年にロシアの発明家が作り出した「世界初の電子楽器」テルミンである。
かつてインドが、ソビエトとの経済的なつながりが強かったことを考えれば、テルミンで古典音楽を演奏する人がいてもいいはずだと思ったのだが、ちょっと調べた限りでは、「古典テルミン奏者」は見つけられなかった。
無段階に音程を調整でき、ビブラートも自在なテルミン、インド音楽にぴったりだと思うんだけどなあ。
インド古典音楽界に新風を巻き起こしたいあなた。(誰だよ)
テルミンが狙い目ですよ!
(関連記事)
(追記)
この記事を書いたあとで「きっと他にも意外な楽器でインドの古典音楽を演奏している人がいるはず!」と思って調べてみました。(続く)https://t.co/A0erh5eMpW
— 軽刈田 凡平 (@Calcutta_Bombay) May 16, 2021
(続き)インド古典音楽、音程のスムースな動きが可能なスライドギターはで演奏している人はいるに違いないと思って探してみたら、やっぱりいた!
— 軽刈田 凡平 (@Calcutta_Bombay) May 16, 2021
しかもPanditと呼ばれる大家の方のようです。
ブルースともカントリーともハワイアンとも全然違う、完全にインド音楽!(続く)https://t.co/hpu0nUDWMx
(続き)バイオリンがいるならチェロもいるかな、と思って探してみたらやっぱりいた!
— 軽刈田 凡平 (@Calcutta_Bombay) May 16, 2021
いぶし銀のバリトンの男声ヴォーカルを思わせるチェロの響きもまた合うなあー!
1:45からの西洋クラシック的なフレーズもアクセントになっていて良い!(続く)https://t.co/hWJuMl9NI8
(続き)弦楽器でウクレレもいるかな、と思ったら、これはそんなに本気の演奏者ではなさそうだけど、見つけることができました。
— 軽刈田 凡平 (@Calcutta_Bombay) May 16, 2021
フレットのあるウクレレだと、ちょっとウードっぽいっていうか、中東を思わせる響きになる。
(続く)https://t.co/bM15B8MOKp
(続き)サックスがいるなら他の管楽器もいるかなー、と思っていたら、クラリネットでやってる人を発見。クラリネットの人は他にも何人かいるみたい。
— 軽刈田 凡平 (@Calcutta_Bombay) May 16, 2021
ちょっとコルトレーンっぽいというか、いわゆるインド的な音から離れることによって、また違う魅力が出てくる。(続く)https://t.co/Qlwh4zTWnJ
(続き)トランペットのソロだとほぼジャズっていうか、前衛的な映画のサウンドトラックみたいな感じ。
— 軽刈田 凡平 (@Calcutta_Bombay) May 16, 2021
今回はここまで!
でもきっとまだ見ぬ凄いプレイヤーがいるはず。
想像できないほどの深みと伝統を持ちつつ、同時にここまで自由でいられるインド古典音楽にRespect!https://t.co/tl8XmrV6x5
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2020年03月28日
『世界はリズムで満ちている』("Sarvam Thaala Mayam")は音楽映画の傑作!
この映画は2018年の東京国際映画祭ワールドプレミア上映されたものの、その後日本での一般公開はされていない、いわば「幻の名作」。
私も映画祭のときに見ることができず、今回が初見だったのだが、これが大変素晴らしかった!
監督はラージヴ・メーナン(Rajiv Menon. 以下、日本語表記は東京国際映画祭のときの表記で記載)。
メーナンは1995年のマニ・ラトナム監督の名作映画『ボンベイ』や日本でも撮影が行われた2020年公開予定の"SUMO"など多くの作品で撮影監督を務めている人物で、総監督としては前作からほぼ20年ぶりの3作目となる。
主人公の師匠役には数多くの出演作品・受賞歴を誇るベテラン俳優ネドゥムディ・ヴェーヌ(Nedumudi Venu)、ヒロイン役にアパルナー・バーラムラリ(Aparna Balamurali)。
ちなみにこの作品はタミル語映画だが、監督はタミル・ナードゥではなくケーララ州出身であり、ヴェーヌとバーラムラリもケーララ出身でマラヤーラム語映画をメインに活躍しているようだ。
…と、さも詳しそうに書いているものの、インド映画に疎い私は、ラフマーン以外は全くの初耳。
私同様、インド映画に疎い人も安心して見てほしい。
今回発売されるDVDの日本語字幕は、南インドの映画やカルチャーの発信拠点としても有名なインド料理店「なんどり」さんと、南インド研究者の小尾淳(おび・じゅん)さんによるもので、DVDは「なんどり」さんで購入できる。
通販でも買えるが、このお店、南インド料理も絶品で、そしてお酒の品揃えも素晴らしいので、お近くの方はぜひ直接お店を訪れることをお勧めする。
(「なんどり」さんはJR宇都宮線/高崎線の「尾久駅」から徒歩5分、都電荒川線(さくらトラム)「荒川遊園地前」「荒川車庫前」停留所から徒歩3分。)
※と思っていたら、大好評につき初回入荷分はすでに売り切れとのこと!今後の入荷予定はなんどりさんからの情報をチェックしてみてください!
タミル語の予告編はこちら。
この予告編、個人的にはこの映画の魅力を全然伝えきれていないと思うのだけど、一応貼り付けておきます。
私はインド映画だけでなくインド古典音楽にも疎いので、もしついていけなかったらどうしようと少しだけ心配していたのだが、その心配は全くの無用だった。
試写会場が音響に定評のあるチュプキ・タバタだったのも幸運が重なった。
というのも、この映画の実質的な「主役」は、カルナーティック音楽で使用される両面太鼓「ムリダンガム」の大迫力かつ繊細なリズムそのものだからだ。
古典音楽というと小難しく聞こえるが(そして、実際にインド古典音楽は極めて複雑で深淵な理論に基づくものだが)、この映画を見るためにそうした知識は全く必要ない。
日頃、電子音楽やロックやヒップホップを中心に聴いている耳にも、ムリダンガムのリズムはとにかくめちゃくちゃ凄くてカッコいい。
かつて、タブラの演奏を指して「人力ドラムンベース」という表現がよく使われていたが、この映画を見れば、インド古典楽器のリズムはドラムンベース以上のダイナミズムと繊細さを持ち、そして打ち込みのリズムを上回る恐るべき音数と正確さで組み立てられていることがわかるはずだ。
音楽が好きな人だったら、必ず楽しめるし、素晴らしい音楽映画だけが与えてくれる爽快感が味わえる作品である。
【あらすじ】
主人公のピーター・ジャクソンは、ムリダンガム職人の家の一人息子の大学生。
タミル映画の大スター、「ヴィジャイ」の熱狂的なファンで、映画に入れ込むあまり、勉強にも打ち込めずに過ごしていた。
ある時、ピーターはムリダンガムの巨匠ヴェンブ・アイヤルの演奏を間近で見たことで、この楽器の素晴らしさに開眼する。
ピーターはヴェンブへの弟子入りを熱望するが、伝統音楽のカルナーティックはもともと寺院で演奏される神聖な音楽であり、低いカースト出身の彼は、ブラーミン(バラモン)中心の師匠や弟子たちに拒絶されてしまう。
やがて、そのたぐいまれなセンスと熱意をヴェンブに認めてもらい、なんとか弟子入りを許されたピーターだったが、彼の弟子入りを快く思わない先輩から嫌がらせを受けることになる。
ヴェンブはテレビのショーや映画音楽を認めない、伝統を重んじる演奏家だった。
ところが、ちょっとした行き違いからピーターはテレビの古典音楽のリアリティー・ショーに出ることになり、そこで起こしたトラブルから破門されてしまう。
音楽家としての夢を否定され、家庭にも居場所をなくしたピーターは、失意に陥るが…。
はっきり言ってストーリーはツッコミどころ満載だし(インド映画にこれを言ってもしょうがないが)、映画スターへの信仰にも似た崇拝や、恋人へのストーカーっぽい愛情表現など、インド映画にありがちな「クセの強さ」にちょっと引いてしまう人もいるかもしれない。
さらにはカースト差別というインド特有の社会問題も描かれており、多様な側面のある作品なのだが、この映画の本質をあえて一言で表すとしたら、それは「音楽や芸術の普遍性」ということになるだろう。
その話をする前に、映画のストーリーの中で匂わされるものの、明言はされない設定について、少し書いておきたい。
(この先、ストーリーの一部に触れているところがある。すでに書いた通り、この映画の実質的な主人公は音楽そのものであり、ネタバレが作品の楽しみを損なうタイプの映画ではないと思っているが、気にされる方はここでお引き返しを。)
主人公のピーター・ジャクソンというインド人らしからぬ名前や、冒頭の教会のシーンからも分かる通り、彼の一家はクリスチャンである。
両面太鼓のムリダンガム作りは、動物の皮を材料として扱う。
動物の皮革、すなわち動物の「死」と関わる彼らの生業は、「汚れた仕事」とされ、カーストの最底辺のひとつとされている。
ヒンドゥー教に基づく序列であるカーストのくびきから逃れるために、おそらくピーターの一家はキリスト教に改宗したのだろう。
主人公の名前がピーター・ジャクソンで、彼の父の名がジャクソンというのがなんだか紛らわしいが、これはタミルには伝統的に苗字という概念がなく、父親の名前が苗字のように使われているからである。
(父の名前には苗字にあたる部分がないので、ひょっとしたら父の代にチェンナイに出てきて改宗したという設定なのかもしれない)
大都市チェンナイの生活では、表向きはカースト差別はないことになっているのだろう。
病院で献血すれば手放しで喜ばれるし、屋台でも他のお客とおなじようにコーヒーを提供してくれる。(輸血の相手がカースト的概念を持つヒンドゥー教徒ではなくムスリムだったのが意味深な気がしないでもないが)
クリスチャンのコミュニティで成長してきたピーターは、これまで理不尽な差別をさほど経験せずに暮らしてきたようでもある。
だが、一歩保守的な世界に足を踏み入れると、ピーターはその差別に直面することになる。
師ヴェンブのもとでは、伝統主義にこだわる兄弟子に疎まれ、父の故郷の屋台では、ガラスではなくプラスチックのコップでチャイを出されてしまう。
いくらキリスト教に改宗したといっても、カーストの呪縛から逃れることはできないのだ。
タミルのブラーミン(バラモン)は、伝統を重んじていることで知られている。
今なお菜食主義を守り、酒も口にせず、掟に忠実に「清浄に」生きている人々も多く、映画に出てくる伝統音楽の演奏者たちも、そのような暮らしを守っている。
いっぽうで、クリスチャンにとっては、肉食(ヒンドゥー教の聖なる動物である牛肉も含めて)も罪ではないし、アルコールも嗜むことができる。
ピーターが先輩のマニに、「酔っぱらい」と見下されたり、師匠から菩提樹の実をもらったときに「これを身につけているときは酒や肉を口にするな」と言われたりするのは、こういう理由からである。
とにかく、この映画のなかで彼が会う苦難は、ほぼ全てが「低いカースト出身である」ということに基づいている。
話を本題に戻すと、彼の才能に嫉妬した元兄弟子の奸計と、カーストに対する偏見への怒りから、ピーターは大きなトラブルを起こし、破門されてしまう。
師匠からも家族からも見放された失意のピーターは、あるきっかけから、リズムは師匠からだけではなく、森羅万象から学ぶことができると気づく(このあたり、かなり強引な展開だったが、まあいい)。
旅に出たピーターは、インド北東部(メガラヤ、ナガランドあたりか)の音楽や、パンジャーブのバングラー、ラージャスタンのマンガニヤール音楽、ケーララの太鼓チェンダなど、インド各地のリズムを学んでゆく。
こうしてインドじゅうで学んだリズムが、クライマックスで大きな意味を持ってくる。
この映画は、カースト差別という社会問題をモチーフにしながら、芸術の真髄とは伝統を守ってゆくことなのか、それとも芸術は万人に開かれ時代とともに更新されてゆくべきものなのか、という問いをメインテーマとして扱っている。
クリスチャンで、なおかつアウトカーストであるピーターが伝統に基づいたカルナーティック音楽にインドじゅうで学んだリズムを取り入れてゆくクライマックスは、音楽の「普遍性」は保守的な伝統(差別的な因習を含む伝統)を上回り、それこそが芸術の本来あるべき姿である、というメッセージを伝えている。
クライマックスまでに伝統的なカルナーティック音楽のリズムの素晴らしさがたっぷりと描かれているから、多少強引なストーリー展開であっても、このメッセージは単なる伝統の軽視ではなく、じゅうぶんな説得力を持って我々に刺さってくる。
さらに言うと、この映画の序盤に出てくる映画スターへの異常なほどの崇拝や、好きになった女性や師匠へのストーカーのような愛情表現、そして、音楽に対する果てしのない求道心といった様々な要素は、宗教を超えて南アジアに共通する「究極的な存在(例えば神)に近づこうとする気持ち」のひたむきさともつながっているようにも思える。
憧れや崇拝や愛情といった「思慕」、そして音楽や芸術の普遍性というテーマが、冒頭からラストまで、この作品には通底しているのである。
この映画の「本当の主役」であるムリダンガムという楽器については、この動画でわかりやすく説明されている。
シンプルだが無限とも言える可能性のある楽器なのだ。
なにやら理屈っぽいことをいろいろと書いたが、この映画のそこかしこに出てくるムリダンガムの超絶のリズムを全身で浴びれば、それだけでもう十二分にこの作品を楽しめるはず。
同じ「打楽器師弟もの」 の映画として、『セッション』(原題"Whiplash",2014年米)あたりと比較してみるのも面白いと思う。
なかなか外に出られない昨今、鬱々と過ごすことも多い毎日に、とくにオススメの作品です。
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2018年08月29日
フュージョン音楽界の新星! Pakshee
今回紹介するデリーのバンド、Paksheeは、北インドのヒンドゥスターニーと南インドのカルナーティックという異なるスタイルの古典声楽をベースに持つふたりのヴォーカリストと、ソウル、ファンク、ジャズの要素の強いバンドメンバーとの絶妙のアンサンブルを聴かせてくれるインド・フュージョンロック界の新星だ。
まだスタジオ音源のリリースは2曲に過ぎないが、そのサウンドからは限りない可能性を感じさせてくれる。
まずは、彼らのデビュー曲、"Raah Piya" を紹介しよう。
Rolling Stone India誌が選んだ2017年のインドのミュージックビデオ・ベスト10の第5位にランクインしたビデオでもある。
タイトなリズムに浮遊感のあるヴォーカルが心地良い。
古典風に歌ってたと思ったら、ジャジーなピアノソロに続いてラップが入ってぐっと曲調が変わり、さらに最後のヴァースでヴォーカリスト2人がメインのパートとインプロヴィゼーションに分かれて掛け合いを始める頃には、あなたにもインドのフュージョン・ロックの魅力が最大限に感じられるはずだ。
インド声楽は慣れないと少しつかみどころがなく感じるかもしれないが、はまってくると独特のヴォーカリゼーションがとても心地よく感じるようになってくる。
続いて、彼らの2本目のビデオ"Kosh".
楽曲もビデオもさらに洗練されてきた!
今度はギターのアルペジオやリズムがちょっとラテンっぽい感じも感じさせる楽曲だ。
スムースな曲調が一転するのが3:20頃からの間奏で、ギターのノイズをバックに緊張感あふれる怒涛のリズムに突入する。
ここからさらにジャズ色の濃いピアノソロを経てヴォーカルに戻ってくる展開は圧巻だ。
"Kosh"のビデオを制作したのはデリーの映像作家Mohit Kapil.
「なぜ愛すのか、誰を愛すのか、どう愛すのか」というテーマで作成された映像は、困難の中にいる人々を扱った3つの独立したストーリーから成り立っている。
仕事と育児に追われるシングルマザー、作品を作りのための意思疎通がうまくいかないダンサーと写真家、衰えや痴呆と否応なしに向き合わされる老夫婦。
それぞれが日常の苦しみのなかから喜びや希望を見出してゆく過程は、計算し尽くされた美しい色調や構成とあいまって、短編映画のような印象を残す。
このPaksheeでユニークなのは、2人いるヴォーカリストのうち、一人はヒンディー語で、もう一人はマラヤラム語(南部ケララ州の言語)で歌っているということ。
全く異なる言語体系の両方の言語が達者な人はインドでもそう多くないはずだが、こうした言語の使い分け方にも何かしらの意図がありそうで、ぜひ彼らに聞いてみたいところだ。
この曲では、2つの言語で、
「いったい誰がミツバチのために花を蜜で満たすのか。誰が花を咲かせるのか」
「蝶は繭から孵るとき、いったいどうやって育ったのか。誰が育て、羽に色をつけたのか」
といった、生命をめぐる哲学的とも言える歌詞が歌われている。
("Kosh"はヒンディー語で「繭」や「宝のありか(金庫)」という意味とのこと)
Paksheeのサウンドは、楽器は西洋風、歌はインド風という比較的わかりやすいフュージョンだが、ジャズやロック的なインストゥルメンタルと古典音楽風のヴォーカルが不可分に一体化していて、先日紹介したPineapple Express同様に、フュージョンロックの新世代と呼ぶにふさわしい音像を作り上げている。
「インドの要素の入ったロック」は昔から欧米のアーティストも多く作っているけど、この本格的な古典ヴォーカルを生かしたサウンドは本場インドならでは。
演奏力も高く、大きな可能性を秘めている彼らが、インドの市場でどのように受け入れられるのか、はたまた海外でも高く評価される日が来るのか、非常に楽しみだ。
まあどっちにしろ、世間の評価に関係なく私は高く評価しますよ。ええ。
それでは今日はこのへんで!
2018年08月12日
プログレッシブ・古典ミクスチャー・メタル? Pineapple Express!
軽刈田 凡平です。
さて、今回紹介しますのは、バンガロールのとにかく面白いバンド、Pineapple Express.
彼らは今年4月にデビューEPを発売したばかりの新人バンドなんですが、このブログの読者の方から、ぜひ彼らのことをレビューをしてほしい!とのリクエストをいただきました。
どなたかは知らぬが、おぬし、やるな。
Pineapple ExpressはDream TheaterやPeripheryのようなヘヴィー寄りのプログレッシブ・ロックやマスロックを基本としつつ、エレクトロニカからインド南部の古典音楽カルナーティック、ジャズまでを融合した、一言では形容不能な音楽性のバンド。
百聞は一見に如かず(聴くだけだけど)、まず聴いてみてください。彼らの4曲入りデビューEP、"Uplift".
どうでしょう。
プログレッシブ・メタル的な複雑な変拍子を取り入れながらも、メタル特有のヘヴィーさやダークさだけではなく、EDMや民族音楽的なグルーヴ感や祝祭感をともなったごった煮サウンドは、形容不能かつ唯一無二。
結果的にちょっとSystem of a Downみたいに聴こえるところもあるし、トランスコアみたいに聴こえるところもある。
Pineapple Expressは中心メンバーでキーボード奏者のYogeendra Hariprasadを中心に結成された、なんと8人組。
バンド名の由来は、おそらくは2008年にアメリカ映画のタイトルにもなった極上のマリファナのことと思われる。
メンバーは、「ブレイン、キーボード、プロダクション」とクレジットされているYogeendraに加えて、
Arjun MPN(フルート)、
Bhagav Sarma(ギター)、
Gopi Shravan(ドラムス)、
Jimmy Francis John(ヴォーカル。Shubhamというバンドでも歌っている)、
Karthik Chennoji Rao(ヴォーカル。元MotherjaneのギタリストBhaiju Dharmajanのバンドメンバーでもある)、
Ritwik Bhattacharya(ギター)、
Shravan Sridhar(バイオリン。Anand Bhaskar Collectiveも兼任ということらしいが、あれ?以前ABCのことを記事に書いたときから違う人になってる)の8人。
8人もいるのにベースがいなかったり、ボーカルが2人もいたりするのが気になるが、2013年に結成された当初はトリオ編成だったところに、 Yogheendraの追求する音楽を実現するためのメンバー交代を繰り返した結果、この8人組になったということらしい。
1曲めの"Cloud 8.9"はプログレ的な変拍子、カルナーティック的なヴォーカリゼーション、ダンスミュージック的な祝祭感に、軽やかに彩りを添えるバイオリンやフルートと、彼らの全てが詰め込まれた挨拶代わりにぴったりの曲。
2曲めの"As I Dissolve"はぐっと変わって明快なアメリカンヘヴィロック的な曲調となる。
この曲では古典風のヴォーカルは影を潜めているが、彼ら(どっち?)が普通に歌わせてもかなり上手いヴォーカリストことが分かる。アウトロでEDMからカルナーティックへとさりげなくも目まぐるしく変わる展開もニクい。
3曲めはその名も"The Mad Song". 分厚いコーラス、ラップ的なブリッジ、さらにはジャズっぽいソロまでを詰め込んだ凄まじい曲で、このアルバムのハイライトだ。
途中で彼らの地元州の言語、カンナダ語のパートも出てくる。
こうして聴くとプログレ的な変拍子とカルナーティック的なリズムのキメがじつはかなり親和性の高いものだということに改めて気づかされる。
考えてみればインド人はジャズやプログレが生まれるずっと前からこうやってリズムで遊んでいたわけで、そりゃプログレとかマスロックとかポストロックみたいな複雑な音楽性のバンドがインドに多いのも頷けるってわけだ。
4曲めのタイトルトラック"Uplift"はフォーキーなメロディーが徐々に激しさと狂気を増してゆくような展開。
たった4曲ながらも、彼らの才能の豊かさと表現の多彩さ、演奏能力の確かさを証明するのに十分以上な出来のデビュー作と言える。
デビューEP発売前に出演していたケララ州のミュージックチャンネルでのライブがこちら。
よりEDM/ファンク的な"Money"という曲。
メンバー全員のギークっぽいいでたちが原石感丸出しだが、奏でる音楽はすでに素晴らしく完成されている。
日本でも公開されたボリウッド映画(武井壮も出てる)「ミルカ」ののテーマ曲のカバー、"Zinda"はライブでも大盛り上がり。
Yogheendraはこのバンド以外にも少なくとも2つのプロジェクトをやっていて、そのひとつがこのThe Yummy Lab.
インド音楽とキーボードオリエンテッドなプログレ的ロックサウンドの融合を目指す方向性のようだ。
演奏しているのは"Minnale"という映画の曲で、古典楽器ヴィーナの音色がどことなくジェフ・ベックのギターの音色のようにも聴こえる。
もうひとつのプロジェクトが"Space Is All We Have"というバンド。
このバンドはメンバー全員で曲を共作しているようで、Pineapple Expressとは違いインド音楽の要素のないヘヴィーロックを演奏している。
Pineapple Expressのヴォーカリスト、Jimmy Francis Johnと二人で演奏しているこの曲では、変拍子やテクニックを封印して、叙情的で美しいピアノを披露している。
どうだろう、とにかく溢れ出る才能と音楽を持て余しているかのようじゃないですか。
Yogeendra曰く、インドの古典音楽とプログレッシブ・ロックを融合させることは、意識しているというよりごく自然に出来てしまうことだそうで、また一人、インドのミュージックシーンにアンファン・テリーブル(恐るべき子供)が現れた、と言うことができそうだ。
今後の予定としては、スラッシュメタルバンドのChaosやロックンロールバンドのRocazaurus等、ケララシーンのバンドと同州コチのイベントで共演することが決定している模様。
Pineapple Expressが、少なくともインド国内での成功を収めるのは時間の問題だろう。
彼らのユニークな音楽性からして、インド以外の地域でももっと注目されても良いように思うが、プログレッシブ・メタル、インド伝統音楽、エレクトロニカというあまりにも対極な音楽性を融合したバンドを、果たして世界の音楽シーンは適切に受け止めることができるだろうか。
この点に関しては、試されているのは彼らではなくて、むしろ我々リスナーであるように感じる。
海外のフェスに出たりなんかすれば、一気に盛り上がって知名度も上がるんじゃないかと思うんだけど、どうでしょう。
Pineapple ExpressとYogheendraがこれからどんな作品を作り出すのか、インドや世界はそれにどんなリアクションを示すのか。
それに何より、この極めてユニークな音楽性のルーツをぜひ直接聞いてみたい。
これからもPinepple Express、注目してゆきたいと思います!
それでは!