インド
2018年12月30日
2018年を振り返る
2017年12月25日に始めたこのブログも約1年あまり、これまでに書いた記事もなんと109本にもなりました。
最初は、「インドの音楽と社会」というテーマに自分以外誰が興味を持ってくれるのか分からずに始めたブログでしたが、大勢の方に読んでいただけて本当に感謝です。
ブログを書いてきたなかで、多くのインドのミュージシャンたちにインタビューさせてもらったり、POPEYEとSTUDIO VOICEという歴史あるカルチャー誌の音楽特集に関わらせてもらったりと、素晴らしい機会をたくさんいただきました。
この1年で関わった全ての方、そしてお読みいただいた全ての方にあらためて御礼申し上げます。
記事もずいぶん多くなってきたところなので、ここで、「軽刈田 凡平 自選ベストトピック2018」というのをやってみたいと思います。
最近このブログを見つけたけど、なんかいろいろあって何を読んだら面白いのか分からないという方も、ぜひ参考にしてみてください。
あ、みなさんすでにお気づきのことと思うけど、字の色が変わっているところがリンクになっていて、該当する記事に飛べるようになっているのでヨロシク。
ではさっそく。
まず、なんといっても大発見だったのが、インド北東部の音楽!
このブログを書き始めた当初は、北東部のシーンは完全にノーマークだったのだけど、インド文化(アーリア/ドラヴィダ系文化)の影響が薄く、信仰が盛んなキリスト教のせいか欧米の影響の強い音楽は驚きだった。
エクストリームメタルから、民族の誇りをライムするラップまで、北東部の音楽シーンについてはこちらから。
カテゴリー:インド北東部
なかでも気合を入れて書いたのは、
・デスメタルバンドへのインタビュー(アルナーチャル・プラデーシュ州のArien Gods/Sacred SecrecyのTana Doniへのインタビュー、Third SovereignのVedantへのインタビュー)
・トリプラ州のプライドをラップするBorkung Hrankhawl(その2はこちら)
・ナガランド3部作(その1、その2、その3、おまけのクリスマス編)
あたりかな。
北東部を扱った記事はどれも思い入れがある。
ここにきて、ナガランドを舞台にした映画「あまねき旋律」のヒットで、静かなインド北東部ブーム?が来つつあるのもうれしい。
インドらしさが最も感じられるジャンルといえばヒップホップ。
インドのメジャーどころのアーティストも紹介したけど、個人的に気に入ったのはローカル色ばりばりのラージャスタンのシーン。
砂漠のギャングスタラップJ19 Squad(インタビューも敢行。結局続きはなかったけど)は、最近じゃアンダーグラウンドシーンではそれなりの知名度のあるラッパーのEmiwayとビーフを繰り広げるなど、相変わらずコワモテの活動をしているようだ。
インドのヒップホップは(も)土地ごとのシーンの地方色が大きな魅力で、各地の特徴を紹介した記事はかなり思い入れがあったのだけど、なぜか誰もいいねしてくれなかったのはなぜだろう。
実はつまらないのかもしれない。 (「レペゼン俺の街!各地のラッパーと巡るインドの旅」)
この記事でも紹介した日印ハーフのラッパーBig Dealもかなり熱い男で、インタビューでも誠実な人柄が感じられた。年末年始でやる気がでない人なんかにおすすめ。
マイナーな地方のシーンでは、ジャールカンド州(というか、このTre Ess)もかなり面白かった。
Tre Essの相棒のMellow Turtleもまた才能あるミュージシャンで、彼らからは、「ネットワークで繋がった世界では地域差によるディスアドバンテージはいともたやすく乗り越えられる」ということを教えられた。
彼らへのインタビューでは世界中のマニアックなミュージシャンの名前がばんばん出てきてとても刺激的だった。(Tre Essのインタビュー、The Mellow Turtleのインタビュー)
そしてインドのヒップホップの音楽的な面に迫ったのはこの記事。
インドのヒップホップは決してアメリカの黒人音楽からの影響だけで作られているわけではなくて、自分たちのリズムもしっかりと咀嚼して作られているという話。
「インド人とラテン系の共通点」を見つけたというのも自分的には大発見で、とくにこの記事は後半のインド人によるDespacitoカバー集は必見!
音楽を離れた余談としては、謎のインド人占い師ヨギ・シンの話(その1、その2)、20年前のシッキム州での思い出話なんかがわりと面白いと思うけどどうだろう。
インド人はプロレス(WWE)好き、なんてことも今まであんまり紹介されていなかったように思う。
2019年はタイガー・ジェット・シンについての記事を書くつもりなので、興味のある方はご期待ください。
あとは順不同で、日本に影響を受けたアーティスト(ロック編、エレクトロニカ編、そして脅威のナガランドのコスプレカルチャー!)、ジャマイカン・ミュージックを通じた社会改革を目指すSka Vengers(とくに中心人物のTaru)あたりがわりと面白いんじゃないかな。
他にも思い入れのある記事はいっぱいいっぱいあるのだけれども、これ以上紹介すると結局全ての記事を取り上げることになりそうなので、ここまでにしておきます。
ブログに適した記事の分量(長さ)というものがあるということは分かっているのだけど、いつも書いているうちに長くなってしまって、それなのに読んでくださっている皆さんには本当に感謝してます。
来年はもっと短くまとめられるよう精進します。
そして素晴らしいインスピレーションをいつも与えてくれるインドという国にも改めて感謝を。
今年の記事はこれでおしまいです。
みなさん、よいお年を!
そして来年もよろしくお願いします!
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2018年08月14日
インド独立記念日にラップを聴きながら考える
といっても、インドは第二次世界大戦の終戦と同時に独立したわけではなく、インドはかの有名なマハトマ・ガンディーらの活躍によって、1947年の8月15日にイギリスからの独立を果たした。
ガンディーの悲願であったヒンドゥーとムスリムとの統一国家としての独立はついに果たせず、世俗国家であるインドとイスラム国家であるパキスタン(当時はバングラデシュも東パキスタン)との分離独立という形をとることになった。
(ちなみにパキスタンの独立記念日はインドより1日早い8月14日とされている)
イギリスが植民地支配への抵抗運動を弱体化させるために、ヒンドゥーとイスラムを「分割統治」していたことが、分離独立の一因となったのだった。
なぜこんな歴史の話を持ち出したかというと、この独立記念日にあたって、何人かのラッパーがインド国民に向けたラップソングを発表していて、それがまた現代インドを考える上で非常に面白い内容だから。
というわけで、今回は、他の国にはなかなか無さそうな、「インド独立記念日ラップ」を紹介します。
まずは、Big DealとGubbiの二人のラッパーとシンガーのRinosh Georgeによって、2014年の独立記念日に合わせて発表された曲、"Be the Change"を聴いてみましょう。
1番のヴァースでラップしているBig Dealは日本人の母とインド人の父との間に生まれた日印ハーフのラッパーで、逆境に負けないポジティブなメッセージをラップした"One Kid"や、地元オディシャ州への誇りをテーマにした"Mu Heli Odia"が代表曲。
彼は、リリックの中で、大国となりながらもいまだに宗教や言語や地域やカーストといった多様性のもとでの平等を達成できずにいることを憂い、差異を理由に批判しあうのではなく、自らこそが変わるべきだとラップしている。
2番のヴァースを歌っているGubbiはカンナダ語のラッパー。
カンナダ語はITシティのバンガロールを擁するカルナータカ州の公用語だ。
彼もまた、独立を成し遂げイギリスが去ってから68年も経つのに、未だに「自由」が達成できていないことをラップしながらも、安易に政府のみを批判するのではなく、自分自信が政治や社会に責任を持つべきだ、と人々を戒めている。
コーラスのメッセージはこうだ。
我々はみんなこの地で生まれたのだから、永遠に団結しよう
内面の美しさに目を向け、よりよい日々のために働こう
10億を超える人口を擁し、経済大国にもなったインド。
だが同じ国の中で生まれても、多様性が豊かな国であるがゆえに、コミュニティー間の対立は枚挙にいとまがない。貧富の差も無くなるどころか拡がるばかりだ。
宗教や文化や民族に基づく、見た目による差別も今日までずっと残っている。
(実際、日印ハーフのBig Dealは、そのインド人らしからぬ見た目から、少年時代いじめを受けていた)
こうした問題から目を背けて無批判にインドの独立を祝うのではなく、自らが主体的にこうした状況を変えてゆこう(be the change)、という現実を見据えたメッセージを乗せた曲というわけだ。
社会に対するメッセージを発信するラッパーらしい視点の曲と言えるだろう。
さて、続いて紹介しますのは、Adhbhut ft. Mansi n Shanuという人たちによる"Mera India"(ヒンディー語で「私のインド」という意味)。お聴きください。
さっきの曲の寛容のもとに団結を訴える内容とはうって変わって、いきなり軍隊や兵器がガンガンに出てきて驚いたと思う。
独立記念日にはインド軍のパレードもあるので、まあ軍が出てくるくらいまでは良しとしても、ご丁寧に効果音までつけてミサイルをぶっ放したりしているのを見ると、さすがにちょっと物騒だなっていう印象を受けるね。
ヒンディー語のリリックの内容はというと、どうやら、
「みんなが金を持ってるわけではないが、母なるインドが食わせてくれる。反逆者から身を守れ、敵から土地を取り返せ!ヤツらを撃ち殺せ!インドは世界の王となる」
みたいな、勇ましいっていうか超タカ派右寄りな内容がラップされているようで、さっきの曲とのあまりの違いに驚くしかない。
そもそも、これまでこのブログで紹介してきたアーティストは、自由に愛し合うことすら許されない保守的な価値観を批判するSu Real、レゲエを武器に社会の不正義を糾弾するTaru Dalmia、北東部のマイノリティーとして被差別的な立場に置かれながらも相互理解を訴えるBorkung HrankhawlやUNBなど、リベラル寄りの立場で表現を行っている人が多かった。
別に意識してそういう人たちを選んだわけではなく、本来カウンターカルチャーであるロックやレゲエやヒップホップには、本質的に抑圧への抵抗というテーマが内在しているから、インドのアーティストの表現が社会の現状を踏まえてそのようなものになるのは当然なのだ。
改めて言うまでもなく、ロックの誕生以降、60年代のヒッピームーヴメント、70年代のパンクロック、80年代のヒップホップ、90年代のレイヴカルチャーと、スタイルや思想を変えながらも、音楽はカウンターカルチャーとして体制からの自由を表明する役割を担ってきた。
もちろん、ヒット曲のなかにはそうした思想性とは関係のないラブソングだって多いし、今日ナショナリズム的な傾向が国を問わず広がってきていることは周知の通りだ。
それにしたって、ポップカルチャーの形式を取ったここまでの直接的なタカ派的愛国表現っていうのは、ちょっとお目にかかったことがない。
この曲の背景には、歌詞でははっきりと名指しされていないものの、独立以来の対立が続いている反パキスタン感情があると見て間違いないだろう。
イギリスからの分離独立は、最終的には武力闘争によらない形での決着となったが、悲劇はむしろ独立後に起きた。
パキスタンを目指すインド領内のムスリムと、インドを目指すパキスタン領内のヒンドゥー教徒やシク教徒の大移動は大混乱となり、その中で宗教対立による多くの虐殺や暴行が行われた。
また、カシミール地方では、独立時に人口の8割を占めるムスリムをヒンドゥーの藩王が統治する体制だったが、分離独立のなかで双方が領有権を主張し、今日まで領土問題での緊張と対立が続いている。
ときに両軍による戦闘も起こっているのは国際ニュースで報じられる通りで、このような極端な愛国ラップソングが作られる背景には、いまも核保有国同士の緊張が続く印パ関係があるというわけだ。
ところで、この曲でちょっと謎なのは、コーラス前の最後のライン。
Desh ke kone kone me kranti ki aag laga de という歌詞なのだが、これは英訳すると
Set fire to revolution in the corner of the country という意味になるそうで(Google先生による)ここだけ急にすんごく左寄りな表現になっている。
おそらく1曲めの"Be the Change"同様に、「傍観者になるな、一人一人が意識を変えて、行動を起こすんだ」といった意味だと思うが、似たような表現でもその指している内容がここまで対極だということが、こう言っちゃあなんだが面白い。
それと、こういう曲が発表されるということは、ラップという表現のフォーマットが、リベラルなサブカルチャー好きではなく、愛国タカ派寄りの人々にも訴えうるからなわけで、インドにおけるヒップホップの浸透をまたひとつ感じたのでした。
ちなみにこの曲を発表したAdhbhutさん、いつもこういった軍国的な曲をやっている訳ではなく、例えばこの曲では、貧富の差が拡大し農家が自死を選ばざるを得ない状況や、暴力が蔓延る社会を憂う内容(多分)をラップしている。
この曲に関して言えば、むしろそのまなざしは最初に紹介した"Be the Change"に近い。
それでは、インド人のみなさん、それぞれの立場の違いはあれど、 独立記念日、おめでとうございます。
次回はちょっと夏っぽい内容で書こうかなと思います。
2018年06月03日
Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス
彼らがレゲエやスカを単なるゴキゲンな音楽としてではなく、抑圧や専制に対する闘争の手段として捉え、 ヒンドゥー・ナショナリズムやインド社会の不正義と戦う姿勢を示していることは記事の通りだ。
Ska Vnegersの中心人物、Delhi SultanateことTaru Dalmiaは、バンド以外でもBFR(Bass Foundation Roots) Sound Systemという名義でジャマイカン・ミュージックを通した自由への抑圧に対する抗議行動を行っている。
アル・ジャジーラが製作した"India's Reggae Resistance: Defending Dissent Under Modi" はそんな彼の活動を追いかけたドキュメンタリーだ。
モディ政権後、ヒンドゥー原理主義が力を持ち言論の自由が脅かされつつあるインドで、Taruは音楽を通した闘争を始めるべく、クラウドファンディングで集めた資金でサウンドシステムを作り上げることにした。抗議活動の場で自由を求めるレゲエ・サウンドを鳴らすために。
サウンドシステムとは、ジャマイカで生まれた移動式の巨大なスピーカーとDJブースのこと。
クラブのような音楽を楽しむための場所がなかった時代に、音楽にあわせてラップや語りや歌を乗せるスタイルで、人々を踊らせ、音楽によるひとときの自由を提供するための手段として生まれた(やがて海を渡ってヒップホップやレイヴ・カルチャー誕生の揺籃ともなったのは、また別のお話)。
Taruにとってジャマイカン・ミュージックは自由のための闘争の手段。
「レゲエの本質に戻ってみると、サウンドシステムに行き着く。サウンドシステムは単なる積み重ねたスピーカーじゃない。音楽や自由を自分たちの手に取り戻し、ストリートに届ける手段なんだ」
彼の広い庭に巨大なスピーカーが組み上がる。
まったく歴史的、文化的背景の違うインドで、ジャマイカと同じようにレゲエを闘争の手段にしようとしている彼こそ、ヒンドゥー原理主義者ならぬレゲエ原理主義者なんじゃないか、という気がしないでもないが、彼はいたって真剣だ。
最初の活動の場は、デリーの名門大学JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)。
言論の自由を求める活動の中心地であり、Taruの出身大学でもある。
「同志よ!ジャイ・ビーム!ラール・サラーム!ジャマイカの奴隷農園の革命の歌を演奏する!」
「ジャイ・ビーム」とはインド憲法の起草者で、最下層の被差別階級出身の活動家、ビームラーオ・アンベードカルを讃える言葉。
カーストに基づく差別からの脱却のため、被差別階級の人々と集団で仏教に改宗した彼を讃えるこのフレーズは、改宗仏教徒など、旧弊な社会秩序に異を唱える人々の合言葉だ。
「ラール・サラーム(赤色万歳)」は、共産主義のシンボルカラーを讃える反資本主義者たちの合言葉。
Taruの言葉に活動家たちから歓声が上がるが、音楽をかけても人々は踊らない。
彼の思想には共鳴しても、レゲエなんて聴いたことがない彼らは、初めて耳にするリズムにどうして良いか分からずじっと座っているばかりだ。
すっかり盛り上がりに欠けたまま、やがて大学当局者に音を止めるように言われ、しぶしぶDJを止めるTaru.
すると当局の介入によって演奏を止められたことに抗議して、学生たちから自由を求めるコール&レスポンスが始まる。
皮肉なことに、音楽が止められたことで、抗議運動は初めて盛り上がりを見せたのだった。
やはりインドでレゲエを使った社会運動は無理があるのか。
それでもTaruはあきらめない。
次なる活動の場は幾多の大学を抱える街、プネーのFTII (Film and Television Institute of India)。
抗議行動をオーガナイズする学生組織とのミーティングで、Taruはこんなことを言われる。
「初めてレゲエを聞いたけど、僕たちの文化の中では共感を得にくいんじゃないかな。なんというか、エリートの音楽っていう感じがする。英語だし、ラップだから」
「欧米から来た音楽だからって、みんなエリートの音楽ってわけじゃない。ブロークンな英語で歌われている音楽なんだ」
Taruは反論するが、こう言われてしまう。
「僕たち活動家が理解できないっていうのに、どうやって一般の人々がそれを理解できるんだい?」
Taruの理想と現実の乖離を率直に指摘する言葉だ。
地元の人々に受け入れられるために、彼らの言語であるヒンディーやマラーティーをレゲエのリズムに乗せることにした。
レゲエをインドでの社会運動において意味あるものとするために、彼らの工夫は続く。
地元の社会派ラッパー、Swadesiにも声をかけた。
ジャマイカの大衆のための音楽が、少しずつインドの大衆のためのものに変わってゆく…。
憲法記念日。プネーで行われる野外コンサートの当日。
主宰者側はカシミール問題(パキスタンとの間の、ヒンドゥーとイスラムの宗教問題を含んだ領土問題)のようなデリケートな話題を持ち出し、当局に集会を潰されることを心配していた。
言論の自由を求める集まりであるにもかかわらず、だ。
「世界最大の民主主義国」インドの自由は微妙なバランスの上に成り立っている。
集まった人々に、Taruはこう語りかける。
「独立したはずのインドでも、最近じゃこんな雰囲気だ。でも、いつの日か正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言えるようになろう。俺たちは団結している。もし体制側のスパイがいたとしたっていい。一緒に踊ろう」
Taruがプレイするジャマイカのリズムに、地元の活動家たちがスローガンの言葉を乗せて行く。
地元の言語を使ったラップや、苦労した選曲の甲斐あってか、デリーのときとは違って観客も大いに盛り上がっている。
最後の曲の前に、Taruは「俺たちが求めるものは?」と観客に問いかけた。
即座に「自由(Azadi)!」との答えが返ってくる。
RSS(ヒンドゥー至上主義組織)からの、モディ政権からの、ヒンドゥーナショナリズムからの、企業のルールからの自由。コール&レスポンスは熱気を帯びてくる。
最後の曲は60年代のジャマイカン・ナンバー、Toots & Maytalsの"54 46 Was My Number".
警察の横暴を批判するスカ・ソングだ。
彼の言葉に、サウンドに、集まった人々は心のままに踊り始める。
このシーンは圧巻だ。
インド人は総じて踊りが得意だが、スカのリズムに合わせて魂を解放して踊る彼らは、とても初めてジャマイカの音楽を聴いたようには見えない。
まるで生まれた時からスカやレゲエを聴いて育ったジャマイカンたちのように見える。
音楽が、レゲエミュージックが、束の間であっても変革を求めるインドの人々に精神の自由をもたらした瞬間だ。
この映像は、インドにおけるレベルミュージック(反抗の音楽)としてのレゲエのスタート地点であり、現時点での到達地点の記録でもある。
名門大学出身で大きな庭のある家に住んでいる彼が、ジャマイカのゲットーで生まれた音楽を、全く文化の異なるインドで大衆革命の手段としようとすることに、いささかのドン・キホーテ的な滑稽さを感じるのも事実だ。
今後、レゲエがインドでのこうした活動の中で大きな意味を持つかと考えると、正直に言うとかなり難しいんじゃないかと思う。(この映像を見る限りだと、もっとインドの大衆の理解を得やすい音楽や伝達方法があるように感じる)
でもレゲエやパンクやヒップホップに夢中になったことがある人だったら、音楽とは単なる心地よいサウンドではなく、人々の意識や社会構造に大きく働きかけるものであることを知っているはず。
そして、サウンドそのものよりも、そうしたスピリットの部分にこそ、音楽の本質があることを分かっているはずだ。
音楽好きとしては、音楽の力を信じて愚直に活動を続ける彼に、なんというかこう、ぐっとくるのを禁じ得ない。
ヒップホップに比べると、まだまだインドではマイナーな感があるレゲエミュージックシーンだが、今後こうした社会的な意味のあるジャンルとして根づいてゆくのかどうか、これからもTaruの活動に注目してゆきたい。
2018年04月29日
謎のターバン・トラップ!Gurbax
といっても、また面白いやつ(とアタクシは思っている)を載せまっせー。
今回紹介するのは、記念すべき第1回目のSu Real以来のトラップ・ミュージック。
このブログで紹介するくらいなので、もちろんインド色強めのやつだ!
まずは1曲、聴いてみてください。
Gurbaxで、"Boom Shankar"
サードゥー(世捨て人的な生き方をするヒンドゥー教の行者)の集団がサイケなペイントの車に乗り込んでレイヴ会場に繰り出すっていう、強烈な内容!
Gurbaxはクラウドファウンディングで集めた資金をもとに、この曲と同名のBoom Shankar Festivalというイベントをバンガロールで開催している。
この曲のビデオについてのインタビューによると、「リシケシュ(ガンジス源流近くの聖地)のサードゥーたちが仲間とリラックスして楽しんでいるいるところ(ガンジャを吸ったりしているイメージかな)」という明確なビジョンのもとに作られたとのこと。
やがて、サードゥーたちがコンサートの熱狂に触れたらどうなるか、というアイデアに発展し、最終的にはこういうシロモノになったそうだ。
「街でいちばんヤバいサードゥーで不思議なパワーの化身であるBoom Shankarを、Gurbaxが彼の名前のフェスティヴァルに呼び出した。Boom Shankarとその信者が巡礼に使っていたバンはステージへと変化し、その上でプレイするGurbax。熱狂する観客。やがてBoom Shankarもステージに上がり、火吹きを披露してその場をパワーで満たす」
…なんだかよく分からないが、この手のダンスミュージックへのヒンドゥー神秘主義の導入は、90年代末頃の欧米や日本のレイヴ・カルチャーによく見られたもの。
このビデオはそうした文化の逆輸入版とも言えそうだ。
GurbaxことKunaal Gurbaxaniは、バンガロールでパンクやスラッシュメタルのバンドのギタリストとして音楽活動を始めた。
大学進学で進んだ米国アトランタでベースミュージックに出会い、DJ/クリエイターとしてのキャリアをスタートさせたようで、彼もまたおなじみの海外で触れた音楽をインドに導入して活躍しているパターンだ。
先ほどのBoom Shankarのような、インド的要素を取り入れたベースミュージックは"Turban Trap"というくくりで紹介されるているのだが(YoutubeのチャンネルやFacebookのページもある)、このターバントラップという概念、ジャンルなんだかレーベルなんだかちょっとよく分からない。
GurbaxがMr.Dossと共演しているターバントラップの曲。"Aghori"
調べてみたところAghoriというのはサードゥーの一派のことらしい。
ターバントラップのサイトには"Sikhest trap music"とあるが(Sickest=最もヤバい、とシク教のSikhをかけた表現)、シク教というよりはヒンドゥー的な要素が入っている楽曲が多いようで、この音楽ジャンルの宗教的バックグラウンドがどんなものなのか、シリアスなものなのかはちょっとよく分からない。
いずれにしても「ターバントラップ」には他にも面白いアーティストがいるので、調べてみてまた紹介たいと思います。
さてこのGurbax、インド的な要素のないトラックもたくさん手がけていて、これがもうインドとか国籍とか関係なく普遍的にかっこいい。
"Get it"
"Lucid Fuck"
彼の2017年の活動をまとめた動画がこちら。
インドのパリピのみなさんが熱い!
電気や水道の通っていない環境で暮らす人も多いインドだが、これもまたインドの一側面。
とくに電子系ダンスミュージック界隈の垢抜けっぷりにはいつも驚かされる。
こういう人たちでも、ダンスミュージックに宗教的恍惚感(トランス的要素)を加えるためにヒンドゥーの伝統的な要素を加えてみるんだなあ、と思うとしみじみする。
それとも信仰心なんてもう全然なくて、単にシャレでやってるのだろうか。
インド的なサウンドから欧米的、無国籍なサウンドまで躊躇なく行き来することができるのもインドのアーティストの魅力の一つ。
我々日本人が昼は蕎麦食って夜はパスタなんてことがあるのと同じようなものかもしれないけどね。
それではまた!
2018年04月09日
インドの何が好きかっていうと!
私たちがあっけにとられていると大麻さんが「私たちは何もあんたに説明を頼んでいない」とピシャリとインド男に向かって言い、私達に「誰も信用してはいけません。いいですね」と強く念を押してきた。誰も信用してはいけないこの国を、大麻さん、あんたはなんでそんなに好きなのだろう。
…この文章はさくらももこの「さるのこしかけ」っていう本の中にあるインド紀行文の中の一節。
怪しい名前の(さんざん本の中でもいじられている)「大麻(おおあさ)さん」っていうのは、インド好きが高じてインドのガイドをやっている人物で、これは当時のさくらももこ夫妻の案内をしていた場面だ。
アタクシもこういうブログをやっているくらいなのでインド好きということに関しては人後に落ちないつもりだけれども、この文章には自分のことかと大笑いするとともに、ちょっと考えさせられた。
確かに、インドは誰も信用できない、っていうか、誰を信用していいかわからない国だ。
田舎町で偶然会った趣味の合うインド人を信用して裏切られたこともあるし。
信用という面で言えば、そもそも外国人のみならず、地方から出てきたインド人も都会のインド人に騙されるっていうし、平和ボケした日本育ちの自分がインド人に勝てるわけない。
それ以外にも、胃腸が弱いのですぐにお腹を壊すし、さらに致命てきなことに辛いものが苦手なので、たいていの物を食べると地獄を味わうことになる(しかも、大量の汗をかき、周囲のインド人にもれなく心配される)。
インド人のあまりにも理不尽な対応や融通の利かなさに日本ではあり得ないくらい腹を立てたこともある。
スリにあったこともあるし、長距離寝台列車じゃあ盗まれないように荷物を抱えて寝なきゃあ行けないし、長距離バスに乗れば路面の悪さとサスペンションの利かなさで全身が筋肉痛になる。
(ずいぶん昔の記憶だから、今じゃ違う部分もあるかもしれないけどね)
環境や社会の面でも、都市部では大気汚染も悪化してるし、貧困、格差、差別、紛争と、世界最大の民主主義国にしてあらゆる問題のデパートでもある。
それなのに、ああそれなのに、いったいどうしてこんなにインドが好きなのか。
現地でインド好きの旅行者と会うと、お互い「I love India, but I don't know why.」なんて言って笑いあっている。
と、自分でもずっと謎だったこのインド愛の理由をものすごく上手に説明してくれているブログを見つけたのでたまらず紹介します。(下の画像をクリック!)
インドの空気の香り、街の音、人と人との距離、とても人間らしい人達、面白い発想、おおらかさ、っていう切り口にはいちいちうなずくことばかり。
これはインドのものなら何でも手に入る「ティラキタ」さんというネットショップのもの。
雑貨から服から食材から民族楽器まで扱っていて、以前インドで探しても見つからなかった15年前のヒット映画のCDをここで買ったこともあるオススメのサイトでもあります。
(ものすごく宣伝っぽい書き方をしてるけど、このお店を宣伝してアタクシが得することは一つもなく、ただの純粋な紹介です。念のため)
とくに頷いたのは、インドから帰ってきて、成田空港の駅のホームに降りたときの寂しさ。
ああ、駅に牛がいない、チャイ屋がいない、ホームに寝っ転がっているおっさんもいない。
っていうか日本でホームに寝っ転がっているおっさんがいたらそれはまた違う文脈で捉えてしまうし…。
ああ、インドとインドにいる自分はどんなに自由だったんだろう。インドの人たちはなんて人間らしくて素晴らしかったんだろう、みたいな。
インド社会や政治のネガティブな面を挙げればキリがないけれども、ポジティブな面を挙げてもキリがない。
とくにポジティブな面は、世界じゅうでインドにしか無いようなものばかり。
こんなインドの音楽をこれからも紹介して行きたいな、と思う所存あります。
2018年04月01日
インドいち美しい砂漠の街のギャングスタラップ J19Squad
インドらしさという点でいえば混沌と聖性の街ヴァラナシか、歴史のある大都会デリーやムンバイか、現代的な大都会バンガロールか、いやいや大都市ではなく鄙びたブッダガヤやプリーも捨てがたい。
異国情緒のあるゴアや、独自の文化のあるシッキムも素晴らしく、まだ行ったことのない南インドや北東部にも素晴らしい場所はいくらでもあるだろう。
インド西部ラージャスタン州に、ジョードプルという街がある。
別名は「ブルーシティ」。
旧市街にある、築500年にはなろうかという家々の多くが青く塗られていることから、そう呼ばれている。
タール砂漠の乾燥した大地に、青い石造りの家と、人々の鮮やかな民族衣装が映える美しい街だ。
そう。アタクシは、インドでいちばん「美しい街」は?と聞かれたら、ジョードプルと答えることにしている。
古き良きインドが残っていて、ラクダに乗って砂漠の村々を訪れれば、何百年と変わらぬ暮らしをしている人々がいる。
青い旧市街は何よりも美しく、街の人々も大都会の観光地に比べてずっとフレンドリーだ。
ってのは全部、20年くらい前の記憶なのだけど、 果たしてあのジョードプルにもラッパーっているのかしらん、と思って調べてみたら、いた。
それもすんごいギャングスタラップ集団が。
ここまで紹介してきたインドのラッパーは、Big DealもBKも、ヒップホップのワイルドさは保ちつつも、基本的にはポジティブかつ真摯なメッセージをラップしていた。
あるいは、政治的な主張や差別への抗議をラップするとかね。
ところが今回紹介する連中はとことん「悪」。
奴らの名はJ19 Squad.
まずは1曲聴いてくださいよ。ワルいぜー。 "Bandook"
物騒な感じの連中が大勢集まって、ナイフを持った男にピストルを突きつけたり、女性を拉致したり、銃をぶっ放したりしてる。なんてやばそうな奴らなんだ。
今まで紹介した中ではストリート寄りのBrodha VとかDIVINEと比べても、はるかに強烈かつ直球なギャングスタアピール。
ラップのスキルも高くて、それも言葉は分からないなりにも、俺たちとんでもないワルだぜ、って感じムンムンのラップをしている。
2:40くらいからの「誰も俺たちを止められないぜ、ハッハッハー!俺たちが誰だか分かってんだろ。J19スクワッドだ!」っていうブレイクのところも、ベタだけどカッコよく決まってる。
ひと気のない道でこんな人たちに会ったら、思わず用事を思い出したふりして引き返すね、アタクシは。
かと思えば、ボブ・マーリィに捧げる、ってな曲もやってたりする。
"Bholenath A Tribute to Bob Marley"
…あの、みなさんいきなり思いっきり大麻吸ってるんですけど。
なんかヒンドゥー寺院みたいなところで、連中、ひたすら大麻吸ってる。
歌詞は分からないけど、ボブ・マーリィ全然出てこないし。
コブラやシヴァ・リンガ(男根の象徴)と、シヴァ神のシンボルばかりが出てきて、トリビュート・トゥ・ボブというよりトリビュート・トゥ・シヴァといった感じのような気もするな。
っていうか、インドでも大麻って違法なはずだけど、こういうビデオをアップして大丈夫なんだろうか。
で、なかでも最高なのがコレ!
地元のシンガーと思われる、Rapperiya Baalamと共演している曲"Raja"(王)
いきなりラクダに乗った男が(彼がRapperiyaか?)、いい感じに訛りのきついラップをかます。
インドっぽいトラックにラップを乗せる、っていうのは今までもあったけど、これはヒップホップ色の強いトラックに民謡っぽい歌が乗る!
そんでラッパーたちは地元の移動遊園地を練り歩きながらラップしまくる。
このビデオ、本当に最高じゃないか!
ヒップホップのルーツの黒人っぽさはもはやゼロで、完全にインドのラージャスタンの空気なのに、それでいて完璧にヒップホップのヴァイブがある、と思いませんか?
なにしろ、革ジャンのラッパーとターバンを巻いてラクダに乗った男が何の違和感もなく共存している。
これはラージャスタンの砂漠の男たちがアメリカ生まれのヒップホップを飲み込んだ瞬間のドキュメンタリーだとも言えるんじゃないだろうか。
そんな彼らも地元ジョードプルは何よりも誇りに思ってる(言葉わからないけど、多分)。
こないだ書いたインド各地のご当地ラッパーの記事でも紹介した、地元ジョードプルを讃える歌(多分)、"Mharo Jodhpur"
それにしても、彼ら、毎回大勢で映っているけど、J19というだけあって19人組なんだろうか。
地元のラージャスターニー語でラップしている曲もあれば、ヒンディーでラップしている曲もある。
( Youtubeのタイトルに"Rajasthani Rap"とか"Hindi Rap"とか書かれている)
かと思えば、つい最近リリースされた曲は、なんと"Hindi Rock".
歌はラップだけど、まさかの生バンドだ。
いったいJ19 Squadとは何者なのか?
JはジョードプルのJ?
19は人数?
ラッパーと楽器部隊がいるの?
ギャングスタっぽいアピールはマジ?それともフィクション?
さほどメジャーなグループではないらしく、検索してもさっぱり分からないしインタビュー記事などもヒットしない。
謎は深まるばかり。
彼らにもインタビューのオファーをしてみようと思うのだけど、果たして返事は来るでしょうか?
乞うご期待!
2018年03月24日
律儀なBig Deal
ふだんはこんなことしないんだけど、彼のお母さんは日本人でもあるし、ひょっとしたらちゃんと書いたことが伝わることもあるかなあ、と思って。
そしたら、お返事をいただきました。
「記事アリガトウゴザイマス!僕にとってはかけがえのないことだよ。(※原文では"It truely means the world to me."こんな弱小ブログにこちらこそありがとうだよ) あなたのサポートに感謝します。いつか日本でもライブができたらいいな。この夢が叶いますように。あなたが知っている通り、僕の母は日本人で、去年の8月に日本に行ったんだ。重ねてありがとう。つながることができてうれしいよ」
とのこと。
なんて律儀なんだ。
それに対して、
「返信ありがとう。あなたのラップのポジティブなメッセージ、日本にも届いてます。 ところで、いくつか質問させてもらってもいい?Eminemとかシニカルなラッパーが好きだと伺ってるけど、いつもポジティブなアティテュードでいられるのはどうして?オディシャ州では小さい頃嫌なこともあったみたいだけど、地元をレペゼンする気持ちを持ち続けていられるのはどうして?」
と聞いてみると、こんな返事が返ってきた。
「そうだな。僕は多分、もともとポジティブな人間で、世界をポジティブにみるのが好きなんだ。うん、たしかに僕はEminemに影響を受けているけど、彼は僕にラップの仕方を教えてくれたって感じ。Kedrick LamerとかJ.Cole、Joyner Lucasみたいなまた別のラッパーたちが、僕が何についてラップすべきかとか、自分のストーリーを伝えるべきだってことを教えてくれたんだ。彼らの全員が、僕のキャリアを磨いていく上で大事な役割を果たしているよ。
子供の頃から、自分はずっとオディシャの一員でありたいと思ってきていた。たとえいじめられたり、外人だと思われたりしても。だから、"Mu Heli Odia"では、地元のみんなに『僕はオディシャの一員だし、自分のルーツに誇りを持ってる、みんなもそうすべきだ』ってことを見せたかったんだ。
僕のリリックを理解するために時間を割いてくれて本当にどうもありがとう」
Big Deal、本当になんていい奴なんだ。
インドのトップ3ラッパーの一人にも挙げられる彼からこんなに真摯な返事が来るとは思わなかったよ。
真剣に答えてくれてありがとう。
改めて彼に、
「あなたのラップはきっと日本でも大勢のファンができると思うよ。役に立てることは少ないかもだけど、 これからも君の音楽を紹介し続けるよ」と書いた。
ヒップホップというと、いかに悪いか、ヤバいか、とんがっているかを競う音楽という側面もあるし、それはそれで大いに魅力ではあるけれど、自分の感性に率直に、いかに逆境を克服したかを誇るのもまたヒップホップだと感じる。
「本当にありがとう。日本にファンベースができたらうれしいなって思ってるよ。唯一の問題は僕が英語でラップしているから言葉の壁があるってことなんだ。もし日本の音楽シーンにつながりがあったり、知っている人がいたら、僕の音楽を紹介してくれたらうれしいよ。それはすごく意味のあることだから。重ねてお礼を言うよ。アリガトウゴザイマス」
これを読んでいるあなたが音楽関係者でもそうでなくても、ぜひBig Dealの音楽を聴いてもらえたらアタクシもうれしいです。
日本でも英語圏のラッパーは人気があるし、言葉が必ずしも障壁になるっていうものでもないはず。
彼のスタイルだったらヒップホップだけじゃなくてロックやミクスチャーにも合いそうだし、いつか日本のアーティストの曲に彼がフィーチャーされているところなんかも聴くことができたら素敵なことだと思う。
彼の代表曲"One Kid".
英語でのフリースタイル。
自分の夢を叶える男、Big Dealがファーストアルバムを作るためのクラウドファウンディングを募る目的で作った動画がまたグッとくる。
それからこれは英語ではなくオディア語だけど、彼にとってとても大事な曲。
地元オディシャ州をレペゼンする、初のオディア語ラップソングMu Heli Odia.
それではみなさん、夢のある人はがんばりましょう。
ない人もそれなりにやっていきましょう。
時間をかけて読んでくれてどうもありがとう。
2018年03月07日
インドのコメディアン事情をほんのすこし紹介!
先日、都内で行われた国連関連のUN Womenという組織が主催したイベントに、インドのコメディアンが出演するというので見に行ってきた。
このチラシには記載が無いが、参加していたのは、ムンバイで活躍している南インド出身のコメディアンKunal Rao氏ら。
どうやらPriyank Mathurという人(インド系アメリカ人?)が主催するMythos Labsの監修のもと、笑いが平和構築や女性の地位向上のために役立つという趣旨で動画を作成しているということでの参加だったようだ。
その動画はいわゆる風刺というか皮肉というかが効いているタイプのやつで、毒気はないがナルホドといった出来なので、興味がある人はMythos Labsのページからどうぞ。
で、そのKunalさん、普段はどんなことやっているのかいな、と思ってYoutubeで探してみたら、これがとても面白かったので紹介します。
彼曰く、最近インドではコメディアンの人気が著しく、映画俳優よりも人気があるほど、とのこと。ほんまかいな。
いろいろやってるみたいだけど、今日はいわゆるスタンダップ・コメディスタイルのやつを紹介したいと思います。落語のマクラみたいな感じのやつです。
ではさっそく見てみましょう。
字幕も出るので、インド人の英語が苦手な方も安心。
まずは、海外旅行先でのインド人と、インド人のおもてなし精神をネタにしたこの動画から。
「海外旅行に行って問題なのは、インドに帰ってこなきゃいけないってことだよね」という自虐ネタから始り、海外旅行先でのインド人の意地の張り合いやクレイジーな行動をインドなまりのきっつい英語でまくし立てる。
エッフェル塔のくだりで出てくる「エッフェル塔はすばらしい!まるでライトのつくクトゥブ・ミーナールみたいだよ!」のクトゥブ・ミーナールというのは、1200年ごろに建築されたデリーにある世界最高のミナレット(モスクの尖塔)。
騒がしいインド英語で自慢しまくるのはパンジャーブ人という設定。やかましいパンジャーブ人というのはよくインドの定番ネタだ。
モロッコで食べた本場のハムス(フムス)、というのは、本当はトルコや中東が本場のゆでたヒヨコ豆をつぶしてペースト状にした料理。
「インドでもよくカレーに入れるチャナ(ヒヨコ豆)から作るんだぜー」と興奮してるけど、中東料理のハムスの本場をモロッコだと言っているのが、ネタなのか芸人さんの勘違いなのかはよく分からない。
そのあとの「インド人のホスピタリティーは最高だよな!」(実際その通り)っていうところからの、イギリスの植民地時代や1961年までポルトガル領だったゴアのネタもまた面白い!
最初に出てきたEast India Comedyというのは、Kunalが所属するコメディ・グループの名前で、これはEast India Company、いわゆる東インド会社からとったグループ名だと思われるが、インドの植民地時代〜独立運動を扱ったネタも彼らの鉄板みたいだ。
ところで、最初の「この中で海外旅行行ったことある人」との問いかけにかなりの声が上がるが、これがインド人の平均なのではなくて、いわゆるアッパーミドル以上の階層だということに留意されたい。(学者気取り)
彼らは、貧富の差や教育、英語力、あらゆる面で、毎日の労働に追われる地方の小作農や職人さん、リクシャー引きたちとは全く別の世界に暮らしていて、そのどちらもがインドだっていうことを忘れちゃいけないな、って思う。
またインドほどあらゆる意味で階層が分かれている社会だと、「平均」がさして意味を持たないということもつくづく感じる。
次のネタは、"Indian parents vs Indian kids"
前半の「最近の若い奴は」的な話は国籍を問わずありがちな話だけど、それをちゃんと笑えるネタにしているところはKunalの力量かな。
「Bro、さあパーティーしようぜえ!夕べのパーティーはマジ最高だったなあ!さあ飲もうぜー!」っていうアホな若者の演技が真に迫ってて笑える。
もちろん誇張してるんだろうけど、このネタを見るとインドの若者がアメリカあたりに影響されまくってるんだろうなあ、っていうのがよく分かる。
二つ目の「人んちの赤ん坊になんか興味ねえよ」って話も、国籍関係なく共感できて笑えるんじゃないでしょうか。
三つ目のインドの親の不器用な愛情の話もとてもよくできていて、これがいちばん笑えるかもしれない。
最近のインドの小説でも、親子の間のギャップや断絶というのはよく出てくるテーマで、それだけ現代とその親が育った時代とで、社会背景が大きく変化してきているということなんでしょう。
最後の"Simon go back"というのは、インド独立時に、イギリスがインド人を含まずに設置した「サイモン委員会」に対する非暴力の反発運動のこと。(こちらによくまとまっています)
Youtubeには上がってなかったけど、いちばん笑ったのはコレ。
ほとんど落語の名人のマクラ!
イベントのあとに、Kunal Rao氏とお話をする機会があり、インドの音楽シーンの話を振ってみたところ、「オレは本当はミュージシャンになりたかったんだ。でも才能がなかったからお笑いをやっているんだよ」とのこと。
ムンバイ出身ということでDIVINEの話題を出してみると「今度彼の半生が映画になるんだよ。今年公開でGully Gangっていうタイトルなんだ」とのことで、最近DIVINEがSNSでやたらと#GULLYGANGと書いていたのを不思議に思っていたのだが、思いがけず謎が解けたのだった。
イベントの趣旨が「笑いが様々な差異を乗り越え、平和に貢献する」みたいな内容だったのだがKunal氏、「音楽こそがそういった価値を持っているよ。イギリスにいたとき、マドンナやU2のライブに行ったんだけど、客席を振り返ってみると、あらゆる人種の観客が音楽でひとつになっているのが分かるんだ。本当に音楽の力を感じたよ」とも語っていた。
ちなみにイベント中、もっとも笑いをかっさらっていたのは、日本代表ピコ太郎!
打ち上げの席に現れるとあらゆる国籍の人が彼と写真を撮るために整然と列を作り、その姿はまるで救世主のようだった。本当に人気者なんだなあ、と少し感動しちゃいましたよ。
メッセージや風刺を含んだ笑いよりも、無意味かつ感覚的な笑いのほうがボーダーレスだということが、図らずも明らかになったのでした。
他にもインドには面白いコメディアンの人がたくさんいるようなので、また改めて紹介しますね。
そんでは。
2018年03月04日
逆輸入フィーメイル・ラッパーその1 Raja Kumari
ところが、活躍しているのはまだまだ男性が中心で、女性ラッパーの数は非常に少なく、その数少ない女性ラッパーも、インド育ちというわけではなくて、イギリスやアメリカで生まれたり育ったりしたアーティストだ。
(インド国内でもこの現状を気にしている人がいるみたいで、こんな記事も見つけた)
今回紹介するRaja Kumariもその中の一人で、彼女はカリフォルニア生まれのテルグ系(つまりアーンドラ・プラデーシュ州あたり)インド人。
インド人といっても国籍はアメリカ合衆国なのでインド人というよりもインド系アメリカ人と呼ぶべきか。
いわゆる「在外インド人」のことをインドではNRI(Non-Resicent Indians)と呼ぶが、彼女のように外国籍の場合はPIO(Persons of Indian Origen)と呼ばれたりもする。
Raja Kumariという名前は、本名のSvetha Yellapragada Raoが発音しにくいことからつけられた名前で、サンスクリット語で"Princess"を意味する言葉だ。
Fugeesでヒップホップに出会った彼女はアメリカでラッパーとしての活動を始め、Gwen StefaniやFall Out Boy、Iggy Azaleaといった有名アーティストとのコラボレーションを経た後、活動の中心をインドに移して活躍している。
アメリカ仕込みの本場のラップやR&Bが歌える彼女はインドで引く手数多で、このブログでも紹介してきたDIVINEやBadalとの共演で注目を集めている。
確かに、都市部の若者の価値観が変わってきているとはいえ、インド生まれでここまでタフな女性像が表現できる人材はなかなかいないだろうから、重宝されるのも納得。
一方で、やはりというか、Youtubeのコメント欄を見ると「彼女はインドの文化を破壊している」みたいなコメントもあったりする。
ソロで出している曲はこんな感じ。
格好はインドっぽいけど、曲や歌は極めてアメリカの女性ラッパー/R&Bシンガー的だ
続いての「Believe in you」では子供時代の映像も入って、インド色が大幅に増加。
アメリカのR&B側から見ると、リズムとかトラックにインドを感じるのかもしれないけど、インドの音楽ばっかり聴いている側から言わせてもらうと、やっぱり歌は完全にアメリカのR&Bのものだと感じる。
さらに曲調でもインド色をぐっと出してきた「Meera」
R&B的な歌い回しとインドっぽい歌い回しが交互に出てくる面白い曲で、最大の聴きどころは2:40頃から始まるインドのリズムとラップの融合!
欧米のアーティストとの共演はこんな感じだ。
デトロイトの女性シンガー、Janine the Machineとの共演。High Placesという曲。
カリフォルニアの女性シンガーソングライター、Eden XOとの共演。
多少ださいが気にしないで聴いていただくと、途中で1:30頃から、ここでもインドっぽい節回しの英語ラップが始まる。このラップについては後で詳述。
踊りながら演奏するフュージョンバイオリニストとして一部で有名らしい、Lindsey Stirlingという人との共演。
ビデオには出てこないが後ろのスキャットがRaja Kumariと思われ、一瞬バイオリンとの掛け合いもある。これもこういう音楽の常で曲がださいのはご愛嬌。
ソングライティングでのコラボはWikipediaから曲目のリストが見られるので、興味のある方はYoutubeなどで聴いてみてください。
ちなみにIggy AzaleaとかFall Out Boyとの共作曲は1億ビュー越えとなっている。
ところで、こうして続けて見てみると、彼女はインドでの作品ではアメリカの本場のR&B的要素を、欧米のミュージシャンとの共演ではインド的な要素を求められていて、それぞれのケースでそれが彼女の強みになっていることが分かる
さらに、彼女が「本場色」の強いラップ/R&Bを歌ってきているにも関わらず、ビジュアル的なイメージでは常に非常にインドの要素を強く打ち出していることもとても印象に残る。
ストリートっぽい格好をしているときもアクセサリーやなんかでインド色を加えていて、インドのラッパー達が、服装の面では完全に欧米化しているのとは非常に対照的だ。
DIVINEと共演している"City Slums"の歌詞では、こんなフレーズも出てくる。
I go harder than anybody 私は誰よりも強烈
Daughter of the king American dream キング・アメリカン・ドリームの娘
Phir bhi dil mein hindustani でも心はインド人のまま(※ここのみヒンディー語)
So don't misunderstand me だから誤解しないで
I do it for the people 私はみんなのために歌ってる
Yes I do it for my family, mainly そう、主に私のファミリーたちのために
"king American dream"っていうのは、自分の芸名(王の娘)とかけて、アメリカでミュージシャンとしてのキャリアをスタートしたことを表現しているんだろう。
でも心までアメリカに染まってしまったわけではないよ、心はインド人だし、インドのみんなのために歌ってるんだよ、ってことを言っている。
こうしたリリックや彼女のビジュアルイメージは、アメリカではアイデンティティの表明として、インドでは「私はアメリカ人になってしまったのではなく、あなたたちの仲間」というメッセージとして機能していると見ることもできるだろう。
というのも、アメリカに移住するインド人は、時として成功の象徴としてインドでのやっかみの対象になったり、頭脳流出として社会問題として捉えられることもあるからだ。
もっとも、彼女の「インドアピール」はマーケットのために作られたものというわけではなく、実際にアメリカ生まれながらインドの伝統を大事にする家庭に育てられたようで、このドキュメンタリーを見ると彼女のバックグラウンドがよく分かる。
とくに面白いのは1:30あたりからの部分。
彼女が幼い頃に習ったインドの伝統舞踊のリズムに英語を乗せるとラップになる!というところ。
彼女が言う通り、我々日本のリスナーにとってもSo exciting!な発見だ。
バンガロールでBrodha Vがヒンドゥーの讃歌のラップ性を見つけたのと同じことを地球の反対側から発見したとも言えるかもしれなくて、インドのヒップホップの固有性を考える上でもとても重要な視点ではないだろうか。
インドのリズムとラップのミクスチャーというのは非常に面白いテーマなので、いずれもっと掘り下げて書いてみることにします。
このRaja Kumariさん、今後インドではますます活躍することと思うけど、アメリカ生まれである彼女がアメリカに再逆輸入されて、国籍上の母国でもこの個性が評価されてほしいな、と切に願っています。
さて、今回のタイトルで「その1」と書いたけど、じつは思い当たる人は他にもう1人しかいなくて、それはイギリス育ちのHard Kaurさんという人。
それはまた別のお話、ということで、今日はこのへんで!
2018年01月15日
Rolling Stone Indiaが選ぶ2017年ベストミュージックビデオ10選
Rolling Stone Indiaが2017年のベストアルバムに続いて、2017年のベストミュージックビデオを発表した。(記事はこちら)
選考基準は、映画の映像をそのまま使用した挿入歌・主題歌は除く楽曲ということのようだ。
ミュージシャン名と都市・ジャンルを添えて紹介します。
1. Run Pussy Run: “Roaches” プネー ロック
同じくプネーのLMB Production所属の映像作家Anurag Ramgopalによる作品とのこと。
Rolling Stone Indiaによると「freak funk group」だそうで、他の曲もリズミカルでセンス良さげな歌と演奏のバンドだ。
ゴキブリっていえば、昔コルカタの安宿のドミトリーで、バックパックにものすごく大きなゴキブリがとまってたのを見つけて、サンダルで横から引っぱたいたら、びゅーんって飛んでって、少し離れたところの欧米人のリュックにくっついた。
荷物の持ち主が連れと談笑してたので、言いだすのもなんだな、と思って様子を見てたら、しばらくして気がついて「ギャーオ!コックローチ!」て大騒ぎしてた。
ゴキブリって国籍を問わずこの扱いなんだなあと思ったものです。
記事に、この昆虫が苦手な人は見ないでね、みたいなことが書いてあったけど、インドでもゴキブリ嫌い、虫嫌いって人がいるんだなあ、としみじみ。
2. Blushing Satellite: “Who Am I?” バンガロール ロック
アイデンティティの危機をテーマにしたビデオとのことで、正直、他の国のミュージックビデオで似たようなものを見たことがあるような気がするけど、こういう「イギリスかアメリカのバンドみたいな内省的なロックのサウンドで『自分とは何者か』という問いかけを歌う文化圏」にインドも入っているのだなあ、と再びしみじみ。
3. The Local Train: “Khudi” デリー ロック
ヒンディーロックと言っているけれど、言葉がヒンディー語なだけでサウンドは英米風の爽快なロックだ。
バイクが好きで自分のバイクでいろんなところを旅したいと思っているデリバリーのアルバイトが、仕事の合間に聞いたこのバンドの音楽と、ちょっとした事故をきっかけに、仕事を投げ出して自由に走り始める、というストーリーと思われる。
曲のブレイクと映像を合わせる小技も効いている。
クオリティの高い映像はVijesh Rajanという映画監督による作品で、India Film Project Awardsのミュージックビデオ部門で‘Platinum Film of the Year 2017’ を獲得したとのこと。
4. Parekh & Singh: “Ghost” コルカタ ポップ
コルカタのバンドはこのブログ始めて以来初なのではないだろうか。とはいえ無国籍風の幻想的ポップソング。
Peacefrogっていうロンドンのレーベルと契約しているこのバンドは、すでに日本での注目もそれなりにされているようで(ごめんよおじさんこの手の音楽に詳しくなくて)、こちらのサイトに詳しい。
なるほど、アタクシ映像にも詳しくないのだけど(何にも詳しくない笑)、このビデオはウェス・アンダーソン(ロイヤル・テネンバウムズとかダージリン急行の人か!)監督へのオマージュとのこと。
Rolling Stone Indiaによるとペットの犬を失った少女がいかに悲しみを乗り越えるかというストーリーとのこと。見ていて全然気づかなかった。(最初に持ってるのが犬の首輪だったのね)
自分の理解力の無さにだんだん心配になってきた…。
5. Pakshee: “Raah Piya” デリー フュージョンロック(インド音楽とのフュージョンね)
Rolling Stoneにしては珍しくインド色の強いバンドを扱っている。
ジャズ、フュージョン風な演奏とインド古典なヴォーカルの融合、と思っていたら途中でラップも入ってきてビックリ。
二人のヴォーカルはヒンドゥスターニーとカルナーティックというインドの北と南それぞれの伝統音楽のスタイルで歌っている。
映像に関しては、きれいだけど単にいろんな自然の中で演奏してるだけなんじゃ、という気がしないでもない。
それにしてもインドのバンドは6弦ベースが好きだなあ。
ベストアルバムと同様、映像のほうも極力インド的要素(ボリウッド的に大勢で舞い踊るみたいな)を排した、欧米的アーティスティックな作品が目立つセレクトとなっている。
長くなりそうなのでまずはこのへんで!