カシミール

2021年09月11日

あらためて、インドのヒップホップの話 (その4 コルカタ、北東部、その他北インド編)



インドのヒップホップを地域別に紹介するこの企画、今回はコルカタとインド北東部、さらにその他北インドのラッパーを特集!

今回紹介する各地域の所在地はこちらの地図でチェック!
IndiaMap(states)
(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/File:India_-_administrative_map.png


地域のくくり方が急に雑になったな… 、と思った方もいるかもしれないが、これまでちょくちょく書いてきたエリアが多いので、まとめて紹介させてもらいます。

コルカタをはじめとするベンガルのアーティストに関しては、昨年から何度も特集しているので、こちらから過去の特集記事をどうぞ。





コルカタを代表するラッパーといえばCizzy.

Cizzy "Middle Class Panchali"


お聴きの通り、非常にセンスの良い出来なのだが、インドでは他地域に話者がほとんどいないベンガル語でラップしているせいか、彼は全国的には無名な存在だ。
コルカタのヒップホップシーンは、ほとんどのラッパーがベンガル語でラップしているがゆえに、ヒンディー語でラップするムンバイやデリーのラッパーのような注目を集めることが少ないのである。

ところが、ここに来てCizzyがインド全体を意識したような英語の楽曲をリリース。
はたして、Cizzyは全国的な成功を手にすることができるのだろうか?

Cizzy "Good Morning, India"



ところで、コルカタが位置する州の名前はウエスト・ベンガル州。
じゃあ東ベンガルはどこにあるのかというと、それはバングラデシュという別の国。
19世紀末、インドを支配していたイギリスは、民族運動がさかんだったベンガル地方を効率的に統治するため、宗教間の対立感情を巧みに利用して、この地域をヒンドゥー教徒が多い西ベンガルとムスリムが多い東ベンガルに分断した。
結果として、ベンガル地方東部はヒンドゥー教がマジョリティを占める世俗国家となったインドと袂を分かち、はるか遠くインドの西に位置するパキスタンの一部として独立することを選んだ。
しかしながら、地理的にも離れているうえに、文化的にも言語的にも差異の大きい東西パキスタンはさまざまな折り合いがつかず、東パキスタンは独立運動の末、1971年にバングラデシュとして再独立を果たすことになった。

というわけで、隣国にはなるが、コルカタと同じベンガル語を話すバングラデシュのラッパーを特集した記事はこちら。


同じベンガル語圏でも、文学的かつ詩的な香りのただようコルカタとは異なり、バングラデシュのラッパーはより政治的かつ社会的な主張をリリックに盛り込んでいるという印象。
東西ベンガルのラップの傾向の違いが、それぞれの国の歴史や政治や文化の違いによるものなのか、はたまた宗教の違いによるものかは分からないが、なかなか興味深いところではある。



首都デリーとコルカタを結ぶ線上には、タージマハールがあるアーグラー、男女交歓像で知られるカジュラーホー、ガンジス河の聖地ヴァーラーナシー、ブッダが悟りを開いたブッダガヤー(ボードガヤー)といった有名な観光地が点在している。
だが、これらの地域(州でいうとウッタル・プラデーシュ、ビハール、ジャールカンドなど)は人口こそ多いものの、経済的には貧しく、端的に言って「後進的」な地域だ。

したがって、ヒップホップのような新しいカルチャー不毛の地なのだが、それでも、突然変異のようなきらめきを放つアーティストが登場することがある。

例えば、先日紹介したビートメーカーのGhzi Purがその一人だ。
地理的に大都市のシーンから隔離されているからだろうか、狂気を煮詰めたようなサウンドは、あまりにも強烈な個性を放っている。
(そういえば、メールインタビューの返事、待たされたままこないな…)



ジャールカンド州には、これまた驚くべきラッパーTre Essがいる。
以下のふたつ目のリンクの記事は彼へのインタビューだが、彼が語ったヒップホップをエクスペリメンタルなジャンルとして定義づける姿勢と、地方都市のアーティストならではの苦悩は強く印象に残っている。






インドのなかでももっとも貧しい州のひとつとして知られるビハール州にも、ユニークなラッパーがいる。
彼の名はShloka.
ヒンドゥー教の伝統的なモチーフを大胆に導入したそのスタイルは、まさにインドのヒップホップ!

 Shlokaというラッパーネームはインドの古い詩の形式の名前から取られている。
インドでは古典音楽とラップの融合は珍しくないが、彼のようなスタイルは唯一無二だ。


そのまま東に進んでウエスト・ベンガル州を越え、さらにバングラデシュを越えると、そこはインド北東部。
「セブン・シスターズ」と呼ばれる7つの小さな州が位置する地域だ。
このエリアには、アーリア系やドラヴィダ系の典型的なインド人ではなく、東アジア、東南アジアっぽい容姿のさまざまな少数民族が暮らしている。
インドのマジョリティとは異なるルーツを持った少数民族であるがゆえに、インド国内では被差別的な立場に置かれることも多い彼らは、自らの誇りをラップを通して訴えている。

北東部は、話者数が少ない地元言語よりも、多くの人に言葉を届けられる英語でラップするアーティストが多い土地でもある。
彼らについてはこの記事で詳しく特集している。


ベンガルール編で紹介した日印ハーフのラッパーBig Dealも、北東部の人々同様に見た目で差別されてきた経験を持つからだろう、彼らに想いを寄せた曲をいくつも発表している。
上記の記事では、USのラッパーのジョイナー・ルーカスの"I'm Not Racist"を下敷きに北東部出身者への偏見をテーマにした"Are You Indian"、を紹介したが、この曲では北東部ミゾラム州のラッパーG'nieと共演して、「チンキー」という差別語で呼ばれる現実をラップしている。


インドの東の果てまで来てしまったが、今度は西側にぐっと戻って、タール砂漠が広がるラージャスターン州に目を移そう。
褐色の大地に色鮮やかな民族衣装が映えるこの地は、インドのなかでもとくにエキゾチックな魅力にあふれ、観光地としても国内外の人気を集めている土地だが、ポップカルチャーの世界では存在感の薄い地域である。

だが、全国的な知名度こそなくても、この地域にはインドらしい個性があふれるラッパーたちがいる。
砂漠の街のギャングスタ、J19 Squadとラージャスターンのラッパーについては、ぜひこちらの記事からチェックしてみてほしい。




カリフォルニアのチカーノ・ラッパーたちが自慢のローライダーを見せびらかすように、とっておきのラクダを見せびらかすヒップホップミュージックビデオなんて、最高としか言いようがない。



最後に、インド北部、パキスタンとの国境紛争や独立運動に揺れるカシミール地方にも、ラップでメッセージを発信しているラッパーがいた。
世界中の人に言葉が届くようにと英語でラップしているMC KASHがその代表格で、彼が2010年に発表した"I Protest"は、中央政府による弾圧に抗議するこの地方の人々の合言葉となった。
この地方の概要と彼については、この記事で紹介している。



最近では、デリーのAzadi Records所属のAhmerもカシミーリーとしてのリアルをラップしている(彼の場合、言語が英語ではないのでリリックの内容はわからないが、このミュージックビデオのアニメーションからも現地の厳しい状況が想像できる)
 
今回は北インドのいろんな地域のヒップホップを急ぎ足で見てきたが、とにかくいろんな場所でいろんなラッパーがいろんな主張やプライドをリリックに乗せて発信しているのがたまらなく魅力的だし、ぐっとくる。
これでもまだ紹介できていない地域があるのだからインドは奥が深い。

さて、次回はまだ紹介しきれていない南インドを掘ってみます。



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goshimasayama18 at 21:56|PermalinkComments(0)

2020年06月01日

インドのEDM系アーティストがなにかと面白い! KSHMR, Lost Storiesらのインド風トラック!



意外に思われるかもしれないが、ダンスが大好きなインド人の間では、EDM系の音楽の人気がとても高い。
主要なリスナー層は、都市部の中産階級以上の音楽の流行に敏感な若者たちに限られるのだろうが、それでも13億の人口を誇るインドでは、相当数のファンがいるということになる。
インドではアジア最大の(そして世界で3番目の規模の)EDMフェス"Sunburn"が開かれているし、国際的に活躍しているインド人アーティストもいる。


EDMというジャンル自体、すでに人気のピークを過ぎた感もあるし、そもそもコロナウイルス禍でフェスティバルやパーティーが開けない状況が続くと、シーン自体がどうなってしまうのか心配ではあるが、インドにおけるEDM人気の根強さは、今のところ我々の想像をはるかに超えているのである。

今回は、そんな「ダンス大国」インドのEDMアーティストたちが、グローバル市場向けのゴリゴリのダンストラックとは別に、国内リスナー向けにかなりインドっぽい楽曲を製作しているというお話。

以前の記事でも取り上げたムンバイ出身のEDMデュオ、Lost Storiesが、プレイバックシンガーとして活躍するJonita Gandhiと共演したこの"Mai Ni Meriye"は、彼らがこれまでに発表してきたトランス系テクノやEDMとは大きく異なるボリウッドっぽい1曲。
(Lost Storiesがこれまでに発表してきたダンストラックについては、この記事を参照してほしい。"Tomorrowlandに出演するインド人EDMアーティスト! Lost StoriesとZaeden!"


原曲はヒマーチャル・プラデーシュ州の伝統音楽のようだ。
Jonita GandhiはYouTubeにアップした歌声がきっかけでA.R.Rahmanに見出されたカナダ在住のシンガーで、2013年以降様々な映画のサウンドトラックに参加している。(昨年11月にNHKホールで行われた「ABUソングフェスティバル」にも、インド代表としてラフマーンとともに来日していた。)
Lost Storiesの洗練されたトラックに彼女の古典音楽風の節回しの歌が乗ることで、あたかも最近のボリウッドの映画音楽のような仕上がりになっている。

Lost StoriesがKSHMR(カシミア)と共演した"Bombay Dreams"のミュージックビデオは、サウンドだけでなく映像も映画のような魅力を持っている。

エスニックなメロディーラインが印象的だが、エレクトロニック系の曲だとこの手の旋律は国籍に関係なくよく使われているので、もはやどこまでがインドでどこからがEDMなのかさっぱり分からなくなってくる。
それはともかく、このミュージックビデオで注目すべきは、音楽よりもマサラテイストかつ甘酸っぱいストーリーのほうだろう。
「イケてない太めの男子」と「古典舞踊を習う女子」というEDMのイメージとは距離のありすぎるキャラクターたちが繰り広げる淡い恋模様は、まるで青春映画の一場面のようだ。

この曲でLost Storiesと共演しているKSHMRはカリフォルニア州出身のインド系アメリカ人で、その名前の通りカシミール地方出身のヒンドゥー教徒の父を持つEDMミュージシャン/DJだ(母親はインド系ではないアメリカ人のようだ)。
彼はもともとCataracsというダンスミュージックグループに在籍しており、いくつかの曲をヒットさせていたが、Cataracs解散後の2014年にKSHMR名義での活動を開始すると、Coachella, Ultra Music Festival, Tommorowland等の主要なフェスに軒並み出演し、2016年にはDJ MagazineのTop 100 DJs of the yearの12位とHighest Live Actに輝くなど、名実ともにトップDJの座に躍り出た。

KSHMRがベルギー人DJのYves Vと共演したこの"No Regrets (feat. Krewella)では、音楽的にはインドの要素はほぼ無いものの、インドの伝統格闘技クシュティをテーマにしたミュージックビデオを製作している。

冒頭で歌われているのはハヌマーン神へを讃えるヒンドゥーの聖歌らしく、こちらもまるでインド映画のような仕上がりになっている。

インドのインディー系ミュージシャンには、インドのポップカルチャーの絶対的な主流であるボリウッドに対して「ドメスティックでダサいもの」という反感を持っている者が多いという印象を持っていたので(かつて日本のロックミュージシャンが歌謡曲に抱いていたような感情だ)、こうしたEDM系のアーティストたちが、ボリウッドっぽさ丸出しの楽曲をリリースしているということに、非常に驚いてしまった。
グローバルな成功を収めている彼らにとっては、ローカルなボリウッドは仮想敵とするようなものではなく、むしろ冷静にマーケットとして見ているということだろうか。
(日本でいうと、石野卓球あたりがJ-Popのプロデュースやリミックスを手がけているのと同じようなものかもしれない)

KSHMRは、2015年から2017年まで、「アジア最大のEDMフェス」Sunburnのオフィシャルミュージックを手がけており、EDMやトランスに開催地であるインドの要素を融合させた楽曲をリリースしたりもしている。




これらの曲を聴けば、彼が自身のルーツであるインドの要素をいかに巧みにダンスミュージックに取り入れているかが分かるだろう。
このどこまでも享楽的なサウンドは、かつて欧米や日本のトランスDJたちが、インド音楽をサイケデリックで呪術的な要素として使ってきたのとは対照的で、長らくインドの音楽をミステリアスなものとして借用してきた西洋のポップ・ミュージックに対するインド人からの回答として見ることもできそうだ。

パーティーミュージックのプロデュースにかけては一流の評価を得ているKSHMRが、そのサウンドに反して極めてシリアスなメッセージを伝えようとしているミュージックビデオがある。
彼の故郷の名を冠した"Jammu"という曲である。
Jammu(ジャンムー)とは、彼の名前の由来になったカシミールとともにジャンムー・カシミール連邦直轄領を構成する地域の名前だ。
この地域は、1947年のインド・パキスタンの分離独立以来、両国が領有権を主張し、たびたび武力衝突が起きている南アジアの火薬庫とも言える土地である。
カシミール地方では、「ヒンドゥー教徒がマジョリティーを占める世俗国家」であるインドにおいて、例外的にムスリムが多数派を占めるという人口構成から、インド建国間もない時期から独立運動も行われており、この地を巡る状況は非常に複雑になってしまっているのだ。
こうした歴史から、かつては「世界で最も美しい場所」とまでいわれていたカシミールでは、テロや紛争、独立闘争やその過酷な弾圧のために、数え切れないほどの血が流されてきた。


戦乱で母を失った少年がテロリストになるまでを描いたストーリーは、欧米やヒンドゥー側から見たムスリムのステレオタイプ的なイメージという印象も受けるが、現実に起こっていることでもあるのだろう。
(ちなみにKSHMRは"Kashmir"という楽曲もリリースしているが、この曲ではミュージックビデオは作られていない)

このミュージックビデオがリリースされたのは2015年。
その頃は州としての自治権を有していたジャンムー・カシミール地域は、2019年8月にインド政府によって自治権を剥奪され、大規模な反対運動にも関わらず、連邦政府直轄領となることが決定した。
これにともなって、ジャンムー・カシミール地域では、混乱や暴動を避けるという目的で、長期間にわたるインターネットの遮断や外出禁止が行われ、外部との連絡が絶たれた中で治安維持の名目での暴力行為もあったという。 
デリーのラッパーPrabh Deepは、コロナウイルスによる全土ロックダウン時にリリースされた楽曲で、外出禁止が続くカシミールに想いを馳せる内容のリリックを披露している。


KSHMRによるインド色の強いミュージックビデオは、インド国内のマーケット向けというだけではなく、自身のルーツとなっているカルチャーや歴史を広く世界に知ってもらいたいという意図も持って作られたのだろう。
インド国内のアーティストが、ミュージックビデオでインド文化をできるだけ洗練されたものとして描く傾向があるのに対して、ステレオタイプ的な描写が多いのは、彼が母国を遠く離れた欧米で生まれ育ったこととも関係がありそうだ。
いずれにしても、KSHMRのこうした映像作品は、YouTubeのコメント欄を見る限りでは、インドのリスナーに好意的にはかなり受け入れられているようである。
彼はDJセットにおいてもインドの楽曲をサンプリングすることが多く、それが彼のDJの文字通り巧みなスパイスになっている。

以前紹介したZaedenも、ヒンディー語楽曲をいくつか発表しているが、今回はインド系バルバドス人のRupeeが2004年にスマッシュヒットさせた'"Tempted to Touch"のリメイクを紹介したい。

ほぼ忘れられかけていた一発屋をこうしてリメイクするという取り組みも、世界で活躍するインド系アーティストへの絆を感じさせるものだ。

無国籍なサウンドとなることが多いダンスミュージックに、インド系のアーティストがこれだけ自身のルーツの要素を取り入れているということは、かなり面白いことだと感じる。
これは欧米が主流のシーンに対する自己主張であるだけでなく、全てを取り入れて混ぜ込んでしまうインド文化のなせる業なのだろうか。



エレクトロニックミュージックとインド的要素の融合については、非常に面白いテーマなので、まだまだ書いてゆきたいと思ってます。
それでは今回はこのへんで!




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goshimasayama18 at 19:16|PermalinkComments(0)

2019年03月07日

バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(後半)



(一応前回の続き。前回を読まなくてもとくに問題はないです)

一連のインドによるパキスタン領内への攻撃に対して、ソーシャル・メディア上で支持や祝意を表明している著名人も多い。

南アジアを遠く離れた日本でこうした知らせを聞く限り、核保有国同士の戦争の一歩手前である武力行使への礼賛は、どうしても受け入れがたく感じてしまう。
しかしながら同時に自分の国が度重なるテロに脅かされた経験などない我々に、彼らを批判する資格などないのではないかとも考えさせられる。
自国民を守るべき軍隊が、自国の脅威となるテロの根絶を図るのは当然とも言えるからだ。

では、対国家ではなく対テロならば他国領土への武力行使も容認すべきなのか。
そもそも今回の攻撃対象がテロの拠点だという証拠は本当にあるのか。
もしそうだとしても、多くの人々が、平和を愛する気持ちではなく、報復的な感情や敵意や愛国心にもとづいて歓喜の声を上げている状況を、どう解釈したらいいのだろうか。
もやもやした気持ちはなかなか晴れそうにない。

今回のインドによるパキスタン領内への空爆は、2月14日のカシミールでの爆弾テロへの報復的措置だと言われている。
カシミール問題は非常に根が深く複雑で、歴史を振り返るにしても、どの立場を取るかによっても大きく解釈が変わってくる非常にやっかいなものだが、ごく大まかに言うとこういうことになる。

1947年のインド・パキスタン分離独立時、カシミール地方では、ムスリムが大半を占める住民をヒンドゥーの藩王(マハーラージャ)が統治する体制が取られていた。
この時点で、カシミールには、

1.インド(ヒンドゥーがマジョリティーを占める世俗国家)への帰属
2.パキスタン(イスラーム国家)への帰属
3.独立

の3つの選択肢があった。
しかし、藩王国としての意思が表明される前にパキスタンがこの地域に武力介入して来たため、藩王はインドへの帰属を決意する。
インドも軍隊を派遣し、結果的にカシミールは南部をインド、北西部をパキスタンが実効支配することとなった。
(さらに言うと、このジャンムー・カシミール地域の北東部は中国が実効支配しているのだが、ややこしくなるので、今回は割愛する)

インド領となったジャンムー・カシミール州では、インドへの帰属に反対するムスリムの住民たちによる抗議運動が始まり、それを阻止するインド政府側との抗争で多くの犠牲者が出る悲劇が繰り返された。
過激派による暗殺やテロ行為、そしてそれに対するインド政府の弾圧によって、今日まで多くの一般市民が犠牲となっている。
カシミール情勢の泥沼化は、印パ両国の対立激化や、ヒンドゥー至上主義とイスラーム原理主義の台頭と結びつき、もはやどう転んでも誰かの逆鱗に触れてしまうという、大変な状況になってしまった。

こうした複雑かつデリケートなカシミールの歴史を、分かりやすく読むことができる小説が、インドのジャーナリスト、ヴィクラム・A・チャンドラ(Vikram A. Chandra)の「カシミールから来た暗殺者」(現代:"The Srinagar Conspiracy")だ。
前回紹介した「バジュランギおじさんと、小さな迷子」(Bajrangi Bhaijaan)が、「宗教と国家のナショナリズムを、個人の絆と人間愛が乗り越えてゆく物語」だとすると、この「カシミールから来た暗殺者」は、「個人の絆や人間愛が、宗教と国家のナショナリズムによって分断され、蹂躙されてゆく物語」だ。

物語は1947年のカシミールから始まる。
印パ分離独立にともない国中が混乱する中、インド領カシミールに暮らすヒンドゥーのカウール家とムスリムのシャー家は、そうした情勢に関係なくお互いに結婚や孫の誕生を祝いあい、家族同然のつきあいを続けていた。
シャー家の人々は、イスラーム国家であるパキスタンに帰属することよりも、世俗国家インドでヒンドゥーの友人たちとも共存できることを喜んでいた。

カシミールをめぐる印パの抗争は続く1960年半ば、両家に相次いで男の子が生まれる。
カウール家に生まれたヴィジャイとシャー家に生まれたハビーブは、兄弟同然に育っていった。
ヴィジャイの夢は父の跡を継いで軍人になること、ハビーブの夢は高級官僚だ。
カシミールの美しい自然の中、ハビーブはカウール家にショールを売りに来る身寄りのないムスリムの少女ヤースミーンに淡い恋心を抱き、3人は友情を育みながら大きくなってゆく。
  
だが、インドとパキスタンとの対立構造の緊張の中で、ムスリムの間では、ヒンドゥーがマジョリティーを占めるインドの支配下にいることへの不満が少しずつ大きくなってゆく。
イスラーム学校に通う友人のひとりが独立運動に傾倒すると、やがてハビーブもその影響を受け、カシミールの独立を目指す組織に加盟する。

はじめのうち、それはあくまで自由と独立を目的とした運動であり、極端なイスラーム原理主義とは距離を置いていたはずだった。
だが、その運動をパキスタンのイスラーム武装組織が支援しはじめると、自由を求める闘争は過激化してゆく。
暗殺や誘拐が横行し、パキスタンで武装訓練を受けたハビーブも反対派の殺害に手を染める。 

過激化した独立運動に対するインド側の取り締まりは、情け容赦がなかった。
数多くの民族問題や独立運動を抱えるインドにとって、カシミールの独立は決して認めることができないものだからだ。
インド政府による独立運動への弾圧。過激派による体制派やヒンドゥー教徒への報復。
無関係の市民も大勢が巻き込まれ、この地上で最も美しい土地のはずだったカシミールの亀裂は、もはや修復不能なものとなってしまう。

やがて政府側の巧みな鎮圧で独立運動が下火になると、国外から来たイスラーム原理主義者が闘争を牛耳るようになる。
カシミールのための闘争は、カシミール人の手を離れ、カシミールのためのものですらなくなってしまう。

「バジュランギおじさんと、小さな迷子」が理解と理想を描いたものだとしたら、「カシミールから来た暗殺者」に描かれているのは、悲しみと現実だ。
ただただ自由と平和を願っていた人々が不条理な暴力の犠牲になり、抱いていた理想はもはや夢想することもできないほどに遠ざかってゆく。

読むのが辛くなるような部分もあるが、人間ドラマやサスペンス的展開を丁寧に描いたストーリーは緊張感があって飽きさせることがなく、この小説はエンターテインメントとしても優れている。
(インド側いちジャーナリストの視点から描かれた小説であること、この小説の発表が今から20年近く前の2000年だということには留意が必要だろう。カシミールが印パ両国の間で翻弄され続けていることは今も変わらないが)
あまりにもドラマティックな展開に「ボリウッド的すぎる」という批判もあるようだが、それでもこの小説は実際の歴史にそって書かれたものだし、いつ身近な人が犠牲になるかも分からない暮らしは、カシミールの現実そのものなのだ。


そんなカシミールのリアルを、ラップで表現するアーティストがいる。
1990年にジャンムー・カシミール州の州都スリナガルで生まれたRoushan Illahiは、故郷カシミールからその名を取ったMC Kashの名義で、カシミールの現実とそこで暮らす市民の心情を綴った楽曲を発表している。

彼が最初の楽曲をリリースしたのは2010年。
この年、インド軍による民間人の殺害に対する抗議行動が鎮圧される中で、10代の少年たちを含む100名以上の犠牲者が出る惨事が起きた(インド政府はこの暴動はパキスタンの煽動によるものだと主張している)。
MC Kashもまた、この弾圧で自らの友人を失った。
この出来事に触発された彼は、あまりにも理不尽な現実に抗議し、自由を求める気持ちを綴った"I Protest"を発表する。
彼はカシミールの状況についての認識を広めるため、故郷の母語であるカシミーリー語ではなく、より多くの人々に自分の言葉を届けられるよう、英語でラップすることを選んだ。

組織的な暴力のもと、人の命がいとも簡単に奪われる現実のなかで、自由を求めて抗議する、あまりにもヘヴィーな内容のリリック。
この曲の最後に読み上げられるのは、弾圧のなかで命を落としたカシミールの市民たちの名前だ。

この楽曲をリリースしたことで、彼は過激派や分離主義者との関係を疑われ、スタジオにいたところを警察に急襲される。
彼は誰のサポートも受けておらず、自分の意思で活動していると主張したが、スリナガルのほとんどのスタジオは、厄介ごとを恐れて協力を拒否するようになってしまう。
だが、この曲は自由を求める人々のアンセムとなり、"I Protest"の言葉はインド軍の横暴に抗議する人々の合言葉として、ソーシャルメディア上で使われるようになった。
その後も彼は困難にめげず、カシミール市民の魂と日常をラップした数多くの楽曲を発表している。

この"Beneath This Sky"では真実を直視しろと訴え、体制の腐敗を批判する。

全てのシャッターが下ろされ、鉄条網が張られたスリナガルのストリートがリアルだ。
 
ポップカルチャーを扱うメディア'101India'の企画で、同郷のスーフィー・ロックバンドAlifと共演した楽曲"Like A Sufi".
祈りの音楽と自由を求めるラップが相乗効果で胸に迫ってくる。  
スーフィズムはイスラーム神秘主義と訳される、自己を滅却し神との合一を目指す思想。
「バジュランギおじさん」で、パワンたちが訪れた聖者廟で歌われていたのも、カッワーリーというスーフィズムの音楽だ。
聖者崇拝は南アジアのイスラームに独特なもので、他の地域のムスリムからは、唯一神のみを信仰すべきとする本来のイスラームにはそぐわないものとされることもある。
だが聖者廟に祀られた聖者たちは、宗教の枠を超えてヒンドゥー教徒たちにも崇拝されていることも多く、地元の人々にとってはとても大事な存在だ。
「カシミールから来た暗殺者」では、外国から来たイスラーム原理主義者たちが、聖者崇拝の伝統を軽視する様子を通して、闘争がカシミールの人々の手を離れてゆく様子が描かれている。
 
"My Brother" は生まれながらに自由を奪われる不条理を嘆き、金のために魂を売り渡す仲間たちに団結を呼びかける楽曲で、同じくAlifとのコラボレーション。
 

過酷な環境のなか、ヒップホップこそが彼の生活であり、魂であることを綴った"Everyday Hustle"

ヒップホップという音楽が、インドのなかでも他の都市とは段違いに過酷なカシミールにあってさえ希望になりうることが分かる一曲だ。

MC Kashの音楽は、ヒップホップと言ってもダンスミュージックやパーティーミュージックではないし、その内容に反してアジテーション的でもない。
静かで美しいトラックに切実な言葉を紡ぐそのスタイルは、むしろスラム(ポエトリーリーディングの一形態)に近いと言えるかもしれない。

このドキュメンタリーで、MC Kashは、幼い頃から銃口を向けられ、女性はレイプに怯えながら暮らす日常について語っている。
 
あまりにも過酷な環境のなか、彼にとってヒップホップだけが情熱を注げる対象であり、自分を解放できる故郷のような存在でもあり、そして自分が育ったスリナガルのストリートの現状を伝える手段だった。
音楽的には2pacに、思想的にはマルコムXやチェ・ゲバラに影響を受け、自分はカシミールの反逆者たちを代弁する存在だと語る彼は、カシミールの独立によって自由と平和がもたらされることを信じて待ち望んでいることを打ち明ける。

だが、彼はカリスマティックな革命家のような、特別な存在になることを目指しているのではない。
何よりも彼は、自分の音楽を通して、カシミールの人々が、この曲を平和な地で聴くリスナーたちと同じように、尊厳ある幸せな生活を望む普通の人々であることを伝えたいと語っている。
彼もまた、暴力にさらされつづける街で、ヒップホップを愛し、人並みの幸福や自由を望む、一人のごく普通な青年なのだ。


「バジュランギおじさんと、小さな迷子」のような、現実が厳しいからこその理想を描いた映画もまた素晴らしいが、一方で、「カシミールから来た暗殺者」やMC Kashが語る、厳しすぎる現実についてもきちんと目を背けずにいたい。
昨今の印パの衝突で、またしても暴力や政治によって、この美しい土地に暮らす人々に苦しみがもたらされていると思うと本当に胸が痛む。

いつの日か、人々であふれた平和なスリナガルのストリートを歩きながらラップするMC Kashの姿を見ることができるのだろうか。
その日が来ることを、心から願っている。


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2019年03月04日

バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(前編)

(この記事の途中に、映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』のラストシーンに関する記述があるので、ラストを知りたくない方は読まないことをおすすめします)

カシミール地方での悲しいニュースが続く。
2月14日に自爆攻撃で41人が死亡。
2月18日に銃撃戦で9人が死亡。

25日にはテロリストの拠点への攻撃として、インド空軍がパキスタン領内に空爆。
インド側は約300名を殺害と主張しているが、パキスタンは被害はごく軽微なものだったと真っ向から対立する内容を発表した。
パキスタンはインドの戦闘機を撃墜してパイロットを捕虜にしたが、対話による解決を望むとして3月1日に解放(パイロットに暴力を振るおうとしていた民間人をパキスタン軍が制止したという報道もあった)。
インドもパキスタン機を撃墜したと発表したがパキスタンはこれを否定。
両国ともに自国民へのメンツの維持と国際社会への正当性のアピールという思惑があり、事実は杳として分からない。
そもそもインド政府の「テロリストの拠点がパキスタン領内にあり、パキスタンはテロ取り締まりを怠っている」という主張をパキスタン側は否定しており、はじめから議論は噛み合っていないのだ。

インド国内ではイスラーム過激派によるテロがたびたび起きているが、インドではその背景にパキスタンがいるという見方が強く、今回の空爆は、まもなく総選挙を控えたインドのモディ首相が強硬姿勢により支持率の挽回を狙って行ったものという見方もされている。
実際にインド国内ではこの空爆を評価する(「憎きパキスタンによくぞやった!」的なものも含めて)声も強いようだ。

2015年のインド映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』は、国家の対立や宗教の違いを乗り越えるヒューマニズムを描いて印パ両国で大ヒットとなったが、ひとたび今回のような事態になると、ナショナリズムが加速し報復感情が高まるのは毎度のこと。
今はことが大きくならないことを願うのみだ。 


ご存知の方も多いと思うが、『バジュランギおじさんと小さな迷子(原題:Bajrangi Bhaijaan)』は、迷子になり国境を越えてデリーにたどり着いたパキスタンの女の子シャーヒダ(彼女は口がきけない)を、敬虔なヒンドゥー教徒のパワン(別名バジュランギ)が両親のもとに送り届ける道中の試練と奇跡を描いた映画だ。

インドは世俗主義を掲げるもののヒンドゥー教徒がマジョリティーであり、一方のパキスタンはイスラーム国家。
さらには解決の糸口の見えないカシミールの領土問題もある。
今回の空爆からも分かる通り、インドとパキスタンは核兵器を向け合う敵国同士であり、両国の国民感情はもともと険悪だ。
国家対立、宗教対立にもとづく偏見や誤解を正直者のパワンがどう乗り越えてゆくのか、というのがこの映画の見所というわけである。

映画を見て、国家や宗教という重いテーマをほのぼのとした娯楽作品に仕上げたカビール・カーン監督の手腕とバランス感覚に舌を巻いた。
南アジアから離れた感想を言わせてもらうなら、隣国との関係で憎しみが高まりつつある今の日本でこそ、もっと見られるべき映画だと感じた。
(そもそも日本だったらこんなリスキーなテーマの娯楽映画は制作することも難しいだろう。商業主義と批判されがちなボリウッドだが、こうしたインド映画人の気骨にはただただリスペクトしかない)

この映画にまつわる文化的、宗教的、神話的背景についてはすでに多くの方が的確な解説をしてくれているので、今回はこの映画のなかでも扱われている「ヒンドゥー・ナショナリズム」について書いてみる。

「ヒンドゥー・ナショナリズム」を非常に簡単に言うと、「インドはヒンドゥーの土地である」という思想と言い換えられる。
そのため、ヒンドゥー・ナショナリズムでは外来の宗教であるイスラームやキリスト教を自国文化を破壊するものとして敵視する傾向がある。
実際に、ヒンドゥー教徒にとって聖なる存在である牛を屠畜したムスリムを襲撃したり、クリスマスやバレンタインデーのようなキリスト教の習慣への反対運動を起こしたり、暴動に乗じてモスクを破壊したり他宗教の信者を虐殺したりするような問題が起きている。
大きすぎる大国インドでは、ナショナリズムにおいてすら国民がひとつにまとまることは難しい。

映画の中でヒンドゥー・ナショナリズムが明確に描かれている場面のひとつが、パワンの少年時代の回想シーンにある。
「父はRSSに所属していた」というシーンがあるが、RSSは正式名称をRashtriya Swayamsenak Sanghと称し、日本語では「民族義勇団」と訳されるヒンドゥー至上主義団体のこと。
イギリス統治下の時代にヒンドゥー精神の発揚を目的として結成されたこの団体は、やがてイスラーム排斥的な傾向を帯び、ヒンドゥーとイスラームの融和を目指したマハートマー・ガーンディーを暗殺するに至る。
一度は活動が非合法化されたRSSだが、その後すぐにそれが撤回されるとヒンドゥー強硬派の支持を集め勢力を拡大してゆく。
今日でもモディ首相が所属する政権与党BJP(Bharatiya Janata Party「インド人民党」と訳される)をはじめとする多くの団体を傘下に持ち、インド全土に強い影響力を維持している。

回想シーンの中で、少年時代のパワンがボーイスカウトのような制服に身を包み、体操のようなことをしているシーンが出てくるが(「やってみたけどうまくいかなかった」とか言っているシーンだ)、これはRSSが朝夕に行なっている「シャーカー(Shakha)」と呼ばれる運動だ。
掛け声に合わせていっせいに動く運動によって子どもたちを含めた構成員の統一感を作り上げるとともに、講話などを通してヒンドゥー至上主義の思想を説くための活動として、インド各地の公園で行われている。
つまり、主人公パワンは、単に「敬虔なヒンドゥー教徒」というだけではなく、ヒンドゥー至上主義的な家庭に生まれ育ったという設定なのだ。

数あるヒンドゥー至上主義団体の中で、ときに暴力行為も起こす反イスラーム色の強い団体に、世界ヒンドゥー協会(VHP)傘下のバジュラング・ダル(Bhajrang Dal)がある。
この「バジュラング」は映画の主人公パワンの別名「バジュランギ」と同じくヒンドゥー教の神ハヌマーンを指しており、バジュラング・ダルは「ハヌマーンの軍隊」を意味している。
猿の神ハヌマーンは、「ラーマーヤナ」の主人公である英雄ラーマ(ヴィシュヌ神の化身のひとつ)への忠誠を尽くす戦士であったことから、ラーマ神への帰依と忠誠を象徴するようになり、転じてヒンドゥー至上主義では外敵(イスラームを指すことが多い)と戦う戦士としてのイメージが与えられるようになった。
1992年にラーマ神の生誕地と言われるウッタル・プラデーシュ州アヨーディヤーでモスクを破壊し(いわゆるアヨーディヤー事件)、今日の宗教間対立の大きな火種を作ったのも、このバジュラング・ダルのメンバーが中心だったとされる。
「バジュランギ」という名前は、敬虔な信仰と表裏一体の排他性・攻撃性を孕んでいるのである。

次にヒンドゥー・ナショナリズムが描かれるのは、パワンがシャーヒダを連れてパキスタン大使館に行くシーンだ。
反パキスタンのデモを行っていたヒンドゥー至上主義者たちが暴徒化し、大使館を襲い始める。
ヒンドゥー至上主義の家庭で育ったパワンが、その暴力性に直面する場面だ。
暴力的なナショナリズムに対して、理屈や主張をふりかざすのではなく、あくまで純真さで対峙しているというのが、この映画の非常に上手いところだと思う。
議論ではなく、万人の感情に訴える方法を用いて描くことで、巧みに批判をかわすことに成功している。

この映画は、インド国内でも大きなうねりとなっているヒンドゥー至上主義に対して疑問を呈し、自重を呼びかけるという、一歩間違えると強い反発を招きかねないテーマを扱っているわけだが、さらに絶妙のバランス感覚だなあと思ったのがラストシーンだ。

パキスタンから国境を超えてインドに戻るパワンを囲む両国の大観衆の前で、奇跡が起きて声が出せるようになったシャーヒダがパワンに向かって叫ぶ言葉は、
「Jai Shri Ram!(ジャイ・シュリー・ラーム=ラーマ神万歳)」
ヒンドゥー教徒の間ではあいさつのように使われる言葉ではあるが、パキスタンのムスリムが口にするものとしてはありえない言葉。
それに対してパワンは「アーダーブ」という手のひらを顔に向けるイスラームの挨拶を返す。
「個人間の結びつきは国家や宗教の対立を超える」というテーマを表現した美しいシーンだ。

両国の国民感情に無関係な日本人の立場からすると、ここでパワンに「Assalamu Alaikum!(アッサラーム・アライクム。ムスリムが使うアラビア語の挨拶だが、本来の意味は「あなたの上に平和を」)」と叫ばせれば尚良かったはずだと思う。
それを言わせずに、アーダーブだけで済ませたところがインドのマジョリティーであるヒンドゥー教徒の感情に配慮したカビール・カーン監督のバランス感覚なのだろう。
そもそも、原題の"Bajrangi Bhaijaan"のBhaijaanというのも、パキスタンのムスリムの言語ウルドゥー語で「兄弟」を意味する呼びかけの言葉(「にいちゃん」とか「兄貴」みたいなものだろう)で、ヒンドゥーの神ハヌマーンの別名であるバジュランギのあとにつくのは違和感のある言葉だ。
要するに、「インド(もしくはヒンドゥー)がパキスタン(もしくはイスラーム)を受け入れる」というより、「パキスタン(もしくはイスラーム)がインド(もしくはヒンドゥー)を受け入れる」という色合いのほうが、少しだけ濃くなっているように感じる部分があるということだ。

「バジュランギおじさん〜」はパキスタンでも人気だったというが、このあたりについてはどうだったんだろうかと気になって調べてみたところ、ネットで(英語で)調べた限りではとくに批判的な記述は見つけられず、パキスタンでも大好評だったという記事ばかりがヒットしてほっと一安心。
というか単に私がいろいろと考えすぎだっただけなのかもしれない。


ヒンドゥー・ナショナリズムに関しては、少し古い本になるが、2002年に中公新書ラクレから出版された中島岳志著『ヒンドゥー・ナショナリズム 印パ緊張の背景』がとても分かりやすい。
ナショナリズムというと排他的な意味合いばかりが強調されるが、RSSに代表されるヒンドゥー・ナショナリズム団体は、医療活動や教育活動、障害者や農村の支援なども積極的に行っているという。
RSSは、カルト宗教のような怪しげな存在ではなく、少なくともボリウッド映画の愛すべき主人公の父親が所属していても違和感がないほどに、一般的なものなのだ。

著者によると、意外なことに、RSS内部では、ヒンドゥーの旧弊とされるカーストによる差別は一切ないという。
RSSの内部では、最上位のブラーミンとカーストの枠外に置かれたアウトカースト(不可触民)が同じ場所で同じように過ごし、触れ合っている。
これはヒンドゥーの歴史や差別の苛烈さを知る人にとっては、にわかには信じられないことだろう。
ここでは同じヒンドゥー教徒としての団結が、カーストという小さなコミュニティーの利益よりも重視されることで、カースト差別というヒンドゥー社会最大の問題がいともたやすく解決されてしまっている。
彼らが単に時代遅れな伝統主義者の集まりではないということが分かるだろう。

中島氏は、実際にRSSの人々と寝食をともにして、ヒンドゥー・ナショナリズムに惹かれる若者たちのなまの姿を目の当たりにする。
あの「シャーカー」にも実際に参加し、その様子を書いているが、号令にあわせて一斉に動くシャーカーが最も上手にできたのは、他でもない中島氏だったという。
ふつうの日本の学校教育を受けてきただけの著者が、「回れ右」のような号令のもとに全体行動を行うシャーカーを、ナショナリズム団体に所属するインド人の誰よりも完璧にできたという記述には、大いに考えさせられるものがあった。

RSSのメンバーは、予想に反して人当たりがよく、外国人である著者に好奇心旺盛な、純粋な若者たちだったという。
物質主義文明が広がり、腐敗が進むインド社会の中で、倫理や規範を求めて宗教的伝統を見つめ直そうとする若者たちにとって、RSSが精神的な受け皿となっているのである。

ところが、真面目で精神性を大事にし、公式声明ではムスリムも仲間だと言う彼らは、ひとたびイスラームとの間の緊張が高まると(たとえそれが3.11同時多発テロやバーミヤンの大仏破壊のような国外のニュースであっても)、ムスリムを敵視し、デモ行進でインドからの追放を訴え、暴力すら辞さないほどの激しさを見せる。
若者たちの倫理や宗教的規範を求める気持ちが、排外的な愛国心に回収されてしまっているのだ。
ラーマーヤナのような古典が異教排斥のシンボルとして流用され、イスラームやキリスト教といった外来の宗教は、伝統を破壊する脅威として標的となる。
友好的で純粋だった若者たちは、全てのムスリムはテロリストだというような極論を、日常のフラストレーションとともに吐き出してゆく。

ヒンドゥー・ナショナリズムでは、本来は普遍的であるべき思想が、インドの土地を守るためのものへの矮小化され、宗教的善行は国家への奉仕に置き換えられてしまっている。
インドという国に魅力を感じたことがある人間にとって、ヒンドゥーの文化と信仰は多かれ少なかれ興味と敬意の対象だったはずだ。
貧しい人々の素朴な信仰心から、その歴史の背後にある深淵な哲学まで、インドを訪れた多くの人がヒンドゥーという伝統に惹きつけられてきた。
「私自身の生き方に、さまざまな形で影響を与えてきたヒンドゥーの信仰が、このような形で他者に対する暴力に繋がることが、私には悲しくてしかたがなかった」 という著者の言葉に、私を含めた多くの人々のヒンドゥー・ナショナリズムに対する気持ちが簡潔に表されている。

ヒンドゥー至上主義団体の構成員の多くが、過度な功利主義に疑問を抱く純粋な若者たちだということからも分かる通り、ナショナリズムの暴力性は純粋な信仰と地続きのものだ。
一見過激なナショナリズム団体が、多くの慈善事業を行っていることもその証拠だろう。
(一方でここ日本で昨今高まりつつあるナショナリズムにそうした人間性があるだろうかと思うと暗澹たる気持ちになるが)
本来はヒューマニズムに基づいたものであるはずの信仰心が、テロリズムへの恐怖や他者への無理解、そして政治的な意図によって、排他性や暴力性を帯びてしまっているのだ。

『バジュランギおじさんと、小さな迷子』にはヒンドゥーやイスラームの「祈り」の場面がたくさん出てくるが、宗教や国籍が違っても、彼らが祈っている内容は憎しみや破滅ではなく、幸福や安心であるはずだ。
この映画では、主人公のキャラクターを「愛すべき愚か者」(パワンは嘘をつくことすらできない)とすることで、ごく自然に「頭(先入観や偏見)ではなく、心に基づいて行動すること」の大切さを伝えることに成功している。
この映画は「本来の信仰」が「宗教や国家のナショナリズム」を超克する物語であり、印パ両国だけでないあらゆる人々にとって、普遍的なメッセージを有している。

おっと、例によって今回も語りすぎてしまった。
長くなりすぎたので、続きはまた次回! 


今回ブログを書くにあたって特に参考になったWebの記事はこちら。
インドのニュースサイトKafina Online:"Of Hanuman, Pakistan and Bhaijaan: Prabhat Kumar"(2015年8月23日) 

後編はこちらからどうぞ:バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(後編)

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goshimasayama18 at 00:04|PermalinkComments(4)