2024年10月14日
オラが村から世界へ パンジャーブのスーパー吉幾三と闇社会(その2)
(その1)はこちら
前回の記事で、故郷の民謡「バングラー」や地元の主要産業である農業をヒップホップ的なクールネスと接続して表現するパンジャーブのラッパーたちについて書いた。
ローカル色丸出しのフロウで地元を誇る彼らを、日本語ラップ史のオーパーツ「俺ら東京さ行ぐだ」を引き合いに出して「スーパー吉幾三」と呼んでみたのだが、調子に乗って今回はその続編を書く。
「俺ら東京さ行ぐだ」以降、吉幾三はラッパーとしてのキャリアを追求することなく、演歌歌手としての道を歩んだ。(一応「TSUGARU」という例外もある)
以降、ここ日本で演歌シーンとヒップホップシーンが交わる機会はなかった。
日本では、パンジャーブのようなミラクルは起きなかったのである。
ところで、演歌とヒップホップ、そしてこの記事で扱うパンジャービー音楽は、言うまでもなくまったく全く別々のルーツを持つ音楽だ。
この無関係に思える3つのジャンルを結ぶことができるミッシングリンクがあるとしたら、それは「ギャングスタ文化」だろう。
ヒップホップとギャングスタの関係については今さら言うまでもなく、ドラッグディールやピンプ(売春斡旋)は、ラップのリリックのテーマとして、ときに肯定的に扱われてきた。
これは単なる道徳観念の欠如ではなく、貧困や差別といった過酷な環境から生まれたリアルな表現でもあった。
…といった話は、誰かがどこかで詳しく書いているだろうから、ここでは割愛する。
日本の演歌においても、ヤクザものであること、アウトローであることは、長く歌詞のテーマのひとつとされてきた。
演歌とギャングのリアルな関係については怖くてあまり書きたくないが、「演歌 反社」とか「演歌 ヤクザ」で各自検索してもらえれば、誰でも分かるはずだ。
演歌とヒップホップは、公的な社会から排除された人々の声を、マッチョ的な美学をまとった「かっこよさ」として表現するという部分では、共通していると言えるのだ。
そして、この記事のテーマであるパンジャービー音楽も、ギャングとの関わりが強いジャンルなのである。
Karan Aujla, Deep Jandu "Gun Shot"
前回、パンジャーブの田舎町からカナダに渡りスターダムを上り詰めた国際的アーティストとしてAP DhillonとKaran Aujlaを紹介したが、じつはこの二人には、こうした「成り上がり」以外にも共通点がある。
それは、二人ともギャングに自宅を銃撃されたことがあるということだ。
パンジャービー・ラップの世界では、2022年にシーンを代表する人気ラッパーだったSidhu Moose Walaがギャング団に射殺されてしまうという悲劇が発生している。
まるで90年台USのヒップホップ東西抗争のような事件が起きたにも関わらず、パンジャービー・ラップの世界では、その後も銃による暴力は終わらなかった。
Sidhu Moose Wala ft. BYG BYRD "So High"
Karan Aujlaはインタビューで何度も自宅を銃撃され引っ越しを余儀なくされたと答えており、2019年にはラッパー仲間のDeep Janduと一緒にいるところを襲撃され、身代金を要求されるという事件も起きたと言われている(この事件に関しては、本人は単なる噂だと否定)。
A.P.Dhillonもまた、今年に入ってバンクーバーの自宅を銃撃され、車両を放火されたと報じられている。
インドの他の文化圏、例えばムンバイやタミルのヒップホップシーンでは、銃撃やリアルな暴力のニュースはほとんど聞かないが、どういうわけか、パンジャーブのヒップホップシーンでは、異常なまでに銃撃やギャングの影がちらつく。
そもそもパンジャービー・ラップは、インドのヒップホップのなかでも、とくにギャングスタ的なスタイルを好む傾向が強い。
その理由を考えると、そこには彼らが辿ってきた歴史や、文化的な特性が影響しているのかもしれない。
パンジャーブ州の人口の大半を占めるシク教(ターバン姿で知られる)では、男性は戦士であるというアイデンティティを持ち、強さを礼賛する文化があるとされる。
またパンジャービーたちは、インドでは一般的にパーティー好き、派手好きというイメージがあるようで、彼らの文化には、最初からヒップホップ的な要素が強かったと言うこともできる。
今書いたのは、非常にステレオタイプ的な語りなので、話半分で読んでほしい。
また、誤解のないように言っておくが、パンジャービーたちやシク教徒が暴力的な人々だと言いたいわけではない。
彼らのほとんどが善良であることは、何度でも強調しておきたい。
日本を含めてあらゆる社会がそうであるように、パンジャーブの社会の中にも闇の部分があるというだけのことだ。
このことに留意してもらったうえで、彼らの文化とギャングスタ系ヒップホップとの親和性の話を続ける。
北米に移住したパンジャービーの若者たちのなかに、マイノリティとしての過酷な環境ゆえか、現地のギャングやドラッグ・カルチャーと関わりを持つようになった者たちがいた。彼らのほとんどが善良であることは、何度でも強調しておきたい。
日本を含めてあらゆる社会がそうであるように、パンジャーブの社会の中にも闇の部分があるというだけのことだ。
このことに留意してもらったうえで、彼らの文化とギャングスタ系ヒップホップとの親和性の話を続ける。
そうして生まれたパンジャービー・ギャング団は、シク教徒の独立国家建設を目指すカリスタン運動の過激派とつながり、インド本国にも力を及ぼすようになったそうだ。
カナダでの悪事で稼いだ金で故郷の村で羽振りよく振る舞うギャングたちは、一部の若者たちの目には、憧れの対象として映るのだろう。
ともかく、事実として、パンジャーブのギャング団はインドの芸能界にも大きな力を持つようになった。
SidhuやKaran AujlaやAP Dhillonと同様に高い人気を誇るバングラー・ラッパーDiljit Dosanjhも、過去に脅迫を受け、転居を余儀なくされたと語っている。
今名前を挙げたラッパーのうち、APやDhiljitは、とくにギャングスタ的な売り方をいているアーティストではないが、パンジャービーの荒くれ者たちにとってはお構いなしのようだ。
バングラー・ラップの世界、いくらなんでもちょっと危な過ぎやしないか。
パンジャービー・ギャングたちのなかでとくに悪名が高いのが、現在デリーのティハール刑務所に服役中だというローレンス・ビシュノイだ。
刑務所の中からSidhu Moose Wala射殺を指示したとされるビシュノイは、今年4月に発生した人気俳優サルマーン・カーン邸の銃撃事件にも関わっていると言われており、報道によるとAP Dhillon邸への襲撃も彼の一味の手によるものだという。
いったいどうやって刑務所からそんなことができるのかよく分からないが、大物ギャングともなると、塀の中から手先を動かすなどたやすいことなのかもしれない。
サルマーン・カーン邸襲撃の理由がまたすごい。
飲酒運転で死亡事故を起こすなどボリウッド俳優のなかでも荒っぽいイメージの多いサルマーン(慈善事業を主宰するなど情に厚いところもある)は、かつて映画の撮影中にブラックバックと呼ばれる鹿(レイヨウ)を密猟したことがあったという。
ブラックバックは絶滅危惧種であり、狩猟すること自体が違法だが、ビシュノイの所属する一派にとっては、ブラックバックは稀少であるという以上に、神聖な動物でもあった。
サルマーンは、そのブラックバック殺害の報復として襲撃されたのだ。
「動物愛護」をどう突き詰めてもシー・シェパードくらいにしかならないだろうと思っている日本人の感覚を大きく揺さぶる、驚愕の襲撃理由だ。
(繰り返しになるが、パンジャービーたちやシク教徒が危険だということは一切なく、あらゆる文化や人種や民族と同じように、中には悪いやつも暴力的な人もいるというだけの話なので、くれぐれも誤解のないように。
また、調べてみたところ、ブラックバックを神聖視しているのはBishnoi Panthと呼ばれるラージャスターン州にルーツを持つヒンドゥー教のヴィシュヌ神を信仰する一派で、苗字から考えてもローレンス・ビシュノイが所属するコミュニティは、この宗派である可能性が高い。この宗派にもギャング的な傾向はなく、菜食主義や博愛を説いているようだ。ローレンスの思想や行動は彼の個人的な資質によるものが大きいのだろう。コミュニティのルーツはラージャスターンだが、パンジャーブで生まれた彼をパンジャーブのギャングとする見方は一般的なようだ)
話がボリウッドにまで広がってしまったが、いずれにしてもパンジャーブのヒップホップ・シーンには、ギャングたちの暗い影が影響を及ぼしている。
民謡の影響の強いフロウを持ち、地元の農業を讃える要素もあると聞けば、なんだか朴訥とした平和的なイメージを受けるが、そこに暴力的なギャングスタの要素が入ってくるところが、日本人の感覚からすると非常に面白い。
民謡好きのギャングがいても、農家出身のラッパーがいても驚かないが、民謡と農業とギャングスタが脳内の同じフォルダに入っている状態というのはなかなか想像しづらい。
パンジャービーたちの多くの人々が欧米に移住しているがゆえに、ヒップホップのような欧米文化に親近感を持ちつつも、自分たちのアイデンティティを打ち出したいという気持ちが強くなったのだろうか。
パンジャーブでこういうやり方があるなら、日本でも、同じアウトロー的なテーマを扱う音楽として演歌とヒップホップが共演するという選択肢もあったはずだ。
たとえばラッパーが北島三郎をサンプリングしたりとか、ストライプのダブルのスーツにサングラスでキメた若手演歌歌手がトラップのビートでオートチューンの効いたニューエンカをリリースする、なんていうパラレルワールドを想像すると、それはそれで結構かっこいいんじゃないかな、と思う。
日本でこうしたキメラ的ジャンルが誕生しなかった理由は、日本ではクリエイターもファンも、「US的なスタイルこそがヒップホップのあるべき姿である」というヒップホップ観を長く持っていたことによるものだろう。
「ライムスター宇多丸の『ラップ史』入門」という本(NHK-FMの番組を文字起こししたもの)の中で、宇多丸氏は、アメリカと日本のヒップホップの歴史を交互に紹介する理由として「ヒップホップっていうのは、共通ルールの下、世界同時進行で進んでいくスポーツみたいなところがある」「世界ルールの変更に従い、日本語ラップもこうなりました、みたいな」と述べているが、この感覚は、ある世代までの日本のヒップホップファンの感覚を代弁しているはずだ。
パンジャーブのヒップホップも、ビートのトレンドに関していえば、むしろ日本よりも早くアメリカの流行を取り入れていると言えそうだが、その歌い回しに関しては、かたくなにバングラーのフロウを守り続けてきた。
「英語っぽいフロウでラップするよりも俺たちのバングラーのほうがかっこいいし、俺たちっぽいじゃん」という感覚を、ごく自然に持っていたからだろう。
(例えばPrabh Deepみたいにオーセンティックなヒップホップのフロウでラップするパンジャービーのラッパーももちろんいるが)
日本人は開国とともにちょんまげを切り落としたが、パンジャービーのシク教徒たちは、今でもターバンを巻いている。
銃や暴力を肯定するつもりはないが、この一本芯の通ったプライドを持った人たちの音楽が、面白くないわけがない。
かっこよくないわけがない。
というのが、このシリーズの記事で言いたかったことだ。
だんだん何を言っているのか分からなくなってきた。
話をパンジャービー・ヒップホップに戻すと、Karan AujlaはSidhu Moose Walaとビーフ関係にあり、お互いにディス・ソングを発表していた。
Sanam Bhullar feat. Karan Aujla
これが2018年3月にリリースされたAujlaがSidhuをディスったと言われている曲。
暴行を加えるときにクリケットのバットが凶器に使われているところにインドっぽさを感じる。
Sidhu Moose Wala "Warning Shot"
同じ年の7月にリリースされたSidhuのアンサーとされているのがこの曲。
内容は分からないが、レゲエっぽいビートやピッチを変えた低い声が使われているのが面白い。
のちにAujlaは"Lifaafe"はSidhuへのディスソングという意図ではなかったと釈明している。
パンジャービー語が分からないのでなんとも言えないが、仮に当時のAujlaにディスの意図があったとしても、2018年の時点でSidhuにビーフを仕掛けるのは、売名のために噛みついた微笑ましいエピソードとして消化して良いもののような気がする。
Sidhuの死後、Aujlaは"Maa"というSidhu Moose Walaに捧げる曲をリリースしている。
音楽のうえでは対立していても、心の奥底ではリスペクトしていたということだろう。
Karan Aujla "Maa (Tribute To Sidhu Moose Wala)"
ここでも、射殺現場の生々しい映像に加えて、トラクターを乗り回す生前のSidhuが映し出されている。
農業、バングラー、ギャングスタ。
そのいずれもがパンジャービー・ラッパーたちの誇りであり、アイデンティティなのだろう。
どうかこれからも、誰かが死んだり傷ついたりしない程度に、かっこいい曲や話題を提供し続けてほしい、と思わずにはいられない。
(これで締まった?まあいいや。おしまい)
参考サイト:
https://www.freepressjournal.in/entertainment/seen-bullet-pass-through-me-punjabi-singer-karan-aujla-reveals-his-house-was-shot-at-multiple-times
https://www.newindianexpress.com/magazine/2022/Jun/11/special-report-music-murder-manslaughter-inside-the-gangs-of-punjab-2463683.html
https://www.dnaindia.com/entertainment/report-how-sidhu-moose-wala-s-biggest-enemy-dissed-him-on-stage-became-fan-after-death-karan-aujla-maa-warning-shot-3045141
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goshimasayama18 at 22:07│Comments(0)