ヨギ・シン

2023年10月22日

ヨギ・シンとの対決(その2)


(前回までのあらすじ)
世界中に出没する謎のインド人占い師ヨギ・シンが再び東京に出没したという情報を得た私は、捜索の末、ついに本人との遭遇を果たした。
そして、世界を騙し続けて来た彼のトリックを見破ることに成功する。

前回の記事:



「見てくれ、これがインドにいる僕の瞑想(メディテーション)の先生だ」
(グルという言葉ではなく、ティーチャーという英単語を使っていたと記憶している)

彼が手帳から取り出した写真には、長髪に長い髭をたくわえたインド人男性が映っていた。
ターバンも巻いておらず、ヒンドゥー教の行者のように見えるが、額にシヴァ信仰やヴィシュヌ信仰を示す印はない。
インドでは決して珍しくはない修行僧風の格好だが、知らない人にとっては何かすごい仙人のように見えないこともないだろう。
要するに、彼はこの師匠のおかげで人の心が読めるようになったと言いたいらしい。

ここまでは彼のペースで話に付き合ってきたが、そろそろこちらが質問する番だ。
怪しまれないように、基本的なことから確認する。

「君はインド人なんだね?」
「そうだ」
「私はこれまで5回、インドに行ったことがある」

これは、今まで多くのインド人と話してきたやりとりだ。
彼が不審がることはないだろう。
案の定、彼は他のインド人と同じように私に聞き返してきた。

「行ったことがある場所は?」

「デリー、アーグラー、ヴァーラーナシー…」
訪れたことがある街の名前を羅列し始めると、彼はすぐにさえぎって、「僕はデリーの近くから来た」と答えた。
感じの良い笑顔を浮かべているものの、会話を楽しみたいというより早く話を先に進めたいようだ。
気づかないふりをして質問を続けた。

「デリーの近くってどのあたり?」
「パンジャーブだ」
「へえ、パンジャーブは行ったことがないな。いつか行ってみたいよ」

その言葉には答えずに、彼は手帳からもう1枚の写真を取り出した。
大勢の子供たちのまわりに、ターバンの男たちが映っている。

ヨギテンプル



「これが僕の寺院(マイ・テンプルと言っていた)。ここで親のいない子どもたちを支援している」

お決まりの展開だ。
彼が寄付を募ってくることは分かっていたが、こちらにも聞きたいことはたくさんある。

「あなたはシク教徒なの?」
「そうだ」
「つまり、この寺院(テンプル)はグルドワラ(シク寺院)なんだね」

グルドワラという、普通の日本人がなかなか知らないような単語を言ったらどんな反応をするか試してみたのだが、彼はペースを崩さず、

「そうだ。彼らはターバンを巻いているだろう」

と応じた。
シク教はパンジャーブで生まれた宗教で、男性が巻くターバンはそのシンボルだ。
しかしこの話を続けるつもりはないらしい。

彼は話の流れを無視してメディテーションやカルマの話題を出すと、口の中で私の名前が入った短い呪文のようなものを唱えた。
はっきりとは聞き取れなかったし、そもそもシク教の祈りの言葉がどんなものか私は知らないのだが、その祈りには、シヴァとか、いくつかヒンドゥー教っぽい単語が含まれていたように思えた。
私のために祈ったということなのだろうが、その短い祈りはいかにもとってつけたようで、説得力もありがたみも感じられなかった。

「ぜひ僕の寺院のために喜捨をしてほしい。お金を払ってくれたら、あなたにもっと大きな幸せが戻ってくる」

予想通りだ。
彼の機嫌を損ねないため、そして彼の「芸」へのリスペクトとして、多少のお金を払う覚悟はできていた。
一方で、いくら払ったとしても、彼がそれ以上の金額を要求してくることも分かっていた。
そこで私は、あらかじめ余分な紙幣をかばんの奥にしまって、千円札1枚だけを財布に残していた。

「今これしかないんだ」

と財布の中身が見えるように千円札を取り出して渡すと、彼は手帳を開いて、

Poor 30,000   Middle 60,000   Rich 90,000

と書かれたページを示した。

「貧乏人でも30,000円が相場だ」

人懐こい笑顔のままそう主張する彼を見て思った。

彼はまだ未熟なのだ。
手練の詐欺師や商売人なら、ここはいかにも不満そうに「インドのありがたい秘術に対してこれっぽっちか。お前は何と言う失礼なやつなんだ」という態度を取るところだ。
相手に後ろめたい気持ちを植え付けて、もっとお金を払わせるためだ。
もし彼が、今の人あたりの良さとそういった図太さをうまく使い分けられたら、かなり手強いヨギ・シンになれそうなのだが、残念なことに(私にとっては幸運なことに)今の彼にその技量はない。
それにしても、この貧乏人、中流、金持ちと3パターンの勝手な値段を示すやり方、勝手に祈って寄付を募るインドのインチキ宗教家の常套手段なのだが、教科書でもあるのだろうか?

「今これしか持ってないんだよ」

「1,000円ではほんの小さな支援しかできない。もっと継続した支援が必要なんだ。なぜ他の人ではなくあなたに声をかけたか分かるか? あなたの額から良い人のオーラが出ていたからだ。キャッシュマシーンでお金をおろしてきてくれないか」

「いや1,000円で十分だろう。そもそも貧乏人でも30,000円払うなんてありえない」

「カルマを知っているか? この寺院に寄付をすれば、それは良いカルマになって戻ってくる。もしあなたのお母さんの名前を当てることができたら、30,000円払ってくれるか?」

全て予想通りの言葉だ。
ここであまりにも明確に拒絶したら彼は立ち去ってしまうかもしれないし、払うかどうか悩んでいる様子を見せたら逆につけこまれるだろう。
だが、彼はまだ若く、手練のインド商人のようなしたたかさはない。
もっとこちらのペースで話を進められるかもしれない。

「いくつか質問をさせてもらえるかな? 君の名前は?」

私は、当然彼が「ヨギ・シン」と答えることを予想していたのだが、彼が名乗った名前はまったく別の、あるミュージシャン(彼もシク教徒だ)と同じ名前だった。

ところで、私の目的は悪質な外国人詐欺師への注意喚起ではなく(私は彼らの行動を詐欺だとはあまり思っていない)、純粋な好奇心なので、ここで彼の本名かもしれない名前を晒すのは本意ではない。
彼の名前を仮にプラディープとしておく。

「プラディープ、君は日本に住んでいるの?」

「世界中を旅している。月曜日には東京を発つんだ」

本当かどうかはともかく、彼は聞いたことには答えてくれるようだ。
ここで思い切って核心をつく質問をしてみた。

「じつは君みたいな占い師に会ったという人が世界中にいると聞いていて、自分も会ってみたいと思っていた。君たちは世界中でこういうことをやっているんだろう? 君はシンガポールやメルボルン(どちらもヨギ・シンの出没がよく報告される)にも行ったことがある?」

この質問に対して、彼はあからさまに狼狽するようなことはなかったが、ちょっと困惑した様子で「ノー」と答えた。

「ずっと旅しているわけではなく、いつもは寺でメディテーションをしている」

「それで世界中を旅して、寄付(donation)を募っているの?」

「いや、寄付を求めているんじゃない。人々を導いているんだ」

どんなこだわりがあるのか分からないが、寺院や子どもたちへの寄付を募ることが目的なのではなく、瞑想を通して人々を導くことが大事なのだというのが彼の理屈のようだ。

「なぜ東京を選んだの?」

「美しい場所だと聞いていたから」

「これまでに行ったことがある場所は?」

「台湾とヨーロッパ。スイスとドイツとパリに行ったことがある」

じゃあ、記念に一緒に写真を撮ろうと言うと、一瞬躊躇したようにも見えたが、断るのも不自然だと思ったのだか、セルフィーに応じてくれた。
彼にとって写真を撮られるのは望ましくないはずだ。
ネットで公開されたり、警察に届け出られたりするリスクがあるからだ。
前述の理由(晒すのが目的ではない)で、やはりここには載せないが、あとで見たら笑顔で写っている自分とは対照的に、彼はこわばった表情をしていた。

「パンジャーブから来たと聞いたけど、パンジャーブのどこの出身?」

「アムリトサル」

「黄金寺院(ゴールデン・テンプル)があるシク教の聖地だね」

「そう。ハリマンディル・サーヒブ(黄金寺院のパンジャービー語名)がある」

彼の答えが本当かどうか知るすべはないが、私は否定せずに聞きながら、彼ら(つまりインド人、シク教徒、そして、ヨギ・シン)に理解があることと、敵意がないことを示そうとしていた。
ここまでの反応を見る限り、どうやら彼が急に心を閉ざして立ち去ってしまうということもなさそうだ。
そう判断して、勇気を出していちばん聞きたかったことを聞いてみる。
彼の出自、正体だ。

「ところで、君は'B'というコミュニティの出身なのか?」

しばしの沈黙ののち、彼は「ノー」と答えた。

'B'というのは、以前の調査で判明したヨギ・シンの正体と目される、もともと路上の占い師をしていたと言われるシク教徒のコミュニティ(いわゆるカースト)である。
シク教は本来はカースト制度を認めていないのだが、実際にはカーストにあたるコミュニティごとの順列があり、'B'は低い地位とみなされているらしい。
こうしたインドの伝統的な身分制度にかかわる話題はデリケートなので、カーストという言葉は使わなかった(そのため、ここでもそのコミュニティ名は伏せ字とする)。

ノーと答えた後で、彼は独り言のように「'B'...」(コミュニティ名)と復唱すると、こう聞き返してきた。

「なぜそんなことを聞くんだ?」

この反応が、「どうしてそのことを知っているのか」という狼狽を意味するのか、それとも私の質問が的はずれで戸惑っていただけなのかは分からない。

「じつは、君のような不思議な占い師が世界中に出没していると聞いて、とても興味が湧いたんだ。そこで本やインターネットで何年もかけて調べた。そこで、あなたのような占い師が'B'というコミュニティ出身らしいということを知った。悪く言うつもりはない。すごいことだし、興味深いと思っている」

私が「調査(リサーチ)した」という言葉を発した時、彼はまた先程と同じように「リサーチ…」とつぶやいた。
単に繰り返しただけなのか「まさかそこまで調べたのか」という意味だったのかは、やはり分からない。
'B'ではないと言う彼に、質問を続けた。

「では、君のコミュニティはみんなこういった占いをするのか」

「これは自分の信仰(レリジョン)なんだ」

私は彼が道端で行っているテクニックに対して「占い(フォーチュンテリング)」という単語を使っていたが、彼は一度も「フォーチュンテリング」とは言わずに、最後まで「メディテーション」という言葉を使い、こでは宗教/信仰(レリジョン)と回答した。
率直に言って彼がいつも寺院で瞑想をしているというのは嘘だと思うが、この言葉選びには何かこだわりがあるのかもしれない。


「シク教徒全員がこういう占いをするわけではないだろう? あなたみたいな占い師が100年前から世界中に出没していると聞いている。あなたのお父さんも、そのお父さんも、ずっとこの占いをやっているのか?」

「そうだ。父も。その父も。これは…(聞き取り不能)だ」

彼が聞いたことのない単語を発したので、アルファベットの綴りを書いてもらったところ、それは'puchtani'という、パンジャービー語の言葉だそうだ。
あとで検索してみると、ヒンディー語の「先祖から伝わる伝統」「生まれ育った故郷」という意味の単語がヒットした。
パンジャービー語とヒンディー語は近い言語なので、同じような意味の可能性が高い。

「東京にはどれくらい滞在しているの?」

「10日間」

これもあとで調べて分かったことだが、X (旧twitter)上で、東京でのヨギ・シンとの遭遇と思われるもっとも早い投稿は10月7日だった。
この日が10月14日、彼が東京を発つと言っていた月曜日は10月16日なので、これは本当のことを言っているようだ。

「一人で来ているの? それとも家族と来ているの?」

「一人だ」

これはおそらく事実ではない。
ここ数日の間に、この界隈で彼とは別にもう一人、中年でターバン姿のヨギ・シンが目撃されている。
なぜ彼がここで嘘をついたのかは分からない。
余計な詮索から仲間を守ろうとしたのだろうか。

「この近くに滞在しているの?」

「そうだ」

順番は多少異なっている可能性があるが、彼との会話はこんなふうに進んでいた。
順調に聞き込みが進んでいるように思えるかもしれないが、彼はこの間にも「もっと払う気はないのか」とか「あなたの母親の名前をあてたら30,000円払ってくれるか?」としつこかった。
それを、「ノー」とか「今お金ないの見せたでしょ」とかかわしながら質問を続けていたのだ。
結局のところ、彼はやっぱりお金が目的なのだろう。

会話のなかで「連絡先を教えてほしい」と頼んでみると、彼はメールアドレスとwhatsapp(インド人がよく使うLINEのようなアプリ)の連絡先を教えてくれた。
2日前にプラディープと思われる占い師との遭遇を報告してくれたSIさんにも、彼は「メールアドレスを伝えるからなにか困ったことがあればまた連絡が欲しい」と伝えていたという。
あわよくば再び会ってお金をもらおうという魂胆があるのかもしれない。
つまり、また別の機会に会って聞くこともできるということだ。
あまりしつこくして、そのチャンスすら失ってしまったら元も子もない。
もしかしたら、彼が帰国した後もwhatsappで情報を得ることができる可能性もある。
今にして思えば、このタイミングでそんな考えが頭をよぎったのは、極度の緊張と駆け引きで疲れてしまっていたからだろう。
何を聞いても一言しか返さない彼に対して、お金の話題を出されないよう、間を空けずに質問を考えながら話すのは、かなり神経を使うやりとりだった。

彼もまた、この男はこれ以上金を払うことはなさそうだという判断をしたのだろうか。
会話のテンポも弾まなくなった頃、どちらからともなく、ごく自然と別れの挨拶が交わされた。

彼は最後まで感じの良い笑顔で手を差し出し、握手をすると、「See you」と言って東京駅のほうへと歩いて行った。

どっと疲れが出て、ため息をつく。
ついさっきまで起こっていたことに、いまだに現実感が湧かない。
世界中に出没する謎の占い師、ヨギ・シンの存在に気づき、彼を探し始めて10年。
とうとうヨギ・シンに声をかけられて、占いを体験し、そしていろいろなことを聞くことができた。
若きヨギ・シンことプラディープとの会話ひとつひとつを反芻する。
パンジャーブ出身。
世界中を旅している。
代々占い師の家系の出身。
このあたりは予想通りと言っていいだろう。

だが、結局のところ、ヨギ・シンとはいったい何者なのだろうか。

彼らは何人くらいいるのか。
彼らはもともとどこから来たのか。
どうしてみんなヨギ・シンと名乗るのか(プラディープはそうではなかったが)。

まだまだ聞けていないことがたくさんある。

連絡先を教えてくれたからと言って、また会えるという確証はない。
質問を送っても無視されるだけかもしれない。
そう思うと、またしても絶好の機会を逸してしまったのだという後悔の念が押し寄せてきて、愕然とした。

今ならまだ彼は近くにいるかもしれない。
急いでwhatsappでメッセージを送る。

「もしまだ時間があるなら、晩ごはんでも食べないか?」

しかし返信が来ないどころか、いつまでたっても既読にすらならない。
whatsappの通話機能で呼びかけてみるが、反応はなく、呼び出し音が鳴るだけだ。

やってしまった!
前回の遭遇のあと、私は次に会うことができたら、なんとかしてヨギ・シンとの関係を構築し、彼らが本当は何を考えているのかを知ろうと決意していた。
あれから4年が経ち、すっかり忘れた頃の急な来日。
さらに、あまりにも簡単に会えてしまったことで、しっかりとしたプランを立てることなく彼との対面を迎え、そして終えてしまった。

返事を待ちながら1時間ほど過ごしたが、全く音沙汰がなく、失意のうちに帰路につく頃、携帯が振動した。
プラディープからの返信だ。

「今日はもう部屋に帰ってしまったから無理だ。明日ではどうだ?」


(つづき)



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2023年10月18日

ヨギ・シンとの対決(その1)


これまでのヨギ・シンに関する記事:



前回の記事:



謎のインド人占い師、ヨギ・シンが再び東京に出没している!
10月12日(木)にその情報を得た私は、翌13日(金)の仕事帰りに、さっそく同エリアを捜索した。
前回同様、遭遇報告は丸の内〜大手町のごく狭いエリアに限られている。
しかし、1時間ほどくまなく歩いても、怪しげな占い師の姿は見あたらない。
これまでの報告では、暗くなってからの遭遇事例はなかった。
時間帯が悪かったのかもしれない。


翌14日、土曜日。
この日は昼過ぎに捜索を開始した。
東京駅の丸の内北口を出た私は、大手町から丸の内エリアを歩き回ったのち、念のため4月に目撃情報があった銀座にも足を伸ばした。
しかし歩行者天国となっている銀座通りはかなりの人出で、また裏道は歩道が狭くて、いずれにしても彼の「占い」が満足にできる環境ではない。

再び丸の内エリアに戻ったが、ここも空振り。
そうこうしているうちに時刻は午後5時半を過ぎ、かなり暗くなってきた。
あきらめて家路に着こうと、東京駅のレンガ駅舎前の広場に続く横断歩道を渡ろうとした、ちょうどその時だった。

視線の先で、インド系の男性がベンチに座っている日本人の若者に声をかけている。
その男は、ターバンは巻いておらず、少し長い髪を後ろで留めていた。
細身で、身長は170センチ程度。
とても若く、歳の頃は二十代前半くらいだろうか、まだ学生のように見え、その手にはヨギ・シンの商売道具でもある手帳を持っている。

その姿は、ブログに情報を寄せてくれたSIさんの報告にあった「身長170〜175センチほどで、ヒゲなし、ターバンなしの清潔感のある好青年」とほとんど一致している。
怪しげな占い師の雰囲気はまったくなく、ハンサムで人の良い若者といった印象で、もしヨギ・シンを探していなければ、彼はフレンドリーな旅行者のように見えたことだろう。
しかし、よく見ると、ポケットには収まらない大きさの革製の手帳を手にしているのにカバンを持っていないのが不自然で、銀座で何人も見かけた南アジア系の観光客とは明らかに異なる雰囲気を醸し出していた。

声をかけられた若者は、困惑しながらも「悪い人ではなさそうだ」と感じたようで、若干こわばった笑顔で応じている。

そっと近づいて、数メートル離れたところに腰掛け、様子を見る。
気づかれないように視線を向けると、このヨギ・シンらしき若い男は、もみあげからあごや鼻の下まで、短く整えられた髭を生やしている。
このヒゲがSIさんの報告と一致しない唯一の点だが、華奢で物腰が柔らかい彼からは「ヒゲ面のインド人」として連想されるような押しが強い印象はまったくない。
彼の短いヒゲがSIさんの記憶に残らなかったとしても、不思議ではない。

座った場所からは二人の会話はかすかにしか聞こえないが、どうやら手帳を手にした男は「メディテーション」とか「カルマ」とか言っているようだ。
さらに彼は革製の手帳を開いて、写真を見せたり、何かを書いたりしている。
ヨギ・シンに間違いなさそうだ。
気づかれないようにするため、直視することも近づくこともできないのがもどかしい。

しばらくすると、日本人の青年が驚いたように「マジックみたいだ」と言うのが聞こえた。
彼がヨギ・シンであることはもう疑いの余地がない。
自分の鼓動が急速に早くなるのが分かった。
何年も探し求めていた光景が目の前で展開されていることが、あまりにも非現実的で、信じられなかった。

前回の遭遇では、こちらから声をかけて詮索したせいで、ヨギ・シンに怪しまれて逃げられてしまった。
今回は絶対に気づかれないようにしなくてはならない。
だが、この若いインド系の男は、目の前の青年と話すのに夢中で、周囲にまで注意が及んでいないようだった。
そっと立ち上がり、東京駅の駅舎と周囲の景色を撮影するふりをして、彼の姿を撮影することに成功。
短い動画も撮影することができた。
できるだけ落ち着いて行動していても、脈拍は階段をダッシュで駆け上がった後のようになっている。

しばらくすると二人は立ち上がり、簡単な別れの挨拶をして、別々の方向に歩いて行った。
日本人の若者が彼にお金を払ったかどうかは分からないが、少なくともしつこい要求に声を荒げたり、機嫌を悪くしたりはしていないようだ。
日本人青年は私の目の前を通り過ぎて信号を渡り日比谷方面へ、そしてインド系の男は反対に駅前広場のほうへ歩いてゆく。

日本人青年に声をかけて、今起きたことを詳しく聞くべきか、それともヨギ・シンらしき若者を追うべきか。
一瞬迷ったが、「本物」と会える千載一遇のチャンス。ここはヨギ・シンを追うしかない。
すっかり暗くなった広場で、気づかれないように、しかし見失わないようにインド系の男を目で追うことにした。

彼は広場の真ん中らへんまで歩くと立ち止まって周囲を見渡し、次に声をかける相手を探しているようだった。
私はさっきの日本人青年が座っていた場所に腰を下ろし、彼の様子を見ながら、退屈そうにスマホをいじるふりをしていた。

やはりこの場所が声をかけやすいスポットだったのだろうか。
他のベンチの近くをひと通り歩き回った彼は、なんとこちらに向かって近づいて来た!
どうやら次のターゲットを私に決めたようだ。
絶対に怪しまれないように、手元のスマホを凝視するふりをする。

ほんの2、3メートルのところまで彼が来た時、まるで今気づいたかのように顔を上げると、彼は人懐っこい笑顔で声をかけてきた。
その第一声は、もちろんあの言葉だ。

「You have a lucky face.」

この唐突な言葉にどう答えるのが正解なのかいまだに分からないが、私は「よく分からないけど、あなたの言葉をポジティブに受け取っているよ」といった感じで

「Thank you.」

と答えた。

彼は、笑顔で自分の額のあたりを指しながら「あなたの額からオーラが出ている」と言うと、「自分はmeditation studentだからそれが分かった。あなたはいい人だが、ときに考えすぎるところがある」
と続けた。

どれも過去の遭遇報告やネット上の投稿で読んだヨギ・シンのフレーズだ。
これは現実なのだろうか。
私は興奮とも緊張ともつかない精神状態だが、当然ながら彼はそのことを知らない。

笑顔だがテンポよく話を進めている彼は、こちらに言葉を挟む余地を与えないようにしているのだろう。
彼の英語にはインド人特有の訛りがあり、慣れていない人にはかなり聞き取りにくいだろうが、幸い私はインド人の英語には慣れているほうだし、何より彼がこれから何を話し、何をするのかを知っている。
次に発した言葉は、これまでの報告で読んだことがないものだったが、彼がしようとしていることはすぐに分かった。

「あなたの目を見せてくれ。あなたのことを読んでみる(caliculate youという表現を使っていた)」

ハンサムで人の良さそうな彼の目に胡散臭さはまったく感じられないが、彼はこれから私を騙そうとしているのだ。
いや、私がそう気づいていることを彼は知らないのだから、私が彼を騙そうとしているのだろうか。
彼は、私の目を見ながら、手帳を下敷きにして何かを書きつけている。
私の心を読んで分かったことを書いているという演出なのだろう。
彼はその紙を丸めて私に渡すと、それを手で握りしめるように言った。

いよいよ彼の「占い」が始まる。

「あなたの名前を教えてくれ(Can I have your good name?)」

この「グッドネーム」という言い方はインド人特有の言い回しで、ヒンディー語のフレーズを直訳したものだと聞いたことがある。

本名を答えると、日本人の名前に馴染みのない彼は、
「K...?」
と尋ねてきた。
「心が読めるなら、綴りも分かるはずだろう」とは言わない。
アルファベットを1文字ずつ発音して伝えると、彼は手帳を下敷きに、それを手元の別の紙に書き留めた。
最初に渡された紙はずっと握ったままで、彼がすり替えそうな兆候はない、。

次に彼は、
「何月生まれだ?」
と尋ねた。 

「1月(ジャニュアリー)」と答えると、彼は「ジャニュアリーだな」と確認してまたメモをする。

続いての質問は「好きな花は?」

何と答えようか迷ったが、バラ(rose)とかよりも文字数の多い花のほうがボロが出るかもしれないと思って「チェリー・ブロッサム」と回答。
彼はまた私の答えを復唱してメモを取る。
最初に渡された紙は、まだ私が握りしめている。

最後に彼は、
「あなたの望みは?」
と尋ねてきた。

「自分は十分幸せに暮らしているので、これ以上の望みはない」

と答えると、
「そうかもしれないが、健康とか、そういった望みが何かあるだろう(他にもいくつか例を挙げていたが、覚えていない)」と食い下がる。

適当に「じゃあ、健康(グッドヘルス)」と答えると、彼はまた確認して、メモを取る。

全ての質問を終えた彼は、わざとらしく、

「あなたは私が質問する前から、ずっとその紙を握っているね」

と聞いてきた。
こんなことを言うのは、彼がまだ若くて技術に自信がないからだろうか。

次の展開がわかっている私は、「イエス」と答えて紙を握っていた手を開いた。
その瞬間だ。
彼は、
「確かにあなたはこの紙をずっと握っていた」
と言って私の手のひらから一瞬紙をつまみ上げ、すぐに私の手に戻した。

このとき、注意深く観察していた私には、彼が手の中にもう一つ小さく丸めた紙を隠しているのが見えた。
そして、握った手の中指の内側のあたりに隠していたその紙を、素早く私が持っていた紙とすり替えたように見えた。

気づかれたことを知らない彼は、ペースを崩さずに「占い」を続けてゆく。
次に彼は、再びまるめた紙を握り、その拳をしばらく額にあてるよう指示した。
言われた通りにすると、今度は紙を握った手に息を吹きかけろと言う。

私が従うと、彼はようやく彼は握った紙を開くよう告げた。

予想通り、そこには1月(January)を意味すると思われるJanという文字、私の本名、そしてCherryという殴り書きと判別不能な3文字?が書かれている。

ヨギシンメモ


彼は自分の手元のメモを見せて、私の手のひらのメモと照らし合わせながら言った。

「ここに書かれているのはあなたの名前。生まれたのは1月。好きな花はCherry。(blossomまでは書かれていなかった)この一番下に書いてあるのは健康という意味だ。あなたが答える前からずっとこの紙を握っていたのに、答えが書かれているだろう」

最後の判読不能な文字について話した時、ちょっと気まずそうにも見えたのは気のせいだろうか。
反応しないのも不自然なので、適当にさっきの青年をまねて「マジックみたいだ」と言うと、彼は、
「マジックじゃない。メディテーションであなたの心を読んだんだ」
と答えた。


もうお気づきだろうが、彼のトリックはこういうことだ。
まず、私の目を覗き込んで、私の心を読んでいるふりをしながら、手元の紙に何かを書く。
当然ながら本当に私の心が読めているわけではないので、この時に書くのは何でもいい。というか、書いているふりだけすれば良い。

その紙を丸めて私に握らせてから、名前、誕生月、好きな花と望みを尋ねる。
彼は私の答えをメモしていたのだが、このときに大急ぎで2枚の紙に答えを書いていたのだろう。
(彼は手帳を下敷きのように使って、手元が見えないようにしていた)
1枚のメモを取るスピードで2枚分のメモを取るには、かなり素早く書かなければならない。
私が握っていた紙の文字が殴り書きで、最後の「健康」に至ってはまったく読めないほどだったのはそのためだ。
メモのひとつを気づかれないように丸めると、彼は私が手を開いた瞬間に「あなたはこの紙をずっと握っていたね」と確認するふりをして、私が握っていた紙とすり替えたのだ。

よくできているのはその後だ。
彼は私にもう一度紙を握らせると、ジェスチャーを交えてその拳を額にあてさせたり、息を吹きかけさせたりした。
この動きは、まるで特別な願いをこめるかのような印象的なものだ。
この一手間には、その前に紙をすり替えるためにした動きの記憶を消す効果がある。
紙を握った手を額に当て、さらにその手に息を吹きかけるという非日常的な動作に比べると、その前の「確かにこの紙を握っていたね」と一瞬手でつまむ動きは、道理にかなっていると言うか、ごく自然なものだから、その印象はすぐに薄れてしまう。

これまでヨギ・シンに会ったと報告した人たちは、みんな「自分はずっと紙を握っていた。すり替えるタイミングはなかった」と言っていた。
私が気づくことができたのは、何が起きるかを知っていたからだ。
彼らが二人以上でいる人に声をかけないのも、このトリックが他の一人に見破られてしまうリスクが高いからだろう。
全てのヨギ・シンがこの技を使うのかは分からないが、私が会ったヨギ・シンは間違いなくこのテクニックを使っていた。
ヨギ・シン、破れたり。

だが、私に見破られたことを知らない彼は、いつもと同じように、手帳に挟んだ写真を私に見せてきた。


(つづきはこちらから)




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2023年10月16日

ヨギ・シンふたたび東京に出現!



事態はいつも突然動く。
謎のインド人占い師ヨギ・シンのことである。

詳細は、こちらのリンクを読んでいただくとして(めちゃくちゃ長いのでお時間があるときにどうぞ)、かいつまんで話すと、世界中の都市に、不思議なインド人占い師が出没しているのである。
シク教徒と思われるその占い師は、街中で声をかけた人にまるめた紙を握らせてから、好きな色や好きな数字などを尋ねるという。
答えた後でその紙を開くと、信じられないことに、紙にはさっき回答した質問の答えが書かれているのだ。

「彼」は100年ほど前から世界中に出没していて、会った人の話によると年齢もさまざま。
多くの場合 'You have a lucky face.' と声をかけてくることで知られている。
「占い」のあとに寺院への寄付としてお金を要求すること、パンジャーブ出身の「ヨギ・シン」という名前を名乗ることといった共通点がある。つまり、同じような行為を世界中でおこなっている謎のグループが大昔から存在しているのだ。
私が調べたところでは、少なくともインターネット上や書籍にその謎に深く迫った情報はなかった。
21世紀に、誰も正体を知らない謎の集団がいる。
この不思議な事実に、私はどんどんのめり込んでいき、ブログに記事を書いた。
(このリンク先の1本目と2本目)

最初の事態が動いたのは2019年11月のこと。
彼らのことについて書いたブログに、丸の内で同じようなインド人の占い師に会ったというコメントが寄せられた。
その後数日の間に、多くの方から同様の情報が集まり、どうやら3人のヨギ・シンが丸の内付近で例の「占い」をしているらしいことが判明。
何度も足を運び、彼らの出没地帯の捜索を行ったところ、ついにヨギ・シンと思われる人物に遭遇!
しかし、接触方法を誤った私は、この怪しい占い師に思いっきり怪しまれ、逃げられてしまった。
こちらから声をかけてはいけなかったのだ。
私との遭遇以来、連日のように姿を現していたヨギ・シンたちは、二度と現れることはなかった。
痛恨の失敗である。


彼らとの接触の機会を失った私は、書籍やネットでの調査を開始した。
その結果、彼らのトリックは19世紀の本に書かれているマジックの技法で説明がつくこと(しかもそのトリックには「導師のからくり」を意味するインド由来の名前がつけられている)、彼らがシク教徒の保守的なマイノリティ・グループに属していること、インチキ占いでシク教徒の評判を落としていることに対して、同胞からも快く思われていないことなどが分かった。
しかし、そこで手詰まりである。

世界は新型コロナウイルスの蔓延を迎えた。
見ず知らずの人に至近距離で話しかけ、接触する彼らの「占い」は、感染リスクをともなう。
世界中で人の行き来が制限され、海外の都市で活動する彼らには致命的な状況になった。
果たして彼らはパンデミックを生き延びてくれるのか。
大いに心配だったのだが、コロナが一段落すると、昨年11月にパリで、今年の4月15日には銀座でヨギ・シンに遭遇したという報告が私のもとに届き、ほっと胸を撫で下ろしていた。

銀座の事例は、多くの人から報告が相次いだ丸の内の事例とは異なり、たった一人からの報告しかなく、捜索でも姿を見付けることができなかった。
おそらくはグループではなく単独での来日で、本業ではない小遣い稼ぎ的なものだったのかもしれない。


さて、次に事態が唐突に動いたのはつい先日、2023年10月12日。
ブログに「SIさん」という方から、同日に大手町で、同様の手口で占いをするインド人に遭遇したという報告が寄せられたのだ。
SIさんは、さらにX(旧ツイッター)で別にも同様の占い師に遭遇したという報告があると教えてくれた。
リンクを開くと、2日前の10月10日に、こんな投稿がされていたのだ。



間違いない。
ヨギ・シンだ。
私はSIさんにメールで遭遇時の詳しい状況を聞くと、快く返信してくれた。
ご本人の了解のもと、その内容を転載する。

遭遇場所は大手町の高層オフィスビル。
今回の「ヨギ・シン」は身長170〜175センチほどのターバンをしていない、ヒゲのない清潔感のある好青年といった印象だったそうである。
(一部、会社名や建物名については、軽刈田が固有名詞を変えています)


会議の合間の空き時間に上述のベンチで私は電子タバコを吸いながら休憩しておりました。
目線はスマートフォンにありましたが、人の気配を感じ隣に目をやったところ、すぐ横にはスーツを着たインド人が。
そのオフィスビルには大手商社や外資系IT企業が入っており、インド人が常日頃から出入りがあることはよく見かけておりましたので、なんの疑いもなく単なる人懐っこいタバコミュニケーションとして絡まれたのかと思っておりました。
彼の第一声は「You have a lucky face!」
(やり取りは全て英語でしたが以下日本語で書きます。)
そして続け様に自分の額を指差し、「君の額からいいオーラが出ている。来月良いことが訪れるよ!」と。
なんのことやらと思いながら適当に相槌と謝意を伝えると
「自分はMeditation studentです」と一礼。
どうやらこの類のスピリチュアルなことを学んできたので
オーラを感じることができると言いたいのでしょう。
そしておもむろに茶色い革製の手帳を取り出しました。
「僕のインドにいる師匠だ」と古びた写真を見せてきました。そこには白髪長髪・白髭の爺があぐらをかいて(座禅を組んで?)座っていました。あぐら姿勢でヒゲが股間付近まで伸びており、まるで印風麻原彰晃のようでした。
彼はおもむろに手帳の紙を破き、何かをそこに書き始めました。
そしてそれを渡され、「握りしめて一息吹きかけ、それを一度額にかざせ」と言う。とりあえず従ってやってみる。
何かが書かれた紙切れは右手に握りしめたままでした。
その後、「僕と君は今初めて会ったよね。お互いのこと何も知らないよね」ということを前提としてやたら強調してきます。(確かに1ミリも私はこのインド人のことを知りません)
インド人「名前を教えて」
私「○○(本名の下の名前だけ)です」
インド人「??」
(私の名前、長くて外国人にはやや難関なんです…)
私「スペルはこうかく」(アルファベット1文字ずつ言う)
インド人「次は誕生月を教えて」
私「12月です」
インド人「最後に1〜50の間で任意のラッキーナンバーを教えて」
私「4!」(頭の中で自分の誕生日の4日にするか妻の誕生日の5日にするか少し迷って答えました)
インド人「今教えてもらったことと、握っている紙に書いてることが一致してたら、来月いいことが起こるのは確実だよ」
そして私は手に握った紙を指示通り開いてみると、そこには
「(私の名前)/December/4」と書かれていました。
驚きです。ずっと紙切れは私の握り拳の中でしたし、
すり替えらにしてもどのタイミングですり替える余地があったのか、また、すり替えのためのミスディレクションもいつ行われたのか全く見当がつきません。
私が十分に驚きを見せた後、またまた茶色い革製の手帳を彼は開きました。
見せられたのは小学校低学年程度の子どもたちの集合写真。
それを見た瞬間すぐに察しがつきました。
インド人「僕は52人のインドの貧しい子どもたちを支援している。彼らは学校で勉強をしている。もし、彼らの教材の足しにするためにお金をくれたら彼らは君の幸運のために全員で祈りを捧げます」
正直私はそれが本当であろうが嘘であろうが、楽しませてもらったのでその占い代?手品代?としての対価は払ってもいいと思っていました。せいぜい1,000円程度ですが。
しかし生憎タバコを吸いに行っていただけなので財布を持ち歩いておらず、キャッシュが今ないことを伝えました。
インド人「ATMでおろしてもらえるなら待っている」
私「そもそも財布を持ち合わせていない」
インド人「お金持ち歩かないでどうやって今日一日ここまで来て過ごしていたの?」
私「時代はキャッシュレスでしょ。電子マネーオンリーよ。」
インド人「ではPayPalはやってる?もしくは子どもたちのために何か購入して欲しい」
私「PayPalはやっていない。購入はいいけど、何が欲しいの?」
インド人「彼らが学ぶツールにiPadを使いたいのでそれを買って欲しい。」
私「寄付にしては高すぎる。それは買えない。」
インド人「それ以上の幸運が来月君には返ってくるから、全然高くないよ。」
私「そういう問題ではなく、そもそも価格的にも買えないし、アップルストアに行く時間もない。」
インド人「ではもし私があなたのお母さんの名前を答えられたら買ってくれる?」
私「なぜお母さんの名前?意味がわからないが、そういう問題ではない。もっと手軽に1,000円程度で買えるもの。例えばコーヒー飲みたいとかチョコレートが食べたいとかそういうのだったらビルの中にも店があるし、すぐに買えるよ」
インド人「じゃあセブンイレブンに行かないか?」
私「OKそれならビルの中に入ってる」
やりとりののち、そのビルのB1フロアのセブンイレブンに入りました。
そこで彼はポッキーやキットカットなどと言ったチョコレート菓子を中心にセレクト。
途中途中で子どもが52人いるのでもう少し買ってもいいかと確認を取りながら図々しくカゴに詰めていきました。
最終的な会計は3,400円ほど。
会議の時間にすでに遅刻していた私は電子マネー決済だけして袋詰めの時間を待たず、レシートも受け取らぬままインド人をレジ前に残して足早にオフィスへ戻りました。
時刻は16:35頃。
計15分程度の時間でしたが、最終的な彼の謙虚さのない図々しい振る舞いや、会議までの時間が無いと言っているのに食い下がってくるところにイライラしました。
金額は大したこと無いものの、せっかく買ってあげるなら最後まで気分良く買いたかったものです。
もしかしたらその後レシートとともに返品し、現金化している可能性もなきにしもあらずですが、真相は不明です。
帰り際に、「メールアドレスを伝えるからなにか困ったことがあればまた連絡が欲しい」と言っていたのですが、すでに嫌気がさしていた私は断りをいれました。
軽刈田さんのことを知っていれば聞いておけばよかったなぁとも今は思っております。

'You have a lucky face'という第一声、「君の額からオーラが出ている」という言葉、そしてその後の不思議な「占い」。
さらには慈善団体への寄付を装ってお金の請求をすることなど、最後までヨギ・シンとは名乗らなかったようだが、明らかヨギ・シンの手口である。

さらにX(Twitter)に遭遇報告を上げていたRichardさんにも詳細を聞くと、以下のような返信が返ってきた。


これはターバン・ヒゲ無しで清潔感のある好青年だったというSIさんの報告とは明らかに違う人物だ。
今回も彼らは複数で行動しているらしい。
Richardさんのポストにコメントする形で遭遇報告をしていた「かぐばろん」さんからも返信があった。



これはおそらくSIさんが会ったのと同じヨギ・シンだろう。
「ペンパルがどうたら」というのはおそらくSIさんが書いていた「PayPalでお金を払ってほしい」という内容だと思われる。


今回の出没地点も、2019年同様に、大手町から丸の内のごく狭いエリアに限られているようだ。
この地域を重点的に捜索すれば、必ず会えるはずだ。
待ってろよ、ヨギ・シン。


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goshimasayama18 at 23:51|PermalinkComments(8)

2020年05月04日

ヨギ・シンの正体、そしてルーツに迫る(その2)

前回の記事では、とうとう判明した謎のインド人占い師「ヨギ・シン」の正体と思われるシク教徒のコミュニティー(カーストと言い換えても良い)'B'について書いた。
今回は、ヨギ・シンが'B'に所属しているとしたら、彼らはいったいどのように世界中に出没しているのか、そして彼らは本当に'B'の一員なのかという部分に迫ってみたい。



私が考える、「ヨギ・シン='B'説」は、このようなものだ。

20世紀中頃までにイギリス領をはじめとする世界中に渡った'B'たちは、祖国では低く見られていた生業を捨て、新しい職に就いて暮らすようになった。
最初の世代が移住してから長い年月が過ぎ去ったが、彼らは今でもインドに暮らす親族たちと深い絆で結ばれている。
インドで暮らす同胞たちのなかには、彼らの伝統である「辻占」の技術(それは多分にメンタリズムやマジックの技術を含むものだ)を受け継いだ者たちも残っていたとしても、不思議ではない。
彼らは、息子の進学や娘の結婚などのためにお金が必要になると、海外に暮らす親族のネットワークを頼って、「出稼ぎ」のために世界中の大都市に渡る。
だが、先進国では、労働ビザを持たない外国人が簡単に就くことができる仕事などない。
短い期間で大金を稼ぐには、富裕層を狙って彼らの伝統である占いを行うしか手段はなかった。
さあ、どこの国に出稼ぎに行こうか。
'B'のコミュニティーのなかで、話し合いが行われる。 
香港には、ついこないだまであの家のじいさんが行っていた。
ロンドンでは今となり村の叔父さんたちが「仕事」をしているところだ。
メルボルンには向こうの家の親父が行っていたが、「詐欺師に注意!」と報道されてしまったばかり。
よし、今まで誰も行っていない東京にしよう。
ちょうど、エンジニアをしている従兄弟の一人が、2年前から東京で暮らしているのだ。

「ヨギ・シン」たちは、こんなふうにして目的地を決めるのだろう。
占い師は、親族の住まいに身を寄せ、その街に暮らす親族に、占いに適した地域を尋ねる。
金払いの良い富裕層が集まっていること。
英語を理解する教育程度の高い人間が多いこと。
そして、見慣れない異国の人間が歩いていても、怪しまれないこと。
彼らが安心して活動するには、少なくともこういった条件が必要だ。
先住の'B'は、ちょっと迷惑だなと感じながらも、故郷から来た時代遅れの親類に、寝床を提供して、助言を与える。
伝統を大事にしている自分たちのコミュニティーでは、娘の結婚に持参金が必要なことも、この忌むべき生業から抜け出すには高い学歴が必要なことも分かっているからだ。

東京に来たヨギ・シンが、丸の内という彼らの活動にいちばん適した街にいきなり出没できたのは、きっとこんな背景があったはずだ。
必要なお金が集まったら、彼らは故郷へと帰ってゆく。
そのお金で高い教育を受けたり、よい家柄に嫁いだ彼らの子どもたちは、もう誰も「ヨギ・シン」にはならない。

もし、「仕事」の最中に正体やトリックがばれそうになったら、あるいは、警察や役人に怪しまれそうになったら、なんとかしてその場から逃げ出して、その街から立ち去ることだ。
拘束や強制送還で済めば、まだ運が良い方だ。
彼らの存在や、その秘密が知れ渡ってしまったら、もう誰も先祖代々の共有財産であるこの生業をできなくなってしまう。
それだけはなんとしても避けなければならない。

…国際フォーラムで声をかけた時の「彼」の反応は、こんな事情があることを思わせるものだった。
 

ある程度、情報も集まり、仮説も立てられた。
次はどんな調査をすべきだろうか。
私が大きく考えさせられる言葉に出会ったのは、ちょうどこんな想像を巡らせていた時だった。

それは、シク教徒たちが集まるウェブサイトに書かれていた、何気ない言葉だった。
そのサイトは、世界中のシク教徒たちがシク教の歴史や文化を話し合うために作られたものだった。
パンジャービー語やヒンディー語の文字は見当たらず、全て英語で書かれていたから、海外在住のシク教徒や、インドでも英語を自由に使える階層の(つまり、教育レベルが高い)人々が主に利用しているサイトなのだろう。

このサイトの中で、ロンドンに住む男性が書いた、'B'に対するこんなコメントを見つけてしまったのだ。
「かつて、我々シク教徒は誇り高い戦士だと思われていた。それが、'B'のコミュニティーのいんちきな占いのせいで、シク教徒といえば怪しいニセ占い師だと言われるようになってしまった。悲しいことだ。1920年代からイギリスでは同じようなことが言われているし、今ではネット上のあらゆる場所でシク教徒には近づくなと言われている。占いは彼らの伝統かもしれないけど、そのせいでシク教徒の評判が傷つけられている。彼らは150年前からなにも変わっていない。でも、カースト差別主義者だと思われたくないから、誰もこんな話はしないんだ…。(大意)」
そこには、ご丁寧に世界中に出没した「ヨギ・シン」たちのことを伝えるブログやニュースサイトのリンク(私が彼らの出没情報を得るのに使ったものと同じページだった)が貼り付けられていた。

また別のスレッドには、同じくイギリス在住のシク教徒からこんなコメントが書かれていた。
「(ヨギ・シンのような詐欺に会ったという声に対して)悲しいことに、それをしているのは自分と同じ'B'コミュニティーの出身者だよ。こんなことをする'B'は本当に少なくて、1%くらいだけだ。彼らはイギリスに住んでいるわけじゃなくて、インドからやって来るんだ。」

ここに書かれていたのは、他ならぬシク教徒たちからの告発であり、また'B'の同胞たちからの、生業に対する弁解だった。
これらの書き込みを読む限り、おそらく私の推理は当たっていたのだろう。
間違いなく'B'こそがヨギ・シンの所属するコミュニティーだ。
それでも、私は謎が解けた喜びよりも、むしろもやもやとした落ち着かない気持ちが湧いて来るのを抑えられなかった。

大谷幸三氏の本(『インド通』)やシク教の解説書で、'B'が非差別的な立場の存在であることを、知識としては理解していた。
だが、私は放浪の占い師である彼らを、どこかロマンチックな存在として見ていたところがあった。
秘伝の占いを武器に、口八丁で世界中を渡り歩く謎多き人々。
彼らに対して、物語のなかのジプシーやサンカ(かつて日本にいたとされる漂泊民)に抱くのと同じようなイメージを持っていたのだ。
ところが、ここに書かれていたのは、仲間たちから恥ずべき存在として扱われている、時代遅れで極めて弱い立場の人々だった。
このウェブサイトで、'B'は決して激しい言葉で差別されているわけではない。
むしろ、ここで'B'を批判しているのは無教養な差別主義者ではなく、先進国に暮らしながらも、自身のルーツであるシクのコミュニティ全体の誇りをも考えている立派なシク教徒たちに違いない。
だからこそ、'B'の置かれた立場の寄る辺のなさが、とても重苦しいものとして感じられたのだ。

ある人物(おそらく'B'の一員だろう)は、このサイトの掲示板に「'B'コミュニティーがシク教の歴史のなかで果たしてきた役割をきちんと評価すべきだ。そのうえで、シク教徒はコミュニティーによる分断を乗り越えて、ひとつになるべきだ」という趣旨のスレッドを作成していた。
おそらく、シク教徒たちのなかで低い立場に置かれている'B'の扱いに対する異議申立てなのだろう。
だが、それに対する反応は、「シク教徒は全体でひとつの存在なのだから、'B'のコミュニティーだけを評価すべきという考えはおかしい」という、至極まっとうだが冷淡なものがほとんどだった。
他にも、この掲示板では、女子教育の軽視や早期の結婚といった'B'の保守性が批判的に扱われているコメントが散見された。

断っておくと、このサイト上のでは、特定のコミュニティーを見下すような意見はほとんど表出されておらず、むしろ「シク教徒全体がひとつの大きなコミュニティーなのだから、個々のカーストやコミュニティーにこだわるべきではない」という考えに基づくコメントが多く書き込まれていた。
それに、シク教徒のなかにも、'B'のことを知らなかったり、彼らがこうした占いを行なっていることを聞いたことがない人たちも多いようだった(私が受けた印象では、むしろそういう人のほうが圧倒的に大多数のようだ)。
だが、それでも「ヨギ・シン」たちがシク教徒の仲間や同じコミュニティからも、恥ずべき存在だと思われているという現実は、心に重くのしかかったままだった。

端的にいうと、私は、こうした弱い立場の彼らの正体を、興味本位で暴こうとすることに、罪悪感を感じ始めてしまったのだ。
「差別的に扱われている彼らの占いを、伝統芸能として再評価すべき」なんていう理想を掲げていたが、そもそも彼ら自身がこの考えをどう感じるのか、私はまったく想像できていなかった。
自分勝手な親切を押し付けようとしていただけなのではないか。
彼らはそんなことは望んでおらず、必要最小限だけ、静かに目立たないようにその仕事をしたかっただけなのではないだろうか。

この記事に彼らのコミュニティーの名前をはっきりと書かなかったのも、引用した文献や著者の名前を記さなかったのも、彼らのことを好奇心のままに取り上げることに疑問が湧いてきてしまったからだ。
彼らのことを書きたいという欲求と、彼らのことを書くべきでないという気持ちの葛藤に、いまだに整理がつかないでいる。
彼らが感じているであろう「痛み」を知らずに、好奇心のままに彼らの正体を暴くことは、果たして許されることなのだろうか。

国際フォーラムの中庭で遭遇したヨギ・シンの様子が思い出される。
彼が示した明確な拒絶。
彼らが路上で奇妙な占い行為をしていたのは明らかだったにもかかわらず、口が達者な占い師であるはずの彼は、言い逃れをすることもごまかすこともなく、'No'と'I don't know'だけを繰り返し、足早に立ち去った。
そして、それまで連日のように丸の内に現れていたヨギ・シンの集団は、それ以来二度と現れることはなかった…。
はるばる東京を訪れ、その生業で一稼ぎしようと思っていた矢先に、彼らに好奇心を抱いた男(私のこと)に見つかってしまった占い師たち。 
その心のうちはどのようなものだったのだろう。
自らの生業がどのように見られているかを知りつつも、その生業を続けざるを得ない彼らの気持ちは、思ったよりもずっと複雑なものなのではないだろうか。
彼らは、口八丁で生きるミステリアスな放浪の占い師などでは全くなかったのだ。
自らのコミュニティーや伝統が差別され、その生業が恥ずべきものだと知りながらも、シク教徒としての信仰に誇りを持ち、よりよい暮らしのためにやむなくその伝統にすがって生きている、弱い立場の存在…。
彼らのことを知れば知るほど、「ヨギ・シン」のイメージは私の中で変わっていった。

「彼らは何者なのか」
「彼らはどこから来たのか」
「彼らはいつ頃からいるのか」
「彼らはどんなトリックを使っているのか」
「彼らは何人くらいいるのか」

私はそんなことばかりを気にしていて、大事な疑問を忘れていたのだ。
「彼らは、なぜ占いをするのか」 
もちろん、家族のため、お金を稼ぐためだろう。
それは分かる。
しかし、そこに至るまでの経緯や逡巡、ひとりひとりのヨギ・シンが、何を思い、考えているのか。
どのように伝統が受け継がれ、どのように実践されるのか。
それを知るためには、彼らと知り合い、打ち解け、直接尋ねるしかない。
ヨギ・シンが抱える痛みを知った上で、はじめて彼らが秘めてきた伝統を書き記す資格が得られるはずだ。
いや、それだって、独りよがりな思い込みにすぎないかもしれない。
だが、それでも、彼らのことを知らずに、外側から眺めているだけでこれ以上書き続けることはできないし、それ以前にこれ以上書ける内容もない。

どんなアプローチの仕方があるのか、どれだけ時間や労力がかかるのか、皆目見当がつかないし、そもそもこのコロナウイルス流行の状況下では取り掛かりようもないのだが、この続きを書くためには、彼らと直接コンタクトを取るしかない。
ヨギ・シンに対する、ウェブや文献による調査と推理のフェーズは、今回をもってひとまずの終了とすべきだろう。
この続きは、彼らと再び出会い、関係を築いたうえで、あらためて書くということになりそうだ。
そんなことがはたしてできるのだろうか?
だが、何事も試して見なければわからない。
今は、ただその一歩が踏み出せる時が来ることを、静かに待つばかりだ。


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goshimasayama18 at 18:00|PermalinkComments(4)

2020年05月01日

ヨギ・シンの正体、そしてルーツに迫る(その1)

前回の記事で、山田真美さんの著書『インド大魔法団』『マンゴーの木』で紹介されているインドのマジシャン事情に触れつつ、世界中を流浪する謎の占い師「ヨギ・シン」を、詐欺師扱いされる存在からその伝統に値するリスペクトを受けられる存在にしたいという内容を書いた。
その気持ちに嘘偽りはない。
だが、ヨギ・シンの調査にあたって、それにも増して私の原動力になっていたのは、もっと単純な、本能的とも言える好奇心だ。
あらゆる情報がインターネット検索で分かってしまうこの時代に、こんなに不思議な存在が謎のままでいるということは、ほとんど奇跡であると言っていい。
「彼らは何者なのか」
「彼らはどこから来たのか」
「彼らはいつ頃からいるのか」
「彼らはどんなトリックを使っているのか」
「彼らは何人くらいいるのか」
ヨギ・シンにまつわる全ての謎の答えが知りたかった。

いくつかの謎については、これまでの調査でかなりのことが分かっていた。
彼らが使う「読心術」のトリックは、ちょっとした心理(メンタリズム)的な技法と、以前「ヨギ・トリック」として紹介したあるマジックの技術を使うことで、ほぼ説明することができそうである。
彼らの正体については、大谷幸三氏の著書『インド通』に登場する、シク教徒のなかでも低い身分とされる占い師カーストの人々だということで間違いないだろう。




では、その占い師のカーストは、何という名前なのだろう。
彼らはインドからどのように世界中に広まったのか。
そして、世界中で何人くらいが占い師として活動しているのだろうか。
こうした疑問の答えは、依然として謎のままだった。
私は、彼らの正体をより詳しく探るべく、ほとんど手がかりのないまま、シク教徒の占い師カーストについての調査にとりかかった。

ところで、「シク教徒のカースト」というのは、矛盾した表現だ。
シク教は、カースト制度そのものを否定しているからだ。
16世紀にヒンドゥーとイスラームの影響を受けて成立したシク教は、この2つの信仰が儀式や戒律を重視し過ぎたために形骸化していることを批判し、宗教や神の名はさまざまでも信仰の本質はひとつであるという教えを説いた。
ごく単純に言えば、ヴィシュヌもアッラーも同じ神の異名であり、信仰の前に人々の貴賎はないというのがシク教の思想である。
シク教徒の男性全員がSingh(ライオンを意味する)という名を名乗るのは、悪しき伝統であるカースト制度を否定し、出自による差別をなくすためだ。
シク教の聖地であるアムリトサルの黄金寺院では、宗教や身分にかかわらず、あらゆる人々に分け隔てなく無料で食事が振舞われているが、これもヒンドゥー教徒が自分より低いカーストの者と食事をともにしないことへの批判という意味を持っている。(黄金寺院で毎日提供される10万食もの食事の調理、給仕、後片付けなどの様子は、ドキュメンタリー映画『聖者たちの食卓〔原題"Himself He Cooks"〕』で見ることができる。)

形骸化した既存の宗教への批判から生まれたシク教だが、ほかのあらゆる宗教と同様に、時代とともに様式化してしまった部分もある。
例えば、彼らのシンボルとも言える、男性がターバンを着用する習慣もそのひとつと言えるだろう。
そして、シク教徒たちもまた、インドの他の宗教同様、この土地に深く根付いたカーストという宿痾から逃れることはできなかった。
誰とでも食卓を囲む彼らにも、血縁や地縁でつながった職業コミュニティー間の上下関係、すなわち事実上のカースト制度が存在している。
ヒンドゥー的な浄穢の概念は捨て去ることができても、家柄や職業の貴賤という感覚からは逃れられなかったのだ。
結果として、路上での占いを生業とするコミュニティーに所属する人々は、シク教徒の社会のなかでも、低い身分に位置付けられることになった。

そこまでは分かっていたのだが、シク教徒の辻占コミュニティーについての情報は、なかなか見つけることができなかった。
興味本位のブログ記事や、詐欺への注意を喚起する記事は見つけられても、彼らの正体に関する情報は、英語でも日本語でも、ネット上のどこにも書かれていないようだった。
ところが、なんとなく読み始めたシク教の概説書に、思いがけずヒントになりそうな記述を見つけることができたのだ。
それは、あるイギリス人の研究者が書いた本だった。
その本のなかの、イギリス本国に渡ったパンジャーブ系移民について書かれた部分に、こんな記述を見つけたのだ。

「…第一次世界大戦から1950年代の間にイギリスに移住したシク教徒の大部分は、(引用者注:それ以前に英国に渡っていた王族やその従者に比べて)はるかに恵まれない身分の出身だった。インドでは'B'というカーストとして知られている彼らは、他の人々からは、地位の低い路上の占い師と見なされていた。イギリスに渡った'B'の家族の多くが、現在はパキスタン領であるシアルコット地区の出身である。」
(引用者訳。この本には具体的なカースト名が書かれていたのだが、後述の理由により、彼らの集団の名前や、参考にした未邦訳の書籍名については、今は明かさないことにする)

この「低い身分の路上の占い師」である'B'という集団こそが、ヨギ・シンなのだろうか。
文章は続く。

「'B'のシク教徒の先駆者たちは、ロンドンや、ブリストル、カーディフ、グラスゴー、ポーツマス、サウサンプトン、スウォンジーなどの港町や、バーミンガム、エディンバラ、マンチェスター、ノッティンガムなどの内陸部に定住した。彼らはまず家庭訪問のセールスマンになり、やがて小売商、不動産賃貸業などに就くようになった。より最近の世代では、さらに幅広い仕事についている。'B'たちは、他のシク教徒たちが手放してしまった習慣や、他のシク教徒たちに馴染みのない習慣を保持していた。」

シク教徒のなかでもとくに保守的な集団だというから、今では違う職に就いている彼らのなかに、きっとあの占い師たちもいるのではないだろうか。
彼らのコミュニティーの名前が分かれば、あとは簡単に情報が集まるだろうと思ったが、そうはいかなかった。
'B'という単語を使ってググっても、彼らが行うという「占い」に関する情報はほとんど得られないのだ。
それでもなんとかネット上で得られた情報や、探し当てた文献から得た情報(そのなかには、前述の本の著者の方に特別に送っていただいた論文も含まれている)を総合すると、以下のようになる。

'B'に伝わる伝承によると、改宗以前の彼らはヒンドゥーのバラモンであり、神を讃える詩人だったという。
'B'の祖先はもともとスリランカに住んでおり、その地でシク教の開祖ナーナクと出会った彼らは、シク教の歴史のごく初期に、その教えに帰依した。
改宗後、シク教の拠点であるパンジャーブに移り住んだ'B'の人々は、シクの聖歌を歌うことを特別に許された宗教音楽家になった。
彼らが作った神を讃える歌は、シク教の聖典にも収められている。
インドでは、低いカーストとみなされているコミュニティーが「かつては高位カーストだった」と主張することはよくあるため、こうした伝承がどの程度真実なのかは判断が難しいが、'B'の人々は、今でも彼らこそがシク教の中心的な存在であるという誇りを持っているという。
いずれにしても、彼らはその後の時代の流れの中で、低い身分の存在になっていった。
音楽家であり、吟遊詩人だった彼らは、その土地を持たない生き方ゆえに、貧困に陥り、やがて蔑視される存在になってしまったのだろうか。
少なくとも20世紀の初め頃には、'B'は路上での占いや行商を生業としていた。
彼らの22の氏族のうち13氏族が現パキスタン領であるシアルコット地区を拠点としていたという。

シク教徒の海外への進出は、イギリス統治時代に始まった。
19世紀に王族やその従者がイギリスに移住して以来、多くのシク教徒が、軍人や警官、あるいはプランテーションや工場の労働者として、英本国や世界中のイギリス領へと向かった。
彼らの中でもっとも多かったのが、「土地を所有する農民」カーストであるJatだった。
'B'の人々のイギリスへの移住は、おもに第一次世界大戦期から1950年代ごろに行われている。
とくに、Jatの移住が一段落いた1950年代に、なお不足していた単純労働力を補うために渡英したのが、職人カーストのRamgarhia、ダリット(「不可触民」として差別されてきた人々)のValmiki、そして'B'といった低いカーストと見なされている人々だった。
もともと流浪の民だった'B'は、海外移住に対する抵抗も少なかったようだ。
彼らの主な居住地(シアルコットなど)が、1946年の印パ分離独立によって、イスラームを国教とするパキスタン領になってしまったこともシク教徒の海外移住を後押しした。
シク教徒のほとんどが暮らしていたパンジャーブ地方は、分離独立によって印パ両国に分割され、パキスタン領に住んでいたシク教徒たちは、その多くが世俗国家であるインドや海外へと移住することを選んだのだ。
逆にインドからパキスタンに移動したムスリムたちも多く、その混乱の中で両国で数百万人にも及ぶ犠牲者が出たといわれている。
印パの分離独立にともない、これ以前に移住していた'B'の人々は、帰る故郷を失い、イギリスへの定住を選ばざるを得なくなった。
 
1950年代にイギリスに渡った'B'のなかには、占いを生業とするものがとくに多かったが、彼らの多くは渡英とともにその伝統的な職業を捨て、セールスマンや小売商となった。
彼らは、サウサンプトン、リバプール、グラスゴー、カーディフといった港町でユダヤ人やアイルランド人が経営していた商店を引き継いだり、ハイドパークなどの公園で小間物や衣類、布地などを商ったりして生計を立てた。
また、シンガポールやマレーシア、カナダ、アメリカ(とくにニューヨーク)に移住した者も多く、行商人としてフランス、イタリア、スイス、日本、ニュージーランドやインドシナなどを訪れる者もいたという。

1960年の時点で、イギリスには16,000人ほどのシク教徒がいたが、その後もイギリスのシク教徒は増え続けた。
先に移住していた男性の結婚相手として女性が移住したり、アフリカやカリブ海地域に移住していた移民が、より良い条件を求めてイギリスにやってきたりしたことも、その原因だった。
インドから血縁や地縁を利用して新たに移住する者たちも後を立たなかった。
1960年代以降、インディラ・ガーンディー首相が始めた「緑の革命」(コメや小麦の高収量品種への転換、灌漑設備の整備、化学肥料の導入などを指す)によって、彼らのパンジャーブ州の基幹産業である農業は大きく発展した。
しかし、この成功体験は、人々に「努力して働けば、その分豊かになれる」という意識をもたらし、皮肉にも海外移住の追い風になってしまったという。
今では海外移住者がインド経済に果たす役割は非常に大きくなり、世界銀行によると、2010年にはパンジャーブ州のGDPのうち、じつに10%が海外からの送金によって賄われている(インド全体でも、この年のGDPの5%が海外からの送金によるものだった)。
経済的な野心から違法な手段で海外に渡る者も多く、世界中で15,000人ものパンジャーブ人が不法滞在を理由に拘束されているという。

現在、イギリスには約100万人ものインド系住民が住んでおり、英国における最大のマイノリティーを形成しているが、そのうち45%がパンジャービー系の人々で、その3分の2がシク教徒である。
つまり、イギリスに暮らすインド系住民のうち、約30%がシク教徒なのだ。
インドにおけるシク教徒の人口の2%に満たないことを考えると、これはかなり高い割合ということになる。
その人数の多さゆえか、イギリスのシク教コミュニティーは、決して一枚岩ではなく、それぞれのカーストによって個別のグループを作る傾向があるそうだ。
例えば、彼らの祈りの場である寺院〔グルドワーラー〕もカーストによるサブグループごとに、別々に建てられている。
'B'の人たちは、とくに保守的な傾向が強いことで知られている。
'B'の男性は、他のコミュニティーと比べてターバンを着用する割合が高く、また女子教育を重視しない傾向や、早期に結婚する傾向があると言われている。
参照した文献によると、少なくとも20世紀の間は、'B'の女性は十代後半で結婚することが多く、また女性は年上の男性の前では顔を隠す習慣が守られていたとある。
彼らにとってこうした「保守性」は、特別なことではなく、シク教徒としてのあるべき形なのだと解釈されていた。


長くなったが、これまでに'B'について調べたことをまとめると、このようになる。
世界中に出没している「ヨギ・シン」が'B'の一員だとすれば(それはほぼ間違いのないことのように思える)、例えばこんな仮説が立てられるのではないだろうか。

(つづく)



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2020年04月24日

インド魔術の神秘に迫る!山田真美さんの名著『インド大魔法団』『マンゴーの木』





今月に入ってから、2回にわたってベンガルの漂泊の歌い人「バウル」についての記事をお届けした。
バウルについて考えるたびに、どうしても頭の中をよぎってしまうのは、あの謎の占い師「ヨギ・シン」のことだ。

かつては「奇妙な歌を歌う世捨て人」として、賎民のような扱いを受けていたバウルは、タゴールとディランという二人のノーベル文学賞受賞者に影響を与えたことで名声を高め、さらには彼ら自身がUNESCOの無形文化遺産に登録されたことによって、ベンガルの伝統文化の担い手という評価を確固たるものにした。
今日では、バウルはオルタナティブな生き方をする行者として、ベンガルのみならず世界中からカリスマ視されるまでになった。

一方で、パンジャーブ地方から世界に飛び出し、少なくとも100年以上の歴史を持つ放浪の占い師「ヨギ・シン」たちは、仲間のシク教徒からは低い身分として見られ続け、そして世界中の都市で「詐欺師」の烙印を押されながら生きている。
(彼らについては、この下のリンクで詳しく紹介している)
なんとかして彼らを、伝統を守ってきた人々として正当に評価されるようにすることはできないだろうか。
彼らについてこれまでしつこく書いてきた理由のひとつには、僭越ながらこうした思いがあった。
いつの日か、代々木公園で行われる「ナマステ・インディア」みたいなイベントの会場で、ヨギ・シンがその伝統の技術を披露する、なんてことがあったらいいなあ、と思っていたのだ。



ところが、あろうことか、私は「ヨギ・シン」当人とのコンタクトという願ってもない機会をふいにしてしまった。
(その詳細は、上のリンクに詳しく書いてある)
千載一遇のチャンスを逃した私は、仕方なく、インターネットや文献での調査を再開することにした。

ちょうどその頃、私が「ヨギ・シン」に夢中になっているということを知っている方から、インドのマジックに関する本として、山田真美さんの著書『インド大魔法団』と『マンゴーの木』を紹介してもらった。
これまで書いてきた通り、ヨギ・シンは占い師でありながら、奇術師とも言える不思議な存在である。
インドでは「占い」と「マジック」は表裏一体のものとして存在しており、さらに言うと、インドの伝統的な占いやマジックには、予知や透視のような、超自然的な能力との境目が曖昧な部分すらあるのだ。

インドのマジックについて日本語で書かれた本は極めて少ない。
この2冊にも、きっと何かヒントがあるに違いない。
そう思って読み始めてみたところ、想像以上の面白さにすっかり夢中になってしまった。
2冊とも、一応ノンフィクションの体裁を取っているのだが、本自体がまるでインドのマジックのように摩訶不思議な内容で、このタイミングでこの本に出会ったことが運命だったのではないかとすら思えるほどに惹きこまれてしまったのだ。
インド大魔法団マンゴーの木

この本の著者の山田真美さんは、公益財団協会日印協会の理事や日印芸術研究所の言語センター長を務めている方である。
『インド大魔法団』が出版されたのは1997年(私が初めてインドを訪れた年だ!)。
作品の舞台は1989年から始まるのだが、この本の冒頭で、山田さんは「インドにはさして興味はなかった」と明言している。
つまり、この2冊は、今では日印関係の要職を務める山田さんが、マジックをきっかけにインドにハマるきっかけを描いたものでもあるのだ。

この物語はこんなふうに始まる。
(先ほども書いた通り、ノンフィクションなのだが、そのへんの小説よりもよほど奇妙なこの本の内容は、やはり「物語」と呼びたくなる)
山田さんは、運命とも言えるような偶然が重なり、インドの「魔法」に興味を持つようになる。
そして、まるで何者かに導かれるように、インドの「魔法使い」を探す旅に出ることになるのだ。
そこから先は不思議な出来事の連続だ。
インドに到着早々に、よく当たるという占い師が山田さんに不思議な「予言」をする。
「この旅の中で、白い貴石を手に入れる。それを差し出す人の助言を聞きなさい」というものだ。
その後、山田さんはインド政府の協力を得て、伝統的な「魔法使い」を探すべく、インド一周の旅に出るのだが、インド文化や宗教の専門家たちからは「もはやインドには魔法使いなど存在しない」と断言されてしまう。
かつてのバウルや今日のヨギ・シンのように、インドのマジシャンたちは、近代化の波の中で、注目する価値のない伝統と見なされ、ほぼ無視されていた。
1990年のインドで伝統的な手品師を探すということは、日本に外国人がやってきて「ガマの油売りが見たい」とか「バナナの叩き売りが見たい」なんて言うのと同じようなものだったのだろう。
それでも不思議なことがたくさん起きてしまうのが、インドという国だ。
(とくに、この時代のインドには、今の何倍も「不思議」が生きていたはずだ)
山田さんは次から次へと現れる占い師(手品師たちや路上の占い師たちと違い、占星術のような伝統的で理論的な占いは敬意を持って扱われている)、宝石商、旅人、大道芸人、伝統舞踊家らによって、インドの持つ底なしの不思議で魅力的な世界にはまってゆく。
仮に多少の演出を入れて書かれているとしても、それでも「運命」としか言いようのない超自然的な力が働いているとしか思えないようなことが、次々に起きるのだ。
そして、調査の鍵を握る伝説の魔法使い、「P.C.ソーカ(P.C. Sorcar) 」との出会いから、物語は驚愕の展開を見せる。
(クライマックス近く、物語の本筋とは関係のないところで、ある手品師が、ヨギ・シンの占いにも通じる心理トリックの種明かしをする場面もあって見逃せない)
そして、「白い貴石」を持った人物は現れるのか…。


こうした「人探し」や「謎解き」の面白さは、まだインターネットがない時代だからこそ成立していたとも言える。
今では、PCソーカのことも、インドの伝統的なマジックのことも、検索すればある程度のことは簡単に分かってしまう。
世界中が情報で繋がった現代世界では、謎や神秘が存在できる場所は、確実に小さくなっているのだ。
1990年代は、「魔法使い」のような存在が神秘として存在することができた最後の時代だったのかもしれない。
携帯もメールもまだまだ普及していなかった90年代のインドを思い出しながら、束の間の懐かしい気持ちにどっぷりと浸ることができた。



続編の『マンゴーの木』は、私がヨギ・シンを探しているように山田さんがこだわりつづけていた、インドの伝統的な「魔法」を探す物語だ。
そのマジックでは、「魔法使い」が地面にタネをまいて布をかぶせると、みるみるうちに本物の実をつけたマンゴーの木が現れるのだという。
物語の舞台は1997年。
山田さんは前回の旅をきっかけに、なんとインド文化交流庁の招聘研究者となり、インドの神話の研究者としてデリーで暮らすようになっていた。
もはや前作のように、次々と現れるインドの不可思議な魅力(魔力?)に翻弄されるのではなく、研究者として積極的に謎に満ちた世界に飛び込んでゆく姿は、じつに頼もしい。
その調査範囲はインド南端のケーララ州におよび、ついに、もはや存在しないと思われていたインド伝統の「魔法使い」のありかをつきとめる…。

途中で何人ものインド人マジシャンが出てくるのだが、華やかな衣装に身を包み、ステージで洗練されたマジックを繰り広げる彼らは、欧米式の演出を好み、「マンゴーの木」のようなインドの伝統的なマジックにはほとんど目もくれない。
ロープトリックも、カップ&ボールも、そして箱の中に入れた美女に剣を刺すマジックもインド発祥だというのに、伝統的なストリートマジックに関しては、現代のインドでは、過去のものとして追いやられてしまっているのだ。
コンテストに出るようなマジシャンたちも、決してスターというわけではない。
インドではマジシャンとして生活してゆくことはまだまだ難しい。
彼らの多くが、銀行員など他の仕事をしながら、マジシャンを続けている。
プロフェッショナルにはなかなかなれない状況でも情熱を燃やし続ける彼らは、いつもブログで紹介しているインドのインディペンデント・ミュージシャンを彷彿とさせる。

「マンゴーの木」のような昔ながらのマジックを生業とするマジシャンは、村から村を渡り歩く貧しい放浪の大道芸人であり、連絡先を探すことすらままならない。
偉大なインド・マジックは、今では尊敬を集める存在ではなくなってしまったのだ。
こうした扱いゆえか、伝統を受け継いで守っているマジシャン自身も、その伝統を、ほとんど価値のないものと思っているようなのである。
ある人物が発するこの言葉を読んで、胸がつまりそうになった。
「俺は長いこと、自分がやっていることなんて、所詮は誰からも注目されることのない、絶滅寸前の大道芸だと思っていたんです。だから、日本人の女の人が俺の芸を見たがっていると聞かされた時も、担がれているんじゃないかと疑ったぐらいです。(中略)生まれてこのかた、こんなふうにちゃんと俺の話を聞いてくれて、芸の一部始終を写真に収めてくれた人なんて、一人もいませんでしたから。今日は俺、貴女から勇気をもらったような気がします。うまく言えないけど、来てくれて本当にありがとう」

急速な経済成長や近代化、グローバル化のなかで、インド人のなかに自らのルーツを大切にしようという意識が芽生えてきているが(過剰な宗教ナショナリズムは、その悪いほうの一面だ)、一方で、これまで権威とは無縁に引き継がれてきた伝統は無視され、切り捨てられようとしている。
そうした風潮のなかで、伝統を守っている当の本人(マジシャン)も、1990年代の時点で、すでにあきらめを感じていたということなのだろう。
「マンゴーの木」が書かれてから20年を超える年月が過ぎ、その後、伝統的なマジシャンたちは、その居場所と誇りを少しでも取り戻すことはできたのだろうか。


今回紹介した2冊の本で山田さんがインドの伝統に向けるまなざしには、とても深い共感を覚えた。
共感しすぎて、読んでいて「私もいつかヨギ・シンについてこんな本が書きたい」という気持ちが湧いてくるのを抑えられなかったほどだ。
それよりも何よりも、単純にめちゃくちゃ面白い2冊だった。
「インドのマジック」という分野は、私もヨギ・シンに興味を持つまで全く意識したことがなかったが、まさかここまでの深さと面白さのある世界だったとは、想像すらしていなかった。
本当にインドの魅力は底なし沼だな…と感じさせられたこの2冊、まだまだ当面外出自粛が続きそうな毎日ですが、何か面白い本を探している方に、オススメです!
ヨギ・シンの話を面白いと感じてくれた人なら、最高に楽しめるはず!



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2020年02月16日

探偵は一人だけではなかった! 「ヨギ・シン」をめぐる謎の情報を追う


これまで何度もこのブログで特集してきた、謎のインド人占い師「ヨギ・シン」。
100年ほど前から世界中で遭遇が報告されているこの不思議な占い師に、私はかねてから異常なほどの関心を寄せてきた。





そして昨年11月、ついには東京で実際に彼と接近遭遇することに成功したのだが(その経緯は過去の記事を参照していただきたい)、彼らの正体は依然として謎のままであり、私は継続して彼らに関する情報を探し求めている。

英語を使って占いを行うヨギ・シンは、おもに英語圏や英語が通じる国際都市に出没している。
だから、私はいつもは海外のウェブサイトやブログで「彼」の情報を収集しているのだが、その日にかぎって、私は日本語での検索を試みることにした。
昨年11月に私が遭遇した際の「ある顛末」以降、日本国内でのヨギ・シン遭遇報告はぱぅたりと途絶えていた。
あれから数ヶ月が経過し、再び日本のどこかに彼が出現したという情報があるかもしれないと思ったからだ。

ところが、そこで私は、全く予想していなかった驚くべき文章を発見してしまった。
mixiの『詐欺師のメッカ タイにようこそ』というコミュニティーに投稿された『インド人街頭占い師の秘密』という投稿がそれである。
(オリジナルはこちらから読める https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6066795&id=72080907
2012年10月31日に投稿されたこの文章は、おそらく日本で最初に書かれたヨギ・シンについての考察だろう。
一体誰が書いたのかは不明だが、そこに書かれていたのは、まさに驚愕の内容だった。 
この文章は、こんなふうに始まる。

インド人街頭占い師は、世界中にいます。
大都市で現地人を相手にしたり、有名観光地で観光客を相手にしたりしていますが、最も多いのが、バンコク(特にカオサンロード)、インドのデリー、ニューデリー。
ほかにも香港、シンガポール、バリ、クアラルンプール、上海、NY、サンフランシスコ等アメリカ各地、、トロント、シドニー、メルボルン、ロンドン、パリ、ブリュッセル、ウィーン等、英語が通じるところならどこにでもいるのですが、なぜかみんな同じような格好をして同じ名前を名乗り、同じようなことをやります。

この時点で、この文章を書いた人が、ヨギ・シンについて、かなり詳しく把握しているということが分かるだろう。
ヨギ・シンの出没地点についても的確だし、上海、ブリュッセル、ウィーンについては、むしろ私のほうが聞いたことがなかった。

そして、この後に続く箇条書きの内容が、また驚くべきものだった。


1.外見
ターバンをしている人が多いけれど、スーツ姿のターバン無しや、シャツとズボン姿の若い人もいます。若くてもTシャツではなく、わりときちんとした服装です。

2.「You have a lucky face!」
と、声をかけてきます。
You are lucky lady!とか、lucky manとか、言い方はいろいろありますが、「ラッキー」が入るのが特徴。

3.「自分はヨギ・シンだ」と名乗ります。ヨガ行者のシンさんということです。
なぜかみんな同じ名前です。

4.「占いをしてあげる」と言って、その前にまず、自分の特殊能力を証明しようとします。その方法は、好きな数字、好きな花、好きな色を当てて見せることです。これはまず第一段階。
この当てものが成功して客が十分驚いたら、終了して占いに進むこともありますが、次の段階があることが多いです。

5.第二段階として、年齢、誕生日、母親の名前、配偶者の名前、恋人の名前、兄弟の数、願い事(wish)等を当ててみせます。

6.第三段階として、敵の名前、嫌いな人の名前等を当ててみせます。

7.やっと占いに入ります。
「7月にいいことがある」「80何歳まで生きる」「90何歳まで生きる」というのが定番のようです。
性格判断としては、「あなたは考えすぎる」と、「はっきりものを言い過ぎるのが欠点だ」が定番です。

8.脅しをかけることもあります。
「ライバルがあなたに呪いをかけている」「堕胎した子供が憑いている」などと言って、「二週間日連続であなたのために祈って呪いをはらってやるからお金を」と、大金を要求します。あくまで一部の人ですが。

9.寄付を要求
貧しい子供たちの写真を見せ、「この子たちのために寄付を」と、具体的な金額を提示します。貧乏人用、中流用、金持ち用の三種類の寄付額が書かれたボードを示し、「自分のクラスの額を払え」と言うのですが、貧乏人用でさえかなり高いです。

10.たいていの人は、「高すぎる」「持ち合わせがない」と言って、払いません。
すると、「そこにATMがあるから、おろしなさい」と、ATMまで同行されそうになります。
11.結局客は要求の何分の一かを払い、占い師はしぶしぶ受け取りますが、別れ際にパワーストーンを一個くれます。寄付金が多い人には、一個といわずネックレスでくれることもあります。

なんということだろう。
外見、名前、占いの方法、ここに書かれているほぼ全ての内容が、私がこれまで調べたものと一致している。
いったいこの人物は、どうやってヨギ・シンのことを知り、ここまでの情報を調べたのだろうか。

6番めに書かれた「敵の名前や嫌いな人物の名前を当てる」という部分については、私がこれまでに聞いたことがないものだったが、それはすなわち、この人物のほうが私よりもヨギ・シンについて詳しいということでもある。
このひょっとしたら、この投稿がされた2012年ごろのヨギ・シンは、こういった話法を使う者が多かったのかもしれない。
他にも、お金の要求方法や、パワーストーンをくれるということなど、必ずしも一般化できない内容も含まれているが、それだけこれを書いた人物が多くの情報を調べ上げているということだ。

9番目にかかれた「貧乏人、中流、金持ち」と3段階の料金を提示するというやり方は、ヨギ・シンに関しては聞いたことがなかったが、かつて私がヴァラナシで遭遇した怪しげなヒンドゥーの行者に頼みもしない祈祷をされたときと全く同じやり口である。
誰に対しても同じ価格ではなく、経済状況に応じて違う金額を払わせるという考え方はいかにもインド的な発想で、同じ方法を「ヨギ・シン」が使ったいたとしてもまったく不思議ではない。

それにしても、今から7年以上前に、ここまで詳しくヨギ・シンのことを調べあげたこの人物は、いったい何者なのだろうか?
ヨギ・シンについて、それぞれの街での遭遇報告や、「どうやら世界中にいるらしい」といったことまで記載しているウェブサイトは見たことがあったが、ここまで詳細に情報をまとめあげているものは見たことがなかった。

しかも、この人物がしているのは、「情報の収集」だけではなかった。
このあとに続くヨギ・シンのトリックについての考察がまたすごい。

●どうやって当てるのか?
好きな数字、好きな花、好きな色は、全世界的にもっとも平凡な答えというのがあります。それは、
1から5の間で好きな数字=3
1から10の間で好きな数字=7
好きな色=BLUE
好きな花=ROSE

です。
あらかじめこの答えを1枚の紙に書いておいて、丸めて客に握らせてから質問をします。客が平凡な人で、紙に書いてある通りの答えを言ったら、握っている紙を広げさせます。これでトリックの必要もなく超能力者のふりができます。 
日本人の場合、好きな花は、ローズとチェリーブラッサムが同じくらいの人気です。だから占い師は、日本人と見ると、「好きな花を二つ言え」と要求し、紙には「R、C」(Rose, Cherryblossomの略)と書いておきます。

●予想外の答えだったら?
3 /7/BLUE/ ROSEの代わりに、例えば、4/9/RED/PANSY と客が答えたらどうするのか?
占い師は客の答えを、いちいち紙にメモしていきます。答え合わせの時に必要だからというのが建前ですが、目的は別にあります。答えを2回書いて、2枚のメモを作るのです。そのうち一枚を丸めて、客の手の中の紙と、こっそりすりかえます。

すり替えのやり方は、
①自分が写っている集合写真等を出して来て、「この中でわしはどれかわかるか?」などと言って客の注意を引き付け、隙を見てすり替えます。

②「丸めた紙を額に当てて、目を閉じて呪文を唱えろ」と要求します。
客がやろうとすると、「そうじゃなくて、こうするんだ」と、紙を取り、自分で手本を見せますが、このときにすり替えています。
③「手相を見てやろう」と言って、紙を握っている手を開けさせ、「この線がどうのこうの」と、指でさわってりして、この時にすり替えます。あまりに露骨なので、この方法はあまり使われないようです。

答えを2回書く代わりに、感圧紙を使う人もいます。感圧紙とは、ノーカーボン紙ともいい、普通の白い紙にしか見えないのに、重ねるとカーボン紙の役割をします。
でもこの場合、字が全く一緒になってしまうので、もし比較されると、バレてしまいます。
●すり替えなしで当てる
誕生日、母親の名前、家族構成、初恋の人の名前等、難しいことも上の紙のすり替えで当てられますが、本人に書かせて当てることもでき、この場合すり替えは不要です。
やり方はいろいろ考えられますが、また感圧紙を使ってみましょう。

1と2は普通の紙、3と4は感圧紙です。重ねて、メモ帳等に仕込み、生年月日、好きな動物、母親の名前を書いてもらいます。
客に紙(1)を取って丸め、握っていてもらいます。
4枚目に写っている内容をこっそり見れば、当てられます。

もっと便利なマジックグッズを使う人もいます。たとえば、このクリップボードにはさんだ紙に書いてもらったら、内容が全部、離れた所のディスプレーに映ります。
https://www.youtube.com/watch?v=O3_GKVmlD_Y

最新バージョンは、自分のアイフォンにも映せるようです。

マジックグッズでなくても、電子ペンを使えば、同じことができます。ペンの形状がちょっと変わっているのが難ですが。
https://www.youtube.com/watch?v=qHD5z9KcKUQ

●すり替え無し、紙にも書かないのに当てられたら?
カオサンロードは、トリックの余地無く母親の名前を当てる占い師がいることで有名です。インドの観光地のホテル周辺でもそういうことがあるようです。
当てられるのは、観光客で、付近のホテルやゲストハウスに泊っている人です。
推測すると、どうも、占い師に情報を流しているホテルやゲストハウスがあるようです。
なぜなら外国人が宿泊する場合、フロントはパスポートの提示を要求し、コピーをとったりスキャンしたりします。
パスポートには本人の名前、写真、生年月日等が印刷されているし、あと、「緊急連絡先」という欄があります。in case of accident notifyとか、emergency contactとか、どこの国のパスポートにもあって、自分で書き込むようになっています。
ここに母親の名前を英語で書いていたら、そして占い師に母親の名前をいきなり当てられたら、自分のパスポートのコピーが占い師に渡っている可能性を考慮してよいかもしれません。

●連れと別々にされ、トリックの余地なく当てられたら?
たとえば夫婦が占い師の二人連れに会い、別々に、占い師一人ずつと相対することになった場合。
連れが何を話しているのかわからないほど離れた場所に誘導されたら、そこにトリックがあります。一人からもう一人の個人情報を聞き出し、その情報を二人の占い師が通信機器を使って共有し、読心術ができるふりをしている可能性があります。

●占い師ヨギ・シンの正体は?
本人たちに聞くと、「○○アシュラムに属している」とか「○○テンプルに属している」とか言いますが、真偽は不明です。
シーク教徒のしるしであるターバンを巻いているのに、ヒンズー教的な話をしたり、ヨガ行者だといいながらもヨガの知識が乏しい人もいるからです。
何か大きな組織があって、マニュアルがあるのか、それともそんなものは無くて、口コミで手法が広がった個人営業者集団なのか?
誰か知ってたら教えて下さい。

●本物のサイキックはいるのか?
インド人占い師はトリックを使う詐欺師と、ネットではさんざんな評判ですが、中には、占いがすごく当たっていて感銘を受け、電話番号を教えてもらって時々相談しているという人もいます。
中には本物の占い師もいるのかもしれません。

あまりの詳細な分析に、驚きが止まらない。
好きな数字なら3、好きな花ならRose、という部分については、思い当たることがあった。
少し前に読んだ「インド大魔法団」(山田真美著、清流社、1997年。この本、めちゃくちゃ面白いのでいずれ詳しく紹介します)という本の中で、インドのマジシャンがこんなことを言っていたのだ。

「ひとつ単純な手品を例にとってお話ししましょう。まず一枚の紙切れを用意して、そこに誰にも見られないように〈薔薇、3〉と書いてください。そしてそれを机の上に伏せて置きます。次に、目の前の人にふたつの質問をするんです。ひとつめは〈あなたの好きな赤い花は何ですか〉。ふたつめは〈一から五までの間の数字を言ってください〉。すると興味深いことに、大多数の回答者は迷わず〈薔薇〉、〈三〉と答えてきます。こうなったら魔術師の思うつぼ。〈あなたの答えは初めからわかっていました。何を隠そう、私には予知能力があるのです〉。そう言って、おもむろに紙を表向きにしてやりましょう。びっくり仰天されること請け合いですよ」

「ただし、この手品には重要なポイントがあるのです。第一に、相手に考える時間を与えないということです。〈好きな赤い花は?さあ、すぐに答えて?〉という具合に、早口で急かすように問いかけるのがコツです。赤い花といえば大半の人が瞬間に薔薇を思い浮かべる、その反射神経だけを利用した手品なのですから。(中略)
二番目に大切なのは言葉の使い方、つまりレトリックの問題で、〈一から五までのあいだの数字〉という風に、〈あいだの〉というところを強調して質問するのがコツです。すると、質問された人は無意識的に、一から五までの数字のちょうど真ん中にある数字、すなわち三を選ばされてしまうのです」


これは、mixiに投稿した人物が書いているのと全く同じ手法である。
『インド大魔法団』によると、物理的なトリック無しに相手の心のうちを読む方法は、インドのマジシャンたちの間では、素人にタネを明かしても問題がないほどに知られているようであり、同じ技法をヨギ・シンが使っていたとしても、全く不思議ではない。

まずは最大公約数的な答えを紙に書いておき、そのうえで、万が一相手が予想外の回答をしたときには、「すり替え」のテクニックを使って予言を的中させるというのは、じつに合理的なやり方だ。
「すり替え」のトリックは、以前私が調べた「ヨギ・トリック」の技法を使えば可能である。
(ちなみに、mixiの投稿にあったような、答え合わせのときに必要だからと言ってヨギ・シンが答えをあからさまにメモするという話は、私が知る限りでは聞いたことがない)

さらに、母親の名前をあてるトリックについての考察も筋が通っている。
「ヨギ・シンに母親の名前を当てられた」という報告は多くあり、そのなかには、自分が母親の名前を伝えていないのに的中されたというものもあったのだが、ホテルやゲストハウスから情報を得ていると考えればこれも説明がつく。
ヨギ・シンが、自らの予知能力にリアリティーを持たせるために、複数のテクニックを組み合わせているとしたら、彼らは怪しげな詐欺師に見えて、実はかなり熟練したパフォーマーだということになる。

「シーク教徒のしるしであるターバンを巻いているのに、ヒンズー教的な話をしたり、ヨガ行者だといいながらもヨガの知識が乏しい人もいる」という指摘に関しては、留意すべき部分があるだろう。
インドのローカル文化においては信仰を超えて宗教的文化が共有されていることもあるし、「ヨギ」という言葉は、ヨガ行者だけでなく、より広い意味での行者や聖者を指すこともある。
つまり、この部分だけで彼が「シク教徒」や「ヨギ」であるということがフェイクだとは言えないのである。
インドの人々が、危険から身を守るため以外の理由で(例えば、特定の宗教が暴力的に弾圧されているような状況以外で)他の信仰を騙ることは考えにくいように思う。
私の考えでは、彼らは紛れもなくパンジャーブにルーツを持つシク教徒だろう。

彼らが「本物かどうか」という問いは、「何をもって本物とするか」ということも含めて、ナンセンスであるように思える。
プロレスラーが格闘家であるのと同時にパフォーマーであるのと同じように、ヨギ・シンも占い師であると同時に手品師でもあり、見方によっては聖人でもあり詐欺師でもあると考えるのが、私にはしっくりとくる。

それにしても、最後にさらりと書かれている「電話番号を教えてもらって時々相談している人もいる」という情報には驚いた。
私はヨギ・シンは尻尾をつかまれないためにも連絡先の交換などはしないと思っていたからだ。
じつはこれについては、さらに驚くべき情報を見つけてしまったので後述する。

これを書いた人物は、いったいどうやってこれだけの情報を集め、仮説を組み立てたのだろうか。
情報集めはインターネットを駆使してできるとしても、ここに書かれているかなり詳細な仮説については、一朝一夕に考えられるものではない。
マジックグッズにかなり詳しいことを考えると、この人物もマジシャンなのだろうか。
あらゆる状況を想定してトリックを推理しているところを見ると、この人物も相当な熱意を持ってヨギ・シンの謎に取り組んでいるということが分かる。
(個人的には、通信機器やハイテク機器を使ったものに関しては、あまり可能性がないのではないかと感じているが)
今から7年以上前の書き込みではあるが、この人物がいったいどうやって情報を集めたのか、その後ヨギ・シンの正体に迫るより詳しい情報をつかむことができたのか、機会があればぜひ伺ってみたい。


今回、ヨギ・シンに関する日本語の情報を収集するにあたり、もう1件面白い書き込みを見つけた。
2014年1月22日に、「Yahoo!知恵袋」へのこんな投稿である。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13119851783

この筋書き通りでした。このドケチな私が500ドル(5万円くらい)払いました。
今日遅めのランチをとりに会社を出たときに、インド人が私を見てハッと立ち止まり、You are Lucky と話しかけてきました。結構綺麗な身なりをしていたので、疑うこともなく話を聞きました。
名前はヨギシンでした。彼は、インド訛りの英語で
○「あなたは会社で非常に疲れているのだろう、おそらく自分の出した結果ほど評価されていないのでイライラしている。(その通り)」
○「幸せそうに振舞っているが、心は幸せではない(まぁ当てはまる)」
○「あなたは自分の会社を興すであろうし、それがもう少しで花開く(ネットショップ準備中)」
○「あなたは人に何か言われて何かするよりも、自分で引っ張っていきたいタイプ。(まぁ)」と聞いてもいないことをベラベラと勝手にしゃべり始めて、それが以外に合っていたので、私が驚いていると、まだ話したいことがあると、近くのコーヒーショップで話をすることになりました。

好きな花、番号、母親の名前、主人の名前を当てたら、報酬として金をよこせと。
金持ち500ドル、中流300ドル、貧乏人100ドルでした。

手帳みたいなのをもってて、そこに神様の写真と、恵まれない子供の写真が入っており、
そこにお金をいれろと言ってきました。

ここでピン!と昔シドニーでもヨギシンに会った事を思い出し、シドニーにも行った事あるんじゃないかとしつこく聞くと、オーストラリア、イギリス、カナダと英語圏の滞在を認めていました。

手持ちのお金がないといったら、私も丁度ATMに行く用事があったので、ATMまで一緒についてきました。
断らずになぜか私もお金を渡してしまいました。

10年前にシドニーで全く同じことがあり、思い起こせばその時も100ドル払いました。
今回はシンガポールで、ヨギシンと遭遇。疑うことなく、500ドルを渡してしまいました。

さらに、私がお金をもっていると思ったのか、どんどん要求が増えてきました。

○ 黒魔術にかかっているので、それを取り払ってやる
○ 明日ランチを一緒にしないか、そして携帯電話をひとつかってくれ
○ ディナーをおごってくれ
○ 今晩、会わないか

ここらへんから、ちょっと怪しいなと思いつつも、金返せとは言えず話だけ聞いて
you are so lucky to get the money from the most stingy person like me. 私みたいなドケチからお金をもらえてラッキーだね。と伝え、ヨギシンは別れ際に赤い石をくれました。やっぱ騙されたのかな。私疲れてたんだわきっと・・・

補足
さっき電話がかかってきて、ものすごいパワーの黒魔術にかかっているそうです。
至急取り払う必要があると言っていました。

なぜか「暮らしと生活ガイド>ショッピング>100円ショップ」のカテゴリーに書き込みされたこの投稿(もはや質問ですらないが)は、ネタだと思われたのか、まともな回答はひとつもついていないが、ヨギ・シンのことを知っている人が読めば、これが実際の体験談であるということが分かるだろう。
冒頭の「この筋書き通りでした」が何を指すのかは不明だが、前述のmixiの投稿のことを指しているのかもしれない。
それにしても驚かされるのは、この文章を書いた人物が、シドニーとシンガポールで2回ヨギ・シンに会っているということ、そして、ヨギ・シンから頻繁に連絡が来て、食事に誘われたり、口説かれたり(?)しているということだ。
またしても秘密主義だと思っていたヨギ・シンの印象が覆される情報だ。
これも、500ドルも支払ったという「太客」だからだろうか。


ヨギ・シンの出没情報と、遭遇報告(もちろん過去のものでも大歓迎)については、今後も募集し続けるので、ぜひコメントかメッセージを寄せてください! 
また、今回紹介したmixiやYahoo!知恵袋の投稿をした方をご存知でしたら、ご連絡いただけたらうれしいです。

ヨギ・シンについては、その後も地道に調査を進めています。
また何か書けるとよいのだけど。

ひとまず今回は、これまで!


(続き。ついに明らかになるヨギ・シンのルーツに迫ります)


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goshimasayama18 at 20:35|PermalinkComments(6)

2019年12月30日

知られざる魔術大国インド ヨギ・シンの秘術にせまる(その2)

前回の記事(その1)はこちらから


インドが知られざるマジック大国であることを発見した私は、ヨギ・シンの手がかりを求めて、インドの伝統的な奇術やマジシャンについて調べ始めた。
どんなジャンルにも専門書はあるもので、Lee Siegelという作家/宗教研究者が書いた"Net of Magic : wonders and deceptions in India"という本(1991年、Chicago University Press)は、デリーのShadipurという地区で暮らすマジシャン・カーストの様子がいきいきと描かれていて、大変面白かった。
この本によると、マジシャンになれるのはマジシャン・カースト内に生まれた人間に限られており、たとえ彼らが孤児を迎えて育てたとしても、孤児はあくまでも助手の役割しかすることができないという。

インドのマジックは、単純なショーというより、「神の奇跡」を模して演じられる。
興味深いことに、ときにはマジシャンが「占い」を行うこともあるようだ。

マジックショーは神の名を唱えることから始まる。
彼らのショーの中で、例えばオモチャの鳥が本物の鳥になったり、死んだ人が生き返るというマジックが披露されるとき、それは神による奇跡だという演出がなされる。
また、この本には息子が親の決めた結婚に従わないという相談に対して、マジシャンが魔法の実(ここではライム)を渡して、心変わりをさせるまじないを教えたりする場面も描かれていた。
インドでは、マジシャン、占い師、超能力者の境界は、きわめて曖昧なのだ。

この虚実が一体となった世界は何かに似ていると思ったのだが、考えてみたらそれはプロレスだった。
プロレスは、身もふたもない言い方をしてしまえば、屈強な男たちが、闘いを「演じる」興行なわけだが、その強靭に鍛え上げられた肉体から繰り出す技の基礎には、競技名からも分かるとおり、レスリングの技術が存在している。
シュート(リアルファイト)の技術のあるアスリートが、「パフォーマンスとしての戦い」をするというわけだ。
さらには、個々のプロレスラーのキャラクターについても、虚実が複雑に絡み合っている。
例えば、インド系の伝説的プロレスラー、タイガー・ジェット・シンは、地元カナダでは小学校にその名が冠せられるほどの名士でありながら、リング上ではヒール(悪役)として非道の限りを尽くすというキャラクターを演じている(タイガー・ジェット・シンについては、近々何か書くつもり)。
全てをリアルとして手に汗握ることも、虚構と割り切ってショーとして楽しむこともできるのだが、完全に虚構とは言い切れない何かがそこにはある。
この構造はインドのマジックと全く同じだ。

虚実といえば、マジシャンたちは自身の信仰に関係なく宗教を演出に取り入れているようで、例えばムスリムのマジシャンが、ヒンドゥーの神話や神の名をパフォーマンスで口にすることもあるという。
ヒンドゥーのなかにもムスリムのなかにもマジシャンは存在しており、彼らはときに同じ伝統を共有している。
ということは、シク教徒の占い師ヨギ・シンも、マジックとトリックと超能力が渾然一体となった、インドの大地の魔術文化のなかにいると言ってよいだろう。

マジックについての調査を続けるうちに、ヨギ・シンが行なうようなマジック(相手の心を読む)は、ひとつのカテゴリーとして確立しているということが分かってきた。
「カードマジック」とか「ステージマジック」のようないちジャンルとして、相手の心を読むことを主眼としたマジックの専門家が、世界中大勢いるのだ。
このジャンルについて調べてゆけば、きっと彼に近づくことができる。 
そう確信して調査を続けることにした。

ここで少し言い訳をさせてもらうが、ここから先、いよいよヨギ・シンが行う秘術の核心に触れることになる。
ところが、彼らが行う占い(というかマジック)の、いわゆるタネについて、どう書いたものか、未だに結論が出せずにいるだ。
ヨギ・シンと世界中のマジシャンたちの共通財産でもあるそのトリックを、軽々しく公開すべきでないだろう。
だが、それを書かなければ、ヨギ・シンの本質について書くことはできない。
なんとももどかしいジレンマだが、書ける範囲で書くことにすることをご容赦いただきたい。


人の心を読むことをテーマとしたマジックについて調べ始めて間もなく、ヨギ・シンが使う手法によく似た技法を見つけることができた。
それはこんな演出のマジックだ。

マジシャンは、お客さんの中から一人を選び、好きな数字(数字以外、例えば親や恋人の名前でも、持っているお金の合計金額でも何でもいい)を頭の中でイメージしてもらう。
次に、マジシャンはお客さんの心を読むふりをしてメモ用紙に何事かを書きつけると、書いた面がお客に見えないように自分の側に向けて、メモを体の前で保持する。
続いて、お客さんに、その想像した言葉を大きな声で口にしてもらう。
そこで隠していたメモ用紙を開示すると、なんとそこには、たった今お客さんが言った内容がそっくりそのまま書かれている。
(マジシャンが紙に何かを書いたのは、お客さんが答えを言う前だったのに!)

このマジックとヨギ・シンの「占い」の違いは、ヨギ・シンの場合、最初に書いた紙を自分が持つのではなく相手の手の中に握らせるという部分だ。
だが、それ以外はほぼ全く同じであり、ヨギ・シンもこのマジックを応用しているはずだと考えて良いだろう。
このマジックのルーツが分かれば、彼らがどうやってこの技法を自分たちのものにしたのか、その歴史が分かるかもしれない。

だが、それは調べるまでもないことだった。
なぜなら、このマジックの名前そのものが、この技のルーツを、何よりも雄弁に語っていたからだ。
「ヨギ・トリック」。
本当はこの名前ではないのだが、タネ明かしやネタばらしを避けるために、ここではそう呼ぶことにする。
(読んでくださっているみなさんには申し訳ないが、やはりここでヨギ・シンやマジシャンたちのメシの種を奪ってしまうことはできない。以降、この技術の本当の名前やトリックの核心には触れないが、極力ヨギ・シンの謎に迫れるように書いてみる)
このマジックには、欧米で生まれたのではなく、インドの占い師やグルたちによって作られたことが一目で分かるような名前がつけられていた。
しかも、この技法について解説したウェブサイトには、この「ヨギ・トリック」は「もともと読心術や降霊術等に使われていた」という記述まであった。
間違いない。
この「ヨギ・トリック」も、インドのマジシャンや占い師によって編み出され、やがて世界中に流出した技術のうちのひとつなのだ。

マジシャンのJames L. Clarkが執筆した"Mind Magic and Mentalism for Dummies"という本によると「ヨギ・トリック」の起源は、歴史の中で失われてしまっているものの、1898年にWilliam Robinsonなる人物が"Spirit Slate and Kindred Phenomena"という著書でそのトリックを紹介した頃には、この技はすでにマジシャンたちに知れ渡っていたという。

このWilliam Robinsonという男が、ヨギ・シンたちの技術を欧米のマジシャンに広めた「犯人」の一人なのだろうか。
そう思ってこの男について調べて見たところ、彼もまた一筋縄ではいかない人物だった。

William Robinsonは、20世紀初めのイギリスで人気を博したアメリカ人のマジシャンだった。
彼は、Ching Ling Fooという中国人マジシャンから着想を得て、自らも東洋人のギミックを使うことを思い立つと、中国風のメイクを施し、髪を辮髪に結い上げてChung Ling Sooというキャラクターを演じて大人気となった。
フーディーニがキャリアの初期にインド人マジシャンを装ったように、彼もまた東洋のミステリアスなイメージを演出に取り入れたのだ。
彼の中国人ギミックは、舞台上では決して英語を話さず、取材の際も通訳をつけて対応するというほどの徹底ぶりだった。
彼の生涯は、その死に様まで記憶に残るものとなった。
1918年3月23日、彼はショーの最中に銃弾を受け止めるマジックに失敗して命を落としたのだ。
死後に身元を調べて、彼がじつは白人だったことを知った人々は大いに驚いたというから、彼もまた虚実皮膜の人物だったのである。
19世紀の早い段階から、パンジャーブ地方のマハラジャをはじめとするシク教徒たちはイギリスに移り住んでいたようだから、ひょっとしたら彼は「ヨギ・トリック」をインド人のマジシャンか占い師から学んだのかもしれない。

いずれにしても、この「ヨギ・トリック」について調べるうちに、そのタネについては大まかに理解することができた。
だが、それでも疑問は残る。
このトリックでは、占い師(手品師)自身が手にしているメモに、相手が思った言葉を書きつけることはできても、トリックをかける相手自身が握っているメモに書くことはどうしても不可能なのだ。
さらに、1993年にバンコクで高野秀行氏が遭遇したヨギ・シンは、高野氏の小指の付け根あたりに、「好きな数字」を青色で浮かび上がらせるという技まで披露したという。
また、デリーでヨギ・シンらしきターバン姿の占い師に遭遇したという人からは、自分が言葉で伝える前に、母親の名前や兄弟の数を的中させられたという報告もあった。
どうやらヨギ・シンは、私が調べた「ヨギ・トリック」だけではなく、複数の技法を組み合わせて、「占い」をしているらしい。
その中に本物の超常現象が含まれている可能性も、完全に否定することはできない。 

世界中のマジシャンたちが、古くから「ヨギ・トリック」を自らのショーに取り入れて、観客を驚かせ、喝采を浴びている一方で、本家のヨギ・シンたちは、今日も旅先の異国の街で、あくまでも占いを装い、詐欺師と呼ばれながら生業を続けている。
現代のマジシャンたちは、「ヨギ・トリック」のタネを知っていても、いまだにそのルーツとなった集団が世界中を旅して、「占い師」として生き続けていることをほとんど知らないだろう。
ヨギ・シンと会い、その不思議な技に驚かされた(そしてお金を巻き上げられた)人も、彼らが歴史ある流浪の占い師集団であることも、そのテクニックが今ではマジック界で広く取り入れられていることも知らないだろう。

ヨギ・シンの「魔術」を暴くことが野暮で無粋とは知りつつも、ここまで深く彼らのことを知っている人間は自分の他にはいないかもしれないという思い上がりから、この記事を書いた。
彼らは100年以上に渡る不思議な伝統を保持して生きる集団でありながら、これまであまりにも大切にされてこなかった。
インドでは100年以上にわたる伝統を守り続ける集団は珍しくもないと思うが、それにしても、技術を搾取され、今も不安定な身分で世界中を渡り歩いて暮らす彼らには、そろそろ正当な評価が与えられても良いのではないだろうか。
100年以上にわたってグローバリゼーションの波間に揺られてきたヨギ・シンたち。
果たして100年後も、世界中の街角で彼らに出会うことができるのだろうか。


ヨギ・シンについての、マジックの分野からの記事はひとまずこれでおしまい。
彼らには、これからもまた別の角度から迫ってみたいと思います。
そして、100年後と言わず、今すぐにでも彼らに再会したい。
強くそう願っています。


(続き。ヨギ・シンの謎に深く迫っていた謎の人物について)



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goshimasayama18 at 04:55|PermalinkComments(5)

2019年12月24日

知られざる魔術大国インド ヨギ・シンの秘術にせまる(その1)

虹を見るとき、いつも思う。 
もしこの現象が、空気中の水滴と光の屈折が引き起こしたものに過ぎないということを知らなかったら、どんなに感動できただろう、と。
この雨上がりの空にかかる色彩の橋が、神々や精霊のしわざかもしれないと思えたら、どんなに素晴らしいだろう。
学ぶのは大切なことだが、知れば知るほど、この世界から神秘は失われてゆく。

知りすぎた我々の周りからは、神や妖怪や精霊たちの居場所は失われ、我々は物質だけの味気ない世界で暮らすようになった。
それでもなお、この世界に残された謎の正体を知りたがってしまうのが人間の性というもので、何が言いたいのかというと、先日からしつこく書いているヨギ・シンのことなのである。

ネッシーもツチノコも人面犬も口裂け女も、もはや誰もまともに信じている人はいない今日、 ヨギ・シンは、この不思議が失われた世界の最後の謎とも言える存在なのだ。
しかも、他の謎や都市伝説と違って、「彼」は確実にこの世界に存在している。

ヨギ・シンを知らない人のために、「彼」の「発見」から出会いまでは、少し長くなるが以下を参照してほしい。







参照するのがめんどくさい方のために端折って書くと、占い師とも詐欺師ともつかない不思議なインド人との遭遇体験が、世界中で報告されているのだ。

「彼」は、じつに不思議な手口で人の心を読み、お金をだまし取って生計を立てている。
いや、だまし取ると言っては「彼」に失礼だ。
「彼」がしていることは、客観的に見て、一般的な占い師やマジシャンと変わらない。
トリックを使った技をさも超常現象のように見せかけることも、科学的根拠のない未来予想を告げてお金を要求することも、それだけで詐欺とは呼べないだろう。
欧米の都市で彼が'scam'(詐欺)と呼ばれる理由があるとしたら、事前に有料だと言わずに、「占い」のあとでお金を請求することと、お客が支払った金額に満足せず、さらにその何倍ものお金を請求することだと思うが、これは別に詐欺行為ではなく、単に欧米と南アジアの商習慣の違いである。
さらにお金を請求されても、それ以上払わなかったという人も、払わずに逃げたという人も何人もいるし、それに対して脅されたり暴力を振るわれたりしたという話は聞いたことがない。
かなり贔屓目な私の意見など参考にならないかもしれないが、彼はそんなに悪い男ではないのだ。

運良く(あるいは、運悪く)「彼」に出会ったとしよう。
「彼」はあなたに「君は幸運な顔をしている」などと声をかけてくる。
「彼」は小さな紙に何事かを書きつけると、それを丸めてあなたの手に握らせてから、あなたの好きな花や数字を尋ねる。
あなたがそれに答えると、「彼」は握りしめている紙を広げて読んでみるように言う。
すると、なんとそこには、さっきあなたが答えた通りの花の名前や数字が書かれている。
その後、さらに高度な質問(例えば、母親の名前など)を的中させたり、未来を占ったりしたうえで、その対価としてお金を要求するというのが、代表的な「彼」の手口だ。

古くはミャンマーで1950年代に出版された小説にその存在の記述があり、90年代にはノンフィクション作家の高野秀行さんがバンコクで遭遇している。(『辺境中毒!』という本にそのエピソードが書かれている)
インターネットが発達した2000年代以降、驚くべきことに、「彼」との遭遇はロンドン、シンガポール、メルボルン、ニューヨーク、トロントなど、世界中の都市で報告されている。
最新の報告は、数日前に日本人の青年が香港で遭遇したという事例だ。
ミャンマーの小説の舞台は1930年代だというから、少なくとも100年近い歴史のある占い(もしくは詐欺)ということになる。

「彼」は、名前を名乗るときも名乗らないときもあるが、名乗る時は必ず「ヨギ・シン」という名であることが分かっている。
「シン(Singh)」はシク教徒の男性ほぼ全員に名付けられるライオンを意味する名前で、「ヨギ」はヨガなどの行者を意味している。
自分はパンジャーブ出身であると言うこともあり、ターバンなど、シク教徒らしき特徴であることも多い。
(「シク教」は16世紀に現在のインド・パキスタンの国境地帯であるパンジャーブ地方で成立した宗教で、男性はターバンを着用することが教義に定められている。現在ではターバンを巻かないシク教徒もいる)


報告された時代と場所がこれだけ多岐にわたっているということは、長年にわたって同じ手口を生業とするグループが存在するということだ。
『インド通』という本を書いた大谷幸三氏によると、シク教徒のなかで、こうした辻占で生活する、低い身分とされている集団があるという。
だが、それ以上のことは何も分からない。
彼らは世界中に何人いるのか。
いつ頃から、彼らは存在しているのか。
海外に出てまで辻占をして、はたして採算は取れるのか。
そして、彼らの技術には、どんなトリックがあるのか。
彼らについて知りたいことはいくらでもあった。

そんな時、なんと「彼」が東京に現れたという情報が入った。
先月(2019年11月)のことだ。
様々な方からの情報が寄せられ(謎のインド人占い師と遭遇した人が検索して私のブログを見つけて、コメントを残してくれたのだ)、写真や遭遇地点の情報をもとに、私は出没報告のあった丸の内を捜索した。
そして、幾日にも渡る捜索の結果、私はついにヨギ・シンと思われる男と遭遇したのだ!
だが、「彼」の正体を知っていることをほのめかした私は警戒され、「彼」は何も語らずに立ち去ってしまった。
私は千載一遇のチャンスを逃してしまった。
まさか怪しいインド人に怪しい男扱いされるとは想像もしていなかったが、考えてみれば、海外で詐欺とも取れる行為をする彼らが警戒を怠らないのは当然のことだった。
もし私が警察や入国管理局の関係者だったとしたら、「彼」は拘束されたり、強制退去させられたりするかもしれない。
私は作戦を誤ったのだ。

その後、それまで何日も続いていた東京でのヨギ・シン遭遇報告はぱったりと途絶えてしまった。
報告によると、ターバンを巻いた初老の男、ターバンのないもう一人の初老の男、そして私が会った比較的若い男の、少なくとも3人のヨギ・シンが東京に来ていたはずだ。
彼らは正体を知っている人間がいることを恐れて、東京から去ってしまったのだろうか。

直接彼らと接触する術を失った私は、別の方面からの調査を行うことにした。
ヨギ・シンの最大の謎と言ってよい、不思議な「技」についての調査だ。
私は、彼の「技」と同じようなテクニックを、テレビか舞台でマジシャンが披露しているのを見た記憶があった。
彼の「技」と同じか、少なくともよく似た技術が、マジックのなかにあるはずだ。
彼の「技」のルーツが分かれば、彼らについてきっと何か分かることがある。
例えば、もし彼の「技」が20世紀前半にイギリスのマジシャンによって発明されたものだということが分かれば、彼らの技法はその時代にインドからイギリスに渡った移民によってコミュニティにもたらされたと推測できる。(実際、シク教徒はインド独立前後にイギリスに移民として渡った者が多かった)

私は、大型書店、図書館、そしてインターネットで、マジック関連の文献の中に手がかりがないか調べ始めた。
そこで改めて気づいたのは、マジックの種類というのは、数え切れないほど無数にあるということだ。
その一つ一つを調べて、彼の「技」との類似点がないかを確認するには、相当な労力と時間が必要だ。

それに、調べれば調べるほど、プロのマジシャンが行うマジックのタネが分かってしまうというデメリットもあった。
私はマジックを見るのが結構好きなのだ。
ヨギ・シンの秘密を探るためとはいえ、知りたくないマジックのタネまで知ってしまうというのはあまりにもむなしい。
マジックもまた、知ることでその神秘を失うのだ。
いずれにしても、多すぎるマジックのタネを、片っ端から調べてゆくのは効率が悪すぎる。
彼の「技」によく似た、数を的中させるマジックといえば、まず思い浮かぶのはカードマジックだ。
私は手始めにカードマジックから調べてゆくことにした。

すると、カードマジックのごく初歩的な部分のなかに、気になる言葉があるのを発見した。
カードマジックについて書かれた本に、「ヒンズー・シャッフル」という単語があったのだ。
「ヒンズー」はほぼ間違いなくヒンドゥー教のことだろう。
これはきっとなにかインドに関係があるに違いない。
調べてみると、我々日本人がトランプをシャッフルするときに行うごく一般的なやり方を、マジックの世界では「ヒンズー・シャッフル」と呼ぶということが分かった。
語源は、かつてインドのマジシャンたちがこのシャッフルを多用していたからだという。

インドのマジシャン。
私はその言葉を見つけて、はっとした。
なぜ今までその発想に至らなかったのだろう。
華やかなラスベガスなどのイメージから、私はマジックの本場といえばアメリカ、そしてそのルーツであるヨーロッパだとばかり考えていた。
だが、インドほどの歴史と文化を誇る土地であれば、そこに豊かな奇術の歴史があっても全くおかしくはないのだ。
調べてみると、インドはイブン・バットゥータが旅行記を著した13世紀から、世にも不思議な奇術を行うマジシャンたちの国として知られていたという。

そう、インドはかつて、マジック大国だったのだ。
とくにロープマジックについては深い歴史とバリエーションがあり、また誰もが見たことがあるであろう箱の中の人物に剣を刺すマジック(もともとは箱ではなく籠が使われていたようだ)も、寝たまま空中浮遊した(ように見える)人物にフラフープを通してみせるマジックも、その発祥の地はインドだという。

考えてみれば、インドほど怪しげでミステリアスな、マジックが似合う国は他にないのではないだろうか。
なにしろ、かのフーディーニも、そのキャリアの初期には顔を褐色に塗り、インド人の魔術師に見えるような演出をしていたという。
インドはむしろマジックの本場とも言える国なのだ。
インドの民衆が誇る知的財産とも言えるマジックは、悲しいことに、植民地支配や独立後の欧米との経済力の格差によって、先進国に流出してしまったのである。

皮肉なことに、悲願の独立を果たしたインド社会では、藩王国の解体によって、宮廷を舞台に活躍していた芸術家たちはパトロンを失ってしまった。
路上で生計を立てていた大道芸人たちも、近年の都市開発によって居場所を奪われ、もはやその文化は風前の灯火だという。
近代国家として歩みだしたインドに、マジシャンたちのための場所はほとんど残されていなかったのだ。
そもそも幼い頃から親族共同体のなかでともに暮らして修行する伝統的な手品師の生き方は、近代的な学校制度とも相入れないものだった。
さらに、映画やテレビといった新しい娯楽が、彼らの衰退に追い打ちをかける。

彼らの先祖から技術を盗んだ先進国のマジシャンたちは、今日もタキシードを着て、華やかなステージで洗練されたマジックを披露する。
着飾った観客たちのなかに、そのマジックのいくつかのルーツがインドにあると想像する人が、はたしているだろうか。

そう考えてみると、一度はインドから奪われたマジックという「文化遺産」を使って、先進国の都市で人々を幻惑してはお金を稼いでゆくヨギ・シンは、たとえ本人が意図していなかったとしても、インドの伝統にのっとったやり方で、文化的かつ歴史的なリベンジを果たしているとも考えられる。

長くなったうえに、話が迷走気味になってきたので、今回はここまで。
次回は、いよいよヨギ・シンの「技」の核心に迫る。
虹の神秘を失わずに、その本質を伝えるには、どう書いたものか。


(写真は丸の内の路上で11月に撮影されたターバン姿のヨギ・シン。彼を含め、少なくとも3名のグループが来日していたと思われる)
ヨギ・シン2加工済み


その他参考文献:前川道介(1991)『アブラカダブラ 奇術の世界史』白水社、Lee Siegel(1991)"Net of Magic : wonders and deceptions in India" The University of Chicago Press
参考ウェブサイト:https://qz.com/india/1330572/indian-magic-once-captivated-the-world-including-harry-houdini



(つづき)



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goshimasayama18 at 00:47|PermalinkComments(9)

2019年11月16日

ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その3)

これまでの「ヨギ・シン」シリーズ

1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
 

2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
 

3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
 

4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」
 

5.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その2)」



目の前に、ずっと探し求めていた相手がいる。
2時間ほど前に「イチさん」から送られて来た画像に写っていた、口まわりから耳元まで短いヒゲを生やしたダークカラーのスーツの南アジア系の男。
世界中で遭遇体験が報告されている、人の心を読むことができる謎の占い師、「ヨギ・シン」の一人。
写真だとダークグレーに見えたスーツは、近くで見ると暗い色のチェック柄だ。
数日前から丸の内近辺に出没している「ヨギ・シン」(少なくとも3人いることが分かっている)は「あなたの顔からエネルギーが出ている」と声をかけてくるという報告を受けていた。
だが、彼が私に向かって発した第一声は、意外なことに「顔からエネルギー」ではなく、"How are you?"だった。

ここが肝心だ。
戸惑いを見せず、自分のペースを崩さず、話の主導権を握る必要がある。
インドの物売りや客引きが、観光客相手にそうするように。
「ファイン。あなたは、占い師のミスター・シンでしょう」

私は笑顔のまま右手を差し出し、握手を求めた。
彼が反射的に出した右手を握り返す。

図々しくもフレンドリーなインドの商売人と渡り合うなら、こちらも同じくらい図々しくネゴシエーションをする必要がある。
そうすれば、向こうも負けじと馴れ馴れしく接してくるはずだ。

「ああ、そうだ。私を知っているんだね。君の顔からエネルギーが出ているのを感じるよ」
そんな答えが来ることばかりを予想していた私は、次に彼が発した至極平凡な反応に、一瞬虚をつかれた。

「以前、会ったことがあったかな?」

まったく想定外の言葉だったが、ここは調子を合わせるしかない。
笑顔を崩さずに淀みなく答える。

「ええ、私はあなたと会ったことがある」

意外にも、彼の顔に浮かんだのは、親密さではなく、わずかな困惑の表情だった。
少し焦ったような口調で、彼が問いかける。

「あなたはどこから来たんだ?いったい誰を探しているんだ?」

「ミスター・シン、私は日本人だ。あなたを探していたんだ」

「私といつ会った?」

彼は努めて平静を装っていたが、その口調からは焦りと困惑が高まっていることが感じられた。

「数日前に会ったじゃないか」

私はつとめてフレンドリーに、適当な出任せを口にした。
インドで初対面なのに「ハロー、フレンド」と話しかけてくる路上の人々のように。
それでも、彼の慎重な姿勢は変わらない

「どこで私に会ったんだ?」

彼の表情に警戒心が浮かぶ。
私には敵意も悪意も、金をだまし取ろうという気もない。
これ以上適当な嘘の続きも思いつかず、少しだけ正直に、こちらの意図を伝えることにした。

「実は、数日前に私の友達があなたに会ったんだ。あなたの話を聞いて、私もあなたに会いたいと思っていた。あなたは占い師のミスター・シンでしょう」

こう伝えれば、彼は警戒心を解いて、本来の占い師として私に接してくれるはずだった。
この奇妙な日本人は、あなたの上客なのだ。
ところが、彼の反応はまたしても予想外のものだった。

「いや、私は違う。あなたは誰を探しているんだ?」

まさかの否定。
まだこちらのフレンドリーさが足りなかったんだろうか。
笑顔を崩さずに、さらに図々しくたたみかける。

「あなたは占い師のミスター・シンのはずだ。私の友人があなたに会っている。あなたは素晴らしい占い師だと聞いている」

「違う。私ではない」

彼が示しているのは、明確な「拒絶」。 
はぐらかされた時やすっとぼけられた時にどう対応するか、予想以上の高額の料金を請求された時にどうやり過ごすかは事前に準備していた。
しかし向こうが拒絶したときへの対応は、全く考えていなかった。
この時点で、私はなお、自分に敵意がないこと、そして、彼の正体を知っていることを伝えれば、彼が心を開いて、話をしてくれるものと信じていた。

「聞いてくれ、私はあなたに敵意はない。あなたを占い師としてリスペクトしている。占い師のミスター・シン。話を聞かせてくれ」

「違う」

彼は今にも立ち去りそうなそぶりを見せた。
なんとしても引き止めなければ。
そして、心を閉ざす彼に、正確に意図を伝えなければ。

「聞いてほしい。私は警察ではないし、決してあなたが詐欺師だなんて思ってはいない。私はただ、あなたがたの文化について知りたいだけなんだ。私の友人からあなたのことは聞いている。あなたは占い師でしょう。これは、あなたでしょう」

私は、最後の手段として、イチさんからスマホに送られて来た、通行人に声をかける彼の画像を見せた。
きっと、もう言い逃れができないことが分かれば、諦めて占い師として接してくれるはずだ。
そう思っていた。

彼の表情に驚きの色が浮かぶ。
しばらく私のスマホを凝視したのち、彼は目線を逸らして、ふたたびこう答えた。 

「違う」

そう言うと、彼は向きを変え、東京国際フォーラムの中庭を南に向かって歩いてゆき、一度も振り返らずに、歩道を右に曲がって、姿を消した。

あまりにも明確な拒絶に、私は立ち去る彼を呆然と眺めることしかできなかった。
いったい何が起きたのか、まったく理解できなかった。
ただ千載一遇のチャンスを完全に棒に降ってしまったことだけは分かった。
彼は、自分が占い師だということを明確に否定した。

もしかして、イチさんが送ってきた写真の男とは別人だったのだろうか。
今話した男はチェックのジャケットを着ていた。
送られてきた画像の男のジャケットは、無地のダークグレーに見える。
別人であってほしい。
祈りながら画像を拡大してみると、写真の男が着ているのは、やはり先ほど間近に見たのと同じ、暗い色のチェック柄のジャケットだった。

それとも、彼はそもそもヨギ・シンではなかったのか。
だが、それなら最初に「占い師のミスター・シン」と話しかけた時点で、はっきりと否定していたはずだ。
あの時彼は「以前会ったことがあったかな」と反応した。
自分はシンではない、とか、占い師ではなくエンジニアだ、とか言うのでもなく、いつ、どこで会ったかということを執拗に尋ねてきた。
それに、彼はイチさんから送られてきた写真の中でも、私と話す前も、通行人に声をかけていた。
彼がヨギ・シンであることはやはり間違いないだろう。

立ち去る彼は、少なくとも角を曲がるまでは、携帯電話で誰かに連絡するようなそぶりは見せなかった。
もし彼が、自分たちの正体を知っている人間が探し回っていることを脅威だと感じたのなら(彼の態度はそれを物語っていた)、まず仲間に伝えるはずだ。
すぐに電話を出さなかったところを見ると、彼らが日本で使える携帯電話を持っていない可能性もある。

彼は南側に歩いて行った。
これまで報告されているヨギ・シンとの遭遇地点で国際フォーラムより南側にあるのは、日生劇場だけだ。
彼らは少なくとも3人はいるはずだ。
もし彼が日生劇場付近にいる仲間に状況を報告しに行くとしても、国際フォーラムより北にある丸の内仲通りや二重橋付近、大手町にはまだもう1人のヨギ・シンがいるかもしれない。
私の希望はもはやそれしか残されていなかった。

丸の内、二重橋、大手町。
大手町、二重橋、丸の内。
目を凝らしながら、遭遇報告のあった場所を何度も往復した。
スーツ姿の日本人男性の黒い髪を、何度も黒いターバンに見間違えた。
だが、ヨギ・シンはいない。
捜索する通りを広げても、ターバンの男も、50歳くらいのインド人も全く見当たらない。 
今日はこのエリアにはいないのか。

それならば、ダメモトでさっき会った男でもいい。
もう一度しっかりと話せば、何か教えてくれるかもしれない。
ほんの僅かな可能性にかけてみたかった。
ふたたび国際フォーラム、日生劇場前。
前日に報告があったシャンテ周辺。
だが、どんなに歩いても、彼も、別のヨギ・シンらしき男もいなかった。
日が落ち、とても彼のトリックができない暗さになった頃、私は完全に失敗したということをようやく理解した。


それにしても、彼の態度はいったい何だったのだろうか。
彼とのやりとりは、実際はもっと長く、彼は私に少なくとも2回以上「どこから来たんだ?(Where are you from?)」と尋ねてきた。
そのたびに、私は'from Japan'と答えたが、彼は、例えば私が警察のような組織から来た人間なのか、なぜ自分のことを知っているのか、と聞きたかったのかもしれない。
あるいは、彼が日本に来る前に、別の国で会ったことがあると思ったのか。

世界中で人々に声をかけて、口八丁手八丁で金をせしめるタフな男。
天皇即位の祭典で厳重な警備が敷かれた丸の内でも、構わずにその商売を行う豪胆な男。
ヨギ・シンは話好きで、口の上手い男だとばかり思っていた。
だが、私が話しかけた男は、最後まで警戒心を解かない、慎重で猜疑心の強い人物だった。

そして、明確な拒絶。
普通、自分から客に声をかけて稼いでいる占い師が「あなたは占い師ですよね」と声をかけられたなら、これ以上ないチャンスのはずである。
だが、彼は自分が占い師であることを完全に否定した。
ただ頑なにNoだけを繰り返した。
このことが意味するのは、彼が、自分のしているのは占いではなく詐欺行為である、少なくともバレてはまずい行いであると認識しているということだ。
そして、その占い/詐欺行為は、彼がどんなことをするか知らない人間にしか通用しないということを、よく理解しているのだ。

遠い異国で、違法スレスレ(もしくは違法)なことをして働くということは、想像以上にシビアなのだろう。
ひとつ間違えれば、逮捕や拘束、強制送還ということもありうる。
彼らが、自分たちのことを嗅ぎ回る人間に対して、慎重すぎるくらい慎重になるのは、考えれば分かることだった。
 
それにしても、そこまでの危険を冒す価値があるほど、この「ビジネス」は身入りが良いのだろうか。
他の南アジア系の労働者のように、インド料理店で働いたり肉体労働をするよりも効率的なものなのだろうか(さすがにITやエンジニアのスキルがあれば、この辻占はやらないだろうが)。
これもぜひ聞いてみたかった。
あるいは、代々占いを生業にしてきた彼らは、単に他の生き方を知らないだけなのかもしれない。
そう考えると、彼の拒絶反応は、先祖代々が守り通してきた商売の秘密、そして今も世界中で働く仲間たちが守り通している彼らの「占い」の秘密を守るためのものだったのかもしれない。

あの頑なな態度は何かに似ていると思ったが、それはインドであやしい男に声をかけられ、絶対に関わりたくないと感じた時の自分の態度そのものだった。
あの完全な拒絶は、自分の身を守るものが何一つない外国で、自分の身を脅かすかもしれない人物、自分からなにかを奪おうとしている人物に対する態度だった。


私が彼に出会うまで、毎日のように寄せられていたヨギ・シンとの遭遇報告は、その後、一件もない。


ヨギ・シン2加工済み
ヨギストーン

今でも、自分が長年探し求めていた「彼」と東京で会えたということが信じられない。
だが、手元にあるイチさんから送られてきたターバン姿の「ヨギ・シン2」の画像と、「みょ」さんから送られてきた「彼」からもらったという黒い石の画像が、「彼」が実際に東京にいたという何よりの証拠だ。
(イチさんからは、私が遭遇した「ヨギ・シン3」の画像も送られてきているが、それはじかに接したときの彼の態度を考えて、公表は控える。ごくありふれたインド人の姿が写っている。)

私の手には、握手した時の彼の手の感覚が残っている。
それは、堅くも柔らかくもなく、温かくも冷たくもない、ただただ普通の手だった。






最後に教訓。
もしあなたの住んでいる近くの街で、ヨギ・シンの出没情報があり、彼に会いに行こうと思ったら、
  • それらしき人物を見つけても、決して自分から話しかけてはいけない
  • 声をかけられるのを待つしかない
  • 顔からエネルギーを出そうとする必要は、たぶんない(むしろ、信じやすそうな雰囲気を出した方が声をかけられやすいかもしれない)
  • 「彼」のことを聞きたかったら、まずは何も知らないふりをして占いを受け、そのあとに少しずつ聞くのが良いだろう
  • 詮索するような態度は見せない方が良い
  • 彼はお金のためにやっているのだから、謝礼をはずむと言えば、何か教えてくれるかもしれない
私は自分こそが理解者だと思って接したが、結局私は「彼」に警戒され、逃げられただけだった。
自分の愚かさを痛感している。
これからも、「彼」については調べてゆきたいが、今回のヨギ・シン捜索記はひとまずこれまでとなるのではないかと思う。

続編が書けることを期待している。
もし、この謎のインド人占い師について、何か情報があったら、どんな些細なことでもお寄せください。




追記:ヨギ・シンのトリックの秘密にせまった続編はこちらです。



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goshimasayama18 at 16:36|PermalinkComments(0)