インドのロック
2018年10月02日
インドのインディーズシーンの歴史その7 現役ベテランロックバンド、Indus Creed!
インド独立73周年に合わせて73組が紹介されているので、残すところあと66回!
果たしてインドのインディーズシーンの歴史に何人くらいの読者が興味を持っているのか、いまひとつ分からなかったりもするのだけど、始めてしまったものはしょうがない、今回もおつきあいくださいませ。

今回紹介するのはIndus Creed.
この企画の熱心な読者(いるのか?)はピンと来たと思うけど、第1回目で紹介したVan Halen風のロックソング"Top of the Rock"を演奏していたムンバイのRock Machineが1993年に改名したバンドである。
基本的に1アーティスト1曲のこのリストの中で、改名という裏技を使ってまで2曲が選ばれているということは、それだけインドのロック史で重要なバンドということなのだろう。
今回紹介する曲"Pretty Child"は、前回紹介したTalvin SinghのOK(1998年リリース)から遡ること3年、1995年にリリースされた曲だ。
さっそく聴いてみましょう。
うーん、この曲単体で聴くとどうってことのない曲だけど、少なくとも模倣っぽくは聴こえないし、Rock Machine時代の曲と比べると、後半のタブラを使ったアレンジにインドのバンドとしてのアイデンティティーが出てきているのが分かる。
歌詞も子を思う親心みたいな他愛のないものだが、あまり欧米のロックでは扱わないテーマなので、歌詞の点でもオリジナリティーが出てきたと言えるかもしれない。
同じアルバムに収録されている別の曲、"Trapped".
改名後の彼らが従来の王道ハードロック路線から距離を取っていることが分かる。
そして、ここでも「結構立派なミュージックビデオを撮っているけど、どこで放映されたのか」問題がまた引っかかる。
(MTV Indiaの放送開始は1996年10月)
正直に言うと、前回紹介した在外インド人のTalvin Singhと比較すると、今までになかったような最先端の音楽を作っているわけではないし、同時代の欧米の人気ロックバンドと比べてもこれといって特筆すべきところのない音楽かもしれない。
とはいえ、ひとつの国の音楽シーンのパイオニアとしての価値は、また別のお話。
たとえ地域限定であるにせよ、Indus Creedはインド人にとっての初めての本格的ロックバンドという唯一無二の存在として、今も人気を博しているというわけだ。
はっぴいえんどやキャロルが、世界の最先端だったわけじゃなくても伝説のバンドであり続けているのと同じように。
それでは、また!
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2018年09月29日
ケララ州の良質英国風フォーク・ポップ! When Chai Met Toast
今回紹介するのは、先日、ニューEP"Believe"を発売したばかりのケララ州コチ出身の4人組アコースティックロックバンド、その名もWhen Chai Met Toast!
彼らのBandcampのプロフィールによると、この素敵なバンド名はどうやら"When four Indian boys meet English folk"という意味の様子。
ではさっそく、彼らの新曲、"Believe".
彼らは2014年にギター、バンジョーを担当するAchyut Jaigopalとヴォーカル/ギターのAshwin Gopakumarの二人組として結成され、その後、キーボードのPalee FrancisとドラムのPai Saileshを加えて4人編成のバンドとなった。
サウンドだけ聴くとインドのバンドだと分からないようなサウンドがとても印象的だが、実際に彼らの高品質なポップミュージックは国際的な評価も高く、すでに日本のウェブサイトでも紹介されている。
サウンドもクオリティーが高いが、映像もとても美しく、昨今のインドのミュージックビデオのレベルの高さを感じさせる出来だ。
お気に入りのバンドとしてMumford and SonsやLumineersのようなバンドを挙げている彼ら。
少し前のアルバムでは、よりイギリスっぽいサウンドを聴かせてくれている。
ゴキゲンなバンジョーが印象的な、彼らの英国フォーク愛が伝わってくるような楽曲だ。
若手とは思えない洗練されたサウンドを聴かせてくれる彼らだが、まだ決して長くはないその活動期間がずっと順調だったわけではない。
2015年にはAshwinのアメリカへの引越しによってバンドは活動休止状態となり、その間Achyutは一時期カルナータカ州出身の伝統音楽的ポップシンガー、Raghu Dixitのツアーに参加していた。
しかし自分たちの音楽を表現したい情熱には抗えなかったのか、Achyutのツアーの終了とAshwinの帰国にともない、彼らはWhen Chai Met Toastとしての活動を再開。
今回はPaleeとPaiを加えた4人組としての再始動となり、ますますその評価を高めていった。
2017年に発表されたアルバムから、"Beautiful World"
同じアルバムから、Rolling Stone Indiaの2017年度ベストミュージックビデオ第9位に選ばれた曲、"Fight"
この曲ではよりロック色が強いサウンドを聴かせてくれているが、いずれにしてもインドのバンドらしさを全く感じさせないポップチューンだ。
その後も彼らの国際的な評価は高まるばかりで、つい先ごろも彼らのFacebookではニューEPからの楽曲"Khoj"がAppleのチャートにランクインしたことが喜びとともに報告されていたばかりだ。

ここで、そんな彼らの出身地であるケララ州を少しだけ紹介したい。
彼らの出身地ケララは、マラヤラム語を公用語とするインド最南部の州で、彼らの出身地コチは大航海時代から栄える歴史ある港町だ。
キリスト教徒(カトリック)が多い州として知られ、その割合は州の人口の20%にのぼる(インド全体ではクリスチャンの割合は2%程度)。

伝統的に州議会で力を持っていた共産党系の政党が教育や富の分配に力を入れ、低いGDPにもかかわらずインド全国の中で最も高い識字率(94%)、最も長い平均寿命(77歳)、最も低い人口増加率(3.4%)を達成しており、その政策は「ケララ・モデル」として高く評価されている。
ムンバイやデリー、バンガロールのような大都市もなければ、人口規模もそこまで大きくはない州だが、このような背景からか良質なミュージシャン、とくにロックバンドを数多く排出している。
80年代から活躍しているMotherjane, 13AD(現Ground Zero)をはじめ、Downtroddence, Chaos, Rocazaurusのようなヘヴィーメタル勢や、Avial, Agam, Thaikkudam Bridgeのようなマラヤラム語ヴォーカルのインドフュージョンロックなど、興味深いバンドが非常に多いので、改めて紹介する機会を持ちたい。
ちなみにケララ州を始めとするインド南部では、紅茶よりもコーヒーが好まれており、Facebookのプロフィールによると、Chaiの名を冠したバンド名にもかかわらず、彼らもチャイではなくコーヒーを飲んでいるとのこと。
どっちにしても、チャイのスパイシーさを全く感じさせないバンドのWhen Chai Met Toastでした。
それでは今日はこのへんで!
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2018年09月08日
インドのインディーズシーンの歴史その5 インドロック界の大御所 Parikrama!

Parikramaは「巡礼」を意味する言葉(サンスクリット語)で、今回紹介する曲は、1991年にデリーで結成された彼らが1996年に発表した、"But It Rained".
Rolling Stone India誌が2014年に発表した、過去25年で最も重要なインドのロック25曲にもランクインした曲です。
まずは聞いてみましょう。
アイリッシュを思わせるメロディーだが、小さな音ながらもタブラのリズムに間奏のバイオリンと、インド的な要素が感じられる楽曲だ。
これまで紹介してきたRock Machineの"Top of the Rock"とGary Lawyerの"Nights on Fire"が、それぞれVan HalenやWhite Snakeへのオマージュ的な曲だったのに比較して、誰かのコピーではない、オリジナルなサウンドの楽曲であることが分かるだろう。
この曲の歌詞は孤独や憂鬱をテーマにしている。
紛争が続くカシミール地方で、誘拐された家族たちが帰ってくることを待ちながら暮らしている人々を扱った雑誌の記事にインスパイアされて書いたものだという。
インターネット普及前夜の1996年。
インドのロックミュージシャンたちは、サウンドも歌詞のテーマも、模倣からオリジナリティーへの道を歩み始めた。
その記念碑的な一曲として、この"But It Rains"は「インドのインディーズミュージックシーンを作った72曲」の5曲めにリストアップされているのだろう。
初めてインドに行ったのはこの曲がリリースされてから1年後の1997年だったけど、その頃、インドにもこういう音楽をやっている人たちがいるなんてさっぱり気づかなかった。
デリーのカセットテープ屋のオヤジですらロックの存在そのものを知らず、街には映画音楽しか流れていなかったけど、それでもインド独自のインディーズシーンは確かにその胎動を始めていたのだった。
それでは今日はこのへんで。
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2018年08月25日
著作権は問題ないのか? バンガロールのバンドPerfect Strangersの凄いアイデアのMV!
これが凄いアイデアで、思わず大丈夫なの?と心配になってしまうような映像作品!
公開できなくなる日が来るかもしれないので、大急ぎで紹介します。
それがこちら!
見れば一目瞭然、お分りいただけたと思うが、古今東西のあらゆるミュージックビデオ、映画、ミュージカル映像、マラドーナ等の映像をつなぎ合わせて、さもスター達がPerfect Strangerの曲をパフォーマンスしているように見せるという驚愕のアイデア!
取り上げられている映像は、あまりにも多すぎていちいち名前を挙げていられないほどだけど、大物ミュージシャンとか名作のシーンばかりで、著作権関係がすっごく大変そうだけど、大丈夫なのかなあ。
よくYoutubeで名曲をカバーしたり、「踊ってみた」というのをアップしている人がいるが、彼らの場合、超有名人たちに「歌わせてみた」「踊らせてみた」という逆転の発想。
著作権とかの問題ないかどうかは別として、膨大な映像から曲に合う映像を探してきて編集した時間と労力を思うと頭が下がる。
っていうかむしろビデオが気になりすぎて楽曲が印象に残らないくらいだもの。
このビデオ、これだけの力作にも関わらず、まだ1,000viewちょっとだけど、もっとみんなに見てほしい!って気持ちと、みんなに見られたら削除されちゃうかも!っていうアンビバレントな感情になる。
彼らはロック、ジャズ、ポップ、ファンクを融合したジャンルを演奏するバンドで、他にはこんな曲をやっている。
"Selfie"
現代社会に生きる人々のSNS依存を皮肉った作品で、こちらもかなり見応えのあるビデオだ。
プラハとバンガロールで撮影したそうだけど、こちらもまだ3,500viewほど。
制作資金はどこから出ているんだろう。
本業が別にあって儲かっているのか、実家がお金持ちなのか。
余計なお世話だけど少々気にならないでもない。
ところでみなさんは、このビデオにでてきているアーティストや作品、どれだけ判別できたでしょうか。
我が家で分かったのは32組でした!
順不同で、シャールク?、ジョー・サトリアーニ、ジューダス・プリーストの"Breaking the Law"のビデオ?、マイケル・ボルトン、ブライアン・アダムス、エアロスミス、ディオ、フレディ・マーキュリー、メタリカ、ジャック・ブラック、マイケル・ジャクソン、ロッド・スチュワート、マラドーナ、AC/DC、ブライアン・メイ、スティーヴ・ヴァイ、シド・ヴィシャス?、メイシー・グレイ、ブレンダ・ラッセル、デヴィッド・ボウイ、U2、ジャスティン・ビーバー、テイラー、スウィフト、アン・ヴォーグ、グウェン・ステファニ、ブルーノ・マーズ、マドンナ、アンドレ3000、アニー・レノックス、リック・アストリー、アヴリル・ラヴィーン、映画ハリー・ポッター。
ほかにも、「あー!これ知ってる!見たことある!誰だっけ!」というの多数。
ちょっとしたポップカルチャー検定試験みたいなビデオだよな…。
このPerfect Strangers、サウンドはちょっと頭でっかちなところがあるような気がするけど、演奏は上手そうだし、資金的なバックもありそうだし、これからの活躍(楽曲もだけど、主にビデオ)が楽しみなバンドではあります。
それではこのへんで!
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2018年08月21日
インドのインディーズシーンの歴史その1 インドのVan Halen、Rock Machine!
各アーティストごとに1曲ずつ代表曲がリストアップされている。
これがインドのインディーズシーンの歴史を辿るのに最適なので、どれくらい時間がかかるかわからないけれども、この72曲を1曲ずつレビューしてゆきたいと思います。
これがそのリスト。

このリストを見てもらうとわかる通り、それぞれのアーティストが活動を開始した年の順に各1曲ずつがピックアップされている。
紹介されている曲がリリースされた順番はまちまちなので、だから曲がリリースされた年次で並べると、また違った順番になるが、インドのインディーズシーンの進化と変遷を辿るには十分だろう。
このリストの前半には海外在住のインド系アーティストの名前も多く入っているが(外国籍のものも含む)、後半になるにつれて国内のアーティストの割合が増えてくる。
その意味では、インドの音楽シーンが海外のインド系アーティストの逆輸入に刺激を受け、それをどう消化して新しい音楽を作るようになったかという歴史として捉えることもできる。
2000年以降、それも'00年代後半からは、1年あたりの紹介されるアーティストの数がどんどん増えているのがわかると思うが、これはそのままシーンの拡大を表していると見て良いだろう。
まさに今、この瞬間にもインドのインディーミュージックシーンは爆発的に広がり続けているのだ。
さてさて、前置きはこのへんにして、今回、記念すべき第1回で紹介するのは、もちろんリストのトップバッター、その名もRock Machineというバンドの80年代ハードロックナンバー、"Top of the Rock"!
この曲は、1988年に発表された彼らのファーストアルバム"Rock’n'Roll Renegade"からの曲。
聴いてもらってわかる通り、キーボードを多用した曲調やタイトル、トリッキーなギターソロ、衣装やビデオの雰囲気など、サミー・ヘイガー在籍時のVan Halenを強く意識したと思われる曲だ。
このRock Machine、今では聞かない名前だなあと思って調べてみたら、彼らはその後Indus Creedと名前を変更しており、97年に一度解散したものの、2010年に再結成し、今も現役で活動を続けている。
Rock Machineは知らなかったがIndus Creedはインドのロックシーンを調べているとなんども見聞きするビッグネームで、シッキム州のロックバンド、Girish and the Chroniclesもこのサイトのインタビューでインドを代表するロックバンドとして名前を挙げていた。
1バンド1曲のこのリストでも、Indus Creedとしても7曲めにリストアップされているから、インドのロックシーンでの影響力の大きさが分かろうというものだ。
バンドの歴史を見てみよう。
Rock Machineは1984年にムンバイ(当時はボンベイ)で結成された。
当初はThin Lizzy、UFO、The Who、Deep Purple、Van Halenといった欧米のバンドのカバーをしていたというから、これは同時代に活動していた世界中のハードロック/ヘヴィーメタルのバンドと同じような影響を受けているということができるだろう。
詳しくは書かないが、クリスチャンやパールスィー(ゾロアスター教徒、ムンバイに多く裕福な家も多い)と思われる名前のメンバーもいるので、裕福かつ、ヒンドゥーやイスラムの保守的な考えから比較的自由な環境にいた若者たちによって結成されたと見て間違いないだろう。
インドでは、歴史あるかつての王室の家系などは別にして、学業をおさめ仕事で財をなした家庭の場合は家族でも英語で会話をするなど、欧米風の開明的な生活こそを良しとする風潮が強く、彼らもそうした階層から出てきた「新しいインド」を象徴する若者たちだったというわけだ。
この"Top of the Rock"が発表された1988年というと、まだインドの大部分の人々は役者たちが(口パクで)歌い、サリーを着たダンサーが舞い踊る映画音楽を聴いていたはずだ。
そんな時代に、蛍光色のタンクトップを着て、当時の欧米のロックのメインストリームに沿ったビデオを作っているバンドがいたと思うとなんとも感慨深い。
それにしても謎なのは、この時代、まだインドにはMTVは無かったわけで、ミュージックビデオのようなものがあるとすれば、それは映画のミュージカルシーンを切り取った映画音楽のもののみのはず。
このビデオ、それなりにお金がかかっているものと思うが、いったいいつ、どこで流すために作られたものなんだろう。
それとも、メンバーはそもそも裕福な家庭の出身だろうから、発表するあてなんかなくても、「いっちょアメリカで流行ってるようなビデオを俺たちも撮ってみようぜ!」と勢いだけで作ってしまったということなのだろうか。
このRock Machine、演奏も歌もうまいし、曲もこの時代のトレンドに見事なまでに乗っかっているので、うまく海外でプロモーションされれば、日本のLoudnessくらいには海外での成功と名誉を収めることもできたのかもしれない。
どうやら彼らはインド全国をツアーできるくらいの人気は得ていたようで、とくに西洋文化に対して早くから開かれていたインド北東部では高い人気を博していたという。
とはいえ、以前書いた話だが、1998年になっても首都デリーのカセットテープ屋のオヤジからしてそもそもロックが何だか分かっていなかったというエピソードからもわかる通り、彼らの活躍をもってしてもロックが一般的な知名度を得るには至らなかったというのが、当時のインドの音楽シーンの限界だったのだろう。
今日のインドのロックシーンといえば、知的かつ音楽的に複雑なポストロックや、センス良さげなインディーロック(このブログであんまり紹介してないけど)、テクニカルなメタルの印象が強いが、 ロック黎明期の最初の1曲として挙げられていたのがこのシンプル極まりないハードロックのパーティーチューンだというのがちょっと意外で、とても面白い。
ムンバイのお金持ちのちょっと不良っぽい坊ちゃんたちが、「俺たちもあのアメリカの連中がやってるかようなロックをやってみようぜ!」って始めたのかなあ、なんて想像も膨らむ。
何はともあれ、彼らのファースト・アルバム"Rock'n'Roll Renegade" は、インド初の全曲オリジナルのロックアルバムとして、インドの音楽史に永遠に名を残すことになる1枚なのでした!
タイトル曲はちょっと欧州的な叙情性も感じるポップなハードロックだ。
それでは今回は、これまで!
2018年04月25日
原点、っていうか20年前の思い出。シッキムにて。
インドによく通ってた20年ほど前、今となっては前世紀末の話。
当時のインドでは、街角で流れていたのは映画音楽か宗教歌ばかり。
ロックやヒップホップなんて洋楽も国産のも全然聴こえてこなかったし、カセットテープ屋さん(当時、インドの主流音楽メディアはCDではなくカセットだった)に行っても映画音楽と古典音楽しか並んでいなかった。
当時、アタクシはインドとロックが三度のメシより好きな若者だったので、インド感たっぷりのインドのロックバンドってのがあったら聴きたいなあ、と思っていたものだった。
その頃、ラヴィ・シャンカルの甥のアナンダ・シャンカルがロックの名曲をシタールでカバーしたアルバムがCDで再発されていたのだけど、B級趣味の企画盤っぽくてあんまり好みじゃなかったし。
前にも書いたけど、デリーのカセット屋で「インドのロックをくれ」と言ったら、出てきたのはジュリアナ東京みたいな音楽だった。
インドのロック好きの人たちが本気でやっているロックバンドは無いものか、と探していたけどどこにも見つからなかったし、そもそも見つけ方が分からなかった。仕方なく、イギリスのインドかぶれバンドのクーラシェイカーあたりを「なんか現地のノリと違うんだよなあ」とか思いながら聴いていたものだった。
これはインド北東部、シッキム州を訪れたときのお話。
シッキムはネパール国境の東にちょこんとあるごく小さな州で、1975年まで「シッキム王国」という独立国だった歴史を持つ。
シッキム州の場所
シッキムの住民はネパール系やチベット系の、日本人と似た、いわゆる「平たい顔族」の人たちが多い。
どこを開いてもアーリア系やドラヴィダ系の濃い顔ばかりの「地球の歩き方 インド」の中で、薄い顔の人たちが民族衣装を着て微笑んでいるシッキムのページに、どことなく安心感と懐かしさを感じたものだった。
シッキムの州都ガントクから乗り合いバスで山あいのルムテクという村に向かったときのこと。
ルムテクはチベット仏教の大きな僧院が有名(っていうかそれしかない)な小さな村で、オフシーズンだったせいか、1軒だけ営業していた宿にも英語が分かる人がおらず、「ここ泊まる。食事する」と身振り手振りでなんとかチェックインを済ませた。
ルムテクは素朴な雰囲気の村で、とてもリラックスして過ごすことができた。
僧院も素晴らしく、おおぜいの少年僧たちがめいめいに暗唱するお経は、伽藍の高い天井に反響して、不思議な音楽的な響きが感じられた。
さて、翌日。
他に見る場所もないので、ガントクに帰るバス乗り場に行くと、もうその日のバスは全て出た後だという。
途方に暮れていると、こぎれいな車に乗ったインド人男性がやって来て、「これからガントクに行くんだけど、よかったら一緒に乗っていかないか」と誘ってくれた。
「観光客に向こうから声をかけてくる奴はほぼ悪者」というインドの大原則があるのだけど、このあたりは素朴な人たちばっかりだったし、オフシーズンのこんな小さな村に観光客相手の詐欺師もいないだろうと判断して、ありがたく乗せてもらうことにした。
彼の名前はパサンサン。カリンポンという街で自営業をしているという。
ドライバーが運転する車の後部座席で、パサンサンとの会話は大いに盛り上がった。
何故か。それは彼がインドで初めて出会ったロック好きだったから。
「ディープパープルがデリーに来た時には3日かけて見に行ったんだ。スティーヴ・モーズは凄いね。リッチーのプレイを再現するだけじゃなくて、自分のフレーズも弾けるんだ」「ブータンに行った時に、旅行で来ていたミック・ジャガーに会ったことがあるんだよ」なんて話がまさかこんなところで聞けるとは!
最初ちょっと警戒したことも忘れ、すっかり打ち解けた私に、彼は「ローリング・ストーンズのYou Can’t Always Get What You Wantをインド風にカバーしたこともあるんだ」と言うと、おもむろに歌い出した。
「まずイントロはシタールから入るんだ」
“I saw her today at the reception
A glass of wine in her hand…”
「ここでタブラが入ってくる」
タブラ の音色を真似ながら、パサンサンは歌い続ける。
“I knew she would meet her connection
At her feet was a footloose man…”
「ここでギターが入って、サビだ」
“You can’t always get what you want…”
これには本当にびっくりした。
なぜって、これこそがまさに当時の自分が聴きたかったインドのロックそのものだったから!
すっかり意気投合したパサンサンは、その日1日、ガントクの街を案内してくれた。
晩御飯はパサンサンの奢りでビールを飲みながらまたロック談義。
当時の日記によると、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、ストーンズ、ザ・フー、ジェスロ・タル、ジャニス・ジョプリン、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、スコーピオンズ、テン・イヤーズ・アフター、ゴダイゴなんかの話をしたとある。
インターネットも一般的になる前、西洋の音楽の音源もほとんど流通していないインドで、彼はどうやってこんなに(当時から見ても)昔のバンドの知識を得たんだろう。
その日は二人ともガントクに泊まって、次の日一緒にカリンポンを案内してくれることになった。ロックをインド風にカバーした音源も聴かせてくれるという。
ホテルに帰る前、パサンサンが言った。
「ドライバーに給料を支払わないといけないんだけど、今日は銀行が休みなんだ。800ルピー貸してくれないか?」
おっと。
これはインドでは絶対にお金を貸してはいけない場面。貸したら絶対に返ってこない。
ガイドブックにも、大学教授を名乗る身なりのいい家族連れにお金を騙し取られたとか、そういう体験談がわんさと載っている。
でも。アタクシは思った。
あんな小さな村でたまたま会って、ここまで趣味が一致して意気投合した男が、さらに詐欺師だなんて、いくらなんでもそんな偶然は無いんじゃないだろうか。
それに800ルピーは当時の日本円で2,000円くらい。
インドでは大金とはいえ、ドライバーを雇えるくらいの男がかすめ取ろうとする金額ではないだろう。
翌日に返してもらうことを約束し、その日はパサンサンが紹介してくれた、ふざけた名前の「ホテル・パンダ」に宿泊。酔いも手伝って心地よい眠りについた。
翌日。
約束していた朝9時にホテルのフロントに行くと、パサンサンはまだ来ていない。まあ、インド人だしな…と思いながら10分、20分、30分。
さすがにおかしいと思ってパサンサンが宿泊していた部屋をノックしてみたが返事がない。
よく見ると、鍵は外からかかっている。
やばい!と思ってホテルのフロントで聞くと、「その男ならもうとっくにチェックアウトしたよ」とのこと。
やられた!
信じた俺がバカだった!
800ルピーも惜しいけど、彼がカリンポンで聴かせると約束してくれた、インド風にカバーしたロックの名曲の数々が聴けなくなってしまったことが何よりも残念だった。
ホテルの前で困った顔をしていると、映画俳優のようにハンサムな向かいのオーディオ屋の兄ちゃんが「どうした?」と声をかけてきた。
「昨日ここに泊まってたロック好きのパサンサンって男を知ってるか?」
と聞くと、「おー、君もロック好きなのか!」と店のステレオで大音量でボンジョビやドアーズやエルヴィス(すごい組み合わせ!)を流して、ロックの話をしてくる。
音が大きすぎて通りの人はみんなこっちを不快そうに見てくるし、そもそも会話がままならないくらいのヴォリュームだ。
「で、昨日俺が800ルピー貸したパサンサンって男のことなんだけど…」
「いや、そんな奴は知らない。よく知らない人にお金を貸したらいけないよ」
知らないんなら早く言ってくれよ!
それにシッキム、どうしてこんなにロック好きが多いんだよ!
情けないやら悔しいやらで、その日は一日中、前日にパサンサンに案内された場所を巡りながら彼の消息を探したけど、結局何も分からないまま。
彼を探すことはあきらめて、次の目的地のネパールに向かうことにした。
それ以降、インドの旅の中であんなにロックが好きな男に会うことは無かった。
ゴアにはトランスのCDを売るインド人がいたし、ネパールのポカラでは、欧米人ツーリスト向けに当時流行ってたオアシスの曲をカバーしているバンドを見かけたけど、どちらも「仕事としてやってる」って感じで、心からの音楽好きであるようには見えなかった。
欧米のロックをインド風にカバーした音楽なんてものも聴く機会は無かった。
当時そんなことをやっていたのはパサンサンとその仲間くらいだったんだろうか。
インターネットが発達した時代になり、インドでもロックバンドが増えてきていて、遠く離れた日本でもインドのインディーズ音楽が容易に聴けるようになった。
それでも、あの日パサンサンから聞いたようなアプローチで洋楽のロックを演奏しているバンドにはいまだにお目にかかったことがない。
今でも、彼の音源が聴いてみたいと思う。
そして、あのとき感じた「インドのロックが聴いてみたい」という気持ちが、このブログを書くきっかけのずっと根っこのほうにあるのかな、とも少しだけ思う。
それにしてもパサンサン、晩飯もホテル代も出してくれて、1日潰してまで800ルピー騙し取るって、彼の暮らしぶりを考えたらずいぶんわりに合わないペテンだったと思うけど、あれは本当になんだったんだろう。
思うに、彼も最初は純粋にロック談義を楽しんでいたのだろうけど、途中で間抜けな日本人が完全に気心を許してるのを感じて、「これくらいの金なら掠め取ってもいいかな」と考えたんじゃないだろうか。
次回あたりで、この20年前からロックが盛んな(?)シッキム州出身のロックンロールバンド、先日紹介したGirish and the Chroniclesのインタビューがお届けできそうです。
本日はこのへんで。
続きを読む2018年04月05日
ケララのスラッシュメタルバンドChaosが映画音楽に進出!
果たして進展はあるのでしょうか。
ということで今回はまた別の話題。
「哲学は神学の婢(はしため)」と言えば中世ヨーロッパの学問の序列を表した言葉だが、同じようにインドのエンターテインメントの世界を表現するとしたら、「音楽は映画の婢」ということになるだろうか。
Brodha VがFacebook上で、音楽よりも映画ばかりが注目される状況を痛烈に批判していた通り、インドの音楽シーンは、「映画音楽=メジャー」「非映画音楽=インディー」と言ってほぼさしつかえない構図になっている。
この状況下では、映画とは無関係に、ほんとうに自分の表現したいものを追求している作家性の強いミュージシャンは、いくら質が高い作品を作ってもなかなか注目されないわけで、アーティストたちが怒るのも無理のないことだろう。
ただ、だからこそというか、そうしたアーティストたちは、SoundcloudやBandcampといったサイトを通じて積極的に音楽を発信しており、またライブの場も大都市では増えてきているようで、急速に面白いシーンが形成されているのは今まで見てきた通り。
一方で、映画の側から、活気づいている音楽シーンにアプローチする例も見られ、いまやムンバイの大スターと言えるDIVINEの半生をもとにした映画が作られたり、Brodha Vにも映画の曲が発注されたりしている。
こうした傾向は、とくに人気が著しいヒップホップだけかと思っていたらそうでもないようで、映画音楽からは最も遠そうなヘヴィーメタルシーンにも映画業界が触手を伸ばしているようだ。

つい先日、インド最南端のケララ州のスラッシュメタルバンドChaosが、Facebookでマラヤラム語(彼らの地元ケララ州の公用語)映画のための音楽を作ったぜ!と言っていたのでさっそくその曲とビデオを見てみた。
Chaos "Vinodha Jeevitham" .
いつもは英語で歌っている(っていうかがなっているっていうか)バンドだが、今回は映画に合わせてマラヤラム語の歌詞で、作詞も外部の人が手がけたようだ。
映画の曲ということで、メタルに合わせて大勢でダンスしたりしていたらどうしようと思っていたが、幸か不幸かそういうことにはなっておらず、ちょっと安心したというか残念というか、なんとも複雑な気持ちにちょっとだけなった。
この映画は犯罪映画かホラー映画のようで、不穏な感じの映像には確かに彼らの音楽が合っているように感じる。
調べてみるとS DurgaというのはSexy Durgaという意味のようだが(ドゥルガーはヒンドゥー教の戦いの女神で、この映画のヒロインの名前でもある)、Sexyという単語を使わないのは保守的な市民感情に配慮してのことだろうか。
インドでもメタルやヒップホップの歌詞では、かなり過激な表現もされているが、あくまで大衆向けのエンターテインメントである映画では、このレベルの配慮が必要ということなのかもしれない。
この映画からもう1曲。Olicholaakasham.

Chaosは「Rolling Stone Indiaが選ぶ2017年度ベストビデオ」の10位に選ばれた "All Against All"という曲が印象に残っているバンドで、泥の中で荒くれた男たちが取っ組み合う映像に「いかにもなメタルだなあ」という感想を持ったものだけれども、歌詞やなんかを調べてみると、社会の分断や抗争といった真面目なテーマを扱っているバンドだということが分かった。
これがいつもの英語で社会を歌う(っていうかガナる)Chaos.
生まれた場所や肌の色を理由として、国の中に差別や断絶が生まれ、全てが対立する。
というのがこの曲の歌詞の趣旨。
こうした硬派で激しい表現をするバンドに映画業界が着目したというのはなかなか面白いように思う。
余談だけど、インド映画を紹介する際によく使われる「ボリウッド」という言葉は、ハリウッドのHの代わりに映画製作の中心地ムンバイの旧名ボンベイのBを頭文字につけたことから来ていて、一般的にはヒンディー語の映画を指している。
首都デリーを含む地域で話され、インドで最も話者が多いヒンディー語映画は製作本数も多いためにボリウッドという言葉が有名になっているけれども、南インドのタミル語映画は「コリウッド」、東インドのベンガル語映画は「トリウッド」、マラヤラム語映画は「モリウッド」と、それぞれの州の都市名をもじって呼ばれることもあるようだ。あんまり聞いたことないけどね。
インドの映画と音楽をめぐる関係はまだまだ面白くなりそうなので、また気になるトピックがあったら紹介します!
2018年02月11日
欧米の「インド風ロック」と「インドのロック」の違い
90年代、インドとロックが大好きな若者だったアタクシは、よく「インドに影響を受けたロック」を聴いていたものでございます。
でも、欧米人が演奏する「インド風ロック」は、本場のインドを知ってしまった身からすると、どこかやっぱり物足りなかった。
時は流れて2018年。
ここでも紹介しているように、インドにもロックバンド がたくさんいる時代になった。
その中にはインド音楽の要素が入ったバンドもたくさんいる。
ボンカレーしかなかった街にインド人が作る本格インドカレーのお店ができたようなものだ。
本場のインド風ロック!最高ではないか。
実際、素晴らしいバンドがたくさんいる。
で、インドのバンドをいろいろ聴いてみてあることに気がついた。
それはどういうことかというと、
「欧米のバンドがやっているインド風ロック」と「インドのバンドのインド風ロック」って、全然違う!
ということ。
それを今日はアタクシなりに説明したいと思います。
まあとにかく聴いてみてください。
まずは欧米のやつから行きますよ。「知ってるよ」って人は飛ばしてくれても大丈夫です。
やっぱりまずはビートルズから。
ジョンの曲でシタールが印象的なNorwegian Wood.
とりあえず手軽にインドっぽくするならシタール入れとくか、って感じだね。
同じくジョンで、サイケデリックなTommorow Never Knows.
ずっと同じ音程が続くドローン的な音を入れるのもインドっぽさを出すポイントの一つですな。
当時からインド風の要素とサイケデリックって、セットで出てくることが多かったよね。
ヨガとか瞑想とかドラッグとかで知覚の扉を開く、みたいな。
次。ビートルズでインドといえばジョージ。
シタールのラヴィ・シャンカールに弟子入りしたりもしてたよね。
おお、かなり本格的!ってか本格的すぎて普通のビートルズファンはこの曲好きじゃないと思う。
ドローン音にシタール、バイオリン的な楽器の漂うようなメロディーがヴォーカルとユニゾンと、インド要素満載!
ビートルズときたらストーンズ。「黒くぬれ!」(原題:Paint it, Black)
全編にブライアン・ジョーンズのシタールだぜ!メロディーもそれっぽい感じにしてみたぜ!適当だけどな!俺たち不良だけどよ、インドっぽくしてみたぜ!って雰囲気だろうか。
時代は一気に90年代へ。久しぶりに出てきたインドかぶれバンド、Kula Shakerで "Tattva"をお聴きください。
Tattvaはサンスクリット語で「真理」とかそんな意味の言葉だったと思う。
同じフレーズを繰り返すマントラ的なAメロでインド的な要素を出した後で、ぐっとポップなBメロに続くところの解放感が素敵。
彼らのインドかぶれっぷりったるや相当なもので、実際にヒンドゥーの宗教歌のカヴァーとかもやっていたりする。
こうやって並べてみると、インドに影響を受けたロックって……もっとあるかと思ったけど、あんまりなかったな…。
60年代と90年代しか無いし、90年代はクーラシェイカーだけだし。
ヒッピームーブメントの頃からインド風ファッションを取り入れるミュージシャンも多かったから、実態以上にロックへのインドの影響って、大きく感じられるのかもしれない。
あと偶然だけど並べたバンドが全部イギリスのバンドだった。
ロックに豪快さとパーティーと反骨精神を求めるアメリカ人は、内省的なインド的要素と相性が良くないのかもしれないね。
はい、それじゃあ次は本場インドのバンドがインド音楽を取り入れた曲ってのを聴いてみてください!
以前紹介したことがあるAnand Bhaskar CollectiveさんのMalhar.
なんかイギリスのバンドと全然違うよね。とにかくこの歌!
演奏のコード感は逆にちょっとイギリスのツェッペリンっぽい感じもあるかな。
続いてはRolling Stone Indiaが選ぶ2017年のTop10ミュージックビデオにも選ばれていたニューデリーのバンド。
PakseeのRaah Piya.
これも全然違うぞ。
演奏部分はむしろファンク的にグルーヴしていて、でもまたしてもヴォーカルがどうしようもなくインド!
途中で唐突にラップするところもイカす。
どんどん行きましょう。インド風ロックというより、ロック風インド!AgamでMist of Capricorn(Manavyalakincharadate)。カッコの中の単語、南インドの言葉だと思うけど、長え!
エンヤっぽい感じで始まったと思ったら、歌い回しからエレキギターのフレーズまで、あらゆるところがインドだ。
…と、こんなふうに、イギリスのバンドとインドのバンド、インドっぽいロックをやるにしても、全然違った感じの出来になるのだから不思議。
インドっぽさの解釈、インドっぽさをどこで出すかがまるで違う。
イギリスのバンドとインドのバンド、それぞれがどの部分でインドっぽさを出そうとしているのか、まとめてみるとこんな感じになると思う。
イギリスのバンドの中のインドっぽい要素
・シタールやタブラといった楽器の「音色」
・ずっと同じ音程が続くドローンノート
・マントラ的に繰り返したり、エスニックな旋律だったりするそれっぽいメロディーライン
・でも歌の発声自体はインドっぽくはなく、普通の英語のポップスやロックと同じように歌われる。
イギリスのバンドがやるときのインドっぽい要素
・とにかく歌い回し!
南インドのカルナーティックや北インドのヒンドゥスターニー音楽に由来する独特に揺れて上下する音程。
・同様にギターやバイオリンといったリード楽器も、インド的な「音程の取り方、運び方」をする。
・でも演奏の核になるリズムや伴奏部分は、むしろ普通のロックだったりファンクだったりする(タブラやシタールといった記号的なインド楽器が使われることはない)。
と、こんな感じだ。
要は、イギリスのバンドが楽器の「音色」や「ドローン音」「メロディーライン」でインドを表現しているのに対して、インドのバンドは歌やリード楽器の「歌い回し・フレージング」でインド的な要素を出している。
アタクシ、古典音楽には全然詳しくないのだけど、 どうもインドの古典音楽というのは、声楽がすべての基本となっていて、楽器の演奏も声楽を模したものとして表現されるという話を聞いたことがある。
ところが、そのインド古典声楽の歌い方は、ロックとも、西洋のいかなる音楽とも違う。
欧米人のロックミュージシャンがインド声楽を理解し、体得して表現するのは大変だ。
そもそも、それをやってしまうと、ロックの歌い方ではなくなってしまうし、そこまでインド音楽を本格的にやりたいわけでもないのだろう。
そこで、イギリスのバンドは、ロック的な楽曲に、声楽ではなく、インドの楽器の音色や、エスニックなメロディーラインを取り入れることでことでインドっぽさを演出することにした。
ありあわせの材料で作ったなんちゃってエスニック風料理に、インドのスパイスをふりかけてみました、みたいな感じと言えるかな。
いっぽう、インドのバンドたちは、ロックを演奏するのだから、基本編成はギター、ベース、ドラムス、キーボードといった王道の楽器で固めつつ、インドの要素を取り入れるために、インド音楽のすべての基本であるヴォーカルをまず取り入れることにした。
エレキギターなどのロックの楽器で本格的な古典音楽のフレーズを弾いて、さらにインドらしさを演出している人たちもいる。
(古典音楽の楽器でインドっぽいフレーズを弾いてしまうと、それはまんま古典音楽になってしまうので、インド人はやらないのだろう)
洋風の器に、本場のインド料理を盛りつけてみました、ってところかな。
とまあ、最近のインドの音楽をいろいろ聴いているうちに、こんなふうな違いを発見したって次第です。
だから何だよ、って言われても困るのだけどね。
2018年02月06日
インドの州別ヘヴィーメタル事情
当時、ロック好きの若者だった私は、インドにはどんなロックバンドがいるのか、少しだけ楽しみにしていた。
ひょっとしたらクーラシェイカーなんかよりかっこいい、まだ見ぬインド風のロックバンドがいるかもしれない。
ところが、当時のインドには全然ロックなんてなかった。
街で流れているのはボリウッドの映画音楽かヒンドゥーの讃歌のみ。
デリーのカセットテープ屋(当時、インドで最も流通していた音楽記録媒体はカセットだった。CDではなくて)で「インドのロックをくれ」と言って買ったテープは、日本に帰って聴いてみるとジュリアナ東京とボリウッド音楽が混ざったようなやつだった。
先日からヴェーディック・メタルとか、インド北東部のデスメタルとか、やたらとインドのヘヴィーメタル事情について書いているが、なんでそんなにこだわっているかというと、そんなインドに、ロックのなかでも非常にエクストリームな音楽である、ヘヴィーメタルのバンドがたくさんいるっていうのが気になってしょうがないからなんである。
なにしろ、当時は首都のカセット屋(日本で言えば東京のCD屋)からしてロックがなんだか分かっていなかったのだ。
「ロック」が若者っぽい激しめの音楽っていうことまではかろうじて理解しているようではあったけど、バングラ的ダンスビートみたいな、まったくもって非ロック的なものまで、ロックの範疇にいれてしまうくらいだ。
もし「ヘヴィーメタルのカセットをくれ」なんて言った日には、「なんだそれは?聞いたこともないぞ」と返されたに違いない。
ジャンル自体が全く知られていないという意味では、「演歌のカセットをくれ」というのと同じようなものだったろう。
大幅に話がそれちゃった。
ここから本題に入ります。
こないだ、インドのメタルバンドをいろいろ調べていた時に、Enciclopedia Metallumというサイトを見つけた。
その中で、各国のメタルバンド一覧が見られるページがあって、インドのページを見ると、2018年1月現在で196ものバンドが登録されていた。
まずびっくりしたのは、そのうちのほとんどがデスメタルかブラックメタルだったっていうこと。
メタルはメタルでも、古典的なJudas PriestとかIron MaidenとかMetallicaみたいなバンドっていうのはほとんどいなくて、とことんヘヴィーなサウンドで死とか反宗教といった不吉なテーマを絶叫しているバンドばかりっていうのに驚いた。
こういう音楽に、インドの一部の若者達を引きつけるものが 何かあるんだろうか。
このEnciclopedia Metallum、ありがたいことに、それぞれの バンドがどこの州のどこの街の出身なのかが全部書いてくれている。
Alien Godsのタナは「北東部のメタルシーンはまだまだアンダーグラウンドだよ」と言っていた。
これまで見てきた印象では、インド北東部はかなりメタルが盛んなようだが、実際のところはどうなのか。
気になってしょうがなかったので、州ごとにどれくらいメタルのバンドがいるのかをエクセルでまとめてみた。
若干、俺、いったい何やってるんだろう、って思わないでもなかったけど。
次に、当然州によって人口が多かったり少なかったりするので、州の人口も付け加えてみた。
さらに、人々が裕福かどうかによっても、楽器買ってバンドできるかどうかってのが変わってくるわけだから、各州の一人当たり GDPなんてのも調べてみた。
インターネットって便利だなあ。
最後に、各州で、1,000万人あたり、いくつのメタルバンドがあるのか、というのを割り出してみた。
なんでキリの悪い1,000万人あたりなのかっていうと、インドには独特の数の数え方があって、10万をlakh(ラック)、1,000万をcrore(クロール)っていうんだけど、よくインドの役所の統計なんかにも使われているのでそれをマネしてみたって次第。
その表がコチラ。
「人口当たりのメタルバンド数」が多い順に並べてある。

インドの地図も載っけときます。
![]() |
ミゾラム、メガラヤ、ナガランド、アルナーチャル・プラデーシュ、アッサム、マニプルといった北東部諸州が、見事にトップ10圏内にランクインしている。
トップ10の他の州では、やはりというか、大都市を擁する州が食い込んできている。
カルナータカ州はバンガロール、マハーラーシュトラ州はムンバイとプネー(大学が多い若者の街)、ウエストベンガル州はコルカタといった都市があり、欧米的なカルチャーが育まれているのだろう。
北東部諸州がすごいのは、アルナーチャル以外、一人当たりGDPは決して高くない(むしろ低い)のに、それでもみんなメタルバンドをやってるっていうこと。
何度も言ってきたように、それだけ西洋の文化への親和性が高い地域なのだろう。
いっぽうで、首都デリーを別として、北インドの文化の中心である、いわゆるヒンディー・ベルトと呼ばれる地域(ウッタル・プラデーシュとかビハールとか、ラージャスタンとか)には、人口が多い割に全然メタルバンドがいないっていうことも分かった。
保守的というか、あまりにもインド的な文化が強すぎるのだろう。
GDPを見れば分かる通り、ウッタル・プラデーシュやビハールなんかだと貧困という面も無視できない。
この地域には、タージマハールのあるアグラ、ガンジス河のヴァラナシ、カジュラホにブッダガヤといった街があり、多くの日本人旅行者が訪れる地域と重なる。
何を隠そう、私が最初のインド旅で訪れたルートもほぼ同じである。
今でもこんななんだから、当時インドのこの地域でロックを感じられなかったとしても当然だったというわけだ。
また、大都市チェンナイを擁するとはいえ、文化的には保守的とされるタミル・ナードゥ州のランクが相対的に低いのも、なるほどいった感じがする。
ちなみに同様に日本について調べてみると、人口1,000万人あたりのメタルバンド数は146バンド!
北東部がインドの中じゃメタル銀座だっていっても、やはりシーンがアングラだというのはその通りなのだろう。
同じような統計でラッパーがどの州に何人くらいいるか、とか調べられるとまた面白いかもしれない。
それでは、今回はこのへんで!
2018年01月28日
デスメタルバンドから返事が来た!Alien Godsのギタリストが語るインド北東部の音楽シーン
こないだのブログで、インド北東部7州「セブン・シスターズ」にどうやら多くのデスメタルバンドがいるらしい、ということを取り上げた。
インドの中でも辺境とされ、自然豊かなこの地域で、どうしてそんなに激しい音楽が流行っているのか。
探ってみるためにいくつかのバンドにメッセージを送ってみたところ、Top 10 Indian Death Metal Bandで第9位の、アルナーチャル・プラデーシュ州イーターナガル出身のAlien Godsからさっそく返事が来た!
メッセージをくれたのはギタリストのTana Doni.
「俺たちに興味を持ってくれてありがとう。どんな方法でも喜んで協力するよ」
と、なんかいい奴っぽい。
ではさっそく、インタビューの様子をお届けします。
凡「まず最初に、Youtubeやなんかを見ていて、インド北東部にたくさんのメタルバンドがいることに驚いたんだけど」
Tana「アルナーチャルには他にもいいバンドがたくさんいるよ。よかったら紹介するよ」
と教えてくれたバンドは、
プログレッシブ・ブラックメタルとのふれこみのLunatic Fringe
マスロックバンドのSky Level.
現代的なヘヴィーロックで、なかなか面白いギターを弾いている。
ロック系ギターインストのAttam. 彼は近々アルバムを出すという。
凡「イーターナガルとかアルナーチャル・プラデーシュ州のメタルシーンについて教えてくれる?」
Tana「正直言って、シーンはアンダーグラウンドなものだよ。北東部にはいろんなジャンルが好きな人がいるから。でもマニプル州は他の北東部の州よりシーンが発展しているかな」
凡「どんなところで演奏してるの?」
Tana「Govermental hall(公民館のようなところか)とか、Community Ground(屋外の公共の場所か)とか」
なんと。田舎ながらもシーンがあって、愛好家が集うライブハウスみたいなものがあるのかと思ったら、本当に好きな人たちがなんとか場所を借りて続けている状況のようだ。
凡「Alien Godsはブルータルなサウンドが印象的だけど、どんなバンドに影響を受けたの?」
Tana「実は俺は3枚目のアルバムができてから加入したから、よく分からないんだよね。今のメンバーでオリジナルメンバーはボーカルだけなんだ」
またしてもびっくり。でもそれって代わりになるレベルのプレイヤーが身近にいるってことだよね。アングラとはいえそれなりにプレイヤー人口はいる様子。
凡「じゃあ、あなた自身はどう?いつ、どんなふうにこういう音楽と出会ったの?」
Tana「最初はパンクロッカーだった。2007年、高校生の頃のことさ。Blink182やSum41が好きだった。それからハードコア・パンクに興味を持つようになったんだ」
凡「へえー!でもインドってあんまりパンクが盛んじゃないように思うけど」
Tana「インドにもいい感じのアンダーグラウンドのパンクシーンがある。”The Lightyears Explode”はチェックすべきだよ。彼らとは地元のフェスで共演したんだ」
The Lightyears Explodeはこんなバンド。
ポップなサウンドに内向的な歌詞。なかなかいいじゃないですか。
インドだと、メタルバンドはだいたいがとことんヘヴィーなデスメタル系なのに、パンクになるとポップになる傾向があるのかな。
凡「じゃあ、ポップ・パンクからハードコア・パンク、そこからデスメタルって感じなんだね」
Tana「デスメタルの前はブラックメタルだったよ。これが俺の最初のバンドなんだ」
ギターがメロディアスで、日本のメタル好きにも人気が出そうなサウンドだ。
Tana「それからAlien Godsに加入して、今ではSacred Sacrecyっていうバンドもやっている」
Sacred Secrecyはよりブルータルかつテクニカルな感じのバンドのようだ。
凡「好きなバンドとか、好きなギタリストは?」
Tana「いくつか挙げるなら、Cradle of Filth, Dimmu Borgir, Cannibal Corpse, Cryptopsy, Cattle Description, Strapping Young Ladかな」
凡「どれもデスメタルとかブラックメタルの大御所だね。実は僕、Strapping Young Ladのデヴィン(ヴォーカル/ギター。Steve VaiのSex & Religionというアルバムでヴォーカリストを務めた)はヴァイと一緒のツアーで見たことがあるよ」
Tana「へえ!それはすごくラッキーだね!俺、Strapping Young Ladのコンサートを見るためだったら何でもするよ。彼はまさにレジェンドだね。ところで、マキシマム・ザ・ホルモンってバンドは知ってる?」
凡「もちろん、日本のバンドだよね。日本じゃヘヴィーな音楽はアンダーグラウンドだけど、彼らはすごく人気があるよ」
Tana「だろうね。だからこそ俺が住む北東インドまで彼らの音楽が届いてるんだと思う。彼らのスタイルは好きなんだ。すごく興味をそそるよ。いくつか日本のバンドでお勧めを教えてくれたらうれしいんだけど」
さて、困った。最近のこの手のジャンルは全然知らない。
凡「日本じゃメタルだともっとメロディアスなやつが人気なんだよ。X Japanとか、知ってる?」
Tana「うん。ってか知らない奴いる?」
あ、そうなの。日本の皆さん、インド北東部でもXは有名です。
彼にいくつか日本のバンドを教えてあげる。タナはかなりコアなメタルファンのようで、たとえば日本の老舗ブラックメタルバンドのSighも聴いたことがあると言っていた。
凡「それじゃあ、最後の質問。ミュージシャンとしての夢を教えてくれる?」
Tana「ワールドツアーだよ。俺はステージプレイヤーなんだ。スタジオに座ってるより、ツアーをしていたい」
凡「ありがとう。いつか日本でライブが見られたらうれしいな。またニュースがあったらぜひ教えて」
と、かいつまんで書くとこんな感じのインタビューだった。
インタビューを終えて、いくつかのことについて分かったし、いくつかのことについて反省もした。
まず分かったのは、セブン・シスターズ諸州では、けっしてデスメタルが盛んなわけではなく、世界中の他のあらゆる地域と同じように、メタルはアングラな音楽で、でも根強いファンがいるということ。
それから、ポップなパンクからハードコア・パンクに進み、そこからだんだんよりヘヴィーでテクニカルな音楽が好きになっていったという彼の音楽キャリアは、日本でも欧米でも、世界中のどこにでもあり得るようなものだということ。
反省したというのは、自分の中のどこかに、こんなに辺鄙なところで(失礼)デスメタルをやってるなんて、なにかすごく面白い秘密があるんじゃないだろうか、と無意識に思ってたということだ。
そもそもデスメタルのミュージシャンにインタビューすること自体初めてだったけど、彼とやり取りをしていて、アルナーチャル・プラデーシュという、自分が全く行ったことがない場所の人と話しているという気が全然しなかった。
っていうか、まるでこの手の音楽が好きな日本の後輩と話しているような気さえした。
インターネットで世界中が繋がったこのご時世、ネットがつながる環境さえあれば、世界中のどこにでも、同じようなものに惹かれる人たちがいる。
流行っているポップミュージックは国によって違っても、コアな音楽には国境はない。彼と話をしていて、改めてそう認識した。
また、以前書いたように、インド北東部の人々は、インドのマジョリティーと文化的なバックグラウンドを共有しないがゆえに、よりダイレクトに欧米のカルチャーの影響を受けるのだろう。おそらくはそれがこの地域でデスメタルが盛んなように見える理由だ。
それから、「Strapping Young Ladのライブを見るためだったら何でもするよ」という彼の言葉と、ライブハウスが無いから公民館みたいな施設を借りてライブをやっているということにも、なんというかこう、ぐっと来た。
セブン・シスターズ出身の別のデスメタルバンドが、デリーでライブをやったときのインタビューでこんなふうに答えていた。
(地元でのライブとデリーでのライブの違いはどう?という質問に対して)「地元じゃ誰もヘッドバンギングなんかしないで、みんな座ってじっと見ているんだ。こっちだと音楽に合わせて体を動かしてくれて、デリーのほうがずっといいよ」
おそらく彼らは本当にこういう音楽が好きで、観客が盛り上がってくれなくても、演奏をすること自体の喜びを糧にして演奏を続けているのだろう。
もちろん自分だって、こういうブログをやるくらいだから、音楽は好きなつもりだ。でも「彼らのライブを見るためだったら何でもする」とまで言えるほど好きなミュージシャンがいるだろうか。
ミュージシャン目線で見ても、日本にはいくらでも演奏する場所がある。もし無かったら、自分たちでどこか場所を借りてまで演奏したい、自分たちでシーンを作りたい、自分たちのやっている音楽が理解されなくても、ずっと演奏を続けていたい、そこまで思っているバンドマンが日本にどれくらいいるだろう。
「ぼくが今生きてるのが世界の片隅なのか どこを探したってそんなところはない」と歌ったのはブルーハーツだったが、まさしくその通り。
音楽の世界に中心も片隅もなく、あるのは演奏する人、聴く人の心だけだ。セブン・シスターズのメタルバンドたちは、間違いなくヘヴィーミュージックのど真ん中で演奏を続けている。
Alien GodsのフロントマンSaidはこう語る。
「俺たちはただ音楽が好きなだけなんだ。俺たちは名誉や金のために音楽をやっているわけじゃない。すぐれた音楽を演奏する喜びを感じたくてやっているんだ…」
彼らの音楽が好みじゃないって人たちも、この言葉には感じるところがあるんじゃないかな。