インド北東部
2019年03月09日
"Gully Boy"と『あまねき旋律』をつなぐヒップホップ・アーティストたち
ここ日本での自主上映でもかなり評判が良いようで、今までになくインドのヒップホップが注目を集めている。
残念ながらSpace Boxさんによる英語字幕の自主上映は本日がラストとのことだが、これまでに日本でヒットしてきたインド映画とはまた違う毛色の本作、改めて正式な劇場公開が待たれる。
(Gully Boyについては不肖、軽刈田も大絶賛しております。「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」)
この映画はムンバイのラッパーNaezyとDivineをモデルにしているが、インドではここ数年、大都市ムンバイのみならず、様々な都市や地域でアンダーグラウンドなヒップホップシーンが形成されている。
それはインドのなかでも独自の文化を持つインド北東部も例外ではない。
インド北東部のナガランド州を舞台にしたドキュメンタリー映画『あまねき旋律』をご覧になった方は、ナガの地に駐留するインド軍が映し出された、重苦しい無音のシーンを覚えていることだろう。
かつて村が焼き払われ、この土地の独立運動が徹底的に弾圧された歴史が、字幕で伝えられる場面だ。
山あいの農村に暮らすチャケサン・ナガ族のみずみずしい歌声にあふれたこの映画の中で、そこだけ生気が失せたような沈黙がとても印象的なシーンだった。
(ナガランドについては何度も書いているが、『あまねき旋律』についてはこちらから:「特集ナガランドその1 辺境の山岳地帯に響く歌声 映画『あまねき旋律』」)
(地図出展:Wikipedia)
インド北東部は、ヒンドゥー/イスラームの二大宗教や、アーリア/ドラヴィダの二大民族に代表される典型的なインド文化とは全く異なるルーツを持つため、周縁的な存在であることを余儀なくされ、差別や偏見の対象となってきた。
そのため、北東部ではナガランド以外でも多くの州で、独立運動や権利を求める闘争が行われてきた。
そうした運動を牽制するため、インド北東部の多くの地域が、前回紹介したカシミール同様にAFSPA(Armed Force Special Power Act. 軍事特別法と訳されることがある)の対象地域とされ、軍や警察による令状なしの捜査・逮捕・資産の収奪が認められている。
そして残念なことにその特権は必ずしも正義のために行使されているわけではなく、これまでに多くの一般市民が権力を持つ側の犠牲になっており、それゆえに権利や自由を求める意識はさらに高まってきたという歴史がある。
このブログでも紹介してきたとおり、インド北東部は典型的なインド文化の影響が少なく、クリスチャンが多いこともあって相対的に欧米文化の影響が大きいため、インドのなかでもかなり洗練されたポピュラー音楽文化を持っている地域だ。
当然ながらアンダーグラウンドヒップホップシーンにも数多くの素晴らしいアーティストがいる。
インド北東部では多くのラッパーが差別や偏見に抵抗し、民族の誇りを掲げたラップをリリースしているが、その代表格がトリプラ州のBorkung Hrankhawl(BK)だ。
"Fighter ft. Meyi"
"Roots (Chini Haa)"
ヒップホップというよりはEDMに近いビートに乗せてポジティブなリリックを吐き出す姿勢がとても印象的なBorkung Hrankhawlについては、以前も詳しく紹介した。(「トリプラ州の“コンシャス”ラッパー Borkung Hrangkhawl」)
メガラヤ州からは、この地に暮らすカシ族の名を取ったKhasi Bloodzが、「インドのロックの首都」とも言われるほどインディーミュージックが盛んな州都シロン(Shillong)を拠点に活動している。
この曲はその名も"Hip Hop"
メンバーのBig-Riは同郷の女性R&BシンガーMeba Ofiliaとコラボレーションしたこの楽曲でMTV Europeの2018年Best India Actに選ばれた(こちらの記事でも特集)。
"Done Talking"
と、ここまではイントロダクション(いつも長くて申し訳ない)。
今回は奇しくも3人のラッパーが似たタイトルの楽曲を発表していることを紹介します。
まずは北東部でも最北の地、アルナーチャル・プラデーシュ州のラッパーK4 Kekhoが昨年リリースした"I am an Indian"から。
「北東部出身者が、インドの主要部で中国人やネパール人に間違えられて経験する真実に基づいている」というメッセージから始まるこのミュージックビデオは、インド国内でも十分に認識されず、高等教育を受けるために進んだ主要都市では外見や文化の違いから差別と偏見にさらされる過酷な現実を訴えている。
それでもなお「俺もまたインド人だ」と主張するラップは、ある意味独立を訴えるよりも悲しみを感じさせるものだ。
後半では主要都市の大学で差別や暴力によって北東部出身者が命を落とした事件に対する抗議の様子が出てくるが、これはBorkung Hrankhawlもフリースタイルのスポークンワードで訴えていた深刻な問題だ。
続いて紹介するのはインドに併合される1975年まで独立国だったシッキム州のラッパー、UNBが2014年に紹介した"Call Me Indian".
彼のことも以前ブログで取り上げたのを覚えている方もいるかもしれない(そのときの記事)。
ユーモラスなフロウでラップされているが、インド人としての誇りを持っていてもインド人して見られず、見た目を馬鹿にされ、声をあげれば暴力さえ振るわれるというリリックの中身は悲痛なものだ。
そして3曲めに取り上げるのは、オディシャ州出身のラッパー、Big Deal.
オディシャ州は地図を見ればわかる通りインド北東部ではないが、インド人の父と日本人の母のもとに生まれた彼は外見的に北東部出身者にうりふたつで、彼もまた幼少期に外見ゆえの差別を受けてきたという。
(地図出展:Wikipedia)
彼が昨年リリースした楽曲のタイトルは"Are You Indian".
"I Am Indian", "Call Me Indian", "Are You Indian"と、奇しくも3曲が3曲とも「外見からインド人みなされず差別にさらされる北東部出身者が、自分も同じインド人だと抗議する」というテーマを掲げているのがお分かりいただけるだろう。
これらの曲は、北東部出身者は、インドの主要地域出身者に比べて、同等の尊厳が認められていないという状況を表している。
Big Dealのこの"Are You Indian"はアメリカのラッパーJoyner Lucasの"I'm Not Racist"という曲にインスパイアされて書かれたものだという(この曲もアメリカの黒人の心情が非常に分かるものになっているので、興味があればぜひビデオを見てほしい)。
前半では、ヒンドゥー、ムスリム、南部出身者ら、多様ではあるがインド主要部を構成する人々からの北東部への偏見が吐き出される。
それに対して後半は北東部出身者からの返答という構成になっている。
これがかなり面白いので、相当長くなるがリリックの訳を載せてみます。
まずは前半、インドのメインランドからの偏見はこんな内容だ。
お前らの女どもは早いって聞くが
処女を失ったみたいに尊厳も無くしちまったのか?ひどいもんだ
まずはここでも中国人に似ていることや外見に対する差別から歌詞が始まり、ヒンドゥーやイスラーム的な価値観とは異なる彼らへの偏見が続く。
今回紹介した3曲全てに北東部の食文化に対する差別が入っているのも興味深い。
インドのマジョリティーであるヒンドゥー文化は菜食を清浄なものとし、肉食を忌避する傾向があるが、北東部出身者は伝統的に肉をよく食べることから、差別の対象となりやすい。
「犬肉を食べているんだろう」というのは、典型的な北東部出身者への偏見の一例だ。
指定部族(Scheduled Tribe=STという。ちなみに不可触民などの指定カーストはScheduled Caste=STと略される)優遇制度の恩恵を受けていることや、テロリズム的独立運動というのも北東部のステレオタイプへの批判と言ってよいだろう。
最後の方に出てくるメアリー・コムというのは北東部のマニプル州出身の女子ボクシング世界チャンピオンのこと。
彼女はモンゴロイドだが、彼女の半生が映画化された際には、典型的なインド美人の女優、プリヤンカ・チョープラーが彼女の役を演じた。
さて、前半の偏見に対する北東部からの反論はこんなふうに続く。
(※国境の右側は中国ということだろう)
女性たちへの差別的な感性
あんた達の服だって思ってるほど立派じゃない
正義のための道に毎日集まるんだ
ムスリムへの差別も止めろ
(※この4行のヒンディー語部分は機械翻訳なのであやしいです)
メアリーを讃えろ
男どもは毛深くてクソみたいな匂いがする
俺たちは俺たちのプライドの奴隷
そんな人生なら、生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
無知や見た目による差別への反論がこれでもかと畳みかけられる。
逆差別との批判も受けがちな優遇制度も、独立運動にも、彼ら自身さえうんざりしているテロ行為にさえ、それに値するだけの理由があるのだという主張には、犠牲者でありつづけてきた悲痛が込もっている。
リリックはさらに激しさを増し、かつてインド人を差別したイギリス人と同じことをしている差別主義者や、差別することで自尊心を満たす彼らの生き方を糾弾する。
ここまで聞くと、やはり差別される側である北東部出身者の声に一部の理があるように思える。
Youtubeのコメント欄には、この曲に対して北東部出身者からの共感の声と、メインランドの理解者からの賞賛の声が並んでいるが、その中にいくつか気になるものがあった。
「こういう音楽を作ることで、かえって分断を強調してしまうのではないか」とか「北東部にもメインランドから移住した者に対する差別がある」といったものだ。
正直にいうと、私も北東部の人々のおかれた状況に同情しつつも、この曲の後半のかなり過激な糾弾に対しては、差別主義者の心に届くのなあ、と疑問に感じていた。
北東部出身者でないBig Dealのリリックが、実際の当事者であるK4 KekhoやUNBの表現よりも赤裸々で激しいことも気になる。
Big Dealは、当事者が反発を招かないために、あえて越えないようにしていたラインを越えてしまったのではないか。
こうした表現方法では、共感者の理解は得られても、そうでない人(例えばST制度反対論者)の気持ちを変えることはできないのではないか。
その点に対して、Big Dealは、この曲について解説した動画の中で非常に興味深い話を語っている。
オディシャ州の小さな街プリーで育った彼は、幼少期に東アジア的な見た目ゆえの差別を経験した。
プリーの街にはそんな顔の人間は誰もいなかったからだ。
インド北東部にほど近いウエストベンガル州ダージリンの寄宿舎学校進むと、そこには彼によく似た見た目の同級生たちがいた。
ところが、今度こそよく似た仲間たちに溶け込めたのかというと、そうではなかった。
そこで会った北東部出身者は、見た目は似ていてもよその地域から彼をやはり差別したのだという。
(そこからラップに出会ったことで自信を得てゆく過程は彼の"One Kid"という曲に詳しく表現されている)
こうした経験を通して、彼は偏見というものが決して一方向だけのものではないことを知る。
偏見とは双方向的なもので、それぞれが「正しい」と思っていることの中に含まれているのだ。
それがマジョリティーとマイノリティーに分断されたときに、差別という問題になって表出する。
これは「差別される側にも原因がある」というような意味ではなく、人間の本質についての話だ。
この曲は北東部への差別を扱った楽曲ではあるが、メインテーマは前半と後半、それぞれのヴァースの最後の部分なのだ。
そんな人生なら、生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
「差別する側の言い分」である前半のラストにも理解を求める言葉があるのは、無知や偏見ゆえに差別する人々も、心の底では相互理解の必要性を分かっているということを表しているのだろう。
この曲が扱っているのはインドだけの問題ではなく、世界中の誰にとっても普遍的なテーマなのだ。
本日はこのへんまで!
今回はずいぶん長い記事を読んでいただいてありがとうございました!
Big Dealのことも以前書いていたので興味のある方はこちらからどうぞ。
「レペゼンオディシャ、レペゼン福井、日印ハーフのラッパー Big Deal」2018.2.28
「律儀なBig Deal」(インタビュー)2018.3.24
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凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
2019年01月28日
『あまねき旋律』トークショーをやってきました!
ユジクさんについて最初に驚いたのが、今回の「旅するインド映画特集」に合わせて、ロビーにこんな素敵な黒板アートが描かれてていたこと。
今回の映画にちなんだ地域の説明がびっしり!
相当勉強になります。
これは写真だとわかりづらいけどものすごく巨大なイラスト!
描くの大変だっただろうなあ。
でもおかげで上映前から雰囲気が高まります。
地元にこんな映画館がある阿佐ケ谷の人がうらやましくなりました。
肝心のトークショーですが、うれしいことに映画を見たお客さんがほぼみなさん残ってくださり、しかもわざわざ事前にユジクさんでこの回の予約をしてくださった方も10名ほどいたとのこと。
たまたまこの回に『あまねき旋律』が見たかっただけかもしれませんが、重ねて御礼申し上げます!
それでは、この映画を配給しているノンデライコの大澤さんとの対談形式で紹介した音楽を改めてご案内します。
まず最初にかけたのはやっぱりこの曲。
ナガランドの"We are the World"こと、Voice of Nagalandの"As One".
ナガの16の部族が交代でヴォーカルを取り、メインランドから移住してきたアーリア系やドラヴィダ系の人々も歌うこの曲。
続いて紹介したのはTetseo Sisters.
『あまねき旋律』の舞台となったペク(Phek)出身の4姉妹です。
美しい4姉妹が歌う民族音楽は、ナガの人々が自らの伝統を振り返るきっかけのひとつにもなったようで、大澤さんが言っていた「ネーネーズのような存在」という例えが言い得て妙。
余計なお世話ではあるんですが、前々から思ってたけど、ちょっと彼女たち、メイクが濃すぎるんじゃないか。
ナチュラルメイクのほうがナガランドの自然な風景に合うのでは、なんていうのは極東の島国からのたわごとなわけですが、こんなところからも日本とナガとの感覚の違いが分かります。
次に話したのは、自然の中で敬虔なクリスチャンが暮らしているような印象のナガランドで、実は若者の間での悪魔崇拝が社会問題になっているんですよ、という話題。(くわしくはこちらの記事をどうぞ)
ナガランドのデスメタルバンド、Aguares。
デスメタルをかけたら、帰っちゃった人がいたのが印象的でした。
ゴメンナサイ。
そしてナガランドの若者の間で流行っているもうひとつの文化、日本のアニメとコスプレ。
(詳しくはこちら)
『あまねき旋律』と同じナガランドの人とは思えないこのコスプレっぷり。
都会の若者になってくると、顔立ちや表情もぐっと日本人に近くなります。
映画の中にも出てきた通り、ペクの村で歌われている伝統音楽も、一度はキリスト教への改宗によって途絶えたもの。
ペクの人々は、改宗や独立運動への弾圧によって途絶えてしまった伝統的な歌唱を復活させ、昔ながらの暮らしを続ける道を選んだ。
それとは対照的に、失われたアイデンティティーに代わるものとして日本のアニメに拠り所を見出す人もいるし、悪魔崇拝に走る若者もいるのかも、なんて話をしました。
最後に紹介したのはナガランドのクリスマスソング。
自分たちの文化ではサンタクロースもクリスマスケーキもプレゼント交換もなじみがないけど、故郷で過ごすクリスマスがやっぱりいちばんさ、と静かに歌うこの賛美歌(?)に、本来のクリスマスのあり方を改めて教えられるような気がします、というお話をしたところでちょうど時間となりました。
トークショーの25分はあっという間で、まだまだお話したいことあったのですが、話したかったことはだいたいこれまでのブログに書いてあるので、改めてリンクを貼りつけておきます。
特集ナガランドその1 辺境の山岳地帯に響く歌声 映画「あまねき旋律」
特集ナガランドその2 神の国となりし首刈りの地に悪魔の叫びが木霊する!悪魔崇拝とブラックメタル
特集ナガランドその3 ナガの地で花開く日本文化 ナガランドのオタク・カルチャー事情とは?
インド北東部ナガランドのクリスマスソング!
以前ブログに書いた以外で最近注目しているのは、ナガのミュージックビデオなんかに出てくる「ナガランドのちょっといい家」に、必ず鹿の頭が飾ってある、ということ。
このAlobo Nagaのミュージックビデオの豪邸なんて、3箇所も鹿の頭が飾られてる!(0:30と0:50と1:50ごろに注目)
日本で鹿の頭が3つも飾られている家なんて、マタギでも住んでないと思う…。
トークショーでも少し紹介しましたが、伝統文化が色濃く残る農村とか悪魔崇拝とかコスプレみたいな極端な話じゃなくて、自然なナガの人々の暮らしぶりが知りたかったら、ナガのボーイフレンドとインドで暮らしている「ナガ族との暮らし」さんのブログとTwitterが超面白くてオススメです。
「ナガ族との暮らし」ブログ
「ナガ族との暮らし」Twitter
日本のアニメが大人気のナガの人々に「この番組はご覧のスポンサーの提供でお送りします」と日本語で言うとウケるとか、有益な情報がいっぱい!
俺もナガの人に言ってみたい!
個人的に大好きなのはナガの昔話で、どんな話か知りたい方はぜひ上記のブログを読んでみてください。
今回のトークイベントにお越しいただいた方、ノンデライコの大澤さん、そしてこのブログを読んでいただいているみなさんにあらためて感謝します!
インド系ポピュラー音楽の研究家の方にもお会いでき、私にとっても非常に楽しく有意義な機会でした。
来られなかった方、会場でお話できなかった方も、下のコメント欄や左側のメッセージ欄に気軽に書いてくださったらうれしいです。
それでは今後ともヨロシク!
★凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
2019年01月09日
Meraki Studiosが選ぶ2018年インド北東部のベストミュージックビデオ18選!
Meraki Studiosが選出した2018年のインド北東部のインディーアーティストによるベストミュージックビデオが発表されたので、今回はそのなかでいくつか印象的だったものを紹介します。
このMeraki Studios、正直に言うと私もどんなところかよく知らないのだけど、彼らのウェブサイトによると、どうやらマニプル州インパールを拠点に広告、デザイン、録音、撮影、アーティストのブッキングとマネジメント、服飾販売などを手がけているところらしい。
詳細はリンクを参照してもらうこととして、選ばれた楽曲は以下の18本。
アーティスト名、曲名、ジャンル、出身地(活動拠点?)の順に紹介します。
・Pelenuo Yhome 'Build A Story' フォーク / ナガランド州コヒマ
・Fame The Band 'Autumn' ロック / メガラヤ州(現在はムンバイを拠点に活動)
・Lik Lik Lei 'Eshei' ポップ / マニプル州インパール
・The Twin Effect 'Chasing Shadows' ポップ / ナガランド州ディマプル
・Avora Records 'Sunday' ロック / ミゾラム州アイゾウル
・Fireflood 'Rain' ロック / ナガランド州ディマプル
・Tali Angh 'City Of Lights' ポップ / ナガランド州コヒマ
・Lucid Recess 'Blindmen' オルタナティブ / アッサム州グワハティ
・Featherheadds 'Haokui' フュージョン・ロック / マニプル州ウクルル
・Big-Ri And Meba Ofilia 'Done Talking' R&B / メガラヤ州シロン
・Avora Records '23:00' ロック / ミゾラム州アイゾウル
・Lo! Peninsula 'Another Divine Joke' ポストロック / マニプル州インパール
・Lateral 'Hepaah' ポップ / アッサム州グワハティ
・Sacred Secrecy 'Shitanagar' デスメタル / アルナーチャル・プラデーシュ州イタナガル
・Blue Temptation 'Blessing' ロック / メガラヤ州シロン
・Lily 'Unchained' EDM / メガラヤ州シロン
・Matilda & The Quest 'Thinlung Hliam' ポップ / ミゾラム州アイゾウル
・Joshua Shohe & Zonimong Imchen 'Never Let You Down' ポップ / ナガランド州
まず目につくのはロック系の多さ!
ジャンル分けは独断かつ適当だが、それを差し引いても、ヒップホップ系やエレクトロニカ系はほとんどいなくて、ロック系が大半を占めている。
北東部はもともとロックが盛んな土地で、メガラヤ州シロンは「インドのロックの首都」とも言われている街だ(今回もシロンから3バンドが選出されている)。
ロック系の中でもFirefloodみたいなハードロック系からAvora Recordsみたいなギターポップ系、Blue Temptationみたいなブルースロック系、さらにはポストロックやデスメタルまで多様なタイプのバンドが揃っている。
そしてもうひとつ気になったのはナガランドのバンドの多さ!
州別に言うと、ナガランドが5バンド、メガラヤが4バンド、マニプルが3バンド、ミゾラムとアッサムが2バンドずつ、アルナーチャル・プラデーシュ州が1バンド。
これまでもナガランドについてはいろいろと書いてきたけど(全3回のナガランド特集はこちらから)、改めてナガの地の音楽カルチャーの強さを感じさせられた。
それでは、この18曲を聴いてとくに印象に残ったビデオをいくつか紹介します。
Lik Lik Leiは、日本軍の悪名高いインパール作戦で有名なマニプル州インパールのバンド。
このデビュー曲の'Eshei'はマニプルの映画、その名も'Iriguchi(入り口)'のサウンドトラックからの1曲。
ミュージックビデオを見て分かる通り、日本軍の兵士が残した秘密の箱を見つけた現代のマニプリの若者が主人公の映画のようだ。
映画の背景にある重い歴史(大戦後、マニプル州はナガランドと同様に過酷な独立闘争を経験している)と、ビデオに出てくる現代的な若者、そしてウクレレを使った軽やかな音楽の対比が面白い。
アッサムのLucid Recessは2004年結成のベテラン・オルタナティブメタルバンド。
この曲ではサウンドガーデンやニルヴァーナを思わせるグランジ的なサウンドを聴かせている。
Featherheadsはマニプル州の小さな街、ウクルルのバンド。
ウクルルも日本軍の悲劇的な激戦地となった場所だ。
個人的には、今回のリストの中でいちばん強烈に印象に残ったビデオだ。
音楽的にはおそらく地元部族の伝統音楽とロックとのフュージョンということになるのだろう。
注目すべきは彼らの衣装で、なんと地元の民族衣装にインディアンの民族衣装を大胆に合わせている。
ここで言うインディアンはインド人ではなくアメリカ先住民のいわゆるネイティブアメリカンのこと。
インド人(インディアン)のなかでは周縁的な存在であることを余儀なくされている北東部マニプル州の彼らが、同じ「インディアン」と呼ばれながらも、やはり国家の中で周縁的な立場に置かれているアメリカ先住民の格好をしているというわけだ。
そしてマニプリとアメリカ先住民は「追いやられた先住民族」という点で共通している。
って、単にファッションとして取り入れているだけかもしれないけど、いずれにしても興味深い一致ではある。
同じくマニプル州のLo! Peninsulaはシューゲイザー、ドリームポップ、サイケロックを標榜するバンドで、曲によってはポストロック的な響きを持つ演奏をすることもある(このへんはジャンルのボーダーが曖昧な部分ではあるけれども)。
さっきのFeatherheadsとはうってかわって、とてもインドの山奥から出てきたとは思えない(失礼!)サウンド!
彼らはシアトルのカレッジラジオ局KEXPで紹介されたこともあるようだ。
ポストロックというジャンル字体はもはや世界中のどこでも珍しいものではなくなっているけれども、それでも今回紹介する北東部のバンドの中で彼らの存在感は群を抜いている。
ナガランドのJosua Shohe & Zonimong Imochenの'Never Let You Down'はZonimongのヒューマンビートボックスが全編にフィーチャーされた曲。
歌もちょっと弱いし、とりあえず地元で撮ったみたいなビデオも適当な印象だけど、意欲的な試みではある。
すでに紹介してきたバンドたちもおさらい。
日本のMonoがトリを務めたZiro Festivalにも出演したAvora Recordsは2曲でノミネート。
'Sunday'はどことなく1990年代の日本のバンドを思わせるミュージックビデオだ。
同じくZiro Festivalにも出演していたBlue Temptationはレニー・クラヴィッツみたいなシブいブルースロック!
MTV EMA2018のベストインド人アーティストに選ばれたBig-Ri& Meba Ofiliaも当然ランクイン。
このブログ最初のインタビューにも協力してくれたTana Doni率いるSacred Secrecyが地元イタナガルを強烈にディスっているブルータル・デスメタル'Shitanagar'でノミネート!
少々の荒削りさとびっくりするようなセンスが共存している北東部のシーン、今後も注目していきたいと思います!
そして今年は北東部が先になってしまったけど、メインランドの2018年を代表する曲やアルバムもまた紹介します!
それでは!
凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
2018年12月21日
インド北東部ナガランドのクリスマスソング!
いかがお過ごしでしょうか。
インドでもこの頃は、都市部のミドルクラスを中心に、クリスチャンでなくてもクリスマスをお祝いする習慣が広がってきているらしいが、ヒンドゥー/イスラーム文化圏のインドでは、日本みたいに毎年のようにクリスマスをテーマにしたポップソングがリリースされるような風潮はない。
そんなインドで、例外的にたくさんのクリスマス・ソングを見つけることができるの場所、クリスチャンがマジョリティーを占めるインド北東部だ。
というわけで、今回はドキュメンタリー映画「あまねき旋律」の舞台にもなった、独特の民族音楽を持つナガランド州のクリスマスソングを紹介します。
このブログでも何度も書いてきているように、インドの北東部にある7つの州(アルナーチャル・プラデーシュ、アッサム、マニプル、メガラヤ、ミゾラム、ナガランド、トリプラ。Seven Sisters Statesと呼ばれる)には多くのキリスト教徒が暮らしている。
インドのことを多少知っている人であれば、南部のゴアやケーララ州にはキリスト教が普及しているという話を聞いたことがあるだろう。
ゴアやケーララには、大航海時代や、そのはるか以前の1世紀に聖トマスが伝えたとされるキリスト教を信仰する人が多く暮らしており、キリスト教文化が伝統として根付いているが、それでもクリスチャンの割合は人口の3割ほどであり、彼らの多くはカトリックの信者だ。
それに対して、インド北東部の場合、クリスチャンのほとんどはプロテスタントを信仰している。
とくに、ナガランド州やミゾラム州は、なんと人口の8割〜9割がクリスチャンであり、インドでも最もキリスト教徒の比率が高い州となっている。
(ナガランドについては、その反動か悪魔崇拝が社会問題になっているというのは以前書いた通り。同じプロテスタントでも、ナガランドはバプテスト派、ミゾラムでは長老派が主流。また、北東部でもトリプラ州のようにヒンドゥー教徒が多い州もある)
インドの北東部では、北インドのアーリア系ヒンドゥー文化やイスラーム王朝文化とは全く異なる文化を持つモンゴロイド系の人々がマジョリティだ。
彼らはもともとアニミズム(精霊崇拝)を信仰していたが、19世紀末から20世紀にかけてこの地を訪れた欧米の宣教師によってキリスト教が伝えられ、 ナガやミゾの地では、今ではすっかりキリスト教が根づいている。
インドの中では比較的キリスト教の歴史が浅いこの地域ではあるが、だからこそというか、ポップなクリスマス・ソングも多くリリースされている。
(対照的に、ゴアやケララでは、キリスト教の歴史が長いせいか、クリスマス・ソングといっても聖歌のような曲調のものが多い)
まず紹介するのは、以前も取り上げた、当地の民族音楽とポップミュージックを融合したTetseo Sistersが歌う、クリスマスのスタンダード'Winter Wonderland'.
部屋の飾り付けやクリスマスツリーは日本や欧米と全く変わらないし、彼女たちの顔立ちとナガランド風の帽子を除けば、まったくアジアらしさを感じさせないミュージックビデオだ。
彼女たちも、いつものナガ風の歌唱ではなく、美しい英語のハーモニーを聴かせてくれている。
ナガランドは同じ州内でも民族ごとの言語が異なるという土地柄から、英語の普及率がインドの中でとくに高い地域でもあるのだ。
続いては、Tetseo Sistersと、同じくナガランドの大スター、Alobo Nagaが歌う、みなさんご存知の'Jingle Bells'.
イントロでTetseo Sistersが聴かせるこの地方独特のハーモニーがじつに心地いい。
'Winter Wonderland'とはうってかわって、伝統的なナガランドの囲炉裏を囲んでのビデオも素敵だ。
彼女たちは英語のカバー曲のセンスもいつもとても良い。
より宗教的な雰囲気を感じさせる歌としては、Virie, Zaza & Shalo Kent Feat. Akokというナガの複数のアーティストたちが歌う'Angels in Bethlehem'.
イエス生誕の地ベツレヘムを遠く離れたナガの地でクリスマスを祝福するこの曲を聴くと、現代風に見えるナガの若者たちもまた敬虔なクリスチャンなんだなあ、と改めて感じる。
最後に紹介するのは、Nagagenousという、ナガランドの文化や伝統をテーマにしたグループ(たぶん)が歌う、Khrismas Ye Niphulo pavi (Christmas is best in my village)という曲。
この曲はポピュラーミュージックではなく、ナガランドの教会音楽のような曲と思われるが、英語の字幕もついているので、ぜひじっくり聴いてみてほしい。
素朴で美しい伝統的なナガの暮らしの中でクリスマスを祝福する歌詞が心に響く。
私たちの村に雪は降らないし
サンタクロースのこともよく知らない
クリスマスケーキなんて無いけれども
やっぱり自分の村のクリスマスが最高さ
私たちの森にはトナカイなんて走っていないし
プレゼントを交換する習慣もない
ベツレヘムがどんなところかも知らないけど
やっぱり自分の村のクリスマスが最高さ
クリスチャンではない私たちにも馴染み深いサンタクロースやクリスマスケーキ、プレゼント交換のような習慣はなくても、自分たちの村で、自分たちのやり方で救い主の誕生を祝うことが最高に幸せなんだと彼らは歌う。
さらにこの曲の歌詞は驚くべき展開を見せる。
神々しい納豆の香りに
美味しいお餅
香ばしく焼けるキビとハトムギ
どんなに私の村のクリスマスを待ちわびたことか
納豆と訳したのは、Axoneという日本の納豆によく似た豆を発酵させたナガランドの伝統食品。
ナガの納豆については高野秀行氏の著作に詳しいが、納豆にdivine(=神々しい)っていうイメージがあるのが凄い。
餅と訳した部分はDelicious sticky rice breadという字幕だが、いったいどういったものなのだろう。
キビやハトムギというのも、いわゆる典型的なインド料理ではあまり見ないものだ。
ナガの食文化がインドのメインランドよりも、日本と同じいわゆる照葉樹林文化に近いものだということがよく分かる。
いずれにしても、キリスト教のルーツからは遠く離れたナガランドで、心からクリスマスをお祝いするナガの人々を思うと、信仰というものの純粋さをあらためて感じさせられる。
今日はここまで!
どんな宗教の人も、どんな民族の人も、どんな国籍の人も、素敵なホリデイ・シーズンが過ごせますように!
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2018年10月21日
特集ナガランドその2 神の国となりし首刈りの地に悪魔の叫びが木霊する!悪魔崇拝とブラックメタル
前回紹介したように、ナガランドの近現代史を象徴する3つの要素といえば、「首刈り」「キリスト教」「独立闘争」ということになる。
ナガの人々は、キリスト教への改宗によって首刈りを野蛮な風習として取りやめ、今では人口の9割がクリスチャンとして暮らしている。
プロテスタントのバプテスト派が多い。
激しい独立闘争もひとまず影をひそめ、信仰のもとに平和な生活が戻ったかに思われたナガランドに、近年新たな社会問題が発生している。
それは、「悪魔崇拝」(サタニズム)だ。
キリスト教が圧倒的なマジョリティーを占めるナガランドで、反キリストの悪魔崇拝が若者の間で流行し、深刻な問題になっているというのだ。
現地のニュースサイトによると、州都コヒマだけで、10代や20代を中心に、3,000人以上のサタンの崇拝者がいるとのこと。
コヒマは、ナガの16部族のうち、アンガミ族が多く暮らす人口27万人ほどの街だ。
この街で3,000人以上というのことは、人口比にして1%以上。
東京で言えば10万人以上のサタニストがいるというのと同じことで、確かにこれは無視できない問題に違いない。
コヒマは前回紹介した映画「あまねき旋律」の舞台となったPhekからも30キロ程度の場所にある。
おどろおどろしい悪魔崇拝が、あののどかな農村のすぐそばまで迫っているのだ。
サタニスト達は何をしているのかというと、地元紙の記事によると「血をすするような儀式、自傷行為、墓地での真夜中の礼拝」などを行い、「聖書を燃やしたり、生の肉を食べたり」して、さらには「空中浮遊のような超常現象」をも起こしていると言われているらしい。
ほんとかよ…。
(参考サイト:http://morungexpress.com/naga-society-faced-teenagers-satanism/
http://morungexpress.com/satanism-in-nagaland-putting-it-into-perspective/)
心配した両親たちは、子どもたちを取り戻すための「十字軍」を結成し、祈りの戦士(prayer warrior)やスピリチュアル・カウンセラーの力によって、彼らをもとの信仰へと連れ戻そうとしているという。
そりゃ、子どもたちがそんな不気味な儀式を始めたら親じゃなくても心配するよな。
それに生肉を食べるってのは何だろう。
お腹こわしたりしないんだろうか。
「十字軍」のカウンセラーたちは、サタニストの少年が「ルシファーこそ我が王なり」と叫んで床をかきむしりながら神を罵倒しているところに神の愛を説きながら改心を呼びかけるという、映画「エクソシスト」さながらの悪魔払いを行っているという。
我々取材班は、とあるルートからナガランドで実際に行われている悪魔祓いの儀式を撮影した映像を入手した。
(まあ、ふつうにYoutubeにあったんだけど。単にこれが言ってみたかった)
かなりショッキングな映像だが、これは実際にナガランドで行われていることである。
上記の記事によると、サタニストたちの自傷行為が避けられない場合には、手錠と足枷で拘束することもあるという。
ここで見られる「サタニズム」は、欧米社会でのそれのように、社会やキリスト教的倫理への反発、あるいはオカルト趣味に基づくものではなく、かつての日本の「狐憑き」のような、今日では精神疾患の概念で説明すべきもののようにも思える。
(欧米のサタニズム、例えば、アントン・ラヴェイの「悪魔教会」は、オカルティックなものではなく、それなりに洗練された独自の宗教倫理を標榜している)
この映像を見て、私は上田紀行氏の名著「スリランカの悪魔祓い」を思い出した。
この本は、スリランカの農村部を舞台に、鬱や自閉のような状態に陥った「患者」に対して「悪魔祓い」を行い、悪魔を説得して帰らせる儀式を村全体で行うことでその「症状」を治療する、癒しのプロセスを取り上げたノンフィクションだ。
スリランカでは悪魔は孤独な人に憑くと言われており、ナガでは悪魔崇拝に走る若者たちは家庭に問題を抱えている者が多いとも報じられている。
先進国であれば鬱などの精神疾患の原因となりうる環境が、ナガランドやスリランカでは「悪魔憑き」を引き起こすというわけだ。
仏教社会であるスリランカと、キリスト教社会であるナガランドでの「悪魔憑き」「悪魔祓い」の共通点や相違点は、比較社会学的にも面白いテーマになりそうだ。
「十字軍」の必死の努力もむなしく、ナガランドのサタニストは若者たちの間で増加傾向にあるらしい。
彼らはどうやって仲間を増やしているのかというと、その手段はなんとFacebookのようなSNSとロック・ミュージックだという。
ナガランドでは、ロックミュージシャンの言動に影響を受ける若者が多く、悪魔主義的な音楽やミュージシャンの影響でサタニストになる例が多いそうだ。
そしてサタニストたちはSNSで連絡を取り合い、墓地で不気味な儀式を行ったりしているというわけだ。
悪魔主義的なロックといえば、それはブラックメタル。
ヘヴィーメタルにおける猟奇趣味的演出だった悪魔崇拝を「本気」(マジ)で取り入れた彼らは、キリスト教的価値観を規範とする欧米社会で暮らす鬱屈とした若者たちに大きな影響を与えた。
本気のアンチクライストを掲げたブラックメタラーたちは、北欧で教会への放火や殺人といったシャレにならない事件を引き起こし、大きな社会問題となった。
その後、欧米ではブラックメタルはさらに多様なジャンルに進化、発展して現在に至っている。
例えば、ヨーロッパにおけるキリスト教伝来以前の伝統復古を歌うペイガン・メタルや、ナチズムを賛美する国家社会主義ブラックメタル(National Socialist Black Metal=NSBM)、鬱的な精神状態を表現する鬱自殺系ブラックメタル(Depressive Suicidal Black Metal=DSBM)などだ。
彼らは、結局はキリスト教の中の概念に過ぎない「悪魔崇拝」に早々に見切りをつけ、それに代わる新しい価値観として、古代の伝統やファシズムや虚無主義を見出したというわけだ。
実際にナガランドのブラックメタルバンドを聴いてみよう。
例えばこのAguares.
曲名はその名も'Storm of Satanic Cult'
歌詞は例によって何を言っているのかさっぱり分からないがとにかく邪悪で暴力的な雰囲気は十分に伝わって来る。
タイトルからして、直接的に悪魔崇拝を賛美しているのだろう。
ブラックメタルではないが、コヒマのデスメタルバンド、Syphilectomyもナガランドのエクストリーム・メタルを代表するバンドのひとつだ。
安っぽい甲高いスネアの音がB級っぽさを醸し出しているが、演奏技術は非常に高いものを持っているようだ。
反道徳的な曲のテーマも宗教的規範への反発と捉えてよいだろう。
こうした音楽で表現されている欧米風のサタニズムは、先ほど紹介した「民俗学的悪魔憑き」とはだいぶ趣きを異にしているように思えるが、ナガランドには「精神疾患系」と「反社会系」の2つのタイプの悪魔崇拝が共存しているのだろうか。
そもそも、ナガランドでサタニズムを標榜するというのはどういうことを意味しているのだろう。
ナガランドでは、キリスト教への信仰心は政治的アイデンティティとも深く結びついていて、革命を目指し独立闘争を戦う組織までもが「キリスト教による統治」を掲げている。
つまり、この地で反キリスト教を主張するということは、インド中央政府の支配に対するナガのアイデンティティーをも否定した、二重の反抗を表明するということになる。
これは、むしろニヒリズムに近い思想だと言えるだろう。
サタニストたちが悪魔崇拝の儀式を行っているのは、インパール作戦の激戦地だったコヒマの戦没者墓地だという。
そこは、日本兵やインド兵だけでなく、ナガランドの独立を信じて戦った地元の兵士たちもが眠っている場所だ。
サタニストたちは現在のナガ社会の信仰だけでなく、独立闘争にも、歴史にも、何もかもに対してNoを突きつけているというわけだ。
また、ナガランドは「黒魔術」が盛んな土地でもある。
この「黒魔術(black magic)」は反キリスト教的なサタニズムとは直接関係のないものなのだが、キリスト教伝来以前の精霊信仰、呪術信仰にもとづく超自然的な占いやまじないが今日ではそう呼ばれていて、今でも復讐や恋愛相手の気をひくために利用されているという。
(といっても、このご時世、「黒魔術」は地下でひそかに行われているのではなく、例えばGoogleで「Nagaland black magic」で検索すると、すぐに黒魔術師の連絡先を探すことができる)
こうした様々な状況を考えると、ナガランドの若者たちがサタニズムに傾倒するのも無理のないことのように思える。
キリスト教的な倫理観が支配的な社会への反抗。
誰もがインドからの独立を望みながらも、どうにも叶えられそうにない閉塞した状況。(それどころか、中央政府が派遣した軍隊による令状なしの暴力行為すら許されている)
キリスト教社会であるがゆえのロックやメタルといった欧米の音楽文化への親和性の高さ。
キリスト教伝来以前の呪術信仰という素地。
こうした社会的、文化的背景があるナガランドでは、希望が持てない若者の選択肢としてサタニズムが存在感を持つのは必然なのだろう。
今後、ますます増え続けるサタニストたちはより深刻な社会問題となってゆくのか。
それとも「十字軍」による「再教化」が成功を収め、もとのキリスト教的社社会を取り戻すことができるのか。
そのなかで「音楽」は、どのような役割を果たしてゆくのか。
ナガランドには、前回紹介したように、クリスチャンロックバンドもいる土地柄だ。
例えば、欧米にはブラックメタル同様のブルータルなサウンドに乗せてキリスト教的な主張を歌う「Holy/Unblack Metal」という訳がわからないジャンルの音楽があるが、今のナガランドの状況を見ていると、そのような突拍子もないバンドが出てきたりすることも十分にあり得るように思える。
シャレにならない要素を孕んでいると分かりつつも、今後ナガランドの悪魔主義的音楽がどう展開してゆくのか、かなり興味がある。
今回は北斗の拳か横溝正史のようなタイトルをつけてしまってちょっと反省。
次回は、サタニズムとはまた別の、驚愕のナガランドの流行を紹介します!
特集ナガランドその1 辺境の山岳地帯に響く歌声 映画「あまねき旋律」
特集ナガランドその3 ナガの地で花開く日本文化 ナガランドのオタク・カルチャー事情とは?
2018年10月18日
特集ナガランドその1 辺境の山岳地帯に響く歌声 映画「あまねき旋律」
現在ポレポレ東中野で公開中のドキュメンタリー映画「あまねき旋律」(原題:'Kho Ki Pa Lu' 英語タイトル:'Up Down And Sideways')を見てきた。
この映画は、インド北東部ナガランド州の棚田が広がる農村、Phekで暮らすチャケサン・ナガ族の人々に焦点を当てたドキュメンタリーだ。
田園での暮らしの中で歌われる伝統的な歌唱を中心に据えつつ、インドの中ではマイノリティーである彼らの日常を美しく綴った作品だった。
この予告編でも聴かれるとおり、彼らが農作業や力仕事の労働歌として歌う美しいポリフォニー(多声合唱)こそがこの映画の主人公だ。
インタビューもふんだんに収録されているが、この美しい歌にこそ、彼らの人生や世界観の本質が最もよく表されているように思う。
彼らの歌は、田畑での労働と一体化した歌という意味では黒人のブルースの原型のようでもあるし、その響きはアフリカ音楽やブルガリアン・ヴォイスにも似た印象を受けた。
生活と芸術、労働とコミュニケーション(あるいは娯楽)が不可分に結びついた彼らの暮らしぶりを見て、人間本来の根源的な生き方を見たような気がした。
素朴な暮らしを過度にに美化するつもりはないし、ナガの人々も、物質的に豊かになることや、肉体労働から解放されることを望んでいることだろう。
それでも、世界中のあらゆる国の人々が、かつてはこんなふうに暮らしていたのだろう思わされる彼らの生き方を見て、胸にこみ上げてくるものがあった。
私たちは、より豊かに、より便利にという望みを叶え続けた結果、もといた場所からずいぶん遠くまで来てしまったんだなあ。
というのはあくまで個人的な感想。
こんなちっぽけな感傷を問題にしないくらい、彼らの歌は純粋に美しく、生きることへの深い洞察に基づいた豊かな詩情にあふれていた。
映画の舞台であるナガランドは、かつて首刈りの風習があったというあまりにも強烈な歴史で有名な土地だ。
この地では、かつて男子が大人として認められるための通過儀礼として、異なる部族の人間を殺し首を刈ってくるという習慣があった。
かつてと言っても大昔ではなく、ほんの50年くらい前までの話だ。
「異なる部族」と書いたとおり、「ナガ」は単一の民族の名称ではなく、異なる文化や言語を持つ16もの民族の総称だ。
ナガランドでは、州の共通語として「ナガミーズ」という言語が話されているが、これはもともとあった言語ではなく、近隣のアッサム州の言語アッサミーズ(アッサム語)の語彙やベンガル語の文法をもとに欧米の宣教師たちが作った比較的新しい言語だそうだ。(と、高野秀行氏の「西南シルクロードは密林に消える」という本に書いてあった)
首刈りの習慣がなくなった大きな理由のひとつが、宣教師たちが持ち込んだキリスト教である。
20世紀に入ってイギリスやアメリカの宣教師によって伝えられたキリスト教は、それまでナガの人々が信仰していた精霊信仰にとって変わり、いまではナガ人の90%がキリスト教徒(プロテスタントのバプテスト派が主流)となった。
キリスト教を信仰するようになった彼らは、「首刈り」というかつての残忍な風習をやめ、あの伝統的な歌も一時期歌わなくなっていたという。
自らの伝統を野蛮で後進的なものとして捉えるようになったのだろう。
だがしかし、キリスト教の普及により歌われなくなった伝統歌を復活させたのもまた、キリスト教指導者たち(ただし、欧米人ではなく地元出身の)だった。
キリスト教によって、彼らは共通の言語を手に入れ、首刈りの風習を止め、自分たちの歌い方を止めて、そしてまた始めた。
彼らの暮らしのなかで、信仰が、そして歌がいかに大きな存在であるかが分かる。
映画の中でも、彼らは田畑では伝統的な歌を、教会では聖歌を歌っている。
部族ごとに異なる言語や文化を持ち、異なる部族であれば首刈りも辞さないほどの抗争を繰り広げていたナガの人々が、今日、部族を超えた団結がまあそれなりにできている理由を3つ挙げるとしたら、キリスト教、共通語としてのナガミーズ、そして中央政府やインド中心地域への反発心、ということになるだろう。
中央政府やインド中心地域への反発心。
そう。
ナガランドといえば、もうひとつ有名なのが独立運動だ。
(ナガランドの独立運動については、このサイトに詳しい。Courrier Japon『アジアで最も長く独立運動が続く「ナガランド」を知っていますか?』)
ナガの住民たちは、イギリス統治時代に単独での独立を約束されながらも、インドの独立によってその支配下に甘んじることを余儀なくされ、今日まで続く長い独立運動を続けてきた。
ナガランドの州都コヒマは、第二次世界大戦中の日本軍の悪名高いインパール作戦の激戦地となった土地だが、当時のナガ人の中には「日本軍が勝てばナガランドの独立が約束される」と信じて日本側について戦った人々も多かった。
そして、日本軍とともにインド(当時はイギリス支配下)と戦った経験こそが、その後の独立運動の発火点にもなった。(そのあたりの経緯に触れたこの記事はナガランドの歴史を知るうえで必読の内容。『「日本軍が去った後、村は火の海と化した」目撃者が語るインパール作戦の真実|「終戦記念日」特別寄稿』)
その後のナガの独立闘争は苛烈を極めた。
インドはあまりにも多様な民族や文化を抱える国家だ。
彼らの独立を認めてしまえば、その影響は全土に波及かねない。
中央政府によって派遣されたインド軍は、いっさい容赦をしなかった。
ナガの人々は慣れ親しんだ山林の中でのゲリラ戦を展開したが、力の差は歴然としていた。
1955年から57年の間に、ナガランドでは645の村、約80,000の家、そして大量の稲と米ががインド軍により焼き払われたという。
先述の高野秀行氏の「西南シルクロードは密林に消える」には、2002年頃のナガランドの独立運動の様子が生々しく描かれている。
ナガの人々の権利を勝ち取るために結成されたナガ民族評議会(NNC)は、大国インドからの独立というあまりにも大きな目標に向かう過程の中で、派閥に分裂していがみ合う泥沼状態に陥っていた。
部族と派閥をタテ糸とヨコ糸とした複雑な関係の中で、親族同士でも心を開けない生活がこの時代にはまだ送られていた。
映画の中で独立運動に触れられている場面は少ないが、ナガランドがこうした背景を持つということ、そしてインド北東部7州(セブン・シスターズ)の多くで似たような背景の独立運動が行われているということは忘れてはならないポイントだ。
北東部7州は、今でも軍事特別法(AFSPA=Armed Force Special Power Act)の対象地域とされ、中央政府から派遣された軍隊が令状なしで逮捕したり、殺害したり、場合によっては財産を破壊したりすることが認められている。
この法律は国際的にも強く批判されているが、今なお廃止に至っておらず、北東部の人々を苦しめ続けている。
「あまねき旋律」の中で、インド軍の兵士を映したシーンのみ重苦しい無音となっていた理由には、こうした背景があるのだ。
部族間での首刈り、イギリス側と日本側双方に分かれて戦った第二次世界大戦、そして、独立闘争。
ナガの人々の歴史は闘争の歴史だった。
以前、ナガランドに暮らす多様な人々の統合を歌った曲、'As One'を紹介したが、こうした背景を踏まえて聴くと、この曲の持つ意味合いがより深く、重く感じられるはずだ。
この曲ではナガの部族だけではなく、彼らにとっては独立闘争の相手ともなりうるインドの「メインランド」からの移住者(パンジャーブ、ビハール、ラージャスタン、テルグ系の人々)もともに歌っているというところにまた意味がありそうだ。
この歌に関しては、政治家が絡んでいるようでもあるし、ひょっとしたら現実離れした「きれいごと」の世界なのかもしれないが、それでもナガランドの理想のひとつがここに歌われていることに間違いないだろう。
最後に、現在活躍しているナガランドのアーティストを何組か紹介したい。
まず紹介するのは、Tetseo Sisters.
「あまねき旋律」でフィーチャーされていたナガの民謡をポップにアレンジした形で歌っている。
というか、「あまねき旋律」自体が、Tetseo Sistersのメンバーの結婚式の参加者に故郷のPhek村を紹介してもらったことがきっかけで撮影された映画だそうだ。
この曲はポレポレ東中野でも映画の上映前に流されていた。
続いて紹介するのは、彼らの伝統音楽をジャズやファンクと融合した音楽性のPurple Fusion.
'Tring Tring'というこの曲はナガの戦士や首刈りをテーマにした曲のようだ。
かつての「首刈り」の習慣は偏見のもとにもなっているようだが、彼らにとって勇壮な戦士の伝統は誇りでもあるのだろう。
このミュージックビデオのドラマ部分はちょっと牧歌的にすぎるように思うけど。
ナガランドで最も成功しているミュージシャンといえばAlobo Nagaだろう。
洗練されたポップスを歌い、2012年のMTV Europe Music AwardでBest Indian Actに選ばれたこともある彼は、昨年ムンバイで開催されたArtist Aloud Awardでもベストソング賞、ベスト英語楽曲賞、 ベスト北東部アーティスト賞を受賞した。
ANTB(Alobo Naga And The Band)名義で5月にリリースされた新曲'Come Back Home'
この曲ではアメリカ人ギタリストのNeil Zazaがフィーチャーされている。
Neil Zazaといっても知らない人が多いだろうが、マイナーながら20年以上前には日本盤もリリースされていたロックギタリストで、私はこの人のCDを高校時代に買ったことがある。
まさかこんなところで会うことになるとは思わなかった。
現地の言葉で歌われたAchipiu Mlahnni.
この曲は、ナガの人々に対して、誠実であれ、善良であれ、子供達に質の高い教育を与えよう、より良い未来のために尽くそう、クリーンな選挙で信頼できるリーダーを選ぼう、と訴えかける内容だ。
Alobo Nagaはネット環境が不安定なナガの人々のために、USBメモリ形式で音源を発売したりもしているとのこと。
その名の通りクリスチャン・バンドであるDivine Connectionはふた昔前のシンガポールあたりのバンドのような佇まい。
佇まい同様、サウンドも時代を感じさせない聴き心地の良いAORサウンドだ。
爽やか系ハードロックのIncipit.
今年デビューしたばかりのTrance Effectは女性ボーカルのギターロックバンド。
と、多様な音楽性を誇るナガのバンドたちだが、あえて共通点を上げるとしたら、美しい自然の中で撮影されたビデオが多いのが特徴だろうか。
自然豊かな故郷は彼らにとっても誇りなのだろう。
今回も長くなりました。
とにかく映画は素晴らしかった。
ナガの丘では今日もカメラの回っていないところで、誰に記録されるでもなく、生活や労働の中で美しいもの(歌と詩)が吐き出されては消えてゆくのかと思うと、翻って自分の暮らしにそういう要素はあるだろうかと考えてしまう。
次回は、この自然豊かな地に忍び寄る新たな暗部にフォーカスを当ててみたいと思います。
それでは!
特集ナガランドその2 神の国となりし首刈りの地に悪魔の叫びが木霊する!悪魔崇拝とブラックメタル
特集ナガランドその3 ナガの地で花開く日本文化 ナガランドのオタク・カルチャー事情とは?
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2018年08月20日
日本や海外のアーティストも出演!Ziro Festival!
ご存知の通り、フジロック、サマソニ、ロックインジャパン、ライジングサンなどの大きいものから、地方色の強いかなり小規模なものまで、あらゆるフェスが毎週のように行われている。
海外でも、それぞれフジロックやサマソニの原型になったとされるイギリスのグラストンベリーやレディング/リーズなどは毎年夏に開催されているし、暑い時期に(今年はちょっと暑すぎだけど)外で音楽を聴く気持ちよさは万国共通ってことなんだろう。
さて、インドに音楽フェスがあるのかと聞かれたなら、答えはYes.
インドの大都市をツアーするロックフェスNH7 Weekenderや、リゾート地ゴアで行われるEDMのSunburn Festivalなど、かなり規模の大きいものがいくつもの都市でたくさん行われている。
大都市以外でも、独特の文化を持つ北東部(7 Sisters States)はフェス文化が盛んだし、砂漠が広がるラージャスタン州でも地域色の強い音楽フェスが開催されている。
これらのフェスにはインドの音楽ソフトの売り上げの大部分を占める映画音楽のシンガーは参加しておらず、海外のアーティストやこのブログで紹介しているようなインディーミュージシャンのみが出演しているのだが(ひと昔前まで日本のフェスにアイドル系が出なかったようなものだろう)、それでも多くのイベントが万単位の観客を集めており、インドの音楽カルチャーの成長ぶりが分かろうというものだ。
また、デリーではジャズの、ムンバイではブルースのフェスなどもあり、インドのフェス文化は我々が思っている以上に成熟している。
そんな中で、今回紹介するのは、インド北東部アルナーチャル・プラデーシュ州で毎年開催されているZiro Festival of Music.
これだけ多くのフェスが開催されるインドにおいて、最高とも究極とも評価されているフェスティバルだ。
まずは、アルナーチャル・プラデーシュ州の場所をおさらいしてみましょう。
西をブータン、北を中国、東をミャンマーと接するインド北東部で最も北に位置するのがこのアルナーチャル・プラデーシュ州で、今回紹介するフェスの舞台となる村、Ziro Valleyはこんな感じのところだ。
(出典:https://www.beyondindiatravels.com/blog/ziro-town-travel-guide/より引用)
山あいのなんとものどかな農村地帯。
緑豊かな日本を思わせる風景は、インドでは北東部独特のものと言える。
(出典:http://www.dailymail.co.uk/news/article-3164012/The-worst-place-world-catch-cold-Indian-tribe-woman-nose-plugs-fitted-mark-adults.htmlより引用)
Ziro Valleyは少数民族「アパタニ」の人々が暮らす土地としても知られている。
アパタニの女性達は、美しさゆえに他の部族にさらわれてしまうことを防ぐために、あえて醜くするために「ノーズプラグ」を嵌める習慣があった(今ではお年寄りのみしかしていないようだが)。
なんだか凄いところでしょう。
このZiro Valley、行くまでが大変で、飛行機で行けるのはお隣アッサム州の州都グワハティまで。
そこから鉄道に7時間40分揺られると、アルナーチャル・プラデーシュ州のヒマラヤのふもとの町、Naharlagunに到着する。
そこからジープで山道を3時間半かけて、ようやくフェスの会場であるZiro Valleyに到着することができる(とwikipediaには書かれているが、実際にはもっと近くの空港を利用する方法もあるようだ)。
その前に、3カ国と国境を接したアルナーチャル・プラデーシュ州に行くためにはinner line permmitという特別な許可を得ることも必要だ。
そこまでして行く価値があるのかどうか、と思う向きも多いと思うが、映像を見れば、究極の大自然型フェス、Ziro Festivalの良さが必ず分かってもらえるはずだ。
まずはZiro Festival of Music 2018のプロモーション動画
2015年のフェスをまとめた動画
こちらは2017年のフェスの様子のドキュメンタリー
ね?行きたくなったでしょう。
単なる野外コンサートではなく、大自然の中の会場の雰囲気や地元の文化を含めて、そこでの体験全てが特別なものになるようなフェスティバルだということがお分かりいただけると思う。
自然の中のピースフルな雰囲気は、日本のフェスだとちょっと朝霧jamに似ていると言えるかもしれない。
主催者によると、4日間にわたり、2つのステージに40組のアーティストが出演し、6000人の観客を集めるという。
来場者はキャンプサイトのテントに泊まりながら、24時間フェスの環境を楽しむことができ、フェスの音楽だけでなく、この地域の文化や自然が楽しめるプログラムも用意されているようだ。
この酔狂の極みとも言える究極の辺境系フェスの主催者は、地元アルナーチャルのプロモーターBobby HanoとデリーのベテランインディーロックバンドMenwhopauseのメンバー。
2012年から国内外のアーティストを招聘してこのZiro Festival of Musicを開催しており、今ではインド随一のフェスとの評価を得ることも多くなっている。
出演者のラインナップはインド各地のインディーミュージシャンが中心だが、ロック、ラップ、レゲエなどのジャンルを問わず優れたアーティストが名を連ねている。
シーンの大御所もいれば、まだ無名ながらも先鋭的な音楽をプレイしているバンド、はたまた伝統音楽や民謡の歌手やプレイヤーまで、非常に多岐にわたるのが特長だ。
海外から招聘するアーティストもセンスが良く、いままでSonic YouthのLee Ranald and Steve Shelley、元Canのダモ鈴木らが出演している。
(ダモ鈴木については、ジャーマンロックバンドCanに在籍していた奇人ヴォーカリストというくらいの知識しかなかったのだが、改めて調べてみたら今更ながらすごく面白かった。 wikipediaの記載が充実しているので興味のある方は是非ご一読を)
今年は9月27日〜30日までの4日間にわたって開催され、先ごろ出演アーティスト第一弾が発表された。
なんと、日本のポストロックバンドのmonoがヘッドライナーとして出演することが発表された。
monoについてよく知らない人もいるかもしれないが、日本より海外での評価の高いバンドで、その活動についてはこちらのサイトに詳しい。
いくら海外でも人気とはいっても、インドでも知られてるの?と正直私もちょっと疑問に思っていたのだが、以前このサイトでもインタビューさせてもらったアルナーチャル在住のデスメタルバンドのメンバーは「畜生!あのmonoが地元に来るのにその時ケララに行ってて見れないんだ!なんてこった!」というコメントをしていたので、インドでもコアなロック好きの間では評価が高いようだ。
他の国外アーティストは、Madou Sidiki Diabateはマリのコラ奏者、MALOXはイスラエルのエクスペリメンタルなジャズ/ファンクバンド。
極上のナチュラル・チルアウトからスリリングなジャムまで、よくもまあ世界中の面白いアーティストを探してくるものだ。
インド国内のアーティストも、Prabh Deepのような今をときめくラッパーから、まだまだ無名だが面白い音楽性のバンド、伝統音楽のミュージシャンまで、インディーズシーンを網羅したラインナップだ。
なかでも、インド北東部からは、7sisters statesのうちトリプラ州を除く6つの州から1バンドずつが出演する充実ぶり。
ウエストベンガル州カリンポン出身の伝統音楽アーティストGauley Bhaiも北東部に極めて近いエリアの出身であることを考えると、さながら伝統音楽から現代音楽まで、北東部の音楽カルチャーの見本市のようなフェスでもあるというわけだ。
彼らの中でとくに興味深いアーティストをいくつか見てみると、こんな感じ。
アッサム州グワハティ出身のONE OK ROCKならぬWINE O'CLOCKはシンセ・ファンクとでも呼べばいいのか、なんとも形容不能なバンド。
メガラヤ州のBlue Temptationは外で聴いたら絶対に気持ちよさそうなレニー・クラヴィッツみたいなアメリカン・ロック。
ミゾラム州のAvora Recordsはオシャレなポップロック。
北東部なので顔立ちやファッションが日本人そっくりな女の子が出てくるので、聴いているうちにどこの国の音楽か分からなくなってくる。
いずれもインドらしからぬサウンドを鳴らしているバンドだが、ここに各地の伝統音楽のミュージシャンや海外のバンドたちが彩りを加えるというわけだ。
ヒッピー系ジャムバンドやEDMのようなフェスにつきもののジャンルをあえて呼ばず、面白さや多様性を重視したラインナップに主催者の心意気を感じる。
このZiro Festival、参加者した人の声を聞いても、時代や地理的な差異を超えてユニークなアーティストを大自然の中で聴ける、天国のようなフェスであるとのこと。
いつか行ってみたいんだよなあ。
どなたか行ったことがある方がいたらぜひ話を聴かせてください。
それでは今日はこのへんで!
2018年06月09日
アルナーチャルのメタル・ブラザー、Tana Doniの新曲!
当時はAlien Godsというバンドのギタリストとしてインタビューに答えてくれたが、現在は自らがギターとヴォーカルを務めるこのSacred Secrecyというバンドでライブを重ねており、Sacred Secrecyのスタジオレコーディング音源としてはどうやらこれが最初のリリースとなる模様。
今回リリースした曲は、"Leech" (見慣れない単語なので調べてみたら、意味は"蛭")と"Shitanagar".
どちらもブルータルでグルーヴィーなデスメタル!
速さやテクニカルに走るバンドが多い中で、このスタイルは逆に新鮮に響くのではないだろうか。
"Shitanagar"
曲はこちらのサイトReverbNationから視聴&無料ダウンロード可能なので、メタルヘッズのみなさんはぜひ聴いてみてください。
"Shitanagar"は、彼のホームタウンのイタナガル(Itanagar)にクソのShitを合わせたタイトルで、無理やり訳せば「クソナガル」か。
辺境の田舎町で暮らさざるを得ない彼の気持ちが歌われており(というか咆哮されており)、以前聞いたところによると、
俺たちはクソの川から水を飲む…
気づかないままクソまみれの穴の中で暮らす…
クソの上で転がっているのに幸せだと思っている連中…
ブタのほうがまだ清潔なくらいだ…
クソナガル…
といった歌詞。
ワタクシからはさすがに行ったこともない街をここまでディスるのは憚られるが、閉鎖的な田舎の小さな街でデスメタルみたいなコアな音楽を演奏する彼の焦燥感やある種の絶望感は想像に難くなく、むしろパンク的なアティテュードの曲だと言える。
厭世的な歌詞を極端に激しいサウンドに乗せることで憂鬱をぶっとばす、というのはパンクロック以降に発明された退屈への特効薬だ。
こういうタイプの(まあ表現はずいぶん過激だが)屈折した故郷への感情は、かえって国や地域を問わない普遍的なものなんじゃないだろうか。
ところで手前味噌でなんだけど、Tanaへのインタビューに至る、インド北東部のメタル事情を巡る一連の記事は結構面白いと思うので、改めてリンクを貼っておきます。
まずはイントロダクション。インド固有?の神話メタル、ヴェーディック・メタルについてはこちらから
インド北東部はもしやメタルが盛んなのでは?という疑惑と推論の記事はこちらから
記念すべき当ブログインタビュー第一弾、Tanaへのインタビューはこちらから
やはりインドの北東部はメタルが盛んみたいだ、という統計と分析はこちらから
忘れた頃に返事が来た、ミゾラム州のメタルブラザーVedantのバンド、Third Sovereignについてはこちらから
Third SovereignのVedantへのインタビューはこちらから
デスメタルばっかりじゃないぜ。シッキム州のハードロックバンド、Girish and the Chroniclesの紹介はこちらから
そのGirishへのインタビューはこちらから
うわ、こんなに書いてたのか。
たぶん、インド北東部のメタル事情に関しては、俺が日本でいちばん詳しいんじゃないかと思うよ。
これからも、こんなもの好きなこのブログをヨロシクお願いします。
2018年05月03日
Girish and the Chronicles インドのロックシーンを大いに語る!
以前予告していたように、インド北東部シッキム州出身のハードロックンロールバンドGirish and the Chronicles(以下「GATC」)にインタビューを申し込んだところ、ありがたいことに二つ返事で引き受けてくれた。
今回はその様子をお届けします。
ちょうど彼らがドバイへのツアー中だったので、メールインタビューという形になったのだが、音楽への愛、インドやシッキムのロックシーンについて、存分に語ってくれた。(そして例によってそれがまたいろいろと考えさせられる内容だった)
インタビューに移る前に、
Girish and the Chronicleの音楽を紹介したページはこちら
インド北東部のヘヴィーメタルシーンについてはこちら
(今回のGATCの故郷シッキムは、ここで紹介している「北東部7姉妹州」には含まれていないが、地域的にも非常に近く、非アーリア系の東アジア系の人種が多いこと、いわゆるインド文化の影響が比較的薄いことなど、7姉妹州とよく似た状況にある。デスメタルバンドAlien Nation, Sacred SecrecyのTanaや、Third SovereignのVedantへのインタビュー記事も良かったらどうぞ)
シッキム州と7姉妹州との位置関係はご覧の通り。南北に長いウエスト・ベンガル州に隔てられているが、一般的には7姉妹州同様に「インド北東部」(地図上の赤く塗られた部分)として扱われる。ちなみにシッキムと7姉妹州の間の空白には、ブータンがある。
前置きが長くなった。
インタビューに答えてくれたのは、バンドの創設者にしてフロントマン(ギター/ヴォーカル)のGirish.
質問に答える前に、こんなありがたいメッセージを寄せてくれた。
「まず最初に、コンタクトしてくれてありがとう。
何よりも、日本は僕にとってもバンドのメンバーにとっても、ずっと夢の場所だったってことを言わないといけないね。僕らはブリーチやNARUTO、ドラゴンボールZみたいなアニメの大ファンなんだ。
このインタビューのおかげで君の美しい国と僕らが近づける気がしてうれしいよ。」
とのこと。
ありがとう!
それではさっそくインタビューの様子をお届けします!
凡「今プレイしているような音楽には、いつ、どんなふうに出会ったの?Facebookでは、レッド・ツェッペリン、AC/DC、ディープ・パープル、ガンズ・アンド・ローゼス、エアロスミス、ブラックサバス、ジューダス・プリースト、アイアン・メイデンをお気に入りとして挙げているよね。最初に聞いたバンドはどれだった?
G「最初に音楽に真剣に向き合おうって気持ちにさせてくれたバンドはイーグルスだな。とくに彼らの曲”Hotel California”だよ。そのあと、もっといろんな音楽とかもっとヘヴィーな音楽を聴くようになった。Bon Jovi、Aerosmith、Iron Maiden、Judas Priestとか、もっと他にもたくさんあるけど、彼らには歌うことに関しても影響を受けたよ。そのあとでもっとブルース色のある音楽を聴くようになった。たとえばツェッペリンとか」
イーグルスから80年代のメタル、ハードロックに進んだあと、さらに現代的な方向には進まずに、また70年代のツェッペリンに戻ったってのが面白い。
また、Girishの好みが一貫してメロディーを大事にするバンドにあるということも印象的だ。GATCの音楽性からも分かることだが、「スラッシュメタル以降」のヘヴィーミュージックは好みでは無いようだ。
次に、以前から気になっていた、シッキムはロックが盛んなのか?という質問をしてみた。
凡「地元シッキムのロックシーンについて教えて。じつは20年前にシッキム州のガントクやルムテクに行ったことがあるんだ。その頃、インドの中心地域(メインランド)ではロックファンなんて一人も会わなかったけど、シッキムにはロック好きが何人かいたのを覚えてる。シッキムではメインランドよりもロックが盛んなの?」
G「そうだな。20年前はその傾向がより顕著だったと言えるかもしれない。子どもの頃、素晴らしいロックのカセットを何本か持ってたってこととか、Steven Namchyo Lepcha率いるお気に入りのバンドCRABHのライブを見たのを覚えてるよ。
僕が思うに、シッキムだけってよりも、シッキムを含む北東部全体について考える必要があるんじゃないかな。シッキムよりも、メガラヤ州とか、ナガランド州にはこういう音楽の有名なプロモーターがいて、すごくいいフェスティバルを開催していたりするよ。
でも最近はエレクトロニック・ミュージックやボリウッドに国じゅうが侵略されてしまっていて、悲しいことにこういうタイプの音楽はずいぶん減ってしまったよ。僕の周りで今でもこういう音楽に携わっている場所はほんの一握りになってしまって、シッキムでさえも、崖っぷちだよ。いくつかの熱心なアーティストやバンドがシーンを生き長らえさせているって感じさ。僕らもそのうちのひとつだけど、実をいうと僕ら最近はバンドとしては拠点をバンガロールに移しているんだ。裕福な街だし、優れたロックミュージシャンや大勢のオーディエンスもいるからね」
これは皮肉な話だ。
インターネットの発達で音楽を取り巻く状況は大きく変わり、どこにいてもいろんな場所の音楽に触れられるようになった。
だからこそ、日本にいながらこうしてインドのロックを聴くことができて、「インド北東部は昔も今もロックが盛んだなあ!」なんてことを見つけることができるのだけど、当のインド北東部では、いろいろな音楽を聴けるようになったことで、かえってインド中心部の音楽文化の影響が強くなり、地元のシーンは風前の灯火になってしまった。そして彼らは北東部を離れ、南部の大都市に拠点を移した。
グローバリゼーションによる文化の均質化の光と闇といったら大げさだろうか。
次に、インドではとても珍しいと感じていた、彼らのようなハードロックのシーンについて尋ねてみた。
凡「最近インドのメタルバンドをいろいろ聴いているんだけど、デスメタルタイプのバンドが多いよね。GATCみたいなハードロックンロールタイプのバンドは他にもいる?ケララのRocazaurusは知ってるんだけど」
G「僕が知ってるのは、Still Waters(シッキム州ガントク)、Gingerfeet(ウェストベンガル州コルカタ)、Thermal and a Quarter(カルナータカ州バンガロール)、Skrat(タミルナードゥ州チェンナイ)、Soulmate(メガラヤ州シロン)、Mad Orange Fireworks(バンガロール)、 Perfect Strangers(バンガロール)、Junkyard Groove(チェンナイ)。もっと古いバンドだと、Parikrama(デリー、91年結成)、Motherjane(ケララ州コチ、96年結成)、Baiju Dharmajan(コチ出身のギタリストで元Motherjaneのメンバー)Syndicate(ゴア?)、Pentagram(マハーラーシュトラ州ムンバイ、1994年結成)、Indus Creed(ムンバイ、1984年結成!)がいる。最近じゃもっといろんなバンドがいるよ。
と、たくさんのバンドを挙げてくれた。
チェックしてみたところ、これらのすべてがGATCのようなハードロックというわけではなく、レッチリやデイヴ・マシューズ・バンドに影響を受けたバンドもいれば、ファンク系、ブルースロック系のバンドもいる。
共通しているのはいずれも「90年代以前の洋楽」的なサウンドを志向しているバンドだということだ。Baiju Dharamjanだけはもっとインド古典色の強いプレイスタイルだが、GirishとはSweet Indian Child of Mineというガンズのインド風カバーで共演している。
凡「楽曲を書くとき、特定の昔のバンドをイメージしてたりする?たとえばGATCの曲のなかで”Revolving Barrel”はツェッペリンっぽいし、”Born with a Big Attitude”はガンズみたいに聴こえるよね。パクリだって言いたいわけじゃなくて、影響を受けたバンドへのオマージュってことなの?」
G「うん、まさにそうだよ!アルバム全体が(註:2014年にリリースしたアルバム”Back on Earth”のこと)小さい頃に聴いてきたバンドへのトリビュートなんだ。実際、アルバムカバーのイメージはアイアン・メイデンへのオマージュで、タイトルそのものはオジー・オズボーンの曲から取ったんだ。
最近のキッズはこういったバンドを全然しらないからびっくりしていたんだ。だから僕らがこういう音楽に夢中になったように、彼らにも素晴らしい気分を味わってもらうっていうのはいいアイデアだと思った」
なるほど。確かにアイアン・メイデンのマスコット的キャラクター、エディーを思わせるジャケットだ。
オジーの曲で“Back on Earth”というのは聞いたことないぞと思って調べてみたら、1997年リリースのベスト盤”Ozzman Cometh”収録の未発表曲だった。マニアックなところから持ってくるなあー。
引き続き、彼らが影響を受けたバンドについて聞いてみよう。
凡「オリジナル曲も素晴らしいけど、GATCのカバー曲もとても良いよね。とくに、AC/DCのマルコム・ヤングのトリビュート・メドレーは最高!今じゃマルコムは亡くなってしまって、ブライアン(ヴォーカリスト)はツアーから引退してしまったけど、AC/DCの思い出があったら聞かせてくれる?
G「AC/DCから逃れる方法はひとつも無いみたいだな。ハハハ。最近のバカテクなギタリストやバンドは、彼らのヴォーカルやギターのスタイルがすごく難しいことを理解しようとしないで、彼らがやっていることを単純だと思って無視してるみたいだけどね。僕が言いたいのは、僕らの世代にとって初めて聴くハードロック・アンセムは、いつだって「Highway to Hellだってことさ。
実際、2009年から僕らはAC/DCをシンプルでタイトなリフのお手本にし始めた。昼も夜もホテルの部屋でずっとAC/DCの曲をジャムセッションしていたものさ!」
まわりの部屋の人たちはさぞうるさくて迷惑だったはずだ。
ちなみに「バカテクなギタリスト」と訳した部分、実際はGuiter Shredderという言葉を使っていた。
”Highway to Hell”は1979年にリリースされたAC/DCのアルバムのタイトル曲だから、世代的には彼らのリアルタイムであろうはずがないが、それだけ長く聞かれ続けてきた曲ということなのだろう。
インドのメインランドが自国の映画音楽ばっかり聴いている一方で、北東部では70年代の名曲をアンセムとするロックシーンが存在していたのだ。
凡「インドやいろんな国をツアーしてるよね。オーディエンスやリアクションに違いはある?」
G「うん。簡単に言うと、本当のロックファンはステージに立てばすぐに分かる。ロックを全く知らない人もいるけど、彼らもすぐにフルタイムのロックリスナーに変わるね」
凡「これは聴くべき、っていうインドのバンドやミュージシャンを教えてくれる?どんなジャンルでも構わないよ」
G「さっき挙げたようなバンドだな。他には、Kryptos(バンガロール)、Avial(コチ)もいる。ヴォーカリストとしては、僕のお気に入りのロックシンガーをチェックすることをお勧めするよ。Abhishek Lemo Gurung(Gingerfeet/Still Waters)、Siddhant Sharma(コルカタ)、SoulmateのTipriti、Alobo Naga(ナガランド)だね。あんまり他のアーティストを知らないんだけど。ハハハ。”Bajai De”ていうのも聴いてみるといいよ。これはインドじゅうのいろんな地域のギタリストのコラボレーション動画なんだ」
Kryptosは、Girishが挙げたバンドの中で唯一スラッシュ/デスメタル的なスタイルの(つまり、ヴォーカルが歌い上げるのではなく、がなるようなスタイルの)バンドだが、リフやサウンドそのものは「スラッシュメタル以前」の非常にクラシックなスタイルのユニークなバンドだ。ドイツのヴァッケン・オープンエアー・フェスティバルでの演奏経験もある実力派でもある。
AvialはMotherjaneを脱退したギタリストが作ったバンド。
“Bajai De”、これはギターをやっている人には面白いかもしれない。
凡「インドのライブハウスとかお店とかで、ロックファンは絶対行かなきゃ、って場所を教えてくれる?バンガロールでもガントク(シッキム州の州都)でも他の街でもいいんだけど」
G「知ってるのはライブハウスくらいだけど、お気に入りを挙げるなら、こんな感じかな。
バンガロール: B flat、Take 5、 Hard Rock Café、The Humming Tree
ガントク: Gangtok groove、 cafe live and loud
コルカタ: Some Place Else
シリグリー: Hi spirits
プネー: Hi spirits、 Hard Rock Cafe
インドで見るべき素晴らしいフェスティバルとしては、どこの街でもいいけどNH7 Weekender(註:このフェスはいろんな街で行われている)、Bangalore Open Air、ナガランドのHornbill Festivalかな」
インドを訪れる機会があればぜひ立ち寄ってみてほしい。
NH7 WeekenderはOnly Much Louderというプロモーターがインドじゅうのいろいろな街で行っているフェスで、洋楽ハードロック/ヘヴィーメタルではスティーヴ・ヴァイ、メガデス、フィア・ファクトリー等が出演してきた。他のジャンルでも、モグワイ、マーク・ロンソン、ベースメント・ジャックス、ウェイラーズ等、多様なジャンルのトップアーティストを招聘している。Hornbill Festivalは、伝統行事やスポーツやファッションやミスコンなどを含めた、毎年12月に10日間にわたって開催されるお祭りで、その一環としてHornbill International Rock Festivalが行なわれている。80年代〜90年代に活躍した欧米のバンドも多く参加しており、非常に面白そうなので、このブログでも改めて取り上げる機会を持ちたい。
凡「今のインドのロックシーンについて教えてくれる? 僕が思うに、多くのバンドが自分たちで音楽をリリースしているよね。インディーズレーベルと契約するようなこともしないみたいだけど、実際どう?」
G「そうだね。とくに英語でパフォームするバンドについてはそうだと言える。もしレーベルとの契約にサインしたとしても、なにかメリットがあるとは思えないしね。実際、熱心なバンドにとっては支障になるだけだよ。うん、誰もレーベルと契約することなんて気にしちゃいないね。
僕らはしたいことをするだけだし、それでどうなるかも分かってる。英語じゃなくて、地元の言語とかヒンディー語で歌ってるバンドについてはもちろん別の話だと思うけど」
なるほど。レーベルというのは形のあるCDやカセットテープを流通させるためのもの。
より地域に根ざした地域言語で歌うアーティストならともかく、インド全土や世界中をマーケットとすることができる(=英語で表現する)アーティストにとっては、自分たちでインターネットを通じて楽曲をリリースするほうが効率的かつ効果的なのだろう。
物流が未成熟であるというインドの弱点が、インディーズレーベルさえも不要という超近代的な音楽流通形態を生み出しているのかもしれない。
実際、GATCのような70〜80年代的なハードロックというのは、現代のシーンの主流ではないし、また今後ふたたび主流になることも難しいジャンルだとは思うが、インドじゅう、世界中を見渡せばそれなりに愛好者はいるジャンルだ。
レーベルを介することで物流に制限が生じたり、自分たちの利益が減ってしまうより、自分たちで音楽を配信するほうがメリットが大きいというのはうなずける。
最後にGirishはこんなことを言ってくれた。
G「アリガトウゴザイマス!夢は叶うっていうけど、僕らの夢は日本でライブをすることなんだ。それから次のアルバムはヒマラヤのエスニックな要素とロックが合わさったものになるってことも伝えたいよ」
どこまでもロックを愛する好青年なGirishなのだった。
ところで、Girishが教えてくれたバンドを1つ1つチェックしてみて、感じたことがある。
それは、インターネットの発展とロックの普及がほぼ同時に起こったインドでは、「ロックは時代とともに変化してゆくジャンルでは無い」ということ。
どういうことかというと、プレスリーやビートルズから樹形図のように表される発展を経て「今のロック」があるのではなく、インドのシーンではこれまでの時代に生まれて(そして消えて)きた様々なジャンルが並列に、平等に並べられているということだ。
インドではロックの歴史は流れずに積み重なっている(ちょうど「百年泥」のように!)。
70年代のロックも、90年代のロックも、2000年以降にインターネットといっしょに同時にやってきたからだ。
その積み重なったロックを横から眺めて、めいめいのバンドやミュージシャンが、自分の気に入った音楽を選び取って演奏している。
そのことは、例えばRolling Stone Indiaのような尖った雑誌が選んだ2017年のベストアルバムのうち、1位がヒップホップアーティスト、2位がジェフ・ベック風ギターインスト、6位がデスメタルというラインナップであることからも伺える。
「その時代のサウンド」であるかどうかよりも、「良いものは良い」として評価されているのだ。
もちろん、過去のロックに非常に忠実なサウンドを演奏するバンドは他の国にもいるが、欧米や日本では、彼らはよりマニアックなシーンに属している。
でも、インドの場合、シーンがまだ小さいが故に、ひとつの大きな枠組みの中であらゆるバンドを見ることができる。
欧米の音楽シーンとは地理的にも文化的にも距離があるということも、こうしたシーンの特殊性の理由のひとつだろう。
そして、インドの地理的な広大さ、文化的な多様さが、80年代の享楽的なロックに共感する人も、90年代の退廃的なロックに共感する人も、2000年代以降のよりモダンな音楽に惹かれる人も共存しうる稀有なシーンを作り出している。
外から眺めると、それはむしろ健全なことのようにも思えるのだけど、その中で演奏するアーティストにとっては、依然としてメインストリームである映画音楽などの存在が大きく、厳しい状況であるようだ。
GATCもまた、自分たちが大好きな音楽をただひたすらに演奏するミュージシャン。
バンドメンバー、とくにヴォーカルのGirishの力量は非常に高いものを感じる。
彼らが演奏しているようなジャンルがインドでも世界中でも主流ではないとしても、愛好家はあらゆる国にいるだろう。
ドバイ等のツアーも成功させている彼らではあるが(ドバイはインド系の移民労働者も多く、ドバイでのオーディエンスが地元の人中心だったのか、インド系移民中心だったのかは気になるところだ)、より多くの国や地域の人々に受け入れられることを願わずにはいられない。
それでは今日はこのへんで!
2018年02月23日
インドNo.1デスメタルバンド 北東部ミゾラム州のThird Sovereign
根拠となったYouTubeはこちら。
突然ではありますが、この度、このランキングで見事1位に輝いたデスメタルバンド、やはり北東部のミゾラム州出身のThird Sovereignにインタビューをすることになったので、直前特集をお届けします。
ミゾラム州の場所はこちら。
以前インタビューしたTanaのいるAlien Godsのアルナーチャル・プラデーシュ州は北東部の最北部、ブータンや中国に接する地域だが、ミゾラム州は北東部の最南端、東をミャンマー、西をバングラデシュに接する山間の森林地帯だ。
「ミゾ」はこの地域に暮らす先住民「ラム」は土地を表し、つまり「ミゾ人の土地」という意味の州ってわけだ。
で、なんでそのインドいちのデスメタルバンドにインタビューすることになったかっていうと、ちょうど1ヶ月ほど前、アタクシは、この記事でも書いた通り、なぜインドの中でも辺境とされる北東部にこんなにたくさんのデスメタルバンドがいるのか、知りたくて知りたくてたまらなかったんである。
そこで、 いくつかの北東部出身のバンドにSNSを通じてメッセージを送った。
なぜ複数のバンドにメッセージを送ったか。
それは、以前とあるミュージシャン(まだこのブログには取り上げていない)に取材依頼をしたところ、まったく音沙汰がなく記事にできなかったことがあり、今回はそんなことがないようにと4つのバンドにメッセージを送ったんである。
そしたら、先日記事にした通り、Alien Gods(Sacred Secrecy)のTanaがさっそく返事をしてくれて、いやな顔ひとつせずに(顔は合わせてないからわからないけど)インタビューに答えてくれた。
本当にいいやつだ。
こういうコアな音楽に国境は無いんだということもあらためて感じた。良かった。
ああ、よかった。
これでインド北東部のメタルミュージシャンの記事が書ける。
やっぱり何人か連絡すれば一人くらいリアクションくれるものなんだな。
という微妙なタイミングの時に、Third Sovereignのメンバーから連絡が来た。
「やあ。インタビューに協力できたらうれしいよ」
お、おう。
ちょっと遅かったけど、せっかくだからいろんなバンドに話を聞かせてもらいたい。
さっそくインタビューの日時を設定。
指定の時間にメッセージを送ってみたけど、あれ?返事がない…。
どうしたんだろう…と思っていたら、その日の夜になって「ゴメン!出かけてた。今からやろう」との連絡が。
北東部とはいえさすがインド人、そういうこともあるよな…。
ずいぶん遅い時間だったので、「俺もう寝るからまたにしよう」って伝えて、すっかりそのままになっていたのだが、先日久しぶりに連絡があった。
「こないだはゴメン、で、インタビューだけどいつにする?」って。
というわけで、今週末、あらためてインタビューの機会を設けることになりました。
さて、前置きが長くなったけど、Third Sovereignの音楽、聴いてみてください。"Sarcofaga"
なんかどういうことになっているんだか分からないけど、ジャケがすごいな…。
おお!
Alien Godsのミドルテンポ主体のグルーヴィーなスタイルもかっこいいが、速くて激しくてタイト!さすがインドNo.1デスメタルバンド!
そして演奏が滅茶苦茶上手い!
この曲では、イントロにミゾラム州の昔話の語りが入ってる!
他の媒体のインタビューによると、音楽性にミゾ人としてのルーツも関わっているみたいで、これはなにやら面白そう!
トレモロリフが入るところがブラックメタル風でもあるし、ドラムの固く締まったサウンドはパンテラのヴィニー・ポールみたいな音像で、いろんなヘヴィーミュージックの要素が詰まっている。
というわけで、最近は久しぶりにこういう音楽にどっぷり浸かっているのです。
インタビューの模様は次回でお届けします。
お楽しみに!