2018年02月17日
レペゼン俺の街! 各地のラッパーと巡るインドの旅
以前、DIVINEさんを紹介したときにもちょっと触れたけど、洋の東西を問わず、ラッパーの人たちっていうのは、レペゼンの精神っていうんですか?仲間を引き連れて、地元を練り歩くビデオを撮るのが大好きなんですなあ。
ヤンキーは地元が好き、みたいなのに通じるものがあるのかもしれない。
その気質はインドでも全く同じ。
州ごとに言語も違えば文化も違う、そんなインドのラッパー達がお国自慢のラップをやらないわけがない!
ということで、インド中のいろんな街でラッパーが地元の街を練り歩いてるビデオをYoutubeで探してみたら、出てくる出てくる。
今回はインド各地の街をラッパーが練り歩くビデオをみながら、いろんな街を巡ってみましょう。
街の名前言われたって違いが分かんねえよ、って人も、こうして比べて見てみれば、それぞれの街の個性を楽しんでいただけると思います)。
まずは地図、載っけときますね。
スタートはDIVINEさんの地元、マハーラーシュトラ州のムンバイ(旧ボンベイ)から!
曲の名前も"Yeh mera Bombay" (This is my Bombay)!!
インド西部、アラビア海に面したムンバイは、インド最大の都市にして商業の中心地。
でもこのビデオは、高層ビルや高級ホテルが立ち並び、ビジネスマンが行き交う大都会ではなく、庶民的っていうか下町っていうか、ギリギリスラムまで行かないくらいの地区で撮影しているところが肝心。
街のオヤジ達(一部カワイコちゃん)が「これが俺たちのボンベイだぜ」ってキメまくる。
「街の名前は変わったって、ここは何も変わらない俺たちのボンベイさ」っていうのは以前書いた通り。
満員のバスや電車、お祭りの人間ピラミッド、タージマハルホテルといったムンバイの象徴的な風景も挟み込まれるけど、最新のオフィス街なんかは一切出てこないのが逆に粋ってもんでしょう。
この曲、州の公用語マラーティー語ではなくてヒンディーでラップされているんだけど、それも多文化・他言語都市のムンバイならではと言える。
続いてはムンバイからインド亜大陸を北東に横断して、オディシャ州(旧名オリッサ州)へ。
ここの州都ブバネシュワールにほど近い、プリーという街出身のラッパー、Big Dealで、"Mu Heli Odia"
Big Dealは日本人のお母さんとインド人のお父さんとの間に生まれた日印ハーフのラッパーで、歌詞の最初のほうにもそのことが出てくる。今ではバンガロールを拠点として活躍しているようだ。
いずれきちんと紹介してみたいアーティストのひとりです。
プリーは漁民たちが暮らす小さな街で、映像も小さな漁船の上から始まる。
"Mu Heli Odia"は、この州で話されているオディア語で「俺はオディシャ人だぜ!」といった意味合いらしい。
プリーのオヤジ達が「俺はオディシャ人。オディア語を話すオディア野郎たちさ」とやるのはムンバイのDIVINEとほぼ同じだけど、映像は大都会のムンバイと比べると、ずいぶん鄙びた感じがするよね。
近くにジャガンナート寺院という大きなヒンドゥーの寺院があるせいか、サードゥー(ヒンドゥー行者)がちょくちょく出てくるところも見所。
海、海辺のラクダ、祭礼用の仮面、寺院、飛び立つ海鳥やクジラとローカル色がいっぱい。
俺やったるぜ的なリリックだけど、2:20くらいのところで、「インド中で食べられてるRosagolla(お菓子の名前)って、もとはオディシャのなんだぜ」なんてフレーズが入ってくるところも地元愛を感じる。
この曲は初のオディア語ラップソングということらしいが、オディア人としてのプライドが詰まった1曲なのだ。
では続きましてはプリーからぐーっと南へ下ってチェンナイ(旧名マドラス)へ。
チェンナイのあるタミル・ナードゥ州は、保守的というか真面目な州らしくて、夜更かししないようにナイトクラブのかわりにアフタヌーンクラブというのがあるとか、英語で落語をやる噺家が浮気の小噺をしても全然うけなかったとか、って話もあるところ。
それだけに、ラッパーもあんまりいないようではあるのだけど、見つけました。練り歩きビデオを。
MC Valluvarで「Thara Local」。言語はもちろんタミル語です。
チェンナイは、ムンバイ、デリー、コルカタと並び称されるインド第4の都市のはずなんだけど、撮影された地区の問題か、これまた今まで以上にド下町。
垢抜けない感じのラッパーと、映画音楽かなんかからサンプリングしたと思われるトラックがいい味出してる!
南インドに入って、街行く人々の肌の色がぐっと濃くなり、彫りの深い北インド系とはまた違ったドラヴィダ系の顔立ちになったのがお分かりいただけるだろうか。
最初と最後に出てくる屋外集会所、クリケット、おばちゃんが作るローカルフードに洗濯物干してる路地裏と、溢れ出る地元感がたまんない。
路地を練り歩いてると子供達がついてくるのも素敵だ。なんかかっこいいことやってる近所のあんちゃんって感じなんだろうね。
2分過ぎから急に路地裏ダンス対決が始まるところも、"Straight Outta Madras"っていうTシャツもイカす!
さて、最後はチェンナイからぐーっと北北西に移動して、タール砂漠の州、ラージャスタンへ。
地図に記載のあるジャイプルのもっと西、旧市街の街並みが美しい青色に塗られていることでも有名な「ブルーシティ」ことジョードプルのラッパー集団、J19 Squadで、"Mharo Jodhpur"。聴いてみてください。
男らしいラージャスターニー語のラップと、16世紀頃に建てられた青い街並みが非常にいい感じだ。
ワルってことのアピールなのか、砂漠の街なのにみんな革ジャンを着ているが、暑くないのだろうかと若干心配ではある。
あとどうでもいいけど、インドのミュージックビデオって、空撮が好きだよね。
ドローンあるから使おうぜ!ってノリなんだろうか。
ヒゲの先をツンと上に向けた男達がたくさん出てくるが、これは戦士として名高いこの地方特有の身だしなみ。途中で出てくる先のとがった靴や、色鮮やかなターバンもラージャスタン独特のものだ。
あとこれまた地元の食べ物が出てくるけど、世界中どこでも郷土のうまいものってのは自慢なんだろうね。
ここで出てくるのは、地元スタイルのカレーとカチョリという揚げ菓子で、あくまでも庶民的なのがストリート感ってとこでしょうか。
青い旧市街の真ん中の小高い丘の上にそびえるのは、いまでは美術館になっている古城メヘラーンガル砦。
最後の方にはこの地方のマハラジャが住んでいたウメイド・バワン・パレス(今では高級ホテルになっている)も出てきて、これまたお国自慢色満載!
というわけで、今回は大都会から海辺や砂漠の街まで、ヒップホップで巡ってみました。
こうして見てみてつくづく思うのは、インドの人たちはラップを黒人文化のコピーではなくて、完全に自分たちのものにしちゃってるんだなあってこと。
ヒップホップのビデオに地元の普通のおばちゃんとかそのへんの子どもを出そうってのは、日本人の感覚だと「あえて」的な考え方でもしない限り、なかなか出ない発想だろう。
日本語ラップの黎明期なんかだと、みんな東京にニューヨークみたいな「ヤバいストリート」っぽいイメージを重ねて、そっちに寄せた表現をしていたように思う。
もちろん、当時とはラップの国際化の度合いが全然違うっちゃ違うのだけれども、なんというか、インド人は、自分たちが黒人文化に寄っていくのではなくて、ラップのほうを無理やり自分たち側に構わず引き寄せちゃっている感じがする。
そしてそれが結果的にものすごく面白い表現になっている。
これだけ多様な言語や文化を持つインドの、どこに行ってもちゃんとその傾向があるってのが、なんつうかソウルを感じるじゃございませんか。
日本であえて似たテイストを探すなら、この曲かなー。
また他の街で練り歩きラップを見つけたら紹介します!
それでは今日はこのへんで。
ヤンキーは地元が好き、みたいなのに通じるものがあるのかもしれない。
その気質はインドでも全く同じ。
州ごとに言語も違えば文化も違う、そんなインドのラッパー達がお国自慢のラップをやらないわけがない!
ということで、インド中のいろんな街でラッパーが地元の街を練り歩いてるビデオをYoutubeで探してみたら、出てくる出てくる。
今回はインド各地の街をラッパーが練り歩くビデオをみながら、いろんな街を巡ってみましょう。
街の名前言われたって違いが分かんねえよ、って人も、こうして比べて見てみれば、それぞれの街の個性を楽しんでいただけると思います)。
まずは地図、載っけときますね。
スタートはDIVINEさんの地元、マハーラーシュトラ州のムンバイ(旧ボンベイ)から!
曲の名前も"Yeh mera Bombay" (This is my Bombay)!!
インド西部、アラビア海に面したムンバイは、インド最大の都市にして商業の中心地。
でもこのビデオは、高層ビルや高級ホテルが立ち並び、ビジネスマンが行き交う大都会ではなく、庶民的っていうか下町っていうか、ギリギリスラムまで行かないくらいの地区で撮影しているところが肝心。
街のオヤジ達(一部カワイコちゃん)が「これが俺たちのボンベイだぜ」ってキメまくる。
「街の名前は変わったって、ここは何も変わらない俺たちのボンベイさ」っていうのは以前書いた通り。
満員のバスや電車、お祭りの人間ピラミッド、タージマハルホテルといったムンバイの象徴的な風景も挟み込まれるけど、最新のオフィス街なんかは一切出てこないのが逆に粋ってもんでしょう。
この曲、州の公用語マラーティー語ではなくてヒンディーでラップされているんだけど、それも多文化・他言語都市のムンバイならではと言える。
続いてはムンバイからインド亜大陸を北東に横断して、オディシャ州(旧名オリッサ州)へ。
ここの州都ブバネシュワールにほど近い、プリーという街出身のラッパー、Big Dealで、"Mu Heli Odia"
Big Dealは日本人のお母さんとインド人のお父さんとの間に生まれた日印ハーフのラッパーで、歌詞の最初のほうにもそのことが出てくる。今ではバンガロールを拠点として活躍しているようだ。
いずれきちんと紹介してみたいアーティストのひとりです。
プリーは漁民たちが暮らす小さな街で、映像も小さな漁船の上から始まる。
"Mu Heli Odia"は、この州で話されているオディア語で「俺はオディシャ人だぜ!」といった意味合いらしい。
プリーのオヤジ達が「俺はオディシャ人。オディア語を話すオディア野郎たちさ」とやるのはムンバイのDIVINEとほぼ同じだけど、映像は大都会のムンバイと比べると、ずいぶん鄙びた感じがするよね。
近くにジャガンナート寺院という大きなヒンドゥーの寺院があるせいか、サードゥー(ヒンドゥー行者)がちょくちょく出てくるところも見所。
海、海辺のラクダ、祭礼用の仮面、寺院、飛び立つ海鳥やクジラとローカル色がいっぱい。
俺やったるぜ的なリリックだけど、2:20くらいのところで、「インド中で食べられてるRosagolla(お菓子の名前)って、もとはオディシャのなんだぜ」なんてフレーズが入ってくるところも地元愛を感じる。
この曲は初のオディア語ラップソングということらしいが、オディア人としてのプライドが詰まった1曲なのだ。
では続きましてはプリーからぐーっと南へ下ってチェンナイ(旧名マドラス)へ。
チェンナイのあるタミル・ナードゥ州は、保守的というか真面目な州らしくて、夜更かししないようにナイトクラブのかわりにアフタヌーンクラブというのがあるとか、英語で落語をやる噺家が浮気の小噺をしても全然うけなかったとか、って話もあるところ。
それだけに、ラッパーもあんまりいないようではあるのだけど、見つけました。練り歩きビデオを。
MC Valluvarで「Thara Local」。言語はもちろんタミル語です。
チェンナイは、ムンバイ、デリー、コルカタと並び称されるインド第4の都市のはずなんだけど、撮影された地区の問題か、これまた今まで以上にド下町。
垢抜けない感じのラッパーと、映画音楽かなんかからサンプリングしたと思われるトラックがいい味出してる!
南インドに入って、街行く人々の肌の色がぐっと濃くなり、彫りの深い北インド系とはまた違ったドラヴィダ系の顔立ちになったのがお分かりいただけるだろうか。
最初と最後に出てくる屋外集会所、クリケット、おばちゃんが作るローカルフードに洗濯物干してる路地裏と、溢れ出る地元感がたまんない。
路地を練り歩いてると子供達がついてくるのも素敵だ。なんかかっこいいことやってる近所のあんちゃんって感じなんだろうね。
2分過ぎから急に路地裏ダンス対決が始まるところも、"Straight Outta Madras"っていうTシャツもイカす!
さて、最後はチェンナイからぐーっと北北西に移動して、タール砂漠の州、ラージャスタンへ。
地図に記載のあるジャイプルのもっと西、旧市街の街並みが美しい青色に塗られていることでも有名な「ブルーシティ」ことジョードプルのラッパー集団、J19 Squadで、"Mharo Jodhpur"。聴いてみてください。
男らしいラージャスターニー語のラップと、16世紀頃に建てられた青い街並みが非常にいい感じだ。
ワルってことのアピールなのか、砂漠の街なのにみんな革ジャンを着ているが、暑くないのだろうかと若干心配ではある。
あとどうでもいいけど、インドのミュージックビデオって、空撮が好きだよね。
ドローンあるから使おうぜ!ってノリなんだろうか。
ヒゲの先をツンと上に向けた男達がたくさん出てくるが、これは戦士として名高いこの地方特有の身だしなみ。途中で出てくる先のとがった靴や、色鮮やかなターバンもラージャスタン独特のものだ。
あとこれまた地元の食べ物が出てくるけど、世界中どこでも郷土のうまいものってのは自慢なんだろうね。
ここで出てくるのは、地元スタイルのカレーとカチョリという揚げ菓子で、あくまでも庶民的なのがストリート感ってとこでしょうか。
青い旧市街の真ん中の小高い丘の上にそびえるのは、いまでは美術館になっている古城メヘラーンガル砦。
最後の方にはこの地方のマハラジャが住んでいたウメイド・バワン・パレス(今では高級ホテルになっている)も出てきて、これまたお国自慢色満載!
というわけで、今回は大都会から海辺や砂漠の街まで、ヒップホップで巡ってみました。
こうして見てみてつくづく思うのは、インドの人たちはラップを黒人文化のコピーではなくて、完全に自分たちのものにしちゃってるんだなあってこと。
ヒップホップのビデオに地元の普通のおばちゃんとかそのへんの子どもを出そうってのは、日本人の感覚だと「あえて」的な考え方でもしない限り、なかなか出ない発想だろう。
日本語ラップの黎明期なんかだと、みんな東京にニューヨークみたいな「ヤバいストリート」っぽいイメージを重ねて、そっちに寄せた表現をしていたように思う。
もちろん、当時とはラップの国際化の度合いが全然違うっちゃ違うのだけれども、なんというか、インド人は、自分たちが黒人文化に寄っていくのではなくて、ラップのほうを無理やり自分たち側に構わず引き寄せちゃっている感じがする。
そしてそれが結果的にものすごく面白い表現になっている。
これだけ多様な言語や文化を持つインドの、どこに行ってもちゃんとその傾向があるってのが、なんつうかソウルを感じるじゃございませんか。
日本であえて似たテイストを探すなら、この曲かなー。
また他の街で練り歩きラップを見つけたら紹介します!
それでは今日はこのへんで。