インドのインディーズシーンの歴史的名曲レビュー

2019年08月06日

インドのインディーズシーンの歴史その14 バンガロール出身の洋楽的ロックバンドThermal And A Quarter

VH1INDIAによるインドのインディー100曲
今回は、ここのところすっかりご無沙汰していた、インドのインディーミュージックの歴史を辿るこの企画の第14回目をお届けする。
今回紹介するのは1996年結成のロックバンド、Thermal And A Quarterだ。
現在のメンバーはBruce Lee Mani(ギター/ヴォーカル)、Rajeev Rajagopal(ドラム)、Leslie Charles(ベース)の3人。(ベーシストは何度か交代している)
これまで、この企画ではムンバイやデリー、あるいは海外在住のミュージシャンを紹介することが多かったが、前回紹介したMotherjaneは南部ケーララ出身、そして今回のThermal And A Quarterも南部、インドのシリコンバレーとして有名なカンナダ州バンガロール出身のバンドだ。
1990年代、インドのインディーミュージックシーンはまだまだ小さかったが、特定の都市だけではなく、インドじゅうの大都市で同時多発的に発展してきた。

彼らは96年に結成されたのち、カレッジ・フェスティバルなどで経験を積み、2000年にファーストアルバム"Thermalandaquarter.com"をリリース(IT都市として世界中で知られるようになってきていた当時のバンガロールらしいタイトル!)。
今回紹介されている'One Small Love'は彼らが2009年にリリースした楽曲だ。

5拍子の変則的なリズムの楽曲だが、インド音楽の要素は全くなく、英語ヴォーカルのメランコリックなロックソング。

彼らはインドのなかでも非常に洋楽的なサウンドを聴かせるバンドと言えるだろう。
彼らの音楽にはロック、ファンク、ジャズ、ブルース、プログレなど、さまざまな音楽の要素がミックスされており、曲ごと、アルバムごとに多様なルーツをハイブリッドした楽曲を聴かせてくれている。
2001年にはDeep Purpleの、2012年にはGuns'n'Rosesのバンガロール公演のオープニングアクトも経験するなど、その評価はキャリアを通じてかなり高いようだ。

ホーンセクションを導入したファンキーな楽曲、"MEDs"


こちらもホーンセクションを導入した、シカゴのようなブラスロックを思わせるポップナンバー"I Am Endorsed, And you?". この2曲はいずれも2015年のリリース。


同じ年の作品から、SNSに没頭する生活を皮肉っぽく歌った"Like Me".


現時点での最新曲はレイドバックしたグルーヴが心地よいLeaders of Men.
 
彼らは自分たちの音楽性を「バンガロール・ロック」と名付けており、今世紀に入って「世界のバックオフィス」となったバンガロールの不安をテーマにしたコンセプトアルバムなども発表しているようだ。

インドのバンドであることを全く感じさせない英語ヴォーカルの洗練されたロックは、国際都市バンガロールならではのサウンドだ。
同時代ではなく過去の音楽(70年代あたり)を参照する感覚は、日本の渋谷系にも通じるものがある。
ルーツとなる音楽への深い理解と、それを再現する高い演奏能力には驚かされるばかりだ。

インドの音楽シーンの懐の深さを毎回感じさせられるこの企画、次回は'00年代に国内盤も発売されていたデリーのエレクトロニカ・デュオMIDIval Punditzを紹介!
乞うご期待!

参考サイト:https://www.livemint.com/Leisure/34ncrjzZbr52LR75w1ivwM/QA-Thermal-and-a-Quarter.html

 

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2019年05月04日

インドのインディーズシーンの歴史その13 ケーララから登場!カルナーティック・メタルバンド、Motherjane!

インドのインディー音楽シーンの歴史的名曲を辿ってゆくこの企画、13回めの今回は、ケーララ州出身のロック/ヘヴィーメタルバンドMotherjaneを紹介します。
VH1INDIAによるインドのインディー100曲
これまで、この企画で紹介して来たアーティストは、在外インド人アーティストが6組、ムンバイを拠点とするアーティストが5組。
残りの1組はデリー出身なので、ここで初めて南インド出身のバンドが登場して来たことになる。

以前紹介した通り、ここケーララ州はインドのなかでもロックが盛んな土地。
「ケーララ州のロックシーン特集!」
伝統的に州政府が教育に力を入れてきたケーララ州は、インドの中でも高い識字率、インターネット普及率を誇る。
また、伝統的に海外への出稼ぎ労働者も多い地域であるため、欧米文化へのアクセスが他州に比べて容易な環境でもあった。
こうした背景が、州の規模に不釣り合いなロック普及の要因となったようだ。
インド北東部の諸州と同様にキリスト教文化が根付いていることも、欧米文化との親和性の高さの一因と言えるかもしれない。
(ただし、北東部は20世紀に入ってから布教されたプロテスタントの信者が多いのに対して、ケーララ州は早くも1世紀には聖トマスによってキリスト教が伝来したと伝えられており、また大航海時代にポルトガルの貿易拠点であった歴史もあることから、カトリックの信者が多い)

今回紹介するのは、1996年結成のMotherjaneが2007年に発表した楽曲"Broken".

インドロック界の名ギタリストと称されるBaiju Dharmajanによる古典音楽由来のフレーズが全編に散りばめられた楽曲だ。Motherjaneは南インドの伝統音楽とロックの融合に関しても先駆的なバンドである。

ケーララ州の都市コチで結成されたMotherjaneは、カレッジでのフェスティバルなどで演奏活動を開始した。
1999年にBaijuが加入すると、バンドは活躍の場を広げてゆき、2002年にデビューアルバムの"Insane Biography"を発表する。
このアルバムに収録された"Soul Corporations"という楽曲は、日本のヘヴィーメタル評論家の和田“キャプテン”誠が監修した「劇的メタル」というコンピレーションにも収録されており、さらに2003年にはAsian Rock Rising Festivalというイベントでなんと来日公演も実現している。
今回彼らのことを調べてみるまで、昨年来日したデスメタルバンドのGutslit以前に来日公演を行ったインドのメタルバンドがいたとは全く知らなかった。

そのコンピレーション盤に収録されていた、おそらくは日本に紹介された最初のインドのヘヴィーメタルということになる、"Soul Corporations".

この楽曲ではカルナーティック的な要素はギターソロに少し見られるくらいで、QueensrycheやDream Theaterの影響が感じられるプログレッシブ・メタル的な曲調だ。

彼らがカルナーティック音楽の要素を大きく取り入れたのは2008年にリリースされたセカンドアルバム"Maktub"から。
このアルバムではBaijuの独特のカルナーティック的ギターフレーズとともに、ケーララ州の伝統的な太鼓であるチェンダを取り入れるなどローカル色を全面的に打ち出し、彼らの個性を開花させた作品となった。

"Maktub"収録の"Mindstreet"では、正統派プログレッシブ・メタル的な音楽性を維持しながら随所にカルナーティック的な旋律が散りばめられている。
このアルバム発表後、彼らはインドを代表するメタルバンドとして、MegadethやMachine Head, Opethといった海外のバンドのインドでの公演のオープニング・アクトを務めるなど、さらに活躍の場を広げることになった。

その後、2010年にBaijuは自身のバンドWrenz Unitedを結成するためにバンドを脱退したが、その後も本家Motherjaneともども活躍を続けている。

Wrenz Unitedが5拍子のカルナーティック的フレーズが入ったリフを導入したKing and Pawn.

2:28からのギターソロも、他のギタリストでは思いつかないようなフレーズが飛び出してくる。

Baijuが以前紹介した北東部シッキム州のハードロック・ヴォーカリストGirish Pradhanと共演したGuns and Rosesの"Sweet Child of Mine"のカルナーティック風カバー。

インド南北の実力派ヴォーカリスト/ギタリストによる素晴らしいコラボレーションだ。

本家Motherjaneが昨年リリースした楽曲"Namaste"のビデオは二人組ダンサーUllas and Bhoomiをフィーチャーしたもの。

すっかりオーセンティックなハードロックに回帰しており、彼らが持っていたカルナーティックの要素はBaijuによってもたらされたものだったことが分かる。

2000年代、インドのインディーミュージックシーンは北部の大都市のみならず、全土に広がってゆく。
次回のこの企画で紹介するThermal and a Quarterは南部カルナータカ州のバンガロール出身。
お楽しみに!


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2019年04月17日

インドのインディーズシーンの歴史その12 Anoushka Shankar

インドのインディーズシーンの歴史を辿る企画、今回は第12弾!
VH1INDIAによるインドのインディー100曲

今回紹介するのはAnoushka Shankar(アヌーシュカ・シャンカル)。
すでにご存知の方も多いと思うが、あのビートルズが傾倒し、ジョージ・ハリスンが弟子入りまでしたことで有名な北インド古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)の大御所、シタール奏者 のRavi Shankar(ラヴィ・シャンカル)の娘だ。
ラヴィ・シャンカルの娘といえば、かのNorah Jones(ノラ・ジョーンズ)が有名だが、ノラはラヴィがニューヨークで一時期恋愛関係にあったコンサートプロモーターのSue Jonesとの間にできた子どもで、アヌーシュカから見て異母姉にあたる。
ラヴィの女性関係は、仙人みたいな音楽をやっているわりに結構派手で、ノラもアヌーシュカも最初の奥さんとは別の女性との間にできた子どもである。
インド古典音楽に詳しくない私の勝手な感じ方ではあるが、ヒンドゥスターニーは非常に官能的な響きを持つ音楽でもあるし、古典音楽の演奏者だから浮世離れした人間だろうという先入観のほうが間違っているのかもしれない。

今回紹介する"Traces Of You"は2013年にアヌーシュカ・シャンカル名義でリリースされた作品で、ヴォーカルにノラ・ジョーンズをフィーチャーしたもの。
古典音楽とジャズ/ポップス、それぞれの分野で活躍している異母姉妹が共演した楽曲ということになる。

それにしても、家柄的にもインド古典ど真ん中のアヌーシュカと、ジャズ/ポップスシンガーとして世界的な大成功を納めている超メジャーなノラ・ジョーンズの共演が、どうしてこの「インドの"インディーズ"音楽」の歴史に入ってくるだろうのか。
思うに、それは欧米諸国や東アジアから大きく遅れて21世紀に入ってから急速に発展したインドのインディーミュージックの歴史が、単なる先進国の音楽(ロックやヒップホップやエレクトロニック・ミュージック)の模倣ではなく、西洋の音楽とインドの音楽の融合の歴史でもあるからではないだろうか。

Raviの後継者として伝統音楽の道に進んだアヌーシュカと、アメリカでジャズやソウルといった西洋音楽の道に進んだノラ。
これまで、欧米の現代音楽とインドの古典、つまりロックやクラブミュージックと伝統音楽の融合を試みてきた気鋭のミュージシャンを何人も紹介してきたが、これは1960年代から東西の音楽交流の礎を築いてきたシャンカル家の、言わば真打ちによるものだ。

さすがの貫禄というか、この楽曲ではインド古典音楽を、これまで紹介してきた曲たちのように、刺激的なスパイスとして使うのではなく、穏やかな時間を演出するものとしてうまく活かしている。
インド音楽の懐の深さを感じさせられるアレンジだ。

さらに深読みすれば、この曲は、シャンカール家から、西洋音楽とインド音楽とのフュージョンに果敢に挑んだジョージ・ハリスンへの、40年越しのお礼参りと解釈することもできるだろう。

ジョージがビートルズでインド音楽を取り入れた試みは、ロックリスナーにインド音楽への注目を集めさせた一方で、師匠のラヴィからは「本物のインド音楽になっていない」酷評されたと聞く。
ビートルズの曲の中で、典型的なインド風音楽である"Within You, Without You".

欧米のポピュラーミュージックの中では、インド音楽の要素は長らく「サイケデリック的な記号」としてのみ扱われていた。
それが在外インド人社会やインド国内の音楽シーンの発展にともなって、インドのアーティストが本格的に西洋音楽とクラブミュージックの融合始めると、ようやく本格的な東西のフュージョンが質・量ともに充実を見せるようになってきた。
ジョージが生きていたら、こうした現代感覚を持ったインドのミュージシャンたちともぜひ共演してほしかったなあ、としみじみ思う。

ジョージによるインド音楽とロックの融合の試みから40年。
欧米の音楽界に神秘的なインド音楽の魅力を紹介したのは間違いなくラヴィだったが、今度はラヴィの血を引くミュージシャンたちが欧米のジャズやポップスを自らのものとし、この美しいフュージョン・ミュージックを作ったというわけだ。

ちなみに歌詞を読み解いてゆくと、この"Traces of You"というタイトルの"You"は、どうやらアヌーシュカとノラの父、ラヴィのことを意味しているようである。
今日のインドの音楽シーンには、欧米の音楽とインドの伝統音楽を融合させた、世界に類を見ない素晴らしい音楽がたくさんあるのはこのブログでも紹介している通り。

その種を蒔いたラヴィへのリスペクトが、この曲には込められている。



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goshimasayama18 at 22:13|PermalinkComments(0)

2019年03月15日

インドのインディーズシーンの歴史その11 極上のフュージョン・アンビエント Karsh Kale

インドのインディーズシーンの歴史を彩った名曲をひたすら紹介するこの企画
VH1INDIAによるインドのインディー100曲

今回はとりあげるのはまた在外インド人アーティストによる作品で、Karsh Kaleが2001年に発表した'Anja'.

Karsh Kaleはイギリス出身のインド系タブラプレイヤー/エレクトロニカアーティストで、現在は米国籍を取得している。
彼自身はマラーティー系(ムンバイがあるマハーラーシュトラ州がルーツ)だが、この曲のヴォーカルはどうやらテルグ語(南部アーンドラ・プラデーシュ州の言語)らしく、テルグの民族音楽とのフュージョン(もしくはテルグ系シンガーのコラボレーション)ということのようだ。

Karsh Kaleは以前紹介したTalvin Singh同様、 90年代にイギリスを中心に勃興した「エイジアン・アンダーグラウンド」のシーンで頭角を現した。
このエイジアン・アンダーグラウンドはクラブミュージック(電子音楽)と南アジア(インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ)の伝統音楽を融合したもので、当時、伝統音楽のルーツを持つ多くの移民アーティストが活躍していた。

Talvin Singhがよりドラムンベース的なアプローチだったのに対して、Karsh Kaleはどちらかというとアンビエントっぽい音楽性が特徴。
当時、こういうインド音楽とアンビエントを融合したサウンドは、Buddha Barとかのチルアウト/エスニック系のコンピレーション盤で重宝されていた記憶がある。

タブラ奏者には他ジャンルとの共演で名を上げたプレイヤーがとても多くて、タブラ界の最高峰Zakir HussainはGrateful DeadのドラマーMicky HartらとのDiga Rhythm Bandやジャズ・ギタリストJohn MclaughlinとのShaktiをやっているし、Trilok Gurtuもジャズ系のミュージシャンと共演して多くの作品を残している。
Bill Laswellによるタブラと電子音楽の融合プロジェクトであるTabla Beat Scienceにはここに名前を挙げたタブラプレイヤー全員が参加している。

Karsh Kaleの他の曲も紹介する。'Milan'

アンビエントから始まってストリングスも入って盛り上がる構成は映画音楽的でもあるが、Karshは実際に映画音楽のプロデュースなども手がけている。

先日公開になったGully Boyのサウンドトラックから、"Train Song".

デリー出身の国産エレクトロニカ・アーティストの先駆けMidival Punditzとの共作で、ヴォーカルは人気シンガーのRaghu Dixit.

次回のこの企画で紹介するシタール奏者のAnoushka ShankarとあのStingが共演した楽曲もある。

結果的に非常にイギリス的というか、ロンドン的な空気感のサウンドとなったと感じるが、いかがだろうか。

Karsh Kaleのサウンドを聴いていると、まるくて抜けのよいタブラの音色の心地よさが、音の気持ちよさを追求するアンビエント/エレクトロニカ的な音像に見事にはまっていることが分かる。
00年代初期の時代性を感じるサウンドではあるが、音楽としての質の高さ、心地良さは今聞いてもまったく色褪せていない。

現代では、インド本国にもアンビエント/エレクトロニカ系の優れたアーティストが非常にたくさんいるが、インド音楽と電子音楽の「音の心地良さ」を追究する姿勢には本質的な共通点があるのかもしれない。
いずれにしても、今回紹介したKarsh Kaleは、インド系アンビエントミュージックのさきがけ的な存在と言うことができるのではないかな。

それでは、また!

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2019年01月05日

インドのインディーズシーンの歴史その10 インダストリアル・メタルバンド Pentagram

インドの音楽専門チャンネル、'VH1 Sound Nation'が選んだ、インドのインディーミュージックシーンの歴史に残る73曲を紹介するこの企画。
久しぶりの今回は記念すべき10回目!
VH1INDIAによるインドのインディー100曲

今回紹介するのは、1994年にムンバイで結成されたバンド、Pentagram.
このリストに入っているのは1996年に発表したデビューアルバム'We Are Not Listening'からの楽曲'Ignorant One'だけど、あいにくスタジオ音源が見つからず、楽曲的にもなんかイマイチだったので、ここは独断で同じアルバムから'The Price Of Bullets'をお送りさせていただきます!


Pentagramはヘヴィロックにエレクトロ/インダストリアル的なアプローチも取り入れたバンドで、Wikipediaによると初期にはSeal、Depeche Mode、Prodigyなどのカバーをしたこともあったという。
この曲では、大胆にラップが導入されており、中間部の古典音楽風のパートもなかなかうまく組み込まれている。
90年代のインドのロック事情を考えると、1996年にこの音楽性は「かなり早い」と言える。
当時からちゃんとファンがいたのか心配になるくらいだ。

より大々的にエレクトロ・ロックを取り入れたのは2002年に発表した2枚目のアルバム'Up'からで、2005年にはイギリスのグラストンベリー・ミュージック・フェスティバルにインドのバンドとしては初の出演を果たすなど、2000年代に入ってからはさらに活躍の幅を広げた。

2006年のアルバム'It's Ok, It's All Good'から、かなりエレクトロ色が強い、'Electric'

同じアルバムから、さらにポップなメロディーの'Voice'
  

2011年のアルバム'Bloodywood'から、ムンバイの有名なお祭り、Ganesh Visarjanで撮影された'Tomorrow's Decided'.
 
世界的な視点で見たら、とくに新しいことをやっているわけではないかもしれないが、彼らもまたインドのインディー音楽史のなかではインダストリアル・メタルのパイオニアということになる。

それにしても、ここまでインド側(在外インド系アーティストではなく)の紹介してきたミュージシャンはほぼ例外なくヘヴィーロック系。
音楽途上国にさまざまな音楽文化が流入するとき、まずいちばん始めにメタルが入ってくるという話があるが、インドのインディーシーンもそんなふうに発展していったのだと思うとなかなかに感慨深いものがある。

次回の「インドのインディーズシーンの歴史」はまた在外インド系アーティストを紹介します!
それでは、また!


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2018年11月04日

インドのインディーズシーンの歴史その9 UKエイジアン・トリップホップ Nitin Sawhney

インドのインディーズシーンを紹介するこの企画。
これまでインド国内のシーン黎明期のミュージシャンと、在外インド人ミュージシャンをほぼ交互に紹介してきたが、今回はこの在外ミュージシャンを紹介。

VH1INDIAによるインドのインディー100曲

イギリス国籍のインド系ミュージシャン、Nitin Sawhney。
Nitin Sawhneyは1964年にイギリスはロチェスター生まれのインド系ミュージシャンで、ジャンルとしてはトリップホップやアシッドジャズに分類されることが多いようだ。
音楽的ルーツとしてはピアノ、クラシックギターに加えてタブラとシタール。
これまで見てきた在外インド系ミュージシャン同様に、当時の先端の音楽にインド古典の要素を加えた音楽性で高い評価を得た。

個人的にも、彼の名前は90年代から00年代にかけて人気を博した、Buddha BarやCafe Del Marといったアンビエント系コンピレーションでよく名前を見かけた記憶がある。

今回のリストで選出された楽曲は、1999年にリリースされた'Letting Go'. 
 
90年代末らしさ全開のセンスの良い叙情的なトリップホップを聴かせてくれる。

途中までPortishead風のサウンドだったところに、1:38からの間奏で突然インド風のヴォーカリゼーションとバイオリン(サーランギ?)が入ってくるけど、この曲のインドの要素はごくわずか。
このミクスチャーはちょっと唐突で隠し味程度のものだけど、ロンドンで育ったNitinの心象風景はこんな感じなのだろうかと思わせる。

じつは今回初めてアルバムを通して聴いたのだけど、トリップホップ調、インド風に加えて、ヒップホップからドラムンベースまで、音楽的な引き出しの多さと組み合わせのセンスの良さにびっくりした。

インド的な要素で欧米的に「センスが良い」とされる音楽をどこまで作れるかという見本市のようなアルバムだ。
反核実験のメッセージを持ったアルバムでもあるが、同じ時代にインドを訪れた私にとっては、98年の核実験を大国化への前進と位置付けて歓喜しているインドの人々と、この都会的なアルバムを作ったイギリスのインド系移民との「断絶」をかえって感じてしまう。

'Homelands'ではカッワーリーと叙情的なガットギターのコンビネーションに、北インドから中近東を飛び越えてスペインのフラメンコにまでつながるロマの音楽の始点と終点が何の違和感もなく同居しているし、'Nadia'の伝統的なインドの歌唱へのドラムンベースの合わせ方も凄い。
アルバムを通して映画音楽的なピアノやストリングスも効いている。

インドの伝統音楽の要素を、オーガニックなものとしてではなく、都会的な音像のなかで使っているのが印象的だ。
今聴いても全く色あせないこのアルバムは、20世紀末のロンドンのインド系移民にしか作れないサウンドのひとつの到達点。
このあと、ムンバイやバンガロールがどんどん栄えて、センスの良い印欧フュージョンの音楽がたくさん作られるようになっても、出てくる音がまた全然違うんだから面白い。
そのへんは追ってこの企画で紹介することになるでしょう。

それでは今日はこのへんで。


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2018年10月14日

インドのインディーズシーンの歴史その8 インドのMetallica! Brahma!

インドのインディーズシーンの歴史を紐解くこの企画。
これまで、1980〜90年代にかけてのインドの音楽シーンを、大きく分けて2つの潮流から紹介してきた。
ひとつめは、当時の流行音楽とインドの伝統を融合することで、世界じゅうのどこにもない音楽を作ってきた在外インド系のミュージシャン。
もう一方は、海外の模倣から徐々にオリジナリティーを獲得し、自分たちの音や言葉を獲得してきたインド国内のミュージシャンだ。
VH1INDIAによるインドのインディー100曲
とはいえ、まだまだこの時代のインドのロックは発展途上段階。
今日の1曲も、またしても海外の有名アーティストの「模倣」 のような音楽性なのだった。
今回紹介するのは、インド初の?ヘヴィーメタルバンド、Brahmaが2003年に発表したセカンドアルバムから、'Bomb'という曲。
まあとりあえず聴いてみてください。
 
どうでしょう。
曲作り、声、歌い回し、衣装に至るまで、もろMetallica!って感じじゃないですか。

彼らは1993年にムンバイで結成されたバンドで、メンバーはDevraj Sanyal(ヴォーカル)、John Ferns(ギター)、Vince Thevor(ベース)、Cyrus Gorimar(ドラム)の4人組に、2011年に新たにギターのFerzad Variyavaが加入した。

バンド名のBrahmaは、ヒンドゥー神話上の「創造の神」の名前。
ブラフマーはヒンドゥー教の三大神(Trimurti)として、維持の神ヴィシュヌ、破壊と再生の神シヴァと並び称されている重要な神だ。
とはいえ、神としてのブラフマーは、厚く信仰されているヴィシュヌやシヴァと比べると非常に地味な存在で、主神として祀られている寺院もラージャスタン州のプシュカルにあるのが有名なくらいで、その存在の重要性に対して、かなり人気にない神様だ。
不人気の理由は、多くの民間伝承と習合して人間味あふれる神話を多く持つヴィシュヌやシヴァと比べると抽象的、観念的な存在であるからとも、自らの体から作り出した女神サラスヴァティーを娶ったとされる神話が近親相姦的であると忌避されているからとも聞くが、果たして。
名前からすると、オリジナルメンバーのうち3人はクリスチャンのようだが、(あとから加わったFerzadはゾロアスター教徒の名前だ)そんな彼らがヒンドゥーの神の名前を名乗っているというのはなかなかに興味深い。

それはさておき、このほぼMetallicaみたいなあまりオリジナリティーの感じられないバンドがこのリストに入っているのにはおそらく理由がある。
思い返せば20世紀末にインドやネパールを訪れた時、原地の「ロック好き」(このエピソードに書いた以外にも何人か会った)が好んで聴いていたのは、不思議とジミヘンやボブ・マーリーやディープ・パープルなどの60〜70年代のロックだった。
ロック好きの不良っぽい少年なんかに「メタリカとかは聴くの?」と尋ねても「そういうバンドがいるのは知ってるけど」とあまり好みではないような反応だった。
あの頃の南アジアでは、60年代や70年代のロックで十分に反体制でカッコよく、きっと過剰にヘヴィーな音楽は求められていないのだろうなあ、と思ったものだった。
何が言いたいのかというと、93年にこの音楽性でバンドを結成したBrahmaは、かなり「早かった」ということである。
今では実力あるデスメタルバンドをたくさん輩出しているインドだが、彼らこそインドにおけるスラッシュメタルやグルーヴメタルといった現代的ヘヴィロックバンドの先駆けだったというわけだ。

ところでこの曲、このリストでもYoutubeでも'Bomb'と紹介されているが、ウェブサイトによっては'Bomb the !!!!!!!!'と書かれている。「!」のところは隠語のようだ。
調べてみると、どうやら本当の曲名は'Bomb the Bastards'、(クソッタレどもに爆弾を落とせ)というものらしく、過激すぎるという理由で省略されたタイトルで表記されているのだろう。
気になって歌詞を調べてみたら、なんとももやもやすることになった。

歌詞を簡単な対訳とあわせて紹介すると、こんな感じだ。

We've spent so much time trying to talk 長い時間を対話に費やしてきた
All I think we got in turn was flak 帰ってきたのは砲弾ばかりじゃないか
Politicians being good to get their votes 政治家どもは票を得るために善人ぶっている
This country's nothing but a fucking joke この国はクソみたいな冗談でしかない

Be good to thy neighbor was what the lord said 神は汝の隣人を愛せというが
But the lord didn't see the neighbor stab us dead 神は隣人が俺たちを殺したのを見ていなかったんだ
Bomb them all to make them hear our talk 奴らに俺たちの言い分を聞かせるために爆弾を落とせ
Talk our talk, walk our walk 俺たちが思い通りに語り、ふるまうために

Bomb the bastards make them pay クソッタレに爆弾を落とせ、奴らに代償を払わせろ
It's the only language they'll take to their graves 奴らが墓場に持っていく言葉はこれだけだ
The government's too weak to take a stand 政府は弱すぎてはっきりと言うこともできないが
We ourselves have to release god's hand 俺たち自身で神の手を解き放つんだ

これでもまだ途中までだが、こんな歌詞が続く。
ここでまず気になるのは「隣人」という言葉。
対話、政治家、国、砲弾、爆弾という言葉から容易に想像がつく通り、ここで歌われている「隣人」は、隣国パキスタンのことを指していると考えて間違いない。

最後のラインのgod's hand, 神の手というのはおそらく核兵器のことだろう。
インドは1998年にヒンドゥー至上主義的な思想を持つインド人民党(BJP)政権のもとで、2度目の核実験を行った。
パキスタンもこれに対抗して核実験を挙行し、反目し合う印パ両国は、双方ともが核保有国として緊張を高め合うこととなった。

ヒンドゥー教徒の中には、いわゆるヒンドゥー・ナショナリズムとして反イスラム、反パキスタン的な感情を持つ人もいるが、クリスチャンである彼らが隣国に対してここまでの強い表現をするということに正直驚かされた。
(インド人の場合、たまにクリスチャンでなくても英語風の名前をニックネームとして名乗ることがあるので、彼らもそうなのかとも思ったが「汝の隣人を愛せ」の歌詞からも分かるように、おそらく彼らは本当にクリスチャンなのだろう)

憎悪でも破壊衝動でも、音楽でネガティブな感情を表現することを否定するつもりは全くないが、特定の国家に属する人たちに対するここまでのいわゆる「ヘイト表現」というのは、異国のこととはいえ、正直いってかなり引いた。
とはいえ、これもまたインドのリアルな一側面ということなのだろう。
Youtubeの動画のコメントが彼らのサウンドに関することばかり(Metallicaだけでなく、TestamentやMetal Church、Megadethとの類似を指摘する声もあった)で、歌詞の内容に共感するような声がなかったことに救われた気分になった。
彼らの評価は純粋に音楽面でのインドにおけるヘヴィロックのパイオニアとしてのものなのだろう。

いずれにしても、こうしてインドのロックにまた新しい段階のヘヴィネスが加わったというお話でした。
それでは!


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2018年10月02日

インドのインディーズシーンの歴史その7 現役ベテランロックバンド、Indus Creed!

インドのインディーズシーンの歴史を紐解くこの企画、今回で7回目を迎えました。
インド独立73周年に合わせて73組が紹介されているので、残すところあと66回!
果たしてインドのインディーズシーンの歴史に何人くらいの読者が興味を持っているのか、いまひとつ分からなかったりもするのだけど、始めてしまったものはしょうがない、今回もおつきあいくださいませ。
VH1INDIAによるインドのインディー100曲

今回紹介するのはIndus Creed.
この企画の熱心な読者(いるのか?)はピンと来たと思うけど、第1回目で紹介したVan Halen風のロックソング"Top of the Rock"を演奏していたムンバイのRock Machineが1993年に改名したバンドである。
基本的に1アーティスト1曲のこのリストの中で、改名という裏技を使ってまで2曲が選ばれているということは、それだけインドのロック史で重要なバンドということなのだろう。

今回紹介する曲"Pretty Child"は、前回紹介したTalvin SinghのOK(1998年リリース)から遡ること3年、1995年にリリースされた曲だ。
さっそく聴いてみましょう。


うーん、この曲単体で聴くとどうってことのない曲だけど、少なくとも模倣っぽくは聴こえないし、Rock Machine時代の曲と比べると、後半のタブラを使ったアレンジにインドのバンドとしてのアイデンティティーが出てきているのが分かる。
歌詞も子を思う親心みたいな他愛のないものだが、あまり欧米のロックでは扱わないテーマなので、歌詞の点でもオリジナリティーが出てきたと言えるかもしれない。

同じアルバムに収録されている別の曲、"Trapped".

改名後の彼らが従来の王道ハードロック路線から距離を取っていることが分かる。
そして、ここでも「結構立派なミュージックビデオを撮っているけど、どこで放映されたのか」問題がまた引っかかる。
(MTV Indiaの放送開始は1996年10月)

正直に言うと、前回紹介した在外インド人のTalvin Singhと比較すると、今までになかったような最先端の音楽を作っているわけではないし、同時代の欧米の人気ロックバンドと比べてもこれといって特筆すべきところのない音楽かもしれない。
とはいえ、ひとつの国の音楽シーンのパイオニアとしての価値は、また別のお話。
たとえ地域限定であるにせよ、Indus Creedはインド人にとっての初めての本格的ロックバンドという唯一無二の存在として、今も人気を博しているというわけだ。
はっぴいえんどやキャロルが、世界の最先端だったわけじゃなくても伝説のバンドであり続けているのと同じように。

それでは、また!

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goshimasayama18 at 23:11|PermalinkComments(0)

2018年09月24日

インドのインディーズシーンの歴史その6 フュージョン・エレクトロニカの先駆け Talvin Singh

VH1INDIAによるインドのインディー100曲
VH1 Sound Nationが選んだインドのインディーズミュージックを作ったアーティスト72組を時代順に巡る旅の第6弾。
ここまで、インドの国内のアーティストが海外の流行の模倣から、少しずつオリジナリティーを獲得してゆく過程と、海外在住のインド系アーティストが欧米の音楽にインドのサウンドやリズムを取り入れることで、世界的な人気を獲得してゆくさまを見てきた。

今回紹介するのは、再び海外のインド系アーティスト、Talvin Singhが1998年に発売したアルバム「OK」。
彼がここで表現しているサウンドは、今日まで行われてきたインドのルーツと流行のサウンドが融合されてきた数多くの試みの中でも、ひとつの到達点とも言えるものだ。

Talvin Singhは、前々回にお届けしたのApache Indianに続いて、90年代の音楽シーンに馴染んでいた人には懐かしい名前のはず。
当時、インドにはまっていた学生だった私は「インド好きなの?Talvin Singh聴いた?超かっこいいよ」とこの曲が入っているアルバムを先輩に教えてもらった記憶がある。

Talvin Singhは1970年にロンドンで生まれたインド系イギリス人。
イギリス国籍とはいえ、文化的ルーツを大事にする家庭に育ったようで、幼少期からタブラに親しみ、16歳でパンジャーブ派のタブラを学びにインドに2年間の留学をした。
古典音楽を本格的に学んだTalvinだが、しかし彼はそのまま古典音楽の世界の中で生きることを選ばなかった。
彼は当時イギリスやカナダの南アジア系移民の間で勃興してきていた、電子音楽と伝統音楽をミクスチャーしたジャンル、「エイジアン・アンダーグラウンド」のシーンの中で、めきめきと頭角を現してゆく。
1991年にはニューウェーブバンドのSiouxsie and The Bansheesのメンバーとして"Kiss Them for Me"のレコーディングとその後のツアーに参加。

93年にはBjorkのアルバム「Debut」にパーカッショニストとして参加するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を始める。

90年代も後半に入る頃になると、パンク/ダブ/レゲエのジャンルではAsian Dub Foundationらの台頭もあり、インド系サウンドは「どこか垢抜けないダンスミュージック」から、一躍時代の最先端に躍り出ることになった。
当時インドをバックパッカーとして旅していた私は、電気などのインフラの整備もままならず、抜け目がないけどまだまだ朴訥としたインド国内のインド人と、垢抜けたサウンドを奏でる在外インド系移民たちがどうしても繋がらず、呆然としてしまったのを覚えている。
(今日では、インド国内と在外アーティストのサウンドの差は、こと電子音楽に関して言えばほぼ完全に縮まったと言える)

そんな時代背景のなか、Talvinが98年に発売した記念碑的なソロデビューアルバムが「OK」だ。
例のランキングで紹介されているのはそのタイトルトラック。
前置きが長くなりましたが、聴いてみましょう。 

聴いていただいて分かる通り、謎の沖縄テイストのある楽曲で、コーラスはなんとネーネーズ!
当時聴いたときには、アルバム全体の無国籍感の中でさして気にも留めていなかったのだけど、まさかインドのインディー音楽の歴史を辿るなかで日本の、それも沖縄のアーティストに出会うことになるとは思わなかった。
この曲ではアジアごった煮的なお祭り風サウンドを聴かせているが、アルバム全体はかなり二枚目風な質感に仕上がっていて、例えば2曲めの"Butterfly"はこんな感じ。

こうやって聴くと、タブラの細かくタイトなリズムがドラムンベースに、浮遊感のあるバーンスリー(横笛)とシタールがトリップホップにそれぞれ似た質感を持っており、Talvin Singhのインド由来のサウンドが90年代のクラブカルチャーが持っていた空気感に激しく呼応していたということが改めて分かる。

在英インド系移民によって、インドの伝統音楽と時代の最先端のサウンドが、ちょうど90年代後半に出会うことになったというわけだ。
もちろん、単なる時代のせいというだけではなく、そこにTalvin Singh個人の類稀なセンスが働いていたことは言うまでもない。

その後のTalvin.
2011年にシタール奏者のNiladri Kumarと発表した"Together"では、インド古典音楽にダブ的な手法を取り入れることで近未来的な質感を与えることに成功している。
 

日本のタブラ奏者、Asa-Chang&巡礼による「12節」のRemixを手掛けたりもしている。
 

インドのインディーズ音楽史を紐解くこのシリーズ、第6回目にしていきなり時代の最先端に躍り出てしまったが、果たしてこの先どうなるのか?
乞うご期待を!

 

goshimasayama18 at 18:49|PermalinkComments(0)

2018年09月08日

インドのインディーズシーンの歴史その5 インドロック界の大御所 Parikrama!

インドのインディーズミュージックの歴史を紐解くこの企画、第5回目にお届けするのは、第3回第4回の在外レゲエ系アーティストからインド本国に戻って、インディアンロックシーンの大御所、Parikramaを紹介します!
VH1INDIAによるインドのインディー100曲

Parikramaは「巡礼」を意味する言葉(サンスクリット語)で、今回紹介する曲は、1991年にデリーで結成された彼らが1996年に発表した、"But It Rained".
Rolling Stone India誌が2014年に発表した、過去25年で最も重要なインドのロック25曲にもランクインした曲です。
まずは聞いてみましょう。
 
アイリッシュを思わせるメロディーだが、小さな音ながらもタブラのリズムに間奏のバイオリンと、インド的な要素が感じられる楽曲だ。
これまで紹介してきたRock Machineの"Top of the Rock"とGary Lawyerの"Nights on Fire"が、それぞれVan HalenやWhite Snakeへのオマージュ的な曲だったのに比較して、誰かのコピーではない、オリジナルなサウンドの楽曲であることが分かるだろう。

この曲の歌詞は孤独や憂鬱をテーマにしている。
紛争が続くカシミール地方で、誘拐された家族たちが帰ってくることを待ちながら暮らしている人々を扱った雑誌の記事にインスパイアされて書いたものだという。

インターネット普及前夜の1996年。
インドのロックミュージシャンたちは、サウンドも歌詞のテーマも、模倣からオリジナリティーへの道を歩み始めた。
その記念碑的な一曲として、この"But It Rains"は「インドのインディーズミュージックシーンを作った72曲」の5曲めにリストアップされているのだろう。
初めてインドに行ったのはこの曲がリリースされてから1年後の1997年だったけど、その頃、インドにもこういう音楽をやっている人たちがいるなんてさっぱり気づかなかった。
デリーのカセットテープ屋のオヤジですらロックの存在そのものを知らず、街には映画音楽しか流れていなかったけど、それでもインド独自のインディーズシーンは確かにその胎動を始めていたのだった。

それでは今日はこのへんで。

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goshimasayama18 at 23:33|PermalinkComments(0)