インドのヒップホップ
2018年06月11日
インドのヒップホップの「新宗教」って何だ?Tre Ess!
こないだRolling Stone Indiaのウェブサイトを開いたら、いきなり日本語で書かれた「新宗教」っていう文字が目に入ってきてびっくりした。
いったい何事かと思ってみたら、数々の才能あるアーティストが所属するムンバイのレーベル、NRTYAに所属するラッパー/トラックメイカーのTre Essによる新曲「New Religion」を紹介する記事だった。
この曲は、Tre Essがムンバイ、コルカタ、ニューヨークのラッパーと共演した、総勢8名によるマルチリンガル・ラップだ(なぜジャケットに漢字が使われているのかは全くもって不明)。
小慣れた英語のフロウもはまってるし、ところどころにインドの要素を入れつつ最後はギターも入ってヘヴィーロック的な展開を見せるディープなトラックもかっこいい!
マイクリレーの順番は、
Cizzy(コルカタ、ベンガル語)
Tienas(ムンバイ、英語)
Kav E(ムンバイ、英語)
Tre Ess( ラーンチー、英語)
Gravity( ムンバイ、ヒンディー語)
Jay Kila(ニューヨークのインド系ラッパー、英語)
Nihal Shatty and the Accountant(ムンバイ、英語)
最後にまたTre Ess、と続く。
Gravityのパートでヒンディー語になったところで、タブラの音が入ってサウンドもインドっぽくなるところなんかもなかなか小粋にできている。
ヒンドゥー、イスラム、シク教、キリスト教、仏教など多くの宗教を抱えるインドで「新宗教」とはどういうことかと思ったが、その真意はリリックからははっきりしない。
リリックの内容は、英語のパートを見る限りだと不穏で暴力的な都市での生活を語ったもののようで、宗教っぽい部分といえば、TienasとTre Essのパートで"I'm a god"というフレーズが使われているくらいか。
推測するに、「神に祈っても救われないこの世の中で、ヒップホップの価値観こそが俺たちの新しい宗教なのさ」といったところだろうか。
そういえば、キリスト教が盛んなインド北東部のデスメタルバンド、Third Sovereignも、彼らの音楽にブラックメタルのような反キリスト教的な要素があるのかという質問に対して、「俺たちは、反宗教というより、宗教同士、コミュニティー同士の対立にうんざりしているんだ。ヘヴィーメタルはそれ自身がひとつの宗教みたいな感じだ。違いや対立にこだわるんじゃなくて、音楽は個人のバックグラウンドに関係なく夢中になることができる。ブラックメタルのアーティストは宗教の垣根を越えた表現として音楽を演奏しているんだ」と語っていた。
この曲についても、ジャンルは違えど同じような意味合いがあるのかもしれない。
さて、もう1つこの曲でびっくりしたのは、この流暢な英語ラップと完成度の高いトラックを披露しているTre Essが、ムンバイやデリーのような大都市ではなく、ジャールカンド州のラーンチーの出身だということ。
また、ジャールカンドは人口の3割ほどを「指定部族」が占める。
指定部族とは、ヒンドゥーやイスラムとは異なる伝統を持ち、歴史的に被差別的な立場を強いられてきた人々であり、ビハール州からの独立にも、そうした背景が関係していると聞く。
先日のレゲエ活動家Taru Dalmiaの記事でも書いた通り、英語のラップはインドの一般大衆からすると、まだまだエリート・ミュージックという印象を持たれるジャンル。
失礼ながら、こんな後進的なイメージの州から、ここまで洗練されたヒップホップ(歌詞はリアルなストリートライフだとしても)が出てきたら、そりゃあ驚くってものでしょう。
ちなみに以前行った「全インド州別ヘヴィーメタル状況調査」でも、ジャールカンドにはメタルバンドは一組も存在していないという結果が出ている。おそらくは貧困や保守性を原因として、ラップだけでなく現代的な西洋音楽全般が普及していない様子が伺える。
そんなジャールカンド出身のTre Ess、「New Religion」だけが他のミュージシャンの助けもあって奇跡的な出来なのかと思ったら、そんなことは全然なく、他の曲もやはり驚愕の出来。
Tre Ess "Bycicle Thieves"(ft. Gravity)
こちらもムンバイのGravityとの共演だが、ジャジーで夜の空気感を感じさせるトラックのクールさといったら!
Tre Ess "Through the Window"
こちらも生演奏の不穏な感じのトラック(インドのヒップホップにありがちな、アゲる方向に持っていかないところが逆に重い!)に、ジャールカンドの荒んだ暮らしが綴られている。
リリックはYoutubeから見ると確認できるんだけど、
Everybody and their momma is a rebel in Jharkhand
誰もが、母親でさえもがジャールカンドでは反逆者
というラインから始まって、
と終わる(bastiはヒンディー語で貧しい人々が住む過密地域という意味らしい)。
…少し話がそれるが、アタクシがインドの最近の音楽を熱心に聴き始めた最初のきっかけは、ヒップホップだった。
インドの特定のアーティストという意味ではない。
これだけインターネットが発達して、簡単な機材とスマホでもあれば、誰もが自分の表現を世の中に訴えることができる時代。
様々な差別や貧富の差、不条理で非合理なことに満ちているインドにこそ、ラップという形でリアルな自己表現をするアーティストが必ずいるんじゃないかと思って、いろんな音楽を掘り始めた。
その後、いろんな意味で面白い音楽にたくさん出会えたということはこのブログでいつも書いている通り。
そのなかでも、これは久しぶりのめっけもの感がある。
Tre Ess レペゼン・ジャールカンド。
このサウンド、このリリック。
これは本物かもしれない。
ウェブ上の記事によると、Tre Essはお気に入りとして、Vince Staplesのようなラッパーに加え、フューチャー・ソウルのHiatus Kaiyoteや、ジャズ/ファンク寄りのSnarky Puppy、ダブ・ステップ的シンガーソングライターのJames Blakeなど、ジャンルにこだわらない(というかジャンル分けが非常にしづらい)アーティストを挙げており、やはりジャールカンドらしからぬセンスを感じる。
あ、ちなみにTre Essの名前の由来は、本名の頭文字が全てSから始まるというころで、アメリカのプロレス団体WWEのTriple Hにあやかってつけたものだそうだ。
これもまた「インド人WWE好き説」を裏付けるエピソードのひとつと言えそうだ。
そしてジャールカンド州ラーンチー出身の驚くべき才能はこのTre Ess だけじゃない!
その話はまた改めて!
いったい何事かと思ってみたら、数々の才能あるアーティストが所属するムンバイのレーベル、NRTYAに所属するラッパー/トラックメイカーのTre Essによる新曲「New Religion」を紹介する記事だった。
この曲は、Tre Essがムンバイ、コルカタ、ニューヨークのラッパーと共演した、総勢8名によるマルチリンガル・ラップだ(なぜジャケットに漢字が使われているのかは全くもって不明)。
小慣れた英語のフロウもはまってるし、ところどころにインドの要素を入れつつ最後はギターも入ってヘヴィーロック的な展開を見せるディープなトラックもかっこいい!
マイクリレーの順番は、
Cizzy(コルカタ、ベンガル語)
Tienas(ムンバイ、英語)
Kav E(ムンバイ、英語)
Tre Ess( ラーンチー、英語)
Gravity( ムンバイ、ヒンディー語)
Jay Kila(ニューヨークのインド系ラッパー、英語)
Nihal Shatty and the Accountant(ムンバイ、英語)
最後にまたTre Ess、と続く。
Gravityのパートでヒンディー語になったところで、タブラの音が入ってサウンドもインドっぽくなるところなんかもなかなか小粋にできている。
ヒンドゥー、イスラム、シク教、キリスト教、仏教など多くの宗教を抱えるインドで「新宗教」とはどういうことかと思ったが、その真意はリリックからははっきりしない。
リリックの内容は、英語のパートを見る限りだと不穏で暴力的な都市での生活を語ったもののようで、宗教っぽい部分といえば、TienasとTre Essのパートで"I'm a god"というフレーズが使われているくらいか。
推測するに、「神に祈っても救われないこの世の中で、ヒップホップの価値観こそが俺たちの新しい宗教なのさ」といったところだろうか。
そういえば、キリスト教が盛んなインド北東部のデスメタルバンド、Third Sovereignも、彼らの音楽にブラックメタルのような反キリスト教的な要素があるのかという質問に対して、「俺たちは、反宗教というより、宗教同士、コミュニティー同士の対立にうんざりしているんだ。ヘヴィーメタルはそれ自身がひとつの宗教みたいな感じだ。違いや対立にこだわるんじゃなくて、音楽は個人のバックグラウンドに関係なく夢中になることができる。ブラックメタルのアーティストは宗教の垣根を越えた表現として音楽を演奏しているんだ」と語っていた。
この曲についても、ジャンルは違えど同じような意味合いがあるのかもしれない。
さて、もう1つこの曲でびっくりしたのは、この流暢な英語ラップと完成度の高いトラックを披露しているTre Essが、ムンバイやデリーのような大都市ではなく、ジャールカンド州のラーンチーの出身だということ。
ジャールカンドといってもピンと来ない人が多いと思うが、地理的には下の地図の赤い部分にあたり、コルカタがあるウエスト・ベンガル州の西、仏教の聖地ブッダガヤがあるビハール州の南、タージマハルで有名なアーグラーやヒンドゥーの聖地ヴァラナシがあるウッタル・プラデーシュ州の南東に位置している。
ジャールカンドは2000年にビハール州から独立して生まれた新しい州で、先に述べた周辺の州と比べると、これといった大都市や観光地があるわけではないため、インドに行ったことがある人でも、訪れたことがある人はあまりいないのではないかと思う。

ジャールカンドは2000年にビハール州から独立して生まれた新しい州で、先に述べた周辺の州と比べると、これといった大都市や観光地があるわけではないため、インドに行ったことがある人でも、訪れたことがある人はあまりいないのではないかと思う。

で、なぜそのジャールカンド州出身だとそんなにびっくりするのかというと、ジャールカンドはインドに33ある州と連邦直轄領のうち、住民一人当たりGDPが下から5番目の、極めて貧しい州だからということに尽きる(ジャールカンドのGDPは2015-16年のデータでUS$960)。
隣接するビハール州が住民一人当たりGDPのワースト1(US$520)、ウッタル・プラデーシュ州がワースト2(US$740)で、このあたりは人口こそ多いものの、インド主要部の中でもとくに貧しく後進的な地域とされている。(人口に関していうと、この3州は合計で約3.5億人を擁し、インド全体の3割弱を占める地域ではある)
首都デリーの一人当たり年間GDPはUS$4,500だから、その格差の程がお分かり頂けると思う。
隣接するビハール州が住民一人当たりGDPのワースト1(US$520)、ウッタル・プラデーシュ州がワースト2(US$740)で、このあたりは人口こそ多いものの、インド主要部の中でもとくに貧しく後進的な地域とされている。(人口に関していうと、この3州は合計で約3.5億人を擁し、インド全体の3割弱を占める地域ではある)
首都デリーの一人当たり年間GDPはUS$4,500だから、その格差の程がお分かり頂けると思う。
また、ジャールカンドは人口の3割ほどを「指定部族」が占める。
指定部族とは、ヒンドゥーやイスラムとは異なる伝統を持ち、歴史的に被差別的な立場を強いられてきた人々であり、ビハール州からの独立にも、そうした背景が関係していると聞く。
先日のレゲエ活動家Taru Dalmiaの記事でも書いた通り、英語のラップはインドの一般大衆からすると、まだまだエリート・ミュージックという印象を持たれるジャンル。
失礼ながら、こんな後進的なイメージの州から、ここまで洗練されたヒップホップ(歌詞はリアルなストリートライフだとしても)が出てきたら、そりゃあ驚くってものでしょう。
ちなみに以前行った「全インド州別ヘヴィーメタル状況調査」でも、ジャールカンドにはメタルバンドは一組も存在していないという結果が出ている。おそらくは貧困や保守性を原因として、ラップだけでなく現代的な西洋音楽全般が普及していない様子が伺える。
そんなジャールカンド出身のTre Ess、「New Religion」だけが他のミュージシャンの助けもあって奇跡的な出来なのかと思ったら、そんなことは全然なく、他の曲もやはり驚愕の出来。
Tre Ess "Bycicle Thieves"(ft. Gravity)
こちらもムンバイのGravityとの共演だが、ジャジーで夜の空気感を感じさせるトラックのクールさといったら!
Tre Ess "Through the Window"
こちらも生演奏の不穏な感じのトラック(インドのヒップホップにありがちな、アゲる方向に持っていかないところが逆に重い!)に、ジャールカンドの荒んだ暮らしが綴られている。
リリックはYoutubeから見ると確認できるんだけど、
Everybody and their momma is a rebel in Jharkhand
誰もが、母親でさえもがジャールカンドでは反逆者
Several consequences / For your lil princess, born in war trenches
戦場みたいな所で生まれたあんたの娘の成り行きさ
戦場みたいな所で生まれたあんたの娘の成り行きさ
というラインから始まって、
Your worst nightmare is cuter than my dreams お前の最悪の悪夢も俺の夢よりずっとマシさ
Don't ever fuck with boys from RNC! ラーンチーの男達を怒らせるんじゃないぜ
I Told you, Don't fuck with boys from RNC! 言っただろ、ラーンチーの男達を怒らせるな
I could show you 14 years old killers from the local basti! 地元のスラムじゃ14歳の殺し屋だっているんだと終わる(bastiはヒンディー語で貧しい人々が住む過密地域という意味らしい)。
…少し話がそれるが、アタクシがインドの最近の音楽を熱心に聴き始めた最初のきっかけは、ヒップホップだった。
インドの特定のアーティストという意味ではない。
これだけインターネットが発達して、簡単な機材とスマホでもあれば、誰もが自分の表現を世の中に訴えることができる時代。
様々な差別や貧富の差、不条理で非合理なことに満ちているインドにこそ、ラップという形でリアルな自己表現をするアーティストが必ずいるんじゃないかと思って、いろんな音楽を掘り始めた。
その後、いろんな意味で面白い音楽にたくさん出会えたということはこのブログでいつも書いている通り。
そのなかでも、これは久しぶりのめっけもの感がある。
Tre Ess レペゼン・ジャールカンド。
このサウンド、このリリック。
これは本物かもしれない。
ウェブ上の記事によると、Tre Essはお気に入りとして、Vince Staplesのようなラッパーに加え、フューチャー・ソウルのHiatus Kaiyoteや、ジャズ/ファンク寄りのSnarky Puppy、ダブ・ステップ的シンガーソングライターのJames Blakeなど、ジャンルにこだわらない(というかジャンル分けが非常にしづらい)アーティストを挙げており、やはりジャールカンドらしからぬセンスを感じる。
あ、ちなみにTre Essの名前の由来は、本名の頭文字が全てSから始まるというころで、アメリカのプロレス団体WWEのTriple Hにあやかってつけたものだそうだ。
これもまた「インド人WWE好き説」を裏付けるエピソードのひとつと言えそうだ。
そしてジャールカンド州ラーンチー出身の驚くべき才能はこのTre Ess だけじゃない!
その話はまた改めて!
goshimasayama18 at 21:41|Permalink│Comments(0)
2018年05月26日
魅惑のラージャスターニー・ヒップホップの世界!
先日、ラージャスタン州ジョードプルのギャングスタ(?)ラッパー集団、J19 Squadへのインタビュー紹介した。
彼らは前に紹介したDIVINEやBrodha Vに比べると、もっとマイナーかつローカルな存在だが、伝統色の濃いラージャスタン文化とヒップホップとの融合はとても面白くて聴き応えも見応え(ビデオの)もたっぷり。
詳細は以前の記事を見てもらうとして、とくに、ヒップホップのワイルドさが地域独特のマッチョ的美学と融合されているところなんて最高だ。
というわけで、今回はJ19 Squad以外のラージャスターニー・ヒップホップのアーティストを紹介したい。
まずは、Raptaanさん(たぶんこれがアーティストの名前であってると思う)で"Marwadi Hip Hop".
このビデオ、自慢のラクダとキスしたり(ラクダも踊る!)、ナイフで首を掻っ切る仕草をしてみたり、バイクに腰掛けて水パイプを吸ってみたりと、これまたほとばしるローカル色が最高!
子供からじいさんまで一族郎党をバックにラップしてるとこなんて、結果的にだけどチカーノ・ラップみたいなファミリーの結束感を感じさせられる。
"Hip, Hop, Marwadi Hip Hop"というリズミカルなリリックも、不穏さとキュートさを合わせ持ったトラックも普通にかっこいいし、サウンド的にもよくできている。
ここででてくるMarwadi(Marwari=マールワーリー)という言葉は、ラージャスタン州の中でもジョードプルを中心にかつて繁栄したマールワール王国にルーツを持つカーストのこと。
インド全土のみならず、世界中に広がる商人階級のネットワークで有名で、インドの大財閥、ビルラーに代表される「マールワーリー資本」はインド経済に今も大きな影響力を持ち続けている
J19がインタビューで触れていた戦士階級であるラージプートと並んで、この地域の帰属意識の大きな支柱になっているのだろう。
ちなみに言語の面でも、ラージャスターニー語のジョードプル地方の方言は「マールワーリー語」というまた別の言語として扱われることもあるようだ。
続いての曲は、J19 Squadとも共演していたRapperiya BaalamがKunal Verma、Swaroop Khanとコラボレーションした"Mharo Rajasthan"
オープニングの字幕によるとこの曲のタイトルは"Rajasthan Anthem"という意味だそうで、これまた地元愛炸裂の一曲だ(J19はジョードプル賛歌の"Mharo Jodhpur"という曲をやっていた)。
この曲は英語とラージャスターニー語のミックスだが、聴きどころはなんといっても、カッワーリーを思わせるインド北西部独特のコブシの効いた歌とハルモニウムが入った伝統色の濃いトラック!
映像の内容も、シーク教徒のとはまた違うこの地方独特のカラフルなターバンとか、砂漠、ラクダ、城、湖とラージャスタンの魅力が満載で、ラージャスタン州のプロモーションビデオとしても秀逸な出来になっている。
というわけで、J19 Squad以外にも魅力的なアーティストを多数抱えるのラージャスターニー・ヒップホップ。
そのローカル色の強さゆえに、インド全土で大人気!というふうになるのは難しいのかもしれないけれど、今後も注目していきたいと思います。
彼らは前に紹介したDIVINEやBrodha Vに比べると、もっとマイナーかつローカルな存在だが、伝統色の濃いラージャスタン文化とヒップホップとの融合はとても面白くて聴き応えも見応え(ビデオの)もたっぷり。
詳細は以前の記事を見てもらうとして、とくに、ヒップホップのワイルドさが地域独特のマッチョ的美学と融合されているところなんて最高だ。
というわけで、今回はJ19 Squad以外のラージャスターニー・ヒップホップのアーティストを紹介したい。
まずは、Raptaanさん(たぶんこれがアーティストの名前であってると思う)で"Marwadi Hip Hop".
このビデオ、自慢のラクダとキスしたり(ラクダも踊る!)、ナイフで首を掻っ切る仕草をしてみたり、バイクに腰掛けて水パイプを吸ってみたりと、これまたほとばしるローカル色が最高!
子供からじいさんまで一族郎党をバックにラップしてるとこなんて、結果的にだけどチカーノ・ラップみたいなファミリーの結束感を感じさせられる。
"Hip, Hop, Marwadi Hip Hop"というリズミカルなリリックも、不穏さとキュートさを合わせ持ったトラックも普通にかっこいいし、サウンド的にもよくできている。
ここででてくるMarwadi(Marwari=マールワーリー)という言葉は、ラージャスタン州の中でもジョードプルを中心にかつて繁栄したマールワール王国にルーツを持つカーストのこと。
インド全土のみならず、世界中に広がる商人階級のネットワークで有名で、インドの大財閥、ビルラーに代表される「マールワーリー資本」はインド経済に今も大きな影響力を持ち続けている
J19がインタビューで触れていた戦士階級であるラージプートと並んで、この地域の帰属意識の大きな支柱になっているのだろう。
ちなみに言語の面でも、ラージャスターニー語のジョードプル地方の方言は「マールワーリー語」というまた別の言語として扱われることもあるようだ。
続いての曲は、J19 Squadとも共演していたRapperiya BaalamがKunal Verma、Swaroop Khanとコラボレーションした"Mharo Rajasthan"
オープニングの字幕によるとこの曲のタイトルは"Rajasthan Anthem"という意味だそうで、これまた地元愛炸裂の一曲だ(J19はジョードプル賛歌の"Mharo Jodhpur"という曲をやっていた)。
この曲は英語とラージャスターニー語のミックスだが、聴きどころはなんといっても、カッワーリーを思わせるインド北西部独特のコブシの効いた歌とハルモニウムが入った伝統色の濃いトラック!
映像の内容も、シーク教徒のとはまた違うこの地方独特のカラフルなターバンとか、砂漠、ラクダ、城、湖とラージャスタンの魅力が満載で、ラージャスタン州のプロモーションビデオとしても秀逸な出来になっている。
というわけで、J19 Squad以外にも魅力的なアーティストを多数抱えるのラージャスターニー・ヒップホップ。
そのローカル色の強さゆえに、インド全土で大人気!というふうになるのは難しいのかもしれないけれど、今後も注目していきたいと思います。
goshimasayama18 at 20:01|Permalink│Comments(0)
2018年05月13日
忘れた頃にJ19 Squadから返事が来た!(その1)
このブログの熱心な読者(いらっしゃるのでしょうか…。いたら手を上げてください)なら、かれこれ1ヶ月半くらい前にラージャスタン州のギャングスタ・ラッパー集団J19 Squadを取り上げたことを覚えているかもしれない。
インドの伝統文化を色濃く残す砂漠の土地ラージャスタンの香りをぷんぷんさせながら、同時に平気で銃をぶっ放すとんでもないワルでもあるJ19 Squadに興味津々となったアタクシは、さっそくインタビューを申し込み、いくつかの質問を送った。
その日のうちに彼らから「Much love, bro. すぐに答えるぜ」との返信が来たが、その後の音沙汰がないまま時は流れゆき、そろそろ1ヶ月になろうかというとある日、完全にあきらめかけた頃に彼らから返事が来た。
その回答を読んで、もう少し質問したいことが出てきたので、改めてメッセージを送る。
「Much love, bro. すぐに答える」
…が、またしても返事は来ない。
催促を送ること一度、二度。
「すぐに返事するぜ、bro.」
まだ次の返事は来ていないのだけど、せっかくいただいた1回目の内容をずっと寝かせておくのも何なので、ここでひとまずこれまでのインタビューの模様をお届けします。
その前に、彼らの音楽をおさらい!
彼らの地元「ブルーシティ」ことジョードプルへの愛に溢れた曲。
"Mharo Jodhpur"
ワルさで言えばこの曲が一番"Bandook".
2:30からの英語のセリフ「You know why we are doing this? We are doing for our streert, our people, our city man. Ain't no body gonna stop us. Hahahaha. Yeah, You know who we are, J19 Squad!」ってとこがイカしてる!
最後のSquad!でキメるとこ、好きだなあー。
笑顔で銃をぶっ放す女の子たちも、なんかよく分からないけどキュート!
ボブ・マーリィへのトリビュートと題された、"Bholenath".
やってることはシヴァ神を祀った寺院でのひたすらな大麻の吸引で、ボブはどこ?って感じがするんだけど。それにインドでも大麻は一応違法なはずだけど、こんなに堂々とビデオで吸っちゃってて大丈夫なのだろうか。
これらのビデオを見てわかる通り、彼らの魅力を一言で表すとすれば、ラージャスタン土着の男っぽさと、ヒップホップ由来のの"サグい"(Thug=ワルい)感じの共存。
果たしてそんな彼らの素顔はどんななのか?
おお!ここでもエミネムの影響。
TIはサウスのギャングスタラッパーで、トラップの創始者と言われることもあるアーティスト。
やはり二人ともワイルドなイメージがあるラッパーが好みなのか。
DIVINEがクリスチャンラッパーのLacrae、Big Dealがケンドリック・ラマーのようなコンシャスラッパーに影響を受けていることとは対照的だ(まあこの2人もエミネムからの影響は公言してるけど)。
なるほど。
ここで名前が出てきたRapperiya Baalamは朴訥としたフュージョン・スタイル(伝統音楽と現代音楽のミックス)で美しき故郷ラージャスタンについて歌うシンガー。
Rapperiyaの素朴さとJ19 Squadのワイルドさが郷土愛で結びついたこの曲"Raja"は、彼らだけがたどり着くことができたインディアン・ヒップホップのひとつの到達点!と個人的には思います。
さて、そろそろ彼らの最も気になる点について聞かねばなるまい。
彼らのビデオは非常に暴力的。
銃をバンバンぶっ放したりしているけど、これはマジなのか。
確信をついた質問をしてみた。
凡「あなたたちのミュージックビデオがとても気に入っているんだけど、”Bandook”はまさにリアルなギャングスタ・ライフって感じだよね。これはあなたたちの実際の生活がもとになっているの?それともフィクション的なものなの?」
彼らの回答に出てきたラージプートは、ラージャスタン州の誇り高き戦士(クシャトリヤ)カーストのこと。7世紀〜13世紀にかけてこの地方に王国を築き、幾度も西方からのイスラム勢力のインド亜大陸への侵入を防いだ勇猛さで知られる。
彼らのミュージックビデオを見てもわかる通り、今でもとにかく地元愛の強い土地柄なのだ。
それと、この回答を聞いて正直ちょっとほっとした。
いくらジョードプルと日本で距離が離れているとはいえ、平気で銃をぶっ放すような連中に「俺たちがフェイクだって言うのか!」とか怒られたらさすがにちょっとビビるからね。
次に、彼らについてもうひとつ気になっていたことを聴いてみた。
なるほど!
彼らは愛する地元ジョードプルに、同じく彼らが心から愛するヒップホップを根づかせるために地元の言語で歌っていたのだ。
ビデオでの暴力的な表現は、ヒップホップのギャングスタ・カルチャーを地元の勇猛なラージプート文化と融合して、ラージャスタン風に翻案したものということなのだろう。
ものすごいギャングスタのように見えて、案外周到に計算された表現様式なのかもしれない。
それからここで出てきたデシ・ヒップホップというのは海外の移民を含めたインド系アーティストのヒップホップを指す言葉。
彼らはラージャスタンにヒップホップを広めるとともに、より大きなマーケットでの成功も視野に入れているようだ。
そんな彼らのインタビューその2がお届けできる日は来るのか?
あまり期待はしないでお待ちください。
20年前からインド人にすっぽかされるのは慣れてるんだけどさ。
インドの伝統文化を色濃く残す砂漠の土地ラージャスタンの香りをぷんぷんさせながら、同時に平気で銃をぶっ放すとんでもないワルでもあるJ19 Squadに興味津々となったアタクシは、さっそくインタビューを申し込み、いくつかの質問を送った。
その日のうちに彼らから「Much love, bro. すぐに答えるぜ」との返信が来たが、その後の音沙汰がないまま時は流れゆき、そろそろ1ヶ月になろうかというとある日、完全にあきらめかけた頃に彼らから返事が来た。
その回答を読んで、もう少し質問したいことが出てきたので、改めてメッセージを送る。
「Much love, bro. すぐに答える」
…が、またしても返事は来ない。
催促を送ること一度、二度。
「すぐに返事するぜ、bro.」
まだ次の返事は来ていないのだけど、せっかくいただいた1回目の内容をずっと寝かせておくのも何なので、ここでひとまずこれまでのインタビューの模様をお届けします。
その前に、彼らの音楽をおさらい!
彼らの地元「ブルーシティ」ことジョードプルへの愛に溢れた曲。
"Mharo Jodhpur"
ワルさで言えばこの曲が一番"Bandook".
2:30からの英語のセリフ「You know why we are doing this? We are doing for our streert, our people, our city man. Ain't no body gonna stop us. Hahahaha. Yeah, You know who we are, J19 Squad!」ってとこがイカしてる!
最後のSquad!でキメるとこ、好きだなあー。
笑顔で銃をぶっ放す女の子たちも、なんかよく分からないけどキュート!
ボブ・マーリィへのトリビュートと題された、"Bholenath".
やってることはシヴァ神を祀った寺院でのひたすらな大麻の吸引で、ボブはどこ?って感じがするんだけど。それにインドでも大麻は一応違法なはずだけど、こんなに堂々とビデオで吸っちゃってて大丈夫なのだろうか。
これらのビデオを見てわかる通り、彼らの魅力を一言で表すとすれば、ラージャスタン土着の男っぽさと、ヒップホップ由来のの"サグい"(Thug=ワルい)感じの共存。
果たしてそんな彼らの素顔はどんななのか?
質問に答えてくれたのはメンバーのPK Nimbark.
インドのヒップホップシーンの中でも未知の地、ラージャスターニー・ラップの話を存分に聞かせてくれました!
凡「インタビューに協力してくれてどうもありがとう。まず最初に、”J19 Squad”ってどういう意味?
ビデオだと大勢の仲間たちが写ってるよね。
全部で19人のメンバーがいるの?JはジョードプルのJ?」
ビデオだと大勢の仲間たちが写ってるよね。
全部で19人のメンバーがいるの?JはジョードプルのJ?」
J「J19 Squadはラージャスタン州、ジョードプルのヒップホップデュオだ。インドのヒップホップシーンの中で、ラージャスタンを代表(represent)している。Young HとPK Nimbarkの2人で結成されたんだ。ビデオに写っているのは地元の俳優やモデルで、彼らはJ19 Squadに所属しているわけではない。そう、JはJodhpurのJで19は俺たちのエリアコード(郵便番号のようなものか?)だ。」
なるほど。
いかにも地元のギャングの仲間って感じだった彼らは役者さんたちで、あくまで演出だったということか。
マジで怖い人たちではないのかも。
ちょっと安心だけどまだ油断はできない。
マジで怖い人たちではないのかも。
ちょっと安心だけどまだ油断はできない。
凡「音楽的にはどんな影響を受けたの?あなた方の音楽はすごくオリジナルだと思うんだけど。もし海外やインドのアーティストの影響を受けていたら教えて」
J「そうだな。俺たちはジョードプルの別々の地域の出身なんだけど、学校に通ってた頃から音楽に夢中だった。磁石のように音楽に引きつけられているんだ。
Young HはアメリカのラッパーのTIにインスパイアされていて、俺はEminemだな」
おお!ここでもエミネムの影響。
TIはサウスのギャングスタラッパーで、トラップの創始者と言われることもあるアーティスト。
やはり二人ともワイルドなイメージがあるラッパーが好みなのか。
DIVINEがクリスチャンラッパーのLacrae、Big Dealがケンドリック・ラマーのようなコンシャスラッパーに影響を受けていることとは対照的だ(まあこの2人もエミネムからの影響は公言してるけど)。
凡「トラックを作って、リリックを書いて、ラップして、って全部自分たちだけでやってるの?」
J「そうだ。俺たちの曲は全部自分たちによるオリジナルの作品だ。Young Hが曲を作っている。彼がミキシングやマスタリングをやっているんだ。歌詞は2人で協力して書いている。”Go Down”と”Raja”は俺たちの曲じゃなくて、”Go Down”はSir Edi、”Raja”はRapperiya Balam(原文ママ)によるプロデュースだ。」
なるほど。
ここで名前が出てきたRapperiya Baalamは朴訥としたフュージョン・スタイル(伝統音楽と現代音楽のミックス)で美しき故郷ラージャスタンについて歌うシンガー。
Rapperiyaの素朴さとJ19 Squadのワイルドさが郷土愛で結びついたこの曲"Raja"は、彼らだけがたどり着くことができたインディアン・ヒップホップのひとつの到達点!と個人的には思います。
さて、そろそろ彼らの最も気になる点について聞かねばなるまい。
彼らのビデオは非常に暴力的。
銃をバンバンぶっ放したりしているけど、これはマジなのか。
確信をついた質問をしてみた。
凡「あなたたちのミュージックビデオがとても気に入っているんだけど、”Bandook”はまさにリアルなギャングスタ・ライフって感じだよね。これはあなたたちの実際の生活がもとになっているの?それともフィクション的なものなの?」
J「そうだな。Bandookはじつにクールなギャングスタ・ソングだが、それが俺たちのライフスタイルってわけじゃない。俺たちはもっとふつうに暮らしているよ。これがフィクションなのか実際に起きうることなのかっていうのは言えないな。実際のところ、このビデオはラージャスタン人のライフスタイルに基づいている。彼らはとても慎ましくて親切だけど、もし誰かが楯突こうっていうんなら、痛い目に合うことになるぜ。ラージャスタンの王族に仕えたラージプートの戦士のようにね。」
彼らの回答に出てきたラージプートは、ラージャスタン州の誇り高き戦士(クシャトリヤ)カーストのこと。7世紀〜13世紀にかけてこの地方に王国を築き、幾度も西方からのイスラム勢力のインド亜大陸への侵入を防いだ勇猛さで知られる。
彼らのミュージックビデオを見てもわかる通り、今でもとにかく地元愛の強い土地柄なのだ。
それと、この回答を聞いて正直ちょっとほっとした。
いくらジョードプルと日本で距離が離れているとはいえ、平気で銃をぶっ放すような連中に「俺たちがフェイクだって言うのか!」とか怒られたらさすがにちょっとビビるからね。
次に、彼らについてもうひとつ気になっていたことを聴いてみた。
凡「あるときはヒンディー語で、あるときはラージャスターニー語でラップしているよね。どうやってラップする言葉を決めているの?」
J「俺たちはヒンディー語でラップを始めた。でもラージャスターニー語はインドのヒップホップじゃ全然使われていなかったから、俺たちがここで本物のラップを紹介しようって決めたんだ。(地元に)ヒップホップミュージックのシーンを作るためにね。実際にいまシーンを作っているところだよ。これからもデシ・ヒップホップのシーンのためにはヒンディーで、地元のシーンのためにはラージャスターニーで、両方の言語で曲を作っていくつもりだ」
なるほど!
彼らは愛する地元ジョードプルに、同じく彼らが心から愛するヒップホップを根づかせるために地元の言語で歌っていたのだ。
ビデオでの暴力的な表現は、ヒップホップのギャングスタ・カルチャーを地元の勇猛なラージプート文化と融合して、ラージャスタン風に翻案したものということなのだろう。
ものすごいギャングスタのように見えて、案外周到に計算された表現様式なのかもしれない。
それからここで出てきたデシ・ヒップホップというのは海外の移民を含めたインド系アーティストのヒップホップを指す言葉。
彼らはラージャスタンにヒップホップを広めるとともに、より大きなマーケットでの成功も視野に入れているようだ。
そんな彼らのインタビューその2がお届けできる日は来るのか?
あまり期待はしないでお待ちください。
20年前からインド人にすっぽかされるのは慣れてるんだけどさ。
goshimasayama18 at 12:35|Permalink│Comments(0)
2018年04月01日
インドいち美しい砂漠の街のギャングスタラップ J19Squad
インドでどこがいちばん素敵な街だった?と聴かれたら、それはなかなか難しい質問だ。
インドらしさという点でいえば混沌と聖性の街ヴァラナシか、歴史のある大都会デリーやムンバイか、現代的な大都会バンガロールか、いやいや大都市ではなく鄙びたブッダガヤやプリーも捨てがたい。
異国情緒のあるゴアや、独自の文化のあるシッキムも素晴らしく、まだ行ったことのない南インドや北東部にも素晴らしい場所はいくらでもあるだろう。
インド西部ラージャスタン州に、ジョードプルという街がある。
別名は「ブルーシティ」。
旧市街にある、築500年にはなろうかという家々の多くが青く塗られていることから、そう呼ばれている。
タール砂漠の乾燥した大地に、青い石造りの家と、人々の鮮やかな民族衣装が映える美しい街だ。



そう。アタクシは、インドでいちばん「美しい街」は?と聞かれたら、ジョードプルと答えることにしている。
古き良きインドが残っていて、ラクダに乗って砂漠の村々を訪れれば、何百年と変わらぬ暮らしをしている人々がいる。
青い旧市街は何よりも美しく、街の人々も大都会の観光地に比べてずっとフレンドリーだ。
ってのは全部、20年くらい前の記憶なのだけど、 果たしてあのジョードプルにもラッパーっているのかしらん、と思って調べてみたら、いた。
それもすんごいギャングスタラップ集団が。
ここまで紹介してきたインドのラッパーは、Big DealもBKも、ヒップホップのワイルドさは保ちつつも、基本的にはポジティブかつ真摯なメッセージをラップしていた。
あるいは、政治的な主張や差別への抗議をラップするとかね。
ところが今回紹介する連中はとことん「悪」。
奴らの名はJ19 Squad.
まずは1曲聴いてくださいよ。ワルいぜー。 "Bandook"
物騒な感じの連中が大勢集まって、ナイフを持った男にピストルを突きつけたり、女性を拉致したり、銃をぶっ放したりしてる。なんてやばそうな奴らなんだ。
今まで紹介した中ではストリート寄りのBrodha VとかDIVINEと比べても、はるかに強烈かつ直球なギャングスタアピール。
ラップのスキルも高くて、それも言葉は分からないなりにも、俺たちとんでもないワルだぜ、って感じムンムンのラップをしている。
2:40くらいからの「誰も俺たちを止められないぜ、ハッハッハー!俺たちが誰だか分かってんだろ。J19スクワッドだ!」っていうブレイクのところも、ベタだけどカッコよく決まってる。
ひと気のない道でこんな人たちに会ったら、思わず用事を思い出したふりして引き返すね、アタクシは。
かと思えば、ボブ・マーリィに捧げる、ってな曲もやってたりする。
"Bholenath A Tribute to Bob Marley"
…あの、みなさんいきなり思いっきり大麻吸ってるんですけど。
なんかヒンドゥー寺院みたいなところで、連中、ひたすら大麻吸ってる。
歌詞は分からないけど、ボブ・マーリィ全然出てこないし。
コブラやシヴァ・リンガ(男根の象徴)と、シヴァ神のシンボルばかりが出てきて、トリビュート・トゥ・ボブというよりトリビュート・トゥ・シヴァといった感じのような気もするな。
っていうか、インドでも大麻って違法なはずだけど、こういうビデオをアップして大丈夫なんだろうか。
で、なかでも最高なのがコレ!
地元のシンガーと思われる、Rapperiya Baalamと共演している曲"Raja"(王)
いきなりラクダに乗った男が(彼がRapperiyaか?)、いい感じに訛りのきついラップをかます。
インドっぽいトラックにラップを乗せる、っていうのは今までもあったけど、これはヒップホップ色の強いトラックに民謡っぽい歌が乗る!
そんでラッパーたちは地元の移動遊園地を練り歩きながらラップしまくる。
このビデオ、本当に最高じゃないか!
ヒップホップのルーツの黒人っぽさはもはやゼロで、完全にインドのラージャスタンの空気なのに、それでいて完璧にヒップホップのヴァイブがある、と思いませんか?
なにしろ、革ジャンのラッパーとターバンを巻いてラクダに乗った男が何の違和感もなく共存している。
これはラージャスタンの砂漠の男たちがアメリカ生まれのヒップホップを飲み込んだ瞬間のドキュメンタリーだとも言えるんじゃないだろうか。
そんな彼らも地元ジョードプルは何よりも誇りに思ってる(言葉わからないけど、多分)。
こないだ書いたインド各地のご当地ラッパーの記事でも紹介した、地元ジョードプルを讃える歌(多分)、"Mharo Jodhpur"
それにしても、彼ら、毎回大勢で映っているけど、J19というだけあって19人組なんだろうか。
地元のラージャスターニー語でラップしている曲もあれば、ヒンディーでラップしている曲もある。
( Youtubeのタイトルに"Rajasthani Rap"とか"Hindi Rap"とか書かれている)
かと思えば、つい最近リリースされた曲は、なんと"Hindi Rock".
歌はラップだけど、まさかの生バンドだ。
いったいJ19 Squadとは何者なのか?
JはジョードプルのJ?
19は人数?
ラッパーと楽器部隊がいるの?
ギャングスタっぽいアピールはマジ?それともフィクション?
さほどメジャーなグループではないらしく、検索してもさっぱり分からないしインタビュー記事などもヒットしない。
謎は深まるばかり。
彼らにもインタビューのオファーをしてみようと思うのだけど、果たして返事は来るでしょうか?
乞うご期待!
インドらしさという点でいえば混沌と聖性の街ヴァラナシか、歴史のある大都会デリーやムンバイか、現代的な大都会バンガロールか、いやいや大都市ではなく鄙びたブッダガヤやプリーも捨てがたい。
異国情緒のあるゴアや、独自の文化のあるシッキムも素晴らしく、まだ行ったことのない南インドや北東部にも素晴らしい場所はいくらでもあるだろう。
インド西部ラージャスタン州に、ジョードプルという街がある。
別名は「ブルーシティ」。
旧市街にある、築500年にはなろうかという家々の多くが青く塗られていることから、そう呼ばれている。
タール砂漠の乾燥した大地に、青い石造りの家と、人々の鮮やかな民族衣装が映える美しい街だ。



そう。アタクシは、インドでいちばん「美しい街」は?と聞かれたら、ジョードプルと答えることにしている。
古き良きインドが残っていて、ラクダに乗って砂漠の村々を訪れれば、何百年と変わらぬ暮らしをしている人々がいる。
青い旧市街は何よりも美しく、街の人々も大都会の観光地に比べてずっとフレンドリーだ。
ってのは全部、20年くらい前の記憶なのだけど、 果たしてあのジョードプルにもラッパーっているのかしらん、と思って調べてみたら、いた。
それもすんごいギャングスタラップ集団が。
ここまで紹介してきたインドのラッパーは、Big DealもBKも、ヒップホップのワイルドさは保ちつつも、基本的にはポジティブかつ真摯なメッセージをラップしていた。
あるいは、政治的な主張や差別への抗議をラップするとかね。
ところが今回紹介する連中はとことん「悪」。
奴らの名はJ19 Squad.
まずは1曲聴いてくださいよ。ワルいぜー。 "Bandook"
物騒な感じの連中が大勢集まって、ナイフを持った男にピストルを突きつけたり、女性を拉致したり、銃をぶっ放したりしてる。なんてやばそうな奴らなんだ。
今まで紹介した中ではストリート寄りのBrodha VとかDIVINEと比べても、はるかに強烈かつ直球なギャングスタアピール。
ラップのスキルも高くて、それも言葉は分からないなりにも、俺たちとんでもないワルだぜ、って感じムンムンのラップをしている。
2:40くらいからの「誰も俺たちを止められないぜ、ハッハッハー!俺たちが誰だか分かってんだろ。J19スクワッドだ!」っていうブレイクのところも、ベタだけどカッコよく決まってる。
ひと気のない道でこんな人たちに会ったら、思わず用事を思い出したふりして引き返すね、アタクシは。
かと思えば、ボブ・マーリィに捧げる、ってな曲もやってたりする。
"Bholenath A Tribute to Bob Marley"
…あの、みなさんいきなり思いっきり大麻吸ってるんですけど。
なんかヒンドゥー寺院みたいなところで、連中、ひたすら大麻吸ってる。
歌詞は分からないけど、ボブ・マーリィ全然出てこないし。
コブラやシヴァ・リンガ(男根の象徴)と、シヴァ神のシンボルばかりが出てきて、トリビュート・トゥ・ボブというよりトリビュート・トゥ・シヴァといった感じのような気もするな。
っていうか、インドでも大麻って違法なはずだけど、こういうビデオをアップして大丈夫なんだろうか。
で、なかでも最高なのがコレ!
地元のシンガーと思われる、Rapperiya Baalamと共演している曲"Raja"(王)
いきなりラクダに乗った男が(彼がRapperiyaか?)、いい感じに訛りのきついラップをかます。
インドっぽいトラックにラップを乗せる、っていうのは今までもあったけど、これはヒップホップ色の強いトラックに民謡っぽい歌が乗る!
そんでラッパーたちは地元の移動遊園地を練り歩きながらラップしまくる。
このビデオ、本当に最高じゃないか!
ヒップホップのルーツの黒人っぽさはもはやゼロで、完全にインドのラージャスタンの空気なのに、それでいて完璧にヒップホップのヴァイブがある、と思いませんか?
なにしろ、革ジャンのラッパーとターバンを巻いてラクダに乗った男が何の違和感もなく共存している。
これはラージャスタンの砂漠の男たちがアメリカ生まれのヒップホップを飲み込んだ瞬間のドキュメンタリーだとも言えるんじゃないだろうか。
そんな彼らも地元ジョードプルは何よりも誇りに思ってる(言葉わからないけど、多分)。
こないだ書いたインド各地のご当地ラッパーの記事でも紹介した、地元ジョードプルを讃える歌(多分)、"Mharo Jodhpur"
それにしても、彼ら、毎回大勢で映っているけど、J19というだけあって19人組なんだろうか。
地元のラージャスターニー語でラップしている曲もあれば、ヒンディーでラップしている曲もある。
( Youtubeのタイトルに"Rajasthani Rap"とか"Hindi Rap"とか書かれている)
かと思えば、つい最近リリースされた曲は、なんと"Hindi Rock".
歌はラップだけど、まさかの生バンドだ。
いったいJ19 Squadとは何者なのか?
JはジョードプルのJ?
19は人数?
ラッパーと楽器部隊がいるの?
ギャングスタっぽいアピールはマジ?それともフィクション?
さほどメジャーなグループではないらしく、検索してもさっぱり分からないしインタビュー記事などもヒットしない。
謎は深まるばかり。
彼らにもインタビューのオファーをしてみようと思うのだけど、果たして返事は来るでしょうか?
乞うご期待!
goshimasayama18 at 14:05|Permalink│Comments(0)
2018年03月30日
ダージリン茶園問題とグルカランド シッキムのラッパーUNBの問題提起!
今年もダージリンの茶園でのストライキのニュースがヤフーのトップニュースにも掲載されていた。
昨年も同様の報道があったのを覚えている人もいるかもしれないが、どうもここ日本では「ストライキのせいでダージリンティーが飲めなくなるかもしれない」という視点で報道されることが多く(今回の記事は背景や原因までしっかり書かれていて好感!)、あまり深いところまではなかなか報じられていないのだけれども、この問題は単なる労働問題ではなく、言語、民族、差別、教育、自治権といった様々な課題が複雑に絡み合っている。
そしてこの問題について物申している地元のラッパーなんかもちゃんといたりする。
まずは、インドの地図でダージリンがあるウエストベンガル州の位置を見てもらいましょう。

ウエスト(西)ベンガルっていう名前なのに、なんでインドの東部にあるかっていうと、もともとのベンガル地方の東半分は、現在はバングラデシュとして別の国になってるから。
バングラデシュのさらに東は、このブログではデスメタルが盛んだったり、ラッパーのBK(Borkung Hrankhawl)がいたりすることで有名な「インド北東部七姉妹州」Seven Sisters Statesだ。
イギリスによる植民地時代から、ヒンドゥー教徒の多い西ベンガルとムスリムの多い東ベンガルの分割統治が行われるようになり、結局1947年のインド独立のときに東ベンガルはインドには帰属せず、イスラム国家であるパキスタンの一部の東パキスタンにとして独立することを選んだ。
ところが同じ宗教を持っているとはいえ、距離も離れているし、言語も違う(パキスタンはウルドゥー語、バングラデシュはベンガル語)、文化も違う、経済の格差もあるってんで、結局は上手くいかず、東ベンガルはバングラデシュとして1971年に再独立することになる。
バングラデシュ独立時に発生した大量の難民を救うために、ジョージ・ハリスンが呼びかけて、クラプトン、リンゴ・スター、ボブ・ディラン、レオン・ラッセルなんかが参加したコンサートのアルバムがまた名盤だったりするのだけど、それはまた別のお話。
それでは今度はウエストベンガル州の地図を見てみましょう。

難民問題は大変だったろうけどヒンドゥー教徒の多いウエストベンガルがインドに帰属できてよかったね、と単純にならないのがインドの難しいところ。
ご覧のようにこのウエストベンガル州、南北に長い形をしています。
ウエストベンガル州の州都はこの地図上の南のほうにある、17番のコルカタ。昔の名前で言うとアタクシの苗字とおんなじカルカッタですな。
で、ダージリンはこの地図の一番上、最北の1番の場所。
このウエストベンガル州の北部には、グルカ(Gorkha)人と呼ばれる、この州のマジョリティーであるベンガル人とはまったく異なる民族が多く暮らしている。
彼らは、彫りの深いアーリア系のベンガル人よりも東洋的な顔立ちをしていて、ベンガル語ではなくてネパール語を話す。
大まかに言うと、彼らは傭兵として有名なネパールの「グルカ族」と同じ民族で(グルカと呼ばれる人たちも実際は様々な民族に分かれている)、ククリというナイフが彼らのシンボルとされている。
昨年報じられた大規模な茶園のストライキは、ウエストベンガル州のすべての教育を全てベンガル語で行うことにするという政策に、ネパール語を母語とするグルカ人たちが反対したために行われたもの。
まだちゃんと調べられていないのだけど、この政策は、州内のマジョリティーであるベンガル人への人気取り的な側面や、州のなかの分断を極力なくそうという意図があって行われたものではないかと思う。
その昨年のストライキで十分な茶葉の収穫ができず、信用や各付けも低下した農園は、労働者への給与の支払いに苦慮するようになり、その待遇に対する抗議として、また収穫期を前にしたストライキが行われている、というのが今年のストの背景のようだ。
そもそも昨年のストライキは地元のグルカ人による政党Gorkha Janmukhti Morcha(GJM)によって呼びかけられたものだ。
GJMはウエストベンガル州からの「ゴルカランド州」の独立を目指している政党だ。
インドはご存知のように極めて多様な民族、言語、宗教、文化を抱えた国家で、州の線引きは(ウエストベンガルのような例外もあるけれども)基本的には言語の違いによってされてきた。
インドの「州」にはかなりの自治権が認められているので、いろんな州内で独立運動(国家としてじゃなくて、州としての独立を望む運動)が行われているのだけど、新しい州の独立は、21世紀に入ってからはずっと認められていなかった。
インドの政治がアイデンティ・ポリティクス(住民が自身の所属するカースト等のコミュニティーの利益を代表する政党を支持する)化した今日、それを認めてしまうと、あらゆる州の独立闘争を刺激して収拾がつかなくなってしまうからだ。
ところが、2013年に当時の中央政府がインド南部のアーンドラ・プラデーシュ州(バンガロールに並ぶIT産業の中心地ハイデラバードを州都とする)から、内陸部のテランガナ州の独立を認めてしまう。
どちらもテルグー語(映画「バーフバリ」の言語)が母語ではあるのだが、伝統的に異なる文化を持った地域で、旺盛な独立運動に応えてのことだった。
この独立は中央政権の人気取り的な側面があったとも言われている。
そして、予想通り、この独立以降、インド各地で州の独立運動が活性化する。
州の中のマジョリティーとは異なる文化、民族、カースト、言語を持つ人々にとって、現実はともかく、州としての独立を勝ち取るこそが、雇用やインフラ、教育等の問題をすべて解決する特効薬であるかのように捉えられるようになった。
今回のストライキやゴルカランド独立運動の背景には、このテランガナ州の独立が影響しているわけだ。
(テランガナ州独立についてはこのブログに詳しいです)
今日は前置きが長かったなあ。
で、このウエストベンガル州最北部のダージリンのさらに北に「シッキム州」という州がある。
シッキム州は、もともとは「シッキム王国」というインドとは別の国家だった地域。
チベット仏教の色合いの濃いまた独特の文化を持ち、やはりグルカ系の住民の多い地域だ。
シッキム州の州都、ガントク出身のラッパーのUNB(本名Ugen Namgyal Bhutia)は、このゴルカランド独立運動をラップにして発表している。
"Jai Jai Khukhuri(Gorkhaland Anthem)"聴いてみてください。
”Jai”は「勝利を!」という意味、「Khukhuri」はグルカのシンボルであるククリ刀のこと。
ネパリ語なので内容は分からないけど、独立闘争を映したビデオといい、ゴルカランド独立への強い思いが伝わって来る。
こうした社会運動と連動した政治色が強いラップも、数多くの問題を抱えつつも「世界最大の民主主義国」であるインドのシーンならでは。
各州の運動の背景はそれぞれ異なるが、以前BKを紹介した際にも触れた通り、ことインド北東部に関してはメインランド(インド中心部)からの差別的な扱いを長く受けている、というのことが根底にある。
そうした状況がよくわかる曲。UNBの"Call Me Indian".
同じインド人なのに、見た目がアーリア系やドラヴィダ系ではないというだけで、まるで外国人であるかのように扱われる。
BKと同様に、非常にストレートなメインランドへの感情を吐露した一曲だ。
またこうしたテーマは日印ハーフのラッパー、Big Dealのラップの内容とも重なるところがある。
インドの人気作家Chetan Bhagatは、times of India紙に寄稿したエッセイで、独立自体は良いことだとしても、州が独立しても実際に多くの問題が解決するわけではないし、独立に至るプロセスでの暴力行為や損失こそが憂慮すべき問題であると指摘している。
まあ、そんなこんなで結論があるわけではないけど、っていうか、アタクシごときに結論が出せるようだったらそもそもこんなに揉めてるわけないのだけど、今回はダージリンのストライキ、ゴルカランド独立問題と、その闘争を扱ったラッパーUNBを紹介してみました!
それでは!
昨年も同様の報道があったのを覚えている人もいるかもしれないが、どうもここ日本では「ストライキのせいでダージリンティーが飲めなくなるかもしれない」という視点で報道されることが多く(今回の記事は背景や原因までしっかり書かれていて好感!)、あまり深いところまではなかなか報じられていないのだけれども、この問題は単なる労働問題ではなく、言語、民族、差別、教育、自治権といった様々な課題が複雑に絡み合っている。
そしてこの問題について物申している地元のラッパーなんかもちゃんといたりする。
まずは、インドの地図でダージリンがあるウエストベンガル州の位置を見てもらいましょう。

ウエスト(西)ベンガルっていう名前なのに、なんでインドの東部にあるかっていうと、もともとのベンガル地方の東半分は、現在はバングラデシュとして別の国になってるから。
バングラデシュのさらに東は、このブログではデスメタルが盛んだったり、ラッパーのBK(Borkung Hrankhawl)がいたりすることで有名な「インド北東部七姉妹州」Seven Sisters Statesだ。
イギリスによる植民地時代から、ヒンドゥー教徒の多い西ベンガルとムスリムの多い東ベンガルの分割統治が行われるようになり、結局1947年のインド独立のときに東ベンガルはインドには帰属せず、イスラム国家であるパキスタンの一部の東パキスタンにとして独立することを選んだ。
ところが同じ宗教を持っているとはいえ、距離も離れているし、言語も違う(パキスタンはウルドゥー語、バングラデシュはベンガル語)、文化も違う、経済の格差もあるってんで、結局は上手くいかず、東ベンガルはバングラデシュとして1971年に再独立することになる。
バングラデシュ独立時に発生した大量の難民を救うために、ジョージ・ハリスンが呼びかけて、クラプトン、リンゴ・スター、ボブ・ディラン、レオン・ラッセルなんかが参加したコンサートのアルバムがまた名盤だったりするのだけど、それはまた別のお話。
それでは今度はウエストベンガル州の地図を見てみましょう。

難民問題は大変だったろうけどヒンドゥー教徒の多いウエストベンガルがインドに帰属できてよかったね、と単純にならないのがインドの難しいところ。
ご覧のようにこのウエストベンガル州、南北に長い形をしています。
ウエストベンガル州の州都はこの地図上の南のほうにある、17番のコルカタ。昔の名前で言うとアタクシの苗字とおんなじカルカッタですな。
で、ダージリンはこの地図の一番上、最北の1番の場所。
このウエストベンガル州の北部には、グルカ(Gorkha)人と呼ばれる、この州のマジョリティーであるベンガル人とはまったく異なる民族が多く暮らしている。
彼らは、彫りの深いアーリア系のベンガル人よりも東洋的な顔立ちをしていて、ベンガル語ではなくてネパール語を話す。
大まかに言うと、彼らは傭兵として有名なネパールの「グルカ族」と同じ民族で(グルカと呼ばれる人たちも実際は様々な民族に分かれている)、ククリというナイフが彼らのシンボルとされている。
昨年報じられた大規模な茶園のストライキは、ウエストベンガル州のすべての教育を全てベンガル語で行うことにするという政策に、ネパール語を母語とするグルカ人たちが反対したために行われたもの。
まだちゃんと調べられていないのだけど、この政策は、州内のマジョリティーであるベンガル人への人気取り的な側面や、州のなかの分断を極力なくそうという意図があって行われたものではないかと思う。
その昨年のストライキで十分な茶葉の収穫ができず、信用や各付けも低下した農園は、労働者への給与の支払いに苦慮するようになり、その待遇に対する抗議として、また収穫期を前にしたストライキが行われている、というのが今年のストの背景のようだ。
そもそも昨年のストライキは地元のグルカ人による政党Gorkha Janmukhti Morcha(GJM)によって呼びかけられたものだ。
GJMはウエストベンガル州からの「ゴルカランド州」の独立を目指している政党だ。
インドはご存知のように極めて多様な民族、言語、宗教、文化を抱えた国家で、州の線引きは(ウエストベンガルのような例外もあるけれども)基本的には言語の違いによってされてきた。
インドの「州」にはかなりの自治権が認められているので、いろんな州内で独立運動(国家としてじゃなくて、州としての独立を望む運動)が行われているのだけど、新しい州の独立は、21世紀に入ってからはずっと認められていなかった。
インドの政治がアイデンティ・ポリティクス(住民が自身の所属するカースト等のコミュニティーの利益を代表する政党を支持する)化した今日、それを認めてしまうと、あらゆる州の独立闘争を刺激して収拾がつかなくなってしまうからだ。
ところが、2013年に当時の中央政府がインド南部のアーンドラ・プラデーシュ州(バンガロールに並ぶIT産業の中心地ハイデラバードを州都とする)から、内陸部のテランガナ州の独立を認めてしまう。
どちらもテルグー語(映画「バーフバリ」の言語)が母語ではあるのだが、伝統的に異なる文化を持った地域で、旺盛な独立運動に応えてのことだった。
この独立は中央政権の人気取り的な側面があったとも言われている。
そして、予想通り、この独立以降、インド各地で州の独立運動が活性化する。
州の中のマジョリティーとは異なる文化、民族、カースト、言語を持つ人々にとって、現実はともかく、州としての独立を勝ち取るこそが、雇用やインフラ、教育等の問題をすべて解決する特効薬であるかのように捉えられるようになった。
今回のストライキやゴルカランド独立運動の背景には、このテランガナ州の独立が影響しているわけだ。
(テランガナ州独立についてはこのブログに詳しいです)
今日は前置きが長かったなあ。
で、このウエストベンガル州最北部のダージリンのさらに北に「シッキム州」という州がある。
シッキム州は、もともとは「シッキム王国」というインドとは別の国家だった地域。
チベット仏教の色合いの濃いまた独特の文化を持ち、やはりグルカ系の住民の多い地域だ。
シッキム州の州都、ガントク出身のラッパーのUNB(本名Ugen Namgyal Bhutia)は、このゴルカランド独立運動をラップにして発表している。
"Jai Jai Khukhuri(Gorkhaland Anthem)"聴いてみてください。
”Jai”は「勝利を!」という意味、「Khukhuri」はグルカのシンボルであるククリ刀のこと。
ネパリ語なので内容は分からないけど、独立闘争を映したビデオといい、ゴルカランド独立への強い思いが伝わって来る。
こうした社会運動と連動した政治色が強いラップも、数多くの問題を抱えつつも「世界最大の民主主義国」であるインドのシーンならでは。
各州の運動の背景はそれぞれ異なるが、以前BKを紹介した際にも触れた通り、ことインド北東部に関してはメインランド(インド中心部)からの差別的な扱いを長く受けている、というのことが根底にある。
そうした状況がよくわかる曲。UNBの"Call Me Indian".
同じインド人なのに、見た目がアーリア系やドラヴィダ系ではないというだけで、まるで外国人であるかのように扱われる。
BKと同様に、非常にストレートなメインランドへの感情を吐露した一曲だ。
またこうしたテーマは日印ハーフのラッパー、Big Dealのラップの内容とも重なるところがある。
インドの人気作家Chetan Bhagatは、times of India紙に寄稿したエッセイで、独立自体は良いことだとしても、州が独立しても実際に多くの問題が解決するわけではないし、独立に至るプロセスでの暴力行為や損失こそが憂慮すべき問題であると指摘している。
まあ、そんなこんなで結論があるわけではないけど、っていうか、アタクシごときに結論が出せるようだったらそもそもこんなに揉めてるわけないのだけど、今回はダージリンのストライキ、ゴルカランド独立問題と、その闘争を扱ったラッパーUNBを紹介してみました!
それでは!
goshimasayama18 at 23:58|Permalink│Comments(0)
2018年03月24日
律儀なBig Deal
先日、オディシャ州プリー出身の日印ハーフのラッパー、Big Dealを紹介したが、記事を書いたあと、彼にFacebook経由で「こんな記事書かせてもらいました。あんさんの音楽、応援してまっせ」というメッセージを送ってみた。
ふだんはこんなことしないんだけど、彼のお母さんは日本人でもあるし、ひょっとしたらちゃんと書いたことが伝わることもあるかなあ、と思って。
そしたら、お返事をいただきました。
「記事アリガトウゴザイマス!僕にとってはかけがえのないことだよ。(※原文では"It truely means the world to me."こんな弱小ブログにこちらこそありがとうだよ) あなたのサポートに感謝します。いつか日本でもライブができたらいいな。この夢が叶いますように。あなたが知っている通り、僕の母は日本人で、去年の8月に日本に行ったんだ。重ねてありがとう。つながることができてうれしいよ」
とのこと。
なんて律儀なんだ。
それに対して、
「返信ありがとう。あなたのラップのポジティブなメッセージ、日本にも届いてます。 ところで、いくつか質問させてもらってもいい?Eminemとかシニカルなラッパーが好きだと伺ってるけど、いつもポジティブなアティテュードでいられるのはどうして?オディシャ州では小さい頃嫌なこともあったみたいだけど、地元をレペゼンする気持ちを持ち続けていられるのはどうして?」
と聞いてみると、こんな返事が返ってきた。
「そうだな。僕は多分、もともとポジティブな人間で、世界をポジティブにみるのが好きなんだ。うん、たしかに僕はEminemに影響を受けているけど、彼は僕にラップの仕方を教えてくれたって感じ。Kedrick LamerとかJ.Cole、Joyner Lucasみたいなまた別のラッパーたちが、僕が何についてラップすべきかとか、自分のストーリーを伝えるべきだってことを教えてくれたんだ。彼らの全員が、僕のキャリアを磨いていく上で大事な役割を果たしているよ。
子供の頃から、自分はずっとオディシャの一員でありたいと思ってきていた。たとえいじめられたり、外人だと思われたりしても。だから、"Mu Heli Odia"では、地元のみんなに『僕はオディシャの一員だし、自分のルーツに誇りを持ってる、みんなもそうすべきだ』ってことを見せたかったんだ。
僕のリリックを理解するために時間を割いてくれて本当にどうもありがとう」
Big Deal、本当になんていい奴なんだ。
インドのトップ3ラッパーの一人にも挙げられる彼からこんなに真摯な返事が来るとは思わなかったよ。
真剣に答えてくれてありがとう。
改めて彼に、
「あなたのラップはきっと日本でも大勢のファンができると思うよ。役に立てることは少ないかもだけど、 これからも君の音楽を紹介し続けるよ」と書いた。
ヒップホップというと、いかに悪いか、ヤバいか、とんがっているかを競う音楽という側面もあるし、それはそれで大いに魅力ではあるけれど、自分の感性に率直に、いかに逆境を克服したかを誇るのもまたヒップホップだと感じる。
「本当にありがとう。日本にファンベースができたらうれしいなって思ってるよ。唯一の問題は僕が英語でラップしているから言葉の壁があるってことなんだ。もし日本の音楽シーンにつながりがあったり、知っている人がいたら、僕の音楽を紹介してくれたらうれしいよ。それはすごく意味のあることだから。重ねてお礼を言うよ。アリガトウゴザイマス」
これを読んでいるあなたが音楽関係者でもそうでなくても、ぜひBig Dealの音楽を聴いてもらえたらアタクシもうれしいです。
日本でも英語圏のラッパーは人気があるし、言葉が必ずしも障壁になるっていうものでもないはず。
彼のスタイルだったらヒップホップだけじゃなくてロックやミクスチャーにも合いそうだし、いつか日本のアーティストの曲に彼がフィーチャーされているところなんかも聴くことができたら素敵なことだと思う。
彼の代表曲"One Kid".
英語でのフリースタイル。
自分の夢を叶える男、Big Dealがファーストアルバムを作るためのクラウドファウンディングを募る目的で作った動画がまたグッとくる。
それからこれは英語ではなくオディア語だけど、彼にとってとても大事な曲。
地元オディシャ州をレペゼンする、初のオディア語ラップソングMu Heli Odia.
それではみなさん、夢のある人はがんばりましょう。
ない人もそれなりにやっていきましょう。
時間をかけて読んでくれてどうもありがとう。
ふだんはこんなことしないんだけど、彼のお母さんは日本人でもあるし、ひょっとしたらちゃんと書いたことが伝わることもあるかなあ、と思って。
そしたら、お返事をいただきました。
「記事アリガトウゴザイマス!僕にとってはかけがえのないことだよ。(※原文では"It truely means the world to me."こんな弱小ブログにこちらこそありがとうだよ) あなたのサポートに感謝します。いつか日本でもライブができたらいいな。この夢が叶いますように。あなたが知っている通り、僕の母は日本人で、去年の8月に日本に行ったんだ。重ねてありがとう。つながることができてうれしいよ」
とのこと。
なんて律儀なんだ。
それに対して、
「返信ありがとう。あなたのラップのポジティブなメッセージ、日本にも届いてます。 ところで、いくつか質問させてもらってもいい?Eminemとかシニカルなラッパーが好きだと伺ってるけど、いつもポジティブなアティテュードでいられるのはどうして?オディシャ州では小さい頃嫌なこともあったみたいだけど、地元をレペゼンする気持ちを持ち続けていられるのはどうして?」
と聞いてみると、こんな返事が返ってきた。
「そうだな。僕は多分、もともとポジティブな人間で、世界をポジティブにみるのが好きなんだ。うん、たしかに僕はEminemに影響を受けているけど、彼は僕にラップの仕方を教えてくれたって感じ。Kedrick LamerとかJ.Cole、Joyner Lucasみたいなまた別のラッパーたちが、僕が何についてラップすべきかとか、自分のストーリーを伝えるべきだってことを教えてくれたんだ。彼らの全員が、僕のキャリアを磨いていく上で大事な役割を果たしているよ。
子供の頃から、自分はずっとオディシャの一員でありたいと思ってきていた。たとえいじめられたり、外人だと思われたりしても。だから、"Mu Heli Odia"では、地元のみんなに『僕はオディシャの一員だし、自分のルーツに誇りを持ってる、みんなもそうすべきだ』ってことを見せたかったんだ。
僕のリリックを理解するために時間を割いてくれて本当にどうもありがとう」
Big Deal、本当になんていい奴なんだ。
インドのトップ3ラッパーの一人にも挙げられる彼からこんなに真摯な返事が来るとは思わなかったよ。
真剣に答えてくれてありがとう。
改めて彼に、
「あなたのラップはきっと日本でも大勢のファンができると思うよ。役に立てることは少ないかもだけど、 これからも君の音楽を紹介し続けるよ」と書いた。
ヒップホップというと、いかに悪いか、ヤバいか、とんがっているかを競う音楽という側面もあるし、それはそれで大いに魅力ではあるけれど、自分の感性に率直に、いかに逆境を克服したかを誇るのもまたヒップホップだと感じる。
「本当にありがとう。日本にファンベースができたらうれしいなって思ってるよ。唯一の問題は僕が英語でラップしているから言葉の壁があるってことなんだ。もし日本の音楽シーンにつながりがあったり、知っている人がいたら、僕の音楽を紹介してくれたらうれしいよ。それはすごく意味のあることだから。重ねてお礼を言うよ。アリガトウゴザイマス」
これを読んでいるあなたが音楽関係者でもそうでなくても、ぜひBig Dealの音楽を聴いてもらえたらアタクシもうれしいです。
日本でも英語圏のラッパーは人気があるし、言葉が必ずしも障壁になるっていうものでもないはず。
彼のスタイルだったらヒップホップだけじゃなくてロックやミクスチャーにも合いそうだし、いつか日本のアーティストの曲に彼がフィーチャーされているところなんかも聴くことができたら素敵なことだと思う。
彼の代表曲"One Kid".
英語でのフリースタイル。
自分の夢を叶える男、Big Dealがファーストアルバムを作るためのクラウドファウンディングを募る目的で作った動画がまたグッとくる。
それからこれは英語ではなくオディア語だけど、彼にとってとても大事な曲。
地元オディシャ州をレペゼンする、初のオディア語ラップソングMu Heli Odia.
それではみなさん、夢のある人はがんばりましょう。
ない人もそれなりにやっていきましょう。
時間をかけて読んでくれてどうもありがとう。
goshimasayama18 at 21:10|Permalink│Comments(0)
2018年03月17日
Brodha Vから映画偏重の音楽シーンへのプロテスト
少し前の話題になるが、バンガロールを拠点に活躍するラッパー、Brodha VがFacebookにこんなコメントを載せていた。

「インドの音楽TVチャンネルは最悪だ! 彼らは曲の名前と映画のタイトル、レコードレーベルの名前を挙げても、絶対に作曲者や歌手の名前を挙げるなんてしやしねえ!
ついでに言うと、この国の役者連中は映画の中で踊ったり歌ったりしてえんだったら、歌も踊りもちゃんと稽古しろってんだ!おめぇら、口パクしたり、ズブの素人みたいにセットのあっちからこっちまで歩いたりしてるんじゃねえよ!このギョーカイの奴らと来たら、歌い手や作曲家や音楽ってもんへのリスペクトってもんに欠けてるんだよ!連中は映画を売ることにしか興味がねえんだ!
こんな音楽シーンのメインストリームとは別々にやらせてもらいたいもんだね!歌手も作曲家もシャー・ルク・カーンだのサルマン・カーンだのっていう映画スターほどビッグじゃないのってインドくらいなもんだぜ! ほんのちょっとの敬意とファンを得るために、ろくに歌えない役者連中じゃなくて誰が本当に歌ってるのかってのを調べなきゃいけないっていうのもインドだけ!」
最近寄席通いが続いてるもんで、つい落語っぽい口調になってしまったが、Brodha Vの旦那はまあこういうことを言っているわけだ。
良し悪しは別にして、インドのエンターテインメント産業が映画を中心に発展してきて、音楽はその添え物(挿入歌)としてずっと扱われてきたというのは事実。
いくら素晴らしい作品を作っても、音楽単体として作られたものは紹介される機会が少なく、映画のために作られた楽曲ばかりが注目される現状は確かに音楽にとっては不健全な状況だ。
エンターテインメントのフォーマットそのものが「映画とその音楽」という構造で出来上がっていることに対して、新興ミュージシャンから不満が出るのは当然と言えるだろう。
インターネットの発達で、主流メディアに乗らなくても作品をアーティストが発表できるようになり、またリスナーも映画音楽以外の音楽に触れる機会ができ、趣味が多様化したことで、インドのインディーズミュージックシーンは爆発的に発展してきている。
しかしながら、まだまだ映画中心のメインストリームはインディーズミュージシャンから見て戦い甲斐のある仮想敵なのだろう。
なんとなく、80年代あたりの日本のロックミュージシャンの「俺たちはテレビになんか出ねえよ」みたいな、いわゆる芸能界とは一線を引いたスタンスに近いものを感じないでもない。
5年、10年経った時にこのBrodha Vの発言を見返してみて「あの頃からあんまり変わってないね」と思うのか、「そんな時代もあったんだねえ」 と思うのか。
後者になる可能性が高いように思うが、さて、どうなるでしょう。

「インドの音楽TVチャンネルは最悪だ! 彼らは曲の名前と映画のタイトル、レコードレーベルの名前を挙げても、絶対に作曲者や歌手の名前を挙げるなんてしやしねえ!
ついでに言うと、この国の役者連中は映画の中で踊ったり歌ったりしてえんだったら、歌も踊りもちゃんと稽古しろってんだ!おめぇら、口パクしたり、ズブの素人みたいにセットのあっちからこっちまで歩いたりしてるんじゃねえよ!このギョーカイの奴らと来たら、歌い手や作曲家や音楽ってもんへのリスペクトってもんに欠けてるんだよ!連中は映画を売ることにしか興味がねえんだ!
こんな音楽シーンのメインストリームとは別々にやらせてもらいたいもんだね!歌手も作曲家もシャー・ルク・カーンだのサルマン・カーンだのっていう映画スターほどビッグじゃないのってインドくらいなもんだぜ! ほんのちょっとの敬意とファンを得るために、ろくに歌えない役者連中じゃなくて誰が本当に歌ってるのかってのを調べなきゃいけないっていうのもインドだけ!」
最近寄席通いが続いてるもんで、つい落語っぽい口調になってしまったが、Brodha Vの旦那はまあこういうことを言っているわけだ。
良し悪しは別にして、インドのエンターテインメント産業が映画を中心に発展してきて、音楽はその添え物(挿入歌)としてずっと扱われてきたというのは事実。
いくら素晴らしい作品を作っても、音楽単体として作られたものは紹介される機会が少なく、映画のために作られた楽曲ばかりが注目される現状は確かに音楽にとっては不健全な状況だ。
エンターテインメントのフォーマットそのものが「映画とその音楽」という構造で出来上がっていることに対して、新興ミュージシャンから不満が出るのは当然と言えるだろう。
インターネットの発達で、主流メディアに乗らなくても作品をアーティストが発表できるようになり、またリスナーも映画音楽以外の音楽に触れる機会ができ、趣味が多様化したことで、インドのインディーズミュージックシーンは爆発的に発展してきている。
しかしながら、まだまだ映画中心のメインストリームはインディーズミュージシャンから見て戦い甲斐のある仮想敵なのだろう。
なんとなく、80年代あたりの日本のロックミュージシャンの「俺たちはテレビになんか出ねえよ」みたいな、いわゆる芸能界とは一線を引いたスタンスに近いものを感じないでもない。
5年、10年経った時にこのBrodha Vの発言を見返してみて「あの頃からあんまり変わってないね」と思うのか、「そんな時代もあったんだねえ」 と思うのか。
後者になる可能性が高いように思うが、さて、どうなるでしょう。
goshimasayama18 at 14:54|Permalink│Comments(0)
2018年03月04日
逆輸入フィーメイル・ラッパーその1 Raja Kumari
これまでに何度かインドのラッパーを記事にしてきたが、ここ数年のインドのヒップホップシーンの成長は著しいものがあり、メインストリームのボリウッドのラップだけでなく、ストリート色の強い各地のローカルなラップシーンがどんどん形成されてきている。(というのは以前書いた通り)
ところが、活躍しているのはまだまだ男性が中心で、女性ラッパーの数は非常に少なく、その数少ない女性ラッパーも、インド育ちというわけではなくて、イギリスやアメリカで生まれたり育ったりしたアーティストだ。
(インド国内でもこの現状を気にしている人がいるみたいで、こんな記事も見つけた)
今回紹介するRaja Kumariもその中の一人で、彼女はカリフォルニア生まれのテルグ系(つまりアーンドラ・プラデーシュ州あたり)インド人。
インド人といっても国籍はアメリカ合衆国なのでインド人というよりもインド系アメリカ人と呼ぶべきか。
いわゆる「在外インド人」のことをインドではNRI(Non-Resicent Indians)と呼ぶが、彼女のように外国籍の場合はPIO(Persons of Indian Origen)と呼ばれたりもする。
Raja Kumariという名前は、本名のSvetha Yellapragada Raoが発音しにくいことからつけられた名前で、サンスクリット語で"Princess"を意味する言葉だ。
Fugeesでヒップホップに出会った彼女はアメリカでラッパーとしての活動を始め、Gwen StefaniやFall Out Boy、Iggy Azaleaといった有名アーティストとのコラボレーションを経た後、活動の中心をインドに移して活躍している。
アメリカ仕込みの本場のラップやR&Bが歌える彼女はインドで引く手数多で、このブログでも紹介してきたDIVINEやBadalとの共演で注目を集めている。
確かに、都市部の若者の価値観が変わってきているとはいえ、インド生まれでここまでタフな女性像が表現できる人材はなかなかいないだろうから、重宝されるのも納得。
一方で、やはりというか、Youtubeのコメント欄を見ると「彼女はインドの文化を破壊している」みたいなコメントもあったりする。
ソロで出している曲はこんな感じ。
格好はインドっぽいけど、曲や歌は極めてアメリカの女性ラッパー/R&Bシンガー的だ
続いての「Believe in you」では子供時代の映像も入って、インド色が大幅に増加。
アメリカのR&B側から見ると、リズムとかトラックにインドを感じるのかもしれないけど、インドの音楽ばっかり聴いている側から言わせてもらうと、やっぱり歌は完全にアメリカのR&Bのものだと感じる。
さらに曲調でもインド色をぐっと出してきた「Meera」
R&B的な歌い回しとインドっぽい歌い回しが交互に出てくる面白い曲で、最大の聴きどころは2:40頃から始まるインドのリズムとラップの融合!
欧米のアーティストとの共演はこんな感じだ。
デトロイトの女性シンガー、Janine the Machineとの共演。High Placesという曲。
カリフォルニアの女性シンガーソングライター、Eden XOとの共演。
多少ださいが気にしないで聴いていただくと、途中で1:30頃から、ここでもインドっぽい節回しの英語ラップが始まる。このラップについては後で詳述。
踊りながら演奏するフュージョンバイオリニストとして一部で有名らしい、Lindsey Stirlingという人との共演。
ビデオには出てこないが後ろのスキャットがRaja Kumariと思われ、一瞬バイオリンとの掛け合いもある。これもこういう音楽の常で曲がださいのはご愛嬌。
ソングライティングでのコラボはWikipediaから曲目のリストが見られるので、興味のある方はYoutubeなどで聴いてみてください。
ちなみにIggy AzaleaとかFall Out Boyとの共作曲は1億ビュー越えとなっている。
ところで、こうして続けて見てみると、彼女はインドでの作品ではアメリカの本場のR&B的要素を、欧米のミュージシャンとの共演ではインド的な要素を求められていて、それぞれのケースでそれが彼女の強みになっていることが分かる
さらに、彼女が「本場色」の強いラップ/R&Bを歌ってきているにも関わらず、ビジュアル的なイメージでは常に非常にインドの要素を強く打ち出していることもとても印象に残る。
ストリートっぽい格好をしているときもアクセサリーやなんかでインド色を加えていて、インドのラッパー達が、服装の面では完全に欧米化しているのとは非常に対照的だ。
DIVINEと共演している"City Slums"の歌詞では、こんなフレーズも出てくる。
I go harder than anybody 私は誰よりも強烈
Daughter of the king American dream キング・アメリカン・ドリームの娘
Phir bhi dil mein hindustani でも心はインド人のまま(※ここのみヒンディー語)
So don't misunderstand me だから誤解しないで
I do it for the people 私はみんなのために歌ってる
Yes I do it for my family, mainly そう、主に私のファミリーたちのために
"king American dream"っていうのは、自分の芸名(王の娘)とかけて、アメリカでミュージシャンとしてのキャリアをスタートしたことを表現しているんだろう。
でも心までアメリカに染まってしまったわけではないよ、心はインド人だし、インドのみんなのために歌ってるんだよ、ってことを言っている。
こうしたリリックや彼女のビジュアルイメージは、アメリカではアイデンティティの表明として、インドでは「私はアメリカ人になってしまったのではなく、あなたたちの仲間」というメッセージとして機能していると見ることもできるだろう。
というのも、アメリカに移住するインド人は、時として成功の象徴としてインドでのやっかみの対象になったり、頭脳流出として社会問題として捉えられることもあるからだ。
もっとも、彼女の「インドアピール」はマーケットのために作られたものというわけではなく、実際にアメリカ生まれながらインドの伝統を大事にする家庭に育てられたようで、このドキュメンタリーを見ると彼女のバックグラウンドがよく分かる。
とくに面白いのは1:30あたりからの部分。
彼女が幼い頃に習ったインドの伝統舞踊のリズムに英語を乗せるとラップになる!というところ。
彼女が言う通り、我々日本のリスナーにとってもSo exciting!な発見だ。
バンガロールでBrodha Vがヒンドゥーの讃歌のラップ性を見つけたのと同じことを地球の反対側から発見したとも言えるかもしれなくて、インドのヒップホップの固有性を考える上でもとても重要な視点ではないだろうか。
インドのリズムとラップのミクスチャーというのは非常に面白いテーマなので、いずれもっと掘り下げて書いてみることにします。
このRaja Kumariさん、今後インドではますます活躍することと思うけど、アメリカ生まれである彼女がアメリカに再逆輸入されて、国籍上の母国でもこの個性が評価されてほしいな、と切に願っています。
さて、今回のタイトルで「その1」と書いたけど、じつは思い当たる人は他にもう1人しかいなくて、それはイギリス育ちのHard Kaurさんという人。
それはまた別のお話、ということで、今日はこのへんで!
ところが、活躍しているのはまだまだ男性が中心で、女性ラッパーの数は非常に少なく、その数少ない女性ラッパーも、インド育ちというわけではなくて、イギリスやアメリカで生まれたり育ったりしたアーティストだ。
(インド国内でもこの現状を気にしている人がいるみたいで、こんな記事も見つけた)
今回紹介するRaja Kumariもその中の一人で、彼女はカリフォルニア生まれのテルグ系(つまりアーンドラ・プラデーシュ州あたり)インド人。
インド人といっても国籍はアメリカ合衆国なのでインド人というよりもインド系アメリカ人と呼ぶべきか。
いわゆる「在外インド人」のことをインドではNRI(Non-Resicent Indians)と呼ぶが、彼女のように外国籍の場合はPIO(Persons of Indian Origen)と呼ばれたりもする。
Raja Kumariという名前は、本名のSvetha Yellapragada Raoが発音しにくいことからつけられた名前で、サンスクリット語で"Princess"を意味する言葉だ。
Fugeesでヒップホップに出会った彼女はアメリカでラッパーとしての活動を始め、Gwen StefaniやFall Out Boy、Iggy Azaleaといった有名アーティストとのコラボレーションを経た後、活動の中心をインドに移して活躍している。
アメリカ仕込みの本場のラップやR&Bが歌える彼女はインドで引く手数多で、このブログでも紹介してきたDIVINEやBadalとの共演で注目を集めている。
確かに、都市部の若者の価値観が変わってきているとはいえ、インド生まれでここまでタフな女性像が表現できる人材はなかなかいないだろうから、重宝されるのも納得。
一方で、やはりというか、Youtubeのコメント欄を見ると「彼女はインドの文化を破壊している」みたいなコメントもあったりする。
ソロで出している曲はこんな感じ。
格好はインドっぽいけど、曲や歌は極めてアメリカの女性ラッパー/R&Bシンガー的だ
続いての「Believe in you」では子供時代の映像も入って、インド色が大幅に増加。
アメリカのR&B側から見ると、リズムとかトラックにインドを感じるのかもしれないけど、インドの音楽ばっかり聴いている側から言わせてもらうと、やっぱり歌は完全にアメリカのR&Bのものだと感じる。
さらに曲調でもインド色をぐっと出してきた「Meera」
R&B的な歌い回しとインドっぽい歌い回しが交互に出てくる面白い曲で、最大の聴きどころは2:40頃から始まるインドのリズムとラップの融合!
欧米のアーティストとの共演はこんな感じだ。
デトロイトの女性シンガー、Janine the Machineとの共演。High Placesという曲。
カリフォルニアの女性シンガーソングライター、Eden XOとの共演。
多少ださいが気にしないで聴いていただくと、途中で1:30頃から、ここでもインドっぽい節回しの英語ラップが始まる。このラップについては後で詳述。
踊りながら演奏するフュージョンバイオリニストとして一部で有名らしい、Lindsey Stirlingという人との共演。
ビデオには出てこないが後ろのスキャットがRaja Kumariと思われ、一瞬バイオリンとの掛け合いもある。これもこういう音楽の常で曲がださいのはご愛嬌。
ソングライティングでのコラボはWikipediaから曲目のリストが見られるので、興味のある方はYoutubeなどで聴いてみてください。
ちなみにIggy AzaleaとかFall Out Boyとの共作曲は1億ビュー越えとなっている。
ところで、こうして続けて見てみると、彼女はインドでの作品ではアメリカの本場のR&B的要素を、欧米のミュージシャンとの共演ではインド的な要素を求められていて、それぞれのケースでそれが彼女の強みになっていることが分かる
さらに、彼女が「本場色」の強いラップ/R&Bを歌ってきているにも関わらず、ビジュアル的なイメージでは常に非常にインドの要素を強く打ち出していることもとても印象に残る。
ストリートっぽい格好をしているときもアクセサリーやなんかでインド色を加えていて、インドのラッパー達が、服装の面では完全に欧米化しているのとは非常に対照的だ。
DIVINEと共演している"City Slums"の歌詞では、こんなフレーズも出てくる。
I go harder than anybody 私は誰よりも強烈
Daughter of the king American dream キング・アメリカン・ドリームの娘
Phir bhi dil mein hindustani でも心はインド人のまま(※ここのみヒンディー語)
So don't misunderstand me だから誤解しないで
I do it for the people 私はみんなのために歌ってる
Yes I do it for my family, mainly そう、主に私のファミリーたちのために
"king American dream"っていうのは、自分の芸名(王の娘)とかけて、アメリカでミュージシャンとしてのキャリアをスタートしたことを表現しているんだろう。
でも心までアメリカに染まってしまったわけではないよ、心はインド人だし、インドのみんなのために歌ってるんだよ、ってことを言っている。
こうしたリリックや彼女のビジュアルイメージは、アメリカではアイデンティティの表明として、インドでは「私はアメリカ人になってしまったのではなく、あなたたちの仲間」というメッセージとして機能していると見ることもできるだろう。
というのも、アメリカに移住するインド人は、時として成功の象徴としてインドでのやっかみの対象になったり、頭脳流出として社会問題として捉えられることもあるからだ。
もっとも、彼女の「インドアピール」はマーケットのために作られたものというわけではなく、実際にアメリカ生まれながらインドの伝統を大事にする家庭に育てられたようで、このドキュメンタリーを見ると彼女のバックグラウンドがよく分かる。
とくに面白いのは1:30あたりからの部分。
彼女が幼い頃に習ったインドの伝統舞踊のリズムに英語を乗せるとラップになる!というところ。
彼女が言う通り、我々日本のリスナーにとってもSo exciting!な発見だ。
バンガロールでBrodha Vがヒンドゥーの讃歌のラップ性を見つけたのと同じことを地球の反対側から発見したとも言えるかもしれなくて、インドのヒップホップの固有性を考える上でもとても重要な視点ではないだろうか。
インドのリズムとラップのミクスチャーというのは非常に面白いテーマなので、いずれもっと掘り下げて書いてみることにします。
このRaja Kumariさん、今後インドではますます活躍することと思うけど、アメリカ生まれである彼女がアメリカに再逆輸入されて、国籍上の母国でもこの個性が評価されてほしいな、と切に願っています。
さて、今回のタイトルで「その1」と書いたけど、じつは思い当たる人は他にもう1人しかいなくて、それはイギリス育ちのHard Kaurさんという人。
それはまた別のお話、ということで、今日はこのへんで!
goshimasayama18 at 20:07|Permalink│Comments(0)
2018年02月28日
レペゼンオディシャ、レペゼン福井、日印ハーフのラッパー Big Deal
こんちわ、凡平です。
前回のミゾラム州のデスメタルバンド、Third Sovereignへのインタビューでは、このブログ始まって以来の「いいね」をいただきまして、ありがとうございやす。
インド北東部のデスメタルなんてこの日本で自分しか興味持ってないんじゃないかと思ってたんですけど、しがねえウィーバー、じゃなかった、それはエイリアンの主演の女優さんだった、しがねえブログ書きのアタクシですが、とても励みになりましたよ。
で、気づいたんですけど、どうもこのブログの傾向として、デスメタルのことを書くと非常にたくさんの「いいね」がついて、ヒップホップやなんかのことを書くとあんまり「いいね」がつかないみたいなんですよ。
この際、いっそのこと毎回インドのデスメタルバンドの紹介とインタビューにしちゃおうかとも思ったんだけど、「今のインドのいろんな音楽を紹介する」っていう初心を思い出して、デスメタル好きのみんな、ごめん。今日はヒップホップっす。
とはいえ、非常に面白いはず(とアタクシが勝手に思っている)なので、ぜひおつきあいを。
いつもこのブログでは、基本的に日本で紹介されていないミュージシャンについて書くことにしているのだけれども、今回紹介するラッパーは、なんと珍しいことに日本の新聞で紹介されたことがある。
彼の名はBig Deal.
え?知らない?
それも無理のない話。
日本の新聞といっても、彼が紹介されたのは福井新聞だしな…。
(福井の方、ごめんなさい)
じつは彼のことは、以前「各地のラッパーと巡るインドの旅」という記事でも触れたことがあるのだが、まあ覚えている人はいないでしょう。
長いこと温めて書いた記事だったのに、1つも「いいね」がつかなかったから(泣)。
自分で言うのもなんだけど、なかなか面白い記事だったと思うので、興味のある方はぜひご一読を。
彼は、福井新聞では「インドで5本の指に入るラッパー」として紹介され、このブログでも取り上げた人気ラッパーのBrodha Vに「インドのトップ3に入るラッパー」として名を挙げられるほどの(ちなみに他の2人はDIVINEとNaezy)実力派ラッパー。
Big Dealはインド東部のオディシャ州はプリーという街(コルカタから夜行列車で南に一晩くらいの場所)の出身で、インド人の父と日本人の母との間に生まれた。
(だから福井新聞に取り上げられてたんだね)
まず紹介したいのは、以前の記事でも取り上げた、オディア(オディシャ人)としての誇りをラップしたこの曲。"Mu Heli Odia"
オディシャ州はとりたてて大きな都市があるわけでもなく、どちらかというと鄙びたところではあるのだが、だからこそというか、「俺はオディアだ!」というプライドを全面に出した曲になっている。
ちなみにこの曲はインドで(っていうか世界で)最初のオディア語ラップでもあるという。
この曲は、全体を通してオディシャ州の文化への賛歌になっているんだが、冒頭で
「俺のことをコリアンだと思うかもしれないけど、親父はヒンドゥー、Odia Japさ。この2つをミックスして、今じゃ俺みたいな奴は誰もいないのさ」
というリリックが出てくる。
自分のルーツをラップしたよくあるリリックのようだけど、次の曲を聴けば、もっと深い意味があることが分かるだろう。
そして、彼の「俺はオディシャ人だ」という言葉の重みにも気がつくはずだ。
彼はプリーで生まれ育ったのち、13歳からはウエストベンガル州北部のダージリン(コルカタからプリーとは逆方向の北に列車で一晩)の寄宿舎学校(男子校)に通った。
その後、進学のために向かった南インド・カルナータカ州のバンガロールでラッパーになり、今もバンガロールを拠点に活躍している。
(地図、載っけときます)

その半生をラップした曲がこの"One Kid"だ。
よりインド色の強いトラックではあるけれども、さっきのオディア語とはうって変わって、切れ味の良い英語のラップがとても印象的。
リリックの冒頭はこんな感じで始まる(リリック全体はこちらからどうぞ)
Growing up in Puri, I felt so confused プリーで育った小さい頃、俺はとても混乱していた
Why do I look like no one else in the school? どうして俺は学校の他のみんなと違うのか
I mean I got small eyes, also a flat nose 小さな目に低い鼻のことさ
Which is why all guys happened to crack jokes そのせいでみんなは俺をからかった
Even the teachers treated me like a foreigner 先生まで俺を外国人のように扱った
While all I ever wanted to be was an Oriya 俺はただただオディシャ人になりたかった
以前取り上げた北東部トリプラ州出身のBorkung Hrankhawlもラップしていたように、典型的なインド人の外見でないことに対する差別というのは結構根深いものがあるのだろう。
典型的なインド人であれば、マイノリティーであってもコミュニティーや居場所があるけれど、インドの外部や周縁部からやって来た人には所属すべき場がない。
だが、彼は家族や叔父、叔母の愛情を感じ、死ぬまで彼らをレペゼンしてラップし続けると宣言する。
というのがヴァース1の内容。
続くヴァース2は13歳から通っているダージリンでの男子校生活について。
ひょっとしたら、インド北東部のダージリンの学校に通ったのも、同じように東アジア系の見た目の生徒たちが多数いるということが関係しているのかもしれない。
だが、ここでも遠く離れたオディシャからきた彼は、からかいやいじめの対象になる。
辛い4年間の学園生活の中で、彼はエミネムのラップに出会い、ラッパーになるという夢を見つける。
「あのころファックユーって言ってきた同じ奴が今じゃ『Big Deal、尊敬してるよ』だってよ」というのがこのヴァースのクライマックスだ。
ヴァース3の舞台はインド南部カルナータカ州の大都市、バンガロール。
ITを学びにこの街に出て来て、学問を修めることができたが、彼は安定して稼げる道よりもラッパーになるという夢を選ぶ。
就職すれば金持ちになれる。だがラッパーになれる望みは皿の上のドーサより薄い。

(ドーサ)
それでも彼は自分の夢に忠実に生きることを選んだ。
最後のラインでBig Dealはこうラップする。
「君たちをエンターテインするためだけにラップしてるわけじゃない。君たちのマインドを鍛えて、道のりを変えたいんだ。さあ、キッズたち、俺たちには証明しなきゃならないことがある。父さん母さん、俺は夢を叶えたよ」
この曲が収録されたアルバムタイトルは「One Kid with a Dream」
BKに勝るとも劣らないポジティブなメッセージの1曲だ。
彼のことを取り上げた福井新聞の記事でも、彼は自らの半生を語っている。
その記事にも取り上げられているお母さんの故郷、福井への愛をラップした曲がこちら。
シリアスな曲のあとで、このまったり感。
すごい落差で申し訳ない。
トラックはちょっと「和」な感じを意識しているのだろうか。
この曲も、お母さんの故郷へのリスペクトって意味で、シリアスにやっているんだと思うが、田園地帯、恐竜(福井は化石が発掘されたことで有名)、和食、日本酒、親戚のおじさん達と英語のラップとのミスマッチがなんとも。
鄙びてるってことで言えば、インドの中のオディシャと日本の中の福井って、ちょうど同じくらいのような気がしないでもない
最後のパートで、おそらくはオディア語でラップしたのと同じような動機で、日本語で「福井 イイトコ イチドハオイデ(中略)福井ダイスキ」とラップしているのだが、それがまたいい感じの朴訥感だ。
(オディシャ・ラップのさらなる朴訥の世界というのがあるのだが、それはまたいずれ)
この福井新聞のインタビューだと、もう完全に地元の観光大使って感じで、もはやヒップホップのルードボーイっぽさはゼロなのだけど、この素朴な「真っ直ぐさ」が彼の大きな魅力の一つでもあるように思う。
ちなみに彼のお母さんは「モハンティ三千江」という名前で活躍している小説家でもある。
いつか彼女の小説もブログで取り上げてみたいと思っています。
最新の曲はオディア語でお母さんのことを取り上げた曲、"Bou".
こういう曲をやられちゃあ、お母さんうれしいだろうね。
彼は英語だけでなくヒンディーでラップすることもあるけど、やっぱりこの曲にはオディア語の素朴な響きが合っていて、とても素敵に感じられる。
エミネムみたいなアーティストに影響を受けつつも、結果的に家族愛みたいな普遍的な価値観に表現が落ち着くあたり、やっぱり育ちの良さなんだろうなあ。
彼のご両親はプリーで「Love&Life」という名前のホテルを経営していて、この宿はアタクシが20年以上前にプリーを訪れた時にもあったのをなんとなく覚えている。
結局その時は別の宿に宿泊したのだけど、もしLove&Lifeに泊まったら、小さいころのBig Dealに会うことが出来ていたかもしれない。
今回はこのへんで!
前回のミゾラム州のデスメタルバンド、Third Sovereignへのインタビューでは、このブログ始まって以来の「いいね」をいただきまして、ありがとうございやす。
インド北東部のデスメタルなんてこの日本で自分しか興味持ってないんじゃないかと思ってたんですけど、しがねえウィーバー、じゃなかった、それはエイリアンの主演の女優さんだった、しがねえブログ書きのアタクシですが、とても励みになりましたよ。
で、気づいたんですけど、どうもこのブログの傾向として、デスメタルのことを書くと非常にたくさんの「いいね」がついて、ヒップホップやなんかのことを書くとあんまり「いいね」がつかないみたいなんですよ。
この際、いっそのこと毎回インドのデスメタルバンドの紹介とインタビューにしちゃおうかとも思ったんだけど、「今のインドのいろんな音楽を紹介する」っていう初心を思い出して、デスメタル好きのみんな、ごめん。今日はヒップホップっす。
とはいえ、非常に面白いはず(とアタクシが勝手に思っている)なので、ぜひおつきあいを。
いつもこのブログでは、基本的に日本で紹介されていないミュージシャンについて書くことにしているのだけれども、今回紹介するラッパーは、なんと珍しいことに日本の新聞で紹介されたことがある。
彼の名はBig Deal.
え?知らない?
それも無理のない話。
日本の新聞といっても、彼が紹介されたのは福井新聞だしな…。
(福井の方、ごめんなさい)
じつは彼のことは、以前「各地のラッパーと巡るインドの旅」という記事でも触れたことがあるのだが、まあ覚えている人はいないでしょう。
長いこと温めて書いた記事だったのに、1つも「いいね」がつかなかったから(泣)。
自分で言うのもなんだけど、なかなか面白い記事だったと思うので、興味のある方はぜひご一読を。
彼は、福井新聞では「インドで5本の指に入るラッパー」として紹介され、このブログでも取り上げた人気ラッパーのBrodha Vに「インドのトップ3に入るラッパー」として名を挙げられるほどの(ちなみに他の2人はDIVINEとNaezy)実力派ラッパー。
Big Dealはインド東部のオディシャ州はプリーという街(コルカタから夜行列車で南に一晩くらいの場所)の出身で、インド人の父と日本人の母との間に生まれた。
(だから福井新聞に取り上げられてたんだね)
まず紹介したいのは、以前の記事でも取り上げた、オディア(オディシャ人)としての誇りをラップしたこの曲。"Mu Heli Odia"
オディシャ州はとりたてて大きな都市があるわけでもなく、どちらかというと鄙びたところではあるのだが、だからこそというか、「俺はオディアだ!」というプライドを全面に出した曲になっている。
ちなみにこの曲はインドで(っていうか世界で)最初のオディア語ラップでもあるという。
この曲は、全体を通してオディシャ州の文化への賛歌になっているんだが、冒頭で
「俺のことをコリアンだと思うかもしれないけど、親父はヒンドゥー、Odia Japさ。この2つをミックスして、今じゃ俺みたいな奴は誰もいないのさ」
というリリックが出てくる。
自分のルーツをラップしたよくあるリリックのようだけど、次の曲を聴けば、もっと深い意味があることが分かるだろう。
そして、彼の「俺はオディシャ人だ」という言葉の重みにも気がつくはずだ。
彼はプリーで生まれ育ったのち、13歳からはウエストベンガル州北部のダージリン(コルカタからプリーとは逆方向の北に列車で一晩)の寄宿舎学校(男子校)に通った。
その後、進学のために向かった南インド・カルナータカ州のバンガロールでラッパーになり、今もバンガロールを拠点に活躍している。
(地図、載っけときます)

その半生をラップした曲がこの"One Kid"だ。
よりインド色の強いトラックではあるけれども、さっきのオディア語とはうって変わって、切れ味の良い英語のラップがとても印象的。
リリックの冒頭はこんな感じで始まる(リリック全体はこちらからどうぞ)
Growing up in Puri, I felt so confused プリーで育った小さい頃、俺はとても混乱していた
Why do I look like no one else in the school? どうして俺は学校の他のみんなと違うのか
I mean I got small eyes, also a flat nose 小さな目に低い鼻のことさ
Which is why all guys happened to crack jokes そのせいでみんなは俺をからかった
Even the teachers treated me like a foreigner 先生まで俺を外国人のように扱った
While all I ever wanted to be was an Oriya 俺はただただオディシャ人になりたかった
以前取り上げた北東部トリプラ州出身のBorkung Hrankhawlもラップしていたように、典型的なインド人の外見でないことに対する差別というのは結構根深いものがあるのだろう。
典型的なインド人であれば、マイノリティーであってもコミュニティーや居場所があるけれど、インドの外部や周縁部からやって来た人には所属すべき場がない。
だが、彼は家族や叔父、叔母の愛情を感じ、死ぬまで彼らをレペゼンしてラップし続けると宣言する。
というのがヴァース1の内容。
続くヴァース2は13歳から通っているダージリンでの男子校生活について。
ひょっとしたら、インド北東部のダージリンの学校に通ったのも、同じように東アジア系の見た目の生徒たちが多数いるということが関係しているのかもしれない。
だが、ここでも遠く離れたオディシャからきた彼は、からかいやいじめの対象になる。
辛い4年間の学園生活の中で、彼はエミネムのラップに出会い、ラッパーになるという夢を見つける。
「あのころファックユーって言ってきた同じ奴が今じゃ『Big Deal、尊敬してるよ』だってよ」というのがこのヴァースのクライマックスだ。
ヴァース3の舞台はインド南部カルナータカ州の大都市、バンガロール。
ITを学びにこの街に出て来て、学問を修めることができたが、彼は安定して稼げる道よりもラッパーになるという夢を選ぶ。
就職すれば金持ちになれる。だがラッパーになれる望みは皿の上のドーサより薄い。

(ドーサ)
それでも彼は自分の夢に忠実に生きることを選んだ。
最後のラインでBig Dealはこうラップする。
「君たちをエンターテインするためだけにラップしてるわけじゃない。君たちのマインドを鍛えて、道のりを変えたいんだ。さあ、キッズたち、俺たちには証明しなきゃならないことがある。父さん母さん、俺は夢を叶えたよ」
この曲が収録されたアルバムタイトルは「One Kid with a Dream」
BKに勝るとも劣らないポジティブなメッセージの1曲だ。
彼のことを取り上げた福井新聞の記事でも、彼は自らの半生を語っている。
その記事にも取り上げられているお母さんの故郷、福井への愛をラップした曲がこちら。
シリアスな曲のあとで、このまったり感。
すごい落差で申し訳ない。
トラックはちょっと「和」な感じを意識しているのだろうか。
この曲も、お母さんの故郷へのリスペクトって意味で、シリアスにやっているんだと思うが、田園地帯、恐竜(福井は化石が発掘されたことで有名)、和食、日本酒、親戚のおじさん達と英語のラップとのミスマッチがなんとも。
鄙びてるってことで言えば、インドの中のオディシャと日本の中の福井って、ちょうど同じくらいのような気がしないでもない
最後のパートで、おそらくはオディア語でラップしたのと同じような動機で、日本語で「福井 イイトコ イチドハオイデ(中略)福井ダイスキ」とラップしているのだが、それがまたいい感じの朴訥感だ。
(オディシャ・ラップのさらなる朴訥の世界というのがあるのだが、それはまたいずれ)
この福井新聞のインタビューだと、もう完全に地元の観光大使って感じで、もはやヒップホップのルードボーイっぽさはゼロなのだけど、この素朴な「真っ直ぐさ」が彼の大きな魅力の一つでもあるように思う。
ちなみに彼のお母さんは「モハンティ三千江」という名前で活躍している小説家でもある。
いつか彼女の小説もブログで取り上げてみたいと思っています。
最新の曲はオディア語でお母さんのことを取り上げた曲、"Bou".
こういう曲をやられちゃあ、お母さんうれしいだろうね。
彼は英語だけでなくヒンディーでラップすることもあるけど、やっぱりこの曲にはオディア語の素朴な響きが合っていて、とても素敵に感じられる。
エミネムみたいなアーティストに影響を受けつつも、結果的に家族愛みたいな普遍的な価値観に表現が落ち着くあたり、やっぱり育ちの良さなんだろうなあ。
彼のご両親はプリーで「Love&Life」という名前のホテルを経営していて、この宿はアタクシが20年以上前にプリーを訪れた時にもあったのをなんとなく覚えている。
結局その時は別の宿に宿泊したのだけど、もしLove&Lifeに泊まったら、小さいころのBig Dealに会うことが出来ていたかもしれない。
今回はこのへんで!
goshimasayama18 at 23:28|Permalink│Comments(0)
2018年02月17日
レペゼン俺の街! 各地のラッパーと巡るインドの旅
以前、DIVINEさんを紹介したときにもちょっと触れたけど、洋の東西を問わず、ラッパーの人たちっていうのは、レペゼンの精神っていうんですか?仲間を引き連れて、地元を練り歩くビデオを撮るのが大好きなんですなあ。
ヤンキーは地元が好き、みたいなのに通じるものがあるのかもしれない。
その気質はインドでも全く同じ。
州ごとに言語も違えば文化も違う、そんなインドのラッパー達がお国自慢のラップをやらないわけがない!
ということで、インド中のいろんな街でラッパーが地元の街を練り歩いてるビデオをYoutubeで探してみたら、出てくる出てくる。
今回はインド各地の街をラッパーが練り歩くビデオをみながら、いろんな街を巡ってみましょう。
街の名前言われたって違いが分かんねえよ、って人も、こうして比べて見てみれば、それぞれの街の個性を楽しんでいただけると思います)。
まずは地図、載っけときますね。

スタートはDIVINEさんの地元、マハーラーシュトラ州のムンバイ(旧ボンベイ)から!
曲の名前も"Yeh mera Bombay" (This is my Bombay)!!
インド西部、アラビア海に面したムンバイは、インド最大の都市にして商業の中心地。
でもこのビデオは、高層ビルや高級ホテルが立ち並び、ビジネスマンが行き交う大都会ではなく、庶民的っていうか下町っていうか、ギリギリスラムまで行かないくらいの地区で撮影しているところが肝心。
街のオヤジ達(一部カワイコちゃん)が「これが俺たちのボンベイだぜ」ってキメまくる。
「街の名前は変わったって、ここは何も変わらない俺たちのボンベイさ」っていうのは以前書いた通り。
満員のバスや電車、お祭りの人間ピラミッド、タージマハルホテルといったムンバイの象徴的な風景も挟み込まれるけど、最新のオフィス街なんかは一切出てこないのが逆に粋ってもんでしょう。
この曲、州の公用語マラーティー語ではなくてヒンディーでラップされているんだけど、それも多文化・他言語都市のムンバイならではと言える。
続いてはムンバイからインド亜大陸を北東に横断して、オディシャ州(旧名オリッサ州)へ。
ここの州都ブバネシュワールにほど近い、プリーという街出身のラッパー、Big Dealで、"Mu Heli Odia"
Big Dealは日本人のお母さんとインド人のお父さんとの間に生まれた日印ハーフのラッパーで、歌詞の最初のほうにもそのことが出てくる。今ではバンガロールを拠点として活躍しているようだ。
いずれきちんと紹介してみたいアーティストのひとりです。
プリーは漁民たちが暮らす小さな街で、映像も小さな漁船の上から始まる。
"Mu Heli Odia"は、この州で話されているオディア語で「俺はオディシャ人だぜ!」といった意味合いらしい。
プリーのオヤジ達が「俺はオディシャ人。オディア語を話すオディア野郎たちさ」とやるのはムンバイのDIVINEとほぼ同じだけど、映像は大都会のムンバイと比べると、ずいぶん鄙びた感じがするよね。
近くにジャガンナート寺院という大きなヒンドゥーの寺院があるせいか、サードゥー(ヒンドゥー行者)がちょくちょく出てくるところも見所。
海、海辺のラクダ、祭礼用の仮面、寺院、飛び立つ海鳥やクジラとローカル色がいっぱい。
俺やったるぜ的なリリックだけど、2:20くらいのところで、「インド中で食べられてるRosagolla(お菓子の名前)って、もとはオディシャのなんだぜ」なんてフレーズが入ってくるところも地元愛を感じる。
この曲は初のオディア語ラップソングということらしいが、オディア人としてのプライドが詰まった1曲なのだ。
では続きましてはプリーからぐーっと南へ下ってチェンナイ(旧名マドラス)へ。
チェンナイのあるタミル・ナードゥ州は、保守的というか真面目な州らしくて、夜更かししないようにナイトクラブのかわりにアフタヌーンクラブというのがあるとか、英語で落語をやる噺家が浮気の小噺をしても全然うけなかったとか、って話もあるところ。
それだけに、ラッパーもあんまりいないようではあるのだけど、見つけました。練り歩きビデオを。
MC Valluvarで「Thara Local」。言語はもちろんタミル語です。
チェンナイは、ムンバイ、デリー、コルカタと並び称されるインド第4の都市のはずなんだけど、撮影された地区の問題か、これまた今まで以上にド下町。
垢抜けない感じのラッパーと、映画音楽かなんかからサンプリングしたと思われるトラックがいい味出してる!
南インドに入って、街行く人々の肌の色がぐっと濃くなり、彫りの深い北インド系とはまた違ったドラヴィダ系の顔立ちになったのがお分かりいただけるだろうか。
最初と最後に出てくる屋外集会所、クリケット、おばちゃんが作るローカルフードに洗濯物干してる路地裏と、溢れ出る地元感がたまんない。
路地を練り歩いてると子供達がついてくるのも素敵だ。なんかかっこいいことやってる近所のあんちゃんって感じなんだろうね。
2分過ぎから急に路地裏ダンス対決が始まるところも、"Straight Outta Madras"っていうTシャツもイカす!
さて、最後はチェンナイからぐーっと北北西に移動して、タール砂漠の州、ラージャスタンへ。
地図に記載のあるジャイプルのもっと西、旧市街の街並みが美しい青色に塗られていることでも有名な「ブルーシティ」ことジョードプルのラッパー集団、J19 Squadで、"Mharo Jodhpur"。聴いてみてください。
男らしいラージャスターニー語のラップと、16世紀頃に建てられた青い街並みが非常にいい感じだ。
ワルってことのアピールなのか、砂漠の街なのにみんな革ジャンを着ているが、暑くないのだろうかと若干心配ではある。
あとどうでもいいけど、インドのミュージックビデオって、空撮が好きだよね。
ドローンあるから使おうぜ!ってノリなんだろうか。
ヒゲの先をツンと上に向けた男達がたくさん出てくるが、これは戦士として名高いこの地方特有の身だしなみ。途中で出てくる先のとがった靴や、色鮮やかなターバンもラージャスタン独特のものだ。
あとこれまた地元の食べ物が出てくるけど、世界中どこでも郷土のうまいものってのは自慢なんだろうね。
ここで出てくるのは、地元スタイルのカレーとカチョリという揚げ菓子で、あくまでも庶民的なのがストリート感ってとこでしょうか。
青い旧市街の真ん中の小高い丘の上にそびえるのは、いまでは美術館になっている古城メヘラーンガル砦。
最後の方にはこの地方のマハラジャが住んでいたウメイド・バワン・パレス(今では高級ホテルになっている)も出てきて、これまたお国自慢色満載!
というわけで、今回は大都会から海辺や砂漠の街まで、ヒップホップで巡ってみました。
こうして見てみてつくづく思うのは、インドの人たちはラップを黒人文化のコピーではなくて、完全に自分たちのものにしちゃってるんだなあってこと。
ヒップホップのビデオに地元の普通のおばちゃんとかそのへんの子どもを出そうってのは、日本人の感覚だと「あえて」的な考え方でもしない限り、なかなか出ない発想だろう。
日本語ラップの黎明期なんかだと、みんな東京にニューヨークみたいな「ヤバいストリート」っぽいイメージを重ねて、そっちに寄せた表現をしていたように思う。
もちろん、当時とはラップの国際化の度合いが全然違うっちゃ違うのだけれども、なんというか、インド人は、自分たちが黒人文化に寄っていくのではなくて、ラップのほうを無理やり自分たち側に構わず引き寄せちゃっている感じがする。
そしてそれが結果的にものすごく面白い表現になっている。
これだけ多様な言語や文化を持つインドの、どこに行ってもちゃんとその傾向があるってのが、なんつうかソウルを感じるじゃございませんか。
日本であえて似たテイストを探すなら、この曲かなー。
また他の街で練り歩きラップを見つけたら紹介します!
それでは今日はこのへんで。
ヤンキーは地元が好き、みたいなのに通じるものがあるのかもしれない。
その気質はインドでも全く同じ。
州ごとに言語も違えば文化も違う、そんなインドのラッパー達がお国自慢のラップをやらないわけがない!
ということで、インド中のいろんな街でラッパーが地元の街を練り歩いてるビデオをYoutubeで探してみたら、出てくる出てくる。
今回はインド各地の街をラッパーが練り歩くビデオをみながら、いろんな街を巡ってみましょう。
街の名前言われたって違いが分かんねえよ、って人も、こうして比べて見てみれば、それぞれの街の個性を楽しんでいただけると思います)。
まずは地図、載っけときますね。

スタートはDIVINEさんの地元、マハーラーシュトラ州のムンバイ(旧ボンベイ)から!
曲の名前も"Yeh mera Bombay" (This is my Bombay)!!
インド西部、アラビア海に面したムンバイは、インド最大の都市にして商業の中心地。
でもこのビデオは、高層ビルや高級ホテルが立ち並び、ビジネスマンが行き交う大都会ではなく、庶民的っていうか下町っていうか、ギリギリスラムまで行かないくらいの地区で撮影しているところが肝心。
街のオヤジ達(一部カワイコちゃん)が「これが俺たちのボンベイだぜ」ってキメまくる。
「街の名前は変わったって、ここは何も変わらない俺たちのボンベイさ」っていうのは以前書いた通り。
満員のバスや電車、お祭りの人間ピラミッド、タージマハルホテルといったムンバイの象徴的な風景も挟み込まれるけど、最新のオフィス街なんかは一切出てこないのが逆に粋ってもんでしょう。
この曲、州の公用語マラーティー語ではなくてヒンディーでラップされているんだけど、それも多文化・他言語都市のムンバイならではと言える。
続いてはムンバイからインド亜大陸を北東に横断して、オディシャ州(旧名オリッサ州)へ。
ここの州都ブバネシュワールにほど近い、プリーという街出身のラッパー、Big Dealで、"Mu Heli Odia"
Big Dealは日本人のお母さんとインド人のお父さんとの間に生まれた日印ハーフのラッパーで、歌詞の最初のほうにもそのことが出てくる。今ではバンガロールを拠点として活躍しているようだ。
いずれきちんと紹介してみたいアーティストのひとりです。
プリーは漁民たちが暮らす小さな街で、映像も小さな漁船の上から始まる。
"Mu Heli Odia"は、この州で話されているオディア語で「俺はオディシャ人だぜ!」といった意味合いらしい。
プリーのオヤジ達が「俺はオディシャ人。オディア語を話すオディア野郎たちさ」とやるのはムンバイのDIVINEとほぼ同じだけど、映像は大都会のムンバイと比べると、ずいぶん鄙びた感じがするよね。
近くにジャガンナート寺院という大きなヒンドゥーの寺院があるせいか、サードゥー(ヒンドゥー行者)がちょくちょく出てくるところも見所。
海、海辺のラクダ、祭礼用の仮面、寺院、飛び立つ海鳥やクジラとローカル色がいっぱい。
俺やったるぜ的なリリックだけど、2:20くらいのところで、「インド中で食べられてるRosagolla(お菓子の名前)って、もとはオディシャのなんだぜ」なんてフレーズが入ってくるところも地元愛を感じる。
この曲は初のオディア語ラップソングということらしいが、オディア人としてのプライドが詰まった1曲なのだ。
では続きましてはプリーからぐーっと南へ下ってチェンナイ(旧名マドラス)へ。
チェンナイのあるタミル・ナードゥ州は、保守的というか真面目な州らしくて、夜更かししないようにナイトクラブのかわりにアフタヌーンクラブというのがあるとか、英語で落語をやる噺家が浮気の小噺をしても全然うけなかったとか、って話もあるところ。
それだけに、ラッパーもあんまりいないようではあるのだけど、見つけました。練り歩きビデオを。
MC Valluvarで「Thara Local」。言語はもちろんタミル語です。
チェンナイは、ムンバイ、デリー、コルカタと並び称されるインド第4の都市のはずなんだけど、撮影された地区の問題か、これまた今まで以上にド下町。
垢抜けない感じのラッパーと、映画音楽かなんかからサンプリングしたと思われるトラックがいい味出してる!
南インドに入って、街行く人々の肌の色がぐっと濃くなり、彫りの深い北インド系とはまた違ったドラヴィダ系の顔立ちになったのがお分かりいただけるだろうか。
最初と最後に出てくる屋外集会所、クリケット、おばちゃんが作るローカルフードに洗濯物干してる路地裏と、溢れ出る地元感がたまんない。
路地を練り歩いてると子供達がついてくるのも素敵だ。なんかかっこいいことやってる近所のあんちゃんって感じなんだろうね。
2分過ぎから急に路地裏ダンス対決が始まるところも、"Straight Outta Madras"っていうTシャツもイカす!
さて、最後はチェンナイからぐーっと北北西に移動して、タール砂漠の州、ラージャスタンへ。
地図に記載のあるジャイプルのもっと西、旧市街の街並みが美しい青色に塗られていることでも有名な「ブルーシティ」ことジョードプルのラッパー集団、J19 Squadで、"Mharo Jodhpur"。聴いてみてください。
男らしいラージャスターニー語のラップと、16世紀頃に建てられた青い街並みが非常にいい感じだ。
ワルってことのアピールなのか、砂漠の街なのにみんな革ジャンを着ているが、暑くないのだろうかと若干心配ではある。
あとどうでもいいけど、インドのミュージックビデオって、空撮が好きだよね。
ドローンあるから使おうぜ!ってノリなんだろうか。
ヒゲの先をツンと上に向けた男達がたくさん出てくるが、これは戦士として名高いこの地方特有の身だしなみ。途中で出てくる先のとがった靴や、色鮮やかなターバンもラージャスタン独特のものだ。
あとこれまた地元の食べ物が出てくるけど、世界中どこでも郷土のうまいものってのは自慢なんだろうね。
ここで出てくるのは、地元スタイルのカレーとカチョリという揚げ菓子で、あくまでも庶民的なのがストリート感ってとこでしょうか。
青い旧市街の真ん中の小高い丘の上にそびえるのは、いまでは美術館になっている古城メヘラーンガル砦。
最後の方にはこの地方のマハラジャが住んでいたウメイド・バワン・パレス(今では高級ホテルになっている)も出てきて、これまたお国自慢色満載!
というわけで、今回は大都会から海辺や砂漠の街まで、ヒップホップで巡ってみました。
こうして見てみてつくづく思うのは、インドの人たちはラップを黒人文化のコピーではなくて、完全に自分たちのものにしちゃってるんだなあってこと。
ヒップホップのビデオに地元の普通のおばちゃんとかそのへんの子どもを出そうってのは、日本人の感覚だと「あえて」的な考え方でもしない限り、なかなか出ない発想だろう。
日本語ラップの黎明期なんかだと、みんな東京にニューヨークみたいな「ヤバいストリート」っぽいイメージを重ねて、そっちに寄せた表現をしていたように思う。
もちろん、当時とはラップの国際化の度合いが全然違うっちゃ違うのだけれども、なんというか、インド人は、自分たちが黒人文化に寄っていくのではなくて、ラップのほうを無理やり自分たち側に構わず引き寄せちゃっている感じがする。
そしてそれが結果的にものすごく面白い表現になっている。
これだけ多様な言語や文化を持つインドの、どこに行ってもちゃんとその傾向があるってのが、なんつうかソウルを感じるじゃございませんか。
日本であえて似たテイストを探すなら、この曲かなー。
また他の街で練り歩きラップを見つけたら紹介します!
それでは今日はこのへんで。
goshimasayama18 at 18:20|Permalink│Comments(0)