インドのレゲエ
2021年04月18日
日本人によるヒンディー語のオリジナル・インド古典フュージョン! Hiroko & Ibex "Aatmavishwas -Believe In Yourself-"
前回の記事「日本語で歌うインド人シンガーソングライター」 Drish Tの反響が非常に大きかったのだが、今回は逆方向から同様の衝撃を与えてくれる楽曲を紹介したい。
以前、"Mystic Jounetsu"(『ミスティック情熱』)でコラボレーションしていたムンバイ在住の日本人ダンサー/シンガーHiroko Sarahとムンバイのヒップホップシーンの創成期から活動するラッパーのIbexによる新曲"Aatmavishwas -Believe In Yourself"は、なんと全編がヒンディー語で歌われている。
つまり、今回は「ヒンディー語で歌う日本人シンガーソングライター」の作品というわけだ。
さっそくミュージックビデオを見ていただこう。
前作のIbexによる日本語混じりのラップも衝撃だったが、今回はそれを上回る衝撃!
歌詞のこと、古典音楽の要素をふんだんに取り入れたアレンジのこと、ミュージックビデオのダンスや衣装のこと、気になることがありすぎる!
ということで、コロナウイルス感染者の急増により、再びロックダウン下にあるムンバイのHirokoさんに、インタビューを申し込んでみた。
Hirokoさんとは、最近では昨年11月のインドのヒップホップを紹介しまくるオンラインイベント'STRAIGHT OUTTA INDIA'で共演しているものの、インタビューは昨年5月のロックダウン中にリリースされた楽曲の特集以来。
前回のインタビューもロックダウンの真っ最中だったので、Hirokoさんに「ロックダウンを呼ぶ男」とか言われつつ(笑)、新曲の話題を中心にいろいろと話を伺った。
制作の経緯を教えてください。
「以前からインド・フュージョンの楽曲やヒンディー語の歌の作品を制作したいと思っていたんですが、ようやく形にできました!
ロックやダンスミュージックなどに古典音楽の要素を取り入れた音楽は、インドでは「フュージョン・ミュージック」と呼ばれている。
日本の伝統音楽と現代音楽の融合にも言えることだが、こうした「フュージョン」は、よほどセンスよくやらないと、逆にダサいものになってしまうというリスクを孕んでいる。
とくに、今回はダンスホール的なリズムにヒンディー語の歌とラップ、さらにはタブラのビートまで乗るという盛り沢山の作品だ。
ボーカル、ラップ、ダンスホールのドラムビート、タブラ、サントゥール、ベースと、要素だけ見るとこれでもか!ってくらい色々入ってるんですよね。バランスにはすごく気をつけましたが、これでもか!くらいがインド的なんですよ(笑)」
それぞれのサウンドの良さを最大限に引き出しつつ、お互いがぶつからないように相当意識したそうで、ミックスやマスタリングにはかなりこだわったとのこと。
インドの古典音楽や古典舞踊は一生をかけてその真髄を追求しなければならないほどに深みのあるものだが、Hirokoさん同様、現地に住んでまでその道を追求する姿勢には尊敬の念を抱かざるを得ない。
それにしても、古典のみならず、ラッパーとの共演やフュージョンにも果敢に取り組むHirokoさんのいい意味での異端っぷりは際立っている。
「カタックダンスの師匠とお話しする時はヒンディー語なので、 以前からプライベートレッスンでヒンディー語は学んでいました。以前ライブでボリウッドのヒンディー語ソングのカバーを歌ったことはありますが、自分で作詞したのは初めてでした。
ーサウンドについても、タブラが大胆にフィーチャーされていて、かなり古典テイストを入れてきていますよね。とくにタブラは非常に印象的です。タブラ奏者のGauravにはどんなリクエストをしていたのでしょう?
「Gauravには、とにかく現代アレンジはせず、古典(セミクラシカル)テイストのタブラビートにしてほしいと依頼しました。
タブラ奏者はGaurav Chowdhary.
Hirokoさんの『負けないで』のカバーにも参加していたものの、本格的なフュージョン作品への参加は今回が初めてだったという。
低音を支えるダンスホール・レゲエのビートと、高音域を中心に細かいリズムを刻むタブラの音色の立体的な融合がこの曲を際立たせている。
'Tihai'と'Bol'については、少し説明が必要だろう。
Tihaiというのは、北インド古典音楽のリズムのキメの部分で使われる技法で、恥ずかしながら何度聞いてもよく理解できないのだが(なんとなくは分かる)、Hirokoさんいわく「Tihai(ティハイ)は北インド古典音楽で、あるひとまとまりの完結を表すもので、同じコンポジションを三回繰り返してから、サム(一拍目)で終わるもの」とのこと。
「このページの解説がわかりやすくて面白い」とHirokoさんにこのリンクを紹介してもらったのだが、分かったような、分からないような…。
'Bol'とは、タブラで用いられる「口で発するリズム」のこと("Aatmavishwas"では2:20からの部分で取り入れられている)。
タブラの音色は全て、'Dha'とか'Na'とか'Tin'といった声で表現することができる。
タブラ奏者は師匠から口頭でリズムを教わって修行し、自分の叩くリズムを全て声でも表現することができるのだ。
Bolで表現したリズムをその通りにタブラで叩くパートはタブラ演奏の見せ場のひとつで、この曲のソロはまさにそうした構成になっている。
タブラとの共演について、ラッパーのIbexに聞いてみた。
ータブラのビートに乗せたラップのフロウがすごくナチュラルに聞こえますが、特に気をつけたとこはありますか?
「そうだな、この(ダンスホールの)スタイルは俺のオリジナルなラップ・フロウで、自分の感覚や気持ちをリリックといっしょにビートに乗せるようにしている。この曲でも同じように、俺のフロウが自分のシグネチャー・スタイルである(ダンスホールの)ビートにばっちりはまったんだ」
ーインドにはダンスホールっぽいフロウでラップするラッパーはほとんどいないと思うのですが、ヒンディー語でダンスホールっぽくラップするのは難しいのでしょうか?
「ダンスホールには独特のヴァイブがあって、インドで次に来る流行になるだろうね。俺はショーン・ポールとかスノーみたいなアーティストを聴いてラップを始めたから、ダンスホール・フロウは自然と出てくるんだ。でもダンスホールやレゲエのフレイヴァーに合わせてヒンディーでトースティング(レゲエ版のラップ)をするラッパーは少ないね。
ダンスホールはヒップホップのラップのフロウに比べて、メロディーの要素が多いから、より難しいのは間違いないと思う。言葉をひねったり、工夫したりしなきゃならないから、より作るのが複雑になるんだ」
ダンスホール・レゲエやレゲトン風のビートは、アンダーグラウンドからメインストリームまで、インドのヒップホップでも広く導入されているが、Ibexの言葉の通り、ダンスホール風のフロウを披露するラッパーは意外にもほとんど見当たらない。
ヒンディー語は言葉の響きもダンスホールにばっちり合うと思うし(どちらも吉幾三っぽく聞こえるときがある)、ヒンディー・ダンスホールはこれから注目したいジャンルである。
続いて、"Aatmavishwas"アレンジについて、再びHirokoさんに聞いてみた。
ーアレンジもかなり凝っていますよね。とくに、静かなイントロから始まってリズムが入ってくるところとか、ソロでタブラのBolからラップが入ってくるところが印象に残りました。どんなふうに曲の構成を考えたのでしょう?
「ありがとうございます!私のメロディーに合わせて、インストのアレンジは日本のアレンジャー PEPE BEATSさんにお願いしましたが、私がMusic Directorとして曲全体の構成を考えました。
「タイトルの"आत्मविश्वास Aatmavishwas"は'self confidence (自信)'という意味のヒンディー語で、 歌詞は私とIbexの実生活での経験を紡いだものです。
YouTubeの字幕をONにすると、日本語や英語でも字幕を見ることができるので、ぜひ映像やメロディーといっしょに歌詞も味わってみてほしい。
歌詞はこのサイトでも翻訳つきで読むことができる(https://genius.com/Hiroko-and-ibex-aatmavishwas-believe-in-yourself-lyrics)。
Ibexに、ラップのパートについても聞いてみた。
「この曲は俺たちが2人とも、本当にストレスの多いときに書いたものなんだ。俺はロックダウンの最中にこのリリックを書いた。世界中が最悪の時を過ごしていて、俺は本当に自由になりたかったし、心を開いて自分自身を取り戻す必要があった。この歌詞を書くプロセスを通して、音楽がポジティブさと希望をもたらしてくれたんだ。
このリリックを純粋な形で引き出してくるのは大変だったよ」
サウンドだけでなく、ミュージックビデオもインドらしさを感じさせつつも、非常にクールに仕上がっている。
映像へのこだわりについてHirokoさんに聞いてみた。
ー『ミスティック情熱』のときは、日本のポップカルチャーを想起させるような映像が多かったですが、今回はインドの伝統的な要素が目立ちます。映像で意識したことを教えてください。
「楽曲がインド古典の要素を取り入れていたので、映像もインドの伝統的な雰囲気を入れたいと思いました。
ミュージックビデオで踊っているのは、Ibexの"Mama Sitaphal"にも参加しているムンバイのダンスホール・ダンサーSanikaとAditi.
二人ともダンスホールをルーツに持つダンサーだが、Sanikaは南インドの古典舞踊バラタナティヤムも学んでいるそうで、Ibexのラップ・パートではダンスホール、Hirokoさんのヴォーカル・パートではセミクラシカルと、多彩なダンスを見せてくれている。
カタックダンスのパートはHiroko、ダンスホールのパートはSanika, セミクラシカルのパートはHirokoとSanikaの共作によって振付が行われたという。
リリック同様に、ダンスも古典的なものと現代的なものが有機的に融合しながらそれぞれが意味を持ち、強いメッセージを発信しているのだ。
その撮影はかなりハードなものだった。
完全なインディペンデントで製作されたにもかかわらず、クオリティの高い映像に驚いたが、EmiwayやKR$NAといったインドを代表する人気ラッパーのミュージックビデオの撮影にも携わるスタッフが関わっていたと聞いて納得。
それにしてもムンバイとデリーという異なる拠点を持ち、かつて激しいビーフを繰り広げていたこの2人が同じスタッフを使っているという情報にはちょっとびっくりした。
印象的な衣装にもかなりこだわったようだ。
「いくつかのミュージックプロジェクトが進行中です。
すでにこの"Aatmavishwas"はインド国内のiTunesStoreのダンスミュージックチャートで2位、日本でもチャートインするなど高い評価を得ており、今後の活動にもますます期待が募る。
日本もインドもコロナウイルスが再び猛威を奮い始めており、心配は尽きないが、次回のインタビューはぜひロックダウンのない環境で行えたら…と心から願っている。
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2019年06月12日
私的大発見!インドと吉幾三、そして北インド言語と演歌、レゲエの関係とは?
What is this song mashed up with SAMT? I don't think it's Indian, but it sounds very Indian. 🤔 https://t.co/DgD6NLrU23
— Perfume India 🇮🇳 (@prfmindia) 2019年6月10日
Perfumeファンの彼が、彼女たちのSpending All My Timeと吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」のマッシュアップを聴いて「これ原曲なに?インドの曲じゃないみたいだけど、すごくインドっぽい」とつぶやいていたのを読んで、思わず感動してしまった。
なんで吉幾三なんか(失礼)で感動しているかというと、私はかねがね、ある種のインドの歌について「まるで吉幾三みたいだ!」と思っていたからなのだ。
例えば、インド最初のラッパーであるBaba Sehgalのこの曲。
思いの外かっこいいイントロに「どこが吉幾三?」と思った方も、歌が始まった瞬間にずっこけたはずだ。
これ、完全に幾三だろう。
現在はすっかり洗練されてきたインドのヒップホップだが、始まった当時は完全に吉幾三だったのだ。
(詳しくはこちらに書いています。「早すぎたインド系ラッパーたち アジアのPublic Enemyとインドの吉幾三、他」)
インドのヒップホップ史において、最初のラッパーがこのBaba Sehgalだということは、日本の音楽史上最初のラップのヒット曲が吉幾三「俺ら東京さ行くだ」であったことと同じくらい、無かったことにしたい歴史だろう。
吉幾三っぽく聞こえる楽曲はこれだけにとどまらない。
Jay Zによるリミックスが世界的に大ヒットしたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"も、冷静に聴くとかなりの幾三っぷりである。
そう、インドの音楽、とくに、ここに紹介したような90年代頃のラップ調のバングラーに関しては、じつはかなり吉幾三っぽく聞こえるものが多いのである。
私がそれらの音楽を「吉幾三っぽいなあ」と思っていたところに、インド人の友人が吉幾三を聴いて「なんだかインドの音楽みたい」とつぶやいたのだから、これに感動しないわけがないだろう。
バングラーは、インド北西部、パンジャーブ州が発祥の音楽だ。
パンジャーブ州からは、イギリスに移民として渡った人々が多く、伝統音楽だったバングラーはそこで当時最先端のダンスミュージックと融合し、インドに逆輸入されて、インド全体で大人気となった。
我々にとっては吉幾三っぽく聴こえる音楽だが、当時のインドでは、伝統と最先端の理想的な融合だったのだろう。
さて、ここでもうひとつの大発見をしてしまった。
吉幾三といえば演歌歌手だが、インドと演歌といえば、まっ先に思い浮かぶのが、チャダ。
インドの知識がある方はきっともうお気づきだと思うが、ターバン姿が印象的なチャダは、シク教徒だ。
そして、シク教のルーツは、パンジャーブ州。
そう、彼もまた、出身こそニューデリーだが、パンジャーブの人なのである。
チャダことSarbjit Singh Chadhaは、16歳でミカンの栽培技術を学ぶために来日し、日本で耳にした演歌に惚れ込んで演歌歌手になったという。
パンジャーブの音楽と演歌が似ていると発見して驚いていたら、なんとパンジャーブの人間がとっくの昔に演歌歌手になっていた!
パンジャーブと日本、バングラーと演歌。
外国人演歌歌手としては、米国系黒人であるジェロも有名だが、彼の場合、幼い頃から母方の祖母に演歌を聴かされて育ったというバックグラウンドがある。
それに対して、16歳で来日するまで演歌を聴いたこともなかったはずのチャダが、演歌の独特の歌い回しに魅力を感じ、そしてそれを(北島三郎への師事があったにせよ)完璧にマスターしているということは、やはりパンジャーブの音楽文化と演歌には、相通じる何かがあるのだ。
さらに、Youtubeで関連動画を探していたら、この5月に行われた「マハトマ・ガンディー生誕150周年記念 インド祭in十日町」で吉幾三の「酒よ」を歌うチャダを発見!
吉幾三、バングラー、パンジャーブ、演歌。
これで全てが繋がった!
酒など決して口にしないであろうガンディーが、自身の生誕150年祭で歌われる「酒よ」を聴いてどう思うのか分からないが、インド国旗に描かれた法輪のごとく、とにかくこれでパンジャーブ文化と吉幾三がひとつの円環となったのである。(自分でも何を言っているのかよくわからないが)
ここで改めて注目したいのは、吉幾三とバングラーの、メロディーや発声方法ではなく、歌の節回しだ。
みなさんも、「俺ら東京さ行くだ」の、東北訛りをカリカチュアしたような歌い回しと、バングラーの歌い回しの、微妙に音程を外したり、うわずらせたりする部分がとてもよく似ているということに気がついただろう。
北インドの言語であるヒンディー語やパンジャービー語は、歌ではなく会話でも、その言語の響きそのものが、東北弁や茨城弁っぽく聞こえることがある。
こうした言語固有のイントネーションそのものが、歌われる音楽を田舎くさい(失礼)演歌っぽく聴こえさせているのではないだろうか。
同じ北インドの音楽でも、例えば古典音楽のヒンドゥスターニーの場合、インド独特の音階(ラーガ)や、技巧的な節回しが前面に出るため、決して演歌っぽくは聞こえないのだが、よりシンプルなスタイルであるバングラーとなると、ヒンディー語やパンジャービー語の語感が強く出てしまい、途端に演歌っぽくなってしまうのだ。
ここからは極めて個人的な話になるが、私は10代最後の歳にインドを一人旅して以来、インドという国やその文化に大いに興味を持ってきた。
であるにもかかわらず、他の多くのインド好きたちが惹かれているのに、私がいっこうに魅力を感じられなかったものがある。
それは何かと言うと、映画音楽だ。
例えば、先日、「Aashiqui 2」という映画のDVDを見たのだが、インドでは大変高い評価を得たというその音楽を聴いても、私は「なんか演歌みたいだな」という以上の感想を抱くことができなかった。(ちなみにこの曲です)
メロディーラインのせいもあるが、ヒンディー語で西洋音階のシンプルな旋律を歌うと、その歌い回しのせいで、どうしても演歌っぽく聴こえてしまう。
何が言いたいかというと、若い頃ロック好きだった自分が、インドの映画音楽をどうも好きになれないのは、非ロック的な大仰なアレンジのせいだけではなく、どうやらこの「演歌っぽさ」にも理由があったようだということだ。
私なんかの世代のだと(40代)、ロック好きは深層心理に「演歌は旧弊な価値観を象徴する音楽で、自由を標榜するロックとは相容れないダサいもの!」みたいな意識がこびりついている。
その意識が、どことなく演歌っぽいボリウッド(ヒンディー語)映画音楽を敬遠させていたのだ。
ちなみに最近では、ロックなどのジャンルではヒンディー語であっても、英語的なメロディーや言葉の当て方が十分に確立され、演歌らしさを全く感じさせない楽曲がたくさんある。
例えば、ヒンディー語で歌うポストロックバンドAsweekeepsearchingの音楽を聴いて演歌っぽいと思う人はいないはずだ。
ここでさらに話が飛躍するのだが、ヒンディー語やパンジャービー語が持つ東北弁や茨城弁っぽさは、彼らが英語を話す時にも引き継がれる。
北インドの人々が話す英語は、やっぱり東北弁や茨城弁っぽく聞こえるのだ。
で、東北弁や茨城弁ぽい英語がどう聞こえるかというと、なんとジャマイカン訛りっぽくなるのである!
実際は、ジャマイカ人が話すいわゆる「パトワ語」とインド訛りの英語のイントネーションは全く異なるものなのだが、ネイティブ言語の訛りを色濃く残す北インド人の英語は、レゲエに乗せてラップするトースティング(っていうの?レゲエには詳しくないのだけど)に、結果的にそっくりなってしまっているのだ。
例えば、こちらも90年代に大ヒットしたインド系イギリス人のレゲエ歌手、Apache Indianの"Boom Shak-A-Lack".
最近の楽曲では、デリーのレゲエバンド、Reggae RajahsのメンバーGeneral Zoozによる"Industry".
どこまでがレゲエに寄せていて、どこまでがヒンディー訛りなのか分からないこのニュアンス、お分かり頂けるだろうか。
言語の特徴と音楽の話で言えば、もうひとつ気になっているのが、最近のヒンディー語/パンジャービー語のポップスが、現代のラテン音楽、具体的にはレゲトンに近づいてきているということ。
例えばこんな感じに。
パンジャービーの商業的バングララッパー、Yo Yo Honey Singhの"Makhna".
さらには、スペイン語を導入したこんな曲もある。Badal feat. Dr.Zeus, Raja Kumari "Vamos".
音楽やスタイルにおける現代インドとラテン系の相似については、かつてこちらの記事に書いたので、興味のある方はぜひご一読を。(「ソカ、レゲトン…、ラテン化するインドポップス」)
同じ傾向の英語の訛りを持つ二つの言語圏が、同じようなスタイルの音楽を好む傾向がある。
これは単なる偶然なのだろうか。
さて、レゲエやラテンに少し脱線したが、ここまでヒンディー語/パンジャービー語圏のバングラーが吉幾三的な演歌にそっくりという話を書いてきた。
これも以前書いたネタだが、もうちょっと歌謡曲テイストの演歌にそっくりなのが、ゴアの古いポップスだ。
(「まるで日本! 演歌?歌謡曲? 驚愕のゴアのローカルミュージック!」)
ゴアで話されているコンカニ語も、ヒンディー語やパンジャービー語と同じインド・アーリア語派の言語。
ひょっとしたら、北インド系の言語を話す地方に、まだ知らぬ演歌っぽい音楽が他にもあるのかもしれない。
もし時間とお金が無限にあるなら、インド中を放浪しながら地元の人に演歌を聞かせて、「これに似た音楽を知らないか」と尋ねて回るのも面白そうだ。
(いったいそれに何の意味があるのか自分でも分からないが)
というわけで、今回は、音楽史的もしくは 言語学的な裏付けの一切ない、北インド諸語と演歌やレゲエの類似点についてのたわごとをお届けしました。
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2018年08月31日
インドのインディーズシーンの歴史その4 バングラ・ビートの時代!Apache Indian!
そう、今回取り上げるのはApache Indian.
とくにアラフォー世代のみなさんにとっては懐かしい名前のはずだ。
この例のリストで取り上げられているのは、「Boom 釈迦-楽!」というワケの分からない邦題で有名なあの曲ではなく、"Chok There"という曲。
それではどうぞお聴きください。
うわあ、懐かしい!
このバングラ・レゲエのリズムを聞くと90年代の空気が一気に蘇ってくる。
最初に断っておくと、自分はバングラには全く詳しくない。
90年代に一斉を風靡したバングラを網羅的に紹介できる人は他に適切な人がいるはずなので(サラーム海上さんとか)、今回はごく簡単な紹介に止めさせてもらいます。
Apache Indianはバーミンガム出身のパンジャーブ系のインド系イギリス人。
在外インド人と言っても、当然ながらその出身地域によって言語も文化も異なるわけだが、彼の場合、このパンジャーブ系であるということがとくに大きな意味を持っている(後ほど詳述)。
工業都市バーミンガムのアジア系と黒人が混住する地域で育った彼は、80年代から髪をドレッドにして地元のサウンドシステムでの活動を始めた。
やがて90年代に入ると、バングラとレゲエをミックスしたスタイルで名門Island Recordsと契約。
93年には世界的なヒットとなった"Boom shack-a-lak"をリリースした。
やっぱりこっちも懐かしい。バングラ・ラガ・ロックンロール。
ここで、「バングラ」の説明を改めて。
90年代、「バングラ・ビート」というジャンルがまずイギリスで人気になり、やがて世界的な盛り上がりを見せた。
カタカナで書くと同じなので、バングラという言葉からバングラデシュ(Bangladesh)を連想する人もいるかもしれないが、「バングラ(Bhangra)」は方角的には反対側のインド北西部、パキスタンとの国境に接したパンジャーブ州の伝統的なリズムだ。
パンジャーブ州は、ターバンとヒゲで有名なシク教の本拠地としても有名な土地で、印パ分離独立時に、両国に分割されてしまった経緯のある土地だ。地図上の赤いところ。
(画像出典:Wikipedia)
パンジャーブ州やシク教について詳しく書いていると、それだけで永遠に終わらなくなってしまうので割愛するとして、インドでは、パンジャーブ人は特に陽気で賑やか、率直な性格の人々という印象を持たれているようだ。
例えば、人気作家Chetan Bhagatの"2 states"という小説では、物静かで教養を重んじるタミル人の家庭に育った彼女と、やかましくて歯に衣着せぬ典型的パンジャーブ人の家庭に育った彼氏との結婚に至るまでの両家の葛藤が面白おかしく描かれている。ちなみに著者の自伝的な小説だそうだ。
インド各地に様々なリズムがあるのに、インド系移民の多いイギリスで、どうして90年代にブレイクしたのがこのバングラだったのか。
例えば南インドのカルナーティックのリズムでも良かったのではないかと思っていたのだが、その理由はおそらくはとてもシンプルなことだった。
イギリスに住んでいるインド系の人口150万人のうち、パンジャーブ系は70万人。じつに4割にものぼる。
本国インドでは、インド全体の人口約13億にたいして、パンジャーブ系の人口は約3,300万人、たったの2.5%にすぎないが、歴史的にイギリスには多くのパンジャビ(パンジャーブ人)たちが移住してきているのだ。
(インド国内でのパンジャーブ人の人口は、統計の取り方によって変わってきそうだが、それはひとまず置いておく)
そんなわけで、イギリスのインド系社会ではマジョリティーであるパンジャビのリズム、バングラはさまざまな音楽と結びついて独自の発展を遂げることとなった。
そもそものルーツである伝統的なバングラのリズムはこんな感じ。
より大衆的な音楽だからということもあるだろうが、他のインド古典音楽のように変拍子や複雑なリズムなどはなく、直線的な打楽器のビートはいわゆるアゲアゲ感がある。
このリズムがディスコやヒップホップ、ダンスホールレゲエなどと融合し、「バングラ・ビート」と呼ばれるスタイルが形成された。
バングラ・ビートは、はじめはインド系移民の間でのみ親しまれていたが、90年代に入ると徐々にその存在感を増し、Boom shack-a-lakがヒットした93年頃には世界的な注目を集めるに至ったというわけだ。
最終的には、パンジャーブ系のインド人が演奏していれば、もはやバングラの要素をほとんど残していなくてもバングラというジャンルとして扱われていたように記憶している。
いずれにしても、この「パンジャーブ系」であるということがバングラというジャンルの共通項であったわけだ。
もう一人、90年代のバングラの国際的スターを挙げるとしたら、Punjabi MCということになるだろう。
彼もまたパンジャービ系イギリス人で、よりプリミティブなバングラ・ビートの"Mundian To Bach Ke"は、1998年にUKのシングルチャートで5位、米ビルボードのダンスチャートで3位の大ヒットとなった。
当時、他のヒット曲に混じってこの曲がプレイされると、すごい違和感があったものだけど、理由はともかく世紀末の空気とこのインドのリズムが呼応した時代だったのだろう。
このバングラ、ぎゃくに言うとそれ以前もそれ以降も世界的には見向きもされないジャンルとも言えるかもしれないけど、とにかく90年代はバングラビートの時代だったというわけだ。
話を"Chok There"に戻します。
この曲がリリースされたのは、大ヒット曲"Boom shack-a-lak"に先立つ1991年。
世界的にはバングラ・ブームの創世記を担ったより重要な曲であるはずなのに、このVH1 Sound Nationが選んだインドのインディーズシーンを作った100曲リストでは、前回紹介したドイツローカルの一発屋であるNoble Savegesが1997年にリリースした曲よりも後にリストアップされている。
深読みかもしれないが、これはNoble Savegesが"I am a Indian"をインドで製作したことがより重要視されているのだろう。
Apache Indianもインド系社会特有のテーマについて、インドの言葉を交えて歌っているが、彼がブレイクした90年代前半は、インドにはまだ彼がレゲエビートを引っさげて凱旋帰国できるだけの音楽市場がおそらく整っていなかった。
それに、マーケット的に未開の地であるインドに行くには彼はあまりにも世界で売れすぎた。
Apache Indianも大ヒットから一段落した1996年に、遅ればせながらインドに一時帰国し、タミル語映画"Love Birds"に出演し楽曲も提供している。
楽曲的には当時のインドの映画音楽のアベレージから考えるととても垢抜けた曲なのだが、さすがにインドのメジャーシーンのど真ん中の映画音楽では、インディーズミュージックのリストに入れるわけにもいかないのだろう。
これがその曲で、タイトルは、インド人の口ぐせ"No Problem"
世界的なバングラブームは90年代に過ぎ去ってしまったが、バングラはもちろん今でもパンジャビ系の人々にとって身近なリズム。
最近ではEDMなどと融合し、独自の発展を遂げている。
ところで、Apache Indianというアーティスト名は、お気づきの通り、ネイティブ・アメリカンのほうのインディアンのアパッチ族を意識してつけられたものだが、前回紹介したNoble Savegesというユニット名も、アメリカ先住民を表す言葉だ。
どちらも意図的に「インディアン」という言葉の混同をしているわけだが、そこに単なる言葉遊び以上の意味があるのだろうか。少し気になるところではある。
90年代、インドの音楽シーンはまだ眠っていたけれど、国外では徐々にインド系ミュージシャンの活躍が目立ち始めてくる。
タブラ・エレクトロのTalvin Singh、インディー・ポップのCorner Shop、ミクスチャー的ダブ・バンドのAsian Dub Foundation等々、イギリスのインド系移民たちがシーンで評価され始めたのも90年代だ。
今回は、そんな時代に最も世界で受け入れられたインド系音楽、バングラを感じてもらえたらうれしいです。
次回は再びインドに舞台を移して、インドロック界の大御所バンドを紹介します。
では!
2018年08月27日
インドのインディーズシーンの歴史その3 逆輸入レゲエポップ Noble Savegesをあなたは知っているか
その名も「上品な野蛮人たち」こと、Noble Savegesで、今回紹介するのは"I am an Indian"という曲です。
このNoble Saveges、調べてみようにもとにかく情報がなくて困った。
なぜかWikipediaのドイツ語版にだけ項目があったのだが、そこからの情報によると、1990年代に活躍したポップ/ダンスグループで、レゲエやインド音楽の要素を取り入れた音楽性で数曲のヒットを残したそうだ。
1996年にシングル"Diggin in the Nose"、続いてアルバム"Indian and can we talk"をインドで製作し、マイケル・ジャクソンのインド公演のオープニング・アクトも務めたということらしい。
今回紹介する"I am an Indian"も96年にリリースされた曲のようなので、同じタイミングで製作されたものなのだろう。
わざわざ「インドで製作」と書かれているが、調べてみるとどうやら彼らはインド系ドイツ人で、(それでドイツ語のwikiに情報があったようだ)ドイツでいくつかのヒット曲を出したのち、インドに凱旋逆輸入ということになったものと思われる。
いつもながら前置きが長くなりました。
それではさっそく聴いてみましょう。
Noble Savegesで"I am an Indian". 1997年にドイツとノルウェーでスマッシュヒットした曲とのことです。
曲調としては1992年に世界的にヒットしたSnowの"Informer"のような90年代風レゲエ・ポップだが、イントロや後半でのタブラやシタールの音がインドフレイバーとして効いている。
この曲のYoutubeのコメントを信用するならば、彼らの父親はパンジャブ系クリスチャン、母親はパールスィー(ゾロアスター教徒)で、1976年のミュンヘンオリンピックの際に、ドイツに来たばかりの移民同士として出会ったとのこと。
姉のShirinは今ではプロデューサー、プロモーター、テレビの司会者としても活躍しているそうだ。
この曲がこのリストの3曲目にリストアップされている理由は、おそらくポップアーティストとして最初に海外で評価されたインド人アーティストであるということ(演歌歌手のチャダを除く)、そして何より、"I am an Indian"というインド系のルーツを真正面から扱ったテーマの曲でヒットしたということが、それだけエポックメイキングな出来事だったからなのだろう。
歌詞でもインドの都市やヒンドゥーの神様、言語の名前などが頻繁に出てくるし、たとえそれがヨーロッパの視点から見たエキゾチシズム的な扱われ方だったとしても、当時のインドの人々を誇らしい気持ちにさせるに十分だったはずだ。
日本人にとっての、「スキヤキ」という奇妙なタイトルでヒットしたあの曲のように。
この曲に関して言えば、ドイツとノルウェー以外でヒットしたという情報もなく、おそらくは世界中のほとんどの人は忘れてしまっているものと思う。
それでも、この"I am an Indian"は、インド経済が開放政策に舵を取り、少しずつ成長を始めた頃、世界に向かって開かれてゆくインド、世界とつながってゆくインドの象徴のような曲として、インド人の心に刻まれているのかもしれない。
また、余談だがここ数年のインド国内のヒップホップでは、"I am an Indian"とか"Are you Indian"という言葉は、インドのマジョリティーであるアーリア系やドラヴィダ系とは異なる東アジア的な容貌を持ち、それゆえに差別にさらされているインド北東部の人々が「俺たちだってインド人だ。それなのにどうして差別するんだ」と主張する場面でよく使用されている。
(このブログでも取り上げたシッキムのUNBや、アルナーチャル・プラデーシュのK4 Kekho、北東部出身ではないが日印ハーフのBig Dealなど。いずれもラッパー)
世界に向かってインド系であることをアピールするにも、インド国内でのマイノリティーとしての存在を主張するにも、同じ言葉が使われているというのもまた多様性の国インドらしいエピソードではあると思う。
それでは今回はここまで!
2018年07月10日
インドのサッカー&クリケット事情!
日本代表は善戦むなしくベルギーに敗れてしまったが、インドの人たちも同じアジアの日本代表を応援してくれていて、インドの友人やミュージシャンたちもSNSで日本代表の健闘を称える書き込みをたくさんしていた。
インドのサッカー事情はというと、代表チームのFIFAのランキングは97位と振るわないが、近年の著しい経済成長から国内のリーグは目覚しい発展を見せている。
選手としてデル・ピエロやフォルランが、指導者としてマテラッツィやジーコがインドのクラブチームに移籍したニュースを覚えているサッカーファンも多いだろう。(フォルランは現在は中国のクラブチームに所属)
ヨーロッパで活躍した名選手が多く国内のクラブチームに所属しているものの、代表チームのレベルは今ひとつという状況は、中国やJリーグ発足時の日本に似ていると言えるかもしれない。
ただ、何事も一筋縄ではいかないインド。
国内のサッカーリーグ事情もなかなかに複雑な状況になっている。
インドには、もともと2007年に発足したIリーグというプロサッカーのリーグがあった。
ところが、2014年にインドの大財閥リライアンスやインド最大のテレビ局のスターTVをスポンサーとしたインディアン・スーパーリーグ(ISL)という新たな別のリーグが発足。
ISLは豊富な資金力をもとにIリーグを上回る人気を博すようになり、先ほど名前を挙げた名選手、指導者たちも、IリーグではなくISLに所属している(あるいは、していた)。
両リーグ間の資金面や人気面の差は大きくなってきており、Iリーグから脱退してチームごとISLに移籍するクラブも出ている。
FIFAは1カ国1リーグ制を条件としているため、両リーグの統合が議論されているが、例によって交渉はうまくいっていないというのが現状のようだ。
そんなインドで国民的人気を集めるスポーツと言えば、クリケット。
インドに行けば、都会でも田舎でも、必ずクリケットをしている子どもたちを見かけるはずだ。
アタクシも、聖地ヴァラナシのガンジス河のほとりで遺体を焼いているすぐそばで、クリケットに興じている子どもたちを見たときには、ずいぶん驚いたものだった。
インド人にとって、クリケットは映画と並ぶ国民的な娯楽なのだ。
日本では全く人気も知名度もないクリケットだが、実はサッカーに次ぐ世界2位の競技人口を誇るスポーツであり、インドのみならずパキスタン、バングラデシュ、スリランカといった南アジア諸国やオーストラリア、ニュージーランド(つまり、旧イギリス植民地)でも人気を博している。
クリケットのワールドカップは世界中で数億人に視聴される一大イベントとなっているそうだが、人口10億人のインドで大人気だったら、まあそうなるわな。
とくにインドで盛り上がるのはナショナルチームの対パキスタン戦。
カシミール地方の領有権問題をはじめ、政治、宗教など様々な面で対立するパキスタンとの一戦は、試合会場の警備にロケット・ランチャーが配備されるほどの真剣勝負の一大イベントだ。
インド・パキスタン戦でのパキスタンの勝利を祝っていた人が逮捕されたこともあるという、もはや完全にスポーツの枠を超えた戦いになっているのだ。
インドのクリケットのリーグ、インディアン・プレミア・リーグ(IPL)にはデリー、コルカタ、ムンバイ、チェンナイ、バンガロールといったインド各地の大都市の9チームが所属し、世界最大のクリケットリーグとなっている。(八百長問題で出場停止処分を受けているチームもあるというのがなんともインドらしいが)
日本とインドの合作で、「巨人の星」をインドのクリケットに翻案した「Suraj the Rising Star」というアニメが2012年に作られたときには、日本でもそれなりに話題になったので覚えている人もいるんじゃないかと思う。
このアニメで、原作での長嶋茂雄に相当するキャラクター、サミール(Samir)のモデルになっているのが、ムンバイ出身の大スター選手、サチン・テンドルカール(Sachin Tendulkar)。
彼の名前は、以前紹介したムンバイのラッパー、DIVINEの地元レペゼンソング「Yeh mera Bombay」にも地元の誇りとして登場している。
彼を扱ったドキュメンタリー映画の楽曲を担当したのは、インド現代音楽界の超ビッグネーム、A.R.Rahman.
インドの国民的作曲家による国民的スポーツ・ヒーローへのトリビュート・ソングがこの「Sachin Sachin」だ。
同じイギリス発祥のクリケットがここまで人気があるのに、サッカー(ラグビーも)が弱いのは何でだろうと思っていたけど、インドの友人に聞いたところ、「単に国が金をかけていないからだよ」とのこと。
コンタクトの多いスポーツなので、汚れの概念とかそういうのが関係しているのかと思ってた。
インドでもワールドカップのような世界トップレベルのサッカー観戦は人気があるみたいだし(そういえば、「ベッカムに恋して」っていうインド系イギリス人の映画もあった)、国内リーグも盛り上がっている。
スポーツは宗教や民族の多様性を抱えるインドがひとつになれる数少ない要素だ。
世界中で人気のあるサッカーであれば、いろいろな対戦国があるし、クリケットのようにパキスタン戦ばかりに注目が集まることもないだろう。
国としての一体感を高めるためにも、もっとサッカーにお金をかけても良いように思うんだけど。
インド国内のサッカー事情に関しては、以下の2本の記事がよくまとまっていて面白い。
・ムンバイのクラブチームとそのファンを追った記事。
VICE『クリケットの街から眺めるインドサッカー界の未来』
・インドのサッカーブームと2つのリーグについての記事
サッカーダイジェスト『歪な国内リーグとU-17W杯に6万超の観衆。空前のサッカーブームに湧くインドの現実』
最後に、以前紹介したデリーのレゲエ・バンド、Reggae RajahsのGeneral Zoozがソロの名義で出したこの曲を。
Champions.
では今日はこのへんで。
2018年06月03日
Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス
彼らがレゲエやスカを単なるゴキゲンな音楽としてではなく、抑圧や専制に対する闘争の手段として捉え、 ヒンドゥー・ナショナリズムやインド社会の不正義と戦う姿勢を示していることは記事の通りだ。
Ska Vnegersの中心人物、Delhi SultanateことTaru Dalmiaは、バンド以外でもBFR(Bass Foundation Roots) Sound Systemという名義でジャマイカン・ミュージックを通した自由への抑圧に対する抗議行動を行っている。
アル・ジャジーラが製作した"India's Reggae Resistance: Defending Dissent Under Modi" はそんな彼の活動を追いかけたドキュメンタリーだ。
モディ政権後、ヒンドゥー原理主義が力を持ち言論の自由が脅かされつつあるインドで、Taruは音楽を通した闘争を始めるべく、クラウドファンディングで集めた資金でサウンドシステムを作り上げることにした。抗議活動の場で自由を求めるレゲエ・サウンドを鳴らすために。
サウンドシステムとは、ジャマイカで生まれた移動式の巨大なスピーカーとDJブースのこと。
クラブのような音楽を楽しむための場所がなかった時代に、音楽にあわせてラップや語りや歌を乗せるスタイルで、人々を踊らせ、音楽によるひとときの自由を提供するための手段として生まれた(やがて海を渡ってヒップホップやレイヴ・カルチャー誕生の揺籃ともなったのは、また別のお話)。
Taruにとってジャマイカン・ミュージックは自由のための闘争の手段。
「レゲエの本質に戻ってみると、サウンドシステムに行き着く。サウンドシステムは単なる積み重ねたスピーカーじゃない。音楽や自由を自分たちの手に取り戻し、ストリートに届ける手段なんだ」
彼の広い庭に巨大なスピーカーが組み上がる。
まったく歴史的、文化的背景の違うインドで、ジャマイカと同じようにレゲエを闘争の手段にしようとしている彼こそ、ヒンドゥー原理主義者ならぬレゲエ原理主義者なんじゃないか、という気がしないでもないが、彼はいたって真剣だ。
最初の活動の場は、デリーの名門大学JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)。
言論の自由を求める活動の中心地であり、Taruの出身大学でもある。
「同志よ!ジャイ・ビーム!ラール・サラーム!ジャマイカの奴隷農園の革命の歌を演奏する!」
「ジャイ・ビーム」とはインド憲法の起草者で、最下層の被差別階級出身の活動家、ビームラーオ・アンベードカルを讃える言葉。
カーストに基づく差別からの脱却のため、被差別階級の人々と集団で仏教に改宗した彼を讃えるこのフレーズは、改宗仏教徒など、旧弊な社会秩序に異を唱える人々の合言葉だ。
「ラール・サラーム(赤色万歳)」は、共産主義のシンボルカラーを讃える反資本主義者たちの合言葉。
Taruの言葉に活動家たちから歓声が上がるが、音楽をかけても人々は踊らない。
彼の思想には共鳴しても、レゲエなんて聴いたことがない彼らは、初めて耳にするリズムにどうして良いか分からずじっと座っているばかりだ。
すっかり盛り上がりに欠けたまま、やがて大学当局者に音を止めるように言われ、しぶしぶDJを止めるTaru.
すると当局の介入によって演奏を止められたことに抗議して、学生たちから自由を求めるコール&レスポンスが始まる。
皮肉なことに、音楽が止められたことで、抗議運動は初めて盛り上がりを見せたのだった。
やはりインドでレゲエを使った社会運動は無理があるのか。
それでもTaruはあきらめない。
次なる活動の場は幾多の大学を抱える街、プネーのFTII (Film and Television Institute of India)。
抗議行動をオーガナイズする学生組織とのミーティングで、Taruはこんなことを言われる。
「初めてレゲエを聞いたけど、僕たちの文化の中では共感を得にくいんじゃないかな。なんというか、エリートの音楽っていう感じがする。英語だし、ラップだから」
「欧米から来た音楽だからって、みんなエリートの音楽ってわけじゃない。ブロークンな英語で歌われている音楽なんだ」
Taruは反論するが、こう言われてしまう。
「僕たち活動家が理解できないっていうのに、どうやって一般の人々がそれを理解できるんだい?」
Taruの理想と現実の乖離を率直に指摘する言葉だ。
地元の人々に受け入れられるために、彼らの言語であるヒンディーやマラーティーをレゲエのリズムに乗せることにした。
レゲエをインドでの社会運動において意味あるものとするために、彼らの工夫は続く。
地元の社会派ラッパー、Swadesiにも声をかけた。
ジャマイカの大衆のための音楽が、少しずつインドの大衆のためのものに変わってゆく…。
憲法記念日。プネーで行われる野外コンサートの当日。
主宰者側はカシミール問題(パキスタンとの間の、ヒンドゥーとイスラムの宗教問題を含んだ領土問題)のようなデリケートな話題を持ち出し、当局に集会を潰されることを心配していた。
言論の自由を求める集まりであるにもかかわらず、だ。
「世界最大の民主主義国」インドの自由は微妙なバランスの上に成り立っている。
集まった人々に、Taruはこう語りかける。
「独立したはずのインドでも、最近じゃこんな雰囲気だ。でも、いつの日か正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言えるようになろう。俺たちは団結している。もし体制側のスパイがいたとしたっていい。一緒に踊ろう」
Taruがプレイするジャマイカのリズムに、地元の活動家たちがスローガンの言葉を乗せて行く。
地元の言語を使ったラップや、苦労した選曲の甲斐あってか、デリーのときとは違って観客も大いに盛り上がっている。
最後の曲の前に、Taruは「俺たちが求めるものは?」と観客に問いかけた。
即座に「自由(Azadi)!」との答えが返ってくる。
RSS(ヒンドゥー至上主義組織)からの、モディ政権からの、ヒンドゥーナショナリズムからの、企業のルールからの自由。コール&レスポンスは熱気を帯びてくる。
最後の曲は60年代のジャマイカン・ナンバー、Toots & Maytalsの"54 46 Was My Number".
警察の横暴を批判するスカ・ソングだ。
彼の言葉に、サウンドに、集まった人々は心のままに踊り始める。
このシーンは圧巻だ。
インド人は総じて踊りが得意だが、スカのリズムに合わせて魂を解放して踊る彼らは、とても初めてジャマイカの音楽を聴いたようには見えない。
まるで生まれた時からスカやレゲエを聴いて育ったジャマイカンたちのように見える。
音楽が、レゲエミュージックが、束の間であっても変革を求めるインドの人々に精神の自由をもたらした瞬間だ。
この映像は、インドにおけるレベルミュージック(反抗の音楽)としてのレゲエのスタート地点であり、現時点での到達地点の記録でもある。
名門大学出身で大きな庭のある家に住んでいる彼が、ジャマイカのゲットーで生まれた音楽を、全く文化の異なるインドで大衆革命の手段としようとすることに、いささかのドン・キホーテ的な滑稽さを感じるのも事実だ。
今後、レゲエがインドでのこうした活動の中で大きな意味を持つかと考えると、正直に言うとかなり難しいんじゃないかと思う。(この映像を見る限りだと、もっとインドの大衆の理解を得やすい音楽や伝達方法があるように感じる)
でもレゲエやパンクやヒップホップに夢中になったことがある人だったら、音楽とは単なる心地よいサウンドではなく、人々の意識や社会構造に大きく働きかけるものであることを知っているはず。
そして、サウンドそのものよりも、そうしたスピリットの部分にこそ、音楽の本質があることを分かっているはずだ。
音楽好きとしては、音楽の力を信じて愚直に活動を続ける彼に、なんというかこう、ぐっとくるのを禁じ得ない。
ヒップホップに比べると、まだまだインドではマイナーな感があるレゲエミュージックシーンだが、今後こうした社会的な意味のあるジャンルとして根づいてゆくのかどうか、これからもTaruの活動に注目してゆきたい。
2018年05月30日
ただのお洒落野郎にあらず!Ska Vengers!
同じくデリーを拠点に活躍するSka Vengersを紹介したい。
彼らのことはいつか紹介しないと、とずっと思っていた。
まずは彼らがどんな人たちなのか、見てもらいたい。
ご覧の通り、今まで紹介してきたミュージシャンの中でも、抜群にオシャレで洗練された佇まいだ。
そしてSka Vengersというバンド名にもアタクシは少し衝撃を受けた。
もちろんこれは、音楽ジャンルのSkaとScavengerという単語を掛け合わせたものだけど、スカベンジャーと言えばごみをあさって生活している人たちのことを指す。
インドは富や教養や階級を、服装や態度や生活やあらゆる面でわかりやすく示す国。
そんなインドで、見るからに上流階級育ちっぽい彼らが、そんな下賤な名前を名乗るっていうのはかつてのインドでは考えられないこと。
あえて自分を低く見せるというロックな逆説的価値観がようやくインドにも根付いてきたのか、と思いつつも、裕福な連中がアウトロー気取りで何も考えずにスカベンジャーとか言ってるんじゃないの?とうがった見方をしていた。
正直、ナメててスマンカッタ。という話を2回くらいに分けて書かせてもらいます。
サウンドは例えばこんな感じに小粋で洗練されたスカ・サウンド。
あれ?古典じゃん、と思うかもしれないけど43秒あたりから曲が始まります。
これもまた前置きが長いビデオだが、1:40あたりから曲が始まる。
中心メンバーは男性ヴォーカルのDelhi SultanateことTaru Dalmiaと、女性ヴォーカルのBegum X。
イギリス人のキーボーディストを含む6人組で、かつてはReggae RajahsのDiggy Dangや、Yohei Sato、Rie Onaという日本人メンバー(!)も在籍していたようだ。
この世界水準なサウンドを武器にヨーロッパツアーなども行っており、あのイギリスのグラストンベリー・フェスティバルにも出演するなど、国際的な評価を得ている。
Ska Vengersはかつてドイツに住んでいたDelhi Sultanateが、現地で出会ったスカやレゲエといった音楽をインドでも演奏するために2009年に結成された。
ちょっと変わったところでは、昔のボリウッドの曲をジャイプルの伝統的なブラスバンドのKawa Brass Bandと一緒にやっていたりもする。
ここまで見ると、単なる外国帰りの金持ち連中がインドらしからぬオシャレサウンドを演奏しているだけなんじゃないの?とつい勘ぐりなってしまうところだけれども、さにあらず。
彼らは自分たちの演奏するジャマイカン・ミュージックの本質を、単なるゴキゲンなダンスミュージックとしてではなく、抑圧や植民地主義、不正義と戦う術として位置づけて取り組んでいる。
そうした彼らの本質がもっとも強くストレートに出ているのがこの曲だ。
"Modi, A Message to You"
この曲は70年代に活躍したイギリスのスカ・バンド、Specialsの"Message to You Rudy"という曲のカバーというか替え歌で、インドの現首相ナレンドラ・モディへの痛烈な批判になっている。
モディが所属する「インド人民党」(BJP)は、ヒンドゥー・ナショナリズムを掲げる組織、「民族奉仕団」(RSS)が母体となって結成された政党だ。
RSSはインドの国父ガンディーの暗殺に関わり、一時期活動が禁止されていた歴史を持つヒンドゥー至上主義団体だ。
モディがインド首相に就任以来、その経済政策などで一定の支持を集めている反面、所属政党であるBJPは地方議会でヒンドゥー教で神聖視される牛の屠殺を禁止する法案を可決させたり、同党支持者の反イスラム的な姿勢を黙認したりしていることを批判されてもいる。
インドは人口の8割がヒンドゥー教徒だが、独立以来、政教分離(セキュラリズム)国家としての原則を守ってきた。
だがBJPは「母なるインドはヒンドゥーの土地」というヒンドゥー・ナショナリズム的な傾向を政治に持ち込み、小政党が分立するなかでマジョリティーであるヒンドゥー教徒を中心に支持を拡大し、ついに中央政権を奪取するに至った。
こうした政党を批判することは、インドではとても勇気がいることで、実際バンドはこの曲を発表したことで、殺害予告を受けたという。
このビデオの中で、モディは現代的な女性に伝統的な格好をさせて牢屋に入れ、ムスリムと握手すると見せかけて無視し、炎に包まれる街を見捨てる悪者として描かれる。
さらには小さい家を潰して工場を建て、人々にテント暮らしを余儀なくさせ、故郷グジャラートの経済だけを発展させるが(日本では美談となっているインドへの新幹線の輸出は、じつは首都デリーとモディの地元グジャラート州アーメダバードを結ぶ路線だ)、真実を追求するジャーナリストから逃げ回り、最後には両目をハーケンクロイツにされるという散々な扱いを受けている。
Delhi Sultanateは語る。
「グジャラート州で2002年(モディが州首相を務めていた時代)に恐ろしい暴動が起きた。この暴動で2,000人を超えるムスリムが虐殺されたと主張する人たちもいる。多くの人がこの暴動でモディが中心的な役割を果たしたと確信しているんだ」と。
この曲の背景を少し詳しく見てみよう。
2002年2月27日、アヨーディヤーからグジャラート州のゴードラー駅に到着した列車に何者かが火を放ち、ヒンドゥー教の巡礼者58名が死亡する事件が起きた。
アヨーディヤーはヒンドゥー教の伝承ではラーマ・ヤーナの主人公ラーマ神の生誕地とされている土地だ。
BJPは、このアヨーディヤーの地をムスリムから取り戻すことを掲げて選挙を戦い、多数派であるヒンドゥー教徒の支持を広げてきた。
そしてついに1992年、この歴史あるバブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒たちが破壊するという事件が起きてしまう(ちなみにバブリー・マスジッド以前にヒンドゥーの寺院があったという主張に歴史的な根拠はない)。
この破壊事件を主導したのは、RSSやVHP(世界ヒンドゥー協会)のメンバーをを中心とするサング・パリワールというヒンドゥー至上主義組織で、この事件をきっかけに起きた宗教対立でインド全土で1,200人もの死者が出ることとなった。
これが現代インドの宗教間対立の大きな火種となった「アヨーディヤー事件」である。
一部のヒンドゥー教徒たちは、2002年のゴードラー駅での列車放火事件をイスラム教徒によるアヨーディヤー事件への報復であると判断して暴動を起こし、1,000名を超える死者が出る大惨事となった。
この暴動の背後で、BJPの州政府関係者が、列車放火事件がイスラム教徒によるものだと断定した発言をしたり、イスラム教徒の住居や商店の場所を暴徒側に教えたりしていたという指摘がある。
彼らはその黒幕としてモディを批判しているというわけなのだ。
Ska VengersはBJPやモディのナショナリズム的傾向や、新自由主義的な政策に明確に反対を唱えている。
彼らにとって、スカやレゲエは単なる音楽では無い。植民地主義や新自由主義、あらゆる抑圧や専制から本当の自由を勝ち取るための闘争の手段なのだ。
バンドのもう一人のフロントマン、女性ヴォーカリストのBegum Xはこう語る。
「ジャマイカとインドは共通した歴史を持っているわ。どちらもいまだに植民地時代の影響に直面しているの」
TaruのステージネームであるDelhi Sultanateというのは13世紀から16世紀にかけてデリー地方を支配したイスラム教の「デリー諸王朝」のことだ。
彼はヒンドゥーとイスラムの習俗や伝統が融合し多様な文化が栄えたこの王朝を、多様性、寛容性の象徴として自らのステージネームにしている。
彼らの闘争は、バンドでの形態にとどまらない。
次回このDelhi SultanateことTaruのさらなる驚愕の活動を紹介する。
それJAHまた!
2018年04月08日
本格的レゲエバンド!その名もReggae Rajahs!
ではインドにレゲエミュージシャンがいないのかというとそんなことはなくて、シーンは小さいながらも素晴らしいバンドがちゃんといます。
今回紹介するReggae Rajahsはまさにそうしたバンドの一つ。
Rajaはインドの諸言語で「王様」を意味する言葉。
そこにジャマイカンが信奉するラスタファリアニズムのJah(神・救世主)をミックスしたインドのレゲエバンドにぴったりの名前だ。
ラスタファリアニズムは、主にジャマイカの黒人たちに信奉されている思想で、ものすごくおおざっぱに言うと、堕落した物質主義社会から脱し、心の豊かさを求めてアフリカに回帰することを求める運動ということになる。
今回紹介するReggae Rajahsは、歌詞を見るとそうしたラスタファリアニズムに強く傾倒しているというわけでもなさそうだが、サウンドの面ではかなり本格的なレゲエサウンドを聴かせてくれている。
さっそく1曲聴いてみてください。
"Dancing Mood"
どうです。音楽にもビデオにもインド要素ゼロのゴキゲンなロックステディサウンドでしょう。
あとこのバンドはメロディーセンスが良い!
レゲエ好きじゃなくても、普遍的に良いと思えるキャッチーさじゃないでしょうか。
Reggae RajahsのメンバーはヴォーカルとMCのGeneral Zooz(a.k.a. Mr. Herbalist)とDiggy Dang、DJのMoCityの3人に、2013年に加わったDJと映像を担当するZiggy The Blunt、いろいろ調べたけど今ひとつ役割が分からない(ごめんよ)BeLightsの5人組。
オフィシャルサイトでは、インドで最初のレゲエサウンドシステムを自称している。
ここでもう1曲ゴキゲンなやつを。First Time.
あいかわらず気持ちのいいレゲエサウンドに、坂本九の「明日があるさ」のような一目惚れの恋をテーマにした青春ナンバーだ。
「どうか俺のFacebookリクエストを受け入れてくれ」みたいな現代風ながらも初々しい歌詞が甘酸っぱくて良い。インドの小説や映画やなんかを見ると、垢抜けている今風の若者でも恋愛には結構奥手だったりして、そういうところがインド人のまあかわいいところだ。
Reggae Rajahsは2009年にデリーで結成された。
それぞれイギリス、アメリカ帰りのGeneral ZoozとDiggy Dang、イラク生まれでデリー育ちのDJ MoCityが、デリーで行われたボブ・マーリィのバースデー記念イベントで出会ったことがきっかけになったようだ。
インドではまだまだ数少ないレゲエファンが「え?君もこういうの好きなの?」って感じで出会ったのだろう。
インドではまだマイナーなジャンルに海外で触れた在外インド人が、帰国とともにそのジャンルのインドでのパイオニアになるというのは他のジャンルでもよく見られるパターンで、21世紀に入ってもまだまだ黎明期だったインドのミュージックシーンを象徴するエピソードだと言える。
General Zoozの名前は、このブログで以前紹介したSu Realの"Soldiers"という曲のレゲエパートで本格的なラガヴォイスを披露していたことで覚えている人もいるかもしれない(いないか。面白い曲なのでぜひリンクを辿ってみて)。
DJ MoCityの本名はモハメド・アブーディ・ウライビ。
名前とイラク出身ということからも分かるようにムスリムなのだろうが、他のメンバーの本名を見るとヒンドゥー系の名前で、彼らは多国籍、多宗教のメンバーがレゲエという音楽への愛情で結ばれたバンドと言えるだろう。
彼らは自分たちのバンドでの活動のみならず、Goa Sunsplashというイベントを主催したり、MoCityがboxout fmというネットラジオ曲を運営したりするなど、インド全体のレゲエを中心とした音楽カルチャーの振興にも力を入れているようだ。
いったいどこにそんな資金が?と思わなくもないが、彼らの経歴から想像するに「家がお金持ち」ってことなのかもしれない。
彼らの曲の中でも、個人的にとても気に入っている曲。So Nice.
ちょっとメロウで最高にピースフルなヴァイブの曲で、海沿いの道をドライブしながら聴いたら気持ち良いだろうなあ。
中間部の「Irie!」っていうコール&レスポンスのところ、ぜひライブで一緒にやってみたい。
彼らはニューデリーでのSnoop Dogのオープニングアクトを務めたり、Dub Inc(フランス)、Million Stylez(スウェーデン)、Ziggi Recado(オランダ)、Appache Indian(インド系イギリス人)、Dreadsquad(ポーランド)といった世界中のレゲエアクトと共演したり、ポーランド、ブラジル、フィリピンをツアーする等、国境を越えた活動をしている。
彼らのバイオグラフィーを見てみると、初期にはゴアやマナリといった西洋人ヒッピーが多い都市での活動が多かったようで、インドのアーティストにしては珍しく、コアなジャンルとはいえ非常にインターナショナルな受け入れられ方をしていると言える。
続いては大麻礼賛の曲"Pass the Lighter".
合法化せよ!(legalize!)というピーター・トッシュのようなアジテーションが印象的な1曲。
インド文化(一部のヒンドゥー文化)とレゲエカルチャーの共通点をあえて探すとすれば、大麻がポジティブなものとして捉えられていることと、菜食主義が尊いものとされていることが挙げられるだろうか。
実際、彼らもインタビューでインドのレゲエシーンにおけるラスタファリアニズムの重要性について聞かれたときに「ラスタ文化はインド文化にとても影響を受けているよ。インドの文化にはサードゥー(ヒンドゥーの行者)がいて、髪をドレッドにして大麻を吸ったり森の中で瞑想したりしているし」という、分かったようなよく分からないような回答をしている。
彼らはルーツスタイルのレゲエに最も愛着があるようだが、他にもダンスホールやダブを取り入れることもあって、こんなソカテイストのある曲もやっている。
今回紹介した曲はみんな「Beach Party EP」に入っていて、個人的にも昨年から随分と聴いているよ。
はい。てなわけで、今回はもろインド!って感じじゃなくて、より無国籍な魅力のあるインドのレゲエアーティスト、Reggae Rajahsの紹介でした!
確かに、いろんなリズムやトラックと融合できるヒップホップ(というかラップ)に比べると、レゲエって地域性が出にくい(そしてローカライズがあまり求められていない)ジャンルなのかもしれないね。
あ、そうだ。レゲエの世界だと、ヒップホップで言うところのラッパーをdeejay、DJをSelectaと呼ぶ習わしがあるけど、門外漢なので今回は一般的なほうの表記で書かせてもらいました。
てなわけで、それJAHまた!
2018年02月14日
ソカ、レゲトン…、ラテン化するインドポップス
前々から、インドとラテン系って、いわゆるイケメンの直球的なかっこのつけ方(及び顔の濃さ)とか、リズムへのこだわりとか、似ているところがあるよなあと思っていたのだけど、ここに来て、パンジャービー語、スペイン語、英語の3ヶ国語を使ったインド製ラテンポップスというのが誕生!
これが最近のボリウッドソングでよくあるヒップホップ経由のラテンテイストとばっちり合った至極の出来!
非スペイン語圏のスペイン語ポップスというのも珍しいのではないだろうか。
それでは聴いてみてください。Badal ft. Raja Kumari, Dr.Zeusで "Vamos"
どうっすか?かなり違和感なくラテンにしてインドでしょう?
しかも、ヒップホップでもロックでもなんでもインド風にしてしまう彼らが、この曲についてはごくごく自然なラテンテイスト。
スペイン語の部分は「さあパーティーだ」とか「君はイケナイ女の子だぜ」とか「こっちにおいでよ」的なことを言っているだけなので、スペイン語の必然性が無いっちゃあ無くて、響きと本格的なラテン風味が欲しかったってことなんだろうか。
メインで歌ってるBadalは1995年生まれ(若い!)のシンガーソングライター。
女性シンガーのRaja Kumariは、アメリカ国籍の南インド系シンガー/ラッパーで、最近はDIVINEとのコラボレーションをはじめとして、インド国内で引く手数多の活躍をしている。
Dr. Zeusはこの中ではいちばんのベテラン。バーミンガム出身のパンジャーブ系シンガー/プロデューサーで、90年代の世界的バングラブームの頃から活躍し始め、2014年以降はボリウッドの音楽も手がけている。
アメリカやイギリスからの逆輸入組を含めた インド人3人が集まって、誰もラテン系のルーツを持っていないのにスペイン語まじりのヒット曲を出すっていうんだから面白い。(Youtubeにアップされて1週間で1,000万ビューに届く勢い!)
しかも英語こそが進歩と教養の象徴みたいに思っているインド人が、かなり大衆的な曲でスペイン語を取り入れてるっていうのに非常に驚いた。
さらに、驚いたと同時にちょっと感動した。
なんで感動したかっていうと、アタクシの非常に乏しいラテン系の音楽の知識からすると、この曲に代表されるボリウッドのヒット曲のラテンの要素って、ジャンル的にはレゲトンとかソカに近いものだと思う。
で、プエルトリコ生まれのレゲトンはひとまず置いておいて、ここで注目したいのはトリニダード・トバゴで生まれた「ソカ」だ。
カリブ海に浮かぶ島国の中で最も南に位置するトリニダード・トバゴは、実は人口の約4割がインド系。
移民としてやってきた彼らは、奴隷として連れてこられたアフリカ系を超える同国最大のエスニック集団で、今でもこの国の人口のなんと2割弱がヒンドゥー教徒だ。
「ソカ(Soca)」はソウルとカリプソの頭文字を合わせた造語とされるが、それだけでなく、こうした背景のあるこの島に息づくインドのリズムもブレンドされてできた音楽と言われている。
(よりインド系のコミュニティーに根ざした「チャトニー」という音楽もある。"Chutney"はインド料理でおなじみの「チャツネ」のこと)
昔のソカはインドの音楽とは似ても似つかないんだけど、ヒップホップ等を経由した今日のソカと、同じようにヒップホップやラテンのリズムの影響を受けた今日のインドのポップスが、結果的になんだかすごく似たような感じになってきている。
本国を遠く離れたカリブのインド系移民が暮らす島の音楽と、インドのポップスが、長い時間をかけて同じような方向性になってきている。
これって、「つながった!」って感じがして、ちょっと感動しませんか?
ソカといえば、バルバドス出身のインド系シンガーRupeeのこんなスマッシュヒット(一発屋ともいう)もあった 。
ソカ/レゲトン系で最近のヒット曲といえばこの曲。
グラミー賞3部門ノミネートのLuis Fonsi ft. Daddy Yankeeの"Despacito". 再生回数はなんと48億回!
スペイン語圏を超えてヒットしたこの曲はインドにもしっかり届いたようで、こんなカバーを見つけた。
バーンスリー(インドの横笛)やタブラを用いたカバーなんだが、まず何に驚いたかって、このiPadの使い方!なんだこれ?
これだけでこの記事の他の内容がどうでも良くなるくらいの驚き!
最新のテクノロジーを使っているのに出てくるフレージングはどうしようもなくインド。ハイテクと伝統をごくあたりまえのように繋げてしまう。
iPadのこんな使い方を思いつくのはインド人だけ!
日本で雅楽やってる人で、iPadでひちりきみたいな音出そうって思う人絶対にいないもん。
カバーやiPadの使い方のアイデアの面白さだけじゃなくて、1:40くらいからの本気出してバカテクになるところも凄い!
インドの人たち、よっぽどDespacitoが気に入ったようで、この曲をインド人がカバーしているやつを探すと、とにかくいろんなバージョンがヒットする。
君たちいったいどれだけこの曲好きなんだ。続いては学生ノリが微笑ましいラップカバー!
楽しそうだなー。
みんなけっこう歌上手いし。
ラテンものに北インド的歌い回しがハマるってことを再認識させられる出来だ。
さらに正統派(?)のパンジャビ語カバー! (曲は40秒くらいから)
あれ?これがオリジナルだったっけ?これなんてボリウッド映画の曲だっけ?って言いたくなるほどのしっくりきてる!
最初に書いた「インドとラテンのイケメンのかっこつけ方が同じ」って話もこのビデオを見ていただければ誰でもご理解いただけるでしょう。
最後にお届けするのはインストのこのバージョン!
タブラが入ってるのは最初に紹介したのと同じだけど、ハルモニウムとギターに歌(1:40あたりから)が入るととたんにロマっていうかジプシーっぽいノリが出てくる。
そういえば フラメンコで有名なロマの人たちも、もともとのルーツはインドのラージャスタンあたりと聞く。
ってことは、西のスペインと東のカリブ、スペイン語圏がインドをキーワードに西と東でつながったってことだ!
そういえば、最初に見た"Vamos"のRaja Kumariもフラメンコっぽい格好していたし。
と、思いっきり妄想とこじつけによるものかもしれないけれども、インドから東西のスペイン語圏がつながった!っていうのがすごく面白いと思った次第でございます。
インド系はヒンドゥー、スペイン系はカトリックと、セクシー系にかっこつけてるくせに宗教的にはけっこう保守的なところも似てると言えば似てる。
人口の増加率を考えると 、21世紀はインドとラテン系の世紀になるかもしれないよ。続きを読む
2017年12月25日
愛は心の抵抗です!Su Realのベースミュージック
デリーを拠点に活躍しているEDM/ベースミュージックのサウンドクリエイターでございます。
まずはこちらの曲を聴いてみておくんなまし。
Su Real "Soldiers"
曲もビデオもかっこいい!
日本じゃクリスマスってんで、ジングルベルジングルベルって老いも若きも大変な楽しみようなんでございますが、インドなんかだとヒンドゥー原理主義ってんですか?
西洋の文明がインドに入ってくるのを快く思わない人ってのがいるんですね。
クリスマスなんかお祝いしてると、原理主義が強い地域だと警察に捕まったりする。
毎年バレンタインデーが近くなると、バレンタインデー排斥運動というのが起こって、バレンタインのディスプレイをしているお店が襲撃されたりするってのが毎年のように報じられてます。
別にもてないからってわけじゃなくて、西洋的な価値観や自由な恋愛がインドを堕落させるっていう考え方なわけでございます。
外でキスをしたり抱き合ったりしているだけで「風紀を乱す」的なことで逮捕されることもあるってわけで、この曲はそういう状況に対して、よりモダンな価値観を持った者たちからのプロテストという内容になっているんでございます。
歌詞を訳してみるとこんな感じ。
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警告 警告 全ての愛の戦士たちよ準備せよ
愛の軍隊とともに、怒りを込めてぶっ放せ
この辺をパトロールしているが状況はひどくなるばかり
警察がやってくる音が聞こえる
通りで抱き合ったりキスをしたってだけで刑務所に入れられる
政治家や聖職者の皮をかぶった獣たちの声が聞こえる
過剰な抑圧が攻撃性を呼ぶ
過剰な弾圧が表現を呼び起こす
これは公共の場での愛の表現
ゴアからグワハティまで、愛こそが使命
私たちは愛の戦士 憎しみをもつ者たちは気をつけろ
私たちがキスするのを見ていても構わない
昼でも夜でも 私たちがすべきことをしているのをみていても構わない
私たちは楽しみに来ただけ 彼らが何を言おうと気にしないで盛り上がろう
戦士たちがダンスフロアにやって来た 場所を空けて
ブースのDJ ベースをぶちかまして
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糾弾の対象に「政治家や聖職者」とあるのは、古い価値観の象徴であるヒンドゥーの聖職者と、そうした価値観を持つ者に迎合的な政治家のこと。
現在の政権与党BJP(インド人民党)はヒンドゥー的な考え方を至上とする原理主義組織RSSと強いつながりを持っていることが知られています。
旧弊な価値観に対して愛をもって対抗しようというのがこの曲の趣旨ってえわけだ。
「ゴアからグワハティまで」のゴアは大航海時代から長くポルトガル領だった南インドの都市。グワハティはインドの中でも独特の文化を持つ北東部アッサム州(紅茶で有名なとこ)の州都。
インドの地理的、文化的な広がりを意識したフレーズなわけです。
ついでに言うと、この曲は、ケララ州で発生した「Kiss of Love運動」に触発されて書いた曲とのこと。
このへんでSu Realさんの紹介を。
本名はSuhrid Manchanda.
ニューデリー出身でUAEとマレーシアで育ち、大学はカナダのマギル大学に通ったという。その後、MBAの勉強をしに行ったニューヨークでレコードレーベルで働くようになったことから音楽制作を始め、今ではデリーを拠点に活動しています。
レゲエパートのヴォーカルを担当しているのはGeneral Zooz.
こちらもデリーを拠点に活動しているレゲエバンド「Reggae Rajahs」のヴォーカリストです。
Reggae Rajahsも素晴らしいグループなのでいずれ紹介したいと思います。
こういう音楽が単なるパーティーミュージックではなくて、真摯なメッセージを含んでるってことがとても素晴らしいと感じた次第でございます。
“Soldiers”は2016年に発表のアルバム「Twerkistan」の収録曲。
パキスタンとかの国名につく「-stan」と、ダンスの一種のTwerkをかけたアルバムタイトルで、インドの伝統音楽やカッワーリーとベースミュージックの融合が試みられている曲も多くて、それがまた素晴らしい。
Jay-Zとカニエ・ウエストの「Niggas in Paris」のパロディのこんな曲も入ってます。
それでは今日はこのへんで!