インタビュー

2023年12月10日

二人めのヨギ・シンとの再会


前回の記事で書いた今年2人めのヨギ・シン(本名不明)は、その後も丸の内近辺での「占い」を続けているようだった。
それならまた会いに行ってみよう。
遭遇から1週間後の日曜日、私は自宅から再び東京駅へと向かった。

幻の占い師に簡単に会えるようになった現状を、以前「ツチノコから地域猫レベルになった」と書いたが、結論からいうと、この日もまた簡単に会えてしまった。

今回そのターバン姿の男の姿を見かけたのは、東京国際フォーラム近くの横断歩道だ。
気づかれないように彼の様子を伺うと、クリスマスのイルミネーションに彩られた丸の内仲通りで何人かの通行人に声をかけ、いずれも断られていた。
声をかけた相手は一人で歩いている人ばかり。
二人連れやグループに声をかけると、紙をすり替えるトリックを見破られるリスクがあるからだろう。

彼が他の人に占いをする様子を観察してみたくもあったが、どうやら見込みは薄そうだ。
さりげなく彼の隣を歩くと、案の定、私に声をかけてきた。
この日の第一声は「You have a lucky face」ではなく「You are lucky」。

「私はサイババの弟子なのだが、あなたには来年良いことがある。でも少し考えすぎるところがあるようだ。あなたの仕事は?」

前回とは若干違うパターンだ。

「オフィスワーカーだ」と適当に答えると、ほら当たったと言わんばかりに「だから考えすぎるんだろう」と返してきた。
この「あなたは考えすぎる」はヨギ・シンの定番フレーズだが、彼らは落語の修行みたいに一言一句同じ言葉を伝承されるのだろうか。
サイババの弟子だというのも初めて聞くパターンだ。
前回会った時に彼が見せてきたシルディ・サイババの絵に私が反応したので、サイババが日本でも有名だと思っているのかもしれない。

ShirdiSaiBaba

彼はまず私の手相を調べた。
そういえば、彼は前回も手相を見て「生命線が長いので長寿の相がある」とか誰でも言えるようなことを言っていた。
今回は手相を見てもコメントなし。
ここで気の利いたことが言えると大幅に説得力がアップすると思うのだが、それができないのが彼の至らない点だ。
(とうとう自分はヨギ・シンの批評までするようになってしまった)

今にして思えば、この手相見は、お馴染みのトリックを行うために手を出させる方便なのだろう。
次に彼がした行動は予想通り。
手帳から取り出した紙片に何かを書きつけて、それを私に握らせてきた。
「あなたの好きな花は?」
お決まりの質問である。
1週間前に同じやりとりをしているのだが、彼は私のことをまったく覚えていないらしい。
ここで私は、最も回答する人が多いと言われている「ローズ」と答えてみた。

続いての質問は「1から5の間で好きな数字は?」
これを聞いて、私はもしやと思った。
これは山田真美さんの本『インド大魔法団』に書かれていたトリックと全く同じやり方だ。
「1から5の間で」と言われると、多くの人が無意識に3と答えてしまうというのだ。
あえて引っかかったふりをして「3」と答えると、彼はしてやったりという顔を見せた。

3つめの質問は、「あなたの望みは?」。
「グッドヘルス」と回答すると、彼は前回のように「紙を握った手を額にあてて、その後で息を吹きかけろ」とは言わずに、すぐに紙を広げろという。
つまり、紙のすり替えはしないということだ。

言われたとおりにすると、はたして、そこには、Roseという文字と、3という数字、そして何やらわからないアルファベットの羅列が書かれていた。

「見ろ、好きな花は薔薇、選んだ数字は3」
次に彼は、アルファベットの羅列を指して、「このGはグッドヘルス、Lは長寿(long life)という意味だ」と言った。

GHと2文字だけ書かれているならともかく、どうしていくつかの文字列の中のGがグッドヘルスを意味することになるのか、それにそもそも長寿なんて言っていないじゃないか、とつっこみたいのはさておき、これはなかなかよくできた技法だと思った。
Gと書いておけば、「グッド○○」というときに必ず使えるし、Lもロングライフとかラブとかラックとか、いろいろな言葉に応用できる。
この紙は、このあとすぐ「手帳に挟んでくれ」と言われて回収されてしまったので、手もとに残っていないのだが、そういえば前回もらった紙にも同じような文字が書かれていた。
これは彼らの常套手段なのだろう。
IMG_2023-11-18-17-35-36-690_20231124003545
前回の紙のいちばん下の行にもG'n'Lと書かれているように見える。

ともかく、これで彼らが使うトリックの全貌がわかった。
彼らが最初に握らせる紙にはRose, 3、そしてGとLを含むいくつかのアルファベットが書かれている。
運良く相手が薔薇と3と回答したときにはそのまま紙を開かせて、違う花や数字を言ったときには、紙をすり替えるのだ。
面白いパフォーマンスを見せてもらった対価として彼に1,000円を支払う。

もう正体をばらしてもいいだろうと思って「前に会ったことがある。覚えているか?」と聞いたが、返事は「ノー」。
「どこで会ったんだ?」と逆に聞き返されてしまった
「向こうのほうの大手町のエリアで、先週の土曜日に会った」と答えて、しばらく会話を続けると、ようやく思い出してくれた。
今回もいろいろな質問を浴びせたが、彼は自分の占いにトリックはなく、プラディープのことは知らないし、自分がやっているのは占いではなくメディテーションだという主張を崩さなかった。

親や兄弟もこのトリックをするのか?と聞いたところ、「自分は天涯孤独だ」とのこと。
これもプラディープと同じ答えだが、仲間に迷惑をかけないように、質問されたらそう答えるという取り決めがあるのかもしれない。

孤児たちが師匠からこの怪しい「占い」の技術を教え込まれてヨギ・シンになり、世界中の都市で集めたお金で寺院(孤児院)を運営し、そしてまた新たなヨギ・シンを育ててゆく。
この話が本当なら非常に面白いのだが、その可能性は限りなく低そうだ。
シク教徒のなかのとあるコミュニティ(シク教にはカーストは存在しないことになっているが、実質上のカーストと考えて良い)が路上での占い師をしている(おそらくヨギ・シンのことを指している)と書かれた論文を読んだことがあったし、大谷幸三さんの『インド通』という本にも、辻占の家系に生まれた占い嫌いの男が、生きるために占い師になって海外での辻占でお金を稼ぐ(ヨギ・シンを想起させる記述が出てくる)というエピソードが書かれていた。
インドの伝統を考えれば、家業は血縁によって継承されてゆくと考えるのが自然である。
(最近はそうではないのだが、よそのコミュニティからわざわざヨギ・シンになりたがる人はいないだろうし、彼らがよそ者を受け入れるとも思えない)

ちなみに今回、彼は「孤児院」の写真を見せてこなかった。
日本では路上でいきなり寄付を募るというやり方は受け入れられにくい。
日本人の反応を見ながら、少しずつやり方を変えているのかもしれない。

「シルディ・サイババはずいぶん昔に亡くなっているけど、今のあなたの師匠は誰?」と聞くと、彼はヒンドゥーの導師を意味するSwamiから始まる名前を挙げた。
(彼に書いてもらったその名前はSwami ParmanandもしくはParmadhanと読めるが、アルファベットのクセが強くて判読不能。前者だとすれば、19世紀に生まれ1940年に亡くなった人物なので、また適当にあしらわれたのかもしれない)
「あなたはシクだけど、導師はヒンドゥーなのか?」と尋ねたところ「師匠は宗教には関係のない精神的な指導者だ」とのことだった。
インドには、古くは15世紀のカビール、2011年に亡くなった自称二代目のサティヤ・サイババなど、宗教にかかわらず崇拝されている導師も多い。
彼らがそうした導師を崇拝しているとしても、あり得ない話ではない。
その信仰が本物なのか、神秘的なキャラクター付けを行うための演出なのかは分からないが、後者の可能性が高いと見ている。
シルディ・サイババのようなまともな人気のある導師が、こういった怪しい組織を抱えているということはないだろう。
もし本当に信奉しているのだとしても、教団のような組織だった形ではなく、彼らが勝手に崇拝しているだけで、この「占い」の継承とは関係がないものと思われる。

話をした後で、「もう1,000円払うから、何か別のことを当てて見せてよ」と言ってみたが、彼は決して占ってはくれなかった。

ターバン姿のヨギ・シンと別れた後、東京駅方面に向かう彼の様子をしばらくみていると、何人かに声をかけ、そしてまた全員に断られていた。
少しだけ話を聞いてくれた人もいたが、紙を握らせるトリックまで持ち込むことができた相手は一人もいなかった。

プラディープとこのターバン姿の初老の男性、二人に会ってみて、分かったことをまとめてみる。
まず、2019年に現れたヨギ・シンも含めて、彼らが全員大手町から日比谷のエリアで活動しているということ。
銀座での報告も稀にあるが(今年の4月にも単発の遭遇報告があった)、おそらく、これは「日本で活動するならこのエリアがベスト」という教訓が彼らに伝わっていることを意味しているのだろう。
今回のヨギ・シンは日英対訳のついた自己紹介の紙を持っていたし、ターバンの男もプラディープも巣鴨に滞在していると言ったのも気になる。
日本で彼らの行動をサポートしている人物がどこかにいるという可能性は高そうだ。

彼らの占いの技法や話す言葉の共通点も確認できた。
「You have a lucky face」や「You are lucky」という声かけ、「あなたは考えすぎるところがある」というフレーズ、紙を使った占いの方法は言わずもがなで、師匠や孤児院の写真を見せること、寺に所属しているという体裁になっていること、アムリトサルから来たということなど、明らかに彼らは同じノウハウに基づいて活動している。

一方で、ターバンのヨギ・シンが独自に思いついたと考えられることもあった。
彼はよく大手町の将門塚に出没していたのだが、ここは高層ビルが立ち並ぶオフィス街のなかで、参拝者が絶えないスポットだ。
オフィス街のなかで小さな祠に手をあわせるビジネスマンたちを、かれらがスピリチュアルなことに関心がある良いカモだと考えたとしても、不思議ではない。

これで、10月のプラディープから11月に現れたターバン姿の男まで、ヨギ・シンが2ヶ月ほど継続して東京で活動しているということになる。
SNSで読んで笑ってしまったのが、近くの「この付近にターバン姿の詐欺師が出没しているので気をつけるように」と朝礼で注意喚起していたいた会社もあったという。
いったい彼らはいつまで東京にいるのだろう。
日本で年を越すつもりなのだろうか?

詐欺被害を肯定するわけではないが、声をかけても誰にも相手にしてもらえない初老のヨギ・シンの後ろ姿を思い出すと、彼が目標金額を獲得して、無事祖国に帰れる日が早く来るよう祈りたくなってしまう。
おりを見て、また彼らが出没するエリアに足を運んでみたい。




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2023年11月28日

二人目のヨギ・シンとの対話


(前回の記事)



ターバン姿の初老のヨギ・シンからの「You have a lucky face.」というお決まりの問いかけに、私はとぼけてこう尋ねた。

「何のことを言っているんだ?」

「あなたの額から良いオーラが出ている」

予想通りの答えだ。
私は「意味が分からないがあなたの話を聞くつもりはある」という表情を作って足を止めた。
彼にとって望ましい、ごく自然なリアクションだろう。

「自分はメディテーションをやっているのでそれが分かった。来年良いことがある。あなたにとって『良い花』をひとつ挙げてほしい」

小さな紙を出す前に質問してくるのが意外だったが、私はプラディープに聞かれたとき同様に「チェリーブロッサム」と答えることにした。
ところで、この問いに対する最も多い答えは「ローズ」だそうで、もしそう答えたら何か別の展開があったのだろうか。
(この謎はそう遠くないうちに明らかになるのだが、このときはまだそれを知らない)

ターバンの男は、プラディープのように「あなたの心を読んでみせよう」とは言わず、無言で手帳を取り出した。
そこにはおなじみの5センチ四方くらいの白い紙がたくさん挟まれている。
そのうちの一枚を丸めて私に握らせると、例によって脈絡のない質問を投げかけてきた。

「1から9で好きな数字は?」

「8」

「名前は?」

本名を答える。もちろんアルファベットの綴りも伝えなければならなかった。

「年齢は?」

「45歳」

「子どもは何人いる?」

「2人」

「望みは?」

「健康」


彼は手帳を下敷きがわりに、手元の紙に私の答えを書き込んでいるようだ。
この間、最初に渡された紙はずっと私が握ったままだ。

この後の展開は分かっている。
隙をついて私が握っている紙をすり替えるつもりなのだろう。
それなら、意表をついてこの紙をすぐに開いてやろうかと手を広げた瞬間、彼は、
「紙を握った手を額に押し当てて、その手に息を吹きかけろ」と言いながら、私の手にある紙をつまんで私に見せた。
やられた!
ほんの一瞬だったが、彼が「この紙をそうするんだ」と言わんばかりにごく自然に紙をつまんだときに、手の中にあったもう一枚の紙とすり替えたのだ。

言われた通りにまた紙を握り額にあて、息を吹きかけると、彼はようやくそれを開くように言った。

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「好きな数字は8、あなたの名前はこれ、年齢は43歳、好きな花はチェリーブロッサム、子どもは2人、望みはグッドヘルス。あなたの答えが全てここに書かれているだろう」

思った通りのトリックだ。
急いだせいか、彼の手元の紙の文字は乱れており、自分で書いた5を3と読み間違えて「43歳」と言ってしまっている。
それにプラディープのときと同様に最後の「健康(good health)」は判読できない。
あえて指摘はしなかったが、この男の「占い」はちょっと雑だなと思った。

「二人の子ども」を示すところにC-2とあるのは、Childrenの略と思われる。
わざわざCと書いた理由は、この数字が何を意味しているのか自分で忘れないようにするためだろう。

「答え合わせ」が終わると、彼は再び手帳を開いた。
ここまでの手順は、先月会ったプラディープとほとんど同じだが、次に彼が見せたのは、オレンジの装束に長髪を垂らしたグルの写真ではなく、シルディ・サイババの肖像画だった。
1838年に現在のマハーラーシュトラ州のシルディという街に生まれたこの「初代」サイババは、今でも精神的指導者としてインドじゅうで崇拝されている。

ShirdiSaiBaba
(この画像は彼が見せたものと全く同じではないが、このようなシルディ・サイババの肖像画は、今でもインドでたくさん売られている)

サイババといえば、1990年代に一世を風靡したアフロヘアーの男が有名だが、あの「プッタパルティのサイババ」は、このシルディ・サイババの生まれ変わりを自称していた人物である。
20世紀初めに亡くなった人物を「師匠」として挙げるのは日本人の感覚からすると違和感があると思うが、インドの感覚ではそんなに不思議なことではない。
(ちなみに文脈から「師匠」という日本語をあてているが、彼もプラディープ同様にteacherという単語を使っていた)

男は次に、早口の英語でごく短い祈りの言葉のようなものを唱えた。
内容は忘れてしまったが、私の名前と、グッドヘルスという言葉、あと家族がどうとか言っていたように思う。

さっきの肖像画に対して「シルディ・サイババだね」と伝えたが、彼は「そうだ」と生返事をして、手帳から10才くらいの子どもたちが並んだ写真を取り出して見せた。
日本でシルディ・サイババを知っていて反応する人は珍しいだろうから「知っているのか?」とか「君も彼を信じているのか?」とか聞いてくれても良さそうな気がするが、余計なことを言わないのは段取り通りに早く進めたいからだろう。
子どもたちの写真はプラディープが見せたものとは別のもので、子どもたちが並んだ後ろには'○○ foundation'と何かの団体名が書かれているのが見える。

「これは私の寺だ。父母のいない子どもたちを助けるためにお金をくれないか」

予想通りの言葉だ。
私が1,000円札を差し出すと、彼はそれを手帳に挟んでしまい込んだ。
その時、彼の手帳に英語のフレーズと日本語の対訳が書かれた紙が挟まれているのがちらっと見えた。
どうやら自己紹介のときに見せて使うためのものらしい。
日本語が達者な協力者がいるのだろうか。

1,000円しか渡さなかった私に対して、彼は「子どもが二人いるなら、二人分で2枚の紙幣を出してくれ」と要求してきた。
たった2,000円しか要求しないとは、ずいぶんと謙虚なヨギ・シンである。
手練のヨギ・シンなら、間違いなく「1,000円なんて馬鹿にするな。最低でも10,000円だ。他の人は貧乏人でも10,000円は払ってくれているぞ」とか言うところだ。
彼にはインド人特有の押しの強さがなく、「2枚くらい貰えないかな」と言うのをはっきりと断ると、思いのほかあっさりと引き下がってくれた。
しつこくないのはありがたいのだが、率直に言って、今回の彼からはあまりやる気が感じられない。
占いも祈りも雑だったし、がめつくもない。
彼はヨギ・シン界の窓際族なのだろうか?
ともあれ、ここからは私が質問する番だ。

「インドには何度も行ったことがある。あなたはパンジャーブから来たのか?」

「そうだ。インドのどこに行った?」

「デリー、アーグラー、ヴァーラーナシー、ムンバイ、他にも色々あるけど、残念ながらパンジャーブには行ったことがない。あなたはパンジャーブのどこから来たの?」

「アムリトサル」

「シク教の聖地だね。あなたの寺の名前は?」

「ゴールデン・テンプルだ。そこではたくさんの料理を調理して、みんなに振る舞っている。今度インドに来るときは、ぜひ私の寺にも来てほしい。」

ゴールデン・テンプルとは大きく出たものだ。
黄金寺院はシク教の最大の聖地である。
グルドワラと呼ばれるシク教寺院では、参拝者に料理をふるまい、一同に会して食事する儀礼的習慣がある。
これは異なるカースト間で食事をともにしないヒンドゥー教徒に対して、シク教が平等を重んじることを意味していて、黄金寺院では毎日10万食ものカレーが調理されているという。

「知ってる。映画で見たよ(『聖者たちの食卓』)」
と答えると、彼は「あ、そう」とあまり興味のなさそうな反応を返してきた。
最初に会ったときのプラディープもこんな感じだったが、彼らの間では、「会話に夢中になって自制心を失うな」というような教えがあるのだろうか。
そういえばプラディープも「次にインドに来る時は自分の寺に来てほしい」と言っていた。
これはどうせ来ないと見越して、自分の発言に真実味を持たせるためのレトリックなのだろう。
人は信心深い人を信用しやすい。
私が調べた限りでは、黄金寺院には児童養護施設のような場所は併設されていないようだった。

「グルドワラ(シク教寺院)は礼拝に来た人に料理をふるまうんでしょう。東京にもグルドワラがあるんだよ」

「本当か? どこにあるんだ?」

「茗荷谷っていうところ」

茗荷谷という街の名前は日本語になじみのない彼には難しかったらしく、何度か確認されたがうまく伝わらなかったので「『東京 グルドワラ』で検索したら出てくるよ」と教えた。
彼らは東京で暮らす同じコミュニティの仲間と繋がっているのではないかと考えていたのだが、このリアクションを見る限り、都内の敬虔なシク教徒と強い繋がりがあるわけではなさそうだ。

「じつは先月もあなたのような占い師にこのあたりで会ったんだ」

ポーカーフェイスを貫いていた彼の顔に、少し驚きの色が現れたように見えた。

「この人なんだけど、知ってる?名前はプラディープ」

スマホの写真を覗き込み、「知らない」と答えた彼の反応は、嘘をついているようには見えなかった。
彼とプラディープは、別々のグループのヨギ・シンなのか。


「あなたみたいな占い師が世界中にたくさん出没しているらしいけど、みんな同じコミュニティなの?」

「コミュニティじゃない。ネイションだ」

「ネイション?同じ地域から来たということ?」

「そうではない。私たちはネイションなんだ」

「それはジャーティー(同じ職能の一族や集団。いわゆるカースト。シク教では表向き、カーストによる序列は否定されている)ということ?」

「ジャーティーではない。私たちはネイション。私はメディテーション・スチューデントだ」

彼が繰り返す「ネイション」という言葉の意味がいまひとつつかみきれないが、シク教の同じ信仰を持つ仲間という意味だろうか。
中年から初老の域に差し掛かっている彼は、studentという言葉のイメージからは程遠く、これは「修行者」程度の意味なのだろう。

「シク教徒の全員がこういう占いをするわけではないでしょう?」

「全員ではない」

「こういう占いができる人は世界中に何人くらいいるのか?」

「世界中に200人から300人くらいいる。たくさんの寺があるから正確な数は分からないが、それくらいだろう」

プラディープも言っていたように、彼らは「寺」に所属しているという建前になっているらしい。
判で押したような同じ「占い」の技術を全員が持っているということは、寺かどうかは別にして、体系化された技術を教えるシステムがあるのは事実なのだろう。

「はっきり言うと、あなたがさっき紙をすり替えるのを見た。先月会った男も同じことをやっていた。これはマジックの一種でしょう」

「違う。これはメディテーションだ」

プラディープ同様、彼は自分の行う術をマジックと呼ばれることを否定し、占い(フォーチュンテリング)とも言わずに、メディテーションと定義しているらしい。
日本人が考える瞑想とはずいぶんイメージが違うが、ここにもなにかこだわりがあるようだ。

「ヨギ・トリック(例によってこれは仮名だが、実際には本当の名称を言っている)というマジックの技を知っているか?」

私がこう聞いた時、彼はあからさまに不快そうな顔をして、「知らない」と回答した。

「ヨギ・トリックはあなたのような占い師が使うトリックで、19世紀にイギリスで書かれたマジックの本にも書かれていると聞いている。どっちにしろ私は気にしないが、本当に知らないのか?」

「何も知らない」

彼の反応を見る限り、やはりトリックに関する話題には答えないようだ。
すこし聞き方を変えてみる。

「あなた方はどれくらい前から存在しているんだ? つまり、19世紀から同じようなことをしているのか?」

「19世紀なんかじゃない。200年前からだ」

こう答えたときの彼は、これまでの感情が読めない話し方とは異なり、誇らしげな様子に見えた。
インチキとはいえ、やはり自分たちの伝統にはプライドがあるのだろうか。
今から200年前でも19世紀じゃないか、と思ったが、それは言わなかった。

「それじゃあ。良い1日を」

話を切り上げて立ち去ろうとするのを引き止めて「まだ聞きたいことがある」と言うと、彼は少し迷惑そうな表情を見せたが、一応、質問に答えてはくれるようだった。

「このあとどこに行くつもり?」

「マロチ」

「丸の内のこと?」

「そうだ。マルノウチ」

並んで歩きながら、歩きながら、質問を続ける。

「今どこに滞在しているの?」

「カロヤシ」(そう言っているように聞こえた)

何度か聞いたが、彼は日本語の地名を覚えるのが苦手らしく、結局どこのことか分からなかった。
東京駅から45分くらいかかる場所とのことである。

「あなたのような占い師は東京に来ると必ずこのエリア(丸の内・大手町)に来るけど、どうして?」

「英語を話せる人が多いからだ。東京は英語が話せる人が10%くらいしかいない。どこに行ったらもっと英語が話せる人がいるんだ?」

「それなら六本木に行ってみたらいいと思う。外国人ツーリストとか英語を話せる人もたくさんいるし、リッチな人も多い街だから」

彼は六本木という地名も覚えることができず、彼が差し出した紙にローマ字で綴りを書いて、そこにサブウェイの日比谷ラインと大江戸ラインで行けると付け加えた。
まさか自分がヨギ・シンの商売道具の「小さな紙」に何か書くことになるとは思わなかった。
だが、この後彼が六本木に出没したと言う情報はない。
よく分からない日本人のアドバイスよりも、彼らのコミュニティで伝わっている「占いするなら丸の内」というルールのほうが信用に値すると思っているのだろう。

「東京にはどれくらい滞在しているの?」

「3週間。1週間前に着いて、あと2週間いる」

「日本のあとはどこか別の国に行くのか? 他に国にも行ったことがある?」

「インドに帰る。他にはドイツと香港に行ったことがある」

世界中を旅して占いをしているヨギ・シンにもかかわらず、彼の年齢で日本以外2カ国しか行ったことがないというのは、ちょっと少ない気がする。
21歳のプラディープですら、すでに台湾とスイスとドイツとフランスに行ったと話していた。
このターバンの男は、たまにしか占いをやらないパートタイム・ヨギ・シンなのかもしれない。

「この後また別の人に声をかけるのか?」

「メディテーションでオーラを見て、幸運な人に声をかけているんだ」

一応返事はしてくれているが、彼の態度からは、はやく話を切り上げたいという気持ちがありありと伝わってきた。
こうなったら会話が途切れないように手当たり次第に質問をしてやろう。

「あなたは何歳?」

「59歳」

「東京だとこの占いで1日にいくらくらい稼げるの?」

「稼いでいるのではない。寺のためにお金を集めているんだ」

「ソーリー。で、いくらくらいのお金が集められるの」

「5,000円から8,000円くらいだ」

これは思ったより少ない。
1日5時間から8時間占いをやるとして、1時間に1人、1,000円払ってくれる人にようやく出会えるかどうかという計算だ。
東京に現れたヨギ・シンが「poor 10,000 middle 20,000 rich 30,000」と書いた紙を見せこともあるようだが、やはりそんなに払う人は滅多にいないのだ。
往復の航空運賃と滞在費を考えたら赤字だろう。

「あなた方の占いを詐欺だと呼ぶ人もいる。それについてはどう思う?」

この質問には、彼はあからさまに不快そうな表情を見せ、「これはメディテーションだ」と繰り返した。

彼らが使うメディテーションという言葉には、「タネも仕掛けもない」といった気持ちが込められているようだ。

「もしトリックがあったとしても、私は気にしない。あなた方の伝統をリスペクトしている」

と言うと、彼はほっとしたような表情を見せた。
そうこうしているうちに、気がつけば東京駅のすぐ近くまで来ていた。

前回書いた通り、私はこの日は仕事帰りで疲れていて、こんなに簡単にヨギ・シンに会えると思わなかったので、質問もほとんど用意していなかった。
今にして思えば、もっと聞きたいことはたくさんあったのだが、彼の「あまり深入りしてくれるな」と言う態度もあり、私はこのへんで会話を終えることにした。

ヨギ・シンは駅前の雑踏に姿を消し、私は東京駅に向かい、大急ぎでいまのやりとりの一部始終をメモした。
二人目のヨギ・シンとの遭遇はこうして終わった。

その後について少し触れておく。
2019年に遭遇したヨギ・シンは、こちらから話しかけて正体を探ろうとしたら態度を硬化させて、その後二度と現れなくなってしまったが、このターバンの男は、その後も大手町〜丸の内〜日比谷エリアで占いを続けているようである。
その後もXでは目撃情報が寄せられている。

彼が言ったことが本当ならば、12月初め頃まで東京にいるはずだ。

そういえば、彼にWhatsappの番号を聞こうとしたら「やってない」と断られてしまったのだが、後日彼に遭遇したという人の話では、別れ際に「何かあったら連絡してくれ」とWhatsappの番号を渡されたという。
よほど私と関わり合いたくなかったのだろう。
怪しい占い師に怪しいやつだと思われた私の立場がないが、改めて読み返してみたら、そう思いたくなる気持ちも分かる。
ちょっとぐいぐい行きすぎたのかもしれない。

(続く)




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2023年11月06日

ヨギ・シンとの対話(後編)


前回の記事



ヨギ・シンたちは世界中を渡り歩いて、路上で人の心を読む「技」を披露する。
魔法のように見えるその技にはもちろんトリックがあるのだが、彼らは、それは瞑想による特殊能力で、マジックではなく本当に心を読んでいるのだという。
その主張を100%信じるならば、彼らはパンジャーブの寺で貧しい子ども達を養っていて、世界中で占いをしながら寄付を募っているのだ。

…冷静に考えると、かなり無理のある話だが、プラディープとの会話を通して、彼らはたとえそのトリックを見破られても「そういうことをする愚か者もいるが、俺は違う」と、その設定を絶対に崩さないことがわかった。
彼らの技は、あくまでもリアルだというのだ。

この感覚、どこかで覚えがあると頭をひねっていたら、思いあたるものがあった。
それはプロレスだ。
プロレスは、選手同士がお互いの協力のもと技を掛け合って見せるという極めてエンターテイメント性の強い「格闘技」(というか、格闘技の形を借りたエンターテイメント)だが、あくまで「真剣勝負」としてリング上で演じられる。
プロレスラーたちは、ときにスーダン生まれの「黒い呪術師」とか「シカゴのスラム街の用心棒」とか、現実とは異なる荒唐無稽なキャラクターを演じて、ファンを沸かせる。(ちなみに前者はアブドーラ・ザ・ブッチャー、後者は名タッグのロード・ウォリアーズ。彼らの出身地も肩書きも完全なフィクションだ)

現実にはありえない離れ業をリアルとして見せ、現実とは異なるキャラクターを演じ切るという意味で、ヨギ・シンはプロレスと全く同じなのである。

プロレスに関して言えば、総合格闘技ブームとミスター高橋による暴露本(プロレスには勝敗や筋書きの取り決めがあり、それがどのように決められるかを詳述した)によって、いわゆる「リアルファイト」ではないことがファンに知れ渡ることになった。
だが、それでプロレスというジャンルが滅びることはなく、ファンは今では「お約束」を分かった上で楽しむものとして受け入れている。

ヨギ・シンをプロレスに例えるなら、彼らが行っているのは、そうした裏を知られることなく、ファンに「最強の格闘技」だと信じられていた昭和の時代のプロレスということになるだろう。
当時からプロレスを八百長だと批判する人がいたように、ヨギ・シンもまた、彼らの世界観を共有しない世界中の人たちから、「詐欺」として非難されている。
確かに、頼んでもいない占いをいきなりしてきて、法外な金を請求されたら気分が悪いのも分からなくもない。
とはいえ、こうしたグレーゾーンの不思議さを味わう余裕なく詐欺師呼ばわりするのはなんだかちょっと悲しい気がする。
私がプロレスファンだからだろうか。

私はヨギ・シンの正体を暴き、そのトリックをネット上で晒してしまったわけだが、決して暴露本を書いたミスター高橋になりたいわけではない。
まだプロレスがうさんくさくていかがわしいものと思われていた(しかしファンは最強の格闘技だと信じて疑わなかった)1980年代に『私、プロレスの味方です』という本を出版した、作家の村松友視になりたいのだ。
いくらその謎を解いても、プロレスにもヨギ・シンにもなお到達できない永遠の謎がある。
夢が覚めても、夢が終わるわけではない。
だんだん何を書いているのかわからなくなってきたが、プラディープとの会話はまだまだ続く。



「それじゃあ君はメディテーションをして、カレッジで学んで、ときに海外に出かけて占いをして、お寺のためにお金を稼いでいるってわけ?」

「うん。コロナのときは大変だった。世界中でコロナが流行していたからね」

パンデミックの時期には海外に行くことができず、占いで稼ぐことができなかったと言っているのだろう。
まだ若い彼は、コロナ禍の頃は占い師ではなかったと思うが、コロナは彼の「デビュー」の時期にも影響を与えたのだろうか。

「じつはコロナの前、2019年にもこのあたりで君のような占い師に会ったことがあるんだ」

「日本でってこと? それはどんな人だった?」
と聞く彼に、当時遭遇報告をくれた人から送ってもらったターバン姿の男の画像を見せた。

「この右側に写っているターバンの人、知ってる?」

プラディープはしばらく私のスマホを凝視した後、

「知らないな。でも僕の先生なら知っているかもしれないから、聞いてみるよ。もし知ってたらあなたに伝える。この画面の写真撮ってもいい?」と彼は私のスマホの画像を撮影した。
撮影した目的は「自分たちが怪しまれて詮索されている」もしくは「自分たちとは別のグループが東京で活動していた」という事実をリーダー的な人物に報告するためだろう。
この写真を入手した経緯を伝えると、誰が撮影したのかと尋ねてきた。

「2019年のことだし、直接交流がある人じゃないから誰なのかは分からない。その人が君たちについてネガティブなことを言っていたわけじゃないよ。
でも、君のような占い師についてインターネットで調べると…そうだな、例えばグーグルで『シク 占い師』と検索すると、詐欺だと言っている人がたくさんいる。私はこういう状況が悲しいんだ」

「それ、見せてもらえる?」と身を乗り出した彼に、私は適当に検索して、ロンドンで、ターバン姿の占い師たちを詐欺として告発しているtiktokの映像を見せた。

「これは誰が言っているの?」

「分からないけど、ロンドンにいる人みたい。シクの占い師の詐欺だと言っている」

「これはシク教徒じゃないと思う。別の人たちだよ」

「とにかく、こういうのをシク教徒の占い師の詐欺だと言っている人もいるんだよ。
悲しいことだよ。あなたのことを詐欺師だといいたいわけじゃないけど」

「うん。こういう詐欺をする人もいるってことは知っている。寺もなければ先生もいないような人たちが、こういうことをしてお金を騙し取るんだ。明日国に帰ったら、寺の写真を撮って送るよ」

結論から言うと、彼からその写真は送られてこなかった。
論理的に考えれば、仮に彼から寺の写真が送られてきたとしても、それで彼のやっていることが詐欺ではないという証明にはならない。
彼の主張は「プロレスは八百長なんですよね?」と聞かれたときに、デスマッチでできた体じゅうの傷を見せて「この傷を見ろ!これでも八百長だって言うのか!」と答えた大仁田厚と同じ論法である。
大仁田の傷が本物だからといって、試合の勝敗が事前に決められていなかったことにはならないし、彼が寺の写真を送ってきたからといって、彼が本当のことを言っているかどうかは分かりようがない。

ここで注目したいのは、少し前に彼が「詐欺師たち」を「別の寺の人たち」だと言っていたのにもかかわらず、今度は「詐欺師たちはシク教徒ではなく、寺も師匠もない人々だ」と言っていることだ。
彼は、自身も(そう呼びたくはないが)詐欺師であるにもかかわらず、詐欺師の悪評をできるだけ自分のコミュニティから遠ざけようとしているのだ。
ナイーブすぎるかもしれないが、この言葉には少し胸が痛んだ。
プロレスに例えれば「なかには八百長をする選手もいる。うちの団体にはいないけどね」と言わざるを得ないプロレスラーの心境といったところだろうか。
別に悪いことをしているわけではないのだが、思わず彼をフォローする言葉を発してしまった。

「あなたを詐欺師だって言いたいわけじゃない。あなたは誠実な人でしょう」

「オーケー」

「あなたはまだ若い。上の世代の占い師は変われないかもしれないけど、あなたはこれから他のものになることだってできる」

率直に言うと君はいい奴だし、君みたいな人が詐欺師呼ばわりされるのは私も辛い、と続けようとしたのだが、彼は遮って、

「上の世代にはすごく力のある人たちもいる。何も必要としないで、ただ見るだけで相手のことが分かる人もいるんだ」

と自信を持って返してきた。
私にトリックを見破られているのに、彼は「自分たちの占いはリアルだ。俺はしくじったかもしれないが、先輩たちは本当にすごいんだ」と答えたのである。
総合格闘技の試合に負けたときのプロレスラーのような発言である。
それとも、もしかしたら本当に超能力が使える占い師がいるのだろうか?

「本物の占い師もいるのは分かるよ」

「うん」

「でも、他に詐欺師もいるでしょ」

「いろんな人がいる」

「ところで、どうして占いをする場所としてここを選んだの?」

「日本ってこと?」

「いや、このエリア(丸の内・大手町)のこと。はっきり言って、ここはベストな選択だよ。このあたりには大きい会社も多いし、お金持ちの人も多い。誰かがアドバイスしたの?」

2019年にこのエリアにヨギ・シンが出没した時から、私は日本に彼らをサポートし、助言している存在がいるのではないかとにらんでいた。
おそらくそれは、彼らと同じコミュニティ出身の、別の仕事をしている(例えばIT系のエンジニアとか)仲間なのではないかと考えている。
パンジャーブにルーツを持つシク系移民は世界中に散らばっている。
この説には自信があるのだが、プラディープは尻尾を掴ませるようなことは言わない。

「このあたりは英語を話せる人が多いからね。他の地域にも行ったけど、他の地域では英語を話せる人はほとんどいないから」

彼はこう答えたが、私が知る限り、これまで日本で丸の内、大手町、銀座以外の場所でヨギ・シンの出没報告が寄せられたことはない。
彼らは試行錯誤せず、最初から丸の内を選んでいた。
ここがベストだと彼らに助言した、東京に詳しい人間が背後にいるはずなのである。
彼らの「仲間」について、もう少しつっこんで聞いてみる。

「今回、日本には一人で来たの?」

「そうだ」

前回会った時と同じ回答だが、これは明確に嘘である。
彼の出没とほとんど時を同じくして、このエリアで中年のターバンを巻いた占い師との遭遇報告も寄せられている。

「この近くで、もっと年配のターバンを巻いた別の占い師を見たって言う人もいるよ。君の家族か友達じゃないの?」

「知らないな。さっきの写真の人のこと?」

「違うよ。あれは2019年に撮られた写真だ。写真は持ってないけど、最近そういう占い師に会ったって言っている人がいる。
50歳か60歳くらいのターバンを巻いた人に会って、貧しい人は5,000円、ミドルクラスは10,000円とか書いた紙を見せられたって。それで1万円払ってルドラクシャ(菩提樹の実)をもらったっていう人がいるんだよ。あなたの知り合いじゃないの?」

「いや、まったく知らないね」

「本当に?」

「本当だ。まったく知らない。このエリアで会ったのか?」

「そう。このエリアでターバンを巻いた占い師に会ったっていう人がいるんだ。SNSで見かけたんだよ」

「オーケー」

ここで私は、彼がオーケーと答えるとき、どこか自信のなさが漂っているということに気づいた。
「もしその人の写真があるなら、先生に聞いてみる。写真はあるの?」

「その人の写真はないんだけど、その人がくれたルドラクシャ(菩提樹の実)の写真はアップされているよ」

スクリーンショット 2023-11-01 1.35.28

その遭遇者の方は、数日前に丸の内で会ったターバンを巻いた占い師に1万円を払い、このルドラクシャを「寝室に置くように」と渡されたのだという。
プラディープはこの画像も自分のスマホで撮影していた。

これ以上この話題を突き詰めても得られるものがなさそうなので、先日彼が見せてくれた「先生」の写真について、気になっていたことを聞いてみた。

「こないだ見せてくれた君の先生の写真だけど、ターバンを巻いていなかったよね? シク教徒っぽくなかったけど彼はヒンドゥーなの?」

「彼らは宗教を持っていないと言っている。ヒンドゥーでもシクでもないんだ。だから僕も先生がヒンドゥーなのかシクなのかムスリムなのか知らない。
人間は、生まれた時はシクとかヒンドゥーとかムスリムとか関係なく、ただの人間だ。でも人々には寺があって、ある人はシクだとか、ある人はヒンドゥーだとか、ある人はムスリムだとかいう。まるでジャーティーみたいにね」

プラディープは最初に「彼ら(they)」と言ったが、確かにインドにはこうした特定の宗教に依拠しない精神的指導者がいる。
彼の師匠もそうした導師の一人だと言いたいのだろう。
「ジャーティー」というのはカーストに基づく職能集団のことで、インドには、これによって優越感を持ったり差別したりする因習(われわれがイメージするいわゆるカースト制度)がいまだに残っている。

「じゃあこの先生は、宗教の指導者ではなく、精神的な指導者ってことだね」

「そう。彼らは神はひとつだと言っている」

「そういう考え方は好きだな。特定の宗教は信じてないけど、神の存在は信じているから」

「うん、いい考え方だね」

彼の精神的な「師匠」が実在するのかどうかは分からないが(それっぽい適当な写真を使っている可能性も高い)、このあたりの考え方には彼の本音が見え隠れしているようにも聞こえる。
インドの伝統的な思想のひとつであり、また現代的に言えばかなりリベラルでもあるこうした考え方は、彼の雰囲気に合っているように感じた。
ここでもうひとつ、以前からずっと気になっていたことを聞いてみた。

「ところで、君たちみたいな占い師は、ほとんどの人がヨギ・シンと名乗っているよね」

「ヨギは『ヨガをする男』(ヨガ・マン)という意味だ。それは名前じゃなくて、ただのヨガという意味だよ」

「つまり本当の名前じゃないってことだね」

「そうだ」

「シンはシク教徒の男性がみんな名乗る名前だね」

「そう。つまりヨガ・マンという意味だ。名前じゃなくて、ヨガをやっている、メディテーションをやっているということだ」

「ヨギ・シンというのがこの占いをするシク教徒の名前だと思っている人はたくさんいるよ」

「あなたはスマホやインターネットでいろんなことを見て詐欺だと思っているようだね。僕も先生から詐欺をする人もたくさんいると聞いているよ」

ところで、今気づいたのだが、彼が使っている「瞑想(メディテーション)」という言葉は、「ヨガ」の訳語なのではないだろうか。
ヨガはもともと哲学であり瞑想法だが、日本や西洋ではエクササイズとしてのイメージが強い。
このあたりの誤解を招かないように、彼はメディテーションという言葉を選んでいるのかもしれない。
そのことに気づいている彼は、ヨギ・シンと名乗らなかったのではないか。
ヨギ・シンという名前についての会話から、話題はだんだんと彼の出自へと移っていった。

「君はずっと寺に滞在しているの?」

「うん。僕は寺で生まれた」

「それで君は今も寺のために働いているというわけだね」

「そう。そこは保護施設(シェルター)のようなところでもあるんだ」

「子ども達のための保護施設っていうこと?」

「そうだよ」

「デリケートな話題でごめん、君は両親なしで育ったの?」

「うん。両親ともいなかった。僕は両親を知らないんだ」

「それは大変だったね」

「今はそう感じていないけどね」

昨日は「占いは先祖代々の家業だ」と言っていたプラディープが、今日は自分は孤児だったと主張している。
どちらが真実かは分からないが、身寄りのない子どもたちが瞑想による超能力を身につけた導師がいる寺で育ち(じつはそれはトリックのある技術なのだが)、その技を身につけて世界中を旅して寺院の運営資金を集めているというのは、なんだかタイガーマスクみたいな話ではある。
しかし、この話を続けていると、そのうちお金を要求されそうなので、話題を変えてみる。

「そういえば、カナダでシク教のリーダーが殺されて、インドとカナダの間で国際問題になっているよね。インド政府が彼を殺したと言っている人もいるみたいだね」

今年6月にカナダで起きたシク教指導者ハルディープ・シン・ニジャールの暗殺事件について、彼に話を振ってみた。
この事件を受けて、カナダのトルドー首相は、ハルディープ師が「カリスタン運動」に関与していたためにインド政府によって暗殺されたとほのめかし、両国の関係は一気に険悪化した。
カリスタン運動とは、パンジャーブにシク教徒の独立国家建設を目指す動きのことだ。
この運動の支持者にはテロ行為も辞さない過激派もいて、彼らは1984年には弾圧への報復として時のインド首相インディラ・ガーンディーを暗殺し、1985年に329人が犠牲になったエア・インディア182便爆破事件を起こしている。

「そうだ。シク教徒を殺したと言ってカナダ政府がインドを批判したことで、問題になっている」

「このことについてどう思う?」

「カナダ人のこと? カナダの政府には好感を持っているよ。インドの政府は、シク教徒やムスリムを殺して、インドに住んでいいのはヒンドゥー教徒だけだと言っている。これは良いことじゃない」

インドの与党であり、モディ首相が所属するインド人民党(BJP)はヒンドゥー至上主義を基盤としており、とくにムスリムを排斥する傾向があるとして国内外からの批判を受けている。
しかしシク教とBJPの関係は決して険悪ではないと聞いていたので、この辛辣な批判には驚いた。

「BJPはかなりヒンドゥー至上主義的な政党だよね」

「うん。だから僕らはカリスタン(シク教徒による独立国家)が欲しいんだ。ヒンドゥスタン(インド)とパキスタンが分離したようにね。
パキスタンとヒンドゥスタンが分裂したとき、僕たちシク教徒は新しい国を作ることもできた。でも僕らは断ったんだ。インドと別々になりたくはないと言ってね。でも今になってインド政府はヒンドゥーこそが宗教だという。だから僕らはインドからカリスタンを分割したいと思っているんだ」

カナダのシク教徒ギャング団による資金が、カリスタン運動に流れているという話もある。
海外でグレーな活動に手を染めるヨギ・シンの一派も、こうした思想を持っているのだろうか。

「あなたはカリスタン運動を支持しているの?」

「いや、支持しているわけじゃないよ。僕がインドに住んでいること自体はとてもいいことだ。でももし政府がヒンドゥー教だけが宗教だと言ったら、それは良くないことだ。
僕らが政府に言っているのは、宗教はヒンドゥーだけじゃないということ。僕らは一つだ。シクもムスリムも平等だと言っている。宗教なんて意味はない。みんな人間だ」

今ひとつ彼の思想がわかりにくいが、前半の発言は、シク教徒の一般論としてのカリスタンに対する考え方で、後半が彼の個人的な意見ということだろうか。
それとも、思わず出てしまったカリスタン支持を隠そうとしているのかもしれない。

「1947年の分離独立のときにパンジャーブ地方も印パ両国に分割されたよね。分離独立の時、たくさんのシク教徒がパキスタン側からインドに移り住んだって聞いている」

「そうだ。僕もパキスタンから来た」

21歳の彼がパキスタンから移住してきたとは考えにくいから、彼の両親や祖父母がパキスタンから来たと言いたいのだろう。
だが、少し前に「両親を知らない」と言ったこととの矛盾に気がついたのか、彼はこう言い直した。

「僕の、僕の、えーと、僕の先生は、僕らはパキスタンから来たと言っている」

「僕ら」というのが、彼のコミュニティを指しているのかどうか定かではないが、これは興味深い情報だ。
なぜなら、ヨギ・シンの正体と目される'B'というコミュニティは、もともとその多くが現パキスタン領内にあるシアールコートという街に住んでいたと言われているからだ。

「パキスタンのどこから来たの?シアールコート?」

「いや、いや。分からない。ただ、僕の先生は僕らはパキスタンから来たと言った。
僕の両親もそんな感じだと言っていた。でも僕は両親は知らないから」

彼の回答はあいかわらず要領を得ないが、私が少し質問を急ぎすぎたのかもしれない。
昨日会ったときから、彼は明確に'B'のコミュニティの一員であることを否定していた。
私の質問の意図を感じ取って、うまくかわした可能性もある。

「じゃあ君は、自分のジャーティーを知らないんだね」

「そうだ。でも僕の先生は僕はシク教徒だと言った。だから僕は髪を切ってないんだ。髭は短くしているけどね」

彼の髪は肩くらいまでの長さで、髭は5ミリくらいに揃えられている。
シク教には、髪も髭も神から与えられたものであるから切ったり剃ったりしてはいけないという戒律がある。
今では全員が厳密にその教えを守っているわけではないが(髭や髪の手入れをしている人も多い)、彼が「髪を切っていないんだ」と言ったとき、その言葉は誇らしげに聞こえたし、「髭は短くしているけど」と言った時はすこしバツが悪そうに見えた。
「グッドルッキングだよ」というと、彼は照れくさそうにありがとうと言った。

ふと腕時計を見ると、彼がここを離れる時間だと言っていた17時を回っていた。
まだまだ聞きたいことはあったが、これから飛行機に乗って帰国するという話が本当なら、あまり引き止めるわけにはいかない。

「もうそろそろ行かなきゃいけないんじゃない?」

「あと5分くらいは大丈夫だよ」

この返事には正直驚いたし、ちょっと感動した。
私は彼に占いを見破ったと言い、彼が隠そうとしていることをあの手この手で暴こうとしている。
私が彼の立場だったら、一刻も早く立ち去ろうとするだろう。
プラディープは私に、少しは親しみや安心感を感じてくれているのだろうか。
残りの時間で、聞きたかったことをできるだけ聞いてみよう。

「女の人は君みたいな占いはしないの?」

「女の人?しないね。僕の寺では女の人はしない。他の寺は知らないけど。あなたは女性の占い師の写真を持っているの?」

「いや、持ってないし私も知らない。ニューヨークとかシンガポールとかロンドンであなたみたいな占い師に会ったという人は、みんな男性だったというから聞いたんだ」

「そう、男の占い師だけだ。ロンドンに行ったことある?」

「ないよ。インドには5回行ったことがあるけど、ヨーロッパには行ったことはない。インドのほうが好きだな」

「ナイス。いつインドに来るの?」

「次?たぶん来年かな。最後に行ったのは10年くらい前だから、もうずいぶん前になる。今度は家族も連れて行きたいよ」

「いいね」

「インドからいろんなことを学んだよ。日本にはインドの文化が好きな人がたくさんいるよ。ボリウッド映画のファンもね」

「日本人はインド人が好きなの?」

「うん。たくさんのインド料理屋さんもあるし、インド映画のファンもたくさんいる。最近『パターン』っていう映画を見たよ」

「シャー・ルク・カーンだね」

インド映画やK-Popについての本当に他愛のない話をしているうちに、いよいよ彼が立ち去らなければいけない時刻が来てしまった。
別れの挨拶の前に、リラックスして雑談できたのは、良かったと思う。

「ありがとう。会えてよかった。ペンもありがとう」

「これからも連絡を取り合おうね」

「ハバナイスデイ、グッバイ」

雑踏に消える彼を見て、私ははっと気づいた。
彼は今日、一度もお金の要求をしなかった。
お金のためでないなら、どうして私に会ってくれたのだろう。
彼の正体を探ろうとしている人物に会っても、彼にメリットはひとつもない。
途中で話を切り上げて去ることだってできたはずだ。
もしかして、プラディープは本当に友情のためだけに会ってくれたのだろうか。
そんなふうに考えるのはさすがにナイーブすぎると思うが、もしかしたら。

21歳の若さで、自分の腕とハッタリだけを頼りに異国な街でグレーな仕事をして生きる彼の心境を想像してみる。
警察沙汰になるリスクもあるし、うまくいっても詐欺師呼ばわりされる仕事は、決して誇らしいわけではないのだろう。
5年後、10年後も、彼はまだこの家業を続けているのだろうか。
ヨギ・シンという存在が世界中からいなくなってしまう未来を想像するとさみしい気持ちになるが、プラディープにずっとこの生き方をしてほしいとは思わない。
インドに帰った彼は、東京をどう思い出すのだろう。



ところで冒頭部分で、プロレスの本質はエンタメであると書いたが、ではプロレスには戦いがないのかというと、そんなことはなくて、それは間違いなく存在している。
(もうこの話題はいいよと思っている人がほとんどだろうが、もう少し続けさせてもらう)
プロレスの根底にはガチの格闘技がある。
華麗な空中殺法でファンを魅了した初代タイガーマスク(佐山サトル)はその後シューティング(リアルファイト)へと進み、日本にアメリカ的ショープロレスを持ち込んだ第一人者である武藤敬司は道場でのガチンコ勝負でもめっぽう強かったという。
世界各地に出没しているヨギ・シンのほとんどが、占い師としてはフェイクだったとしても、彼らの中には本物の超能力者もいるのかもしれない。
「上の世代にはもっとすごい人もいる」
と断言したプラディープの言葉には、もしかしたらと思わせる力強さがあった。
はたして、さらなる強力なヨギ・シンが来日することはあるのだろうか。

(つづく)


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goshimasayama18 at 01:21|PermalinkComments(0)

2023年10月29日

ついに実現! 若きヨギ・シンとの対話


前々回の記事:



前回の記事:


これまでのヨギ・シン関連記事:



若きヨギ・シンことプラディープ君(仮名)とのアポイントは結局日曜日では都合がつかず、月曜の午後3時半に、前回と同じ東京駅前で再会することになった。
午後10時羽田発の飛行機に乗るという彼がその前に時間を作ってくれたのだ。
東京駅にしたのは、きっと今日も丸の内〜大手町エリアで「占い」をしている彼が来やすいようにと気遣ってのことである。
ほぼ詐欺師の占い師に気を遣うのもバカバカしいが、「めんどくさいからやっぱり会うのやめた」と思われてはかなわない。
自分はこの機会を10年待っていた。
とはいえ、夢にまで見たヨギ・シンとの再会の約束を喜んでいたのは前日までの話だ。

東京駅に向かう私は、すっかり憂鬱な気持ちになっていた。
会えば必ずまたお金の要求をされるだろう。
前回は不意打ちのような形でいろいろ聞き出すことができたが、今回は向こうも十分に心の準備をしてくるはずだ。
彼が私に会う理由はひとつしかなく、それは私を金ヅルだと思っているからだ。

whatsappで約束の日時を調整している間も、彼は「会ったら私の寺を助けてくれるか?」とか「会ったら贈り物をくれるよね」というメッセージを送ってきていた。
ノーと答えれば来ないだろうし、イエスといえばしつこく要求してくるだろう。
「考えておくよ」とか「会えるのを楽しみにしてるよ」とか適当にはぐらかしたものの、この曖昧な返答が彼の中でイエスと解釈されている可能性もある。
さらには「どうして僕に会いたいんだ?」という至極もっともな質問もしてきた。
「こないだも言ったけど、私はインドもインド人も好きなんだ。君が生まれる前のインドで撮った写真も見てもらいたい。つまり友情のためだよ」
と送ると、彼は初めて笑顔とグッドサインの絵文字を返してきた。

このやりとりの過程で、彼がまだ21歳であることも分かった。
「私はその歳の頃にインドに行ったんだ」
と伝えたのは、インチキ占い師である彼に、自分が運命論的なものを信じているように見せて、関心を持ってもらう(要は、インチキ占いを信じる可能性があると思ってもらう)ためだ。
いろいろ聞かせてもらう代償に、まったくお金を払わないというわけにもいかないだろう。
今回は財布の中に千円札を3枚だけ残して、残りをかばんの奥にしまっておいた。


日本人らしく定刻前に東京駅に着いた私は、プラディープに駅前で待っているというメッセージを送った。
しかし10分待っても20分待っても返信はなく、返信がないどころか既読にすらならならない。
相手はインド人だし、待たされるのは覚悟していたが、ここまで無視されるとさすがに不安になる。
「今どこ?」と送っても、通話機能で連絡をしても、なんの返事もない。

「東京駅前」というかなりざっくりした場所を指定した自分が悪かったのだろうか?
Wi-Fiが繋がらなくて連絡がつかないとか?
駅前広場をくまなく探してみたが、やはり姿はない。
30分を過ぎた頃、ようやくスマホが振動した。
「今どこにいる?」
プラディープからのメッセージだ!
周囲の画像を撮って「ここにいるよ」と送ってからさらに数分が経った頃、先日と同じ人懐っこい笑顔でプラディープがやってきた。
今日も片手に革の手帳(例の占いの時に使ってたやつだ)だけを持ったほぼ手ぶらスタイルだ。

通り一遍の挨拶のあと、さっそく気になった点を尋ねてみた。

「今日、日本を発つんだよね? ところで荷物は?」

「部屋に置いてある」

「近くのホテルに滞在してるの?」

「ここから2、3駅のところ。巣鴨のホステルに泊まってる。今4時半だから、5時には行かないと」

「それなら宿に近い巣鴨で話そうか?」

「5時にこの近くで別の人に会わないといけないんだ。だからこのへんで話そう」


東京駅から羽田空港に行かなきゃいけないのに、巣鴨に戻るのは逆方向だ。
この日に日本を発つという話や、5時に別の約束があるというのが本当なのか、ちょっと怪しい。
でも「ホテルに泊まっているのか?」という問いにわざわざ「ホステル(安宿)」と答えている点には若干のリアリティがある。

初めに書いておくと、私の質問に対する彼の回答は、どこまでが真実で、どこまでが嘘なのか、いまひとつ分からない。
明確に嘘だと分かる発言もあれば、もしかしたら本当かもと思わせる部分もあったし、これは真実だろうと確信できる部分もあった。
今回のインタビュー(というか会話)は、まずは彼の言葉を否定せず、私の質問に対してどう答えるのかを探るという趣旨で行った。
できれば彼とは今後も関係を維持して、ヨギ・シンのさらなる真実が知りたい。
明らかな嘘であっても、今回はそこを追求するのではなく、彼が何を隠そうとしているのか、どうはぐらかすのかをまずは知りたかった。
ともあれ、2日前と同じように、東京駅前広場のベンチに腰を下ろして、会話が始まった。


「これはすごく小さな贈り物だけど、このペンはすごくスムースに書ける。
君は占いのときに心を読んで紙に書くでしょ。だからこれ使って」

「ありがとう」

彼からの「贈り物をくれるよね」という要望に、若干の皮肉を込めてジェットストリームの4色ボールペンを渡したところ、思いのほか素直な反応が返ってきた。
「これだけか? 他にはないのか?」とか言われると思っていたので、これは肩透かしだった。
このプレゼントは今日の対面が物やお金の要求に終始するのか、それともまともな会話ができるのかを探る試金石のつもりだったのだが、これはいい兆しだ。
続いてもう一つ、反応を探るための質問をしてみた。

「もう一度君の寺の写真を見せてもらって良い? 寺の名前を教えてもらえる? 情報をみんなにシェアしたいんだ。お寺のウェブサイトはあるの?」

「(田舎にある)村の寺だからウェブサイトなんてないよ。でもFategarh Sahibで検索してくれたらいい。その近くにある寺だよ」

彼はおととい見せてくれた子どもたちとターバンの男たちが写った写真を見せてくれた。
聞いたことがない地名が出てきたので、手元のノートに綴りを書いてもらう。
ヨギテンプル

「ファテガル・サーヒブね。これはアムリトサルにあるの?」

「そうだ。アムリトサルの近くだよ」

「この写真、撮影させてもらっていい?」

「なんで僕の寺の写真を撮りたいんだ?」

「ツイッターとかインスタでシェアしたいんだよ」

「そうか。この写真はシェアしてもOKだけど…他の情報はインターネットでシェアしないでくれ」

申し訳ないが、そう言われたけどいろいろ書いてしまっている(本名や彼の写真を載せるつもりはないけれど)。
もし彼が本当にまっとうな寺や孤児院のための寄付を募っているのなら、訝しんだりしないで、寺の名前や情報、寄付の方法などを喜んで教えてくれるはずだ。
もともと寺への寄付というのは作り話だろうと思っていたが、やはり嘘なのだろう。
あとで調べたところ、ファテガル・サーヒブという街は実際に存在していて、シク教の巡礼地になっている同名の大きな寺院がある。
しかし実際はその街はアムリトサルからは200キロも離れていて、とても「アムリトサルの近く」と言える場所ではない。
前回彼はアムリトサル出身だと言っていたので、これは明らかに矛盾している。
出身地については毎回その場しのぎの適当なことを言っているのだろう。
そして、「他の情報をインターネットに書き込まないでくれ」と言っているということは、彼は自分たちの行動を「知られては困ること」だと自覚しているのだ。

あまり突っ込みすぎても警戒されるだけだろうから、事前のやりとりで伝えていたように、学生時代にインドで撮影した写真を見てもらいながらしばし雑談に興じてから、また質問を続けてみた。

「日本の次はどこに行くの?」

「インドに帰る」

「パンジャーブに帰るの? 君の村に?」

「そうだ。寺に帰る。アムリトサルの近くの」
(前述の通り、彼の寺はファテガル・サーヒブはアムリトサルからは遠い)

「君は寺に住んでいるの?」

「そうだ。寺に住んでいる」

「そこで瞑想をしてるの?」

「そうだよ」


この部分もかなり怪しいと思っているのだが、彼にとって「寺で暮らし、瞑想に生きる男」という設定は譲れない部分らしい。
ここで以前から聞きたかった質問をぶつけてみた。


「世界には君みたいな占いができる人は何人ぐらいいるの?」

「世界中で? わからないなあ。僕らの寺はひとつだけじゃないからね。
ある人は別の寺に所属しているし、またある人は別の寺に所属している。
僕らの寺には瞑想や他の術ができる人が5人いる」

前回同様、私は彼の「占い」のことを英語でフォーチュンテリングと呼んでいるが、彼はずっとメディテーションという言葉を使っている。
ここにも彼のこだわりがあるようだ。

「君の家族には何人くらい占いができる人がいるの?」

「僕の家族? できる人はだれもいないよ。
僕は寺に住んでいる。僕らは寺で生まれた。別のところに住んでいる先生や友達がいるんだ」

「お父さんは占いをしないの?」

「僕は父を知らない。僕は寺で暮らしている」

「他の瞑想を学んでいる生徒たちは占いができるの?」
(彼が使っていたメディテーション・スチューデントという言葉を使ってみた)

「何人かの敬虔な(holy)魂を持っている人は、瞑想をすると祝福されて(blessed)、この技術が使えるようになる」


彼が本当に寺で暮らしているかどうかは不明だが、何人もこの「占い」の師匠(彼はティーチャーと呼んでいた)がいて、プラディープの寺(派閥)には5人のヨギ・シンがいるというのは、なんだかありそうな話に聞こえる。
一方で、彼の父親を知らないという発言は、前回の対面時に聞いた「この占いは代々の家業(puchtani)」という話と明らかに矛盾する。
前回の話が真実だったとすれば、彼に家族と占いとの関係を隠す意図があるということだ。

「君はとても若いよね。今21歳?」

「そう」

「これから君は何をするの? 君はカレッジにも通っている?」

「どんなカレッジのこと?」

「つまり、カレッジに通って瞑想以外のことも学んでいるの?」

「僕は薬学とか物理学も学んでいるよ」

正直に書くと、プラディープがここでPharmacy(薬学)あるいはPharma(製薬)と言っていたのを、私は農家(farmer)と聞き違えていたようだ。
そのため私は「農業はパンジャーブの文化だよね」とか「ファーマーになるんだね」とかトンチンカンな発言をしてしまい、彼もイエスと答えながらもちょっと困惑していたようだった。
間違いに気がついたのは後になってからのことだ。

ともかく、彼がカレッジで薬学や物理学を学んでいるというのは、リアリティがあるように思える。
もし彼が神秘的な占い師としての印象を強くしたいのなら、ずっと寺で瞑想をしているという回答をしたはずだ。
カレッジで学んでいる内容について詳しく聞かれるかもしれないのに、ここで嘘をつくメリットは彼にはない。
そして何より、彼のたたずまいは、流浪の占い師ではなく、ふつうのインドの大学生っぽかった。
ずっと路上で後ろ暗い生き方をしてきた者が持つ影が、彼には全くない。
ここで私はズバッと、彼の最大の秘密を知ってしまったことを伝え、そのリアクションを観察してみることにした。

「悪く思わないでほしいんだけど、私には君の占いのトリックが分かってしまった。
おとといの占いの時、君が私の手の上で紙をすり替えるのを見たんだ」

世界中で「占い」をしてきたヨギ・シンたちが、ずっと見破られなかった秘密を本人に突きつける。
さすがに逃げられてしまうかもしれない。
そうしたらどう引き止めて会話を続けようか。
だが彼は立ち去ることも沈黙することもなく、あまり表情を変えずに、すぐにこう答えた。

「Oh. いったいどうやってすり変えたっていうんだ?」

「私が紙を握ったあと、君に名前や誕生月や望みを教えたね。そのあと、私が手を開いたときに、君は『これがあなたが握っていた紙だね』と言って一度その紙を手に取った。そのときに君が紙をすり変えたのを見たんだ」

彼はあからさまにうろたえたりはしなかったが、どうにかして内心の動揺を隠しているように見えなくもない。

「いや、そんなことはしていない。
私たちには2種類の人間がいる。ある人たちはそういうことをするけど、他の人たちはしない。僕はしないんだ。さっき言った通り、たくさんの寺があって、いい寺もあるし、そうじゃない寺もある」

明らかに手の内がバレてしまっている状況でも、彼はあくまでも瞑想によって人の心を読むことができるというキャラを変えるつもりはないようだ。
こちらも、そういうリアクションをするのだということが分かれば、ひとまずは十分だ。
必要以上に警戒されることは望んでいない。

「悪く思わないでくれ。どっちにしろ私は別に気にしていないから」

「オーケー」

「私はただ、君みたいな占い師が世界中に出没していると知って、いったい何者なのか、何人くらいいるのかを知りたいだけなんだ」

「オーケー。アムリトサルに来て、僕の寺を見たらいいよ」

彼のオーケーという返事にあまり元気がないように感じたが、会話を打ち切って逃げられてしまうようなことはなさそうだ。
どうやら、彼は自分の占いのトリックが見破られているにも関わらず、「自分は良い占い師で、他に悪い奴もいる」というストーリーでこの状況を乗り切ろうとしているようだ。


つづき



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2023年10月22日

ヨギ・シンとの対決(その2)


(前回までのあらすじ)
世界中に出没する謎のインド人占い師ヨギ・シンが再び東京に出没したという情報を得た私は、捜索の末、ついに本人との遭遇を果たした。
そして、世界を騙し続けて来た彼のトリックを見破ることに成功する。

前回の記事:



「見てくれ、これがインドにいる僕の瞑想(メディテーション)の先生だ」
(グルという言葉ではなく、ティーチャーという英単語を使っていたと記憶している)

彼が手帳から取り出した写真には、長髪に長い髭をたくわえたインド人男性が映っていた。
ターバンも巻いておらず、ヒンドゥー教の行者のように見えるが、額にシヴァ信仰やヴィシュヌ信仰を示す印はない。
インドでは決して珍しくはない修行僧風の格好だが、知らない人にとっては何かすごい仙人のように見えないこともないだろう。
要するに、彼はこの師匠のおかげで人の心が読めるようになったと言いたいらしい。

ここまでは彼のペースで話に付き合ってきたが、そろそろこちらが質問する番だ。
怪しまれないように、基本的なことから確認する。

「君はインド人なんだね?」
「そうだ」
「私はこれまで5回、インドに行ったことがある」

これは、今まで多くのインド人と話してきたやりとりだ。
彼が不審がることはないだろう。
案の定、彼は他のインド人と同じように私に聞き返してきた。

「行ったことがある場所は?」

「デリー、アーグラー、ヴァーラーナシー…」
訪れたことがある街の名前を羅列し始めると、彼はすぐにさえぎって、「僕はデリーの近くから来た」と答えた。
感じの良い笑顔を浮かべているものの、会話を楽しみたいというより早く話を先に進めたいようだ。
気づかないふりをして質問を続けた。

「デリーの近くってどのあたり?」
「パンジャーブだ」
「へえ、パンジャーブは行ったことがないな。いつか行ってみたいよ」

その言葉には答えずに、彼は手帳からもう1枚の写真を取り出した。
大勢の子供たちのまわりに、ターバンの男たちが映っている。

ヨギテンプル



「これが僕の寺院(マイ・テンプルと言っていた)。ここで親のいない子どもたちを支援している」

お決まりの展開だ。
彼が寄付を募ってくることは分かっていたが、こちらにも聞きたいことはたくさんある。

「あなたはシク教徒なの?」
「そうだ」
「つまり、この寺院(テンプル)はグルドワラ(シク寺院)なんだね」

グルドワラという、普通の日本人がなかなか知らないような単語を言ったらどんな反応をするか試してみたのだが、彼はペースを崩さず、

「そうだ。彼らはターバンを巻いているだろう」

と応じた。
シク教はパンジャーブで生まれた宗教で、男性が巻くターバンはそのシンボルだ。
しかしこの話を続けるつもりはないらしい。

彼は話の流れを無視してメディテーションやカルマの話題を出すと、口の中で私の名前が入った短い呪文のようなものを唱えた。
はっきりとは聞き取れなかったし、そもそもシク教の祈りの言葉がどんなものか私は知らないのだが、その祈りには、シヴァとか、いくつかヒンドゥー教っぽい単語が含まれていたように思えた。
私のために祈ったということなのだろうが、その短い祈りはいかにもとってつけたようで、説得力もありがたみも感じられなかった。

「ぜひ僕の寺院のために喜捨をしてほしい。お金を払ってくれたら、あなたにもっと大きな幸せが戻ってくる」

予想通りだ。
彼の機嫌を損ねないため、そして彼の「芸」へのリスペクトとして、多少のお金を払う覚悟はできていた。
一方で、いくら払ったとしても、彼がそれ以上の金額を要求してくることも分かっていた。
そこで私は、あらかじめ余分な紙幣をかばんの奥にしまって、千円札1枚だけを財布に残していた。

「今これしかないんだ」

と財布の中身が見えるように千円札を取り出して渡すと、彼は手帳を開いて、

Poor 30,000   Middle 60,000   Rich 90,000

と書かれたページを示した。

「貧乏人でも30,000円が相場だ」

人懐こい笑顔のままそう主張する彼を見て思った。

彼はまだ未熟なのだ。
手練の詐欺師や商売人なら、ここはいかにも不満そうに「インドのありがたい秘術に対してこれっぽっちか。お前は何と言う失礼なやつなんだ」という態度を取るところだ。
相手に後ろめたい気持ちを植え付けて、もっとお金を払わせるためだ。
もし彼が、今の人あたりの良さとそういった図太さをうまく使い分けられたら、かなり手強いヨギ・シンになれそうなのだが、残念なことに(私にとっては幸運なことに)今の彼にその技量はない。
それにしても、この貧乏人、中流、金持ちと3パターンの勝手な値段を示すやり方、勝手に祈って寄付を募るインドのインチキ宗教家の常套手段なのだが、教科書でもあるのだろうか?

「今これしか持ってないんだよ」

「1,000円ではほんの小さな支援しかできない。もっと継続した支援が必要なんだ。なぜ他の人ではなくあなたに声をかけたか分かるか? あなたの額から良い人のオーラが出ていたからだ。キャッシュマシーンでお金をおろしてきてくれないか」

「いや1,000円で十分だろう。そもそも貧乏人でも30,000円払うなんてありえない」

「カルマを知っているか? この寺院に寄付をすれば、それは良いカルマになって戻ってくる。もしあなたのお母さんの名前を当てることができたら、30,000円払ってくれるか?」

全て予想通りの言葉だ。
ここであまりにも明確に拒絶したら彼は立ち去ってしまうかもしれないし、払うかどうか悩んでいる様子を見せたら逆につけこまれるだろう。
だが、彼はまだ若く、手練のインド商人のようなしたたかさはない。
もっとこちらのペースで話を進められるかもしれない。

「いくつか質問をさせてもらえるかな? 君の名前は?」

私は、当然彼が「ヨギ・シン」と答えることを予想していたのだが、彼が名乗った名前はまったく別の、あるミュージシャン(彼もシク教徒だ)と同じ名前だった。

ところで、私の目的は悪質な外国人詐欺師への注意喚起ではなく(私は彼らの行動を詐欺だとはあまり思っていない)、純粋な好奇心なので、ここで彼の本名かもしれない名前を晒すのは本意ではない。
彼の名前を仮にプラディープとしておく。

「プラディープ、君は日本に住んでいるの?」

「世界中を旅している。月曜日には東京を発つんだ」

本当かどうかはともかく、彼は聞いたことには答えてくれるようだ。
ここで思い切って核心をつく質問をしてみた。

「じつは君みたいな占い師に会ったという人が世界中にいると聞いていて、自分も会ってみたいと思っていた。君たちは世界中でこういうことをやっているんだろう? 君はシンガポールやメルボルン(どちらもヨギ・シンの出没がよく報告される)にも行ったことがある?」

この質問に対して、彼はあからさまに狼狽するようなことはなかったが、ちょっと困惑した様子で「ノー」と答えた。

「ずっと旅しているわけではなく、いつもは寺でメディテーションをしている」

「それで世界中を旅して、寄付(donation)を募っているの?」

「いや、寄付を求めているんじゃない。人々を導いているんだ」

どんなこだわりがあるのか分からないが、寺院や子どもたちへの寄付を募ることが目的なのではなく、瞑想を通して人々を導くことが大事なのだというのが彼の理屈のようだ。

「なぜ東京を選んだの?」

「美しい場所だと聞いていたから」

「これまでに行ったことがある場所は?」

「台湾とヨーロッパ。スイスとドイツとパリに行ったことがある」

じゃあ、記念に一緒に写真を撮ろうと言うと、一瞬躊躇したようにも見えたが、断るのも不自然だと思ったのだか、セルフィーに応じてくれた。
彼にとって写真を撮られるのは望ましくないはずだ。
ネットで公開されたり、警察に届け出られたりするリスクがあるからだ。
前述の理由(晒すのが目的ではない)で、やはりここには載せないが、あとで見たら笑顔で写っている自分とは対照的に、彼はこわばった表情をしていた。

「パンジャーブから来たと聞いたけど、パンジャーブのどこの出身?」

「アムリトサル」

「黄金寺院(ゴールデン・テンプル)があるシク教の聖地だね」

「そう。ハリマンディル・サーヒブ(黄金寺院のパンジャービー語名)がある」

彼の答えが本当かどうか知るすべはないが、私は否定せずに聞きながら、彼ら(つまりインド人、シク教徒、そして、ヨギ・シン)に理解があることと、敵意がないことを示そうとしていた。
ここまでの反応を見る限り、どうやら彼が急に心を閉ざして立ち去ってしまうということもなさそうだ。
そう判断して、勇気を出していちばん聞きたかったことを聞いてみる。
彼の出自、正体だ。

「ところで、君は'B'というコミュニティの出身なのか?」

しばしの沈黙ののち、彼は「ノー」と答えた。

'B'というのは、以前の調査で判明したヨギ・シンの正体と目される、もともと路上の占い師をしていたと言われるシク教徒のコミュニティ(いわゆるカースト)である。
シク教は本来はカースト制度を認めていないのだが、実際にはカーストにあたるコミュニティごとの順列があり、'B'は低い地位とみなされているらしい。
こうしたインドの伝統的な身分制度にかかわる話題はデリケートなので、カーストという言葉は使わなかった(そのため、ここでもそのコミュニティ名は伏せ字とする)。

ノーと答えた後で、彼は独り言のように「'B'...」(コミュニティ名)と復唱すると、こう聞き返してきた。

「なぜそんなことを聞くんだ?」

この反応が、「どうしてそのことを知っているのか」という狼狽を意味するのか、それとも私の質問が的はずれで戸惑っていただけなのかは分からない。

「じつは、君のような不思議な占い師が世界中に出没していると聞いて、とても興味が湧いたんだ。そこで本やインターネットで何年もかけて調べた。そこで、あなたのような占い師が'B'というコミュニティ出身らしいということを知った。悪く言うつもりはない。すごいことだし、興味深いと思っている」

私が「調査(リサーチ)した」という言葉を発した時、彼はまた先程と同じように「リサーチ…」とつぶやいた。
単に繰り返しただけなのか「まさかそこまで調べたのか」という意味だったのかは、やはり分からない。
'B'ではないと言う彼に、質問を続けた。

「では、君のコミュニティはみんなこういった占いをするのか」

「これは自分の信仰(レリジョン)なんだ」

私は彼が道端で行っているテクニックに対して「占い(フォーチュンテリング)」という単語を使っていたが、彼は一度も「フォーチュンテリング」とは言わずに、最後まで「メディテーション」という言葉を使い、こでは宗教/信仰(レリジョン)と回答した。
率直に言って彼がいつも寺院で瞑想をしているというのは嘘だと思うが、この言葉選びには何かこだわりがあるのかもしれない。


「シク教徒全員がこういう占いをするわけではないだろう? あなたみたいな占い師が100年前から世界中に出没していると聞いている。あなたのお父さんも、そのお父さんも、ずっとこの占いをやっているのか?」

「そうだ。父も。その父も。これは…(聞き取り不能)だ」

彼が聞いたことのない単語を発したので、アルファベットの綴りを書いてもらったところ、それは'puchtani'という、パンジャービー語の言葉だそうだ。
あとで検索してみると、ヒンディー語の「先祖から伝わる伝統」「生まれ育った故郷」という意味の単語がヒットした。
パンジャービー語とヒンディー語は近い言語なので、同じような意味の可能性が高い。

「東京にはどれくらい滞在しているの?」

「10日間」

これもあとで調べて分かったことだが、X (旧twitter)上で、東京でのヨギ・シンとの遭遇と思われるもっとも早い投稿は10月7日だった。
この日が10月14日、彼が東京を発つと言っていた月曜日は10月16日なので、これは本当のことを言っているようだ。

「一人で来ているの? それとも家族と来ているの?」

「一人だ」

これはおそらく事実ではない。
ここ数日の間に、この界隈で彼とは別にもう一人、中年でターバン姿のヨギ・シンが目撃されている。
なぜ彼がここで嘘をついたのかは分からない。
余計な詮索から仲間を守ろうとしたのだろうか。

「この近くに滞在しているの?」

「そうだ」

順番は多少異なっている可能性があるが、彼との会話はこんなふうに進んでいた。
順調に聞き込みが進んでいるように思えるかもしれないが、彼はこの間にも「もっと払う気はないのか」とか「あなたの母親の名前をあてたら30,000円払ってくれるか?」としつこかった。
それを、「ノー」とか「今お金ないの見せたでしょ」とかかわしながら質問を続けていたのだ。
結局のところ、彼はやっぱりお金が目的なのだろう。

会話のなかで「連絡先を教えてほしい」と頼んでみると、彼はメールアドレスとwhatsapp(インド人がよく使うLINEのようなアプリ)の連絡先を教えてくれた。
2日前にプラディープと思われる占い師との遭遇を報告してくれたSIさんにも、彼は「メールアドレスを伝えるからなにか困ったことがあればまた連絡が欲しい」と伝えていたという。
あわよくば再び会ってお金をもらおうという魂胆があるのかもしれない。
つまり、また別の機会に会って聞くこともできるということだ。
あまりしつこくして、そのチャンスすら失ってしまったら元も子もない。
もしかしたら、彼が帰国した後もwhatsappで情報を得ることができる可能性もある。
今にして思えば、このタイミングでそんな考えが頭をよぎったのは、極度の緊張と駆け引きで疲れてしまっていたからだろう。
何を聞いても一言しか返さない彼に対して、お金の話題を出されないよう、間を空けずに質問を考えながら話すのは、かなり神経を使うやりとりだった。

彼もまた、この男はこれ以上金を払うことはなさそうだという判断をしたのだろうか。
会話のテンポも弾まなくなった頃、どちらからともなく、ごく自然と別れの挨拶が交わされた。

彼は最後まで感じの良い笑顔で手を差し出し、握手をすると、「See you」と言って東京駅のほうへと歩いて行った。

どっと疲れが出て、ため息をつく。
ついさっきまで起こっていたことに、いまだに現実感が湧かない。
世界中に出没する謎の占い師、ヨギ・シンの存在に気づき、彼を探し始めて10年。
とうとうヨギ・シンに声をかけられて、占いを体験し、そしていろいろなことを聞くことができた。
若きヨギ・シンことプラディープとの会話ひとつひとつを反芻する。
パンジャーブ出身。
世界中を旅している。
代々占い師の家系の出身。
このあたりは予想通りと言っていいだろう。

だが、結局のところ、ヨギ・シンとはいったい何者なのだろうか。

彼らは何人くらいいるのか。
彼らはもともとどこから来たのか。
どうしてみんなヨギ・シンと名乗るのか(プラディープはそうではなかったが)。

まだまだ聞けていないことがたくさんある。

連絡先を教えてくれたからと言って、また会えるという確証はない。
質問を送っても無視されるだけかもしれない。
そう思うと、またしても絶好の機会を逸してしまったのだという後悔の念が押し寄せてきて、愕然とした。

今ならまだ彼は近くにいるかもしれない。
急いでwhatsappでメッセージを送る。

「もしまだ時間があるなら、晩ごはんでも食べないか?」

しかし返信が来ないどころか、いつまでたっても既読にすらならない。
whatsappの通話機能で呼びかけてみるが、反応はなく、呼び出し音が鳴るだけだ。

やってしまった!
前回の遭遇のあと、私は次に会うことができたら、なんとかしてヨギ・シンとの関係を構築し、彼らが本当は何を考えているのかを知ろうと決意していた。
あれから4年が経ち、すっかり忘れた頃の急な来日。
さらに、あまりにも簡単に会えてしまったことで、しっかりとしたプランを立てることなく彼との対面を迎え、そして終えてしまった。

返事を待ちながら1時間ほど過ごしたが、全く音沙汰がなく、失意のうちに帰路につく頃、携帯が振動した。
プラディープからの返信だ。

「今日はもう部屋に帰ってしまったから無理だ。明日ではどうだ?」


(つづき)



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goshimasayama18 at 13:47|PermalinkComments(0)

2023年07月21日

今年のフジロックで来日するインドのバンドJATAYUを紹介! メンバーへのインタビュー



先月インドのヘヴィメタルバンドBloodywoodが大盛況の単独来日公演を成し遂げたが、彼らがここ日本で大きな注目を集めたきっかけは言うまでもなく昨年のフジロックフェスティバルだった。
あれから1年。
Foo FightersやLizzoといった大物アーティストの影に隠れてあまり話題になっていないが、今年のフジロックにもインドのバンドが出演する。

2日目の7月29日にオーガニック/ジャムバンド/ワールドミュージックなどの色彩が強いField of Heavenのステージに3番手として出演するJATAYUである。


JATAYU "Sundowner By The Beach"



インドの大叙事詩ラーマーヤナに登場する鳥の王からバンド名をとったJATAYUは、インド南部タミルナードゥ州チェンナイ出身のインストゥルメンタルバンド。
メンバーは、ギターとカンジーラ/ムリダンガム(後2つはどちらも南インドの伝統的な打楽器)を演奏するShylu Ravindran, ギターとアレンジを手がけるSahib Singh, ベースのKashyap Jaishankar, ドラムス担当で、ときに南インドのカルナーティック古典声楽も披露するManu Krishnanの4人で構成されている。
彼らの音楽は、南インドの古典音楽であるカルナーティック音楽を大胆に導入したギター主体のインストゥルメンタルロックで、一般的にはジャズロックバンドと紹介されることが多いようだ。
確かにジャズっぽい要素もあるし、カルナーティック由来の複雑なリズムはプログレッシブロック的でもあるが、柔らかくて芯のあるギターサウンドとリラックスしたグルーヴは、Steve Kimockのようなギター主体のジャムバンドのようにも感じられる。


JATAYU "Salad Days"


フジロックでは彼らの音楽を初めて聴くオーディエンスも多いと思うが、あたたかみのあるギターと人懐っこいグルーヴに、すぐに体を揺らしたくなることだろう。
じつは彼らは昨年9月に関西地方の4か所での来日公演を行なっていて、日本人ピアニスト矢吹卓との共演も果たしている。

JATAYU "No Visa Needed (feat Taku Yabuki)"



彼らの独特の音楽はどこから生まれたのか?
来日公演やフジロックに出演することになった経緯は?
まだまだ謎が多い彼らにインタビューを申し込んだところ、ギターとアレンジを手がけるSahibから二つ返事で快諾の回答があった。
というわけで、フジロックの隠れた目玉アーティスト、JATAYUに、音楽のこと、地元の音楽シーンのこと、フジロック出演のきっかけなど、たっぷりと聞いてみました。



ーまず、バンドについて紹介してもらえますか?

「JATAYUはShylu(ギター/カンジーラ/ムリダンガム)と僕のベッドルーム・プロジェクトとして始まった。2017年に今のラインナップになるまでに、いろいろな変化を経てきたよ。
バンドメンバーは、リードギターのShylu Ravindran、リズムギターのSahib Singh、ベースのKashyap Jaishankar、ドラムのManukrishnan Uだ。」


ーとてもユニークな音楽性ですが、どんなミュージシャンやジャンルから影響を受けたのでしょうか?
ジャズやカルナーティック音楽はもちろん、Grateful Deadのようなジャムバンドやトランスの影響を感じる部分もあるように感じます。


「JATAYUの音楽は、メンバーの多様な背景や音楽的経験の影響が、魅力的に融合したものだと言える。Shyluはカルナーティック音楽に深く根ざした家族の出身で、Mahavishnu Orchestra, John Scofield, そして伝説的なU Shrinivas(カルナーティック音楽のマンドリン奏者)からインスピレーションを受けている。
彼のギターはカルナーティックの深遠さとモダンジャズの要素のユニークな融合を聴かせてくれる。
Mark Knopfler, Red Hot Chili Peppers, Tom Mischに影響を受けた僕(Sahib)は、ファンクやロックやモダンなインディー音楽のスタイルを融合して、ギターにダイナミックでエネルギッシュなアプローチをもたらしている。
ベースのKashyapの音楽的影響にはThe Beatles, Hyatus Kaiyote、そしてRobert Glasperの革新的なジャズのスタイルが含まれている。彼のグルーヴィーなベースラインは、JATAYUの音楽にスムースでメロディックな感触を加えているね。
Manukrishnanの音楽経歴には、カルナーティックのヴォーカルとムリダンガムの鍛錬が含まれていて、最終的にドラマーになったんだ。彼は、Meshuggahのような偉大なプログレッシブメタルバンドや、ムリダンガム奏者のPalghat TS Mani Iyer, そしてアヴァンギャルド・ジャズのPeter Brotzmannから影響を受けているよ。
こうした個人的な影響が合わさって、ジャンルやスタイルの調和がとれた融合が達成されているんだ。」



JATAYUを育んだチェンナイは、古典音楽の都としても知られているが、彼らのようなインディー音楽のシーンはどのようになっているのだろうか。


ーみなさんの地元であるチェンナイの音楽シーンはどんな感じですか?
F16sSkratのようなバンドや、Arivuのようなラッパーなど、才能あるアーティストがいるようですが。

「チェンナイのインディペンデント音楽シーンは活気に満ちていて、多くの才能あるアーティストがオリジナリティのあるサウンドで活動しているよ。でも、僕らが直面している課題のひとつは、自分たちの音楽をプロモーションしたり、演奏したりする場が限られているってことなんだ。ムンバイやベンガルール、ハイデラバードみたいなコンサート会場や演奏機会の多い都市に行くこともよくある。
こういった困難な状況だけど、チェンナイのインディー音楽コミュニティの絆は固くて、アーティストたちは互いに支え合って、協力し合っている。
僕とマヌ(ドラムのManukrishnan)は、ArivuとCasteless Collectiveというバンドでコラボレーションしているし、ManuはF16s(4人編成だがドラマーはいない)のアルバムでドラムを披露しているよ。」



続いて、彼らの音楽を特徴づけている南インドの古典であるカルナーティック音楽について聞いてみた。

ーロックとカルナーティックを融合したミュージシャンといえば、元MotherjaneのBaiju Dharmajanがいますね。カルナーティック・プログレッシブ・ロックのAgamも良いバンドです。
カルナーティックとロックの融合にもいろいろなスタイルがあるようですが、インドには他にもカルナーティックとロックを融合したバンドはいるのでしょうか?
「Baiju DharmajanとAgamはロックとカルナーティック音楽の融合に影響を与えた。彼らのユニークなスタイルは、このジャンルの発展に貢献しているね。彼らの他にも、Karnatriixや、Project Mishramのようなアーティストも、カルナーティックとロックを独自のアプローチで融合している。
他に注目すべき存在としては、ヴォーカリストのShankar Mahadevanと古典楽器ヴィーナの奏者Rajesh Vaidhyaもカルナーティック・フュージョンを実践しているミュージシャンだ。」


JATAYUの音楽が気に入った人は、リンク先からぜひそれぞれのアーティストの音楽を聴いてみてほしい。
めくるめくカルナーティック・フュージョンの世界が広がっている。
ちなみにSahibが名前を挙げたShankar Mahadevanはボリウッド映画の作曲家トリオShankar-Ehsaan-Loyの一人としても知られている。
古典音楽からインドのメインストリーム・ポップスである映画音楽、そして実験的なフュージョン(インドでは、古典音楽と西洋音楽や現代音楽を融合したものをこう呼ぶ)をひとりのアーティストの中で共存しているというのもインドならではである。


ーカルナーティック音楽を聴いたことがない人に紹介するとしたら、どのように紹介しますか?
おすすめのミュージシャンがいたら教えてください。
「カルナーティック音楽を聴いたことがない人に紹介するなら、M.S. Subbulakshmi(声楽), D.K. Pattammal(声楽), K.V. Narayanaswamy(声楽), M.D. Ramanathan(声楽), Lalgudi Jayaraman(ヴァイオリン)、Palghat T.S. Mani Iyer(ムリダンガム)といった伝説的なアーティストの作品を探求することをお勧めするよ。
こうしたアイコニックな音楽家たちは、カルナーティック音楽の伝統に多大な貢献をしてきたんだ。現代の音楽シーンでも、T.M. Krishna(声楽)がソウルフルな演奏でカルナーティック音楽の真髄を見事に表現している。彼らの音楽は、カルナーティックの豊かな伝統と美しさを垣間見せてくれるはずだよ」


先ほどのフュージョン音楽と比べると、ガチの古典音楽なのでとっつきにくいところもあるかもしれないが、彼らが歌い奏でる音ひとつひとつの深みや、技巧に満ちたリズムとフレーズが織りなす美しさをぜひ味わってみてほしい。


ーすでに2022年に来日公演をしていますが、これはどういった経緯で決まったことなのでしょうか?

「COVID-19によるロックダウンで、最初は打ちひしがれていたんだけど、僕らは自分たちの音楽を国境を超えて広めてみようと決意した。僕らは積極的に機会を探していて、日本の関西ミュージックカンファレンス(2009年から続く、日本と海外のミュージシャンをつなぐための企画)を見つけたときは興奮したよ。
僕らはそこに応募して、フェスティバルに参加することが決まったんだ。僕らは日本でのパフォーマンスに合わせて、タイでのツアーも計画した。ちょうどそのときに、シンガポールからASEAN Music Showcase Festivalへの出演オファーを受けたんだよ。このイベントへの参加を通じて築いた人々とのつながりが、僕らに新しい扉を開いてくれた。」


ー"No Visa Needed"で共演している矢吹卓と知り合ったきっかけは?

「彼とはオンラインで知り合って、プログレッシブ・ジャズが大好きだっていう共通点から、この曲でコラボレーションすることを決めた。彼とこの曲を作るのはとても簡単だったから、"No Visa Needed"と名付けた。来週、東京で彼と初めて直接会う予定なんだ。フジロックでこの曲を初披露できることを楽しみにしているよ。


ーフジロックへの出演はどのように決まったのでしょうか?

「フジロックのオーガナイザーが、シンガポールで開催されたASEAN Music Showcase Festivalでのパフォーマンスを見て、僕らの音楽を見つけてくれたのがきっかけだった。僕らは自分たちの音楽をより多くのオーディエンスと共有して、世界の音楽シーンのアイコニックなイベントに参加できるチャンスだと思った。フジロック出演を決めたのは、新しいオーディエンスを獲得して、日本の活気ある音楽カルチャーを体験したいっていう僕らの情熱によるものだよ」


ーフジロックでは、昨年デリーのメタルバンドのBloodywoodが大人気を博しました。彼らについてはどう思っていますか?

「インドで彼らの衝撃的なライブパフォーマンスを目撃する機会があった。彼らのエネルギッシュなショーは見るべきだね。彼らのようなインドのインディーズ・バンドが世界で旋風を巻き起こしていることに、僕らは興奮している。インドの音楽シーンが成長して知られてゆく過程を目の当たりにできるのは刺激的だし、僕らもこのエキサイティングなシーンの一部でいられることを光栄に思っている。」



ーあなた方のライブについて伺います。即興演奏の要素は多いのでしょうか?
スタジオバージョンとは異なるものになるのでしょうか?


「スタジオ録音では、それぞれの曲のエッセンスと形式をとらえて、まとまりのある形で表現することを目指している。でもライブパフォーマンスでは、曲の全体像はそのままに、メンバーそれぞれの表現や、曲を進化させる余地を作るようにしているんだ。即興的な部分やソロを取り入れて、演奏に個性的なフレイバーを加えているよ。
さらに、会場の雰囲気や環境も僕らのセットのダイナミズムに大きな影響を与える。僕らはテンポやエネルギーの出し方を調整して、さまざまな雰囲気を作ってオーディエンスにいろんな体験をさせるんだ」


ーフジロックで見ることを楽しみにしているアーティストはいますか?

「フジロックの信じられないようなラインナップを見て興奮は高まる一方だよ。Cory WongやCory Henryみたいな、僕らのバンド全員が尊敬している有名ミュージシャンのパフォーマンスを心待ちにしている。
Foo Fighters, GoGo Penguin, Black Midi, Ginger Root, 他にも数えきれないほどの才能あるアーティストたちの魅力的なパフォーマンスがこのフェスを彩ることに感激しているよ。多様なジャンルと素晴らしい才能が見られるフジロックは、参加した人全員にとって忘れられない音楽の旅になるだろうね」


ーJATAYUが出演するField of Heavenはフジロックで最も美しいステージだと思います。
フジロックであなた方のライブを見る観客に何かメッセージをください。
「Field of Heavenの音楽ファンのみんな、この素晴らしいフェスティバルに参加できて光栄です。才能豊かな日本人アーティストの矢吹卓とのコラボレーション"No Visa Needed"を含む特別なパフォーマンスができることにワクワクしている。みんなと音楽を分かち合うのが待ちきれないよ。See you soon!」


現在彼らは来日前に台湾をツアー中。
それにもかかわらず、全ての質問にたっぷりと丁寧に答えてくれた。

彼らのファンキーなグルーヴに乗せたカルナーティックギターサウンドが、Field of Heavenのステージから苗場の大空に響き渡ったら、最高に気持ちいいことだろう。
去年のBloodywood同様に、JATAYUもインドのインディペンデント音楽シーンの素晴らしさとユニークさを、日本のオーディエンスに存分に知らしめてくれるに違いない。
個人的にも、彼らの柔らかいグルーヴとGoGo Penguinの機械的で硬質なグルーヴが続く2日目のヘヴンは、今年のフジロックの見どころのひとつだと思う。

フジロックのオーディエンスには、まだ見ぬ素晴らしい音楽を体験することを楽しみにしている人が多いことと思うが、それならばこのJATAYUは絶対に見逃せないバンドである。



JATAYU "Marugelara"









追記:

カルナーティック音楽の魅力と世界観を味わうには、ムリダンガム奏者を主人公としたタミル語映画"Sarvam Thaala Mayam"もおすすめだが、今のところ日本語字幕版は配信プラットフォームに入っていないようなので、本文中では触れなかった。
同作は、2018年の東京国際映画祭で『世界はリズムで満ちている』というタイトルで公開されたのち、『響け!情熱のムリダンガム』というタイトルで劇場公開されている。
機会があったら是非見てみてほしい。


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2023年01月21日

『エンドロールのつづき』パン・ナリン監督インタビュー 光の根っこにあるもの

今回は、前回紹介した『エンドロールのつづき』のパン・ナリン監督のインタビューをお届けする。
インタビューという性格上、一部、作品の内容に触れているところがあるので、ネタバレ厳禁派で未見の方は鑑賞後に読むことをおすすめするが、いずれにしても、この魅力的な映画の背景にあるものが分かる貴重な内容であることは間違いない。

それではさっそく、パン・ナリン監督が描いた、「映画の光」の光源を探ってみよう。

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この作品のなかで、映画を「光」として描いていることがとても印象的でした。そこにどのような意味を込めたのでしょうか?

「私は映像作家として成長してゆくなかで、光と時間という2つの要素が、物語を伝える上でとても大事だと気づきました。
そのときに、私の子供時代や、住んでいた村のとなり街の映画館で映写技師をしていた友人の思い出をもとに、何かできるかもしれないと考えたのです。
この『光と時間』という発想はとても大事なことだと思ったので、私は主人公の少年に、時間を意味するサマイという名前をつけました。
彼はストーリーを語るための『光』に夢中になります。
私の考えでは、光と時間こそが、映画をマジカルにするのです。
さまざまな映像技術がありますが、35ミリフィルム(1909年に定められた映画フィルムの国際規格)、サイレント、セルロイドフィルム、デジタルと時代が変わっても、そこにはいつも光と時間がありました。
伝える方法が変わって、ヴァーチャル・リアリティーや3Dや、もしかしてホログラムになったとしても、本質は常に光と時間なのです。
これは『映画を祝福する映画』です。
でもこのメインテーマを、前面に押し出すのではなく、もっとあたたかみがあって、心がこもった方法で、直接的にではなく、哲学的かつ詩的に光と時間を表現しようとしました。」



自然の緑や、チャイ売りの小屋の青、カラフルな衣装など、たくさんの色が印象に残っています。
ラストのシーンでも描いているように、優れた映画や映画監督には印象的な「色」があると思いますが、色彩の面でとくに意識したことはありますか?

「そうですね、この映画の色彩については、モーリス・ラヴェルの『ボレロ』に少し似ています。
『ボレロ』は、一つの楽器から始まって、曲が進むにつれて、打楽器や管楽器が加わってクレッシェンドしてゆきます。
有機的で王道の話の進め方ですね。 
映画の序盤に出てくる色は、サマイが暮らす世界、すなわちお母さんのスパイスや、遊びに使っている色ガラスや、そして彼の周囲にある自然の緑だけでした。
そして彼は『光』(映画のことと思われる)を見つけます。その色は、彼の夢の一部となり、彼は映画に夢中になります。
物語がクライマックスに向かうにつれて、彼はギャラクシー座で多くの映画を見てゆきますが、"Jodhaa Akbar"(劇中でサマイが見る2008年公開のヒンディー語史劇映画)のような映画はとてもカラフルです。
ご存じのようにインドの映画はとてもカラフルなのです。
映画の最後に差し掛かると、そうした色は祝福へと変わります。
あらゆる色を、キューブリックやアントニオーニといった巨匠たちと調和させようとしたのです。」

 
実際に監督は幼い頃に駅でお父さんとチャイを売っていたそうですが、この映画はリアルに少年時代を描いたものと考えて良いのでしょうか? Googleで監督が働いていたというキジャディヤ・ジャンクション(Khijadiya Junction)駅を調べてみたところ、映画に出てきたチャララ(Chalala)駅にそっくりで驚きました。

「その通り。なるべくリアルに近づけました(笑)。
私の父は、実際にキジャディヤ・ジャンクション駅でチャイ屋をやっていました。今では電化された新しい広軌の鉄道が走るようになって、その駅はもう使われていません。
そこに住んでいた人たちもほとんどが別の場所に引っ越して、数軒残っている家も廃墟のようになってしまいました。
だから、私はそんなに遠くない場所で、撮影のために別のよく似た駅を見つけなければなりませんでした。
村の中心じゃなくて、野原の真ん中にぽつんと駅だけがあるような場所です。
何か所かロケーションを探してみたのですが、チャララ駅はキジャディヤ・ジャンクションと同じ路線にあって、走っている車両も、機関車以外はまったく同じような感じだったのです。
父は結局、2010年頃までチャイ屋をやっていました。
その頃は私のきょうだいの生活も安定していたので、『もうのんびりしたら?』と勧めたのですが、父は『友達もいるし、これが自分の世界で、この仕事が好きだから』と言っていました。
お金のためじゃなくて、それが父の生き方だったんです。」


映画のように、実際に野生のライオンが出てくるような場所だったのでしょうか?


「(笑)そこはインドライオンの最後の生息地であるギル国立公園(野生生物保護区。Gir National Park)の中で、ライオンだけじゃなくてヒョウもチーターも住んでいて、映画に出てきた鳥もリスもいます。
撮影中に3、4回くらい、ライオンが駅にやってくることがありました。
それも1匹じゃなくて、10匹くらい来るんです。
駅長が言うには、電車が出ていくと人もほとんどいなくなるし、線路の上には草が生えていないから虫がいなくて、彼らのお気に入りの場所なんだそうです。
線路の上にいる野生のライオンを見るとは思わなかったですね(笑)」


映写技師のファザルのキャラクターについて教えてください。監督が子どもの頃に、実際に彼のような人がいたのでしょうか?

「私の人生にもファザルがいました。
彼の名前はモハメドと言います。預言者モハメドみたいに(笑)。
彼と出会ったのは、本当に映画と同じような感じでした。弁当を交換する代わりに、タダで映画を見せてくれたんです。
映画の中に出てくるいくつかのセリフは、実際に彼が言っていたものです。
彼はいつも『未来はストーリーを伝える人のものだ』と言っていました。
『世界を見てみろ。政治家は嘘をついて俺たちに投票させる。テレビの広告屋は俺たちに商品を買わせる』とね。
そういう商品を買って、持っていたりすると、『そんなものはクソだよ』なんて言っていました。
彼は『政治家や金持ちや広告屋みたいな嘘つきが人生をメチャクチャにして、手に負えないものにしてしまう』と言っていましたが、広い視点で見れば、これは今でも真実ですよね。
彼は14歳からずっと、朝の9時から夜中の1時まで、映写室で過ごしていたんです。
そこは彼のオアシスでした。
そこで働いて、楽しんで、スピリチュアルな時間も楽しい時間も過ごしていました。
彼がそこで持っていなかったのは、おいしい食べ物だけでした。料理上手だった母の料理があれば、彼は大満足でしたよ。
私たちはそんなふうに友達になったんです。」


サマイが通うギャラクシー座のオーナーが「近頃うちでやるような映画じゃ、大金を稼ぐのはとても無理だ」というセリフがありましたが、ギャラクシー座は古い映画を上映する、いわゆる名画座のような場所という設定なのでしょうか?

「新作を上映する映画館でした。
でも、当時のインドでは、6ヶ月前の映画をずっと上映しているなんてこともありました。インドでは、ロングラン上映のことを、25週続くとシルバージュビリー、50週続くとゴールデンジュビリー、75週続くとプラチナムジュビリーと呼ぶんです(笑)。そんなふうに、ずっと上映され続けている映画もありました。
朝方や日曜日には、それ以外の旧作が上映されることもありましたね。
映画に登場するギャラクシー座は、本当に私が初めて映画を見た場所なんです。
もう取り壊されてしまったと思い込んでいたのですが、撮影場所を探していたときに、まだ建物が残っていることを知りました。映画館としては25年前に役割を終えて、今ではサトウキビの倉庫として使われていました。
サトウキビをどかしてみると、木の座席も、座席番号も残ったままだったので、そこで撮影することにしました。
ここ以上にふさわしい場所はないですから。」



映写機が溶かされて、あるものになるシーンがありますね。
これはグローバリゼーションを表しているのでしょうか?
(実際は、映画の内容に沿って具体的に質問したが、未見の方もいると思うので、ここでは伏せる)

「ええ。グローバリゼーションと同時に、過剰消費に至る物質主義の欲望を表しています。
世界中でのあらゆる人たちが必要とされる以上のものを作り出している一方で、リサイクルをしよう、というジレンマもあります。素材を再び活かすことは、地球環境のためにも良いことですから。
インドではリサイクルはとても大きなビジネスになっています。新聞、プラスチック、金属などあらゆるものがリサイクルされていて、フィルムや映写機もそこから逃れることはできません。
銀塩フィルムの時代には、フィルムから銀がリサイクルされていました。
技術が変わって銀塩が使われなくなってからは、バングルやブレスレットが作られるようになったんです。


フィルムが姿を変えるシーンは象徴的なシーンかと思ったのですが、実際にフィルムからバングルが作られていたのですね。

「ええ。2012年ごろまで、実際にフィルムからバングルが作られていました。
知っての通り、インドでは年間2,000本くらいの映画が制作されます。ヒット作ともなれば3,000ものスクリーンで上映されるので、3,000本のフィルムが作られるというわけです。
でもムンバイみたいな不動産価格が高い街では、(保管にも費用がかかるので)誰もそれを保存しません。
リサイクルがとても盛んなので、1、2本のネガを残して、上映が終わったらフィルムはスクラップ業者に売られてしまいます。2013年ごろからデジタル化されてゆくわけですが。
映画に出てきたバングル工場は本物の工場で、実際に2012年ごろまで材料としてフィルムが使われていました。
もちろん、映画の中では詩的なメタファーとして扱ったのですが」


インドの映画は日本でもますます人気になってきていますが、最近のエンターテインメント映画ではナショナリズム的な傾向が強まっているという印象を受けることがあります。一方で、この映画では、むしろ映画を通して世代や信仰や文化を超えて人々が繋がれることが描かれていると感じました。
最近のインドの映画界について、どのようにお考えですか?

「今のインドの映画界は、映画監督でありストーリーテラーである私にとって、とても悲しい状況だと思っています。
あらゆる制作会社が、お金を稼ぐことばかりを考えています。
この国の政治的な空気が右翼的になり、右翼的な政府や政策が人気になると、政治家だけでなく、映画制作者がそれを取り上げるのです。
彼らは、愛国的な映画やプロパガンダ映画など、極めて右翼的な映画を作ることがあります。とくに、ここ2、3年はとても多くなっています。
悲しいことに、インドのような国では、エンターテインメントが現実社会に紛れ込んでしまっていて、そういった映画を現実だと思ってしまう人もいます。
西洋やアメリカとはまったく違うんです。
教育を受けた人であれば、映画を見て分析して『オーケー。これは架空の物語だね』と理解できます。
ドナルド・トランプであろうと、誰であろうと。
ところがインドでは、映画の中で起きたことを現実だと思いかねない人がとても多いんです。
これは本当に危険なことです。
ほとんどの映画制作者は責任を取ろうとしません。
ストーリーテラーであれば、それが真実であろうとエンターテイメントであろうと、なんらかの責任を取るべきです。
悲しいことに、こうした映画は成功していて、多くの興行収入をもたらしています。
それで、多くの制作会社がそういった映画を作るようになっています。
私は『悪魔は金儲けがうまい(devil makes good money)』ということを知っています。
つまり、彼らは、人々がヒンドゥー教に関するもの(ヒンドゥー至上主義/原理主義のことだろう)とか、インドがいかに偉大な国かとか、イギリスや他の圧制者といかに戦ったかとか、そういった映画が見たいだろうと計算しているわけです。
こういったテーマが常に取り上げられています。
個人的には、こうした現状はまったくいいとは思えませんね。」


パン・ナリン監督
2023年1月17日 松竹(株)会議室にて


最後の質問は、少しデリケートな話題かと思いつつも率直に聞いてみたのだが、映画作家としての戒めを躊躇なく語ってくれた。
この矜持は、幼い日の監督がギャラクシー座でファザルことモハメドから聞いた言葉から繋がっているように感じられて、パン・ナリン監督が成長したサマイに重なって見えた。

監督の話を聞いて驚いたのは、寓話的な表現に思えていたシーンや設定のかなりの部分が、監督の実体験に基づいているということ。
芸術を「個人的な体験を他者の感情を喚起する普遍的な表現に昇華すること」だと定義するならば、この映画はまさに一流の芸術作品だ。
パン・ナリン監督は、映画の本質を「光と時間」というレベルにまで解体し、自身の経験と組み合わせてこの素晴らしい作品を作り上げた。
『エンドロールのつづき』は、決して小難しい芸術映画でも、映画マニアだけが共感できる作品でもなく、誰もが感動できる傑作である。
映画というものが続く限り存在する「光と時間」への愛情に満ちたこの物語は、ものすごいスピードで世の中が変わってゆく今だからこそ、深く胸に沁みる。



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2022年10月14日

Hiroko Sarahの新曲紹介! 日印コラボとラージャスターニー・フュージョン!



これまでも取り上げてきたムンバイ在住のマルチリンガルシンガー/ダンサーのHiroko Sarahが、6月以降、2曲のオリジナル曲を発表している。
インドのアーティストとコラボレーションした楽曲としては、昨年4月の"Aatmavishwas ーBelieve in Yourselfー"以来のリリースとなる。

6月に発表した「Shiki No Monogatari 四季の物語」は、2019年の「Mystic Jounetsu ミスティック情熱」以来となるミュージックプロデューサーKushmirとラッパーIbexとの共作による「和」の要素を打ち出した歌ものチル・ヒップホップ。
10月14日にリリースしたばかりの"Mehbooba"はラージャスターン州の伝統芸能コミュニティであるマンガニヤールと共演したフュージョン(インドでは伝統音楽や古典音楽と現代的なサウンドの融合をこう呼ぶ)作品だ。
どちらも非常に興味深いコラボレーションとなっている。


「Shiki No Monogatari 四季の物語」


タブラやインド古典舞踊カタックダンスを大胆に取り入れた"Aatmavishwas ーBelieve in Yourselfー"とはうってかわって、日本の四季の要素がふんだんに盛り込まれている曲で、ミュージックビデオの色彩も前作のインド的極彩色ではなく、今の日本っぽいポップな雰囲気を心がけたとのこと。


"Mehbooba"


こちらは「Shiki No Monogatari 四季の物語」とはまったく異なるヒンディー語ヴォーカルのフォーク音楽風のダンスチューン。
現時点で公開されているのはリリックビデオのみだが、ミュージックビデオも年明けには公開となるようだ。
この2曲について、そしてインドでの音楽活動について、Hiroko Sarahにインタビューした様子をお届けする。




ーまずは少し前になりますが、6月30日にリリースした「Shiki No Monogatari ー四季の物語ー」について聞かせてください。
タブラやカタックダンスの要素を取り入れていた前作とは対照的に和の雰囲気を前面に出していますが、制作のきっかけや内容について教えてください。

「『Shiki No Monogatari 四季の物語』は、『ミスティック情熱』と同じメンバーの 'チーム・ミスティック情熱'(インド人ラッパー Ibex、インド人ミュージックプロデューサー Kushmir、日本人シンガー Hiroko)のセカンドシングルです。
前回同様チル・ヒップホップをベースに、日本の箏の旋律を取り入れたインストゥルメンタル、日本の四季 '春夏秋冬' をテーマにした歌詞、Hirokoの日本語の歌、そして今作でもIbexは日本語でラップしてます」


ーラッパーのIbexは、第一作の「ミスティック情熱」以来、久しぶりに日本語ラップを披露していますが、ますます上達しているようですね。

「Ibexとは"Mystic Jounetsu", "Aatmavishwas ーBelieve in Yourselfー"に続き3曲目のコラボになります。『四季の物語』でのIbexの日本語ラップの発音は前作からさらに上達して、日本のファンや友人たちも驚いていました。Ibex本人の努力の賜物ですね。
作詞にとりかかる前にまず、日本の春夏秋冬それぞれのイメージをIbexに説明しました。インドにも一応季節はありますが、日本とはまた違うイメージなので。日本の四季の美しさや趣をどう表現するかが『四季の物語』のテーマでした」

ー他の参加ミュージシャンについても教えてください。

「ミュージックプロデューサーのKushmirが作る楽曲は、エレクトロニック、ダウンテンポ、チルホップなどのジャンルに大きく影響されていて、ドリーミーでトリッピーな楽曲が彼のシグネチャースタイルです。
彼は"10th Dada Saheb Phalke Film Festival-2020"で 'ベスト・ミュージックビデオ・アワード' も受賞した、才能あふれるミュージックプロデューサーなんですよ」


これがその受賞作品。
Hirokoさんとの共演のイメージを覆す、トランスっぽいエレクトロニック・ミュージックに驚かされる。



クラブミュージックにインドの要素が取り入れられることは珍しくないが、欧米や東アジアのトランス・アーティストの場合、インド的な味付けは、スピリチュアルな雰囲気を出すための道具として使われる場合が多い。
それに比べると、この作品が持つ、インド的でありながらも日常と地続きのサイケデリアは非常に新鮮だ。
インドから新しいセンスと才能が着実に育っていることを感じさせられる。



ー今回は、日本の四季がテーマですが、ムンバイに暮らしていて季節の移り変わりを感じるのはどんなときですか?

「ムンバイはインドの中では比較的穏やかで温暖な気候ですが、やはり季節の移り変わりはあります。短い春、酷暑の夏、雨季、セカンドサマー、冬といった感じですね。
道端で売られている野菜やフルーツで、新しい季節が来たことを感じられます。マンゴーやリーチ(ライチ)、グアバ、イチゴ、赤いにんじんなどを見かけると、もうこの季節が来たかー!と思います。
モンスーンシーズン(雨季)が始まる前の空気のにおい、モンスーンシーズンが終わる頃の雷、気温が下がる冬の夜に街で皆がニット帽をかぶったりたき火で暖を取っていたりと、こういったところでも季節の移り変わりを感じます」


ーさて、今回リリースした"Mehbooba"ですが、こちらはうってかわってラージャスターン音楽とのコラボレーションですね。
こちらの制作の経緯は?
それから、今回共演している「マンガニヤール」の方たちについて教えてください。

「"Aatmavishwas ーBelieve In Yourselfー"では北インド古典音楽とのフュージョンでタブラー奏者とコラボしましたが、次はラージャスターン音楽とのフュージョンが良いなと考えていました。
2011年から、私はラージャスターニーダンスを学ぶため、ジャイサルメールの師匠 故・Queen Harish jiのもとに通っていて、ジャイサルメールやムンバイでのHarish jiのコンサートに出演させていただき、その時に現地のアーティストコミュニティであるマンガニヤールのミュージシャン達とも共演しました。
"Mehbooba"でコラボしたSalim Khan率いるJaisalmer Beatsも、ジャイサルメールを拠点に活動するマンガニヤールのミュージシャン達です。
SailmとJaisalmer Beatsメンバーは、日本でもパフォーマンスをしたことがあるんですよ。
しかし、インドもコロナでコンサートができなくなり、音楽で生計をたてている彼らにとっては厳しい時期が続き、私や日本の友人たちで彼らを支援しました。
コロナが落ち着いてきた昨年、Salimとコラボ楽曲を作ろうという話が盛り上がり、ジャイサルメールから3人のミュージシャンをムンバイに招いて、レコーディングと撮影を行いました」


Hiroko曰く、「"Mehbooba"は、Jaisalmer Beatsが奏でるラージャスターニー・フォークとエレクトロニックなサウンドが融合したフォークトロニカ」。ハルモニウム(鍵盤楽器)、ドーラク(打楽器)、ラージャスターンの伝統楽器モルチャング(口琴)、バパング(弦楽器)、カルタール(打楽器)といったインド楽器がとても印象的に使われている。
当初はもっとEDM寄りのアレンジがされていたようだが、生楽器の良さを活かすために、このアレンジに落ち着いたという。
 
Hirokoが敬称のjiをつけて呼んでいるQueen Harishは、2019年に交通事故で急逝したラージャスターニー・ダンスの名ダンサー。
男性として生まれた彼(彼女)が、女型のダンサーとして活躍するようになった経緯は、パロミタさんの翻訳によるこの生前最後のインタビューに詳しい。


これは彼女がボリウッド映画にダンサーとして出演したシーンの映像だ。

Jaisalmer Beatsの活動は、メンバーのSalimのYouTubeチャンネルで見ることができる。



ー歌詞の内容はどういったものですか?

「この曲はヒンディー語のラブソングで、タイトルの"Mehbooba"はヒンディー語で『最愛の人』という意味です。インド映画の楽曲のように、互いを想い合う男女の掛け合いの歌詞になっています。まずSalimが男性パートを作詞して、男性パートの歌詞にアンサーするような形で女性パートの歌詞を私が作詞しました。古き良きインド映画からヒントを得た歌詞も入れています。
ジャイサルメールを拠点とするイスラム教徒であるSalimは、ウルドゥー語やパンジャーブ語交じりのヒンディー語で作詞し、歌うので、私もそれに合わせてウルドゥー語の言葉を多用しています。ウルドゥー語は言葉の響きが美しく、愛の詩に相応しい言語のひとつです。
YouTubeの字幕で日本語歌詞も見られますので、チェックしてみてください。
今回はまずオーディオとリリックビデオをリリースしましたが、ジャイサルメールのシーズンが始まったら、現地に行って映像・ダンスありのミュージックビデオを撮影してきます。お楽しみに!」


ーこれまでの曲と違って、歌い回しがかなりインド風というか、独特ですが、作曲したり、歌ったりするにあたって難しかった部分はありましたか?


「そうなんです。Salimがこぶしの効いたフォークシンガーなので、曲の流れで違和感が出ないように気を付けたのと、ヒンディー語の先生と一緒に歌詞の発音を何度も練習したおかげかなと思っています。長く練習していた甲斐あって、先生には 'Hirokoの発音パーフェクト' のお墨付きをいただきました!」


ー最近ではパフォーマンスの機会も増えているそうですね。

「はい、日印国交樹立70周年の今年は、たくさんの日印文化交流イベントや日印ジョイント・ベンチャーの企業イベントに呼んでいただいて、Ibexと一緒にステージパフォーマンスをしています。今後も来年までパフォーマンスの予定がいくつか入っています。
2019年に『ミスティック情熱』をリリースした頃には、インドでは英語や日本語ラップよりヒンディー語の歌やラップの方が断然ニーズが高かったのですが、日印文化交流・日印JVの企業イベントでは日本語か英語の歌を求められることが多く、中には 'ヒンディー語やパンジャーブ語の歌は無しで' というリクエストまであるんです。
これまで世間のニーズを気にせず、自分たちの作りたいように日本語・英語ソングを作ってきて良かったなぁと思いました。
もちろん、クライアントさんからヒンディー語ソングのリクエストがあれば対応できます。
今後も、日本語・英語・ヒンディー語と、あらゆる場面でパフォーマンスできるようなバラエティーに富んだ楽曲を作っていきます」


ームンバイのローカルのラッパーたちのプロデュースも続けていますね。

「ムンバイのWadala、Chembur、Govandiのスラムエリアの子供たちの支援を日本のNGO『光の音符』さんとともに以前から支援していますが、その中でラップ好きな男の子たち(Street Sheikh、Revelほか)がラッパーとしてデビューし、楽曲・MVを制作するプロジェクトのサポートもしています。彼らと一緒に結成したストリートヒップホップクルー「Hikari Geet」(Geetはヒンディー語で歌)のYouTubeチャンネルでは、彼らのミュージックビデオを公開しています。
彼らもどんどんラップが上達してアーティストらしくなってきていて、これからますます楽しみです」




ー今後の活動の予定などを聞かせてください。

「今後も、日印文化交流イベントやカレッジフェスティバルなどでのステージパフォーマンスの予定がいくつか入っています。
また、新曲プロジェクトも複数進行中です。マンガニヤールのSalim達とのコラボ第二弾、Ibexとの日印コラボ楽曲2曲(うち1曲はヒンディー語・日本語ミックス)、Hirokoソロのヒンディー語楽曲、Hikari Geetラッパーたちとのコラボなどなど。ソーシャルメディアやYouTubeなどでも最新情報をアップしますので、これからもチェックしてくださいね!」 


Hirokoの楽曲を通して、インドの様々な文化やアーティストの様子が垣間見える。
IbexやKushmirのような現代的なアーティストからJaisalmer Beatsのような伝統音楽の演奏家まで、時代も地域もさまざまなスタイルが混ざり合っているのが、いかにも今のインドらしい。(前作の"Aatmavishwas ーBelieve in Yourselfー"では古典音楽のタブラ・プレイヤーとも共演している)
彼女自身も「日本人カタックダンサー」という越境アーティストだが、「Shiki No Monogatari 四季の物語」では、Ibexが日本語でラップすることで、逆に日本的な要素を表現しているのも面白い。
音楽には、時代も地域も言語も、さえぎるものはなにもないのだということを改めて感じさせられる。


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2021年08月19日

ウッタル・プラデーシュ州が生んだ狂気の才能 Ghzi Purのエクスペリメンタル・ノイズビート!



インターネットで世界中がつながった時代とは言っても、その土地だけが持つカルチャーというものは、やはり厳然として存在している。
国ごとの違いについては言うまでもないが、たとえばインド国内のヒップホップシーンを見ても、ムンバイとデリーとベンガルールとコルカタには明らかな個性の違いがあるし、同じ州内でもムンバイとプネーには異なる音楽文化を見出すことができる。(言語化しづらい部分だが、強いて言えば、ムンバイはストリート色が強く、デリーはパンジャービーが多くてラップは殺伐路線、ベンガルールは英語ラップとローカルなカンナダ語ラップの二極化が進んでいて、コルカタは落ち着いたビートの曲が多いと感じている。ムンバイとプネーの比較については、いろんな意味で大阪と京都みたいな印象)

とはいえ、こうした類型化とは別に、予想外の地域から意表を突くようなアーティストが登場してくるのも2020年代の音楽シーンの面白いところで、率直に言って、今回紹介するアーティストは、以前紹介したジャールカンドのTre Ess, The Mellow Turtle以来の衝撃だった。




今回紹介するアーティストを意識したきっかけは、ムンバイのラッパーTienasの楽曲でだった。
かつてはlo-fi/chill系のビートを使うことが多かったTienasが最近多用している、エクスペリメンタルで尖りまくったビートを手掛けていたのが彼だったのだ。
そのサウンドは、先進的な文化的要素が集う大都市ムンバイならではのものだと思っていたから、彼のアーティスト・ネームがその故郷から取られたものだと分かった時には驚いた。
彼の名前は、Ghzi pur.
その名前は、ウッタル・プラデーシュ州の街Ghazipurから取られたものだ。



彼を起用したTienasは、ムンバイを拠点に活動しているラッパーで、流行にはとらわれずに詩的かつ社会的なサウンドとリリックを追求しているアーティスト。
近年ではインドの最重要アンダーグラウンドヒップホップレーベルであるデリーのAzadi Recordsと契約し、驚異的なサウンドの楽曲を発表しつづけている。
 
Tienasは英語でのラップにこだわっており、その実験的なサウンドに反して、ラップのフロウはヒップホップのマナーに忠実であることが多い。
だが、Ghzi Purに関しては、おそらくそのルーツはヒップホップではなく、ノイズ的な電子音楽なのだろう。
(このあたり、まったく詳しくないジャンルなので、アーティスト名を想像して挙げることができない…。無念)


映像作家のRana Ghoseとの54分間にわたるコラボレーション・ライブは、個人の社会の狂気を具現化したかのようなサウンドとビジュアル。
言葉のない強烈なアジテーションだ。
この作品からは、彼らが馬鹿げた宗教的保守性や、政治による暴力に激しく抗議していることが見て取れる。



そこまで実験的でないビートでも、生々しくざらついた質感は決してゆるがない。

Soundcloudではさらに多くの楽曲が提供されているが、いずれもノイズを多様した不穏で緊張感にあふれる楽曲ばかりである。


この怒りや狂気を煮詰めたようなこのサウンドのルーツは、どこにあるのだろうか?

Ghzi Purが拠点とする北インドのウッタル・プラデーシュ州は、最大の人口を擁する州である。
ツーリストにとってはタージマハールのあるアーグラーやガンジス河の聖地ヴァーラーナシーでおなじみがだが、インドのなかでは経済発展の遅れた保守的な地域でもある。
州都は18世紀にアワド藩王国の州都として栄えたラクナウ。
農業以外に大きな産業を持たず、ムンバイやデリーのような大都市もないウッタル・プラデーシュは、人口規模に反して、インドの音楽シーン的には全く存在感のない土地だ。

いったい、どうしてこの地方からこのブッ飛びすぎたアーティストが出現したのか。
音楽シーンやライブの機会が無いがゆえに、彼の脳内でラディカルな音楽性が先鋭化されていったのだろうか?
彼のYouTubeチャンネルやソーシャルメディアのアカウントを見ても、その説明となりそうな記述はいっさい無く、Soundcloudには、ただ一言'Making trash music for a trash society led by a trash government.'と書かれているだけである。
どうやら彼は、思想的にもかなり尖った考えの持ち主のようだ。
Ghzi Purとは、はたしてどんなミュージシャンなのだろうか。

調べても分からない時は聞いてみる。
これがこのブログの鉄則。

現在、彼にいくつかの質問を送り、回答を待っているところだ。




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2021年07月30日

Karan Kanchanインタビュー J-Trapの発明者から人気ビートメーカーへの道のりを語る



KaranKanchan

Karan Kanchanはムンバイ出身のビートメーカー。
日本にも存在しない和風トラップミュージックJ-Trapを発明し、またたく間にヒップホップシーンを代表するプロデューサーへと成長した、今インドでもっとも勢いのあるアーティストの一人だ。
彼は人気ラッパーDIVINEのレーベル'Gully Gang'の一員となったことを皮切りに、ムンバイだけではなく、インドじゅうのアーティストにビートを提供し、興味深いコラボレーションを連発している。



つい先日も、インドを代表するInDMアーティスト(インド風EDMなので、InDMと呼んでいる)であるRitvizとの共作曲を発表し、続いてストリートラッパーのMC Altafをプロデュースしたトラックをリリースしたばかり。

"Khamoshi"は、Ritvizならではのポップなメロディーに絡むファンキーなギターと太いベースが心地よいInDMだ。
MC Altafの"Likha Maine"では、アコースティックギターを使ったトラックがロック的な緊張感を生んでおり、Kanchanの新しい一面を感じることができる。

ますます活躍中の彼に、メッセンジャーでのインタビューを申し込んでみたところ、この2曲のリリースを控えた多忙な時期だったにもかかわらず、とても丁寧に質問に答えてくれた。

J-Trapというユニークなスタイルでシーンに登場した彼は、今では手掛けた楽曲がYouTubeで何千万回も再生される人気ビートメーカーとなった。
その経緯は、とても興味深くてエキサイティング。

ここでしか読めないインドを代表するビートメーカーのライフストーリーを、存分にお楽しみください。




ーお久しぶりです。インドのパンデミックも少しずつ良くなっているようですが、どんな感じで過ごしていますか?
以前の記事から2年が経ちましたが、またあなたのことを特集させてください。


「Hello! 元気にやっているよ。こっちの状況は少しずつよくなって来ている。喜んで応えるよ。2年前の記事は今でもたまに読むことがあるよ。日本のブログに特集してもらったのは、僕にとってすごく特別なことだったから。
それに、ちょうど日本語の勉強を始めたところなんだ。誕生日に、自分へのプレゼントとして日本語のコースを始めたんだよ」

2年前の記事はこちらから。


日本語を学び始めたという彼から、さっそく日本語での返信が届いた。

スクリーンショット 2021-07-19 18.58.43



ーあたらしい音楽、たのしみにまっています。(と、私も日本語で返信)
前回の記事では、あなたのことをDIVINEやNaezyのトラックを何曲かプロデュースしたJ-Trapのビートメーカーとして紹介しました。その後、大きく状況が変わりましたよね。
DIVINEとNaezyは映画(『ガリーボーイ』)によってとても有名になりましたし、今ではあなたはインドのヒップホップシーンで最もすばらしいプロデューサーの一人です。
そのことについて、どんなふうに感じていますか?



「どうもありがとう。自分では最もすばらしいなんて思っていなくて、まだまだ修行中だし、発展中だよ。インドのすばらしいアーティストの何人かといっしょに仕事ができたのは幸運だった。

僕はずっと、単なるEDMアーティストじゃなくて、音楽プロデューサーやソングライターとしての自分を確立したかった。
僕はそういった方面にも取り組むことができたんだ。ヒップホップだけじゃなくて、ポップ、ボリウッド、チル、ファンク、メタル、それから80年代にインスパイアされた曲なんかも追求してきたからね。そのうちのほとんどはまだリリースされていないけど、一つずつ世に出していくよ。

例えば、 Seedhe Mautと共作した"Dum Pishaach"は、ジェント・メタル(Djent Metal.ヘヴィなプログレッシブ・メタル)とトラップのヴァイブの融合だ。MohitとXplicitと共作した"Marzi"はチル・ヴァイブだね。
あたらしいスタイルを試すのは大好きだし、自分のプロダクション・スキルを証明したいんだ。
J-Trapを作るのも大好きだけど、最近はいろんなアーティストと共作することに夢中になっていて、さまざまなスタイルの音楽を披露することができているよ」


ーRamya Pothuriと共演したR&Bスタイルの"Wonder"も気に入っています。あなたがいろんなタイプのビートを作っていることに驚いているのですが、そもそもどういう経緯でビートメーカーになったのでしょうか?やはりトラップから始めたのですか?


「ありがとう。最初はEDMから始まったんだ。きっかけは、2010年にYouTubeが偶然リコメンドしてきた動画だった。もしそのリコメンドをクリックしなかったら、僕はここにいて、君と音楽について話をすることもなかったよ(笑)

それは僕が初めて聴いたEDMのトラックだったんだ。僕はテクノロジーに関してはずっと好奇心旺盛な子どもだった。父がIT系で働いていて、早いうちからコンピューターやインターネットに触れることができていたからね。
好奇心を満たすために、質問ばかりしていたよ。

そのYouTubeのリコメンドっていうのは、TiestoとDiploが共演した"C'Mon"だった。
最初のうちは、ビッグ・ルームやエレクトロ・ハウスにすごく影響を受けた。
YouTubeから吸収し続けて、学校から帰ると、コンピューターの前に走って行って楽曲に新しいアイデアを加えていたよ。
音楽に興味のある友達は誰もいなかったから、みんな良い反応しかしてくれなくて、最初のうちはなかなか進歩しなかったよ。
でも、離れたところに住んでいるいとことFacebookで友達になっていたのはラッキーだった。彼は僕が作った音楽をたくさん批判してくれた。ひとつも褒めてくれなかったから、その時は腹が立ったよ。でも今では彼にすごく感謝している。彼のおかげでかなり進歩できたからね。

短大を卒業したあと、両親は僕が音楽にのめりこんでいるのを見て、サウンド・エンジニアリングの専攻ができる大学のジャーナリズム・コースに編入することを援助してくれた。学生時代に音楽を始めた頃はそんなに応援してくれてたわけじゃなかったけど(笑)、時が経って、僕が毎日音楽に取り組んでいるのを見て、音楽をさらに学ぶことをサポートしてくれたんだ。

最初のうちは、何年もの間、EDMを作ることにこだわっていた。2015年の終わり頃、僕が初めてDJのコンサートに行くまではね。
それは、ムンバイで行われたMAD DECENT BLOC PARTY(アメリカのダンスミュージックレーベルMad Decentが世界各地で主催しているイベント)だった。
ステージに登場するアーティストは、それぞれ違う種類のユニークなサウンドを持っていた。
僕は、もし自分がステージに出演したらどうだったろう?って想像してみた。みんなは僕のスタイルや個性を分かってくれるかな?って。

帰りの電車の中で、僕は、アーティストとして自分のサウンドとスタイルを見つけることをずっと考えていた。
それで、2016年は楽曲のリリースはしないで、できる限り新しいジャンルの音楽に挑戦してみることに決めたんだ。毎週、新しい音楽に取り組もうって。
もちろん、すごくいいものが作れたわけじゃないけど、僕はちょっとずつ、確実にスキルセットを身につけて、いろんなサウンドの引き出しも増えていった。
それとともに、さまざまなスタイルをミックスすることができるようになったんだ。でも2016年の半分が過ぎても、僕はまだ自分のサウンドを見つけることができなかった。
同じ頃に、いろんな音楽を知って、作るためのツールも手に入れたおかげで、自分で音楽を作れないようなアーティストやDJのゴーストライターも始めた。
その年の終わり頃、シンセサイザーやトラップやベースミュージックを学んでいた頃には、ようやく音楽が楽しめるようになっていたよ。その頃、日本の音楽をたくさん聴いていたんだ。吉田兄弟とか和楽器バンドがお気に入りだったよ。

ある日、僕は日本の三味線のサウンドを、トラップやベースミュージックに合わせるというアイデアを思いついた。
その時に、僕は"No Serious"っていうタイトルの最初のJ-Trapミュージックを作った。遊びみたいなプロジェクトだったし、すごく楽しめたからこのタイトルにしたんだ。
それから、こういうジャンルの音楽についてちょっと調べてみた。J-PopとK-Popが存在することは知っていたけど、J-Trapというのは聞いたことがなかった。
考えてみた結果、2017年に、'J-Trapアーティスト'として"No Serious"をリリースして再出発することにしたんだ。
インドではすごく新しいことだったし、いろんな反応があって驚いたよ。それで、リリースを続けてみた。
これが、僕がいろんなジャンルの音楽を作るようになった経緯さ。今でもいつも新しいスタイルを試している。でも、僕がインドのインディペデント音楽シーンでちょっとした波風を立てることができたきっかけは、J-Trapだった。それで、いろんなジャンルの能力をラッパーやシンガーに提供することができたんだ」


ー日本人として、日本のカルチャーがあなたに影響を与えているというのはうれしいです。影響を受けたアーティストを挙げてもらえますか?

「たくさんのアーティストの影響を受けているけど、例えば、Skrillex, Dr.Dre, Max Martin, Rick Rubin, Benny Blanco, それからボリウッドの作曲家からもインスパイアされているよ。 Ajay AtulとかVishal Shekarとかね。
日本のミュージシャンからもインスピレーションを受けていて、吉田兄弟、和楽器バンド、Baby Metal, RADWIMPS, 竹内まりや、Greeeen, YOASOBI, Daoko, 松原みき、他にもいろんなアーティストのファンだよ」

ーポップからメタルまで、日本の音楽をすごくたくさん知っていますね。どうしてあなたの音楽が多様性に富んでいるのか、分かった気がします。そうして自分のスタイルを見つけた後、DIVINEやNaezyといったムンバイのラッパーたちをプロデュースすることになりますよね。その経緯を教えてください。

「話を続ける前に、2013年から2016年まで、Complex 2というDJデュオをやっていたことを付け加えさせてほしい。同じカレッジのジャーナリズムとサウンドエンジニアリングのコースの友達と組んでいたんだ。あんまり上手くいかなくて、解散して自分のプロジェクトに集中することにしたんだけど。
さっきも言ったように、2016年はいろんなジャンルに挑戦していた。同じカレッジのラッパーたちに出会ったのもこの年だった。Mr. ApeとXenon Phoenixは、僕が最初に会ったラッパーたち。Mr. Apeは僕にオールドスクールなヒップホップのサウンドを教えてくれた。
俺はすごく刺激を受けて、その日のうちに2つのビートを作った。Mr. Apeをそれを聴いて気に入ってくれて、すぐにリリックを書いたんだ。僕たちはOmniphatっていうグループを結成して、2017年にはいくつかのショーでプレイした。その時の曲は結局リリースされていないけどね(笑)

Mr. ApeやXenon Phoenixと共作した経験は、J-Trapの作品にも反映されていると思う。J-Trapのトラックを聴けば、曲の途中にすごくラップしやすい部分があることに気づくはずだよ。
2016年の後半に、アラビアっぽいタイプのビートも作ったんだけど、このビートが僕をDesi HipHopへと誘ってくれた。そのビートは結局リリースされなかったんだけど(笑)」

(Desi HipHopというのは、南アジア系ヒップホップを表す言葉だ。以前は在外南アジア系移民のヒップホップを指す表現だったが、今ではインド国内のヒップホップにもこの言葉が使われている)

「Complex 2としてDJショーを始めた頃に会ったDJたちが、僕が自分の道を見つけるのを手伝ってくれた。Spindoctor, Ruchir Kulkarni, Ashley AlvaresといったDJたちが、僕のDJとしての第一歩をずいぶん助けてくれたよ。プネーにあるカレッジからムンバイに帰ってくると、いつも彼らに会って自分の曲をプレイしていた。2016年の終わりの頃、SpindoctorはDIVINEといっしょにツアーに出ていた。僕が彼とAshley Alvarezのスタジオで会った時、例のアラビアっぽいビートを聴かせて感想を聞いてみたんだけど、そうしたら彼はそれを気に入ってくれて、トラックをDIVINEに送ってくれたんだ。すごく興奮したよ!

ビートを聴いたDIVINEから返信があって、気に入ったけど少し変えてみたいと言われた。ちょうど彼がソニーと契約して、リリースに忙しかった頃だったから、この曲がそこから先に進むことはなかった。僕は何ヶ月か待って、SpindocにDIVINEが使わないなら他の人に使ってもらってもいいかどうか聞いてみた。
Spindocは僕をDJ Proof(Vinayak) に繋いでくれて、彼はそれをNaezyとPrabh Deepに送ってくれた。Naezyはすごく気に入って、そのビートが欲しいって返事をくれたよ。

2017年の2月下旬になって、ADE MUMBAIで初めてDIVINE, Naezy, そしてDJ Proofに会うことができた。DJ Proofは僕をNaezyに紹介してくれて、例のトラックについて話したんだ。その後、Naezyも忙しくなってしまって、そのトラックは忘れられたままになっちゃったんだけど(笑)
今なら、この業界でどれだけ忍耐が必要か分かるけどね。

同じ年のもっと後になって、 Sony Music Indiaに呼ばれて曲を聴かせるよう言われた。僕は例のアラブっぽいビートを聴かせたかったんだけど、まずNaezyに聞いてみた。そしたら彼は、だめだ、自分のために取っておいてくれ、って言うんだ。それで、ソニーとのミーティングのあとに会いに来るよう言われた。

会いに行ったら、彼はそのビートはもっと後で使いたいから、まず彼が今思いついたアイデアのために新しいビートを作ってくれって言われた。彼はUKグライムを聴かせてくれたんだけど、グライムを教えてくれたのは彼が最初だった。彼は、グライムっぽくて、さらにインドの要素も入ったビートをほしがっていたんだ。
それで、"AANE DE"のビートを作った。彼はイギリスでリリックを書いてビデオを撮ったんだけど、初めて聴いたときはぶっとばされたよ!
こうして、僕のDesi HipHopソングがシーンに送り出されたってわけ。たくさんのアーティスト仲間のおかげで、最初のヒップホップのリリースをいきなりNaezyと一緒にやることができたんだ」


「アラブっぽいビートはまだそのままになっていた。Naezyは"AANE DE"の後、1年くらいシーンから離れていたし、僕は"AANE DE"のあとすぐに売れっ子ビートメーカーになったってわけじゃない。僕はタイプビート(有名アーティスト風のビート)を作るよりも、アーティストのためにアイデアを出すようなプロジェクトのほうが気に入っていたからね。
僕はJ-Trapの作品をリリースし続けていて、2018年の秋に、"The Machine"っていうすごくヘヴィなトラップソングをリリースした。
僕はリリースするたびに、みんなに宣伝のメールを送っていたんだ。2016年以来、DIVINEのメールアドレスも知っていたものの、何故かは分からないけど彼には最初のアラブっぽいビート以外は送っていなかった。でも、その時は、どうせ聞いてくれないだろうなと思いながらも、彼にプロモーションを送ってみたんだ。



そうしたら、なんと6時間後にDIVINEからインスタのDMが来て、「Yo G! 俺にビートを送ってくれ」って言うんだよ。頭が真っ白になったね(笑)

こうしてDIVINEと一緒に音楽に取り組むようになった。
さっきも言った通り、僕はこれまでそんなにビートを作りためていたわけじゃない。だから彼に、最近どんなタイプのビートが気に入っているのか尋ねてみて、似たタイプのビートを作って送ってみた。
アイデアを何度かやりとりしたあと、彼は僕をRED BULL BC:ONE(ブレイクダンスの大会)のプロジェクトに誘ってくれた。これが彼との最初の仕事だよ。
 

2018年の終わり頃、DIVINEはちょうどGully Gang Entertainment(GGE)っていうレーベルを始めたところで、僕はそこにも誘ってもらったんだ。僕はそれまで、どんなマネジメントとも契約していなかった。音楽を作るのも、ブランディングも、ビジュアルイメージも、プロモーションも、マーケティングもブッキングも、全て自分自身でやってきたから、この契約は僕にとってすごく大きいことだった。それにDIVINEの会社だったしね。

僕がサインした後、GGEは僕のスキルセットを最大限に活かせるよう、理解してくれた。僕はさらに学び続けて、スキルを広げて行ったよ。
僕は目に見えて成長したけど、目に見えないところではチームのサポートがあったんだ。

2018年に、DIVINEにたまたまプロモーションのメールを送って以来、Pusha TとVince Staples("Jungle Mantra")との共演を含めて、彼のトラックを何曲かプロデュースすることができた。信じられないくらいすばらしい道のりだったし、もっともっと先に進みたいって思っているよ」

「長い話になっちゃってごめん。これが、最も詳しい答えってことになるよ。今まで他のブロガーたちにこんなに細かく話したことはないな。
これがフル・ストーリーさ。
まだ語っていないストーリーもたくさんあるんだけどね。
そう、それで、例のアラブぽいビートは、なんといまだにリリースされていないんだよ(笑)」

ーすごく面白かったです。なんだか、才能のあるアーティストが集まってゆく様子が、伝説的なミュージシャンの若い頃の話って感じで。アラブっぽいビートも聴いてみたいです(笑)
その後、デリーのSeedhe Mautとも共演していましたが、マネジメントによる紹介だったんですか?

「いや、そういうわけじゃなくて、共演しているアーティストとは直接連絡しているんだ。アーティストやレーベルとの細かい話はマネジメントが詰めてくれるんだけど。今ではA&Rもいて、他のアーティストとの共演を助けてくれているよ」

ーここまで、あなたのキャリアはとてもうまく行っていますが、パンデミックによる影響はありましたか?あなたのまわりは皆さん無事でしたでしょうか?

「幸いなことに、全てうまく行っているよ。いつも神に感謝している。
驚くべきことに、これまでで最もビッグなプロジェクトは、全部パンデミックの間に起こったことだった。もちろん、もしパンデミックが起こらなければ、もっと大きな規模になっていたと思うし、ショーやイベントだって行えたと思うけど。

Netflixの映画『ザ・ホワイトタイガー』のためのDIVINE, Vince Staples, Pusha Tとの曲("Jungle Mantra")にも取り組めたし、この映画はオスカーにもノミネートされた。
DIVINEのセカンドアルバム"Punya Paap"でも3つの曲をプロデュースしたよ。
2つのロックダウンの間に、これまでで最高の、ソールドアウトになったショーもできた。
だから、不満は何もない。

それに、じつは数ヶ月前にCOVID19にもかかってしまったんだ。でも幸い重症にはならなくて、すぐに良くなったよ。
今が難しい時だってことは分かってる。もっと大変な思いをしている人もいるしね。自分は恵まれていると思うから感謝しているし、できる限り役に立ちたいと思ってる。
パンデミックが始まった頃、僕とDIVINEでプロボノ・ソングを作って、バドワイザーがやっているチャリティーのために収益を寄付したりもした。
アーティストとしては、ショーの部分では影響があったけど、コラボレーションに関しては、たぶんかえって上手くいったんじゃないかな」


プロボノという言葉は最近は日本でも聞くようになったが、自分の得意分野や専門知識を活かして行うボランティア活動のこと。
こうした単語がさらっと出てくるあたり、インドの音楽シーンと社会との関わりの強さを改めて感じる。
彼ら以外にも、インドのヒップホップアーティストでは、Prabh Deep, Ace aka Mumbai, MC Altaf, 7bantaiz, Dopeadelicz, Big Dealといった面々が、パンデミックに対するメッセージソングをリリースしている。

ー三味線奏者の寂空-Jack-とのコラボレーションも楽しみにしています。
彼のバンドもアメリカのレーベルと契約したそうで、二人の共演はすごいものになりそうですね。


「ありがとう。もうすぐJackと僕とで曲を仕上げられるはずだよ」


寂空-Jack-とKaran Kanchanは、すでにこの曲で共演済みだが、この曲では寂空-Jack-が担当しているのは「語り」のみ。
Kanchanのビートと三味線の生演奏のコラボレーションは、どんな化学反応を生むことになるのだろうか。


ー最後の質問です。これまで、このブログでは、あなたの他に、Sez on the Beat, Ritviz, Su Realといったインドのビートメーカーについて紹介してきたのですが、次に書くとしたら、誰がいいでしょう?

「Nucleyaかな?彼は南インドの文化にすごくインスパイアされたサウンドを作っている。僕の認識だと、日本では南インド映画をたくさんの人が見ているんだってね」

ーNucleyaですね!"Bass Rani"はインドのベース・ミュージックの歴史的アルバムでしたね。南インド映画に関して言えば、『バーフバリ』は日本で多くの熱狂的なファンを生みましたし、先日見たマラヤーラム語映画の『ジャッリカットゥ』も素晴らしかったです。

「それは知らなかったな。チェックしてみるよ」



このインタビューを読めば、順調に見える彼のキャリアが、ただならぬ努力と音楽への献身によるものだということが分かるだろう。
音楽に対する情熱と貪欲な探究心が、多彩なトラックを生み、多くの才能あふれるアーティストとの巡り合わせを呼び寄せたのだ。

インドのヒップホップシーンを代表するビートメーカーが、日本の音楽からも大きな影響を受けているということは多くの人に知ってもらいたいし、彼と日本のアーティストとのコラボレーションもぜひとも聴いてみたい。
 
これからも、Karan Kanchanの活躍から、ますます目が離せなくなりそうだ。


近々、Nucleyaの特集もぜひ書いてみたいと思います!




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goshimasayama18 at 21:40|PermalinkComments(0)